【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2002年10月)


ホラー? 投稿者:Y 投稿日:10月30日(水)23時56分57秒

「秘神界」好評ですね。アンソロジーマニアの私としては気になるのですが
そもそも「クトゥルーって何?なんかホラーの名作なんだよねえ?」という
認識しかないので(ええ、本当に知りたくなったらちゃんと調べます)
いきなり読んでもいいものか不安です。初心者にも楽しめて、マニアにはより
深く読めるという感じなんでしょうか。

>司政官シリーズ
私は初めて読んだときヒラでしたし、たぶん定年までヒラだと思いますが(^^;)
それでもSFで「組織の中にいてもがんばれ」っていうのを読んだのが初めて
だったので大いに勇気づけられました。仕事が嫌になったときに読むと、傷口に塩
というか失恋に中島みゆきというか。


アフロの頭も今や、、、 投稿者:管理人 投稿日:10月30日(水)21時23分41秒

原田さん
ありましたありました(^^)。いやー、すっかり忘れていました。

>この当時の関西を舞台とする推理小説は多いので
この当時関西で思春期を過ごしたミステリ作家が多いということですね(^^;

『秘神界―現代編―』より、荒俣宏「道」を読む。
ニューヨークからボストン行きの列車に乗ったのは、HPLの棲んだプロヴィデンスを一目見ようと思ったため。ところが停車時間中にプロヴィデンス駅に降りてみた「わたし」は、列車に置いてきぼりを食わされる。駅員に尋ねたら今日はもう列車はないという。ホテルはあるがタクシーはつかまらないという。駅員は「今夜と明日とは、もう別の世界だからな」と不思議な言葉を口走る。ホテルまで、駅員が紹介してくれた男のトラックに乗せてもらう。なぜかこの男、HPLの幼なじみだった。男はトラックで、HPLゆかりの場所を案内してくれる。しかしそれは現代とは思えない景色だった。

このあたりの描写、さながらHPL一代記の講談にできるような、HPLとプロヴィデンスの観光案内風。しかしこのあとが実に怖い!!
それまで科学と詩にしか関心のなかったHPLが、1923年に突如ホラー小説を書き始めたのはなぜか?折しも1923年9月1日、日本で関東大震災が起こる。
ホテルに一泊した翌朝、男が「わたし」を待っていた。HPLが今日帰ってくる。もうすぐ道が開いて、帰ってくると言うのだ。そんな馬鹿な!私は恐怖を感じて……

80年前を現前させる<仕掛け>にあっと驚かされる。面白い。


蛇足の注釈 投稿者:原田 実 投稿日:10月30日(水)09時52分14秒

管理人様、いささか独りよがりの文をUPして失礼しました。
その昔、まだアフロヘア大爆発だった頃の笑福亭鶴瓶師匠が司会をしていたテレビ・バラエテイで、公開録画の客席全体を使ってダルマさんがころんだ、を行うコーナーがありまして、そこで動いた者を探すためによちよち出てくるのが、指揮棒を持った教授と教授婦人の着ぐるみ二体。で、教授婦人の方は「うちもそう思う」としか言わないわけですね。
これは関西ローカルでは人気があった番組のはずなんですが、今は覚えている人も希かも知れません。この当時の関西を舞台とする推理小説は多いので、若い読者に時代の空気を伝える上での参考として、書き残させていただきます。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


「兵隊の宿」 投稿者:管理人 投稿日:10月29日(火)20時40分17秒

『鱧の皮 他五篇』より、「兵隊の宿」を読む。
若女将のお光には「旦那」がいる。世話をしてくれるおかげで、先祖代々持ち伝えてきたこの旅館の大黒屋も老いた母親も幼い娘もやっていけるのだ。
一昨年、お光は、ゆくりなくも村を出て東京でそこそこの書家となっている幼なじみの小池と、梅田ステーションで顔を合わし、一夜を共にしたことがあった。
お光のたびたびの(用心深く人を介しての)積極的な手紙に動かされたのか、小池が大阪に来るという。心待ちにしていたその日に、折悪しく兵隊の中隊が緊急に宿泊することになる。
といって小池に連絡を取る手段はない。第一小池は既に出発しているはずだ。
やきもきしているうちに、小池の汽車が梅田に着く時間になる。衝動的にお光は小池と会うために用意していたよそ行きの服を着る。そしてそれを着たまま、到着した将校を出迎える。

「其の夜、お光は(……)まんじりともしなかった。小池は何処で寝てゐるであらうかと、そればかりを考えてゐる中に、早や天明に近くなつた。旦那の泊りに来なかつたことが、切めてもの有り難さであつたけれど、偖今こゝで旦那に捨てられたら、この家は何うなるであらうかと、二番鶏の歌ふ頃には、そんあことをもちらちら考へて来た。小池といふ悪足に会へなかつたのは、家の為に幸福であつたのかも知れぬとさへ思はれて来た。――して見ると、昨晩から泊つてゐる兵隊さんは、一生の恩人かも知れぬ。――」
「それから三日ほどの間、饅頭笠を被った郵便配達の姿が見えるのが、待ち遠しくてならなかつた。」


教育はなくても生活力があってドライな女の姿が活写されている。


そうだ、東京行こう 投稿者:管理人 投稿日:10月28日(月)22時58分46秒

原田さん
>「C市」は『秘神界』企画意図にもっともストレートに応えた作品だと思います
なるほど! たしかにこの作品、どこから見ても小林泰三らしさ全開ですよね。そしてなおかつ、どこから見てもクトゥルー神話を「まっすぐに」反射した、というか、すなおに投げ返したものなんですよね(^^; すばらしい!

>ちなみにこの表題、80年代初頭に関西在住だった人以外には意味不明かも
すみません、私80年代初頭に関西在住だったですが、意味分かりません(恥)。なぜだ???

さて、唐突ですが、突然その気になって、探偵講談東京公演に行くことにしました。大宴会も参加します(^^;ゝ
当日ご参加の皆様、よろしくお願いいたしますm(_ _)m


うちもそう思う 投稿者:原田 実 投稿日:10月27日(日)19時04分56秒

管理人さま、「C市」は『秘神界』企画意図にもっともストレートに応えた作品だと思います。この作品は魅力は管理人さまご感想の末尾2行に言い尽くされているような・・・
ちなみにこの表題、80年代初頭に関西在住だった人以外には意味不明かも。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


「C市」 投稿者:管理人 投稿日:10月27日(日)12時43分53秒

『秘神界―現代編―』より、小林泰三「C市」を読む。
世界中で頻発した異常現象は、<C>の出現を予感させた。その結果日本のある漁村に広大な研究施設が設立される。それは「C市」と呼びならわされた。
世界中から参集した科学者は、おおむね3つの派閥に別れる。過半数を占める主戦派、次に反戦派、もっとも弱小な懐疑派。
主戦派内も元来分派があり、ビンツー博士をリーダーとするCを宇宙生命体の超進化形態と見る立場(=単なる宇宙生物であるから攻撃可能)。この宇宙に属するものではなく異次元知性体の一断面であるとする立場。時間的無限大に位置する最終観測者の探査針だとする立場。人類の進化に対応した暗在系の非生命反応だとする立場(ビンツー派以外は、物理的存在ではないので攻撃不能と考える)。最終的にビンツーはこれらの分派を論破し主戦派にまとめる。
反戦派は、Cを解釈すること自体を放棄する。分類し認識したところで、かなわないものにはかなわないのだから、Cが人類に無関心なまま去って行くまで息をひそめていようとする立場。
懐疑派は、Cに関する情報の殆どが2次情報であることからCはいないと結論する。世界中で起きた異常現象は偶然でありネット社会独特の虚像であるとする。
主戦派が、隕石中に発見した、遺伝子に似かよった振る舞いをするしかし反応速度は数万倍に達する物質から、学習型C自動追撃システム(HCACS)という一種の人工生命を開発する。それは猛烈な速度で自己進化を続け、瞬く間に人類には不可知の高みへ上昇する。
おりしも、南太平洋に奇怪な石造建築群を乗せた島が浮上する。と、HCACSは立ち上がり海を目指して歩き出したのだ!!

クトゥルーをSFの立場から解釈したクトゥルーSF! 面白い!!
あとがきで著者が「小林泰三らしさが出ていなければ成功なのだが……」と書いている。なぜ? これほど小林泰三らしい小説はないと思うのだけれど(汗)


「夢見る神の都」 投稿者:管理人 投稿日:10月26日(土)19時24分42秒

Yさん
退院されたのですね。よかったよかった。安心しました(^^)。

>名張、すごく行きたかったんですよ。
それは残念でした。面白かったですよ。機会があれば是非! 名古屋でも探偵講談、演ってほしいですね。

司政官シリーズは、下にも書きましたように、すべてSFMで読んでいるので、単行本でまとめて読んだら集積効果が働くのでしょうけど、案外個々の記憶は薄れています。それに最初は司政官、あまり評価してなかったのです。というのも、読んだ時期が大体二十歳代なので、中間管理職である司政官にあまり同調できなかった面があります。40歳代になって「消滅の光輪」を再読して初めて司政官シリーズの凄さに気づいたというような次第です。
ですから、「引き潮のとき」は、本当にうろ覚えです(汗)。

>結局「引き潮のとき」で司政制度は終わったということなんでしょうか。
「……」きちんと読み返さなくては(汗)。でも第2巻が未入手なんですよね(--;。

アレクすてさん

>ナンコさんの探偵講談以来でしょうか?
そうですね。次回の探偵講談は11月24日ですね。まだ先の話ですね。その前に畸人郷がありますか。

ところでニュートリノといえば、畸人郷例会会場はニュートレビですね。しつれいしました〜(^^;ゝ

『秘神界―現代編―』より、妹尾ゆふ子「夢見る神の都」を読む。
「私」は、かつて「夢見る神の都」という、クトゥルーめいた小説で新人賞を取ったが、結局それ一作で終わったもと作家。当時ひとりだけファンという人が訪ねてきたことがあり、それが妻である。結局私は、「居るだけでいい」という妻と結婚し、彼女の郷里である海が迫った高台の部落、玉依に落ち着き、無為徒食に暮らしている。
小説家だったことも忘れはてた頃、私のファンだという二人目の男が、玉依に私を訪ねてくる。それが開幕の合図だった……

『秘神界』集中の私が読んだなかでは初めてクトゥルー小説とよべる結構を備えた作品で、ぐいぐい読ませる。クトゥルーらしく超自然を「解釈」している。したがってホラーではなく、科学のないSF、私の用語での怪奇小説である。
所謂<観測系>問題を超自然現象に持ち込んだのは、新機軸といえる。ラストで語られる私自身に関する解釈もなかなか鮮やか。
この作家は初読。ファンタジー作家ということでクトゥルーファンタジーを期待して読んだのだが、上述のようにファンタジーではなかった。とはいえ、物語るのがうまい作家だと思った。


おひさしぶりです。 投稿者:アレクすて 投稿日:10月26日(土)00時21分57秒

おひさしぶりです。ナンコさんの探偵講談以来でしょうか?
そういえば、いまさらですが、今年のノーベル賞受賞者小柴昌俊東京大名誉教授(76)
の研究はニュートリノの観測だそうで、
全ての物質を通り抜けるはずのニュートリノを観測する時代になった、と興奮しております。
よく、SF雑誌で、タイムマシンやワープ公法のエネルギーはニュートリノだ、と言う話を聞いたものです。
ヒトゲノムが発見されたり、セチ計画がネットを通じて行われたり、まだまだ、ワンダーと言うのはあるのですね。
ではでは。


(無題) 投稿者:Y 投稿日:10月25日(金)22時19分12秒

ご無沙汰でした。やっと職場復帰もして、全快とまでは行きませんがほどほどに。
(利き手が使えなかったのでいろいろ不便でした)
名張、すごく行きたかったんですよ。残念。

「長い暁」収録の短編はいいですね。後期のような制度の退廃がなくて明るいです。
表題作のラストのSQとの会話が好きです。結局「引き潮のとき」で司政制度は
終わったということなんでしょうか。
サラリーマンにとってはイタタ……なシリーズですがそこが好き。


『クロノスの骨』 投稿者:管理人 投稿日:10月25日(金)21時13分31秒

五代格『クロノスの骨』(ハヤカワ文庫)読了。
反体制ゲリラの主人公は捕まり、<追放地区>に追放される。<追放地区>とは、四囲を峻険な山脈に囲まれた南北10キロ、東西10キロの、「入り口はあるが出口はない」まさに密室といってよい土地で、政治犯たちがそこに監禁されている。
主人公は、追放地区で再会したゲリラ仲間と協力して、脱出不可能なこの地から、脱出をはかるが・・・

いや〜面白い! これ和製「プリズナーbU」じゃないですか!! あまりの面白さに、仕事も放り出して読みふけってしまいました(^^;。

構成としては、この<追放地区>を設計した敵役のM大佐と、脱出をはかる主人公のゲーム的な面があり、息つぐ暇も与えません。その辺は山田正紀を彷彿とさせます。
メインのアイデアにはアッと驚かされました。実はかなり安易なアイデアで、科学的説明(科学的装い)も皆無なんですが、巨人の骨の発見から真相へ至る「騙し」のテクニック(プロット)があまりにも鮮やかなので、それは全然気になりません。ラストもカッコいい(^^)。

出版当時も話題にならなかったし、こんな面白い話だとは全然思いませんでした。これは掘り出し物でした(^^)
この著者、本はこれ一作だけなんですね。大正3年生まれだから、今日泊亜蘭とほぼ同世代(3歳年下)。どんな経歴の持ち主なのか知りたくなりました。作品からは、なんとなく戦前の地下活動家の匂いを感じるのですが(>読み過ぎか)。


「扉のひらくとき」 投稿者:管理人 投稿日:10月24日(木)21時58分08秒

『長い暁』より、「扉のひらくとき」を読む。
シゲイ・PPK・コウは、惑星ゼクテンの司政官。「一応の実績と評価を持つ」(すでにこれまで二つの惑星世界を大過なく勤め上げている)ベテラン司政官だ。この二十年、かれは自己抑制力のある典型的な司政官であった。ところが、司政官制度がある程度確立した今日、かれは司政官にあるまじき情緒不安定、何故とない焦燥に捉えられている。それは若い頃は無限にあると思っていた可能性が、実はそうでもないことに気づかざるを得ない年齢に、かれもなったということかも知れない。あるいは、司政官制度の安定で、この惑星ゼクテンでのかれの職務が、まさに「大過なく」後任に譲り送る事でしかなくなったからかも知れない。じっさい植民が行われるわけでもなく、原住民に対しても攻撃されれば反撃するが、その時以外は事実上没交渉とする「第2段階」の統治形態を取っているここゼクテンの現体制では波瀾万丈はあり得ない。
そんなところへ、原住民ゼクティアの2年ごとの「定期民族移動」がはじまった。
そんな状況の中、ふらりとゼクテンにやってきたのは、登録表現家の資格を持つグレイス・グレイスンという女性だった。ロボットに対しても人間に対すると同じ振る舞いをする彼女の言動に、シゲイは次第に影響を受け始め・・・民族移動で海に押し出された原住民が、司政庁のある島へ上陸しようとしたとき、かれは「大過なく」申し送るべき司政官にはあるまじき「決断」をする!

くう、たまりませんな。私もかつては草臥れた中間管理職であったわけですが、まさに我々中年の干涸らびかけた心をじんわり潤してくれる佳品でした。
編集済


読み散らし 投稿者:管理人 投稿日:10月23日(水)20時28分33秒

『秘神界―現代編―』より、友成純一「インサイド・アウト」を読む。
着地点を見極めず書き出したことがまるわかりの安易な作品。ちょっきりちょっきりちょっきりなあ、と歌うちょっきりぴんちゃんというフィジーの精霊が出てくるが、なぜフィジーの精霊が日本語めいた歌を歌うのかまるで分からない。だらっとしてて面白くない。

『鱧の皮』より、「父の婚禮」を読む。
12歳の「自分」が、父親の再婚の見聞を記録する形式。
戦前の婚礼の様子が珍しいけれど、人間の掘り下げが全体に浅い。まあ、当時の庶民の意識(民度)がこの程度だったのかも知れないが、作家がそれをなぞっても仕方がなかろう。そういう描写を通して、何か突き抜けなければ。悪く「風俗小説」の枠内に収まってしまっている。
ラストの数行に、宇野浩二が解説で否定的に挙げている「情話作家」という指摘が納得される。根本的に当今の官能作家と同じレベルの視野しかない。

『聖ヨハネ病院にて』より、「明月記」を読む。
入院したベッドで麻酔から目覚めた妻は、カーテンを引きちぎって露台から飛び出し、危うく墜落するところだった。それで近所のその病院には一晩いた限りで、郊外の専門病院に移されることになる。
面会に行くと子供のことを聞きたがる。

 光子は、朝から晩まで、飯を食ふ間も、兄の忠夫を手放さなかつた。七つの忠夫はまた、朝から晩まで妹に付きまとはれながら、朝十銭午後十銭づつ菓子を買つてやつたり、蜻蛉やバッタを捕つてやつたりしてゐるのだつた。時には、忠夫も一人で遊びたくて、出ていかうとすると、光子は泣きながらその袖を捉へて放さない。忠夫は放さうとする。光子は放さない。それを見ると、元春は悲しくなつて、二人をどなりつけたこともあつたが、思ひ返して、光子を抱きながら、近所の中学校の庭へ行つて、鉄棒にぶら下がらせたり、或は煙草屋の飾窓の前に立つて、剥製の木菟を見せたりして、機嫌を取つたことも、一再ではなかつた。そんな、光子の日常が、ありのままに、妻に向つて話せるものではない。

「(……)あなたダンヂョンて、なんていふ意味なの?」
(……)元春はぎくりとした。(……)
「さァ、なんだつたけ。綴りなら知つてゐるがね。たしか、dungeonだつたと思ふな。」「牢獄つて言ふ意味ぢやないの?」
(……)元春はもう一度ぎくりとした。徳子はすべてを知つてゐるんだと思つた。(……)
「普通牢獄といふのはprisonと言ふね。罪人といふのは、prisonerと言ふし……。」


妻が回復し、10日後に退院と決まった日、はじめて散歩を許される。ふたりで夜の道を歩き回る。十五夜である。

「大分疲れたから、馬車に乗つてかへらうぢやないか。」(……)
「それはあなたのロオマンチツクよ。私は、馬車にのると、早く病院に帰り着くから、気が進まないの。少しでも、余計に、外に居たいわ。いくら聞き慣れても、錠の音はいやなものよ。」
元春は返す言葉はなかつた。馬車は遠ざかつて行つた。
編集済


「地底湖の怪魚」 投稿者:管理人 投稿日:10月22日(火)20時10分22秒

土田さん

>久野四郎いいですねぇ
すいません、私まだ読んでないのです(汗)。
ずっと探していて、つい最近、とぐろさんが『夢判断』を見つけてくれて、ようやく入手するを得たところなんですよ。

>数年前に再読して「やっぱいいなあ」と思ってしまいました
それは楽しみです〜(^^)

『秘神界―現代編―』より、田中文雄「地底湖の怪魚」を読む。
舞台は栃木県内とおぼしい架空の滝上市(この市は前に読んだ滝原満名義のダイソー文庫の長篇でも舞台となっていた)の西10キロにある、かつて石切場として栄えた白羅冠(しらく)の町。今では廃れてしまったが、この町は江戸時代から続いた無計画な採掘のため、地下には複雑な空洞ができている。そのため、落盤や岩崩れが日常茶飯事。そのおかげで古代魚の化石が出たりもする。
そこで医者を営んでいる「わたし」の愛犬で、胃の腫瘍で余命3か月のボスは、死に場所を求めて(と「わたし」は考える)行方不明になる。とある採掘跡の洞窟で、「わたし」はボスを発見する。
洞窟の奥は地底湖となっており、ボスはその水際でなにか赤い肉のようなものを食べていた。ボスを連れ帰った「わたし」は、不治の病のはずのボスが回復していることに気づく。あの肉を食べたからだとしか考えられない!
「わたし」の妻も不治の病にふせっている。あの肉を食べさせたら妻も回復するのではないか?
「わたし」がアクアラングをつけて地底湖へ潜ってみると――なんとそこには、化石の古代魚そっくりの魚が泳いでいた。「わたし」は銛でしとめるが・・・

いやー面白いです。先の村田作品同様、この作品も因果の理屈が希薄なので、SFではなく、ホラーの範疇に入ります。ミステリーのように収束したり、SFのように膨張したりしない、こういう形式の作品では仕方がないことですが、無理矢理終わらせてしまっており、やはりそこでも因果が断絶している(映画のラストシーンならこれでオッケーなんですけどね)。
昔はそれほどでもなかったんですが、最近とみにその辺の処理が気になって・・・。SF読みの因果なところではあります。
編集済


久野四郎 投稿者:土田裕之 投稿日:10月22日(火)01時57分37秒

>村田基さんは、SFマップでは辺境に位置する作家ですが、忘れられてはいけない
同じような作風の作家さんはいませんからね。
ちなみにぼくは端正というよりも破天荒なアイディアホラーというイメージです。

それにしても・・
久野四郎いいですねぇ。
数年前に再読して「やっぱいいなあ」と思ってしまいました。

>SFの失速を防ぎ、高度を維持する役割を果たすのは、結局は村田基さんや草上仁さんのような実力派の安定した作品ではないかと思っています。なんで彼らをもっと使わないのかねえ>SF編集者たち

これは全面的に賛成です。
出版社としてはマーケットとのからみもあるでしょうが、今後に期待したいです。

>>松浦寿輝の「花腐し」
>一番新しい芥川賞でしたっけ。
2000年度上半期です。

>>幻想的な味わいもあり、不思議な味わいではありました
>そういう作風への授賞はうれしいですね(^^) 私も読んでみますね。
実際にぼくは本を探すのが面倒だったので読まなかったのですが
書評などでは「幽か」とかのほうが評判は良かったようですけれど。


実力派 投稿者:管理人 投稿日:10月21日(月)20時45分19秒

土田さん

村田基さんは、SFマップでは辺境に位置する作家ですが、忘れられてはいけない重要な作家だと思っています。
ホラーというものが今日のように一般化する前から、そのような位置づけの作品を書いておられた(もっと以前には久野四郎がいるわけですが)村田基さんの作品は、しかしホラーが隆盛となり、ど派手な血しぶきが飛び散る作品が主流となる中で、その端正な作風ゆえに埋没してしまった感があります。
今はJコレクションに象徴されるように、SFが上向きに加減になってきているようですが、新進作家の出版が一巡りした段階で、SFの失速を防ぎ、高度を維持する役割を果たすのは、結局は村田基さんや草上仁さんのような実力派の安定した作品ではないかと思っています。なんで彼らをもっと使わないのかねえ>SF編集者たち

>松浦寿輝の「花腐し」
一番新しい芥川賞でしたっけ。

>幻想的な味わいもあり、不思議な味わいではありました
そういう作風への授賞はうれしいですね(^^) 私も読んでみますね。


村田基 投稿者:土田裕之 投稿日:10月20日(日)23時55分38秒

秘神界に村田さんの作品がありましたか。
(いかに買っただけかが良く分かる)
ちなみに村田基さんの「恐怖の日常」はかなり好きな作品集です。

松浦寿輝の「花腐し」を読みました。
芥川賞をとった作品ですが、たまの書評を見ると他の著作よりも評判がいまひとつなのが
面白い。
内容的には詩を散文で書いたような小説で、
ストーリーは添え物のようなおざなりのようなまあどうでもいいような感じなのですが、
(多分都市の風景やイメージを書くことが中心で
ストーリー展開は作者の関心ではないだろうと思います)
幻想的な味わいもあり、不思議な味わいではありました。


「土神の贄」 投稿者:管理人 投稿日:10月20日(日)18時27分10秒

朝松健編『秘神界―現代編―』(創元文庫)より、村田基「土神の贄」を読む。
妻がアトピー性皮膚炎になり、通勤に2時間かかるが、空気清浄な奥多摩に引っ越す。その町の、排他的なある地区では、江戸時代より無農薬農法が行われていた。その地区の土が、他の土地のそれとは違うらしい。この地区では「土神」がまつられている。妻は、その地区の人々と付き合いができ、その地で穫れた野菜をもらってくるようになる。するとみるみるアトピーが治った。その地区で祭が行われることになり、妻も参加するらしい。それが生け贄役であることを、主人公は知るが・・・

これは伝奇ホラーの傑作。ちょっとあっさり。もっと長い方がよかったのに。ホラーらしく、土神の正体は明らかにならない。したがってクトゥルーとの関係も全然書かれてない(それではあんまりだと思ったのか、その地区はクチという名前になってはいますが)。クトゥルー・アンソロジーだからこそ、この趣向に拍手。
編集済


「照り返しの丘」 投稿者:大熊宏俊 投稿日:10月19日(土)22時49分10秒

眉村卓『長い暁』(ハヤカワ文庫)より、「照り返しの丘」を読む。
司政官シリーズは、ほとんど、というより全てSFMで読んでいるので、ことさら本になってから読むことをしているるわけではないのです。
この作品もSFMで読んでいるのですが、あらすじはほとんど忘れていました。
司政官制度の初期、2期生の司政官が連邦軍に対抗心を燃やして赴任した惑星で、所詮は中央から派遣された行政マンであることを思い知らされる・・・
本社採用(キャリア組)の司政官と、いわば現地採用(仕様)のロボット官僚という対比が面白い。
司政官シリーズって、司政官万歳という話は皆無で、実は司政官制度の矛盾やそれに直面する司政官自身の葛藤がテーマなんです。最終的に、司政官制度は破綻するんじゃないでしょうか。そういう末期の話を、眉村さんはまだ書いていらっしゃいませんが(汗)。


レトロ大阪近郊 投稿者:管理人 投稿日:10月18日(金)21時27分47秒

『鱧の皮 他五篇』より、「ごりがん」を読む。
”ごりがん”とは、”偏屈”とか”理屈言い”という意味の関西の方言らしいのだけれど、私は知らなかった。SF原理主義者ってのは、たぶん”ごりがん”者です(^^;
”ごりがん”な老僧の姿が実によく描かれていて、まことに面白い。老僧の息子がまた輪をかけた”ごりがん”で、”ごりがん”な老僧がほとほと手を焼くところが何とも面白い。
おそらく摂津多田付近であろう田舎の風景が目に浮かぶよう。

「一寸立ち寄つて見ようかとも思つたが、おつくふでもあつたし(……)停車中の電車の窓から、小学校帰りの子供を呼び止めて、願念寺へこれを持つて行つて呉れと言つて頼んだ。スルとその子供は嬉しさうな顔をして畦のやうな細道を一散に願念寺の方へ走つて行つた。電車が動き出してからも、小ひさな姿が麥畑の彼方に、吹き飛ばされてでもゐるやうに見えてゐたが、ある茅葺きの家の生垣の蔭になるまで、私は名刺を持つて行つた子供から目を離さなかつた。」

こんな光景は、今日では絶対見られないですな。懐かしい光景。
編集済


探偵小説講話 投稿者:管理人 投稿日:10月17日(木)19時55分46秒

アイナットさん
先日はお疲れさまでした。もっとゆっくりしたかったですね(^^;

>私は甲賀のは本格探偵小説、(無印)探偵小説、変格探偵小説(非探偵小説)の
>三つに分類(変格で無ければ探偵小説の範疇)に分類されているものだと思っていました。

いや私も甲賀の「探偵小説講話」を実際に読んだことはありません。森下祐行さんという方のサイトのこの分類論を読んで、なるほどな、と思ったんです。これは筋が通って分かりやすい、よい論文だと思いました。しかし真贋の判定をする知識を私は持っていません。

>探偵小説講話、どこか出版してくれないものでしょうか
ミステリバブルの今こそ、実現のチャンスなんですけどね(^^;。

名探偵ナンコで、またお会いしましょう!(^^)


先日 投稿者:アイナット 投稿日:10月17日(木)01時33分17秒

今更のような気もしますが、初めておじゃまさせて頂きます。よろしくお願いします。
先日の名張はお疲れさまでした。あのような場に居られた事は幸福以外の何者でもありませんでした。

下の本格探偵小説論も、元が甲賀三郎論というのも手伝って、興味深く拝見させて頂きました。それにしても、私は甲賀のは本格探偵小説、(無印)探偵小説、変格探偵小説(非探偵小説)の三つに分類(変格で無ければ探偵小説の範疇)に分類されているものだと思っていました。
それにしても、探偵小説講話、どこか出版してくれないものでしょうか。ミステリー文学資料館に行ければまだいいんですが、さすがに遠いですしね。


鱧の皮 投稿者:管理人 投稿日:10月16日(水)21時04分45秒

日野啓三逝去。ご冥福をお祈りいたします(合掌)。

探偵講談「夢の世界」を書いた多田省軒は、実はこの作家の変名ではないかと一部で(^^;ささやかれた(でもやっぱり別人のようです)上司小剣「鱧の皮」(岩波文庫『鱧の皮 他五篇』所収)を読みました。
大正時代の道頓堀から法善寺横町が舞台。好いですなあ(^^)
風俗小説は本来好まないのですが、こういう古い風俗小説は、時の風にさらされて実にいい色に変色する場合があり、本篇はまさにその典型。
道頓堀沿いの料理屋の繁忙時の描写もいいし、法善寺横町の小料理屋のたたずまいも興味深い。
このころ、日本橋から上町へ通ずる終夜運転の電車があったのですね。近鉄でしょうか。終夜運転というのが、この時代の大阪の繁栄をあらわしていますね。
まさに「レトロ大阪」の姿がよく描き出されています。
法善寺横町に立った登場人物の一人、源太郎が、ふと「今夜火事がいて、焼けて砕けて了ふやら知れん。」と呟くくだりは、あまりの暗合に、あッ!と思いました。
解説の宇野浩二が「大阪の庶民のつかふ大阪の言葉をもつとも巧みにこなしてゐるのは、(……)織田作之助であつたけれど、そこに織田の好みがはひつてゐたのが疵であつたから、今のところでは、小剣の右に出づるものはない。」と書いていますが、宜なるかな。
編集済


リンクの件 投稿者:管理人 投稿日:10月15日(火)21時40分35秒

大江十二階さん

名張ではお疲れさまでした。幻影城、美味しかったですね、通販で買えないのか知らん(^^)
リンクありがとうございます。遅れましたが、こちらからもリンク完了しました。
これからもよろしくお願いします。


リンクさせて頂きました。 投稿者:大江十二階 投稿日:10月14日(月)23時27分59秒

管理人様>遅まきながら、只今リンクを完了致しました。ご確認下さい。
昨日は、色々なお方とお話が出来て本当に楽しかったです。
臼田様>帰りの電車で、缶ビールをご馳走して頂いて、有り難うございました。

http://www.interq.or.jp/mercury/syundei/


名張大宴会 投稿者:管理人 投稿日:10月14日(月)17時02分35秒

昨日は、「探偵講談、乱歩を読む。名張公演」に行って来ました。
名張は1年ぶりでしたが、もう3年連続で訪れているので、駅周辺の土地鑑はかなりできています。
駅前の喫茶店で軽く昼食を取り、会場の名張市総合福祉センターふれあいへも全然迷いもせず到着しました。あっちこっちに知った顔が(^^;

演目は先週の大阪公演と同じで「乱歩一代記」、「二銭銅貨」、中入り後「魔術師」という構成。
150名ほど入っていましたか、ほとんど満席状態で、最前列に急遽イスが追加されていました。
講談という事で、地元の方とおぼしい年輩の方が多かったです。
その辺を見極めてか、南湖さん「乱歩一代記」のまくらでは、かなり時間をかけて、赤穂義士など、いわゆる伝統的な講談の一節から入りました。

「乱歩一代記」はいうまでもなく、前回ちょっと走り気味だった「魔術師」も、今回はしっかり読まれて格段に面白かったです。乱歩ファンではないふつうの地元の方には、たぶん「魔術師」が一番よかったのではないでしょうか。

講談の会が恙なく終了し、恒例の大宴会は、乱歩ゆかりの清風亭。名張川の河畔に建つ古びた建物は、いかにも風情がありました。
料理の川魚料理も、50年前乱歩が食したものと、ほとんど同じものとか。
私が川魚料理に抱いていたイメージとは違って、全体に濃厚な味でした。もちろん大変美味しかったです。
しかも、宴会にも参加して下さった木屋正酒造さんからは噂の銘酒幻影城が、清風亭からは季節の味覚松茸の土瓶蒸しの差し入れがあり、もう至れり尽くせりの宴会でした。

とはいっても静かに呑み食べる宴会だったわけではもちろんなく、30名の出席者が(初対面の方が大半なのに)互いに席を替わりあっちに行ったりこっちで談笑したりと、大いに盛り上がりました。時間は延長に延長を重ね、仲居さんが、早く終わって帰りたいんですけど、とこぼすほど楽しませていただきました。
中さんをはじめ関係者の皆様、どうもありがとうございました。

日帰り組は当然帰ったわけですが、泊まり組はまだ話したりないらしく、飲み屋を求めてほとんど寝静まった名張の町へぞろぞろ出ていきました。ご苦労様です。

というわけで、大変楽しい一日でした。また来年もよろしくお願いします。

臼田さん
というわけで、どうもお疲れさまでした(^^)

>幻想やホラー、SF等とミステリを区別するための変格と本格
甲賀のこの言い方が誤解を招きやすいんですね。
「探偵小説」と「非探偵小説」としたらよかったのかも。この言い方も何だかですな。

よく考えたら、「犯罪捜査小説」も上位概念ではないですね。
「日常の謎」派は「犯罪捜査小説」にはおさまらないけど、本格探偵小説でありえますもんね。

土田さん

「女王国トライアングル」は、案外に気に入った話でした。
新作は乱歩小説みたいですね(汗)

>こうやって懐かしい作家の新刊が出るのはなんだか嬉しいですね
SFに追い風が吹きはじめたんでしょうか(^^;


そんな話もしましたね 投稿者:臼田惣介 投稿日:10月13日(日)01時15分34秒

そうでした。そういうのもありましたねぇ。
幻想やホラー、SF等とミステリを区別するための変格と本格。
ただ、そこで本格という用語を使うと、その下位概念にまた本格という用語を使うことになり、形式と内容による定義が混在せざるを得なくなって具合が悪いので、私にはどうもぴったり来ないのでした。
このあたりの話は確か以前に少ししましたね。忘れていました。


聖ヨハネ病院にて 投稿者:管理人 投稿日:10月12日(土)23時42分42秒

上林暁『聖ヨハネ病院にて』(新潮文庫)より、表題作読む。
上林の<病妻もの>は、眉村さんの<日課>を読んでいるときから気になっていた。今回ようやく入手するを得、早速表題作を読み、感動しました。
精神の病で入院している妻がいよいよ危なくなり、作家は泊まり込みの付き添いをはじめる。最初は新鮮な気持ちで張り切っていたが、次第に現実に打ちひしがれはじめる。泊まりに病室へ帰る時間がだんだんと遅くなっていく。そういう極限的状況の中だからこそ交わされる妻との濃密な時間。夜半、電気をつけると、目が見えなくなっている妻が闇の中に座って縫い物をしている場面は、おもわず涙があふれてしまった。ここにも一つの混在郷が現出している。
編集済


おっと 投稿者:土田裕之 投稿日:10月12日(土)23時28分35秒

財布の関係でまだ買わなかったけれど、川田武氏の新刊が出ていました。
「女王国トライアングル」以来でしょうか?
角川文庫で出ていた「ピラミッドの日」しか読んでいないはずですが
堅実な作風だったような気がします。
こうやって懐かしい作家の新刊が出るのはなんだか嬉しいですね。

昨日買った「桂米朝コレクション2 奇想天外」では
解説で堀晃さんが「SFと落語」について語っています。


『ゆめこ縮緬』読了 投稿者:管理人 投稿日:10月12日(土)21時14分03秒

河本さん
興味深いご報告ありがとうございます。
縄文と南米とのつながりを考えようとすると、原田さんも言及しておられたラピタ人を外して考えるわけには行きませんね。
縄文時代後半から弥生時代前半(4000年〜2000年前)にニューギニア東隣の島嶼から南洋諸島に拡がったとされるラピタ人は、縄文人そのものであるとは思えませんが、接触はあったと考えるのが妥当な気がします。

>ポリネシアからイモが来るぐらいなら、言葉だってたくさん伝えられたのでありましょう
ちょっと古いですが、川本崇雄『日本語の源流』(講談社現代新書)は日本語の基礎語彙が南島語に遡る事を見出し、太平洋の島々に日本語の源流を探っています。また、茂在寅男『古代日本の航海術』(小学館創造選書)にも南島語と古代日本語の類似が述べられています。

さて、「青火童女」「ゆめこ縮緬」を読む。
両作品とも傑作である。両者とも最後に(オチとはいわないまでも)<仕掛け>があって非常に満足。
この2作と巻頭の「文月の使者」は、戦前東京の架空の土地「中洲」を舞台とする作品群を形成するようだ。(戦前、東京といっても、それは「無時間」的な閉鎖空間の趣がある)
この「中洲」は、皆川博子のヴァーミリオンサンズなのではないだろうか。この「中洲」シリーズともいうべき作品は他にもあるのだろうか。あるのなら是非読んでみたいと思った。
以上で皆川博子『ゆめこ縮緬』(集英社)読了。レベルの高い怪奇幻想短篇集でした。
編集済


縄文−南米の交流の可能性 投稿者:河本 投稿日:10月12日(土)16時49分01秒

 ケダ板で、ことさんのお父上の「ポリネシアとの言語の交流」のサイトを見て付けたレスをペーストします。

 引用始め              

 おお、イッツナイス。

 そういえば、さっき新じゃがを茹でたのだけど、このジャガタラ薯という名は、ジャカルタという土地のほうから来たいもだ、という意味ですよね。それで、その土地のほう、というのはもっと辿ると、インド洋を越えて喜望峰を回り、ヨーロッパによって、さらに大西洋を渡り、南米大陸のアマゾン流域を分け入ってインカの人々の土地まで行き着くわけですね。

 薩摩薯も薩摩の国では唐薯って呼ばれるとおり、唐国のほうから来たイモと言う意味で、その先をを辿ると、ジャカルタからカンボジアを通過し、インド洋を越えて・・・じゃがいもと同じ故郷が原産地なわけです。

 ところで、さつまいもが伝わったのは、このルートの他に大陸から太平洋を越えて来た可能性がある、という説がたぶんあるのです。証明された学説なのかは知らない。なにかで読んだよーな。

 学会ではどうだか知らないのですが、前に、TV朝で放送したニューギニアのイリアンジャヤの未接触種族との初めてのコンタクトの様子を見ていて、あれっと思ったことがあるのです。

 探検隊の先住民への衣類や道具などのプレゼントに答えて、向こうが自分たちの食べている食物を差し出してくれるという場面で、そのなかにサツマイモが入っていたのです。

 番組では、それについて何のコメントもしなかったのですが、そこにサツマイモがあるということは、文明とは未接触だったのですから、ヨーロッパ経由で伝わったわけはなくて、南米大陸>太平洋>ポリネシア>イリアンジャヤと来たことを示しているのではないでしょうか。それならば、日本にも太平洋ルートで運ばれてきた可能性がおおいにある。

 そんなわけで、ポリネシアからイモが来るぐらいなら、言葉だってたくさん伝えられたのでありましょう。 

 引用終わり

 上述のサイトのURL、今見失っているのですが、見つけたら書き込みます。
    


犯罪捜査小説 投稿者:管理人 投稿日:10月12日(土)14時46分56秒

臼田さん

またまた鬼のツッコミをありがとうございます(^^;。
うーん、私が、

>>ハードボイルドや社会派推理小説も、本来の定義では
>>「本格探偵小説」の範疇に含まれてしまうんですよね
と書いたところの本来の定義とは、臼田さんは先刻ご承知の通り、ここの記述に出典しています。
つまり私が用いたところの本来の定義とは、「本格探偵小説」という言葉を作った甲賀三郎の定義ということになります。
つまり、「本格探偵小説というものは、要するに犯罪捜査小説」であるという定義を念頭にしていたものです。
要するに形式論としての定義であります。

ところで、
>基本的にハードボイルドや社会派推理小説と本格探偵小説の定義は
>拠ってたつところが異なるものです
というお説は、私にも否やはないのです。たしかに狭義本格探偵小説の否定としてハードボイルド(や社会派推理小説)は生まれたのですから、その相違点に着目すれば、当然この3者は別の定義で括られるわけです(内容に即した定義)。
とはいえ、これら3者が、原則として「犯罪捜査小説」であることは否定できないと思われます。

したがって、前3者の個別定義は、甲賀の(本来の)定義と矛盾するものではなく、いわばその下位の定義であるといえるのではないでしょうか。

>つまるところハードボイルドや社会派推理小説の中には本格探偵小説
>であるものも存在するし、そうでないものもある。
これも全く同意するわけですが、「狭義本格探偵小説」が「ハードボイルド」や「社会派推理小説」でも成立しうるとは、いったいどういう事態なんでしょうか。

これは、けだし甲賀定義の下位定義である3者の定義が、事実上同一レベルでの定義ではないところに起因するものだからだろうと愚考します。
つまり、非常にバクッといってしまいますが、ハードボイルドや社会派推理の成立は、狭義本格の「非現実性」の否定によるのであって、狭義本格の「数学的・論理的推論」を否定するものではないからではないでしょうか?(ハードボイルドが否定する「非現実性」と社会派が否定する「非現実性」は、またニュアンスが異なるように思われます)

>そして、本格探偵小説にはハードボイルド・社会派・SF・幻想小説
>も有り得るということなのです。

たとえば「鋼鉄都市」や「はだかの太陽」は、SFですが、犯罪捜査小説という、まさに甲賀の定義を満たしていますよね。しかも狭義本格の定義も満たしている。もちろんSFとしても一級品です。
このように作品の要素のどの部分に重点を置くかによって、その作品の帰属ジャンルは可変的であるといえるのかも知れませんね。どうなんでしょ(^^;ゝ
編集済


ちょっと失礼します。 投稿者:臼田惣介 投稿日:10月12日(土)00時44分29秒

管理人 様

>ハードボイルドや社会派推理小説も、本来の定義では「本格探偵小説」の範疇に含まれ てしまうんですよね。
そうではなくて、基本的にハードボイルドや社会派推理小説と本格探偵小説の定義は拠ってたつところが異なるものです。これは基本的な本格の定義と狭義の本格探偵小説の概念が混同されるところにも一因はありますが、つまるところハードボイルドや社会派推理小説の中には本格探偵小説であるものも存在するし、そうでないものもある。そして、本格探偵小説にはハードボイルド・社会派・SF・幻想小説も有り得るということなのです。ややこしい話はまた別の機会に。
それから、「変革探偵小説」は「変格探偵小説」のことですね。
細かいことですみません。ではまた。


本格探偵小説 投稿者:管理人 投稿日:10月11日(金)20時09分50秒

原田実さん

>案外と乱歩も、ラヴクラフトやピアスあたりの神話化された伝記をモデルに、
>自らの神話化を楽しんでいた面があるのかも知れません
なるほど、乱歩の場合は、案外そうかも分かりませんね。

>今なら、ホラー・SF・幻想小説に分類される作品が「変革探偵小説」といわれておりまして
だから本来は、「本格探偵小説」という言葉がが指し示す領域は、ずいぶん広いんですよね。(狭義の)本格探偵小説はもちろん、ハードボイルドや社会派推理小説も、本来の定義では「本格探偵小説」の範疇に含まれてしまうんですよね。

『ゆめこ縮緬』より、「胡蝶塚」読む。
この話も読んでいる最中は面白いんですが、読後感はいまいち。ラストの一行は、「玉虫抄」と同工異曲で、だから何やねん、と思ってしまう。
(おそろしいことですが)ひょっとして私は、ラストでオチがない小説はダメなのかも知れない。そんな気がふとしました。
いやいや、そんなことはない、そんなハズはない、と私の中の今一人の私は否定しているのですが・・


乱歩は意図的かも 投稿者:原田 実 投稿日:10月10日(木)09時42分25秒

かつての日本では、今なら、ホラー・SF・幻想小説に分類される作品が「変革探偵小説」といわれておりまして、乱歩は海外のそうした作品の紹介者でもあったわけです。ラヴクラフト神話についても、『怪談入門』などでおどろおどろしく紹介していたわけで、
案外と乱歩も、ラヴクラフトやピアスあたりの神話化された伝記をモデルに、自らの神話化を楽しんでいた面があるのかも知れません〈皆神龍一郎さんによると、ピアスがメキシコ探検中に失踪したというのは、フィクションだとか。私も長らくだまされていたことになります)。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


乱歩とラヴクラフト 投稿者:管理人 投稿日:10月 9日(水)23時18分33秒

『ゆめこ縮緬』より、「玉虫抄」を読む。
またうって変わって、トリッキーというか人工的な話。読んでいる最中は面白いのだが、あまりにも作り物めいていて、読後感はつまらなかった。ちょっと才に溺れた印象。通俗小説としてはこれでいいのかも知れないが、わたし的には不満。

人外境だよりに、乱歩ご令孫、平井憲太郎さんが乱歩について語った要旨が書き込みされています(10/7の人間豹氏の投稿)。
それを読んで、私は原田実さんのラヴクラフト論(「現代オカルティズムとラヴクラフト」)に述べられたラヴクラフト像との類似に気がつきました。
たとえば
●土蔵のなかで原稿を書いたというのは嘘である
は、乱歩が、ラヴクラフト同様、神話化されたことを物語っています。

●江戸川乱歩はごく常識的な人間であった
●乱歩はきわめて論理的な人で、論理や合理に合わないものはすべて排除した

これは、「心霊現象とか超自然現象といわれるようなものは記憶違いや伝聞における誤解、でっち上げの産物であり、そうしたものを信じるのは原始時代の迷信的思考の残存にすぎない」(原田、前掲書770p)というラヴクラフトの言説とリンクします。

また「(ラヴクラフト)はしばしば超自然現象めいた体験や悪夢にみまわれることがあった。そこでその不安を追い払うためにあえて唯物論で理論武装していた」(原田771p)という逆説は、上の要旨にはありませんが、乱歩もまた非合理に傾斜しがちな自分の資質を知悉していたが故に、頑ななまで合理主義にすがろうとした、と名張人外境の中さんがつとにおっしゃっていたと思います。
かくのごとく、乱歩とラヴクラフトは、資質的に非常に似通ったところがあったのではないでしょうか。
編集済


『ゆめこ縮緬』より 投稿者:管理人 投稿日:10月 8日(火)22時10分09秒

「花溶け」読む。
去年の秋、産科医と結婚式を挙げた日から佳耶は高熱を出し、それ以来寝込んだままである。ほとんど離人症状態で、夫と新枕もかわさぬまま年が改まり、春が過ぎ夏を迎える。そんな佳耶を、(近代婦人である)夫の妹は、一線を引き、離縁されても仕方がないとなじるが・・・
なぜ彼女は気を病んだのか、なぜ夫は離縁しないのか、すべての謎は最後の幻想的な光景の中に、読者は佳耶の視覚を得て了解される。説明されるのではない、卒然とあきらかになるのだ。
20頁たらずの掌篇ながら、というかそれゆえに、作者のミステリ作家としての資質が顕れた秀作。


いのおちは〜ひとおつう〜じん〜せい〜はいっかいだから 投稿者:管理人 投稿日:10月 7日(月)21時55分10秒

畸人郷野村会長のライブ出演顛末記
うーん、いいなあ。
ってことで、私もギターを引っぱり出してきました。>すぐに影響されるヤツ(^^;ゝ
「生活の柄」を、CDにあわせて弾く。これはかなりスロウだから何とか付いていけましたが、、、こすったような音しか出てへん(泣)
つづいて「教訓1」。すぐに指が痛くなってきました。あーあ。


秘神界 投稿者:管理人 投稿日:10月 6日(日)21時22分20秒

原田実「現代オカルティズムとラヴクラフト」(朝松健編『秘神界―現代編―』所収)を読む。
1960年代以降におけるラヴクラフトの神話化、ラヴクラフトのオカルト的解釈の流行(ひいてはムー的「現実主義」)に対して一石を投じる、まさに時宜を得た好篇。
ラヴクラフト本人は自作を純然たるフィクションだと言い続けた唯物論者(逆説的な面があるにしても)であったことを、ラヴクラフトがオーガスト・ダーレスらに宛てた書簡を縦横に引用して再確認する。

そして、ジャック・ヴェルジェもルイ・ポーヴェルもコリン・ウィルソンも(アレイスター・クロウリーにしてからさえ)、
実際はその言動が本気なのか冗談なのかわからない人柄だった。(770p)
として、フィクションをフィクションとして愉しむことの大事さに言及するとともに、「ムー」的方向性に警鐘を鳴らし、

オカルト好きの人は想像力豊かだろう、というのは世間にありがちな偏見である。実際にオカルトにはまっている人の想像力は偏狭でパターンにはまっている人が多い。彼らは常に現実主義者≠セ。(773〜774p)

と喝破している。いや同感!!
実は上の文、まさに、私が考えてなかなか言葉にできなかったことを簡潔に纏めていただいたような気がします。
私が「ムー」的な文章に(素材には大いに惹かれつつも)感じる苛立たしさ、違和感(なぜ小説―フィクション―として書かないのか)は、まさにかれらの偏狭な現実主義に起因するものだったわけです。いや胸のつかえがとれたようでスーッとしました。

『ゆめこ縮緬』より、「影つづれ」と「桔梗闇」を読む。
前者は、行き暮れた宿で不思議な夢に目覚めた男の耳に、押入の筈の板戸の向こうから女の声が聞こえてくる・・・
後者は、西条八十の袖珍本『砂金』が織りなす絢爛たる怪奇幻想の精華。
こんな凄い作家を、今まで知らなかったことを愧じる。
編集済


探偵講談、大阪決起大会 投稿者:管理人 投稿日:10月 6日(日)11時22分34秒

昨夕は、旭堂南湖さんの講談の会「探偵講談、乱歩を読む」(大阪編)に行って来ました。
昨日の会は、いよいよ来週(10/13)に迫った『乱歩再臨』――江戸川乱歩ふるさと発見五十年記念事業――の一環としての「探偵講談、乱歩を読む」(名張編)に向けての成功祈願決起集会的な会となりました。

演目も名張編と同じ「乱歩一代記〜乱歩と神田伯龍〜」(作・芦辺拓)、「二銭銅貨」(原作・江戸川乱歩)、「魔術師」(原作・江戸川乱歩)ということで、南湖さんにとっても最終チェック的な意味合いがあったと思われます。

そういう意味では、3編とも満足できる仕上がりになっていたと思います。ことに「乱歩一代記」は(すべての面において)ほぼ「完璧」! まさに「完成」された、といってよいでしょう。
来週の名張編、ご期待下さい。そしてまた引き続いて開催される東京編(11/2、於・豊島区民センター)、12/7の伊賀編(前田教育会館蕉門ホール)も、期待してお待ち下さい!!

さて、恒例の芦辺拓さんと南湖さんの対談では、刷り上がったばかりの名張編のポスターが披露されました。中さんの制作らしい洗練されたデザインで好評でした。抽選で4名の方がゲットされました(あとピンナップされたのをはずして持ち帰った方もあり。いやもちろん承諾の上です)。

これまた恒例の打ち上げは、今回は開演が一時間半早かったので、当然早くはじまり、私ははじめて最後までおつき合いできました(^^)
今回は来週名張公演が控えている関係か、常連が少なく(お客様の半数が初めて来られた方でしたが、逆に言えば、探偵講談の底辺が広がりつつあることを示しているわけで結構なことであります)8名でのこぢんまりとした宴会となりました。

詩人で日本シャーロックホームズ・クラブの松本賀久子さんとは初対面。ご著書の詩集『ジャミラ記念日』を見せていただきました(リンクから数篇の詩を読むことができます)。

ご常連の國桃櫻さんとご一緒に来られたSAMANAさんも初対面。これからも探偵講談よろしくお願いします。
編集済


「文月の使者」 投稿者:管理人 投稿日:10月 4日(金)20時23分04秒

原田実さん

>大正時代に石川三四郎が主張しています
そうですか。やはり先人がいたのですね。大正時代に同じ妄想(?)を抱いていた人がいたとは、嬉しくなっちゃいます(^^)。
この分野は、お説のように「蓄積(加上)」が期待できないので、いったん忘れ去られた説が「新説」を称してよみがえるということが繰り返され(原田実「古代中国人のアメリカ渡航説について」がちなんですよね。
そういう意味でも、原田さんのお仕事は、学史上ないがしろにできない、非常に有意義な基礎的研究だと私は思います。

>絶後とはいわないまでも空前の大企画
たしかにすごい顔ぶれですね。→bk1
いやー、たのしみですー(^^)。

皆川博子『ゆめこ縮緬』(集英社)より、「文月の使者」読む。
美文がいいです。こういうのは、ホラーといわず由緒正しい「怪奇幻想小説」と呼びたいですね(^^;。人間、幽霊、化け物が入り乱れてドタバタを演じるラストは、はからずも一線が取っ払われた彼我一如の渾然郷が現出しています。
編集済


重ねてお礼申します 投稿者:原田 実 投稿日:10月 3日(木)23時16分43秒

管理人様
 引用はできるだけ少なくいたします。お許し下さいm(_ _)

いえいえ論文は引用していただいてナンボのものですから、どうかご遠慮なさらず、今後ともよろしく。

「越」の音「コシ」と、コーチシナが堂語源ではないか、というのは大正時代に石川三四郎が主張しています。もっとも、石川説では、その共通の語源は中央アジアのカチ民族、すなわち小アジアのハッチ(ヒッタイト)の東遷だ、ということなので、いささか眉唾なのですが。
『秘神界』は歴史編に芦辺先生が参加しておられますし、他の先生がたの顔ぶれからいっても、絶後とはいわないまでも空前の大企画といってよい(いや、本当に私がその中に名を連ねているということ自体、信じられないような話なのですから)ので、大変とは思いますが、どうか両巻そろえてご購読下さい。とりあえず宣伝〔m( _ _ )m〕まで。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


月刊センターさん更新 投稿者:管理人 投稿日:10月 3日(木)21時31分24秒

原田実さん

や、ご覧でしたか(汗)。申し訳ありません。引用はできるだけ少なくいたします。お許し下さいm(_ _)m

原田さんの論文が載っている『秘神界(現代編)』(創元文庫)を買おうと本屋さんに出掛けたのですが、あまりの分厚さ重さに、持ったその本バッタと落とし、小膝叩いてニッコリ笑い、気を取り直して拾い上げたのですが、値段を見てふたたびぽとり(ドサリか)と取り落としてしまいました。失礼しました。
週末、大阪に出ますので、買わせていただきますね(^^)。

ところで森浩一先生でしたっけ、北陸の「越」が越人と無関係ではないかも、とおっしゃったのは。
私は読みの「こし」も、越人と無関係ではないように思います。
越は前漢武帝の時に交阯郡が置かれますし、コーチシナの語源は、マレー人がベトナムを「クチ」と呼んだのをポルトガル人が取り入れたものだそうですね。「越」は漢人の命名で越人自身は「コシ(クチ)」と自称していたのかも、などと想像しています。(これもひょっとしたら森先生がおっしゃったのを自分の意見と思いこんでいる可能性があります。出典を忘れてしまって確認できません)
だとすれば、黒潮の洗う高知も越人と関係があるのではないかと思って調べたことがあるのですが、高知は山内一豊の命名にはじまるとのことで、がっかりしたものです(^^;ゝ。

標記の通り、月刊センターHPの眉村卓ショートショートが更新されています。>「列車について」
編集済


ご紹介ありがとうございます 投稿者:原田 実 投稿日:10月 3日(木)00時01分56秒

管理人様,当方のHP更新のご紹介ありがとうございます。また、引用していただいたおかげで誤字発見、さっそく訂正いたしました。
たしかにシナ大陸南部・南太平洋・南米に共通の文化があるということなら、南太平洋から東西にそれぞれ電波したという解釈も可能なはずですね。
 しかし、中国人でこうした説を唱えたがる人は、どうしても中華思想を太古までさかのぼって正当化したい、という傾向があるようで、志向が一方通行になってしまうようです。古田武彦氏の縄文人南米渡航説では、日本列島と南米北岸の土器の類似を強調する一方で、中間の南太平洋地域に類似の土器がない、とも主張しており、一応のつじつまはあっておりました。もっとも現時点でのデータからすると、朝鮮半島、シベリアの櫛目紋土器文化や、ポリネシアのラピタ土器文化などを含めて考察すると、縄文後期の日本列島と南米北岸の類似など、環太平洋圏の土器文化におけるバリュエーションの幅の中に納まってしまいそうなのですが、1970年代には十分画期的で、一応の説得力のある主張だった、というところでしょうか。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


『探偵講談、乱歩を読む。』大阪篇 投稿者:管理人 投稿日:10月 2日(水)22時09分13秒

今週の土曜ですので、みなさまお忘れなく!

10/5(土)開場/16:30 開演/17:00
会場/Team火の車稽古場「デジタルエイト(旧関西テレビ)地下一階」(JR大阪駅・地下鉄梅田駅下車徒歩十五分程。ビル壁面の「8」の字が目印です。/北区西天満6-5-17)*午後6時を過ぎますと正面玄関が閉まりますので、右横にある通用口よりお入り下さい。

料金/1500円

出演/旭堂南湖「乱歩一代記」(作・芦辺拓)、「二銭銅貨」「魔術師」(原作・江戸川乱歩)
ゲスト・芦辺拓(作家)「対談・探偵講談と乱歩」


今回はいつもより一時間30分早い開始ですので、お間違いなきよう。
打ち上げがゆっくりできますね(^^;
編集済


ハードSF 投稿者:管理人 投稿日:10月 2日(水)21時59分45秒

というわけで、日本人ハードSFのストックを読み尽くしてしまいました(ほんとうは「エネルギー救出作戦」が残っているのだけど、堀晃を続けて読んでしまうのはあまりに勿体ないので、しばらく神棚に飾っておくつもり)。
あと、小松左京のハードSF短編は読んでないのがあるはずですが、何が未読なのか、さっぱり分からなくなっている。
補充しようと思って古本屋を覗きましたが、石原さんの本は、「コンピュータが死んだ日」しかありませんでした。うーむ、少し前まで、惑星シリーズも光世紀パトロールもよく見かけたんですけど。
こうなると、ますますハードSF短編が読みたくなってきました(^^;。


石原藤夫 投稿者:管理人 投稿日:10月 1日(火)20時36分47秒

↓は、結局見つからなくて、そのかわりに『タイムマシン惑星』(ハヤカワ文庫)を掘り出した。で、あっという間に読了。4時間かからなかったと思います。ハードSFとは信じられない読みやすさです。

ハードSFといっても、この作品、堀作品のようなオーソドックスなハードSFとはいささか趣を異にしていて、あえていうなら藤子不二雄のマンガを字で読んでいるような印象です。「ハイウェイ惑星」に比べても、さらにそっちの方向に突っ走っています。

とはいえ、ハードSFはハードSFなので、本文で高らかに宣されているように、「これであらゆる種類の疑問と謎が、科学的に説明された(……)地球の平和を守っていてくれているスーパーマンが、ロケット噴射なしに空を飛ぶ謎までもが、科学的に解け」(245p)ちゃうのでありました(汗)。

たしかに、「いずれにせよ最後になれば、すべてにわたってニュートンの理論どおり(135p)」あるいは「アインシュタインの理論どおりになっていることがわかる(140p)」のだが、とはいえその設定が、ご都合主義以外の何ものでもない(^^;ゝことは明白です。

しかし、この作品の場合、それは少しも欠点ではないのです。だれが「ドラえもん」を、ご都合主義として否定するでしょうか。ことほどさように、「タイムマシン惑星」には、「ドラえもん」同様、ご都合主義の愉しみがみっしりとつまっています。
これもまた、ハードSFのひとつの在り方なのだなと、感心しつつ読み終わりました。
編集済


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