ヘリコニア過去ログ2005年7月)

 


 

「ランクマーの二剣士」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月31日(日)11時55分3秒

引用

を、チャチャヤン気分に掲載しました。

編集済

 

「わたしの失敗<4>」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月30日(土)20時47分14秒

引用

愈々最終回。なのにやはり文字数が少ない。だいぶカットされているのではないだろうか。
さて今回の「失敗」は、驕り(?)
(?)とするのは、これは驕りなのだろうか、とも考えるからです。むしろ、その場しのぎの無難な回答者に比べて、ずっと「誠実」な態度なのではないでしょうか。

眉村作品に例外なく通底する基本的態度として「自立/自律」がありますが、私が想像するに(というのは、私にも同様の傾向があるからですが)、かかる態度において周囲を見渡したとき、一番気になるのは、安易な「甘え」なのではないかと思います。

「自立/自律」の精神は、内に向かって自彊不息ですが、それが外へと向かえば他者依存性の摘発へと向かわざるを得ません。それが外見「自矜→驕り」と映るのは故ないことではなく、確かに(理屈が通じない)対人関係的には「失敗」なんでしょう。

しかしながら眉村さんが根源的に主張しているのは、「幻影の構成」に明らかなように、依存性→コンフォーミズムへの警告なんですから、やはり私は、私自身の生き方からしても上記を「失敗」と認識したくはないのであります。

インサイダー文学論の弱点は、組織内で発揮する自彊不息が自矜自大と受け取られて排除されてしまう可能性があることで、大袈裟にいえば回答者降板も、人生相談コーナーに於けるインサイダー文学論の展開が驕りとして排除された、とみなしうるわけで、昨日書いたように、インサイダー小説は結局敗北によって終わらざるを得ないのかもしれません。

それにしてもインタビュアーの深堀明彦さん、本当に的を外さないインタビューで興味深い事実を聞き出してくれています。感心しました。深堀、ときくと自動的に「骨」となるんですが、同姓異人?

フリッツ・ライバー『ランクマーの二剣士』浅倉久志訳(創元文庫、05)読了。今年のわたし的ベスト作品かも。

 

「わたしの失敗<3>」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月29日(金)20時07分58秒

引用

連載第3回目は、ややボリューム不足(?)ながら、作家時代の話。
書かれているとおり、眉村さんの文章は、昔気質の編集者には受けがよかったようですね。純文学で育った人にはすいと入っていける文体だったのでしょう。

堀さん
>眉村さんの作風が変わる、大きな転換点にある作品だと思うのです

小説形式的にも、この短篇集から「描写」が極端に少なくなったように感じました。テンポがよくなり、それにつれて「軽み」が出てきたように思います。

「あの真珠色の朝を」は、堀さんのご投稿にあるように、〈小説新潮〉70年5月号掲載なんですが、どうもこのあたりから、いわば良くも悪くも純文学的だったのが、ぐんとスマートな作風に変わったように感じました(いやごつごつした純文的初期短篇も好きなんですけど)。
当時思ったことですが、これらの作風のは、一度英訳されて、それから日本語に翻訳されたら、きっとバーセルミみたいな感じになるのではないかな、と思った記憶があります。

この記事の中で言及されているように、「消滅の光輪」以降の「一人ツッコミの文学」は、自家薬籠中のものとなった上記の手法で、最初期のテーマに再挑戦したものと理解しております。

ただインサイダー文学論的作品は、「消滅の光輪」もそうですが、全てといっていいほど敗北に終わるのです。この辺がインサイダー文学論を唱えながらも、その成否にはかなり否定的な認識を眉村さんはもっていらっしゃるのではないかと思っています。

ところで、写真はどうみても背負い投げ(「枯れた時間」!)ですよね(^^; 最終回では柔道の話題が出るのでしょうか?

 

Re: 「わたしの失敗<2>」  投稿者: 堀 晃  投稿日: 7月28日(木)20時36分1秒

引用

> 「あの真珠色の朝を」は、私も共感した作品でしたが

ぼくも「あの真珠色の朝を」は重要な短篇だと思ってます。
これを引き合いに出してくるあたり、さすが深堀さん。
眉村さんの作風が変わる、大きな転換点にある作品だと思うのです。
たとえば、エリートが多かった主人公が、どちらかといえば普通の、それこそ「失敗」の多いサラリーマンに変わるとか。

そんなことを某編集者に話したら、「あの作品、ぼくが担当したんです」
……S潮社のSS木さんでしたが。

 

「わたしの失敗<2>」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月28日(木)19時26分35秒

引用

今回も会社員時代の失敗。
「あの真珠色の朝を」は、私も共感した作品でしたが、そんな人種(?)が多いのか、眉村作品の中でも人気のある話だと思います。

そういえば思い出しましたが、若い頃は(今でもその傾向が残っていますが)寝るのが嫌いで起きるのが嫌いでした。
これは単に、私が怠け者だっただけの話なのですが、つまりいったん寝たら10時間は寝ないと気が済まず、充分以上の睡眠を摂るわけですから、その当然の結果としてなかなか寝つかれないわけです。学生時代は時間の融通が利きますから、どんどんずれていって、しまいに一回転して元に戻るというのもざらに起りました。それで、どうも俺は1日のパターンが24時間ではないようだぞ、などと妄想し始めるわけです。

これを私は合理化しまして、実は自分は、自転周期が地球より長い惑星から、地球に逃れてきたエーリアンの末裔なのではないだろうか、と考えてみたりしました。というかそういうSFを構想したのでした(^^;
地球人類は、実は土着の24時間人だけでなく、姿かたちはそっくりの渡来系30時間人がいて、30時間人は既に自らの出自を忘れている。主人公は常に遅刻するにもかかわらず宵っ張りを改善できない若いサラリーマンなのだが、あまりに24時間パターンに馴染めず、調べたりするうちに、30時間人渡来の謎に逢着するのであった。じつは30時間人というのは、なんと驚くべきことに!?(^^ゞ

閑話休題、それにしても蚊取り線香で足に穴が開いた(?)、てのも凄まじい話ですが、具体的にはどういうことなんでしょうね。
穴といっても、足に穴が貫通したわけではないでしょうから、深い凹状に足の肉が炭化してしまったんでしょうか? これはぜひ小説化していただきたいものです(^^)

デート喫茶(我々は同伴喫茶といってましたが)も30年前の風物で、最近は見なくなりました。いやそういう場所へはとんと出没しなくなりましたので、衰退してしまったのか、新たな進化適応を遂げたのか、その辺は定かではありませんが。

 

「わたしの失敗<1>」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月27日(水)20時25分38秒

引用

ようやく読むことが出来ました(^^)。

堀さん
なるほど、会社員時代の「失敗」談でしたね。こっちの推理は外れました。名探偵失格です(ーー;

ここで眉村さんが披露なさっておられるふたつの失敗は、しかしいずれも「会社員」であることと相関的なもので、特に最初のそれは、そもそも失敗といえるものなのでしょうか? サラリーマンとして選択の余地がない「選択」ですからねえ。

ペンネームを紙に書いて表札代わりに飯粒で貼り付けた、というのは、仮にも社宅なんですから、すごい覚悟だと思います。私にはとてもそんな真似はできません。そういう自分を追い込む行為で、平衡を保っておられたんでしょうね。

>「きまじめ」「ひたむき」「すがすがしい」
眉村SFを端的にあらわすキイワードですね。このキイワードを含むラストの11行は、まったくそのとおりと思いました。この深堀さんという方、「いちばん好きな作家が眉村卓」というのはさもありなんと納得です(^^)

明日も楽しみ!

 

Re:産経新聞  投稿者: 堀 晃  投稿日: 7月27日(水)05時45分35秒

引用

テニス! テニス!
あ、間違いました。
ピンポン! ピンポーン!
名探偵・管理人さん、大正解。
今日の朝刊、「わたしの失敗」、眉村さんのが始まりました。
内容は……ま、ふれないことにして、インタビュアーが深堀明彦さん。
この方は、SFファンであって、いちばん好きな作家が眉村卓というくらいの人ですから、もう面白くないはずがありません。
写真もいいぞ。

 

Re:産経新聞  投稿者: 管理人  投稿日: 7月26日(火)18時57分16秒

引用

堀さん

今日も掲載されてませんでしたね(ーー;。
それでちょっと考えました。
堀さんが書き込んで下さった記事によれば、梁石日氏の4回目(最終)は7月23日だったんですよね。
7月23日は土曜ですから、この梁石日氏へのインタビューは、水〜土の4回分載だったわけです。
このスケジュールが通例であるのならば、「わたしの失敗」という連載コラムは、水曜開始(土曜終了)なのではないでしょうか。
だとすれば、眉村さんのインタビューも、明日の水曜から連載されるのかも。
――というわが推理が正しいかどうか、明日の産経が待たれますです(^^;

 

Re:産経新聞  投稿者: 堀 晃  投稿日: 7月26日(火)14時28分38秒

引用

「わたしの失敗」というコラムは不定期連載なのかなあ。
予告を出して、掲載日を明記しないのはけしからん。
ミナミへの移転で手が回らないのかしらん。
「わたしの失敗」だからって、産経が自分で失敗してはいかんぜ。

 

Re: 産経新聞  投稿者: 管理人  投稿日: 7月26日(火)06時24分21秒

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石川さん

> 買えばいいじゃないですか。100円なんだから。
うーんネタでかいてるんですけどね。
実際は購入したけど、記事はなかったのでした。チャン、チャン!

 

産経新聞  投稿者: 石川誠壱  投稿日: 7月26日(火)05時16分3秒

引用

買えばいいじゃないですか。100円なんだから。

 

図書館にて  投稿者: 管理人  投稿日: 7月25日(月)20時22分10秒

引用

さて、今日は産経新聞の眉村さんの記事を読みに、昼休み図書館へ行きました。

夏休みのせいか、かなり込んでいました。学生も多いのですが、引退世代と思われる人生の先輩方も多い。
新聞コーナーは、そんな先輩たちで立て込んでいました。

とはいえ、これはいつもの光景で、たしかに家でゴロゴロしているわけにもいかず、さりとてどこへ行くという当てもないとなれば、まあ図書館で時間つぶしでも、ということになるのは容易に想像できることで、私だってそういう立場になった暁には、まず間違いなく図書館通いをすることになることは、火を見るよりも明らかであろうと思います。

そういうわけで、新聞棚に各社の新聞がほとんどないのも、これは仕方がないと、とりあえず棚に残っていた新聞を取り出して読み始めました。
ふと前のテーブルを見ると、60台後半でしょうか、引退世代と思しい初老のおじさんが新聞を読んでいて、それが産経新聞でした。
この人が読み終わって棚に戻したら、即取りに行こうと、視野の端で気にしながら、新聞を読んでおりました。
ところが全然返しに行く気配がない。

30分ほど待って、その間に産経を除く各社の新聞を、私はすべて目を通してしまいました。つまり他社の新聞はそれなりに回転しているわけです。
ところが!
産経新聞だけは、その人がずっと独占している。いったい30分もどこを読むというのでしょうか。第1面から最後のテレビ欄まで、全部目を通したって30分あればお釣りがくるのではないでしょうか。

そういうわけで、ちょっと観察してみるわけですが、別に真剣に読んでいる風にも見えず、ときどき(というか頻繁に)顔を上げてぼんやりしている。そしてまた新聞をひっくり返して読み始める、という繰り返しなのです。

ははあ、と私は思いあたりました。
これは別に「産経新聞」を読みたくて読んでいるわけではないのだな。ただ時間つぶしに新聞をひねくり回しているだけに過ぎないんだな。と。

私は、上に述べましたように、引退者が図書館を時間つぶしに利用することに対して、全く非難がましい考えは持っておりません。明日はわが身だからです。
しかしながら、他に閲覧者が存在する公共図書館において、理由もなく1社の新聞を独占するのは、エチケットとしてどうなのよ、とは思わざるを得ません。

それに、図書館で一日潰せるというのは、ある意味ユートピアといってもよい待遇ではありませんか。
私は思いますが、そんな「恵まれた」時間を、なぜ読みもしない新聞をひねくり回すことで浪費してしまうのか、これはなんとも悲しい気分さえしてしまいます。

せっかく長年のご奉公の末にかち得た楽園なんですから、もっと大切に使ったらいいのに。
少なくとも私だったら、朝から晩までいろんな本を読みまくりますよ。いわばミッシェル・フーコーみたいに(^^;

そんなことを考えているうちに、時間が来ましたので、泣く泣く図書館を後にした次第。
ところが話はまだ続きます。
4時ごろ、丁度手が空いたので、車で1分の(>歩けよ)件の図書館に寄りました。
なんとそのおじさん、まだ同じテーブルで産経新聞を読んでいたのでした。
というわけで、今日は眉村さんの記事読むことあたわず、なのでありました。チャン、チャン!

 

昨日の「名探偵ナンコ」は  投稿者: 管理人  投稿日: 7月25日(月)19時13分16秒

引用

正しくは第4回講談探偵倶楽部だったらしい。
この会は、南湖さんと神田愛山さんの二人会の名称で、今回はその大阪篇だったようです。

初めて聞いた愛山先生の講談、すばらしかったです!
私はこれぞ講談や! と思いましたよ。
出し物は「新作講談・あのときの男」(作・愛山)と「探偵講談・骨の音」(原作・結城昌治)の2本。
前者は携帯電話にまつわるスマートな恐怖譚で、愛山さんが敬愛される結城昌治がショートショートで書きそうな話でした。
後者は、その結城昌治原作の講談化作品で、60年代という時代の雰囲気が、ピンと張りつめたストーリーからオーラのように立ち昇ってきて、金縛りにあったように聞き惚れてしまいました。
もっともっと聞きたいと思いました(打ち上げでもそういう意見が沢山出てました)。

対する南湖さんは、まずは「魔術師・第1章」をさらりと流したあと、「モリゾー・ナンコのショート講談」、「魔術師・第2章&第3章」、そして「講談紙芝居・原始怪物ガニラ 大団円」と、本格には変格で対抗とばかりに(つまりいつもの調子なんですが)、南湖流ニューウエーブ講談を全開!

「モリゾー・ナンコのショート講談」は、愛知万博のマスコットらしいモリゾー人形との掛け合いという形式で、瞬芸的なネタを叩き込む。いわば最近流行りの形式といえるかも。

「魔術師・第2章&第3章」は、原作がいかにも講談向きの展開になってきて、読みも実に快調で、愛山さんとはまた違いますが、聞き惚れました。

「講談紙芝居・原始怪物ガニラ 大団円」、ついに最終回となり、わたし的にはホッとしました(^^; 紙芝居を講釈師がやることについては、私はずっと不満を(南湖さんに向かっても)洩らし続けてきていたのでしたが、今回聞かせていただき、考えを改めました。

まず不満を感じていたのは、紙芝居ですから演者は台詞を覚えなくてよいわけで、それは講釈師としてあまりにも安易やろ、と……。
それから「絵」に頼る(紙芝居ですから当然なんですが)形式も、喉ひとつで、原則として曲師もお囃子も付けない講談の形式からして邪道やろと……。

ところが、今回聞かせてもらって考えを改めたのは、この「原始怪物ガニラ」が、基本的に鑑賞に堪えないB級作品であり、ただ台詞を読むだけでは、少なくとも大人には退屈しか与えないようなお話しであること。
そういう作品であるガニラを、南湖さんは、いわば「メタ」的に、物語構造を分析して解説しながらストーリーを辿ることで、作品が本来的には持っていない面白さを付加しているのではないか、と気づいたのです。

たとえば主人公の少年が常に前向きに発言し行動するのに対し、少年の父親の船長は、常に後ろ向き悲観的な発言・行動しかせず、もうひとりの機関長は常にビックリするだけの役割である、そういう物語の構造を、南湖さんは抽出し、それを観客に見せることで「面白さ」を「創造」してしまっているのです!
これはいうなれば「批評理論」的に紙芝居「ガニラ」をテクスト化してしまったといえる。
いや南湖さん、実は凄い試みをしていたのです。1年以上続いた続き物で、ようやく最終回になってそのことに気づくとは、全く面目なく自らの不明を恥じなければなりません。

かといってこれが講談なのかといえば、愛山先生も呆気に取られていましたけれども、やはりもはや講談とは別のものというほかなく(モリゾーも同断)、南湖同人誌で私が予言したごとく、南湖さんは、事実的に講談世界からスピンアウトしつつある、というのがこれからさらに明瞭になってくるように思われます。

編集済

 

Re:「わたしの失敗」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月24日(日)12時26分3秒

引用

堀さん
眉村さんの最新情報を、ありがとうございました。

しかし、たしかに眉村さんの失敗って、何でしょうね。仕事関係ではほとんど思いつきません。
なんとか思いついたのは、SFマガジンに「引き潮のとき」、SFアドベンチャーに「不定期エスパー」の連載をもっているとき、新たに奇想天外に「ゲームの戦士」の連載を始めてしまって、結局「ゲームの戦士」は2、3回の掲載で未完に終わってしまったことくらい。

あの眉村さんにして、連載3本は無理なんだなあと、当時思いました。
余談ですが、それ以後、連載を何本も抱えている流行作家ってのを、私はぜんぜん信用しておりません(^^;
自らレベルを落としているか、編集の作ったプロットを肉付けするだけの「書き屋」に身を落としたかのいずれかあろうと想像するばかりです。

産経新聞は取ってないので、近所の図書館でチェックしようと思っています。
いやーどんな失敗が披露されるのかな、楽しみです(^^;

今日は、旭堂南湖さんの探偵講談会。演目は「乱歩・魔術師 第3章」、しかも今回は特別ゲストとして、東京から神田愛山先生も来演される(「あのときの男」作・神田愛山、「骨の音」原作・結城昌治)とあっては、聞き逃せません。
なんですが――あのう、大相撲、千秋楽なんですけど〜!
今日はお客さんも少なそう。なぜって講談ファンと相撲ファンって被っているような気が。
うーむ、如何にせむ。いや生きます行きます(^^ゞ

 

「わたしの失敗」  投稿者: 堀 晃  投稿日: 7月24日(日)09時42分47秒

引用

サンケイのコラム「わたしの失敗」に眉村さん登場?
同紙7月23日朝刊の「わたしの失敗」というコラムは梁石日氏のインタビュー4回目(最終)で、予告に「次回は作家、眉村卓さんです。」とあります。
月曜からかな。
このコラム、金、オンナ、塀の中、その他色々な「失敗」についてのインタビュー。
これまで登場しているのが浅田次郎、安部譲治、梁石日……
まあ「派手」なメンバー揃い。
眉村さんの場合、こんな人たちみたいな「失敗」は皆無と思うけどねえ。
いったいどんな失敗が語られるのか……

 

「ランクマーの二剣士」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月23日(土)19時10分42秒

引用

3」を読みおえる。
「3」の後半は、グレイマウザーによる「勝手に法廷劇」(^^ゞ
しかし、古代世界ネーウォンに裁判所や弁護士があったのだろうか(>初耳)
で、法廷劇の結末が決闘って……(汗)
ライバーさん、やりたい放題で遊びまくっています!

 「おお、艦長よ、それなら、まず、このわたくしに銀の錘をつけて海に沈めなさい!」
 リューキーンの視線は彼女を越えて、ベッドわきの棚の上にある大きな取っ手のついた軟膏入れの銀の壺や、重い銀の鎖へとさまよった。(63p)

編集済

 

F&G最終巻はシリーズ屈指の傑作かも!  投稿者: 管理人  投稿日: 7月22日(金)19時06分40秒

引用

『ランクマーの二剣士』に着手。60pほど読む。
うぉー! お約束の「1」からして既に作品世界に引きずり込まれてしまいました。シニシズムとソフィスティケーションの極致というべき面白さ! これまでのシリーズとはレベルが一段違うような。これは傑作になる予感。

ライバーって、もとシェークスピア俳優でしたよね。「2」は良質の(その手の)お芝居を観ているような、デカダンで豪勢な雰囲気に満ちていて、うま凄です。この章だけでも堪能できる。

「3」に入ると、一転「宇宙家族ロビンソン」的な冗談とも本気ともつかぬ通俗SF的世界がネーウォン世界に乱入してきて何ともいえぬ大騒動に(^^;

これはメリルが絶賛するはず。おそらくオールディスが『マラキア・タペストリ』でやりたかったのはこういう世界だったのではないかな。

 

「中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月21日(木)23時30分8秒

引用

本多正一編『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉(河出書房、05)読了。

本書は、学徒として招集、参謀本部に配属された二十歳そこそこの青年の、戦争遂行の中枢部たる「大本営」の2階に居住しながら書き綴った、強烈な反戦・反軍の日記。この構図が(著者も記しているように)実に皮肉で面白い。
今回上梓されたのは完全版で、これまでの版では省略されていた母親の死をめぐる感情の高ぶりを綴った部分が初めて活字化された。
この初出部分が物凄いです。川崎賢子の解説や編者の解題を参照すると、中井と母親の間にはかなり濃い紐帯があったようだが、しかし私自身は、

神経質でかんしやく持のこの子は、たまらない愛を母に感じながら、それを現実に移さうとはしなかつた(128p)

といった悔恨の記述の方に、むしろ胸をぐさりと刺される。お母様おかあさまオカアサマと何頁にも亘る部分よりも、こちらの方がずっと胸に沁みる。

ともあれ、本書に見出せる反戦・反軍に結晶する思考は、戦後においても変わらなかった。

 どれほど狂信的であろうと純粋無垢な愛国者がかりにいたというなら、その人間こそ陸軍の横暴さを真っ先に憎み、(…)戦争完遂を叫ぶだけの職業軍人に心底反感を抱いたはずではないのか(279p)

という思考は「論理的」に正しい。
その意味で(日本を敗戦に導いた)A級戦犯を靖国から外せと叫ぶのは、何をおいても先ず愛国者を標榜する右翼でなければならないのに、そうではないこの現実は、たしかに、

 あんなにも待ち望んだ戦後だとは、到底私には信じられなかった(276p)

ところの当の戦後の延長線上にあることは疑いを入れないだろう。ミシマの割腹もうべなるかな。
そうだからこそ、

すべては私の幻聴としておいたほうが収まりがいいにきまっている(280p)
のであり、
この本はそういう私の幻視と幻聴の記録(同上)
なのであろう。

もとよりそれは逆説で、そのような戦後(現実)社会の「自分のいる場所ではない」といった居心地の悪さこそ、この日記を公開しようとする第一の動機だったのではないだろうか。

 

弁解  投稿者: 管理人  投稿日: 7月20日(水)19時31分6秒

引用

河本さん

>腰椎骨折
おお、それは大変でしたね。もうよろしいのでしょうか。
腰痛予防は運動するにしくはありませんが、年齢を取りますと、身体自体が衰えているので、昔のつもりでいると大変な目にあったりします。意識の上では軽い運動のはずが、実は過重だったりして逆に関節等に負担をかけてしまうんですよね。

現在の私がそうで、自己イメージと現実体力の差異に日々ガックリさせられております。
なんと申しましても、「徹夜」ができない体になっちまいました。

 昨日は、持ち帰り仕事が長引いて、気がつけば午前3時であった。
 「あちゃー、眉村さんの番組まで2時間半しかないやん!」
 今寝てしまったら屹度起きられない。
 そう判断した私は、ただちに徹夜することに方針を変更した。

 おお徹夜! 若い頃は3日くらいは平気で徹夜したものだ。
 そういえば最近――いやもう何年も「完徹」って、してないなあ。私は呟いた。
 「徹夜……」
 そう口にしてみると、なおさら夜を徹してまんじりともしないという行為が、とてつもなく懐かしく、いとほしいものに思えてきたのだ。
 おゝ「徹夜」! なんたる甘美な響きであらう!

 ――丁度いい。この機会に、あと少しで読み終る『中井英夫戦中日記 彼方より
〈完全版〉を読んで了はう。
 さう思つた己は、とりあへずソファーに横になり体を楽にした。手にしてゐた洒落た装丁の『中井英夫戦中日記 彼方より
〈完全版〉の、栞を挟んだペエジを開き……さうしてハッ!と我に還つた。
 あわてて時計に眼を遣る……6時であつた。
 「わちゃー、やってもた!!」

 歳を取ったら、まかり間違っても「徹夜」に過度の思い入れを懐いてはいけません。もし、あなたが昔を懐かしんで「徹夜」しようなんて気を起こしたら、……そのとき既に、あなたはこの世とは別の空間に迷い込んでいるでしょう。そうトワイライトゾーンに。

編集済

 

骨粗鬆症なのだって。  投稿者: 河本  投稿日: 7月20日(水)15時51分40秒

引用

 大熊さん、堀さま
 >腰痛
 自分の歳を自覚して、残りの人生が健康に暮らせるよう、まじめにケアしないといけないなあ、と腰椎骨折で一ヶ月入院生活していて反省しました。
 こんな生活はよくないのではないかと思ったら、ただちに改善をおすすめします。
 後でほんとうに後悔します。 (^^:)

 堀さま
 HPを見させていただきました。
 「マッドサイエンティスト」‥‥MSと略‥‥と名乗っていらっしゃるのですね。
 これは幾分謙遜の気持ちを込められているのでしょうか?

 ぼくもMSと名乗っていますが、ぼくの場合はほんとうのMSです。
 なお、ぼくのMSの定義は「研究成果の一部は正当に評価されているが、全く理解されない部分もある」、です。
 お時間があったらHP・掲示板を覗いて見てください。

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fboat.zero.ad.jp%2F%7Ezbi74583%2Findex.htm

編集済

 

Re:金森達 SFアート ポスターを販売します  投稿者: 管理人  投稿日: 7月19日(火)22時01分41秒

引用

大橋さん

お知らせありがとうございます。
おお、かっこいいですね〜!

>管理人さん、1枚、キープしておきますからね
くれぐれも金森先生のサイン入りの分でお願いしますね(^^)
あとでメールしますので、振込先等返信ください。。

皆様も金森画伯のエンタープライズ号のポスター、ぜひともお申し込みくださいますよう、お願いしますね(^^;
詳細は大橋さんの新サイトGARAMONにて。

 

「火星の落日」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月19日(火)21時20分54秒

引用

マリア四郎さん

お返事ありがとうございます。
先日眉村先生から久しぶりに電話をいただきまして、そのときに四郎さんが拙掲示板に書き込みしてくださったことを報告いたしました。

眉村先生、へえ、そうですか! と、とてもビックリされていましたよ。
思いがけない四郎さんのお名前を聞いて、ずいぶん懐かしそうにしておられたように(電話の声からの想像ですが)感じました。

>詞にメロディが有ったのでしょう
というのはさもありなんです! とともに、やはり音楽の現場の方の言葉だなあと、感心しました。
しかしあのピアノは馬飼野康二さんでしたか。
知らなかったとはいえ、歌、伴奏ともに今から思えばすごい面子だったんですね!

できればもう一度聴いてみたかったけど、コピーテープがないなら、致し方ありませんね。わざわざ貴重なお時間を使って捜してくださり、申し訳なくありがとうございました。
私の頭の中では、「スラリコスラリリ」鮮明に鳴り響いており、死ぬまでこれが消えることはないと思われますので、ご心配なく(^^)。
そういえば、私だけでなく当時の仲間はみんな口ずさめるみたいですよ。正月に先生を囲む会があったのですが、合唱になりました(^^;

ご子息様は14歳なんですね。私がラジオから流れてくる「火星の落日」を聞いていたのが、実に14歳か15歳の頃だったんですよ!――なんだか不思議な感じがします。

昨日書き込み下さった文面は、プリントして眉村先生にお送りしておきますね。
また、当サイトでは、眉村先生情報を適宜掲載しておりますので、よろしかったら、(ご子息様のお手を煩わしますが)たまにご覧になっていただければと思います。
ともあれ、このたびは拙い掲示板にお立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。またよろしくお願い申し上げます。

編集済

 

金森達 SFアート ポスターを販売します。  投稿者: 大橋  投稿日: 7月19日(火)20時31分23秒

引用

挿絵画家・金森達画伯が、早川書房の文庫 『宇宙大作戦(スタートレック) 星なき世界』の口絵用に描いた原画をポスターにしました。
大宇宙を航行中のエンタープライズはかっこいいです。

送料込みで3000円です。

7月中にご購入頂いた方には、金森先生のサインが入ったものをお届けします。
急いで申し込んでいただけるととても助かります。

これが売れてくれると他にも復刻できるんで、よろしくお願いします。
管理人さん、1枚、キープしておきますからね。

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.garamon.jp.org%2Fproduct%2F0001.html

 

(無題)  投稿者: マリア四郎  投稿日: 7月19日(火)00時34分5秒

引用

眉村先生の奥様が亡くなられたのはテレビ等で知っていましたが、私が書き込んだ日が偶然命日だったとは驚いています。
実は私はパソコンをやらないのですが、息子(14歳)が管理人様のホームページを見つけまして・・・
「火星の落日」のメロディは詞を頂いたその場で書いたわけではないのですが、詞にメロディが有ったのでしょう、ギターを持ったらすぐ出来ました。
戸川昌子先生の事務所でピアノを借りて録音したのですが弾き語りではなく、ピアノを弾いてくれたのはブレイク前の馬飼野康二(編曲、作曲家)で後日眉村先生にラジオで流れていると聞き、スタジオを使わず簡単に録音したことを後悔した覚えがあります。
それに当時、井上陽水・小椋佳のディレクターだった多賀秀典(のちにキティレコード社長)さんが、気に入って俳優の常田富士男(日本昔話etc)さんでレコーディングしたいと話がありました。(常田さんの都合で流れましたが・・・)
私は20年位前までシンガーソングライターとしてみやざきみきおの本名で弾き語りをしていましたが、今は音楽と無縁の仕事です。
それから、テープを探したのですが、無いようです。たぶんコピーをとらなかったのでしょう。
期待を持たせて申し訳ありませんでした。
また、眉村先生にお会いになれたらよろしくお伝えください。
(息子の都合により返信が送れてしまって申し訳ありません)

 

トレーン命日  投稿者: 管理人  投稿日: 7月18日(月)11時44分7秒

引用

わ、昨日がコルトレーンの命日であること、すっかり失念しておりました。

実は昨日、たまには歩かんとな、と一念発起し、午過ぎ天王寺に出、書店古書店など「天王寺周回コース」(笑)を散歩代わりに巡回していたのでした。
天王寺「駅」自体は、最低でも月に一回は必ず、阪和線から環状線への乗換え(あるいは地下鉄乗り換え)で通過するのだけれど、天王寺の「街」へ繰り出すのは、これは実に久しぶり。

で、まあそこそこ心地よく疲労したので、これまた久しぶりに「トップシンバル」に寄ってみた。
午後4時ごろでしたか、なんと客は一人も居らず。しかも私が帰るまで来店客なしという状況。日曜の夕方という時間帯的にエアポケットだったんでしょうが、その間マスターと二人だけというまことに居心地の悪い感じになってしまった。

実はトップシンバルに寄ったのは、ただ何となく、というわけでもなかった。懸案のマイルス「ブラックビューティ」を聴かせてもらおうかな、という気持ちがあったのでした。
店に着いたときかかっていたのは、コルトレーンだと思うんだけど(50年代のはあまり知らないのです。今から考えればコルトレーン命日だったからなんでしょうね)、5分もしないうちに終わってしまった。客がいないもんだから、マスターすぐにリクエストは? と聞いてきやがった。

ところが間が悪いことに、「ブラックビューティ」のタイトルが、にわかに出てこない。しかも電気マイルスだ。これは私だけの感覚かもしれませんが、電気マイルスをジャズ喫茶でリクエストするって、何となく申し訳ない感じがして、物凄く抵抗がないですか。
それで、いや別に今日は、などととむにゃむにゃといいますと、じゃあ静かな曲でも、とピアノ曲をかけてくれた。
私が読みかけの本を手にしていたからだと思うのですが、これがまた、静かは静かながら実にかったるい。

その間に、店のノートで「ブラックビューティ」があるのを確認したのですが、「おすすめ」のしるしが付いてない。
ノートの第1ページがマイルスなので、このマスターがマイルス好きであるのはつとに知れておった訳ですが、「うむ、やはり電気マイルスはおすすめではないのか」と、また少し腰が引ける。

それでもかかっているアルバムが終わったら、「なんかブラックビューティってのがいいって聞いたんで一度聞かせて」、て頼むつもりだったんだが、これがCDらしく30分聴いても終わらないのであった。

そんなこんなで、本にも集中できず、座ってモンモンモジモジとしているうちに、卒然と、「あ、そういえば今日は朝青龍対琴欧州じゃないか」と、思い出しちゃった。あわてて時計を確認すると、既に5時前。今帰れば結びの一番には間に合う。

と思うと、居ても立ってもいられなくなり、そそくさと帰り支度。え〜!?もうちょっと居てくれても、というマスターに(無人になるからですが)また来ますといって出てきてしまいました。とほほ。

で、幸い(?)結びの一番に間に合いました。
いやー凄い一番でしたねえ。久しぶりに鳥肌立ちましたよ(^^;

琴欧州、横綱大関戦はこれで終わりでしょう。となれば今場所13勝もありえるわけで、今年中に大関も現実のものとなってきたのでは。
現大関陣が総退陣し、琴欧州や白鵬、普天王が大関に上がって来るという事態は、実は朝青龍も内心望んでいるのではないでしょうか。

『輝く断片』読了。
『中井英夫戦中日記 彼方より
〈完全版〉に着手。

編集済

 

「働こうとしない人たち」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月17日(日)12時05分32秒

引用

矢幡洋『働こうとしない人たち 拒絶性と自己愛性(中公新書ラクレ、05)読了。

『市場社会を超えて』は、つきつめれば、市場システムの一形態としての資本制システムの進展が、「豊かな生活」を実現したとしても、それは「幸せな生活」であったのか、という問いかけなのですが、本書は、近年注目されだした「働かない人たち」に着目して、彼らの顕著な行動パタンとして「拒絶性スタイル」と「自己愛性スタイル」を抽出する。

両者は一見対立するパタンなのですが、結局のところ根本にあるのは「依存性」なのだと思いました。
前者が依存的なのは明白ですが、では後者もそういえるのはなぜか。彼らは依存的ではなく、自己中心的なのではないのか。

それは結局のところ、後者も、かれらが抱く「大きな夢」を実現するためには、

なおさら途中の一歩一歩を明確化しなければならないという問題意識を欠いており、「途中経過をどうクリアするか」ということを、周囲が都合のいいように動いてくれるものという根拠のない期待で埋めているからです(183p)

これこそ「依存性」でなくてなんでしょう。
その意味で両者は、ともに働くことを回避する根底に、他者依存性を共有しているのです。

そういうわけで、著者は結論として、現代社会は「自分らしさ」という自己愛性スタイルを強化するようなメッセージに溢れていることを取り上げて問題化するのですが、私はかかる「現代社会の傾向」は、明白に依存的な「拒絶性スタイル」においても、大きな影響力を発揮しているに違いないと感じました。

「私らしさ」「輝く」「個性」というような(…)それらは、社会が個性的な人材を必要としているのではなく、企業がほんの少ししか違わない商品を商品の新しいサイクルごとに購入させるためのセールス・トークに過ぎない(198p)

という指摘はまさにその通りですが、それは「自己愛性スタイル」を強化させるだけでなく、「拒絶性スタイル」をも強化させる、諸刃の剣であるように思われます。
なぜなら、自分に自信のない個人こそ、CMが連呼する「新商品」を、「みんなと同じでありたい」と願って購入してしまうだろうからです。同様に、

私たちの社会は、その経済活動の中に「私」というものを重大なターゲットとする仕組みになってしまっている(…)「私らしさ」への欲望を喚起し、大差のない製品を購入させる――「私らしさ」へのこだわりが経済のガソリンとして必要となってしまっている社会なのです(201p)

という指摘もまた、「拒絶性スタイル」においても妥当します。というよりも、むしろこちらの方により妥当するものかも。根にあるのが「依存性」だからです。

このような傾向は、ある意味「動物化」と機を一にする事態なのではないでしょうか。「動物化」とは端的に「オタクの動物化」(シニシズムから動物へ)として提示された概念ではありますが、元来それは、資本主義のポストモダン化に伴う「消費者の動物化」(私自身は「ペット動物化」といいたい。「動物化」というとおそらく平井和正さんは烈火のごとく怒るに違いありません)の一環としてあり、同様の一環として「働かない人たち」という事態(それ自体は人類とともにある事態なので、その強化というべきかも)があると捉えるべきではないでしょうか。

したがって(本書のテーマからは離れますが)根本的な解決は、楽観的過ぎるにしても『市場社会を超えて』の方向にあるのは、先ず間違いないように考えています(ただ行き着いてしまうと、やはりそこはディストピアだと思う)。

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国技  投稿者: 管理人  投稿日: 7月16日(土)20時47分23秒

引用

ぎゃー! NHK俳句見るの忘れてました!!
うう、前日まで覚えていたのに〜(ーー;
ということで、再放送……5時半ですか・・

お話変わって、朝青龍強いですねえ(^^)
若貴あたりから大相撲は詰まらなくなって、とんとご無沙汰だったんですが、最近また見るようになりました。
だって、朝青龍が軟弱日本力士をバッタバッタと転がしてくれるのですもん、見ていて実に痛快ではないですか。ですよね。ね、ね(笑)

ところで、大相撲は日本の国技といわれてきましたが、ほんとにそうなの?
今場所の幕内力士42名を内訳すると、日本人力士は31名、モンゴル人力士7名、その他4名となっています。
たしかに外国人力士が増えてきたな、ですって?
そんな暢気なことを言ってる場合ではありませんよ。

考えてもみて下さい。
日本の人口は12000万人なんです。対してモンゴル国の人口は225万人。
そうしますと、
日本人幕内力士の日本人口(万人)に占める割合は、31/12000=0.25%
ところが、モンゴル人力士のそれは、7/225=3.1%

つまりモンゴル人100万人に3人が、なんと大相撲の栄えある幕内力士なんです。これに対して日本人幕内力士は日本人1000万人に2〜3人というわけで、まさに桁違いなんです。

しかも、現在のところ相撲取りは男性しかなれませんから、モンゴル国民の男性100万人に6人が大相撲幕内力士ということになります。
これは物凄い比率ですよ。東京都の人口に換算するならば(1000万人中500万人が男性として)30人です!
つまりもはや、事実上大相撲は日本の国技ではなく、しいて言うならばモンゴルの国技というべきなのではないでしょうか(^^;

横綱審議委員会は、日本人として、とか国技としての品位云々という言い方は、今後使わないようにしていただきたいもんです(^^ゞ。

#それにしても、誰か朝青龍にけたぐりかます奴はいないか。決まると思うんだけどねえ。出でよ海乃山!(>ふ、古い)

編集済

 

「市場システムを超えて」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月15日(金)22時09分0秒

引用

平谷さん

メール拝受しました。ご丁寧にありがとうございました。
なるほど、少し目の前の霧が晴れてまいりました(^^ゞ
先ほど、返信させていただきました。
またお気軽にお立ち寄り下さいね。

高橋洋児『市場システムを超えて 現代日本人のための「世直し原論」(中公新書、96)読了。
共感するが現在から振り返ればいささか古びた主張かも。所謂「動物化」は象徴的に95年以降の現象であるわけで……。
しかもかつて大規模小売業に従事していた私から見て、当時としてもその拮抗力としての商業資本への期待はファンタジーに近い。95年以降今日までの展開は、拮抗力的発想が当の「消費者」によって裏切られる過程であったといえよう。

ひきつづき、矢幡洋『働こうとしない人たち
 拒絶性と自己愛性(中公新書ラクレ、05)に着手しました。

編集済

 

感想ありがとうございます  投稿者: 平谷美樹  投稿日: 7月14日(木)23時20分29秒

引用

いつもながら、拙著を精読していただきありがとうございます。
管理人さんの感想は、いつもわたしの意図した部分に肉迫していただけるので、とても嬉しいです。
長くなりそうなので、後でメールします。

 

NHK俳句  投稿者: 管理人  投稿日: 7月14日(木)21時19分10秒

引用

平谷さん

どうも、お久しぶりです(^^)

>ぼくが初めて読んだ大人物のSFがハヤカワ文庫版の「燃える傾斜」でした
おお、私もハヤカワ文庫版でした。実は初出の東都書房版は、まだ見たこともないのです(^^;

新刊の『黄金の門』、楽しく読ませていただきました。真っ向大上段から振り下ろされた(いまどき珍しい?)グランドセオリーな正統日本SFで、その意気や好し! とても面白かったです。
何といいましても「ビッグバンこそ神なり」には参りました(^^; わがSF心は激しく揺さぶられ、しばしセンス・オブ・ワンダーの海に揺蕩いましたです!!
けれど(といいますかそれゆえにといいますか)、いろいろ考えさせられることが多く、まだ全体像を把握できずにいるというのが正直なところです。

森下さんは、
>各人の内に「仏」を見る日本人的な考え方かも
と評されていましたが、私はアニミズムではないかと思いました。
同じではないのか、といわれそうですが、確かに実質は同じなのかもしれませんが、アニミズムは日本的というより汎人類的な概念であって、この場合こちらの方が妥当だと思います。

面白いことに、同時期に読んだかんべむさしさんのエッセイ『理屈は理屈、神は神』でも、「遍在意思」の存在が示唆されており、このような思考の汎人類的根拠を見た気がしました(もちろん日本人的とも言えるわけですが)。

では、『黄金の門』はキリスト教とかイスラム教という個別宗教は、実はアニミズムの、それぞれ(別の)一部面を反映しているに過ぎない、あるいは同じアニミズムを見る、その見る角度の相違に過ぎないと主張しているのか?
その辺がまだ私には理解が及びません。やはり3部作を通読しなければ始まりませんね(^^)

というところが現状です。なんだか作家さんに向かって書くべきではないことを書いてしまったような気がします。まあ私のメモ代わりということで、どうか無視して下さいませ(^^ゞ

岩橋さん

>もう、感想というより、劇評ですね
いやそんな大層なもんではありませんです(^^;
小説は判らなければ何度でも読み直せますが、演劇は原則「一見」なので、その辺が難しいです。
では南湖さんの会で(^^)

大橋さん

『喪われた都市の記録』は持っていますので、お貸しできますが……。もう間に合いませんかね。

さて、お忘れの方も多いかと思いますが、眉村さん出演のNHK俳句、いよいよ今度の土曜(おお、SF大会の日だ)ですよ。お忘れなきよう。

  7月16日(土)8:00〜8:30
  7月20日(水)5:30〜6:00<再放送>

編集済

 

宜候です  投稿者: 岩橋  投稿日: 7月13日(水)23時42分16秒

引用

岩橋です。
感想、ありがとうございます。
もう、感想というより、劇評ですね。ここまで論じていただけたのは、ここだけです。
ということで、感謝のあまりリンク貼ってしまいました。
しばらくはカウンタが伸びると思いますが、それはウチの関係者です。
ではまた。
南湖さんの会で会えますように。

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.origo-tou.com

 

「燃える傾斜」!  投稿者: 平谷美樹  投稿日: 7月13日(水)22時51分50秒

引用

確か、ぼくが初めて読んだ大人物のSFがハヤカワ文庫版の「燃える傾斜」でした。

 

「金森達の世界」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月13日(水)20時24分42秒

引用

大橋さん

>SF大会
いよいよこの土日(7/16、17)ですね。残念ながら応援にはよう行きませんが、遠く西方より盛況ならんことをお祈りしております。
SF大会へ参加される方は、ぜひ「アートショウ」並びに「ディーラーズルーム」へお立ち寄りくださいね!

>ポスター
私はGARAMONで購入させていただこうと思います。
新サイトGARAMONは既に「お気に入り」へ登録済み。準備万端ですよ(^^)

>『燃える傾斜』
おお、ハヤカワ文庫版ですね(^^)

 

SF大会  投稿者: 大橋  投稿日: 7月12日(火)23時30分49秒

引用

SF大会で「金森達の世界」と題した原画の展示をやります。

眉村さんの作品は、『燃える傾斜』が出ます。
ほか、「宇宙大作戦(スタートレック)」を中心に30点ほど展示します。

私は「ディーラーズルーム」でポスターを売ります。

SF大会に参加される方は覗いて下さい。

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.garamon.jp.org%2F

 

「料理天国へ宜候」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月12日(火)21時39分46秒

引用

岩橋さん
「料理天国へ宜候」、とても面白かったです(^^)
しかし「パイライフ」よりさらに難解でした。おかげさまで、よりいっそう想像を逞しくできるというわけで、いろいろ解釈を立ててはこわして楽しんでおります(^^;

「パイライフ」では<神経症化した在留邦人社会>という構図が案外あからさまに読み取れたのですが、今回の<料理教室>も、最初は同工異曲と思いました。、
「ハハァこれは<神経症化した料理教室>だなフフ岩橋君お見通しだよ」
とタカをくくっていましたら、見事に足をすくわれてしまいました。参った(汗)
いわばパイライフ的世界が、さらに一段の虚構化を加えられているわけですね。

上遠野浩平は、設定が似ていると思ったので言及したのですが、作品自体はわたし的にはつまらない話でした。一応断っておきますね(^^ゞ

さて上述の虚構化が曲者で、このお芝居の焦点は、いわば「(滅亡に)間に合わなかった宇宙飛行士」にあるのか、「神経症化した料理教室」にあるのか、どちらにあるかで印象がガラッと変わってしまいます。ここがまだ私には腹に嵌っておりません。
もし前者にあるならば、料理教室は別に料理教室でなくてもよいわけで、ただ料理を観客に振舞うという「趣向」のために選ばれたという考えも成り立つように思います。

向かいの家屋の火事が宇宙船の事故と対応するという設定にはうならされました!
結局宇宙船のトラブルによる速度喪失(推進力低下に対応する重量過多)が、料理教室の関係不全としてあらわされているのだと思うのですが、生徒たち(講師も含めて)のディスコミュニケーションの様子(各自勝手に人の話を解釈していたりして本当は噛み合ってないのに、なんとなく会話が進んでいく)が実によく表現されているなあと思いました。

と書いてきて、やはり焦点は後者だなと思い始めてきました。人間は根源的に孤立した存在で、相互理解やコミュニケーションは仮想的なものだというのが岩橋さんのテーマなのかな。

コミュニケーション不全の登場人物の中にあって曲がりなりにも交通整理役であったモリ(誉田万里子)が、実は宇宙船のコンピュータであることが明らかになり、そこで口調が変わって(いわゆるロボットぽくなり)、エネルギーが切れる(こと切れる)シーンがとてもよかった。すっと人間から機械知性へ変相するのがまざまざと感じられました。
ここはスポットライトを当てて欲しかったです。宇宙飛行士(祐樹建)とモリにスポットが当っている。エネルギーが切れてこくんと首を前に倒す瞬間にモリのライトが消え、暗転。宇宙飛行士のみスポット当っている……。
失礼しました、勝手に演出してしまいました(^^;
いやひょっとしたらそうなっていたのかもしれませんが、私の席からは退場する姿が見えていたのでした。

次の公演もぜひ見に行きたいです!

編集済

 

ありがとうございます  投稿者: 岩橋  投稿日: 7月12日(火)03時02分19秒

引用

オリゴ党・岩橋です。
わざわざご来場頂きありがとうございました。
料理は残念でしたね。ふふ。アレはかなり良いものなのだそうです。
しかも、ソースにも凝っているので、本当においしいんですって。
私は、調理実習稽古の時にグレードのおちる肉でいただきましたが、それでも十分美味い。実際のお客様には、もっといいものが出たのかと思うと、ちょっと企画を間違えた気もします。

さて、セカイ系でしたか〜。実は、そっち方面はほとんど読んだことがないのです。
ウワサ話には聞いていましたが。そうか、上遠野浩平か…。
今度読んでみます。
私の中では、まあ、ヤマトみたいなもんをぶち込んで、時間軸を捻じ曲げようかなあ、ぐらいのつもりだったのですよ。

お時間ありましたら、詳細な感想など、お待ちしております。

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.origo-tou.com

 

「マエストロを殺せ」  投稿者: 管理人  投稿日: 7月11日(月)21時09分32秒

引用

本多さん
浅田彰さんの『中井英夫戦中日記』への言及、ネットにありました。→続・憂国呆談

いやー、なんか気分が高まってきちゃいました!
なので、ライバーをとばして先に読むことにします(^^;

スタージョンは、「マエストロを殺せ」を読みました。うわ、これは凄い。先日書いたような乖離はなく、形式と内容がばっちり支えあっています。この地点から振り返れば、確かに先述の3篇はある意味色褪せるといえる。とはいえこの高みから振り返ればどんな作品でも色褪せてしまうでしょう(^^;

編集済

 

Re: ありがとうございました。  投稿者: 本多正一  投稿日: 7月11日(月)01時40分58秒

引用

> その辺をしっかり意識しながら『中井英夫戦中日記 彼方より 完全版』、読んでみたいと思います。

 ご紹介ありがとうございました。『中井英夫戦中日記』、浅田彰さんが「続・憂国放談」で取り上げて下さったのに続き、時事通信配信で出口裕弘さん、「サライ」17号で吉村明彦さんの書評が掲載されるそうです。どうか今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fdw.diamond.ne.jp%2Fyukoku_hodan%2F200507%2Findex.html

 

オリゴ党公演に行ってきた  投稿者: 管理人  投稿日: 7月10日(日)19時03分36秒

引用

堀さん
>だいぶよくなりました
それは何よりでした(^^)
やはり雨だと運動が億劫になりますね。

本多さん
>届いた本?
いえamazonからです(^^;
「文藝」のエッセイをご投稿下さり、ありがとうございました。

>巨視的な文芸の流れの中では戦後文学の正統な嫡子である
たしかにその通りですね。
ミステリという形式を利用しましたが、本来は三島由紀夫や安部公房や井上光晴あたりとリンクして戦後文学の流れの中で評価されるべき作家であったと私も思います(たとえば全く繋がりがない(水と油の)三島と井上ですが、実は中井英夫を介して繋がっているのですよね)。

やはり上記の作家に比べて「小説家」としてのデビューが遅すぎた(ほとんどSF第1世代と同じ頃ですもんね)のが正当な評価を妨げた最大の原因かもしれませんね。少なくともミステリ系の批評の文脈ではそのような問題意識は等閑視されているように思われます(いえ評論など殆ど読んでないのでアレですが)。
その辺をしっかり意識しながら『中井英夫戦中日記 彼方より 完全版』、読んでみたいと思います。

さて、今日はオリゴ党第21回公演「料理天国へ宜候」をトリイホールで観て来ました。
いや面白かった(^^)
実は予約しておけば、劇中で作られる料理を、観劇中に食べられるというすごい特典があったのですが、前日にならないと翌日のスケジュールが立たない私は、泣く泣く予約をしなかったのです。

いや無理すれば予約できたかもしれないのですが、ただ、
「何を食べさせてくれるんやろか?やみ鍋みたいなんやったら嫌やなあ。まあどうせ小学校の給食並みのもんやろう」
との気持ちもあり、無理しなかったという面もありました。

ところが――
これがフランス料理だったのであります!!
上等の牛肉(肉自体の脂肪でフライパンに油を引く必要がない!)のじゅうじゅう焼ける匂いが立ち込め、ああ、しもた。予約しとくべきやった、と後悔しきり。大失敗でありました(汗)

さて内容ですが、これは所謂セカイ系ではないのかな? 上遠野浩平の「ぼくらは虚空に夜を視る」みたいな設定であることが最後に明らかになります。
感想はもうちょっと頭の中で整理してから書こうと思います。

編集済

 

Re: 届いた本?ありがとうございます!  投稿者: 本多正一  投稿日: 7月10日(日)12時12分55秒

引用

> 「彼方より」>読み始めるのはもう少し先になりそうです。←誰にともなく(汗)

 ご無沙汰しております。ご紹介ありがとうございました。読みごたえのある一冊かと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

『中井英夫戦中日記 彼方より 完全版』 / 本多正一

 中井英夫は太平洋戦争中の日記を残している。生前、『彼方より』とのタイトルで公刊され、反戦反軍の稀有の記録として定評あるものだった。後年、三島由紀夫が自決を遂げた市ヶ谷の参謀本部という勤務地も、待望していた終戦の日を昏睡状態で迎えたことも、この作家にふさわしい奇妙な暗合として一読忘れ難い。今年の戦後60年を機に、これまで未発表だった箇所を収録した完全版を企図した。
 未刊行部分は小説の構想、同性への思慕、時事を憤るものと多岐にわたるが、もっとも衝撃的なのは母の死に際しての記述であろう。戦時下の食料不足、医療不足によって最愛の母を喪った無念の思いは、大学ノート三十ページにも及ぶ。「お母さま、おかあさま、オカアサマ」と残された慟哭は、見る者、読む者をたじろがせずにはおかない。
“幾百万の兵士の死も今己には何の感動も与へぬ。日本の運命、いひかへれば祖国とか国家の名誉、義務等々より我が母の死が軽いものだとはどうしても考へられない己なのだ。日本中の母といふ母を守るために、といふ言葉も、その中に自分の母が入つてゐないのをおもへば一顧の価値もない。”(昭和十九年九月十五日)
 おそらく戦後に中井が残した文業、生の営みは、この戦争で失われた愛の可能性、青春の時間を奪い返そうとする無謀な企てであったのだ。すなわちーー “虚無への供物”。
 短歌雑誌の編集者となって葛原妙子、塚本邦雄、中城ふみ子、寺山修司、春日井建ら数々の異才に活躍の場を与えたことも、洞爺丸転覆事故の不条理な大量死を目撃し、アンチ・ミステリー『虚無への供物』を構想することになったのも、高度経済成長を続ける戦後ニッポンに背を向け、『黒鳥譚』『とらんぷ譚』など耽美的な孤高の幻想文学世界を築き上げることになったのも、すべてこの戦時中の巨大な喪失体験が母胎となったとさえいえそうなのである。
 いわゆるミステリー文学の文脈の中で語られることの多い中井英夫だが、巨視的な文芸の流れの中では戦後文学の正統な嫡子であることを再確認できる。巻末に付された戦前戦中詩集「哀しみの船」も中井の文体、文学世界のふるさととして貴重であろう。
 また解説の川崎賢子がかつて述べたように、「中井英夫は、『思想の科学』鶴見俊輔らと同時代の倫理をわかちもつもの」でもあり、鶴見が本書に寄せた序文は、苦い彩りながら希望をこめて、六十年前の中井の孤独な営みを、いまの時代、いまの私たちの前に差し出している。
 中井の日記は二十一世紀を迎えた現在でも再読三読できる古典であり、完全版によって読みとかれることも多いだろう。昭和の精神史を考察するうえでも第一級の資料である。
(付記)本稿執筆中、塚本邦雄氏の訃報に接した。謹んで御冥福をお祈りする。

(『文藝』2005年秋号)

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.libro-koseisha.co.jp%2Fshifugo.html

 

RE:腰痛  投稿者: 堀 晃  投稿日: 7月10日(日)10時28分49秒

引用

ご心配いただきありがとうございます。
昨日、長距離歩いたり体を動かしておりましたら、だいぶよくなりました。
このところの雨で、部屋に閉じこもったまま長時間机に向かっていると、猫背になる傾向があり、急に動くといかんようです。
穴蔵生活というのはやっぱり不健康なんですねえ。

 

腰痛  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 9日(土)22時12分20秒

引用

堀晃さんが腰痛とのこと。
私は骨盤のすぐ上の椎骨が潰れており、恒常的に腰痛なんですが、ことにもGW直前は同じ姿勢で1分と座ってられず、そのうち歩くのも困難に感じられるようになりました。
専属料理人さんがおっしゃるように、筋力(特に腹筋力)の低下が最大の原因でしょう。私の場合、ここ数年でウエストが5センチ近く太くなったのですが(体重は増えていない)、これは端的に腹筋力が低下した結果だと思われます。
かといって、突然腹筋や腕立て伏せを始めたって、この年齢になりますと肩や肘に負担がかかって別の痛みを発症してしまいます。関節が物理的に劣化してしまっているのです。以前は毎日腹筋、背筋、腕立て伏せを日課にしていたのですが、上記のような弊害が出てきたのでやめたのです。やめたはいいのですが、その結果ウエストの増大という悪循環に陥ったわけです。

まあそういうわけで、GW中はぶら下がり健康器にぶら下がっているか、寝転がっているかしていました。
寝転がるたって、横向きだと背骨が曲がった状態になるので、仰向けかうつ伏せ。仰向けのときは腰に座布団を二つ折りにしたのを当て、うつ伏せのときは両手を万歳の状態にして、常に背骨が伸びている状態を心がけました。

そうしましたら、GW明けにはかなりましになっていました。それからは時間があいたらその辺を5分でも10分でも歩くようにしました。
あ、そうそう朝起きたら、朝ミラを聞きながらラジオ体操しています(^^; 股割り(完璧にはできませんが)も効果があると思います。


そのような次第で、最近はここ数年来では一番腰の状態は快適なんですが、喉もと過ぎればというやつでしょうか、今気がついたんですが、そういえば散歩をしてないなあ。また明日から歩かなくては(^^;

まあ堀さんの場合は単に腰を捻っただけでしょう。私のようにならないうちに、筋力の強化対策(ビール→トイレ法は効果ないと思います(^^;)を始められた方がよいかも。

編集済

 

届いた本  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 9日(土)21時19分36秒

引用

『中井英夫戦中日記 彼方より 完全版』、『働こうとしない人たち』、『命に値段がつく日』

「彼方より」>読み始めるのはもう少し先になりそうです。←誰にともなく(汗)

 

スタージョン、その他  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 9日(土)18時52分35秒

引用

久しぶりにKJ法やってみたくなって、『科学とオカルト』で試してみました。
で、カード69枚書き上げたんだけど、なんだかそれで充足してしまって(^^;分類するモチベーションが出てきません。困った。

『輝く断片』
ゆっくり味わって読んでおります。「ニュースの時間です」まで読んだ。
最初の3篇(「取り替え子」「ミドリザルとの情事」「旅する巌」)は軽めとのことですが、なんのなんの、全然そんなことありません。プロットというか形式は確かに軽めをめざしているのですが、形式に盛られた内容がそれをはっきり裏切ってます(^^;
したがってオチが浮いてしまっている。というかオチにいたるスマートなエンタテインメントを書こうとしても、スタージョンの内宇宙が作家の意図を裏切って小説世界に流れ込み窯変させてしまうのです。
大森さんがあとがきに書いているように、それは小説として失敗なんですが、それこそスタージョンのスタージョンたる所以。むしろ作家自身の(表層的)意図が裏切られるときにこそ傑作が生まれるのかも。

さらに、高橋洋児『市場システムを超えて』に着手しました。

 

F&G第5巻  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 6日(水)21時47分45秒

引用

地元の書店でフリッツ・ライバー『ランクマーの二剣士』発見。もう出ていたのですね。もちろん速攻で購入しました(この書店、新刊でも売り切れたら補充しないので)。
で、併設の喫茶店でぱらぱら捲る。

著者まえがきによれば、F&Gはトールキンの英雄たちの対極的存在とのこと。さすがライバー。自作に対して実に自覚的ですな。もとより自覚的だからこそ、S&Sの常套を常に外すことができるわけです。F&Gは反S&S的S&Sなのです。そうだからこそ、
辛辣な批評をもって鳴るジュディス・メリルが、普段あまりこのジャンルの小説を読まないはずなのに(訳者あとがき)書評で取り上げて絶賛するわけですね。

この作品でF&Gシリーズは完結ということなんですが、訳者あとがきによれば、その後書かれた続編が2冊にまとめられているらしい。これはぜひとも浅倉さんの名訳で翻訳してもらいたいですねえ。

 

Re:金森達のミニ個展  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 4日(月)21時46分28秒

引用

大橋さん

金森さんといえば、私は先ず光瀬龍の挿絵が浮かんできます。「宇宙のツァラトゥストラ」とか「喪われた都市の記録」とかはまさに金森達そのものという感じです(^^)。
でも最初の頃のHSFSでは、ずいぶん抽象画ぽかったですね>「落陽2217年」(画像左)
これは65年ですが、福島さんの指示なのかな。
71年の「異境」(画像右)では、宇宙大作戦風の画風に変わっています。
さらに後の石原藤夫さんのヒノシオシリーズでは一転コミカルな絵になります。これも時代の要請なんでしょうね。
その辺の変遷が見られるといいのですが、ともあれ続報をお待ちしております。

編集済

 

金森達のミニ個展  投稿者: 大橋  投稿日: 7月 4日(月)07時39分26秒

引用

「金森達のミニ個展」のことを書いて頂き、ありがとうございました。
早川書房の「宇宙大戦争」(スター・トレック)の原画をメインに、光瀬龍さんの本の表紙に使った原画とか、眉村卓さんの本の表紙に使った原画とか、30点くらいが展示される予定です。
詳細は決まったら告知させていただきます。

 

音楽家倉阪鬼一郎  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 3日(日)22時11分7秒

引用

フォアローゼスが切れちゃった。仕方ないので(お金もないので)、コンビニでサントリーレッドを買ってきた。大学のとき以来だ。
わ、懐かしい味! 美味しいやん(^^;

ところで、ここで、並木士郎さんアレンジの倉阪鬼一郎さんの曲が聴けます。
私も初めて聴いたんですが、これはいい! まさに昭和歌謡です。倉阪さん見直しました。小説より好いかも(>嘘)(^^;
「遠い日の想い出」は浅田美代子に歌わせたい名曲!

私もMIDIやりたくなりました(^^; でもどうしたらいいのか皆目わかりません(ーー;

 

SF大会情報  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 3日(日)20時16分4秒

引用

ジュヴナイル小説研究家大橋博之さんが、第44回 日本SF大会 HAMACON2で、金森達のミニ個展をやるそうです→空想少年
というわけで「日本SF大会」に行かれる方はぜひ「アートショー」も覗いて下さいね。

SF大会といえば、南湖さんも探偵講談で出演されます(土曜日14時〜15時半)。芦辺拓さんとの恒例座談会もあります。こちらもお見逃しなく!

 

最近よく耳にするラジオCMで  投稿者: 管理人  投稿日: 7月 3日(日)13時11分30秒

引用

車のCMの一節なんですが、

1)子供:あ、流れ星だ!
2)父親:隕石の燃え残りだよ。
3)子供:ふーん、隕石なんだ。
4)母親:さ、消えないうちに何かお願い事なさい。

これ、論理的におかしくないですか?
2)で父親が流れ星の正体(つまり願い事を叶えるような超常現象ではないという事実)を説明しているのだから、4)の母親の言は2)の父親の説明を全然聞いてなかったとしか考えられません。

たとえばこれが

1)子供:あ、流れ星だ!
4)母親:さ、消えないうちに何かお願い事なさい。
2)父親:隕石の燃え残りだよ。
3)子供:ふーん、隕石なんだ。

ならば筋が通るんです。でも確かにこれでは面白くもなんともない。
とすればここはひとつSF的に、

5)ナレーション:その隕石は隕石としては異様に長く燃え尽きず空に留まっていた。が、やがて東の水平線に消えた。ピョンヤン近郊から発射された新型核ミサイルは、目標たがえずロサンゼルスに落ち、そうして最終戦争が開始された……。

としてはどうでしょうか、てのは別の話で、ここで言いたいのは、この(オリジナルの)シナリオを聞いて、人は違和感を感じないのだろうか、ということです。
こんなシナリオが堂々と放送されているのですから、そういうことなんでしょう。
そういうこととは、21世紀日本において、上のような会話が何の違和感ももたれず、ごくふつうに会話されているということです。
われわれの日常会話の中からも、因果的アウフヘーベン累積型推論能力が失われ、都度データベースアクセス上書きダウンロード型に変わりつつある、これは一証左であるのでしょうか。

編集済

 


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