ヘリコニア談話室ログ(20053月)


 

 

晩年の見知らぬ級友  投稿者: 管理人  投稿日: 331()204433

引用

先日、高校の同級生K君が亡くなったこと、そして彼が在校当時SF同好会の会誌に寄せてくれたショートショートをご紹介しました。
そのK君、加本泰男君を偲ぶ会が先般執り行われ、私は出席できなかったのですが、その席で、彼が晩年俳句をたしなみ高い評価を得ていたということが披露されました。
私もはじめて読ませていただきましたが、透明な哀しみが迫ってくるすばらしい句と思いました。ぜひ皆さんにもお読みいただきたく、リンクしておきます。こちら
感想を頂けたら幸甚。



午下りの喫茶店は着メロに映える  投稿者: 管理人  投稿日: 330()19147

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喫茶店で本を読んでいると、いろんな客がいて面白い。というかワンパターンで面白い。
私がよく行くのは書店併設で、書店の本を持ち込んで読めるのですが、観察しておりますと女の人が持ち込んでくるのは、大概カタログ系といいますか通販系の雑誌類なんです。そしてぱらぱら「めくり」ながら(決して「読みながら」ではありません)連れの女性と「今度はなに買お」などと言い合っています。たまにその場で携帯から電話して商品内容を確認したりしていることもあります。

――そこまで買い物したいかなあ・・・

あれでは消費する(させられる)動物ではないでしょうか。いや消費用家畜というべきか。
いまの資本主義はこのような人種を生み出してしまった。消費するために生きている人生なんて、一体どこがいいのかと思いますが、本人らはブランドのバッグや衣装や化粧品で身を被ってそれなりに幸福なんでしょうか。

お話変わって、今日もまた喫茶店で本を読んでいました。めずらしくBGMがジャズで(たぶんリー・モーガン)、じつに心地よかったのですが、突如隣に座っていた二人づれの、若いお母さん風の女性が、携帯でスマップの着メロをかなりの音量で流し始めた。といっても今はやりの着うたではありません。単なる電子音の、機械的に3度や5度でハモらせた重奏ですが、要はメロディだけのもの。
たぶんBGMのジャズがお気に召さなかったんでしょう。着メロを聴きながら頭で拍子をとっていらっしゃいます。
その時私は、はたと気がつきました。「この人たちは音楽をメロディだけしか聴いてないんだ!」。いやそれでは正確ではありません。おそらく彼女らの耳は、メロディしか音楽として認識できないのです。

ふつうはそんな訳はありませんよね。歌手が歌う歌は、コンボならばギターやベースやドラムスや、場合によってはストリングスとの調和や対立という関係性の中で、あるいは重層性の中で、私たち一般人の耳は、歌手の歌唱を捉えます。あるいはこう言ってもいいでしょう。ひとつの曲の中で、歌唱する旋律はその曲の中の1要素でしかない、と。
ところが、彼女らの耳はメロディしか捉えないのです。歌唱される旋律がすべてなんです。それゆえ歌唱のないコンボジャズは音楽とは思われない、ていうか雑音としか聞こえないのではないでしょうか。

しかしはた迷惑な話ではあります。だが彼女の意図は実はそんな利己的なものではなかった。
おそらくこの時、彼女は使命感に燃えていたのです。私のケータイで、この聞くに堪えない雑音を消してやろう、と。そして喫茶店にいる全ての客を地獄から救ってやろう、と。

なるほど。

いま読んでいる本にも書かれているのですが、人間の感覚器官は、生まれながらにその機能を果たせるものではないのだそうです。正確には感覚器官が受容した情報を脳が正常に読み取るには、たとえば「臨界期」という時期にそれなりの情報に晒されなければならないし、ある意味常に「鍛え」ていく必要があるのではないでしょうか。
この若いお母さんは、おそらくその訓練が何かの原因で阻害されたのかも。

「可哀想だな」
私は思わず同情してしまいました。もう20代後半であろうこの人は、もはやジャズの良さを理解できないのだな。
そうと分かると、私にはBGMのジャズ演奏が聞こえないことなどちっとも気にならなくなりました。
丁度時間も時間でしたので、私は手の本、『脳はどこまでわかったか』(朝日選書)を閉じて立ち上がり、店を出たのでした。ぷんぷん。

編集済



「新教養主義宣言」  投稿者: 管理人  投稿日: 328()215115

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山形浩生『新教養主義宣言』(晶文社、99)読了。

いやこれは面白くて、あっという間に読んでしまいました。
本書の要旨は、今の連中は(今の日本は)世の中の森羅万象を面白がる感受性がない。実は面白がるにはある一定以上の知識の蓄積が要件なのだが、それが不足しているからちょっと視点を変えれば見つかる面白さを発見できない。ということで私(著者)がそれを見せてあげましょう――というもの。

かかる知識を(浅くてもいいから広く)蓄積していくと、ある一線を越えるとそれらが連動し合い、いろんな分野を1視野において理解できるようになる、ということを著者は言っているのだと思います。
私もそれは全くそのとおりであると感じます。というか自身を省みて頷けます(私の知識教養が著者のそれに匹敵すると言っているのでは無論ありませんので念のため)。

 それはたとえば、「あ、わかった!」という楽しみでもある。ふむふむというおもしろさでもある。具体化の納得もあれば抽象化のわくわくだってある。急に見通しがよくなる爽快感、全然関係なかったものが、なんかいきなり結びついてしまった不思議だってある。42p)

これ、まんまSFの面白さの説明ではないですか!
つまり著者は、世の中をSFのように読みなさい、と言っているんです(ほんとか)。そのためには最低限の教養は必要ですよ、とも(そしてある程度知識が繋がり出しますと、そのような知識の獲得それ自体が快感になっていくのです)。
これは逆に言えばSFを読むには素養が必要であるということで、私もかねがねそう感じていたことですが、その意味でSFは大衆小説としてのエンターテインメントとは相容れないものでしょう。

かくのごとく、本書はSFを面白がるコツというか見方が森羅万象に通ずるといっています。その意味で一種のSF論とも読めるわけで、それが証拠に個別SF作家論作品論も収録されており(ラファティ、レム、チャペックやコッパード、バロウズ)、とりわけ「山椒魚戦争」論と「死の迷路」論はまさに出色で、目からうろこが落ちました。私もこんな作品論書いてみたい(ムリです)。

それからメリルのSF観に敬意を表して、SFとは[変わる」ことに対応しうる(するべき)ジャンルであることを著者は述べる。これは大事だと思います。けだしSF者であるならば、「変わる」ことを恐れたり、「変化」から逃げたり目をそむけてはいけない。たとえ今SFとして認識されているもののなかに、もし(その小説内論理において変化しなければならないのに)「変化」を拒んだものがあるならば、それは言葉の真正な意味で「SF」と呼ぶことは出来ないのではないか――
そんなことを読後思ったりしました。(>Mさん(^^;)

さて、「世界終末戦争」は450pにもうすぐ届くところ。
ありゃありゃ、アナーキストがあっけなく死んじゃったよ。ついにカヌードスに至る前に。なんという不条理。
不条理といえばこのガリレオ・ガルの物語、カフカの「城」なんですね。「城」の主人公Kがどうしても目の前に見えている城に到着できないように、ガルもまた彼の理想郷・カヌードス(梁山泊)にたどり着けない。何度もカヌードスの手の者と接触しているのにもかかわらず。近代思考とは対極的な(彼が否定し続けてきた)前近代思考である義理や名誉の体現者との相討ちで死んでしまった。
そうなりますと、あとはニヒリストの新聞記者の動向が気になってきます。いったいこの世界への無関心(上の本で描かれたバロウズのような?)を体現する新聞記者がなぜにこれほどまでに熱心なのか。これから展開するであろう新聞記者の物語・・・ いや面白い(^^)

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幻夢の邂逅  投稿者: 管理人  投稿日: 327()132712

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かんべむさし「幻夢の邂逅」(小松左京マガジン第16巻)を読みました。
桂米朝、三島由紀夫、小松左京の三題噺(?)。米朝と三島の不思議なすれ違いと言う「事実」から、もしほんの僅かに事情が変わって、「すれ違」わずに「邂逅」するような時間線に分岐していたら、作家三島は……。という話。
なるほど、堅牢な作家性を持っていると一般に信じられている三島ですが、「しごき」を経験したかしなかったかで、あるいはその作家性は変わっていたかもしれないという、SF作家らしい思考実験小説。

 

畸人郷  投稿者: 管理人  投稿日: 327()100035

引用

畸人郷例会、また放言暴言の限りを尽くしてまいりました。
どうも昨日は送別会のピークだったようで、定席の居酒屋が満員で使えず、ちょっとうろうろしてから桜橋地下の百番にとぐろを巻く。そこで若手相手に、いろいろエラソーにくだを巻いていたようです自分は棚に上げて・・・。会員の(特に若手の)皆様にはまことに愁傷様でしたm(^^;m。
おかげさまですっかり良い気分で帰宅。この頃は飲むと帰宅の電車の中から頭痛が始まるような状態だったのですが、昨日はそんなこともなく今朝もすっきりした目覚めでした。やはり大声だして言いたい放題言うとストレス解消になりますね(おい)。もう来るなといわれそうですが(汗)。
そうそう、そういえば「奇術師」は面白いんだけどある部分が腑に落ちないという話になり、読んでみますと、まあ約束?したのだった。忘れないようにメモ。

(管理人) 
本日の探偵講談「名探偵ナンコ」の会ですが、野暮用で出席できなくなりました。悪しからずm(__)m。

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SFで売る  投稿者: 管理人  投稿日: 325()210646

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>朝ミラ
番組予告のCM(?)を今日はじめて耳にしました。「SF作家のかんべむさしがお送りします」とかおっしゃってました(^^)
SF作家! おお、なんと美しい響き。 
何かと言えばSFという冠を隠したがる風潮の昨今、堂々と「SF作家」を名乗っていらっしゃるのがすがすがしかったです。
SFをこころざす者は、すべからくかんべさんを見習うべし。隠すのではなく、それを「売り」に転じていかなくては。

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この掲示板、最近異様に重くないですか?  投稿者: 管理人  投稿日: 324()221044

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bk1から「最後の審判の巨匠」出荷完了のお知らせメール。明日あたり届くのでしょうか、いやー楽しみ(^^) とはいっても読むのはかなりずれ込むことになりそうです。

まずは「世界終末戦争」を読んでしまわなければなりません。家でしか読まないのでなかなか進みません。いま350p、ちょうど半分。
バクーニン流の無神論的アナーキストについては書きましたが、他にも近代の権化と言うべきジャコバン的共和主義者が実に興味深い。いずれも旧体制の貴族がいみじくも言うように「理想主義者」なのです。
この二人に比べて旧体制の貴族はずっと(我々から見て)穏健で教養があります。たぶんユーモアを解する通人なんでしょう。しかしそれは彼が「恵まれた」環境に育った結果なのであって、そのこと自体において、理想主義者から糾弾されて当然なのです。
3者が3者とも「真剣」に事態に立ち向かっています。もちろん梁山泊の連中もしかり。そこには正義の味方も悪人もありません。かかる重厚さが本書を格別に面白い読み物にしているのだと思います。
こんな面白い本、早読みして読み飛ばしてしまっては勿体無い。このくらいの速度で読んで生きたいと思います。

あと「脳はどこまでわかったか」でしょう? 「心の社会」でしょう? 2ヶ月分たまったSFMとぜんぜん手付かずの「季刊邪馬台国」は雑誌だからまあよいとして、ある理由で「ペットセメタリー」を読まなければいけません。読まなければいけない、と言うより積極的に読みたい理由があるのですが、アレクすてさんに貸してもらった山形浩生もパラパラめくっていたら面白そう。
というわけで、レオ・ペルッツいつになったら着手できるのでしょうか(^^;

 

「朝はミラクル!」  投稿者: 管理人  投稿日: 323()220623

引用

かんべむさし様

ご来訪ありがとうございます。
「朝ミラ」楽しみです。及ばずながら、当るを幸い吹聴しまくっておりますので、華麗なフットワークで足腰の衰えた米ソに一泡も二泡も吹かせてやってください。「ミラクル」を起こしましょう、期待しております!
私は先生の「決戦日本シリーズ」は当然ながら面白かったのですが、次の「背で泣いてる」でぶちのめされました!! 「人生」そのものをわずか数十枚に凝縮したとんでもない傑作でした。「トロッコ」もそうですが、先生の作品ではこういう抽象的な小説が好きです(具体的なサラリーマンものは身につまされます)。
まあ、べたな大阪のおばちゃんがターゲットとなりますと、そういう抽象的だったり捻った話題は難しいのかもしれませんが、2巨頭の脊髄反射的な番組にはあきあきしておりましたので、先生の乱入とても期待しております。できるだけ聴取しますので、頑張ってください!
ともあれ、わざわざ書き込んでくださり、ありがとうございました。

 

お邪魔をいたします  投稿者: かんべむさし  投稿日: 323()175037

引用

突然の書き込みにて、失礼いたします。
当方のラジオ番組を話題にしていただき、ありがとうございます。
しっかりがんばりますので、どうぞ御愛聴と御吹聴を!
ただし、まことに申し訳ないのですが、もっかのところ、
ショートショート・コーナーの予定はありません。
あれはやはり「深夜」のもので、早朝からやると、
おっちゃん、おばちゃんのリスナーが、
ダイヤルを、2巨頭へまわしてしまいます。
あしからず、御了承ください。ともあれ、御礼の御挨拶まで。

http://www.ne.jp/asahi/kanbe/musashi/

 

ジーン・ウルフ短篇集  投稿者: 管理人  投稿日: 322()221312

引用

大橋さん

>今回のものに加筆してどこかで発表したいものだと思ったりしています
>まったくの未定の話ですけどね
期待しています(^^)。
とにかく、当たって砕けろですよ! 自分から動かなければ、何も始まらないんですからね。

昨日も話していたんですが、表現したい人が表現できるシステムにしていかなければいけません。金勘定の問題ではないのですよね。
出版界に関わらず今の状況が盤古不変のもの、アプリオリなものと人は思い込みがちですがそうではない、いままで変わらなかったからと言って、それがこれからも永遠に変わらない理由にはならないはず。変えようとしなければ変わるはずがない。
バットを振らなければヒットする確率は永遠にゼロです。振ってはじめて確率が発生するんですよね。

ジーン・ウルフ「録音」(SFM05年4月号所収)読みました。
いいですねえ……、うまい! 小品ながら小説巧者の筆に思うさまにあしらわれてしまいました(^^;
昔の純文学雑誌に載っていそうな、「しみじみと怖い」話でした。(今の純文雑誌はライトノベル雑誌になってしまったらしいので(ーー;)
こういう短篇も書くのですね。ウルフの短篇集を読みたい!!

ところでSFJの1500円を有効活用して、朝日選書『脳はどこまでわかったか』(1400円)を購入したんですが、「はじめに」を読んで、なんとなく悪い予感が・・(汗)

 

ありがとうございます。  投稿者: 大橋  投稿日: 322()18584

引用

管理人 様

〈SFJapan〉を見て頂き、ありがとうございました。
版型が小さくなってしまったため、同じページ数でも入る文字数はとても少なくなってしまいました。
そのため書きたいことも書ききれない。困ったものです。
「少年文芸作家クラブ」に関しては、加筆してどこかで発表したいものだと思ったりしています。
まったくの未定の話ですけどね。

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「岩崎書店と少年文芸作家クラブ」  投稿者: 管理人  投稿日: 321()223446

引用

鬱屈したので、アレクすてさんを呼び出して梅田で駄弁る。
梅田は眉村さんを囲む会以来一ヶ月半ぶりでしたが、大阪駅南口辺がまた少し変化していて驚かされる。なんかどんどん変わっていきますな。
旭屋でSFJapanを購入しようと思うも、版型・ページ数SFMと同じなのに値段は倍(^^;
ということで、大橋博之さんの<日本ジュヴナイルSF戦後出版史〜少年SFの系譜〜>第二回「岩崎書店と少年文芸作家クラブ」は立ち読みで済ませました。大橋さん済みません。だってこの雑誌、大橋さんの記事以外に読むところないんだもの(汗)
今回は福島正実記念SF童話賞の由来が面白かった。光瀬さんが福島さんの名前を冠することに反対したというのは意外でした。わたし的には福島さんのジュヴナイル観や戦略にもっと迫ってほしかったのですが、それはまた別項で書かれるのでしょう。
竹下龍之介、いましたねえ。今何歳になったんだろう。まだ書いているのかな?

今日は約6時間、河岸を変えつつアレクすてさんと論争に終始(^^; お疲れ様でした。お気を悪くしないでくださいね。久しぶりに議論できてわたし的には大満足。鬱屈も晴れましたです。また探偵講談でお会いしましょう!

そうそう、OutlookExpressですが、スパムメールいちいち削除するのがメンドーなので、メール本文あるいはタイトルに「無料」の語が含まれる場合、自動的に削除するよう設定しました(汗)。私宛のメールにはくれぐれも上の語を使わないようお願いしますね!>all 

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藤野恵美さんの新刊  投稿者: 管理人  投稿日: 320()21097

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藤野恵美さんの『七時間目の怪談授業』(青い鳥文庫)が発売されましたのでお知らせします。amazon
昨年度ジュニア冒険小説大賞受賞の新進気鋭の、はやくも3冊目の著書です。受賞後まだ1年たっていません。しかも全部出版社が違う。まさに児童文学界のホープといって過言ではありません。
それだけ出版社編集者から受けがいい、期待されている、ということですが、その理由は子供たちを引っ張り込む、魅力的な設定のセンスにあると思います。たとえば本書。アマゾンの内容紹介を引き写します。

「その携帯、没収します!」
呪いのメールが届いた携帯電話。取り返さないと呪われちゃう!先生に幽霊を信じさせるために、放課後、怪談をしなくっちゃ!
月曜日。羽田野はるかの携帯電話に呪いのメールが届いた。9日以内に3通送らないと、霊に呪われるという内容。不安でたまらないはるかはケータイを先生に没収されてしまった!メールを送れない、とあせるはるかに、幽霊がいると思わせたらケータイを返すと先生がいった。毎日放課後、みんなで怖い話をするが、日にちはどんどん過ぎていく!

携帯電話。呪いのメール。怪談。ですよ。この3点セット、今の子供たちにとって最も興味ある、わくわくするモノやコトでは?
私はまだ購入していませんが、この3点セットが子供にどんなに魅力的かは容易に想像できます。どうも藤野さんには、そういう天性の「掴み」のセンスがあるようです。しかも筆が早いんだから鬼に金棒。各社から依頼が殺到するのも宜なるかな(^^)
私も早速注文するつもりです。今月はちょっと難しいですが来月中には読みたいと思います。いや楽しみ!!

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ショートショートコーナー  投稿者: 管理人  投稿日: 320()120610

引用

堀先生

私自身、チャチャヤンの最初からのリスナーではなく、その辺の消息をリアルタイムに知っているわけではありません。が、たしかそのような話だったと記憶しています。ただ古い記憶ですし、脳内改変が加えられている可能性なきにしもあらずなのですが……。

と書いてから、ふと気がついて当時の資料を引っ張り出してきましたところ、チャチャヤン終了後、卒業生が集まって出した「北西航路」1号という同人誌に眉村先生の「祝辞」が載っており――

(略)私も週一回のそのパーソナリティを受け持ち、二時間半にわたる長丁場の中で、送られて来たショートショートの面白いものを朗読し、そこからショートショートコーナーというのが出来……。

という記述がありますので、大略そのような事情だったのではないでしょうか?
ともあれ堀先生がおっしゃるように、事情に詳しい人が事実を整理していく、ということが切実に求められる時期に来ているかもしれません。

<私信>
アレクすてさん、チャチャヤン気分のコメントへのレス致しました(レスになってないかも(^^;)。気がつかず遅くなってすみませんでした。

 

チャチャヤン  投稿者: 堀 晃  投稿日: 319()231310

引用

あれ、最初はショートショート・コーナー、なかったのですか!
いわれてみると、そんな気もする。
眉村さんのディスクジョッキー的番組として始まったのだったかな。
このへんの事情は詳しい人が多そうですから、記録を整理していくと面白いですね。
チャチャヤンはショートショート集として残ってますから、むしろ眉村さんのしゃべりなどの記録ですね。
ぼくの覚えているところでは、眉村さんに歌のリクエストがあって、実際に「五木の子守歌」かなんかを歌ってられたことがありました。
あれも歴史的な番組ですね。

 

朝ミラ  投稿者: 管理人  投稿日: 319()215912

引用

堀先生
ご来信ありがとうございました。
「むさし・ふみ子の朝はミラクル!」楽しみですね。
とりわけ、「お奨めブックレビュー」は、かんべさんが一体どんな本を読んでいらっしゃるのかと、とても興味があります。
私も出来るだけ時間を按配して聴取しようと思います!

と書いたところで、かんべさんのHPへ行ってビックリ。「フリーメモ」に私の名前が!?
おお、堀先生が昨日の書き込みを転送して下さったようです。ありがとうございました。なんかこそばゆいような感じですが、とてもうれしい! これはもっと応援せねば(^^; 私に出来ることといったら、これはもう口コミくらいしかありませんが、せいぜい宣伝に努めたいと思います。

ところでつらつら思い出すに、チャチャヤングのショートショートコーナーも、最初からそのようなコーナーがあったわけではなく、リスナーから自然発生的にショートショートが送られてくるようになったのがきっかけで、出来たのではなかったでしょうか?
ならば今度も、われわれリスナーがショートショートを送れば、チャチャヤンのとき同様、ショートショートコーナーが出来ないとも限りません。これはひとつ、みんなでショートショートを書いて送ろうではありませんか!
かくいう私、もう20年以上純然たるショートショートは書いたことがないのですが、なんとかやってみましょう! やればできます。きっとできます。多分できます。できるかも知れない。できないことはないはず。やっぱ無理かも(>だみだこりゃ(ーー;)

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かんべさんの番組  投稿者: 堀 晃  投稿日: 319()044217

引用

どうもはじめまして。
SF作家のラジオ番組といえば、関西では、小松さんの「題名なし」、眉村さんの「チャチャヤン」、ともに深夜で週1でした。
朝の月〜金で2時間というのは画期的ですね。
ぼくはあまりラジオ(特にAM)を聴く習慣がないものですから、4月から少し生活のスタイルが変わりそうな気がします。

 

「人類の進化史」  投稿者: 管理人  投稿日: 318()210334

引用

かんべむさしさんがOBCで生ワイド番組のパーソナリティをなさるそうです→かんべさんのHPより
いまOBCの名物アナの原田年晴さんがやっている番組の後釜ですね(原田さんは昼枠に復帰)。
これは楽しみです(^^)
この時間帯は道上洋三さんと浜村純さんの2巨頭ががっちり押さえているかのように見えますが、実はそんなことはない。両巨頭とも年齢には勝てず、昔日の迫力はありません。
浜村さんなんか、昔はきちんと下調べしてはるなと感心したものですが、今やプロデューサーが赤線を引いたところを棒読みしてるだけではないのかと疑いたくなる瞬間がたびたび。道上さんはときどき2、3秒も空白があったりしてこっちがはらはらします。
今なら十分、この20年以上つづいた2極体制をひっくり返すチャンスありです。
かんべさんには頑張って欲しいですね(^^)
とはいえ私は通勤の10分くらいしか聴けないはず(午後は車に乗っている時間が長いのですが朝は難しい)。いや残念です。
ところでショートショートコーナーはあるんでしょうか? もしあるのなら、私投稿しますよ(^^ゞ

埴原和郎『人類の進化史 20世紀の総括(講談社学術文庫、04)読了。面白かった!

 

リフト・ヴァレイ  投稿者: 管理人  投稿日: 317()211735

引用

>「人類の進化史」
大地溝帯の西岸では、類人猿はチンパンジーやゴリラにとどまり、東岸でのみ、ヒトへの進化が進んだというのは、やっぱり不思議ですねえ。東岸のどこかに知性化機械みたいなものが設置されていたのではないか(汗) 山田正紀の新連載「イリュミナシオン」は実はその話だったりして(^^;

>「世界終末戦争」
3部に突入。ようやく4分の1です。本は机の上に設置しっぱなしなんですが、机に座る時間が作れません。今度の連休がチャンス!

【BGM】オス・ノーヴォス・バイアーノス/ロカルナヴァル

 

昼間  投稿者: 管理人  投稿日: 316()224655

引用

面白いネタを思いついたんだけど、忘れちゃいました(ーー;
ちょっと忙しくなってきた。

【BGM】カンデイア他/パルチード・エン・シンコ

 

マダガスカル海峡の謎  投稿者: 管理人  投稿日: 314()205224

引用

「世界終末戦争」は持ち歩けないことが判明。だいたい鞄に入りません。私の鞄はクラッチバッグというタイプなので、分厚い本を収納すると膨らんで不細工。
というわけで、外では「人類の進化史」に専念することに。実はこの本、真ん中辺りの「ネアンデルタール」の章から読みはじめたのです。そこから最後まで読んだので、現在最初の章に戻って読んでいます。しかし6500万年前の哺乳類の誕生についてイメージしようとすると、この時代の地質学的な知識をしっかりさせる必要があるんですよね。気象学的な知識も。

たとえば本書によると、
1)一億年前(白亜紀)に北米大陸とアフリカが分離するがヨーロッパ大陸とはまだ地続きだった。
2)北米大陸の気候の変化(乾燥化)で北米のサルは絶滅するも北米からユーラシアやアフリカに移住したサルは繁栄、進化し高等霊長類を生む。
3)北米大陸生まれらしい原猿類は現在アフリカとマダガスカルに細々と生き残っている。

ということなのですが、私のあやふやな知識では、マダガスカルはインド亜大陸から分離したもので、アフリカとはくっついたことがないはず。なぜ、3)がいえるんでしょうか?

と考えて、ふと気がついたのは、下図。


北アメリカ―――ヨーロッパ
   \         \
    \         インド
     \       /
     アフリカ マダガスカル 

北米から移動してきた種にとって、アフリカの東海岸はそこで行き止まりですし、ヨーロッパへ移動した者についても、インドとくっついていたマダガスカルは行き止まりだったわけです。つまり進化に取り残された種がアフリカ(東海岸)とマダガスカルという、共に移動の終点に取り残されたということではないか。

と、まあ想像したわけですが、さてその真相やいかに。
そういうことがよく判る、総合的というか横断的な解説書はないか知らん。

追記
アフリカ分離後、原猿類の祖先が北米に発生したのならば、こうかも(^^;

北アメリカ――ヨーロッパ
        |    \
        |    インド
        |    /
     アフリカ マダガスカル 

編集済

 

ブラジル水滸伝  投稿者: 管理人  投稿日: 313()200421

引用

「世界終末戦争」備忘――
本書の物語の型は「水滸伝」なんだと思う。いまどんどん「アンチ・キリスト」と闘うメンバーが、コンセリェイロのもとに参集している段階です(^^)
やがてこのメンバーたちが、来たる「世界最終戦争」において、梁山泊ならぬカヌードスへ攻め込んでくる「アンチ・キリスト」の軍勢に立ち向かっていき、ひとりずつ死んでいくというストーリーになるのではないでしょうか。
いや想像するだけでゾクゾクしてきますね(^^;
その一部始終を「見る」ことになるんだろう唯物論的無政府主義者ガリレオ・ガルの造型が実によい。ひょっとして唯物史観をかなぐり捨てて梁山泊に加わるのか?

【BGM】カンデイア/サンバ・ジ・ローダ

 

いよいよ  投稿者: 管理人  投稿日: 312()212311

引用

バルガス=リョサ『世界終末戦争』に着手しました。
まだ50pそこそこですが、面白い! なんたって『虫の世界』に比べたら抜群のリーダビリティです(^^; 
というのはペレーヴィンのような実験的な叙述ではなく文章で仕掛けをしないからで、いわばストレートな「歴史小説」の文体なんです。だから司馬遼太郎のように読めます。小説がうまいのでしょうねえ。
いまのところ、やはり高橋和巳と同じテーマを追いかけているように思います。これは予想通り。それをどう展開していくのか、楽しみなところ。
ただリョサはフジモリと争ったように保守派の白人なんですよね。わずか50pでうんぬんするするのは時期尚早も甚だしいんですが、窮民が窮民として一括されていて、たとえばメスチソやムラートや黒人の窮民と、白人の窮民との間のあつれきもしくは温度差(実際あったと思うのです)が捨象されているのではないかという感じがするのですが、どうなんでしょう? その辺に気をつけながら読みたいと思います。

編集済

 

「虫の世界」  投稿者: 管理人  投稿日: 311()221117

引用

ネアンデルタール熱が嵩じまして、埴原和郎『人類の進化史』(講談社学術文庫、04)を読んでいます。いや人類史面白い!
私は埴原さんの著書で「寒冷適応」というものを知ったので、著者のネアンデルタール観、とても興味がありました。そういうわけで、本書を見つけるや否や購入してしまいました。しかし本書の初出は00年、この分野ではやや古いかも。それくらい人類進化史はいまホットな分野なんですね。
下の「カルタゴ皇帝ゴンの世界」のやや突っ走っているんではないかと思っていた内容に対応する記述もあり、チェックできたのもよかった。

ヴィクトル・ペレーヴィン『虫の世界』(群像社)も読了済み。これはすごいです! 人間の世界がそのまま虫の世界に変幻自在に往還するアクロバティックな観念小説で、一回読んだだけでは半分も分かってないような気がします。再読予定。

編集済

 

地球沈没  投稿者: 管理人  投稿日: 310()19584

引用

臼田さん

私もまず「懐かしい!」と感じました。
政治意識、社会意識と書きましたが、「意識」というよりもっと漠然とした「気分」ですね。そういう「気分」を、ごくふつうに当時の人々は持っていたように思います。
『ららら科学の子』が出たとき学生運動にリンクさせた感想をネットでよく見かけましたが、そうではないですね。主人公の「行為」はもっと一般的な、むしろノンポリ的な70年代の「気分」を実によく再現したものでした。当時を知らない若い書評者には理解を超えていたんでしょうけど。
そういう意味で、70年代は若い人たちには「なんと左がかった時代だったんだ!」という感じなんでしょうが、反対に、30年前の高校生が現代にやってきたら「なんと右傾化してしまったんだこの時代は」ということになるはず。
しかし――それにしてもいつからこんな世界になってしまったんでしょうかねえ(ーー;
当時「ナンセンス!」と叫んで教師を吊るし上げていた連中が、今やリストラされても何の反抗も示さずしおたれているんですから、はるけくもきつるものかなではあります。
いま期待しているのは、皇太子夫婦が「こんな生活もー嫌ッ、やーめた」と皇族を返上しないかな、ということです。そうなったら世の中また面白くなるかも(^^ゞ

 

面白い!  投稿者: 臼田惣介  投稿日: 3 9()000618

引用

管理人 殿

ご無沙汰しています。
「地球沈没」、時代の雰囲気が出ていて面白い。
特に、<馬鹿な国民の皆さん・・・・・・>なんて素晴らしい。
いつまでたっても変わらんどころか、もっとつまらない
時代になっているようで、懐かしい気分になりました。

 

K君  投稿者: 管理人  投稿日: 3 8()215425

引用

K君が亡くなったとの訃報メールが届きました。
K君は、高校の同級生で、当時つくっていた校内同好会SFサークルのメンバーだった男です。
と言っても、私は数えるくらいしか喋ったことがないと思います。誰かの紹介で、会誌にショートショートを載せたいという奇特な同級生がいるというので、会ったのがK君でした。そのショートショートは会誌<磁場>4号(1973年12月17日発行)に掲載されました。
作品は頂きましたが、交友が深まることは、実はなかったんです。なぜなら会誌の発行日である12月17日というのは、なんと3年生の12月17日。まだ受験勉強もせずにこんなことをやっていたようです。しかしさすがに年が明けてからは受験の真っ只中に突入したはずで、それから卒業まで、深く知り合うような時間はなかったのでしょう。当然頂いた作品もそれ1篇きりでした。
高校卒業後は全く没交渉でした。なのでどういう経緯で亡くなったのか、判りません。

昔の会誌を引っ張り出してきて、K君のショートショートを読んでみました。面白かった。筒井康隆の影響モロですが、当時は筒井の影響を受けてないものなどいませんでした。内容は、当時のごくふつうの公立高校生の政治意識、社会意識がもろに出ていてとても興味深いです。むしろ今こそが読み時なのではないかと思われます。
ということで、とりあえず公開してみました。→地球沈没
ご一読いただければ幸甚です。
今月20日に偲ぶ会が催されるそうなので、幹事に上のリンク先を連絡しておこうと思っており、不都合なら消滅させますので、それまでは読めます。

編集済

 

 投稿者: 管理人  投稿日: 3 7()211522

引用

考えたら(考えるまでもなく)ネットで買えばよいことに思い至りました。
よってコピーして頂く必要はございません。お騒がせして申し訳ありませんでした(^^;

 

老いの繰言、2題  投稿者: 管理人  投稿日: 3 7()195924

引用

「何だなんだ!?」
今日はじめてSFM4月号を現認して、私は思わずのけぞりました。
なんですかあの表紙は! 
今月号はウルフが載っているというので楽しみにしていたのに……
私への嫌がらせとしか思えません。
こんな老い先短い年寄りを苛めて面白いのかSFM(涙)
それでも、私は勇気を奮い起こして手に取ろうとしましたよ。
でも……どうしても掴めない。私の指は雑誌に触ることが出来ないのでした。
いいさ、そっちがその気なら、と私はつぶやきました。だれかにコピーを送ってもらうんだから!
というわけで、奇特な方、今月号のウルフの短篇のコピーを、この哀れな年寄りに送って下され。よろしくお願いいたしますじゃ。

で、「ホミニッド」も現認。解説の最後に小さい字で、ネアンデルタールは(ホミニッドはだっけか)原人ではないが語呂がよいので使用した、と書かれていました。
私は思いました。「原人のどこが語呂がええっちゅうねん?」
みなさんはどう思われますか?
「ホミニッド――原人」
「ホミニッド――旧人」
比べて前者が語呂がよいとは、私には思えません。しいていうならば、どっちもどっち。
しかもこの小説に「原人」は出てこないのですから、小学生や中学生の読者の中には、ネアンデルタール=原人という誤った刷り込みがなされてしまう可能性もないとはいえません。
不思議な言語感覚で、わざわざ間違った知識を与えかねない、(原題にはない)不要な付け足しはいかがなものか。
私なら原題HOMINIDSを尊重して「ヒト科たち」としたい。変な小細工はソウヤーに失礼では?
たく「責任者でてこーい!」であります。
この本は購入して読むつもりですが、なんか萎えてしまって今日はちょっと購入する気になれず。

編集済

 

追記  投稿者: 管理人  投稿日: 3 6()212049

引用

下の記述、ネアンデルタールがクロマニヨンより知的に原始的である風に読めるかもしれませんが、そうでもないのです。むしろ脳の容量ではネアンデルタールのほうが大きいそうです。ただ前頭葉はクロマニヨンに比べて発達しておらず、その結果社会性とか芸術性において劣っているらしい。
どうやらネアンデルタールは、真面目一方でユーモアを解さない、しかし働き者で嘘や駆け引きは苦手。そんな人々だったようです。たとえば高倉健さんみたいな。仕事一筋で朝から晩まで働き(逆に言えば楽をすることに思い至らない)、愚痴はこぼさず、仕事後遊びにも行かず判を押したように家に帰ってきて、家族とも殆ど喋らず飯を食って晩酌して寝る、そんなおじさんによく似た人々だったのではないでしょうか。
会話する楽しみを知らないから、社交ということも念頭にない、ある意味人付き合いの悪い偏屈な人たちだったんでしょうか。ゆえに言語も発達せず、従って社会も単純なままだったように想像されます。クロマニヨン人からすれば何を楽しみに生きているんだ、という感じだったかも。
そういう特色が、クロマニヨン人によって劣悪な環境に押し込められることで、新たな進化に至らず停滞したままになってしまったというのが、私のネアンデルタール人観です。

編集済

 

承前  投稿者: 管理人  投稿日: 3 6()133239

引用

早速不備を発見(ーー;
ネアンデルタールは中近東にもいたですね。
ゆえに下のシナリオはヨーロッパ・ネアンデルタールの話とさせていただきます(>いい加減)

さて下のサイト「カルタゴ皇帝ゴンの世界」に「ネアンデルタール」についても書かれていることに気づき、いま読了。
うーん、2001年の作品のせいか、『ネアンデルタール人の正体』を読んだ直後だけに、問題点も見えてきます。もちろん面白いアイデアはたくさんあって触発されますが。

1点7. 肉好きの頭でっかちで、肉好きについては、私は居住環境上、湖の近くでない限り魚肉は手に入らず、植物や木の実も生育しなかったろうから、獣肉しか摂取できなかったせいではないかと思いました。エスキモーと同様の食生活だったのではないか。つまり肉の生食で不足するビタミンBなどを補っていたと考えたい。

それから言語能力を獲得していた可能性はどうなんでしょう。『ネアンデルタール人の正体』では声帯の位置が下過ぎて複雑な発声は困難だったのではないかとかかれています。少なくとも声帯と口までの距離が長いわけですから、我々よりはかなり低音だったかも(^^;

 

純朴ネアンデルタールが悪辣コーカソイド(汗)と共存できた理由  投稿者: 管理人  投稿日: 3 6()12515

引用

先日来、ネアンデルタール人についての妄想がもくもくと湧き出しています。
備忘に少しメモ。

ネアンデルタール人が寒冷適応種だとすると、なぜそのような適応をせざるを得なかったのか。
1)ネアンデルタールの祖先がヨーロッパ進出後、氷河期が進行し氷河に退路をふさがれ(閉じ込められ)暖かい地へ退却できなかった。
というのが先ず考えられます。その結果寒冷適応が進み、人口は最小限に維持される結果社会的スキル(とりわけ言語)も進化しなかった。

こちらの説明に従えば、10万年前にはアフリカに満ちていた現代型ホモサピエンス(クロマニヨン人あるいはその祖)も、5万年前までは(氷河に阻まれて)ヨーロッパに進出できなかったとしています。

次に5万年前から知的にも人口的にも圧倒的に優位なクロマニヨン人が怒涛のごとく押し寄せたにもかかわらず、さらに数万年ネアンデルタールは存続しています。あの凶悪無比な、自分以外は全て破壊抹殺し尽くさずにはおかない(笑)、コーカソイドの祖先であるクロマニヨン人に、数万年も彼らが対抗しえたとはとても思えません。
ではなぜネアンデルタールとクロマニヨンは共存しえたのか。

2)共存したのではなく棲み分けた。
つまりネアンデルタール人は、クロマニヨン人に押されてさらに寒冷地へと移って行ったのではないか。クロマニヨン人が見向きもしない酷寒の土地へ退却することで、彼らは命運を保ったのではないでしょうか。あたかもパンダが食性を変えてまで山奥に退却してその種を保存したように。

その結果、寒冷適応はさらに進み、当然知的進化は停滞し続けますが。(どんどん進化し続ける)クロマニヨン人との接触は殆どなく、命脈を保ちえた。
しかし、気候は次第に温暖化しつつあり、ネアンデルタールの王国は漸次減少すると共に、知的(文化的)進化を続けるクロマニヨン人の活動範囲はどんどん広がっていき、終には自然消滅乃至クロマニヨン人に吸収されてしまった。

このようなシナリオが考えられるのではないでしょうか。

ところで上のサイト「海の人類史」、通読しましたがとても触発されました。しかしグラハム・ハンコックや茂在寅雄のサイトが併設されているんですね(汗)
茂在先生は良いとして、どの程度まで信用できるんでしょうか。「海の人類史」は想像的な部分はあっても、それなりに事実に基づいていて、信用できそうに思ったのですが。 

編集済

 

捏造  投稿者: 管理人  投稿日: 3 5()182726

引用

原田さん
中国人が言う「猿人」を脳内で「原人」に変換しながら交わす会話なんて、考えただけで大変そう(^^; 
たしかに使用する文字が同じだからこそ、よけいにややこしくなりますね。
また意味の違いを知らずにしゃべっていた場合には、喧嘩にもなりかねません。
文化的に差異が小さい方が、逆にコミュニケーションしにくいものなのかも知れません。ご教示ありがとうございました。

さて、先日届いた「季刊邪馬台国」、まずは原田実さんのレポートを読みました。
このレポートは、奥野正男さんの著書『神々の汚れた手――旧石器・捏造・誰も書かなかった真相――(梓書院)の第58回毎日出版文化賞受賞を受けて開かれた「受賞報告会」のレポートで、一読私は驚愕してしまいました。

レポートによりますと、本書は、事件を藤村新一氏ひとりの手によるものとしようと誘導する日本考古学協会・検察の意向を真っ向から批判するもので、20年続いた捏造の少なくとも前半の事例は、ひとり藤村氏の手によるものとは考えにくい、なぜならその捏造はある著名な考古学者とその一門の「理論」を補強するかたちで行われたことは明らかであり、かれらの協力なしにはなしえなかった。しかし罪はひとり藤村氏に背負わせ「捏造に直接手を貸した学者や行政関係者」は何の処分も受けず現在も職に就いていることを告発するもので、本レポートを読むだけでも「底知れぬ闇」の世界の存在がありありと浮かび上がってきます。

正直私はこのような事情を全く知らなかったので、衝撃を受けました。
と同時に、ひとつの記憶が甦ってきました。
いまから20年近く前ですが、仕事上で、ある「問題」を上司に報告したことがありました。そのとき上司は「俺に言うな」と言ったのです。つまり管理者である上司はその「問題」を知ったからには役職上「是正」しなければならない、しかしその「是正」は結果的に仕事の効率を阻害してしまうものでした。つまり上司はそのことを「知らない」ことにしておくことで「効率」のほうを優先したわけです。
そのとき私は、なるほど上司に報告してはいけないこともあるのだな、という「社会的スキル」を獲得しひとつ賢くなったように思ったものですが、よくよく考えれば、その場合問題が発覚したとき、責任を問われるのは「知っていながら上司に報告しなかった」私であったわけです。

あるいは上の捏造事件も、上司である考古学者たちは、「積極的」に藤村氏の捏造に加担したのではないかもしれません。しかし「見てみぬ振り」をしていた可能性は大いにあるのではないか。つまり積極的に問題を是正するのではなく、気がつかない振りで問題を放置した可能性。これは「消極的な加担」といってよいと思います。
いずれの場合も「共同謀議」は成立していると考えるべきです。
本書の受賞を契機に、マスコミがどう動くのか、よく見極めたいと思います。

 

 原人余談  投稿者: 原田 実  投稿日: 3 4()23267

引用

日本でいう「原人」は中国では、猿人といいます。北京郊外周口店、かの有名な北京原人が出土したとされる洞窟は現地では原人窟ではなく、猿人窟と呼ばれています。これが日本人向けガイドだと、原人窟になったりするわけです(ただし、そこが本物の出土地かについては別の洞窟とする異説もあるようです)。では、旧人が原人になるかというとさにあらず、日本でいう「旧人」は古人、「新人」は智人になります。ネアンデアルタール人は中国では古人になるわけです。なまじ同じ文字を使っているだけに誤解が生じかねないのですが、我が国にも彼の国にもそれぞれ経緯があるわけで、そうそう統一というわけにはいかないようです。

http://www8.ocn.ne.jp/~douji/

 

「ネアンデルタール人の正体」  投稿者: 管理人  投稿日: 3 4()203152

引用

赤澤威編著『ネアンデルタール人の正体』(朝日選書、05)読了。
無類の面白さ! なんとなくネアンデルタール人がどういう「人間」だったのかイメージができました。早くも本年非小説ベストワンかも(^^;
この本も詳しく感想を書きたいと思います。わ、感想書かねばならぬ本が溜まってきました・・

ところでソウヤーの新作「ホミニッド 原人」はネアンデルタール人の話らしいですね(amazon)。なんというシンクロニシティ!

しかし「原人」とはどういうこと? ネアンデルタールは原人ではなく旧人でしょう。我々と同じホモサピエンスですよ、Homo sapiens neanderthalensis なんですから!
まさかソウヤーがそんなミスをするはずがない、と原題を確認しますと、そんな副題は付いてない。日本が勝手につけたものですね。
あるいは「hominid」が「原人」という意味かと思いついて英和辞典を検索しました。
「〔形〕〔名〕人類 ヒト科の動物(の)」とありました。

さらにグーグルで検索しますと、
■ホミニッド
  ヒト科。サルは含まれない。
  化石で見られるヒトのさまざまな祖先種あるいは類縁種たちと、現存するヒト(今の私たち)をあわせた総称で、直立二足歩行が主な特徴。
という説明がありました。→こちら

つまりホミニッドという単語自体には「原人」という意味はなかったわけです。
あらすじから想像するに、原題は「Hominids」と複数形になっているのだから、同じホミニッドである現生人類とネアンデタールの2種の人類を表現しているのではないでしょうか。

うーむ、なぜに「原人」なんていう副題が付いたんでしょうか? 謎ですなあ・・
しかしわざわざそんな副題をつけるのですから、何か深い意味が隠されているに違いありません。
え、読めば分かるだろうって、おっしゃるとおり(汗)

編集済

 

「上海独酌」  投稿者: 管理人  投稿日: 3 3()21536

引用

2月20日の産経新聞の福島泰樹「絶叫短歌塾」で、村上知子さんの歌集『上海独酌』が取り上げられています。大絶賛です(^^) いや福島泰樹さんに認められましたか! 素晴らしい。流石です! 
4首選ばれていますが、どれも私自身は目が上滑りしていた歌。こうして紙面で再読してはじめて良さに気がつきました。うーむ未熟である(ーー;
というわけで、『上海独酌』引っ張り出してきてぱらぱら目を通しているところ(^^;
福島泰樹さんは、もちろん本多正一さん作成の中井英夫年譜に、「葬儀は“アラビク”に程近い下谷・法昌寺で導師・福島泰樹のもと行われ、のちに中井英夫供養塔が建立された」とあるところの、歌人福島泰樹さんです。
ついでですが、私がbk1に送った感想文もお読みいただけたら幸甚bk1

 

眉村さん情報  投稿者: 管理人  投稿日: 3 2()212339

引用

雑誌MOKU3月号に、インタビューの構成記事<夫婦が創り出した1778日の「日常」>が掲載されました。(サイトはまだ更新されてないようですね)
事実関係に新しいことはありませんが、眉村先生の「1778日」に向うまなざしがずいぶん変わったなと感じました。いや変わったというのではありません。新潮新書でもいくらか感じてはいましたが、視点が少し離れたところに移動しつつあるように思います。はや3年半にもなるのですから、ある意味それは当然かもしれません。
ご本人も「日にち薬」という言葉を引き合いに出されています。もとよりそれは「無理に遠ざけようとか、消そうということではありません」。直後では見えなかったものが、次第に見えるようになってきたということなのではないかと想像します。
何度も書きますが、「1778日」関連のエッセイやインタビューは、事実の重複をおそれず時系列にそって一冊にまとめて欲しいと思います。


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