【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2002年12月)


富田勲の 投稿者:管理人 投稿日:12月29日(日)22時47分31秒

「惑星」を聴きまくっています。よいですなあ。殆ど1時間の大作なので、昨日と今日で、かれこれ5時間近く聴いている計算(^^;。照明を消して目をつぶって聴いていると、なんか映像が浮かんでくるような気がします。
うーむ、むしょうに宇宙SFが読みたくなってきました(^^)。
――とか言いつつ、瀬名秀明『あしたのロボット』(文藝春秋)を読んでいます。
編集済


ゲバルトローザ 投稿者:管理人 投稿日:12月29日(日)16時41分45秒

先日放映されたテレビ「赤軍派の女たち」をビデオで見たんだけど、テレビにしては珍しく冷静でなかなか良かったです。
見ていて思い出したのは、全共闘にしても民青にしても、オルグに別嬪さんを使っていたこと(^^;。
これをゲバルトローザと称したわけですが、もちろんローザ・ルクセンブルクから採っている。そういえば、山野浩一もフリーダムものにローザという主人公を設定していましたね。
ともあれ、このゲバルトローザが、みんな不思議な影がある美人ぞろいで、私や今は住職のTくん(と強引に仲間にしてしまう(^^;)は彼女たちが目当てで、節操もなくあちこちに動員されていたような(汗)。
同級生の女子にはない、なんか凄い経験をつんできたようなふしぎなオーラを発散してましたな。今から考えれば一種のハロー効果だったんでしょうけど、ロンドンで女子留学生を拉致したよど号メンバーの妻が、「(たまには)女もオルグせよ」と命じられる場面は、なるほどさもありなん、と納得しましたです。
魔女とののしられた永田洋子の素顔を報道したのも好ましい。この永田と重信房子のふたりの後半生は、実に対称的で興味深いですね。
ところで、重信の娘さんは驚くほどの美人ですねえ(爆)。ちょっと動いたらたちまちそこそこの人数を動員できそう。利用されないことを切に祈る(もうされているのかも知れませんけど)。
編集済


私信 投稿者:管理人 投稿日:12月28日(土)21時50分26秒

臼田惣介さま

メールの件>人外境だよりによりますと、中さんは正念場らしく、先行き不透明というか難しそうですね。中さんが不在だと意味がないかも知れませんが、お連れいただくのはいっこうに構いませんです。飲み会は多い方が楽しいですもんね(^^)

富田勲「惑星」(1976)を聴いています。大学時代友人に借りて以来(^^;。
いやー良いです! 全然古びてないですね。
編集済


腎臓がだるい・・・ 投稿者:管理人 投稿日:12月27日(金)20時33分17秒

今年の仕事がほぼ終了しました(明日少し残務整理)。これでやっと本が読めます。肝臓と腎臓も休ませてあげねば・・・

業務連絡>風の翼掲示板にも書き込みましたが、「風の翼」新年吉例大宴会を下記の次第で行います。

○1月4日(土)13:00紀伊国屋書店(向かって右手)入り口集合

今年は同窓会のある野村さんに会わせて(^^;、1月3日を避けていますので、お間違いなきよう。
新年会の席で重大発表を行う予定です(^^;ゝ。万障お繰り合わせてご出席下さい。


どうもお気遣いいただきまして 投稿者:Y 投稿日:12月26日(木)20時21分02秒

>石川誠壱さま
ありがとうございます。ただ、すでに別バージョンを所蔵している本なので
どこかのふらっと入った本屋で見つかれば「当たり」という気持ちでいます。
出来れば自力で見つけたいので、どうしても欲しくなったらその時にお願いします。

年末年始は何を読もうか考えています。


『ねらわれた学園』(承前) 投稿者:管理人 投稿日:12月25日(水)22時51分31秒

石川誠壱さん

いつもお気に掛けていただき感謝しております。

>角川文庫『ねらわれた学園』の、
>「薬師丸ひろ子の表紙じゃない本」を
>捜しておられた方がいらっしゃったと思うのですが、
それはYさんであると思います。Yさんはここを毎日巡回されているわけではないようなので、さっきメールしておきました。少し猶予を頂きたく思います。

私の持っているのは何かな、と思って見ましたら、なんと薬師丸ひろ子でした(^^;ゝ


なんと申しましょうか(汗) 投稿者:管理人 投稿日:12月23日(月)23時06分33秒

アヴラム・ディヴィッドスン「英国人魔術師スミート閣下」(SPPAD60より)を読む。
エステルハージィ博士は、「魔術師スミート閣下」と名のる英国人と知り合う。彼はもともと貴族の出、暇にあかせてオド力(19世紀ドイツの学者ライヒェンバッハ男爵が提唱した宇宙生命エネルギー)の実験にいそしんでいた。ところが、友人の天文学者に実験したら、彼は衣服だけ残して消え失せてしまったのだ。
このスキャンダルにより英国を放逐された彼は、オド力を用いて「魔術師」として悩める人々の相談にのって生計を立てながら、流れ流れて、ここ三位一体王国へと流れ着いていた。エステルハージィは彼の魔術(オド力)を間近に観察するが、ある日、大西洋の深海をこの場所に持ってきて欲しいという依頼が……。了承した魔術師は博士と協力して仕掛けに取りかかるが・・・

これはヨコジュンが書きそうな話。書き方は荘重だけど、実体はハチャハチャ。くすぐりが各所にばらまかれてあるようなのだが、文化を共有しない日本人である私には伝わりにくかったようだ。たとえば、スミート(smiht)は本当はスミス(Smith)なんだが大陸の人間にはthが発音できないので、という部分などは英語国民はニヤリとするのでしょうが、東洋の私にはやはりピンとこないです。
うーむ、なんともはや評言が浮かんできません(^^;ゝ
編集済


アヴラム・デイヴィッドスンのファンサイト 投稿者:管理人 投稿日:12月22日(日)22時40分24秒

SPPAD60に掲載されている短篇「眠れる乙女ポリィ・チャームズ」を読む。

「20世紀初頭、バルカン半島中央部に位置する架空の小国スキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三位一体王国を舞台に、希代の大博士エンゲルベルト・エステルハージィが、さまざまな事件を解決していく」(HPより引用)連作の一篇。
「その内容は、怪奇趣味濃厚な探偵小説(というより、ほとんど捕物帖)、あるいはエキゾティックかつ博覧強記な幻想小説というべきもので、デイヴィッドスン以外には書き得ない唯一無比の作品群である」(同上)とのこと。
なるほどたしかに。一読、私はプリンス・ザレスキーを連想しました。

帝都ベラの金箔師街に、フランスから「眠れる乙女ポリイ・チャームズ」という見せ物がやってくる。30年間眠りについたまま一度も目覚めず、歳もとらない美女。しかし客の質問に答え、その客にしか知りようのない事実を当てるという。
その真贋を確かめるため、首都警察のロバトゥス警視総監は、エステルハージイ博士とともに調査に赴くが・・・

探偵小説の結構は備えていますが、謎解きというものはなく、結末は謎のまま。しかしそういうところに作者の意図がないことは明白で、読者は、そこに展開される(70年代に書かれたものとは想像できないほど)古色蒼然たる、時代がかった不思議な世界を味わえばいいようです。

20世紀初頭スキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三位一体王国という設定がいいです。地域的にも時代的にも、いろいろ空想を羽ばたかせる余地がその設定にはあり、HPの管理者の方もいろいろ調べて遊んでおられます(^^)。
この作品こそ、「ロミオとロミオ〜」の対極にあるもので、スポットライトのあたらない隅々にまでリアリティがあって、奥行きを感じさせてくれます。

1976年に国際幻想文学大賞を受賞しているというのも宜なるかな。
これはぜひとも翻訳出版してほしいと思いました。とりあえずもう一篇が、上記HPに掲載されているので、読んでみたいと思います。


眉村さん情報 投稿者:管理人 投稿日:12月21日(土)21時28分59秒

とぐろさんが、眉村先生の新情報をお寄せ下さいましたので、まずはここでご紹介します。

1)神戸新聞火曜日夕刊に「回り舞台の上で」という通しタイトルでエッセイを連載されています。これはおそらく以前お知らせした共同通信配信のやつであろうと思います。
現時点までに、3回分が掲載された模様です。
第1回は、12月3日(火)の夕刊に掲載されたようですが、とぐろさんも現認しておられません。
第2回「一日3枚以上を日課に」<12月10日(火)夕刊>
第3回「1778回分の原稿」<12月17日(火)夕刊>

このエッセイは、まとまった分量があるので、かなり腰を据えて書けそうとです、と先日電話でお話しさせてもらったとき、仰言っておられましたので、期待できると思います。あと京都新聞ほか全国の地方紙で読めるはずです。一度探してみて下さい。

2)12月19日の、これも神戸新聞の朝刊に、以下の告知が掲載されていたそうです。
引用始>
 文芸大学講座 26日13時半−16時、大阪市中央区谷町7、大阪府社会
福祉会館。作家の眉村卓さんを特別ゲストに迎える。テーマは「書くことにつ
いて」など。会費1000円。生活と文学の会。06・6622・7818
<引用終


うーむ、これは参加したいところですが、平日の午後(しかも年末)では、私はちょっと無理ですね。残念。
お時間の許す方は是非参加してみて下さい。その節はこちらでご報告いただけると幸甚です。

ということで、とぐろさん、毎度ながら情報のご提供どうもありがとうございました。
連載については続報もいただけるとのこと、よろしくお願いします。

Yさん
>好きなんですけどね。まだ「ロミオ〜」は読んでいません
面白さは保証します(^^)。ぜひお読み下さい。
ただスポットライトにあたった部分しか描いてない感じがしますね。スポットから外れた薄暗い部分にリアリティがない。SF読みとすれば、そこをしっかり書いているかいないかは、大きなポイントの差となってくるんですよね。

>少女漫画っぽい感じが持ち味
私は初めて読んだので他の作品は判りませんが、「ロミオ〜」に限っては少年マンガっぽいと思いました。

河本さん

>たくさん会っていればいつかは
また来年も来て下さい(^^)

>けっこう正確な観察なような気がします
いや本当に。すごい眼力だと思います。
ていうか、うがった見方をすれば、テレビ人が、筒井に影響された面があるのではないでしょうか。「そうかなるほど、その手があるか」と、テレビ人を方向付けしてしまった面が、筒井初期SFにはあったのではないでしょうか?

村田さん
来年もよろしくです(^^)

>あまりに悪臭紛々たるエリート主義ぶり
ふむ、それは優等生的というか生徒会長的という意味でしょうか。
生徒会長って、わたし的には生徒のくせに先生(大人)の側にいるヤツのことなんですが、そういうヤツに限って真の自己が形成されていないのですね(自己があったら大人の走狗なんかになりませんよね)。自己のない人間は付和雷同しますから小市民なのです。あ、つながった(^^;
恩田陸、見定めたいので、もう一冊なんか読んでみようと思っています。「ねじの回転」がおもしろそうですね。


いそがしい〜! 投稿者:管理人 投稿日:12月20日(金)19時39分50秒

>Yさん、河本さん、村田さん
ご来訪ありがとうございます。レスは明日にでもm(_ _)m


忘年会。 投稿者:村田 耿介 投稿日:12月19日(木)20時09分30秒

 先日はどうもでした〜。
 また来年も遊んで下さいね〜。
 早く年が明けて欲しい今日この頃です。

 恩田陸は(泣けると言う噂だった)『光の帝国』を読んで、あまりに悪臭紛々たるエリート主義ぶりに鼻をつまんでしまいました。
 その彼女が今度は小市民チック?>『ロミオ』
 気になるなあ。
 嫌い嫌いと言いつつ、文庫の作品はみんな読んでるんですが、『木曜組曲』と『球形の季節』はまあまあ良かったです。
 あとは……むにゃむにゃ。

 では良いお年をお迎え下さい。

http://www.ne.jp/asahi/chateaudif/toki0504/


大阪オフ 投稿者:河本 投稿日:12月19日(木)17時19分32秒

 大熊さん、アレクすてさん
 オフ楽しかったです。有り難う御座いました。またすぐ会いたくなっています。
 今回も鬱気味でしたが、たくさん会っていればいつかは元気なぼくも見て貰えるかと……。 (^^;)

 >筒井のテレビ観
 けっこう正確な観察なような気がします。
 TVは報道メディアとしては、失敗作なのではないかと思う。

 トリフォーの「華氏451」に、TV番組のあほらしさを揶揄した場面がたしかあったような。
    


恩田陸 投稿者:Y 投稿日:12月18日(水)22時39分49秒

好きなんですけどね。まだ「ロミオ〜」は読んでいません。
他の作品では少女漫画っぽい感じが持ち味だと思っています。
懐かしさが私の年代ではついていけない部分もありますが。


納得の筒井論 投稿者:管理人 投稿日:12月17日(火)21時45分57秒

>臼田さん
いや、なんたって「ハヤカワSFシリーズJコレクション」の一冊なんですからね(^^;それなりに読む方も力が入っちゃうんですよね(汗)。

桜井哲夫『TV 魔法のメディア』(ちくま新書)の第1章「脅迫するテレビ」――筒井康隆によるテレビ「地獄めぐり」が面白いです。著者は「60年代のさなかから、ほとんどすべて作品発表の時点で読んできた、昔からの筒井ファン」というだけあって、実に明解な筒井康隆論になっています。
かいつまんで引用してみましょう。
「60年代におけるテレビの急速な普及とそれによる新しい風潮、情緒、社会現象と、筒井康隆の描く世界とは密接に結びついている。」
「かれの60年代から70年代初頭までの作品世界を、「テレビ」という主題でくくって論じてみよう。」

まず処女長篇「48億の妄想」(65)を分析して、「ここには、その後の筒井のテーマがほぼ出揃っている」
として、
1)メディアの眼による監視社会テーマ(ex.「堕地獄仏法」「末世法華経」「」くたばれPTA」「公共伏魔殿」)
2)見る側と見られる側の境目がなくなってしまう劇場社会テーマ(ex.「ベトナム観光公社」「脱出」「2000トンの精液」「おれに関する噂」)
という2類型を抽出し、「2)の、現実と映像の虚像がごっちゃになって収拾不可能の事態に立ち至るというテーマのほうにこそ、筒井の真骨頂があった。」

そして中期以降は、1)は次第に書かれなくなっていき、2)が主流となっていく。
その代表例として「俗物図鑑」(72)が挙げられる。「結局のところ、この作品に見られるテレビ観は、端的にいって「テレビとは、すべて『やらせ』である」という点に尽きる。」「この小説以前に書かれた「マス・コミュニケーションという短編にも、「すべては、『やらせ』である」というテーマが出てくる。」
「思えば、すでに『48億の妄想』でも、60年代のニーチェ・ブームを皮肉った短編「火星のツァラトゥストラ」でも、テレビというメディアは、テーマを見つけだしては、火をつけてあおり立て、一時のブームが去ると、一斉にそっぽを向く存在として描かれていることに気が付く。そういう意味では、筒井のテレビ観は、初期から一貫している」

かかる「テレビというメディアへの批判は、『美藝公』(81)における「最低共通文化」批判というかたちで、具体的に表現されることになる。」
この、他の平行世界を描いた小説のラストで、主人公が語るところのありえたかも知れない日本(つまりこの日本)は以下のような社会。
「映画に変わる娯楽として、テレビが大きな力を持つようになる。大量に、安手に作られ、誰にでも理解できることが条件として設定された番組が、CMによって中断されながら放送される。すべての文化活動が、誰にでも理解できる「最低共通文化」の水準まで落ち込む。」

「ここには「映画的なもの」への偏愛に比べて「テレビ的なもの」への嫌悪が、明確にうかがえて実に興味深い。」
「60年代の文化的変動のなかからあらわれたはずなのに、意外にテレビに対する見方は、今世紀の思想史のなかの、伝統的な視聴覚メディアへの恐怖の系譜に行きついたのである。」
筒井にとって「テレビとは、凡庸さを強制し、才能あるものを「脅迫するメディア」にほかならない。」
「人間の精神を破壊する恐怖のメディアとしてテレビを見つめるペシミズムの上に成り立っている。」

こうして著者が結論づけるのが、「筒井のテレビ観が、文化的保守主義のなかにある」ということで、「1993年の断筆騒動について」「作品が文部官僚によって検閲され、国家の推薦作品として教科書に掲載されることを認めたこと自体が、かつての筒井ファンからすれば、裏切り行為にうつるはずである。だが、これも、彼の根っこにある文化的保守主義に思い至れば、うなずけようというものである。」

わたしたちの多くが、筒井作品を、次第に読まなくなっていった理由が明快に指摘されています。おそらく著者自身も、この「美藝公」あたりから次第に筒井作品を(熱狂的には)読まなくなっていったのではないでしょうか。わたしたちは、勝手に筒井に虚像をかぶせておいて、しかして勝手に失望していただけなのかも知れません。


だから・・・・ 投稿者:臼田惣介 投稿日:12月17日(火)00時01分07秒

管理人さん
だから、そんなレベルを恩田陸に期待しちゃだめだって。
とうていSFなんて・・・、ミステリでもね。
今年最後のこれも放言ですかね?


「ロミオとロミオは永遠に」 投稿者:管理人 投稿日:12月16日(月)21時43分19秒

恩田陸『ロミオとロミオは永遠に』(ハヤカワJコレクション)読了。
後半は一気読み(^^;。いやーおもしろかった!
面白かったけれども、残念ながらこれはダメ。はっきり言って「マンガ」。そしてほんとのマンガだったらもっと面白いのではないだろうか。

面白ければいいじゃないか、と仰言る向きもありましょうが、小説は面白いだけではダメなのである。申し訳ないですが、本書はわたし的にはJコレ初の水準以下作品でした。

まず、小説世界の安普請さが、目を覆うばかり。リアリティが全くない。なぜ日本人だけが地球に残されたのか? テクノロジー的に非常に衰微した様子なのに、なぜか反重力技術を持っていたりするのが不自然。最後の方では、パイプベッドのパイプ(!)とシーツで作った凧が、人間を二人も乗せて滑空するのだが、こんなことありえるはずがないではないか!!(魔法の呪文でとんだと書かれる方がまだしも納得できる)

だいたい、地理的な描写がよく判らない。まあ私は東京の地理自体がよく判っていないので、ひょっとしたら読み違えているかも知れないのだが、この大東京学園ってどこに立地しているのだろう?
素直に読めば、かつての東京23区に拡がる広大な土地が敷地なのだろう。生徒は通学に山手線を利用しているし、この山手線が今走っている山手線であることは「山手線は昔から位置が変わっていない」という217pの記述から明らか。昔の地下鉄や地下街も埋もれているようだし。

ところがである。

本書の放射能にまみれた「ディズニーランド」が、かつての東京ディズニーランドであることは146pに書かれている。けれども、こうも書かれているのだ。「新宿寮は大東京学園北西部の風下の、すり鉢状の低地に位置している」そして「ディズニーランドにも近い」「ディズニーランドとの間には防風林が植えられている」と。(282p)

ということは、つまりデイズニーランドと新宿寮は「接して」いるわけだ。
ふーむ。
大東京学園の北西にある新宿寮と境を接している「ディズニーランド」は、当然大東京学園の北西(あるいは北か西)に位置していることになる。逆に言えば「ディズニーランド」(=東京DL)の南東に大東京学園は立地しているってことだ。
???
東京DLの南東といったら……海ですな。
???
うーむ、なんか邪馬台国みたい(^^;ゝ

それ以上におかしいのがラスト。ネタばらしになるので詳しく説明できないが、主人公の片方のシゲルが一度過去の20世紀を見るのだが、それはあくまでヴァーチャル体験だったのであり、現実に時間旅行したわけではなかったはず。だからこのラストは全く意味をなさない。

さらにラストでの二人の感想がもうなにをかいわんや。あれほどの冒険を重ねた二人に語らせる言葉だろうかそんなことを語らせてどうするのか作者。けっきょく作者自身の小市民性が図らずも顔をのぞかせたということかも。こっちが恥ずかしい(汗)

小市民性と言えば、作中に頻出する20世紀(というより1980年代)へのオマージュもただ羅列するだけ。つまるところ結局は文化保守主義的な現在の肯定に過ぎないことは、大東京を舞台にしたかなりな分量のこの小説に、ただの一遍も「皇居」が出てこないことからも伺い知れよう。

なんの思考上の投企(speculation)自己否定もこの小説にはみとめることができないのだ。ただ面白ければいい、というものではないのである。(そういえば平谷美樹が小松左京マガジンで、小説は面白ければいいのである、というようなことを書いていて、甚だがっかりしたのだった。「ノルンの長い夢」大丈夫かなあ、なんか心配(ーー;)


オフ会と忘年会 投稿者:管理人 投稿日:12月15日(日)12時10分44秒

昨日は目一杯遊びました。お昼過ぎから、来阪された河本さんにお会いすべく、アレクすてさんとともに新大阪へ。河本さんちょっと体調がすぐれないということなので、投宿されているホテルの喫茶店で落ち合う。夕方まで喋りまくりました(^^)。オンにできないようなあれやこれやも聞いたり話したりしたような(汗)。河本さん、長時間お疲れさまでした。喉は大丈夫ですか?

つづいて畸人郷忘年会。アレクすてさんと6時前に梅田に戻ってきましたが、宴会時刻まで時間が少しあったので、マクドナルドに入って喋る。よくもまあ話題が尽きないことよ。アレクすてさんから、ネット関係のニュースをいろいろ仕入れる。この分野はアレクすてさんに聞くにきくべしですな(^^;。

話に夢中になりすぎて、気がついたら7時をすぎていました。あわてて畸人郷忘年会の会場へ。いつもは時間どおり始まったためしがない畸人郷ですが、さすがに今日は定刻に開始だった模様で。席に着いたら既にビールがなく追加を頼むという進行状態でした。
フクさんの発案で自己紹介タイム。これは時宜を得たよい提案でした。実は畸人郷はこのような慣例がなく、私も、顔は知っているけど名前は知らないという方が何人かいらっしゃったので(汗)。

さて、特筆すべきは今回初めてお会いしたKさんが、ネオヌル同人であられたKさんであると判ったこと。いやー驚きました。ネオヌル結成の動機、SHINCONの経緯など、興味深いお話を伺うことができました。
ネオヌルの誌面から受けるKさんの印象は、鋭い人、という記憶があったのですが、実際にお会いしたご本人はとても温厚篤実な方でした。放言家の臼田さんと並んで座っておられると、まさに正反対、プラスとマイナスといった感じでした冗談ですよ(汗)。

そうこうしているうちに11時近くになり、宴はいよいよたけなわでしたが、終電の早い私は、後ろ髪を引かれる思いながら、お先に失礼させていただきました。野村会長他ご出席の皆さん、どうもお疲れさまでした。


前言撤回 投稿者:管理人 投稿日:12月14日(土)10時03分04秒

ロミオとロミオ>面白くなってきました(^^;


『らっぱ亭奇譚集その弐』より  投稿者:管理人 投稿日:12月13日(金)20時16分50秒

Yさん
>ケアノート」のオンライン版
>新聞のと異同はありますか?
内容は同じみたいですね。ただ、オンライン版は読みやすさに配慮してか、行アケを多用しているところが、新聞と違うところでしょうか。

R・A・ラファティ「浜辺にて」を読む。
かなりのろまな少年オリヴァーがその貝を見つけたのは、彼が4歳の時。それは致死性の地理錐貝でしかも通常の3倍はでっかいやつだった。彼はこの錐貝とずっと一緒に育ち、彼と錐貝はどんどんそっくりになっていく。そして錐貝といっしょの時だけ、オリヴァーは人並みだった。
「白状すると、ときどきどちらがオリヴァーだかわからなくなるのよね」
「ぼくもだよ」と地理錐貝がにっこり。
「ぼくもだよ」とオリヴァーもにっこり。
やがてオリヴァーは父親の会社を手伝うようになり、そんなあるとき、別の大手会社の、この世ならぬところの人物が、ミューレックス家を訪れた・・・

ラストの再帰オチが決まっています。
この話は面白くてよかったのだけど、実はリアリティがぶっとんじゃうラファティのこの手の話は、どっちかというと苦手なんですよね(^^;。

『ロミオとロミオ……』もうすぐ半分。でも何だか時間の無駄のような気がしてきた。いや最後まで読みますけど。ラファティなどとと併読するのがアカンのかも。


異形コレクション 投稿者:Y 投稿日:12月12日(木)21時22分36秒

ご無沙汰です。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/note/index.htm
に「ケアノート」のオンライン版があると教えてもらったのですが、
新聞のと異同はありますか?

「贈る物語」3冊とも欲しいんですよね。大きい本屋にいかねば。

「キネマ・キネマ」を買い逃したらもう新刊が出ていたのでした。
注文してきます。「酒の夜語り」を少しずつ読んでいますが、
飲めない私はおもしろさが半減かもしれません。


いよいよラファティ 投稿者:管理人 投稿日:12月11日(水)19時54分41秒

『らっぱ亭奇譚集その弐』より R・A・ラファティ「グレイ・ゴースト ―追憶―」を読む。
「あのハロウィーンの夜は、ほんとうに愉しかったなあ」
1924年のハロウィーンの夜、当時10歳だったわたしたち4人は、バーナビイ・シーンの父親に、今はなきアーカンサス河畔のエレキ・パークへつれていってもらう。バーナビイの父親がドッグレースにうち興じている間、4人はきも試しに墓地へと向かう。途中アーカンサス河に浮かぶ<家つきボート>の子ども、汚い悪ガキの「ぼろったドゥーガン」も加わり、5人は墓地の管理人、アモス・百歳・ブラックの小屋に行く。アモス爺さんは、丁度この霊園に埋葬されている南軍のキャプテン・ジョン・ダイハードに会いに行くところだった。ハロウィーンの今夜は、キャプテン・ジョン・ダイハード、通称グレイ・ゴーストの、年に一度のお目覚めの時だったのだ……

くう、酔いますですなあ!! ブラッドベリが何パーセントか入ったノスタルジーたっぷりの法螺話。極上酒の如き1篇。


『らっぱ亭奇譚集その弐』より 投稿者:管理人 投稿日:12月10日(火)20時54分26秒

ジェラルド・カーシュ「人じゃなく、犬でもなく」を読む。
ある日、ぼくはアズ爺さんに訊いてみる。友達を持つってどんな感じ?
「わしにも友だちはおったぞ、ひとり。しかも一度っきりじゃったが」 で、アズ爺さんの語ったことには・・・
シチュエーションに若干無理があるが、皮肉なラストがいいです。ゴンブロヴィッチの海を舞台にした「帆船バンベリ号上の出来事」という短篇を思い出した。

クレイグ・ストレート「曾祖父ちゃんを訪ねる日曜」を読む。
白人の学校で学ぶ曾孫息子が曾祖父曾祖母を訪ねる。曾祖父は学校で何を学んでいるのかと聞く。「科学を勉強しているんだ」と曾孫息子。「偉大なる精霊(グレート・スピリット)が伝説だとも教えてくれたよ」。曾祖父は興奮し学校へ行くことを禁じる。3週間後、曾孫息子は白人が自分を捕まえに来た、と駆け込んでくる。しかしやってきたのは白い人ではなく、青色の宇宙人だった!!
まるでラファティが書いたような話です。1946年の初出とあります。こういう一種おおらかな法螺話の伝統が、アメリカにはあるのかも知れない。

恩田陸『ロミオとロミオは永遠に』に着手しました。


スペオペ新喜劇 投稿者:管理人 投稿日:12月 9日(月)21時54分44秒

草上仁『ゲートキーパー(上)』(ソノラマ文庫)読了。

スチャラカチーム今回のミッションは、電波
2200万年前から規則正しいパルス波として、銀河中央部の電波源から発信されているその電波(3世紀前にパルサーとして観測され記録されていた)が、エックス線によるバースト通信であることが判ったのが50年前。それから解読が試みられたが、その内容は暗号化されていて、これまで解読されていなかった。
それを10歳の可愛い天才少女にして連邦電波天文学研究所主任教授のキロが、(ヤアブの演算能力の助けを得て)少なくとも符号化方式が2ビットを基礎とした、つまり4つの符号で構成されているところまで解明した。
4つの符号で構成された暗号といえばDNA。キロ教授はこの電波信号がゲノムすなわち遺伝子暗号ではないかと考えたが、解読結果は満足のいくものではなかった。
その結果、妨害電波(ジャマー電波)の存在が浮かび上がる。電波源は遠い銀河中央だが、ジャマー電波源はもっと近いところにあって、人類が電波を解読する邪魔をしているようなのだ。そのふるまいは、一種の知的生物と考える他ないものだった……

そこでミリたちスチャラカチームが出動するわけだが、当然ながら、その情報は永遠の敵役ペテロ・シュルツの知るところとなる。そうこうするうちに、ペテロの情婦にして元バトルレスラー現キャスターのユーニス・ザ・グレイトやら演芸艦隊やら縮退物質を腹に収めた超弩級全自動コングロプラント<リラ>やら、これまでのシリーズに登場した連中が我れも我れもと顔見せし始め、これで収拾がつくのかと心配になったところで、上巻は終わってしまうのだった。いやはや、一体どうなるのだろうか、スチャラカチームの運命やいかに!! ああ下巻が待ち遠しい・・
編集済


購読数に関する一考察 投稿者:管理人 投稿日:12月 8日(日)18時43分39秒

購読書リストに83年3月までのデータを追加しました。購入順 著者別
この頃は、古代史関連のものばかり読んでいます。
で、メモはこれ以後はありません。

一応総括しますと、社会人になってからの方が、読了数が増えています。これは学生時代は友人に借りて読んだ本がかなりあり、その分が反映されてないことがひとつ。また、本を読むよりレコードを聴いたり映画を見たりする時間が、学生時代は多かったことが挙げられます。逆に言えば、社会人になって自分の時間が乏しくなった結果、優先順位でまず映画が、つぎにレコードにかける時間が削られたということでありましょう。
ことに映画は、結婚してからは全く見なくなってしまいます(子どもに付き添って見る映画は除く)。これは蓋し映画鑑賞がデートの手段であったことと無関係ではないでしょう。

年間読了数は、実際はおそらく殆ど変化がなく、50冊から60冊(月平均4冊から5冊)の間で推移しているのではないかと思われます。

これ以後、古代史熱はさらに高じて、専門書や、一般書であってもかなり専門的なもの、「東アジアの古代文化」「季刊邪馬台国」などの専門雑誌、などを買いあさっているのですが、そういう本は、いきおい通読するというより必要な箇所を読むという風になるわけです。そうしますと、メモに読了のしるしをつけられないのです。それで嫌になって購読メモをつけるのをやめたようです。
しかし、古代史も一段落した89年頃から(数年間ですが)、しばらく購読メモを復活しているので、そのうちHTML化するでしょう。


キネマ・キネマ 投稿者:管理人 投稿日:12月 8日(日)11時55分25秒

アレクすてさん

12/14(土)、楽しみにしています(^^)。
メアド発掘しましたので、集合場所、時間等は追ってメールさせていただきますね。

>当方、最近、金に余裕ができたのと
ダルコ・スーヴィン「SFの変容」金五千五百圓也を、珍しい本があったからと買っちゃいました、とかるーく仰る貴兄が何を!(笑) 私は図書館で我慢したのに(ーー;)

『キネマ・キネマ』は私も持っています。購った目的が高野史緒さんの作品を読むためだったので、残りの作品はまだ読んでおりません。菊地秀行、読んでみますね。

夢枕貘>少年漫画、菊地秀行>少女漫画というのは言い得て妙ですね。夢枕さんもデビュー前後は繊細なイメージだったんですけど。コロッと変わっちゃいましたね(^^;


御無沙汰しております 投稿者:アレクすて 投稿日:12月 8日(日)04時17分20秒

お久しぶりです。管理人様。
いま、光文社文庫の異形コレクション「キネマ・キネマ」と言うのを読んでいます。
(申し訳ございません、当方、最近、金に余裕ができたのと、
昨今の出版状況を鑑みるに「欲しいものは見た時手にいれないと、消えてしまう!」
と言う考えによるものです。
で、短編なのですが、菊地秀行の「通行人役」が面白かったです。
映画をテーマにしていることと、怪奇がテーマなのが当たったと言う感じです。

(菊地氏には、「 菊地秀行の魔界シネマ館」という秀逸なホラー映画評論がありますし、
菊地氏は渾名が怪奇男爵、純粋なホラーの人ですね。昔、夢枕貘氏とくらべられたことがありますが
今から見れば、両者は全然違います。夢枕氏は山岳小説や、冒険小説を書く男臭い、
少年漫画の人であるのに対し、菊地氏は、耽美的で、理知的な少女漫画の人という感じがします。)

あと、12/14(土)の件ですが、両方とも(河元さんの昼の部と、畸人卿忘年会)
参加しようと思います。お知らせいただいて、ありがとうございました。


『らっぱ亭奇譚集その弐』より 投稿者:管理人 投稿日:12月 7日(土)18時55分40秒

臼田さん
>余計なことを書いてしまいました
全然そんなことはないです。おっしゃった意味はよく判ります(^^)。毒にも薬にもならん人畜無害な作品を量産する作家より、毒を吐き散らす作家の小説を読みたいものです。

アヴラム・デイヴィッドスン「ブレイクニーズの建てた家」を読む。

宇宙で遭難した2家族が、未知の惑星で出会った人々は、彼らと同じ人類で、500年前にこの星に入植した者たちの末裔だったが、孤立した500年の歳月は、彼らのWay of lifeを極端に変形していた。すなわち彼らは一個の巨大な家(ザ・ハウス)に単一の家族として暮らしていたのであり、彼らの語彙に「家々(ハウジズ)」という言葉は存在しないのだった。そんな世界で暮らさなくてはならなくなった2家族は、彼ら自身の家、この世界で2件目の家を建てたのだったが……

面白い! 私がそもそもSFに期待するのはこういう話なのです(先のエムシュもそう)。
副題をつけるとしたら、「郷に入っては郷に従え」でしょうか(^^;
牧歌的なストーリーがラストで急変する。実はこのシーンの解釈がまだ腹に填ってないのだ。もっと深い意味がありそうにも思う。うーむ。
この作家は、たぶん初めてなので、他の作品も読んでみれば少しは判るかも、と思って検索していたら、ファンサイトがありました。これは素晴らしいサイトです。松崎さんのラファティ・サイトにまさるとも劣らないサイトだと思います。ざっと目を通しましたが、魔術師ウェルギリウス連作なんか高野史緒さんの小説世界とも通底するところがありそうですね。短篇が読めるようなので、そのうち読んでみようと思います。
いやそれにしても、ラファティといいデイヴィッドスンといい、ちゃんとトレースされている方がおられるというのが、わたし的にとても嬉しく心強い限り(^^)。
編集済


今日はちょっとましです。 投稿者:臼田惣介 投稿日:12月 6日(金)23時17分27秒

管理人 様

昨日の書き込みは酔いに任せて意味不明なことを書いてしまいました。
筒井が凄いということだけを書けばよかったのに、余計なことを書いてしまいました。
ということで、お許しください。
私も全集刊行前後からは、ほとんど読んでおりませんので。


堀晃の科学エッセイ 投稿者:管理人 投稿日:12月 6日(金)22時44分31秒

臼田さん

70年代の筒井康隆は「凄い」のひとことですよね。再読してより一層その認識を新たにしました、というより、これまで思っていたより何倍、何十倍も「凄い」作家だったんだと、今更ながら感じ入っております。
ただ私自身は「大いなる助走」あたりからでしょうか、読まなくなってしまったんですよね。

アレクすてさん

メルアドを紛失してしまい、メールできませんので、ここに書き込みます。
河本さんとは12/14(土)に会うことになりました。
当日は畸人郷の忘年会なので、昼過ぎから夕方に会うことにしました(その後畸人郷忘年会に行く段取りです)。ご都合いかがですか?

堀晃『マッド・サイエンス入門』(新潮文庫)読了。
以前、1977年から78年にかけてSFマガジンに連載された科学エッセイ。24年前に書かれたものだが、今でも十分通用する内容だ。太陽系像はボイジャー以前なので多少古びたが(とはいえ文庫化の際に、ボイジャーの知見が補足されている)、それ以外は今読んでも新鮮で面白く、啓発されることが多かった。わたし的には、対称性を扱った「鏡よ鏡……」、永久機関からエントロピーを論じた「無から有を」、時間とは何かを考察する「時間よとまれ」がことに面白く、勉強になった。
また各テーマに関連するSF作品が紹介されていて、さながらハードSF的な見地からのガイドブック的な読み方もできる。
未訳作品も紹介されており、とりわけANAROG誌のDitch Sunshineという作家はお気に入りらしく、各章で作品が紹介されている。ドイツ系であろうか、しかしSunshineとは珍しい名前だなあ。日光という意味かしら。

あと、アヴラム・デイヴィッドスン「ブレイクニーズの建てた家」も読みました。感想は明日にでも。
編集済


筒井康隆のこと 投稿者:臼田惣介 投稿日:12月 5日(木)22時39分09秒

管理人 様
筒井、ほんとに凄かったです。ミステリとかSFとかそんなもの超越してましたもの。
ミステリ系以外で全集を迷わず買ったのは、もちろん筒井でした。
今日はちょっと酔っているので、言っちゃいますが、本質的に筒井が書いてきたものこそ、バカミスであり、バカSFなのです。ジャンルに対する明確な発信も、何の刺激も与えられないような作品はバカにも値しない。筒井の作品は何の高揚も齎さない阿呆な話とはレベルが違います。阿呆は阿呆で可愛いところもありますが、って言ってしまうところが悲しいのですが。


筒井康隆初期長篇再読 投稿者:管理人 投稿日:12月 5日(木)21時03分07秒

『家族八景』(新潮文庫)読了。

主人公の火田七瀬は20歳前の少女。職業はお手伝いさん。彼女は他人の思念を読みとる(聞く?)ことができるという超能力を持っている。その能力が世間に知れ渡るのをさけるため、一所に長く勤める必要のない女中という職業に身をやつしている。本作品は、18歳から20歳までの彼女が、お手伝いとしてわたり歩いた各家庭で(その超能力ゆえに)見聞した(し得た)ことが、一話完結の短篇連作という形式で紹介される、

短篇はいざ知らず、これまで読んできた「48億の妄想」から「俗物図鑑」までの著者の長篇は、一作一作趣向が凝らされ実に多彩なイメージを読者に与えるのだが、他方その長篇群は、常にギャグ小説としての一面が、これは変わらず備わっていた。
本書は、長篇としては初めてギャグ小説という枷をはずした筆法が採用されている。

この作品で著者が試みているのは、芥川の心理解釈小説の深化徹底であるように思われる。主人公の火田七瀬はそのための装置として設定されたものである。
つまり七瀬のその能力にさらされた者は、否応なく言葉とは裏腹な内面の思念を読みとられてしまうわけだ。

菊子は、急ににこやかな表情を作って夫を眺め、やさしく訊ねた。「もっと、おつゆを召し上がる」(殺してやりたいわ)
「うん、貰おう」(なんだ。その声色は)
「ナナちゃん。おつゆ、もう一度温めてきてね」(殺してやろうかしら)(破綻)
(106p)

といった具合に。
この結果描き出された世界には、したがって「藪の中」などどこにもないのである。ホンネとタテマエが、すべてが白日のもとさらけ出された、えげつなくあられもなく精神の恥部を露出した作中人物たちの狂態が、七瀬という<装置>を通して読者にダイレクトに伝わる。ここには何の救いもない。七瀬がちょっと好意を持った日曜画家ですら、いったん七瀬がその能力でサーチするや、たちまちその俗物性が明らかにされる。「俗物図鑑」とはいささか趣きを変えながらも、本書が行っているのはやはり「俗物としての人間」の考究なのである。

草上仁『ゲートキーパー』(スターハンドラー3)を買ったので、<再読>は一旦お休みして先にこっちを読みます。
編集済


タイトルは重要 投稿者:管理人 投稿日:12月 4日(水)21時49分06秒

松崎さん

「石環の図書館」は、うまい邦題だなあ、と感心しました。
キャロルの部屋拝見。意外に作品数があるんですねえ。予想外でした。
エムシュ、もっと紹介されてしかるべき作家ですよね。日本人向きだと思います。日本独自編集版というのは、いいアイデアですね。
<その弐>の他の翻訳も、ゆっくり読ませていただきますね。

筒井再読>『家族八景』は残り3篇。


Re: 「らっぱ亭奇譚集 その弐」より 投稿者:松崎@とりあえず、ラファティ 投稿日:12月 4日(水)09時25分26秒

こんにちは。

エムシュの「石環の図書館」へのコメント、有り難うございます。
実に端的で的確。そのまま、拙サイトのレビュウ欄にいただきたいくらいです。

原題は"The Circular Library of Stones"ですが、
なかなか、しっくりくる邦題が決まりませんでした。
苦し紛れの「石環の図書館」は「いしのわのとしょかん」と読んでもよく、
「せきかんのとしょかん」と読めば、「石棺」の響きもこめています。
(御編集前の、「石棺の図書館」との御記載をみて、内心どきりといたしました)

また、よろしくお願いいたします。


私信 投稿者:管理人 投稿日:12月 2日(月)22時43分18秒

Yさん

メール送りました。ニフティのアドレスに。


12月の日課 投稿者:管理人 投稿日:12月 2日(月)20時40分05秒

月刊センターさんの<眉村卓ショートショート>が更新されています。
「淋しいU氏」←うーん、これはいいなあ、、、下のエムシュと重なる部分があります。
編集済


「らっぱ亭奇譚集 その弐」より 投稿者:管理人 投稿日:12月 2日(月)19時42分11秒

エムシュウィラー「石環の図書館」を読む。
ああ、よいですなー。これぞNW!
老女の内宇宙は、老女を連れ去ることができず、彼女の前には現実が・・・。
人生の黄昏の哀傷をくっきり浮かび上がらせた切ない逸品です。
編集済


眉村さん情報 投稿者:管理人 投稿日:12月 1日(日)23時49分45秒

共同通信配信で、眉村さんのエッセイが連載されている模様(全12回)。京都新聞とか神戸新聞とかを購読されている方、チェックしてみて下さいませんか?


畸人郷例会 投稿者:管理人 投稿日:12月 1日(日)21時43分29秒

昨日は畸人郷でした。飲み過ぎた。

らじ@求道の果てさんより、「らっぱ亭奇譚集 その弐を受け取る。
とりあえず、ラファティの松崎健司さんが発行された雑誌です。ラファティの未訳短篇その他が載っています。お、エムシュウィラーが載っているじゃないですか(^^)。
京フェスに参加されたらじさんにお願いして、京フェスで松崎さんから預かってもらっていたのでした。松崎さん、ありがとうございました。らじさん、お世話をかけました。

購入書リストに、79年度分を追加。購入順 著者別


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