1777)けさも書く
                            眉 村 卓

 早朝、彼は病院を出て、近くの喫茶店に行った。
 妻は意識不明だが、この数時間容態は変わらない。もしも急変があれば、ベッドの脇に

いる娘が、病院の公衆電話から彼の携帯電話に掛けてくれるであろう。
 妻が病気になってから彼は、気持ちを引き立たせるためにと、毎日一編、短い話を書き

続けてきた。
 そういう目的のためのものだから、妻が暗い気分になったり顔をしかめたりする話は、

極力書かないようにしていた。それともうひとつ、現実引きうつしは排除して作り話にす

ると約束したのだ。
 読んで妻は、あははと笑ったりにやりとするときもあるが、ときには不出来のため

のクレームを出す。クレームがもっともな場合は別のアイデアで書き直すのだ。また、

いい作り話が出て来ないと、約に反してエッセイまがいの作品になってしまい、妻に、
「これ、エッセイやんか」
 といわれたりした。
 原稿は基本的には家で書くものの、妻が病院で点滴を受ける日など、同行した彼は、

病院の傍の喫茶店で書くのがならいだったのだ。
 最初のうちはともかく、妻にとって、毎日そんなものを読まされるのは、迷惑であ

り負担であったかもしれない。しかしすでに行事になっており、中断したらよくない

ことが起こりそうで、ずっと続けてきたのである。
 月日が経ち、しだいに病状悪化した妻は、通っていた病院に入院した。
 いったんは持ち直したかに見えたが、その後、急速に悪化していった。
 それでも彼は毎日書き続け、もう自力では読めない妻に、声を出して読んだのであ

る。妻はうとうとしながらも聞いてくれた。
 だが、妻が意識不明になってからは、それも叶わなくなった。この二日ばかり、書いた

だけで、聞かせることは諦めなければならなかったのだ。
 そして、きのうからきょうにかけて、妻の終末は明白になっている。
 にもかかわらず、というよりそれだからこそ彼は、書くために、携行用の原稿書き道具

をもって、この喫茶店に来たのであった。
 セルフサービスのトーストとコーヒーの盆をテーブルに置くと、彼は想を練り始めた。
 ここで書いた日が、よみがえってきた。
 その頃は、書き終えて病院に戻ると、大抵は先に点滴を済ませて待っていてくれたのだ。
 いや、そんなことを思い出して何になろう。
 お話だ。
 聞いてもらえないのはわかっているけれども、お話を書かねばならない。
 考えた。
 アイデアは出てこない。
 早く病室に帰らなければと思えば思うほど頭の中が空白になるのである。
 彼は焦った。
 その彼の眼前で、モーニングセットの盆を手に通った若者が、たまたま足を滑らせて転

んだのであった。
 書くとしたらこれ位しかない。
 彼は、その瞬間までの心境と、そのハプニングによって起きた奇妙な心の混乱を、題材

に、書き上げたのであった。

 病室に帰りつくと、出たときと同様、妻は深い眠りの中にあった。医師によればもはや

痛みもほとんど感じていないだろうという、いっときの低空飛行をしているのだ。
「出来た?」
 と娘が尋ね、彼は頷いた。もっとも、娘は原稿の内容そのものには興味がなく、母親と

父親のこれまでの行事を尊重しているのである。
 彼が帰り着くと、今度は娘が食事に行く番であった。
 彼は、書いた原稿を窓枠に置き、妻のベッドの横に腰を下ろす。
 妻は相変わらず、もはや覚めることのない睡眠を続けている。
 疲れていた。
 当然ながら、看病による寝不足でもあった。
 ベッドの枠にもたれて、うとうとしたのだ。
 何かの気配に、彼は顔を挙げた。
 振り返ると、少し空けてあった窓からの風で、原稿が散り、ばらばらになって床に落ち

たのである。
 彼は拾いにかかった。
 そのとき。
「それ、エッセイやんか」
 という、まぎれもない妻の声が聞こえたのだ。
 元気だった頃の、張りのある声。
 彼は、ベッドの妻を見つめた。
 妻はただ眠っているばかり。
 だが、たしかに声は聞こえたのだ。
 彼はわれに返った。
 幻聴だろう。
 でも、幻聴でもいいではないか。自分にとっては、本物の妻の声だったのだ。自分には、

本当の声だったのだ。
「ごめん、ごめん。悪かった」
 彼はベッドの妻に声を掛けながら、原稿の拾い集めを再開したのである。
                         (一四・五/二七)

――毎日新聞5月29日付朝刊より、眉村先生の許可を得て転載。

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