ヘリコニア過去ログ2005年8月)

 


 

「妖精のアイルランド」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月31日(水)20時28分30秒

引用

下楠昌哉『妖精のアイルランド 「取り替え子」の文学史(平凡社新書、05)読了。

20歳のジェイムズ・ジョイスが37歳のイェイツにこう言う。
「ぼくたちは会うのが遅すぎました。ぼくが影響を与えるにはあなたは歳を取りすぎていらっしゃいます」(201p)

うーむ、37歳でこう言われてもなあ、と50歳の私はぼやくのであった(^^;

本書は『批評理論入門』に並ぶ本年度ベスト本!

 本書の中心となっているのは、文書や表象を読み解く作業である。書かれた言葉を読み解き、解釈するという技法。(……)これは、私なりのそのささやかな実践の書である。(220p)

と書かれているように、本書もまた、「批評理論入門」と同様、クリティカル・セオリーとはどういうものかを具体的に実践していて、実に刺激的でした。

詳細感想は後日。

 

本多正一さんのトークショーと写真展  投稿者: 管理人  投稿日: 8月29日(月)20時39分25秒

引用

本多正一さんと澁澤龍子さん(故澁澤龍彦夫人)のトークショーが、下記の次第で行われますので、告知いたします。
 (詳細はこちらをご覧下さい。→「中井英夫戦中日記 彼方へ 完全版」刊行記念トーク


       ――――――      記      ―――――――


『中井英夫戦中日記』&『澁澤龍彦との日々』刊行記念トークショー!!

昭和を貫いたダンディズムの光芒――中井英夫と澁澤龍彦――


 日時:10月18日(火曜日)午後7時〜9時30分(予定)
 会場:東京神田古書会館地下ホール

“昭和”も遠くなった21世紀。だが、いまだに多くの読者を獲得し続けている二人の作家がいる。
中井英夫と澁澤龍彦――彼らの時代を超えた幻想と耽美の魅力に迫る!!
(司会、進行)本多正一

 ※スペシャルゲスト多数来場予定!!


(第一部)
『中井英夫戦中日記』(河出書房新社)刊行記念トークショー

戦後60年を迎えた今年、中井英夫の戦中日記『彼方より』の完全版が刊行され、話題を呼んでいる。
戦争への憎悪、母を喪った嘆き、文学への思い・・・、アンチ・ミステリー『虚無への供物』の作家の戦中、戦後体験に迫る。
日記三冊の原本、関連資料を特別展示!!

 ゲスト:齋藤愼爾(編集者)、川崎賢子(評論家)

(第二部)
『澁澤龍彦との日々』(白水社)刊行記念トークショー

戦後の異端文学を一手に引き受け、名作『高丘親王航海記』を遺して逝った澁澤龍彦。
全40巻もの全集が刊行され、代表作のほとんどが文庫化されるなど、没後18年を迎えた現在でもその人気はおとろえることを知らない。
生涯の伴侶だった龍子夫人が稀有の文人の日常と素顔を語る!!

 ゲスト:澁澤龍子(エッセイスト)、東雅夫(評論家)


       ――――――      ―――――――      ―――――――


これは地下室の古書展のなかの企画のようです。いや面白そう……なんですが、東京、しかも平日ですか! うーむ私は聴講できそうにありません。残念。
首都圏の方はぜひともお見逃しなく、ご来場下さいね!

しかし、東京はトークショーとか、いろいろあっていいですねえ。故高田渡さんも歌ってましたっけ。東京はいいところさ、眺めるなら申し分なし。住むなら青山に決まってるさ、ゼニがあればね!!

……えと、気を取り直しまして、
地下室の古書展開催期間中、本多正一さんの写真展も行われています。→本多正一写真展「ホントノデアイ」
こちらも併せてご堪能ください!!

編集済

 

「妖精のアイルランド」覚書  投稿者: 管理人  投稿日: 8月28日(日)21時55分59秒

引用

>「妖精のアイルランド」

大塚英志の「民俗学とは偽史である」を引きつつ、
国家のアイデンティティを保証するために編纂された「偽史」が歴史的事実と衝突してしまうのは、避けられない運命なのだろうか。確かなのは、「事実」のみをかたくななまでに喧伝しつづけるならば、ある種の文化は間違いなく駆逐されるということである。(86p)

というわけで著者は、下記の英国考古学会による「衝撃的事実」に一方的に与しているわけではなさそうです。

他方、イェイツ的には
アイルランドの農民たちは、「幻視家(ヴィジョナリー)」でなければならない(74p)のですが、実際のところヴィジョナリーといえるのは、本家のイェイツも含め、ダンセイニにしてもそうですが、殆どアイリッシュ・プロテスタントだったんだそうで、カトリックの農民たちにとって、妖精譚は現実を乗り越えるための緊急避難的装置。ヴィジョンなどみている暇はない(80p)ということだった、という皮肉もあり、なかなか一筋縄ではいかない刺激的な本です。

#確かにダンセイニなんかロードですから、イギリス側の人間だったわけで、独立戦争の礎となるイースター蜂起では、アイルランド独立派を鎮圧する側にいたらしい。(81p)

編集済

 

Re:憲法  投稿者: 管理人  投稿日: 8月28日(日)15時50分32秒

引用

河本さん

>>民意を問うべき
 >賛成
今問うと否決されるかも(汗)

>それこそが日本民族の本質なのだとしたら、どーしようもない
どーしようもない、では何も変わらないのですよね。
どーしようもないかも知れないけど、とにかく「私」は変えていこうと努力する、いや、まず何よりもそう思う、念ずるところから始めるしかないと思うのです。
眉村さんのインサイダー文学論は、まさに個人が(私が)社会を変えようとする、その行為を描いているわけです。それは往々にして失敗してしまうのですが、ことほどさようにそのような行為が社会的変革に繋がる可能性はきわめて低い。しかしながら個々人がそのような志を持つことで何かが変わるかもしれない、という前向きさ、ひたむきさが、眉村SFには充満しているので、読者は読後一種すがすがしい気持ちになるのです。

>日本も欧米のような個人が確立した社会になったのでしょうか
そのような次第で、そんな評論家的なことではなく、私はなっているか、あなたはなっているか、なんだと思います。

先日もあるニートの人と話をする機会があったのですが、何を言っても、「そんなの無理」とか「そんなの不可能」とか「変わる筈がない」とか、とにかく後ろ向きでこちらが惨めな気持ちになりました。自分たちが社会のメカニズムの不具合部分をもろに被っている筈の社会的弱者であるニートの人がですよ! 彼らこそ社会を自分にとってよりよいものに変えようと思わなくてはならないはずなのに……。
そんな奴隷根性から立ち直れないほど、現代社会は彼らに強烈なストレスを与えているのでしょうが、他ならぬ自分自身が自らを変えようと思わなければ何も始まりませんよね。「変わらない」ではなく、「変わらない」かも知れないが「変えよう」とまず考えなければ、といったのですが、全然わかってない様子でした(ーー;。

>そうなっていれば、責任の話も可能です
そうなりましょう!(^^)

>陸軍の中尉として砲兵隊を率いて、味方が全て撤退して取り残されたニューギニアの奥地で、
>終戦まで一年サバイバルした
そういえば、先日聞いた神田愛山さんの講談「あのときの男」は、結城昌治「骨の音」の翻案ですが、この話もニューギニアだったか南方戦線で自らの部隊に全滅必至の突撃を命じておきながら、自分ひとりだけ逃げ延びた上官を、たまたま伝令で部隊を離れて生き残った主人公が、戦後10年後に見つけ出すという実に怖い話でした。河本さんのお父さんのような軍人の鑑もおれば、「あのときの男」のような無責任な軍人もいたわけですが、そのような状況を招いた当時の支配者(もちろん「あのオッサン」も含めて」)の無責任が、一番悪いんですよね。彼らがA級の戦争犯罪人であるのは、アメリカに裁かれるまでもなく日本人が裁くべきでした。

ところで、戦争といえば私の知り合いの老人は重慶で敗戦を迎え、囚人として列車で重慶から上海に護送されたのだそうです。その途上、中国人から石を投げつけられたりしながら南京付近まで来たのですが、この地の中国人の日本兵憎しの感情が、それまでの地域とは格段に強くて立ち往生を余儀なくされたそうで、老人言うに、これだけ反日感情が強いのは南京虐殺が実際にあったからに違いない、とのことでした。

ちなみに、老人のいうことには、日常的に中国女性を強姦したし中国人を的に試し撃ちもしたそうです。この老人は好好爺然とした現在も社会的名士ですが、一種限界状況が彼をしてそのような行為に走らせたのでしょう。

最近、本多勝一の著書関連で、試し切りで名誉回復を求める訴訟が敗訴となりましたが、名誉回復を求める親族は当の本人がそのようなことをしでかす人とはとても思えなかったのでしょう。
しかし限界的状況では付和雷同的に普段では考えられない行動に出るものなのではないか。

結局、繰り返しになりますが、だから彼らの悪は派生的なのかも知れず、根元で本当に悪いのは、そのような状況に彼らを置いた指導者たちということなのです。ヒロヒト天皇はそれらの総元締め、すべての根源だったのでありますが、専制君主としてこれほど無能な君主も珍しいと思います。

>ぼくは彼の人柄は好きですし
私はただのボケ老人にしか見えなかったですけれど(汗)。

編集済

 

憲法  投稿者: 河本  投稿日: 8月28日(日)13時35分3秒

引用

 大熊さん
 >今からでも遅くない、この憲法を自らの憲法として認めるか否か、何らかの方法で民意を問うべきなんです。

 賛成。

 >責任

 日本学者のG・クラークさんの書かれた「ジャパニーズトライブ」にある、「部族社会のまま先進国になったまれな例が日本であって、部族社会には『責任』を取る『個人』は存在しない」という彼の観察は正しいと思います。

 >そういうことをすべて有耶無耶にしてきているのがこの国。そういう、よく言えばフレキシブル、実は責任逃れ先送り体質が現在の日本のあらゆる問題(とりわけ公務員問題に集中的に顕在化している)の根底にあるように思われてなりません。
ああ、私はこの国を人一倍愛する者として、嘆かわしく思わないではいられません。

 それこそが日本民族の本質なのだとしたら、どーしようもない。 (^^;)
 戦後60年も経ち、日本も欧米のような個人が確立した社会になったのでしょうか?
 そうなっていれば、責任の話も可能です。

 >戦争
 ちなみにぼくの父は、陸軍の中尉として砲兵隊を率いて、味方が全て撤退して取り残されたニューギニアの奥地で、終戦まで一年サバイバルした体験を持っているのですが、昭和天皇のことを語る際は、かならず「あのオッサン」と呼びます。

 ぼくは彼の人柄は好きですし、生物学者としても尊敬しているので、父の話を聞きながら落ち着かない気持ちがします。

http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fboat.zero.ad.jp%2F%7Ezbi74583%2Findex.htm

編集済

 

取替え国  投稿者: 管理人  投稿日: 8月28日(日)10時25分56秒

引用

三島由紀夫のエッセイが産経新聞に再録されていたようです。→「私の中の25年」

ここに全文掲載されていました。→三島由紀夫 恐るべき戦後民主主義

それからまた25年が経過し、予言は的中しているのであった。そうか、「この日本」は、もはや「日本」ではないのですね。
いま読んでいる『妖精のアイルランド』(平凡社新書)の主題は「取替え子(チェンジリング)」なんですが、まさに「日本」はいつのまにか<妖精>に連れ去られ、いまの「この日本」は、そのあとにそっとすべりこみ、そ知らぬ顔で居座っている「取替え国」なのでしょうか?

もしそうだとしたら、取替え子がすぐに死んでしまうように、「この日本」も遠からず滅亡してしまうはず。いや確かにそうかもしれませんね。

編集済

 

「ケルトの国」はなかった?  投稿者: 管理人  投稿日: 8月27日(土)20時13分37秒

引用

東条英機映画「プライド」
これは面白そうですね。ツタヤにあるのかな。

>東京裁判が戦勝国の裁きという不当なものであった
というのが逆に口実に使われているのが、A級戦犯。

同様の構造が「日本国憲法」をめぐる言説にもあって、その意味で私は「護憲」派ではないのです。
つまり押し付け憲法であるのはその通りなのだから、それを改憲の口実に使われないためにも、今の「憲法」について国民投票なりなんなり、一度しておかなければならならなかったのです。その結果、いまの「憲法」が支持されたら、改憲派の口実(根拠)は消えてしまっていたはず。なので、今からでも遅くない、この憲法を自らの憲法として認めるか否か、何らかの方法で民意を問うべきなんです。

同じく「A級戦犯」も、東京裁判とは別に、日本の裁判制度によってダメ押しでその罪を問うべきだったのです。そうすれば「不当な東京裁判」なんていう議論はありえなかったはず。結局それをすると天皇制自体を問題化せざるを得なくなるので、やらなかったんでしょうけれど。

そういうことをすべて有耶無耶にしてきているのがこの国。そういう、よく言えばフレキシブル、実は責任逃れ先送り体質が現在の日本のあらゆる問題(とりわけ公務員問題に集中的に顕在化している)の根底にあるように思われてなりません。
ああ、私はこの国を人一倍愛する者として、嘆かわしく思わないではいられません。

お話変わって、いま読み中の『妖精のアイルランド』(平凡社新書)は面白い!
アイルランドといえばケルトですが、本書によれば、
「ブリテン諸島に大規模なケルト民族の流入はなかった」(22p)ようなのです。

ではなぜアイルランド=ケルトというイメージが定着したのか。
それはアイルランド独立運動の過程で、イギリスとの差別化のシンボルとして19世紀後半に選択されたものに他ならず、しかも、もともと「ケルト」とは、イギリス人によってアイルランド人が劣等民族である証左として「仮想」されたもので、それをシンボルとしたのは、
「英国側が準備した「ケルト」という差別のための人種の枠組みに」みずから嵌まってしまったものなのだそうな。

いや〜目からウロコの面白さです(^^)

 

Re:未来の文学続刊  投稿者: 管理人  投稿日: 8月26日(金)22時12分47秒

引用

土田さん

情報ありがとうございます。
わあ、おっそろしいラインナップですねえ、わくわくします(^^) 今年の下半期も読む本に事欠く心配はありませんね(^^ゞ
「ゴーレム100」はサンリオの予告にありましたね。「ダルグレン」はどうでしたか……

>ところで前者はすごい長いんじゃなかったでしたっけ
「ダルグレン」は、いわゆる超訳方式で翻訳されるんじゃないかな、と思っていたのですが、単独での翻訳みたいですね。
しかしディレイニは、まず『時は準宝石の螺旋のように』を復刊してほしいです。この本は海外SFマイベストワンです。この作品集がいま読めないのでは、若いSF読者は本当に不幸です。

ブラナーは、いささか軽率なところもありますが、設定が魅力的ですね。内宇宙というより精神科学志向で、いかにも文系SFファン上がりという感じ(^^; 川又千秋と案外近しい感性の持ち主かも。創元の2冊が未入手ですが、見つけたら読みたいです。

>「フラクタルの女神」
>表紙と内容がそぐわないことはなはだしい
これは各所のネット書評で私も注目していたのですが、やはり表紙がネックで購入しておりません(汗)。
しかし表紙買いの人は表紙相応の内容を期待するわけですから騙された、と思うでしょうし、さらにレーベル自体に不信感を持ってしまい二度とこの文庫は買うものか、となりかねません。実際詐欺まがいですもんね。まさに二兎追うものは一兎も得ずの典型です。

編集済

 

抜けてました。  投稿者: 土田裕之  投稿日: 8月25日(木)21時35分41秒

引用

>最近大熊さんが続けてお読みになっている「ザンジバーに立つ」も出るといいな。

最近大熊さんが続けてお読みになっているブラナーの「ザンジバーに立つ」も出るといいな。

でした。

 

未来の文学続刊  投稿者: 土田裕之  投稿日: 8月25日(木)21時33分32秒

引用

国書刊行会に未来の文学の第二期が予告されてました。

第1回配本
ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(日本オリジナル短篇集)浅倉久志・伊藤典夫・柳下毅一郎訳

*以下続刊
アルフレッド・ベスター『ゴーレム100』渡辺佐智江訳

アンソロジー<未来の文学>
 T『グラックの卵』 浅倉久志編訳(ボンド、カットナー、スラデック、ジェイコブズ他)
 U『ベータ2のバラッド』 若島正編(ディレイニー、エリスン、ロバーツ、ベイリー他)

クリストファー・プリースト『限りなき夏』(日本オリジナル短篇集)古沢嘉通編訳

サミュエル・R・ディレイニー『ダールグレン』大久保譲訳

「ダルグレン」、「ゴーレム100」は伝説の作品ですね。
サンリオで予告されていたかどうか忘れましたが。
ところで前者はすごい長いんじゃなかったでしたっけ。

最近大熊さんが続けてお読みになっている「ザンジバーに立つ」も出るといいな。

「フラクタルの女神」を読み終わりそうです。
珍しく新しいSFを読んだ気がします。
表紙と内容がそぐわないことはなはだしい。

 

読みたい本  投稿者: 管理人  投稿日: 8月24日(水)22時19分36秒

引用

――忙しくて本が読めないのであった。
そうするとなおさら、無性に読みたい気持ちがいやましてくるわけで、いきおいbk1やamazonを彷徨うことになる。いろいろ読みたい本があるなあ。

ところで、唐突だがおれは愛国者だ。誰がなんと言おうと愛国者に間違いない。それが証拠におれは米国が大嫌いだ。反米主義者が愛国者でない筈があるまい。

マクロ経営学から見た太平洋戦争 (PHP新書)
>GNP比約13倍、石油生産量は721倍の米国に対し総力戦を挑んだ大日本帝国。すべては国家経営の原則をわきまえない無謀な賭けだった。

何度もいうように、おれは愛国者であるからして、こんな無謀な戦争を企画して、故国を一敗地に塗れさせたリーダーたちが、靖国にのうのうと鎮座ましましているのはおかしいと思う。これは普通の神経の持ち主ならみんなそう思うだろう。おそらく同じ靖国に祀られている兵卒たちの御魂も、すくなからず煙たく感じているに違いなく、できればA級戦犯は出て行って欲しいと内心考えているのではないか。国家の舵取りを誤って国を転覆させてしまった連中を、なぜに神様として敬わねばならないのか、おれは全く理解に苦しむ。

そう考えると、さらに不思議なことに気づく。上記糞リーダーたちを登用し最終的に戦争にゴーサインを出して、2500年営々たるこのうまし国をば、彼らがわが国民にそう教え込んだところの、当の「鬼畜米英」に、結果的に膝行するの屈辱を強いさせた最高責任者たる者の責任はどうよ? 普通の感覚でいえば、上記糞リーダーよりも更に重大な国家に対する背任行為ではないのか。
古代人や未開人の世界ならば国に重大な過失のあった王は国人によって弑されたということだが(卑弥呼の「以死」はその意味だとも聞く)、もしそのような世界だったら彼はとっくに「王殺し」のうきめにあっていたはずだ。それがなぜに「象徴天皇」として延命しえたのか。

象徴天皇制の起源  アメリカの心理戦「日本計画」(平凡社新書)
>2004年にアメリカ国立公文書館で著者が発見したOSS(戦略情報局)機密文書「日本計画」は、1942年時点で戦後の象徴天皇制を構想したものであった。象徴天皇制の起源とアメリカ心理戦を探る。

結局戦後の天皇は、(本来ならば国家滅亡の張本人として真っ先に断罪されなければならなかったのに)、鬼畜米英によって日本国民(の反乱の可能性)を押さえ込むべく一種「盾」として「延命」された装置に他ならない。
言い換えるならば戦後の天皇制は、米兵がばら撒いたチョコやガムとまさに同じ効果を期待されるものだったわけだ。いわばリーバイスやビッグジョンといっしょにわが国流入してきたアメリカ製品(メイドインUSA)のひとつと考えるべきだろう。

こう考えると、A級戦犯の靖国祭祀と戦後象徴天皇制は共通の根を持つことに気づかざるを得ない。ところがもうひとつ、共通の根を持つ制度があるのだ。それは憲法だ。
いまの「日本国憲法」は、アメリカ製の押し付けられたものであり、国民の総意によるものとはいえない。されば真の日本人による日本国憲法を新たに作り直さなければならない、という議論がある。その理屈はたしかに筋が通っている。

しかしながら押し付けられたのは「憲法」だけではないのだ。「天皇制」もまた押し付けられたのだとすれば、憲法改正論者は当然現在の天皇制が存続するべきものであったかどうかの判定も論じなければならないはずだ。憲法だけ取り上げて天皇を論じないのは片手落ちというよりも筋が通らないというべきだろう。

その意味で、
国家戦略からみた靖国問題 (PHP新書)
は逆の意味で読む価値があるかもしれない。

>靖国問題で中国に譲歩してはいけない。将来日本経済が受ける損害、東アジアの平和に及ぼす影響などが計り知れないからだ。米国のイラク攻撃に始まり、中国の反日暴動、靖国問題に至る激動の時代を、長期的視点から読み解く。

恐らく本書は、靖国問題の意味を論理的に問うものではなく、それには目をつぶり(アプリオリ化し)、政治の道具としてしか捉えてないのではないだろうか?

ああ読みたい本が一杯あるなあ……などといっておる時間はないのだった。お仕事お仕事。

編集済

 

関口幸男訳  投稿者: 管理人  投稿日: 8月21日(日)21時01分36秒

引用

いま読み中のジョン・ブラナー『流れ星をつかまえろ』関口幸男訳(ハヤカワ文庫、79)の冒頭部を引用します。

1) ひらめきを感じて半分だけ真実をならべたてたクレオハンの招待のことばに、この黄金の甲冑姿の男がやってくる気になったまではよい。そんな男の気まぐれがひょっとして、今日の世の中にたいしてクレオハンが抱いているかれなりの侮蔑の念などおかまいなく、あっさり消えうせてしまうのではないかとひどく不安に思いながら、クレオハンはひそかに、自分の屋敷の入り口を呪った。ふたりしてすばやく内へはいりたいのに、入り口の開きかたのなんという緩慢さ! 毒イバラの防御柵の引いていくのがなんとももどかしげで、えらくしぶっているようにみえた。

この文を、一読しただけで理解できた方がどれくらいいらっしゃるでしょうか? 私は3回読み返しました。で、ようやく以下のように理解することができました。

2) この男ならひょっとして判ってくれるのではないか、そんなひらめきを感じて、クレオハンは男の気をひく「真実」を並べ立て、うちに来ないかと誘った。それが功を奏して、この黄金の甲冑姿の男が、クレオハンの話に興味を持ち、誘いを受ける気になったまではよい。しかしその興味はいっときの気まぐれめいたものだったから、クレオハンの気持ちとは無関係に、いつあっさり消えてしまうか保証の限りではない。それをひどく不安に思いながら、だからこそすばやく男を内へ引っ張り込みたいのに、わが屋敷の入り口の、何たる開きかたの緩慢さよ! クレオハンは内心、そう呪わずにはいられなかった。毒イバラの防御柵の引いていくのがなんとももどかしげで、えらくしぶっているようにみえた。

たしかに原文どおり翻訳されているのでしょうが、これでは読者に伝わらないのです。それは「翻訳」ではなく、単に「直訳」だからです。
英語の構文(SVO)と日本語の構文(SOV)は語順が違うので、英語をそのまま(頭の中で日本語に変換せず)読む分には、案外理解できる文章も、日本語構文に移し変える際、ただ横のものを縦にするだけでは、却って判りにくくなる場合があるように思います。
それは翻訳という作業が、語順をひっくり返しながら(下から上へ戻りながら)訳していかなければならないからで、その結果英語の直訳文は、英語の原文には「もともと」なかった「難読性」を必然的に帯びてしまうのです。

それはとりもなおさず、英語で書く作家が、書く際に意識無意識を問わず一種「リズム」に従って文章を織り上げる、当のその「リズム」が、直訳によって、壊されてしまうからに他なりません。
直訳(無理な日本語化)では、その固有のリズムがそこなわれてしまうのです。リズムの有無が読みやすさを左右するわけですから、だとすれば翻訳とは、英文を直訳するのではなく、自然な日本語化(すなわち翻訳)することに他ならず、それは「日本語としてのリズム」を新たにその作品に吹き込む作業でもあるわけです。

そういうわけですから、翻訳家は、訳文が読者に明確に伝わるように、構文をほぐし、英語独特の長文は分割し、ときには入れ替え、不足を補い、訳語を吟味して当て嵌めていく作業(自然な日本語化)をおろそかにしないわけですが、関口訳にはそのような一種「心遣い」とでもいうべきものが決定的に欠けているように思われるんですよね。それは恐らく関口にとって、翻訳が、物化した商品取引でしかないからではないでしょうか。

ハヤカワ文庫からブラナーは4冊出ていますが、そのうち3冊は関口訳。これではブラナーの真価が日本人に伝わる筈がない。ここに日本人のブラナー受容の不幸が存在したのだと思われます。

編集済

 

「チャチャヤン気分」に  投稿者: 管理人  投稿日: 8月21日(日)12時29分2秒

引用

「テラの秘密調査官」を掲載しました。

 

「テラの秘密調査官」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月21日(日)09時31分53秒

引用

昨日は畸人郷例会。昔話で盛り上がる(^^;

ジョン・ブラナー『テラの秘密調査官』(ハヤカワ文庫、78)読了。
ひきつづき
ジョン・ブラナー『流れ星をつかまえろ』(ハヤカワ文庫、79)に着手。

編集済

 

国民新党と新党大地ほど違う。一緒か(汗)  投稿者: 管理人  投稿日: 8月19日(金)20時28分38秒

引用

>デモ
ってこういうことだったのね(ーー;
商用、もし一日先延ばししていたら大変だったかも。

 

盆休明け初日  投稿者: 管理人  投稿日: 8月17日(水)21時30分58秒

引用

阪神高速天保山出口、警察がずらりと並んでいて、停車を命じられた。
何事ならんと窓を開けると、「どこへ行かれますか」と訊いてくる。
「そこの取引先まで」というと、
「ご苦労様です。どうぞお通り下さい」
「何事ですか?」
「いえデモがあるもので」

商用が済み、中央大通りを弁天町の交差点まで走る間も、主要な交差点ごとに警官の姿がみえた。
いったいなんのデモだったんでしょうか。

ジョン・ブラナー『テラの秘密調査官』(ハヤカワ文庫、78)に着手。

 

「アイルランド幻想」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月16日(火)22時42分57秒

引用

チャチャヤン気分に掲載しました。お盆の読書に最適な幻想恐怖譚でした。

 

「次元侵略者」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月16日(火)14時09分13秒

引用

の(補足)を、チャチャヤン気分に掲載しました。

編集済

 

「次元侵略者」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月15日(月)15時44分20秒

引用

の(下)をチャチャヤン気分に掲載しました。

 

「ヒトはなぜペットを食べないか」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月15日(月)11時19分9秒

引用

アレクすてさん

昨日はお疲れ様でした。久しぶりで楽しかったです(^^)。
ところで、「個人自営業者」(雇用者なし)は「資本家」か、という話になりましたが、厳密な定義とかを調べたわけではないですが、やはり端的にいって(事実上)違うと思います。

「資本家」は労働者を雇い、その労働産出物の価値から労働対価(と原材料費、設備費)を支払った余り(剰余価値)をかすめるわけですから、労働者が資本家自身である自営業者には当てはまらないと思います。
作家が会社組織にして自らを雇い入れ自らに給与を払うとしても、その結果生じた、会社の利潤(剰余価値)は結局作家自らの所得となるでしょう?
貴兄のおっしゃるように「資本家だ」とするなら、その根拠(あるいは出典)をお示しいただけたら幸甚です。

山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』(文春新書、05)読了。

ピーター・トレメイン『アイルランド幻想』甲斐萬里江訳(光文社文庫、05)に着手の予定。

編集済



(無題)  投稿者: アレクすて  投稿日: 8月15日(月)00時01分15秒

引用

今晩は、管理人様。今日、飲み会に誘ってもらい楽しかったです。
いろいろ考えさせられました、では、

 

「次元侵略者」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月13日(土)21時52分38秒

引用

の(上)をチャチャヤン気分に掲載しました。

 

Re: カジシンの新作  投稿者: 管理人  投稿日: 8月13日(土)12時15分9秒

引用

土田さん

どうもお久しぶりです。お変わりありませんか。

> 珍しく買って間もないカジシンの新作を読んでおります。
あ、新作が出たんですか。知りませんでした。ネットではぜんぜん話題に上らなかったですね。
大きな書店に行くことがないので、そういう情報がなかなか目にとまりません。ネット書店オンリーでは限界がありますね。ことに最近のbk1は……(ぶつぶつ)……

> SFではなく、ヤのつく人たちがひょんなことから捕鯨を始める話です。
いまアマゾンで見ましたが、なかなか面白そうなシチュエーションですねえ(^^;

> センチメンタリズムは抑えてユーモアにふった作品で、
> 当初思っていたよりもずいぶんと面白い。
カジシンは、定評のあるセンチメンタルな作品よりも、「時空連続下半身」(でしたっけ、タイトルあやふや)系の骨太のナンセンス・ユーモア小説が、私の好み。その意味でこの新作はとても面白そうですねえ。

> ここ数ヶ月で読んだ作品でSFでは「ルドルフ・カイヨワの憂鬱」が
> オルタードカーボンのように長くなくてコンパクトに楽しめました。
や、新しいのいろいろ読んでいらっしゃるじゃないですか!
私は日本人作家は、この上半期、あまり食指が動かなかったです。
どうも国内作品の若者志向、海外作品の中年志向という2極分化がはっきりしてきたように思います。

> クライン・ユーベルシュタインの「緑の石」も読みましたが
> これはさすがに古い感じがしました。
冷静にいって、ユーベルシュタインは下手くそですよ(^^; だんだんうまくなっていきつつありましたけれども。
その意味で最後の『白い影』はかなりうまくなっていて、けっこう読ませます。ただ科学技術的な作風なのに科学的思考性が弱く、占星術が意味を持ったりしてやはりトンデモ系は払拭できませんでしたが(汗)。
作家的成長の途上で注文が止まってしまった(編集者に気づかれてしまった)のは、返す返すも残念でした。

> (大熊さんは結構お好きなんですよね、
大人が演じるジュブナイルといった奇妙な雰囲気が好きでした。書き慣れないぎくしゃくとした生硬な文章も(^^ゞ

編集済

 

カジシンの新作  投稿者: 土田裕之  投稿日: 8月12日(金)22時20分28秒

引用

ご無沙汰しております。

珍しく買って間もないカジシンの新作を読んでおります。
買うのは買っていても読むのはずいぶん、久しぶりな気がします。
SFではなく、ヤのつく人たちがひょんなことから捕鯨を始める話です。
センチメンタリズムは抑えてユーモアにふった作品で、
当初思っていたよりもずいぶんと面白い。
いやあ、こんなことよく考え付くなあと思ってしまいます。

ここ数ヶ月で読んだ作品でSFでは「ルドルフ・カイヨワの憂鬱」が
オルタードカーボンのように長くなくてコンパクトに楽しめました。

逆に何年寝かしていたかどうかわからない(軽く20年以上ですね)
クライン・ユーベルシュタインの「緑の石」も読みましたが
これはさすがに古い感じがしました。
(大熊さんは結構お好きなんですよね、ごめんなさい)

 

ディッシュの評論  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 9日(火)21時35分13秒

引用

Tolle et Lege備忘録によれば、ON SFというディッシュの評論集が出たらしい。

 目次 ↓

PART ONE The Forest
 The Embarrassments of Science Fiction 3
 Ideas: A Popular Misconception 16
 Mythology and Science Fiction 21
 Big Ideas and Dead-End Thrills: The Further Embarrassments of
 Science Fiction 25

PART TWO Forefathers
 Poe’s Appalling Life 39
 Luncheon in the Sepulcher: Poe in the Gothic Tradition 42
 Brave New World Revisited Once Again 49
 A Tableful of Twinkies 52
 Sic, Sic, Sic 56
 A Bus Trip to Heaven 59
 The Doldrums of Space 61
 Isaac Asimov (1920–1992) 65
 Jokes across the Generation Gap 67
 Time, Space, the Limitlessness of the Imagination—and
 Abs to Die for 72

PART THREE The Bully Pulpit
 The King and His Minions: Thoughts of a Twilight Zone Reviewer 79
 Talking with Jesus 89
 The Labor Day Group 97
 1979: Fluff and Fizzles 105
 The Feast of St. Bradbury 114

PART FOUR Selected Larger Trees
 A Different Different World 133
 Crowley’s Poetry 136
 Wolfe’s New Sun 141
 The Champion of Cyberpunk: On Two Works by William Gibson 144
 Queen Victoria’s Computers 147
 Dick’s First Novel 150
 In the Mold of 1964: An Afterword 160

PART FIVE Crazy Neighbors
 The Village Alien 171
 UFOs and the Origins of Christianity 184
 Science Fiction as a Church 190
 The Evidence of Things Not Seen 198
 The Road to Heaven: Science Fiction and the
 Militarization of Space 205
 Speaker Moonbeam: Newt’s Futurist Brain Trust 213
 A Closer Look at Close Encounters 220
 Primal Hooting 223

PART SIX After the Future
 The Day of the Living Dead 235
 The Fairy Tale Kingdom of Baghdad 238
 SF: Guides to the Ghetto 242
 Over the River and Through the Wood 245
 Measures of Hanging 248
 The Secret Code Language of Bright Kids 250
 Double Talk, Double Dutch, Dutch Chocolate 252
 Acknowledgments 261
 Index 263

いや〜これは読みたい!
だれか訳してくれませんかねえ(^^;

ジョン・ブラナー『次元侵略者』に着手。

 

二つの記事  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 7日(日)19時29分52秒

引用

余興?制裁?

どっち?

 

講談社文庫  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 7日(日)18時56分32秒

引用

リョサ『世界終末戦争』を読んだら、高橋和巳『邪宗門』(上下)と読み比べたくなって、講談社文庫版を引っ張り出してきてあるのですが、紙が全然変色してないのには驚きました。
72年発行なので、33年前の文庫本ですよ。もっと最近の出版で、同じように保管していても、真ッ茶ッ茶に変色しているのもあるのですから、この綺麗さは驚異的です。

最初期の講談社文庫は、草色地に講談社文庫のシダの葉マークがあしらわれた統一の装幀カバーでしたが、この本もその1冊です。この頃の講談社文庫、かなりよい紙を使っていたのでしょうね。そういえば解説も本格的でしたし、必ず年譜が付されてました。
何十年もくり返し読まれる(あるいは書棚に飾られる)ことが想定されていたに違いありません。出帆に際してかなり意気込んでいたという証拠ですね。最初は純文学一辺倒だったし。

一方、文春文庫の第1弾は『青年は荒野をめざす』だったと思うのですが、これは手に持ったとき、ものすごく軽く感じたことを覚えています。軽いというのは紙の漉き密度が薄いということでしょう。つまり安価な紙質だったはずで、その意味で文春文庫は最初からライト志向、エンタテインメント志向だったことがわかります。大体第1弾が五木ですから。

ところがその五木も、現在ならばその作風は純文学の範疇ですよね。だって宮本輝や高樹のぶ子が芥川賞作家なんですから。
いやはや時代は変わっていくのですなあ。最近の芥川賞は、さらにもっと変わってきているみたいですね(もっともSF作家が直木賞を取れない伝統は萬古不変なのかな)。

編集済

 

Re: 凄い住職さんが……  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 7日(日)15時45分47秒

引用

堀さん

>読経の合間に「ラブ・シュプリーム」
いやこの住職なら十分ありえます(^^;

>「釜山港へ帰れ」の歌詞
それも凄いですね。
そういえば、「帰ってきた酔っぱらい」では、ア・ハード・デイズ・ナイトが唱えられていたんでしたね。

 

凄い住職さんが……  投稿者: 堀 晃  投稿日: 8月 7日(日)08時49分3秒

引用

凄い住職さんがいてはるものですねえ。
読経の合間に「ラブ・シュプリーム」がリフレインされているとしたら、これはいいなあ。

昔、福井県にとんでもない詐欺坊主がいた。
スナックのカラオケで「釜山港へ帰れ」のメロディでお経を歌うのが得意技。
けっこう受けてたらしい。
で、檀家でお経を詠む時に、経を忘れることが多くて、そんな場合は「釜山港へ帰れ」の歌詞を唱えていたとか。

 

落雷  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 6日(土)18時53分26秒

引用

今日、高速を走っていたら、突如雷をともなって雨が降り出した。雷は非常に激しく、また高速道路は高架で空に近いので、稲妻が、走行する道路の前後左右に、ビカビカと突き刺さるように落ちていくのが運転席からまともに見える。
キケンを感じ、ラジオのアンテナを引っ込めようとして、いやいやと考え直す。なんとなれば後続の車から「あ、アンテナひっこめやがった、臆病なヤツ」とせせら笑われそうな気がしたので……。そんなショーモナイことを後続のドライバーが考えるとも思えないのだが、なんせ自意識過剰でして(^^;
そういうわけで、冷や汗をかきながらできるだけ大型トラックにくっつくようにして走行する私なのでありました(^^ゞ

住職の日記帳によれば、サンタナ+ショーター+ハンコックのコンサートがあったらしい。
なんだ、声かけてくれたらいいのに。この3人の「至上の愛」は、聴きたかったなあ。
しかしフェスティバルホールへ歩いて行けるんだから、いいよね、うらやましいかぎり(^^;

 

幻影への脱出」  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 5日(金)22時25分28秒

引用

を、チャチャヤン気分に掲載しました。

 

金森達さんの  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 2日(火)22時03分46秒

引用

宇宙大作戦のポスターが本日届けられました。
おお、サイン入りだ(^^;
これは原寸大なんでしょうか、タッチがわかるので、見ていてとても楽しく、飽きません。

みなさまも是非お買い求めいただきまして、その目で味わって下さい!
詳細は大橋さんのサイトのこちらで→GARAMON

 

ムスタキですか!  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 2日(火)19時40分27秒

引用

臼田さん

渋いですねえ(^^)。
シャンソンというと小粋なというか気取ったイメージが強くて(それは後述するように日本でのイメージで、実は昨日書いたように違うのですが)、どちらかというと聴かず嫌いでした。でもこういう弾き語りの吟遊詩人タイプはいいですね。高田渡はずいぶんシャンソンを取り入れていますよね。

ユパンキも弾き語り吟遊詩人系に分類できるわけですが、いずれにしても彼ら(ムスタキ、高田、ユパンキ)は、その育った文化(フランス、日本、アルゼンチン)の音楽がそれぞれ背景にあるため、印象は少しずつ違いますが、大きく見れば同じ感性が感じられます。

それはおそらく、アメリカでいうならばカレッジフォークではなく、バンジョー系の土臭いフォークと共通する何かなんですよね。
これがブルーグラスになってしまうと、今度は器楽(テク)に傾斜しすぎで、その意味ではフォルクローレにおけるウルバンバ(ロス・インカス)のような方向性とパラレルな発展形態といえるかも。こういう歌なしユニットも好みではあるんですけど。

日本のシャンソン受容は、その意味で土臭さが捨象されてしまい、越路吹雪なんかそうですが小洒落た方に特化しすぎているのではないかと思います。とはいってもそれはイメージの話で、越路吹雪自体は好きなんですけどね(^^;

編集済

 

G・ムスタキ好きですよ。  投稿者: 臼田惣介  投稿日: 8月 2日(火)00時11分8秒

引用

お久しぶりです。
シャンソンでフォルクローレといえばG・ムスタキが好きでした。
「私の孤独」「生きる時代」名曲ですね。「内海にて」も好きです。
「ヒロシマ」もいい。
LPが聞けなくなって長く聞いていなかったのですが、今年の初め頃
ベスト・アルバムのCDを買って時々聞いています。

 

フォルクローレ  投稿者: 管理人  投稿日: 8月 1日(月)21時34分41秒

引用

昨日は、娘がケーナの曲が聴きたいというので、ロス・カルチャキス「アンデスの笛〈1〉」というLPをMDに入れていました。LPをMDにコピーするのって、結構大変なんですよね。なぜなら一曲終わるごとに針を上げないと、つなげて一曲と認識してしまうからなんです。でもそんな面倒くさいことやってられねーよ、ってことで、結局、MDはA面全曲で1曲、B面全曲でで1曲、計2曲と認識してしまいました(^^;

実はロス・チャコスというユニットの演奏を集めた「アンデスの笛〈2〉」の方がより素朴なので、こっちを探したのだが、見つからなかった。多分誰かに貸したままになっているのでしょう。
おかしなもので、手元にないと余計に聴きたくなってしまいますね(^^;

そういう次第で、今日もフォルクローレつながりということで、アタウアルパ・ユパンキ「フォルクローレの真髄/ユパンキ名唱集 第2集」を聴いている。このアルバムは1930年代のユパンキ最初期の録音で、まだ全然洗練されていないユパンキが聴けます。私の愛聴盤のひとつです。

アンデスの音楽は大好きです。メロディが日本人好みですね。フランス人も好きみたいです。1970年代のフォルクローレブームは、フランスのレコード会社の発掘によるところが多いのではないでしょうか(きっかけはS&Gでしょうけど)。上記「アンデスの笛」も原盤はフランスです。

シャンソンて、案外日本人の心情にマッチするように思います。それはシャンソン(あるいはミュゼット)が基本的に貧しきものの歌であり、場末の哀感をたたえているからでしょう。フォルクローレは、そのような日仏の共通の感性(琴線)に触れるなにかが(虐げられた歴史から勝手に捏造しているのかもしれませんが)あるように思います。

ところでユパンキ、去年が13回忌だったのかな→私が書いたユパンキ追悼文

ジョン・ブラナー『幻影への脱出』巻正平訳(ハヤカワ文庫、76)に着手しました。
さらに色平哲郎+山岡淳一郎『命に値段がつく日 所得格差医療(中公新書ラクレ、05)に着手しました。



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