【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2001年10月)


いらっしゃいませ! 投稿者:管理人 投稿日:10月30日(火)20時35分44秒

タラさん
ようこそお越し下さいました(^^)。こちらこそよろしくお願いします!

>20年くらい前から眉村卓さんの本を買い漁っていたのですが、
おお、年季が入っていらっしゃいますね。

>最近書店では見かけなりました
さびしいですね。眉村さんご自身も、最近は日課シリーズにかかりっきりで、商業媒体には発表されなくなりました。

>実家に眠っている本を、たまには日の目をみせてやらなければと思いました
お読みになったら、ここで感想をお聞かせ下さると嬉しいです。

当掲示板では眉村先生の話題、70年代SFの話などをだらだら垂れ流しています(おもに私が一人で垂れ流しているんですが(^^;)。タラさんもよかったら、いろいろ書き込んでいただきたいなあと思います。
またのお越しを心よりお待ちしていますね(^^;ゞ


懐かしいどす 投稿者:タラ 投稿日:10月29日(月)22時19分40秒

はじめまして。20年くらい前から眉村卓さんの本を買い漁っていたのですが、最近書店では見かけなりました。このサイトを拝見し、実家に眠っている本を、たまには日の目をみせてやらなければと思いました。これからもよろしくお願いします。


音楽SF特集(承前) 投稿者:管理人 投稿日:10月29日(月)21時54分18秒

Y店長
川又千秋、いいでしょ(^^)。
「亜人戦士1」もぜひぜひ(^^;。

こうしてみると、70年代日本SFの豊穣さって一種奇跡的ですね。

>音楽SF特集
G・デイヴィッド・ノードリイ「デモクリトゥスのヴァイオリン」は、近未来キャンパスもの。「懐かしい未来」ってまだ読んでませんが、私のイメージでは、まさにこの作品がそう。
舞台は近未来ミネソタのロイドカレッジ。主人公の女子学生キムは、科学的、分析的方法論を嫌悪し、音楽は細かく分析するなんて論外、超越的、全体的に味わうものだ、と主張する音楽教授に目を付けられ、評価がCの危機。起死回生策は教授の愛器ストラディバリウスをナノテクの「複製機」で複製し、教授の鼻をあかすこと。キムはボーイフレンドの協力でなんとか本物のストラディバリウスを盗み出すが・・・
近未来のキャンパスライフが生き生きと描かれていて軽快に読める。

というわけで音楽SF特集の4篇を読んだ。どの作品も好感。山下達郎と難波弘之の対談も興味深く、なかなかの好企画でありました。


「火星人先史」 投稿者:Y 投稿日:10月28日(日)23時44分20秒

を読み終わりました。
いいですねー。川又千秋、こういうのを書く人だったんですね。
火星の大平原を駆け抜けるカンガルーたち。かっこいい。
彼らの「未来」を見つめる視線がうらやましくもあったりします。

いろいろあって落ち込んでいた今日この頃ですが
これを読んで何だかさっぱりしました。
……それにしても電話線まで切れることないじゃないかー、NTT。


SFM音楽SF特集(承前) 投稿者:管理人 投稿日:10月28日(日)14時19分18秒

難波弘之「Too Old To Rock'N' Roll: Too Young To Die!」は、巽論文とは対称的に、60〜70年代ロックへのシンパシーに溢れてた作品。
当時のロックミュージシャンのインサイドも伝わってくるが、逆にその分客観化が不十分で(作家の中では当然「了解」されているのだろうが)、甘くなった。

ルイス・シャイナー「蒸気機関の時代」は、さらに設定が古く、19世紀後半のテキサス州オースティンが舞台。
当時まだ白人に認知されていないブルースを、白人のたむろする酒場で、若者がギターで弾き歌い、追い出される。町を出ていく駅で、黒人の老人が、まだ開発されていない左指にジャックナイフの柄を挟んで弾くギュンとうなるスライド奏法が圧巻(この老人は何者なんだろう?)。今はまだ蒸気の時代で、電気の時代はまだまだやっては来ないのだ。若者がこれから歩むいばらの道が暗示されて終わる。哀切な佳品。


山之口洋の 投稿者:管理人 投稿日:10月27日(土)18時29分55秒

「最後のSETISSION」(SFM12月号所収)はこんな話。

18000年前(つまり氷河期)に、ある種族が地球にやって来て氷床に移り住んだ。18000年後、仲間が再会に訪れてみると、氷床は融け、どこにも仲間の存在は感知できなかった。
そのとき、彼らは何かが近づいて来るのに気づく。それは地球人たちだった。
地球人は宇宙からの来訪者に歓迎の意をあらわすため、音楽の演奏を始めた。
彼らは驚いた。突然「別れた仲間」が姿をあらわしたからだ。とはいえ「別れた仲間」は、しかし「形骸」でしかなかった・・・
そう、つまり宇宙人は「音楽」生命体だったのだ!
氷床を奪われた来訪者は、仕方なく勃興期の人類と共生関係に入って生きながらえようとしたのだったが、結局形骸化してしまう。ただひとり、人類の中に音楽が生命体であることに気づいた人物がいた。それは――

まさにベイリーやワトソンも裸足で逃げ出すアイデア至上主義の極致ともいうべきワイドスクリーンバロックの逸品!

やるねSFM、ちょっと見直した(^^;
こんな作品を毎月載せてくれるんなら、私も毎月お付き合いしまっせ(^^)。


SFMの 投稿者:管理人 投稿日:10月27日(土)01時15分32秒

山之口洋「最後のSETISSION」読みました。これは凄い。傑作!!


承前 投稿者:管理人 投稿日:10月26日(金)22時44分31秒

しかし<戦友>は友情に甘えてはいけない。
自らアフガンを去ることこそ友情に応える真の友情。


SFマガジン音楽SF特集 投稿者:管理人 投稿日:10月26日(金)22時01分01秒

SFマガジン12月号を衝動買い(^^;。特集が音楽SFだったので。
この前買ったのは2001年1月号だから、ほぼ1年ぶりです。

まず読んだのは、巽孝之「プログレSF史序説」。この人はアジ文書かせたらメチャうまい(^^)。
イエスが「アメリカ」(S&Gの)を演奏しているのは知らなかった。ぜひ聴いてみたいものだが、なんていうアルバムに入っているんでしょう?(レコード屋(CD屋か)に行く習慣を失ってから久しいもので)

それにしても巽さんは、私と同い年ですが、読んでると、ニューロックにどっぷり浸かった人ではないように感じました。「サージェント・ペパーズ……」を挙げるのであれば、→プロコル・ハルム→ピンク・フロイド(できればムーディ・ブルース)に言及しなきゃ(^^)。

それに
>ツェッペリン絶頂期からELP登場への道筋には、何かの決定的な転換がある。
というのは事実誤認な気がする。これはツェッペリンを1,2,3(からせいぜい4まで)しか認めないならそうとも言えるが、見方によれば、その後の方が凄いとも言えるので(渋谷陽一は確かそういう立場)、常識的にはこの2巨人は並立していたと見た方が正しいと思われます。

さらに「決定的な転換」というのも判らないではないが(というのも当時は私もプログレを過剰に孤高的に評価していたからだが)、今振り返ってみれば両者(ツェッペリン/ELPとしてもハードロック/プログレッシブロックとしても)やはりブリティッシュロックとして共通する部分の方が多い。すなわち断絶よりも連続に比重をかけて良いのではないかと思われます。

というのは史観の相違なので(^^;まあ、別に構わないのですが、この評論を読んで、巽さんがたとえば「タルカス」なら「タルカス」を聴いたときの感動が全然伝わってこない、どっちかというと「知識」としてきいているような気配で、そのあたりが「どっぷり浸かった」人ではないのかなあ、と感じた理由です。

しかし
>ジャズを媒介にしてたちまち拡散していく奇病「ジェス・グルー」を扱った
という『マンボ・ジャンボ』(国書刊行会)は読んでみたいと思いました。
こういう紹介はホントにうまい。やはり天性のアジテーターですな(^^;ゞ


河本さん

>テロのある国のことがリアルに分かりました。
というか、物量大国アメリカと事を構えようとしたらテロのような(ゲリラ的)方法しかないのでは?
むしろアメリカ人はもっと真剣に「戦争」しなきゃ。相手はいやでも真剣にならざるを得ないんだから。
北部同盟を応援したり、この国はいつも自らの手は汚さずに済まそうとする。嫌らしいと思います。今回の事態もそういうツケが招いたもので、自業自得と言える。

それはそれとして、ごく個人的な見解ですが、ある意味自らを滅ぼすことになるかもしれないのに、圧倒的なアメリカに抗して<戦友>を庇おうとしているオマル師はいさぎよい。昔の武士を思わせます。人間的にも立派な人なんでしょう。だからこそ最高指導者となり得ているわけでしょうが。


アメリカ 投稿者:河本 投稿日:10月25日(木)17時09分08秒

 友達の数学者のNeilはAT and Tの研究所に居るのですが、会社命令で仕事以外の旅行はストップされているそうです。
 例えば僕が大熊さんにふと会いたくなって大阪へ行く、などということは出来ないわけです。なんという不自由さ。テロのある国のことがリアルに分かりました。


ありがとうございます^^ 投稿者:店長X 投稿日:10月24日(水)23時36分57秒

さっそく訂正してくださってありがとうございました。
リンク集確認いたしました。
これからもよろしくお願い致します^^

http://isweb31.infoseek.co.jp/novel/aikiki/index.html.htm


今思いついた 投稿者:管理人 投稿日:10月24日(水)22時33分45秒

以前、牧野信一の幻想小説を、一種見立てによる意識的(志向的)な幻視(という言葉は使いませんでしたが)と書きましたが、石川淳なんかもそうですね(例えば「焼跡のイエス」)。
日本の幻想小説というか幻想的な小説には、このパターンがおおいのではないでしょうか?
――って、たった2例で一般化するなよ>私(^^;ゞ


承前 投稿者:管理人 投稿日:10月24日(水)00時01分19秒

店長Xさん
リンク集のURLを訂正しましたので、ご確認下さい。


祝、新装開店 投稿者:管理人 投稿日:10月23日(火)23時43分27秒

店長Xさん

どうもご無沙汰でした。
店長さんの技術を駆使したホームページは、私のボロコンピュータにはいささか荷が重いようで、毎日は行けませんが、それでも時々覗いては新作を読ませてもらっていますよ(^^;。

このたびは新装開店と言うことでおめでとうございます。
ぐるぐるギャラリー拝見しました。いや驚きました。小説や俳句だけでなく、絵画の才能もおありなんですね、羨ましい限りです(^^)。私が特に気に入ったのは「嵐」です。
これからさらにコンテンツが増えそうですね、楽しみにしています!


お久しぶりです 投稿者:店長X 投稿日:10月23日(火)21時51分24秒

こんにちは

お久しぶりです。
いつも拝見させていただいているのですが、読書不足でとても書き込みできず、今回もご挨拶のみになってしって申し訳ないのですが、宴会があったそうで楽しそうですね。

当HP、新装開店いたしましたのでお知らせさせてください。

しかしもっともっと読書にはげまねば・・・秋ですしね。

http://isweb31.infoseek.co.jp/novel/aikiki/index.html.htm


名張大宴会 投稿者:管理人 投稿日:10月22日(月)22時18分46秒

大江さん

昨日は楽しかったですね(^^)。お付き合い下さり、ありがとうございました。
天王寺駅で全力疾走したのが効いたのか、今日は一日中、ふつか酔いで気分が悪かったです(^^;。運転中に突如三半規管に異常をきたしてめまいのような感じになり、これはいかんと車を止めたほどでした(汗)。たぶん檜山と同じ症状だと思います(ってことは、檜山も飲み過ぎたんではあるまいか>違う違う)。
というわけで、私はお酒に全然強くないのです。しかし大江さんは全く変わりませんねえ、お強いです。
次回もまたお付き合い下さいね、よろしくお願いします。

――というわけで、きのうは名張人外境大宴会ではるばる伊賀国まで飲みに行ってきました。
いやー、飲みも飲んだりでありました(汗)。ご参加の皆さんお疲れさまでした(^^;。

蜆川さん

>筋を追うというより、感情をたたきつけるような
よくわかります(^^)。丸山健二ってそうなんです。それがいいんですよね!

>コルトレーンのアルバムにドラム(ベースだったかも)とSAXだけのプレイがありましたが、
>それを聴いているかんじです。
おおっ、それは強烈な!
『クルセ・ママ』のB面の「ヴィジル」がそうですね(^^)。トレーンとエルヴィン・ジョーンズが白熱の一騎打ちをしてましたよね。
あと、『ヴィレッジバンガード・ライブ』のA面「チェイシン・ザ・トレーン」、しかしこれはベースも参加してましたね(最後のワンフレーズだけピアノも参加)。

『ぶっぽうそうの夜』、私も読んでみますね。


お疲れさまでした。 投稿者:大江十二階 投稿日:10月22日(月)01時38分58秒

昨日は、どうもお疲れさまでした。前回に引き続き、今回は、より一層濃い宴会で、とても楽しませて戴きました。有り難う御座います。また、今後とも宜しくお願い致します。
それにしても、皆さん、お酒に強いですねえ。レベル高いです。

http://www.interq.or.jp/mercury/syundei/


10月はたそがれの月 投稿者:蜆川 漁人 投稿日:10月22日(月)00時49分58秒

ごぶさたです。いつもページは開いているのですが、書くことがなかったもので。
久しぶりに丸山健二を読んで、圧倒されました。長編をすべて独白で綴った「ぶっぽうそうの夜」
プロットはありますが、筋を追うというより、感情をたたきつけるような、まさにフリージャズ
の小説版といったところ。コルトレーンのアルバムにドラム(ベースだったかも)とSAXだけのプレイがありましたが、それを聴いているかんじです。ちょっとしんどいところもありますが、ところどころで鋭いフレーズが飛んでくる。
やわなミステリーばかり読んでいると、こういう刺激が新鮮でした。


「魔界転生」は 投稿者:アレクすて 投稿日:10月20日(土)22時50分09秒

山田忍法帳の中では最高傑作だと思います。
(伝奇物は長ければ長い方が面白いと思っているので)
それだけです。
では失礼します。


忍法創世記 投稿者:管理人 投稿日:10月19日(金)22時19分29秒

アレクすてさん

>忍法創世記
面白そうですね(^^)。これ短編集ですか?
私自身は、「魔界転生」しか(たぶん)読んだことがないはずです。
山風読まねば、と最近気になっていたんですが、何から読めばいいのか、手を拱いていました。
短編集という選択は良いかも(^^;
お読みになったら、また感想を聞かせて下さいね。


本年度ナンバーワン作品! 投稿者:管理人 投稿日:10月19日(金)21時12分59秒

上野哲也『雨を見たかいHave you ever seen the rain?』(講談社)読了。
書き下ろしの中篇「雨を見たかい」、1999年の小説現代新人賞受賞作の短篇「海の空 空の舟」、小説現代掲載の短篇「鯉のいた日」を収録。
マイ読書本年ベスト1かも。

「海の空 空の舟」は、九州の海辺の町が舞台。その町は西日本随一といわれた造船所で成り立っていたのだが、今、その造船所は巨大な廃墟となって海岸線に沿ってうずくまり、徹錆のきつい臭いが漂ってくるばかり。
働いていた人々は余所へ出ていき、無人の社宅は荒れるがままに放置されている。主人公の中学3年生の辰雄も明日、母親と共にこの町を離れ、東京へ向かう。辰雄は教師に転校を告げても「そうか」としか言ってもらえない乱暴者。最後の新聞配達を終え、給料をもらうと、辰雄は、体の内よりわき上がってくるなんともしれない衝動に突き動かされて、町中を経巡る・・・

中上健次の初期短篇にも通ずる雄渾な作品。ほとんど神話的な高みに達した傑作。

「鯉のいた日」は、うって変わって松竹新喜劇的(?)家庭小説。仕事柄GWも最後の日である明日しか休みがない主人公、39歳の津村は終電近い電車で疲れ切って帰宅すると、家の風呂場に鯉が泳いでいる。
妻によると、息子が隣の伊藤さんに連れていってもらった釣り堀でつり上げたものだという。お父さんに見せるのだと言ってきかない息子のために、伊藤さんが交渉して持ち帰ってきたのだ。しかし飼うわけには行かない。明日の休み、そのGW唯一の家族サービスがてら、鯉を多摩川に放しに行く。

軽妙な会話ににやりとさせられつつも、同じ世代の「お父さん」のガンバる姿に思わずホロリ。

「雨を見たかい」
20年前、勝手に大学を辞めて以来、物理的にも心理的にも疎遠になった母親が、最近少しおかしい(過去と現在が判らなくなってしまう)というので、久しぶりに九州の廃鉱の町に帰ってきた茂・39歳は、母の変容におびえ町へ逃避する。町をめぐりながら、意識の流れ的に過去を甦らせる。そのようにしてやがて母親を受け入れ、自らも再起を小説にかける。

最初は(母の様子に)ギョッとするが、そういう方向へは踏み込まず、自らの再生へと話が進んでいく、非常に向日的な作風で、ぐいぐい引き込まれる。この向日性は(作者の本領だろう)通俗性と紙一重なのだが、作者は危うげもなく踏みとどまって描ききっている。それは最近の作家としては抜群の文体が下ざさえしているからでもあろう。

それにしても凄い新人が登場したものです! この人は遠からずぽんと飛び抜けてくるでしょう(そういう目には自信があるのです。奥泉光も私は芥川賞以前から注目していたのだ(^^;)。
作者は昨年は長篇『ニライカナイの空で』(講談社)で坪田譲治文学賞も受賞しているらしい。これも読まなくては。


山田風太郎の 投稿者:アレクすて 投稿日:10月19日(金)00時11分42秒

忍法創世記(山田風太郎コレクション2・出版芸術社刊)を買いました。
絶頂期の山田氏の小説だから多分面白いのでしょう。
これから読んでみる事にします。


求ム、おすすめ本 投稿者:管理人 投稿日:10月18日(木)20時28分05秒

>>言われれば言われるほど、読む気が消えていく
>はっは、その言葉に激しく共感!
むむ、これは自爆だあ。
大体、その舌の根も乾かないうちにアレクすてさんに「火星人先史」をおすすめしてるんですからね(^^;

真意はベストセラーなんか読む必要なし、と言いたかったのでした。万人が読んで面白いような話が私にとって面白いはずがないので・・。
ベストセラー読んでる暇があったら、埋もれた傑作を発掘しましょう(^^)。

そういうわけで、みなさんが発掘された面白本、どんどん私に教えて下さいね(^^)。


雨を見たかい 投稿者:管理人 投稿日:10月17日(水)20時43分07秒

柳生さん

>子ども向きというだけで、一般書同様いろんなジャンルがありますよね
でも「こども向き」ということは金科玉条なんでしょう?
「かべは知っていた」のお母さんが、他の男の人と仲良くなっていく(と共にお母さんの中でお父さんの占める部分がちいさくなっていく)描写など実に良いんですけど、小学生が読んで理解できるのでしょうかねえ(^^;とても子どものために書いているとは思えないのでありました。(^^;ゞ

>言われれば言われるほど、読む気が消えていく
はっは、その言葉に激しく共感!

アレクすてさん

>「反在士の指環」
>これぞ、SFって言う感じですね!
おっしゃるとおりですね。
デュアル版は読んでないので、どう結末がついたのか知りませんが、兎に角「いかにもSF」でしょう(^^)。
前にも言いましたが、『火星人先史』(デュアル文庫)もSFフレーバーでむせ返るような作品なので、ぜひおすすめしておきます。

現在、上野哲也『雨を見たかい(Have you ever seen the rain?)』を読み中。これは拾いもの!
オレ的ツボであります(^^)。

<BGM>ベック・ボガート&アピス/ベック・ボガート&アピス(1973)


(無題) 投稿者:アレクすて 投稿日:10月17日(水)00時14分28秒

お久しぶりです。
「反在士の指環」読了しました。
これぞ、SFって言う感じですね!
(どくしょりょうがすくないのもあるかも……。


「おとうさんがいっぱい」 だ 投稿者:柳生真加@風の翼 投稿日:10月16日(火)15時05分04秒

こんにちは。
あ、児童書のお話がでてるぅ。三田村信行とか小沢正はちょっとひねったお話が多いかな。子ども向きというだけで、一般書同様いろんなジャンルがありますよね。もちろんSFもあるんだけれど、今はなんといってもファンタジーが人気。ハリーポッターの影響でしょうねぇ。いつかは読もうと、3冊取りそろえてます。子どもたちは、「すごくおもしろいよ」と、言うんだけれど、言われれば言われるほど、読む気が消えていくのはなぜだろう…。


「おとうさんがいっぱい」 投稿者:管理人 投稿日:10月15日(月)21時53分41秒

三田村伸行『おとうさんがいっぱい』(フォア文庫)読了。
児童書というと何となく「ためにする」話だという「思い込み」があるのですが、本書はぜんぜん違ってました(^^)。
ただ純粋に(なんの倫理的要請からも自由に)奇妙なお話を作者は書きたかったのであろうし、そんなお話で子供たちを驚かせたかったのだろうということが伝わってくる作品集でした。

「ゆめであいましょう」>ミキオは毎夜同じ子供の夢を見る。その日によって赤ちゃんであったり、5歳くらいであったり、1年生だったりするのだが、同じ子供であることは間違いない。ついにある夜、ミキオはその子供と話をする。子供はなぜ、おまえは毎晩夢の中にあらわれるのかとミキオに問いつめる。これはミキオの夢なのか、それともミキオが子供に見られた夢なのか・・・

「どこへもゆけない道」>「ぼく」は駅を出てふと、なぜ同じ道を帰らなければならないのかと疑問に思う。いつもと違う道を通って帰ると、家には両親はおらず、2匹のクラゲのようなものがいた。道を変えたせいでこうなったのだろうか、と駅に戻っていつもの道を辿ると、今度は家自体が存在しない。それではと最初とも違う別の新しい道を通って帰ると、家はあり、両親もいたのだが・・・

「ぼくは五階で」>アパートの5階、501号室の家に帰っても誰もいない。両親は共働きなのだ。ナオキはつまらないので遊びに出かけようと、ドアを開けて出ると、そこはナオキの家だった。ベランダから隣家に飛び移ったつもりが、やはりそこは501号室。あげくはシーツをひものように垂らして伝い降りて下の階に降りたつもりが、なぜか501号室に戻っている。ナオキは自分の家に閉じ込められて出られなくなっている。両親が帰ってくる時間になってもどちらも帰ってこない。丁度その頃5階の501号室では・・・

「おとうさんがいっぱい」>つぎつぎお父さんが帰ってくる。ある日突然、全国的にお父さんが5,6人に増殖する。それぞれがホンモノだと主張する。政府はその家の家族に一人選ばせて、残りは連れていってしまう法律を作り実施するが、すると・・・

「かべは知っていた」>いつもの夫婦喧嘩でお母さんのののしられたお父さんが、壁の中に逃げ込んでしまう。壁の中に異空間があるのだ。それを知っているのはカズミだけ。お母さんは最初はおろおろするが、仕事も見つけ自活してやって行き始める。お父さんがいた頃より生き生きして生まれ変わったようになる。その頃アパートが取り壊しになり、お父さんのいる壁もあっけなく崩壊する。

これらの話は、眉村卓や星新一ら第1世代が好んで書いた「日常のなかの怪奇と幻想」と一体どう違うのか。全然違いませんね。書かれた時期も60年代後半のようで、第1世代と重なります。まったく同じ。

それから60年代の家族生活が描かれていて懐かしさがある。お父さんとお母さんの関係も、児童書らしくなく(と思う)建前に流れずシビアなところを活写していて面白い。そのような視点から見直すと、一種不条理小説集としても読めそうです。
大人が読んで十分楽しめます、というより、大人こそ読むべき小説集です。


おとうさんがいっぱい 投稿者:管理人 投稿日:10月15日(月)01時51分57秒

今、三田村伸行「おとうさんがいっぱい」を、IWハーパー嘗めながら読んでいます。あと一編残していますが、ヨッパラっちまってもう読めませんが、傑作です>土田さん


牧野信一(承前) 投稿者:管理人 投稿日:10月14日(日)17時39分17秒

河本さん

マキノ読んで下さったのですね(^^)。

>もう一歩でファンタジーになり得るのに、そうならずに私小説に帰ってきてしまっている
マキノという人は、現実においてはずっと不遇でありつづけた作家なんです(その点に私はカフカやブルーノ・シュルツとの近似性を感じないではいられません)。
そして彼の自然主義小説も幻想的小説も、実は根は同じで、結局<私小説>なんですね。
したがって厳密に言えば、現実とはいったん切り離された(off)ファンタジーではなく、現実と接点を持つ(on)狭義幻想小説として捉えた方が妥当かと思います。(もちろんわたし的分類です>「ヘテロ読誌」99年9月『十九世紀フランス幻想短篇集』参照)

>話の構成は、そのおかしな物語は主人公=牧野の病んだこころが現実を見誤っていたのだ、ということになっていますね
というより、むしろ作者は自覚的で、そのような不遇から目をそむける(逃避する)1手段としてこれらの幻想小説は執筆されたのではないでしょうか?
現実を見誤っているのではなく、わざとそのような世界として見ようとしているのではないでしょうか。それはダリの偏執狂的批判的方法にきわめてよく似た手法であるように思います。

初期は露悪的・自虐的に発散していたものが、中期は体力的、精神的高揚期に入ったためか、そのような自分自身を客観的に見つめる余裕が出来て、自らの境遇を彼の愛するギリシャ的世界や中世ヨーロッパに擬すことで、突然それまでにないユーモアと軽やかさを獲得し類例のない幻想小説を生み出し得たのだと思います(精神の下降期に入った後期作品は、ふたたび自然主義的作風に回帰します)。

>さらにそれは、現実と関わりのない全くの空想ではなく、とても具体的に幻想と現実の要素たちに確かな対応関係があることが分かる描き方です
まさにそのとおりで、その関係性は幻想小説としてはナイーブなといえるほど直截的で薄っぺらいと言えます。

それでもなお、私がマキノ幻想小説を好むのは、彼のもともとの気質、良家のお坊っちゃん的ともいえる非常に繊細な「やさしさ」と「含羞」、それに起因する現実生活になんの役にも立たない(からこその)ブンガク志向(岩波文庫解説で堀切直人が指摘したスキゾキッズ的「おたく」志向)がないまぜとなった一種独特の「輻射熱」を好むからに他なりません。

>どのへんが僕の作品と似ていると思われたのですか
ううーむ、河本さんの作品にも、私は上記と似通った「輻射熱」を感じたんですけど(^^;ゞ

>台詞の”「”は一字空けない
角川文庫は「一時空け」で統一されていたように思います。
また、
 「A」と言った。「B」
という書き方をする作家の場合、河本さんの方法の方が、<と言った。>で下に来てしまったとき次の行に移った「B」は一字開けしないので、読者はわかりやすいという利点がありますね。

>括弧内の文末の”。”は要らない
これも人それぞれで、牧野にかぎらず現代作家の庄司薫も「……。」を用いていますから、別に反則とか例外というものでもないように思います。


牧野信一 投稿者:河本 投稿日:10月14日(日)13時48分45秒

 かなり雑に目を通しただけなので、もう一度落ち着いて味わってみないと確かにこうなのだとは言えないのですが、つぎのような印象を持ちました。

 もう一歩でファンタジーになり得るのに、そうならずに私小説に帰ってきてしまっている。

 「ラガド大学参観記」も「ゼーロン」も、なかなか不思議な世界の描写で始まり面白くなりそうに感じるのです。「ラガド……」のほうは題名からはラファティの作品のカミロイ人の学校が思い起こされたり、音のエネルギーを貯める話はバラードの音響掃除の作品を想わせたり、とてもSFっぽくなりかけます。しかし、どちらも話の構成は、そのおかしな物語は主人公=牧野の病んだこころが現実を見誤っていたのだ、ということになっていますね。さらにそれは、現実と関わりのない全くの空想ではなく、とても具体的に幻想と現実の要素たちに確かな対応関係があることが分かる描き方です。
 何故、牧野はこんなふうに、幽霊だと想ったらそれは枯れ尾花だったという話にしてしまうのでしょうか?
 ファンタジーの書き方を教えて上げたい。意識的に身近な物事の暗喩として不思議な話を思いつく、あるいは、病んだこころが物事を間違って解釈している、そのどちらでもよいのですが、一度物語の世界が見えたなら、あとは目を凝らしてよく見ていれば、その世界の必然性に従って話は現実からは離陸して行くはずです。
 他の作品も読んでみないといけませんね。全部がこうなのではないかも知れないし。

 ところで、大熊さん、どのへんが僕の作品と似ていると思われたのですか?
 などと聞いていますが、確かに「映画館へ行こう」は牧野の書き方と同じです。ただ、スタートが同じなだけで、あのエマン星の世界はこの世界のメタファーに留まっていません。まだたくさんのエピソードが書けそうですが、もうその世界の原理に従って物語はすすむのでしょう。

 それから、ケダBBSの→さんやケダさんが、台詞の”「”は一字空けないとか、括弧内の文末の”。”は要らないとか注意して下さったのですが、……読んで貰った作品は十数年前に書いたファイルのままです。その後、こういう規則のことは知ったのですけど……、昔は僕の書き方が正しかったのですね。
 数学者としては、牧野の時代の正字法の方が、例外のない文法なので美しいと思う。
 じつは、「句読点自由使用許可」というタイトルで書こうと思っている話のアイデアがあるのですが。「絵政府マガジン」という雑誌の編集者と作家の闘いの物語です。

  


田辺聖子 投稿者:管理人 投稿日:10月14日(日)10時19分14秒

土田さん

>お聖どんアドベンチャー
実は作家たちのお遊び・楽屋オチものと、ちょっとバカにしておりまして(^^;読んでません。
土田さんの日記の感想文を読みました。へえ、そんな面白い話でしたか。意外にしっかり構築されているんですね。
この本はよく見かけますので、ぜひ読んでみますね。ありがとうございました。

>他にお勧めの作品等
少し前、私の周辺でたいへん話題になったのですが、『道頓堀の雨に別れて以来なり』中公文庫(全3巻)という、大阪の川柳作家岸本水府の評伝本は、非常に面白いらしいです(私は厚さに怖れをなして未読ですがいつか読もうと思っている本の1冊です)。

Y店長

>これは本来の編み物ではない
むむう、想像がつきません(^^;ゞ。
当地もかつては紡績で栄えた地域でして、いまだに個人経営に近いような小規模のニット屋さんがたくさん存在しますが、どこも大変そうです。中国製に押されていることもありますが、国内需要自体が冷え込んでいるようですね。
全然的はずれなレスかも(^^;ゞ

昨日は畸人郷。
往路、ナンバで『司政官』(JDC)をゲット。定価2500円を半額で。
ひと月ほど前に教えてもらっていたものですが、なかなかナンバへ出る事がなくて、もう売れてしまったかもと思いつつ探したら、まだありました。嬉しいような悲しいような。

畸人郷で「JDCってなんだ?」と叫んだら、すかさずジョン・ディクスン・カーだと言われた。ここがミステリのグループであることを再認識。ただの飲み会じゃなかったのね(<おい)。

それにしてもJDCって復刊を専門にしているのでしょうか? 定価やや割高。復刊ドットコムで点数に達したらこんなところから出るのかしらん。

この本、巻末のリストが大変しっかりしていて、満足満足。
うちの著書リストにぜひ反映させたい、といっても、資料収集で満足してしまって実地に移そうとしないのが私の私たる所以(^^;ゞ。まあ、ぼちぼち進めますわ。


みました 投稿者:Y 投稿日:10月13日(土)22時29分10秒

こんばんは。9月分読みました。

>これはジャズではない
私は「これは本来の編み物ではない」などと口走ってしまうことがあります。
ああ「SFじゃない」とだけは言うまいと思っていたのに……
編み物界に縁のない方には意味不明ですみません。こちらも構造不況業種でして。

>田辺聖子
恋愛物、好きです。オバサン化しつつあるのかも……。


今ごろですが 投稿者:土田裕之 投稿日:10月13日(土)07時52分47秒

とうにお読みだと思いますが、
田辺聖子「お聖どん・アドベンチャー」読了。

登場人物が作家なのは最初は違和感があったけど、次第になれて
最後はとても面白く読み終えました。
はっきりいって予想外に面白かったです。
読みやすいし。

眉村さんも登場しますね。

田辺聖子で他にお勧めの作品等あるでしょうか。

http://www.02.246.ne.jp/~pooh


究極の異世界幻想譚 投稿者:管理人 投稿日:10月12日(金)21時54分53秒

森敦『月山』(河出書房新社)読了。
中篇の表題作と短篇の「天沼」の二篇収録。

「月山」は、出羽三山のひとつ、月山の山ふところ、といっても盆地ではなく、山また山のひとつの天地、その注連寺という、寺男の老人が一人守るさびれ果てた寺に、夏の終わり、「下界」(という言葉はいっさい使われてないが)からやってきて、何となく居座った「わたし」が、長いひと冬を過ごします。
挟み込みの付録に小島信夫はこう書いています。

――「私」は夢の世界に入るかのように月山の中へバスに乗って行く。バスに? と人はいうかもしれない。違いますね、バスに乗って行くことこそが大切だ、と作者はいうだろう。俗世間の運び屋だからだ。

ストーリーらしいストーリーはありません。さはあれ、冬の訪れから終わりまでの間に「わたし」が見、聴き、触れる事どもの、なんと玄妙なこと!
・・・紅葉、吹雪、雪おろし、ヨイショ、ヨイショと一足ごとにかけ声をかけながら雪道を踏み固める足の不自由な寺のじさま(じいさま)、村が雪に閉ざされ始めるとやってくる行商人、セロファン菊、老人たちの好色な酒宴、悪臭を放つ無数のカメ虫、等々・・・
それらが月山のまどかな白さに照らされて、淡々と、点々と、「わたし」の前に展開するばかり。

これぞ究極の異世界幻想譚(オレ的)、神韻縹渺たる稀有の名品でした!!

併録の「天沼」も同じ世界の話。単品で読めば佳い作品と思いますが、「月山」を堪能した直後では、すっきり(私なかで)完結した話を蒸し返されるようで、やや興ざめでした(時間をおいて読めばよかったかも)。 


「人外境だより」復活 投稿者:管理人 投稿日:10月11日(木)21時56分40秒

今日も時間がありません(何となく、なくなっちゃった(^^;)。

名張人外境の掲示板「人外境だより」が復活しています。
                 ↓
    http://www.e-net.or.jp/user/stako/tayori.html

書き込みに行ってやって下さいね(^^)


ヘテロ読誌更新 投稿者:管理人 投稿日:10月10日(水)20時33分29秒

ちょっと寄り道していたので(^^;、『月山』の感想はまた明日。

「ヘテロ読誌」更新されました。→9月分
河本さん、無断引用お許しを。


「月山」 投稿者:管理人 投稿日:10月 8日(月)23時22分36秒

今、読み終えたところ。傑作!!!


「天国の切符」 投稿者:管理人 投稿日:10月 8日(月)15時53分40秒

森下一仁『天国の切符』(新潮文庫)読了。
短篇12篇を収録。
非常に個人的恣意的で強引な分け方をすると、
「天国の切符」「スコンブ」「記念品」「スターシップ・ドリーミン」「ガチャガチャゴンゴン」「森」「とぎれた未来」は、いちおう(笑)、地球の話です。
そして「森に棲むもの」「アホイ伝」「時間陥没域」「成熟」「海辺の町」は宇宙や他の星の話。

総体的には、前者の地球の話の方がわたし的には良かったです(^^)。
後者の作品は、無理にそういう設定で書いているような気がしてなりません。著者はSFに対して律儀すぎるのかも知れません。
しかし舞台は地球と隔絶した環境なのに、登場人物たちの意識思考行動は、まったく現代人そのままであるように思われます。非常に違和感がありました。

その点、「時間陥没域」はあまり違和感がない。というか、ベイリー的バカSFで実に面白かった。
思うに、この作品に登場する2人の登場人物に「センチメントな交通」が殆どなく、アイデアストーリーに徹しているからだと思われます(もっとも、ラストにそれが少し出て、わたし的にはちょっと興ざめ)。

かくのごとく著者のSFは、SFとしては過剰に「心の交流」に筆をさく作風なのですが、その「センチメンタリティ」は(当然といえば当然ですが)常に現代人のそれなのであり、SF的に言えば時間的空間的に限定されたセンチメントに他なりません。宇宙環境に置かれたかかる限定的センチメンタリティが、いかに環境によって変容していくかを書かなければ、いくらカタチがSFでも、私にはSFとして中途半端に感じてしまうのです。

ところが一方、前者の地球を舞台にした話は、そのようなSF的要請を比較的感じなくてすむせいか、変な違和感もなく実によく楽しめました(^^)。

「天国の切符」は、バミューダ海域に発見された異次元への通路の、通行許可証の発給をじっと待ち続ける人々の倦怠を描いたNW小説。
「スコンブ」は、突如地球にやってきた宇宙人が、日本の都昆布と邂逅して引き起こされる笑うしかない顛末を描いた正調ユ−モアSF。
「記念品」は、完全無欠なSFショートショート。オチた後にセンス・オブ・ワンダーがぐわーんと膨張します。お見事!
「スターシップ・ドリーミン」は、世代宇宙船かと思いきや・・・。学校の校舎か巨大な工場かと思わす船内描写が落差があってよい。
「ガチャガチャゴンゴン」、これもよくできたSS。突然静まり返った地球。その静寂感にセンス・オブ・ワンダーが炸裂!
「森」。本集では唯一の、現代の日本の話。こういう設定が本来の著者の資質ではないかと思いました。集中のベスト作品! 著者のセンチメントと作品世界が完璧に合致しました(^^)。
「とぎれた未来」は、超高齢化を迎えた近未来ディストピア。テロに巻き込まれる主人公。リーダビリティの高い近未来SF。


土田さん

ご紹介ありがとうございます。
多和田葉子は一冊も読んだことがないのでした。
「三人関係」の感想文を日記で読ませていただきました。面白そう!
いったいどんなラストが待っているのか、興味津々です(^^;。
著者の本は「犬婿入り」は見かけますが、それ以外は記憶にありませんね。うーむ、図書館で探してみます。


おもしろかった 投稿者:土田裕之 投稿日:10月 8日(月)02時44分35秒

久々に大熊さんにお勧めできそうなのがありました。

多和田葉子「三人関係」
併録の「かかとを失くして」がとても面白かったです。
前編歪んだ異様な世界なのですが、特に秀逸なのがラストです。私は笑い転げました。
お勧めいたしますので機会があればお読みになってみてください。

自分は車好きなので高斎正は大好きです。

http://www.02.246.ne.jp/~pooh


「宇宙塵INDEX」 投稿者:管理人 投稿日:10月 7日(日)21時33分00秒

森東作・編『宇宙塵INDEX』(SFファングループ資料研究会)という本を入手。
ぱらぱら見ているのですが、いや凄いです。何がって、執筆陣がすごい。

たとえば63号(1963年1月号)に眉村さんは長篇「滅びざるもの」の第1回を載せているのですが、この号には他に豊田有恒、広瀬正、小松左京、戸倉正三、田中春光、野田宏一郎(昌宏)が寄稿しています。
まさに日本SFの原点ですね。
ああ、創刊号から読んでみたいなあ。

ところで、「同人誌」という形態に、私は一方ならぬ愛着があります。いちばん最初は、高校で作ったガリ版刷りのSF同人誌でした。
できるものならまた作りたいんですが、当今は制作費が馬鹿になりませんものね。ネット同人誌って手もありますが(事実「風の翼」はオンライン化したわけですが)、全然違うんですな。紙媒体でなきゃ同人誌じゃない(^^)。
うむ。高校時代に立ち返って手作りするか。って暇がなあ、、、

『宇宙塵INDEX』の眉村データは、おいおい拙リストに付加していく予定です。乞うご期待。


ハチャハチャ青春期 投稿者:管理人 投稿日:10月 6日(土)20時41分18秒

横田順彌『横田順彌(ヨコジュン)のハチャハチャ青春記』(東京書籍)読了。
めっちゃ面白い(^^)。ヨコジュン、あいかわらず達意(笑)の文章で懐かしい(^^;。。
著者の高校時代からSF作家として一本立ちするまでの回想記で、SF交友録の部分は全体の3分の1くらい。あとは大学落研仲間とのまさにハチャメチャの限りを尽くした青春謳歌(?)の記録です。
バンカラと言うのとはちょっと違うけれど、私自身の学生生活と比較して、ずっとマンボウ的学生生活(つまり旧制高校的なそれ)により近しいものがあるように感じました。
著者は、私より10歳歳上なだけなんだけど、我々の大学生活とは全然違う印象ですね。それはおそらく60年代の青春と70年代の青春の相違なのだろうと思われます。「万博」以前と以後――ここで大きなパラダイム変換があったのかも知れません。


がんばれ!! 投稿者:管理人 投稿日:10月 5日(金)20時37分51秒

Y店長

トラブルって、なぜか「つづく」んですよね。「たまたま」なんでしょうけど、一回きりの人生、サイコロの目のように「果てしなく振りつづけたら確率に収まる」、なんて悠長なこといってられませんよね(^^;。だからといってラッキーはつづかないのが不思議。
<BGM>ケセラセラ/メリー・ホプキン

9月の読書月記拝読。

>「乗り物と人」の関係について考えてしまう今日この頃。
ふむ。高斎正のカーSFなんか、どうですか?
私自身はボンネットも開けたことがない(開け方も知らない(^^;)メカ音痴のドライバーなので、『ホンダが試合に復帰する時』などの代表的長篇は今まで敬して遠ざけてきた者ですが、空の豪華ホテルともいうべき(未だ実現しない空想の)巨大旅客飛行船に材を取った『虚空の戦慄』はなかなか楽しめましたが。(続編の『恋は飛行船に乗って』は未読)

『オルガニスト』
ここ10年来、いや、20年来の日本SFとして、ずば抜けた傑作でしたね!
この「楽器化的身体改変物語」は、世に溢れるロボコップ的な「戦闘化的身体改変物語」への究極のアンチテーゼであり、ある意味クラークをも凌駕するヒューマニズム的傑作でした。
文庫化を機会に、どんどん読まれて欲しいですね(^^)。



お久しぶりです 投稿者:Y 投稿日:10月 4日(木)22時50分04秒

何だか仕事でトラブル続きでこれからも続きそうな予感がしている今日この頃ですが、
こういうとき「司政官はもっと大変なんだ」とか思って自分を励ましてます(^^;)

音楽に詳しい方がうらやましいです。音楽小説って結構あるんだけど分からないので。
「オルガニスト」文庫でてましたね。


今月のショートショート 投稿者:管理人 投稿日:10月 3日(水)21時26分57秒

月刊センター連載「眉村卓ショートショート」コーナーが更新されています。
今月は「影響される人」。タイトルどおり、影響される人の話です(^^;。
どうぞメニューページに戻って、右上の「ボタン」をクリックして跳んで下さい(>せっかく「ボタン」を設置したんだから利用してネ(^^;ゞ)。

今日の収穫
金井美恵子『夜になっても遊びつづけろ』(講談社文庫)初期エッセイ集
高橋たか子『彼方の水音』(講談社文庫)第1短編集

<BGM>アフリカ組曲/アブドゥーラ・イブラハム(ダラー・ブランド)1998(><)


志ん朝逝く 投稿者:管理人 投稿日:10月 2日(火)22時23分05秒

yagyuさん
神戸新聞届きました。ありがとうございました。
加賀乙彦さんの「少しもサボらず実行する眉村さん」という言葉は、「SFランドの貨物列車」という石川喬司さんの言葉と重なりますね。

「神戸ジャズストリート」の記事も送っていただきました。神戸市って本当にイメージ戦略が上手ですね(^^;。
それに比べて、大阪は御堂筋パレードやからね(トホホ)。
常々思っていることですが、神戸がジャズなら、大阪にはブルースがあるじゃないですか。
文化行政も伝統や歴史に寄りかかってばかりではなく、ひとつ日本のメンフィス<大阪>みたいなイメージ戦略を、立てて欲しいぞ>大阪市

>古今亭志ん朝さん
江戸落語では一番興味が持てた落語家さんでした。
志ん朝を見れば江戸が見える、といわれるほど、古典落語に境地を開かれました。
枝雀さんにつづいて惜しい人を失いました。残念。
合掌――


「スプラッタ・ラブ」 投稿者:管理人 投稿日:10月 1日(月)20時38分55秒

高井信『スプラッタ・ラブ』(ケイブンシャ文庫)読了。
短編8編を収録。
エロチックSF集と銘打たれています。表紙絵もそれ風で、それ風なのを期待して読むと、しかし肩すかしを喰わされます(^^)。
こういう誤解を招く表示はいけません(^^; 
たしかに下ネタ(?)の作品が集められていますが、全然エロチックではありません! むしろおぞましくもおかしくケッタイで、そう、シュールレアリスティックなんです。(本集では、男性性器をジュニア、とかペニスと表現しているが、ここではPで代用する。以下あまりに頻出する故に(^^;)

「進行性ボカシ症候群」>なぜかポルノ映画のボカシのようなソフトフォーカスが現実の人間の局部を覆ってしまう。それが次に(より技術の高い)モザイクになり(つまり症状が進行し)、つづいて白ヌキになる。やがてそれは転移し――主人公が部屋の窓から見下ろすと、地上を埋め尽くす無数の通行人は、一人の例外もなく・・・
その絵柄を思い浮かべてほしい。馬鹿馬鹿しくも壮大にして、シュールな感動に包まれることでありましょう(ホントか(^^;)。

「日替り息子」>本集のベスト作品。
ある朝目覚めると、小指とPが機能が入れ換わっている。小指は勃起し、Pには関節ができボキボキ折れ曲がることができる。
その事態は進行し、Pと鼻が入れ替わったり(大便の時非常に臭い)、口と入れ替わったり(その日は水しか摂取することができない、もちろんPから吸うのだ)と、毎朝Pが何かと入れ替わる。この描写が実にシュール。Pと目が入れ替わった状態なんて、あなたはこれ想像できますか(^^;。やがてPは「体全体」と入れ替わるのだが、これが圧巻。つまりPが体全体で、体全体がPになっちゃう。想像できますか(^^;。これをシュールレアリスムと言わずして何と言おう。本篇はオールディスの秀作にも引けを取らない、まさに「想像できないものを想像する」というSFのなかのSFである。

「コタツの異常な愛」>冬場のコタツは貧乏学生にとってなくてはならない、ないことは想像すらできない、まさに恋人にも等しい存在である。そんな主人公の貧乏下宿生のこたつを愛おしむ気持ちに、コタツが応えてくれる――ばかりか、コタツは主人公の肉体を要求するのである。とんでもない話だ!

「呪われた血」>血液型B型の主人公は、5人に一人の確率で、その瞬間Pに斥力が働き挿入できないことに気づく。そしてそれが同じB型の女性の場合であることに気づく(この解明の過程が面白い)。その事態を避けるために男が考えついた方法は・・・。ストンと落ちた。

「よけいなお世話」>ひょんなことで悪魔と契約してしまった男の話。願い事は、まずとびきりの美女と「いたす」こと。次に金、と考えていたら、契約はとびきりの美女が3人となっていた。いくら美女とはいえ、たった3回で魂を取られてしまうのでは、と男は何とか「いたさない」ようあれこれ抵抗するが――親切(?)な悪魔は・・・(^^;ゞ

「スプラッタ・ラブ」
女はあの瞬間、プツンと意識がなくなり、無意識に異常な力で相手の男をねじ切ってしまう能力?の持ち主だった。ダジャレオチ。これはもうひとひねり欲しかったかも。

「放蕩息子」
「続・放蕩息子」
連作。ある日、男のPが意識を持ち、男から独立して行動し始める。勃起が収まると帰ってくるのだ。やがてペニスは仲間(?)を覚醒させ、100本のペニスが男のからだ至る所に・・・。非常にシュールな絵だが、おぞましい!

というわけで、本書を一言で言うなら、「シュールレアリスティック下ネタ不条理小説」といえるのではないでしょうか? 


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