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ヘリコニア談話室ログ(2004年7月)


「安心のファシズム」 投稿者:管理人 投稿日: 7月31日(土)19時59分44秒

斎藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人々―(岩波新書、04)読了。

著者の主張には共感する。ただ(当然のことながら)良くも悪くもジャーナリストの本であるのが、わたし的には不満が残る。論文としてみた場合、やや散漫の印象を拭いきれない。

ユビキタス社会に焦点する「ハイテク・社会ダーウィニズム」の恐怖に対する警鐘はまったく同感。SFにはそういう社会をアプリオリに前提化する立場が支配的なので、啓発される点が多かった。林譲治さんの意見を聞きたいかも。

ただ「支配されたがる人々」の考察はエーリッヒ・フロムを越えるものがあるわけではなく、たとえば管理(監視)社会化の問題点の指摘はその通りなのだが、一面で、監視カメラを導入したい人々は、相互監視的だったかつての「村」において犯罪が少なかったという「記憶?」に基づいて、監視カメラによる村社会の再現をめざしている(その行き着く先はとりあえず置いておいて)わけで、ハイテクの力で大衆社会に小国寡民的な(彼らにとっての)美点を付加しようとしているともいえる。「支配(監視)されたがる人々」がそれを後押しする。

本書で足りないのは、相互に無名な大衆都市社会で、無名の個人がモラルを喪失する(それも積極的に自ら)傾向があるという「事実」に対して何の提案もない点だろう。
監視カメラ的な傾向に対する拒否は、しかし監視カメラなどなくても何の問題もない社会であることを意味しない。

「2ちゃんねるに漂う殺伐さ」(荷宮和子)とは言い得て妙だが、まさに「コンフリクト・フリー」(97p)の裏面であろう(ネットに頻繁に観察される)「他者の「心情」になどまるで頓着しない、どうやらそういう世代が社会の多数派になりつつあ」るという「事実」を、しかし著者は見て見ぬ振りをしているように思われてならなかった。その辺に言及しなければ「村社会」を懐かしむ人々を説得し得ないのではないだろうか。
編集済


「パイライフ」のビデオ 投稿者:管理人 投稿日: 7月28日(水)20時50分33秒

一緒に行くはずだった息子が裏切って友達と花火に。というわけで急遽アレクすてさんに声をかけて、甲子園に行って来ました。
そんなわけで少し遅くなってしまい、着いたら満員で席がない。通路に座り小さくなって観戦。
ほんの2年前なら、レフト側外野自由席はゆったりとしていてのんきに観戦できたものですが、昨日はどこもかしこも「応援するために」来ている客ばかりで、居心地の悪いことおびただしい。負けてもいたので7回裏終了で出てきてしまいました。
せっかく無理してきて下さったアレクすてさんには悪いことをしました。申し訳なかったです。

阪神は今年はわざと優勝するのをガマンして、ファンの熱を冷ました方がいいと思う。深謀遠慮でBクラスになるのだ。そうすれば試合も見ずに応援(だけ)している一過性少女ファンの大半は甲子園に来なくなるだろう。
うむ、われながらなかなかよい考えだ、というわけで、今年は中日に優勝させることにする。それがいいそれがいいといいましたまる。

アレクすてさんの「パイライフ論」に感想を書こうとして、筋をずいぶん忘れてしまっていることに気づいた。また私の記憶とアレクすてさんの記述が矛盾するところもあり、もういちど観てみなければ感想などかけないと思い至りました。
ビデオなんか撮ってるわけないですよね>岩橋さん(^^;ゞ

「安心のファシズム」に着手。
編集済


こんばんは 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月28日(水)20時33分3秒

今晩はアレクすてです、昨日、大熊さんから電話が来て
甲子園に阪神を見に行くのに誘われました。
生でみる甲子園球場のダイアモンドは
テレビ中継の定位置から見るのとは違う臨場感を与えてくれとっても奇妙な気分に
なりました。(でも昨日の阪神は…)
あと、喫茶店で大熊さんと文学の話を少ししましたが目からうろこが落ちるようでした…
では、昨日はどうもありがとうございましたm(_ _)m


アレクすてさんの「パイライフ」論 投稿者:管理人 投稿日: 7月26日(月)22時16分34秒

読みやすくなるよう、まとめて独立させました。→ログ


アレクすてさんの「パイライフ」論 投稿者:管理人 投稿日: 7月26日(月)22時16分34秒

読みやすくなるよう、まとめて独立させました。→ログ


旭屋ネットダイレクトのシステム 投稿者:管理人 投稿日: 7月26日(月)20時48分38秒

アレクすてさん
おお、怒濤の「パイライフ論」、ありがとうございます!!!
いまパッと読みましたけれども力作ですね! あとでじっくり読ませていただきますね(^^)
感想は明日以降に。明日は甲子園に行くと思うので、書き込みできないと思います。

Yさん
弓張月情報、ありがとうございます。

>平岩弓枝訳
これがよさそうですね。(三島のは、完全に三島オリジナルと化していると思われますので却下です>アレクすてさん(^^;)
私も検索してみました。紀伊国屋大阪梅田店は在庫ないようです。それに、月に1回程度しか行かないので不便。アマゾンもbk1も取り扱ってませんね。
旭屋ですと、隣の市に小さい店舗があるので、受け取りに行けるのですが、旭屋のオンラインストアを見たら、店舗受け取りでも送料がかかるように読める。実際はどうなんでしょう?

>本当は山東京伝の方が好きなんですけど(^_^;)
山東京伝といえば、「およね平吉時穴道行」でしたっけ(^^;

>短編が上手い作家が好きなので。
ほお短編作家なんですか、、、全く知識がないのですが猛然と興味がわいてきましたですよ(^^)
検索したら、須永朝彦訳が出ていますね。しかし3500円! うーむ(ーー;
編集済


「パイライフ」をみて思ったこと 7 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)10時40分53秒

4.何故、このドラマのミーハーちゃんは、演劇マニアなのか? 2

では、このドラマに出てくるミーハーちゃんは何故、演劇マニアだったのでしょう?
別に文学マニアでも、ロックマニアでも(ビートルズやストーンズを生んだイギリスなのだし)
いいようなものですが、自分は、ここに、このドラマの肝があると思います。
そもそもここに出てきた人たちは(バックパッカー氏を除いて)
演技をしているわけです。秘密を隠す、違う自分を装うというのは演技ですから。
だから彼女は文学マニアでもなく、ロックマニアでもなく
演劇マニアでなければならなかったわけです。
そしてこのドラマは、舞台演劇である。映画や、小説ではない。
ということは、大熊さん的にいえば、このドラマは
自分たちが演じているのは演劇である、という自己言及的性格を持った演劇、という意味で
メタフィクション、あるいはニューウェーブといえるでしょう。
だから、モリツグ氏と演劇マニア氏、そしてバックパッカー氏は
演劇という枠を超えて、我々に迫る。
なぜなら、我々は演劇の客として舞台にコミュニケーションしに来たわけだから
ある意味で、演劇マニア氏であり、そして舞台の進行を
ただ見、終わりを傍観せざるを得ない、という意味では
バックパッカー氏に近く、そして(登場人物たちの行方を)
興味津々で伺っているわれわれはモリツグ氏の立場にあるといえるでしょう。
そういえば7月16日に岩橋さんと大熊さんが「演技とリアル」について話しておられましたが、我々は、強引に舞台の登場人物になぞらえられてしまったわけです。
これはリアルでしょうか?シュールリアルなんでしょうかねえ?大熊さん?


(とりあえず終了)


「パイライフ」をみて思ったこと 6 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)10時04分50秒

4.何故、このドラマのミーハーちゃんは、演劇マニアなのか?

このドラマに出てくる「演技マニア氏」は、その徹底した演技性で、
相手とコミュニケーションをとろうとします。
そして、その演技のくどさで、相手を辟易させます。
(こういう演技は俳優さんにとって楽なのでしょうか?どうなのでしょうか?)
モリツグ氏も最初は辟易し、(そのことで相手が嫌がったために)
かさにかかって傷つけます。
考えてみれば、なんだか陰気で、高踏的なモリツグ氏と
ちょっとくどいし、ミーハーだけど
人とコミュニケーションをしたい(おそらく日本では、居場所がなく、
本性を隠さなければいけなかった)演劇マニア氏は
絵で書いたように、モリツグ氏の裏返しだといえます。
逆に言えば、他のメンバーに対するように破滅的に振舞わずとも
モリツグ氏にとって演劇マニア氏を傷つけることはたやすかったでしょう。


「パイライフ」をみて思ったこと 5 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)09時48分48秒

4.バックパッカー氏は、何故、報いを受けなかったのか?

そう!このドラマで、ひどい目にあわなかった人は、一人だけいて、
それはバックパッカー氏なのです。
では何故、彼は、無傷でいられたのか?

それはモリツグ氏が(パイライフと化すまでは)やはり、一個の人間であり、
悪意や虚無主義に徹しようとしても(というか、徹しようとするがゆえに)
他者とコミュニケートせざるをえず、そしてバックパッカー氏は、その設定のとおり
ロンドンの邦人社会を通過するだけの存在であり、
また、バックパッカーといっても、路上の詩人、ケルアックのような審美眼や観察力とも無縁であるため(日本人向け新聞の編集長に「君の意見は使えない」といわれている)
嘘や演技とは無縁であるといえるわけです。
これでは悪意の固まり、モリツグ氏も興ざめで
結局、モリツグ氏はバックパッカー氏に酒場のメンバーの演技性
(仮面をかぶっていてほんとうのすがたはべつにるること)を示唆するだけで、
バックパッカー氏は、その毒牙から逃れるのです。
いや、もともと、いろいろな場所を通過しながら決して、他者と交わらない
コミュニケーションをとらないバックパッカー氏はモリツグし以上に恐ろしく
まがまがしい存在であるやも知れません。
なぜなら、バックパッカー氏だって、おそらく出発点では旅や世界というものにあこがれていたのであろうし、だからこそ、世界中を旅していたに違いありません。
しかし、このドラマにおけるバックパッカー氏は人や事象に混じろうとはしません。
世界中を移動しながら決して他者に混じらない存在、
それは、暴力的にしか、他者と交われないモリツグ氏の裏返しとも言えるでしょう。


「パイライフ」をみて思ったこと 4 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)09時26分10秒

3.では、この一編のドラマで嘘をつき、演技をすることの意味は?

このドラマのテーマ、ということになるわけですが、
作家の筒井康隆氏や、映画監督の黒澤明氏なら
「物、作るのに、テーマがひとつってことがあるか??!!」
といわれそうですが、書き始めてしまったわけで
続けさせてもらいますが、
大熊さんは、このドラマのキーパーソンはモリツグ氏だといわれておりました。
それは正解だと思うのですが、実は、このドラマでのモリツグ氏には、
対になる人物、影といっていい人物が二人います。
一人は、先ほど、後述するといったバックパッカー氏であり、
もう一人は、「演劇マニアの人」であります。
では、この二人がモリツグ氏とどうかかわるのかは次の項で述べさせていただきます。


「パイライフ」をみて思ったこと 3 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)09時02分54秒

3.では、彼らは、何故嘘をつき演技をするのか?

まあ、虚栄心であるといえばいえそうですが、
(酒場に勤める近所の人は、イギリスに北が何も満足できるものはなく、
サプライズパーティの人は、おそらく、イギリスの風習にこだわることで
イギリスの日本人社会に適応する(あるいは、目立つことで、アイデンティティやオリジナリティを獲得しようとする)、
そして、どちらかよくわからない双子の人は(推測であるが)
自分に自信がないためか、いつでも「それは自分じゃない!」と言い張れる
分身を作って見せる。)

実際にばれると困る秘密を持っている人
(酒場のママは、パトロンについてしゃべることは商売的にまずいわけだし、
なんだかわからないが、お金を過剰に払う「嘘をよくつく客」は作家であることを知られず、邦人社会を観察し、溶け込みたいし、
「日本人の新聞を出している人」は、(おそらく)女房とよりを戻したいのだし、
また、(このドラマにおける)邦人社会と接触を続けたい、
「演劇が好きな人」は、イギリスこそ自分の居場所であり、本当の?
自分なり、自分の思考を受け入れてもらえるはずだと思っている。
英国貴族は(おそらく)自国の人間とあまりそりもあわないのであろう上に
酒場のパトロンであり(当然それは、秘密)
偽装結婚お相手を探している。
そしてモリツグ氏ですが…、これは、バックパッカー氏と一緒にあとで説明します)

もいます。


「パイライフ」をみて思ったこと 2 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)08時42分37秒

2.しかし、その演技は最終的に
自分の首を絞める。

(1.からの続きで)
ママは、(直接的にはモリツグの悪意によってではないが)パトロンを失い
酒場に勤める近所の人は、結局、貴族に利用されたばかりか
パイライフの襲撃を受ける。
なんだかよくわからない客は、モリツグに作家という正体をばらされ、
酒場に(あるいは、あのドラマにおいての邦人社会)いられなくなる。
バックパッカーの人は…
実は報いは受けません、(なぜかはあとで分析します。)
そしてサプライズパーティの人は、「サプライズ!」にかまけていたため
ついに、「えられるはずの恋人」を手に入れられない。
あと、「どちらかよくわからない双子の人」はモリツグに正体をばらされた挙句
ひょっとしたら、「えられるはずの恋人」を(自分の嘘が原因で)えられない。
「日本人の新聞を出している人」は、元女房である、酒場に勤めるホステスを失ったばかりか、新聞の大事なソースのひとつであろう、酒場を失ってしまう。
「演劇が好きな人」は「演劇」と「(自分の役者?としての)演技」についてコミュニケーションを望むが
それは相手にされないばかりか悪意の固まりモリツグ氏にぼろぼろに扱われる。
あと、「英国貴族」は、ホステスと偽装結婚をするがその行為に罪悪感と虚無を感じたとたんパイライフの襲撃を受ける。
モリツグは、自分のついた嘘の無意味さに気づいたとき、
人を不快にさせる道具であったはずのパイライフに襲撃を受け
死んでしまう(最後に出てきたパイライフがモリツグ氏でない場合)。
コウ、列挙してみると、前書いたときは、否定しましたが
登場人物たちは、因果で報いを受けた、といえなくもないですね…。
(怪談のように、「悪いことをした、というわけではないにしても)。
この、登場人物の正体がわれ、ドンドン自分の行った行為で
首が絞められていくさま(プロット)は、刑事コロンボの犯人が
ドンドン矛盾しぼろを出していく様子に似ており、
倒叙ミステリーのような
知的でスリリングな面白さでした。


「パイライフ」をみて思ったこと 1 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)06時59分10秒

1.パイライフに出てくる登場人物は、
みな何か不安を持っているが、それはアイデンティティクライシスであり
彼らは、みな何かの演技をしている。

あの作品に、でてくる人はすべて「一言で言い表せる特徴を持ったキャラ」としてでてきますが、
(店のママは、「ママ」なのだし、ご近所にいるという女の人は「そこに勤めている」、
なんだかわからないが、お金を過剰に払う「嘘をよくつく客」、
その客に呼ばれた「バックパッカー」、
そしてイギリスの風習らしい「サプライズパーティが好きな人」、
あと「どちらか、よくわからない双子の人」、
あと、「店に勤めている人と前に夫婦だった英国で日本人の新聞を出している人」、
あと、「演劇が好きでイギリスに来た人」
あと、「英国貴族」
あと、「なんだかよくわからないが不快な男、モリツグ」
といったところでしょうか。岩橋さん、大熊さん、申し訳ないのですが
いま手元に、オリゴ党公演でいただいたプレスがないため
あいまいな記憶で書いております、間違いがあれば訂正し、
後に謝罪しますので…m(_ _)m)


といったとたんに申し訳ないのですが… 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月26日(月)06時39分13秒

大熊様、おはようございます。昨日は、愚痴をはいてごめんなさい。
クーラーのない風通しの悪いこの部屋ですが、今日の朝方は気持ちいいです。
というわけで、「小説と高度消費社会について」などという自分には、太刀打ちできそうにないテーマはともかく、この前見た岩橋さんの劇「パイライフ」についてちょっと考えたことを書かせていただきます。

私にとって外国の邦人社会というのはよくわかりませんので
(関川夏央氏による、なにか「とってもつらいんだろうなあ」というエッセイは読んだことがありますが)
あくまで、外様の人間が語るものとしてよろしくお願いいたします…m(_ _)m


こんばんは 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月25日(日)20時54分48秒

こんばんは、アレクすてです。暑いですね。
大熊様と、前に梅田でおはなししたことがきっかけとなって、ちょっと
小説と高度消費社会について書こうと思ったんですが、何しろ暑い。
うちの部屋は、クーラーが壊れている上、窓がひとつしかなく、おまけに向かいの家と
隣り合わせなので全然風が通りません…。
ということで、そのネタは、また秋にでも、ということで。
で、「椿説弓張月」ですが、三島由紀夫が歌舞伎用に脚本化してますね。
もっともググってみたら「◆決定版 三島由紀夫全集 第25巻」

本体5800円

しかヒットしませんでしたが。

では、失礼いたします。m(_ _)m


弓張月 投稿者:Y 投稿日: 7月25日(日)19時58分7秒

>椿説弓張月
いまアマゾンで検索してみたら岩波文庫のしか現役本でひっかかりませんでした。
私は原文で読んでしまったので、訳だとどれがいいのか判断できませんが
平岩弓枝訳ってのもあるみたいで(学研M文庫:紀伊国屋では在庫僅少)
この人はたしか馬琴を題材にした小説を書いていたので、信用できそうな気がします。
いかがですか?(私も読みたくなってきました。もう内容忘れてます)

本当は山東京伝の方が好きなんですけど(^_^;)
短編が上手い作家が好きなので。


RE:八犬伝! 投稿者:管理人 投稿日: 7月24日(土)21時15分21秒

Yさん
>「八犬伝」学生時代に研究で少しやりました。
そうなんですか!

>原文で意地になって全部読んだんですが
それはすごい(^^)

>ハッキリ言って後半はだらだら
やっぱり。
でも、本当にまったく「あらすじ」になってしまっているんですよね。もうちょっと「肉づけ」してほしかったです。
とはいえ、確かに後半は前半の風呂敷の広げすぎのせいか、辻褄合わせに四苦八苦していて(何でも珠の力で解決してしまったり>スペシウム光線か(^^;ゞ)、白井喬二の筆をもってしても、いかんともしがたかったのかもしれませんね。

>馬琴はあの無駄講釈がいいんですよう
ああ、本書は新潮社版で十二巻を上下二巻に纏めたコンパクト版ですから、その辺の面白さは味わえなくなっていると思います。残念ですが仕方ないですねえ。

白井喬二の訳文は、原文の雰囲気をよく出していて、とてもよかったです。
ひきつづいて「椿説弓張月」を(子供向きので読んだきりなので)読みたいのですが、原文はやはりつらく(汗)、とはいえ原文の雰囲気は味わいたい、という欲張りな希望を持っています。おすすめの翻訳はないでしょうか。

さはさりながら、この河出文庫の<現代語訳古典文庫>は要注目ですね。先月出た「正法眼蔵」はさすがにパスですが、近刊予定の中山義秀訳「平家物語」は楽しみです。私は能登守が大好きなんですよね(^^; 高校のとき、古文で翻訳させられて、丁度能登守のパートを担当し、それ以来大好きなんですが、子供向きのしか読んだことがないので、一回通して読んでみようかな、などと考えています。
編集済


八犬伝! 投稿者:Y 投稿日: 7月23日(金)21時37分28秒

ごぶさたしています。「八犬伝」学生時代に研究で少しやりました。
懐かしくてひとこと……。

原文で意地になって全部読んだんですが、ハッキリ言って後半は
だらだらで(それがまた馬琴ファンには魅力ですが)訳すなら
はしょられるのも無理ないか、と思います。
もはやうろ覚えなんですが、成長した親兵衛が現れたあたりで
切っておくのもしかたがないかと。

栗本薫訳の子ども向けリライト版もあるんですが、これもまた
序盤でぶった切られています(^_^;)。(私の恩師が注を付けたのですが)

でも馬琴はあの無駄講釈がいいんですよう。


『現代語訳南総里見八犬伝(下)』 投稿者:管理人 投稿日: 7月23日(金)20時58分11秒

曲亭馬琴『現代語訳 南総里見八犬伝(下)』白井喬二訳(河出文庫、04)

下巻がどれだけ端折られているか、推理してみました。

新潮社サイトの《新潮日本古典集成 別巻》『南総里見八犬伝』(全12巻)をご覧下さい。 
全十二巻ですから、単純に考えて第6巻で折り返しのはず。
うまい具合にこの6巻の内容がわかります。

>南総里見八犬伝 6
>小文吾と荘介の助太刀で、毛野はついに親の仇を討つ。しかし、道節はすんでのことに取り逃がした。「八犬士の随一」である親兵衛は、九歳ながら勇者に成長し、里見義実の危機に忽然と姿を現す。

かたや本書(現代語訳南総里見八犬伝・下巻)において、親兵衛が姿を現すのは、345pです。(巻の6 第百三回)
上下合巻で、約1160p中900pも越えたところです。原典のまんなかが、本書ではほとんど終盤になっています。
というわけで、後半どれだけ端折られているか、一目瞭然です。

なんらかの理由で、訳者がやる気を失ったのでしょうか。
同様に池田弥三郎による注釈も、上巻63項目にたいして、下巻はわずかに8項目。それも序盤に集中、というわけで、これは訳文の手抜き(?)に腹を立てたのでしょうか。

極めつけは多田道太郎の解説で、解説自体はとても面白いですが、おそらく多田道太郎はこの訳文を読んでいません。引用がすべて原文というところが怪しい。しかも翻訳に対する言及は皆無。

以上、本書は上巻の充実ぶりに対して下巻のやる気のなさが際立つ実にふしぎな本だなあ、と思っていたら、解説に「仮一角がのどを突かれて絶息してよりは、「八犬伝」の生彩とみに衰え、とりわけ犬江親兵衛のおとぎばなしふうの一人舞台となってからは、物語の凄惨美は、ほとんどうせてしまっている」とありました。

うーむ。だとすると原典自体が、前半と後半で乖離甚だしいのかも知れません。
そうだとすれば、訳者は面白い部分を重点的に訳して、後半はさらっと流す、というメリハリを付けたとも考えられます。

竜頭蛇尾は伝奇小説の常で半村良もその例にもれないわけですが、日本伝奇小説の鼻祖たる曲亭馬琴からして既にそうだったのだとしたら、それはそれで納得させられることです。
編集済


世紀の巨大プロジェクト 投稿者:管理人 投稿日: 7月22日(木)20時12分58秒

Gomadintime さん

>本決まりになるまではあまり浮かれないようにしたいです(^^;
ほんとほんと(^^;

とはいえ、そういうことを聞いてしまうと、大森さんの7/16の日記の、

>来年あたりからはじめるという世紀の巨大プロジェクトの話を聞いて
>さらに仰天したんだけど、これはまだ内緒かな。

に反応しないではいられませんね。古沢さんの「デ○レ○ニ○のアレが……」に対応する発言ではないでしょうか。

しかし、東京創元社でも早川でもないとすると、ここかあそこか……
翻訳はあの人かこの人か……間違っても伊藤さんではあり得ませんよね。100年かかっちゃうかも。
とすると、「世紀の巨大プロジェクト」の意味が心配になってきます。まさか集団訳?

『現代語訳南総里見八犬伝(下)』(河出文庫、04)読了。
下巻はえらい抄訳で、ほとんど「あらすじ」を読んでいるようでした(ーー;
感想はあとで。


ディレーニイで 投稿者:Gomadintime 投稿日: 7月21日(水)21時47分37秒

やっぱ『ダルグレン』なんでしょうか?
本決まりになるまではあまり浮かれないようにしたいです(^^;

おお、バロウズ好きですか!? うれしいですね。
となると『ウェットウェア』のラストはおそらく感動できますよ!
ラッカーなのにちょっと目頭が熱くなってしまいました。

>小田亮によると、「遺伝子の川」のほうが読みやすくて入門者向きらしいです。
>↑あれ、なんか勘違いしてますか? すみません文脈をはずしてしまいました。(補足)

いえいえ、勘違いしてないですよ。情報ありがとうございます。
僕は『利己的な遺伝子』と『盲目の時計職人』しか読んでいないので、ためになります。
しかし『利己的な遺伝子』のゲーム理論の部分はあそこで読むしかないよなあ、という気もします。

勧める相手が文系なので(僕も文系ですが)
あの攻撃的なレトリックに惑わされないかなあ、とそういう意味で不安と書いたのでした。


ダ○グ○ンですか!! 投稿者:管理人 投稿日: 7月21日(水)20時07分43秒

AztecCabalさん(Gomadintimeさんでしょうか)

ご来信ありがとうございます(^^)。
コンテンツすばらしいですね、カッコいいです!
私は英語が駄目なので、自在に読める方は尊敬してしまいます。
これでも若い頃は、CONCRETE ISLANDを読破したこともあるんですよ、自慢にもなりませんが。でも今やCONCRETEの綴りさえ忘れてしまっていた(ーー;。

>Bug Jack Barron
たしかにあのあとがきを読めば、そりゃあ読みたくもなりますよね(^^;。

「ウェットウェア」>バロウズがモデルとは知りませんでした(もちろんWSですよね)。私もバロウズ好きなので、読んでみたくなりました。探してみます。

これから毎日チェックさせていただきますね、いろいろ情報を楽しみにしています!

p.s.
>『利己的な遺伝子』に勧めようとして一抹の不安が
小田亮によると、「遺伝子の川」のほうが読みやすくて入門者向きらしいです。

↑あれ、なんか勘違いしてますか? すみません文脈をはずしてしまいました。(補足)
編集済


Bug Jack Barron 投稿者:AztecCabal 投稿日: 7月20日(火)21時57分47秒

リファから辿ってきました。ご紹介ありがとうございます!
友だちに興味を持つ者がおらず、誰も反応してくれなかったので嘆いていました。

"Bug Jack Barron"本編のほうはここに書いたような感じで、まだ読み終えてないのですが・・・

やはり良くも悪くもカウンターカルチャーそのものといった作品ですね。
作中の政治的メッセージも今ではだいぶ楽天的に聞こえますし。
文体も60年代のスラング満載で、バロンとライバルの舌戦が見所でしょうか。

"Hippie Dictionary"という本を買ったので、また読み始めると思います。
そのときはサイトのほうにアップしますので、よろしくおねがいしますね!


「妻に捧げた1778話」 投稿者:管理人 投稿日: 7月20日(火)21時46分58秒

6月15日付2刷り確認しました。昨日、於旭屋書店。


↓1967年当時の日本人作家の年齢は? 投稿者:管理人 投稿日: 7月20日(火)21時18分25秒

矢野徹、44歳     メリル44歳
星新一、41歳     オールディス42歳
光瀬龍、39歳
福島正実、38歳
小松左京、36歳    バラード37歳
石原藤夫、34歳
半村良、34歳
荒巻義雄、34歳
筒井康隆、33歳    エリスン33歳
眉村卓、33歳
平井和正、29歳    ゼラズニイ30歳
豊田有恒、29歳
山野浩一、28歳    ムアコック28歳
田中光二、26歳
堀晃、23歳      ディレーニイ25歳
横田順彌、22歳    
かんべむさし、19歳
山田正紀、17歳
山尾悠子、12歳

日本SF第1、第2世代とニューウェーヴ派は、ほぼ同じ世代ですね。
筒井・眉村とエリスン、山野とムアコックは同い年だ。

アレクすてさん

どうもお疲れさまでした。突然お呼びだてして済みませんでした。
不満なんてとんでもない、とても楽しかったです(^^)
ポストモダン、すこしは勉強せねば、と思いましたです>アレクすてさんの話についていけません(汗)
またよろしくお願いします!
編集済


こんばんは 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月19日(月)23時05分15秒

どうも、今日はお付き合いいただいてありがとうございます。
社会学やら前衛文学論やら、さまざまなジャンルに話が及び、
私はついていくのがやっとでした。(たぶん、大熊様は不満だと思います)。
ひさしぶりにSF文学三昧で知恵熱が出たようです。
ありがとうございました。m(_ _)m


エリートはかなしいね 投稿者:管理人 投稿日: 7月19日(月)21時44分55秒

>当方にはどうでもいいタイプの書店だったようです
と切って捨てて、働いていた関係者の不幸に対して思いも至らない人間が、

>著名人だけでなく、身の回りの人々の不幸にも悲しめよと

ちゃんちゃらおかしい。
編集済


↓ 1967年当時の各作家年齢 投稿者:管理人 投稿日: 7月19日(月)21時23分50秒

マイケル・ムアコック、28歳
トーマス・M・ディッシュ、27歳
ジョン・スラデック、30歳
パメラ・ゾリーン、26歳
ロジャー・ゼラズニィ、30歳
ジェイムズ・サリス、?
キット・リード、35歳
ブライアン・オールディス、42歳
バリントン・ベイリー、30歳
D・M・トマス、32歳
ジョージ・マクベス、?
J・G・バラード、37歳
ラングトン・ジョーンズ、25歳
M・ジョン・ハリスン、22歳
ジーン・ウルフ、36歳
チップ・ディレーニイ、25歳
ハーラン・エリスン、33歳
ノーマン・スピンラッド、27歳

ウィリアム・バロウズ、53歳
アーサー・C・クラーク、50歳

デーモン・ナイト、45歳
ジュディス・メリル、44歳
リー・ブラケット、52歳
翻訳作品集成「参照)

若い!!!

お、らっぱ亭@とりあえず、ラファティさんがリンクしてくれている。
「どんがらがん」楽しみですね>らっぱ亭さん(^^)

さて今日は、午後アレクすてさんと会っていました。
喫茶店を変えつつ4時間半ほどお喋り、お疲れさまでした。


1967年夏 投稿者:管理人 投稿日: 7月19日(月)10時53分20秒

1967年夏、熱い!! →byマイケル・ムアコック

このサイト全体もいいですね。読み耽ってしまった。登録しました。
編集済


駅そば 投稿者:管理人 投稿日: 7月18日(日)21時31分16秒

堀先生

わあ、ようこそお越し下さいました。
過日はお忙しいところ何度も失礼しました。
先生の書評を読み、嬉しかったものでついついしゃしゃり出て、申し訳ありませんでした。
「駅そば」>私も行ってみようと思います。

きのうはアセンションを聴きながら眠ってしまいました。もっと聴くつもりだったのに。
しかしアセンションで眠れるのは私くらいかも(汗)。

>わかってたらバラードを聴いたのに。
>今夜、遅ればせながら。
ぜひぜひ(^^)
私は、「コルトレーン」でも聴いてみようと思います。
ご来信、ありがとうございました。


 投稿者:堀 晃 投稿日: 7月18日(日)17時18分29秒

昨日がコルトレーンの命日でしたか。
しまった。
いつもなら寝る前にLPを何枚か聴くのですが、昨夜に限って飲み過ぎて……。
わかってたらバラードを聴いたのに。
今夜、遅ればせながら。
播州龍野にて


はじめまして 投稿者:堀 晃 投稿日: 7月18日(日)17時15分32秒

管理人さん、わが「推理」ほめていただきありがとうございます。
眉村さんの「姫路デート」、2年前にすでに記事になっていたとは知りませんでした。
婦人公論の記事、読ませていただきました。
わが推理、半分は当たってました。
「駅そば」愛好もその時から? これは近いんだけど、少しはずれました。
わがHPの記事にも注記を加えました。


1967年7月17日 投稿者:管理人 投稿日: 7月17日(土)22時39分13秒

たまたまラジオでテンプターズ「今日を生きよう」とタイガース「シーサイド・バウンド」を聞きました。
シーサイド・バウンドはいい曲なんですが、合いの手といいますか、かけ声めいた声が入るのが興ざめ。まさに合いの手という感じ(汗)、センスもリズム感も感じられない。どのように音楽に合わせて声を掛けたらいいのか判らず、とにかく声を張り上げているだけ、といった風。ふつうは自然に出てくるもんなんですがね。いまどきの若者が聴いたら嗤うかもです。ちょっと意外でした。

和製ポップスと評された加山雄三からGSの線は、たしかにそれ以前の歌謡曲とははっきり違う新しい音楽の登場だったわけですが、それを担う当のメンバーたち自身は、まだまだその音楽性に追いついてなかったのかも。

などと考えていたら、「今日を生きよう」がかかって、こちらはストーンズを狙ったセンスがきらりと光っていて、とてもよかった。ショーケンはもともと大好きなんですが、バンドとしてのテンプターズもかなりの実力があったんでしょうか。

今日はコルトレーンの命日です。1967年没ですから38回忌か(そういえば上の2曲がヒットしたのも1967年ではなかったでしょうか)。
どこのジャズ喫茶も、今日はトレーン大特集をやってるはずです。
というわけで、私も負けずに、例年同様、これからレコードとCDをかけまくろうと思います(といっても十数枚しかもっていませんが)。まずは「アセンション」を聴きましょうかね。


名推理 投稿者:管理人 投稿日: 7月16日(金)20時59分15秒

岩橋さん
トーシロの思いつきに付き合わせてしまいました。ありがとうございました。
歌舞伎のお話、とてもよく判ります。歌舞伎もかつては観客との間合いを(お互い)測り測りして、ある時点でポンとハマった。しかしそれも次第にずれていく(これは必然的過程です)のですが、国家の庇護のもと、変に権威をもってしまった歌舞伎は、再び間合いを測っていこうとする努力を放棄してしまいました。まさに「形骸」ですね。高い金を払って、ありがたがって見るようなものではありませんよね。
今度の南湖さんの会は、もちろん行くつもりですが、ちょっと難しいかも判りません。もしお会いできましたらよろしくお願いします。
なお、レスは不要ですよ、為念(^^;

堀晃さんのHPに、『妻に捧げた1778話』の書評が掲載されています。→雑読雑聴
6月2日にアップロードされていたようです。うっかりしていて、気づくのが遅くなってしまいました。
なお、ここで堀さんは、ある推理をなさっているんですが……す、鋭い! 
「婦人公論」02年7月22日号に掲載された眉村さんへのインタビューを構成した記事、「妻に捧げた1778篇のショートショート たった一人のための連載が終わった夜」にはこう記されています。

 大阪窯業耐火煉瓦という会社に就職、岡山の工場の庶務課に配属されました。大阪にはなかなか帰れないので、岡山と大阪の中間地点の姫路でデートしたりしてたんです。(144p)

眉村さんが立ち食いそば愛好家であること、はじめて知りました(^^)
編集済


リアルとリアリティ 投稿者:岩橋 投稿日: 7月16日(金)04時04分3秒

どうも。こちらが少し勘違いしていたようで、申し訳ありません。
さて、長くなりそうなのでこれで最後にします。大熊さんも仰るとおり、演技とは、煎じ詰めればある種の記号に還元されます。それは、すでに一度完成された演劇である歌舞伎などを見れば分かります。アレは、以前は観客と共有していたはずのリアルを失った姿なのです。←極論ですが。
では、現在に生きるわれわれは、どんな記号を提出しなければならないのか?
それはまた今度、ゆっくりお話しましょうね。
長々と失礼しました。


芝居のリアリティ 投稿者:管理人 投稿日: 7月15日(木)20時42分31秒

>TVにおけるオーバーな芝居
全くおっしゃるとおり(^^) とはいえ私もほとんど見ませんが、家人が見ているといやでも目に入ってきます(汗)。

>舞台表現でいわゆるTV的な演技をすると、確実に浮きます
それもその通りだと思います。
私が下で、
>むしろ「わざとらしく」演じなければリアリティが感じられない
と書いたのは、テレビの演技をしろという意味ではなかったのですが、紛らわしい書き方でした。
もっと違う意味だったのです。オーバーな表現動作と言うべきだったかも。これもちょっと違う。
今度お話ししますが、整理をかねて少し書いてみます。

舞台でのお芝居の場合、「見立て」というものが要求されるのではないでしょうか。
つまり、舞台は、映画やテレビドラマとは違って、「再現性」と言う意味でのリアリティは意味をなしませんよね。「再現性」とは本物そっくりと言った意味で受け取って下さい。CGなどのヴァーチャルリアリティも「再現性」を目指すものです(それが全くの空想世界であったとしても)。

ところが舞台では、たとえば「パイライフ」の場合ですと、舞台は実際のパブらしさは全くない。そうではなく「ここはパブだよ、そう思えよ」と「見立て」られるばかりです。イスとテーブルが置いてありますが全然パブのテーブルには見えません(勿論それでいいんです)。それらを、役者も観客もパブの一室と「見立て」て認識するわけです。同様に、役者の衣装も、ほとんど普段着です。モリツグ役の役者さんは、どう見てもお兄ちゃんですが、観客は年輩の男性と「見立て」て認識します。

かくのごとくお芝居は、根本的にリアリズムではなく、反リアリズムによって構成されています。
つまり役者さんたちは、生身の人間を演じているのではないように思うのです。そうではなく見立ての空間の一構成要素として存在しているのではないでしょうか。ある意味「記号」として存在しているのではないかと思うのです。

そのような存在である役者さんの演技は、生身の人間を模倣することとしての「演技」であってはならないのは当然です。とりわけ演者と観客の距離が絶対的に存在する空間です。テレビのようにクローズアップで顔の表情を捉えることはあり得ないわけで、表情での演技は全く無効なわけです。

そのようなものとして前提的にあるお芝居における「演技」とは、そうしますとどのようなものでなければならないでしょうか。
私は、役者さんの一挙手一投足が「意味」を持たなければならないと思うのです。そしてそれはある距離を乗り越えて観客に伝わるものでなければならない。それを指して私は「わざとらしく」といい、「オーバーな表現動作」と言い直したことの本義です。それはもとよりテレビドラマのわざとらしい演技とは全く別次元であり、そもそもリアリズムとも相容れないものではないかと考えています。

ということで、あとはお会いしたときに(^^)
それにしてもたった一回見せていただいただけなのに、これだけ考えさせられるとは、「パイライフ」は凄いです。傑作ですよ!

>目の前で行われる演技は、しょせん演技でしかない
むむう、深いですな。私のからっぽの脳細胞では俄には咀嚼できませぬ。会ったときに解説して下さいね(^^)


役者のリアリティ 投稿者:岩橋 投稿日: 7月15日(木)01時06分23秒

こんにちは。ついつい覗いてしまいました。
どうぞどうぞじゃんじゃん勝手読みやっちゃって下さい。それこそが観客の権利ですし、それ無しには表現者の成長もありませんからねえ。

さて閑話休題
舞台表現における演技という話ですが、私は、TVにおけるオーバーな芝居が、表現活動における演技という行為すべてを台無しにしているとも思えるのです。舞台表現でいわゆるTV的な演技をすると、確実に浮きます。もちろん、演出家がそれを求め、役者がそれを許容し、観客(TVはその存在を認識していませんが)はそれをよしとするならば、それ以上はいうこともありませんが。私は、TVで行われているアレを演技だとは認識しておりませんが。しかし、全部見ているわけではありませんが、恐らくそうでしょう。
おっとっと、なにやらキツい発言になってしまいました。そういうことが目的ではなかったのですが。
近々、お話できる機会あらば、また語りあいたいとおもいます。
私には、目の前で行われる演技は、しょせん演技でしかない、と、思うのですが、如何でしょうか。スゴい役者なんか存在しない、と、思います。
そういう意味では、最近の新本格推理モノでは、無理な解決法が多いようにも思います。古典もそうですか?
ではまた。


演技 投稿者:管理人 投稿日: 7月14日(水)20時13分43秒

岩橋さん
>ちょっとこちらの予想を越えた部分
すみませんm(__)m
いつもの悪い癖で、勝手読みして遊んでしまうんです。作家さんが丹精込めた本なのにね、失礼なやつです(汗)。ご寛恕を。

ところでパイライフを見てから、「演技のリアリティ」について考えています。テレビドラマでは「わざとらしい」演技が鼻について見る気がおこらないのですが、お芝居においては、全く逆で、むしろ「わざとらしく」演じなければリアリティが感じられないことに気がつきました。役者さんの「素」が透けてみえるような演技は、芝居の場合は駄目なんじゃないでしょうか。そのへんを「見立て」というミステリ用語で説明できないか考えています。
素人の思いつきですが、今度会ったとき聞いて下さいね。<メモ>表情の演技の無効(距離)、化粧、仮面劇、フレーム(コマ)を設定できない
編集済


おっと 投稿者:岩橋 投稿日: 7月14日(水)00時58分57秒

しばらくご無沙汰しているうちに、なにやらスゴいことになってますね『パイライフ』論。久しぶりに来てみたらビックリでした。
アレクさんも、気にせずドンドン書いちゃってくださいネ。
さて、じっくり拝読させていただきました。で、凄いと。もちろん作者たる私の仕掛けた部分への言及もありますが、ちょっとこちらの予想を越えた部分への解釈にも、唸らされました。
実は、演劇界の人々は、ここまでテキストを解釈したりしないので(劇評家も含む)、一所懸命台本を書いてて虚しくなることもあります。でも、なんか報われた感じですね。大熊さんにも、アレクさんにも、もっと芝居を見ていただきたいなあ。
まあ、次回は例の『多羅尾伴内』ですので、ヨリ奇想天外な物語を作れたら、と思います。お楽しみに!


「現代語訳南総里見八犬伝(上)」  投稿者:管理人 投稿日: 7月13日(火)20時36分11秒

曲亭馬琴現代語訳南総里見八犬伝(上)白井喬二訳(河出文庫、04)読了。

この本の面白さは、訳者の白井喬二の、いかにもな「らしさ」に溢れた訳文に、何割かは負っているように思えてきました。

 見八は十手をひらめかして飛鳥のように近づき、やにわに組もうとする。それを寄せつけまいとして信乃の鋭い太刀風が走った。はっしと受けとめて見八がさっと払えば、すかさずつけこんでくる信乃の刀尖、すべる甍を踏みしめ踏みしめ、一方が取り手の秘奥をつくせば、一方もまた手練の太刀筋を発揮して一上一下。はるか下から眺める主従士卒はひとしく手に汗を握って、まばたきもせず、ただ息をのむばかり。まさに両虎深山に戦う時、風おこり、雲わくとはこのことか。(280p)
ばんばん、と張り扇がはいりそうな講談調(^^;

白井喬二(1889−1980)が時代小説作家であることくらいは知っていましたが、調べてみると、1925年には直木三十五、江戸川乱歩と「二十一日会」を結成しており、現代的な時代小説のパターンを作った先駆者のようですね。ある意味二葉亭に匹敵するポジションだったのかも。

伝奇小説もたくさん書いているようです。時代小説作家というよりはむしろ伝奇小説作家ですね。「作風は講談に着目した娯楽性の強い伝奇小説」(日本大百科全書)とありますから、馬琴の現代語訳は、まさにうってつけでした。

うーむ白井喬二、ちょっと読みたくなってきましたが、ともあれまずは、ひきつづき『現代語訳南総里見八犬伝(下)』に着手。
編集済


池袋大宴会 投稿者:管理人 投稿日: 7月11日(日)18時33分15秒

いま気がついたんですが、日本SF大会G-CONは、8月21日、名張人外境池袋大宴会と同じ日なんですね。うーむ。
大江十二階さんたち大阪乱歩会の面々は池袋大宴会に行かれるのだろうか。


「現代語訳南総里見八犬伝(上)」 投稿者:管理人 投稿日: 7月11日(日)13時09分59秒

『現代語訳南総里見八犬伝(上)』面白すぎ(^^; 
抄訳とのことですが(だから快調なのかも)、それでも上巻600p、下巻も同じ分量でしょう。
読み出したら止まりません。
一挙に読む時間はないので、切れ切れですが、暇ができると無意識に本を取り出しているような状態です。

で、ついに上巻のこり200pを切ってしまった。ここで外道皇帝(妖星伝)のあるシーンの元ネタ発見(^^)v。もっとも、あ、そういえば同じシーンがあったな、と思い出したという方が正しく、実際のところは不明。妖星伝も読み返したくなってしまいました。

というわけで、本書はまさに正真正銘の<伝奇小説>の大傑作です。本書を、半村良は明らかに意識していたもしくは常に脳裏に措いていた、というのは今更な「常識」なのでしょうけど、それをまざまざと実感いたしました。

外道皇帝(?)のシーンで、<読む機械>と化していたのがはっと認識的自我が息を吹き返し(^^;ようやくさっき何とか本を閉じた次第。このままの調子だと今日中に読み終わってしまい、あとで泣くのは必定ですからね(ーー;、明日下巻を調達しないと。

そんなわけで、エリック・ドルフィー/ブッカー・リトル「アット・ザ・ファイブ・スポット・VOL.1」を聴いております。そういえばもうすぐトレーンの命日ですね。


「犀星王朝小品集」 投稿者:管理人 投稿日: 7月 9日(金)21時29分57秒

室生犀星『犀星王朝小品集』(岩波文庫、84)読了。

犀星は日本のダンセイニである!!
いや犀星の小説ってこれ一冊しか読んだことがないんですけど(汗)。少なくとも本書に限っては、まさにそういう感じです。これは初読の時も思ったんだけど、今回読み返して、やはり印象は変わらなかった。

解説で中村真一郎が、「室生さんは王朝物で、でたらめばかり書いている」という堀辰雄の言葉を紹介しているが、解説者のいうとおり、それは<反語的表現>に他ならないわけです。

というか、歴史的小説と捉えるのが元来間違っているのだと私は思います。けだし本書は極上の「(日本的)異世界ファンタジー」というべきなのではないでしょうか。中村真一郎は措くとしても、少なくとも堀辰雄には「異世界ファンタジー」なんて概念はなかったんでしょう。

さすがに慧眼の中村真一郎は、ファンタジーという言葉こそ使いませんが、「彼にとっての王朝は(……)一種夢の国、妖精たちの国だったのである。そこを通過する美男美女たちは狐が化けたものかも知れず、天界から流謫されて地上に降ったものかも知れなかった。(……)その妖精たちの舞踏する夢の世界のなかに、この世に生きている私た人間の苦悩が、いかに深く純粋な密度をもって立ち現れてくるか」と、本質は見誤っていません。

 「近代小説の写実主義による歴史的過去の再現、という通念からすれば「でたらめ」であろうが、『今昔物語』のなかなどに跡をとどめている伝説的説話、つまり王朝的背景で語られてはいるが、おそらくその起源はまだ貴族制の固定しなかった、より古い時代の口牌の変形したもの――そうした説話体を借りて、作者のおのれの詩的空想を語っている」

このように本書収録の、一見<王朝風>の諸篇は、ダンセイニが神話を「創作」したように、作者によって「創作」された、すなわち作者の美意識にかなった、というよりも美意識の方へ歪曲された、異世界王朝絵巻となっているのです。

そこでは下級武士が(まるで貴族の子弟のような)蘇芳や山吹の、あるは藤色とも紫苑の色にもたぐうような衣をつけて(歴史的事実としては身分違いの)貴族の娘に通っていたりするわけで、衣食にさえ事欠くような下辺の暮らしですら、匂い立つような絢爛たる雰囲気に満ち満ちています。そのあたりは、ある意味タカラヅカ的な世界といえるかも知れません。
そして、このような綺羅を尽くした異世界を根底で支えているのは、いうまでもなく抒情詩人らしい珠玉の文体であるのは勿論です。

さて本書のもう一つの特徴は、描かれる女性たちです。犀星の描く王朝の女性たちは、女々しいところは微塵もなく、自己に忠実で(男に尽くしているような場合も最終的には自己のためなのです)実際的で行動力に富み、実にもう全くもってあっけらかんとしているといいますか、男の私からすると、天晴れと快哉を叫びたい反面、いやまいったな、と頭をかいて苦笑するほかないようなところがあるのです。作者の理想の女性像なのでしょうか。

たとえば「玉章(たまずさ)」において、山吹が昔の恋人(?)に宛てた文の内容は、実は山吹の「創作」かも知れない、などと疑り深い私は考えてしまいますし、「野に臥す者」では、許婚者であったはぎ野と駆け落ちした弟に対して、「はぎ野は?」と問うた兄に、「虱のわいている乞食武士には、女はいつき申さぬ」と自嘲します。つまり弟はぽいと捨てられたわけです。

私に言わせれば、本書の女たちはみんな「悪女」ではないでしょうか。唯一「姫たちばな」の橘は、彼女を争ったふたりの若者を結果的に死に追いやったことで自ら死を選びます。実に奥床しい行為といえますが、けれどもそれも見方を変えれば「私のためにふたりの男が命を捨てた」という、女ごころ的な自尊心といいますか深い満足感があっての、至福としての死ではなかったかとさえ疑われるのです。

たくましい女たちに比べて、犀星の描く男たちのほうがむしろ女々しい。「野に臥す者」の兄は弟に言います。
「なぜ女を斬らなかったのだ。」「女は斬れそうで斬れない、はは。」

収録の7篇はどれも面白い。ダンセイニに匹敵する日本的異世界ファンタジーを存分に味わうことができます。

『現代語訳 南総里見八犬伝(上)』に着手しました。これは面白い!
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「パイライフ」(承前) 投稿者:管理人 投稿日: 7月 7日(水)21時25分23秒

アレクすてさん
「パイライフ」の感想をありがとうございます。

>しかし、作者本人が見ていると思われる場所で批評めいたことをいうというのは
>非常につらいですね…。
大丈夫。岩橋さんは忙しいですから、見てないと思いますよ(^^;
それに感想を言ってあげる方がたぶん喜ばれると思います。

>渡辺大介さんは(……)怖かったです。

このモリツグという人物が肝ですね。
悪意に満ちていて、死んでみれば身元さえ分からない。

私の偏見かも知れませんが、往々にして、こういううろんな人物がいるのが、在留邦人社会というやつなんですね。
ところでこの在留邦人社会というやつですが、その構成員は当然ながら流動的です。というのはその大半が、仕事とか勉強とかで滞在している短期滞在者であるからです。数ヶ月で帰っていく者もいれば10年いる者もいるでしょう。けれどもいつかは日本へ帰ってしまうのです。

そういう社会において、ときたま、遙かな昔から住んでいて、あの人は戦前からいるらしいよ、といった噂はあっても誰も本当のことを知らない、といった伝説の人物がいるようです。そのような人物は大概において係累もなく独居し、日本人社会の片隅に住まうとはいえ決して自らすすんで打ち解けようとはしない。

ところで、在留邦人というのは、よほど土地の言葉に堪能で外向的な者以外は、狭い邦人社会にへばりついていますが、この邦人社会自体が、上述のように構成員において流動的なわけで、とても仲良くしている当の相手が、いったいどんな事情でこの国にいるのか知らないし、根ほり葉ほり聞くのはエチケット違反と心得ています(ナリタの正体は最後まで分かりませんが誰も彼を問いつめない。それは以上の理由によるわけで、彼が作家であることを知らしめたのは、他ならぬモリツグの「悪意」です)。

そういうわけで在留邦人社会というのは、対面的関係において非常に濃厚である(狭く小さい社会なので毎日のように顔を合わせる)にもかかわらず、その根本においては結局赤の他人同士ということができます。
つまり「濃いのに薄い」のです。
「狭いようでお互いのことをよく知らない在倫敦日本人社会の心理的状況」といったのはそういう意味です。

こういう関係は、必然的に弱い構成員においてはある心理的(精神病理的)状況を発生させずにはおきません(一人二役に偏執するユキ/カオリは端的にその例症でしょう)。その状況を扱った小説が、先日紹介した「荒地を旅する者たち」で、作者の加賀乙彦自身精神科医であり且つメルロ=ポンティの翻訳者というわけですから、フーコー的監獄都市パリの黄昏の下でどんな物語が展開するか想像していただけるのではないでしょうか(ある意味NWです)。

さてモリツグに戻りますが、

>パイライフ」は、最後に(英国貴族の前に)実態としてあらわれる
パイライフが実体化したのは英国貴族ではなく、モリツグだったのではなかったでしょうか。パイライフを見たからこそ、モリツグは死んだのでは(この部分お芝居ではダブルイメージにしていましたが)。

私が不条理と感じたのは、パイライフを(悪意をもって)喧伝していた当のモリツグが、他ならぬそのパイライフによって死ぬこと、そして死んだモリツグの身元が遂に分からないこと、です。

結局モリツグとは誰だったのか。公式には存在しない彼こそは、上に述べた<神経症化した在留邦人社会>そのものが実体化したものだったのではないでしょうか。私にはそう思われてなりません。もちろん作者がそのように設定したと言っているわけではありません。私の感想です。たぶん作者はそんなパズルめいたことは考えていないでしょう。むしろ解釈を棚上げしてただそこに放置しているのだと思います。かかる方法論は、ゴドーを待ちてと同様といえ、その意味でも不条理演劇というのは当たっているように思います。
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おはようございます、アレクすてです。 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月 7日(水)08時06分36秒

大熊様、岩瀬様、土曜日の『パイライフ』公演とっても楽しかったです。
渡辺大介さんは洒落た眼鏡とステッキで、まるで伊丹十三の「マルサの女」
に出てきた山崎努演じる悪徳ホテル王と、
庵野秀明演出の「新世紀エヴァンゲリオン」に出てきた碇指令が合体したような不気味さで
その一見男前風な容貌とは裏腹に、まず、税関や入国管理局にはいてほしくない
不気味な人物像を作り出していて怖かったです。
あと、不条理うんぬんですが、
自分が気づいたのは(大熊様と別れた後のことですが…)
この劇で「パイライフ」があらわれる?のは
日本の古典的な怪談「番町皿屋敷」や「四谷怪談」のような
因果応報(弱者にひどいことをしたため報いを受ける)に
よってではなく、
あくまで、個人の内面(倫理?)において
「自分のたくらみには、何の意味も見出せなかったのか?」という
罪悪感や「自分はこういうことをしていたが無意味だったのでは?」
という虚無感にすっぽり落ち込んだときである、
それはあくまで個人のないめんによるものであるが、しかし
「パイライフ」は、最後に(英国貴族の前に)実態としてあらわれる。
といったところに不条理性を感じました。
(大熊様の言われる

>狭いようでお互いのことをよく知らない在倫敦日本人社会の心理的状況

なのでしょうか?)
しかし、作者本人が見ていると思われる場所で批評めいたことをいうというのは
非常につらいですね…。
言ってる事もなにか、トリヴィアルなことばかりですし…
(大熊様と違って自分は、批評の類を公に発表していないですから…(汗)
では、大恥をかく前に失礼いたします。


たぶんネットにはまだ出ていません(^^) 投稿者:管理人 投稿日: 7月 6日(火)20時42分50秒

今年の神戸アコースティックタウンの出演者(予定)情報です。
ことしは10/10(日)、10/11(祝)の開催。
一日目は、伊勢正三、ビリーバンバン、ビリケン、(司会)バンバン
二日目は、杉田二郎、バンバン、高田渡、ビリケン、茶木みやこ(ピンクピクルス)

うーむ、二日目は行きたいなあ。
ちなみに今年のアマチュアバンドは、コピーバンド募集とのことです(^^)

室生犀星「犀星王朝小品集」に着手。10数年ぶりの再読。
実はこの本には思い出がある。
1991年に私は本書を読み、当時私が小説で表現したいと思っていたことが、既に何十年も前にしかもずっと洗練されたかたちで実現されていたのを知り、しっぽを巻いて小説書くのをあきらめたのでした(^^;。

シモンズとピンクピクルスがごっちゃになってしまっていることに、いま気がついた。区別できない。哀号。
編集済


「日本の偽書」 投稿者:管理人 投稿日: 7月 5日(月)21時31分29秒

岩橋さん
お疲れさまでした。「概ね好評」とのことでよかったよかった(^^)。
それにしても「朝まで打ち上げ」ですか? 盛り上がりましたね!

>実は『パイライフ』の元ネタは『パタリロ』でした。
しまった、そうでした。アレクすてさんは「パタリロ」と言ってたんだ。
どうも直前に巡回したサイトでクレヨンしんちゃんが話題になっていて、ついそれに引きずられちゃったようです。間違えてすみません>アレクすてさん(ーー;

>詳しい感想は、また後日どこかでお会いした折に
了解しました。よっぽどインパクトが強かったのか、猛然と芝居に対する興味がわいて来ております(^^) またいろいろ教えて下さいね。
ということで、ご来信ありがとうございました。

藤原明『日本の偽書』(文春新書、04)読了。

これは面白かった(本文中に原田さんの論文も紹介されています)。
古史古伝(という名称は不正確と著者は考えます)の中から、特に「上記」と「竹内文献」、「東日流外三郡誌」と「秀真伝」、そして「先代旧事本紀」と「先代旧事本紀大成経」を取り上げ、それらがいかにして成り、いかにして受容されていったかを解説します。
とりわけ「上記」と「竹内文献」の関係を述べた章は、半村良や山田正紀の現代史謀略ものを読んでいるような面白さ。

そうして結局、「偽書」を成立させたものはなにか、と著者は問うわけですが、それはいわゆる<中世日本紀>(中世の「書紀」の注釈)において発現した「奇妙な言説のあり方」すなわち中世という変動期に顕在化した人間精神の暗い熱狂である「文狂い」であるとする。著者によれば、

 『日本書紀』は成立当初より、訓読や注釈という行為なしには一つの作品として自己を現象させえない未完成の書物
だったのであり、そこにつけ込むかたちで、「文狂い」が作用した。結局、
 『日本書紀』というテキストそのものに、偽書を生成する仕組みが内蔵
されていた。なんと意外にも「日本書紀」が<紀記以前の書>を生み出したのだと。……

いやセンス・オブ・ワンダーです(^^; この結論にはクラクラさせられてしまいました。
かかる結論の当否は私には判断が付きませんが、読み物としてとても面白い本でした。


訂正 投稿者:岩橋 投稿日: 7月 5日(月)07時08分56秒

(実際には巻くはないんですが)

(実際には幕はないんですが)

…ミスタッチです。幕がない、というのは、いわゆる舞台と客席を区切る幕が存在しない構造の舞台だった、ということです。分かりにくくてすみません。
加賀乙彦は『死刑囚の記録』の方ですよね?それしか読んだことないんです。
また探してみます。
次回『多羅尾伴内』は現在資料収集中。
お楽しみに。


ありがとうございます 投稿者:岩橋 投稿日: 7月 5日(月)07時04分21秒

オリゴ党・岩橋です。ただいますべての日程が終了し、朝まで打ち上げて帰宅したところです。
早速の感想ありがとうございます。
今回は思いのほか台本が上手くいったようで、ご来場下さった皆様にも概ね好評のうちに幕を閉じることができました(実際には巻くはないんですが)。
渡辺と太田君にはここの掲示板のことを伝えておきますね。役者は褒められて伸びるものですんで、いい励みになると思います。
詳しい感想は、また後日どこかでお会いした折にお話し下さると、うれしいなあ。

追伸・実は『パイライフ』の元ネタは『パタリロ』でした。
ではまた。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/4256/origo/


「パイライフ」観てきました! 投稿者:管理人 投稿日: 7月 4日(日)15時13分44秒

オリゴ党第19回公演『パイライフ』を観てきました。
昼食後、門真の会社に納品。社長がいたのでしばらく雑談――のつもりが、新事業を立ち上げたとのことで、その話で盛り上がってしまい、気がついたら2時間もしゃべっていた。あわてて近畿道−阪和道を貝塚まですっ飛ばしました(普段はケチって岸和田で降りるのですが400円奮発(^^;)。
着替えて阪和線にとびのり、アレクすてさんとの待ち合わせ場所の旭屋に着いたのが、集合時間ジャストの17時30分でした(^^)。

近くのマクドナルドで小腹を満たし、地下鉄でなんばへ。ミナミは久しぶりですが相変わらず人が多い。アレクすてさんも私も、暑さと人ごみでフラフラになってしまい、実は浪速座跡地に開店したばかりの道頓堀極楽商店街を見学したかったのですが、パスしてしまう。
そういうわけで、えびす橋筋から法善寺横町を通り抜けてトリイホールに着いたのもちょっと早すぎしばらく待つことに。6番と7番の順番札をもらいました。

さて、トリイホールも久しぶりで、前回は名張人外境ご主人の中さんのご招待で「名張少女(なばりおとめ)」さんの芝居を観て以来。お芝居自体もそのとき以来(^^;
その後どんどんお客さんも入り満員状態に。さほど広からぬ会場はおよそ50名以上のお客さんで溢れかえり、まずは興行的にも順調だったのではないでしょうか。

で、肝腎のお芝居『パイライフ』ですが、とても面白かったです(^^)
ロンドン在住の日本人のたまり場であるパブを舞台にした、一種ホラーなんでしょうが、むしろ不条理演劇というべき内容で楽しめました。
狭いようでお互いのことをよく知らない在倫敦日本人社会の心理的状況が縮図的に表現されていて、まずそこに感心しました。これは演出者の意図であったのかどうか、今度聞いてみたいです。加賀乙彦「荒れ地を旅する者たち」をただちに思い出しました(こちらはパリの日本人社会ですが)。
役者さんでは、モリツグ役の渡辺大介さんの怪演とミナミ役の太田浩司さんの飄々とした演技が光りました。

終演後、アレクすてさんとがんこ法善寺店でビールを飲みながら感想大会。アレクすてさんによると、この芝居の肝である「パイライフ」とは、「クレヨンしんちゃん」が元ネタらしい。上述の不条理演劇というのも、此処でアレクすてさんが述べたもの。
その後話題は、SF出版方法論と、小説家にとって小説執筆は生理現象のようなものであって、それが金になるかならぬかは二の次、といった話に移行し、気がついたら終電車ぎりぎりの時間。あわてて帰途につきましたが、私のところより遠いアレクすてさんは、ちゃんと帰り着けただろうか(^^;
というわけで、昨日はなかなかに忙しい、しかし充実した一日でした。

オリゴ党さん次回の公演は、いよいよ「多羅尾伴内」です! 既に著作権者に許諾を頂いたとのこと。ただし「原作に忠実には多分なりません」とのことで、楽しみです。

藤原明『日本の偽書』に着手。
編集済


オリゴ党公演 投稿者:管理人 投稿日: 7月 2日(金)21時24分37秒

Yさん

>単行本の再刊との組み合わせや
>改題、中編短編の区切りの付け方などささいな食い違いをどうするか
ああ、これがややこしいんですよね。

>先日「燃える傾斜」東都書房版を入手できました。ばんざい。
おめでとうございます(^^)
もちろん私はもっていません。そういえば中学の時図書館で見たかも(^^;

アレクすてさん
どうも申し訳なかったです。ここ数日忙しかったもので……
ということでアレクすてさんに電話して集合時間等決めました。>梅田旭屋17時30分集合です。一緒に行ってやろうという方がいらっしゃいましたら、集まって下さいね(^^)

さて、ここでもう一回、オリゴ党の公演のお知らせを掲載しておきます。 

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  トリイホール協賛公演/大阪市助成公演
  オリゴ党第19回公演『パイライフ』
  作・演出/岩橋貞典

  会場/トリイホール(06−6211−2505)

  7月3日(土)15:30/19:30
     4日(日)13:00/17:00
  (開場は開演の30分前。受付開始は1時間前からです)

  前売り/2000円(劇団扱い)
  当日 /2200円

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

岩橋党首からのメッセージ。

7月3日4日ですが、皆様ご都合は如何でしょうか?
今回は、夏ということで(まだ梅雨ですが)、ちょっぴりホラータッチを目指して現
在練習中です。ピアノの生演奏もつきますが、ちょっとオシャレではないですね。むむ。


ということで、詳細は、オリゴ党公式HPダジャレ・ジャンをご覧下さい。


「ソフトマシーン」(後) 投稿者:管理人 投稿日: 7月 2日(金)20時52分30秒

(承前)
「言語線を切れ」あるいは「ことばをずらせ」という語が何度か現れます。
『たかがバロウズ本』にも解説されていますが、著者の目論見は、<言語>の支配を断ち切ること。
生まれ落ちた瞬間から教育によって刷り込まれ、自動化してしまっている言語すなわち思考を、そのくびきから解放すること。

もとよりそれは言うは易く行うに難しであるのはもちろんです。そこで著者が採用したのがカットアップ手法であります。
既存の文章を切り刻み、テキトーにつなぎ合わせることで、著者は通時的な言語作用から自由になろうとします。

それは、ある意味シュールレアリズムに接近した方法論であり、オートマチズムとよく似ています。もっともオートマチズムは畢竟自己の無意識から出てくるものですが、カットアップは外在的な作業である分、さらに徹底しているともいえます。
もっともバロウズの場合その方法上、上述の「テキトーに」は「任意に」と言い換え得るわけで、そこに彼の内的な感性が否応なく漏れ顕れてしまうわけで、上の引用の語句のすばらしさは、かなりの部分著者自身の感性による選択の結果であるともいえます。訳者あとがきに、
 ただ「過去」や「影」や「深み」は存在することもある。
とあるのは、そういう意味だと思います。

ともあれ、読んでいるとなぜか頭がすっきりしてくるような気がするのですが、これはカットアップによる言語線の切断で、我が言語回路が、活性化されるからではないでしょうか。
とりわけ中盤から後半は、いちいち引用できないほど、すごい文章でびっしりと埋め尽くされており、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドのひそみに倣ってシーツ・オブ・ワードとでも言いたくなります。

そういえば、カットアップが始まり、怒濤の進撃が開始されるところなどは、アイラーが、マーチングスタイルから突如怒濤の寄りをみせるのと同じインパクトがあります。

本書は、最近河出文庫から復刊されましたが、河出文庫といえば、最近出たダンセイニが好調で、続刊が決定した由、翻訳者の中野善夫さんの日記に書かれていました。
本書も売れたら、山形訳「ノヴァ急報」や「おぼえていないこともある」が復刊されるやも知れません。是非売れてほしいものです。
(この項、終)


「ソフトマシーン」(前) 投稿者:管理人 投稿日: 7月 2日(金)20時51分26秒

W・S・バロウズ『ソフトマシーン』山形浩生+曲守彦・訳(ペヨトル工房、89)読了。

いやあ面白かった。しかし「たかがバロウズ本。」のおかげで、バロウズさくさく読めるようになっちゃいました。
というわけで、まずは「ワイルドボーイズ」のときと同様、気に入った語句を引用。

   ――――――――

 胎児の肉体ひび入った血をながす足の下の性器を切り裂く

 みんなかぶっている灰色のフェルト帽――紫ピンクオレンジの病人顔が

 引き裂かれた真昼からのどの爆発が漂う男性肉のシーツ

 黒い沼の千日手までの夜明のオープンシャツが玉虫色にのたうつ間

 夕食後ねむけを遠ざく二酸化炭素
 
 水晶の仮設都市は夜明けの風のなか虹色に輝く

 大いなる潮夕河をさかのぼってホテイアオイとバナナの筏に埋もれた港湾都市へ

 沿岸の住民は、暖かく湿気った夜にさまよい出てアーク灯の下で色つき氷を食べ、不動の沈黙を句読点がわりにゆっくりした緊張病の動作で会話する――もの悲しい少年の叫び声が「放浪野球団の夜」にしみわたる

 白痴快楽の通り――魚都市の黒曜石の宮殿

 恥毛が切るすえた下着の扇風機若者の勃起洗う匂いの一吹き

 電気午後に割れたオルガズム――磁気竜巻の中で体がくっつく

 病気の悲しいイメージが天井裏の窓君に何か言おう「adios」
 
 風の中の銀紙遠い1920年

 裏庭と灰だめの遠い夜明けからの呼び声――回転ドアの物悲しい幽霊

 泥まみれの服にあたる街灯かすんだ痙攣遠く

 白黒映画都市薄れる街路は千回も回した煙顔

 1920年時間はのろい灰色のフィルム降下とハリウッドの骨壺

 おれ・あんた・おいら糞づまるネオンめくら指幻の胴元の少年の印象

 ここには渦巻くことばの塵ばかり

 夜明けの風のなか虹色の仮の水晶都市

 青銅の微笑みが草の地から記憶もなく――冷たいたまさかの青少年

 融合して青い煙の輪揉んでやろう外へ漂い出でてスレート青オーロラ水

 石灰石の洞窟が薄れるおとなしい幽霊人の青いドラム

 死が眠る大理石のような少年を漕いでくだる大運河の先


   ――――――――
(つづく)


大熊様。いよいよ明日は 投稿者:アレクすて 投稿日: 7月 2日(金)19時35分37秒

オリゴ党さんの公演の日ですがどうしましょうか?


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