【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2001年4月後半)


Mrスポック 投稿者:管理人 投稿日: 4月29日(日)21時35分36秒

土田さん
井上光晴は最初リアリズムの作風で出発しましたが、60年代中頃から前衛的(SF的)な短篇を書き始めます。これが実に好いのです(^^)。「リアリズムを突き詰めて幻想にいたる」といった作風で、私はバラードの短篇を想起しないではいられません。

この傾向の代表作は「妊婦たちの明日」という短篇です。これはぜひ読んで下さい! 
講談社文芸文庫版『眼の皮膚・遊園地にて』や朝日文庫版『新編・ガダルカナル戦詩集』で読めます。
ほんとうは「明日のない岸辺」という傑作中篇が収録されている角川文庫版『妊婦たちの明日』(とうに絶版)がベストなんですが、これはもはや古本屋でも見かけたことがありません。

この2作品を含む<崎戸廃鉱もの>と私が名付けている一連の作品群は、バラードにおける<ヴァーミリオンサンズ>と同じ位置付けを取るもので、まさに井上光晴における<内宇宙>を形成しているものであると私は思っています。

アレクすてさん
>レナード・ニモイ著「私はスポック」という本を読んでいます
また面白い本が出たんですねえ(^^)。
私は新刊情報には全く疎いので、アレクすてさんの情報はとてもありがたいです。

エンタープライズの乗員の中でもMrスポックは私の一番のお気に入りでした(逆に感情派?のカーク船長は好きではなかった)。それにしてもスポックとカークとDrマッコイの性格設定は今考えると絶妙でしたねえ。

ところでアレクすてさんは見てないと思いますが、「宇宙大作戦」より前に「宇宙家族ロビンソン」という連続SFドラマがありまして(映画ロスト・イン・スペースの元ネタです)、私はDrスミスという悪役が非常に気に入ってました。コイツがほんとに悪いヤツで憎々しいのですが、なぜか憎めないのです(逆に正義派のなんとかという若い中佐は嫌いだった)。ロボットのフライデーやウィルという子供との掛け合いが絶妙で、今思うと(スタートレックもそうですが)フューチャーメンなどアメリカスペオペの伝統的な作劇術がシナリオに生かされているのですね。

アレクすてさんの書き込みを読んで、ふとそんなことを思ったりしました。


皆様、こんにちは! 投稿者:アレクすて 投稿日: 4月29日(日)16時48分30秒

私は、今、扶桑社刊
レナード・ニモイ著「私はスポック」という本を読んでいます。
ニモイ氏が、ミスター・スポックをどういう風に生みだし、そして
スポックブームの中
どういう風に身を処したかという本であります。
まぁ「スタートレック」広義のSFということで……。


追加 投稿者:土田裕之 投稿日: 4月29日(日)02時26分45秒

河本さん
>すみません。非難しているわけではないのです。
あっれ、怒っているようにとられちゃいましたか?
別に何とも思っておりませんので。

学者の友達はいないので、
数学者の方のお話はなかなか興味深いですねぇ。
メーカーでいえば特許が似た感じでしょうか?


井上光晴 投稿者:土田裕之 投稿日: 4月29日(日)01時31分46秒

真継伸彦『鮫』はわりあい良く見ますね。
読んでみようかな。
ご趣味が広く、勉強になります。

で、過去の大熊さんの書評を拝見していて井上光晴のところで、幻想小説を書いているという
記述にびっくり。
うーむ。「ファシストたちの雪」(でしたっけ、未読ですけど)以外は完全な守備範囲外でした。
また買いたい本(無論、読みたいもですが)が増えちゃったなあ。

>自分の読みが作者の意を汲んでないんじゃないかという不安は必ず残ります。
そうですね。
でも読む人次第というのもまた読書の不思議で、或る人が傑作だといっても
或る人にはおもしろくなかったり、
(面白さが理解できない場合もあるでしょうが。あ、俺か?)
また自分自身でも、読むタイミング(年齢、状態)によって感想が異なったりして、面白いです。
(なんだかあたりまえのことをいってます)

自分の場合は、内容を忘れてしまうことが結構多く、
不安にかられて再読したくなってしまうことがあります。
内容を完全に忘れてしまったら、読んでいないのは持っていないのと同じように
それは読んでいないのと同じだと思いますので。

本は買わない派の方のほうが、健全だと思います。
コレクターは、やはりちょっといけません。廻りに迷惑がかかりますから。


 投稿者:管理人 投稿日: 4月28日(土)22時47分25秒

>MZTさん、土田さん、河本さん
皆さんの本を読むこと、本を所有することへの<想い>を興味深く拝見しました。
各人(私も含めて)微妙に違うところが面白い。コレクターということでは共通するMZTさんと土田さんが、結果としては蒐集する(という行為は同じな)んだけど、その思い入れの部分が同じではない。本の魔力ってふしぎですねえ。
またYさんのような本を買わない派の方が本に対する思い入れがないのかといえば、もちろんそんなことはないわけです>読むことと所有することの共犯関係は一概に割り切れませんね。

「本を読んだ」ということは、そのことにおいてすでにその本を「所有した」ことに等しいはずです。ところが本を読んだからといって、その本を100%自己に取り込んだ訳ではありません。読書とは多かれ少なかれ解釈ですから、自分の読みが作者の意を汲んでないんじゃないかという不安は必ず残ります。
本を所有したい(しておきたい)という欲求はそういう不安への保険の意味があるのかも知れません。

Y店長
>マイカー通勤の渋滞の中でも読んでました(^^;)
おお、その秘技伝授下さい!
私もたまに試みるのですが、たびたび後続車にクラクションを鳴らされちゃいます(^^;ゞ

一向一揆テーマとしては「純文学界の法月綸太郎」(と私が勝手に思っている)真継伸彦という人の『鮫』という短い長篇が抜群に面白いのでお奨めします。たしか河出文庫だったと思いますが、図書館に単行本が必ずあると思います。


レス 投稿者:河本 投稿日: 4月26日(木)19時36分52秒

 大熊さま、土田さま、MZTさま
 皆さんの本に対する愛情がよく分かりました。お答え有り難うございます。皆さんのおっしゃっている感覚が想像できないわけではありません。たぶん僕も昔は本に対してそういうふうに感じていたと思います。しかし、今は本はただ数学研究に必要な知識を得るための道具です。さらにインターネットで事足りてしまうことがよくあります。
 アパートの部屋には全部の本を置くことができないので、文庫本と雑誌を実家においてあります。いつか広いマンションに越すことができたら、本棚に綺麗に並べて、誰か友人に見せたい。「ほー、こんな難しい本も読んでいるんだ」と言ってもらいたいなあ。

 :>でも本当に「本を買うのは楽しい」んですけど。おかしいですか?
 すみません。非難しているわけではないのです。ケダBBSでは、「濃ゆい」も「ヲタク」も尊敬のニュアンスが込められています。ケダさ〜ん、これらの言葉のケダ流の定義をおしえてくださいませ〜。

 :>全てを集める
 ぼくには収集する癖はありませんが、数学者の友達にはコレクターが多いです。
 Jan Pedersenは友愛数を集めていて、このあいだ数論のmailing listで100万個を越したとアナウンスして喜んでおりました。僕も彼のコレクションには寄与していますが、収集よりも桁数の世界記録とかユニークな解を見つけるというほうが好みです。
    http://www.vejlehs.dk/staff/jmp/aliquot/knwnap.htm

 :>おお、目がチカチカします(^^;ゞ
 そうですか。何人かの数学者の目をパチッと覚まさせたんでけど。(^^)

 :>森優
 南山宏さんのことですよね。彼はSF連邦からムー帝国へ亡命されたのです。分からないこと書いてしまった(^^;)

 :>主体性
 こんどの「私」のまとめは僕の認識とほぼ一致しているようです。
 ハインライン→小松→第二世代A
          →第二世代B
 リアリズム→ブルバキズム→ポストモダン
             →健全なリアリズム
 なんとなく似てる。そういう結論でいいのか。(^^;)

        


あ゛〜広沢! 投稿者:管理人 投稿日: 4月25日(水)22時22分29秒

しかし明日につながる9回裏でした。まあ、良しとしよう(^^;ゞ

梶尾真治『チョコレート・パフェ浄土』(ハヤカワ文庫)読了。
「"希望基地"にて――」>金星SF。地味なリアリスティックな設定描写が私好み。
「煉獄夜想曲」>一見ホラー実はSF。アパートの部屋の謎が説明(解釈)される。
「挑戦!究極企業体」>抽象的なタッチ。ベスターの短篇を想起。
「クワバラ商事の陰謀」>これも抽象的。メタ世界?
「チョコレート・パフェ浄土」>同上。
「夢の神々結社」>集中ベスト作品。一見SF実は純文系幻想小説。
「吉田屋前のバス停にて」>まさに「小さな私」的世界。ブラウンのS・Sにこういうのありそう。
「ホクロ」>著者のグロテスク趣味がよく出たS・S
「魔窟萬寿荘」>同上。読んでいると痒くなってくる(^^;。突き抜けてしまって最終的に異世界を形成。
「"ヒト"はかつて尼那を」>著者の感傷性がよく出たSF作品。

読んでいます 投稿者:Y 投稿日: 4月25日(水)21時16分16秒

ちょっと話題を変えてしまうのですが……ご報告。
「秘聞一向一揆」読みかけています。かっこいい女たちがどんどん出てきて
楽しいです。マイカー通勤の渋滞の中でも読んでました(^^;)
(もちろん止まっているときです)続きがたのしみです。

私は本を買わない派です。図書館で読んで、気に入ったら購入します。
ただ、文庫は別かなあ……。


自分でもよくわかりません 投稿者:土田裕之 投稿日: 4月25日(水)00時27分38秒

河本さん
サラリーマン云々自体はただのポーズです。
「普通」じゃないのは自分でも十分認識しております。
大体「普通」という言葉自体、根拠無く定義付け不可能なんですが。
「一般的」にとか「〜と言われている」という言葉は根拠が説明できないので
意識してなるべく使わないようにしているのですが、つい「普通」なんて使っちゃいました。

自分が本を買うことの説明はとても難しいです。
基本的には
@読むため
A所有するため
ですが、@が多く、Aもやはりあります。(元版を買ったりとかですね)

また自分には子供の頃から収集癖があってものを集めるという嗜好があって、
かつ、本に限って言えば「全部読みたい」という気持ちがあります。
物理的に不可能なのはバカじゃないのでわかっていますが、
そういう気持ちなのだからしかたがない。
そして全部読むためには、いつでも読める準備をしておきたい。
(買っておかないと読みたい時に手にとれない)
そしてその著者の本を集めたり、全集を買ったりしてしまうのです。
経済的な理由や、収納場所の理由で難しい面ももちろんあるのですが・・。
全部読みたいなら図書館で借りればいいじゃん、という意見もあると思いますし、
妥当な意見ですが、これは所有欲の優っている部分と、いつでも好きなときに読みたいという
点から私にはあまり気がすすみません。
それに積読の山を前に「ああつぎ何を読もうかな」と迷うところにも楽しみがあることも
否定できませんし。

本棚を見ると、その人のある部分がわかった気になることがありますが、
そういう意味では私の場合は、限りなく肥大化したアイデンティティということになりましょうか。

「濃い」「オタク」という表現自体はなはだ曖昧で、自分は他の人にどう見られていようと
全然気にしないし、どう思われようが自分は自分でしかないので、別にかまいませんが、
まあ自分でもある種の精神的な破綻者だと思うことは確かです。

あと付け加えるならば、「本は読むためだけのものである」というのは幻想だと思っています。
基本的な機能は「読まれること」ですが、それ以外の楽しみ方があっても一向にかまわないでしょう。
(そういった本の物体的な美しさを追求した本もありますし)
切手が郵便料金を代用することが基本的な機能で、その機能を使用せずに集める人がいるように。

支離滅裂になってしまいましたが、お答になってませんねえ。
理系でコンピュータの仕事をしているのですが、論理的な思考に弱いんです。
でも本当に「本を買うのは楽しい」んですけど。おかしいですか?


なるほど 投稿者:MZT 投稿日: 4月24日(火)01時54分17秒

ご無沙汰です。

 メールを頂いたのにお返事ができず、すみません>ユーベルシュタインの件。
経済学屋として興味深く拝見。

管理人さん、河本さん:
 本を買う行為自体に効用が生まれるっていうのがぼくの中ではあります。
本自体(内容、感動の大きさ)にも効用があるわけですけど、それとは別に
本を買うことや本を所有する喜び(コレクターがそうですね)があるわけで、
読まないでも集めるということはその人にとっての効用最大化になってい
るわけです。欲しい本をゲットできたときの喜びは何ともいえないでしょ?

本を買うことにも効用が生まれ、所有し集めることでも効用が生まれ、
読むことでも効用が生まれる。また、資産としての価値もある財でも
ある本ってとてもお徳ですね。

#ある種、本を読むことと買って所有することの間にある種の選好
関係が成り立っている(無差別である、好ましい)ように思えます。


アイデンティティ 投稿者:管理人 投稿日: 4月23日(月)22時22分12秒

>だいいち、全てを読むのは不可能ではないのでせうか
私の場合を例にしますと、本を書店のレジに持っていくその瞬間は、間違いなく「読むつもり」になっていますね。
家にこれだけ未読本があって読むスケジュールはこうなっていて云々、といったことは完全に頭からとんでしまっています(^^;。

うちに帰って、未読本の山に今買ってきた本を積み上げたときにようやく現実が戻ってきて、ああまた買っちまった・・・という後悔というのでもない徒労感に襲われるのですが、
ともあれ、書店で手に取った本の冒頭を読み、解説や帯を読んだりしているうちに興味が出てきますと、私の場合、その本を自分が読んでいる場面が想像されてき、どんな感動があるのか期待感が膨れ上がってきます。そうなると何が何でも買わずにいられなくなります。それでレジに持って行くわけですが、この瞬間に麻薬的な至福感があるようです。その証拠に書棚に戻すと消えてしまいます。

>なにか「読む」と言うことの他に本という物体そのものを愛す理由があるのではないでしょうか
かかる至福感は実際に「読む」こととは別種の悦びのようで、「所有欲」(もちろんこれ森優のひとつですが・・・あれれ、これも理由のひとつと書こうとしたら森優さんが出てきました(^^;ゞさすがSF読みだ>私)とも違って、物欲ではなく想像力に関わるものではないかと思います。

山野浩一が「主体性」という言葉を使っているので踏襲しましたが、単純に「私」と言った方が分かりやすいです。
英米SFの認識的背景には疑いなく一神教的世界観が潜在しておりそれを直接的に踏襲した日本第一世代はあらかじめ矛盾を内包していました訳ですが、ちょっと錯綜するのでそのことはいったん括弧に括って「私」の有無に焦点を絞りますね。

ハインラインの「私」は自信に満ちていますが、実際は「社会的文化的鋳型」がハインラインを使って発言させているだけですから、厳密には「私」はないと言えます。
小松は自分の「私」が「社会的文化的鋳型」の影響を蒙っていることの自覚がありますから、かかる「私」に信頼を置かず、世界に在る知識を取り込むことで「私」を強化しようとします。この過程で互いに相反する知識を共に肯定する(戦争を肯定したかと思うと、別の所では否定する)という(形式的な)矛盾が表面化します。

日本の第2世代は小松同様「私」の限界を認識していますが、小松のようにそれを否定したりはしません。限定的な「私」をそれ自体で肯定しそこから出発しているように思われます。
ただしこの立場は諸刃の剣で、その認識に安住してしまうとチマチマしたSFしか産出されません(第2世代A)。
もうひとつの立場は「私」の限定性そのものをテーマとしてしまう方向で、自然科学ではなく人文科学(とりわけ認知科学)を用いたりメタに取り出してみたりする方向です(第2世代B)。

そうしますとハインラインの反省態が小松であり、小松の反省態が第2世代であります。ここまでは通時的です。
ところが第2世代Aは限定的な「私」に自覚的でありながら現象的にはハインラインのように振る舞います。そういうわけで、わたし的には「ちいさな私」はハインラインの同類項ですね。
第2世代Bは小松の反省でありながらしかも小さな私に安住せず螺旋的に小松(的大説)に回帰するものであり小松の止揚形態といえます。

というのが「形式論理」から導かれたところの現在の私の認識です(冷汗)。ちょっとはすっきりしたでしょうか。河本さんのおかげで少しずつながら整理されていくのでありがたいです。

ところが私、第2世代はあまり読んでないのです(汗)。これから実地にあたって検証してみなければなりませんね。というわけで今カジシンを読んでいます(^^)。

河本さんのdiscovered a new formulaを見てきました。おお、目がチカチカします(^^;ゞ
ふーん、スーガクにもアイデンティティの問題があるのですね(全然分かってない(^^;)。


本というもの 投稿者:河本 投稿日: 4月22日(日)17時40分34秒

 >土田さま
 :>ただの本を買うのが好きな普通のサラリーマンです。
 ネットの世界で、こんなふうに「ただのAなBです」とおっしゃる人がいますが、Bの部分はたしかに世間からはそのように見えているのでしょうが、Aの部分はそう容易くは「うん」と言えない場合が多いですね。ケダさん流に言うと「濃ゆい」、あるいはヲタク、または、凄いかたを良く見かけますねえ。
 土田さんの日記を拝見しましたが、3月でほぼ千冊の本を買うっていうのは、絶対に「ただの本を買うのが好きな」と形容できる状態ではない。だいいち、全てを読むのは不可能ではないのでせうか。うーむ、なにか「読む」と言うことの他に本という物体そのものを愛す理由があるのではないでしょうか?知りたいです。

 僕のばあい、コクセターの「幾何学入門」が、所謂専門書の藍色の堅い表紙の真ん中にピタゴラス学派の印……ペンタグラムとそれを囲む五角形……が描かれてあって、魔術の入門書のように思えて気に入っています。内容が面白いということの他の理由ですね。科学の専門書は函とか表紙のカバーとかを取るとなにも飾りがないのが普通なのですけど。

 >大熊さま
 :>森下作品集は、先のイーガン作品集と比較した読みができるのではないか、と現在考え中なんですが、うーん、難しいかな(^^;。
 出来上がったら掲示板に書いて下さい。何かと何かを比べ、……それもなるべく遠い者同士を……、そこに類似した構造を見いだすというのはスーガク者の好む手法です。(^^)

 主体性の話とても面白かったです。だいたい賛成できるのですが、微妙に僕の認識と異なる点もあります。
 大熊さんの考える主体性を時間軸に沿って並べると
 {ハインライン、一神教的なもの、マルクス主義}{小松、相対主義、}
                        {森下、小さな私}
                        {かんべ、メタ}
                        {イーガン、ポストモダン}   
 となりますか?右の四者は前後関係はなく、平行して存在します。
 そうすると、二段階の変化ですね。ただ一つの価値観→多くの価値観という。さらに多くの可能な主体性のなかから倫理的なものが見いだせれば、それが次の段階であるということなのでしょうか?
 僕がもし分類するなら、
 {ハインライン、一神教的なもの}{マルクス主義、小松、森下、小さな私}{相対主義、かんべ、メタ、イーガン、ポストモダン}
となります。あれま、ぜんぜん違いますね。
 小松、森下は一番SFっぽい作家だと思います。この世界の本質を科学的に探ろうという姿勢だと思うのですが。
 
 フェルマーの定理 : 「A^n=B^n+C^n, 2<n には解がない」は解決してしまったのですが、それなら変数を一つ増やしたら?と数学者は誰でも考えます。今の予想は、
             「A^n=B^n+C^n+D^n, 4<n には解がない」となっています。
n=1,2,3,4には解が知られていますが、n=3の場合の解の一般式を見つけたのですが、ここ
に載っています。どうかご覧になって下さい。
    http://euler.free.fr/index.htm
 27th January 2001 のところにKohmotoとあります。それと、メニューのidentityをクリックすると詳しい式が見られます。

 いつもとりとめのないお喋りを書いてしまってすみません。

 >ケダさん  
 チャンドラーの本は手に入らないみたいですね。彼もオーストラリア人でした。野田大元帥や宇宙軍の方たちと交流があったそうですね。日本のファンのために書いたシリーズ最終巻のヒロインの名はたしかSeikoだったと思う。ですよね、大熊さん。

             


畸人郷 投稿者:管理人 投稿日: 4月22日(日)12時39分28秒

昨夕は畸人郷例会。私の出た大学のミス研OBの方が来られていて紹介されました。聞いてみると私が卒業してから入ってこられた方で、少しずれているのですが、昔話に花が咲きました。
依井貴裕という作家の『歳時記(ダイアリー)』(東京創元社)をお奨めいただきました。作者は母校出身でキャンパスが舞台になっているそうであります。この作家、名前だけは記憶がありましたがそんな因縁の人とはつゆ知りませんでした。早速読んでみようと思っています>T田氏、N村氏(ほかここを覗いているTゼミの人)もぜひお読み下さい。
図書館で探すのが手っ取り早そうです。

例会の帰途、車のラジオから「リアルマッコイ」が流れてきました。うーむよいですなあ(^^)。
トレーンなきあとはマッコイ・タイナーがメインストリームになるかと思われましたのに、何となく失速してしまいましたね。「リアルマッコイ」はたぶんトレーン後の絶頂期のアルバムではなかったでしょうか。>探そう(^^;


サムシング・エルス 投稿者:管理人 投稿日: 4月20日(金)22時50分32秒

ワッツの耳直し(?)にオーネット・コールマン聴いてます。
ああ、スッとした(^^)


グインサーガ 投稿者:管理人 投稿日: 4月20日(金)20時17分11秒

蜆川さん
>値段につられて「こんな本 読むだろうか」というものまで買ってしまいました。
ふっふっふ、古本熱の兆候ですな。そのうち訳もなく古本屋を徘徊し始めますよ、ご用心ご用心(^^;ゞ。

>”大嫌いな”「グイン サーガ」
大嫌いも何も、「グインサーガ」は読んでおりません(「魔界水滸伝」は途中でリタイヤしましたが(^^;)。
嫌いなのは、<キャラにたよったシリーズもの>という「形式」ですッ!

>つい20数冊買ってしまいました
おお、持久力と集中力の不自由な私には信じられない行為であります(笑)。

チャーリー・ワッツのジャズアルバム「ロング・アゴー&ファー・アウェイ」を聴いております。もちろんストーンズのワッツです。内容はまあこんなモンでしょう(汗)。
ジャケットのワッツが渋くてカッコイイ! 私もこんなジイさんになりたい(^^;ゞ


ひさしぶりに古本を買い漁った事 投稿者:蜆川  投稿日: 4月20日(金)01時40分26秒

おひさしぶりです。先日近所の ジャスコで古本市があり、たいして期待しないで出かけたところ文庫3冊百円のところに、眉村氏の「24時間の侵入者」(秋元書房)があり、買い求めました。
ほかにも早川文庫の海外SFやミステリー、など買いましたが、値段につられて「こんな本 読むだろうか」というものまで買ってしまいました。その代表が 管理人の”大嫌いな”「グイン サーガ」。50冊読んでもうこれまでと思っていたのですが、最新刊まで揃っていて、しかも状態も非常に良かったので、つい20数冊買ってしまいました。
表紙のイラストを見ながら、この値段だからいいか、と無理やり納得しているしだいです。 


ハズレ 投稿者:管理人 投稿日: 4月19日(木)22時41分37秒

タイトル名に惹かれて『記号を喰う魔女』(講談社ノベルズ)を購読するも途中棄権。
久しぶりに体験する大ハズレでした(^^;。
てゆうか日本語の用法がおかしいぞ。生硬な文体は嫌いじゃないけど、言葉にもTPOはあるのであって、意味は合っていても使い場所を間違えていたらそれは噴飯ものです。
凄惨な話なのに噴きだしながら読んでいては話になりませんね。内容以前にアウト!講談社の編集は朱筆を入れないのか?

Y店長
>アマゾンジャパンの検索は凄いですね。
ネット書店で本の購入、私はまだ利用したことがありません(検索自体はよく利用してますが)。
目的買いで書店に出かけても、違う本を買って帰ることが常の私には、100%目的買いという感じがどうも馴染みません(^^;。
何事につけても泥縄式の私には向いていないみたいです。


ちょっと久しぶりです 投稿者:Y 投稿日: 4月19日(木)21時13分12秒

>しかしマンガは守備範囲外なのでY店長におまかせしようかなあ(^^;。
私も実は守備範囲外だったりします。でも気になる……。

ところでアマゾンジャパンの検索は凄いですね。
アンソロジーの目次も検索に引っかかります。
「本→サーチ」のところではなく、トップページの簡易検索に
「眉村卓」を入れてみたら見たことがなかった本が何冊か出てきました。
頼んだけど品切れかも……。


訂正です 投稿者:管理人 投稿日: 4月18日(水)19時44分31秒

森下さんの本は、『宇宙人消失事件』ではなく『宇宙人紛失事件』、新潮文庫ではなく徳間文庫でした。
たいへん失礼しました(^^;ゞ。

土田さん
>読書人なんて言われたのはじめてですが、とんでもない誤解ですよ。(笑)
では溺書人てのはどうですか?ダメですね失礼しましたー!

>チャド・オリバーはSFシリーズで何冊か読んだだけで、地味な印象以外全く覚えていない
私、実は長篇未読なんです(所持もしていない)。銀背のラインナップのなかでも地味な存在で、後回しにしているうちに銀背自体がなくなってしまいました(^^;。

>結局早川文庫SFには1冊も落ちませんでしたね
銀背で埋もれてしまった作品のリバイバルもやってほしいです>ハヤカワさん

昨日はブラウン派と書きましたが、考えてみるとブラッドベリも昔と今では反応するところが違っていますね。
少し前に『太陽の黄金の林檎』を読み返したんですが、そのとき感心したディケンズ風のモチーフは、高校生の時は琴線にかすりもしなかった部分です。

>中学校時代に夢中で読んだ「夏への扉」は読み返す決心がなかなかつきません
読み返したら、当時とはまた別の、新たな感動や発見があるかも(^^)。

>パットフランクの「ミスターアダム」
またまた「濃い」ですねえ(^^)。
50年前の訳書ということは1950年ですか、黎明期の出版物ですね、誠文堂新光社の「アメージング・ストーリーズ」の一冊でしょうか(>当てずっぽう)。 
購書日記での感想文を楽しみにしています。


もったいない 投稿者:土田裕之 投稿日: 4月18日(水)01時20分22秒

リンクありがとうございます。
読書人なんて言われたのはじめてですが、とんでもない誤解ですよ。(笑)
ただの本を買うのが好きな普通のサラリーマンです。

ジャズ小説の情報ありがとうございます。
SFMはあるので今度発掘して読んでみます。
チャド・オリバーはSFシリーズで何冊か読んだだけで、地味な印象以外全く覚えていない
という頼りなさです。結局早川文庫SFには1冊も落ちませんでしたね。

ブラウンもミステリは読んでいなかったので、ぼちぼち読もうかと思っていたところ、
読んだのも随分昔なのでSF短編も読みなおしてみたくなりました。
というか短編は筋を綺麗さっぱり忘れることが多いので、
他にもいろいろ読みなおしてみたくはなります。
で、読みなおしたりすると新しい本が全然読めないという悪循環が・・。
それと昔面白かった本を読みなおしてがっかりするのが恐い場合も。
中学校時代に夢中で読んだ「夏への扉」は読み返す決心がなかなかつきません。

ところで今読んでいるのはパットフランクの「ミスターアダム」というSFです。
50年前の訳書で、かつ状態の悪い本なので、かびくさく持ち歩くと廻りの人に迷惑です。
内容はまあ、無理して読むほどの本ではありません。

http://www.02.246.ne.jp/~pooh


   投稿者:管理人 投稿日: 4月17日(火)21時38分21秒

フレドリック・ブラウン『未来世界から来た男』(創元文庫)と森下一仁『宇宙人消失事件』(新潮文庫)を読了。
ブラウンはやはり上手い。ところでブラッドベリは12才でも堪能できるけど、ブラウンはせめて30を過ぎないと面白さ(読みどころ)が分からないのではないだろうか。私も若い頃はブラッドベリ派でしたが、現在はブラウン派だな。
森下作品集は、先のイーガン作品集と比較した読みができるのではないか、と現在考え中なんですが、うーん、難しいかな(^^;。


レスその他 投稿者:管理人 投稿日: 4月16日(月)22時08分36秒

ケダさん
>やっぱりなんかうち、浮いてるというか、お邪魔してるって感じですが
どうぞご心配なく、全然オッケーです(^^)。
なんせこんな漫文を書く人が私の兄貴分なんですから(^^;。
ここを読んでくれている方は、意外に「お笑い」に強い方が多いのです(特に漫才)。
私もそのうちお笑いネタを始めるかも。反応してね(^^;ゞ。

さて上の漫文の作者、ご存じ人外境ご主人の若かりし日の瑞々しい幻想小説が「風の翼HP」に掲載されましたのでお知らせいたします。→「流離園変奏」
それにしてもこの落差はなんでしょうか(笑)。

大江十二階さん
>「名張人外境大宴会」にお誘い頂き、有り難う御座いました。とても楽しかったです
どうもお疲れさまでした(^^)。楽しんでいただけて何よりです。
芦辺拓さんといかにも乱歩マニア同士らしい濃い会話をされておられて、私にはついていけなかったです(^^;。
次回も是非ご参加下さいね(^^)。

アレクすてさん
>秋田文庫刊、中山星香作「四月学院の4月」
>解説を眉村 卓氏が書いておられる
貴重な情報をありがとうございました。
どんな解説を書いておられるのでしょうねえ。本屋で現物を見てみたいと思います。
しかしマンガは守備範囲外なのでY店長におまかせしようかなあ(^^;。


今、私は 投稿者:アレクすて 投稿日: 4月16日(月)14時53分58秒

秋田文庫刊、中山星香作「四月学院の4月」という漫画を読んでいます。
というのは、解説を眉村 卓氏が書いておられるというのを見て
見ず転で買った訳です。(中山星香さんの作品を読むのはこれが初めてです。)
で、作品はというととても面白いのです。
眉村さんのおかげです。ではでは。


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