【掲示板】



ヘリコニア談話室ログ(2003年1月)


はやひと月が・・ 投稿者:管理人  投稿日: 1月31日(金)21時38分58秒

南湖さん
ご迷惑さまですm(__)m

うう、風邪をひいてしまいました。おもな症状はさむけと鼻水。本を読む気力がでません。
こういう日は、横になってレコードを聴くに如くはなし、ということで、
エリック・ドルフィー「ラスト・デイト」「アウト・ゼア」を準備。あとはブッカー・リトルあたりを聞こうかな。
そのうちに眠ってしまうでしょう。明日は末締めで大変なので(ため込んだ報いですが)、今日は自重(^^;。


ハンカチ 投稿者:旭堂南湖  投稿日: 1月30日(木)23時38分54秒

>管理人様 ハンカチまだ使えるものですから、マフラーと一緒に次回の「名探偵ナンコ」に持って行きます。よろしくお願い致します。


『らっぱ亭奇譚その弐』より 投稿者:管理人  投稿日: 1月30日(木)21時35分01秒

R・Aラファティ「らんぐ・だんぐ・かるーふ」「マタゴルダ奇譚」を読む。

前者は――夢とうつつのあわいの世界には、ノームが棲んでいるのだが、実害はなく、むしろ愉しいことだった。ひと月前からうろつきだしたそいつはちょっと違っていた。想像上の生物からもたらされる想像上の悪運ですら良しとしないたちのフラハティだから、これまでそいつらといさかいを起こしたことはなかったのに、そのノームとはやらかしてしまった。
怒ったノームは、フラハティの心臓の、心房と心室の間をつなぐ細い静脈に輪っかを掛け、ことあるごとに締め付けるのだ……

読んでいると、こっちの胸まで痛くなってきます(^^;。

後者は――ふたりの白人とひとりの黒人、それにケベネス・インディアンがふたり、合わせて5人の男が、メキシコ湾マタゴルダ入江の泥砂に坐っている。この地方は干魃で、5人は飢え死にしかけていた。
かれらは順番に、かつて自らが体験した冒険譚を披露しあっている。それはいかにも嘘っぽかったけれど、本当の話なのだ。5人が語り終えたとき、5匹のアルマジロが見守る中、かれらの頭上を黒雲が覆い、雨が降り出す……

焚火の法螺話の変形だが、重いファンタジーを読んだような荘厳な読後感。

残すところは、「クレプシス年代記 第二篇」なんですが、これは連載のようで、先に『らっぱ亭奇譚その壱』「クレプシス年代記 第一篇」を読まねばなりません。実は「その壱」、まだ手をつけてなかったのでした。松崎さん、申し訳ない。早速読みますね。

で、まだ1篇残していますが、まとめ。――これまで苦手とばかり思っていたラファティがスルスルと読め、とても面白く感じられたのが自分でも不思議なのですが、これは翻訳の力ではないでしょうか? これまでの翻訳は、浅倉訳も伊藤訳も含めて、いささか生硬で(逐語的で)、ラファティの良さを日本語に移しつくせてなかったのではないでしょうか。
その点、松崎訳は単なる逐語訳ではなく、ファンだからこそできたのでしょうが、ラファティの表現動機にまで立ち入って解釈し翻訳されているように感じられます。ずいぶん言葉を選び、文を吟味されているのでしょう。そうだから、とても読みやすく理解しやすかったのだと想像されます。
ラファティの、私が?だった作品も、松崎さんの訳であればちゃんと楽しめるのかも知れません。
もっとも、少なくとも私個人に限っていえば、もうスタンスの取り方は分かったので、これからは誰の翻訳でも楽しめるのではないかと思いますが(^^;


『トルコ民族主義』 投稿者:管理人  投稿日: 1月29日(水)20時29分48秒

友人から「らっぱ亭奇譚集その弐」がようやく返ってきました。面白いと人に貸したがるクセがあり、本書もまだ読み残しがあるにも関わらず貸し出してしまっていたのでした。さあ、のこり読んでしまおう(^^;

坂本勉『トルコ民族主義』(講談社現代新書、1996)読了。

紀元前3世紀、モンゴル高原は匈奴の北方にあった丁零が、おそらくトルコ(テュルク)系部族名の初出であるという。モンゴル高原がかれらの源郷であったかどうかはともかく、中国の史書にしたがえば、丁零の後身であるだろう鉄勒は、6世紀半ばにはカスピ海北方に到達していた。

一方、かれらがはじめてビザンツ史家の目にとまったのが481年。黒海の東北、アゾフ海周辺で遊牧していた「ブルガロイ」がそれである。かれらが鉄勒の分派かどうかは分からない。672年ドナウ川を渡って南スラブを征服、679年にはブルガリア帝国を建国。

かくてトルコ民族は、現在、中国新橿から中央アジア、南ロシア、小アジア、バルカン半島までのきわめて広い地域に拡がっている(しかし本書にはなぜかウイグル族に関する記述がない)。
ところが、かれらトルコ系諸族は、言語的にはほぼ同一といってよいトルコ語を使用するにも関わらず、形質人類学的には共通するものは殆どないのだそうだ。拡散の過程で異民族と通婚を繰り返した結果である。どうも日本民族とは心性が180度異なるようだ。

かくのごとく、トルコ民族といっても、大トルコ主義に通ずる意識は全く希薄だった。それはずっと下って19世紀も半ばを過ぎてから、「意図的」に作り出されていったものなのだった。……

大トルコ主義の可能性に興味があって読み始めたのだが、どうもそう単純な話ではなさそうだ。中央アジアのトルコ系諸国にしても、最初はソ連の分断政策なんだけどね。いったん分かれてしまえば「他国」になってしまうのでしょうか。
トルコ民族といえばアナトリアのトルコしか思い及ばない人が殆どと思いますが、その意外な広がりに驚くことができる面白本です。

編集済


明治情緒 投稿者:管理人  投稿日: 1月28日(火)20時15分09秒

臼田さん

どうもお疲れさまでした。
いやー先生のテンションは、時間とともに高くなるという感じでしたね。30分前くらいから、話題が途切れたらお開きにしようと窺っていたのですが、全然途切れないんですもん(^^)
それにしても本当になんでもよく知っておられますね。あらためて実感しました。
次回もまたよろしくお願いいたします。

南湖さん、アレクすてさん

探偵講談、お疲れさまでした。
えっと、ハンカチは私のかも知れません。濡れたコートやカバンを拭いてびしょびしょになったのでそこら辺に放り出しっぱなしにしていたようです。申し訳ありません。
マフラーは、お手間ですが次回の探偵講談のとき、アレクすてさんにお返し願いたいのですが、私のハンカチは処分して下さい。よろしくお願いいたします。

さて、昨日の書き込みで、講談「幻燈」の感想に、明治初期の風俗云々と書いたのですが、実はこの作品、英国が舞台です(登場人物は日本人名なんですけど)。紛らわしい書き方をしてしまいました。しかしそういう感想を抱いたのは本当なのです。

英国が舞台とはいえ、また英国人の手になる原作探偵小説があったかも知れないとはいえ、快楽亭ブラックが翻案講談化したところの当の作品「幻燈」には、たしかに明治の香りがそこはかとなく漂っているように私には思われました。日本人の観客向けに翻案する過程で、ブラックや観客がそこに生活するところの明治東京の世態風俗がやはり流れ込んでいるのではないでしょうか。

少しそれますが、私は井上勇訳のファイロ・ヴァンスものやエラリー・クイーンものにも同様の興趣を覚えたりします。井上勇の訳文に依るところが大きいのでしょうね。これらの作品を、私は謎解きの興味よりも、「江戸=東京風のニューヨーク」を散策する感覚、その「異風俗」を楽しんでいたように思います(^^;

そういえば当日いらっしゃっていた日暮雅通さんが「僧正殺人事件」を翻訳なさっているそうですね。おそらく井上訳より格段に読みやすくなっているんでしょう。でも井上訳独特の明治情緒みたいなものは当然なくなっているのだろうな。日暮訳「僧正殺人事件」も読んでみたくなってきました(^^;

編集済


今日は、南湖様 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月28日(火)07時08分12秒

南湖様、昨日はお疲れ様でした。その二つは、たぶん私の忘れ物だと思います。
すみませんでした(←恥)。
そして、忠告をありがとうございます。


忘れ物 投稿者:旭堂南湖  投稿日: 1月28日(火)06時14分48秒

先日は有り難うございました。打ち上げ会場にて、忘れ物が二点ありました。南湖が預かっております。黒色のマフラーとネズミ色のハンカチ。大熊さんか、アレクすてさんが座っていた辺りにあったのですが、心当たりはございませんか。


お世話になりました。 投稿者:臼田惣介  投稿日: 1月28日(火)00時42分24秒

管理人 様

いやいや、こちらこそお世話になりました。
楽しかったですね。眉村先生とは始めてお目にかかりましたが、テンションの高さは30年前と変わらない、イメージどおりでした。話が面白くて、名残惜しい時間でした。
そのせいか、探偵講談の時間は少々疲れてしまいましたが、何とかフクさんに後をお願いして帰らせてもらった次第です。フクさん、どうもすみませんでした。
次回は、頑張ります・・・って、もう歳なんですがね。


遊んだ遊んだ(^^; 投稿者:管理人  投稿日: 1月27日(月)21時30分06秒

1)眉村卓篇
昨日はお昼過ぎから天王寺で、眉村卓先生を囲んで台湾家庭料理に舌鼓をうちました(^^)。
メンバーはチャチャヤング世代のロートル組から万博以降に生まれた若い眉村ファンまで、幅広い構成で先生を含め12名が集合しました。

私自身、眉村先生とこのような会にご一緒させていただくのは、20年ぶりくらいではないでしょうか。久しぶりに歓談させていただき、とても楽しかったです。
チャチャヤン組は、先生のお声が(口調も)当時と全然変わってないことに驚き、かつ懐かしがっていましたが、たしかに、喋りだしたら立て板に水は当時のまま。豊富な知識を駆使して、参加者ひとりひとりに、その人向けの話題を提供して下さり、どっちがおもてなししているのか分からなくなるほど(^^;。

2次会の(先生が執筆に利用されることも多かったという)喫茶店に移っても、お疲れも見せずニコニコと応対して下さいました。むしろ2次会の方が距離も近くなって、参加者の皆さんもいろんなお話をざっくばらんにお聴きできたのではないかと思います。

そして、気が付けば18時。実は18時から探偵講談が(^^;
残念ながらお開きとさせていただきましたが、まさにアッという間の4時間半でした。4時間以上もお喋りしていただいて、ずいぶんお疲れになったのではないかと心配です。とはいえ、終始とても上機嫌でいらっしゃいましたので、楽しんでいただけたのではないかと思っています。

ともあれ、このような会をお許し下さり、また嫌な顔もされずおつき合いくださいました眉村卓先生に、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
そして(それぞれにスケジュールを無理矢理合わせて下さり、また遠方より遙々)集結して下さった眉村卓ファンのみなさまには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
またその内に、第2回を開きたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

ということで、
>Yさん、アレクすてさん
どうもお疲れさまでした。おかげさまで大変楽しゅうございました。またの機会にもぜひご参加下さいね。ありがとうございました。

2)旭堂南湖篇
18時に解散して、大急ぎで探偵講談に向かったのですが、新しい会場・福島区の本遇寺に着いたときには既に講談が始まっていました。しかし始まったばかりであったらしく、南湖さん「それでは最初からやります」と、やり直して下さいました。いやー恐縮恐縮(^^;ゝ

演目は、まずは「無筆の出世」。これは南湖だんごでも聞かせていただいたもの。古典は安心して聞いていられますね。
つづいてホームズもの「唇のねじれた男」の初演。これは伝統的なスタイルである書見台(というのかな)に置かれた台本を読むという趣向。初演が二本ということで、窮余の一策でしたが、やはりこの方法だとメリハリがなくなってやや単調かも。かなりアルコールが入っていた私は、途中うつらうつらしてしまいました(汗)。

最後は快楽亭ブラック原作を南湖さんが復刻する「幻燈」の初演。これはストーリーも起伏に富んでおり、また明治初期の風俗も感じさせてくれて面白かったです。明治を感じさせる、というのは、講談の面白さのひとつですね。この作品、指紋(掌紋)による犯人当てが語られるのですが、世界的にみても最初の作品ではないかとのこと。そういう意味でも問題作のようです。

打ち上げの居酒屋も、臼田さんのおかげですっと見つかりました。折悪しく降り出した雨で、臼田さんがおられなかったら打ち上げなしという愛想ない事態に立ち至る可能性が大でしたので、臼田さんに感謝感謝。
私はいつものごとく、宴これからというときに、終電の関係で失礼しました。ああくやしい(^^;ゝ

しかし歳ですな、ちょうど12時間ほど遊んだ訳ですが、家に帰り着くとぐったり。雨にもたたられて風邪気味になっていました。昔は徹夜で遊んだものなのですが(^^;ゝ


ただいま戻りました、 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月27日(月)01時00分30秒

眉村さんを囲む会と探偵講談からただいま戻りました。
大熊さん、Yさん、ありがとうございました。では。


取り急ぎ携帯から 投稿者:  投稿日: 1月26日(日)21時49分31秒

本日は本当にお世話になりました。
あまりにも緊張して何を言ったかおぼろです。うああ自分を埋めてしまいたい…。
先生を始め皆さんから普段出来ないSFのお話が聞けて幸せでした。


前言撤回 投稿者:管理人  投稿日: 1月26日(日)11時26分43秒

平谷さま

ひゃあ、照れますがな(^^;ゝ

>しかし、基本はSFですので、どの作品にもSFの二文字は見え隠れします。
安心しました(^^)。
考えてみれば第1世代は、SFそのものずばりを書かせてくれる媒体が(SFM以外には)なく、いろんな注文をこなしました。しかしかれらは、そういう(SF的には制約の多い)仕事において、むしろその制約をバネにして、SFを表現したのでしたよね。そうであれば「SFの浸透と拡散」は、日本SFの形成の前提条件の、もともとの契機(必然的要素)であったといえるかもしれません。そう気づきました。

そういうわけで、「SFだけ書いていてほしい」という希望は撤回します。どうぞ、さまざまなジャンルでSFを表現していって下さい(^^)。蔭ながら応援してますよ!

では、今から出かけます(^^)


恐縮です(汗) 投稿者:平谷美樹  投稿日: 1月25日(土)21時37分54秒

管理人さま
不快なんてとんでもない! わたし自身の説明不足を反省いたしました。
実は、管理人さんの感想は「エンデュミオン…」のものから読ませていただいていました。否定的な感想が多い中、管理人さんの感想にどれだけはげまされたことか。
ちょうど、ネットに初参入した頃でしたので、ホームページの書評群に打ちのめされていたのでした。お陰様で、現在まで執筆活動をしております。
ネットの礼儀をよく理解していないものですから、こちらこそ失礼なまねをしてしまったのではないかと思っています。本当にすみません。ですが、デビュー当時に力づけていただいた方に、わたしの考えを伝えたかったという気持ちで書き込んでしまいました。
わたしのマイナーデビューは純文学寄りの地方新聞主催の文学誌でした。現在も色々なジャンルに興味を持っています。それはとりもなおさずわたしの読書経験でして、これからもSF以外のジャンルを書き続けていくと思います。しかし、基本はSFですので、どの作品にもSFの二文字は見え隠れします。
あっ……。調子に乗りすぎて書きすぎました。すみません。今後ともよろしくお願いいたします。


失礼しました 投稿者:管理人  投稿日: 1月25日(土)20時39分09秒

平谷美樹さま

初めまして。ようこそです(^^)。
《物語》という語に、平谷さんが含ませていた意味、了解しました。
粗忽者ゆえ、たいへん無礼な文章を書いてしまい、さぞやご不快に思われたことと反省しています。どうかご海容下さいますようお願いいたします。

「ノルンの永い夢」は、とても面白いSFでした。この作品は、誰が読んでも傑作と感じるだろうと思います。ですから、

>「科学的ハードのSFをお好みの方にはお口に合わない出来になっています」

もちろんご謙遜でしょうが、そんなことはなかろうと思います。ハードSFファンだからといって、ブラッドベリを楽しめないことはないでしょう(^^;。「ノルン…」も同じです。

一般的に言って、ハードSFファンが記述の非科学性をあげつらう作品は、その非科学的記述が作品そのものをつまらなくしている場合でしょう。ロケットの噴射が夏を招来したという記述に科学的根拠は全くありませんが、その描写が作品そのものを成立させる契機になっており、しかしてそれが深甚な感動を読者に与えるのであれば、その非科学性をあげつらうハードSFファンは皆無のはずです。

「ノルン…」は、まさに平谷さんが選択されたアプローチ方法(ヴォークトのそれが近いですね)が適切であったがゆえに、傑作となり得たのだと思います(大体、異なる並行世界が混ざり合ったり入れ替わったりする物語を、ハードSF的アプローチで捉えられるものでしょうか(^^;。まさに「物語が先にあり、設定はその後からついてくる」わたし的にいえば「妄想が先にあり、説明はあとづけ」でなければ捉えきれなかったのではないでしょうか。

ともあれ、大変な傑作を読ませていただきました。ありがとうございました。次回作も期待していますね(^^)。ご健筆をお祈りいたします。


反則だとは思いますが 投稿者:平谷美樹  投稿日: 1月25日(土)12時34分14秒

管理人さま
初めまして。平谷美樹と申します。
作者が世に出てしまった作品について語るのは反則だとはおもいますが、「あとがき」について一言。
「設定はあとからついてくる」のくだりでありますが、わたしの言葉足らずでした。あれは正直に申しますと「科学設定」のことであります。
管理人さんの仰る《設定》はわたしの中では《物語》に含まれています。「ノルン…」の場合、わたしが思うところの《物語》、小説の設定、構成が出来上がってから、科学的味付けをしました。ですから「科学的ハードのSFをお好みの方にはお口に合わない出来になっています」という意味として書きましたが……。文章というものは難しいものですね。
申し訳ありません。興ざめなことを書きまして。


日曜は「名探偵ナンコ」 投稿者:管理人  投稿日: 1月24日(金)23時38分57秒

さっきようやく、某会の段取りが済みました。ほっと一息。ご参加のみなさん、よろしくお願いしますm(_ _)m

あと探偵講談の打ち上げですが、新会場周辺に土地鑑がある臼田さんがいらっしゃいますから、きっと大丈夫でしょう(^^)。

そういえば「アラビアの夜の種族」の「物語」部の文は、明らかに乱歩はいってますな。

 ああ、なんという無惨! いまでは天幕をはった露営地に、屍体がゴロゴロ!
 地面に燃える焔に照らされた青目の分隊長の死に顔は、これ以上の凄惨さがありえましょうか、絶え入ってなお驚愕の表情を浮かべて、唖然と口をひらいております。(84p)


それとも講談の口調、リズムを参考にしたのでしょうか。


アラビアの夜の種族 投稿者:管理人  投稿日: 1月22日(水)22時26分43秒

「アレクすてさんの筒井康隆論」に、1/19のご投稿を追加しました。→過去ログ

昨日のサップ・ホースト戦は、力道山時代のプロレスを見ているようで、全然楽しめませんでした。プロレスが受け手と攻め手の共同作業であることはつとに承知していますが、とはいえ現代プロレスはそれなりに進化しているので、今更力道山時代に戻られても白けてしまうばかり。
しかし、何故K−1の選手がプロレスをやるのか。その辺のいきさつを私は知らないのですが、なんか唐突ですな。それにしてもサップはともかく、ホーストがこんな茶番を演じるとはね。

「アラビアの夜の種族」は、なぜか止まってしまいました。最後まで読まないと何ともいえないとはいえ、夜の種族の語り部が「物語る」の部分は、純然たるファンタジーなわけで、その部分が何百頁も続くと、物語にもファンタジーにもさほど思い入れがない私には、いささかつらいのですよねえ(ーー;)。まあゆっくり読むとしよう。


畸人郷 投稿者:管理人  投稿日: 1月21日(火)21時38分46秒

ななこさん
畸人郷>無事参加できたようで、安心しました。

>必ずしも純正ミステリ−ファンという訳ではないので、
>皆さんの話しておられる本を殆ど読んだことがありませんでした

それ、私も全く同じです(^^;
それでも大きな顔をして例会に出ているのは(出ていられるのは)、雰囲気がよくて居心地がいいからなんですよねえ(^^)
また例会でお会いしましょう。


アレクすてさんの筒井論に対して 投稿者:管理人  投稿日: 1月21日(火)20時52分05秒

あおちゃんさん
お知らせありがとうございます。大阪在住の私は、残念ながら伺うことができませんが、西方よりご盛況をお祈りいたします。
なお、関連情報としまして、2/1、小林文庫オーナーさん主催で、中さんや南湖さんも参加しての乱歩大宴会が企画されているようです。関心のあります方は、小林文庫の新ゲストブックをチェックして下さい。

アレクすてさん
>1.福島正美はSF小説に、まず「文学」を期待していた。
福島正実がSFに求めたのは、いわゆる文学ではなく、いわば「洗練された(知的な)エンターテインメント」だったというのが私の見解です。
小松左京マガジンで、南山宏(森優)も、福島さんのSFMが文学に偏ったのを、自分は修正した(大意)と、アレクすてさんと同じ趣旨の文章を書いていますね。でも福島さんは旧来の文学にあきたらず、SFにやってきたのであって、福島さんがめざしたのが文学であるはずはありません。
むしろ、石川喬司や小松左京のほうが文学に対して許容的であったように思います。

しかしながら、
>筒井さんはデビュー当時は、SF命であり、文学と、親和性はなかった。
>それは、当時の文学観が、倫理的かつ閉鎖的、特権的である事によると思います
というご指摘はその通りです。ただしこの「文学」とは旧来の文学であります。

したがって、筒井さんがやりたかったのは、1)まず知的なエンターテインメントではなく、同時に2)(旧来の)文学でもなかった。
では何をやりたかったのかと言いますと、それは「新しい文学」だったのだと思います。奇想天外に連載していた「みだれ撃ち涜書ノート」に、ロブ・グリエの「新しい小説のために」を取り上げていまして、
「ぼくの言っているようなことをすでにロブ・グリエが書いている(……)なるほど、ぼくの考えと同じ内容(……)わが意を得たり(……)」
と大絶賛されています。この評は、76年9月号に掲載されており、時期的には七瀬シリーズまでの初期長篇が既に発表されています。
つまりこの一文を信用しますと、筒井はロブ・グリエに代表される新しい文学の方法論を知らず、それらとは独自に東海道戦争から七瀬シリーズまでの作品を生みだしていた、と言うことになるわけで、

>(筒井さんが)文学(純文学)を勉強しておらず、(文学としての書き方がわからなかった」とおっしゃってます。
というのは、そういう意味での発言だったのではないでしょうか。

したがって、

>つまり、これが本当なら、筒井さんは、デビュー当時いわゆる「文学」を意識してない事になります
というのも仰るとおりですが、その文学とはロブ・グリエ流の新しい文学であったと思われます。

「東海道戦争」の手法は、それと知らず(もちろんSF、とりわけシェクリーの方法論から筒井さんが進化させたものであるわけですが)新しい文学をやっていたのだけれど、たまたまエンターテインメントとも旧来の文学の方法論とも合致するものであった、ということで、アレクすてさんのおっしゃるとおりですね。その方法論の片面しか見ずにもてはやしたのが進歩的知識人やマスコミであったというわけです。アレクすてさんの考えに沿えば、私もその中に含まれるわけですが、それはその通りであるとしても、違和感も残っており、その理由はもうちょっと考えてみたいと思います。


遅くなりましたが・・・・ 投稿者:ななこ  投稿日: 1月21日(火)19時13分53秒

管理人様
無事、皆様とお会いすることが出来ました。私は、活字狂には違いないのですが、必ずしも純正ミステリ−ファンという訳ではないので、皆さんの話しておられる本を殆ど読んだことがありませんでした・・・・・・。で、映画の話とか、芸能人の話をしている時間の方が長かったです。でも、不思議に居心地の良い楽しい時間を過ごさせて頂きました。毎回参加はできないかもしれませんが、都合のつく限り顔をだしますので、その時はまたよろしくお願いいします。


「江戸川乱歩展」と「江戸川乱歩と謎」講演会のお知らせです。 投稿者:あおちゃん  投稿日: 1月20日(月)23時49分33秒




「江戸川乱歩展」と「江戸川乱歩と謎」講演会のお知らせです。
江戸川乱歩ファン必見、必聴、、、
講演会申し込み締め切りせまる!

講演名 「乱歩の素顔」    その一
講演者 平井 健太郎
「西武ギャラリー「江戸川乱歩展」にちなみ、展示では窺い知ることのできない乱歩の深淵を垣間見る講座第1弾!孫の講師が少年探偵団や4万点を超える貴重な資料の話などを。」

詳細は、下記へアクセス願います。
http://college.e-doc.co.jp/ikepri/files/200210/homepage/public/hp/20021018988.html

講演名 「推理小説と私生活」 その二
講演者 逢坂 剛
日本推理作家協会理事長 作家/日本ペンクラブ会員
1943年東京都生まれ。中央大学法学部卒。オール讀物推理小説新人賞を受賞。「カディスの赤い星」で直木賞受賞。 日本推理作家協会理事長。江戸川乱歩賞選考委員。

「西武ギャラリー「江戸川乱歩展」にちなみ、展示では窺い知ることのできない乱歩の深淵を垣間見る講座第2弾!講師の小説感と合わせ、日本の推理小説の奥行きが楽しめます。」

詳細は、下記へアクセス願います。
http://college.e-doc.co.jp/ikepri/files/200210/homepage/public/hp/20021018997.html


関連サイト
江戸川乱歩展「蔵の中の幻影城」立教大学   HP
http://www.rikkyo.ne.jp/~koho/univ_data/topics/ranpo-ten.htm
江戸川乱歩展「蔵の中の幻影城」東京都豊島区 HP
http://www.city.toshima.tokyo.jp/oshirase/70th/kinenjigyou/3-30-2.html



『ノルン……』承前 投稿者:管理人  投稿日: 1月19日(日)18時18分45秒

アレクすてさん

畸人郷>出席できず申し訳ありません。
さて、筒井康隆論の続編、ありがとうございます(あとで「アレクすてさんの筒井康隆論」に追加しておきますね)。
ご意見、いろいろ触発されるところが多く、勉強になります。反応したいのは山々なんですが、ちょっと今、余裕がありませんので、また明日にでも。

で、以下は、「ノルンの永い夢」の感想の追加。昨日メモしたのをペーストしておきます。

著者はあとがきで「なによりも物語を描きたい」として、「物語が先にあり、設定はその後からついてくる」と述べていますが、どうも勘違いしているのではないかと思いました。
この小説の面白さは、「設定」あるいは「世界」描写に拠っているのであって、たて糸の「物語」自身は大して面白いものではないというか、ありふれた展開です。
まあ著者の創作の動機driving forceが、まず「物語」にあったのかも知れませんが、現実に読者に供される「本」という形態で顕在化したところの「小説」としての価値は、設定(妄想)を描ききったところに存しているのです。つまりこの「ノルンの永い夢」という「小説」は、まず第1義的に「SF」として傑作なのであって「物語」的部分は、読まれれば分かりますが、かかるSFに奉仕する第2義的な意味しか、事実として有していないのです(ていうか、厳密にはこの小説に「物語」といえるものはどこにもないのでは)。もとより、だからこの小説は駄目だといっているのではありません。昨日も書いたようにこの小説は、SFとして素晴らしい出来映えであります。
著者は「小松左京マガジン」でも、同様のことを述べており、案外自己の資質を認識できていないのかも知れません。作家なんてふつうそんなものかも知れませんけどね(^^;。
あるいはお人好しすぎて、いろんな立場の人(がそれぞれの立場からする)アドバイスを、鵜呑みにしてしまうのかも。デビュー当時はそんなことは言ってなくて、もっとSFに偏した発言をしていたように思う。おそらく評論家的資質はあまり持ち合わせていない文士タイプの作家ではないかと思ったしだいですが、そういうことならなおさら著者は、自分の資質をよく認識する必要があるように思います。でないと痛い目に遭いそう。
何が言いたいかというと、著者は他ジャンルからの誘いに惑わされず、SFだけを書いてくれればいいのです、と言いたかったのでした(^^;ゝ

編集済


筒井康隆は文学か? 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月19日(日)02時47分56秒

筒井さんが、東海道戦争的世界に積極的でなかったわけ

1.単純にしんどかった
これは御自身でいってます。同じ事はできない、書くのに(資料やら集中力やらで)
苦労したと。(だから編集者を理解が足りないと思った)。

2.東海道戦争が(重要であると)考えていない。
つまり、東海道戦争は、彼の手法の一つであり、別にそれを目的化したくない。
ということは

3.(少なくとも、東海道戦争執筆時は)大文字の文学(吉本隆明的文学)に興味や、意義を見いだせなかった
これは、わかります。というのは、筒井さんはエッセイで「昔、(SFマガジン編集者の)福島正美氏に
よく、原稿に朱をいれられた。当時は、意味が良くわからなかったが、今、考えると、(筒井さんが)
文学(純文学)を勉強しておらず、(文学としての書き方がわからなかった」とおっしゃってます。
つまり、これが本当なら、筒井さんは、デビュー当時いわゆる「文学」を意識してない事になります。
これでわかる事
1.福島正美はSF小説に、まず「文学」を期待していた。
これはよくわかります。福島さんがいってました。
「観念の骸骨が、論文をしょってるようなものは認めない(大意)」と。
実際、豊田さん等が、「(福島さんに)かきかえれた」とおっしゃってます。
(福島さんの文学観、書き替えの是非は譲ります)

2.デビュー当時の筒井さんは、いわゆる「文学」的教養がなかった。
筒井さんのお父さんは、動物学者の筒井嘉隆さんで、いわゆる、古典的教養としての文学(世界文学全集
などを、家に置く)については理解のある人でしょうが、いわゆる(吉本隆明的)文学については、
どうでもいいと思っておられたようです。(筒井嘉隆さんの時代の、教養人(学者)としては、当たり前でしょう。)
また、筒井さんも、面白いものは何でもよむ、濫読派で、興味も分裂しており(映画や、フロイト全集、笑いなど)
いわゆる文学青年ではなかった、といえます。(ただ、さっきも書きましたが、これは、職業的文学者としての筒井さんであって、一般人としては、すごい教養といえます。)
つまり、筒井さんはデビュー当時は、SF命であり、文学と、親和性はなかった。
それは、当時の文学観が、倫理的かつ閉鎖的、特権的である事によると思います。
(当時の文学者は、「進歩的知識人」といわれ、教養(それを支える財力と学閥)と
問題意識(大衆と、わかりあえるか?とか、国家をどうするか?とか)があり、
筒井さんには馴染めないということらしいです。(マルクスよりフロイト、という人ですから)

すみません。途中ですが、ここで打ち止めとさせていただきます。
とりあえず、昔の筒井さんは、文学とは無縁、ということで。

では!


帰還いたしました。 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月19日(日)02時05分24秒

今晩は。管理人様。皆様。
今、騎人境の集まりから帰って参りました。管理人様。ナンコさんの会と、眉村先生の会であいましょう!
橋詰さんが、少し話がしたい、といっておられました。
筒井康隆について、ちょっと書きます。(といってもフラフラですので、ちょっとだけ。前にナンコさんの講談で
あって話した事とかぶります。

筒井康隆は文学か?

実は、これには、触れたくなかったのですが、筒井さんについて話す時に避けられないので、少し。
例えば、筒井さんをつまらなくなったと言う人の意見は情緒的にはわかります。
確かに初期のモノと、対象が違うわけです。
考えられる事は
・大熊さんが言うように、偽装していた。
確かに、それを、裏付ける発言もあります。というのは、筒井さんが昔、「東海道戦争」を書かれた時、
筒井さんを担当されている編集者がえらく、これを気に入り、褒めちぎりました。
で、誉められてるうちは良かったのですが、編集者は、「東海道戦争のようなものを書け!」ト、ついに筒井さんに、
命令するようになり、「こりゃ、付き合えん」と、編集者を変わってもらったそうです。
ここで言える事は、
1.東海道戦争は(旧来的意味の)文学である。
2.筒井さんは、東海道戦争的世界を書くのに乗り気ではなかった。
ということになります。
1.は、例えば吉本隆明の文学観に照らし合わせるとわかります。
吉本隆明は、W村上が登場した時に、「文学は終った」として、文芸評をやめてしまいます。
その理由は、
1.貧困や差別と言った社会的問題が登場しない。(と言うか、二人の小説では、それらは、既に、解決済み、または
考慮の必要性がないもの、として書かれている。
2.主人公が成長しない。主人公が作者の思想や理想の代弁者とは言い難い。(ビルディングス・ロマンではない)
と、いったものです。よくわかる気もしますが、良くわからない気もします。
(私が物心がついた時、既に、W村上は作家だった。)
というものです。これに東海道戦争を当てはめると、
1.貧困
虚構とはいえ、戦争が起きてるし、戦争によって、主人公のまわりの環境は矛盾を露呈するわけだから、「文学的」といえる。
2.主人公
巻き込まれ型であるが、状況に対し、真摯であり、(主人公はSFの方法論に乗っ取り)戦争について考慮し行動している(思想と理想がある)。
また主人公は、他のスラプスティック小説と違い、はしゃいだりせず普通である。(作者=主人公、つまり私小説的、と取れない事もない)。
といえます。筒井さんは、「しつこい!」と怒られたようですが、編集者が筒井さんに「この方向で!」といわれるのは
情緒的にはよくわかります。(続きます)


『ノルンの永い夢』 投稿者:管理人  投稿日: 1月18日(土)22時57分14秒

今日は畸人郷例会に行けなかった。残念。ななこさんは無事畸人郷とコンタクトできたのでしょうか?

平谷美樹『ノルンの永い夢』(ハヤカワJコレクション)読了。

Jコレクション既刊のベスト作品ではないか。それもダントツのベスト。プロローグとエピローグで「果しなき流れの果に」を踏まえている。さすが小松賞作家というべきか。やるなあ。はじめて「エンデュミオン・エンデュミオン」を読んだときは、そのイメージ(妄想)に好感を持ったとはいえ、テクニックがまだ素人の域を出ていなかった。それがそういう趣向を盛りこめるようになったわけだから、確実にうまくなってきているのだろう。

しかも、その描写力は、最後まで緩まず確実で、後半、複数の並行世界が、徐々に、ぐじゃぐじゃと互いに浸食し合い混ざり合っていくのだが、そんなディック的世界崩壊感覚に満ちた描写(そこは取りも直さず本書の醍醐味というべきところである)も、独り善がりにならず、読者を置いてきぼりにしない。こういうのは案外、作者の筆もぐじゃぐじゃと崩れていきがちなのだが、この一番の読みどころを、作者は確実に筆をコントロールできている。まさに力でねじ伏せた印象。すごいの一言です。

異様な妄想を、SFという容れ物にしっかり盛りきった傑作。面白いので、ぜひぜひお読み下さい(^^)


『小国主義』 投稿者:管理人  投稿日: 1月16日(木)22時24分07秒

南湖さん
「南湖だんご」、チラシが足りなくなるほどの盛況でよかったですね(^^)。東京遠征もニューウェーブ講談で頑張って下さい。成功をお祈りいたします。

田中彰『小国主義日本の近代を読みなおす(岩波新書1999)読了。

「小国主義」という聞き慣れない言葉は、「大国主義」に対する言葉である。大国主義とは、覇権主義であり膨張主義であり、したがって小国主義とは、まさに覇権に反対する姿勢・態度ということになる。日本は近代化の過程で、結果的に大国主義を選択し敗戦に至るわけだが、小国主義の萌芽がなかったわけではなかった。いや実は最初からあったと著者はいう。
明治維新後、日本は自らの近代化の指針を求めて岩倉使節団を米欧に派遣する。その報告書「米欧回覧実記」には、既に小国主義という選択肢が認識されていたのだ。
結局小国主義は、この時間線の近代日本では「未発の可能性」のまま伏流する事になる。しかしなくなってしまうわけではなく、時に応じて顕在化する。自由民権期の植木枝盛や中江兆民、大正デモクラシー期の三浦銕太郎や石橋湛山の所説を著者はたどる。そこにあるのは植民地放棄論や軍隊不要論という、戦前の説とは信じられない議論なのだった。
敗戦後、GHQ、マッカーサー草案をもとに日本国憲法は制定され、いわゆる「押しつけ憲法論」が一種「通説」としてまかり通るわけだが、かかるマッカーサー草案が、高野岩三郎、鈴木安蔵ら憲法研究会が1945年12月26日(新聞報道は28日)に発表した「憲法草案要綱」を大いに参考にして起草されたことは、なぜか無視されていると著者は述べる。
そして、かかる「憲法草案要綱」の背後に、実に明治10年代の「大日本帝国憲法」制定期に提出された植木枝盛らの私擬憲法草案があったことを具体的に例を挙げて証明するのだが、この日本国憲法と植木枝盛私案との「うり二つ」さには、目が覚めるようなショックを受けた。
かくのごとく、「日本国憲法」は、GHQによる押しつけ憲法などでは決してなく、伏流していた明治維新以来の「小国主義」の顕在化に他ならないことが明らかにされる。

わずか200pの小さな本なので、ぜひ読んでほしいと思います。面白いこと請け合い(^^)

編集済


だんごご来場有り難うございました。 投稿者:旭堂南湖  投稿日: 1月15日(水)21時59分24秒

先日は有り難うございました。「名探偵ナンコ」で講談を知った方が、「南湖だんご」にもご来場頂けるというのが、一番嬉しいです。どうしても曜日や会場が違いますので、なかなか来れないとは思いますが、またよろしくお願いします。講談って本当に面白いですからね。御陰さまで、十回記念の会が盛況になりました。有り難うございました。
終演後は下におられたのですか。私は駅の方で飲んでおりました。いつもは茶臼山の下のピーコートというバーで打ち上げをするのですが、あの日は祝日で休みでした。あの隣の店は最近で来た店でまだ行ったことがありません。
また、26日もよろしくお願い致します。打ち上げの店はあるのでしょうかねえ。ちょっと心配ですが。


『白村江』 投稿者:管理人  投稿日: 1月15日(水)20時33分09秒

遠山美都男『白村江古代東アジア大戦の謎(講談社現代新書)読了。

「天皇誕生」の著者の1997年の著書。同書とはスタンスがずいぶん異なって、かなり空想の翼をひろげている。
小説のように面白く読める。先日読んだ「ムガール宮の密室」が、小説でありながら歴史の梗概のように感じられたのとは正反対である。何故かと考えるに、小森作品が、小説でありながら小説としての広がりに欠ける憾みがあったのに対し、本書は(論文としては当然ながら)日本書紀や旧唐書やら、文献によって微妙に異なる記述を併記することで重層的な広がりを読者に感覚させるのと、冷たい歴史ではなく「運命(偶然?)に翻弄される人間」を描いているからだろう。

白村江の敗戦が、超大国唐の圧倒的な物量に敗北したというのではなく、百済王豊璋の個人的資質に帰するところがユニークというか小説的。

かくのごとく著者はいわゆる<敗戦史観>を退けるのだが、わたし的には、その論拠は薄弱なように感ずる。敗戦後、天智が大慌てで近江に遷都し、防衛施設の建設に汲々としている(ように私には見える)わけだが(通説もそうらしい)、それを「追いつめられた敗戦国の受け身のそれではなく、逆に自信に満ち満ちた強気のそれと考えられる」とするのはいかがなものか。

小林泰三さんが
すうろん掲示板(1/9)で、記紀捏造説を一種の敗戦史観として退けておられます。確かにその通りなんですが、こと「白村江の戦後」に関しては<敗戦史観>に一理あるような・・・。郭務そうがマッカーサーだったとまではいいませんけどね(トンデモ説には郭務そう=天武説まであります)(^^;

編集済


スタイリスト南湖 投稿者:管理人  投稿日: 1月14日(火)21時26分00秒

ななこさん
どうもごぶさたです。お元気ですか?

>「畸人境」の集いに参加しょうと思っているのですが
大歓迎です〜。ぜひご参加下さい(^^)

>今も第三土曜日の夕方、会合を開いておられるのでしょうか?
はい、基本的に第3土曜日に例会を開いています(たまに週がずれるときがありますが)。
幸い今月は、通常どおり第3土曜日です。→1月18日です。

18日のpm6:00頃、旭屋書店の一階入口付近で集合しますので、よろしかったらお越し下さい。
畸人郷ホームページ例会案内もご覧になって下さいね。

それでは土曜日にお会いできればと思います(^^)。

さて――昨日の続きを少し。

>南湖さんのような講談もあれば南北さんのような講談もあるんだなあ
をもうちょっと分析しますと、南北さんの方がたぶん正統派なのではないでしょうか? おそらく台本どおり読まれて、ほとんどアドリブや改変はなさってないのでは?
それに対して南湖さんは、落語的といいましょうか、一種メタなのです。たとえば講談の常套句「あろうことかあるまいことか」とか「その時はやくかの時おそく」と言ったあと必ず、「どっちなんや」とツッコミを入れます。南北さんはおそらくそれはしないでしょう。南湖さんの場合、講談を読みながら、随所に「自分」が出てきて説明を入れたり脱線したりします。

南北さんは、台本をそのまま読まれるわけですが、そのときの感情移入と言いますか、全く登場人物になりきって、いわばひとり芝居のような感じで熱演されます。
南湖さんはもっと醒めています。台本を横から見たり後ろから眺めたりされています。
南北さんが、講談の内側に同化していくタイプだとしたら、南湖さんは講談を外から離れて観察するタイプではないでしょうか。
南湖さんはたぶん、筒井康隆がスタイリストであるという意味において、同様にスタイリストなのです。まさにニューウェーブ講談なのかも知れませんね。

編集済


(無題) 投稿者:ななこ  投稿日: 1月14日(火)19時02分15秒

はじめまして。「乱歩の世界」常連のななこと申します。
大阪在住ですので、一度「畸人境」の集いに参加しょうと思っているのですが、なかなかきっかけがなく今日まで来てしまいました。今も第三土曜日の夕方、会合を開いておられるのでしょうか?こちらの談話室なら何か情報を頂けるのではないかと思い書き込みました。
詳細また教えてください。


南湖だんご十 投稿者:管理人  投稿日: 1月14日(火)00時27分11秒

今日は、アレクすてさんと、天王寺茶臼山舞台に、旭堂南湖さんの「南湖だんご十」10回記念特別大興行を観に行ってきました。ただいま帰宅しました。
南湖だんごは初参加。天王寺は近いのですが、この会は月曜なので、今までよう参加でけへんかったのです。今日は祝日だったので行って来ました。
内容はまずは南湖さんと本日のゲスト旭堂南北さんとの対談。南北さんの虫の話は体が痒くなりました。ホラーとお笑いが紙一重なことを実感しました。
つづいて南湖さんの「角屋船の由来」。本能寺の変のとき堺にいた徳川家康が、伊賀を抜けて帰国したのは有名な話ですが、そのときの1エピソード。
つぎに南北さんの「柳田角之進」。南北さん、声が素晴らしいです。1時間の大作ですが引き込まれてしまいました。南湖さんに比べて劇的。だからすぐれているといいたいのではなく、南湖さんのような講談もあれば南北さんのような講談もあるんだなあ、と講談の奥深さを感じた次第。
最後は再び南湖さん「無筆の出世」。人生の偶然、ふしぎさをしみじみ感じさせてもらいました。

南湖だんごは、名探偵ナンコとコンセプトが違って、古典を読む会のようですが、古典いいですねえ。あらためて講談に興味を持ちました。

終わってからアレクすてさんと、茶臼山舞台の隣(下?)の居酒屋に入る。ひょっとしたら南湖さんと南北さんが現れるかと思いましたが、結局いらっしゃいませんでした。帰られたのか別のところへ行かれたのか。
それはともかくアレクすてさんとSF話、筒井話を一杯することができました。楽しかったです。居酒屋もいい感じで気に入りました。アレクすてさん、ありがとうございました。ちょっと酔っ払っているので今日はこの辺で。


『天皇誕生』 投稿者:管理人  投稿日: 1月12日(日)18時36分53秒

遠山美都男『天皇誕生』(中公新書)読了。

先日読んだ『謎とき「日本」誕生』で貶されていた本。あまりにケチョンケチョンだったので、逆に興味が出て読んでみました。
なるほど『謎とき……』とは立脚点が正反対ですな。私は、これはこれで一理あると思いました。
本書は、日本書紀(少なくとも継体以前の)が、史実を素材に使っているとはいえ、壮大な<虚構>フィクションである、という立場で、かかる書紀の目的が1)神武〜応神の物語で、実際には7世紀末から8世紀初頭にかけて成立した律令国家とその最高首長である天皇の地位と権力が、どのようなプロセスをたどって形成されたかを説き、2)仁徳〜武烈の物語で、日本にもかつて中国的な(易姓革命的な)王朝が存在したという<たてまえ>を説くことにあったとします。
つまり「日本書紀」は、万世一系を貫きながら王朝交代を暗に認めている、というアクロバティックな結論なのです。
ところで本書の鋭いところは、継体以降に王朝交代がないことはすべての研究者が認めるところですが、それ以前はフィクションなのであり、従来の王朝交代論者の所説(当然継体以前の王朝交代論であるわけです)が、フィクションの部分を史実と認めるという、万世一系論者と根本的な部分で認識を共有していると看破しているところです。つまり事実は「万世一系」も「王朝交代」も、そんなものはなかった、少なくとも「日本書紀」から読みとることはできない、という立場なのです。とても面白いです。と同時に科学的な態度であると思いました。

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探偵講談の会場が変わります 投稿者:管理人  投稿日: 1月12日(日)12時24分10秒

蜆川さんのサイトが久しぶりに更新されてました。→堂島大橋(もっと繁く更新するように(^^;)。

橋のたもと>あれは水飲み場でしたか。
そうそう、百済行きの市電に乗って、週に一回必ず(というのは、小中学生の部屋は貸し出し期限が1週間だったので)大阪市立中央図書館へ通ったものでしたね。
図書館前の駅は白髪橋(新羅ヶ橋?)でしたっけ。全く忘れていますな(^^;。
そういえば府立中之島図書館に行って、子供だからと入館を拒否され、天神橋だったか天満橋だかの、子供専門の図書室を教えられていったことがありましたね。あの部屋は今でも残っているんでしょうかねえ……。

ところで、今月の探偵講談「名探偵ナンコ」は、1/26(日)です。出演予定でご確認下さい。
今月より、旭堂南湖さんの探偵講談の場所が、蜆川さんのお寺に変わります。間違えて旧関テレに行かないように。→地図
環状線福島駅、東西線新福島駅、阪神福島駅から徒歩5〜10分です。問題は打ち上げの会場なんだが・・・環状線の向こうへ渡れば、ABC関係で夜も賑やかなんですがね。


文庫化 投稿者:管理人  投稿日: 1月12日(日)10時57分42秒

埴谷雄高『死霊(1)』が講談社文芸文庫から出る模様! 発売日は2/10。こちら
らじさんのところで知りました。

これで「なぜか文庫化されてない大物」は、残すところ「嘔吐」だけかも(^^;

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「風の翼 特別号」 投稿者:管理人  投稿日: 1月10日(金)21時28分51秒

『風の翼 特別号 30周年記念(創作研究会=北西航路)読了。

藤代海鳥「私のヘケート」>平井和正「悪霊の女王」みたいな話。ウエッブのなかに住んでいるというのが新機軸か。

深田亨「飼育」>傑作。本篇は、ある有名な小説の前日譚である。という趣向が、最後にわかる。それはそれでなかなかインパクトがあるのだが、同時にそれは、最初和ものとして読んでいたのが、実は洋ものであったことに気づく瞬間でもある。その世界の変相にも、くらりとさせられる。とはいえ、そういう趣向を取り払っても、本篇は幻想小説として自立している。皆川博子の『ゆめこ縮緬』の諸作にも似た幻想世界。

野波(NOVA)恒夫「紫電改の豚」>紫電改やP38や零戦をコクピットで操縦を体感しつつ戦わせる<コンバット・フライング・シュミレータ>というオンラインゲームの話。先日読んだ山本弘のオンライン合作小説ものと、ほぼ同じコンセプト。著者のオタク知識満載の面白小説。臨場感が素晴らしい。

山都風位「翼風車顛末記」>翼型風力発電機というアイデアを思いつき、机上設計し、先行者がないか特許庁のサイトを検索し、類似品を製造している会社にコンタクトを取り・・・という超リアリスティック技術幻想小説(^^;。私には原理はチンプンカンプンですが、すごいセンス・オブ・ワンダーを感じた。この作品も臨場感が素晴らしい。

南山鳥27「花野夢幻傳説」>別の並行宇宙の平安時代を舞台にした少女マンガチックな幻想譚。本誌掲載作品のなかではもっとも通俗的な小説といえる。しかし南山鳥がもっとも通俗的とはなあ(^^;。通俗的な分、一番読みやすい。ある種の読者は、この作品が一番面白いと感じるだろう。ラストはいつもと同じ南山鳥。30年間同じことやってるってのはある意味すごいかも。

どの作品も商業誌レベルに達しており、さすが。

編集済


『謎とき「日本」誕生』 投稿者:管理人  投稿日: 1月 9日(木)23時51分18秒

高森明勅『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)読了。

『アラビアの夜の種族』を読みかけたのだけど、某掲示板で「倭」と「日本」の話題が出たので、急遽こちらに乗り換える。
著者は、國學院大學卒、現同大学講師で「新しい歴史教科書をつくる会」理事という履歴。この経歴、予め知っていたらきっとこの本は買わなかっただろう。知らなかったので買った。買って正解だった。筋の通ったよい本である。

「日本」という国号を持つ国家、それと不可分に結びついた「天皇」をその称号とする王朝は、いろいろなことがあったけど、ともあれ1300年あまりの間、間違いなく持続してきた、というのが論旨。
とりわけ、第1章<国号「日本」はいつ始まったのか>と、第3章<「天皇」はなぜ登場したのか>は、理詰めで合理的な論の進め方が際だっていて説得力がある。本格探偵小説のように面白い。

>「天皇」という国制上の地位はいかなる歴史的背景のもとに登場したのか。倭国から日本に国号を変更したのはいつで、どんな理由があったのか。本書ではそんな古代史上のもっとも基礎となる問いに、月並みな固定観念を離れて、できるだけ実証的に答えようとしたつもりだ。(著者あとがき)

ところが、翻って第4章<王朝交代はあったのか>は、結論先にありきの感が強い。著者の経歴に由来する「固定観念」が、論理の切れ味を悪くしているように思われる。
第5章<倭国の登場はいつか>は、まき向遺跡が何故その地に興るべくして興ったかという必然性を、列島の東西の接点という見地から論じた視野の広い論考でとても刺激的だった。

「古代史の新しい姿」と帯に書かれているように、現在望みうる最新の古代史像が提示されている。

編集済


C席の客 投稿者:管理人  投稿日: 1月 9日(木)21時17分50秒

Yさん
今年もよろしくお願いします。

「短編小説のレシピ」(阿刀田高・集英社新書)
のご紹介、ありがとうございました。

>このケースは私小説的なショートショートの可能性を暗示している。
ご自身ショートショートの名手である阿刀田さんだけに、眉村さんの方法論も了解できるのでしょうね。
単品のショートショートで、ではなく、ショートショートの集積によってひとつの作品世界を開示するという手法は、眉村さん独特のものですね。
私小説的ショートショートに限らず、『C席の客』のような最初期のショートショート集から既に、そういう指向はあったように思います。『C席の客』を読んだとき、私は一本の長篇近未来社会SFを読んだような印象を持ちましたから。


今年もよろしくお願いします。 投稿者:Y  投稿日: 1月 8日(水)20時57分25秒

先日読んだ「短編小説のレシピ」(阿刀田高・集英社新書)の中に
眉村氏の1日1話について触れられていました。

>ショートショートの書き手でもある眉村卓(1934〜)は病臥の妻に毎日
>一編、短いお話を書いて、読み聞かせたとか。私はつぶさに読んだわけでは
>ないけれど、このケースは私小説的なショートショートの可能性を暗示している。

短編小説の書き方という点から見た作家解説の本で、夏目漱石の「夢十夜」を
解説した章です。


「風の翼」発行おめでとうございます 投稿者:管理人  投稿日: 1月 7日(火)23時46分53秒

橋詰さん
先日は残念でした。

>「某重大発表」
そんなこと書きましたっけ(^^; いえ、メールですこし触れました某大宴会の件ですよ(^^)。
もう少ししたら確定しますので、その節はよろしくお願いいたします。

さて、もうひとつの「風の翼」が、今日届いていました(^^)。
いうまでもなく、<創作研究会=北西航路>発行の、であります。
山田さん、ご恵投ありがとうございました。ゆっくり読ませていただきますね。

「風の翼」特別号 30周年記念と銘打たれた瀟洒な、さすがは山田さんらしいセンスの光る丁寧な仕上がりの雑誌です。
内容は・・・お、南山鳥27が載っているぞ(汗)。私の大好きな深田亨も載っています。野波恒夫、山都風位も・・・いや懐かしい〜!

購読を希望される方はこちらでどうぞ。

この号には、眉村夫人悦子さんへの追悼文が2本掲載されています。この号は眉村先生にも献呈されたらしくて、実は先日先生に電話したとき、「篁さんて誰ですか?」と訊かれたのです。「Dさんですよ」とお教えしますと、うんうんと電話の向こうで頷いていらっしゃいました。今日現物を手にして、篁さんのそれは、たしかに篁さんらしい真情にあふれたよい追悼文だと思いました。が、もう1本はいささか疑問に感じました。これはある意味失礼なのではないか、と感じた次第です。おそらく先生も不愉快な思いをされたんじゃないでしょうか。まあ私の読み過ぎかも判りませんが。

ともあれ(わが方ではないとはいえ)「風の翼」の刊行は嬉しいかぎりです。私自身のスタンスは、最初から風の翼がふたつあったってええやん、でしたからね(^^)。


謹賀新年 投稿者:橋詰  投稿日: 1月 7日(火)14時02分27秒

 今年もよろしくお願いします。

 4日の新年会参加できず申し訳ありませんでした。また、事前に欠席のご連絡もせず、重ねてお詫びいたします(例年通り3日からお腹壊してしなびておりました……)。管理人さんの「某重大発表」をぜひ伺いたかったのですが、残念無念。

 ところで、今年は少し気合い入れてSF読んでいきたく思ってます。とりあえず『航路』をすませちゃわないと。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/moon/


『アラビアの夜の種族』 投稿者:管理人  投稿日: 1月 6日(月)22時59分11秒

着手しました。

土田さん

山野浩一さんのHP見てきました。いやあ相変わらず自信満々(^^; 原稿依頼さえあれば、書いてくれそうですね。
山野さんが(profileによれば)昭和中学に入学した頃は、眉村さんはすでにひとあし先に住吉高校に入学されていますが(堺屋太一さんは一年後輩)、中学は昭和中学の西隣の阪南中学です。筒井さんが南田辺小学校(国民学校)とは気が付きませんでした。昭和20年前後に眉村(途中疎開されますが)、筒井、山野のSF三俊英が1キロも離れていない小学校、中学校に在籍していたというのは不思議な感じがします。

もう一つ不思議な因縁に気づきました。
昭和22年(1947年)13歳 手塚治虫に熱中。雑誌「漫画少年」に投稿する。>筒井『心理学・社怪学』(講談社文庫)巻末年譜
昭和23年(1948年)14歳 このころ、(……)マンガにのめり込み、「漫画少年」等にしきりに投稿した。>眉村『ぬばたまの…』(講談社文庫)巻末年譜

編集済


あしたのロボット 投稿者:管理人  投稿日: 1月 5日(日)22時25分01秒

の感想文を書かなくてはいけないのだけど、うまくまとまらない。
この本の作品群のようなアプローチは、いままで前例がなく、しかしジャンルに絶対必要なものだと思うので、ベスト5の次点にも入れたわけですが、どうも自分の中ですっきり落ち着かないのです。
で、いつも参考にさせてもらっている鳥小屋の和田さんの「あしたのロボット」評がアップされ腑に落ちました。→ここ
和田さんが仰る「混同」が確かにあり、それが作者の意図を分かりにくくさせているのだと気づく。この辺をときほぐして、作者は整理し直す必要があると思うが、発表の一番古い「ハル」に特にそれを感じ、一番新しい「アトムの子ら」ではさほど感じなかったので、作者の中でも次第に整理はされてきているんでしょう。
ともあれ、the other hard SFといえるユニークなアプローチなので、今後の作品を期待したい。
 


山野浩一 投稿者:土田裕之  投稿日: 1月 5日(日)22時11分33秒

山野浩一さんのHPを見ると一応SF関係の著作リストもあります。
http://www.yamanoweb.com/
完全に撤退したわけではないのでしょうか?
(もっとも山野氏の短編とかでは発表媒体が困るかな?
「ユリイカ」くらいしか思い浮かばない)

いずれにしても未収録短編を纏めて欲しいものです。


山椒魚戦争 投稿者:土田裕之  投稿日: 1月 5日(日)22時03分56秒

アレクすて様

「山椒魚戦争」はご推察の通り岩波文庫です。
なにせ創元は重訳ですので。
でも岩波文庫をさらに改訳した早川文庫がまだ品切れにはなっていないようなので
大きな本屋さんにはあるんじゃないでしょうか?

大熊さん
読書は量より密度だと思います。
私は密度薄いから。

全然関係ありませんが五木寛之の「戒厳令の夜」はちょっと失速しますが
大好きな小説ではあります。(ってそれしか読んでないのですが・・)


ムガール宮の密室 投稿者:管理人  投稿日: 1月 5日(日)21時32分23秒

アレクすてさん
ほんとうに、このPC(なのか掲示板ソフトなのかよく判りませんが)というやつは、ときどき不可思議なふるまいをしますねえ。

>山野浩一先生
マジ新作を読ませてほしいです! まだ引退する年齢じゃないですよね。

小森健太朗『ムガール宮の密室』(原書房)読了。
シャー・ジャハン治下ムガール帝国の跡目騒動にまつわる密室殺人の謎を、スーフィー(イスラム教神秘主義)の聖人サルマッドが解決する……というのはこの物語の半分に過ぎない。あとの半分はシャー・ジャハンの長子にして文の人ダラー・シコーと三男、武の人アウラングゼーブの骨肉の跡目争いを描く歴史小説。ということで、焦点がぼけたような印象。前者のトリック自体は錯覚を覚えさせる一種の機械トリックで驚くほどではない。後者の歴史小説の面は、ムガール帝国史というのが珍しく興味深かったが、しかし小説というほどの広がりはなく、梗概に近い感じ。うーむちょっと計算が狂ったような。前者を生かすならクーデタの結末まで筆を伸ばす必要はない、中篇でいいし、歴史小説としては逆に短すぎるし、文体が違う。現状の<ミステリ文体>では歴史小説は書けない。

編集済


2重投稿が2回、駄目だ、もう駄目だ 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)19時27分34秒

げ!いや、すみません!ごめんなさい!2重書き込みが二回になってます!
どうも、大熊さまの掲示板をリロードしていましたら、
「フォームを作り直しますか?」という表示が出てくるので、
リフォームしたら、こうなったようです(←馬鹿)。
つまり、ブラウザで元の画面に戻ろうとしたら、「投稿」モードになったようです(泣き)。すみません!
すみませんでした!


筒井康隆について思った事ども10(最後に) 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)19時22分27秒

みなさん、どうもすみませんでした!
筒井康隆にタモリを絡ませて、書こうと思ったら、こんなに長く支離滅裂になりました!
ごめんなさい!
管理人様!もうしません、お許しを!
(私からいうのは何ですが、不快なら削除してください)
でも、楽しかった。筒井についていいたい放題いったわけで。

しかし、筒井さんのライバル達も最近、まとめに入ってるな。
野坂昭如、五木寛之(『青春の門完結編』と、『風の王国』はまだか?!)も、引退モードだし、
山野浩一先生、もう新作書かんの?競馬がいいの?とかおもったりします。
長文乱筆失礼多謝!

ではでは。


あれ? 投稿者:管理人  投稿日: 1月 5日(日)18時30分19秒

二重投稿でしょうか?>アレクすてさん

>本当に申しわけありませんが下の筒井関係のレスは削除してください
不快どころか、とても刺激的で参考になりました。削除なんてとんでもない(^^)
訂正とか補足があれば、どんどん追加で書き込んで下さいね。


追伸 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)18時22分04秒

申し訳ありませんでした!今読み返すと、
馴れ馴れしく不遜で、不快なものを書き散らしてしまいました(汗!!
本当に申しわけありませんが下の筒井関係のレスは削除してください(涙。

あと、ふと、今日の新聞(サンケイ新聞、1/5(日)朝刊)を読んでますと、
1面にSFが?!
一つは、『ロボット開発の年 神戸や大阪予算後押し関西強化へ弾み』
というもので、要するに、「関西産業強化策」にロボットの開発をつかおう!というものです。
まあ、工業機械(産業ロボット)の部品の供給を!という事なのですが、
細部がすごい。なんと、神戸市がすすめる「神戸ロボットテクノロジー(RT構想)」として財団法人
新産業創造研究機関(NTRO)に「神戸ロボット研究所」なるものができて、「がんばるぞ!」ッという事らしい。
そういえば、世界で唯一、「二足歩行ロボット」を研究してるのは、日本の早稲田大学という話もありますし、
手塚治虫のアトムを思い出すまでもなく日本人はロボット好きです。
(西洋人は、ロボットに悪魔や異教徒の影を見るのかもしれません)。何か楽しいです。

あと、『平成15年はしがき 3<2003.1.5>防災の礎「銀河帝国に学ぶ」』という記事。
執筆者は、自身取材班の森脇睦郎氏。
銀河帝国とは?と思うと、いきなり、冒頭に銀河百科事典のハリ・セルダンの項が。
どういう事かというと、阪神大震災の教訓をつたえるために神戸にある「人と防災未来センター」は
地震発生直後の様々な品や、復興にあたった人の証言を映像などで残す。
それが、アシモフの「銀河帝国興亡史」に出てくるファウンデーションと同じ意味を持つ、と書かれてるわけです。
びっくりしましたね。この文脈で、アシモフが出てくるとは。しかし考えてみれば、
セルダンこそ、SFにおいて理想化された「知識人」であり、
それを書いたアイザック・アシモフこそが、現代アメリカの理想の知識人である事を思えば
この記事の存在も不思議ではありませんね。
(小松左京の未来学は明らかにセルダンの「心理歴史学」に影響されてますし)。
そして、思えば、この記事を書かれた森脇氏も、遠い昔、アシモフや、小松を読み、
「よき、知識人、ジャーナリストたらん!」と思われたのかもしれません。
そう思うと、熱いものが胸に込み上げてくるのでした。


すばらしいです!! 投稿者:管理人  投稿日: 1月 5日(日)17時19分05秒

アレクすてさん
渾身の筒井論、ありがとうございました!
とても興味深く拝読しました。こういう力作論文をログの中に埋没させてしまうのは勿体ないので、掲示板から独立させて過去ログに格納しました。アレクすてさん、事後承諾ですみません。読みやすさに配慮して降順に組み直してあります。→アレクすてさんの筒井康隆論

以下、感想を少し。

>つまり、筒井、タモリの過激さは、「常識への挑戦」であり、
>その対象の常識が、権威、権力と交わる時は、「反権威、反権力」となり得るが、
>その常識が、普遍的、かつ観念的である場合、彼らの挑戦は「言葉遊び」の域をでない事になります。

>パロディの敵は常識ですから、そこに強者弱者という
>思想的、あるいは歴史的区別はないのですね。パロディというのは無歴史的、無思想的なものなのです。

>権威、権力を笑い、常識を笑い、その、笑う枠組みさえ突破すると、
>パロディは、「笑い」そのものを越えてしまいます。

>筒井康隆に、もともと、風刺としてのパロディ(サタイアですね)を期待するのは無理である事。

>彼は権力というものを根元的に憎みますが、権威は嫌いではないんですね。

>彼は、貴族やエリートに憧れてる、プチブルジョアであろうと

なるほど。初期作品の反権力的な部分だけを取り上げて、中期以降変節したと考えるのはお門違いということですね。
前段のタモリ、筒井が形式主義者であるというお説と繋がるわけですが、筒井にとってはパロディ(形式)が目的なので、形式をみたす内容の質は、まあどうでもいいものなんでしょうね。
しかしながら「俗物図鑑」までの初期作品の「内容」は、あきらかに「反権力」的なものでみたされているわけで、それゆえ私のように勘違いする者も現れたんだと思うわけですが、(当時駆け出しだった)筒井自身、明らかに内容を選別して(一種の偽装をして)いるように思います。押しも押されぬようになってからは、そういう配慮も影を潜めていき、同時にエンターテインメントという器にも顧慮しなくなり、笑いも越えてしまうということでしょうか。サタイヤを求めて筒井を読むという、今のスタンスのままでは、読みのがしてしまう部分が多いのですね。ふーむ。たしかにそうかも知れませんね。
他の皆さんは、どう思われますか?


追伸 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)14時35分20秒

申し訳ありませんでした!今読み返すと、
馴れ馴れしく不遜で、不快なものを書き散らしてしまいました(汗!!
本当に申しわけありませんが下の筒井関係のレスは削除してください(涙。

あと、ふと、今日の新聞(サンケイ新聞、1/5(日)朝刊)を読んでますと、
1面にSFが?!
一つは、『ロボット開発の年 神戸や大阪予算後押し関西強化へ弾み』
というもので、要するに、「関西産業強化策」にロボットの開発をつかおう!というものです。
まあ、工業機械(産業ロボット)の部品の供給を!という事なのですが、
細部がすごい。なんと、神戸市がすすめる「神戸ロボットテクノロジー(RT構想)」として財団法人
新産業創造研究機関(NTRO)に「神戸ロボット研究所」なるものができて、「がんばるぞ!」ッという事らしい。
そういえば、世界で唯一、「二足歩行ロボット」を研究してるのは、日本の早稲田大学という話もありますし、
手塚治虫のアトムを思い出すまでもなく日本人はロボット好きです。
(西洋人は、ロボットに悪魔や異教徒の影を見るのかもしれません)。何か楽しいです。

あと、『平成15年はしがき 3<2003.1.5>防災の礎「銀河帝国に学ぶ」』という記事。
執筆者は、自身取材班の森脇睦郎氏。
銀河帝国とは?と思うと、いきなり、冒頭に銀河百科事典のハリ・セルダンの項が。
どういう事かというと、阪神大震災の教訓をつたえるために神戸にある「人と防災未来センター」は
地震発生直後の様々な品や、復興にあたった人の証言を映像などで残す。
それが、アシモフの「銀河帝国興亡史」に出てくるファウンデーションと同じ意味を持つ、と書かれてるわけです。
びっくりしましたね。この文脈で、アシモフが出てくるとは。しかし考えてみれば、
セルダンこそ、SFにおいて理想化された「知識人」であり、
それを書いたアイザック・アシモフこそが、現代アメリカの理想の知識人である事を思えば
この記事の存在も不思議ではありませんね。
(小松左京の未来学は明らかにセルダンの「心理歴史学」に影響されてますし)。
そして、思えば、この記事を書かれた森脇氏も、遠い昔、アシモフや、小松を読み、
「よき、知識人、ジャーナリストたらん!」と思われたのかもしれません。
そう思うと、熱いものが胸に込み上げてくるのでした。


筒井康隆について思った事ども10(最後に) 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)13時04分09秒

みなさん、どうもすみませんでした!
筒井康隆にタモリを絡ませて、書こうと思ったら、こんなに長く支離滅裂になりました!
ごめんなさい!
管理人様!もうしません、お許しを!
(私からいうのは何ですが、不快なら削除してください)
でも、楽しかった。筒井についていいたい放題いったわけで。

しかし、筒井さんのライバル達も最近、まとめに入ってるな。
野坂昭如、五木寛之(『青春の門完結編』と、『風の王国』はまだか?!)も、引退モードだし、
山野浩一先生、もう新作書かんの?競馬がいいの?とかおもったりします。
長文乱筆失礼多謝!

ではでは。


筒井康隆について思った事ども9 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)12時54分18秒

筒井康隆は保守的か?
いろんな考え方がありますね。例えばエッセイとか見ると、すごい事いってるけれど、
「実はネタである」とか。(雑誌「噂の真相」でのエッセイで、「自分は常識的人間だが
編集長に頼まれて、常識はずれの事を言わせてもらってる」といってます。
これも「ネタ」と言えるでしょうが、いくつかの感動的な小説『我がよきウルフ』
や『脱走と追跡のサンバ』等を読むと、筒井さんが、
決して、弱者をただ弱者として差別しているわけではない、ということがわかります)。
では彼はリベラルか?左翼か?といわれると、ウ〜ン、悩みます。
彼は権力というものを根元的に憎みますが、権威は嫌いではないんですね。
文化人(日本の、ではなく、ヨーロッパ型の)に対する憧れを素直に語ってますし、
盟友大江健三郎のノーベル賞受賞を一番素直によろこんだのは彼でしょう。
保守的ですよねえ。でもわかるんです、彼の気持。
だって、世間で、反権力、過激といわれるイギリスのコメディアン、モンティ・パイソンの連中は
オックスフォードやケンブリッジの出身ですよ。
映画界に新風を巻き起こしたジャン・リュック・ゴダールだって、エリートの大金持ちですし。
つまり、芸術というものが知識や、経験の集大成なら、
そりゃあ、エリートのほうが目はこえる、という事を知ってるんですね。
だから、筒井氏の小説によく上流階級が没落していくものがありますが、
あれは相対的に笑うというのと、もうひとつ別に、ヴィスコンティ映画や「安城家の舞踏会」のような
旧支配階級への挽歌となってるのでしょう。
だから、僕は筒井氏が保守かと聞かれれば、こう答えます。
「彼は、貴族やエリートに憧れてる、プチブルジョアであろうと。
そのメンタリティは、石坂洋次郎のようなオールドリベラルであり、
それを批判するのはありかも知れないが、そういうメンタリティが、時代を動かした事も(昔は)
あったのだし、マルキシズムも今は、問題があるわけだし、
まあ、許容範囲ではないか?と」


筒井康隆について思った事ども8 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)12時29分46秒

筒井康隆の予言
昔、福島正美が、編集したムック、「SFファンタジア」で、ブラックユーモアについて語っているが
「自分の書くものは、そのうち誰も笑わなくなるだろう」といっている。
司会役の 石川 喬司が
「あおざめちゃってね」というと、
筒井さんは
「そうではなく、(自分の対象つまり笑いが)、どんどん先鋭化されていくと、
超音波(つまり、可聴音域をこえる。いわゆる約束ごとの笑いのルールを越えてしまう)
になる」とこたえている。
これは筒井氏が自分の本質に自覚的であり、なおかつ、今の筒井氏の制作態度と矛盾していない
(一貫性がある)事を意味する。
また、ビートたけしやダウンタウンの、前衛的な芸人の悩み
(大衆は、本当の(前衛の)笑いを理解してくれない)を70年代に先取りしていたと言える。
(続きます)


筒井康隆について思った事ども7 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)12時13分04秒

今、ちょっと、落ち着いて来ました。
落ち着いて下の文章をよむと、無茶苦茶ですな。
もっとも、勢いでかかないと、こうしたものは書けないので続けてかきます。

筒井康隆について見聞した事ども

筒井康隆の思想
よくいわれることですが、彼の思想のルーツはフロイトですね。
自分でいってます。「マルクスは受け付けなかった」とも。
フロイトは(あえていうなら)個別科学ですね。マルクスのような社会科学ではない。
(もっとも、岸田秀のような人は、フロイトを社会科学であるといってます。
つまり、人間を社会的生物と定義すれば、「種としての人間を定義すれば、
社会的に定義したことになる」ということでしょうか。
マルクス理論が、機能しにくい現在、フロイトについてもっと研究者の意見を聞きたいです。)
と、いうわけで、筒井氏は「種としての人について興味はあるが
社会的な存在としての人間には興味ないのでは?と取り合えず言えると思います。
(そういえば、筒井さんの父親は動物学者の筒井嘉隆さんでしたね。これも興味深いです)。

筒井康隆の文章はうまいのか?
これは、シャピオというところからでていた「SFイズム」という雑誌の引用ですが、
ま、普通です。下手ではないが、うまいとはとてもいえない。
これには理由があって、つまり、筒井さんの小説は「パロディ」なんですね。
対象がSFであろうと、純文であろうと。
すると、パロディは形式にこだわりますから、
もともとの素材(つまり、地の文章)はふつうでないと困る。奇怪なオノマトペーや、怪しい論理
を使う時、地の文まで変なら、読みようがない、ということですね。
(これは筒井さん自身も気づいておられたようで、エッセイによく出て来ます。
例えば、星新一氏との話として
「SFの文体をどうするか」という話になり、
星氏にきいたら「SFは、ストーリーや設定が飛んでいるのだから、文章まで飛ぶとまずい」
という答えが帰って来たとのこと。
あと、澁澤龍彦氏の談話として
「SFは、未来(架空)の話だが、文章や、登場人物のメンタリティは現在のままである」
という話に「俺は、『虚構船団』では文章や、メンタリティもシミュレートするぞ!」と思った事。
(あと、百目鬼 恭三郎氏や、ポスト構造主義者の人と、
「SFの方法論である「 外挿法 ( がいそうほう ) 」は、純文学の方法たりえるか?」について話し合った
ややこしい論争があるのですが、ここでは飛ばします)
(続きます)


筒井康隆について思った事ども6 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)11時35分21秒

(前からの続き)
さて、筒井、タモリについて、オタッキーな用語を垂れ流し、深夜の酔っ払いのような、
文体でオガオガ吐きつつづけることで、私は一体何をいいたいのでしょう?
わかりません。
ただ、筒井康隆に、もともと、風刺としてのパロディ(サタイアですね)を期待するのは無理である事。
(もっともフォルムのパロディという事でいえば、筒井は、何も変わっていません。というか
その一貫性が(前衛的笑いから撤退していった連中とくらべると、)
いっそ、すがすがしいです)。
あと、「パロディ(笑い)」の本質は結局、相対主義であり、歴史性が欠落してしまう事。
これは、じつはSF自体にも言える事ですね。過度の相対主義は、結局、(思想、歴史的には)
虚無主義へと行き着く。自制する事しかりです。
(だから平岡正明氏がジャズについて語る時、筒井的、形態論、技術論と、
五木寛之的歴史、思想論の両輪で批評する事は素晴らしいと思います。
もっとも、今の時代、平岡さんのような硬派な人は大変そうですが)
(続きます)


筒井康隆について思った事ども5 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)11時16分14秒

(前からの続き)
そして、そういうものが行き着くところへ行き着くと、どうなるか。
「冷し中華祭り」になるわけです。
権威、権力を笑い、常識を笑い、その、笑う枠組みさえ突破すると、
パロディは、「笑い」そのものを越えてしまいます。(実は笑い自体が、文化や、常識といった
「言葉の枠組み」にしばられたものですから)。
だから、筒井氏や、タモリといった人たちが最終的に
「冷し中華祭り」にいってしまうのは別に不思議ではありませんし、いっそ当たり前と言えるでしょう。
(たとえば、たけしや、ダウンタウン松本が、一時期、落ちのない笑いや、定型を壊した笑いに挑戦していた事がありました。結局、それは大衆の支持をえられず、彼らは「笑いとしては」テレビから撤退していくのですが、
彼らの究極の目的が「冷し中華祭り」だとすれば、それはよくわかります。)
(続きます)


筒井康隆について思った事ども4 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)11時05分17秒

(前からの続き)
しかし、こうした事も考えると、当然のような気もします。
というのは、彼らの目的は、「世間を騒がせる事」であり、
それはフォルマリスムの方法を使う事であると。(パロディですね、つまり)。
そして、パロディの方法論は最終的に「形式そのものの破壊」へ向かいますから、
(たとえば、イギリスの「モンティ・パイソン」や、日本のパロディ番組「おれたちひょうきん族」の笑いは、決して強者だけに向いていません。実際は弱者を笑い者にしています。(片岡鶴太郎の「キューチャン!」というギャグは、
あきらかに、惚け老人を笑っています。)つまり、パロディの敵は常識ですから、そこに強者弱者という
思想的、あるいは歴史的区別はないのですね。パロディというのは無歴史的、無思想的なものなのです。
(続きます)


筒井康隆について思った事ども3 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)10時51分43秒

(前からの続き)
つまりタモリは形式主義者なんですね。
で、タモリと親和性のある、筒井康隆もそうであると。(二人の間に赤塚不二夫氏を置くとよくわかると思います。)
そう考えると、タモリと、筒井がデビュー当時何故過激であったか、
今はそうではないのかがよくわかります(タモリは、今では品行方正な優等生的司会者ですが
デビュー当時の過激さは、ビートたけしやダウンタウンの比ではありませんでした。
何せ「面白いけど放送できない」というネタが山積みでした。
(その片鱗は、現在も発禁になってる「タモリ3」というレコードを聞けばよくわかります。)
タモリがお昼の番組「笑っていいとも」の司会をやる時、野坂昭如氏が
「密室芸人でいてほしい」と発言したのも懐かしい思い出です。)
つまり、筒井、タモリの過激さは、「常識への挑戦」であり、
その対象の常識が、権威、権力と交わる時は、「反権威、反権力」となり得るが、
その常識が、普遍的、かつ観念的である場合、彼らの挑戦は「言葉遊び」の域をでない事になります。
(いいたくないですが、タモリの「冷し中華祭り」何かは「不発になった言葉遊び」という気がしますね。
平岡正明、坂田明、山下洋輔・筒井康隆、タモリ、長谷邦夫、赤塚不二夫、南伸坊、赤瀬川原平といった
疑似イヴェント系の人たちの夢の共演ですが、彼らの過去の遺業、たとえば平岡氏の「犯罪者同盟」
赤瀬川氏の「ニセ札事件」、筒井康隆氏の「ベトナム観光公社事件」
赤塚氏の「雑誌連載でペンネームを山田に変える事件などにくらべると、インパクトが弱いような気がします。)
続きます。


筒井康隆について思った事ども2 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)10時06分06秒

(前より続き)
で、仕方ないから、タモリガ五木さんに言及した文章を見てみると、
「(五木さんの)「さらばモスクワ愚連隊」を読んでみたがジャズの匂いがしなかった(大意)」
と書かれていました。
ここで、ちょっと飛躍するのですが、タモリのいいたい事がわかるような気がしました。
つまり、タモリは、ジャズとは音楽なのだから、その本質はあくまで技法(山下洋輔氏がやってるような)
であると考えていてて、五木のような、ジャズへの思想的、歴史的アプローチは興味がないだけでなく
権威的にさえ見えるのですね。
(タモリの五木批判に、「五木のナンパの仕方(「フォスボラスの海を見よう!」とかいって旅行に誘ったりする。」
を笑うものがありました。あれ(五木のナンパ)は、実は スコット・フィッツジェラルドや、ヘンリー・ミラーあたりのジャズと親和性のあるモダンな作家のスタイルの模倣(および、私小説的実践)なのですがね)
続きます。


「風の翼」新年大宴会にいけなくてすみませんでした。 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 5日(日)09時50分14秒

管理人様、あけましておめでとうございます!
新年宴会に参加できなくてすみません!管理人様よりメールをいただいたのですが、
開いた時が昨日だったというていたらくでした。ごめんなさい!
(話したい事はたくさんあったのですが!)

>土田様
「山椒魚戦争」は、どこの出版物でお読みになられたのでしょうか?
岩波文庫でしょうか?(うちの近所の本屋は、もう岩波文庫さえ置かなくなりました(泣き)
小松左京が泣いているぞ!)
私も読んでみたいと思っているのです。

>筒井康隆論
いや、そんな大層なものではないのですが、ちょっと思いついた事どもなどを。
筒井康隆について面白い評論(正しいとかではなく)を書かれてる人といえば、平岡正明だと思います。
平岡さんには、楽しませてもらっただけでなく、知識もいろいろちょうだいしました
私が「政治」について、多少なりともお話ができるのは平岡さんのおかげです。
(あと、庶民派の半村良。もっとも、お二人のせいで、私の政治意識はかなり片寄ってます。)
で、平岡さんに言わせると、筒井さんの小説は「ジャズ感覚で書かれている(大意)」と。
で、ジャズについて、うまい小説は、いろいろあるが、「筒井さんと五木寛之であろう(大意)」と
(もちろん、河野典生、山野浩一、山下洋輔、風俗ものとして 色川武大なども
平岡さんはとりあげられてるわけですが)いわれてます。
すると疑問が生じるのですね。ジャズ芸人、タモリはどういう扱いになるのか?と。
平岡さんに言わせると、タモリは「ジャズ精神を体現した芸人(大意。すみません!
思いつきで書いてます。平岡さんの原典にあたって書いてるわけではないんで)」
しかし、タモリと、平岡さんが評価するジャズ小説家五木寛之は対立してるんですね。
不思議です。(実は五木さんについては、「さらばモスクワ愚連隊」「青春の門」
「戒厳令の夜」「風の王国」と、いくつかのエッセイしか読んでないのですが。)
で、平岡さんや五木さんの意見を見てみましたが、書いてない。
(平岡さん、五木さんは「五木批判」はタモリのギャグだと思ってるらしいです。
あくまで「らしい」ですが)
続きます。


2002回顧 投稿者:管理人  投稿日: 1月 4日(土)23時11分50秒

今日は「風の翼」新年大宴会。5名といつもより少しさびしい宴会でしたが、ご参加の皆さんお疲れさまでした。私は体調が悪かったようで、2次会は殆ど意識不明状態、申し訳ありませんでした。またよろしくお願いいたします。

土田さん
今年もよろしくお願いいたします。
昨年読了数は、55冊でした。土田さんの3分の1ですね。しかもこの数字は再読、非小説も含んだものです。いかにも少ないですね。今年はもうちょっと時間の有効活用で、読書タイムを増やしたいです。

さて、私も2002年度マイベスト5を考えてみました。再読と非小説を除いた初読小説からのセレクション。

(1)田中啓文『禍記(マガツフミ)』(徳間書店)
(2)小林泰三『ΑΩ(アルファ・オメガ)』(角川書店)
(3)皆川博子『ゆめこ縮緬』(集英社)
(4)北野勇作『どーなつ』(ハヤカワJコレクション) 
(4)野尻抱介『太陽の簒奪者』(ハヤカワJコレクション)
(次)飛浩隆『グラン・ヴァカンス』(ハヤカワJコレクション)
(次)瀬名秀明『あしたのロボット』(文藝春秋)

*4位の2作と次点の2作は、わたし的にまったく拮抗しています。たまたま今日はこういう評価ですが、気分次第で入れ替わり得ます。

「グラン・ヴァカンス」と「妻の帝国」は、読了直後のインパクトは強かったのですが、時間の経過とともにマイ評価が下がった。回想の中で輝きを増していくものと、その逆のものがあるのですが、この2作品はどうも後者でした。

>「紙葉の家」
ここにきて、にわかに各所で取り上げられていますね。現物を確認していないのですが、なんか物理的にすごい難物みたいですね。一体どんな本なんだ(^^;。しかしSPOOKYさんが編集されたとなれば、これは可及的速やかに入手せねばなりませんね。

さて、月刊センターホームページが更新されています。今月の眉村卓さんのショートショートは「対話能力」

眉村卓ワンダー・ティー・ルームの「店長読書月記」と「2002お気に入り作家はこれだ」も。すっかり忘れてましたが、稲生平太郎、読まねば。

編集済


あけましておめでとうございます。 投稿者:土田裕之  投稿日: 1月 4日(土)00時35分04秒

大熊さん
あけましておめでとうございます。

今年はもっとSFを読みたいなと思ってはいるものの、どうなることやら。

ちなみに去年一番面白かったのは「山椒魚戦争」と藤枝静男の「空気頭/田紳有楽」でした。
新年は乙一の「失踪HOLIDAY」を読みました。
ファンが多いのは頷けますが、どうもひねくれものの自分は斜に構えてしまうようで・・。
大作の「紙葉の家」を手にとりましたが、これは難物・・。
通勤には持ち歩けないサイズと重さだし、ちょっと時間がかかるかも。
(ストーカー賞受賞作品で大熊さんもお会いしている奥田さんが編集をされています。)


SFジャパン(承前) 投稿者:管理人  投稿日: 1月 3日(金)13時45分17秒

秋口ぎぐる「リングワールド」>車輌の上部や両側に拡張された巨大な列車が真悟たちの「世界」。世界は100年以上、一度も停車することなく走り続けている。どうやら一年周期で大きな円を描いて列車(世界)は走っているらしい。車窓から見えるのは、草原と廃墟。しかし、この閉鎖空間に絶えられない者が、年に何人か、必ず現れる。かれらは列車から飛び降りて「世界」から遁走するのだが・・・
設定が素晴らしい。しかし読中だんだん不満が溜まっていく。それは主人公真悟の行動原理に対する嫌悪感。YA作家の悪弊、これでハッピーエンドに終わったらどうしてくれよう、と思っていたら、あっと驚く結末!!。これは一杯やられました(^^;。作家の思い通りに操られたかも。

古橋秀之「終点・大宇宙」>バーナードとシリウスとぼくはご近所友だちと言うところか(汗)。この宇宙の終点の日、ぼくは夢で見つけた、かげろうのようにはかなく生まれ消滅した生物を次なる超宇宙へつれていってあげようと思う・・・
SFのひとつの醍醐味である<超SF>。ばしっと決まった。センス・オブ・ワンダーの香気馥郁たるワンアイデアストーリー!!

火浦功「火星のプリンセス」>怒りがムラムラとわき上がる。こんなもの載せるな(怒)。いや、これはひょっとしたら公開処刑「みせしめ」なのかも。何度も書いていることをまた書くが、火浦のこういう安易な姿勢がSF冬の時代招来の一因であったことは間違いない。SFJにはもう火浦功を使わないことを望む。ちなみにイラストの厳GO老人力Zという人は、執筆者紹介欄に記載がない。

清涼院流水「世界の中心で愛を叫んだけもの」>作者があとがきで釈明しているが、たしかに世界設定がよく判らない。ラストの言葉オチを書きたかったんだろうけど、古橋作品と違って、これだけではなあ(ーー;

都筑道夫インタビュー「翻訳SF黎明期」>「小松左京マガジン」が積極的に取り組んでいるが、こういう企画はどんどんやってほしい。もうそういう時期なんだから。ほんとうはSFMが率先してやっていかなければいけない仕事なんだけどねえ。

池田憲章「よみがえる幻のSF映像」>NHKの懐かしのSF人形劇(DVD化されたらしい)「宇宙船シリカ」「銀河少年隊」「空中都市008」の制作現場やSF作家の関与を丹念にたどっていて興味深い。小松左京のインタビューも。

大橋博之「少年ドラマシリーズとジュヴナイルSFの関係」>これも意義ある労作。学習雑誌がSF作家を抜擢した結果誕生したポピュラリティのあるSFが、福島正実を焦点としてジュヴナイルとして確立していくあたりがよくわかる。ジュヴナイルとともにあったと言って過言ではない挿絵画家、谷俊彦の聞き書きも。

小川隆「ぼくたちが翻訳SFを好きな理由」>日本とアメリカでのSFに対する一般的イメージの違いから説き起こして、SFを取り巻く状況に英米以上に困難な問題はない。日本SFは正しい道を進んでいる。海外に向かって発信していけるはずとする。

添野知生「カリガリからアルジャーノンへ」>1923年から2002年までの日本で映像化された海外SFの系譜を紹介。

以上の非小説はすべて日本SF史の周辺部分を補おうとするものであり、非常に大切な仕事であると思います。

山田正紀X恩田陸 <連載対談>大人の読書会(第2回)I・アシモフ「鋼鉄都市」「はだかの太陽」

 恩田 そう、ほとんどバカミスですよね。とくに『はだかの太陽』のほうは凄い。(……)んな、アホな(笑)。
 恩田 まるで憲法解釈ですね(笑)。かなり恣意的に書いているところはありますね。
 恩田 (……)「こんなしょうもないことに何ページもかけちゃって、このぉー」って。そのウダウダ感が好きですね(笑)。
 恩田 あれは、古いとか新しいとかいう以前の問題ですよ(笑)。
 恩田 (……)あれは論理にのっとってないんです。マザーグースを小道具に使う必然性もないし、読者を惹きつけるだけの謎もないし、しかもその謎にきちんと答えを出していない。

    ↑
 おまえがいうな! いや楽しませてもらいました(^^;ゝ


SFジャパン 投稿者:管理人  投稿日: 1月 2日(木)18時47分02秒

大江十二階さん
あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。
阪神>今年は期待できますよね(^^)。でも反面、リトル巨人みたいで、何となく引っかかるものがあるんですよね。
金を持っているところがどんどん強くなっていくというのは、日本社会の現状と表裏一体なんでしょうけど、あんまり面白くないですなあ・・・ま、優勝してくれたら素直に喜ぶんですけど、ともあれ本年もよろしくお願い申しあげます。

SFJ vol6<翻訳の載らない翻訳SF特集>より、森岡浩之「光の王」、山本弘「世界をぼくの手の上に」、林譲治「重力の使命」、梶尾慎治「接続された女」、田中啓文「」トリフィドの日・トリフィド時代」、森奈津子「たったひとつの冴えたやりかた」を読む。見ればおわかりのように、過去の名作タイトルをお題に、新作を書くという趣向です。

森岡浩之「光の王」>なにか忘れているような気がして仕方がない主人公が、先週の水曜日の記憶がないことに気づいたとき・・・
70年代風の軽妙な落とし方がよいです。読ませる文体はさすが。

山本弘「世界をぼくの手の上に」>ネット上で「宇宙船セレストリアル」を舞台にした合作小説を書き続けているグループのメンバーの高校生が、いじめを受けていた相手を殺し、ノートパソコンを持って失踪する。各メンバーは、ネット上でセレストリアルのクルーでもある。主催者はセレストリアルの物語を続けることで、高校生を救おうとする。・・・
電脳上の宇宙空間と現実世界が並行し、やがてリンクする感動の傑作。

林譲治「重力の使命」>調査宇宙船バーレナン号が発見した未知の星は、表面温度280K、直径4700メートルなのに立方センチあたり15キログラムの質量を有するという、白色矮星にしては軽すぎ、小惑星とすれば重すぎる、中途半端なサイズの球状の物体だった。・・・
未知の星(?)の正体の謎に立ち向かうハードSF。表面へ着陸の瞬間1Gだった重力加速度が、次の瞬間0G(自由落下)に変わる、そのメカニズムの解明(というか設定)がハードSFならではの満足感を与えてくれる。

梶尾慎治「接続された女」>銀河知性集合体に必要な資源を求めて、ある恒星系を訪れた探査隊は、その第3惑星に探査員と探査ロボットを下ろす。その惑星には文明が発生し、滅び去った跡が残されていた。探査員と探査ロボットが、雨を避けて避難した廃墟で遭遇したのは、滅び去った知的生命体の「残存思念」だった・・・
いかにもカジシンらしいセンチメンタルな小品。

田中啓文「」トリフィドの日・トリフィド時代」>流星雨が流れたあと、屋上に放置してあった実験中のキノコに自我が芽生える。キノコは警備員を惨殺し、ものすごいスピードで窓から逃げ去る。「真菌高速だ」とつぶやく人間。そこにあらわれたのはMIBの三人だった・・・
読中、三度ほど瞬間居眠りをしてしまった。疲れているのだろうか?

森奈津子「たったひとつの冴えたやりかた」>華子に対して恋人はさよならを言い、「あなたに<たったひとつの冴えたやりかた>を教えなくてよかった。私はもうあなたを愛してないんですもの」と去っていく。それから華子の<たったひとつの冴えたやりかた>を求める遍歴が始まった。・・・
ぜんぜん面白くない。ポルノグラフィーとしてもあとがきで胸を張るほどのものではない。あとがき自体はおもしろい(牧真司が喰われた(^^;)。

編集済


賀正 投稿者:大江十二階  投稿日: 1月 1日(水)23時57分12秒

あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。
昨年は、何かとお世話になりました。本年も、どうぞ宜しくお願い致します。
今年こそ、阪神優勝を期待したいと思います。

http://www.interq.or.jp/mercury/syundei/


芦辺拓の 投稿者:管理人  投稿日: 1月 1日(水)13時09分37秒

「太陽系七つの秘宝」(「SFJapan vol.6」より)を読む。
芦辺さん初のSF短編。これはいいです(^^)。SFを書いても、やはりレトロでセピアなところが作者らしいです。
レトロな宇宙活劇は日本にもたくさんありますが、同じレトロでもこういう作風は今までなかった(野田さんに少しありますか)。もっと書いていただきたいものです。


アレクすてさん 投稿者:管理人  投稿日: 1月 1日(水)11時52分16秒

昨年はたいへんお世話になりました。
今年も探偵講談を、ともに応援いたしましょう(^^)
筒井康隆論、楽しみにしています!


謹賀新年 投稿者:管理人  投稿日: 1月 1日(水)11時47分19秒

あけましておめでとうございます――

年末は、30日は換気扇とコンロの掃除をしていて、風邪を引いちゃいました。作業の途中で油汚れ用の洗剤がなくなったので、あり合わせの洗剤を使ったら、なかなかきれいにならず、えらい時間がかかってしまった。必死になってごしごしやっていたら、筋肉痛になってしまいました。疲れた上に、なんだか熱が出て来たような、と思ったら、突然鼻水が(^^;。……結局まだ完治しておりません。

ぐったりしてテレビをつけたら、丁度「米朝一門顔見世大興行」が。米朝師の回転寿司初体験を放映していたのですが、くら寿司を借りきって撮影していました。これが100円とは安い、と師匠ご満悦でした。たしかにネタが大きくシャリ玉の両端にだらりと垂れていて、それは普段のくら寿司では絶対にあり得ないものでした。確かにあれなら安い、と私も思いました。

体がだるいので、テレビをだらだら見ていましたら、ザ.ベストテンが始まり、最後まで見てしまった。あー時間の無駄。

31日は昼前に起き、仕事がらみで外出。風邪がひどくなる。ひっきりなしに鼻をかむ状態。
体がだるいので、テレビをだらだら見ていたら、レコード大賞が始まり、最後まで見てしまった。あー時間の無駄。
ひきつづいてイノキボンバイエ。これは見たかった番組。あっけない試合が多かった。とくにサップー高山は、致し方なしとしてもあまりにも力差歴然でした。

その後もテレビつけっぱなしで、うつらうつらと年明けを迎えたという次第。
読書の方は――なんとか『あしたのロボット』を読了。これはしかし、とてもよい作品集でした。今は体がつらいので、感想は後日。

――ということで、今年も拙サイトをよろしくお願いいたします。


あけましておめでとうございます。 投稿者:アレクすて  投稿日: 1月 1日(水)04時54分10秒

あけましておめでとうございます、管理人様。返事が遅れてすみません、アレクすてです。

>村田 耿介様
忘年会、とっても楽しかったです(返事遅い…)。いろいろお話しましたが、一番、盛り上がったのが、
映画でもミステリでもなく「ガンダム」だった、と言うのが我々の世代をあらわしてるようで、面白かったです。
今年もよろしくお願いします。

>河本様
数学の話、面白かったです。(最も自分は頭が悪いせいか、抽象度の高い話に、ついていけず、
いっかいいっかい、下世話な置き換え(メタファーになってないメタファーに置き換える)
をして、話の腰をおってしまい、申し訳なかったです。ただ、数学と言うのが、固定された
アプリオリな世界ではなく、詩のような、あるいはSFのような、流動的かつアグレッシブなものだと
(たとえ、表面的理解であっても)知る事ができたのは幸せでした。)

>Yさま
管理人さまもおっしゃってますが、「異形」が面白いのはテーマ別で、短編集であるため、
「選べる」ということですね。あと、恐怖をうたいながら、SFがけっこうある。
これについていろいろ言う人がいますが、私的には(ここ重要)オッケーです。

> 石川誠壱さま
横レスすみません。私の時は、あたりまえのように、表紙は「薬師丸ひろ子」でした。
角川おそるべしです。それに疑問を持ってませんでした。
(ただ、『ねらわれた学園』映画版は、大林宣彦氏のカルトムービーとしか言い様がなく、
(好きな人は好きかも知れないが)私は苦手でした。
NHKの少年ドラマ版は傑作だ。とよく聞くので、「みたいなあ、でもNHKだから、オリジナルフィルムがないよな」
とおもっておりました。閑話休題。

管理人様。筒井康隆氏について述べよう、と思っていたのですが、(管理人様の)レスも流れていってしまったし、
長文で、ここを汚すのもなんなので別の機会にかかせていただきます。
では、くどくど書かせていただいてありがとうございました。ではでは。

 


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