――私は私ならずして私である。 この謎めいた言葉は、一体何を言っているのでしょうか? 学生時代、青木保さんの講義を受講しました。 ちょうど青木さんが上智から阪大に移ってきたときです。人気学者が関西に来たというので、私の通っていた大学でも客員として招いたのでしょう、文学部でしたが、私はわざわざ受けに出かけて行ったのです。 で、学年末試験が小論文だった。課題名は忘れたがたぶん「私とは何か」といったものだったと思います。 私が書いたのは、<私>の範囲論というべきものでした。 私が私(体験我)として認識するものはなんでしょう? まず私の身体は「私」ですよね。では私とは「私の身体」とイコールでしょうか? どうも違うように思います。たとえば大切にしている写真、愛用の万年筆、あるいは飼っているイヌ、ローンで買った家、これらも「私」(の一部)と言えるのではないでしょうか? その証拠に大切な写真を紛失してしまったときの痛みは身体を傷つけられたときの痛みと同じではないでしょうか。 「私」とは身体とイコールの固定的なものではなく、もっと流動的に私の身体から外に広がって、拡大縮小するものであるように思います。 たとえば抜け落ちた髪の毛は、たとえ自分の髪の毛であっても触りたくないでしょう。抜け落ちる<前>と<後>では印象が全然変わってしまいますね。これは<前>は私の範疇だが、<後>は私の範疇ではなくなってしまうということではないでしょうか? 私の一部だったものが「外部のモノ」になってしまう。 カーライルの衣装哲学ではないですが、通常身に付けた衣装は私の範疇として認識しているのではないでしょうか。このように私が私として認識する範疇は流動的で、恋愛中の人にとって相手は身体丸ごと私の範疇に含まれた状態といえる。赤ちゃんの食べかけを母親が食べるのはなぜか、それは母親にとって赤ちゃんは私そのものだから。 このようなものとして「私」を捉えると、次のようなことがいえると思います。すなわち私の最小形態は(身体すら外部のモノとして認識する)分析するだけの無色透明な観察主観としての我(点我)。そして私の最大形態は、この世界、宇宙すべてを包含するようなキリストの境地(全体我)>むろん誰もが至ることが出来る境地ではありませんが。 この二つの境地の間で我々の「私」は膨らんだり縮んだりしている。 と言うようなことを書いたのでした。 そして、この小論文で、私は「優」をもらいました。いや単なる自慢です(^^;。 まあそれは措いといて(汗)、この拡張された「私」の状態(全体我)こそ、トランスパーソナル心理学のめざす境地とおなじなのではないでしょうか。
諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』(講談社現代新書)読了。 実は近頃、上田閑照『私とは何か』(岩波新書)と格闘(笑)しているのですが、これはなかなか手強い。それでまあ、手引きになりはしないかと本書を読んでみました。 感想は――胡散臭い(^^;ゞ 心理学と称しているけれど、実体は科学というより宗教に近い印象。アメリカにはびこっている(らしい)俗流心理学がこんな感じなのでは? それともカウンセリングって、皆こんな風なんでしょうか? 意図は理解できる。中村雄一郎の「パトス」と同じ位置づけなんでしょう、近代合理主義が「私」に必然的にもたらさざるを得ない「むなしさ」から「私」をいかに救い出すか。 しかし……ちょっと違うのではないかと思わせられるところがあります。 上田閑照の難解な「私は私ならずして私である」の、「私ならずして」に対応するのが「トランスパーソナル」なんだと思われますが、その辺はもう少し考えてみたい。
ちょうど見ていた阪神−巨人戦が雨でノーゲームになったので(^^;。 朗読はストーリーに沿ったオリジナルイラスト付き(3枚か4枚)でした。 教育テレビだから、おそらく再放送があるのでは?
>テレビ出演 えーっ、見逃しました。教育なら全国ネットなのに……ああ悔しい。 とりあえず、悔しがっときます。うう。
さっき眉村さんがテレビに出演されていました(^^)。 私も直前に気づいたもので、ここで告知することができなかったのが残念です。 眉村さんが出演されたのは、NHK教育テレビで19時30分からの「にんげんゆうゆう」という30分番組です。<シリーズ快老のすすめ>「妻のために一日3枚」ということで、眉村先生がアナウンサーの質問に答えるという形式でした。 内容はタイトルどおり(^^;。 ここにいらっしゃる皆さんには周知のお話ですが、眉村さんご自身の口から聞かされると、また趣が違いました。 アナウンサーが作品をひとつ朗読しました。第七巻の615「けむりの悲憤慷慨」がそれで、耳で聞くとまたぜんぜんイメージが変わるので驚きました。 眉村さんの文章、朗読向きなのでしょうか、実によかったです。 ササッとインプロヴィゼーションで書かれているように私は思っていた文章が、実はよく考えられ練り上げられたものであったことに、気づかされました。眉村先生は音読しながら文章を書かれるのでしょうか? 朗読しても五分以内なので、MBSでもAMコーベでもFMオーサカでも、どこでもいいから、スポンサー見つけて帯で放送してくれないだろうか、とさえ思うほどよかったです。 でも録画に失敗したのであった(T_T)。
yagyuさん どうも、お疲れさまでした。 最近は辺境ネタを聞く会になってきましたね>宴会(^^;ゞ >綾戸さんを見ると、くしゃオジサンを思い出します くしゃオジサンって、顔がくしゃっとなる、あのオジサンですよね? うーん??? それにしても大阪のおばちゃんパワー全開でオモロかったですね(^^)。 Y店長 >依井貴裕「記念樹」 おお、依井はこれだけまだ読んでないです(手に入らない)。 キャンパスミステリということで非常に期待しています(^^)。 >大学ミステリもののブームって、もしかしてもう終わってます? 少し毛色が違いますが、小森健太朗『駒場の七つの迷宮』は去年出た本ですね。駒場キャンパスという<迷宮>を胎内巡りするハガード流冒険小説(ほんとか?)でわたし的にはツボでした。続編があるらしいので期待しています。
>五体不満足 先日久々に実家に帰ったら本棚にあった(^^;)……こうしてベストセラーは生まれる。 (ふだん私以外は本を読まない家です) 依井貴裕「記念樹」読んでみました。 こういう大学ミステリもののブームって、もしかしてもう終わってます? 最近ミステリ界疎いもので……。「いや〜若いねえ」という気がしました。 文体はそんなに気になりませんでしたが。
きのうは「風の翼」宴会お疲れさまでした。 辺境ネタしかないyagyuです。少ししかご一緒できず残念でした。 >>BS山下洋輔・綾戸智絵ライブ 見たんですよ。ゆうべ、このお話もしたかったぁ。わたしは綾戸さんを見ると、くしゃオジサンを思い出します。スゴいシンガーですが大熊さんの枝雀説、納得です。それに、途中でブツ切りが鬱陶しい。せめて好きなタレント出てきてくれたらいいのに〜。季節ハズレの方たちばっかりよね、プンプン。
河本さん >「タイムマシンの謎」学研を読みました 検索してみました。「タイムトラベルの謎」ですね。こんな本が出たんですね、面白そう(^^)、 > フレッド・ホイル >「10月1日でも遅くない」 は読んでないのです(^^;。 つい先日「アンドロメダ突破」をブックオフで見かけたのですが、解説に「アンドロメダのA」の続編とあったので結局パス。買っとけばよかったな。 >「多元宇宙SOS」ローマー これは最高でした(^^)。 本書と「前世再生機」の2冊はローマーの数ある著作の中でも飛び抜けていますね。別人が書いたのではないかと思うほど(^^;。 >「この世界の構造説明SF」か。(^^;) このジャンルのSFって他に何がありましたっけ? 案外日本作家に多いのでは? 特に山田正紀の作品に多いような。たとえば「神狩り」・・・と書いてハタと手が止まる。根本アイデアが思い出せない(^^;ゞ。でもたぶん「この世界の構造説明」してましたよね。 それから川又千秋。「この世界は宇宙の視ている夢で、今、宇宙は夢から醒めかけている」ってのがありました。「反在士の鏡」だったけか。これも自信がない(汗)。 ――どうも老化が進んでいます、脳の中には、収納した箱は残っているのですが、いざ蓋を開けてみると、箱の底が腐って穴が空いていて収納物自体は失われている、ということが最近多くて愕然とします。 > 「現代日本文学大系」を買いました。牧野も足穂も一度に読めると思ったのだけど 筑摩の? あれは正字旧かなですよね、それは辛いかも。 >SFファンダムなんて性格悪い人ばかりだから おっしゃるとおり(^^;。 僕も昔むかーしファンダムに接近したことがありますが、こりゃ合わんと慌てて退散したことがあります。 新参者にはきわめて居心地が悪いのがSFファンダムの特徴で、それは30年後の今日でも変わってないようですね。 自分からしゃべるのが苦手の人は、座っているだけで辛くなる場所です(それに耐えているとだんだん仲間と認めてくれるんですけど(^^;そこまで我慢できれば、あとは確かに楽しいコミュニオンです)。 とはいってもやはり、どっちかというとガサツな、他人からどう思われているかなどぜんぜん気にしない人(無視されていることに気づかない人)がファンダムには残りやすいのではないかと愚考します(>もちろん偏見です)。 瀬名さんの場合も、創作ファンダムで新入会員の持参作品をよってたかってけなすのと同じ構造ではないのでしょうか? ですからしばらく耐えて作品を発表し続ければ次第にバッシングは消えていきます。 だから我慢しなさいと瀬名さんに言いたいわけではありませんが(^^;。 むしろそこまでファンダムにこだわる必要があるのか、と私は思うわけです。 SFファンダムがSF読者のすべてではなく、むしろSFファンダムを見限ったり、あるいはファンダムとはもともと無縁に読んでいるSF読みの方が絶対的に多いはずで、SFファンダムに顔を向けていても労多くして得るものは乏しいと思います。 ケダ板によれば、高野さんがSF大会に行かれて違和感を持たれたみたいですが、その通りなんであって、もともとSF大会はああいう場所なんです(笑)。 私なんか一回参加して、ああここはこういう場所なのねと覚りましたから、それからは行こうとも思いませんです(京フェスはちょっと違うかも。行ったことはないのですが)。 そういうわけで私が考える瀬名さんのとる道は、ファンダムなど相手にせず、しかし自分が納得するSF、「オレのSF」を書き続け、そしてその本には必ず「SF」と銘打たせる。そういう方法論ではないでしょうか。「ホラーSF」でも「SFファンタジー」でもなく、ただ「SF」! 5冊も出せば事態は自ずから変わっていくと思います。 >ある作品がSFかどうかという視点からなら、なんの遠慮もなく批判するのが普通でしょう? これもおっしゃるとおりですね。瀬名さんはその点では神経質すぎる。ただし作家さんは多かれ少なかれみんなそうですね(^^;。ex山野浩一に対する総スカン。 繰り返しになりますが、瀬名さんは右顧左眄せずただ「オレのSF」を書き続けたらいいのだと思います。
大熊さん 「タイムマシンの謎」学研を読みました。今の物理学で考えられる可能な時間旅行の方法がほぼ全部解説してあります。イラストもたくさん。 時間SFを書く場合の参考書になるのではないでしょうか。 次の「火星の謎」も買うのだ。(^^) フレッド・ホイルが亡くなりましたね。好きな作家・科学者でした。 僕の時間SFベスト3は、「10月1日では遅すぎる」、「多元宇宙SOS」ローマー、「果てしなき流れの果てに」です。 小松さんの作品は時間SFには収まりませんね。「この世界の構造説明SF」か。(^^;) このジャンルのSFって他に何がありましたっけ? 「現代日本文学大系」を買いました。牧野も足穂も一度に読めると思ったのだけど、>ケダさん、牧野修じゃないよ(^^;)、活字が小さい、読めない。 「瀬名秀明氏講演録」を読んで: どなたかが瀬名さんの作品を「SFではない」と言ったことが、彼をとても傷つけてしまったのですね。そんなことでめげていては、SFの世界で生きて行けないと思う。SFファンダムなんて性格悪い人ばかりだから、ある作品がSFかどうかという視点からなら、なんの遠慮もなく批判するのが普通でしょう? 僕も、高野さんの「錠前屋」と田中さんの「銀河帝国の弘法も筆の誤り」を「SFじゃない」と、お二人の人柄も好きだし、両作品とも面白かったけど、言ってしまいました。 SFじゃないと言っても作品の否定でもないし、人格の否定でもないことはSFファンなら誰でもご存じのことですよね。 それとも、SFファンってデリカシーがないのだろうか。僕は高野さんを傷つけたのだろうか。
昨日は風の翼オフ会。私は5時間も遅刻してしまった。ご迷惑をかけました>出席のみなさん。 タカシマさんとはすれ違いで残念でしたが、久々にyagyuさんの辺境ネタ(^^;を聞くことが出来、楽しかったです。 通例に従えば次回は新年会ですか、では正月にまたお会いしましょう(^^)。 さて、BSの山下洋輔ライブ、ご覧になりましたか? 正確には山下洋輔・綾戸智絵ライブでした。これはよかった! 綾戸智絵って、名前は知ってましたが、観るのも聞くのも今回が初めて。 凄いですねー!! ビックリしました。あの山下が完全に食われてしまった(^^;。 ジャズヴォーカル一般には全く興味がありませんから、別にCD買おうとか思いませんが、コンサートには行ってみたいと思いました。 あのライブパフォーマンス、一種キワモノかも知れません。けれども枝雀の落語も、米朝的な観点から言えばキワモノなんですから、キワモノだからダメだとは私はぜんぜん思っていません。 うむ、綾戸智絵はジャズヴォーカル界の枝雀ではないでしょうか(今思いついた(^^;)。 楽しめる放送でした(^^)。 ただ、いかにもNHK的な構成が気になった。 というのは、著名人(村松友視、ねじめ正一、糸井重里、宮沢りえetc)の感想などをオープニング前や、信じられないことにライブの途中に挟む。 これではせっかくその気になって聴いているのが興ざめになります。テロップで2人のプロフィールを流すのも鬱陶しい。 コンサート番組は、何の夾雑物も挟み込まず、ただコンサートを最初から最後まで忠実に流してくれるだけでいいのであります。 出来の悪いライブなら、そういう化粧が必要かも知れませんが、今回の山下・綾戸バトル(笑)にはぜんぜん不要。 などと書いているうちに不思議な既視感が。 あ、銀河帝国の弘法・・・
今日、23時から山下洋輔のライブがあるよ(^^)。
ホーキング青山『七転八転(ななころびやころび)』(幻冬舎文庫)読了。 乙武君(私の周囲で読んだ人(すべて女性)はみな君付けする。なぜ?)のベストセラー『五体不満足』をわたしは未読です。「予断」があるからなんですが、本書の解説の中森明夫の以下の文章を読むと、やっぱりと思ってしまう。 まず中森は、北島行徳という人の『五体不満足』を批判した文章を引用します。 「バスケットでドリブルができる自慢をするくらいなら、家ではだれに風呂を入れてもらっているか、ウンコをした後は誰に尻を拭いてもらっているのか、そんな生活の根っ子の部分を書くべきだろう。また、恋愛のことに触れるのなら、セックスについて書くことだって避けてとおれないはずだ」 そしてこう言います。→「三年前に出たホーキング青山の本には全部書いてあったよ」 それが本書なんです。面白くて数時間で読んでしまいました(本自体も薄く150ページ足らず)。 第一種一級障害者のお笑い芸人の作者は、しかし哲学者であります(^^)。 「何も言わずに持ってって」と叫びながら作者の胸元に千円札をねじ込み、走り去るオバサンの考察など実に冷静で没価値的で深い。 これはオススメ。未読の人は、ぜひ読んでほしいと思います。 Y店長、いい本をご紹介感謝です(^^)。 >そんなに気にするほど似てませんよね うーむ、SFを読んだことがない文芸雑誌(といっても中間小説誌ですけど、当時の編集者はみなブンガクの洗礼を受けた人ばかりのはず(^^;)の編集者が、「決算の夜」ではじめてタイムパラドックスものの存在を知ったのだとしたら、そしてそのあと、日を措かずして「愚行の輪」を読んだとしたら、たぶん早い段階で仕掛けに気づいたのではないかと思います(^^)。 それから眉村さんの(少なくとも初期の)文章は、昔のブンガク派には非常に馴染んだ文章なので受け入れられやすいのですが、他方小松さんの文章は、いわゆる「ガチャ文」で、ブンガク派は眉を顰める文章なんです。その辺もマイナス点だったかも。 私自身小松さんの文章はイマイチで、「愚行の輪」読み中なんども「もうちょっと推敲しろよ」と思ったものでした(^^;ゞ。 たしか筒井さんも、編集者が眉村さんの文章を誉め、自分の文章をケナされたと書いておられましたね。 土田さん >運転士 面白いと言っていただき嬉しいです(^^)。 >飯田雪子「地下十七階の亡霊」 土田さんの日記の8月17日の書評を読ませていただきました。 面白そうな設定ですね。私もさがして読んでみますね。 ときにボルヘスだったか山尾悠子だったか荒巻義雄だったかに、これに似た設定のありませんでしたっけ。 >高井信「スプラッタラブ」(ケイブンシャ文庫)をおまけにつけておきますね わっ、本当ですか(^^)。 高井信、最近非常に気になっている作家なんですが、ぜんぜん見つからないのでした。ありがとうございます!
大熊さん 「運転士」おもしろかったです。 まぎれもなく幻想文学ですね。 あとSFでは飯田雪子「地下十七階の亡霊」が予想以上に面白かったです。 今週末にできたら本はお送りしますね。 高井信「スプラッタラブ」(ケイブンシャ文庫)をおまけにつけておきますね。
>励ます会 あ、うちにも来てました。定期購読者に送られているのでは? 断りの返事を出すこと自体場違いかと思って悩んでしまいましたよ。 でも応援してます。 >決算の夜 ああ、それでしたか! 前に気になって「愚行の輪」を読んだときは気付きませんでした。 そんなに気にするほど似てませんよね。それに初出が違うし…… と思っていたら、小松氏の勘違いですか。思いつきませんでした。 疑問が解けてほっとしました。
わかぎえふ『OL放浪記』(集英社文庫)読了。 作者は中島らも劇団<リリパットアーミー>の実質的団長として有名な人らしい。私はその方面に全く疎いのですが、ラジオで作者のトークを聴いて少し興味を持ったのです。 昔はエッセイの類いをよく読んだものです。北杜夫、遠藤周作、五木寛之『風に吹かれて』etc それがいつの間にか読まなくなってしまったのは、小説は作家の意図を越えたものを発見できるけど、エッセイは作家の範囲に収まるから。 つまり、エッセイは作家への興味にそのほとんどを負っている。作家のことをもっとよく知りたいという(ミーハー的)欲求がなければ、エッセイなど読めないのではないでしょうか? 私の場合も、若いころは作家に興味があった。最近はそれがなくなってしまったということなんでしょう。 さて、本書も最初はイマイチ乗れなかった。けれども、だんだん面白くなって一日で読了。 読んでいるうちに"わかぎえふ"という人の一種独特の魅力に波長が合ってきたのでした。大阪弁の小気味よいツッコミが心地好い。最初は無色中立だったのが、だんだん好ましい色合いを帯びてきたというわけ。 まさにエッセイの魅力は作家自身の魅力の反映なんであります。 作者の性格、金井美恵子に似ているかも(^^;。カバーの写真も若い頃の痩せた金井美恵子みたい(^^;ゞ。
小松左京さんの新しい対談集(?)『威風堂々うかれ昭和史』(中公)をペラペラめくっていたら、オール読物で二本続けてボツにされた話を又されているのを発見(^^)。よっぽど悔しかったのでしょうか(^^;。それとも、そのいきさつで「紙か髪か」が出来上がり、吉田健一に大絶賛されたことを強調したかったのか? たしかにSFMに掲載されていたら、吉田健一の目には決して留まらなかったことは確実(^^;ゞ。 ところで、『SFへの遺言』で、くだんのオール編集者が誉めたという眉村さんの作品、小松さんは「宝石」といっておられますが、もし当該作品が(私の推測どおり)「決算の夜」であるとすると、この「宝石」というのは小松さんの記憶違いだと思われます(「決算の夜」は別冊サンデー毎日)。 そう推理する根拠は3つあります。 1)「紙か髪か」がオールに掲載されたのは1963年7月号です。小松さんが語っているように、「愚行の輪」もほぼ同時期に書き上げられたとすると、脱稿したのは5月頃でしょうか。 ところで眉村さんの宝石(旧宝石)初登場は、「悪夢の果て」でした。これはテレポーテーションを企業小説に導入した傑作なんですが(掲載号は不明)、脱稿は63年12月25日であることは判っています(拙HP眉村卓著書リスト【一般小説(63〜76)】)参看)。 つまり小松さんが「愚行の輪」を書き上げた時、眉村さんはまだ宝石への登場を果たしていないのです。 2)一方、「決算の夜」は別冊サンデー毎日に掲載された作品なんですが(掲載号は不明)、この作品1962年8月19日に脱稿されています(眉村卓著書リスト【一般小説(63〜76)】))から、オール編集者は当然読んでいてもおかしくありません。 以上、「愚行の輪」脱稿当時、眉村さんは「宝石」にまだ登場しておらず、しかし「愚行の輪」と同様のタイムパラドックスを扱った「決算の夜」を半年前に「別冊サンデー毎日」に書き上げており、オール編集者が読んだ眉村作品はこの「決算の夜」の可能性が高い。 3)他方、オール編集者によってボツにされたもうひとつの作品「痩せがまんの系譜」が、のちに「宝石」で日の目を見ており、私は、小松さんはどうもそれと記憶が連合してしまったのではないでしょうか。 以上3つの理由により、小松さんの「宝石」という発言は勘違いだと思われる次第です。
という会が催されるようです。 日本ペンクラブの上記会事務局から、(何の手違いでしょうか)私のところに届いた案内状によりますと、「日課」のショートショートが1500話になり、『日課一日3枚以上』も9月に第10巻が出版される運びとなったのを期して、日本ペンクラブの仲間が呼びかけ人となって上記の会を催すことにしたということです。 おお、これは嬉しいですね(^^)。 日時は9月18日(この日は眉村夫妻の結婚記念日(^^))、場所は東京会舘。 呼びかけ人は、梅原猛、加賀乙彦、三好徹、小中陽太郎、下重暁子の各氏。 Y店長のところにも届きました? もちろん私は場違いなので欠席の返事をするつもりですが、ともあれ盛会を祈りたいと思います。
Y店長 >文中、小松氏が没になった短編の話をしていて、その理由が >「眉村さんのと似てるから」 >と言われたというエピソードが載っていたのですが、 >その似てるって言われた眉村短編が知りたい!! 小松さんのボツになったという作品「愚行の輪」を読んでみました。→『時の顔』(ハルキ文庫)所収 タイムパラドックスものでした。と書けばYさんも「あ、あれかな」とあたりがついたのではないでしょうか(^^)。 お答えしましょう(^^)、それは「決算の夜」です。→『準B級市民』(HPB)、『影の影』(ハヤカワJA)所収 モチーフは、たしかに似ているといや似ています(「決算の夜」を読んだ後で「愚行の輪」を読んだら、オチはすぐに判っちゃうかも。もちろん逆もまた真)。 けれどもコンセプトがぜんぜん違うので、両方続けて読んでもどちらも面白いはず。 眉村作品の眼目は暗い情念と徒労感であるのに対して、小松作品は論理の面白さを主眼としています。ボツにした編集者は、SFを載せるということで、カタチにとらわれすぎたのではないでしょうか。 >シルフ雪風は買えないので新車を買ってみました(^^;) >衝動買い。 やた! 新車の中の女だ(^^;>ジャプリゾ
>河本さん ああ、そういう意味でしたか。私は名古屋からJRで30分くらいのところに住んでいますが、 東京駅まで3時間です。意外と近いような気がしますね。 >SFへの遺言 私も読みました。珍しくハードカバーで買った本です。 文中、小松氏が没になった短編の話をしていて、その理由が 「眉村さんのと似てるから」 と言われたというエピソードが載っていたのですが、 その似てるって言われた眉村短編が知りたい!! 近況:シルフ雪風は買えないので新車を買ってみました(^^;) 衝動買い。
小松左京『SFへの遺言』(光文社)を読みました。 いささか刺激的なタイトルですが、内容はタイトルから連想されるものとはちょっと違いました。 森下一仁さんを司会進行役に、石川喬司との対談形式によって小松左京本人が、自身のSFとの関わりを回顧しているのです(高橋良平、巽孝之、笠井潔らがサポート)。 「果しなき流れの果に」など、自作への言及があり、これがなかなか興味深い。 ふむ。小松SF、初期のやつ順番に読み返してみようかしらん。 森下さんのHPで、本書の冒頭部分が読めます。→プロローグ
河本さん 野田さんのテレワークものは大好きです(スペオペシリーズは読んでいません)。私小説ならぬ私SFとでもいうのでしょうか、自分の周囲を語っていると思いながら読んでいたら、いつの間にやら途方もない話を読まされている、その虚実の往還が見事ですね。私小説の部分も、どこまでホントか判りませんが、とりあえず読者はウソとマコトのあわいで眩暈を覚えさせられます。まさに名人芸の<騙り>です。 ただ方法論が常に同じなので、何作も読み継いでいくと、「またこの手か」という感じがしてくるのも事実、もっとも光瀬龍もその点は同じですね。 客観的にもこのシリーズは、(大局の中におかれると筒井、小松といった綺羅星のかげに見過ごされてしまいがちですが)日本SF史を編纂するときは一章をさくに値する日本SFの成果だと思います。
大熊さま >そうそう、SF世界の月は、クレーターが見えるほど大きく、濡れたようなレモン色でなくっちゃですよね(^^)。SFは別に「事実」に組み伏せられねばならないいわれはないのですからね(^^;。 このコメントは素敵だと思います。「レモン月夜……」のストーリーと異なる、と言いたかったわけではありません。 >じぶんちの庭でロケットをこしらえて、月までちらっと行って来る、なんてことは本当にあるのだよ、という話です。 これは野田さんの作品の内容のことではなくて……まあ、こういう話ですが、野田さんはこれが「本当の」お話だなんて言ってはいないと思います……僕がアレクすてさんに話した「レモン月夜……」が好きな理由の説明です。 僕は数学の世界で、個人でロケットをこしらえて月まで行って来たことに喩えられるぐらいのことを経験している……友愛数の研究など……、だから「レモン月夜……」も皆が他愛もないおとぎ話的SFと考えていても、僕はほんとうに月まで行って来たのさ、と一人思うのです、それで、 >わはは、大丈夫です、僕はマッド・サイエンティストではありません。たぶん。 と、なるわけです。 Yさん 僕は百合丘という街に住んでいます。神奈川県です。 大阪は遠いなあと思っていたのですが、実際に旅してみると、百合丘から3時間で行けたので、名古屋程度ならなんでもないや、と言いたかったのです。
河本さん 無事帰着されたようでよかったです。 > 大阪オフ、とても楽しかったです。 ホントにたのしかったですねえ(^^)。また近いうちにお会いしましょう! >次の日、声が全然出ませんでした。 それはそれは(^^;。 >>そうそう、SF世界の月は、クレーターが見えるほど大きく、濡れたようなレモン色で >>なくっちゃですよね(^^)。SFは別に「事実」に組み伏せられねばならないいわれはな >>いのですからね(^^;。 この発言は作品内容に沿ったものではなく、タイトルそのものに反応した発言でした。 これは近頃私が感じていることをタイトルに即して述べたものでしかなく、つい先だってもアポロ以前、以後という話題がありましたが、それ以外にもSF(小説)が、あたかもリアルな現実の桎梏のもとになければならないというようなニュアンスをよく眼にするような気がしておりましたので、つい関連させてしまいました。 たしかに誤解を招く書き方でしたね(^^;すみません。 >じぶんちの庭でロケットをこしらえて、月までちらっと行って来る、なんてことは本当にあるのだよ、という話です。わはは、 <裏庭のマッドサイエンチスト>ものでは、川端裕人『夏のロケット』というのが最近の作品では出色でした。ヘテロ読誌に感想あります。この作品は1から10まで現実の桎梏のもとに話が進むかのように見えて、最終的には現実を超えてしまうのです。もっとも、ふつうにSFを書けば当然そうなるものなんですがね(^^;ゞ。 Y店長 >初めて読む作家は刊行順に読むべきなのかなーでも >そんな暇ないし今読みたいのはこれなんだよっ!って悩んでいます。 >(読みたい物から読めばいいと割り切ればいいんでしょうが) これはなかなか難しい問題ですね(^^;。 私の考えは、作家の資質は処女作に集約されていると思っています。それ以後の作品は処女作のヴァリエーションであり発展型(もしくは惰性型(^^;)なのであり、作家に焦点を合わせた読書をするなら処女作から5,6作トレースすればあとは読んでも得るものはなさそうです。→極論(^^;ゞ ヴァンダインは6作までといってますが(本人はその倍書いて自説を論証しましたね(^^;)、ミステリにとどまらずおおむねこの説は妥当なように思います。 ただしこれは私の原則なのであって、 >今読みたいのはこれなんだよっ! ってときは原則を無視して当該の本を読みます(^^;。 アドバイスになってませんね(^^;ゞ。 > 絶対鳴海章から読んだ方がいいです。というのは私に知識がなかったから。 > でも詳しければSFな「雪風」からどうぞ。 いや、私も鳴海から読むことにします(汗)。
「言壺」(神林長平)を再読。なぜか神林作品で一番初めに読んでしまったのだが、 シリーズ物(雪風とか海賊とか)を読んでからだと「神林らしくなさ」を追求した 作品だということが分かって愕然。初読の時は表面的にしか分かってなかったのね。 みたいなことがありまして、初めて読む作家は刊行順に読むべきなのかなーでも そんな暇ないし今読みたいのはこれなんだよっ!って悩んでいます。人生の先達の 方々はどうしていらっしゃいます? (読みたい物から読めばいいと割り切ればいいんでしょうが) >雪風と鳴海章 絶対鳴海章から読んだ方がいいです。というのは私に知識がなかったから。 この間「雪風」再読したらいろんな描写がより鮮やかに浮かんできました。 でも詳しければSFな「雪風」からどうぞ。 >河本さん 名古屋近くの方でしたか。私も近いです。 「レモン月夜」まだ読んでないので今度探してみます。
あれま、書き込みがWってますね。コピーアンドペイストした際に、ミスしたようです。 大熊さん、可能ならなおして置いて下さい。
大熊さん、アレクすてさん 大阪オフ、とても楽しかったです。大熊さんとはまるで古い友達のように、またアレクすてさんには昔離ればなれになった家族に再会したような感覚を抱きつつおしゃべりができました。 毎日、お会いして話をしたい気分です。だれか「どこでもドア」を本当にこしらえて欲しいなあ。(^^) 普段は一日10分もしゃべらないのに、5時間もぶっ続けに話したので、次の日、声が全然出ませんでした。疲れてもいたので、友人に会うのを一日延期して貰いました。 月曜は、アレクすてさんや友人に会ったりして、夕方に大阪を発ったので、伊豆の河津 には、9時過ぎに着きました。美しい海岸線も見られず、「なんのための旅行や」とツッコミたくなりますねえ。(^^;) >>「レモン月夜の宇宙船」 >私も大好きな作品です。 >そうそう、SF世界の月は、クレーターが見えるほど大きく、濡れたようなレモン色で >なくっちゃですよね(^^)。SFは別に「事実」に組み伏せられねばならないいわれはな >いのですからね(^^;。 僕が「レモン月夜の宇宙船」を好きな理由は、ここには書ききれないので、今度アレクすてさんに会ったら聞いて下さい。じぶんちの庭でロケットをこしらえて、月までちらっと行って来る、なんてことは本当にあるのだよ、という話です。わはは、大丈夫です、僕はマッド・サイエンティストではありません。たぶん。 大熊さん、アレクすてさん 大阪オフ、とても楽しかったです。大熊さんとはまるで古い友達のように、またアレクすてさんには昔離ればなれになった家族に再会したような感覚を抱きつつおしゃべりができました。 毎日、お会いして話をしたい気分です。だれか「どこでもドア」を本当にこしらえて欲しいなあ。(^^) 普段は一日10分もしゃべらないのに、5時間もぶっ続けに話したので、次の日、声が全然出ませんでした。疲れてもいたので、友人に会うのを一日延期して貰いました。 月曜は、アレクすてさんや友人に会ったりして、夕方に大阪を発ったので、伊豆の河津 には、9時過ぎに着きました。美しい海岸線も見られず、「なんのための旅行や」とツッコミたくなりますねえ。(^^;) >>「レモン月夜の宇宙船」 >私も大好きな作品です。 >そうそう、SF世界の月は、クレーターが見えるほど大きく、濡れたようなレモン色で >なくっちゃですよね(^^)。SFは別に「事実」に組み伏せられねばならないいわれはな >いのですからね(^^;。 僕が「レモン月夜の宇宙船」を好きな理由は、ここには書ききれないので、今度アレクすてさんに会ったら聞いて下さい。じぶんちの庭でロケットをこしらえて、月までちらっと行って来る、なんてことは本当にあるのだよ、という話です。わはは、大丈夫です、僕はマッド・サイエンティストではありません。たぶん。 Yさん 名古屋までなら行くのは容易いことです。いつかお会いしましょうね。 Yさん 名古屋までなら行くのは容易いことです。いつかお会いしましょうね。
Y店長 >オフ会盛況のようですね。また誘ってください。 次はしっかり計画しますね(^^)。 >「ネオ・ゼロ」、一番おすすめです。 楽しみです! 雪風とどっちを先に読もうかな(^^;ゞ さて、戯れにカフカを、池内紀訳(岩波文庫版『カフカ短篇集』)と長谷川四郎訳(福武文庫版『カフカ傑作短篇集』)で読み比べてみました(^^;。 こんなに違うものかとビックリ! たとえば「橋」の冒頭ですが、 (池内訳)《 私は橋だった。冷たく硬直して深い谷にかかっていた。》 (長谷川訳)《 ぼくは硬直し冷たかった。ぼくは一個の橋だった。ぼくは深淵の上にかかっていた。》 とこんなに違う。 福武文庫版の川村二郎の解説によると、長谷川訳は、<おおむね即物的な直訳調>であるようです。川村はまた、<翻訳の根本問題として、原文への忠実のために、訳文の母国語としての自然さを犠牲にするか、母国語のなだらかな流れを損なわぬために、原文から離れるか、という二者択一がある>と書いています。 おそらく長谷川訳は前者、池内訳は後者なんでしょう。 川村の解説は、ほとんど翻訳論に近いもので、よほど長谷川訳の直訳調が川村に強い印象を与えたのではないでしょうか? 私は池内訳の方がよい。ずっと良いと思います。なぜならまるで星新一か筒井康隆のショートショートを読んでいるようなのです。 カフカは、「一体これは何を書いているのか」などと眉間にしわを寄せて読む難解な作家ではなく、その奇想天外なアイデアを愉しめばいいのだ。 池内訳を読むと、そのことがよく判ります。 最近、池内紀訳のカフカ全集が出ましたが、ちょっと読んでみたくなりました。 (実際の原文は、カフカにとって外国語であるドイツ語で書かれているので、外国人の書いたドイツ語らしく非常に文法に忠実な文体で読み易いらしい→カフカを原文で読んだ人から聞いた話。於畸人郷)
というわけで、今日はもう寝ます(T_T)
オフ会盛況のようですね。また誘ってください。 >異星の人 逆に私は「2001」で興味を持ち、古本屋で本編を買ったのです。 連作短編で語り手が全部違うというのは新しい、とか思ってました。 >仮想戦記 は、今まで読んだことがないので、よく分かっていませんが…… で、鳴海章は仮想戦記とはちょっと違うのでは(と思っている。レーベルはともかく)。 空母や飛行機が活躍する話を書きたいために仕方なく、無理矢理国際謀略をくっつけている感じが。 書かれた当時の近未来が舞台で、過去の戦争の話でもありませんし。 私は戦闘機と人間の織りなす「愛と友情の冒険小説」として楽しんでます。人間描写も良いです。 確かに日本は負けない話なんですけどね〜。でも勝ちもしないんです。 「ネオ・ゼロ」、一番おすすめです。 竹島将は読んでないや……というか鳴海章と最近まで勘違いしてました(^^;) シリーズ物を見ると「年表つくりたい」欲が。共通キャラがさりげにいるとなおさら。 谷甲州の仮想戦記はちょっと気になってます。「覇者の戦塵」読まれた方いらっしゃいます?
アレクすてさん >河本様とまた会う約束をし、 >今日の午後一時に、会いました。 おお、そうだったんですか。 >大いに盛り上がりました。 たのしかったでしょうね(^^)。 >「レモン月夜の宇宙船」 私も大好きな作品です。 そうそう、SF世界の月は、クレーターが見えるほど大きく、濡れたようなレモン色でなくっちゃですよね(^^)。SFは別に「事実」に組み伏せられねばならないいわれはないのですからね(^^;。 >またオフ会をしたいです。 またやりましょう! それからURLありがとうございました。さっそくリンク集に収めさせていただきました。 ――というわけで、みなさま、下はアレクすてさんの作っておられたHPです。現在休止中ですが、独自の視点からの辛口の映画批評は刺激的です。ぜひ訪れて下さい。 ↓ 映画C級散歩 鳴海章『ネオ・ゼロ』入手しました。ついでに竹島将『ファントム強奪』も買ってしまった(^^;。これも航空ものですよね?
管理人様、会ではお世話になりました。アレクすてです。 私は、管理人様と別れたあと、河本様とまた会う約束をし、 今日の午後一時に、会いました。 河本様は、野田大元帥の「レモン月夜の宇宙船」が、特にお好きで、 その好きな理由などで大いに盛り上がりました。 管理人様、またオフ会をしたいです。ではでは。 http://www2.osk.3web.ne.jp/~amigane/
http://www2.osk.3web.ne.jp/~amigane/
昨夕はミニオフ会――とは名ばかりの(^^;実にささやかな飲み会をしました。参加者は河本さん、アレクすてさん、私。 こじんまりした集まりでしたが、逆にその分話題が多方面に盛り上がり、時間が立つのも忘れてしまうほど、あっという間に私の帰宅タイムリミットが来てしまったという感じでした。 楽しいひとときでありました(^^)。こうもとさん、アレクすてさん、お疲れさまでした。 河本さんはもう一泊されて、それから伊豆へと向かわれるとのこと、よい旅をお過ごし下さい! Y店長 鳴海章特集(^^)拝見。 鳴海章は読んだことがないです。 架空戦記とSFの違い――微妙ですねえ(^^;。 形式的には当然架空戦記もSFジャンルに含まれるものですが、私が架空戦記を読まず嫌いなのは徹底的に日本が叩きのめされ、滅ぼされ、皆殺しにされてしまう話が皆無だと思っているからです(そういう話は読みたいです。そういう小説が実際にあったらお教え下さい>ALL)。 つまりイデオロギー的に不自由なジャンルだと思うのです。SFは何を書いてもいい自由な小説形式でありますから、予めある型にはまらなければならない(相対的なものの見方を含められない)ものは(形式としての)外見がたとえ似ていようと(内容としての)SFとはもっとも遠い世界だと思うのですが、、、 あくまで私の架空戦記観なので、Y店長を決して批判しているわけではないので、その辺お察し下さい(^^;ゞ しかし店長の書評を読んで、鳴海章ちょっと興味が湧きました(^^;。読んでみますね(^^)。
魔迦不思議→摩訶不思議
荒巻義雄「ゴシック」(日本SF作家クラブ編『2001』所収)を読みました。 まさに「あの荒巻が帰ってきた!」。紛れもなく『神聖代』や『時の葦舟』の作者の作品でした(^^)。濃厚なアラマキ未来世界、美味しゅうございました。 ストーリーは、ありません(^^;。 作者は<言葉>で超現実的な絵画を描いています。個々のタームの用い方は、あるいは不用意の謗りを免れ得ないかもしれません。しかしそれは作者の本意ではない。自在なタームの結合が、まさに手術台上の蝙蝠傘とミシンのように、新奇な、魔迦不思議な感覚で読者を幻惑します。 この小説の読み方は、一幅の絵を鑑賞するように読むことが肝心。つまり外側(字づら)を愛でるように読むべきで、内側に入っても無意味。SFは別にストーリーは必要ないという見本的な作品です。 Y店長 >牧野信一 私の大好きな作家の一人です。「ゼーロン」等の躁病的カラ元気の奥に隠された哀しみがたまりません(^^;。 ところで上の『2001』に収録されている田中光二作品は、ジョン・エナリーものの新作のようですよ。
>河本さん ほか、ここの方々に一度お会いしたいとは思っているのですが今回は都合がつきません〜。 次は是非参加したいです。 >牧野信一 うわ、懐かしい。大学時代、講義で研究発表をしました。 でももう忘れています(^^;)。また読み返そ。 >雪風 私も古本屋で買いました。3,4月頃に地元の新聞になぜか今頃書評が載っていて、 気になったので心の「見かけたら買うつもりリスト」に入れてあったんですよね。 定期更新しました 特集:鳴海章。 http://www.usiwakamaru.or.jp/~yamas/BOOKS/DIARY.htm
木田元『偶然性と運命』(岩波新書)読了。 私はサルトルの「すべては偶然だ(だからこの世界は不条理である)」という考え方がいたく気に入っていまして、運命とか宿命といった決定論的な発想は大キライなのです。(註)この不条理は「あっけらかんとした不条理」という感じでマイナスに意味は持っていないと理解しています。 運命や天命とは、とりもなおさず「必然」の言い換えに他なりません。即ち運命という言葉には、本義的に神(絶対者)の存在が含意されています。 著者は、運命について、私のように決定論的に固定的にとらえず、人がなぜ偶然にしか過ぎないものに運命を感じるのか、と柔軟に考えます。こっちの方がむろん現実的です。 結局、自分にとって決定的な意味を持つ人や事物との邂逅を爾余の偶然と同じと思いたくないない無意識のメカニズムが、偶然に必然を見るのでありましょう。 偶然と運命を突き詰めるのではなく、そのまわりを遊覧するようなエッセイ風の著述で、私の期待した内容とは少しずれていましたが、木田さんの融通無碍の思考が楽しめました。 ところで本書において偶然→運命のメカニズムのひとつとして再帰的な体験の再構造化が紹介されていますが、この「ああ、そうか」という体験(Aha-Erlebunisアッハ・エアレブニス――ドイツの心理学者カール・ビューラーの用語)は、まさにセンス・オブ・ワンダーと同じメカニズムではないか、と思いました。