ヘリコニア過去ログ2005年6月)


 

眉村さん情報  投稿者: 管理人  投稿日: 6月30日(木)19時47分40秒

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1)既に終わっているのですが、去る6月21日(火)大阪府立文化情報センター
さいかくホールにおきまして、「ショートショートの色合い」とのタイトルで講演されました。
これは大阪芸術大学公開セミナー2005「色を楽しむ」のプログラムのようです。一般講座なので聴講できたようです。残念。

2)来たる7月16日(土)教育テレビ「NHK俳句」(午前08:00〜午前08:30)にゲスト出演されます。(再放送は、7月20日水曜、午前05:30〜06:00)
眉村さんのナマ俳句を聞けるチャンスですので、みなさまお見逃しなく!

また、眉村さんが教え子たち(?)の作品を編輯した作品集が上梓される予定とのこと。こちらも楽しみです(^^)。

 

早くも夏ばて気味  投稿者: 管理人  投稿日: 6月29日(水)20時33分13秒

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柳生さん
わざわざお知らせありがとうございました。
ハードロック系が挙げられなかったのは意外でした(^^;
クレージーケンバンドはいいですねえ(ドラマは見ていません)。
南湖さんといえば、その後の経過は順調なのでしょうか。うまくいけばいいですね。

スタージョン『輝く断片』に着手しました。

 

Musical Baton  投稿者: 柳生真加  投稿日: 6月29日(水)15時15分43秒

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お久しぶりです。
今ごろの反応でごめんなさい。Musical Batonですが、バトンを渡す5人が思いつかないのですが、一応あげてみました。
でまはた。

http://kazenotubasa.cocolog-nifty.com/

 

「社会的ひきこもり」  投稿者: 管理人  投稿日: 6月28日(火)19時42分42秒

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私の部屋は2階で、ベランダから泉州地方独特の景観である溜め池が見えるのですが(いまひとつの景観であった風車は、もはやどこにも残っていません)、夕方になりますと、池の上空をコウモリが群れて乱舞します。おそらく水面に発生する蚊などの小昆虫を捕食しているんだろうと思うのですが、最近そこにカラスがやってくるのです。
ついさっきも5羽くらいが水面の上空を汚い声で鳴きながら行ったりきたりしていました。
するとコウモリの群れが消えてしまうのです。これはカラスを避けているのではないでしょうか。
見ていると、何となくコウモリを追いかけているように見えます。カラスはコウモリを空中で捕食したりする習性があるんでしょうか。>ふと感じた疑問(^^;

斎藤環『社会的ひきこもり 終わらない思春期(PHP新書、98)読了。
基本的に実践書。いろいろ考えさせられる。

 さまざまな能力に恵まれたエリートと呼ばれる人たちが、しばしば社会性に欠けていることが多いことも、この「去勢」の重要性を逆説的に示しています。
つまり人間は、象徴的な意味で「去勢」されなければ、社会のシステムに参加することができないのです。
(…)成長や成熟は、断念と喪失の積み重ねに他なりません。
成長の痛みは去勢の痛みですが、難しいのは、去勢がまさに、他人から強制されなければならないということです。みずから望んで去勢されることは、できないのです(206p)

 数年前、思春期の問題を扱ったテレビをみて、次のようなシーンに出くわしました。
一つのテーマとして、家庭内暴力を振るう息子と母親の葛藤が描かれるのですが、その結末で、母親は中学生と思しい息子の気持ちを受け入れ、なんと赤ん坊のように抱きかかえて乳房を含ませるのです。
これを見て私は、あまりのことに愕然としました。どうやらこれはハッピーエンドとして理解すべきシーンだったようですが、私はむしろ、この母子の行く末を思って暗澹としてしまいました。
ここにはいかなる治療論もなく、ただ闇雲に癒されたがっている、誰かのはしたない欲望が吐露されているだけではないか。
(…)問題はおそらく、このような解決を望むかのような社会的状況がありはしないか、ということです(157p)


 このシーン、きっと母親は若く美人で、乳房も張りがあって綺麗だったんでしょう。息子もイケメンの兄ちゃんだったんでしょう。それはまさに論外。
私は母親が治療疲れでやつれ果てた老女で、しなび垂れた乳房から真っ黒な乳首を息子に含ませるのならば、文学的にはオッケーです。息子が30過ぎの頭が薄くなった中年なら、なおオッケー。
こういうシチュエーションであれば、著者の感想も変わっていたのでは?

本>今日も2軒探してみましたがなかった。こうなったら意地です(^^ゞ

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SFベスト201  投稿者: 管理人  投稿日: 6月27日(月)21時27分39秒

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>『現代怨霊スポット199』
コンビニ2店ほど覗いてみましたが、置いてなかった。また別な店見てきます(^^;

昨日もちょっと話題にした伊藤典夫の『SFベスト201』ですが、岡本俊弥さんの採点表がアップされています。→岡本家記録とは別の話(SFベスト201篇)
うーむ、いかにも岡本さんらしい評点ですな。

本書は「80年代SFの紹介を目指したもの」とのことで、丁度わがSFミッシングリンクの時代に相当します。なので、私が読んでいるのは、30冊程度という体たらくで語るもおこがましいのですが、「伝道の書に捧げる薔薇」が4点で、「時は準宝石の螺旋のように」が3点というのは納得いきません(^^;

「ストーカー」の4点はわが意を得たり!なんですが、「神鯨」は2点ですか……うーむ。
実は「神鯨」、先日の畸人郷では全員、筒井さんの涜書メモ等で「当時とても気になっていたが読まなかった作品」として印象強く、これを期に古本屋で探して読んでみようかなどと話していたのですが……2点ですか(ーー;

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幽霊は科学できるか?  投稿者: 管理人  投稿日: 6月26日(日)20時55分39秒

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原田実さんのホームページを覗いてみたら、最近出た『現代怨霊スポット199』(日本文芸社)に、「幽霊は科学できるか?」が掲載されたとの告知が。
『科学とオカルト』を読んだあとだけに、とても興味をかき立てられます。コンビニに置いてあるとのことなので、探しに行ってこようかな。

斎藤環『社会的ひきこもり
 終わらない思春期に着手。

 

眉村さんのサイン(^^;  投稿者: 管理人  投稿日: 6月26日(日)14時19分50秒

引用

下の目録に書いてもらいました!
ちなみに目録自体も眉村さんからそのとき戴いたもの。
左の番号への丸印は眉村さんの読了チェック。黄色のマーカーは私の読了チェックです。

 

畸人郷  投稿者: 管理人  投稿日: 6月26日(日)13時49分1秒

引用

わ、ムカデ(7センチ)に中指を噛まれて目が覚めました(田舎や)。
とりあえず近くにあったカッターナイフで(刃をライターで焼いてから)切開し、吸い出し、暫く出しっぱなしの水道水に晒しておきました。
ムカデに噛まれたのは記憶にある限りでは初めてだったので、適正な処置であったかどうかわかりませんが、現在、腫れ上がってもいず、痛みもありませんから、まあよかったのでしょう。

Kicineさん
>かわいい
たしかに「小さい」とか「狭い」とかいう「サイズ」が重要な感覚ではありますね(^^;
それからの援用(?)で「未熟」とか「達してないものが達そうとする意志」なんかに対しても発動しがちかも。
一方で、我々の世代では積極的に用いられない単語です。自然に出てくるというよりは、使うときは「お世辞」的にというとちょっと違うのですが、つまり他者の存在が前提になって(慮って)出てくる言葉であるように思います。
少なくとも私自身、自分しかいない場所で、何かを見てそれに対して「かわいい」と発話することはめったにないですね。

>アナウンサーなど言葉を仕事にしている人はなんでも「かわいい」で片づけちゃいかんな
このような傾向が、再帰的に私自身の「かわいい」感を後ろ向きにしているのは絶対に間違いないところです(ーー;

さて、きのうは畸人郷例会。山沢晴雄先生による天城一先生最新情報(数時間前!)とか、眉村さんがKTSCに所属していたとか、会員T氏のとても楽しみな情報とか(^^)。
2次会は、なぜか「ふたこぶラクダ」の上のこぶに偏った構成となり、昔話で盛り上がりました(^^;
例の伊藤典夫の本を前に、早川書房の71年目録とか「銀河帝国の興亡3」の付録だった東京創元社の目録(鼎談つき)とか、涜書ノートとか、あの当時は出発点はみんな同じだったことを再確認。
    ↓クリックで拡大

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小さきもの  投稿者: Y.Kichine  投稿日: 6月25日(土)19時59分56秒

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枕草子(でしたっけ)にも「小さいものはみなかわいい」とあります。生き物は感じ方もいろいろありますね。人によっては苦手という人もいるでしょうし。
確かに姿そのものよりも、えさをねだる様子や飛ぶ練習をしているところなどに惹かれますね。かなり大きくなっても狭い巣にぎゅうぎゅう詰めに入っているところとか。
そういう意味では記憶の蓄積から「かわいい」という結論を引き出していると言えると思います。

ただ、アナウンサーなど言葉を仕事にしている人はなんでも「かわいい」で片づけちゃいかんな、とは思います。他にも表現は考えられるのでは。

 

Re:ツバメの子  投稿者: 管理人  投稿日: 6月24日(金)21時58分19秒

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Kichineさん
そうですか、やはりかわいいと感じられるのですね。Kichineさんは共感能力が発達してるからなあ(ロボットにも人間を見てしまいますもんね(^^;)
うーんそうかなあ(^^;
それは、
1)純粋にツバメの子の「姿(顔)」に対してそう感じるのでしょうか?
それとも、
2)親が子供にえさを与える、子がピーピーえさをねだる、その一連の行為の中にあるツバメの子の「情景」に対して感じられるのではないんでしょうか?

私自身はツバメの子の「姿(顔)」を見て、かわいいとは感じないのです。だいたい鳥類一般の「顔」は、私の考える「かわいい」とは対極にあるんですよね。

2)の場合も、私は「けなげだ」とか「元気やなあ」とか「頑張れよ」といった好意的な感情を持ちますが、それは「かわいい」とは少し違うのです。

うーむ。ちょうど『科学とオカルト』を読み終わりまして、そのなかに、イヌはどの個体をとっても全て例外なく異なっており、全く同一の個体はない。
それでも我々はイヌと認識するのは自然(イヌ)の方ではなく、観測する脳の方にその根拠があるのだ(例えば水素原子Hも同様に、宇宙に存在するH原子は全て違う個体(?)なんだが、観測装置がHは全て同じ(個でしかも普遍)という理論と結びついて作られているので個々のHの違いを観測できない)という記述があって、なるほどと思ったんですが、その伝で、個々の自然(リアルなツバメの子=視覚情報)が、脳で普遍的なアニメなツバメの子として観測されてしまうメカニズムという仮説を書きかけていたんです。
が、Kichineさんの感想をお聞きしまして、ちょっと待てよと(^^;。もう少し考えてみます(^^ゞ

下のオリゴ党の公演「料理天国へ宜候」ですが、今ならまだ食事サービス付券あるそうです。岩橋さんが取り置き(^^)してくれるとおっしゃって下さっているのですが、だれか一緒に行きませんか?>アレクすてさんいかがですか(PC復活まだでしょうか)

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ツバメの子  投稿者: Y.Kichine  投稿日: 6月24日(金)20時41分28秒

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どうか、気になさらず……これといった回答が考えられなかったものですから。
みなさんの答えを楽しみに渡り歩いています。

ところで少し前の話題ですが、田舎なので私の職場には毎年ツバメが巣を作っています。
もうかなり大きくなってしまいましたが、なかなかかわいいですよ。親がトンボをまるごと与えているところを見たことがあります(^_^;)

 

オリゴ党公演のお知らせ  投稿者: 管理人  投稿日: 6月23日(木)22時10分12秒

引用

Kichineさん
わざわざお越し下さり恐縮です。スルーして頂いて構わなかったのに(汗)。
こういう指名って難しいですね。人によっては渡りに舟と飛び乗ってくるんですが(私がその典型(^^;)。いずれにしましても、お気を使わせてしまい、申し訳ありませんでした。

さて、オリゴ党代表・岩橋貞典さんから、待ちに待ったオリゴ党の公演「料理天国へ宜候」のDMを頂きましたので、こちらでも掲示しておきます。ということで、ここをご覧下さい→料理天国へ宜候

○日程
 平成17年7月 9日(土) 15:30 19:30
         7月10日(日) 13:00 17:00
○会場
 トリイホール 06-6211-2506
○料金
 前売り 2000円
 特別券(料理付) 2000円(要予約)

○チケット問い合わせ・予約
 劇団   06-6927-3677(TEL&FAX)
 携帯    090-1718-0015(イワハシ)
 E-mail  origo_iwahashi@yahoo.co.jp

 〒534-0022 大阪市都島区都島中通1-13-12

今回の公演は、料理の話のようです。しかも実際に舞台上で料理を作り、そして食べる。舞台上だけではなく観客も一緒に、ということらしいのです。→「お客様にお食事をお出しする予定ですが、準備もありますので料理付特別チケットに関しては完全予約制にいたします。あしからずご了承下さい。」
一体どのようなお芝居なんでしょうか? いやあ楽しみですねえ(^^ゞ。

 

バトンの件  投稿者: Y.Kichine  投稿日: 6月23日(木)20時35分7秒

引用

すっかりごぶさたして申し訳ありません。よそで見かけて楽しそうだなーと思っていたのですが、冷静に考えると音楽には全く疎いのでした。回す相手ももう見あたらず(^_^;)
しかもwinXPをsp2にしてからパソコンから音が出なくなり(たぶんドライバか何かが原因だと思うのですが)放置してある状態です。
本に関する何かが回ってきましたら参加させてください。

せっかくなので一番最近買ったCD(年1枚ぐらいしか買わないかもしれません……)
「マジカル・ミステリー・クラシックス」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007N35CA/
ピアノとバイオリンのコンビによる笑えるクラシックです。
浦島太郎が宇宙へ行っちゃったり。

 

Musical Baton  投稿者: 管理人  投稿日: 6月22日(水)21時18分19秒

引用

わ、堀晃さんから Musical Batonというのが回ってきました(^^;。

喜んでお答えいたします。

1:Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
 入っていません。わがコンピュータのスピーカーが貧弱なので、基本的にパソコンで音楽を聴かない。たまにインターネットラジオでブルーグラスを聴くくらいです。

2:Song playing right now (今聞いている曲)
 昨晩聴いた曲なら、南佳孝「セブンス・アヴェニュー・サウス」。たまに聴きます(^^;

3.The last CD I bought (最後に買ったCD)
 マイルス・デヴィス「ビッチェズ・ブリュー」
 (ついでながら今、買おうか買うまいか迷っているのがオシビサ「ブラック・ナイト」)

4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
 よく聴くのは、ローリング・ストーンズのミック・テイラー在籍中のアルバム。具体的には「レット・イット・ブリード」から「イッツ・オンリー・ロックンロール」まで。
 ただこれらは、SFでいうなら「タフの方舟」みたいなもので、自分の音楽観がこれを聴くことでわっと拡大するという類の音楽ではないので、別格とさせていただき、この設問では、その曲を聴いたとき、ニュ−ウエーブを読んだ時のような、わ、こんな音楽があるんか、と自分の音楽観が無理矢理ぐわっと押し広げられ、センス・オブ・ワンダーにぶちのめされたものを、時系列順にあげてみます。

 1)ピンク・フロイド「原子心母」は中学3年の時。チャチャヤングで眉村さんが20数分の全曲をCMなしでかけたのが懐かしく思い出されます。今では考えられない暴挙(^^;でしたが、そのときは既にレコードを持っていましたな。

 2)エマーソン・レイク&パーマー「展覧会の絵」は高校1年の時。NHKのヤングミュージックショーで映像を見たときはその早弾きにぶっ飛ばされました。レコードが先か映像が先かは覚えていません。

 3)ジョン・マクラグリン&サンタナ「魂の兄弟たち」は、高3の時。それ以前にサンタナ「キャラバン・サライ」がそれまでのサンタナのイメージを一新する名盤で気に入っていたので、このアルバムが出たときも、予備知識なしに即買いました。
 ところがこれが、そのときは名前も知らなかったコルトレーンへのオマージュアルバムだったわけです。で、これまで聴き馴染んでいたプログレとは全然違う演奏に「なんやこれ?」。クエスチョンが、頭の周りに飛び交うばかり。しかし高校生が大枚2000円なにがしはたいて買ったレコード、なんで聴かずにおられよかと、意地になって聴いているうちに、次第に気持ちよくなってきたのでした。ですからジャズ的な音楽の聴き方の入り口はこのアルバムだったのです。

 4)マハビシュヌ・オーケストラ「黙示録」は、浪人時代。マクラグリンがオーケストラを駆使して作り上げたサウンドは、私の中では「原子心母」の対極に位置する傑作アルバム。もはやジャズとはいえないかもしれませんが、マクラグリンでは一番好きなアルバムです。

 5)ジョン・コルトレーン「アセンション」は大学2年生でしたか。ともかく上述の過程で知った(マクラフリンやサンタナに影響を与えた)コルトレーンとはどんなやつや、とまず買ったのが、「オレ/コルトレーン」。これがはまりまして、他のコルトレーン作品やジャズのアルバムを集めはじめました。大学の生協でときどき輸入盤フェアがあって、安く買えた。そうして買ったなかに「アセンション」や「エクスプレッション」があって、現在この2枚がマイベストトレーンなんですが、アセンションで代表させることにしました。

5.Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
 というわけで、どんな音楽生活を送っておられるのか興味津々の、
 柳生真加さん
 野村恒彦さん
 らっぱ亭さん
 kichineさん
 本遇寺さん

もしご覧になっていましたら(そして趣旨に賛同していただけましたらですが)、どうぞよろしくですm(__)m。

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「動物化するポストモダン」  投稿者: 管理人  投稿日: 6月19日(日)19時16分37秒

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を、チャチャヤン気分に掲載しました。

池田清彦『科学とオカルト』読み中。

 

「怪盗ファントム&ダークネス EX-GP2」  投稿者: 管理人  投稿日: 6月18日(土)21時19分51秒

引用

を、チャチャヤン気分に掲載しました。
大人が読んでも十分楽しめます。ていうかこの題材でジュブナイル書きますか(^^ゞ

 

朝ミラに  投稿者: 管理人  投稿日: 6月17日(金)18時36分44秒

引用

小松左京さん出演!
東京から電話での出演でしたが、相変わらず話題がアッチャへ行ったりコッチャへ行ったりで、受けるかんべさんも右往左往(^^;
ようやくアシモフの話題になったと思ったらタイムアウト。まあ、お元気そうで何よりでした(^^)

なお、朝ミラ来週は、火曜日が石毛直道さん、水曜が「トールチャンッ!」の酒井くにおさん・とおるさんです!

朝はミラクル→http://www.obc1314.co.jp/bangumi/miracle/

 

「グロテスクな教養」  投稿者: 管理人  投稿日: 6月16日(木)20時17分12秒

引用

高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書、05)読了。
「教養」なんて切り口で考えたことがなかったので、とても面白かった。
ただ、着地点が全然見えてこず、???という感じがずっとしていたのだけれど、あとがきで氷解。

1930年代の文章が多く引用されているのだが、それらがまるでつい最近書かれたように見えるのに驚かされます。つまり「教養」という切り口から近・現代日本を眺めるとき、浮かび上がってくるのは〔教養→教養の崩壊〕というシェーマが30年代から70年代にかけて支配的に存在していたということに他ならないわけです。
〔教養→教養の崩壊〕は教養(教養人)と知識(受験秀才)間のダイナミックスとも整理できるでしょう。
わたし的にいうなら、教養とは知識が内面化されること。内面化とは、新たに取り込まれる知識が、既に内面化された知識を否定的に揚棄(アウフヘーベン)する(今村仁司『マルクス入門』参照)、その繰り返しによって自己を形成し、作り変えていくこと。
受験的知識においては、知識は内面化されず、「カーニヴァル化する社会」的にいうならば、その都度必要に応じて外部からダウンロードされ、また消去されて新たな(別の)知識がダウンロードされる、その繰り返しであり、そのような自己はいつまでたっても変化せず、というより形成されない、ということになります。

さて、では70年以降、上述のシェーマは有効性を失ったのか?
本書ではその辺にはあまり突っ込んでなく、あとがきにあるとおり「建設的な」ものとはなっていません。
70年代に有効性を失ったのならば、その原因は当然近代資本主義の消費資本主義への進化(先鋭化)が疑われるわけです。
そうしますと、本書も「カーニヴァル化社会」の一環として分析されるべき主題といえるのかも知れません。

ところで、上の理由から考えれば、「カーニヴァル化社会」の人間型は、消費資本主義化によって新たに生まれたものというよりも、もともと資本主義化、近代化と表裏だったものが一挙に顕在化したものと考えるべきなのかも。

それはさておき、著者の文体は、本文中でまことに屈折した仕方で記述される庄司薫の、その文体の影響がモロで、学生時代、私の周囲にも庄司薫信者の女子学生が多く存しましたが、おそらくは私とほぼ同世代(3歳年下)の著者もまた、そのような一人だったのではないか。それは先ず間違いないことのように思われます。なんとなく親近感を感じてしまいました(^^;

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ツバメのヒナは「か〜わいい」?  投稿者: 管理人  投稿日: 6月15日(水)21時03分58秒

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河内屋菊水丸さんのラジオ番組で、リスナーからの「ツバメのヒナが成長して口ばしと顔が巣から覗けるようになった」というおたよりに、若い女性アシスタントが「わ〜、か〜わいい!!」というのを聞いて、私は首を傾げました。

顔じゅう口にしてピイピイ鳴き喚く貧相なヒナが、そんなに「か〜わいい!!」もんでしょうか?
それをいうなら、「けなげである」とかそういう感想が私なら出てくるように思います。

そこまで思ったとき、私はハタと膝を打ちました。
おそらくこの女性タレントの頭に浮かんだイメージは、リアルなツバメの毛羽立って貧相な、一種不気味といっていいヒナの姿ではなく、マンガとかアニメの(クリクリッと二重まぶたの)ヒナが、巣からちょこんと首を出している図を想像したのではないでしょうか!

そうか、最近の若い者は、目の前にないものをイメージしようとするとき、、無意識にマンガやアニメの絵として想起しているのではないか。だからどちらかといえばグロテスクなヒナを「か〜わいい!!」という風に認識してしまうのだ。

しかしまてよ。
彼女らは現実に目の前に見えているものでも、何でもかんでも「か〜わいい!!」といっているぞ。
だとすると彼女らは、現実の、リアルな視覚像さえ、脳でアニメ絵に変換して認識している、ということになるのかな。そんなことがあるだろうか。いやきっとそうに違いない。

うーむ。彼女らの認識する外界像がどんなものか、できるならば頭蓋を開いて、一度覗いてみたいもんですな。

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「グロテスクな教養」読み中  投稿者: 管理人  投稿日: 6月14日(火)20時28分38秒

引用

オモロイなあ(^^)

●秀才と優等生は、日本では侮蔑語である。(29p)

●出世や世渡りの「じゃまをする教養」(36p)

●山崎正和が(…)なぜか渡邊恒雄(一高・東大出身)の思い出話をもちだして、ナベツネ氏の教養の高さを絶賛するように、(たかが?)「教養人」とは要するにそのようなものなのだ。(41p)

●「いかきょう」、つまり、いかにも大生みたいな世間知らずの、たんなる受験秀才と(合コン相手の女の子たちに)思われるのを怖れる彼らは、とりあえず大学名(だけ)ですこし差異化しておいて、あとは、サブカルチャーも流行も女の子も知っている、秀才ぶらない気さくさで、周囲から浮かない術を身につけようとする(38p)

●「現代の大学生は人間形成の手段として従来の人文的教養でなく、友人との交際を選ぶ傾向が強い」(…)問題なのは、「友人との交際」も含めた人間関係の中で、うまく世渡りしていく技術だけを求めている、その迎合的態度の卑小さだ。(同上)


いてますなあ、人脈の広さを吹聴するのが自己の広さだと思っている受験秀才なれの果てのサラリーマン(ーー;

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私もマルクス並みにミクロロジストでして(>全然違う!)  投稿者: 管理人  投稿日: 6月13日(月)20時37分26秒

引用

藤野さん
JIVEという会社はまだ設立2年なんですね。→会社案内
しかも出版事業はキャラクターコンテンツの一環としての位置付けみたい。
旧来の出版社と違うこのようなタイプの会社の人とシステムに、所謂出版社並みのレベルを求めるのは酷かもしれませんね。
とはいえミスはミスですし……かといって見方をずらせば(一部大物を除けば)作家も出入り業者といえなくもないわけで、しかも新人となればむやみやたらとクレームも付けにくい、となりますと……いや藤野さんも大変ですねえ、お察し致します!(←勝手に物語を作ってる(汗))

今村仁司『マルクス入門』(ちくま新書、05)読了。
斎藤環『「負けた」教の信者たち ニート・引きこもり社会論(中公新書ラクレ、05)読了。

ひきつづいて『動物化するポストモダン
 オタクから見た日本社会(現代新書、01)の再読に着手。

で、今日買ったのは『グロテスクな教養』(ちくま新書、05)。おお、庄司薫論だ(^^;

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やはり、気づかれましたか……(泣)  投稿者: 藤野  投稿日: 6月13日(月)13時20分38秒

引用

訂正できない段階での見本を見て気づいて、目の前が真っ暗になりました……。
本当に、尊敬してる作家さんのお名前を間違えてしまうなんて、信じられないくらい失礼なことだし、ご迷惑をかけてしまって、どうしたらいいんだろう……、と落ち込みまくりです。
私の名前で本を出している以上、私の責任です。
くれぐれもルビを間違えないようにお願いしますと、伝えるべきでした……。(一巻では、正しかったので、そういうことに気がまわらなかったのです)
大熊さんのように「ふりがなを付すのは作者のはずがなかろう」と推理して、一巻で確認してくだされば、とてもうれしいのですが……。
ああ、見苦しく言い訳をしていますね。
次回からは、気をつけたいと思います。

 

Re:ほうげつ……  投稿者: 管理人  投稿日: 6月12日(日)22時39分18秒

引用

ふみおさん
作家の名前を間違えるのは最低というよりも論外ですよね。

>異形
たしかに前の出版社のときは、本文でもミスが多かったような。具体的な例は俄かには思いだせませんが。
どんな理由があったのか知りませんが、異形の場合はむしろ出版社を変わることができて良かったのでしょうね。もちろん異形の実力が評価されたからこそ可能だったんでしょう。

 

ほうげつ……  投稿者: ふみお  投稿日: 6月12日(日)22時21分22秒

引用

そういや朝松健さんは異形が某社から出ていたころ、扉のページで名前を間違えられていたことがありました……

そんな出版社大丈夫なのか? と思っていたら、案の定、大丈夫じゃなかったです(笑)。

 

SF界のご意見番  投稿者: 管理人  投稿日: 6月12日(日)22時16分57秒

引用

元ネオヌル編集長にして独断と偏見(>嘘)の批評家、岡本俊弥さんの文章から、年齢を経るごとにその毒舌が消え角が取れ、丸くなっていくことに一抹の寂しさを感じていたのは、私だけではないでしょう。
しかしみなさん、朗報です。岡本さんのHPへは、通常こちらから入られると思うのですが、このページの左側に並んだボタンのうち、「This Weeks New」をクリックしてご覧なさい。それがこのページ(ブログ)なんですが、内容は最初のページと同じものながら、こっちには最初のページにはない文章が末尾に追加されています。
さてみなさん、そのブログのほうに付加された文章にご注目いただきたい。これらの一文こそ、最近とみに薄まっていた、岡本さんの「本音」が、あの毒舌が復活しているのです。
いやこれを待っていたのですよ(^^)
まあ今週はちょっと甘めですが、たとえば『天空の秘宝』や『アグレッサー・シックス』などをご照覧あれ、岡本節が炸裂しています(^^;
今後岡本さんのページへのリンクは、ブログのほうへ変更されることをお勧めしておきます。

 

ほうげつろんたろう  投稿者: 管理人  投稿日: 6月12日(日)12時53分3秒

引用

堀さん
先日いろいろ検索していて、どうやらテレビ東京「夏祭りにっぽんの歌」に出演するらしいです。
この番組自体は7/1(金)簡易保険ホールにて収録されるようですが(開演19:00終演21:50)、放送日はテレビ東京のサイトにも、テレビ大阪のサイトにもまだ載っていませんでした。ただ、テレビ和歌山では7/8(金)19:30〜22:33枠で放送されるようですので、テレビ大阪も1日か8日のうちどちらかではないでしょうか。

さて、amazonより藤野恵美『怪盗ファントム&ダークネス (EX-GP2)とスタージョン『輝く断片』が届きました(^^)
実は、amazonは1500円以下だと送料がかかってしまうので、10日発売のスタージョンの予約と抱き合わせで発注したら、今日になってしまったという次第。遅くなって済みませんでした>藤野さん(汗)。

ぱらぱらめくってみる。
奇コレの『輝く断片』、またこの表紙ですか。ちょっと飽きてきましたな(ーー;

わ、「ほうげつろんたろう」っていったい誰ですねん(^^ゞ 
ふりがなを付すのは作者のはずがなかろう、と思って、1巻を調べたらやはり間違ってない。よって作家のミスではなく、本書担当の編集(と校正)のダブルミスが疑われます。しかし「のりづきりんたろう」という名前すら知らない、というよりも読めない(そして校正できない)出版編集の人間って、、、
大体「ろんたろう」って振り仮名を振った瞬間に、「あ、これは変」という感覚が働かんかね(ーー;

編集済

 

Re:じゅんとネネ  投稿者: 堀 晃  投稿日: 6月11日(土)22時51分23秒

引用

なな、なんと。
「じゅん」さんの方は東京は「電通」近くで喫茶店やってはる。と鏡某さんから聞いた。
「ネネ」さんは某氏の奥さんによく似ている(むろん別人)。……某氏がとつぜん結婚して、どんな人だというと「ネネさんに似ている」という、まあそんな話でありましたか。
……ともに20年以上前の話。
うーん、見てみたかったなあ。

 

何をさせますねん!  投稿者: 管理人  投稿日: 6月11日(土)20時31分15秒

引用

ややっ、かんべむさしさんのホームページに、『理屈は理屈 神は神』の私の感想文が引用されていて、ビックリ!! こちら→『理屈は理屈 神は神』 続考篇の「◎読者の感想」

一瞬ひやりとしましたが、好意的に引用していただいており、ホッとしました(^^;
読んで下さり、ありがとうございました>かんべさん

>さらに、はるか遠い未来には、「神」という名で呼ばれている「遍在意思」が、どんな
>ものであるかも解明されるのではないかと考えているわけです(←書籍中に記述あり)

それで思い出したのですが、かんべさんは「ビッグバン」から「神の創造」を連想されたのですが(49〜50p)、本書読了後に着手した平谷美樹さん『黄金の門』には、ずばり「ビッグバンこそ神だ」という記述があり、その「意味ある偶然」にウーンとうならされたのでした。

上掲書によればビッグバンが神だからこそ、神は遍在するのだと(だから将来ビッグクランチに転じたとき、すべては「全なる一」に回帰するわけです)。逆に言えば(というか見方的にはこっちが正確なんですが)私たちは神の中に存在している、世界内存在ならぬ「神内存在」なんです。
つまりこの仮説は、かんべさんの所謂「遍在意思」を説明しうるものなんですね。

――てなことを考えておりましたら、『黄金の門』の感想を、チャラチャラとは書けなくなってしまいました(汗)

それはそうと、下の画像、何をさせますねん。無茶したらいかん。詳細はこちらをお読みください(^^ゞ

編集済

 

じゅんとネネ  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 9日(木)18時51分47秒

引用

昨日、フジテレビがサッカーの裏に放映した歌番組に、「じゅんとネネ」が出演していたそうです。うーん見たかった!
なんと活動再開(!)らしいです。なのでまたチャンスがあるかも(^^;

ここで「愛するって怖い(ver.2000)」が視聴できます。→http://www.amanakuni.net/sanaenene/music.html

編集済

 

Re:だれや?!その2  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 8日(水)19時32分6秒

引用

堀さん
情報ありがとうございます。
いや〜いいですねー、雰囲気出ていますねえ(^^; しかし輪島の方がはまり役かも、、、

>「イン・ア・サイレント・ウェイ」
うーむ……
超一流メンバー勢ぞろいで、どのプレーヤーの演奏に注目しても、すごいテクニックとセンスです。なんですが――ところが、それが集合した全体はというと……なんか単なるイージーリスニングに聴こえてしまうのはどうしてでしょう?

サイケおやじさんには申し訳ないですが、これなら「ビッチェズ・ブリュー」のほうが私は好きです。文章を読むと、フリーな展開には辛口ですし、おそらく混沌としたのは好まれないのかもしれません。

それにしてもチック・コリアはマイルスグループ在籍中は随分アグレッシブだったんですね。なぜ退化したのかなあ。案外リターン・トゥ・フォーエヴァーが本性で、マイルスが名伯楽だったということなのかな。
マイルスから離れてダメになったというのは、キャノンボール・アダレイがそうらしい(>伝聞)。ショーターもウェザーリポートでは全然よくないし。
離れても成長したのはコルトレーンとジョン・マクラフリンくらい(>偏見?)

編集済

 

だれや?!その2  投稿者: 堀 晃  投稿日: 6月 7日(火)22時28分32秒

引用

こっちの人もびっくりしまっせ。
おれ、最初、嵐山光三郎かと思った。

http://www.kincho.co.jp/cm/html/2005/coc_tsuppari/index.html

 

だれや(^^ゞ  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 7日(火)20時11分46秒

引用

そうそう、朝はミラクル来週の金曜(6/17)の「日産ラジオナビ」のコーナー(7時40分頃)に、小松左京さん登場です(^^) 必聴!

 

Re:クールビズ問題  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 7日(火)19時28分20秒

引用

ふみおさん

たしかにカタカナ語を私たちはスマートでかっこいいと感じますね。間違いなく「清涼仕事着」より「クールビズ」の方がスマートに聞こえます。これは事実です。
ではなぜ私たちは、カタカナ語をスマートでかっこいいと感じてしまうんでしょうか?
その辺を突き詰めた研究ってあるんでしょうか? あるのなら読んでみたいです(^^;。

それはさておき――、クールビズ解禁(?)の日のニュースで、コメントを求められた女性会社員が「ただネクタイを外しスーツの上衣を脱いだだけというのは許されない」とのたまっておりました。
これを私は問題にしたい。

クールビズの目的は、突き詰めれば「クーラーの温度を上げよう」という究極目標に適応するための個別目標です。そこにファッション性を介在させる必要はない。ネクタイを外して上衣を脱ぐだけで必要にして十分なんです。

ところが、消費資本主義はそこにすら商機を求めないではいられない。クールビズの「経済効果」ってヤツですね。まさにこれすら「カーニヴァル化する社会」のいわゆる「祭り」のひとつと化してしまっている。

とはいえそれは「祭り」をプロデュースして人々の「欲望」をあおり、それを消費に転化して(右肩上がりに)無限成長する新しい資本主義の本性ですから、これは仕方がないことです。

問題は、洋品店の店員でもない女性会社員が、誰の指示でもなく、自らの意志で(というよりも無意識理に)、欲望をめざめさせ、消費鼓舞の一翼を担おうとしている事態です。「許されない」という点が肝ですね。

もとより彼女は別に消費鼓舞のためにコメントしたのではない。彼女にとってそれは自然な観念だったのでしょう。
ところが彼女の自然な思念は、実は(無駄な消費を誘発しようとする)消費資本主義の原理に則ったものとなっているんです。
ラカンは無意識は他者の言表であると喝破しましたが、その伝で言うならば、現代の我々の無意識は消費資本主義の言表となってしまっているんです。

マルクスは下部構造が上部構造を規定するといいましたが、ここで起っている事態はまさにそれではないでしょうか。
資本制は人々を「消費する家畜」にしたがっているのですが、家畜化されようとしている当の私たち自身がそのお手伝いをしている図です。
しかも私たちはそのことに全く気づこうとしない(ーー;

この社会は、今とんでもない局面に向かいつつあるのではないでしょうか。
『マルクス入門』(ちくま新書)を読んでいるんですが、マルクスの時代も労働者はそのままほっておけば「負けを運命として受け入れた」というかその状態が自然な、当たり前としか感じない「最下層ブルジョワ」でしかなかった。そのような人々を「プロレタリアート」として目覚めさせることが必要だと、マルクスは考えたらしい。

じつは21世紀初頭の現在こそ、そのような「目覚め」を促すものが必要とされているのではないでしょうか。そのような目覚めを促すために、社会(と人)の「カーニヴァル化」に抗するために、微力なりとはいえ今こそ「武器」としての「社会SF」が求められているように思われます。  

編集済

 

クールビズ問題  投稿者: ふみお  投稿日: 6月 7日(火)00時23分0秒

引用

「清涼仕事着」

とか漢字化してみたところで、あまりクールでも清涼でもない感じ(笑)。

 

意味ある偶然?  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 6日(月)20時19分25秒

引用

堀さん
フォローありがとうございます。

>さわやかな早朝に再読する作品ではないなあ……。
いやごもっとも。『禍記』については、当掲示板でも「怖かった」という意見が寄せられていました。

その意味でたしかに、「もーもー」ではちょっと長閑すぎました。牛ですもんね。
たとえ牛だとしても、ここはやはりケツの穴に花火を突っ込まれて、

 ももももも……もももん……ももん……ももも……
 もも……ももも……もももももも……ん……ん……
 ももももももも……ん……ももん……もも……

 ……と、飛び跳ねて逃げ回る牛でなければいけません。ブヒブヒ(>あ、聖なる「原典」を冒涜してしもた(^^;)
田中さんはこの部分を執筆なさっているとき、一体どんな音が頭の中で鳴っていたんでしょう? ちょっと知りたいかも(^^ゞ
そういえば「馬のいななき奏法」っていわれましたね。

ツタヤに寄ったら、「ブラック・ビューティ」はなかったけど、なんとタイミングよく「イン・ア・サイレント・ウェイ」が「新入荷」のシールを張られて並べられていたので、借りてきました(これから聴きます)。併設の書籍売り場では、新刊コーナーに例の中山康樹の本が現代新書の新しいカバーを付けられて並んでいた(版は初版のままでした)。
うーむ、これってミラクル?

 

禍記  投稿者: 堀 晃  投稿日: 6月 6日(月)03時07分41秒

引用

管理人さん、さすがに詳しいですねえ。
『禍記』の例の虫の鳴き声がバスクラに譬えてあるところ、「原典」ではこうなってます。(134ページ)

 ももももも……もももん……ももん……ももも……
 もも……ももも……もももももも……ん……ん……
 ももももももも……ん……ももん……もも……

 さわやかな早朝に再読する作品ではないなあ……。

 それにしても「サイケおやじ」という方、映画とミステリーの趣味は相当偏っているけど、ジャズのセンスはなかなかですね。愛聴盤はだいぶ重なっているみたいで。

  

 

ドルフィーとバスクラ  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 5日(日)21時13分52秒

引用

昨日紹介した電脳ジャズ喫茶ですが、一番下のドルフィー「アット・ザ・ファイヴスポット、vol.1」の記事でバスクラの音を「ブヒブヒ、モリモリ」と表現していて笑っちゃいました。まあブヒブヒは判りますけど、モリモリって……そんなわけないやろ(^^;。
あ、でも田中啓文『禍記』では、たしか「もーもー」と表現してたっけか(手元になく確認不可)。いずれにしても独特の音色ですなあ。

バスクラといえばやはりドルフィー。上記「アット・ザ・ファイブスポット」は必聴盤ですが、コルトレーンに加わった「ヴィレッジヴァンガード」のライブも凄い! トレーンを食ってしまっています。それに懲りたか「インプレッションズ」ではトレーンが全篇吹きまくっているのですが、たぶんあれはドルフィーに出番を与えないためだと思います(^^ゞ。
ところで、トレーンやリトルとのセッションアルバムはいいのですが、その後のドルフィー単独のリーダーアルバムは、いまいちなんですよね。どうも強力な対手がいて、それに応答していく方がよい結果が出るタイプなのかもと思います。

――そうか。バスクラは高音と低音では音質が、かなりはっきり変化するように私には感じられるのですが、ブヒブヒは低音部の、モリモリ(もーもー)は高音部を表現しているのかな。

 

ブラック・ビューティ  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 4日(土)22時28分18秒

引用

最近は「ビッチェズ・ブリュー」のdisc1ばかり聴いていた(というか入れっぱなしだっただけ)のだが、ふと思い立ってdisc2に入れ替えてみた。すごく良く聴こえてビックリしました(^^ゞ
とりわけ「スパニッシュ・キー」がすばらしい。ウエイン・ショーター見直した(笑)。
余談ながらこのアルバム、ベニー・モウピンのバスクラが、聴き始めからとても耳によく響いたのですが、理由が判明。ソプラノサックスとトランペットが案外同じ音域なので、非常によいアクセントになっているのです(マイルスの計算か)。
「ジョン・マクラフリン」は、タイトルどおり、JMのソロ。中山康樹の本によればタイトル曲「ビッチェズ・ブリュー」の一部分を独立させたものらしい。
「マイルス・ランズ・ザ・ブードゥー・ダウン」も軽快。この曲と「スパニッシュ・キー」を聴いて気がついたのは、70年代、私はコンサートよりも合歓や琵琶湖バレイの野外ジャズ祭によく行ったのですが、そこで聴いたナベサダや日野皓正らの演奏の元ネタなんですね、このコンセプトは。
ラストの「サンクチュアリ」は、一聴では聞くに堪えなかったのでしたが、トレーンでいえば「ネイマ」とか「ウエルカム」のポジションだなと気づいたら、何とか聴けるようになりました。

ところで、なぜ「ふと思い立っ」たのかといいますと、大江十二階さんのご常連の方のHPでこんなコンテンツを見つけたからなんです。この「ブラック・ビューティ」というライブ盤では、上記ビッチェズ・ブリュー収録の曲がナマ演奏されているらしい(上掲盤は以前にも書いたように「編集」がなされている)。これは聴き比べたくなりました。探してみよう(^^;

編集済

 

『カーニヴァル化する社会』(応用編)  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 3日(金)22時00分59秒

引用

>クールビズ
またまた訳のわからないカタカナ語が出てきました。ノーネクタイのファッションを「クールビズ」と呼ぶんだそうです。環境省が公募してこの名称に決まったそうですが、

 
カタカナ語はやめよう

と政府だったか国語審議会が提言したのは、たしか数年前のことだったのではないか。まったく舌の根も乾かないうちに、といったところですが、これも『カーニヴァル化する社会』で説明できます。
当初の「カタカナ語をやめよう」が、体験の反省に基づく内発でなく、たんに「ネタ」として持て囃されたいっときの「祭り」(カーニヴァル)でしかなかったのです。「祭り」ですから一瞬とはいえその話題でみんなで盛り上がってしまえば、あとはどうでもよいのです。終わってしまえばそれまで。次の「祭り」である「クールビズ」で盛り上がるわけですが、そのとき「カタカナ語はやめよう」と「クールビズ」が相反する、矛盾する観念であることは全く問題にされない。「ネタ」として盛り上がればよいだけなんですからね(ーー;

こうなってきますとカーニヴァル化社会の主体を「今の若者」と決め込む訳にはいかない。というわけで「今どきの人」ということにします。「今どきの人」の類型は勿論昔からある人間の一類型なんですが、この現代社会において支配的なものとなってきている或る人間の型と言い得るでしょう。

かかる人間型がなぜこの時代に顕在化したのか、勿論その原因は1980年代以降に世界を支配した新しい資本主義、グローバリズム資本主義と無関係なはずはありません。

もうひとつ――
私は小売業に従事していたことがあるのですが、最近の主婦の購買行動に内的経験値の介在が極端に小さくなっています。
たとえば生鮮食品の選択において最も頼るのが「賞味期限」の表示です。
自分の「眼」ではなく、外在的な表示シールを信頼しているわけです(そのうち新鮮な魚の見分け方なんていう母から娘へ連綿と受け継がれてきた技術は消え去ってしまうかも)。これもまた「データベース」から「自己」をその都度生成しているといえるのではないでしょうか。
そのような意味で、最近話題の「ユビキタス社会」とは、まさに「自己の外化」の極限社会ではないのか。
いつか「自己」とはデータベースからその都度情報を引き落とす「場所」でしかなくなり、新たな「神」であるグローバリズム資本主義
に思うがままに「欲望」を喚起され、人間は「消費する動物」として神の「家畜」となってしまうのではないでしょうか。

 

ご心配なく  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 2日(木)20時50分44秒

引用

藤野さん

いえいえ、お気遣いなく。趣味でカラんでいるだけですので(^^;
というか、私は「注文の本がいつ到着するかを教えてほしい」と言っているのに、再度注文してくれとの返信では、回答になってないのです。
こうこう、こういう理由で、例えばこの版元は週に一回しか配送がないので、次の入荷は何月何日となり、それからの出荷で何月何日お客様到着となります――といったような「時間がかかっている正直な理由」が聞きたかったのでした。そういう明快な理由が書かれてあれば、実際のところ何日かかろうと、3週間以内ならばぜんぜんオッケーで納得したはず。
ところが昨日掲載したように、木で鼻をくくったような「早く欲しけりゃ再度注文しな」みたいな返信が届き、ちょっとムッとしてしまったので、「嫌がらせ」しちゃいました(^^ゞ
それと、公式にはキャンセルは認めないとなっており、実際私の要求(キャンセルのみ)が通るかも確かめたかったので。

で、次のような返信が……

---------------------------------------------------------------------
【ご連絡・ご回答】
ご利用いただきましてありがとうございます。

この度はお手数をおかけいたしまして大変申し訳ございません。
キャンセルを受けさせていただきます。

キャンセル商品の出荷を止めるよう手配させていただきますが
手配が間に合わず、セブンイレブンに到着する可能性がございます。
そのときはお受け取りになりませんようお願いいたします。
また、お受け取りをお願いするメールが送信される場合がございますが
破棄していただけますようお願いいたします。
なお、出荷を止められたときには、お届けできない旨のお詫びメールが
送信されますのでご確認ください。

ご不明な点等ございましたら、お問い合わせください。
---------------------------------------------------------------------

というわけで、めでたくキャンセルできました(汗)
ご本はamazonかbk1で再度注文することにします。ご心配をおかけして申し訳ありませんでしたm(__)m

 

お手数をおかけします……  投稿者: 藤野  投稿日: 6月 1日(水)23時46分56秒

引用

セブンアンドワイ、便利そうだから、興味を持っていたのに。
そこらへん、うまく対応してもらえないのが、街の本屋さんとのちがいなんでしょうね……。申し訳ないです。

ところで、『カーニヴァル化する社会』は面白そうですね。ぜひ、読んでみます。
選択の基準が「外的」というのは、作り手として、モチベーションにかかわる問題です。

>(通俗古代史やムーの目にあまる)「フィクションをノンフィクションとして売る」態度が大嫌いなんです。

当方、27歳なので、まだ若い人の部類に入ると思いますが、まったく同感です!

 

以下のように返信しました  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 1日(水)21時23分31秒

引用

セブンアンドワイ カスタマサービス ○○さま

ご回答ありがとうございました。

>おそれいりますが、再度「当日〜2日で発送」でご注文頂き、
>さきに届いた商品をお受け取りいただきたく存じます。
>なお、あとに届いた商品に関しましてはお受け取り拒否、
>およびこちらの商品に関してお届けするメールの
>破棄をお願いいたします。

他社で 24時間以内発送で対応しているようなので、そちらで購入します。
貴社既注文分は、ご指示通り受け取り拒否させて頂きます。
よろしくお願いいたします。大熊拝。

編集済

 

こんなメールが届いた  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 1日(水)21時08分9秒

引用

大熊 宏俊 様

セブンアンドワイ カスタマサービス ○○ と申します。
ご連絡・ご回答は、次のとおりです。

お問い合わせ番号:「#######」

【お客様のご用件】
注文番号: 0000000000 払込票番号: ############# 
5月19日注文、5月20日メーカー在庫確認済み以降まったく進展していません。
本日、http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31531294を閲覧すると、発送時期 : 当日〜2日で発送 となっているではないですか!
あと何日で届くか、至急知らせてください。

【ご連絡・ご回答】
ご利用ありがとうございます。

5/19にご注文いただきました「怪盗ファントム&ダークネス EX−GP2 」
(ご注文番号:0000000000)でございますが、
大熊様にご注文いただきました時点では、弊社に在庫がなく
出版社から取寄せるために発送時期が
「1週間〜3週間」となっておりました。
その後、入れ違いで僅少ではございますが弊社に在庫が入荷したため
「当日〜2日」に変更を行っております。

わかりづらく申し訳ございませんが、当社のシステム上
「1週間〜3週間」でご注文いただいた商品を
「当日〜2日」に切り替えて手配する事ができかねます。

おそれいりますが、再度「当日〜2日で発送」でご注文頂き、
さきに届いた商品をお受け取りいただきたく存じます。
なお、あとに届いた商品に関しましてはお受け取り拒否、
およびこちらの商品に関してお届けするメールの
破棄をお願いいたします。
お手数をおかけし恐縮ですが
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。


■お問い合わせやセブンアンドワイへのご連絡:
http://www.7andy.jp/esb/docs/link/cs_guide_inq.html

※このメールへ直接返信されますと、お問い合わせやお返事を確認できませんので
 ご了承ください。
---------------------------------------------------------------------
イーエスブックスがセブンアンドワイになって新登場
  〜CD、DVDの取り扱いを開始しました〜  http://www.7andy.jp/  
---------------------------------------------------------------------

うーむ、如何にせん……

編集済

 

「カーニヴァル化する社会」(承前)  投稿者: 管理人  投稿日: 6月 1日(水)21時01分26秒

引用

>鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(現代新書、05)
「データベースに支えられる自己」とか「データベースに登録された情報にアクセスすることで自身の内的な欲望を発見する」(121p)自己というのが、何だかよく判らなかったのですが、先日、amazonが「売れている順番」が標準となっていることを書いたとき(5/28)、目の前の霧が吹き払われたように,突然理解できました。

つまり最近の若者は、自分の内的な興味にしたがって本を選択するのではなく、その購読選択の基準は、まずは「売れているかどうか」であり、「話題になっているかどうか」なのだということ。つまり選択の基準が内的でなく「外的」だということであり、要は「ネタ」として選択したその時初めて、それは内的な欲望として認識されるということなのです。
外に(データベース)欲望を求めてそれをダウンロードしてようやく「欲望」と感じるのです。もともと内なる欲望ではないから、ネタとして古くなってしまえば、いとも簡単に削除されてしまう類いの「欲望」を、はたして欲望と呼んでしまっていいものか、と旧人類の私は思わないではないのですが。

とはいえ、この理屈で最近の音楽産業のヒットの一極集中現象を理解できます。彼らは「あゆ」の曲だから購入し視聴するのであって、決して自分の耳で聴き「ああいい曲だなあ」と判断してレコード店に走るわけではない(内容はどうでもいいということ)。

仮説が具体的な現象をより広く説明できるのなら、それは理論として優れているわけで、この本の記述は最近の若者が惹起する諸現象をかなりの程度カバーしており、その意味で優れたものであることは間違いありません。

編集済

 


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