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ヘリコニア談話室ログ(2001年12月)


クール・ストラッティン 投稿者:臼田惣介 投稿日:12月31日(月)15時51分20秒

ウーン、懐かしい。
会社から帰って、自転車で上新庄の「ブルー・シティ」へ毎晩のように通っては、酒飲んで、
リクエストして聞いていたことを思い出しました。
社会人に成り立ての頃、かろうじて自分を取り戻せる時間でしたね。
最近は、プログレかロック、フォーク、たまにはクラシックで、ジャズはあんまり聞かなく
なりました。プレーヤーが使えなくなったこともありますが。
それにしても、ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」は名曲、特別な思い入れがあり
ます。
というわけで、来年もよろしく。


お願い 投稿者:土田裕之 投稿日:12月31日(月)01時05分46秒

大熊さん
「昔、火星があった場所」、まだお買いでなければ他のと一緒に送りますので、
買わないでください。ダブり本で不要なのです。

中年読者(と自分でいうのはちょっと哀しいけど)としてはどういったらいいだろう。
例として具体的にあげられた装丁の話はとてもよくわかります。
昔も松本零ニや石森章太郎が、ノースウェストスミスやデューンの表紙を書いていました
が、多くはもっと大人っぽいものでした。
(漫画家の方の表紙が必ずしも子供っぽいという意味ではありません)
具体的な数字を調査したわけではありませんが、
最近のSF文庫は、ヤングアダルト小説と見分けがつかないものが増えたような気がします。
ミステリーや冒険小説ではそんなことはあまり無いのはやはりSFのターゲットとする
年齢層が、他とは異なると言うことでしょうか。
(たとえば同じ早川でもNVやミステリ文庫はある種のSF文庫のような表紙はほとんどないことがあげられる)
それならばミステリや冒険小説より読者層が低いため、マーケティング的に一番購入しそ
うな読者層に対してアピールをしそうだと、編集部の判断した雰囲気の表紙にしている
ということかもしれません。

でもそれでは中年の読者は増えない、衰退する一方である
というのが大熊さんのおっしゃる意味かと思います。

どうにも悪循環ですね。

活路は・・うーん、難しい。

ちなみにイアン・M・バンクスの角川文庫の表紙はちょっと、と言う感じでした。
スペースオペラなのだけど、かなり注目している作家でしたので違和感が残りました。
(まだ読んでませんが、作家のイメージとは違うと言うことで)

ということで表紙だけの話に終始してしまいました。失礼しました。


中年SF読者救済計画(^^;ゞ 投稿者:大熊宏俊 投稿日:12月30日(日)22時55分42秒

ここなどを見ますと、北野勇作ってホントに難解そうですね(^^;。こりゃ、来年の課題だな。

ところで来年は、中年SF読みとしての私と、SF出版の現在との距離について考えみたい。
heterodoxieを掲げる私ですが、同世代のSF読みとしては実に平均的というかオーソドックスな読み手であると言うのが偽らざる自己認識です。

そのような位置づけとしての私から見て、現在のSF出版のありようは実際のところ不満だらけです。
ということは同世代のSF読みたち(SF大会に参加したりする中年SFファンにあらず)も多かれ少なかれ現在の出版状況に不満を抱いているということになる筈です。

つまり中年SF読者は、SF出版の現状から疎外されている、と規定できるのではないか。大袈裟にいえば、SF出版の現在に中年SF読者が差別されているといえるのではないでしょうか。

眉村先生が文春のエッセイで指摘された、「二つのこぶ」は、当然ながらSFにも当てはまるわけですが、しかしながらSF出版サイドの視野は「前のこぶ」しかカバーできていない(していない)のは明らかです。
(具体的な話、ティプトリー「たったひとつの冴えたやり方」の表紙は(表紙から読みとれる読者設定は)、私の購入意欲を阻害し、数年間買うのをためらわせました。おそらく私より「薄い」SF読者は簡単に買うことを放棄するでしょう)

平均的中年SF読みとしての私の体験構造(不満)を分析・整理し提出することによって、SF供給者の現状(前のこぶ至上主義)が、いかに一般中年SF読者の購読機会を奪っているか、を明らかにできるかも知れません。有り体に言えば、いかに供給サイドが自分で自分の首を絞めているか(潜在読者の後ろ半分を切り捨てているか)を明らかにできるのではないでしょうか。

どこまでできるか判りませんが、これだけ風呂敷を広げておけば、いかに私が飽き性でも、少しは手をつけるでしょう(^^;ゞ。まあ、ボチボチやりますわ。乞うご期待!ということで。

<BGM>クール・ストラッティン/ソニー・クラーク


『翔ぶ影』(下) 投稿者:管理人 投稿日:12月30日(日)15時21分21秒

(承前)
「春の往復」
うって変わって、さわやかな(とまでは言えないが)少年小説。200枚ほどの中篇だが、それまでの作品とは方法論も異なる、仕掛けのない素直な筆致で書かれているので、流れるように読める。
自伝的要素が多いのではないだろうか、戦後(昭和28年頃か)、大阪本町辺の繊維問屋の高校生の〈ぼく〉は、友人の弓積と、春休み、自転車で白浜へ向かって無銭旅行を敢行する。その間に〈ぼく〉の過去の体験(戦争中から戦後すぐ頃)が挿入される。

個人的に、私の住んでいる地域が舞台なので、昭和20年代後半の(現在からは想像できない貧しさも含めて)ミナミや大阪南部から和歌山の描写が興味深く、面白かった。

ただし、
「おれたち、これからずっとこうして友達で居ような」/「うん」/お互いの声は隧道の暗闇で見えない湿っぽい壁にはねかえって、不安定にふるえながら谺した。(102頁)
は書きすぎ。全く不要な文である。せっかくの雰囲気をぶちこわしてまでも、作者は説明したくて仕方がなくなるようだ。
これは蓋し作者が「いらち」な大阪人であるからかも知れない、とふと思った。佳作であることは間違いない。

「駅まで」
一幕ものの劇のような掌篇。
桑野は病気で昼から出勤するようになり、いままで忙しさに取り紛れていた小二の息子が気になりだす。ふたりだけで会話したいという思いが差し迫ってくる。今日も昼過ぎに家を出た桑野は、学校から帰宅する息子と途中で出会うのではないか、と思いつつ歩いている。

子供を持つ父親として、非常に身につまされ、共感する話である。最後の、改札口で振り返った桑野の目に、息子の(桑野にそっくりになってきたと妻がなじるように言った)後ろ姿が映る場面はすばらしい。

全体に質の高い作品集であるが、部分部分に、作者の「書きすぎ」が私には認められ、気になって仕方がなかった。それはこの作者が持つ「小賢しさ」であって、それは(小松作品にも看取できるものであるから)大阪的「いらち」に由来するものかも知れない。
「書きすぎ」はSFなら許せる(逆に必要である)ものかも知れないが、説明より描写が優先さるべき普通小説ではもっと「押さえ」を効かせなければならないのではないだろうか。そういう意味で、著者は、熱くなって書いた部分を、もう一回冷静に取捨選択する作業が必要だったのではないか。そう惜しまれてならない。


『翔ぶ影』(上) 投稿者:管理人 投稿日:12月30日(日)15時20分04秒

森内俊雄『翔ぶ影』(角川書店)読了。
第1回泉鏡花賞を『産霊山秘録』(半村良)と分け合ったのが納得できる、すぐれた作品集です。幻想的作風のものから普通の純文学、純文学の枠からはみ出した作品まで、バラエティにとんだ品揃えで、それぞれ愉しませてくれました。以下、読んだ順に感想。

「翔ぶ影」
これは純文学ではない!!
パッと重なったのは、矢作俊彦の最初期作品群。「マイク・ハマーへ伝言」や「神様のピンチヒッター」 は、日活無国籍映画(もちろん私もリアルタイムでは見ているわけではない。たまにテレビで放映されるのを子供の頃何となく見ていた程度)を小説で復活させようとしたものということであるが、本篇もまさにそんな話。

主人公小胎が付き合っていた女子大生が実はヤクザの親分の娘で、付き合っていることがばれ(父親は自分の手で娘を女にしようと思っていたのだ)、小胎は娘の父親が放った追っ手に、左手をフォークで串刺しにされる。小胎と娘は東北本線で青森へ逃げるが、追っ手も同じ電車に乗っている。宿で、ラリった主人公は眠っている娘に書き置きを残し、宿の外に停めた車で見張っている追っ手のほうへ、自ら近づいていく・・。

まさに出来損ないのB級映画(ATG系?)というか、クサい劇画の世界である(^^)パッと見は。
しかしそれからつむぎ出される頽廃的で濃密なムードはどうだ!!
私自身は読んだことがないが、こういうのをノワール小説というのだろうか。いいねえ(^^)。

「架空索道」
入江に下りると、漁師たちが集まっている。一人の漁師が〈私〉に、一緒に小舟に乗ってもらえないか、〈あれ〉を確かめてもらえないか、という。〈私〉は了承し、小舟に乗る。――海底には、親指だけで舟の3倍はある巨大な〈左手〉が断末魔の爪を立てているのだった・・

男は喀血し、病院につれて行かれ、即入院させられる。病室で様々な幻覚を見る。不思議なのは、幻覚の筈の、座っている男の足に、幻覚ではない配膳係のおばさんが躓き、ごめんなさいとあやまったこと。おばさんが出ていき、振り返ると、男はいない。

〈私〉が視る幻覚や悪夢のイメージが素晴らしい。ただし、
<人を、妻を、私の神を呼び求めたことが一度だってあるだろうか。求めることを知らない人間に、あの苦悶する〈大いなる手〉の意味が理解できようはずがない。云々>(268頁)
は、書きすぎ。そういう自己解説は不要であった。

「暗い廊下」
〈私〉は女(不倫か)と別れ、しかし女は身籠もっていた。女は3年間無言電話をかけ続け、常態ではなくなり、子を姉夫婦に預け、療養所に入所する。その療養所の所長から、「患者は安定していて〈私〉に面会を求めている、よかったら望みを叶えてやってはどうか」という文面の封書が届く。そして女の「子供の写真をとって持ってきて欲しい」と、あまりにも整いすぎていて逆に常態でないことがわかる文字で綴られた短い紙片が同封されている。
男はとりあえず子供の写真をとるが、間際まで行くかどうか迷い続ける。そして意を決して電車に乗るが・・

「盲亀」
〈岬〉はヌマさんを待っていた。なぜなら会社でヌマさんが「合図」をよこしたから。岬は理由を作って早退し、アパートでヌマさんがやってくるのを待ち続ける。

ヌマさんという人物が会社にいるのは事実だが、岬と関係が本当にあるのかはわからない。管理人のおばさんが言うように、「ヌマさんはいない、ヌマさんはどこにもいない」のかもしれない。
実験小説風だが、言葉だけが先走った作品のように思える。著者の「小賢しさ」が鼻につく。
(つづく)


北野勇作は 投稿者:管理人 投稿日:12月29日(土)20時09分36秒

土田さん

最近、とても気になっている作家なんです。
感想文拝読しました。
F派の人かと思ってましたが、ちょっと違うんですね。河本さん向きかな(^^)。

大阪在住らしく、たまにローカルのラジオ番組に出演されたりしています。なんか劇団をやったり、バンド(トランペットだったっけ)をやったりされているようですよ。

>小松左京の衣鉢を継ぐ
ふむ、ますます読みたくなりました。
「かめくん」を読むつもりでしたが、順番に読んだ方がよいのだろうか?

>「新化」
ハルキ文庫ですね、探してみます。新刊書店にありそうですね。

>SFM
何なんだこの値段は!(怒)。読むところほとんどないのに…
コストパフォーマンス(?)悪すぎ。それでも今まで買い続けている人は泣く泣く買っているんでしょうね。私は捨てちゃったから、買わなくてもぜーんぜん困らないもんね(^^;ゞ

これじゃ、ムーの方がよっぽど読みでがあるぞ、とムーを手に取りましたが、それもなんだかなあ。
結局、表紙の猪木に惹かれてナンバー510円也を買ってしまいました(^^;。

――高野さんのは連作だし、まとめて単行本で読むことにしますm(__)m。


遅ればせながら 投稿者:土田裕之 投稿日:12月29日(土)18時11分38秒

北野勇作の「昔、火星のあった場所」を読みました。
ファンタジーノベルズ大賞優秀賞の小説ですが、
ファンタジーではなく完全なSF。
量子力学が肝になっていてちょっと難しかったけど。
感覚的なものですが、小松左京の衣鉢を継ぐといった感じがしました。
著者は大学時代は応用物理専攻で落語研究会所属していたという大阪の人で、
経歴納得の作風。

「新化」はハルキ文庫で別短編集の作品と再編集改稿されて収録されてます。

http://www.02.246.ne.jp/~pooh


「綺麗な子」 投稿者:管理人 投稿日:12月28日(金)22時16分33秒

河本さん

>この作品に描かれているような感性の人間をよく見掛けるようになったといっても、
>それはまだ少ないのではないでしょうか?

>小林さんが描いて見せなくても、そんな感性はおかしいに決まっています。

おっしゃるとおりですね。でも小林さんはここで「事実」そのものを描いてるんじゃなく、「事実」からエクストラポレーションした「延伸事象」つまりカリカチュアされたものを描いているのです。
もちろん、ここまで極端な人は少ない、というか現実には存在しないでしょうね。

私は小さい頃昆虫が大好きでしたが、私の子供たちは昆虫を触れません。これは教育の問題であるより、環境的な問題です。マンション住まいでは原則ペットを飼えませんから、マンションで育った人はペットに関して作中の女性に近い感性を持つのではないでしょうか?

その感性を増幅したのが他ならぬ作中の女性でありましょう。
つまり筒井康隆が初期にやっていた「疑似イベント」ものと同じ手法ですね。

女性の感性が「おかしいに決まって」いるのはその通りですが、実は作者が「おかしく見えるように」増幅してくれたから、読者に「明らかに」見えているんだと私は思います。

>この「男」は要らないように思えます
男は「原点」を代表しています。だから作品として必要不可欠な存在です。
原点が定まらなければ女性がどれだけ原点から距離があるのか判らない。作者は巧妙にも、女性の感性と男性の考えを交代交代に配置していますね。読者はこの「仕掛け」によって、女性(が代表する世界)の「異常さ」(正常、異常というのは便宜的な区分です)を我々に際立たせて認識させてくれます。

>「女性の勝手な言い分」
じゃなくて、「これからありうるかも知れないひとつの未来」を描いているのではないでしょうか?しかし「断罪」するというような筆致ではありませんね。このあたりが小林さんの賢いところです(^^)。

>飛鳥昭雄
いやあ、河本さんもお好きですか(^^;ゞ
なんで、あんなヒステリックな書き方をするんでしょうね、架空論理として遊び心で書いた方がずっと面白いと思うんですが。

>あなたはSFファンじゃあな〜い。(^^;)
SFMファンじゃな〜い。(^^;)


彼はムー民です 投稿者:河本 投稿日:12月28日(金)19時58分32秒

 大熊さん
 >「綺麗な子」
 いまの時代、この作品に描かれているような感性の人間をよく見掛けるようになったといっても、それはまだ少ないのではないでしょうか?多くの人々はまともな考え方をしていて、作品中の女性の考え方はおかしいと思うのが普通でしょう。だから、小林さんが描いて見せなくても、そんな感性はおかしいに決まっています。
 「退いた視点からの描写によって、何気ない日常の異常さに気づかされる」ということではないと思います。普通の人々の感性と作家のそれとは一致していて、それ故「SF作家は常識をもっている」のではないですか?

 遠い異世界から見ているのではなく、「常識」に立っているのではたしかに第4段階ではありませんね。

 ぼくが2段階=メタファーではないかと言ったのは、これは「男と女」の会話なのかなと感じたからです。大熊さんの言うとおりの話だとしたら、この「男」は要らないように思えます。「現代人のリアルな感覚の喪失」でなくて、「女性の勝手な言い分」を描いたのかな?

 水戸宗衛氏の作品覚えています。あの頃、誰のペンネームかなあ、と思っていたのですが、筒井さんではないかと推測していました。彼の作風と似てると思ったのです。

 >SFM読み返したくなっちゃいました。けど、全部捨てちゃったのだよ、トホホ。 
 大熊さん、あなたはSFファンじゃあな〜い。(^^;)

 僕も飛鳥昭雄のファンです。先月の「ムー」の付録のコミックは「木星には固体の地殻がある」という説についてでした。あの大きさで固体だとしたら、密度のかなり小さいことを説明するには、月の場合と同じように中空になっているとでもしないといけない。NASAが写したという木星の地面の写真も載っていました。
 彼はたしか太陽にも地面があって、さほど熱くないという説についても語っています。(^^;) >まいったか


水戸宗衛 投稿者:管理人 投稿日:12月26日(水)20時51分48秒

アレクすてさん

>アクナル・バサックの宝
おお、懐かしい!
この作品はSFMに、水戸宗衛名義で発表されたんですね。
水戸宗衛は、もちろん「ミットモネエ」(^^;ゞ

今、ここで確認してみました。→http://homepage2.nifty.com/te2/m/sfm1973.htm#m00168

SFM1973年1月号(168号)所収だったのですね。
掲載タイトルを写しましょう。

田中光二のデビュー作「幻覚の地平線」(後篇)
石森章太郎+平井和正「新・幻魔大戦」
手塚治虫「鳥人体系」
今日泊亜蘭「縹渺譚」
水戸宗衛「アクナル・バサックの宝」
オールディス「やわらかな窮地」
アンダースン「光」

うわあ、錚々たる執筆陣ですな。
ついでに翌月の1973年2月号は恒例の日本人作家特集です。作家名だけ挙げます。

小松左京/眉村卓/星新一/豊田有恒/山野浩一/荒巻義雄/河野典生/石森章太郎+平井和正/筒井康隆/石川喬司/福島正実/光瀬龍/石原藤夫/高斎正/平井和正/そしてイラストはソコロフ

ため息がでそうなラインナップです。
1970年代がSFの時代といわれるのも頷けますよね。

アクナル・バサックも、このSFMで読んでる筈なんですが、全然覚えてませんねえ(^^;
SFM読み返したくなっちゃいました。けど、全部捨てちゃったのだよ、トホホ。


半村良の… 投稿者:アレクすて 投稿日:12月25日(火)22時37分33秒

管理人様、皆様、今晩は。
うわ〜すごいですね、銀行って。
で、話は変わるのですが(ごめんなさい)、私は、今日ブックオフで半村良のアクナル・バサックの宝(講談社文庫)というのを買って読んでいました。
半村良にしては、軽量級の作品ですが、この作者の、無国籍SFというのが珍しく、
ツルツルと読んでしまいました。そういえば、半村良は伝奇作家といわれてますが、彼の仮設の立て方は、大胆で面白いですね。(彼の仮説は、何か、文章の上手さで無理矢理言いくるめられてるようなところがある気がします。)変な文章になりましたが、伝奇小説が話題になっていたようですので、私も一言いってみたかったんです(すみません)。


銀行罵倒 投稿者:管理人 投稿日:12月25日(火)21時35分00秒

年賀状も投函して、今年もそろそろ店じまいモード(^^)。

ヴァーチャル生活は楽しかったけど、リアル生活的には今年も引き続き良いことはなかったのでした(T_T)。
来年こそは好い年になって欲しいですが、まだまだ下降スパイラルは留まりそうにないですな(^^;。

それにしても、ここに来て銀行の貸し渋りが一段と露骨になってきたようです。私どもの顧客でも、銀行が貸してくれない、という愚痴は2人や3人ではききません。貸さないなら定期を解約して使いたいというと、それも待ってくれと言うらしい。そんなアホな! 何を考えてるんや銀行!

どうも預金残高というか資金量を高位に確保しておかなければならないらしいですね>銀行。
日銀の緩和もホンネは銀行支援にあるようで、銀行から先へは回っていかないようです。
確かに銀行が倒れては我々も困りますが、銀行はもっと自助努力するべきではないのか?

私が以前サラリーマンしていた会社も、昨今調子が悪く、ついに社長はメインバンクから来た人が就任したそうです。
それはいいのですが、その人は銀行を辞めて退職金をもらってやってきたわけですが、その退職金というのが、社長に就任した会社(つまり私が元いた会社)の定年退職時の退職金とは桁がひとつ違うらしい!

銀行は現在どこもいいところはないはず、それでこんな退職金どうして出せるのか、私は不思議でなりません。
その辺のリストラに手をつけず、公的資金はもらうが貸し渋りはするでは話になりませんがな、いやホンマ。

私の友人Mクンは大手銀行の支店長をしているのですが、支店長にはハイヤーのキップが支給されるのだそうです。ウソみたいですがホントの話。
もっともMクンは、そんなもの使ってはいかんのやと支店長になって以来、一度も使ってないらしい。
しかし使わないと来期のキップの予算が取れないので、次期支店長に恨まれるのです。それを承知で(摩擦を覚悟の上で)キップに手をつけないMクンはエライ(^^)。

エライけどそういう制度がいまだに残っている銀行というのは、一体なに様なんでしょう。現代の企業とは思われない旧態依然とした組織ではありますね。公務員や官僚と同じ穴のむじなですな。
いい加減にしろ、銀行!!

いや、今日は顧客先で銀行罵倒モードで大いに盛り上がりまして(^^;、その余韻醒めやらぬままに書き込んだため、いつもとはかなり違う文章になってしまいました。
(私だって、いつもフワフワ浮き世離れしているわけじゃあないので・・たまにはリアルな話もできるのだよ(^^;ゞ)

さ、今からビデオの「シベリヤ物語」見よっと(笑)


レス洩れてました。 投稿者:管理人 投稿日:12月24日(月)15時46分07秒

Y店長
すみません。

>海遊館、夕方行ったので周りはほとんど見られませんでした
それは残念。あの辺は「庭」みたいなもんです(^^;。

「日課」>ショートショートでもエッセイでもない、「日課」としか言いようがない形式が、眉村さんの中で完成しつつあるような気がします。

土田さん

>我田引水的なジャンル分けに
すいませんね、引っ張り込んじゃって(^^;ゞ。

>ネタをいかに本当っぽく見せるかが伝奇作家の腕の見せ所ですね
「ウソ」をいかに本当っぽく見せてくれるか、てことですね。
「ウソ」を真実だ、と言ってしまってはおしまいですね(^^;。

私の場合、せめて(たとえば)「ノンフィクション・フィクション」などと銘打たれていれば(そのようにジャンル区分されていれば)案外いちいちツッコミも入れずに楽しめたろうとは思います。
でも、2世紀前後、九州を北端として南へ伸びた日本列島上(しかも高速度で地面が動いている)で繰り広げられる権謀術数、絶世の美女と勇者の物語のほうがもっと読みたい(^^)
芦辺拓「地底獣国の殺人」は、まさにトンデモ世界を設定に取り込んだ最良の例ですよね。

空想科学的な論文、てのは勿論わたし的にもオッケーです。そういう形式でなければ表現できない面白さってあると思います。レムの架空書評なんかもそうかも、未読ですが。

年賀状を書きました(というかプリントアウトした)。しかもものすごい手抜き(^^;。あとテキトーに一言入れておしまい。


申し訳ありません 投稿者:土田裕之 投稿日:12月24日(月)00時50分15秒

すみません。二重投稿になってしまったようです。


難しい。 投稿者:土田裕之 投稿日:12月24日(月)00時05分42秒

飛鳥昭雄といえばトンデモ本をたくさん書いている人ですね。
あの手の本はあまり読んだことがありませんが、
ある種の伝奇小説というと、それを小説で書いたものというイメージがあります。
いずれにせよネタをいかに本当っぽく見せるかが伝奇作家の腕の見せ所ですね。

頭が悪くてあまり深くものごとを考えませんので、うまく表現できませんが、
「新化」は作者が故意にフィクションとしてのリアリティを持たせる意味もあって
あの形式で書いたものかと思います。
形式としてノンフィクションのトンデモ本などを読む場合と比較した場合、
小説(フィクション)としてしまうと読み手がまずはフィクションとして
見てしまって、本当らしさが減殺されてしまう。
かといって今回のは生物学的な奇想であって
伝奇小説のようなダイナミックなストーリー展開をするわけにもいかない。
それであえてあのような形式を選んだのかもしれないと思います。
無論SFというのは懐がひろいジャンルと考えていますので
これをSFとすることには何の異論もありません。
というか小説としてのジャンルを分けるのなら奇想小説、SF、実験小説でしょう。
そういう意味では、このネタを発表する際にこの形式を選んだのは、
選んだという時点で小説(フィクション)になったのかもしれません。

なおジャンルに関しての発言は個人的な好みとして我田引水的なジャンル分けに
興味が無いだけなのでした(笑)

*トンデモ本という表現を楽なのであえて恣意的に用いています。


難しい。 投稿者:土田裕之 投稿日:12月23日(日)23時23分05秒

飛鳥昭雄といえばトンデモ本をたくさん書いている人ですね。
あの手の本はあまり読んだことがありませんが、
ある種の伝奇小説というと、それを小説で書いたものというイメージがあります。
いずれにせよネタをいかに本当っぽく見せるかが伝奇作家の腕の見せ所ですね。

頭が悪くてあまり深くものごとを考えませんので、うまく表現できませんが、
「新化」は作者が故意にフィクションとしてのリアリティを持たせる意味もあって
あの形式で書いたものかと思います。
形式としてノンフィクションのトンデモ本などを読む場合と比較した場合、
小説(フィクション)としてしまうと読み手がまずはフィクションとして
見てしまって、本当らしさが減殺されてしまう。
かといって今回のは生物学的な奇想であって
伝奇小説のようなダイナミックなストーリー展開をするわけにもいかない。
それであえてあのような形式を選んだのかもしれないと思います。
無論SFというのは懐がひろいジャンルと考えていますので
これをSFとすることには何の異論もありません。
というか小説としてのジャンルを分けるのなら奇想小説、SF、実験小説でしょう。
そういう意味では、このネタを発表する際にこの形式を選んだのは、
選んだという時点で小説(フィクション)になったのかもしれません。

なおジャンルに関しての発言は個人的な好みとして我田引水的なジャンル分けに
興味が無いだけなのでした(笑)

*トンデモ本という表現を楽なのであえて恣意的に用いています。


『玩具館』の 投稿者:管理人 投稿日:12月23日(日)16時32分20秒

河本さん

「フォア・フォースの素数」読みました。
よかった(^^)。わたし的には「少年小説」でした。

>どのあたりがホラーなのか
これは数学が開示するユートピアが、その(幻想の)完成の直前にカイくんの双子の姉妹エルのひとことによってあえなく崩壊する物語ですね。その崩壊をエルがもたらすのは最初から予定されている。エルは(カイもその内側に含まれる)ボクの数字のユートピアに対して「外者」であり、「外者」が「私」(を含むシステム)に攻撃を加える(侵犯する)という形式は、まさにホラーの公式ですね。

と、一応言えますが・・全然恐くはないですよね(^^;。超自然も介在しませんし。
高野さんがどういうニュアンスで、「この作品はホラーです」といったのか、ケダ板のやり取りを読んでないので、私には判断できませんが、思うに、「怪奇と幻想」(KGU)的ニュアンスを「ホラー」というタームで表現したのではないかと推測します。だとしたらその通りだと思います(^^)。


事実? 投稿者:管理人 投稿日:12月23日(日)14時47分33秒

土田さん

>「新化」
土田さんの感想を読んで、面白そうだなあと思っていました。これ、たしかホラー文庫(角川かハルキかは忘れましたが)ですよね。
実は「鼻行類」も気になりつつ未読です(^^;。

>まあジャンルわけなどどうでもいいのですがね
ウーム。そうでしょうか?
土田さんのおっしゃる意味とは多分ずれちゃいますが、無理矢理私の議論に持ち込みますね(^^;。

昨日『古代日本と失われた環太平洋文明の謎』飛鳥昭雄(アスペクトブックス)を読みました。

古代史界では有名な「混一彊理歴代国都之図」という地図は日本列島が時計回りに90度以上回転した、九州を北端に日本列島が南へ向かってのびているように描かれていて、通説は当然ながら誤認とされているものですが、本書ではこの図は正しく、当時(3世紀?)の日本列島はまさに南へ伸びていたとします。

その根拠として魏志倭人伝の記述が南方的であること。当時のプレート運動が現在とは格段の高速運動をしていた(さらにこの前段階として別の島だった西日本と東日本が2世紀後半に地殻変動で合体した。これが倭国大乱の直接的原因であるとする)ことを「スーパープリューム理論」で説明します。

私は地球物理学については何も言う資格がありませんが、たとえば本書は「東日流外三郡誌」の記述を全面的に採用し(これからして既に大問題。この書が偽書である可能性は100%に近く、殆ど戦後書かれたものである。まず資料批判が全然なされてない)、「津保化族」をアイヌに比定し、「阿蘇辺族」は何とエスキモーに比定しています(笑)。
3世紀にアイヌやエスキモーが存在したのか!(爆笑)現代日本人だって、当時の倭人とは違うはず。

アイヌ人に関しては(「琉球,民族(ママ)」も)モンゴロイドではない、というこれはまた古くさい理論を出してきます。最近(ったって20年来の)言語学的アプローチは等閑視されています。

本書のスタンスは「報告があるのに公表されない新発見や、未公開にして隠してしまおうと決めた物事にスポットを当て、最先端科学で理論武装しながら、5年、10年後にようやく認められる理論体系を、はるか手前の段階で公表してしまうのを目的とする」ということですが、その実態はとうに研究者によって廃棄された理論であったり、なんの資料批判もなされていない臆説であったりします。

では、なぜこんな箸にも棒にもかからないものを読むかというと、「面白い」からに他なりません。ただしフィクションとして面白いわけです。
私はたぶん作者自身もこの本の内容を信じちゃいないだろうと睨んでいます。
それならなぜフィクションと銘打って出版しないのかと思うのです。それもできれば小説の形にして欲しいものです。荒巻SFが面白いのは、それが小説だからですね。
そういう意味で、上述の「新化」が帯にサイエンスフィクションとあるというのは、大事なことだとおもいます。


石黒達昌 投稿者:土田裕之 投稿日:12月23日(日)00時55分22秒

石黒達昌の「新化」(元版)を読みました。
ハネネズミという架空の生物に関する考察を論文形式でまとめたものと
カミラ蜂という虫の行動に関する調査をルポ形式でまとめたものを収録。
両者共に横書きで前者の巻末には参考文献があげられています。
帯にはサイエンスフィクションとありますけれど、
フィクションだし、サイエンスフィクションだと思うけれどもどうなのだろう。
まあジャンルわけなどどうでもいいのですがね。
内容は面白いです。

大熊さんの書き込みにより「翔ぶ影」の内容は完全に忘れていることが判明しました。

http://www.02.246.ne.jp/~pooh


文藝春秋臨時増刊 投稿者:Y 投稿日:12月23日(日)00時24分23秒

見てきました(買った、ではなくすみません)。
毎日一話を書くことについてですが、決してクオリティを落とさない
というところに作家魂を感じて嬉しくなりました。

海遊館、夕方行ったので周りはほとんど見られませんでした。
観覧車を眺めただけ……。


実作 投稿者:管理人 投稿日:12月22日(土)20時49分36秒

車イス型宇宙人の親善大使が、一人で地球の都市をA点からB点へ移動するはめになり、30センチの段差が越えられず延々と遠回りしたり、階段を転げ落ちたりして、「なぜだー!」と不条理を呪いながら必死に移動していく話とか(笑)。


分類(承前) 投稿者:管理人 投稿日:12月22日(土)20時31分35秒

河本さん

>何気ない日常の物事を描いていても、書き手が異世界の住人
>のためにそれらが不思議なもののように輝いて見えてくる
構造的にはそういうことなのですが、「何気ない日常」が実は「異常」であるというニュアンスがあります。
つまり裏返しです。星新一が「SF作家は突拍子もないことを考えるが、それは常識を(どこまでが常識でどこからが非常識かを)弁えているからだ」(大意)と言っていたと思います。

河本さんの言われる本来の定義は、たとえば赤ちゃんの目で見た世界ですね。たとえば「机」は、我々には見れば一瞬で「机」と判りますが(判るとは当然その用途も含めて判るということであるはずです)、まだ文化の型にはめ込まれていない(当然「常識」もない)赤ちゃんには「机」は判りませんね。赤ちゃんの視点で(宇宙人の視点で)我々の世界を描写すればそれは実に不思議な世界ですよね。
そのような作品は確かに分類的には存在しますが実作はきわめて難しいでしょうね。


分類 投稿者:河本 投稿日:12月21日(金)15時26分22秒

 大熊さん
 ぼくの「5段階分類」の第4段階「なんでもない話」の定義は、何気ない日常の物事を描いていても、書き手が異世界の住人のためにそれらが不思議なもののように輝いて見えてくる、というのですが、安部公房の「微視的連続感」と同じコンセプトのようですね。
 前に分類はできたものの、具体的な応用は難しい、と書いたと思うのですが、大熊さんは正確にこの概念を理解されているようですし、「綺麗な子」がその具体例だというわけですね。

 ぼくの「公理系」にモデルがあったのは嬉しいのですが、問題は僕がそう読まなかったということですね。
 何故なのかはまたこの次に。


born to SF 投稿者:管理人 投稿日:12月18日(火)19時35分41秒

河本さん

> 現代人の感性でしょう。いかにもありそうな会話で
>全然SFじゃないと思うのだけど。不思議じゃないもの。

そのとおり(^^)。ただしそれはこの世界(現実)の<系>に私たちが埋没しているからです。
これを安部公房は「微視的連続感」と洞察したのでしたが(cf「第四間氷期」)、いったん別の(巨視的不連続の)系に移って現実系を振り返ったとき、あたりまえと疑いもしなかった現象が実は非常に歪んだものであったことに気づくことができます。そういう認識の台座をSFは提供するジャンルなんですね。

「綺麗な子」はかかるSFの方法論にきわめて忠実なSFで、「あたりまえ」の世界・いかにもありそうな会話を描いて結果としてそれがいかに異様な世界であるかを読者に発見させます(センス・オブ・ワンダー)。
どこにでもあるような会話なのに(確かに誇張されてはいますが)、なんか異様な不気味さがあるでしょう?

ただし作者がこういう効果を出そうと意識したかどうかは判りません。ですがSFの申し子というべき作家は意識せずとも、そういう話を作ってしまうのですね。つまり本人がどう思っていようと(否定しようと)、小林泰三という作家は根っからのSF作家なんですよ(^^;ゞ。本人がたとえ嫌だと言っても、これはどうしようもないことなのです。


丸山健二 投稿者:管理人 投稿日:12月17日(月)20時25分58秒

『野に降る星』(文藝春秋)読了。
300年前、巡りケ原の北の外れに、箒星に似た尾を持った青い流星が、地響きをあげて落下した。それは谷間の流れが変わってしまうほどの衝撃で、闇夜だったにもかかわらず、本が読めるくらい明るく有明村を照らしたが、なぜか隣村の人々は全く気づかなかった。

天から降ってきたその光と音に啓示を受けた通りすがりの修験者が、星のかけらを祀るために社(奥社)をたてた。修験者は神官としてそこに居つき、爾来300年、神官が重い病に倒れたり死んだりしたときは、いつのまにかどこからか別の男がやってきてそれをひきついだ。村人は神官の名を知らなかった。神官に戸籍はなかった。

初代の神官は、猿を使者とした。使者は有明村の入口にあった家に文を差し込むと巡りケ原へ帰っていった。
文には、天から降ってきた石を包んでおいた麻の布が青い色に染まったこと、その布で旗を作ったことが記されてあり、それ以来、30年ごとに使者は訪れ、往復30キロの道無き原野を越えて旗を取りに行くのがその家の者のならわしとなった。

使者は猿とはかぎらなかった。30年前、父のときの使者は盲目の物乞いだった。祖父のときは朝早く畑で引き抜いた大根に<旗>の一文字が隅で黒々と書かれていたという。
しかしこの務めを二度はたしたものは皆無だった。父は最初の務めから30年後、二回目の使者を待ちに待ち続け、とうとうしびれを切らし、奥社へ出向いて直接確かめてくるといって、自転車に乗って出発し、巡りケ原に出たところで脳溢血で死んで発見された。
埋葬し終え、父の布団を焼いているとき、原野の彼方から見かけない子供が現れた。<私>への使者だった・・・

<私>の旗を取りに行く行為と、30年前の父のそれ(子供だった<私>は同行していた)が交互に語られ、30年前の事件が次第に明らかにされていく。猛吹雪の原野を渡りきり、神官に迎えられ、旗を受け取った私は、そのとき、30年間自らのうちに秘めていたものが浄化されていることに気づく。

丸山健二版「妖星伝」です(うそ)。
舞台の巡りケ原と有明村は、隕石の不可思議な力に守られた一種ユ−トピアとして描かれています。ただし著者にとってのユ−トピアというべきかも知れません。なぜならこの村は、著者自身の苛烈な信念を体現した世界だからです。
非常に不思議な小説です(魔術的リアリズム?)。そして非常に饒舌な小説です。
私が親しんだ丸山健二は、最初期のものばかりなんですが、高倉健さんばりの、寡黙な、全身これ筋肉といってもよいような引き締まった世界だったので、ちょっと戸惑ったのも事実です。

つまり、一方で小説形式の自己主張の面があり(ウルフガイが平井和正のアジテ−ションでもあるのと同様な意味で)、そういう意味で小説としてはすこし痩せているかなと、途中単調さを感じたのですが、ラストはそれを取り返してあまりある見事さで、浄化(象徴的死)と再生がイメ−ジ豊かに語られていて(全体のテーマも死と再生であるようです)、存分に満ち足りました。


「玩具館」 投稿者:河本 投稿日:12月17日(月)19時07分54秒

 大熊さん
 「救い主」読んでみます。
 >「綺麗な子」
 そうか〜。読み直してみるか。
 >藤原智美「運転士」にも通ずる、現代人のリアルな(切れば血も出る「壊れものとしての生体」)感覚の喪失を、いかにもこの作者らしい(というよりも京都人らしいというべきか)底意地の悪い視点で容赦なくあばき立てています。
 現代人の感性でしょう。いかにもありそうな会話で全然SFじゃないと思うのだけど。不思議じゃないもの。ぼくの5段階分類だと、1か2。
 「今」がSFみたいな時代なのだ、ということなのかなあ。

 関係ないけど、SFのような世界、と言えばあの二輪車「ジンジャー」が流行るとよいなーと思っています。そこらじゅうにジンジャーをさまざまにアレンジした乗り物が走っている光景はおかしい。なんだか平行世界へ迷い込んだみたいです。

 僕はいまでもトワイライトタイムに一輪車に乗った小学生達が、熱帯魚のように連なって人混みをすり抜けていくのを見ると、なんだかラファテイの小説世界に居るような気がします。
 一輪車って交通手段としてあまり必然性がないし。


忘年会 投稿者:管理人 投稿日:12月16日(日)17時59分00秒

アレクすてさん

昨夕はお疲れさまでした。
帰宅、私より遅かったみたいですね(私は0時20分頃帰着しました)、N町って遠いんですねえ(^^;。

>とても、楽しかったです
来年も遊びましょう(^^)。


今日は楽しかったです。 投稿者:アレクすて 投稿日:12月16日(日)00時58分50秒

畸人境の忘年会から今、戻りました。
皆さん、博識で私は、相槌を打つのがやっとでした。
とても、楽しかったです。
では。


『玩具館』から 投稿者:管理人 投稿日:12月14日(金)21時32分38秒

小林泰三「綺麗な子」読みました。
これもいいですねえ(^^)。
この短編は、言うまでもなくオールディス「スーパー・トイズ」の本歌取りです。タッチも「スーパー・トイズ」を意識してパステル画めいた淡い色調を踏襲しているところがニクイ。
藤原智美「運転士」にも通ずる、現代人のリアルな(切れば血も出る「壊れものとしての生体」)感覚の喪失を、いかにもこの作者らしい(というよりも京都人らしいというべきか)底意地の悪い視点で容赦なくあばき立てています。この辺の感覚、本家のオールディスとも共通しますが、むしろディッシュのセンスに近いものがあるのではないかと思いました。

同じようにスプラッタ描写しても、田中啓文は何の含みもなく喜々として描きますが、小林泰三はなんかジトッとしたものを引きずりますね、対照的な作風の両者ですが、いずれにしてもハードSFというより「怪奇幻想」SFですね(「怪奇」と「幻想」ではなく、怪奇と幻想が分かちがたく混淆した統一体、という意味で、ここはひとつKGもしくはKGUと名付けてはどうでしょうか(笑)>同立関大の皆さんだめですかしつれいしましたー)。


承前 投稿者:管理人 投稿日:12月13日(木)21時13分37秒

ただし、地球時間の6年が船内時間でも6年というのは、航法が明示されていないからまあ許すとしても、509pの「船は動かない。」という記述はちょっと乱暴(^^;。慣性は働いているはず。


『玩具館(異形コレクション)』 投稿者:管理人 投稿日:12月13日(木)20時59分22秒

河本さん

買ってきましたよ。
さっそく、田中啓文「救い主」読みました。
いいじゃないですか、面白い! 
これぞ短編! 最後のシェクリー風のオチまで間然とするところがありません。
短編SFはこう書くのだぞ、というお手本のような作品。すばらしい!!
河本さん、途中でやめたの? だったらぜひ最後まで読んでみてね(^^)。
一見血まみれですが、本質は50年代SFの最良の部分を咀嚼したSFらしいSFです。

アレクすてさん

では当日(^^)。
私も最近のは(SFもミステリも)全然読んでませんが、平気平気(^^;ゞ。
忘年会ですから、パアッといきましょう!


了解しました! 投稿者:アレクすて 投稿日:12月13日(木)02時18分42秒

でも最近は全然本を読んでいないので、末席を汚す事となると思います。
ぺこり(頭を下げる)


レス三題 投稿者:管理人 投稿日:12月12日(水)21時58分50秒

Yさん

大阪見物>寒くて生憎でした。
海遊館にもいらっしゃったのですね、実は海遊館のすぐ横に、「日本一低い山」天保山があるのです。
「ウェールズの山」もビックリの海抜4.5メートルですが、国土地理院発行の地形図にもちゃんと記載されている正真正銘の山です(^^)。しかも登頂すると、登山認定証を発行してもらえるんです。
Yさんに教えてあげなきゃ、と思いながら、うっかり書き忘れてしまいました。
この天保山、実は高校時代、クラブ活動で毎日のようにここまでランニングさせられていたので、私にとっては非常に愛着のある場所です(当時は大キライな場所でしたが(^^;ゞ)。

アレクすてさん

>どこで待ち合わせましょうか?
では旭屋書店のいつもの場所で、6時半頃――ということで(^^)。

河本さん
確かに1970年代、自由國民社という出版社から吾郷清彦、佐治芳彦、あと名前を忘れましたが、そういう人たちが、河本さんが挙げられた古史古伝の概説書をたくさん出しました。私はその手の話も大好きで、かなり付き合いました(^^;。
でも、あくまでも概説書(とは名ばかりの、当該書を肴に空想の上に空想をのせたようなもの)で、たとえば上記(ウエツフミ)の逐語現代語訳みたいなものは皆無なんです。だから文献考証みたいなことは全くできない。私はファンタジーの一変種として読んでいました。


偽史ではない。 投稿者:河本 投稿日:12月12日(水)11時50分33秒

 大熊さん
 「玩具館」には、田中啓文さんの「救い主」も納められているのですが、ぎゃ〜、あっ失礼(^^;)、こういう話は読めません。

 ところでいま僕はムー民谷に住んでいるのですが、>この言い方については今度お会いしたら説明します、雑誌「ムー」の東雅夫さんのエッセイで、「宮下文書」「九鬼文書」「竹内文献」「カタカムナ文書」「東日流外三郡誌」などなどの偽歴史書と言われる古文献のブームと、伝記物語が書かれるようになった時期とのあいだには平行性があると書かれていました。後者の例として半村良の「石の血脈」から、新しくは田中啓文の「禍記」が挙げられていました。

 これ本当なのでしょうか?田中さんの作品のネタ本が上記の古文書なのだとしたら、読んでみなくてはなりません。しかしSFじゃなくてホラーですから、「救い主」のようなおどろおどろしい描写があったら嫌だし……、大熊さん、先に読んでみて。>わがままなこと言ってます(^^)
 
  ※訂正 小林泰三さんの作品は、「綺麗な子」でした。

 


私も行こうと思います。 投稿者:アレクすて 投稿日:12月12日(水)05時29分13秒

私も畸人郷忘年会、行こうと思います。
どこで待ち合わせましょうか?
管理人様


大阪は寒かった 投稿者:Y 投稿日:12月11日(火)21時41分57秒

こんばんは。
>文芸春秋 探してみます。あちこちで話題なんですね。一日一話。

>元朝秘史
これ、むかしもらい物の本で家にあったんですよ。でも興味がなくて
背表紙だけ眺めていたのでした。発掘して見ようと思います。

平日の寒い日のUSJは空いていますよ。


「ヘテロ読誌」更新されました 投稿者:管理人 投稿日:12月11日(火)21時28分30秒

11月分


今日のヘイヘイヘイで 投稿者:管理人 投稿日:12月10日(月)22時57分47秒

エゴラッピン「色彩のブルース」が、シングルチャート10位に入っていてビックリ。ヤッタネ(^^)。
どこまで上がるか(上がって欲しい)、楽しみです!

アレクすてさん

畸人郷忘年会、今週の土曜(15日)PM7時からです。
行かれるんだったら、待ち合わせして一緒に行きましょうか?

ピンキーさん

お久しぶりです(^^)。ご来信ありがとうございました。
音楽業界も同じなんですね。
35才から45才という年代は、SF読者層でもっとも幹の太い部分なんです。そこをターゲットにしないなんて、商売という面からしても首をかしげないではいられません。
音楽業界も、SF業界も惰性で仕事をしていては、いつか駄目になってしまいますよね。
またお気軽にお立ち寄り下さいね。


ふたつのこぶ 投稿者:ピンキー 投稿日:12月10日(月)09時04分45秒

おひさしぶりです。
覚えておいででしょうか?
以前「チャチャヤン」投稿に関しておしゃべりさせていただいたものです。

眉村先生の「ふたつのこぶ」のお話、なんだか日本のポピュラーミュージックにも
当てはまるなぁ、なんて思いました。
ケータイやらゲームやらに押されて、若年層のCD購入が落ち込んできているそうで
全体的に音楽業界が不況なんだそうです。
音楽雑誌も休刊が相次いでいるし。
音楽本来を愛し、CDを聴くだけでなく
贔屓のミュージシャンのコンサートに参加するのは中高年なんだそう。
いままでそういった層にむけて、きちんと音楽を届けてこなかった、
目に見えてセールスが動くわかりやすいハヤリモノにしか力を入れてこなかった、
そういう業界の姿勢が、不況を生み出しているような。

SFにもそういった状況があるのですね。
なんにしろ、コドモの小遣いをふんだくることをアテにしていてはイケマセンよね。


引っ越しは 投稿者:アレクすて 投稿日:12月10日(月)08時39分38秒

>大阪に近くなったのですか、それとも遠くなったのかな。
豊中から能勢に帰るものでした。
だから、大阪より遠くなったということです。

>畸人卿の忘年会はどうされますか、私は出席します。
いつあるのでしょう?それによって出欠を決めたいです。

>アレクすてさんの使用しているメーラーがoutlook expressでなかったら
ネットスケープについているやつです。じゃあ、大丈夫でしょう。
ありがとうございます。


エレクトリック・マンドリン 投稿者:管理人 投稿日:12月 9日(日)18時26分13秒

アレクすてさん

最近、音信がないなと思っていたら、引っ越しされていたのですか。
大阪に近くなったのですか、それとも遠くなったのかな。
畸人卿の忘年会はどうされますか、私は出席します。

ウィルスのことは、根本的に知識がないので、私にはよく判りません。済みません。
しかし先日流行し、わが機も感染したナンタラB(^^;というウィルスは、アウトルックエクスプレスのメールからのみ感染するものだったようです。
アレクすてさんの使用しているメーラーがoutlook expressでなかったら、大丈夫ではないでしょうか?たぶん・・

えー、詳しい方フォローして下さい(^^;。

ジョン・マクラフリン「ザ・ビリーヴァー」というCDを聴いています。1999年夏のヨーロッパツアーのライブ盤。
正確にはリメンバー・シャクティというグループ名。から想像できるように、非常にインド音楽よりの演奏が展開されています。
マクラフリンのギター、相変わらず神技(^^)。そりゃ早弾きならディ・メオラのほうが早い、しかしフレーズが凡庸。それにくらべてマクラフリンのギターはちゃんとマクラフリン語を喋るから、そこが全然違いますね。

このCDでは、メンバーに、エレクトリックマンドリン(!)を弾くシュリニヴァスというインド人(マクラフリン以外は全員インド人です)が参加しています。この人も早弾き。最初、早いけどディ・メオラやな、と思ったら、自作のMAYAという曲ではシュリニヴァス語を喋りはじめた(^^;。
でもやっぱりピアノとドラムスが欲しいなあと思うのはエスノセントリズムでしょうか(^^;ゞ。。


最近…、 投稿者:アレクすて 投稿日:12月 9日(日)01時02分28秒

管理人様、皆様、お久しぶりです。
実は、私引っ越しをしておりました。
で引っ越しガ終わったのはいいのですが、長篇が読めなくなり、買った本(山田風太郎、
川又千秋)が読めません。仕方がないので短編ミステリーの「ロシア紅茶の謎」
(有栖川有栖氏作)を読みました。
かなり強引な暗号なんかが出てくるのですが、その凶暴な論理展開に
「暗号つくりとSFの世界設定は似ているのでは?」と思っています。
あとウィルスの件なんですが、私が前にもらったウィルスのプラットホームはウィンドウズなんだそうですが、私はマカーなのです。
だから、大丈夫、(というか直す方法が書いてない)だと思っているんですが。
大丈夫ですよね?(教えてクンみたいですみません)


文春のエッセイ 投稿者:管理人 投稿日:12月 7日(金)20時46分05秒

文藝春秋12月臨時増刊号に、眉村先生のエッセイ「毎日ひとつ話を書く」が掲載されています。
このエッセイ、奥さまのご病気が判明してから、日課としてショートショートを書こうと決意され、実行され、それが1600篇に達しようとしている現在までを簡潔に振り返った、このテーマのエッセイの集大成的な内容です。
これまでの経緯についてあまりご存じない方はぜひ立ち読みして下さい。

ところで、このエッセイのなかで、先日の講義でもおっしゃってられましたのですが、非常に重要な指摘をされていますので、少し引用いたします。
眉村さんは、自分の書くものがすこしづつ変容してきたようだ、として、次のように書かれます。

私は少し前から、小説読者一般について、昔のような若い年齢層とは別に中高年の読者が増えているのを、いわばふたこぶらくだの状況ではないかと考えるようになっているが、こうして書き続けているものは、そのふたこぶの後のほうのこぶ向けになって来ているのではないか、と思ったりする。

これは大事な発言だと思います。
わたし流にねじ曲げてしまいますが、SFとはこれまで常に前のほうのこぶをターゲットにしてきたのですが、日本SFも30年以上の歴史をもつようになり、結果として従来の読者層は、いつのまにか後のほうのこぶに移ってきているのが現状ではないでしょうか。
ところがSFは旧態依然として前のほうのこぶをターゲットにし続けている。

その結果、新しい若年の読者はそれなりに生まれてきているのかも知れませんが、これまでSFを支えてきた従来の読者は、実はいつのまにかSFからオミットされてしまったのではないか。具体的には「近頃のSF、読んでもちっとも面白くないなあ」という感想をつぶやき、一抹のさびしさを抱いているのではないでしょうか。
SFは変わっていません。しかし、読者のほうが年輪を重ねて変わってしまったのです。

眉村さんの発言は小説一般についてのお話ですが、SFも(ある意味)変わっていかなければいけないのではないか、と実はおっしゃっているのではないでしょうか、私にはそう思えてならないのでした。


書き落としました 投稿者:管理人 投稿日:12月 6日(木)23時07分04秒

土田さん
>「雪女郎」
もちろんお願いしますです。
この作者はまとまってじっくり読んだことがなかったので、ちょうど良い機会でたのしみですー。


『うるさい宇宙船』 投稿者:管理人 投稿日:12月 6日(木)21時40分49秒

土田さん

児童文学界における三田村の位置って、どうなんでしょう?
図書館で児童文学の概説書を数冊、ざっと目を通してみましたが、評価の振幅が大きいように思いました。評価しているのもあれば、全然無視しているのもある。いわゆる主流的立場からは相容れない作風なんでしょうね。
たしかにこれが児童文学?と私も思いましたもん(^^;。
でも臼田さんがおっしゃるように
>大人が読んでも面白くないような本は、児童書としても薦められない
というのが本当は正しいのであって、児童文学って、絶版になったものほど、大人が読んでも面白いものなのかも、と、うがったことを考えてしまいました(^^;ゞ。

Y店長
大阪にいらっしゃるのですか!
ぜひ、お会いしたいですー(^^)。でもお連れがいらっしゃったら難しいですね、、、
もしお時間があるなら連絡下さい、飛んでいきますので(^^;ゞ。


高井信『うるさい宇宙船』(集英社コバルト文庫)
ショ−トショ−ト24篇収録した、著者初めての作品集です(1983年刊)。
というわけで、表現にやや若書きの憾みがありますが、本質的な部分でその後の作品と異なるところはありません。
つまり1から10までアイデア真っ向勝負の突き押し相撲(^^;、ハマれば一直線の電車道ですが、はずすと、いなされたりたぐられてあっさり土俵を割ってしまいます。

かくのごとくアイデア(オチ)に特化した作風であるがゆえに、「キミらにこのアイデア(オチ)が判るか」的な、非常に挑戦的なものも中にはあるわけで、「さあ、楽しませてくれ」的読書(ベストセラー小説を読むような)をされると、その面白さを読みのがしてしまう怖れが強い。非常に軽妙で読みやすい文章なので、通り一遍に読んでしまいがちなのが悩ましいところです。本書を読む場合(著者の他の作品でも同じことが言えますが)、「著者の挑戦を受けてやるぞ」的・能動的な読書態度(スタンス)が肝要であるように思われます。

やはりナンセンスな不条理ものが著者の本領のように思います。わたし的ベスト10は、

シミリ現象>豊田有恒のアンソロジーでも言いましたが、オチショ−トショ−トの鑑のような傑作。
忍耐の報酬>後半の怒濤のようなナンセンスな展開に呆然とするのみ。 
クロ−ン体質>発端の小指のクロ−ン人間化の描写が秀逸。
気前のいい人>寓話的ナンセンスがいつの間にかホラ−に(私だけの感覚かもしれんが)。
売り子>新幹線、売り子が後ろから前にいくばかり(戻って来ない)であることに気づいたばかりに遭遇する恐怖。不条理ホラ−。
目は口ほどに>文字通り目が主人公に反旗を翻す。ゲラゲラ笑えるんだが、ホラ−である。
念写男の末路>集中一番の傑作。ここまで読んで来て、著者のセンスが倉阪鬼一郎のそれと同種であることに思い至る。倉阪はホラ−+ユ−モアで著者はSF+ユ−モアだが、精神の向かう方向は同じ。
因果応報>最後のオチがすごい。しかし判りにくい(笑)。読者は読み流さず、しっかり頭の中に絵を描くべし。
二人三脚>異世界ファンタジ−? これもそうとう奇妙。異様なイメ−ジを味わうべき作品。
目覚まし時計>オチがよい。しかし判りにくい。読者は読み流さずどういう理屈か考えるべし。
(掲載順)

読み終えて振り返り、あらためて倉阪鬼一郎との親和性は全作品を被っていることに気づきました(作風は全然違うのですが)。この両者、根本的に人間観が似ているのでしょうか?


確認してます 投稿者:土田裕之 投稿日:12月 5日(水)22時53分39秒

大熊さん
返事しなくてごめんなさい。確認してます。

ところで三田村を読むきっかけは臼田さんと全く同じです。
あの雑誌でびっくりして、その後フォア文庫になってびっくりしました。
同じ作家を続けて読むことをしない人間なので
まだ未読の山ですが、ゆっくりと時間をかけて読んでみたいと思います。
でも幼年向けはさすがに大人が読むのはちょっと、というものもありますが。
で、読んだ中では(シリーズの1冊しか読んでないけど)ウルフ探偵が面白かったです。

あと、基本的には読む必要は無いと思いますが、
「二ちょうめのおばけやしき」 木暮正夫 フォア文庫に入っている
「つくも谷のわらい鬼」は児童文学研究誌に掲載されただけあって、あっちの世界に子供が
いきっぱなしになる話で面白かったです。
(ウルフ探偵収録の短編にもそういう話があって面白かった。
単にそういう話が好きなだけかもしれないけど)
「おとうさんがいっぱい」の諸編も「蜂起」という小沢正や三田村信行が発行した
同人誌?初出ですから、やはり純粋に子供向けに書いたというより
実験的な意味合いもあったのでしょう。

そうか。
「ネズミのシャーロックホームズ」も読まなくちゃいけませんね。

丸山健二も興味あれど、読んだことなし。
これも結構「幻想文学」に書評が掲載されていて読まなきゃいけないんですが。

皆川博子の「雪女郎」がかなり面白かったので、もらっていただけませんか?
絶版じゃないみたいですけど、間違えてだぶって買ったので。
もらっていただけるのなら、今度森内俊雄と一緒に送りますけど。

http://www.02.246.ne.jp/~pooh


大阪へ 投稿者:Y 投稿日:12月 5日(水)22時48分30秒

本、無事到着したようで安心しました。

>眉村先生の特別講義
うらやましいですね。私はまだ生のセンセを1度しか拝見したことがありません(^^;)
>岡田鯱彦
ずっと探していたのですが、最近急に復刊されてうれしいです。

今週末大阪に行くことになったので、大阪の空気を味わってきます。
海遊館とUSJの予定。ミーハーですね。


定期更新その他 投稿者:管理人 投稿日:12月 5日(水)20時36分28秒

月刊センターHP「眉村卓のショートショート」が更新されています。→「離れ村の話」
今回は異色にも(?)、「遠野物語」のデンデラ野(だったっけ)風に話は進みますが、結末は・・。

眉村卓ワンダー・ティー・ルームも定期更新。
ほお、岡田鯱彦ですか、渋い(^^)。
本届きました。ありがとうございます。

土田さん
ウィルス騒ぎで連絡をすっかり忘れていましたが、先週郵便振替しました。ありがとうございました。

高井信『うるさい宇宙船』(コバルト文庫)読了。感想は明日にでも。
丸山健二『野に降る星』(文藝春秋)に着手。お、丸山版「妖星伝」か?


三田村信行 投稿者:管理人 投稿日:12月 4日(火)20時26分05秒

臼田さん

「おとうさんがいっぱい」のこと、の書き込みを興味深く拝見しました。やっぱり慧眼の読書人(臼田さんのことですが(^^;)はちゃんと注目していたんですね(>三田村)。さすが!
私はつい最近まで全く知りませんでした。さすがに児童文学までは手が回りません(汗)。

>それはそうと、大熊さんが「おとうさんがいっぱい」を読んだきっかけは何ですか?
へへへ、意外でしょう。時々ここに書き込んで下さる土田さんのおすすめ(しかも本まで送って下さった(^^))で読み、ひっくり返るほどビックリしたのでした。

お書きになっているように、こんなん子供に判るんやろか、というシュールな話で、大人向きのを読みたかったなあ、と感じました。たしかに70年代のSF編集者の怠慢ですね(それとも本人が断ったのかな)。

>逆に面白い本
>は学校・PTAや図書館とは関係なく出版社が責任をもって紹介に努めてほしいものです。
おっしゃるとおり!
「オオカミのゆめ、ぼくのゆめ」も読んでみたいですね。でも、図書館の児童室までは、よう入っていかんなあ(^^;ゞ。


「おとうさんがいっぱい」のこと 投稿者:臼田惣介 投稿日:12月 3日(月)00時57分56秒

御無沙汰しています。ウイルスの感染は何とか免れた臼田です。
早速ですが、名張人外境の<ヘテロ読誌>10月の項で、三田村信行の「おとうさんがいっぱい」
が取り上げられていたのを読みました。三田村信行はひと頃結構読んでいた懐かしさもあって気に
なっていたのですが、少し思い出話でも書いてみたいと思います。人外境の方は目下、管理人さん
がご旅行中のようですので、こちらの掲示板に書くことにしました。

「おとうさんがいっぱい」と言えば、「幻想文学」第7号(1984年刊)の特集《幻想児童文学》
の幻想児童文学50選での紹介を読んでびっくりしたのを思い出します。同誌には三田村の短編
「どこへもゆけない道」も掲載されていて、これがまた主人公の子どもが最期にはクラゲもどきに
なってしまうという奇妙な話だったもので、「おとうさんがいっぱい」への興味は大いにかき立て
られたのです。
ところが、1960年代に発表され、1975年に理論社から刊行されて以後、絶版の状態で、
漸く読めたのは1988年に大熊さんも読んだフォア文庫で再刊された時でした。驚きました。
こんな本が何故、絶版になっているのだろうと思いましたね。児童書の担当者より、一般文庫の
編集者は何をしているのかという思いも強かった。
で、図書館で著書リストを作って、「オオカミがきた」「ウルフ探偵シリーズ」ほか、かなり
読みました。多くは忘れてしまいましたが、当時気に入った本がもう一冊ありました。「オオカミ
のゆめ、ぼくのゆめ」という作品です。絵も入っていて、字も大きめで、たぶん小学校低〜中学年
向けだと覚えています。これがまた理解出来るのかなぁと思わせる変わった話ですが、面白かった。
児童書に対する考え方も時とともに変わってきているとは思いますが、1960年代からこうした作
品を児童向けに発表していたというのは凄い。
とにかく、大人が読んでも面白くないような本は、児童書としても薦められないし、逆に面白い本
は学校・PTAや図書館とは関係なく出版社が責任をもって紹介に努めてほしいものです。
少なくとも、三田村の作品には一般文庫としても大人の読書に充分に耐えられる作品が多いことは
確かです。
長々書きついでに、もう一つ、何故絶版になったのか理解出来ない児童書の快作を挙げておく。
E・タイタス作/P・ガルドン絵の「ねずみの国のシャーロック・ホームズ」シリーズ(あかね書房)
である。文句なしに面白い。もし、復刊されていたら御免なさい。以前問い合わせた時は絶版とい
う返事でした。

それはそうと、大熊さんが「おとうさんがいっぱい」を読んだきっかけは何ですか?


お詫びと訂正 投稿者:管理人 投稿日:12月 2日(日)20時05分50秒

今、読み直していて重大な事実誤記に気づく。
眉村さんの特別講義は、アミューズメントメディア総合学園の「高井信ショートショート講座」の一環として行われたものであります。
ですから
>たまたま、高井信さんと草上仁さんがいらっしゃっており
という書き方は間違いですね(汗)。高井さんはいわば主催者ですから、「たまたま」ではなくて「当然」いらっしゃっていたのでした。えらい間違いや、、、
高井さんはじめアミューズメント総合学園の関係者の皆さま、大変失礼いたしました。伏してお詫びいたします。ごめんなさいm(__)m

河本さん

>「玩具館」
まだ入手していません。計算は苦手ですが計算間違いは得意です(^^;。

柳生真加@風の翼さん

ご無沙汰してます。
たぶんウィルスメールがそちらに届いたかと思います。ご迷惑をおかけしました。

ミネルバの梟さん

はじめまして。ようこそお越し下さいました。
意味深なハンドルネームですね(^^;。

>「引き潮のとき」を全巻購入
おお、さすがです! この小説ははやく文庫化して広く読めるようにして欲しいです(>ハヤカワ様おねがいです)。

>「産業士官候補生」
とか初期の社会SF、私も大好きです。また書いていただきたいですよね(^^)。

>「司政官」シリーズの続きとかも読みたい!
ほんとにそうですね、そして発表の舞台は、やっぱりSFマガジンでなくっちゃですね(>ハヤカワ様おねがいです)。

ミネルバの梟さんもお体お気をつけ下さいませ。またのお越しをお待ちしています(^^)。  


はじめまして 投稿者:ミネルバの梟 投稿日:12月 2日(日)16時57分17秒

眉村卓先生のファンって意外に多かったのですね
実際にあったファンは2人しか居なかったので
メジャーだけどマイナーな作家(謎)という位置づけで
高校生のころから、ファンを続けてました。(現在29歳)

とはいえ、「引き潮のとき」を全巻購入後、
「消滅の光輪」のハードカバーを入手した時点で
新しく購入するのはやめ、本棚をごそごそ掘り返しては
再読する日々です。

今日は風邪ひいて、外に出る元気がなかったので
ごそごそ探してると「産業士官候補生」が出てきたので、読んでしまいました。

やっぱり、好いですねえ。また、こんな作品書いてくれないんでしょうかねえ
「司政官」シリーズの続きとかも読みたい!連載当時は毎月楽しみでした(立ち読み)

身体がしんどくなってきましたので、そろそろお暇させていただきます。
ウイルスと風邪が流行っているようですね。皆さんお気をつけください。
それではまた。


ウイルス被害お見舞い申し上げます 投稿者:柳生真加@風の翼 投稿日:12月 2日(日)16時12分42秒

こんにちは。
おひさしぶりです。ハリスンを偲んでビートルズを聞いてます。サムシング〜。さびしい12月です。もうすぐレノンの8日も来るし。

「風の翼」表紙を更新しました。また遊びにきて下さいませ。

http://homepage2.nifty.com/kazenotsubasa/index.htm


眉村先生講演会 投稿者:管理人 投稿日:12月 2日(日)15時53分52秒

高野さん
ご迷惑をおかけしました。念のためこれでチェックしてみました。オッケーでした。

ひょんなことでアミューズメントメディア総合学園(大阪市淀川区西中島)で行われた眉村卓先生の「特別講義」を拝聴することができました。

2時PMから4時PMまで、未来の作家を目指す若い生徒さんにまじって、眉村先生のお話を聴講いたしました。内容は、まあ場所がら当然ですが、小説をいかに作っていくか、といったテーマでした。ノウハウも含めてここでバラしてしまうわけにもいかないでしょうから、内容については自粛しますが、部外者の私にもなかなか興味深いお話でありました。

講義のあとは質問会を兼ねた茶話会となり、いろいろな質問に眉村先生が答えられたのでしたが、初期の短篇「正接曲線」がアシモフの「夜来たる」にインスパイアされたものであるとか(なるほどそういわれてみれば、と納得)、これは私が質問したのですが、ジュブナイル「還らざる城」は自分でも気に入っている作品であるとか、興味深い楽屋話を伺うことができ、非常に充実した数時間を過ごすことができ、満足しました。
眉村先生、お疲れさまでした。お聞きしましたら、奥さまのご容体も特に変化はないとのことで一安心、みなさまもどうぞご休心下さい。
無理を聞いていただいたアミューズメントメディア学園の皆さまにお礼申し上げます。

たまたま、高井信さんと草上仁さんがいらっしゃっており、草上さんは所用で帰られましたが、私は高井さんの驥尾に付してある飲み会に参加、大変楽しゅうございました(^^)。

その飲み会のあと、高井信さんが草上さんに会いに行こうとおっしゃるので付いていきましたら、天満橋で草上さんを囲んで宴会が開かれておりました。これまた大阪シナリオ学校の宴会で、草上さんの所用とは大阪シナリオ学校での講師のお仕事だったのでした。

事務局長の山崎さんもいらっしゃっていて、たまたま前日山崎さんが出演されたラジオ番組を聞いていたので、その話で盛り上がりました。大変興味深いお話を伺うことができました。山崎さまはじめ大阪シナリオ学校のみなさま、突然の乱入で失礼いたしました。楽しゅうございました。
高井信さん、草上仁さん、お世話になりました。またよろしくお願いします(^^;。


4・4s 投稿者:河本 投稿日:12月 2日(日)14時55分55秒

 高野さん
 いらっしゃいませ。>なんで僕がお出迎えするのだ。(^^;)
 ウイルスぜんぜん来ない〜。友達すくないし〜。
 
 大熊さん
 >友達だよ(^^) 
 あ、よかった。(^^)
 
 「玩具館」買いました。まだ、「フォア・フォースの素数」と「綺麗な人形」しか読んでません。
 前者は「数字を愛する者たち」が描けていて、なかなか良い作品です。しかし、あんなに数式をたくさん書かなくてもよいのではないか。作者は実際多くの計算をしたのでしょうが、それを並べて枚数を稼ぐのは反則だと思う。もっと短く仕上げるべきです。計算をお金に換えてはいけません。
 あ、それから高野さんの「この作品はホラーです」というご意見に、「どのあたりがホラーなのか分からん」と答えたら、「骨の髄まで理系だ、えらい」と喧嘩を売られました。(^^;)
 大熊さま、もしこれを読まれる機会があれば、何故ホラーなのかどうかお教え下さいませ。
 僕はホラーともSFとも思いません。数学小説ではあると思う。

 後者については、この作品を20年前に読めば良いSFと思っただろうなあと感じました。
 この感想をケダBBSに書き込もうとしたら、おっと、作者=小林泰三さんが書き込まれていたので、こちらにしました。だって、上のような非道いことを書いたら傷つけてしまうかも。

 そういえば、面白く読めた作品でさえも、僕はいつも何かクレームを付けていますねえ。性格悪いかしら?

 


来たじょ(笑) 投稿者:高野史緒 投稿日:12月 2日(日)00時39分11秒

あ、全快おめでとうございます>大熊さん

今日もまたあちこちからウイルスちゃんが〜。
こんなにたくさん来たのは始めてだ。そんなに蔓延しまくってるのかなぁ。


サインもらったよ(^^) 投稿者:管理人 投稿日:12月 1日(土)23時29分48秒

今日は眉村先生とお会いしてました(^^)。眠いので詳細はまた明日。


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