【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2002年2月)


ピンクフロイド 投稿者:臼田惣介 投稿日: 2月28日(木)22時50分23秒

NHKの「ヤングミュージクショー」ですね。
ピンクフロイドはモントリオールでの「エコーズ」の演奏シーン
でした。あのシリーズの映像はどうなっているのでしょうか。
そんなことでいろいろNHKとやりとりした思い出があります。
もう、昔の話ですが。
私はクリーム、CCR、レインボー、それにフォークロック系のやつ
が印象に残っています。イエスのリック・ウェイクマンを見たのも
あのシリーズだったか。
それから、言い忘れましたがトーガソンの展覧会には松任谷正隆・
由美夫妻の献花が飾ってありました。どうでも良いことですが。
まあ、とりあえずフロイドファンの戯言です。余計な話ですみません。


動揺したもので 投稿者:管理人 投稿日: 2月28日(木)21時56分06秒

全然レスになってませんね(汗)
土田さん、失礼しましたm(__)m

少し調べました。
講談社文庫版『ぬばたまの・・・』の巻末の年譜を見ますと、昭和46年(1971年)の項に、
九月、オーケ・ホルムベリイ氏作の児童向き『迷探偵スベントン登場』ビヤネール多美子・竹俣氏が訳したのを、読みやすい文章に書いたもの。講談社刊。
とあります。

さらに、昭和48年(1973年)の項に、
2月〜4月、前出『迷探偵スベントン登場』を『ストックホルムのひまなし探偵』と改題、私立探偵スベントン・シリーズとして、あと『北極怪盗とさばくの怪職人』『ねことり怪人と地下室ギャング』『デパート怪人はにおいなし』『おばけ屋敷と四つの怪事件』いずれも同じ事情のもとに、講談社刊。
とあります。

想像ですが、これらのタイトルにはいかにも眉村さんらしいセンスを感じるので、原題を離れた眉村さんの命名ではないでしょうか(^^)。

土田さん、ご教示ありがとうございました。また気づかれたことがありましたら、情報よろしくお願いいたします。


ギターはデイヴ・ギルモアでしたね(恥)。 投稿者:管理人 投稿日: 2月28日(木)21時15分14秒


臼田さん

映像といえば、当時NHKで放送されたと記憶していますが、コロセウムみたいなところで行われたライブ映像がありましたよね。同時期に同じくNHKで放送されたEL&Pのライブ(ナイフエッジとかバーバリアンが演奏されてた)と共に、できればもう一回見ておきたい映像です。

で、今柳生さんのリンクをたどっていったら、ガ〜〜ン!!ピンクフロイドの映画は今日までではないですか、、、

土田さん
村田喜代子は「耳納山・・・」とかいうのを一冊だけ読みましたが、わたし的には今いちでした。非リアリズム小説であるのは間違いないんですけど、「幻想小説」と呼ぶには何かがかけている、という印象でした。

>ところで眉村さんの翻訳とか翻案とかはどのくらいあるのでしょうか
うう、耳が痛い(汗)
そのお言葉、拙眉村著書リストの「非小説・その他」のページが未着手であることに対する督促であると受け止めました(^^;ゞ。わかりました!いずれそのうちに・・・

なお、「タイムマシン」は講談社文庫に入る予定とのことです(5〜6月頃?)


鍋の中 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月28日(木)01時55分14秒

村田喜代子の「鍋の中」読了。
世界の黒澤が映画化した作品のほうが有名なのだろうか。
4編収録ですが、予想以上に普通でした。
もうちょっと変な作品を想像していたのですが・・。

ところで眉村さんの翻訳とか翻案とかはどのくらいあるのでしょうか。
最近では講談社の「タイムマシン」
手持ちの古いものでは「北極怪盗とさばくの怪職人」というジュブナイルがあります。
1冊しか持っていませんが、これは全5巻ということで、いくつかの図書館を検索して5冊の存在を確認しました。
ストックホルムのひまなし探偵(私立探偵スベントン1 )
北極怪盗とさばくの怪職人 ( 私立探偵スベントン2 )
ねことり怪人と地下室ギャング ( 私立探偵スベントン3 )
デパ-ト怪人はにおいなし ( 私立探偵スベントン4 )
おばけ屋敷と四つの怪事件 ( 私立探偵スベントン5 )

全て1973年刊のようです。
この辺の本はよほど運良くない限り入手は困難でしょうから
基本的には図書館で読むしかないでしょうね。


ストーム・トーガソン展 投稿者:臼田惣介 投稿日: 2月28日(木)00時29分38秒

ストーム・トーガソン展、行って来ました。
立川直樹のプロデュースなので、やっぱりヒプノシス→ピンクフロイドに焦点を
あてた展示だったのは仕方無いでしょうね。まぁ、展示は特別珍しいものもなか
ったのですが、なにしろ会場のキリンプラザの4階はともかく、一階の入り口を
入った途端、耳に飛び込んでくるフロイド・サウンドには心がときめきましたね。
ただ、映像が見れたので満足してますが、映像無しだと500円でもちょっと不満
かも。なにしろ、レコードのジャケットとそれに関係するイラスト、初見の人なら、
別の感慨があるのかもしれませんが。それに、東京・名古屋ときての大阪ですから
特別な作品はともかく、全体に大分痛んでいたような気もしました。
映像では、30分の「THE PINK FROYD」が興味深かった。ピンクフロイド66-67と
題された映像、つまりシド・バレット時代のフロイドの演奏シーン。それにかぶさって
当時のレノンやヨーコやらの映像が写されるわけです。シドは結構元気そうでした。
音も、サイケデリックというより、シドらしいシュールな音楽で、気合いの入った
ロジャーのベースがフロイドらしさを感じさせました。ニッキー・メーソンの若々しさ
も妙に印象に残りましたが。シドの脱退は68年4月ですから、当時のフロイドは
偉大な可能性と、その創造の苦しみに苛まれていた時期だったのでしょうね。
フロイドの映像では「ザ・ウォール」のワールド・ツァーの映像があるはずで、それが
見たいのですが、何とかならんもんでしょうか。

それから、ツェッペリンの「聖なる館」や「プレゼンス」、ナイスの「エレジー」
も良いのですが、やっぱり展示的にはフロイドほどの思いが感じられず、音楽が流
れていなかったこともあってパワーが弱かった。やっぱりレコードジャケットは
音楽と一体という思いを強く感じました。

今回の展示会で印象に残ったことは、宣伝用のパンフにあった(ヒプノシスは消費
されない価値の創造という一見矛盾した試みに挑み、ひとつの個性にまで高めた)
みたいな言葉と、久しぶりにピンク・フロイドを聞きたいと思ったことでした。

以上、ご報告まで。


最新情報更新 投稿者:管理人 投稿日: 2月27日(水)21時47分44秒

トップページの「眉村卓最新情報」を更新しました。
2月25日現在、1日1話は1686本(1680回までで通算10064.5枚)になったとのことです。
いやー、ものすごい数字です。


ブックオフで 投稿者:管理人 投稿日: 2月26日(火)23時01分04秒

アトウッド『侍女の物語』(ハヤカワepi文庫)をゲット!
いやあ、念ずればナントヤラではないですが、さがせば出て来るんですよね、ふしぎに(^^;ゞ

ジョージ・ハリスン追悼コンサートに、ポールが飛び入りして、アカペラで「イエスタデイ」を歌ったらしい。というのがまだ記事になるんですね。しかし今でも、若い人にきかれているのだろうか>ビートルズ

<BGM>ジョン・コルトレーン/エクスプレッション(B面)


夜明けは近い 投稿者:管理人 投稿日: 2月25日(月)21時40分10秒

そういえば、昨日テレビに出てましたね>岡林信康


夜明けは近い 投稿者:管理人 投稿日: 2月25日(月)21時40分10秒

そういえば、昨日テレビに出てましたね>岡林信康


「われはフランソワ」 投稿者:管理人 投稿日: 2月25日(月)20時57分57秒

140頁まで読んだけど、今のところ15世紀パリの市井小説です(あえていえばマラキア・タペストリー風?)。
でもこれ、SFになるの? ちょっと心配になってきました(^^;。


「われはフランソワ」に着手<2001消化月間 投稿者:管理人 投稿日: 2月24日(日)20時08分26秒

ふと「SFが読みたい!2002年版」がほしくなり、当市で一番大きい書店に出かけました。なかった。で、次に大きい書店へ回りました。なかった。
けっきょくes-booksに注文しましたが、1時間ほど時間を無駄にしてガソリンを使って、まったく何をやっておるのかという感じです。

実際、近所の書店ではほとんど何も揃いません。とどのつまりは大阪市内の大書店に出向くことになるのが常です。
ところが、細かいことをいいますが当地から天王寺まではJRで往復90分900円、梅田に至っては往復2時間1380円もかかるんであります。
それを考えると、私の場合はインターネット書店を利用する方がはるかに合理的ですね。
たとえばbk1だと送料250円です。es-booksを使えば、セブンイレブン受け取りならば送料無料です。これは重宝しています。
仕事場の近くの店舗受け取りにしておけば、昼休みに貰いにいけますし、自宅近くの店舗なら帰り道に受け取れるというわけです。便利です。

というわけで、最近はes-booksを利用することが多くなりました(できればCDの販売もしてほしい)。


2001年作品消化月間 投稿者:管理人 投稿日: 2月23日(土)20時53分58秒

臼田さん

ご教示ありがとうございます。

>このあたり皆つながっているので
>しょうね。
新たな分野(ジャンル)の発生は、畢竟ある対面関係的な小集団を核として発展していくということなんでしょうね。
例えば、日本SFにおける「宇宙塵」がそうですね。ひとつの小グループに才能(タレント)が充満しているんです。ふしぎですね。

津原泰水『ペニス』(双葉社)読了。
いや、すごい小説でした。
予想と違って、『蘆屋家の崩壊』のようなSFのF派作品ではなく、ファンタジーっぽい幻想小説というべき力作でした。
読み出してすぐ、ははァこれは「心地よく秘密めいたところ」だなと思いました。

主人公は初老の公園管理人。詰め所の管理事務所に私物のステレオセットを持ち込み、冷蔵庫には缶ビールが並んでいる。自宅にはほとんど帰らず管理事務所に寝起きしています。
「心地よく秘密めいたところ」の主人公は、これまた初老の男ですが、公園墓地を住処とするルンペンで町なかへ出ていくことはありません。
この両者にとって、公園事務所や墓地は心地よく秘密めいた「隠れ家」なのです。

とはいえ、「心地よく・・・」は純然たるファンタジーなので、ストーリーは(ある意味)とおり一遍に進行し、想定された大団円に向かって心地よく着地するのですが、「ペニス」は違います。それはもうヴォクトなみにいろんなエピソードがこれでもかと投入され、事実も夢も妄想も同一レベルで語られ、その結果リニアなストーリーは歪み撓み、読者を混乱させないではおきません。

とくに終盤は奔流のように流れはじめ、流されないように意識して読まないと溺れてしまいそうです。
それに輪をかけるのが、実験的な書法で、そこまで衒わなくてもいいのではないかなとさえ思われるほどですし、最後にいくつかの伏線が解決されるのですが、これもあらずもがなで、ややサービス過剰かなと思いました。つまり終盤で、それまで剛性を保っていた幻想小説の結構がくずれ、いささか通俗に流れたように思われました。この按配は難しいところですが。

ともあれ、類例のない骨太の小説であることは間違いなく、ふんだんに投入されたエピソードを、とにもかくにもひとつのストーリーに纏め上げ組み伏せた力量は大したものであり、結局のところ主人公にとって、公園事務所は最後まで心地よく秘密めいた場所であり続けているわけです。


管理人さん 投稿者:臼田惣介 投稿日: 2月23日(土)17時33分48秒

60年の「光る眼」がシリファント脚色の作品(ウルフ・リラ監督)です。
「続・光る眼」(アントン・M・リーダー監督)は未見ですが、ウィンダムの
作品ではないようですね。
56年の「盗まれた街」はシリファントと仲が良かった「ダーティ・ハリー」
のドン・シーゲル監督の下積み時代の作品ですが、シリファントの最初の脚色
がフィニィの「五人対賭博場」ですから、このあたり皆つながっているので
しょうね。
ついでに、ドン・シーゲル監督の処女長編作品「判決」は、密室ミステリの
古典名作、イズレール・ザングウィルの「ボウ町の怪事件」が原作らしいの
ですが、これは大いに興味をそそられる話であります。


↓の件で、 投稿者:管理人 投稿日: 2月23日(土)15時49分55秒

友人のとぐろさんからメールを頂きました。

     ―――――――― 

 「遊星よりの物体X」1951年
 「遊星からの物体X」1982年

 「未知空間の恐怖/光る目」1960年
 「続・光る目 宇宙空間の恐怖」1963年
 「光る目」1995年

 「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」1956年
 「SF/ボディ・スナッチャー」1978年
 「ボディ・スナッチャーズ」1993年 

(出典)永田よしのり編「カルト映画館*SF」教養文庫(1996年刊)

      ――――――――

やはりもっと古い「ボディ・スナッチャー」がありました。
スターリング・シリファント脚色の「光る眼」は、上記の1960年のものでしょうか。
50年代から60年代にかけてのSF黄金時代(後期)は、SF映画の黄金時代でもあった、と言えそうですね。
アウターリミッツやミステリーゾーンなどのSFドラマもこの時期ですよね。

とぐろさん、ご教示ありがとうございました。


リメイク 投稿者:管理人 投稿日: 2月21日(木)20時20分16秒

河本さん

>「光る眼」はシリファントの脚本が良かったのではないですか?
バックログを読み返してみました。
私の見たのはシリファントのではなさそうです。シリファント「光る眼」はたぶん1960年代でしょう。
カーペンター作品はそのリメイクのようですね。

リメイクといえば、「遊星よりの物体X」と「遊星からの物体X」もそうですが、「SF/ボディ・スナッチャー」(1978)の後で、「ボディ・スナッチャーズ」というリメイクが出てますね、レンタル店で並んでいました。しかしもっと古い元祖ボディ・スナッチャーがあったのではないかという気がします(1960年代?)

この辺、識者の方のご教示を待ちたいです>臼田さん、アレクすてさん、村田さん

臼田さん
先日は失礼しました。京都は遠いです(汗)。

>ギターにクラプトンをフィーチャーしたカリスマ・ロジャーのソロ・アルバム
へえ、思索的なロジャーのスライドギターとクラプトンの熱血のブルース奏法のコラボレーション?・・・うーんちょっと見当がつきませんね(^^)。

>プレーヤーが使えなくなって
それはレコードが宝の持ち腐れで勿体ないですね。私も針がすり減らないよう極力注意しています(^^;ゞ

<BGM>ジャマラディーン・タクマ/ショー・ストッパー(1983)←オーネットコールマン出身のベーシスト。フュージョンですが師匠譲りのプレイも入っている。


ヒプノシス 投稿者:臼田惣介 投稿日: 2月20日(水)22時31分10秒

たまに覗いたらストーム・トーガソンですからね、吃驚しました。
トーガソンと言えばヒプノシス、ヒプノシスと言えばピンクフロイド。
立川直樹のプロデュースとくれば、これはもうフロイドファンとしては
見逃せません。
実は東京での開催中は早く大阪でやらないかなぁ、と待望していたのですが、
すっかり忘れていて、いやちっとも知りませんでした。
  柳生さん、貴重な情報をありがとうございました。
それにしても、映像、何としても見たい。が、期間中は時間がとれそうもない。
どうしよう、いざとなったら必殺技でも使うか。
ロジャー・ウォーターズの来日、これも凄い。彼の抜けたフロイドなんて!!
ギターにクラプトンをフィーチャーしたカリスマ・ロジャーのソロ・アルバム
「ザ・プロス・アンド・コンス・オブ・ヒッチハイキング」は素晴らしかった。
プレーヤーが使えなくなって久しく聞いていないが、何かワクワクしてきました。


 


アルジャーノン 投稿者:河本 投稿日: 2月20日(水)14時02分18秒

 大熊さん
 「光る眼」はシリファントの脚本が良かったのではないですか? >2001年1月の臼田さんの書き込み

 ぼくは「まごころを君に」を見ました。ビデオではなくて映画館です。たぶん、泣かなかったと思う。本のほうは涙が止まらなかったけど……。
 


レコードジャケット(承前) 投稿者:管理人 投稿日: 2月19日(火)20時50分46秒

柳生さん

>風の翼」のみなさんにはバカにされそうですが
滅相もないです!
大体原作を読んでない者には、「バカにする」(⊂批評する)資格もありませんです(^^;ゞ
ネットで見る限りでは好評みたいですね。

<ストーム・トーガソン展>のご紹介、ありがとうございます。
あのすばらしいジャケットの数々は、この人が製作していたんですね。
私も見に行こうと思います(会場のキリン会館はビールを飲みによく行きます(^^)。ビール飲みながらひっかけ橋を見下ろしていると、なかなか面白いです(^^;ゞ)
併映のピンクフロイドの映画はぜひ見たいです(^^)。へえ、ロジャー・ウォーターズの来日公演があるんですね、こういう情報に疎くなってしまいました(泣)。

それにしても昔のLPのジャケットはよかったです(^^)。「聖なる館」なんかは見開き全部使った大作でしたね。
キャメルの「ムーンマッドネス」(これはトーガソンではありませんね)なんか、ジャケット目当てで買ったようなもんでした(^^;。今いちばん後悔しているのはオシビサの空飛ぶゾウのジャケットを持ってないことです。

それに比べて、CDのジャケットのなんとチマチマしていること!文字なんかめがねを外さなければ読めませんがな(←そ、それは老眼(汗)、、)


レコードジャケット 投稿者:柳生真加です 投稿日: 2月19日(火)12時45分46秒

こんにちは。

「風の翼」のみなさんにはバカにされそうですが「指輪物語」の映画を観に行く予定です。

ピンク・フロイド「原子心母」「狂気」「炎」、レッド・ツェッペリン「聖なる館」「プレゼンス」、ポール・マッカートニー&ウイングス「ヴィーナス&マース」「オーバー・アメリカ」、10cc「愛ゆえに」〜
なつかしいタイトルでしょう。このジャケットデザインが一同に並ぶ展示会があるので、お知らせにきました。詳しくはリンクをはったので、そちらを見てね。難波のキリンプラザが会場です。

http://www.kirin.co.jp/active/art/kpo/gallery/index.html


映画 投稿者:管理人 投稿日: 2月18日(月)21時59分10秒

今、土田掲示板に書き込んで帰ってきたら、土田さんの書き込みがあってビックリ(^^;ゞ

いや私が先日見たのはカーペンターの「遊星からの物体X」です。ありゃりゃ、タイトルが旧作とは違うのですね、失礼しました。

>大熊さんは趣味ではないであろうと推察しますが
そんなことはないですよ。私のSF原点は実は映像なんです(^^)。
おそらく小学生だったと思いますが、アウターリミッツがウルトラゾーンというタイトルで(再?)放映されていました。それを欠かさず見ておりましたです。
ですからカーペンターに限らず、怪奇SF系の映像は大好きです。

「光る眼」をネット検索しましたら、この監督の作品としては評価が低いですね。怖くないと言う意見が多かった。
つまり一般的にカーペンター作品はホラーとして捉えられているようですね。
でも私はホラーとして見ていないので、怖くないと言うことがマイナスポイントにならないので、けっこう楽しめました。

>其の頃(学生時代)が一番映画を見ていました
私も同じです(^^;。
私の時代はハリウッドの大作主義に対抗したニューシネマ(俺たちに明日はない、マッシュ、いちご白書とか)と呼ばれる個性的な映画が多くて楽しかったです。
大阪には「大毎地下」という安い映画館があって、そこにはよく出かけたものです。もう廃館して久しいです。

今はめったに映画館へ出かけることはないですねえ(T_T)。子供が大きくなっちゃったので、付きそいで行くこともなくなりました。
それでも時々、映画館に行きたいなあと、むしょうに思う時がありますね(^^;ゞ。


ごめんなさい。 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月18日(月)20時28分07秒

文脈読み間違えてました。
大熊さんがご覧になったのは同じカーペンターの「遊星からの物体X」の方ですか。

ちなみに「遊星よりの物体X」は古いほうですね。
ぼくはそっちは見てないや。


カーペンターといえば 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月18日(月)20時24分47秒

大熊さんは趣味ではないであろうと推察しますが、
「遊星からの物体X」は面白かったし、特撮の凄さに驚いた。
公開時に劇場で見たのですけど、
同じ頃やはり劇場で見た「ブレードランナー」も驚いた。
これはダグラス・トランブルの完璧なまでの未来都市造形によるものが多いかも。
多分、どちらも新宿で見たのだけど、ガラガラでしたっけ。
其の頃(学生時代)が一番映画を見ていました。

今は映画を見なくなっちゃいましたが、また何か見たいなあ。


ジョン・カーペンター 投稿者:大熊宏俊 投稿日: 2月17日(日)18時13分02秒

Yさん

>「馬子」が傑作だったので
そうなんですか、それは読まなくちゃですね(^^)。
蘇我馬子とは無関係なんですよね?それとも関係してくるのでしょうか。


>「光る眼」
これは存外よかったです。
原作をほとんど覚えていない(ビデオを見ているうちにかすかに思い出した)ので憶測ですが、メインアイデアは同じながら、ストーリーは全然別物になっていたような気がしました。それでよかったのかも。
それとも監督がいいのかな。

というわけで、返却に行くついでに、同じ監督の「遊星よりの物体X」を借りました。
再生してすぐ、見たことがあることに気づいた(^^;のですが、でもよかった。(私の場合、どんな映画もすぐ忘れちゃうので、何度見てもオッケーなようです(^^;)


田中啓文 投稿者:Y 投稿日: 2月15日(金)23時26分52秒

ちょっとご無沙汰でした。
あまりに「馬子」が傑作だったので広める運動をしていますが
誰も乗ってくれないです。田中氏は読者を楽しませるプロですね。

今なぜか「銀河の荒鷲シーフォート」を読み始めましたが
いまいちかも……?


近況など 投稿者:大熊宏俊 投稿日: 2月15日(金)20時30分18秒

水曜の夜は、久しぶりにニューサントリー5に行きました。
出演はフラットファイブ+原田紀子。演目はリパブリック讃歌、ブルーモンク ルート66 マイファニーバレンタイン他
約3時間半で2軒回って、ジョッキ3杯とロック3杯ほど。
これくらいが丁度いいです。翌日ふつか酔いにもならずさわやかに目覚めることが出来ました(^^;。

木曜は、忙しくて貸出期限が土曜に迫った2本のビデオのうちの一本を深夜無理やり観る。「SF/ボディ・スナッチャー」(1978)
今まで原作小説を超えたという映画に出会ったことがありません。このビデオもそう。
けだし映像作品というものが無限個の中から選択したたった1つの解釈の固定化と押しつけに他ならないからでしょう。
とまれ今日は「光る眼」を観なければ。

河本さん

挑戦するにたる作品には対応したいと思っているだけですね。
たとえば恋愛小説なんかには、はなから対応していく気持ちもヒマもありません(^^;ゞ
大体あんなもの書く作家が信じられませんな。
マジで書いてるのか?>藤田宜永

<BGM>エルヴィン・ジョーンズ&ウィントン・マルサリス「至上の愛――ライブ・アット・新宿ピットイン」(1992)


東海洋士『刻Y卵』読了。 投稿者:大熊宏俊 投稿日: 2月15日(金)19時45分37秒

いやあ、ハマッちゃいました(^^)。お見事お見事!(拍手)

ところで、この小説は幻想小説でしょうか? 幻想小説かと言えば、そうとも言えましょう。たしかに幻想的なシーンがあります。
ただしそれは一ヵ所だけです。しかも確実ではありません、主人公の錯覚なのかもしれないのです。
また主人公の片割れ、六囲が頓死するのも、あくまで「現実」的な理由がついています。刻Y卵のせいだという証拠はどこにもありません。ただ状況証拠があるだけです。

この小説、ある意味、実は何も起こらなかったのです(汗)。刻Y卵は、しばらく音信のなかった二人の登場人物をふたたび巡り会わせ、片割れの死に立ち会わせる役割は果たしましたが。

読みすすんでいくにしたがって、幻想小説だとか、SFだとか、ミステリーだとかいった意識は次第に消えていきます、最後には小説を読んでいるという意識だけが残るばかり。
結局、本書はただの小説であります。ただの小説として見事に豊かなのです。

巻末での竹本健治の解釈は読みすぎ。それがたとえそうだとしても、それがどうした、という感じですね。だから何なのだ、という部分で何も解答になっていない。意味がないし、理由もない解釈。

たしかに竹本解釈は、本書の破格の描写法を著者がなぜ採用したのかを説明しようという意図なんだが、私は別にこと改めて説明する必要はないと思います。

というのは、この小説は著者が完全に制御しているものだからです。というより、著者には登場人物たちの思考感情がすべてきこえ見えているのです。
発声された言葉だけが言葉ではない、発声した言葉は発声者の真意を必ずしも伝えるものではない。
たとえば、アトランダムにいまぱっと開けた53pの最後の文をご覧下さい。
「壊すなよ」まァ既に壊れておったりしてな。
こういうニュアンスが言葉と思考の間には必ずついて回ります。

著者はそれを忠実に全部を表現したにすぎない。破格ではありますが、別に独創でもない。ここまで積極的に採用した例はないかも知れませんけど。

ともあれ作者の中で登場人物たちがどんどん動きだし、血肉を備えていき、著者はそれをすべて書きつくそうとした、そしてそれを表現する手法が上述の描写法だった。というだけの話でしょう。

ところで、竹本健次が証言しているように、この話がどんどん長くなっていったものというのはよく判ります。逆に言えばそうでなくてはなりません。著者は書きたいことを全部書いたのですから。
実は、ストーリーだけ取り出せば、大したことがないともいえるのです(^^;。

実はこの小説、コンビニ弁当のエビフライなのであります。
コンビニのエビフライを開いてみて下さい。コロモを付けている分には結構なボリュームですが、中に隠れたエビはなんと細いことか。
断っておきますが、だから本書はまがい物と言いたいのではありません(^^;。

この小説全体がエビフライだとしたら、ストーリーはエビ本体で、コロモが上述の描写法の採用であり、ウンチクなのですが、小説にはこの衣の部分が大事であることは言うまでもありません。ストーリーだけが小説を構成するものではない。エビとコロモは相互に支え合っているのであって、小説の豊穣さはむしろコロモが保証するのです。ヴァンダインからウンチクを取ったら何が残りますか(笑)。

というわけで、本書は一見ストーリーの進行には不要な部分が多いと思われるかも知れません。それは見当違いな見方です。もっと短くできる筈だ? とんでもない!
したがってストーリー=小説だと思っている人には面白くないでしょう。
この小説はとりわけコロモの部分によってその豊かさを支えられているのです。かかる破格の描写法が本書では大いに効果を発揮して読者をぐいぐい引っ張っていくのです。
ラストのさわやかな(笑)結末も、それまでに分厚いコロモを通過してきたからこそ、納得して読み終えることができるのではないかと思われます。


読む 投稿者:河本 投稿日: 2月13日(水)16時13分12秒

 大熊さん
 >球道(軌道)が見えた(読めた)ときが、パースペクティヴが開けた状態です。
 
 高野さんはいつか、ある小説が面白い作品になるかどうかは、書き手の腕の他に読み手の腕も要るとおっしゃっていましたが、大熊さんは読む能力が優れているいるなあと思います。
 ぼくは大熊さんの腕前にはかなわないけど、いいんです、好みの作品しか読まないから。>なんか僻んでる

 ぼくがいままで書き込んだ感想文は、たいていその作品を貶していますが、「貶す」というのはうっかりすると「面白さが理解できていない」と同じになってしまうので、難しいですね。
 なるべく客観的に欠点を指摘したいものです。


掛け合い小説 投稿者:大熊宏俊 投稿日: 2月12日(火)23時10分02秒

土田さん

>「刻Y卵」
あと80ページ。これを書いたらつづき読みます。
この話、主役二人の掛け合いで話が進んで行くんです。ていうか、そういやストーリー、物理的には全然進んでないや(^^;。歴史上の描写を除けば、ずううっと二人で喋っているばかり。
ところがこの掛け合いがいいんですわ(^^;。ちょっとクセがある文体で、普通じゃない描写法を採用していて、合わない人には合わないかもしれませんが、私はいいと思います。読んでいるとふしぎな酩酊感があります。
たとえこのまま、何も起こらないまま終わったとしても(そんなことはないでしょうけど)、わたしは許す!(^^;ゞ

>「すばらしい空」
感想文読ませてもらいました。
「回生」というのは納得です。初期の長篇(「闇の向こうへ跳ぶものは」とか)もそういう話だったと思います。


おお! 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月11日(月)22時38分12秒

>「刻Y卵」
ぼくも面白そうだと思って新刊で買ったきり。
だって幻想文学の傑作とかあおられちゃうとさっ。
田中啓文も早く読まなきゃいけませんね。

佐江衆一の「すばらしい空」読みましたがなんとも普通の小説でした。
読まなくても良かった・・。
次はいまさらロアルド・ダールを読みます。


ヘテロ読誌紙版鋭意制作中 投稿者:管理人 投稿日: 2月11日(月)22時12分05秒

今日は弥生文化博物館に「発掘『倭人伝』海の王都、壱岐・原の辻遺跡展」に行くつもりだったのだけど、あまりの寒さに断念。
その代わり、「ヘテロ読誌2000」の推敲をしていました。

というのも、ヘテロ読誌はもともと手作りの年刊本だったのですが、オンライン移行後も、画面で読むんじゃなく、縦書きの印刷物で読みたい、というありがたい要望が約1名からあり、1999年版はなんとかつくったのでしたが、その後は気にはなりつつも、取り紛れていたのでした。

ところが今回、年賀状がわりの寒中見舞いで改めて請求されてしまいました。それは印刷した文面で、おそらくここをお読みの方の何人かの許へも届いているはずですよね。
というわけで、大慌てで2000年分を一太郎の書式にほうり込みましたら、なんと150ページになっちゃいました。オンライン書きは文章が冗長になってしまうのですね。改めて認識。

結局2000年前半分だけでも、と見通しを付け、今日推敲を終えました。随分書き直したり削ったりしてしまいました。オンライン書きは筆を錆びさせますね。改めて認識。
あとは印刷と製本なんですが、なんとか今月中に仕上げたいものです。
というわけで、もうしばらくお待ち下さいね>Hさん(読んでないでしょうけど)

河本さん
「禍記」もホラー系のSFですね。「怖い目」はイカモノ食い系ですけど(^^;

しばらく2001年出版SF特集の予定です。
「禍記」につづいて第2弾は「刻Y卵」を読み中。
まだ100ページですが、独特の魔術的な文体で傑作の予感(^^)


田中啓文 投稿者:河本 投稿日: 2月11日(月)17時05分24秒

 大熊さん
 >「禍記」
 まえに、「救い主」のようなおどろおどろしい話だといやだから先に読んで、とわがままなお願いをしたのが適ってしまった。 (^^)
 ふ〜ん、SFなのか、読んでみようかな。

 「UMAハンター馬子」を読んだところです。
 駄洒落も少ないしホラー味の普通のSFでした。馬子というやぼったい名前から、逆になんとなく美人科学者の未確認動物探査の話かと思っていたのですが、ぜんぜん違いました。
 もちろんそれは欠点ではありません。


「禍記」(補足) 投稿者:管理人 投稿日: 2月10日(日)18時50分07秒


>発症しなかったり、消失したりする理由が明らかでないのは、ホラー的で不満。
謎はすべて解明されなければならない、と思っているわけではありません。

たとえば「天使蝶」では、キリスト教との関連が暗示されているのですが、なぜキリスト教のモチーフがあらわれるのかという謎解明はありません。が、それで別に構わないのです。なぜならメインのストーリー絡んでくるものではないから。

しかしながら、「怖い目」における下記の謎は、メインのストーリーを構成するものですから、その理由を明らかにしなければ、ラストに必然性がなくなってしまように思われます。

以上、SF読みというスタンスから感じた問題点でした。


「禍記」 投稿者:管理人 投稿日: 2月 9日(土)21時29分45秒

田中啓文『禍記(マガツフミ)』(徳間書店)読了。

カタロヒナ文字と称される神代文字で書かれた古史古伝「禍記(マガツフミ)」に材を取った短篇集。「カタロヒナ文字」にタナカヒロ文が隠れているのは、偶然の一致というにはあまりにも怖ろしい暗合ではないだろうか(汗)。

著者は70年代日本SFの衣鉢を継ぐ直系の後継者だ! 本集を読み、私はそう思わずにはいられませんでした。
兎に角面白い。朝9時に読み始め、12時過ぎには読み終わっていました。

「取りかえっ子」
<風体小童に似て容貌老翁に似(・・・)蝗の引きたる小車に乗り(・・・)生後間もなき幼児をおのれの持ちきたる鬼子と取りかえる(「注釈禍記考」より)>取りかえ坊なる怪異がモチーフ。
実は設定に無理があり破綻しているのだが、読中はさほど気になりません。それほど読者を引きずり込む力が強いということでしょう。

「天使蝶」
モチーフの、人間の赤ん坊に寄生しその体内を喰って成長し外見赤ん坊の胴をもった巨大蝶に変ずるミツカイさまは、オールディスの描く異生物に勝るとも劣らない出色の異生物。
ミツカイさまは、しかし超自然ではなく、(UMAかも知れないが)ただの生物であるから、この小説はホラーではなく純然たるSFなのです。傑作!

「怖い目」
<腐肉の塊に無数の目を蒔いたるが如き(禍記目録抄)>ひゃくめなる怪異がモチーフ。
このひゃくめも、最後に超自然存在ではなく自然生物であることが明らかにされるので、ホラーではなくSFです。なぜSFなのかは、自然生物と設定されていても、実際には存在しない空想上の生物だからで、それはミツカイさまも同じです。傑作!
ただし同じように黄泉津へぐいしている仲間が発症しなかったり、消失したりする理由が明らかでないのは、ホラー的で不満。

「妄執の獣」
これも面白いです。この妄執の獣は前2作とは異なって自然生物ではない。いわば<滅ボサレタモノ>の念の具象化であり、このままではホラーだが、最後に念は念なりに因果関係が明らかにされ(同時に子供と共闘する理由も筋が通り)SFとなりました。傑作!

「黄泉津鳥舟」
純然たるSF。「あの世」を通過するワープ航法が完成し、そのため乗員乗客はワープ航行中は一度「死」ななければならない。荒巻カルナック航法に比肩するユニークな航法が引き起こすなんともいえぬ大騒動。傑作!

以上の諸篇を結合する「禍記」という小説が3分割されてプロローグ、幕間、エピローグを形成するのですが、別にそんな仕掛けはなくてもよかったように思いました。


スタンス 投稿者:管理人 投稿日: 2月 9日(土)18時08分17秒

土田さん

私は、スタンスとかパースペクティヴという言葉をよく使います。
例えば背中から曲がってくるカーブに対応するには、スタンスを開き気味にすればいいですよね、そのように、いろんな球にアジャストしていけるよう、その都度スタンスの取り方は意識します。
球道(軌道)が見えた(読めた)ときが、パースペクティヴが開けた状態です。

最初訳が分からなくても、スタンスを微修正しているうちに、突然焦点が合うというか、さっと見晴らしが開ける瞬間があるのです。それを掴んじゃえば、あとは一気ですね。それが作者の期待した読み方かどうかは保証のかぎりではありません。というより、完成した作品は、作者の思惑さえ超えた、作品自体の「意図」を孕んでいるのではないでしょうか(^^;
最後まで掴みきれずに読み終わってしまうことも、もちろんあります(^^;。

音楽も同じなんですね私の場合。最初どんなに騒音にきこえようと、聞き込んでいるうちにパッと判る、というか、おお!という瞬間が来ます。それを掴まえて追っていけば、あとはその演奏家の他の曲を聞いても、それは騒音にはきこえず音楽としてきこえています。

>>最後は圧巻・・
「結末」はなんか色調が変わるのです。それまでのモチーフが収斂してきて速度も速くなり、いわばフリージャズのエンディングのような高まりがあるように感じました。フリージャズといったって、最初と最後だけは、あるカタチに統合されている場合がほとんどです。

>河出の本はたまに半額ではブックオフ等で見ますけど、買っておきますか?
ぜひぜひm(__)m
それにしても、随分翻訳されているのですねえ、意外です。

>E.F.ラッセル
「超生命ヴァイトン」は傑作でした。数年前に読み返しました。背景はさすがに古色蒼然でしたが、面白さは抜群でした。基本的に怪奇系ですよね。


おまけ 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月 9日(土)00時16分07秒

E・F・ラッセルの「世界怪奇物語」を読んでます。
SF作家だからどうかなと思ったのですが
一応各エピソードに自分の推論とかちょろっとは書いてはいるものの
黒沼健の読物と大差ないようです。
まあ嫌いではないですが、せんべいでも食べながら読み飛ばすのが吉みたい。

五島勉はノストラダムスしか読んでません。
小説は読もうと思って買ってありますが。


あれれ? 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月 9日(土)00時10分49秒

大熊さん
押し付けた形になった残雪、楽しんでいただけたようで良かったです。
読み込んでいらっしゃって素直に感服しました。
ぼくはパースペクティブが最後までつかみきれなかった気がします。
>最後は圧巻・・、
最後ってどうだったっけ?(本当に読んだのか?)

邦訳は下記のとおりです。作風から言えば当然という気もしますが全て品切れです。

突囲表演 文藝春秋
廊下に植えた林檎の木
蒼老たる浮雲
黄泥街
カッコウが鳴くあの一瞬 以上河出書房新社

文春はぼくもまだ見つけられておりません。
河出の本はたまに半額ではブックオフ等で見ますけど、買っておきますか?


恐竜のオーパーツ 投稿者:管理人 投稿日: 2月 8日(金)19時07分38秒

アレクすてさん

>「これ以外に考えようがない」という文句が何回も出てきますが
そうそう! なんぼでも考えられるぞ、と突っ込んじゃいますよね(^^;ゞ

>謀略小説
というのはおっしゃるとおり。うまくいけば山田正紀風のエンタテインメントになったかもですね。
科学性で気が引けるなら、主人公が物語を語る形式にしておき、最後で主人公が精神科の療養所にでも入所していることを明らかなるようにしておけば、リドルストーリーになって非科学性を希釈できますね。よくある手ですが(^^)。

五島勉はよっぽど第5惑星人に執着があるようで、「宇宙人謎の遺産」という本にも出てきていたはずです。読み返してみようかな。

五島勉なんかはわりかし面白くて、その超科学も笑って許してしまうのですが、今日読んでいた「恐竜のオーパーツ」は、いくら南山宏の訳でも、全然受けつけませんでした(T_T)。
恐竜が絶滅したのは6000万年前よりずっと新しく、人類と共存していた、という事実を証明しようとすることに関してはオッケーなんですが、最終結論が聖書は正しかったというのでは、拒否反応を押さえることができません。ある意味逆非科学的態度かも知れませんけど、途中で放り投げてしまいました。


読み終わりました。 投稿者:アレクすて 投稿日: 2月 8日(金)06時45分06秒

五島勉『狙われた地球――新版・ツングース恐怖の黙示』
を読み終わりました。
ナチスにレーニン、ラスプーチンとなにやら謀略小説のようです。
(話の展開は、謀略小説のそれですね)
最終的にツングースの隕石は、水素で覆われた核爆弾であるという結論が出る
のですが、論理がとびまくってるのをのぞけば壮大な世界です。
(「これ以外に考えようがない」という文句が何回も出てきますが。)
それにしても手足のないはずの木星人は、どうやって爆弾を作ったんでしょうか?


This is 小説! 投稿者:管理人 投稿日: 2月 7日(木)21時05分46秒

残雪『蒼老たる浮雲』近藤直子訳(河出書房)読了。

土田さんにいただいた本。いやーすごい小説でした(^^;。
土田さんの掲示板に、ややくわしい感想を書きました、そちらもご覧下さい。

夢と(小説内)現実が同じ「確かさ」で描写されるので、慣れるまでは非常に戸惑いましたが、読みのスタンスが定まってからは、俄然面白くなりました。
作中人物たちの奇矯な言動、振る舞いは、香港映画(ジャッキー・チェンやデブゴン、ミスターブーなど)でおなじみの大袈裟な身振り手振りをイメージすればいいかも知れません。むしろ中国人には普通の姿なのかも。

夢と現実が繋がった世界なんですが、どんどん猥雑にグロテスクに歪んでいきます。まるで分厚く重ね塗りされたシュールレアリスム絵画を見ているようです。最後はその歪みが極致に達して、作品世界がふいに不思議な幻想的な色合いに変化します。ここが圧巻。

ちょっと類例がない小説世界ですが、バーセルミに少し似ているかも。

上述の表題作中篇の他に、短い短篇が3本、やはり夢と現実の区別がない世界なんですが、ずっとあっさりしていて軽いです。なかでも「山の上の小屋」は幻想短篇として出色。

それにしてもアトウッドといい残雪といい、まさに小説書き!としかいいようがなく、思えば日本には、今やこういう骨太の小説家は見あたらないのではないでしょうか? よくもわるくもポストモダンな説明小説家ばかりになってしまったような気がします(嘆息)

<BGM>高田渡/ごあいさつ


記憶なのか偽記憶なのか 投稿者:管理人 投稿日: 2月 3日(日)16時26分21秒

土田さん

NW-SFは私にとって「聖書」でしたからね(福島正実と並んで山野浩一が私の2大「SF導師」です)、何度も何度も読み返したんですよ(^^)。でも――

>NW-SFで読んだ作品を覚えていらっしゃるなんて素晴らしい記憶力でいらっしゃる
といわれると、急に自信がなくなるのです(^^;。

先日調べたとき発見できなかったのですが、『ジャズの本』というタイトルのエッセイと小説がごった煮の本がたしかあったはずで、その本にも「ヤマシタトリオをディグしていると・・」が収録されていたかも知れません。
それだと、たぶんNW-SF(掲載は2号でしたね)より10年は新しいので、その時の再読で記憶が強化されたのかも知れませんね。

いずれにしても、アイデアにビックリして、ジャズpレイヤーはすごいなあ、と思ったり、それを聞き取った河野典生はすごい耳をしているなあ、と現実とフィクションをごっちゃにした感想を抱いたことでした(^^;ゞ。

>石原博士の本、難しそうですね
そんなことはないですよ。論理の手続きがきっちり踏まれているので、むしろ平明かも。

古田武彦『邪馬台国はなかった』が、ケレン味たっぷりな新本格ミステリだとすれば(古田説は前提「魏志倭人伝は一言一句誤りはない」が非現実(メルヘン)なんですが、それをとりあえず認めた上で展開される論理のアクロバットはまさに至芸。しかしその実体は砂上の楼閣なんです。背景にトリックが施されている)、石原博士のは正攻法の(リアルな)本格ミステリと言えるかも知れません。

いや、どちらもノンフィクションなので、こういう読み方は失礼ですね>やはり現実とフィクションをごっちゃにしているようです私(汗)。


すごい記憶力です。 投稿者:土田裕之 投稿日: 2月 2日(土)23時44分21秒

NW-SFで読んだ作品を覚えていらっしゃるなんて素晴らしい記憶力でいらっしゃる。
自分にしてはわりと読んでいる雑誌ですが「コンクリートの島」をぼんやり覚えているくらい。
(あれは高速道路の交差するすきまの土地に落ち込んでごちゃごちゃする話でしたっけ?)
川上弘美さんもたしか最初の作品はNWーSFでしたよね。
知り合いで山野浩一さんは馬の血統の人だと思っている人がいます。(笑)
まあ間違いではないのでしょうが。

石原博士の本、難しそうですね。
頭の悪い自分には読み通せそうもない気が・・。
というか邪馬台国関連は豊田さんの小説しか読んでない・・・。


邪馬台国はここですか? 投稿者:管理人 投稿日: 2月 2日(土)18時56分46秒

石原藤夫『卑彌呼と日本書紀』(栄光出版社)読了。
日本ハードSFのパイオニア石原藤夫博士が、古代史論争に乗り込んだ(^^)。
邪馬台国は大和であり、女王卑弥呼は「日本書紀」の中にいた!!

困るのよねえ、こんな本を出されると・・
何を隠そう、私は邪馬台国九州説であります。
具体的には、当時は現在より海面が高かったことから、宮崎康平の仮説「二日市水道」を認め、かつ現在の筑後平野は浅い海というか、干潮の時は干潟になるような広大な沼沢地であった。そして二日市水道を介して博多湾と水運が通じていた、ということを前提とした上で、筑後川左岸水縄山地山麓、現在の福岡県八女郡から山門郡付近に比定しております。
将来、かかる観点で邪馬台国論を発表する予定でした。

困るのよねえ、こんな本を出されると・・
石原さんは「魏志倭人伝」について、
熱意不明の使者が実力不明の通訳を介して聞いた記録の又聞きや書写という文献に、どれほどの信憑性があるのか?(116p)

不正確な地理的知識を元にして書かれた文献に、どれほどの信憑性があるのか?(129p)

周辺国については伝統的に侮蔑的で間違いの多い正史を書くシナの古い史書中のごく短い文献に、どれほどの信憑性があるのか?(134p)


として、その資料性は「記紀」に及ぶべくもなく、記紀の補足として参照するに留めるべき文献なのだ、ということを論理的に論証します。つまり古田武彦に喧嘩を売っています(ウソです(^^;)。

というスタンスから、「日本書紀」を詳細に語りつつ(まるで大学の講義録みたいです。クリアーなので書紀の整理にも最適)、卑弥呼=天照大神説、卑弥呼=神功皇后説、卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命説、等を順に検討、整理していきます。

ここにとっておきの隠し玉「勘注系図」という古系図が紹介され書記と付き合わされます。
さらに、「年輪年代法」という最新の科学技術的方法の成果を取り入れ、考古学的事実と共に重ね合わされると・・
おお! なんとなんと、女王卑弥呼が、日本書紀の中から現れてきたではないですか!!

困るのよねえ、こんな本を出されると・・
私は20年かけて、上述の邪馬台国=八女説に辿り着いたというのに、この本を読み出してわずか数日で、自説を放棄しなくてはいけなくなったではないか(怒)。将来書く予定の邪馬台国論もご破算ではないですか(怒、怒)。石原博士に損害賠償を請求しようかな、冗談ですが。

ともあれ、この本は、邪馬台国九州説にとどめを刺すものであることは明らかです。
九州説論者は、この鉄壁の石原理論を破る新たな視点と論理を発見しなければならないでしょう、できるか?

みなさんもぜひお読み下さい。


頭隠して・・ 投稿者:管理人 投稿日: 2月 1日(金)21時45分32秒

土田さん
>「狂熱のデュエット」
はたぶん読んでないと思います。本棚を調べましたが見あたらなかったので。
(最近どんどん忘れて行きます(T_T)。今や、感想文を残しておかないと数日で思い出せなくなっています。忙しさにかまけて先送りしているうちに感想文自体が書けなくなった本が去年だけで2冊ありました(^^;)。

ただし「ピットインでヤマシタトリオをディグしていると・・・」はNW-SFで読みました。これ、なんかの理由でヤマシタ氏が任意の音を使わずにピアノをひかされるという一種のしばり小説でしたよね。これを読んですごいなあと思いました。筒井さんの言葉が消えていく小説はこの作品から啓発されたのではないでしょうか?

>ジャズ小説
山下洋輔さんが集英社文庫「いつか、ギラギラする日々」の解説で定義付けしていますよ。

>(ただ続けて読むと食傷しそうだけど)
私もそう思います。構造が同じものが多いのでしょうね。

ところで河野典生のSFファンタジーは筒井康隆の初期スラップスティックSFの裏面だと思っています。見せ方が違うだけで、ものは同じだと思います。

河本さん
>遭難して不時着した星ごと移動させて地球まで帰ってくる
おお、それもすごい話ですね(^^)。どうやって動かすのでしょう? 惑星自体が燃料になっているのかな。

>ダイヤがそんなに多量にあれば、石ころ並の価値しかなくなるのは当然でしょうが
大丈夫、多量に出回らなければいいのです。地球人に見つからないよう、表面を紅白の段幕で覆って隠しておくのです(^^;ゞ。


動かすな!! 投稿者:河本 投稿日: 2月 1日(金)17時36分00秒

 大熊さん
 トム・ゴドヴィンのSFで、遭難して不時着した星ごと移動させて地球まで帰ってくるのがありましたね。
 さらにこの星の砂は酸化珪素が主体ではなくて、炭素の結晶=ダイヤモンドで出来ているのです。そういう星を持って帰ったわけですから、みんな大金持ちになる、というものすごいお気楽エンディングです。(^^)
 まあ、ダイヤがそんなに多量にあれば、石ころ並の価値しかなくなるのは当然でしょうが、星一個分の不動産はそーとーなお金になることは確かです。


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