【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2000年8月・9月)


アレクすて様 投稿者:管理人  投稿日: 9月30日(土)22時52分40秒

>まあ、『賑やかし』ということで
どうぞちょくちょく書き込みしていって下さい。ツッコミ大歓迎(笑)。
大宴会でお会いするのを楽しみにしております。
 


最近わたしは 投稿者:アレクすて  投稿日: 9月30日(土)17時19分50秒

SFは、愚か、ほとんど本という物を読んでいない状態でして
本当ならこの掲示板に書く資格もないはずなのですが…。
まあ、『賑やかし』ということで、ではでは
あっ、今度のオフ会は出席したいと思っております。
ではでは。 


『日課・一日3枚以上』第2巻 投稿者:管理人  投稿日: 9月30日(土)14時44分15秒

眉村先生の『日課・一日3枚以上』第1巻を読み終わりました。
(感想は「ヘテロ読誌」に掲載と同時に当HPの感想文のページに格納いたしますので、ぜひお読み下さい。)

それで出版の真生印刷さんに「第2巻はまだですか?」と問い合わせましたら、「もう出ていますよ」というお返事。あわてて注文をした次第です。
月曜か火曜には届くと思います。届きましたら、またお知らせさせていただきます。


小説って・・・ 投稿者:管理人  投稿日: 9月27日(水)21時33分59秒

長瀬さんにお借りしているビデオ「火星年代記」を観ました。
4時間を超える長尺でしたが、それもその筈、連続TVドラマ(「V」が流行った頃の)のビデオ化だそうで、映像的には見るものはないですが、ブラッドベリの原作に忠実に、丹念に映像化していて、最初は設定の古さに違和感を感じたのですけど、そこはそれ原作のパワーでしょうか、どんどん惹き込まれて気がついたら朝の4時でした(汗)。
原作に忠実というコンセプト(オリジナルのエピソードも含まれていましたが)、日本では考えられないことですね。

大石英司『極北に大隕石を追え』(ノンノベル)読了。
大好きなツングースカ隕石テーマかと思って読みましたが・・・ほとんどメインのストーリーには関係なく、このタイトルはまさに「北京の秋」!
悪くはなかったですが、ここまで人間の葛藤が描かれてない小説も珍しいと思いました。別に男と女あるところに恋愛有りとは思いませんけど、これなら登場人物に性別は不要で固有名詞も不要でロシア人Aとか科学者Bとかで十分。あらゆる意味で清潔(?)な小説でした。しかし事件の前と後とで人間として「変わってない」話って、小説と言えるのでしょうか?

ところで大西夫妻からクラフトワーク出店のハガキが来ていますが、どうするのですか?>三重のお姉さん。


ムーブメント 投稿者:管理人  投稿日: 9月24日(日)19時08分17秒

ああ、この連休は予定していたことが何もできませんでした。マラソンも寝過ごして見損なっちまった。
ヘテロ読誌の準備もできなかったし、もう一冊読むつもりが読了するあたわず。
こんなんではイカんのだが・・・反省々々。

ところで昨日初めてTUTAYAに行きました。ニューロックもそこそこ揃っていてビックリ。
早速イエス「海洋地形学の物語」とオーネット・コールマン「フリージャズ」を借りました。
「海洋地形学の物語」は73年の作品。
記憶では最高傑作の「危機」のあと満を持しての発売で期待値が高すぎたのか、FMで全曲聴き(当時はアルバム一枚全曲流してくれる番組があった)大いに失望したのでしたが、今回聞き直し、そんなに悪くないやんと評価を修正した次第。特にA面1曲目は「危機」に勝るとも劣らない仕上がりです。
ライナーノートを読んでそうかと思ったのですが、73年というのは一種転回点だったのかも知れません。
ピンクフロイド「狂気(ダークサイド・オブ・ザ・ムーン=月の裏側)」、キングクリムゾン「太陽と戦慄」、EL&P「恐怖の頭脳改革(これも原題とは全然違うタイトル)」はすべて73年ですがみなプラトーの落ちぎわか転がり落ちかけた作品ではないですか。
してみるとしてみると69年「クリムゾンキングの宮殿」で産声を上げたプログレはこの73年までで主要な作品は出尽くしているのです。
本当に短かったんですね。実質的なプログレの時代というのは。
しかしそんなモノかも知れませんね、60年代後半に始まった日本SFも70年代半ばにはその使命を殆ど終えていましたし、80年代末に始まった新本格もわたし的には京極以降は殆ど成果を上げていないように見えます。
<運動>と呼べるのはせいぜい5年から10年くらいで、あとは拡散と解体に向かうものなのかも知れませんね。


「唾の樹」 投稿者:管理人  投稿日: 9月22日(金)22時06分01秒

MZTさま

毎日お付き合いいただき、恐縮しています。
『ぬばたまの……』、だんだん思い出してきました(^^)。
確かにそう言う意味では、殺伐とした話ですねこの長篇は。
とにかく近頃ではあまり見かけないタイプの小説であることは間違いありません。
そんな殺伐としたところも含めて、今のSF読者にもっと読まれてほしい一冊ではあります。

>『ぬばたまの……』は現在入手困難なのが残念
まったくそのとおり!
『パヴァーヌ』は最近なんとか再出版されましたが、主要なサンリオ作品が読めない現状と、軌を一にする出版事情だと思われます。

さて、オールディス「唾の樹」(アンソロジー『影が行く』所収)を読みました。ヴィクトリア朝英国の、ウェルズとも親交のある文学趣味の田舎の高等遊民の若者が飛来した邪悪な透明エーリアンと遭遇するという、いかにもオールディス好みの屈折した設定(笑)はよいのですが、モチーフが(訳者も明記しているように)ラブクラフトのある作品そっくり。夢中で読了しましたが、読後ちょっと拍子抜け。オールディスですから偶然の一致とは思われず、その意図をはかりかねています。


すみません、ちょっと表現が 投稿者:MZT  投稿日: 9月22日(金)09時35分57秒

MZTです。

読後感が嫌>気持ち悪かったに変えてください。語彙が少ないもので、
適切な言葉ではありませんでした。作品としての評価は非常に高いで
す。今まであのようなネタの小説は読んだことがありませんでした
から。殺伐というのは、作品全体としてペシミスティックな感じが
あるからです。あともちろん挫折を味わうごとにあのような苦しみを
味わうものがいるとすれば、想像するだけでも悲しくなります。

という意味でも、想像力を書きたてる極上のホラーSFだと思います。
『ぬばたまの……』は現在入手困難なのが残念。古本屋でもあまり
見かけないですね。


眉村ばなし、2題 投稿者:管理人  投稿日: 9月21日(木)22時28分24秒

こんばんは。
最近なぜか忙しくて、今日もレスのみにてお許し下さい。

MZTさま

>なんというか殺伐とした感じが嫌ですけど
『ぬばたまの……』は20年前に一度読んだきりなので、ストーリーも鏡の世界に入っていくということの他は、実は全く記憶に残っていないのです。
ただ読後感だけはよく覚えていて、すごく好印象だったのですけど・・・
眉村さんの文章は非常にクセ(臭み)があり、ある意味、味も素っ気もないところがあって、その辺が、文体にこだわる読者には<殺伐>として感じられると言うことはあるかも知れません。うーん。今度読み直してみます。

yagyuさま

こちらこそおさひしぶりです!

>1000本目
>眉村さんも、もう超えているらしいとか
何をおっしゃいますかyagyuさん(^^)。最新刊の『日課・一日3枚以上』は全10巻、一巻にショートショートが100篇収録されています。つまりこのシリーズだけで、すでに1000作品あるのです。いやはや(笑)。
もっとも星ショートショートと眉村ショートショートでは質というか創作姿勢が全然違っていて、特に眉村さんの最近のショートショート集は、一話自体では話が完結しておらず、ショートショートが集まり連関して長篇を形成している趣があります。
つまりバンチのモダラン連作やヨコジュンのスロッピー号を思い浮かべていただいたらいいでしょう。
対して星ショートショートは1話1話オチがあるわけで、つまり完結しているわけで、星作品の1000本というのはやはり巷間話題になってしかるべき壮挙だったと思われます。

それでは失礼いたします。


ショートショート1000 投稿者:yagyu  投稿日: 9月21日(木)08時29分26秒

おさひしぶりです。

ちと小耳にはさんだのですが、星さんのときは1000本目のショートショートが話題になったけれど、眉村さんも、もう超えているらしいとか。どうでしょうか。


どもども 投稿者:MZT  投稿日: 9月20日(水)22時57分05秒

MZTです。

ぼくも『ぬばたまの…』(講談社文庫)を読んで、嫌な気分に陥ったのでした。
これ今ならば十分ホラーなんですけど、アイデンティティがだんだんと喪失
していく恐さと時が過ぎて行くことの恐さを感じました。面白い世界解釈だ
と思います。#なんというか殺伐とした感じが嫌ですけど。

ぼくはまだまだSF歴が薄いんで、大熊さんなど様様な方々のWEB上での評論
や意見を楽しく読んでおります。何を軸に据えるのかというのは本当に難
しいなと思ったのでした。

かんべむさしさんについての大熊さんの分析、まったくぼくもそう思います。
ご存知かと思いますが、かんべさんと堀晃さんの共著『SF街道二人旅』の
中にかんべさんがSFの書き方をシステマチックに纏めているのですが、
この発想法はすごくユニークで、思わず付箋を挟んでしまったほど。

あとやっぱり読者を選別しているところが魅力的なのかもしれません。
経済系の人たちには受け入れられやすいズレをSF的にうまく処理
しているところに共感しました。

では、こちらこそ今後もよろしくお願いします。


リンクしていただきました! 投稿者:管理人  投稿日: 9月20日(水)19時28分31秒

MZT@書物の帝国さま

おお、ようこそお越し下さいました!!

それはそうと拙サイト「とべ、クマゴロー!」を、貴ホームページ「書物の帝国」にリンクしていただき、本当にありがとうございました。お手を煩わせて申し訳なく思います。これからもよろしくお願いいたします。

>SOWについての議論楽しく読ませて戴いております
前後の整合を気にしないで、思いついたことを書いていますので、おそらくMZTさんのような識者の方には失笑を買っていることと思います(汗)。まあ気長にお付き合い下さい。

しかし書いているうちに何となくひとつの筋道にまとまっていくのです私の場合(^^)。
そのメカニスムを慮るに、SFを30年読んできたことによって私の身体は、SFを根源的に了解しているのだと思います。ところが私(の意識)の方がそれに追いていないため、オートマチズム的に書き散らしているうちに答えが無意識の底から浮かび上がってくるのだろうと、都合のよい解釈をしているのですが(笑)・・・

>かんべむさしさんは
>もっと評価されて欲しい
全く同感です!
一見ドタバタ風なんですけど、すごく論理的に小説を組み立てていて、いつもすごいなーと感心するのですが、「この話の面白さがわからんヤツは、わからんでよろしい」という風な、ある意味、<読者にやさしくない>ところがあって、その辺が一般的な人気に繋がっていかないのではないかと思っているのですが。

村田耿介さま

どうも若者組と年寄り組に別れてしまうので、あんまりお話が出来ないんですよね。

『ぬばたまの』、気に入っていただけましたか? 読みやすかったでしょ。
>おじさんの成長物語、いいですね〜
ははあ、なるほど(汗)そう読みますか。
いや、確かにそうかも知れませんねー(^^)

>ニューシネマ
中村敦夫の「木枯らし紋次郎」なんか、当時朝日の百目鬼恭三郎がマカロニウェスタンと関連づけていた記憶があるのですが、考えてみればニューシネマの影響ですね。(まあ百目鬼はSFでも外したことを書いていましたけど(^^;)  


ども〜。 投稿者:村田耿介  投稿日: 9月19日(火)22時12分17秒

 先日はどうもでした〜。

 お借りしました『ぬばたまの…』早速、読み終えました。
 いやいや、おじさんの成長物語、いいですね〜。
 主人公が思考の最中に脱線しまくるところなど、非常に面白く読みました。思いのほかシンパシーを感じてしまったりして……(笑)。
 視界がぱっと開け、周囲が明るくなるところなど、すごく感動いたしましたよ。
 ありがとうございました。

 むむ、ニューシネマ! 全部、私の生まれる前の映画ではないですか。
 ドナルド・サザーランドなんかは好きなので、ちょっと遡って観てみようかな……。
 うちのビデオデッキがぶっ潰れたので、しばらくビデオ観られないのですが。

 ではでは。

http://www.alles.or.jp/~toki0504/


はじめまして 投稿者:MZT  投稿日: 9月19日(火)00時53分02秒

こちらでははじめまして、MZT@書物の帝国ともうします。

SOWについての議論楽しく読ませて戴いております。

>センス・オブ・ワンダーというものが「読者の感性」に、一義的に依存する点です。

同感です。SOWの定義は難しいですし、究極的な尺度を創ることが不可能だと
ぼくは思っています。SFとは何か?という問題はセンス・オブ・ワンダーをどう定義す
るかという定義論の問題になってしまうので、とりあえず色々と小説を読んで考えて
みたいと思っています。

今読んでいるのはかんべむさし『俺はロンメルだ』(講談社文庫)です。かんべむさし
さんは眉村卓さん同様、経済感覚が優れている方なのでもっと評価されて欲しいと
思っています。

ではでは。


アメリカン・ニューシネマ 投稿者:管理人  投稿日: 9月18日(月)20時35分22秒

昨日の続きです――ちょこっと検索してみたのですが、ニューシネマはアメリカン・ニューシネマというほうがより正しいようです。

こちらのHPから引用してみましょう。
>アメリカン・ニューシネマというのは何かというと、簡単に書けば1960代後半から1970年代前半にかけて
>作られた反体制の映画、ということにでもなるだろうか。ニューシネマ登場以前のハリウッド映画といえば、
>俳優は2枚目、女優は超美人、そして彼らは世間のヒーロー・ヒロイン、話はハッピーエンドと相場は決ま
>っていた。
>しかしニューシネマの登場で、その常識は見事に覆されてしまった。ニューシネマで活躍するのは、たい
>ていが不細工で汚いかっこをした男達である。(いや、もちろん例外もあるんだけどね^^;)
>主役はあくまでもその汚い男達であり、女優はその引き立て役にすぎない(女優がほとんど出てこないよ
>うな映画も多い)。つまり、基本的には男の映画なのだ。
>で、その男達は何者なのかと言えば、その多くがヒッピー、強盗、浮浪者などで、それまでの映画界では
>考えられなかったような職業(?)の者が主役として登場するのである。話の内容もそれまでのハリウッド
>映画にありがちだった、「正義が悪を倒す」的なものではなく社会からドロップアウトしてしまった、はみ出
>し者達の生き様を描いたものが多く決してハッピーエンドで終わることはない。思えばニューシネマの中で
>も、その代表作と言われるものは、ほとんどが最後に主役が死んでしまうような気がする・・・
>ニューシネマにおいて一貫して描かれているのは等身大の(あるいは、それ以下の?)ヒーローである。そ
>れまでの映画界に存在した、スーパーマン的なヒーローは正に「強き、正しきアメリカ」の象徴であっただろ
>う。しかし長引くベトナム戦争のさなか、アメリカの若者達はそのような象徴が示すものを信じられなくなって
>いたのかもしれない。そんなものよりも世間からはみ出し、後ろ指を指されても自分の思うがままに生きる
>ニューシネマのヒーロー達に共感を覚えたのだろうか。
>とにかく、戦争がアメリカ全体に暗い影を落としたこの時代にニューシネマは誕生したのである。

個々の作品としては、
「俺たちに明日はない」 1967年 アーサー・ペン監督、ウォーレン・ビューティー、フェイ・ダナウェイ
「卒業」 1967年 マイク・ニコルズ監督、 ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス
「真夜中のカーボーイ」 1969年 ジョン・シュレンジャー監督、ジョン・ボイト、ダスティン・ホフマン
「イージー・ライダー」1969年 デニス・ホッパー、 ピーター・フォンダ
「明日に向かって撃て!」 1969年 ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス
「ファイブ・イージー・ピーセス」 1970 ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック
「マッシュ」 1970年 ドナルド・サザーランド、エリオット・グールド
「いちご白書」 1970年 キム・ダービー、(男優の名前が思い出せない)

そうそう、キャサリン・ロスを忘れてましたね。当時絶大な人気でしたが、わたし的にはちょっと(^ ^;
ジョン・ボイトで「ジョー」ってのがありませんでしたっけ?ラリった娘を撃ち殺してしまうヤツ。
オレ的には「タクシードライバー」もこのジャンルなんですが、少し時代が下るのかな。

いや、よかったですねー、わが黄金時代(笑)。
ハリウッド映画ってのにいまいちもろ手を上げられないのは、この頃のトラウマなのかも知れませんネ。


畸人郷 投稿者:管理人  投稿日: 9月17日(日)21時45分38秒

昨日は畸人郷例会でした。第1部ではらじさんに『影が行く』を強引に布教(笑)。
第二部は懐かしのニューシネマ話、キム・ダービー、スーザン・ジョージ、ジョディ・フォスターetc.etc.
長瀬さんに「火星年代記」のビデオ借りました。四時間あるらしい。
うーん、今日見ようか思案中、『影が行く』も読んでしまいたいし(^^;


アメリカン・スペースオペラ 投稿者:管理人  投稿日: 9月15日(金)19時41分25秒

>アレクすて様
お訪ね下さりありがとうございます。
大したコンテンツもございませんが、たまにお立ち寄りいただければ幸甚です。
これからもよろしくお願いいたします。

ちょっと遅くなりましたが、均一蝋さんがご自身のHPに、美麗なバナーで当サイトをリンクして下さっています。ありがとうございます。

昨日はアーサー・K・バーンズ『惑星間の狩人』(中村能三訳)創元文庫を読みました。
言わずと知れたスペオペの定番で、スペオペを論じるときには必ず引き合いに出されるゲリー・カーライル・シリーズの、30年代後半から40年代前半にかけて雑誌掲載された中短篇を集めた作品集です。
資料的義務感で読み始めたのですが、これが存外によくできていて一日で読了しちまいました。
いかにもアメリカ的な成功物語的なシチュエーションなんですが、主人公の勝ち気な女ハンター、ゲリー・カーライルに惚れられて<逆玉の輿>に乗るトミー・ストライクのなんとも飄々たるキャラ設定がずばり効いていてふたりの掛け合いが実に<現在的>にリアルでおもしろいのです。
玉石混淆なのであろうスペオペのなかでも、本シリーズは間違いなく玉の部類でしょう。
とはいっても、<センス・オブ・ワンダー>は香りもないです(^^;。

先日、センス・オブ・ワンダーはSFの専売特許ではないと書きました。
それ以前に<あなた(読者の感覚)まかせ>のセンス・オブ・ワンダーは、SFの拡がり(もしくは境界)を指示する分析概念には相応しくないと私は思います。もちろんそういいたくなる気持ちは、私もSF読みであすから、痛いほどよく判ります。
(余談ですが、<ホラー小説>という括りも実のところ<あなたまかせ>の分類概念です。したがって<ホラー小説>も無限に拡大解釈を許容します)
しかしながら、分類したり分析したりするためには、もっと客観的な、誰が用いても(理想的には)誤差が出ない尺度が必要なのではないでしょうか。

今、『影が行く』(中村融編訳)創元文庫を読み始めています。
これはすばらしい! 今年一番の企画でしょう(訳も素晴らしい)。
この本(と編者)は、星雲賞はもとより日本SF大賞の大賞を取ってもおかしくないと思います。日本人作家のしょうもない長篇「SF」(と、カッコにくくっておこう)が取るくらいなら。←分類と感情は別なので(汗)。


(無題) 投稿者:アレクすて  投稿日: 9月14日(木)16時16分14秒

大熊様、遅れましたが、サイト起ち上げおめでとうございます。
管理人室ですか。気付かずに、お手数をお掛けしました。
ではでは。


『思考する物語』 投稿者:管理人  投稿日: 9月13日(水)20時03分30秒

センス・オブ・ワンダーがSFの爾余のジャンルからの独立性を保証するものだとしたら、かかる定義から落っこちてしまう<SF>がたくさん出てきます。
一昨日はスペオペをその例に挙げましたが、もうひとつ日本SFはどうでしょう?

たとえばわが眉村卓の初期名作『EXPO'87』を読んでセンス・オブ・ワンダーを感じるでしょうか?
少なくとも私は感じません。にもかかわらずこの作品はSF以外の何ものでもないと私には思われます。
日本SFで真にセンス・オブ・ワンダーを感じる作品といえば、光瀬龍の『たそがれに還る』、『百億の昼と千億の夜』といくつかの初期短篇、小松左京の『果しなき流れの果に』と初期短篇のいくつか。そんなところではないでしょうか?
センス・オブ・ワンダーでSFをくくれば、日本SFの殆どは括りの外にはじき出されてしまうはずです。

もう一つ、センス・オブ・ワンダー=SF説の弱い点は、センス・オブ・ワンダーというものが「読者の感性」に、一義的に依存する点です。
すなわち作家の側の「SFを書くぞ!」という<志向性>が読者の感性にねじ伏せられてしまう可能性がある点です。
しかも読者個々の感性は、ある程度客観性があると言っても当然同じの筈がなく、Aの読者がセンス・オブ・ワンダーを感じ、SFであると認識した作品に対し、Bという読者が同じ認識に達するかどうかは確定できないわけです。

逆にセンス・オブ・ワンダーがあれば、ある種の純文学も哲学も映画もシュールレアリスム絵画もプログレッシブロックも「SF」になってしまいます。
この感覚は私にもよく判りますし、実際、上の例は私の正直な感覚なのです。
しかしこれは「あれもSFこれもSF」式のSFの極端な拡大に端緒を開くもので、SFバブル期によく聞かれたものです。

SFに対する思い入れを一旦括弧で括り、虚心坦懐に上を敷衍するならば、(いろんな分野において感ずることが出来る)センス・オブ・ワンダーは、別にSFの専売特許ではないことを端的に示しているのではないでしょうか?(つづく)



タテ書き文書 投稿者:管理人  投稿日: 9月12日(火)22時01分49秒

タテ書きの実験でこんな部屋を作りました.
タテラデン文書室
管理人室から入れます。
みなさんどのように見えていますか? ネットスケープの方見えますか?
不具合でしたら御一報下さい。


『思考する物語』が驚きに乏しいのは 投稿者:管理人  投稿日: 9月11日(月)21時17分56秒

森下一仁『思考する物語』読了。
フーム。
「SFの本質はセンス・オブ・ワンダーにあり」という、実にオーソドックスなSF論です。
でもこの事実は、僕はSFを読み始めていくらも経たないうちに<判って>いたと思います。
SF読みなら、誰もが<判って>いるあの感覚、説明しろと言われても、いわくいいがたいあの感覚を、著者の森下さんは認知科学の知見に拠って「定義」しています。
だからこそ逆に<センス・オブ・ワンダー>というか、「驚き」に乏しいのです、この本は。
本書のつらいところです。
さて、私は、たしかにその通りなんだとは思うのですが、センス・オブ・ワンダーがSFの本質だとすると、初期のスペオペはSFではなくなってしまうし、ある種の科学論や哲学がSFに含まれてしまうのではないでしょうか。
私はセンス・オブ・ワンダーは二次的に発見されたものであり、二次的生成物でSF自体を定義することは出来ないのではないかと考えています。その辺りは「不定期連載SF伝説」に書いていますので、興味のある方はご一読下さい。


消化試合でした 投稿者:管理人  投稿日: 9月10日(日)21時35分34秒

今日は甲子園へ行って来ました。おそらく今年最後の甲子園でしょう。
デーゲーム観戦はたぶん西宮球場の阪急ー巨人の日本シリーズ以来(^^;。
熱射病で死ぬかと思いました。疲れたー!
試合はタラスコの2打席連続ホームランなどで圧勝と言えば圧勝でしたが、相手チームの投手があのレベルなら勝って当然。3時間足らずのまさに消化試合でありました。

『思考する物語』はあと30頁ちょっと、今から読み終えることにします。


『思考する物語』を読み始める 投稿者:管理人  投稿日: 9月 9日(土)21時53分29秒

ヘテロ読誌8月分が掲載されました。ご笑覧下さい。

森下一仁『思考する物語』を読み始めました。ウーム、やっぱり考え方が近いのでしょうか、それにしてもブラウンの「みみず天使」や『天使と宇宙船』のまえがきを引用するのもそっくり(「不定期連載SF伝説」参照)なのは参りました(^^;。
もちろんこの本を読むのは今日が初めて、誓ってマネっこなどしていませんが、案外私のSF理解はSF界的にはオーソドックスなのかも(^^;。ていうか、SFのF派な人はおおむねこのような考え方なんでしょう。ジャック・サドゥールもそうだったし。
まあ、細かく見ていけば相違点もあります。森下説は<センス・オブ・ワンダー>を過大視しているとわたし的には思います。
もっとも、まだ3分の1も読んでないので、安易な断定は避けるべきでしょう。続きを読むのが楽しみです。


『プリズナー』読了しました。 投稿者:管理人  投稿日: 9月 7日(木)19時49分31秒

蜆川漁人さん

>下福中の頃読んだ記憶があります
そうでしょう、読中、私も次第に「これは読んだことがあるな」と思い出してきました。
貴兄に借りたのでしょうか?
しかし、ひょっとして最後まで辿り着けなかったのかも知れません。思い出したのは前半部(檻を利用して脱出するところまで)で、後半は全く記憶が甦らなかった。
中学生には難しかったのかも(^^;。
それよりも、檻で逃げるシーンはTV版にはなかったはずで、TVの追体験をしたかった当時の私は「これはプリズナーNo.6とちゃうがな!」と、怒って読むのをやめたようなきもしないではありません。

今回は引き込まれてアッという間に読了しました。
私も遊んでばかりいるわけではないので、区切りをつけては頁を閉じるのですが、ふと気がつくと、いつの間にかまた本をひろげて読みふけっている自分を発見するのも二度や三度ではないのでした(^^;。
これは不条理小説の傑作です! 詳細は次回のヘテロ読誌でね。


リンクしていただきました 投稿者:管理人  投稿日: 9月 6日(水)21時13分08秒

今日、眉村卓先生から『日課・一日3枚以上』第1巻(真生印刷)をご恵投いただきました(もちろん署名入り(^^;)。
先生、ありがとうございました。おかげさまでモリモリ元気が甦ってきました。さあ、ジュヴナイルリストを仕上げるぞ!

村田耿介さまのHPシャトー・ディフにつづきまして、
SF作家/評論家の森下一仁先生のHPMorisita's SF guideにリンクしていただきました。ありがとうございました!

森下先生の最新作は『思考する物語』(東京創元社 定価2,000円)、SFとは何かを真っ向から論じた<SF原論>です。
私も実は既に所持しているのですが、読めばモロに影響されそうで、「不定期連載SF伝説」が一段落するまでは読むのを控えていたのです。しかし考えてみると、実質一段落しているんだよな(^^;。というわけで可及的速やかに読ませていただきます>森下先生。


思い出した!! 投稿者:蜆川漁人  投稿日: 9月 6日(水)01時26分36秒

ディッシュのプリズナーとは懐かしい。下福中の頃読んだ記憶があります。
新書版の早川SFシリーズで持っていたはずですが、ひょっとして小沢君に貸したままだったか、
30年ぶりに思い出しました。
小沢君といえば医学部に入っていたはずでしたから、今ごろはどこかで白衣を着ているのかも。
長い間逢っていないのでに失礼とは思いますが、あの頃の読書傾向からみて、
一番自分の体にメスを入れてほしくないドクターでもあります。

井沢元彦の「邪神復活」読了。設定は面白そうなのに、読んでみると底の浅い何時ものパターン。


ヘテロ読誌を仕上げる 投稿者:管理人  投稿日: 9月 4日(月)22時18分24秒

virtualave騒動(笑)の余波で遅れていた「ヘテロ読誌」8月分を、今日ようやく仕上げ、人外境ご主人宛にさっきメールで送りました。これまでの経験上、おそくとも4.5日後にはアップしてくれています。アップされたら告知しますので、お読み下さると嬉しいです(管理人室からお入り下さい)。

今回は岩井志麻子『ぼっけえ・きょうてえ』、福島正実『虚妄の島』、眉村卓『テキュニット』の3冊。
そうなんです。先月は3冊しか読めなかったのでした。それも日本人作家のみ。
まあ、HP作りに熱中していたせいで、ということにしておきます(^ ^;。

それにしても、この頃はチェーンスモーキングならぬチェーンリーディングが出来なくなりました。
一冊読み終えたら、2,3日は休憩しないと次のに進めません。昔は飽きもせず次から次と読んでいましたが、あの情熱はなんだったのでしょうか?
今、高1の娘がかつての私のように、チェーンリーディングしているのを見るにつけ、なにごとによらず「時期」というものがあるんだろうなあと思うばかりです。

今、読んでいるのはT・M・ディッシュ『プリズナー』。まだ50頁程度ですが、これは面白いっっ! 今のところTVドラマの雰囲気がそのまま出ていますが、曲者ディッシュのことです、どんどん原作から離れていくのでしょう。それもまたよしです。


生演奏 投稿者:管理人  投稿日: 9月 3日(日)15時57分51秒

○村田耿介さま
リンクありがとうございました。早速見に行かせていただきました。

>眉村さんの作品
ということですが、私が一番好きなのは近未来ものの『EXPO'87』(あ、今や「過去もの」になりましたが(^^;)なんですけど、幻想・ホラー系の貴兄には『ぬばたまの』という傑作幻想長篇が適当ではないかと拝察いたします。
が、たぶん入手困難でしょう。よかったらお貸ししますが、今度の畸人郷に持参しましょうか?

○橋詰久子さま
さいきんご無沙汰していますね、来ていただけて嬉しいです。

>スペースオペラをハードSF
これは必ずしも間違いじゃないですね、かなりの部分で重なることが多いように思われます。
たとえばニーヴン『リングワールド』なんか物理学的設定はハードSFですが、それ以外(生物学的設定とかストーリーそのもの)は、全くスペースオペラであると思います。

阪神の話は止めておきましょう(笑)。

○蜆川漁人さま
テイク・ファイブは5拍子、クルディッシュ・ダンスはなんと9拍子!とどちらも変則ですし、それだけでなくメロディラインが何となく似ているような気がするのですが、気のせいでしょうか?
私は、山下洋輔が意識してやったのではないかと思ったのですが。

○嵐山薫さま
ようこそお越し下さいました。ご面倒でしょうが、よろしくお願いいたします。
眉村ファンサイトではリンク集にある「ワンダー・ティー・ルーム」が著名ですね。
管理者は妙齢の女性でして、いかにも女性らしさにあふれた愛情のこもった眉村SF解釈が新鮮でした。ロボット官僚も彼女の手にかかるとペットのように可愛く見えてきます(^^)。
今は腱鞘炎かなにかでキーボードにさわることが出来ない状態だそうで、休止していますが、コンテンツは今書きましたように非常にユニークですので、見に行って損はないと思います。

以上レスでした。

さて、私は昨日も飲み会でしたが、土曜日と言うことで、1次会のあとまたもやニューサントリー5へ寄り、ニューオーリンズ・ラスカルズの生演奏を聴いてきました。
生演奏はいいですね。
家ではデキシーなんぞ、間違っても聴きませんが、生だとなぜかいいのですね。
演奏者との間に、錯覚かも知れませんが、何かこう糸みたいなもので繋がっていて、それを通じて感覚の波みたいなものが、行ったり来たりしているのを感じるのです。
家でCD聴いているときはどうしてもそうなってしまうのですが、いわば批評的な聴き態度というものが、本当にばかげた無味乾燥なものに感じられ、反省する一瞬であります。
そして生演奏を聴くよりさらに満足が大きいのは、「自ら演奏する」時であります。はたは迷惑でしょうが(^^;。


開設おめでとうございます 投稿者:嵐山薫  投稿日: 9月 2日(土)01時13分46秒

 開設おめでとうございます。
 ところで、割った机の数ですが、零枚に決まってるじゃないですか(笑)
 こんな、シャイで温厚な私を捕まえて(バキッ←どつかれたらしい)

http://ha1.seikyou.ne.jp/home/arasiyama/


されどわれらがラジオデイズ 投稿者:蜆川漁人  投稿日: 9月 1日(金)23時15分37秒

もう一つの掲示板にも書きましたが、われわれと眉村氏と出会いにおいて
MBSラジオの「チャチャヤン」の影響は大きいものでした。
なにしろ毎週 3時間もあの朴訥とした喋りを聴いていますと
否が応でもあの異郷変化の世界にひきこまれてしまいます。
それまでは確か管理人は、光瀬 龍氏のことを絶賛していたはずですから。

それから前の掲示板に記憶違いのことを記入いたしましたので、ここで訂正します。
金森幸介のグループ名が”小さなオルフェ”で曲名が「水色のポエム」でした。
これは知る人ぞ知る 軟弱フォークの名曲です。

山下洋輔はこの頃聴いていないのでわかりませんが、昔の「砂山」のアレンジヴァージョン
の類でしょうか。
またうだうだ書かせてもらいます。 それではまた明日。


ただいま帰宅しました。 投稿者:管理人  投稿日: 9月 1日(金)23時07分45秒

ただいま帰宅しました。
酔っぱらっておりまして文字が2重に見えています。レスできる状態ではないので明日ということで失礼いたします。>村田さま、橋詰さま
あ、明日も飲み会でした。
ということでレスは日曜日になると思います。悪しからずご了承下さい。
それでは失礼いたします。

http://okmh.web.fc2.com/i/index.htm


祝・開設 投稿者:橋詰久子  投稿日: 9月 1日(金)14時01分09秒

大熊さま
 おめでとうございます! 昨夜のぞいて「掲示板ないじゃん」とぶつぶつ言って
たのですが、管理人室内ということを今しがた思い出しました。どうやら阪神の笑
うしかない大敗にねじが緩んでいたようです。今さらという気がしますが。
 スペースオペラをハードSFと考えていた馬鹿者ですが(ああ書いてしもた…)
これからもどうぞよろしくお願いします。


おめでとうございま〜す! 投稿者:村田耿介  投稿日: 9月 1日(金)07時49分46秒

 サイト開設、おめでとうございます。少し前から楽しみにしておりました。
 さらなる充実、期待しております。
 眉村さんの作品は読んだ事がないのですが、読むとしたらハルキ文庫のからでいいんでしょうか?

 リンクありがとうございます。先程、当刑務所からもリンクを張りましたので、御確認下さい。それにしても「美少年」だなんて……やだなあ、照れますよ(大ウソ)。

http://www.alles.or.jp/~toki0504/


いよいよオープン 投稿者:管理人  投稿日: 8月31日(木)23時35分37秒

いよいよ明日オープンです。といっても別になにもしませんが(^^;。

今日は山下洋輔「クルディッシュ・ダンス」を聴きました。
久々に聴いて、あっと思いあたりました。
――これって、テイク・ファイヴじゃないか・・・
どうでしょう。そう思いませんか、蜆川漁人さん(笑)。御説は土曜日にお聞きしましょうか、6時半でしたね。


眉村さんの新刊到着 投稿者:管理人  投稿日: 8月30日(水)00時14分13秒


>掲示板が二つとは
ところがそのうちの一つにアクセスできず四苦八苦しているのです(^^;。

>昔の音源を聞くということはあまりないですねぇ
おや、そうですか。私はこの頃は、昔のしか聞かないです。
買うのも70年代のいわゆるニューロック(の当時買い逃してたもの)ばかり。
読書も音楽も、すっかり後ろ向きになってしまいました。
ことにも最近のお気に入りはユ−ライア・ヒープ「対自核」、ブリティッシュハードロックですが、ツェッペリンともディープ・パープルとも、ひと味違っていてなかなかよいです。

今日、ようやく眉村卓『日課・一日3枚以上』第1巻(真生印刷)が届きました。
人外境にも書いてきましたが、四六版変型ソフトカバー(丁度ハヤカワ新鋭書き下ろしSFノヴェルズと同じ版型です)1段組429頁で、表紙はシンプルな赤一色に白文字、一見大判のペイパーバック風です。月いち刊行の予定とのこと。
中に8頁の「卓通信」が挟み込まれていまして、この本を出すに至った経移や印刷・発行を手がけた真生印刷さんとのかかわりなどが記されています。
この「卓通信」、号遅れでいいから、うちで連載させてもらえないだろうか、とかなり真剣に考えています。交渉してみようかしらん。


ニアミス 投稿者:yagyu  投稿日: 8月29日(火)17時29分16秒

こんちゃ〜

こちらには初めておじゃまします。掲示板が二つとはすごいっ。
ところで、大熊さんも甲子園に行ったんですね。わたしはその前日25日に行ってたんですよ(~o~)。坪井のサヨナラ勝ちでしたっ。

昔の音源を聞くということはあまりないですねぇ。今はルナシーなんか聞いてます(^O^)。そして、秋になったらまたヨーヨー・マあたりという、脈絡のないミーハー道を行く予定。

ではまた。


ニューポート・イン・斑尾 投稿者:管理人  投稿日: 8月28日(月)22時48分04秒

今日、車のラジオから斑尾のニューポートジャズ祭の録音が流れてきました。
夏のジャズ祭、行かなくなって久しいです。ていうか、気がついたら琵琶湖バレイも合歓も、いつのまにやらなくなってしまっていた、って感じです。
来年ぐらい、いってみたいなあ。でも斑尾は遠いしなあ・・・
斑尾のラジオ放送ですが、カインド・オブ・ブルー・バンド(?)てのが出演していました。その名の通り、マイルスを偲ぶ(?)バンドで、ビリー・コブハムらマイルスゆかりのミュージシャンが集まっていた由。私はコブハムしか知りませんが。で、いかにもマイルス風の演奏(^ ^)、なんか懐かしかったです。
ということで、ちょっとマイルスを聴きたくなりました。で、今から「カインド・オブ・ブルー」を聴いて、寝ることにします。
また明日。


ツェッペリンW 投稿者:管理人  投稿日: 8月27日(日)21時09分55秒

ブックオフにツェッペリンWがあったので、思わず買ってしまいました。
このアルバムはカセットで持っていたのですが、録音してから年月が経ち、ずいぶん音が悪くなってしまっていたのでした。
そういうわけで、聴くのも久しぶりだったのですが、存外音が軽いのが意外でした。
私の記憶の中では、このWがツェッペリンのベストアルバムだったのですが……うーん……ちょっと評価が変わりました。
実は、ここのところファーストアルバムをよく聴いているのですが、こっちの方がベストかなあ。重みが全然違います。
今となればWはポップスですな。それでもポップスという観点で聴けば、そこらへんの通俗ロックとは当然ながら格違いの質量、疾走感を有していて満足でした。
プレゼンス、昔はあまり好みではなかったのですが、どうも私自身の感覚が昔とは変わってきているようなので、こうなると聴き直す必要がありそうな気がしてきました。柳生さんは持っていないかな。


タラスコのタラはチンタラのタラ? 投稿者:管理人  投稿日: 8月26日(土)22時22分15秒

今日は甲子園に行って来ました。
井川の先発は分かっていましたし、4連勝はなかろうと踏んでいましたので、負けても平気平気。
井川は来期使えそうですね。
今日は一塁側内野席のポール際でしたが、気になったのは目の前のタラスコ。動きが緩慢で、投手が一塁に牽制球を投げても全然バックアップに行かない。お義理に1、2歩向かうそぶりだけ。疲れているのか、いつもこうなのか分かりませんが、案の定打でも2併殺と精彩を欠いていました。こんなことでは来期残れんぞ。

公式開店まであとわずか。眉村卓著書リストも、「ジュヴナイル」と「非小説」は結局手つかずのままオープンしてしまうことになりそうです。まあ焦っても仕方がないので、ボチボチやっていくことにします。気長にお待ち下さい。

それでは今日はこの辺で。


眉村さんの新刊が出ました。 投稿者:管理人  投稿日: 8月24日(木)19時37分23秒

トップページにも書きましたが、眉村さんの新刊(というか自費出版)が出ました。
眉村先生が闘病中の奥様のために、一日一話、3枚以上のショートショートを書いて奥様に読んでもらうのを日課にされていることはご存じの方も多かろうと思います。
一部は『一日一話』(第1集、第2集)として出版芸術社から出版されているわけですが、8月5日の毎日新聞夕刊によりますと、その書きつづったショートショートが、3年を経過して1000編を突破したそうです。

今回、自費出版という形で100話ずつ全編を上梓することになったと毎日新聞は書いています。
『日課・一日3枚以上』というタイトルで今月の8日、第1巻が発行された由、計画では月1のペースで全編出版を目指すということです。

私は、この情報をつい先日服部誕さんから伺い、昨日服部さんが送って下さった新聞の切り抜きを見たところで、まだ現物を手にしておりませんが、ついさっき申し込みのファックスを送りました。送料込み2500円。出版の経移をつづったエッセーや眉村先生自ら描かれたイラスト付きの別刷り「卓通信」8ページが挟み込まれているそうです。本の到着が楽しみです(^ ^)。

皆さんもぜひお買い求め下さい。申込は住所、名前、電話番号、部数を明記の上0722−28−5395へファックスして下さい。
面倒でしたら管理人へメール下さい。とりまとめて注文させてもらいます。
新聞によりますと、眉村さんは「妻を励ますために始めた仕事に自分が励まされることもある。美談にしないで」と語っておられます。いかにも眉村さんらしい言葉ですね。


とりあえずこちらで 投稿者:管理人  投稿日: 8月23日(水)18時18分37秒

管理人です。
タトラデン通信室がなぜか不具合ですので、こちらのヘリコニア談話室をご利用下さい。
開設早々のトラブル、申し訳ございません。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。


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