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ヘリコニア談話室ログ(2004年6月)


ありがとうございます 投稿者:Y 投稿日: 6月30日(水)21時06分56秒

>データが必要ならうちのデータを使いはったらよろしいがな
ぜひ参考にさせていただきます。
データ自体はできているのですが、単行本の再刊との組み合わせや
改題、中編短編の区切りの付け方などささいな食い違いをどうするか
調整中です。

先日「燃える傾斜」東都書房版を入手できました。ばんざい。


神代文字(承前) 投稿者:管理人 投稿日: 6月28日(月)21時11分4秒

原田さん
早速レスありがとうございます。
なにをかくそう、私、カタナヒロ文字は相当研究しておるのです。
「…………」(ひゅぅ〜〜〜)
あ、あ、すいません無視しちゃって下さい(ーー;

>その構造を遥かな過去にさかのぼらせるために神代文字を必要としたのです。
>日本での近代言語学成立以前に作られていますし
なるほど、たしかにそうですね。
私がつまらない、と感じたのは、捏造者とは逆の発想ということですね。

まず私の勘違いは捏造者を近代人であるかのように、何となく思いこんでいたことで、これはミスでした。すみません。
というわけで、捏造者Nが近代人だったと仮定させてください。

さて、このNが漢字以前の文字を捏造しようと考えました。
もしNにひらがな成立の知識があれば「いろは」に1対1対応するような文字は避けるだろうと思うのです。
その意味で、Nは知識の検証を厭ったために、彼にとって透明な空気のような日本語の構造(とりわけ「いろは」48文字)の圏内に留まる他なかった。結果として「かな」より古いものではないということ、捏造であることを自ら示してしまった、と、そのようにもっていきたかったわけです(汗)

この話題を出してきたのは、調べものをしない通俗歴史ファンタジーが、過去の時代を描いているようにみえながら、その実、物語が、作家自身の教養文化の範囲内に留まってしまうことを説明するためだったのですが、無理がありましたね(^^;ゞ。

それからこれは今気づいたのですが、たとえばアヒル文字はローマ字表記のような[子音+母音]構造をもっており、「あいうえお」「あかさたな」の50音図に対応していますね。「いろは」ならともかく「あいうえお」はさらに新しいものであるような気がするのですが……。(「あいうえお」がいつ成立したのか、ちょっとだけ検索してみましたが判りませんでした。)

>言語学の成果にもとづいてもっともらしいものを作ったとしても、
>かえって信奉者たちの支持は得られなかったことでしょう。
そういうことなんでしょうね。

いやあ、やっぱり思いつきで書いちゃいかんですね。反省します。
ともあれ、適切なつっこみをありがとうございました>原田さん。

W・S・バロウズ『ソフトマシーン』に着手しました。
編集済


神代文字 投稿者:原田 実 投稿日: 6月28日(月)09時13分34秒

いきなりすみません。一言だけレスします。

>日本の超古代文字(神代文字)がつまらないのは、それが結局のところひらがなと全く同じだからです。つまり「いろは」の47音だか48音を別の「文字」に1対1対応させただけなんです。
これなんか捏造者が「日本語」という無意識構造から脱出する努力をせずに考えたものだからこうなってしまったんでしょう。

捏造者は”「日本語」という無意識構造”から脱出する努力をしなかった、というより、その構造を遥かな過去にさかのぼらせるために神代文字を必要としたのです。
また、神代文字でも特にメジャーなもの(アヒル、ホツマ、ウエツフミなど)は日本での近代言語学成立以前に作られていますし、後の信奉者たちにとっては、近代言語学の体系そのものが否定すべき対象となっています。だから言語学の成果にもとづいてもっともらしいものを作ったとしても、かえって信奉者たちの支持は得られなかったことでしょう。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/


レス 投稿者:管理人 投稿日: 6月27日(日)21時55分42秒

アレクすてさん
それではもっと近づいてから、待ち合わせ等決めましょう。

ふみおさん
>それでもどこかで地雷を踏んでいるかもしれないです
いやそれは仕方がないのです。邪馬台国だって、どうも大和らしいとなってきていますが、「親魏倭王」の金印が発見されたりでもしたら、一挙に覆ってしまうんですからね。

そういうことよりもむしろ姿勢といいますか態度、史料に対する謙虚さが大事なので、史料を突きつめた上でそれを想像の力で破った作品と(「ラー」がそうですよね)、史料にあたる労力を厭い作家の頭のなかの「絵」だけで作られた歴史ファンタジーとでは、やはりリアリティといいますか迫力が全然違うはずなんですから。

>古王朝時代にはなかった名称とか文字とか、いろいろ配慮しましたが
そうなんですよ、そういう作者の史料に対する姿勢・態度が「ラー」の面白さをしっかりと下支えしているのだと私は思います。

話は全然違うかも知れませんが、日本の超古代文字(神代文字)がつまらないのは、それが結局のところひらがなと全く同じだからです。つまり「いろは」の47音だか48音を別の「文字」に1対1対応させただけなんです。
これなんか捏造者が「日本語」という無意識構造から脱出する努力をせずに考えたものだからこうなってしまったんでしょう。その構造自体がひらがな以降の創作であることを告白してしまっているのです。言語学の知識がちょっとでもあればもうちょっと気の利いたことをするはずなんですけどね。

Yさん
データが必要ならうちのデータを使いはったらよろしいがな(そんなに間違ってはないと思います)。1からタイプするよりコピペの方がいくらか楽でしょう。

>地元で行われるので
おお今年は岐阜でしたか。
私は1度だけ参加したことがあります。神戸大会(SHINCON)。いまから30年前です(汗) 筒井さん(ds)と山下洋輔さん(p)のセッションに感動した記憶が。
うーむ、私も参加したくなってきました(^^;ゞ
編集済


お礼 投稿者:Y 投稿日: 6月27日(日)20時37分20秒

見ていただきありがとうございます。
短編検索もデータさえ揃えばすぐできるんですが……。
(旧データで個人的にテスト中)
なるべく早く公開したいと思います。

今年は初めてSF大会というものに行ってみようかと思っているんですが
どんなもんでしょう。地元で行われるので覗いてみようかと。


出遅れましたが 投稿者:ふみお 投稿日: 6月27日(日)12時20分59秒

拙著に過分なるお褒めのお言葉、ありがとうございます>管理人さま
以前お会いした時、喜多さんと「高野史緒は必ずしも短編の名手ではない」とおっしゃっておられましたが、そうした厳しさのある、「知り合いだからとりあえず何でも褒めておこう」的ではない姿勢の方に誉めていただけるのは大変名誉なことでございます。

いや〜、それにしても、恥ずかしくてちょっと尻尾がもぞもそしてしまいました(笑)。

そういや

>当時は箸を用いていなかった。つまり卑弥呼の食事の場面に箸を描いてはいけないということ。卑弥呼は高坏から指で食べさせなければいけません(食指)。

こういうのって確かに苦労しますですね。古王朝時代にはなかった名称とか文字とか、いろいろ配慮しましたが、それでもどこかで地雷を踏んでいるかもしれないです(汗)。


オリゴ党さんの公演について 投稿者:アレクすて 投稿日: 6月27日(日)03時56分0秒

大熊さま、お返事ありがとうございます。
土曜日、いけそうであります。
では、用件のみで失礼します。
              かしこ


「魏志倭人伝の考古学」 投稿者:管理人 投稿日: 6月27日(日)00時32分13秒

佐原真『魏志倭人伝の考古学』(岩波現代文庫、03)読了。

本書は、吉野ヶ里遺跡を邪馬台国であるかのように匂わしてマスコミを使嗾し、ブルドーザーから守った最大の功労者であった(ただしご自身は邪馬台国畿内説)著者の、没後上梓された最後の著作。念のため申し添えておきますが、原田実さんの『ヨシノガリNOW』ではっきりと書かれているように、邪馬台国の時代、吉野ヶ里は既に衰退しており、吉野ヶ里が邪馬台国であった可能性は殆どありません。

実は立ち読み中に、吉野ヶ里のすぐ南まで有明海が広がっていた(308p)、という記述を見つけ、ほとんど反射的に購入したのでした。
上述原田実さんの『ヨシノガリNOW』にも、同様の大和岩雄の話が紹介されていますが、弥生時代の大阪湾が内陸に入り込んだ地図はよく見かけるのに、有明海のそれは寡聞にして見かけたことがありません。ところがわが持論において、かかる拡大した有明海は根底的な大前提なので、冷静ではいられません。つい買い込んでしまいました。

さて本書は、考古学で得られた「モノ」の最新の知見から、卑弥呼の時代の、具体的な物質生活を推理していて、とても面白かった。
邪馬台国小説もしくは弥生時代小説を書こうと考えている方は(誰やねん)、必携であろうと思います。

たとえば、倭人伝に記載されている貫頭衣ですが、私も今日まで広幅の布地の真ん中に穴をあけたものを想像していましたが、当時の(出土する)織り機では幅30センチを超える布地は織れなかったのです。そんな布で上記のような貫頭衣は不可能。ということで実際は、二枚の布地を縦に並べて背部のみ縫いあわせ、前部を左前にして腰でひもを括って着ていたことが想像されるのです。両脇も縫っていたかも。

もひとつ挙げるなら、当時は箸を用いていなかった。つまり卑弥呼の食事の場面に箸を描いてはいけないということ。卑弥呼は高坏から指で食べさせなければいけません(食指)。因みに箸は8世紀から普及するそうです。

かくのごとく、本書が出たからには、邪馬台国を舞台にした、思うがままの放恣なファンタジーを書くことは、もはや許されません。今後邪馬台国小説は、本書に記された「事実」を無視してはならず、而して想像の翼を羽ばたかせなければなりません。すなわち、畢竟その創作態度は、SFの方法論に限りなく近いものとならざるを得ないわけです。
邪馬台国小説を考えられている方は、肝に銘じていただきたいですね(って誰に言うてんねん(^^;)。
編集済


眉村さん情報 投稿者:管理人 投稿日: 6月26日(土)17時56分35秒

堀晃さんのHPマッドサイエンティストの手帳によりますと、6月24日ホテル・ニューオータニ「鳳凰の間」で催された角川春樹「復活の日」祝宴会に、眉村さんが出席されていた由です。

 小松左京さん、筒井康隆さん、眉村卓さんが揃っているというのも久しぶりではないかなあ

出席者のなかには、山田正紀、田中光二、野田昌宏、南山宏、荒俣宏、新井素子、大林宣彦、ジョー山中という名前も…。こうしてみますと角川春樹とは、70年代という時代のある文化を仕切った、やはり大した存在だったんだなあ、と改めて思わされますね。
 
版元品切れ中の『妻に捧げた1778話』ですが、新潮社のサイトのランキングでは購入不可であるにもかかわらず、第4位に付け健闘しております(6/21現在)。ちなみに1位2位は養老孟司のとんでもないベストセラー、3位は小川洋子の読売文学賞受賞作品。


SFM異色作家短篇集・別巻より(3) 投稿者:管理人 投稿日: 6月26日(土)16時41分55秒

テリー・ビッスン「ザ・ジョー・ショウ」

いやあビッスンは面白い。

はるか銀河の反対側に存在する、さしわたし数光年のプラズマ雲である純粋エネルギー知性体が、運良く生じた時空のひだを通して地球人類にコンタクトしてきた。介在するのは、その純粋知性体によって電子マトリクスから造り出された存在、コミュニケーション・インターフェースとしてまとめあげられた一時的意識であり、テレビ画面のなかに存在するニュースキャスターをイメージされた疑似人格、ジョー(あるいはルーベン、あるいはその他)。
銀河宇宙的距離を乗り越えてコミュニケーションを求める純粋生命体の、あるいはジョーの、真の目的は果たして何なのか!?

いけしゃーしゃーと語られる、トンでもない顛末に、読者はマガジンを放り出して笑い転げること必至でありましょう(^^;ゞ 
『ふたりジャネット』の感想文にも書きましたが、野田昌弘と横田順彌を掛け合わせて、さらに一層先鋭化させたような、まさに笑激的痙攣的SF笑説!!

ということで、SFマガジン「異色作家短篇集・別巻」読了。
本特集の企画監修は中村融さん。中村さんのセンスには以前から一目も二目も置いていましたが、今回もすばらしいセレクションで楽しませてもらえました(拍手)。
とりあえず本特集座談会でラインナップが明かされた奇コレのベスターが楽しみ!!
ディッシュも出るそうで、とつぜん〈我が世の春〉が訪れた気分です(^^)
編集済


すばらしい! 投稿者:管理人 投稿日: 6月25日(金)22時23分1秒

Yさん
ご無沙汰でした(^^)

>現在までの眉村氏の刊行書が簡易検索できます
うわ、すごいものを作られましたね! 
さっそく使ってみました。
――いやすばらしい。これはいいですね、とても便利ですよ(^^)
わたし的には短編版をちょくちょく利用させて頂きたいですね。いえ急かしているわけではありませんよ。短編となると膨大で大変だろうと思いますが、ぜひ完成させて下さいね。期待しております。


SFM異色作家短篇集・別巻より(2) 投稿者:管理人 投稿日: 6月25日(金)22時08分13秒

アヴラム・デイヴィッドスン「グーバーども」

本篇も上記「床屋の予約」同様、わたし的には典型的な異色作家短篇。まさにアメリカほら話(解説)あるいは〈カリフォルニア・ソーサリイ・グループ〉的な作品なのですが、私のイメージするデイヴィッドスンとは、ちょっと違ってて、あれれと思いました。

URLを紛失してしまっていてリンクできないのですが、デイヴィッドスンのファンサイトで閲覧したエステルハージイものでは、むしろ英国風のペダントリイが織りなす綺想小説といったワン・アンド・オンリイな趣があり(英国作家だと思っていました)、私としてはそういう作風の方が好みではあるのですが、むろん本篇も悪くないです。

フリッツ・ライバー「王侯の死」

これは大傑作!
センス・オヴ・ワンダーがプンプンと匂い立ってくるようなSF小説(サイエンス・フィクションにあらず)でした。さすがにライバー、いいですねえ(^^)
アイデアが秀逸。私のストライクゾーンど真ん中でした。「ラー」を読んだ直後だからでしょうけど、高野史緒さんを連想してしまいました。
この作品が読めるだけでも、本特集の意義はあったといえるかも。


お久しぶりです 投稿者:Y 投稿日: 6月25日(金)21時35分5秒

ちょっと宣伝で申し訳ありません。
ご無沙汰しておりましたが、借り物のcgiで検索データベースもどきを
作ってみました。よろしければ間違いなどご指摘下さい。
現在までの眉村氏の刊行書が簡易検索できます。(短編細目は準備中)

http://homepage3.nifty.com/wondertea/

自分がニフティでもスペースを持てることに今頃気づきました。
しかもcgi可だった……もう8年も加入しているのに……マヌケすぎます。
というわけで別サーバなので、メインからはワンクッション置いた場所に
なってしまうのですが、作品一覧からも行けます。

SFマガジン、異色作家特集なんですか。おもしろそうですね。
ものすごくたまにしか読まないのですが、短編がたくさん読めるので
気に入った作家が載っていると得した気分になります。


SFM異色作家短篇集・別巻より 投稿者:管理人 投稿日: 6月24日(木)21時56分31秒

シオドア・スタージョン「ニュースの時間です」

小説としては、前半と後半が分裂してしまっています。それもそのはず、大森望さんの解説によると、後半のプロットはハインラインから譲り受けたものとのこと。なるほど納得です。

製作過程を想像するに、かかるハインラインのプロットに触発されて、前半すなわち前日譚が構想されたのでしょう。とはいえこうして書かれた前半は、たしかにスタージョンらしさが横溢したビロードの手触りを思わせるものですが、結果として、この前日譚は後半に繋がっていく論理性を持っていません(このへんがスタージョンらしいところか)。

わたし的には、前半だけでよかったのではないかと思いました。前半だけでストーリーは内的に完結しているからです。
この前半には、(くどいですが)いかにもスタージョンらしい「普通の人々」(解説)がありありと描写されていて、共感します。

さてハインラインのプロットに基づく後半は、(描写に淫した)前半とは打って変わって解説的です。しかしその解説は、上述のように前半を説明し得てない。ラストの告白も唐突ですし、いかにも紋切的と言いますか、ある意味ハインラインらしく整理されすぎていて、嘘っぽい。

スタージョンに、ハインラインのような(高みから見下ろす)統覚力があれば、後半に引きずられて出てきたところの前半ですが、その前半に沿わせるかたちで、後半もう少し修正を加え(結果的にハインラインのプロットを離れ)ることが可能だったと思うのですが、そこがスタージョンのスタージョンたるところ、「ディテール」(解説)に神技の冴えをみせるとはいえ、地を徘徊する作家であるスタージョンに、それは望むべくもなかったといえるかも知れません。

チャールズ・ボーモント「床屋の予約」

わたし的に「異色作家短篇」といえば、ミステリーゾーンやアウターリミッツの小説版のイメージが強い。本篇は、解説の中村融さんが仰るとおり、これぞ「異色作家短篇」の極みといえる極上の一品。そして同時に(上のスタージョンなどとは違って)まさに「それだけ」。あとは何の解説も不要。
良くも悪くもそうなのであって、その意味ではスタージョンの小説は、異色作家短篇というくくりから少しはずれる存在なのかも。
編集済


実は 投稿者:管理人 投稿日: 6月24日(木)20時41分56秒

キダ先生はモーツァルトは趣味ではないそうです。
ではなぜ浪速のモーツァルトか?、と問われて、自分は一度たりとも自らそう名乗ったことはない、とラジオでおっしゃっていました。
というわけで、「浪速のモーツァルト」は、自ら称している小米朝さんに差し上げましょう(^^;

>バイライフ
私も日を決めかねています。土曜19:30からの公演がいちばん都合が良さそうなんですけど、アレクすてさんのご都合は?


ナニワのモーツァルトといえば… 投稿者:アレクすて 投稿日: 6月24日(木)18時03分42秒

キダ・タロー先生ですが芦部先生は、浪速のバルザックなのでせうか?

といったところで、皆様、今晩は、アレクすてです。m(_ _)m

オリゴ党さんの公演ですか…。
私は、演劇といえば、筒井康隆氏の「ジーザス・クライスト・トリックスター」
というのを見に行き、興奮して知恵熱が出たことと
寺山修司の映画に興奮し、そのまま野田秀樹の戯曲を読んだら
わけがわからなかった…という乏しい体験しかない知的プロレタリアートでありますが
7月3日ですか…先のことでよくわかりませんが、できれば参加したいですね…
(「パイライフ」……なんなんでしょう?俺の知ってるパイライフといえば
魔夜峰央氏の少女漫画「パタリロ!」の第72巻にでてくる
『恐怖の使者!闇と混乱の申し子にして限りなき腐敗の王!
究極的堕落の権化、虚無の体現者』で
『阿鼻叫喚の地獄絵図の前触れとして出没し見たものを石に変える。
(恐怖のパイライフ (パタリロ!358).)』
怪獣を思い出すのですが、多分違うでしょうね…。
と、支離滅裂なことを書きましたが、時間があえば見たいです、オリゴ党さんの「パイライフ」。
といったところで、ではでは。


パイライフ 投稿者:管理人 投稿日: 6月23日(水)20時27分39秒

クローズアップ現代に、芦辺拓さんが(ビデオ)出演していてびっくり(^^)

さて、劇団オリゴ党の公演が、来たる7月3日(土)4日(日)、トリイホールであります。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  トリイホール協賛公演/大阪市助成公演
  オリゴ党第19回公演『パイライフ』
  作・演出/岩橋貞典

  会場/トリイホール(06−6211−2505)

  7月3日(土)15:30/19:30
     4日(日)13:00/17:00
  (開場は開演の30分前。受付開始は1時間前からです)

  前売り/2000円(劇団扱い)
  当日 /2200円

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

岩橋党首からのメッセージです。

7月3日4日ですが、皆様ご都合は如何でしょうか?
今回は、夏ということで(まだ梅雨ですが)、ちょっぴりホラータッチを目指して現
在練習中です。ピアノの生演奏もつきますが、ちょっとオシャレではないですね。むむ。


ということで、詳細は、オリゴ党公式HPダジャレ・ジャンをご覧下さい。


妻に捧げた1778話 投稿者:管理人 投稿日: 6月22日(火)21時03分27秒

重版は決まっているそうです。
早く出さないと、どんどん売り逃しが(ーー;

雑誌「波」(2004年6月号)に掲載されたエッセイ→「雨の日も風の日も」

SFM「異色作家短篇集・別巻」に着手しました。
編集済


「海からきたチフス」 投稿者:管理人 投稿日: 6月21日(月)22時13分14秒

畑正憲『海からきたチフス』(角川文庫、73)

本書は、原題を「ゼロの怪物ヌル」といって、小学校高学年か中学1年生のときに読んでから、ずっと私の記憶のなかで燦然と光り輝いていた作品。今回読み返して、全く裏切られることなく、記憶どおりの面白さでした。ただしタイトルは事実と異なるので原題の方がよいと思う。

本書の面白さは、なによりもまず<科学的思考>によってストーリーが進行し解決されるところです。下に述べるように、これこそがまさにジュヴナイルSFが契機として持たなければならない必要条件であり、本書はその意味で「ジュヴナイルSFの鑑」といえるほどよくできた作品です。

夏休み、伊豆の大島に家族旅行でやって来た中学生のぼくは、大島の魚介類が原因不明の壊滅的な打撃を被ったことを知る。代わりに海底には白いぶよぶよの固まりがいっぱい落ちていた。それは内臓器官もなにもない、切っても切っても同じ固まりで、やがてそれが無細胞生物であることが判る。折しも大島にチフスに似た病気が拡がり、島は封鎖される。ぼくは、海底から拾ってきて水槽に入れておいた固まり(ヌル)が、翌日ニシキベラと入れ替わっていることに気づく。……

この、謎の固まり・ヌルがいったい何であるのか、それを解明していく過程が、小説のタテ糸を形成します。この結果疑われるのは、進化における無意識的な前提です。もっとも進化した複雑な生物は人間です。ですが、それでは「複雑になることだけが進化でしょうか?」(221p)。

本書はおそらく1960年代後半に書かれたはずですが、当時としては目新しかったと思われる細胞学、DNA・遺伝子・染色体をわかりやすく解説しながら、現在ではクローンと呼ばれる技術までその射程に含めます。これらの知識によってヌルが解明されるわけですから、かかる知見がストーリーの要件・契機としての機能を担っているのはもちろんです。しかも、このメインアイデア、現在でも十分ユニークです(言葉や思考力までコピーするのは勇み足ですがぜんぜんオッケー(^^;)。

<科学的思考>の物語と言うのは、まさにそのような理由からですが、小中学生を読者とするジュヴナイルSFは、すべからくこのような<科学的思考>の物語であってほしいものです。
私は思うのですが、小学校低学年生はともかく、小学校高学年生や中学生に読ますべきなのは、ハリポタのようなファンタジーではなく、<科学的思考>をはぐくむジュヴナイルSFなのではないでしょうか。

本書は、タテ糸は科学的思考の物語であり、かつヨコ糸としては少年小説、あるいは永遠の<夏休み小説>でもあります。その意味で大人が読んでも十分に楽しめる作品です。
編集済


「さよなら」 投稿者:管理人 投稿日: 6月21日(月)19時37分16秒

土田さん
よくは判らないけど「なんかすごい」と思わせる力を感じますね。
私の場合、まだ読みのスタンスが決まらない、というところでしょうか。それが決まれば、あとはオッケーだと思います。オーネット・コールマンも、最初は「なんじゃこれ?」って感じでしたよ。

下の感想、改稿しました。


「さよなら」 投稿者:土田裕之 投稿日: 6月20日(日)23時26分6秒

森青花氏の作品はすべて読んでいるわけではないのですが
読んだものはどれもたいそう気に入っています。
相性がいいのかもしれません。

大熊さんの書かれている感覚のいびつさもとても良く理解できます。
自然体でいびつなんですよね。
そして変なユーモアが溢れている。
ぼくは何故かこれが心地いいんです。
アンソロジーで読んだ「砲丸の人」も「ムラサキくん」もそうでした。
(大熊さんも読まれた「砲丸の人」を試しにヨメさんに読ませたところ
気持ち悪いと一蹴されました。普通の感覚ではそんなもんかも。)
いずれにしても早急に短編集刊行を希望します。

岩井志麻子「女學校」を読みました。
意欲を感じる幻想小説ではありましたが、文章から構成から客観的には認めるものの
これは反対に相性が悪かった感じで少しつらかった。


「さよなら」 投稿者:管理人 投稿日: 6月20日(日)22時36分26秒

森青花『さよなら』(角川書店、03)

95才の主人公の独居老人が自宅で死に、ミイラ化する。ミイラ化すると魂が体を抜け出て存在できるようになる、という設定。魂(幽霊?)となった主人公が、周囲の人間関係に否応なしに、もしくは積極的に、介在していくストーリー。

存外にリーダビリティが高く、一気に読了してしまった。
ただし読み終えてから振り返ると、不自然なところが目に付く。
たとえばこの老人は息子夫婦と仲が悪く、孫夫婦とも没交渉の生活を続けてきているのに、突如孫夫婦から娘(曾孫)が来年小学校なので見に来てほしいと連絡があるのだが、こんな状況は現実的には唐突すぎて考えられない。リアリティがないです。

この曾孫が事故で亡くなる。主人公(の幽霊)のアドバイスで亡骸がミイラ化される。暫くは曾孫の幽霊と孫夫婦は交流するのだが、やがて曾孫が成仏する(ミイラが抜け殻になる)や、その亡骸の処置に困って、主人公にとっての子供夫婦、すなわち孫にとっての親の家に捨てるように預けていく。この行動もまるで不自然。

どうも著者はこのような不自然さに気づいてないふしがあります。本書の場面場面に浮き出してくる作者の無意識に、ある異質なものを感じてしまう。妙に不活性でいびつな感性を。
おそらくそのような感覚に同期できないせいでしょうか、そこには一種不気味さを感じないではいられません。
とはいえ、実はこの不気味さこそ、本書の文学的価値であるのかも。

随所にフキダシがあり、それに反応して笑ってしまうのだが、笑ってしまった後でぎくりとする。こんな場面で笑いを取るかと、そのような仕込みを作る作者の意図をいぶかしんでしまったり……。

表面的にはハートウォーミングなお話のようにみえますが、一歩その中に踏み込んでみると、実に尋常ならざる小説世界なのです。ジャズで例えるならば、さしづめオーネット・コールマンでしょうか。

読んでいる最中はとても面白くてぐいぐい読まされてしまうが、一旦本を置くやひやりとしたものが背中を通り抜けていく感じ。非常にユニークかつ奇妙なお話でした。

「海からきたチフス」読了。
編集済


季刊邪馬台国 投稿者:管理人 投稿日: 6月20日(日)11時57分46秒

そういえば昨日旭屋書店に「季刊邪馬台国」84号(2004年7月号)が出ていました。
<緊急特集 朝日新聞「転換古代史」記事への公開質問状 マスコミと考古学者の間に根ざす、権威主義・付和雷同主義的体質を、指弾する。>
というもの。→「事実」にもとづく回答を

いやあ、ついに安本先生自らマスコミの非科学的態度、情緒主義に鉄槌を下された。善哉善哉。
私も以前同じ趣旨の投稿をしています。→記者の頭の中だけにある古代史
狗奴国=濃尾平野説に就いては、この特集で安本先生自身が具体的に反証されています。

いよいよ九州説のノルマンジー作戦が始まったのでしょうか(^^)


妻に捧げた1778話 投稿者:管理人 投稿日: 6月20日(日)11時03分56秒

わ、bk1でも「現在お取扱いができません」になってしもた。
はやく重版してくれ〜>新潮社。


畸人郷例会 投稿者:管理人 投稿日: 6月20日(日)10時49分13秒

アレクすてさん
昨日はお疲れさまでした。

>「世界の中心」
のあざといネーミングが各所で非難されているという話になって、そういうことなら、同罪である「ねじの回転」がけなされているのを見たことがない。それはいったいどうしてなんでしょうね?
という問題提起を私がしたのでしたね(「ねじのかいてん」は同罪でない理由も)。

そこから話が有象無象に拡がって、最後に本格ミステリとSFの双方の立場から期せずして恩田陸ショーモナイの声が澎湃と立ち上がり宴席を埋め尽くしたのは、わたし的にはとても気分が良かったことでした。え、みなさん長幼の序を弁えて花を持たしてくれた?そうでしたか〜(ーー;。

『魏志倭人伝の考古学』が行方不明。どっかに置き忘れたか。
というわけで、
森青花『さよなら』読了。
畑正憲『海から来たチフス』着手。


畸人郷例会からただいま戻りました。 投稿者:アレクすて 投稿日: 6月20日(日)00時55分43秒

大熊様、こんばんは。ただいま戻りました、アレクすてでございます。
今日、大熊様と話したSF界の展望と、「世界の中心」の話は面白かったです。
ただ、私が出版状況や現代の本の出版傾向に疎いため
理解できない部分が多々あり、大熊様の話の腰をおってしまい
申し訳ございませんでした。m(_ _)m
日暮れて道遠し、学ぶことのみ多かりきであります…(汗
では、また。


売り切れ? 投稿者:管理人 投稿日: 6月18日(金)21時28分36秒

>「妻に捧げた1778話」
いま見たらamazon在庫切れ。
すわ大変とbk1を見れば、こちらも店在庫切らしてる模様。だめだよ〜切らしちゃ!(それとも重版が間に合ってない?)

佐原真『魏志倭人伝の考古学』読み中。


「ラー」 投稿者:管理人 投稿日: 6月17日(木)21時55分16秒

高野史緒『ラー』(Jコレクション、04)

主人公J・Dは、タイムマシンで紀元前2600年前後のクフ王治世28年のエジプトに到着する(史実では在位24年)。
彼は、ギザの三大ピラミッドの一つ、クフの大ピラミッドの建設現場を見るためにやってきたのだが、そこで彼が目の当たりにするのは、殆ど完成したピラミッドなのだった。……

つまりそれは、クフの王墓などではなかったのだ。それはこの時代の人々にとっても、遙かな過去から存在し続けていた建造物なのだ。
しかも不思議なことに、ピラミッドを守護するスフィンクスの顔は人面ではなく、まさに獅子のそれであったし、砂に埋もれた神殿は、すでに数百世代も経過したような、遺跡といってもよい蒼古的たたずまいを示している……

いったい誰が、何のためにこれらの巨大建造物群を建設したのか? また巨大建造物に刻印された水流による浸食の跡は? この乾燥した土地をそれほど大量の水が洗ったのは、氷河期終了後の洪水期をおいて他に考えられないのだ。とすればそれは1万年以上前の出来事になるのだが。……

ピラミッドの仕上げに従事する管理者たるピラミッド建設者の偉大な血を引いているはずの当の一族にすら、それらは喪われて久しい知識だった。……
J・Dは、やがて自分が(ベルリン、ボーデ博物館所蔵の)<ウェストカー・パピルス>文書に記述された魔術師ジェディであったことに気づき――文書に書かれた内容に沿って行動するのだが……

もし光瀬龍さんが存命で本書を読むことができたとしたら、光瀬さんはおそらく絶賛したに違いありません。そう思わないではいられないほど、本書には光瀬SFと同種の匂いが充満しています。それは上の要約からも、感じていただけるのではないでしょうか。

先日も少し書きましたが、光瀬SFの雄渾壮大にしてきらびやかな絵巻物の如き虚無的世界の根底にあるのは、氏独自の美意識、美学なのですが、本書に通底するものもまた、もちろん感性はまったく異なりますが、やはり独特の美意識、美学なのだと思われます。
本書は、作者がとりわけ「異形コレクション」等において、短篇というかたちで垣間見せてきた、かかる美学的感性を全開にした傑作、現時点での集大成といえるものでしょう。

おそらく本書を成功させたものは、「歴史として伝えられていることは真実のすべてではない」という、一種<真理>を想像力の根拠として、もしくは発条として、この奇妙な古代エジプト世界を描ききった作者の<意志>ではないでしょうか。その結果、物語は自信に満ちてそこに存在することができ、実にくっきりとリアルに、読者に迫ってくることができたのだと思われます。

もとよりそれは「古代エジプト文明に対する関心は記憶も定かでないほど幼い頃から」(あとがき)あったという作者ならではの、想像力と史料との幸福な相互作用の結果だといえます。

発掘現場からパシッて(^^;きたクフ王時代の遺骨をガイドとして組み込むことでその時代に行けるという、まことにゴシックな(汗)タイムマシンといい、壮大な<退化論>というべき「劣化した人類」観といい、小松左京的センチメンタリズムに満ちたカイロ博物館の「左腕に骨折の跡があるミイラ」といい、組み込まれた小ネタ小道具すべてからセンス・オブ・ワンダーがムンムンと発散されていて、250pと長さもわたし的に丁度よく、とても幸福な数時間を過ごすことができました(^^)。
編集済


打線がつながった?(まだまだ) 投稿者:管理人 投稿日: 6月15日(火)22時10分17秒

高野史緒『ラー』(Jコレクション、04)読了。
いやあ期待どおり。堪能しました(^^) 野球を見てしまったので 感想は明日にでも。

初勝利の杉山のヒーロー・インタビュー、初々しいというよりもハラハラしました。いやすぐに慣れるでしょうけど(^^; これからもたびたびお立ち台に上がってほしいものです。


「夕映え作戦」補足 投稿者:管理人 投稿日: 6月14日(月)21時12分57秒

昨日の投稿で、「夕映え作戦」について、
>現代人が戦国時代に行って活躍する話
と書きましたが、間違いです。事実は「江戸時代に行って」です。風魔忍者と戦うんですからね(^^;謹んで訂正させていただきます。

なお下の文では「夕映え作戦」を批判しているみたいに読めるので、補足しておきます。
光瀬さんと眉村さんでは作風が全然違うわけで、もともと光瀬さんには現実的なリアリティ(変な言葉ですが)を描く気はさらさらなかった。

光瀬SFというのは、社会学や経済学ではなく、美学なのです。つまり光瀬SFとは、小説であるとはいっても、因果関係の流れを描いているのではなく、突き詰めて言えば「絵」の連続で構成されている。たとえば5枚目の絵のあとに6枚目の絵が来るといっても、その間に因果律は希薄で、むしろ光瀬さんの美意識に適ったいわば決めのポーズが連なっているものなのです。

決めのポーズとは、たんに歌舞伎でいう「見得を切る」というだけではなく、描写される世界、風景、情景も含めてのそれであるのが光瀬SFの特徴で、人間から世界までのあらゆるレベルでの「見得」の絵柄が、小説的配置に「似せて」並べられているといえます。

すなわちきわめて日本的伝統的な情緒がその根底にあり、近代的な「小説」とは、実は相容れないものかも知れないと思っています。たしかにあのとてつもない、圧倒的な感動をもたらす光瀬SFですが、基本的にストーリは破綻している場合が多い。チャンバラ映画の殺陣(たて)に感動するか、嘘っぽいと思うか、という問題といえるかも。

したがって「夕映え作戦」のリアリティについての眉村さんの発言は、図らずも両者の小説観の違いを浮き上がらせているわけです。


神戸新聞に眉村さんの記事 投稿者:管理人 投稿日: 6月14日(月)20時32分3秒

神戸新聞6月10日付朝刊の文化面に、眉村さんの記事が掲載されました。

  作家眉村卓さん
  「一日を大切に」闘病支える
  妻に捧げた物語を短編集に


「妻に捧げた1778話」の紹介です。取材記事でおおむね本に書かれている内容ですが、
 「SFという分野は、どんどん新しい発想に飛びついては、過去を切り捨てていく。そんな体質に嫌気が差し」たことは、本の中にも書かれていますが、「SF全体としても普遍的な基本形に立ち返るべき時期なのではないか」という一文は本の中にはない言葉です。

なお、今回もとぐろさんに記事の切り抜きを送っていただきました。ありがとうございました。


「なぞ転」感想文 投稿者:管理人 投稿日: 6月13日(日)21時45分29秒

決算関連の事務仕事が終了。これで少しは本が読める気分になれそう(^^;
ということで、これから『ラー』に着手することにします!

書店で星新一『祖父小金井良精の記』を見つけてびっくり。河出文庫新刊ですね。さいきん頑張っていますね>河出書房(^^)

「なぞの転校生」の感想を発見→アルビレオのページ
ヌルい、あるいはストレートすぎると感じられるのは、むしろ媒体の学習雑誌のしばりのせいではないでしょうか。
眉村さん自身はもっと冒険したかったのだと思います。
たとえばSFジャパンvol.8の大橋博之さんのインタビューに答えて、眉村さんは、光瀬さんの「夕映え作戦」(現代人が戦国時代に行って活躍する話ですが)を読んで「こんなに簡単にうまくいくかな」と疑問を感じたと言っておられます。

「なぞ転」は、その疑問に対する一つの回答だったとありますが、私は、直接的な回答として書かれたのが「還らざる城」だったのではないかな、と考えます。

この作品では、中学校の若い教師と生徒たちが戦国時代に飛ばされてしまい、そこで生活を始めるわけですが、なかなか「うまく」いきません。しかも若い教師は戦国時代という誰もが才能一つで下克上していけるこの時代の風に当てられて次第に変貌していくのです。(ちなみに半村良「戦国自衛隊」は、この小説が上梓された後に出ています。いえもちろん半村さんがパクったと言いたいわけではありません(^^;)

現在の私は、この小説を高く評価するものですが、学習雑誌連載で読んでいた当時は、この先生に違和感を感じまくりでした。中学生には複雑すぎる内面描写であったわけです。

インタビューで、光瀬さんの小説が「簡単にうまくいく」ことに対して「読者にすればうまくいく、というところが面白いんですけどね」と冷静に分析されていますが、しばりさえなければジュヴナイルもアダルトも関係なしに、とことん突き詰めていくのが眉村さんの本質であり、アルビレオさんのおっしゃることは、私も当たっていると思いますが、「なぞ転」は眉村さんの本質と掲載媒体との折り合いの産物であり、その意味で眉村さんご自身も幾ばくかの悔いが必ず残るのが、ジュブナイルでの仕事だったのではないかなと、推測しています。
編集済


↓補足 投稿者:管理人 投稿日: 6月12日(土)16時42分0秒

>ずっと思っていました
ずっと残念に思っていた、ということです。為念。
白川星紀の書いたものは、わたし的にとても波長が合ったし、勉強になったものでした。


曲守彦って 投稿者:管理人 投稿日: 6月11日(金)22時56分10秒

久しぶりに大きな本屋に寄ったら、河出文庫から『ソフトマシーン』が出ていました(^^;。
で、訳者が山形浩生と柳下毅一郎の共訳になっているのに気づく。
あれ、そうだっけ?
家に帰ってペヨトル工房版を確認したら、山形浩生+曲守彦・訳。
ということは、曲守彦=柳下毅一郎なのですね。知らなかった。そういや白川星紀が黒丸尚だったってことも、つい最近まで知らなかったのでした。白川星紀って消えちゃったな、とずっと思っていました(^^;。

SFM7月号購入。今月は面白そう。


「仏教と資本主義」 投稿者:管理人 投稿日: 6月10日(木)21時46分45秒

長部日出雄『仏教と資本主義』(新潮新書、04)

資本主義の精神はカルヴァン派のみならず、そのルーツは日本にもあった。それは行基において既に始まる。という論旨。
だったらなぜ日本から資本主義は起こらなかったの? と問いたい。

行基のような生き方をした宗教家は、おそらく世界中にいたと思います。というかいかなる宗教であれ、その創始期の教団は多かれ少なかれ禁欲的であったと想像されます。
そのなかにあって行基や鈴木正三、石田梅岩をのみ取り上げるのは、世界史的に見て恣意的の誹りを免れないのでは。

さすがに作家らしく、思いつきとしてはとても面白いです。小説にしてほしい。でも思いつきは思いつきであって思いつき以外の何ものでもありません。


SFM<スプロールフィクション>特集 投稿者:管理人 投稿日: 6月 9日(水)21時23分29秒

SFマガジン6月号<スプロール・フィクション特集2>読了。

ジョージ・ソーンダース「ジョン」>既述

ケヴィン・ブロックマイヤー「ある日の“半分になったルンペルシュティルツヒェン”」>いかにもカルヴィーノ創作コンテスト首席作品らしく、まっぷたつの子爵と同一モチーフと思ったら、解説によると元ネタはグリム童話らしい。そのグリム童話のこびとの後日譚という設定で、こびとの左半身のほうが、なぜか「現実世界」にやってきて生活している。その、あまりうまくいっているとは言いがたいうらぶれた一日が描写される。童話の世界に残っているらしい右半分からの手紙には笑わせられたが、それ以外は魅力的な部分は少ない。

チャイナ・ミエヴィル「基礎」>建物の基礎ってのが、知識がなくてイメージできなかった。とはいえ異様な迫力があって、これはよかった。なぜかバラードの「音響清掃」を思い出しました。

ジェフ・ヴァンダーミア「飛ぶのは未だ越えざるもののため」>これは本特集随一の傑作。主人公の看守とけなげな妻の描写がとてもよい。問題はラストの囚人たちが空を飛ぶ場面。幻想ではなく現実として描かれているのは、唐突だし、説得力に欠ける。イラストがNW−SF誌風でいい。

ベンジャミン・ローゼンバウム「ほかの都市の物語」>これはつまらない。イラストは好き。
編集済


「世界の涯の物語」 投稿者:管理人 投稿日: 6月 8日(火)21時32分3秒

ロード・ダンセイニ『世界の涯の物語』中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳(河出文庫、04)

幻想ファンタジア領に屹立する孤峰ダンセイニの初期作品集。本書には、本国における第5作品集「驚異の書」(1912年刊)と、第7作品集「驚異の物語」(1916年刊)が収録されています。

この2作品集の間には、4年の時差が横たわっています。そのせいでしょうか内容的にもかなり変貌しています。
「驚異の書」は、『ペガーナの神々』以来の神韻縹渺たる異世界ファンタジーの流れのなかに、まだ留まっていますが、「驚異の物語」になると、もっと力が抜けてきて自在な筆致になっています。〈小説らしい〉結構を備える作品が多くなっており、いわば〈異色作家〉的なセンスを感じました。

これまでの、たとえば荒俣宏などによって行われてきた日本紹介は、どちらかといえば前者の、「黄昏の幻想」というべき気分に充ちた神話的作品群に偏していたようで(本書と荒俣『妖精族のむすめ』は、収録作品にかなり重複があるのですが、その内訳をみるに「驚異の書」6篇に対して「驚異の物語」2篇ということからも、それは認められるのではないでしょうか)、荒俣訳に親しんでいた私は、最初意表を突かれましたが、読み進むにつれ、多様に拡がっていくその小説世界に、むしろ新鮮な喜びを覚えました。

「訳者あとがき」にも同様なことが書かれており、「もっと楽しく、ダンセイニがすぐそばで語りかけている物語のような印象を強く抱いた」とあります。
たしかに「語り」は、ダンセイニの作風の重要な要素であると思われます。ほとんどの物語が「私が見聞した話」という構造をとっており、本質的に酒場のほら話、あるいは先日述べたビッスン同様、トール・テールであると言ってよいのではないでしょうか。その意味でも〈異色作家的〉というのは当たっているのではないかと思います。

わたし的には、神話的ファンタジー系もトール・テール系も、どちらもとても楽しく読みました。というか本集にハズレは一切なし、ことにも、集中唯一の中篇小説「陸と海の物語」は奇想に富んだトンデモない話で、これははっきりいってSFです!
また「流浪者クラブ」の、これまたトンデモないオチは、あたかも星新一の最良のショートショートを彷彿させるような切れ味で、一読呆然とすること請け合い(^^;ゞ

この河出文庫版ダンセイニ初期作品集ですが、第2弾『夢見る人の物語』が近日出版されるそうで、とても楽しみ(^^) 売れ行きによっては第3弾以降も続くそうなので、売れてほしいですね。
編集済


「妻に捧げた1778話」 投稿者:管理人 投稿日: 6月 7日(月)21時39分8秒

眉村卓『妻に捧げた1778話』(新潮新書)

これまで、パラパラとはページを繰っていたのですが、今日は喫茶店に腰を落ち着けて、通読しました。
先日、エピソードがカットされていて物足りない、などと書きましたが、前言撤回、オッケーです! 何の不満もございません(^^;
喫茶店で思わず涙腺がゆるんでしまい、馴染みのママさんに変な顔をされてしまいました。

集中のエッセイのうち、「妻と私」と「俳句」のエピソードのいくつかは、おそらく初見であると思います。
眉村さんは、書き上げるとまず悦子さんに読んでもらうのが常であったようで、「女の人はこんな考え方せェへんよ」との指摘を受けることもあったと書かれています。眉村さんの小説に描かれる自立的で開明的な女性は(ジュヴナイルに顕著ですね)、してみれば、悦子さんの感覚や考え方が、結果的に投影されているのではないでしょうか。

制約のある日課の原稿を書き続けるうちに、知らず知らず溜まっていた澱のようなものが、俳句となって吐き出されたというのは、納得できるような気がします。本書に収められた俳句には、まさに「他人様には関係のない悲鳴のような」、そんな苛烈なものが漲っているように思われます。

 ひしめきて木の芽は立てり明日は明日

悦子さんの意識がなくなり、眉村さんは日課の制約をはずし、気持ちがもろに出たものを書くようになります。そうすると「ぴたりと俳句はできなくなった」。
遺品を整理していて、平成14年2月27日付の手帳に、

 癌の身のあと幾たびの雛まつり

の句を見つけ、眉村さんが「おまはんの勝ちやなあ」と呟く場面は、思わず涙が噴き出してしまいました(4月15日に最後の入院、5月28日に逝去)。

日常とどこかで繋がっている話を書くことを制約の一つにした眉村さんでしたが、5年の間にどんどん現実から切り離されていってしまった、という回想を読み、実は私はほっとしています。確かに日課作品のなかには、昔の眉村さんには絶対にありえなかった「後ろ向きのかたくなさ」といったものを私は読みとることがあったのでした。上の回想は、眉村さんが、3回忌を区切りにして、現実世界に復帰された証拠であるからです。

本書は、眉村さんにとって「別枠をなすひとつの時期」にひとまずの結末をつける意味を持つ重要な作品であると思います。読者は単なる美談としてではなく、その下にある人間の実存のひとつのかたちを感じ取っていただきたいものです。そして願わくは、何年か経ってもっと客観視できるようになった暁には、この5年間を長編小説に、あらためて語り直していただきたいと思うのでした。
編集済


「ふたりジャネット」(2) 投稿者:管理人 投稿日: 6月 6日(日)15時45分32秒

(承前)
「穴のなかの穴」「宇宙のはずれ」「時間どおりに教会へ」の3篇は、〈万能中国人ウィルスン・ウー〉シリーズ。
上記の通り、表題作も、「熊が火を発見する」も、「英国航行中」も、世評どおり素晴らしい傑作だったのですが、<万能中国人ウィルスン・ウー>シリーズのこの3篇は、上に挙げた傑作群がにわかに色褪せてみえるほどの超弩級大傑作でした(^^)
これぞSFの真髄!!

ブレーキパッドがキイキイいうからといって、パッドに防錆潤滑剤を吹きかける(汗)ような弁護士(おれ)と、何かというと紙切れに数式を書き散らし、「数字は嘘をつかない」が口癖の万能天才ウーとの掛け合いでストーリーは進行します。

「穴のなかの穴」は、古タイヤの不法投棄場と化した月面から、アポロが遺棄した月面車を回収するために、このふたりがスーパーの透明ビニール袋を頭からかぶって、真空の月面へと飛び込んでいきます(>一部誇張(^^;)。野田さんの「いけしゃーしゃーとした」テレワークものをさらに過激にしたようなSFホラ話!

「宇宙のはずれ」は、宇宙のはてで反転したビッグ・クランチが、「変則的調和的超ひもの倍音」のせいで、くだんの弁護士(おれ)のガールフレンドの死にかけの父親の上に影響を及ぼしてしまい……、「時間どおりに教会へ」では、1982年ノーベル不動産賞を没収されたマッドサイエンチスト(ウーの師匠)が、たとえばラガーディア空港の荷物受け取りの待ち時間のような余剰時間を盗み、それを空間に変換して彼自身の宇宙を育てています(^^;ゞ。
この2作品には、ヨコジュンのハチャハチャSF(をもっときっちり書いた)印象があります。

ビッスンと野田大元帥とヨコジュンさんを括るものは、おそらく「語り」というスタイルではないでしょうか。編者はビッスン作品に対して「現代のトール・テール」(あとがき)と述べていますが、その伝で言うと、野田、横田というのも、日本独自のトール・テールといえるのではないかと思いました。

少し脇にそれましたが、ともあれ、本書は間違いなく本年度の5指に入る傑作集であると断言してよいでしょう。
編集済


「ふたりジャネット」 投稿者:管理人 投稿日: 6月 6日(日)15時42分12秒

テリー・ビッスン『ふたりジャネット』中村融編訳(奇想コレクション、04)
まさにベスト・オブ・ベストというべき編訳者の選択眼が光る日本オリジナル作品集。

「熊が火を発見する」は、静謐な佳品。
高速道路の分離帯(といってもアメリカのそれはこんもりした木立になっているらしい)で焚き火をするクマたち。老人ホームで死を待つだけの老母。「牧師商売」に熱中し子供を省みない弟夫婦から預かった甥っ子とおれは、ホームを脱走した老母をクマの焚き火の輪に発見する。その輪に加わったおれと甥っ子は老母との最後の一晩を一緒に過ごす。……

「アンを押して下さい」は、会話だけで構成された秀逸なショートショート。

「未来からきたふたり組」は、ベスター風の洒落たタイムパラドックス。

「英国航行中」も、後味さわやかなブロックバスター(^^;
突如大ブリテン島が、老フォックス氏の住むブライトン(を含む南岸)を舳先に、アイルランド島に別れを告げて大西洋に進発する。大西洋を乗り切り、ブライトンは一衣帯水にロングアイランドと対面する(マンハッタンと対面するのはドーヴァー)。さて偶然(?)にもロングアイランドには、唯一の肉親で死んだ妹の娘(フォックス氏の姪)が、30年前に会ったきりのエミリーが住んでいた。ブライトンと対岸にフェリーが開通し、エミリーは娘のクレアと共にブライトンを訪れる。30年ぶりの(そして最後の)再会。最初フォックス氏はクレアをエミリーと勘違いする。一日楽しく過ごしてエミリーとクレアは対岸に帰っていく。ひと晩あけて、フォックス氏は英国が再び船出をしたことを知る。東へ、ブリュターニュ半島とアイルランド島の間の空間へ向かって。……

「ふたりジャネット」、これは編者が言うように「奇妙な味とでも言うしかない摩訶不思議な短編」(あとがき)。
ニューヨークに住むジャネットの故郷は南部のオーエンズボロ。ある日母親から電話でオーエンズボロにジョン・アップダイクが越してきたと知らされる。それから次から次へと作家がオーエンズボロに引っ越して来る。ソール・ベロー、フィリップ・ロス、サリンジャー、ウィリアム・スタイロン、などなど。
母親の誕生日に帰郷すると、飛行場に熊のような人物。「あれは誰?」迎えに来てくれていた元BFのアランに聞くと、「あれはトーマス・M・ディッシュ。SFだよ。でも、質はものすごく高い」。
その週末はずっとオーエンズボロにいたけど、有名作家は三人しか見かけなかった。ディッシュは数に入れていない。本当の有名作家じゃないし(122p)(^^;ゞ
誕生パーティのあと、ジャネットは母親のビュイックに乗り、途中親友のジャネットを拾い、ドライブに出かける。ここの会話も洒落ていてとてもよい。

「冥界飛行士」は、作家が自らのイメージ(暖かくてチャーミング)を覆そうとして書いた作品。その目論見は見事に成功していて、結果わたし的にはやや不満な作品。
(つづく)
編集済


レスです 投稿者:管理人 投稿日: 6月 5日(土)20時15分46秒

ふみおさん
>売れねぇ小説なんか書かせてもらってるわけだし
そのお言葉、自信と自負の現れと受け取っておきますね(^^)
さはさりながら、理解あるご主人でよかったですね!

それはそうと、新作『ラー』が発売されましたね。おめでとうございます。私も買わせていただきましたよ(^^)。現在順番待ちの本が溜まっていて、読むのは少し遅れそうなんですが、とても楽しみです。→【bk1】

Yさん
>大阪芸大の風景も見られて
少人数で雰囲気よさそうでしたね。眉村先生から直接小説を教えてもらえるなんて贅沢!! うらやましいかぎりです(^^)

大江さん
「スカイラーク対デュケーヌ」は、シリーズ最終巻ですね。本が手元にないので記憶で書きますが、デュケーヌはこの前の巻で宇宙に放逐され、めでたしめでたしで終わったのですが、悪漢デュケーヌ人気がものすごくてブーイングが起こり、あわててこの巻を追加してデュケーヌを呼び戻し、主役並の扱いにしたんでしたっけ。ストーリーは全く忘れてしまいましたが、かくいう私もデュケーヌ派でした(^^;


今日の読売夕刊 投稿者:管理人 投稿日: 6月 4日(金)20時41分28秒

読売新聞6月4日付夕刊の〈手帳〉欄に、眉村さんの記事が掲載されました。

 SF作家眉村卓さん 
 「妻に捧げた1778話」刊行
 病没までの不安と支え


見出しどおり「妻に捧げた1778話」の紹介です。

ふみおさん、Yさん、大江さん、ご来信ありがとうございます。レスは後ほど改めてm(__)m
編集済


そして見ました。 投稿者:大江十二階 投稿日: 6月 4日(金)01時35分34秒

アンビリーバボー、録画しておいたのを、先程見終わりました。
実は、日課・一日3枚以上というショート・ショートの経緯をこの番組で初めて知りました。
とても感慨深いものがありました。

「スカイラーク対デュケーヌ」を八分の七程読み終わりました。宇宙社会の理想を描いたユートピア小説、といった印象を持ちました。


私も見ました 投稿者:Y 投稿日: 6月 4日(金)00時53分21秒

再現ドラマまであって、凝った作りでした。
大阪芸大の風景も見られて興味深かったです。
先生の語り口は独特の温かみがありますね。
ご自身で語られるのを聞くと、本で読んだのとはまた違って。


見ました! 投稿者:ふみお 投稿日: 6月 3日(木)23時04分31秒

大阪オフ以来ご無沙汰しておりますが。

こちらで知って、アンビリーバボー見ました。
大筋ではすでに知っていたこととは言え、やはりご本人が出演されてのお話は感動しました。むちゃくちゃ泣きました。テレビでこんなに泣いたのは何年ぶりだろう、という感じです。

人を「愛する」ということがこんなにも美しいことなのだと、しみじみと実感させていただきました。

私も、パートに出るわけでもなく、売れねぇ小説なんか書かせてもらってるわけだし、相方に感謝しないといけないですね(笑)。

http://homepage3.nifty.com/takanosite


よかったです(^^) 投稿者:管理人 投稿日: 6月 3日(木)22時53分23秒

「アンビリバボー」見ました(^^)
ちょっと時間が短かったです。もっと見せてほしかったエピソードがいっぱいあります。最低3時間は必要かと(^^;

その意味で、『妻に捧げた1778話』も、これはこれで確かに素晴らしい本ですが、新書サイズという制約のためかなりエピソードがカットされています。
私は、内容が重複するかも知れませんが、これまで書かれた悦子さん関係のエッセイをすべて収録した本が必要ではないかと思いますね。
私のカンでは、重複が逆に重層的な効果をもたらして、味わい深い重厚なエッセイ集になると思うんですが。

アレクすてさん
>眉村さんのひょうひょうとしたしかし力強い語りを聞いていると
>やはり、感動するのでした
そうですね。眉村さんの篤実なお人柄がよくあらわれていて、よかったですね。


今、アンビリーバボー!を見終わり増しました 投稿者:アレクすて 投稿日: 6月 3日(木)20時57分12秒

管理人様、こんばんは、今アンビリーバボー!を見終わりました。
エピソード自体は、既知のものでしたが
眉村さんのひょうひょうとしたしかし力強い語りを聞いていると
やはり、感動するのでした。
では!


明日はアンビリバボー! 投稿者:管理人 投稿日: 6月 2日(水)22時53分44秒

テリー・ビッスン『ふたりジャネット』中村融編訳(奇想コレクション、04)読了。
これは水準の高い作品集でした。ベスト・オブ・ベストといってよいのでは。
今日読んだラストの「時間どおりに教会へ」も、〈万能中国人ウィルスン・ウー〉シリーズ。いや面白い! 「穴のなかの穴」を読んだときは、野田さんのテレワークものを連想したのですが、本篇はヨコジュンの世界でした(^^;ゞ
してみると野田さんもヨコジュンも、翻訳すれば案外アメリカで受け入れられるかも(^^)
全体の感想は後日ということで。

次は堀内圭子『〈快楽消費〉する社会』の予定。
編集済


「宇宙のはずれ」 投稿者:管理人 投稿日: 6月 1日(火)22時04分54秒

おれは映画が芸術になる前の古い時代を思いだす。そのころブルックリンの"映画小屋"は、切れ目なく延々と上映をつづけていて、だれも〈はじめ〉や〈終わり〉を気にしなかった。はいったときの場面にくるまで残っている。そうしたら、そこが終わりだった。(「宇宙のはずれ」/『ふたりジャネット』256p)

ようやく阪神らしくなってきましたね(^^)。チャンスに打てない。かえせない。タイムリー・エラー。等々。で、連敗街道驀進中!! こうでなくっちゃですよ(^^;ゞ


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