【掲示板】



ヘリコニア談話室ログ(2003年2月)

 


『愛と経済のロゴス』 投稿者:管理人  投稿日: 2月28日(金)21時43分47秒

中沢新一『愛と経済のロゴスカイエ・ソバージュV(講談社選書メチエ、2003)読了。面白いなあ。でもちょっと了解しにくかった……「緑の資本論」買ってこなくては。
感想は後日。

次は、池田清彦『分類という思想』(新潮選書、1992)の予定。

エイやん>58/100 ←ようやく峠を越えました(^^)
分類という思想>0/222

恐怖の頭脳改革/EL&P(1973)


つはものどもが…… 投稿者:管理人  投稿日: 2月27日(木)21時45分22秒

旧和田喜八郎(『東日流外三郡誌』等偽作者)邸調査に関する第一報。←原田実さんのHPより。

エイやん>50/100
愛と経済のロゴス>170/205

トリロジー/EL&P(1972)

編集済


司政官年代記 投稿者:管理人  投稿日: 2月26日(水)21時13分13秒

Yさん
司政官年代記、拝見しました。ずいぶん整備されて見やすくなりましたね。
ファン心横溢する労作です。さすが!
司政官論を書くとき、とても便利ですね>いや書きませんけど(^^;

>長編が読めるんですね。
長篇ではなく、100枚の長めの短編なんです。
余談ですが、私の感覚では、20枚未満=ショートショート、20枚以上100枚未満=短編、100枚以上300枚未満=中篇、300枚以上=長篇……という感じです。
あ、とすれば中篇になるのか。まあ短編と中編のちょうど境目の微妙な長さですね(^^;。

>楽しみにお待ちしています
これは面白いです。期待していて下さいね(^^)。
眉村さんの(ちょっと意外な)子供時代が反映しているかも。
まあ小説ですからどこまで真実かわかりませんけどね。

エイやん>43/100
愛と経済のロゴス>108/205

タルカス/EL&P(1971)


オンラインで 投稿者:Y  投稿日: 2月25日(火)23時24分42秒

長編が読めるんですね。楽しみにお待ちしています。
「ぬばたまの」ですか。あれもいいですよねー。
異世界へ行ってしまうシリーズはまさに不思議ワールド。

司政官コーナー、ちょっと更新しました。

http://www.usiwakamaru.or.jp/~yamas/index.html


『天皇と日本の起源』 投稿者:管理人  投稿日: 2月25日(火)21時48分18秒

遠山美都男『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解く(講談社現代新書、2003)読了。
感想は後日。

次は中沢新一『愛と経済のロゴスカイエ・ソバージュV』(講談社選書メチエ、2003)の予定です。

エイやん>40/100
愛と経済のロゴス>0/205

レッド・ツェッペリンW(1971)

編集済


『動物化するポストモダン』 投稿者:管理人  投稿日: 2月24日(月)21時54分22秒

東浩紀『動物化するポストモダンオタクから見た日本社会(講談社現代新書、2002)読了。
「SFが読みたい2003」の対談で、鏡、大森という大御所相手に全然負けてなかったので興味を持った。
ぱらぱらと見ているうちに、いつしか読み耽っちゃってました(^^;。面白かったです!
感想は後日。

エイやん>31/100
天皇と日本の起源>176/300

レッド・ツェッペリン(1969)

編集済


進捗状況 投稿者:管理人  投稿日: 2月23日(日)22時31分08秒

エイやん>23/100
天皇と日本の起源>176/300

レッド・ツェッペリンV(1970)


近日公開! 投稿者:管理人  投稿日: 2月22日(土)22時30分25秒

たった今、眉村卓先生の未発表新作!「エイやん」(100枚)を読み終わりました。
傑作!!

並行宇宙テーマを倒立させる斬新なアイデアでつむぎ出された異様な怪奇幻想空間!

著者自身を彷彿とさせる老作家、浦上映生が、かつて空襲で焼け出される前に住んでいた、よい思い出が何もないN区を、ふと訪れてみようと思ったとき、すでに復讐は準備されていたのか……N区に入った途端、浦上が人違いをされる「エイやん」とは? そして「取り込まれ」かけた浦上を救ったのは?

この100枚を、私は机の前に座って読み出すや、原稿から目を離すことが出来ませんでした。全く動かず(いわんや、用意したコーヒーに手もつけず)読了しました。
これは「ぬばたまの」に匹敵する傑作です。

この作品、「エイやん」を、先生のご好意により当HPにて公開できることになりました。みなさん、刮目してお待ち下さい。
100枚のワープロ打ち、少し時間がかかりますが、出来るだけ早くご覧いただけるよう頑張って打ち込みますね。ご期待下さい!!

編集済


SFが読みたい2003 投稿者:管理人  投稿日: 2月21日(金)20時47分56秒

Yさん
私が思うに、森村誠一はホテルのフロント係、眉村さんはメーカーの購買係、森村さんのほうがよりフラストレーションのたまる職場環境だったのではないでしょうか。購買課は「買ってやる」方ですから。
たしか眉村さんはかなりキビしい(情け容赦のない)購買だったようで、逆にこんな仕事をしていたら自分の人間性がすり減ってしまうと感じていたようですね。卓通信の何号でしたっけ、書かれていたと思います。

さて、ようやく「SFが読みたい!2003年版」を入手し、読んで(ながめて?)いるところです。
「壜の中の手記」に感心したものとしましては、マイベスト5[海外編]でこの作品に投票した人が、いったいあと何に投票しているのか興味がわいたので、「壜の中の手記」に投票した人(11名でした)の、各ベスト5を集計してみました。
そうしますと以下のような結果になりました。

1)壜の中の手記 11票(当然ですな(^^;) 42153215342=32点
    
2)航路 7票 2525223=21点
3)ダイヤモンド・エイジ 4票 3342=12点
4)地球礁 3票 343=10点
4)イリーガル・エイリアン 3票 541=10点
6)マーティン・ドレスラーの夢 2票 53=8点
7)90年代SF傑作選 2票 43=7点
7)狂人の太鼓 2票 34=7点
9)塵よりよみがえり 2票 33=6点
9)ミスターX 2票 33=6点 
9)アンダー・ザ・スキン 2票 33=6点

12)最果ての銀河船団 1票 5点
12)コカイン・ナイト 1票 5点
12)ガラテイア2.2  1票 5点
15)パロマーの巨人望遠鏡 1票 4点
15)グルーム 1票 4点
17)さらば愛しき鉤爪 1票 3点
17)ある日どこかで 1票 3点
17)不死の怪物 1票 3点
20)グローリアーナ 1票 2点

21)ライラの冒険 1票 1点
21)グレー・レンズマン 1票 1点
21)奇妙な新聞記事 1票 1点
21)フリーウェア 1票 1点
21)掟の問題 1票 1点

かなり順位が入れ替わりました。

狂人の太鼓、塵よりよみがえり、が11〜20位からベスト10に昇格し、
マーティン・ドレスラーの夢、ミスターX、アンダー・ザ・スキン、は圏外よりベスト10へ。
ガラテイア2.2、パロマーの巨人望遠鏡、グルーム、不死の怪物、も圏外から11〜20位へ登場。

逆にベスト10から、
最果ての銀河船団、が11〜20位に陥落し、
フリーウェア、は圏外へ去ります。

いっぽう、グリーン・マーズ、デイヴィー、クリプトノミコン、デューン、鳥姫伝、言の葉の樹、ドラキュラ崩御、の8作品は、壜の中の手記の投票者にはまったく支持されませんでした。

うーむ。ここからなにか有意な傾向を読みとれるのでしょうか、無理ですねえ(^^;

『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解く読み始めました。

編集済


サラリーマンもの 投稿者:Y  投稿日: 2月21日(金)00時41分22秒

ごぶさたしました。新しいコンテンツ、楽しみにしています。
最近森村誠一を読み返していたら眉村サラリーマンものより
ヘビーでなかなか暗い気分に。


「卓通信」第1号より 投稿者:管理人  投稿日: 2月19日(水)22時09分32秒

「真生印刷のこと」のワープロ打ちが終わりました。これで第1号は完了。
明日にでも郵送かFAXして、チェックしていただきます。
先生もお忙しいので、そんなにすぐはチェックしていただけないでしょう。
その間に、レイアウトを決めたいと思います。まあセンスがないので、いくらない知恵を絞っても変わり映えしないんですけどね(^^;

明日は高校のクラブ活動の友人たちと久々の飲み会。インフォーマルな活動がネット関係に傾斜して、学友関係がなおざりになっていたところなので、とても楽しみ(^^)

ブラック・ムーン/EL&P(1992)


『人類最古の哲学』 投稿者:管理人  投稿日: 2月18日(火)21時34分56秒

中沢新一『人類最古の哲学カイエ・ソバージュT(講談社選書メチエ、2002)読了。

カイエ・ソバージュ3部作の第1巻。先に読んだ第2巻「熊から王へ」が予想以上に面白かったので、あとさきになったが第1巻を読む。

著者のアプローチの基本は、
第1次の「形而上学革命」である一神教の成立がもたらした宗教は、新石器革命的な文明の大規模な否定や抑圧の上に成立している。その抑圧された「野生の思考」と呼ばれる思考の能力が、第2次の「形而上学革命」を通して、装いも新たに「科学」として復活を遂げた。(2p)
というものである。すなわち現在の「科学」は「野生の思考」の生まれ変わりであり、根本的に異なるものではない、というスタンス。

本シリーズ(講義録)は、旧石器人類の思考から一神教の成立までを概観するものだが、本書ではまず「神話」が主題となる。
人類が「神話」という様式を用いることで、宇宙における自分たちの位置、自然の秩序や人生の意味についていかに深く哲学していたかを明らかにする。

「神話」というものが「前近代的思考」というようなものではなく、いかに「現実」に即した、世界についての合理的な認識をもたらすものであったか、そのことを「シンデレラ」神話群の多様な異文(ヴァリアント)を重ね合わせる分析手法により明らかにしていく過程が実にスリリング。

シンデレラ物語が中国(といっても荘族の神話らしい)にあったというのが驚きです。また文献の中に埋もれていたのを発見したのが熊楠であったというのもすごい。アルゴンキン族によって行われたシンデレラ神話の異文生成には、神話的思考の「健康な現実主義」が明瞭にうかがえて納得する。

もっとも、神話の論理についてある程度予備知識がないと、(一見)論理が突飛で面食らうかも知れない。レヴィ=ストロースの概説書くらいは読んでおいたほうが納得しやすいかも。

レット・イット・ブリード/Rストーンズ(1970)

編集済


ストーンズ来日するんですね 投稿者:管理人  投稿日: 2月17日(月)20時32分05秒

中沢新一『人類最古の哲学カイエ・ソバージュT読了。感想は明日にでも。

ところで今、一番楽しみにしているのは、遠山美都男『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解く(講談社現代新書、近刊)です。たぶん20日頃店頭にならぶはずです。
この本がなぜ楽しみなのか、といいますと、それは、昨年10月に出た高森明勅『謎とき「日本」誕生』(ちくま新書)と、おそらく同一テーマだと思われるからです。
すなわち「日本」という国号や「天皇」号の誕生(起源)について書かれている筈なのです。
実は『謎とき「日本」誕生』で、高森明勅は遠山美都男をクソミソにけなしているんですよね。
だから、この『天皇と日本の起源「飛鳥の大王」の謎を解くは、『謎とき「日本」誕生』への返歌になっているに違い、と私はそう睨んでいるのです。
クソ、高森め、今に見ておれ!と、対抗心をメラメラ燃やして、遠山氏は書いたに違いありません。ああ、一体どんな泥仕合もとい論争が展開されるのでしょうか! 今から楽しみでなりません(^^;ゝ。

《今日の円盤》イッツ・オンリー・ロックンロール/Rストーンズ(1974)

編集済


卓通信 投稿者:管理人  投稿日: 2月16日(日)21時05分49秒

当HPで公開しますといっておきながら実現できていないのは、私の怠慢以外の何ものでもないのですが、レイアウトを決めあぐねていることも数パーセントは関係しています。
本日ようやく「卓通信第一号」のうち、「ご挨拶」(約5枚)をワープロ打ちしましたが、まだ迷っています。
「卓通信第一号」には、他に「真生印刷のこと」というエッセイがあり、収録作品の初出情報も載っています。
これらをまとめて「卓通信第一号」として1ページに収めるべきか、それとも「卓通信」という総題のもと、各エッセイをそれぞれ1ページにして並べるべきなのか、どっちがいいのでしょうね。

いずれにしてもワープロ打ち出しを眉村先生にチェックして頂いてからの掲載になりますので、今しばらくお待ち下さい。

《今日の円盤》スピリッツ・リジョイス/アルバート・アイラー(1965)


『壜の中の手記』 投稿者:管理人  投稿日: 2月15日(土)23時01分34秒

ジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』(晶文社、2002)読了。

カ−シュの小説の特徴は、「描写」ではなく「語り」であることだろう。もちろん小説だから描写しているわけだが、その描写の形式が、「酒場の法螺話」や「見聞録」の形を取ることが多いのだ。有り体にいえば、作中人物の「私」が見聞きしたことを語る、というかたち。この「間接化」によって、著者はその「綺譚」と呼ぶにふさわしい「現実離れ」した物語に、読者をあまり違和感を抱かせずに引き込むことができる。

「豚の島の女王」>既述。

「黄金の河」
<私>が酒場で無銭飲酒の男の分を支払ってやったことから、男の不思議な話を聞く機会を得る。男が語るのは、アマゾン川の奥地で原住民からもらった「人間の脳」にそっくりなナッツ、原住民がティクトクというナッツにまつわる不思議な話。

「ねじくれた骨」
南米らしい奥地の刑務所が舞台。そこは逃亡不可能な立地にあった。逃げ出すにはラトン川を渡るしかないのだが、たとえ渡河できてもその向こうは首狩り族の土地なのだ。<私>は殺人罪で終身囚として服役している。そこへ<私>が殺害したとばかり思っていた男が入所してくる。<私>は自分が営々と準備してきた脱獄策を男に教える。男は私を殴って気絶させ脱獄するが……

「骨のない人間」
<私>が船の中で出あった男は狂っているように見えた。男が<私>に話してくれたことはとてつもない話だった。男は、ジャガーが、ゼリー状の骨のない人間に、生きたまま吸い喰われててしまうのを目撃する。おりしもその場所には、500万年前に火星から飛来したとおぼしい巨大な機械の残骸が残っていた。……

「瓶の中の手記」
メキシコで<私>が購入した不思議な瓶の中から手記が発見された。それは何とアンブローズ・ビアスの手記であった。手記には、ビアスが遭遇したアステカ文明を指導した古い古い一族のことがしたためられていた。……

「ブライトンの怪物」
1943年、<私>がある雑誌社の屑の山から発見した小冊子には、1745年、ブライトンの沖合で捕獲された<人魚>のことが記されてあった。1947年、<私>は広島で被爆し行方不明になった柔術家サトーの写真を見る機会を得る。その写真の人物は、小冊子に描かれたスケッチとそっくりだった……

「破滅の種子」
皮肉なコント

「カームジンと『ハムレット』の台本」
新聞記者の<私>がカームジンから聞いた話。カームジンは、零落したサー・マシー・ジョイスを助けるため、ジョイスの書庫にあった1614年頃書き写された『ハムレット』のプロンプター用台本にちょっとした細工を施す。その結果それはシェークスピア=フランシス・ベーコン説を裏付ける資料と化す。……

「刺繍針」
皮肉で無惨なワンアイデアストーリー。

「時計収集家の王」
<私>がポルトガルのカジノで知り合った男は、かつて時計収集家で有名なニコラス3世の時計職人だった。その男ポメルが語ったのは、彼が作った王そっくりのからくり人形にまつわる奇想天外な話だった……

「狂える花」
人類のため、という大義名分のもとにヒューイッシュ博士が作り出した植物がもたらす災厄……

「死こそわが同士」
武器商人サーレクが世界中に武器を売りまくる。
この作品だけ、神の視点で描写されています。そのためかいささか「非現実感」が強く、なんとなくガチャガチャして据わりの悪い感じがしました。

短いコントから本格的な短編まで揃っています。どれもめっちゃ面白い。カーシュ、一遍にファンになりました。
「豚の島の女王」だけが異質に「文学」的に突出していますが、あとの作品も「綺譚」と呼ぶにふさわしい絢爛たる怪奇幻想世界が展開されています。

日本もハードSF作家は充実してきましたが、カーシュのような異色作家は出てきませんねえ。

編集済


カーシュ 投稿者:管理人  投稿日: 2月14日(金)21時25分47秒

残すところあと1篇。勿体ないのでわざとストップ。といっても、寝る前に読んじゃうんですけど(^^;ゝ

大江さん
>SF的な、SFみたいな〜、感じのニュアンス
大江さんの受け取り方であっていると思います。私も「ジュヴナイル」をそのような意味あいで使っています。

かつて昭和30年代末頃、「児童文学」や「童話」ではない、中高生の等身大の世界を描いた(あるいは彼らの好奇心に照準を合わせた)小説が生まれました。一世を風靡した富島健夫に代表される「ジュニア小説」です(その源流は吉屋信子以来の「少女小説」かも知れません)。

そういうジュニア小説のなかに、いわばサブジャンル的にSF的発想に富んだジュニア小説が生まれ、人気を博したわけです。この「SFジュニア小説」(ジュニアSF)は、いわゆる本流「ジュニア小説」とは異なって、むしろ押川春浪とか乱歩の「少年探偵団」のような「少年小説」の伝統をつぐものというべきでしょう。

このような「SFジュニア小説」に対して、いつ頃か「ジュヴナイル」という呼称が定着したように覚えています(私の知る限りでは、「ジュヴナイル」を最初に使ったのは角川文庫だったと思うのですが、あまり自信はないです)。
たとえば富島健夫の小説に対して、ジュヴナイル小説とはふつういわないような気がします。

そういうわけで「ジュヴナイル」とは、専らSF界でのみ用いられるところの、「児童文学」ではない「ジュニア小説」のうち、とりわけSF的興趣に富んだ小説、つまり「SF的な、SFみたいな〜、感じの」小説=「ジュニアSF」を指し示す特殊な用語であるように認識しています。SF界周辺以外ではあまり一般的な用語ではないのではないでしょうか。

《今日の円盤》内に秘めた炎/マハビシュヌ・オーケストラ(1971)


ジュブナイル 投稿者:大江十二階  投稿日: 2月14日(金)01時02分28秒

いや、お恥ずかしい。「時代」や「コース」に載る小説なのがジュブナイルなのは、当たり前ですね。意味がよく分かっていない証拠です。私が言いたかったのは、SF的な、SFみたいな〜、感じのニュアンスを含んでいたのです。(ニュアンスという言葉の使い方も、これでいいんだろうか?)


マタンゴ 投稿者:大江十二階  投稿日: 2月14日(金)00時48分39秒

それは気が付きませんでした。
昭和47年と言いますと、私はまだ11歳でしたから、この6年の違いは大きな違いです。
小学生と高校生では、見るものも、感じるものも違ってくる筈ですね。
そう言えば、私の頃の「時代」とか「コース」の小説も=ジュブナイルという印象が強かったように思います。


ジュヴナイル 投稿者:管理人  投稿日: 2月13日(木)23時27分13秒

大江さん
>NHK少年ドラマシリーズ
実はどうも、あまり記憶が鮮明ではないのです。必死になって見ていたように思うのですが、今となっては具体的な絵柄は全然思い出せません。
なぜだろう、と考えてみました。

『SFジャパン』(6号)の大橋博之「少年ドラマシリーズとジュヴナイルSFの関係」によりますと、少年ドラマシリーズの第一回作品「タイム・トラベラー」がスタートしたのは1972年(昭和47年)。私が17歳の時ということになります。つまりもう高校生だったのです。
なるほど、必死になって見ていたとしても、私が見ていたのはおそらく最初の1,2年だったのではないでしょうか?

私の場合、むしろドラマの原作となったジュヴナイルの方が、被った影響は格段に大きかったようです。ふたたび大橋氏の記事を牽きますが、たとえば「タイム・トラベラー」の原作小説「時をかける少女」は、学研の「中3コース」の1965(昭和40)年11月号から66(昭和41)年3月号、それから「高1コース」に持ち上がり、66(昭和41)年4月号から5月号まで全7回で連載されたそうです。この小説をリアルタイムで読んだのは、1951(昭和26)年生まれのの人、すなわち現在52歳の人です。
私の場合は旺文社の「時代」で眉村さんの「還らざる城」が連載されたことを覚えています。
先の「時をかける少女」は、67(昭和42)年刊行の盛光社のジュニアSFシリーズで読んでいます。

現在SF読者の年代別の太い幹が、40歳代後半から50歳代前半にあることは、SF読者の高齢化問題としてよく言われますが、かれらはこのようなジュニアSFによってSFに開眼させられた者たちなのです。
こうなりますと、ジュニアSFの仕掛け人でもあった福島正実の呪縛のようなものを感じないわけにはいきません。
死せる福島が、いまだに生けるSF界を走らせているようです。

河本さん
そういえば、白木みのるさんのような俳優さんもいなくなっちゃいましたねえ。
洋画の世界にはときどき登場しますね。007にはよく登場しますね。昨日見た「新トワイライトゾーン」にも、ひとり出ていました。


クローク 投稿者:河本  投稿日: 2月13日(木)11時45分17秒

 大熊さん
 >「豚の島の女王」
 大阪オフで停まったホテルが、とても居心地が良かったのですが、帰りがけになんとなく分かったような気がしました。
 クロークの係のかたがmidgetでした。最初「あれっ小学生が働いている」と思った。
 大阪の土地柄なのかなあ、それともこのホテルだけのポリシー……差別をしないという……なのだろうかと考えています。

 こちらではあまり見かけません。仕事をされているひとは大勢居るはずですが、接客の仕事に就くのは難しいのかも知れませんね。
    


懐かしのNHK少年ドラマシリーズ 投稿者:大江十二階  投稿日: 2月13日(木)02時01分29秒

先日、NHK衛星放送で、昔のNHK少年ドラマシリーズの総集編をやっておりました。いやあ、懐かしかったです。あの頃は、原作者は誰かなんて全く気にせずに見ておりましたから、分からなかったのですが、眉村卓さんのものがずいぶんと多いのですね。
この時のゲストは、筒井康隆さんで、「タイムトラベラー」(「時をかける少女」より)を放送しておりました。もう随分昔のSFドラマなのに、何か、とても新鮮な感じがしました。あの頃の新鮮なSFの驚きというものが蘇りました。
SFではありませんが、少年ドラマの総集編のなかに「怪人オヨヨ」シリーズが無かったのが、少し不満でした。全部で99ものドラマがあったそうですから、紹介されたのはほんの一部だったようです。

http://www.interq.or.jp/mercury/syundei/


ジェラルド・カーシュ『瓶の中の手記』より  投稿者:管理人  投稿日: 2月12日(水)21時33分48秒

「黄金の河」、「ねじくれた骨」、「骨のない人間」、「瓶の中の手記」を読みました。面白い面白い!
感想は後日ということで(^^;ゝ

<今日のディスク>モントルー・アフターグロウ/山下洋輔トリオ(1976)


承前 投稿者:管理人  投稿日: 2月11日(火)23時36分58秒

「この島にきてからわたしは不思議なほど安らぎと解放感を感じていました」というラルエットの言葉は哀しい。
人間が、自分たちと「異なるもの」を排除するこの現実。
人間の「自然的態度」こそ「ホラー」そのものなのかも知れません。
本編は、人間の無知と鈍感に依拠するホラーに対して、まさに対極にあるものといえるのではないでしょうか。


ジェラルド・カーシュ『瓶の中の手記』より 投稿者:管理人  投稿日: 2月11日(火)21時43分56秒

「豚の島の女王」を読みました。
サーカス団の乗っていた船が難破する。高貴の出で教養も申し分ないが四肢を初めから持たずこの世に生をうけた美女ラルエットと、末端肥大症でゴリラの二倍醜い「恐怖の巨人ガルガンチュア」と、「双子の小人チックとタック」(しかし本当は双子でも兄弟でもない)の4人だけが、豚が野生化した孤島に漂着する。つかのま、ラルエットを女王に4人のユートピアが現出するのだが……

ああこれは良い! 畸形たちを描いて、これほど「ホラー」から遠く離れた小説も他にないでしょう。読者は、彼ら4人に訪れた悲劇がどうであれ、善悪正邪の判断を超えて4人ともいとおしく思わないではいられないでしょう。いかに姿かたちが健常者と異なろうと、かれらは私たち読者と「同じ」人間であること、同じように愚かな人間であること、そのことに感動するでありましょう。そうして最後に一人きりになったラルエット、ひとりでは何もできず(髪を梳けないばかりか)飢えて死を待つしかなかったラルエットの白骨に、思いを致してため息を付くことでありましょう。

編集済


佐藤春夫「のんしゃらん記録」 投稿者:管理人  投稿日: 2月10日(月)21時46分48秒

嵐山さんの慫慂により読んでみました。(新潮日本文学「佐藤春夫集」)
これは未来小説あるいは逆ユートピア小説の範疇に入るものです。
今から10世紀ほど未来、社会は文字どおり階層化しており、最下層民は、空気と光に乏しい地下300メートルの最下層の住宅区に住んでいる。

この社会は、たとえば市会議員が贈賄を拒否すると、これは社会の風習に反し議員の特権を侮蔑する行為として告発されてしまうほどの逆ユートピア社会なのです。
ある店にはこんな広告が――「自分の店の最も粗悪な物を買い、自分をして成金たらしめることは、社会の正義を重んずる市民の忘るべからざる義務である。何となれば我等の商品は無知の幸福と無反省の美徳とを適当に配合したるものである。偉大なる哉「俗悪」の大精神! 大臣も将軍も博士もこの配合の絶妙を讃美し保証す」
いやー、ディックも裸足で逃げ出すかも(^^;ゝ

その最下層の住民に、ある日慈善デーとして半日、地上の広場が解放されます。燦々たる日光を浴びた下層民はあまりの快感に中毒死するものも続出。実は、彼ら下層民が広場に集められたことには理由があったのです。

そこで彼らは「植物にならないか」と持ちかけられる。
既に2,3世紀前に植物は絶滅していたのだが、新しい技術が開発されて人間を植物に変換できるようになったのだ。
植物になれば充分な日光と新鮮な空気を得ることができる。しかも
「諸君が植物たることによって、今日の過剰なる人間を調節し、また諸君は人間の呼吸に必要なる瓦斯体の発生者として更生するの一事は、諸君が無意味なる今日の存在に比して、また人間社会に貢献する点に於いても遥かに優れり」
と説得されます。
主人公は、植物となることを決意し、手術を受け入れるのでしたが……

いやあ、これはまたぶっ飛んだ話ですね。この作品は1929年初出。ハクスレー「素晴らしい新世界」(1932年)もオーウェル「1984」(1949年)も、まだ出ていません。大体アメージング誌の創刊が1926年なのですから、巻末解説で中村真一郎も述べていますが、佐藤春夫という人が文明批評家としても卓越した眼識を有していたことが分かります。
「田園の憂鬱」は私の大好きな幻想小説ですが、本篇は著者の別の才能を垣間見させてくれました。世が世ならSF作家になっていたのかも。


旭堂南湖、東京公演 投稿者:管理人  投稿日: 2月 9日(日)22時02分09秒

森下一仁さんが、ご自身のHP森下一仁のSFガイドのトップページに、「旭堂南湖東京公演迫る」という宣伝リンクを貼って下さいました。森下先生、ありがとうございました。


チャチャヤング・ショートショート 投稿者:管理人  投稿日: 2月 9日(日)21時35分47秒

さて、教えていただいたのですが、2ちゃんねるに<「ショートショートの広場」について語ろう>というスレッドが立っているそうです。そこで眉村卓編「チャチャヤング・ショートショート」(講談社・昭和47年刊)が、講談社版「ショートショートの広場」の前身、あるいは第1回目という風に、誤って紹介されています。http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1020230944/


<引用開始>
 79 :無名草子さん :02/07/12 11:07
 《「ショートショートの広場」シリーズ(1)》

 眉村卓編「チャチャヤング・ショートショート」(講談社・昭和47年刊)
 星新一編「ショートショートの広場」(旧版) (講談社・昭和54年刊)
 星新一編「ショートショートの広場2」(旧版)(講談社・昭和55年刊)
 星新一編「ショートショートの広場3」(旧版)(講談社・昭和56年刊)
 星新一編「ショートショートの広場4」(旧版)(講談社・昭和57年刊)
 星新一編「ショートショートの広場5」(旧版)(講談社・昭和58年刊)
 星新一編「ショートショートの広場6」(旧版)(講談社・昭和59年刊)
 星新一編「ショートショートの広場’85」  (講談社・昭和60年刊)
 星新一編「ショートショートの広場’86」  (講談社・昭和61年刊)
 ショートショート作家著「ホシ計画」   (廣済堂文庫・平成11年刊)

 83 :無名草子さん :02/07/12 11:43
 「婦人公論」最新号(7月22日号)に、ショートショート・コンテスト初
 代選者、眉村卓先生による、ショートショートにまつわる随筆が掲載されて
 います。

 眉村 卓「妻に捧げた1778篇のショートショート
         たった一人のための連載が終わった夜」

 475 :無名草子さん :02/12/05 17:21
  歴代の講談社のショートショート・コンテスト(眉村卓先生−星新一先生−阿刀
 田高先生)入選者は、延べ約1,700名。
 (そのうち、星新一先生選は、1,090名)
  本を1冊でも出した人を「プロ作家」と定義するなら、その人数は約30名。

 480 :無名草子さん :02/12/06 17:43
 >>475
  講談社が最初にショートショート・コンテスト選者として、星新一先生ではなく、
 眉村卓先生に白羽の矢を立てたというのは、何となく分かります。
  昭和40年代のSF作家は、「まぼろしのペンフレンド」の眉村卓先生が筆頭で、
 「日本沈没」の小松左京先生、「時をかける少女」の筒井康隆先生、「夕ばえ作戦」
 の光瀬龍先生、芥川賞作家の安部公房先生といった風に続いていたようです。
  星新一先生はずっと下で、「星旧一」なんて失礼な呼ばれ方をしていました。

 487 :工藤伸一 ◆H/j1HkWi6c :02/12/07 13:11
 知らない事が多すぎて、ここは本当に勉強になります。
 眉村先生のショートショートコンテストも初耳ですし、「小説新潮」の
 ショートショートコンテストも知りませんでした。「月刊カドカワ」にもあったんですね。

 649 :無名草子さん :03/01/22 17:46
 (仮称)ショートショート作品数バトル(案)

 (3)(2)で定めたコンテスト入選者は、その姉妹コンテストである−−
   ・小説新潮・阿刀田高選ショートショート教室
   ・講談社・星新一選ショートショート・コンテスト
   ・SFマガジン・星新一選パイロットショートショート
   ・講談社・眉村卓選チャチャヤング・ショートショート
   −−の入選者も含むものとします。

 732 :無名草子さん :03/02/05 18:19
 >>618
  文庫版の「ショートショートの広場」(全13巻)、「ホシ計画」(全1巻)が
 揃ったとなりますと、次は、旧版の「ショートショートの広場」(全8巻)、「チ
 ャチャヤング・ショートショート」(全1巻)を揃える番ですね。

<引用終わり>


これは明らかに事実誤認ですね。
「チャチャヤング・ショートショート」は、当時眉村さんがパーソナリティをやっておられたMBSの深夜ラジオ「チャチャヤング」で、リスナーから寄せられたショートショートの秀作をセレクトしたものです。「ショートショートの広場」とは全く無関係です。
もひとついえば、この「チャチャヤング・ショートショート」の前に、MBSから出された2冊の「チャチャヤング・ショートショート」(No.1)(No.2)があったのです。MBS版については、
こちらの末尾を参照下さい。

2チャンネルの方がこんな辺境の掲示板を覗いてくれているとは思われませんが、一応訂正をさせていただきます。

編集済


承前 投稿者:管理人  投稿日: 2月 9日(日)21時31分33秒

『きよしこ』>これはこれでいいような気がしてきました。
虚心に読めば明らか>なのだから、ことさらにびっしり書き尽くすほうが野暮かも。分からない人間(上っ面だけ読んで、ああ癒やされたーと思う人間)はほっとけばいいのかも知れません。
「ゲルマ」>も、別に後日譚を書かなくても成立する話なのだ。わざわざ後日譚を付け加えたのは、この話は単なる癒やしの物語ではないぞ、という作者の表明なのかも。


『きよしこ』 投稿者:管理人  投稿日: 2月 9日(日)12時27分10秒

昨日は畸人郷。珍しくルパン研究家のSさんが来られていて、先日の豊島区での乱歩フィーバーのお話を聞かせてもらいました。アレクすてさんは、お見えにならず。忘れてた?
いつもより5分辞すのが遅れただけなのに、帰宅が30分も遅くなりました。この時間帯は気をつけないと。

重松清『きよしこ』(新潮社、2002)読了。
吃音の主人公きよしは、父親の転勤のため、小学校で5回も転校(中高の6年間は父親の転勤辞退で転校なし)を経験する。その過程で、吃音であるがゆえに遭遇する(まず「きよし」の「き」音がつっかえるので、転校初日の自己紹介が嫌でたまらない。しくじると、その学級での扱われ方が決まったりする)いろんな情景が活写される。
そういうハンデを背負った主人公の小学1年生のときの最初の転校から、大学入試で東京行きの切符を買う場面までを、短編連作という形式で淡々と描いている。

とてもよい。私より5年か10年下の世代の話ということになるはずだが、非常に懐かしく、ひきこまれて数時間で読み切ってしまった。

ただこの手の作品の例に漏れず、感覚に流れてやや甘いところがある。きれいごとになった部分がある。
自分の娘が危険な手術をする担任の先生のために、クラスが一丸となって、卒業式前日に小学校生活最後の思い出に行われる「お別れ会」で、創作劇を演ずる「北風ぴゅう太」に、それが顕著だ。

ややこしい部分、ストーリーの流れに棹さす部分がはっきりと書き込みされず流されてしまう憾みがある。

「ゲルマ」は非常によい話だ。(ワルの)兄の威光で学級に君臨するゲルマの造形がとてもいいのだが、ガキ大将なりに筋を通したゲルマに、きよしは中学卒業後一度だけ街で出会う最後の場面。かれはツッパリの仲間になっていてゲームセンターから出てくる。
 ゲルマは仲間にヘヘッと笑った。鈍感で無神経なゲルマの笑いではなかった。ゲルマはもう知っている。自分の立場も、自分の弱さも、なにをすれば仲間に気に入られて、なにをすれば見捨てられてしまうかも。
この2,3行であっさり書かれた部分、いわば「負の教養小説」をこそ、私はじっくり描いてほしかった。

「東京」で、受験生のきよしは、最後に第1志望であった県内の国立Y大学受験を自らの意志でやめ、東京の私立W大一本に変える。それは自立への意志表明であるわけだが、その変心の何パーセントかは、Y大の学生であり、きよしの「通訳者」であるガールフレンドのワッチに対する「心離れ」が影を落としているのは、虚心に読めば明らかだ。
なにがきよしに心離れを促したのか? 「誰かを励ますことが好きで好きでたまらない」ワッチの気持ちが、実は健常者が障害者に対して持つなにかだと感じたのか? Y大に入れば今以上に「干渉」されると感じたのか? その辺を書かずに
東京に行きたい。Y大に受かっても、W大にいきたい。(……)「なぜ?」と訊かれても、うまく説明する自信はない。「どもるのに、なんで先生になりたいんか」と訊かれても、きちんと筋道立てては答えられないように。
と書かれても、それこそ唐突で納得しづらい。きれい事になってしまっている。

要するに書き込みが不足しているのは否めない。しかし書き込むと、今の流れるようなストーリーはたちまち淀み、逆流する。ベストセラーの要件は失われる。しかしそれを懼れていてはなにも始まらないような気がする。

うーむ、読んでいるときはとても面白かったのに、感想を書いていたら批判的になってしまったぞ(^^;ゝ

編集済


『グレートジンバブウェ』 投稿者:管理人  投稿日: 2月 7日(金)21時11分16秒

吉國恒雄『グレートジンバブウェ東南アフリカの歴史世界(講談社現代新書、1999)、読了。

南部アフリカを横切ってインド洋に注ぐ2つの大河、ザンベジ川とリンポポ川に挟まれたジンバブウェ高原。その南端に巨大な石造建築物の遺跡をヨーロッパ人が発見したは、19世紀後半だった。
金を産出すると噂されるリンポポ川以北の奥地が、旧約聖書にある黄金伝説と関連があるのではないかとする説が、当時広まっていたので、これぞかのソロモン王ゆかりの地であり、遺跡の建設者は古代フェニキア人かユダヤ人、あるいはシバの女王であろう、間違っても現地アフリカ人であるはずがない、と大変な騒ぎだった。
この都、グレートジンバブウェの建設者が現地アフリカ人であり、13世紀から15世紀にかけて栄えた大王国の首都であったことが「確定」するのは、なんと早くて1960年代、現実的にはもっと最近のことなのであるそうな。

本書はかかるジンバブウェ高原を中心に興亡した東南アフリカ2000年の歴史を、(駆け足ながら)たどった他に類例のないものです。アフリカ史が、アジア史やヨーロッパ史とは全然違う歴史・文化であることがよく判ります。

さて特に記しておきたいことは、19世紀中頃のアフリカ人の有力な首長でも、身につけているものは腰巻きだけであったというのは、ある意味私たちの「常識」であるかも知れません。しかしグレートジンバブウェの王様やその後継王国、少なくとも17世紀まではそんなことはなかったようです。たとえばムニュムタパ国の支配者は、地元制の上質の綿布か、海外渡来の布(ダマスク織、インド製キャラコ、東アジアの絹)に豹などの毛皮を加えて衣服としていたとあります。
この「退行現象」は何を意味しているのでしょう?

それは言うまでもなく、奴隷貿易の結果であろうと思われます(東南アフリカは、西アフリカに比べれば格段にましだったと言うことですが)。
1900年から1980年までの80年間で、アフリカ人の人口は10倍増加し、700万人になったそうです(199p)。
ということは逆算すると、1900年当時のアフリカ人の人口は、わずか70万だったということになります。

一方、1700年頃から数百年間に、少なくとも1千数百万人、ひょっとすると数千万人のアフリカ人が、奴隷として大西洋を渡り、しかもそれと同数の人々が船旅の劣悪な環境で命を落としたそうです(170p)。

これは驚くべき数字です。つまりアフリカ大陸から、アフリカ人がほとんど根こそぎ新大陸へ拉致されたと言うことに他なりません。そして1900年当時、ようやく70万人ほどの人々が、アフリカに残っていたわけです。

こうした「人間狩り」によって、アフリカの社会秩序と組織は深刻な混乱とゆがみを経験し、中世に大国家や帝国を生み出した社会的ダイナミズムの喪失を余儀なくされた。これだけではない。この奴隷貿易のまっすぐ先に、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割と支配、その資源収奪という「近代」が待ちかまえていた。(170p)

これでは文化も技術も、何もかも失われて当然でしょう。東南アフリカにおいても、王様の体をまとった綿布を作る技術も、ザンベジ川の近辺で細々と残ったに過ぎないと言うことです。
まことに19世紀ヨーロッパの、そして20世紀アメリカの繁栄は、アフリカ人の徹底的な収奪のもとに成り立ったものだったわけです。

アフリカ史、興味がわいてきました。もっといろいろ読んでみたいと思います。

編集済


らっぱ亭奇譚集(その壱)(その弐)より 投稿者:管理人  投稿日: 2月 6日(木)22時02分05秒

「クレプシス年代記 第一篇」
クレプシスは海賊の惑星であり、「歴史」が存在しない世界。そしてそのレイベル・ブラナガン城の6つの塔には、5人の亡霊と生者が1名住んでいる。生者のヘンリーはクレプシスの現支配者だ。

さて、このクレプシスに、私ことロング・ジョン・トン・タイロンとその他の仲間が、宇宙船で到着する。それぞれ目的を持っている。ひとりは芸術、ひとりはコード化された技術、ひとりは黄金、そして私ことロング・ジョン・トン・タイロンの目的は、
「歴史だ」
「でも、クレプシスには歴史なんて存在しないわよ、ロング・ジョン・トン・タイロン」
「それじゃ、私がみつけるよ。もしくは創ってみるか」

歴史を見つけるため、私はまずはこの星の地図を求める。
「地図はありませんか?」
そんなものはないと売り子の女性が言う。「あたしたち、クレプシスにいるのよ(……)クレプシスにいる人が、なんでまたクレプシスの地図が要るのよ」

税関で「悪名高き重罪犯たち」が7名摘発される。直ちに死刑が言い渡されるが、6人分しか絞首台がない。そこでサドンデス・ポーカーの勝者が総取り無罪放免ということになり、ひとりが勝ち残り6人の財産とともに自由になる。
そして自由を勝ち取った男こそは、現支配者ヘンリーの双子の弟(ただし第二篇では兄になっている)にして追放された王子フランコその人だった……

「クレプシス年代記 第二篇」
フランコ王子はサドンデス・ポーカーで得た莫大な金で船を買い求めると、私とその他の仲間を船の士官に任命し、出帆する。船の名はディーナ・オ・グローガン号。クレプシスの真水の大海原は「わが名は冒険」と吼え、北極クジラが遊弋している。それは初代の支配者クリストファー・ブラナガンが地球から運び込んだもの。今や海一杯に増えている。クジラは真水のほうが快適だったのだ。

立ち寄ったコルク島で、私は若者から新聞をもらう。新聞には日付がなかった。
「日付は今日さ」若者は言う。そして新聞は一日でぼろぼろになり消滅する紙に印刷されていた。
「それじゃあ(……)役に立たないなあ」と私。「私みたいな歴史家にとっては(……)」

やがて船はレイベル・ブラナガン城に到着。追放された王子フランコは弟のヘンリー王子から死刑の宣告を受けているので、”ぼんやり化”して服の中から消え失せる。
そのとき、ヘンリー王子の妻にしてクレプシス一番の美女(と硬貨に刻まれている)、王子フランコに秘められた愛を抱く王女アンジェラが、船に乗り込んできたのだった。……

寓意があるのかないのか、なんともプロポーションの悪い(褒め言葉です(^^;)、摩訶不思議、奇妙奇天烈な「お話」。
ああ、続きが待ち遠しい!!

編集済


月刊センター 投稿者:管理人  投稿日: 2月 4日(火)21時36分11秒

月刊センターの《眉村卓のショートショート》が更新されています。→「プレッシャー」
残念ながら、今回で最終回だそうです。


『熊から王へ』 投稿者:管理人  投稿日: 2月 4日(火)21時02分47秒

中沢新一『熊から王へカイエ・ソバージュU(講談社選書メチエ、2002)、読了。

神話は本来、国家というものを持たない人々の間に生まれ、発達してきました。そこでは人間と動物の間に断絶はなく、かかる神話という語りを通して、人間(文化)と動物(自然)の間や(それから派生的に)人間同士の間に「対称的」関係が築き上げられていました。かかる神話的思考が「未開人」の「非論理的、前論理的」な妄想などではなく、近現代の科学的思考となんら根本的に異なるものではない「野生の思考」であることは、つとにレヴィ=ストロースが明らかにしているところです。

ところが国家なるものが発生すると同時に、文化と自然の二分法は破られ、国家を生きている人間は「文化」のみならず、本来は動物のものであった「自然の力」の秘密(権力)まで手中に収めてしまおうとし、結果として「対称性」が崩れた「文明」を生み出してしまいました。王の出現です。かくして「文明」は必然的にその対概念である「野蛮」をも生み出すことになります……。

かかるダイナミクスを、一万数千年前バイカル湖畔を出発したモンゴロイドが、その壮大な旅路の果てに拡がった、日本、シベリア、北米南米大陸の各種族の神話群、とりわけ「熊」神話を手がかりに明らかにされます。
その論旨はまったく共感します。

ただ、神話的思考は、当然ながら人間の「世界理解の仕方」なのであり、「考えられたもの」なのであって、実際に動物が喋ったり、変身したりするものではないわけです。「野生の思考」は表現が異なる「科学的思考」なのですから。本書の記述は、ややもする神話的空間が、過去に「実際に」あったような紛らわしさを、読者に与えそうな危惧を感じます。それが学術書でありながら、なにか文学作品であるかのような(それはそれで魅力ですが)一種胡散臭さを少し匂わせている気がします。

編集済


「卓通信」 投稿者:管理人  投稿日: 2月 3日(月)20時47分25秒

今、中沢新一『熊から王へカイエ・ソバージュU(講談社選書メチエ)を読んでいます。これを読むと、ラファティが、そのホラ話風のプロットに、北米インディアンの神話をしっかり踏まえていることが分かります。かれはインディアンと一緒に育ったのでしょうか。

たとえば、「マタゴルダ奇譚」で、ケレベス・インディアンのメラスが語る冒険譚に、狼や山ライオンに変身する話とか、仕留めた鹿が、実は人間が変身したところのそれである場合があるというのが出てくるのですが、これは本書に紹介されるトンプソン・インディアンの神話に極めてよく似ています。外観だけではなく、その意味するところがです。
ラファティ理解に、「神話的思考」(本書における「対称性」原理)はキイワードかも知れません。

ところで、眉村卓先生の『日課・一日3枚以上』(全10巻)には、各号に挟み込みの「卓通信」という月報が付いていました。
それには奥様の(各巻発行当時の)病状の他に、サラリーマン時代や作家になりたての頃の夫婦の思い出話などが、眉村先生の筆でエッセイ風にまとめられていて、どれも名エッセイ、しかも資料的価値がある話ばかり。

当然ながら、この「卓通信」は『日課・一日3枚以上』を購入して初めて読めるものなのですが、先日の先生とのお話の中で、巻によっては品切れが出てきそうな状況になってきているということをおききしました。増刷はもうしないとのこと。
そうなりますと、必然的に月報のエッセイの数々も読めなくなってしまいます。
それはあまりにも勿体ない!
「あの月報、HPに掲載させてもらえませんか?」
思わずそう訊いてしまいました。
そうしますと、おお!
「いいですよ」というありがたいお言葉が(^^)v

というわけで、近日中に
「卓通信」を、拙HP上に公開いたします。いっぺんに掲載するだけのエネルギーがないので、毎回少しずつということになると思いますが、どうかご期待下さいね(^^)

アレクすてさん
コロンビア号の事故、私も残念でなりません。謹んで哀悼の意を表します。

編集済


追悼 投稿者:アレクすて  投稿日: 2月 3日(月)12時00分59秒

スペースシャトル・コロンビア号が事故に合いました。
現実の宇宙開発に、ついては、いろいろ思うところもありますが、
事故の犠牲者に追悼。


眉村先生特別講義 投稿者:管理人  投稿日: 2月 2日(日)16時01分53秒

南湖さん
森下一仁さんが、ご自身のHP
森下一仁のSFガイド1月31日の日記で、第一回『幻の南湖』ー上方講談ニューウェーブーの告知を掲載して下さいましたよ(^^)

アレクすてさん
ありがとうございます。かなり回復しました。

ところで、名探偵ナンコの打ち上げで、私は「ストーリー」には興味がない、というようなことを申しましたが、若干誤解を与えたかも知れませんので、補足します
私自身、ストーリーで読ませる小説がつまらないものだとは思いません。たとえば「ぽっぽや」を読めば、私だって感動するに違いありません。けれどもそのような種類の感動は、「もういい」と考えているのです。人生の折り返し地点をとうに過ぎ、あとよく生きて30年。そのうち25年本が読めるとしても2500冊は無理です。2000冊も読めるかどうか。しかも小説に限れば1500冊を切ることは確実です。
だとすれば、当然読む本を選別していかなければなりません。その優先順位において、ストーリー主体の小説は「もういい」のではないか、と思っているのです。
昨日、眉村先生の講義を拝聴しましたが、小説を、「モチーフ」と「ストーリー」と「アイデア(設定含む)」の各要素に腑分けして講義されてました。作家の内的なモチーフは別にして「ストーリー」と「アイデア(設定)」は、「小説」の現前においてどちらも欠くことのできない両輪ではありますが、作家により作品により、かならずどちらかに偏ります。私自身は「アイデア(設定)」に重点が置かれた「世界」を構築するものに、より惹かれますので、限られた読書時間は、原則としてそちらに傾注したいと、そういう意味を含意させたんですが、いささか舌足らずだったかも知れませんね。

――と、いうわけで、昨日は
大阪シナリオ学校「エンターテインメントノベル講座」の眉村卓先生の特別講義を聴講させていただきました。
去年に引き続いて、事務局のS崎さんのご厚意に甘えさせていただきました。どうもありがとうございました。

上にちょっと書きましたように、かなり実践的なお話で、小説家志望の生徒諸君は啓発されるところ大だったのではないかと思います。「モチーフ」を重視されるところが、いかにも先生らしいと思いました。
終わってから、生徒さんにまぜてもらって、眉村さんを囲んで軽く打ち上げ。いやー2週連続で先生の謦咳に接することができました(^^)。
帰りはちゃっかり先生のタクシーに便乗させていただき、天王寺までスイスイ、楽チンでありました(^^;
また次回もお願いします>S崎さま。
「エンターテインメントノベル講座」、来週の講義は小林泰三さんとのこと。いやあ豪華な教授陣ですなあ! 小説を書いてみたいと考えておられる方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度お問い合わせされることをお勧めいたします(^^)


SFって何? 投稿者:アレクすて  投稿日: 2月 1日(土)08時53分51秒

>管理人様
ハンカチは、管理人様の物でしたか。すみません。相変わらず粗忽者で……。

>南湖様
ありがとうございます。大事なマフラーでして。本当にありがとうございます!

さて、私の住まう町能勢は朝から雪がふっております。
寒いです。一昨日は、朝から水道管が凍り、ガス給湯機が使えず、えらいことでした。
昨日は、駅で手を洗おうとすると、やはり水がでません。
聞くと、19年ぶりの寒波、とのことです。
皆様大事はなかったでしょうか?
私は大変でした。
しかし、SFの世界で、「もう未来(真鍋博氏のイラストに代表される)は今なんだ!」
という意見がありましたが、雪イッパツで、テクノロジーも無力化。
科学も弱いなあ、と思っております。
ところで、SFや、未来予測などで、よく「気象をコントロールする」というのがありましたが、
夢のまた夢ですね。
(そういえば、枝雀師匠の落語の枕に、
「天気予報は当たらない。何故なら、気象は、人類の誕生以前から、何億年とくり返されたから。」
と言うのがありましたね。あれはSFだと思います。
管理人様がんばって風邪を直してください。
では。


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