【掲示板】


ヘリコニア談話室ログ(2004年5月)


「穴のなかの穴」 投稿者:管理人 投稿日: 5月31日(月)22時16分48秒

 (パッドがすり減って)ブレーキはつぎの一週間もキーキーいうことになった。悲鳴はひどくなるいっぽうだった。救急車が道をゆずってくれたことも何度かあった。こっちに優先権があると思ったらしい。それでパッドにWD−40(防錆潤滑剤の商品名)をスプレーしてみた。
 そんなまねは絶対にしちゃいけない。
(「穴のなかの穴」/『ふたりジャネット』177p)

流離園変相
訂正されています。素早い(^^)>編集長殿

足にマメができちゃいました。昨日墓地まで歩いたせいらしい。親戚の家から墓地まで5分の距離なんですが(ああ情けない)。
昔、サンセット77で、クーキーが道路を渡るだけなのに車で移動しているのを見て、そういう「アメリカ風」にとても違和感を覚えたものですが、今おんなじことを自分がやっているわけですよ。もっと自分の足を使わねば。
編集済


七回忌 投稿者:管理人 投稿日: 5月30日(日)21時54分44秒

 「あれはトーマス・M・ディッシュ。SFだよ。でも質はものすごく高い」(「ふたりジャネット」122p)

柳生さん
私も、アップされてから何度も目にしているはずですが、今まで気がつきませんでした。

>表紙に戸田画伯の新作が登場しました
拝見しました。いいですねえ。この蒸留所、こびとたちが住んでいそうですね。煙突から立ちのぼって夜空に広がっていくのは、新しい星くずでしょうか。まるでダンセイニの世界ですね(^^;→森の蒸留所

今日は叔父の七回忌の法要で親戚が集まる。老人性鬱病だった(治った)という人がふたりもいて、身近でこういうのを聞くと、存外日常的なやまいであることを再認識させられました。私も気をつけなくては。


三回忌 投稿者:管理人 投稿日: 5月29日(土)21時45分6秒

昨日(5月28日)は、故・村上悦子さんのご命日でした。三回忌、早いものです。
三回忌に合わせて出版された眉村卓『妻に捧げた1778話』(新潮新書)は、もうお買い上げ頂きましたでしょうか。とてもよい本だと思いますので、ぜひぜひお読み下さいね。
また今週の木曜日は「アンビリバボー」出演日です。こちらもお忘れなく。

ロード・ダンセイニ『世界の涯の物語』(河出文庫、04)読了。
いやあ堪能しました(^^)。感想はのちほど。

次はテリー・ビッスン『ふたりジャネット』の予定。
編集済


流離園変相 投稿者:柳生真加 投稿日: 5月29日(土)21時36分9秒

こんばんは。
おひさしぶりです。パソコンの調子が悪くてまたまたセットアップの準備に入るところです。
その前にと、やってきたら、わたしの名前が〜。
たいへんな驚きです。すぐに訂正します。(今月中には、修正できるかと思います…)

「風の翼」ですが、表紙に戸田画伯の新作が登場しました。

ではまた。

http://homepage2.nifty.com/kazenotsubasa/index.htm


スクープ! 高田渡情報 投稿者:管理人 投稿日: 5月27日(木)20時34分16秒

高田渡のドキュメンタリー映画「タカダワタル的」が、6/5(土)よりテアトル梅田にて上映されます。→詳細 テアトル梅田

その前日、6/4(金)には、公開記念スペシャルライブ!「フォーク大学 中之島校」が中之島公会堂で開催される模様です。

出演は、高田渡・西岡たかし・大塚まさじ
開場17:00、開演17:30 料金:前売3,500円/当日3,800円

高田渡さん、ちゃんと唄ってくれるのでしょうか(^^; 


いよいよ明日 投稿者:管理人 投稿日: 5月25日(火)23時11分53秒

眉村さんラジオ出演です。
>AM10時頃、NHK第1放送、「わくわくラジオ」

聞かれた方、ご報告いただければ幸甚です。


『世界の涯の物語』より(2) 投稿者:管理人 投稿日: 5月25日(火)22時36分14秒

流離園変奏
変だなあ、と思いつつも、昨日はそのまま写したのでしたが、気になったので<風の翼>引っぱり出してきて確かめました。

 流離園変相だよ〜!!

可及的速やかに訂正するように!>柳生編集長殿(^^;

>『世界の涯の物語』
今日は掌篇を三篇。
「なぜ牛乳屋は……」はいまいちでしたが、「黒衣の邪な老婆」は萩原朔太郎を彷彿とさせられる一種散文詩として楽しみました。とりわけ、

 黒衣の邪な老婆が牛肉屋の通りを駆け抜けていった。
 歪んだ破風のある家々の窓がたちまち大きく開いて、頭がいくつも飛び出してきた。……


という冒頭の一行からつづく一連の文章は、まさに「月に吠える」と同じ世界の別の場所ではないかとさえ思いました。いくらでも書き写していたい欲求に駆られます。

「強情な目をした鳥」は不思議なファンタシー。最初ロンドンが舞台なのですが、そこはロンドンといっても現実のロンドンとは位相がちょっとずれたロンドンのようです。半分妖魔、半分人間の老人がいたり、英仏海峡を自転車で横断する者がいたりします。ウェストエンドの宝石商は、世界の涯を往還できる宝石泥棒から宝石を仕入れ、本篇はその宝石泥棒が、世界の涯シルーラ・シャンの浜辺に、粒よりのエメラルドを求める徒労を描いています。
本篇も、

 おびただしい数の星々から夜が押し寄せ
とか、
 落ちた星々のかけらを波が叩いて砂利に砕いていた

なんて素敵な文章が散りばめられていて、堪能します。これぞダンセイニ・ワールドというべき濃厚な一篇。
編集済


『世界の涯の物語』より 投稿者:管理人 投稿日: 5月24日(月)20時27分18秒

何やかやと雑用で、なかなか本が読めません。とりあえずダンセイニ『世界の涯の物語』を、一日一話を日課に読んでいるのですが、今日はさすがに禁断症状が出ましたので、喫茶店に逃げ込んで読み耽ってしまいました。

既に第一部「驚異の書」は読み終え、第二部「驚異の物語」に突入しており、今日はまず「食卓の十三人」を読む。これがすばらしい! 

ダンセイニといえば「世界」構築を本領とする孤高のファンタシストのイメージが(荒俣セレクションの影響でしょうか)強くあるのですが、そのような作風ばかりではないことが本書を読むとよく解ります(訳者あとがきにも指摘されています)。

本書にひき続いて刊行される予定の河出文庫版ダンセイニ全集の最大の効用は、ダンセイニの全体像を見せてくれることかも。

本篇も、まさにそのような意味でファンタシーではなく、英国風正調怪奇小説(怪談)の香り高い傑作でした(愛蘭風かどうかは解らない)。
しかもラストに工夫が凝らして合って、怪奇小説としては意表を突く一種ハッピーエンドというのがうならされます。

こうなったらもう一本注入しなければ収まりません、ということで、「マリントン・ムーアの都」。
これは従来のイメージ通りの、これぞダンセイニ・ファンタシー。この系統のダンセイニ作品としても間然としない傑作。何の解説も能書きも要らないです。ただただダンセイニ世界を堪能するばかり。ラストもよい。

私も昔は創作の真似事をしていたわけですが、その頃構築したかったのは、もう少しSF寄りですが、確かにこういう世界なのでした。たとえば「火星族」(一部の人だけ反応して下さい)なんですが、烏滸がましいにもほどがありますね。しつれいしました(汗)
当時はダンセイニなんて知らなかったのですが、読んでいたらもっとましなものになっていたかも。

「流離園変奏」を書いた中さんは、ダンセイニ読んでいたのかな? 今度聞いてみよう。
編集済


眉村さん、ラジオ生出演! 投稿者:管理人 投稿日: 5月20日(木)20時09分34秒

大橋さん
ご来信ありがとうございます。

>地球の海に着水
でしたか。いや全く忘れきっていました(^^;。部分的に鮮明なシーンが浮かんでくるんですけど(月の裏側がパッと垣間見えるシーンとか)、ストーリーは忘却の彼方であるのがすこし哀しいです。読み返したくなっちゃいました。

さてさて、

「妻に捧げた1778話」(新潮新書)
すでに店頭に並んでおります(^^)
エッセイと一日一話で構成されており、後者はほとんど「第2期」からのセレクトですので、たいへん貴重です。
とりわけ、必読の1777「けさも書く」と1778「最終回」が読めるようになったのがありがたいですね。
みなさま、どうぞお買い求めくださいまして、お読み頂ければと思います。よろしくお願いします。→bk1

その眉村先生ですが、来たる5月26日(水)、ラジオのNHK第1放送に生出演されます。
番組名は「わくわくラジオ」といい、時間帯はAM10時頃から一時間くらいの番組のようです。時間帯はややアヤフヤなので、各自チェックしておいてください。
朝の番組ゆえ私は聞けないかも知れませんので、聴かれた方は、ぜひご報告下さると幸甚です。
編集済


どへぇー 投稿者:大橋 投稿日: 5月19日(水)22時15分26秒

た、た、たしかに火星ですね。パッと見で勘違いしてしまったようです。
たしかに、大砲の砲弾は月にはおろか、地球にすら着地していませんでした(地球の海に着水)。
す、す、すみませんでした。


独立化した異質のセックス 投稿者:管理人 投稿日: 5月18日(火)23時04分2秒

石川さん
コピー拝受しました。お手数をお掛けしました。
で、早速読ませていただきました。
ここで論じられているセクソイド・ロボットとか実感装置は、初期の作品に何度か登場しますね(ぱっと思い浮かぶのは、前者では「わがセクソイド」「暗い渦」、後者は「ラストショー」)。
思うにここで述べられているような思考を、眉村さんはずっと持続しておられたのかも。上の作品は、それが小説のかたちで結実したといえるのといえるでは。もっとも本論の結論そのものを小説化したものは記憶にありません。そういう意味ではとても貴重な論考かと。

というわけで、石川さん、大変なものを発掘されましたね(^^;
もし先生のご許可が頂けるなら当HPに載録したいところです。
何はともあれ石川さん、ありがとうございました。


とりあえず 投稿者:管理人 投稿日: 5月16日(日)20時44分30秒

前に使っていたPCを繋ぎました。

大橋さん
小松崎関連情報ありがとうございます。やはり当時はそこそこ話題になったんでしょうね。

>ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」ではないでしょうか?
うーむ、それはないでしょう。もう一度画像リンクしますが(ここ)、3点のうち中央と右が1970年の署名があるものです。

まず中央のは、火星から飛来したロケットがイギリスに落下した場面に見えます。物体を眺めているイギリス紳士らしき人物が描かれているからです(「宇宙戦争」にこういう場面があったと記憶しています)。
「月世界旅行」でも、たしかに砲弾に乗って月へ行くのですが、しかしながら決して月に着陸はしません(裏側を回って還ってくる)。ですから中央の挿絵のような場面はあり得ません。
(追記。月から帰還した砲弾と解釈されたのですね。なるほど。「月世界旅行」の砲弾は着地したんでしたっけ。なんとなく着水したように思っていたのですが・・どやったんやろ。うーむ)

また、右の挿絵ですが、望遠鏡の向こうに見えるのは明らかに火星ですね。しかもその北半球(これは望遠鏡を覗いて見えているところと思われますので南北は逆になります(^^;)に光点が認められます。これは「宇宙戦争」の冒頭、地球の天文台が火星に謎の光点を発見した場面ではないでしょうか。

>多分、世界名作ものの全集の一冊のように思われます。
私もそう思うんです。この挿絵、たしかに子供の頃見た記憶があるんですよね。特に中央のは「口絵」だったと思います。
とりあえず小学館「少年少女世界の名作文学(全50巻)」を今確認してみましたが、「月世界旅行」も「宇宙戦争」も収められてはいませんでした。

しかし1970年といえば、わたし的にはジュブナイルは卒業しているんですよね。ですから「見た記憶がある」という内的な信憑性は、実はかなり怪しいかも(汗)。
それに子供の頃見たという記憶が正しいとしたら、1970年というのが合わなくなっちゃいますね。
小松崎自身が、昔描いた挿絵を1970年に描き直したという可能性はないでしょうか?

>『びっくりするような新情報』ってなんだろう?
おや、そういわれてみれば消えてますね。ご本人が削除されたのかな。別に構わなかったのに。
編集済


びっくり、新情報? 投稿者:大橋 投稿日: 5月16日(日)18時26分48秒

石川さんの『びっくりするような新情報』って何だろうと思って過去ログを見ていたら、
私の名が出ていてびっくり。

南佳孝さんの「冒険王」のこと。
何に載っていた挿絵か私もわかりませんが「宇宙戦争」ではなく、
ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」ではないでしょうか?
多分、世界名作ものの全集の一冊のように思われます。

これだけだと芸がないので小ネタをひとつ。

1984年の雑誌『宝島』に南佳孝さんと松本隆さん、小松崎茂さんの対談が掲載されています。
・ジャケットのこと
南「最初に写真で、スペース・シャトルの宇宙遊泳を命綱なしでやっている『アサヒ・グラフ』に載ったのを使うと思ったんです」が、あんまり良くなくて「その頃、『冒険王』ってタイトルが決まって」古本屋で『冒険王』を買ってきてみたら「その中に、イメージがふくらんだ絵がかなりあって、こっちの方が面白いなと思って、小松崎先生に頼めないだろうか、と」
・アルバム「冒険王」のコンセプトのこと。
松本「基本的なコンセプトが幻想とか今の時代に一番ないものっていうのを考えてたんです。それが要するに夢見る心じゃないかと思って(略)夢をもう一度与えたい、夢見ることが人間にとって一番大切なんだみたいなことを問いかけたい、ということから出発したんです」タイトルは決まっていなかった「それまでは「SF−X」とかいう英語っぽいタイトルを考えてた」

で、『びっくりするような新情報』ってなんだろう?


「生活の柄」 投稿者:管理人 投稿日: 5月16日(日)00時29分59秒

らっぱ亭さん
ご来信ありがとうございます。

>どんがらがん
たのしみです。ぜひとも実現して頂きたいものですね(^^)。
デビッドスンは、ミステリの人にもウケると思いますので、営業的にも行けるのではないでしょうか。

教育テレビで、高田渡と高石ともやのドキュメンタリーをやっていました。
「生活の柄」を半分居眠りしながら歌っていました(^^;
ほんとうにステージで眠り込んでしまうんですね、貴重な映像を見ることができ、感動しました!


どんがらがん 投稿者:らっぱ亭 投稿日: 5月15日(土)00時08分36秒

青月にじむさんによる、『イベント/海外文学メッタ斬り!』レポートから大森望さんの発言を引用すると、『あと、隠し球といえば、既にウェブをよく見ていて勘のよろしい方々はうすうす勘付いてると思うけど、殊能将之氏がアヴラム・デイヴィッドスンを翻訳するかも』とあります。いよいよ殊能センセーの「アヴラム・デイヴィッドスン選集・どんがらがん」が実現しそうですね。

http://bm.que.ne.jp/review/?%A5%A4%A5%D9%A5%F3%A5%C8%2F%B3%A4%B3%B0%CA%B8%B3%D8%A5%E1%A5%C3%A5%BF%BB%C2%A4%EA%A1%AA%282004%C7%AF5%B7%EE11%C6%FC%29


甲子園に行って来ました 投稿者:管理人 投稿日: 5月15日(土)00時04分38秒

石川さん
お知らせありがとうございます。びっくりするような新情報ですね。もちろん、私は知りませんでした。

>ひょっとして、これは単行本未収録の原稿だったりするのでしょうか
というより著者の意志で収録しなかったものではないでしょうか?
この時期(SFブーム以前ですね)、眉村さんもよろず引き受け的にライター的な仕事もなさっていたのではないかと想像されます。これもそういう一環ではないでしょうか。とはいえ眉村卓という名前で発表されているというところを見ると、それなりの自信作というか、おざなりに書き飛ばしたものではないような気がするのですが、どうなんでしょう。

というわけで、その論文、とても興味があります。いつでもけっこうですのでよろしくお願いします。

>毎日新聞
確認してきました。

5月12日朝刊2面「ひと」欄(文、野田武)

(見出し)作家として僕の一番の協力者でした。
(小見出し)妻のがん闘病中に書いたショートショートを出版。

内容は、新潮新書「妻に捧げた1778話」が三回忌を前にして出版されます、というようなものでした。


ありがとうございます 投稿者:管理人 投稿日: 5月12日(水)20時44分58秒

柚さん
眉村さん情報のご投稿、ありがとうございます。
復活しましたらトップページに載せさせていただきますね、よろしくお願いいたします。
毎日新聞は図書館でチェックしてみます。

新潮新書もですが、アンビリーバボーがたのしみです!

「欲望と資本主義」読了。

「仏教と資本主義」に着手しました。


すみません 投稿者: 投稿日: 5月12日(水)07時41分28秒

新潮新書、
5月19日発売でした。


眉村先生情報 投稿者: 投稿日: 5月12日(水)07時38分49秒


パソコンが……大変ですね。
ちょっと小耳にはさんだ、眉村先生の情報です。

(1) 今朝(5/12)の毎日新聞に眉村先生が登場する、という噂。
  内容は未確認です。
  また、全国版か大阪版なのかも未確認です。

(2) 新刊情報 

  「妻に捧げた1778話」 5月20日発売。
  
  新潮新書 714円
  
以下、新潮新書のHP
http://www.shinchosha.co.jp/shinshoより引用します。

『妻に捧げた1778話』眉村 卓

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余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、
とても不可能と思われる約束をした。しかし、夫はその言葉通り、
毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日の最後の原稿、
最後の行に夫は書いた──「また一緒に暮らしましょう」。
妻のために書かれた1778篇から19篇を選び、妻の闘病生活と夫婦の長かった
結婚生活を振り返るエッセイを合わせたちょっと変わった愛妻物語。

■定価:714円 ■ISBN:4-10-610069-X

--------------------------------

(3) 6月3日(木)19時57分放送予定の 
  フジテレビ系「奇跡体験! アンビリバボー」に
 眉村先生がVTR出演されるそうです。
 

以上、最新情報(?)でした。  


PCが 投稿者:管理人 投稿日: 5月11日(火)19時13分30秒

ぶっこわれてしまいました(泣)。
しばらく更新できません。
この掲示板は携帯でチェックできるんですが、メールは見ることができません。何かありましたら掲示板に書き込んで下さいね。ではでは。。ではでは。


SFM6月号より 投稿者:管理人 投稿日: 5月 8日(土)23時25分9秒

ジョージ・ソーンダース「ジョン」
ソーンダースという人は、『パストラリア』を通読すると、所謂アメリカ資本主義がそのメカニスム上不可避的に生産しつづける少数の勝ち組とそれ以外の負け組という二項化が認識の前提としてあり、しかして負け組への共感から作品が生み出されているように見えます。
本篇もまたそのようなストーリーなのですが、少し重層化しています。

主人公ジョンと恋人のキャロリンは、選抜されたエリートとして、他の仲間とともに施設の内部で(外部から遮断されて)生活しています。
かれらは脳にガーガディスクという、一種の端末を埋め込まれて、いわばコンピュータのメモリーを自分のメモリーとして利用できるようになっており、(具体的にはよく判らないが)いろいろと判断を要する仕事に従事しているようです。彼らの社会的地位は高く、まさに選ばれし者たちです。

キャロリンが妊娠し、こんな場所で出産したくない、脱退して「外」で生き生きと育てたいと言い出します。
今の身分を捨ててまで外に行く価値があるのかどうかで、二人はもめる。しかも外へ行くためには、ガーガディスクを分離する手術をしなければならず、手術後脳機能が低下することを受け入れなければならない。
キャサリンは出ていき、ジョンは残ったのだったが……

キャサリンがこの施設内で子供を育てたくなかった理由は、ラーナー・センター(脱退者のための再教育センター)で女性が喋る「それはひとりの人間じゃなく、みんなでおんなじ夢を見てる空想家のチーム」(18p)という言葉が示すように、かれらがエリートではありながら、人間としては個を確立できない、一種「不自由」な人間たちだからでしょう。
同じようにして生まれた別の赤ちゃんの「アンバーちゃん」が死んだとき、駆けつけた救急医療士が吐き捨てた「おまえらガキどもはどこまでマヌケなんだ。この赤ん坊は燃えつきかかっている。髄膜炎で42度の高熱だぞ」、という言葉からもそれはうかがえます。

かかる人間としての「不自由さ(不全さ)」から全き自由を回復するために、キャロリンは、外へ出ていくのですが、ジョンはそこまで決心が出来ず煩悶します。
結局決心するに至るのですが、その決心へと至らしめた推進力が、ガーガディスクから得た「知識」であったとするあたり、単純な弱者賛美に終わらないソーンダースの皮肉な視線を感じます。この点著者の長足の進歩があるように思いました。


狗奴国伊予説 投稿者:管理人 投稿日: 5月 8日(土)14時45分3秒

原田実さん
補足説明ありがとうございました。
おかげさまでよく理解できました(^^)

 この集落の住人―仮に平塚川添人と呼ぼう―が特にその方向に対して警戒していたことがうかがえる。西南といえば筑後川下流の方向だ。(19p)

につづけて

 魏志倭人伝によると、倭の女王・卑弥呼は女王国の南の狗奴国(こうぬこく)の王・卑弥弓呼と対立していたという(狗奴国の所在については諸説あり)。(同上)

とあったので、うっかり通念で理解してしまいました。

 (狗奴国の所在については諸説あり)

とわざわざ書かれているのを見落としていました。しかも「くなこく」でなく「こうぬこく」とルビを振ってあるんですからね。

え? もちろん「こうぬ」は「河野」ですよね……って、それではトンデモですね、失礼しました〜!

>あらためて整理する機会を設けたいものと考えております
是非是非! 原田さんの本格的な邪馬台国論を鶴首してお待ちしております(^^)

柳生真加さん
過日はお疲れさまでした。
いや、お互い子供に相手にされなくなるのはもうすぐですからね。うちはもうそうなっておりますが(汗)
ともあれその暁には遅くなるまで遊びつづけましょう!(夜になっても、でしたっけ)
またおつきあい下さい。


「暗黒星通過!」 投稿者:管理人 投稿日: 5月 8日(土)14時39分45秒

大江十二階さん
>最近はちょっとSF寄り
それはよい傾向です(^^;ゞ

>今更何を言っておる、と言われるかも知れませんが
そんなことは言いません言えません、私も「朝のガスパール」未読です(^^;。

>「スカイラーク」シリーズが面白いと言うので
これは面白いですよ! でも今は品切れ(絶版?)中ではなかったでしょうか。ブックオフでも見かけた記憶がないですね。
持っている本ならお貸しするんですけど、私も友人に借りて読んだので、悪しからず……

ジョン・W・キャンベル『暗黒星通過!』野田昌弘訳(ハヤカワ文庫、83)読了。

「E・E・スミスかキャンベルか?」(訳者あとがき)と、上記スカイラーク・シリーズのE・E・スミスと人気を二分したアーコット・モーリー・&ウェード・シリーズの初期中編集。
「空中海賊株式会社」(アメージング・ストーリーズ誌1930年6月号)
「宇宙船ソラライト号」(アメージング・ストーリーズ誌1930年11月号)
「暗黒星通過!」(アメージング・ストーリーズ・クォータリー誌1930年秋季号)
の3篇を収録。このシリーズには、この他に長編が2作あるようです(未訳)。

当然ながらスペースオペラの範疇に入るといえますが、スペオペとしてはかなり地味です。(たとえばキャプテン・フューチャーのようには)主人公たちのキャラクターの描き分けができておらず、スペオペの本領というべき宇宙戦闘の描写も拙い。そういう意味で(スペオペ的観点からは)いいところはあまりないのです。

ではなぜ、当時スカイラーク・シリーズ並みの人気が出たのだろうか、といえば、それは恐らく理科的あるいは工科的な雰囲気が、小説を包み込んでいるからではないかと思われます(実はスカイラーク・シリーズも同様に、初期スペースオペラの中では比較的そのような雰囲気が色濃いのですが、話がややこしくなるので割愛します)。

理科(工科)系科学と文科系科学の大きな違いは、同じく論理によるとしても、文化系では定性的論理(記号的論理)に偏り定量的な押さえはさほど考慮されないのに対して、理科系では定量的な把握なしにはそもそも学問になり得ない、という点ではないでしょうか。

75年前の作品である本書は、確かにその依拠する科学知識自体は古びていますが、とはいえ技術者らしい工科系の思考(志向・嗜好)が随所に現れており、たとえば新型宇宙船の「開発」の描写は、宇宙戦闘を描く何倍もの力が籠められています。作者はそのような描写が楽しくて仕方がない、といった感じが行間から漂ってきます。

たとえ話をするならば、ウルトラマンが最後に発するスペシウム光線の破壊力に対して、文系視聴者は疑問を持ちません。恐らく彼らは、怪獣との戦いを終わらせる儀式として、それを捉えています。つまり記号的(定性的)に理解しています。
一方、理科系の視聴者は、怪獣を倒してしまうスペシウム光線の破壊力を数値的に捉え、ウルトラマンの身体が、そのような数値を持つ光線を生産するにはどのような機構を内蔵しているかを想像するはずです。本書はまさにそのような理科系視聴者の立場に立っており、怪獣との戦いよりもその機構の解明(開発)のほうにより力を傾注しているのです。

まえがきで著者は、
「当時の大方の人々がむつかしすぎるものと見なしていた物理学、化学、天文学の知識やアイデアを友としてそれととっ組もうとかかる若者たちの群(……)わたしはそんなグループとともに今日まで成長してきた」
と書いているように、著者の作品を支えた読者層は、まさに理科系(工科系)のハイスクールの生徒や大学生、あるいは現役の技術者や研究者だったのでしょう。著者のいわば定量的スペースオペラは、このような人々に熱狂的受け入れられたのではないでしょうか。

そういう意味で、このアーコット・モーリー&ウェード・シリーズは、のちの「ハードSF」の源流の一つであったことは間違いないと思われます。

ただ翻訳は、野田昌弘にしては生硬で直訳的。場面の把握できない描写が再三出てきます。野田さんとしては最初期の翻訳(元版HSFS、68)のせいでしょうか。やや残念。


こんばんは。 投稿者:柳生真加 投稿日: 5月 7日(金)22時35分57秒

いつもお世話様です。
3日もご一緒させてもらって楽しかったです〜。

アレクすてさん、
「風の翼」の宴会のご案内がとどかず申し訳ありません。「風の翼」の掲示板に、年に3回(1月と5月とお盆)、宴会のご案内を載せています。とはいえ、管理人さえ立ち寄らない掲示板なんですが…(泣)。

http://homepage2.nifty.com/kazenotsubasa/index.htm


拙著とりあげていただきありがとうございます 投稿者:原田 実 投稿日: 5月 7日(金)19時23分12秒

『邪馬台国浪漫譚』ご高覧いただき、重ねてお礼申し上げます。
書評いただいた中の次のくだりに関連して補足説明いたします。

>著者は、当遺跡の環壕が筑後川下流方面である西南に向かって厚い(7重)のは、狗奴国の存在方向並びに狗奴国と呉の同盟関係を示唆しているとされているのは説得的です。

書籍の性格上、煩瑣な説明を略したのですが、私は邪馬台国の仮想的は次の3者だった、と考えています。
◎狗奴国、政治的に対立するが邪馬台国と文化的共通性を有する。
 四国の瀬戸内海側に中心地あり(『優曇華花咲く邪馬台国』で考証)。
◎九州南部の山岳民、海洋的・農耕的な邪馬台国とは
 文化的にも対立。(『幻想の古代王朝』で言及)。
◎呉、邪馬台国と魏の関係から敵対せざるをえない。

邪馬台国はこの3つのうちの2者、あるいは3者が結びつくのを
恐れていたもの、と考えています。このたびの拙著では、
魏志倭人伝に直接記載のない山岳民の問題を省略していました。
このあたりのことは上記のように、複数の著書に分散して書いていたのですが、
あらためて整理する機会を設けたいものと考えております。
ややこしい話で申し訳ありません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。


http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


最近はちょっとSF寄り 投稿者:大江十二階 投稿日: 5月 7日(金)02時05分54秒

今更何を言っておる、と言われるかも知れませんが、つい最近筒井康隆の「朝のガスパール」を読みました。退屈な部分もありましたが、久々に筒井康隆ワールドを味わいました。言ってやれ言ってやれ、もっと言ってやれと応援しながら読みました。勢いがついて、今は「七瀬ふたたび」を読んでいます。笑わないで下さい。これ、未読だったのです。とても面白いです。
それから、ある掲示板で皆が口を揃えて「スカイラーク」シリーズが面白いと言うので、今、その本を探しています。


レス 投稿者:管理人 投稿日: 5月 6日(木)20時40分36秒

アレクすてさん
昨日はお疲れさまでした。
アレクすてさんが大塚英志を読んでおられたので、なかなか刺激的な会話を楽しめました(^^)

>「新現実 Vol.3」
表紙で無条件にアウトです(^^; なんか出入り禁止を食らった気分(ーー; vol.2はなかなかよかったんですけどね。

Yさん
依光隆の絵は好きです。ローダンは最初の10数巻でやめましたけれど。

>秋元文庫の挿絵の印象が強いのですが
私は旺文社の<時代>の(SFジュヴナイルの)挿絵で強く印象付けられましたね。
それにしても78歳ですか。これからもお元気で活躍していただきたいですね。

キャンベル『暗黒星通過!』読み中。


小ネタですが 投稿者:Y 投稿日: 5月 5日(水)23時32分4秒

NHKのニュースでやっていたペリー・ローダン特集で依光画伯が出てました。
78歳……お元気ですね。画風が全く変わらないのもすごいです。
ローダン読んでいない私には秋元文庫の挿絵の印象が強いのですが。


今帰りました。非常に楽しかったです。 投稿者:アレクすて 投稿日: 5月 5日(水)22時25分48秒

こんばんは。大熊さんの誘いで、梅田に行き、SF話三昧を楽しんでまいりました。
印象に残ったのは、大塚英志氏のキャラクター小説と文芸評論へのウェイトとスタンス、
あと801というのは結局なんなのか?
(おこげとは違うのか?)といった話でした。大熊さんが博識であるのに
こっちは知識が追いつかず「こうではないでしょうか?」といえばいうほど
話が混乱し、酔っ払って、なんだかわからなくなりました。
大熊さんと一緒によった旭屋では、河出の〈奇想コレクション〉はかわず
大塚英志氏の「新現実 Vol.3」を買いました。
(何か最近、小説に対する知的好奇心がなくなっていくようで……)
では!


GW終わっちゃった 投稿者:大熊宏俊 投稿日: 5月 5日(水)20時59分27秒

アレクすてさんと遊んできました。結局飲むことに(^^;

で、旭屋でダンセイニ『世界の涯の物語』を現認してきました。
何を確かめたかったのかというと、本書と、既刊『ペガーナの神々』、『妖精族の娘』との間の重複関係なんですが、結局この3冊に重複は皆無であることを確認しました(^^)

というわけで買ったのかというと、さにあらず。買ってきたのはSFMスプロールフィクション特集なのでした(^^;ゞ
今からネットで注文することにします(^^;


明日 投稿者:管理人 投稿日: 5月 4日(火)20時09分0秒

アレクすてさん

メール拝受。調べたら私んとこにも(ーー;
おかげさまできれいになりました。ありがとうございました。

>風の翼
声かけたらよかったですねえ、申し訳ない。

それでは明日5月5日会いませんか(ご都合よければ)。GW最後の日ですし(^^;
今日はもうメールチェックしないと思いますので、オッケーなら携帯に電話下さい。


5月 3日は… 投稿者:アレクすて 投稿日: 5月 4日(火)16時40分15秒

「風の翼」のオフの日だったのですか…。
行きたかったです…。

(チェックをしていない自分が悪いのですけれど。)


デイヴィッドスン 投稿者:管理人 投稿日: 5月 4日(火)15時28分27秒

らっぱ亭さんによると、アブラム・デイヴィッドスンが出そうな雰囲気?とか。いいですねえ。読みたいです。

>エステルハージィ博士もので一冊ってのも手かな
そりゃ、その方がいいでしょう。いや是非そうしてほしいです!
傑作集とエステルハージイもの2冊同時刊行ってことで(^^)


「邪馬台国浪漫譚」 投稿者:管理人 投稿日: 5月 4日(火)13時07分52秒

原田実『邪馬台国浪漫譚 平塚川添遺跡とあさくら路(梓書院、04)読了。

前作『ヨシノガリNOW』の続編的な本でしょうか。
「平塚川添遺跡は不遇な遺跡であった」
と璧頭に道破されたように、吉野ヶ里を上回る規模で、且つ卑弥呼の時代にぴったり収まるこの遺跡が、しかし吉野ヶ里の時のようなもてはやされ方をされなかったのは、
「1970年代からの古代史ブームの中でマスコミの邪馬台国報道は九州説支持に傾く傾向があった。そのピークとなるのが89年の吉野ヶ里報道ラッシュだが、それ以降、マスコミの動静は畿内説支持へと大きく流れを変えていく」(11p)
そのあおりをまともに食らってしまったからだと、マスコミの「気分」に流される体質に苦言を呈します。

著者は、当遺跡の環壕が筑後川下流方面である西南に向かって厚い(7重)のは、狗奴国の存在方向並びに狗奴国と呉の同盟関係を示唆しているとされているのは説得的です。
だからといってこの遺跡が邪馬台国だと、著者が断定していないのはもちろんです。著者がいうように親魏倭王の金印でも出土しない限り(^^;

さて、しかしながら同遺跡が位置する甘木・朝倉地方の重要性は疑いようがなく、安本美典で有名な大和・甘木の地名類似を取り上げます。ここで著者はこの地名群類似をトリックに使った本格探偵小説を紹介すると共に、著者と作品名を明かさないという奥床しさを示しますが、本掲示版の読者ならピンと来たことでしょう(^^;ゞ
ここで著者は(多分安本説にはなかったものと記憶していますが)大和西南部の諸豪族(所謂武内宿禰系)の出自について新解釈を披露しており、この結果彼らが朝鮮半島でも活躍する理由が納得されます。

北九州の神籠石が甘木朝倉地方を囲む形で分布する事実に着目し、それらの目的を定説とは違って中国思想(風水)に求めたのも卓見と思われます。

かくのごとく本書の面白さは、だらだらとなんぼでも書けるのですが(とりわけ後半の古代イラン神ミトラから説き起こす女王国的世界の終焉への道のりは圧巻)、それは自粛しまして(^^;みなさまには是非お買い求め頂いて、目からうろこを落としていただきたいと思います。
本書は前作以上に原田さんらしさが横溢した快著です!


風の翼大宴会 投稿者:管理人 投稿日: 5月 3日(月)21時33分25秒

から帰着しました。出席のみなさまお疲れさまでした。たのしかったです!
しかし――今日は調子が悪くて頭が痛い。どうやらふつか酔いの予感(ーー;
ということで、今日は南佳孝「セヴンス・アベニュー・サウス」を聴きながら早めに寝ることにします。また明日。


冒険王はいずこに 投稿者:管理人 投稿日: 5月 2日(日)20時16分38秒

ひ〜針が飛ぶ(泣)>冒険王
LPは聴かないと劣化して行くのかな?

さて検索してこんなページを見つけました。
ここに先日書いたライナーノートの3葉の挿し絵が載っています。ご覧下さい。

>うち2点はサインから1970年に描かれたものの流用らしいが、どこからの物かは特定できなかった。
と書かれていますので、私のアルバムで確認してみたら、真ん中と右の絵に、1970という署名が認められました。ちなみに左の絵とジャケットには1984とあったので、このアルバムのために描き下ろされたもののようです。

さてこの1970年に描かれたらしい2葉の挿し絵をよく見れば、いやよく見なくても、これはどう見ても「宇宙戦争」ですよね。

だとすれば、おそらく1970年あるいはそれ以降数年の間に出版された小松崎茂挿し絵の「宇宙戦争」から流用されたと考えて間違いないように思われます。

というわけで、大橋さんのジュヴナイルSF叢書リストを当たってみますと、まさに1970年に『SF少年文庫』(岩崎書店)が上梓されているのですが、このシリーズに「宇宙戦争」は採録されていない。
翌々年の1972年『少年少女世界SF文学全集』(あかね書房)から「宇宙戦争」は出ているんですが、表紙挿し絵は小松崎ではなく太田大八という人。
ということで該当するものは見つからず。

そこで翻訳作品集成を検索してみると、 1974年に偕成社冒険・探検シリーズの1として出た「宇宙戦争」塩谷太郎訳のカバーが上矢津/小松崎茂となっていました。
一瞬これかなと思いましたが、その下に、1957年刊として偕成社名作冒険全集の2に「宇宙戦争」が、同じく塩谷太郎訳で小松崎のカバーとなっており、どうも1974年版は1957年版の再刊らしく見えます。

というのが、この調査の現在までの状況です。というかここで飽きてやめちゃったのでした、お粗末(^^;ゞ


「ことばとは何か」 投稿者:管理人 投稿日: 5月 2日(日)14時13分4秒

田中克彦『ことばとは何か 言語学という冒険(ちくま新書、04)読了。

著者はまず言語学と国語学は違うという。言語学は国語学のような規範の学ではなく、もっと自然科学に近い。
規範とは任意の事物、たとえばことばが、正しいか正しくないかを判断するためのものさし。ことばが正しいか正しくないかと言うことは、そのことばの本質から出てくるのではない。それは外から人間が勝手に判断するものだ。すなわち規範とは、ことばそのものの原理ではなく社会の圧力が決めるものだ。

したがって言語学者から見ると、矯正すべき方言の方が、標準語よりももっと正しい。なぜなら、そこには権力のコントロールは入ってなくて、より自然に近いから。
では標準語とは何か? それは誰かが作って使わせている規則(規範)で、その規則に違反していれば正しくないとなる。その立場からはたとえば方言は正しくなく、誤ったことばだとして矯正されなければならない。それを矯正するところは学校という施設であり、そこで教える国語教師である。

規範学ならぬ自然科学を目指した言語学は19世紀に始まる。著者はシュライヒャー、青年文法学派からソシュールへと進む言語学の歴史を大観する。
ことばが「人間の意志に決定されることなく」自ら発生し発展する自然科学の対象たる自立的な自然物であると同時に、人間が構成する(複数の話し手からなる)「言語共同体(エスニック共同体)」を前提として初めて存在しうるような、きわめて独特な存在であることがソシュールによって明らかにされるのだが、ソシュールは後者を回避して「言語それ自体」の考究にのめり込んでいく。

しかしながら近代に入ってから、かかる言語共同体を視野に入れなければ言語研究が行えない状況が発生したとして、著者は言語学が回避していた言語の社会性、政治性の面に踏み込んでいく。

19世紀以降第一次大戦後の民族自決主義によってヨーロッパに雨後の筍のように生まれた諸「言語」が考察される。たとえばウクライナ語やベラルーシ語は、一面ではロシア語の方言である。地球規模でのグローバル化(単一化)と軌を一にしてというか逆行してというか、言語の数は増えていく一方。(逆の例が沖縄方言で、住民の意志が沖縄語を選ばず日本語の「方言化」を選択したもの)
その一方でソ連の言語政策により、ブリヤート語が「創出」され、ブリヤート方言は「民族自決」し、しかして「モンゴル・エスニック連続体」は分断されてしまう。この政策はトルコ民族にも適用され、現プーチン政権によっても継続されているという。

けだし「言語は理解の手段であるのと同じくらい強力に排除の手段である」というヘルマン・アムマンのことばは至言というべきである。(208p)

本書はかくのごとく前半で言語学の歴史を概観した後、後半、純粋な言語学によって放擲された分野が学問化した「社会言語学」の研究領域にスポットを当てて、その現在を垣間見せてくれている。私には、とりわけ後半が面白かった。

原田実『邪馬台国浪漫譚』に着手しました。
編集済


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