ヘリコニア過去ログ2005年10月)

 


 

寝不足  投稿者: 管理人  投稿日:10月31日(月)20時00分58秒

引用

改造内閣奇怪だあ!出現のため、本日<ラジオ深夜便>にて放送予定だった眉村卓「ある書評」の朗読は、明日に順延されました。お間違いなきよう。

きのう、フリーソフトのMIDIシーケンサをダウンロードしたら、嵌まっちゃって、気がついたら朝の5時でした(汗) そのうち「作品」をお聞かせできるかも(^^ゞ え、聞きたくない? アーアー、スマンノオ!!

編集済

 

名張乱歩祭  投稿者: 管理人  投稿日:10月30日(日)21時20分26秒

引用

土田さん

>イーガンの「順列都市」を読了しました
おお、イーガンですか!
私も『ディアスポラ』を友人に勧められて、一応買ったのは買ったんですが……
短編集はめちゃ面白かったですけど、長篇はどうなんでしょう?

>なんだか根本的に理解できていないように思います
いや実は私も、その危惧があるので、どうも読む気が起らないんですよね(^^;

ネットで書評を読むと、みんな誉めているんですよね。だれも貶さない。なら安心して読めばいいではないか、ということなんですが……でもその誉め方がですね、奥歯に物が挟まったようなきわめてビミョーな物言いのが多いように思われてならないのですよね。ムリして誉めているような。それがとても不自然に感じられて、いまいちその評価を信頼できないんです。

どうもイーガンを分からない、面白くないというのは許されないというような、雰囲気、空気がSF読書系ネット界にあるのではないでしょうか。それはまさに誰が許すも許さないもない、読者が勝手に醸成した空気なのかもしれません。だれもそんなことでヒナンしたりしないのに。

これはもう、「イーガン・ファシズム」といってもよいのじゃないか、と思います。
ヒトラーが政権獲得した契機として、ドイツ国民の(ヒトラーの強制でもなんでもない)「自由からの逃走」をフロムは指摘したのですが、イーガン・ファシズムもまた、誰の強制でもない(ましてやハヤカワの威光なんぞであるはずがない(^^ゞ)のに、読者が勝手にディアスポラを誉めたり貶したりする自由意志を放棄してしまっているのではないか、そんなうがった考えが浮かんでくるほど、この現象は不思議な感じがします。

そんなゴタクを並べる前に、さっさと読んで、それからリクツを捏ねろ、ですか?
いやおっしゃるとおり、、、(汗)

◎恒例秋の名張乱歩祭(?)のお知らせです◎

来たる11月5日(土)
●午後1時〜名張シティホテルに於いて有栖川有栖さんの講演会&サイン会→詳細
●午後4時〜名張市総合福祉センターふれあいホールに於いて
 辻真先脚本・劇団フーダニット「真理試験――江戸川乱歩に捧げる」の上演→詳細

なお「真理試験」上演後、名張図書館カリスマ嘱託の中相作さんを囲んで大宴会を執り行います。参加希望者は、ふれあいホールロビーに残っておいて下さい。

年に一度の乱歩祭、ぜひご参加くださいね!!

乱歩とくれば中井英夫ですね(なんでや(^^;)、去年の乱歩祭で大活躍なさった幻想写真家(^^)本多正一さんが表紙を担当した、坪内祐三『極私的東京名所案内』の表紙が各所で好評ですよ!

 ■[読書]坪内祐三著『極私的東京名所案内』(彷徨社)
 何から書こうか。まずは、装丁がとてもいい。私の中では、今のところ、オールタイ
 ムベスト1。といっても、まだ20年ちょっとしか生きてないけど。


  ■ほんじつのほんのおはなし
 極私的東京名所案内 坪内祐三彷徨舎ISBN 4-906287-17-4 定価 1,890円(本体
 1,800円+税)
 良い本だー。箱も。この写真!


ぜひ書店で手にとって見てくださいね(^^)

編集済

 

イーガン  投稿者: 土田裕之  投稿日:10月30日(日)15時54分32秒

引用

イーガンの「順列都市」を読了しました。

塵理論というのがベースになっているのですが
イメージしづらくてところどころ判然としないところがありました。
最初ハードウェア上で走らせたオートマトンがなぜ最終的にハードウェアと
関係なくなるかが最後までわかりませんでしたので
なんだか根本的に理解できていないように思います。
なんとなく、最初にハードウェア上で走らせた後は宇宙中の原子に影響を与え
オートマトン化し、それを多次元的に関係付けることによって
総てのものを生み出しかつ永遠に維持するようなイメージのように捉えたのですが
全く違っているかもしれません。

面白いといえば面白かったのですが
あまり新しいSFを読みつけていないので
こういうのが最新のSFなのかあという感慨の方が強かったです。
なんだか情けない。

なんだか支離滅裂ですね。
出直してきます。

 

眉村ショートショートの放送時間が変わります!  投稿者: 管理人  投稿日:10月30日(日)12時31分37秒

引用

【緊急告知】

先日ご案内しました10月31日(月)の深夜(=11月1日の未明)1時台に放送予定のNHK<ラジオ深夜便>における眉村卓「ある書評」の朗読の件ですが、もし万一、内閣改造が31日に早まった場合、特別番組等の関係で、下記のとおり翌日にずれ込むそうです。ご注意ください。

 ◎内閣改造があった場合◎
 11月1日火曜の深夜(=11月2日水曜の未明)1時台の放送に変更

以上お気をつけ下さいますよう。
しかしほんとにもう、小泉はつまらない改造人事なんか繰り上げやがって……プンプン!

編集済

 

広沢克実の日本シリーズ分析  投稿者: 管理人  投稿日:10月29日(土)22時49分37秒

引用

ここ数日、テレビでは、日本シリーズあるいはタイガースについて、いろんな人が様々に分析を試みていますが、とりわけ私がなるほどなあ、と納得させられたのは、広沢克実の「ロッテの勝利は現状分析をデータに優先させた結果」というもの。

あの神がかり的な藤川攻略(端的にはストレートとフォークの完璧な見極め)は、「球種によって(ボールの握り方で)グローブの膨らみが変わってしまう」という去年までの藤川の欠点が、今年は完全に姿を消していたのだけれど、日本シリーズという舞台の雰囲気、2連敗してもはやこれ以上負けられないという心理的瀬戸際感、しかも3点ビハインドでの登板という条件が重なって、無意識にその悪いクセが出てしまっていたのを、ロッテがいち早く気がつき、見逃さず周知徹底したからだそうです。

あるいは今岡はもともと内角のストレートには滅法強いバッターなのですが、このシリーズではその得意なポイントがファウルになっていた。それにすばやく気づき反応して、まかり間違えばHRを食うそのコースを、ロッテ投手陣は果敢に攻めて今岡を封じた。

以上は「データ」からは導出できるものではなく、ロッテはその場その場での精密な現状分析の徹底で過去の「データ」をその都度修正しながら戦ったということに他なりません。

たしかに「データ」とは常に「過去のデータ」なのであって、「現在」そのものではありえません。それは確率的にしか「現在」に対して妥当的ではないわけです。とはいえほとんどの場合「現在」と同一視して誤りではないのですが(だからこそエクストラポレーションなどという手法が存在するわけです)、それは確率の範囲内での妥当性であるわけであって、その意味で90%の確率の妥当性とは残りの10%は妥当しないという蓋然性をもともと前提的に含んでいるのです。

したがって絶えざる観察によってデータは日々刻々改定されていかなくてはならない道理なのですが、一般にひとたび文章化なり言明などによって定着させられた「データ」は、意外にその改変に抵抗的で、現在の事実とは妥当しない「データ」が一人歩きする例は枚挙に暇がありません。

野村克也という選手は、かかる観察力に秀でていたので、常に「気づき」をプレイに迅速に連関させることによって、「身体能力的には並みの選手」でありながら、王、長嶋ら一流のプレイヤーに勝るとも劣らない輝かしい戦歴を残すことが出来たのだそうです。それは本人自身が語っていることです。

その鋭敏な観察力は監督になってからも発揮され、南海とヤクルトで監督としても一流であることを証明しました。いわゆるID野球ですが、そのIDはIDentityの略ではなく、Import Dataであると本人がいっているのを聞いたことがあります。実際のところそれはIndividual Dataの重視という意味でありまして、具体的には個々の選手の「なくて七癖」を発見しそれを脳に叩き込むことなのでした。

つまりそのデータとは個別の(individualな)観察の積み重ねとしてのデータであり、一般化され理論化された「(抽象的)データ」ではなかったのです。すなわち「データ」として定着固定化される以前の「動いている」、あくまで具体的個別的なままのデータなのです。そのように私自身は了解しております。

では野村はなぜ阪神では結果を残せなかったのか?
それはあからさまに言ってしまえば、歳を取ってしまったからというほかありません。すなわち老化により若い頃のような観察への志向(嗜好)が何ほどか減退してしまったからではないでしょうか。換言すれば年齢的な要因による「思考を志向する嗜好」の減衰という人間の必然的契機からはさすがの野村も逃れられなかったのだと思われます。

阪神時代の野村用兵は、判で押したような「左には左」でしたよね。これはすでにしてデータではなく、「データ」を用いるようになっていた証拠です。「データ」とは上述のように、個々のデータから一般化され理論化された抽象的な「データ」、いわば固定化した確率的傾向でしかありません。確率の範囲内では正しいとしても、全ての個々に妥当するものであるかどうか保証の限りではありません。

全盛期の野村であれば、傾向としては確率的に正しくとも、日々刻々と移り変わっていく「現在」を、そのたぐい稀なる観察眼によって、たとえば「この左打者は、左投手に弱いという『データ』に妥当するが、今日の練習を見ると、今日に限ってはむしろ左投手の方がよい結果を残しそうだな」と、「現状分析をデータに優先」させて本番ではあえて左投手にぶつけたのではないでしょうか。

阪神時代の野村のID野球のDは、いわゆる個別的データから(汎用性は高い)一般的「データ」へと変質してしまっていたのです。「気づき」の劣化を汎用性で代用しようとしていたのだと思われます。
野村が阪神で結果を残せなかった理由を、私はそのように分析しております。

それはさておき、話を戻しますと、まさにボビー・バレンタインはかつての野村のように、「気づき」の徹底によって「データ」を乗り越え、日本シリーズに勝利しました。

翻って岡田阪神はといえば、現状認識を怠りペナントレースで成功した方法論(方程式)に頑固にこだわってしまい、その方法論(過去の「データ」)が個別的な日本シリーズでは妥当性を欠くものとなっていたことに「気づかず」、有効な手当てを講じられず、みすみす歴史的な敗北を重ねた、と広沢は言いたかったに違いありません。

広沢は、日本シリーズの4試合におけるロッテ攻撃陣の1巡目から4巡目までの打率をデータに纏めて提出しているのですが、これを見ると、ロッテは3巡目の打率が極端に高くなっています。これは阪神の中継ぎ投手陣が打たれた事実を浮かび上がらせます(ちなみに先発投手の責任範囲である1巡目の打率は両チームそう変わりません)。ペナントレースを踏襲した中継ぎ陣の起用がロッテ打線を勢いづかせ、とんでもない波に乗せてしまったことは間違いありません。

その意味で、第2戦で(翌日が休みということもあり)負けてはいたけれども、JFKを投入してロッテ打線を鎮火しておけば(実際は負け試合の方程式に則って江草を投入し火に油を注いでしまった)、甲子園での展開は、あるいは流れが変わっていたかもしれません、と私も思います(事実ラジオの中継でMBSの安藤統男もABCの吉田義男(だったっけ)も流れを断ち切るため藤川投入を主張していました。私はテレビとラジオを二台同時につけて観戦しておりました(^^;)。

さて、広沢が出演したテレビですが、ゲストの井沢元彦が広沢に、なぜ岡田はペナントレースの方程式にこだわったのか、たとえば第4戦は先発からJFKで戦うという手は考えられなかったのか、と質問しました。広沢は「そういう質問には答えたくないです」と回答を拒否したのですが、その言いたくなかった内容は、大略上述のようなことであったろうと想像されます。

私自身も何人かの上司に仕えましたが、駄目な上司ほど「データ」にたよりがちでした。案ずるに観察力(現状把握力)がないため、具体的な個別的施策が思い浮かばないので、一般的理論である「データ」にたよってしまうのでしょう。

もとより「データ」は有用です。が、それを役立てる前提は、現在をどれほど的確に認識できているかにかかっているように思われます。数学の方程式は盤古普遍かもわかりませんが、現実社会に通用するという意味での方程式は、その元となる現実そのものが絶えず流動していくものなのですから、暫時は妥当性を保持しえたとしても、いずれ現実との間にズレを生じさせずにはおかない。過去に基づくデータはいずれ現在から遊離していくのだとすれば、その遊離の兆しにいかに早く「気づき」、しかしてデータを改訂していくかは、とても重要な成否の分かれ目となるように思われます。

今年の日本シリーズから私は、そのような教訓を得たように思います。

 

bk1  投稿者: 管理人  投稿日:10月28日(金)23時15分6秒

引用

や、「宇宙舟歌」と「どんがらがん」が登録されているではないか!
注文しなくては。

 

大正区  投稿者: 管理人  投稿日:10月28日(金)20時20分25秒

引用

河内屋菊水丸さんのラジオ番組で、渚ゆう子のライブ盤がかかっていました。というか、実はバックを務める居上博とファインメイツの特集なのであった。
居上博とファインメイツといわれたって、誰?それ、という感じですが、真田憲治さん率いる昭和プロが抱えていた超凄腕バンドで、五木ひろしと森進一が取り合いをして全国をまわったそうな。うーんマニアック!(あと王陽菲菲のバックを務める北野タダオとアロージャズ・オーケストラもかかった)

久しぶりに聞いたらなつかしかったので、またもやネットで「京都の恋」と「京都慕情」をダウンロードしてしまいました(^^;

上のリンク先の紹介文を読むと、大阪生まれで両親が沖縄出身らしい。となれば当然大正区出身でしょう(^^; 一時は家業のお好み焼き屋を継いでいたそうで、親近感がわきますね。近年のオキナワポップスのブームで復活されないかな。

ぜんぜん話は飛びますが、昔、大正区が沖縄民族自治共和国、生野区が朝鮮民族自治共和国として半独立している大阪を舞台にした、山野浩一のフリーランドシリーズのパクリみたいなのを構想したことがありましたな。けっきょく書きませんでしたが(眼高手低で書けなかったというのが正しい)。

編集済

 

しまった  投稿者: 管理人  投稿日:10月28日(金)01時08分6秒

引用

マサイダンスだ(汗)
↓訂正済み

 

Re:菓子杯  投稿者: 管理人  投稿日:10月27日(木)21時28分25秒

引用

いま帰ってきて夕飯を食べ終わったところ。今日は遅くなりました(>当社比)。
オリゴ党の公演を見に行くつもりだったんだけど、仕事が長引いてしまって行くことあたわず。しかも今日が公演最終日なのであった。ああ残念。
田舎在なもので、小一時間かけなければミナミへ出られません。やっぱり公演は土日にしてほしいなあ。

大橋さん
SFJapanの原稿、ひと山越えたようでお疲れ様でした。

>サッカーの方でも、千葉vs大阪です
おお、そうでしたか。これはぜひ、江戸のかたきは長崎で、じゃなかった、甲子園のかたきは国立競技場で討ち果たしてほしいかも(^^;
それにしても今年は千葉県の方にとっては最高の年ですね。大橋さんは川崎のファンでしたっけ。
そういえばロッテのあの応援はサッカーの影響? それともマサイダンスの影響?(>なわけがない)。しかしあれは年寄りには不可能な応援ですよ。私だったら3イニングくらいでダウンしそうです。チームもファンも若いんでしょうね。

編集済

 

菓子杯  投稿者: 大橋  投稿日:10月27日(木)07時41分5秒

引用

サッカーの方でも、千葉vs大阪です。
11月5日(土)東京・国立競技場で開催される2005Jリーグヤマザキナビスコカップの決勝。
対戦カードはジェフユナイテッド市原・千葉vs.ガンバ大阪。
野球に続いてサッカーも日本一を決めるのか、千葉! それとも野球の借りはサッカーで返すのか大阪! です。

http://www.garamon.jp.org/

 

4タテ  投稿者: 管理人  投稿日:10月26日(水)22時44分14秒

引用

いや第4戦にして、初めて試合らしい内容となりました。まあ遅きに失しましたけどね。
ともあれロッテは覇者の名にふさわしいチームであることを証明しました。よいチームだと思いました。

一方、阪神の側には、いろいろ問題を挙げられますが、とりわけ流れを変えられなかった原因は、十年一日のごとくペナントレースの方程式を踏襲した用兵に尽きるでしょう。
短期決戦には短期決戦の戦い方があるのではないでしょうか。
岡田采配は、よく言えば選手を信頼しているといえますが、悪く言えば無策。これがもし野村だったら、しつこいくらいいろんな手を試みたと思う。まあやりすぎて失敗するのも野村用兵ですが(^^;

引き続き、
稲田浩二編『アイヌの昔話』(ちくま学芸文庫、05)に着手。
これまでに翻訳紹介されたユカラとウエペケレ(1986年までに刊行された78冊)の中から厳選された69篇が収録されているようです。しかもこの世界作りから始まって人間創造、アイヌの起りという風に、ひとつの神話体系として編集されているようで、その設定がとても面白い。

丁度いい機会なので、ペガーナ神話体系と並行して読もうかなとおもっています(^^;

先日、『アイヌ神謡集』で読んだばかりの「銀の雫降る降るまわりに」が収録されており、読んでみると微妙に違うような感じがしたので、読み比べてみました。
やはり「です、ます調」が「だ、だった調」に変えられています。それ以外にも一部改変がなされていました。大筋は同じですが。
でも出典は「アイヌ神謡集」となっているんですよね。こんな改変を加えていいのかな、と思ったら「凡例」に、統一性に配慮して言い回しと表記に手を加えたと書いてあった(^^;

「銀の雫降る降るまわりに」を本書で再読して気がついたのですが、この話は梟の神が貧乏人の子供の矢に射落とされる場面があるのですが、実際の表現は、

 その小さな矢は空を美しく飛んで、私の方へ近づいた。私は手をさしのべて、その矢を手にした。くるくるまわりながら、私は風を切って舞い降りた(35p)

となっています。
人間が射落としたのではなく、梟(の神)が自らの意志で矢を手にする。つまり、自らの意志で自らの体(神が着けた鎧と表現されます)を人間に与えるという形式を取るのです。
この思考がアイヌの神話や昔話を貫通しています。一見、人間が必要のために自然界から獲得(あるいは収奪)するようにみえても、実はそれは神が人間に与えたのだというのがアイヌの考え方なのですね。

 

「アイヌ神謡集」  投稿者: 管理人  投稿日:10月25日(火)23時15分0秒

引用

チャチャヤン気分に掲載しました。

 

第3戦  投稿者: 管理人  投稿日:10月25日(火)21時40分25秒

引用

下柳はきっちり3点に押さえた。これは計算どおり――だったんですけどね。終わってみれば……。
いやマイッタ。ロッテ強い! 藤川を打ち崩したところは神がかりでした。凄すぎます(^^;

知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫、78)読了。

 

寝違えガ虎ヲ救フ  投稿者: 管理人  投稿日:10月24日(月)22時20分33秒

引用

考えてみたら、下柳が寝違え(?)たのは結果的によかったかも。あの渡辺ではさしもの下柳でも勝てなかったでしょう。下柳の場合確実に2〜3点で押さえますが、0封は難しいから。
その意味で寝違え(?)は、後世、神の配剤として語り伝えられることになるかもしれませんよ、いやホンマ(^^ゞ

編集済

 

日本シリーズ  投稿者: 管理人  投稿日:10月23日(日)21時02分53秒

引用

井川では勝てないと思っていたし、渡辺は打てないと思っていたから、この2敗は想定の範囲内、別に慌てることもありません。
が、内容があまりにもお粗末。相手のロッテに対して失礼な2試合でした。
こんなんじゃ日本シリーズに出てくる資格はない! それでもこんなチームでも出てこれるのは、セリーグが勝ち星至上主義に毒されているから。
タイガースは一日真剣に反省して、甲子園ではロッテ選手に、さすがタイガースと見直させるようなファイトを見せてもらいたいですね。

 

イーガン・ファシズム  投稿者: 管理人  投稿日:10月23日(日)14時23分46秒

引用

あなた、これを読まずして死んで行きますか、といわれてしまった。
世間で大絶賛のは読む気が起きないのだが、そうまで言われたらね。死ぬまで読みきれない本を抱えている身なれど、ともかく買ってまいりました。や、土田さんも着手した模様(汗)。

 

日本シリーズ開幕  投稿者: 管理人  投稿日:10月22日(土)22時04分38秒

引用

コールドゲームはいかにも残念。でも、展開的には面白くなりました(^^)
ラジオで中継を聴いていたのですが、試合中断中、時間稼ぎに(在阪局なので、阪神)ファンのメッセージが紹介されてまして、ある女性ファンですが「4連勝で優勝。全部勝ちます」などとほざいておる。なんであんたにそんな自信満々な断定が出来ますか? 勝負に絶対はない。何が起るか分からないから、面白いんです。

私なんか、7戦全部戦ってほしいと思いますがね。それで阪神が4勝すれば嬉しいし、3勝しか出来なくても満足。
このファン(に代表されるある種の人々)は、けだし勝負の「勝ち負け」にしか興味がなく、個々の勝負の内容を愉しむということが出来ないのでしょうか。哀れむべし。

それで思い出しましたが、パリーグのプレーオフに非難が続出していますね。
ホークスが、あるいは王監督が可哀想。一年間何のために戦ってきたのか。これでは3位以内に入ればいいということで、真剣に戦わなくなる、などというのが主な理由のようです。これを「正論派」としましょう。
正論はたしかに正論かも知れません。でもなんか違うような気がするのですね。

* たとえば今年オリックスは結局4位でしたが、オリックスファンは、今年は最後まで楽しめたはず。日ハムも5位でしたが同様最後までファンはヤキモキしたはずなんです。もしプレーオフ制度ではなかったら、Bクラスのチームの試合は終盤客は入らなかったでしょう。
あるいは1チームが独走する展開になったときの後半戦の閑散ぶりは、これまで何度も見ているではないですか。大体消化試合の解消もこの制度の眼目だったのではないでしょうか。

** いまひとつの正論派の問題点は、勝負をたんに「勝ち負け」でしか判断していない点です(上の * もその意味では同断なんですが)。
しかし実際のところ、個々の試合の勝負の内容は、「勝ち負け」とは関係なく面白かったり面白くなかったりするのです。少なくとも私は、勝ち負けは二の次、まずは「勝負」の内容を楽しむために野球を観戦しています。「勝ち負け」は勝負の結果としてついてくる、それだけのものです。

プレーオフのおかげで、少なくとも今年は(6チーム中)5チームが、最後までモチベーションを維持できたはず。言い換えれば内容の濃い勝負を最後まで戦ったはずなんです。結果としてお客を満足させる真剣勝負が、終盤まで続けられた。そういう効果を(少なくとも)今年のプレーオフはもたらしたことは確か。

こういうメリットを捨ててまで、またぞろ「勝ち負け」というか「白星の数の多寡」なんていう単純極まりない数字に依拠する制度を復活させたいのでしょうか?
おそらく正論派の人々とは、試合を実際には観賞した事がない人々なのではないでしょうか。つまり、仕事から深夜に帰宅しテレビのニュースで勝負の結果とほんの数シーンのダイジェストを見ることに慣れてしまった人々なので、個々の試合の、試合中行ったり来たりする勝負の綾の醍醐味なんか、忘れてしまって久しく、もはや思い出すこともない人たちなんでしょうね。哀れむべし。

 

「サンカと三角寛」  投稿者: 管理人  投稿日:10月21日(金)20時51分2秒

引用

を、チャチャヤン気分に掲載しました。

河本さん
過去ログ置き場の入り口が見当たりません。どこにありますかお教えください。

<追記>
NHKラジオ「ラジオ深夜便」の番組表が更新され、ようやく詳細が明らかになりました。→こちらの「10/31(月)〜11月1日(火)」

眉村さんの
「ある書評」の朗読はAM1時台ですね(朗読は谷地健吾さん)。
えーと、くどいようですが、10/31(月)の深夜1時ですよ(11月1日の深夜ではありません。ご注意)。
みなさまお忘れなきよう!!
――って、私自身が一番心配(^^ゞ

編集済

 

架電  投稿者: 管理人  投稿日:10月20日(木)19時20分6秒

引用

石川さん

>「架電」
そう、そう、そう、そう!!
私も使ってましたよ、「架電」! いや嬉しいなあ、お仲間がいて(^^ゞ

しかし「読了」とは違って、使いつつも、この用語正しいんやろか、と心の奥のごく端っこの方では疑問の声が小さく聞こえていましたね(^^;。
辞書で調べたこともありますが、載っていなかったと思います。
とはいえ筒井康隆が使っているのだから、間違っているはずがない、と強く打ち消していたのですが(でもこの使用例は、筒井さんしか思い浮かびません)……そのうちに私も、いつとはなく使わなくなってしまいました(汗)。とはいえ最初は強烈な印象がありました。

河本さん

>ログは残りますよ。
ありゃりゃそうでしたか、失礼しました(^^;
あとでゼロと1についての議論(だったっけ、忘れてしまったよ(汗))を再読させていただきますね。

礫川全次『サンカと三角寛 消えた漂泊民をめぐる謎(平凡社新書、05)読了。感想はあとで書く予定(時間があれば)。

 

Log  投稿者: 河本  投稿日:10月20日(木)11時11分3秒

引用

 大熊さん
 >「すうろん掲示板」
 ログは残りますよ。
 それが書き込まない理由だったのなら、解決したのだから来て欲しいー。 (^^)

 N0.151あたりから、「個体について」の議論を小林さんとしているのですが、どうかご意見があったら書き込んでください。

http://boat.zero.ad.jp/~zbi74583/index.htm

 

「読了」再説  投稿者: 管理人  投稿日:10月19日(水)19時43分33秒

引用

.さん

さっそくのご返信ありがとうございました。

>河本さんの掲示板で当ハンドルを用いたため同じの使ったほうがよいかと思ったまで。
そうでしたか。河本さんとこのご常連でしたか。大変失礼いたしましたm(__)m
あの掲示板はログが残らないので、業務連絡的な事項以外は書き込みしないようにしており、おっつけ見に行く頻度も減ってしまいました。それは私自身が書き込みながら考えを積み上げていくタイプなので、ログが流れる掲示板はとても使いにくいからなんです。
ずいぶん以前に改善を申し入れたんですけどね、考慮するとかなんとかおっしゃっていたように記憶するのですが(それもこれも流れてしまって確認できません)。河本さんはたまにこちらに来てくれておりますよ(^^;

というわけで、このHNは私にはきわめて異様なんですが、理解できましたのでこのまま当掲示板でお使いいただいてオッケーですよ。ご不快の念を与えてしまいまことに申し訳ありませんでした。どうぞこれに懲りず、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて――、話はころっと変わります。
「読了」の件ですが、どうしても「自白」させることが出来ません(^^;。私もこれは誤認逮捕だったかと些か心配になってきました。
とはいえ私がそう記憶しており、事実の前後関係もピッタシですから、よもや間違ってはいないと思うのです。が、これは日を改めてじっくり「締め上げる」もとい再読するに如くはないと思い始めておるところです。

そういう次第で、他に「読了」の例はなかっただろうか、と記憶を振り絞りますに、そういえば筒井康隆もよく使っているな、と思い出しました。
で、『腹立半分日記』(文春文庫版)を引っ張り出してきましたら――あっけなく12p目でビンゴ(^^ゞ

 
ジロードウの「ジークフリート」読了。

1958年1月7日(火)の日記の記事です。これ以後も「読了」の文字は沢山出てきます。

というわけで、「読了」の使用は、1958年(昭和33年)にまで遡る事が出来ることが明らかになりました。
ただし、私の記憶が正しく、北杜夫による使用が確認されれば、「どくとるマンボウ青春記」は著者の旧制高校〜大学時代(昭和20年代前半)の日記で構成されていますから、一気にさらに10年遡ることになります。

私の予断ですが、「読了」は、(今の人には異様な文字使いに見えるかもしれませんが)おそらく戦前から使用されており、しかるべき日記類を丹念に辿れば、存外漱石や鴎外あたりまで遡ることが出来るのではないでしょうか?

編集済

 

Re: re:相互リンク  投稿者: .  投稿日:10月19日(水)15時48分22秒

引用

>(もし間違っていたらご訂正ください)。

手短に用件のみで。
以前から使っているコテハンではありませんが、最近河本さんの掲示板で当ハンドルを用いたため同じの使ったほうがよいかと思ったまで。

 

re:相互リンク  投稿者: 管理人  投稿日:10月18日(火)19時20分23秒

引用

.さん

お便りありがとうございました。
リンク先に行ってみました。膨大な量の書き込みをとても読む余裕はありませんので、とりあえず私の名前で検索したり、どうもサヴァンと関係ありそうなので「サヴァン」で検索してみました。私の名前ではヒットせず、サヴァンは数ヶ所ヒットしましたが、該当箇所を発見することは出来ませんでした。サヴァンについてだとしますと、以前オリヴァー・サックスに関連して書いた記憶があります。

しかしながら――私についてどんなことが投稿されたのか分かりませんが、ノープロブレム! わたし的には全然問題ないので、どうぞご休心ください(^^)。
大体私自身、人の悪口はそれこそこの掲示板でいっぱい書いていますから、他人さまの事は言えませんです(汗)。そしてそのような悪口を書くとき、相手からの反応ははなから想定していないのですよね。今回のご指摘のコメントも、蓋しそのような種類のコメントなのだろうと推測します。

ただしそんな私でも、たまには何らかの議論なり、反応を期待する場合があり、その場合は、相手が気づくであろう然るべきところへ書き込みに行くようにしております。
ですから、「もし何か議論したいことがあるようでしたら、当掲示板にお越し下さい」と、そうお伝え頂ければ幸甚です(^^;

そういうわけですので、リンク先該当箇所の詳しい新たな情報は必要ありませんので、再投稿して頂くに及びません。為念。

なお、末尾になり恐縮ですが、 .さん、この投稿名はあなたの固定HNでしょうか? 恐らくそうではなく、当掲示板システムは無記名での投稿は撥ねられますから、それを回避するために入力されたものと想像します(もし間違っていたらご訂正ください)。
でも今後、それはおやめ下さいね。

当掲示板では、捨てハンドル(あるいはそれに類するもの)での書き込みや広告等は、管理人である私が発見し次第、即刻削除いたしますのでご注意下さいね。なので、今後は固定ハンドルでご投稿下さいますようお願いします(大体「 .さん」ではとても呼びかけにくいではないですか!)。

以上よろしくご賢察のほどお願い申し上げる次第です。

 

サヴァンかどうかはしりませんが  投稿者: .  投稿日:10月18日(火)14時53分28秒

引用

Zerah Colburnなんて計算の名人、英語版wikipediaにもあるし
ここにもある。
http://www.famousamericans.net/zerahcolburn/
フェルマー数(最初の一桁足りないのはご愛嬌)を素因数分解したとか。

 

相互リンク  投稿者: .  投稿日:10月18日(火)13時14分39秒

引用

http://n173.is.tokushima-u.ac.jp/bbs2/tree.php3
ここで、当掲示板の過去ログがリンクされています。
日本語が通じない哀れな方がなにやらコメント(というか間違った根拠で馬鹿にしている)しています。

 

読了  投稿者: 管理人  投稿日:10月18日(火)03時09分20秒

引用

某畸人郷のtrivialさんが読書感想文とか書評で、必ず冒頭に「読了」と書く人がいるけれど、なんでだろう?と問いかけされています。

私は「読了」を多用する方だと思いますが、一体いつごろから使い始めたのだろうかと顧みますと、「どくとるマンボウ青春記」で北杜夫が使っているのをみて、おおカッコイイと思ったのが、そもそものきっかけだったと思います。

そのように記憶していたので、上記のようにコメントしてきたんですが、いちおう確認しておこうと思って、件の「どくとるマンボウ青春記」(中央公論社版70年11月20日30版)を引っ張り出してきました。ところが……「読了」……見つからない(汗)。
まあざっと見ただけなので見落としているのだと思います。思うのですが、しかしわざわざコメントしてきた手前、勘違いだったら恥ずかしいなあ(^^;

ふと思いついて、当時の日記を引っ張り出してきました。
すると、71年3月18日(木)の日記に、
「『「白鳥の歌なんか聞こえない』を読了する。」と記してあって、どうもこの記述が、私の「読了」の使い初めのようです。

一方、件の『どくとるマンボウ青春記』は、記録によりますと71年1月1日購入で、日記によると、1月15日に読了しています(ただし日記には「読了」ではなく「読み終わった」となっている)。

1月15日以降3月18日までに読了した本は、2/28「赤頭巾ちゃん気をつけて」、3/7「さよなら快傑黒頭巾」のみ。あまり読んでません。というのは他でもありません、この2月から3月は高校入試の真っ最中だったからで、本なぞ読んでる場合かよ、という状況だったのであります(汗)。

そのような次第で、『どくとるマンボウ青春記』を読み終わった直後から、私が「読了」を使い始めたことが明らかになりました。

ところで、私が「読了」という語をもともと知っていた可能性はありえません。「読了」は当然ながら「外」から私にやって来たものです。それは、もとより私がその語を使い始める「以前」でなければならず、しかも「直前」である可能性が高い。
また他のルートから「読了」なんて言葉を仕入れたとは考えられず、庄司薫にこういう固い語彙はないでしょうから、その意味で「自白」はまだないものの、時系列的状況証拠はこの長篇エッセイが犯人であることを示しています。おそらく間違いないと思われます。

というわけでちょっとホッとした次第。日を改めて、何とか自白を、じゃなかった確認作業することにします。わ、遊んでたらこんな時間になってしまった。寝なくては(^^;

編集済

 

ロッテ優勝  投稿者: 管理人  投稿日:10月18日(火)00時28分3秒

引用

プレーオフ、面白かったですねえ(^^)
プレーオフ自体にはいろいろ賛否もあるでしょうが、結局観客動員22万人という紛れもない「この印籠」で来年も継続されることになるのでは?
パリーグ会長がなんか言ってますが、そもそもプレーオフ自体、パリーグ活性化の1案として実施されたものですから、今更というか今頃「正論」を唱えてもなあ、いかがなものかという感じ。

まあソフトバンクには我慢してもらうしかありません。攻撃型チーム編成は押し相撲と同じでやはり水物、とりわけ短期決戦では外すともろい。けっきょくプレーオフ制度の下でそういうチーム作りをしてしまったのがそもそもの敗因でしょう。今後はプレーオフを想定したチーム作りがパリーグでは求められるのではないでしょうか?

礫川全次『サンカと三角寛』という平凡社新書の出ていたので、思わず購入。
60pほど読みましたが、これは面白いです。著者はライターらしい。ライターの書くものには特有の臭みがあって、私はあまり楽しまないのですが、そし本書も例外ではないのですが、これはテーマがツボに嵌まったせいかあまり気になりません。朝日新聞記者三角寛が帝都を震撼させた説教強盗の犯人を警察に先駆けて発見してしまう件は、正に探偵講談そこのけの面白さ。南湖さん講談に仕立ててくれませんかねえ。

編集済

 

早くも今年の総括(の準備)  投稿者: 管理人  投稿日:10月16日(日)23時59分11秒

引用

昨日の畸人郷で聞いたところでは、年末恒例各種年間ベストの企画が始動し始めているらしい。
もうそんな時期なんですねえ・・
というわけで、私もとりあえず9月までの読了本を抜き出してみました。
1月から9月現在で、60冊でした。昨年と同じ冊数。ただし去年は10〜12月でかなり読んでいるので、1年間では去年の実績には達しないと思われます(プロ野球が終わったという季節要因もありますが)。
内訳は――
 小説(含民話)25冊
 非小説(文学)7冊
 非小説(非文学)28冊
今年は小説が読めていませんねえ。これは(例年稼ぎ頭の)日本SFを殆ど読んでないのが主因(田中光二2冊、平谷美樹1冊のみ)。逆に言えば日本SFにとりたててそそられる作品がなかったともいえるかも。

9月-4冊
高井信『ショートショートの世界』(集英社新書、05)
高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書、05)
林信吾・葛岡智恭『昔、革命的だったお父さんたちへ「団塊世代」の登場と終焉』(平凡社新書、05)
萱野茂『炎の馬 アイヌ民話集』(すずさわ書店、98)

8月-6冊
下楠昌哉『妖精のアイルランド 「取り替え子」の文学史』(平凡社新書、05)
ジョン・ブラナー『テラの秘密調査官』関口幸男訳(ハヤカワ文庫、78)
ピーター・トレメイン『アイルランド幻想』甲斐萬里江訳(光文社文庫、05)
ジョン・ブラナー『次元侵略者』関口幸男訳(ハヤカワ文庫、76)
山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』(文春新書、05)
ジョン・ブラナー『幻影への脱出』巻正平訳(ハヤカワ文庫、76)

7月-5冊
フリッツ・ライバー『ランクマーの二剣士』浅倉久志訳(創元文庫、05)
本多正一編『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』(河出書房、05)
矢幡洋『働こうとしない人たち 拒絶性と自己愛性』(中公新書ラクレ、05)
高橋洋児『市場システムを超えて 現代日本人のための「世直し原論」』(中公新書、96)
シオドア・スタージョン『輝く断片』大森望編(奇想コレクション、05)

6月-8冊
斎藤環『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書、98)
池田 清彦『科学とオカルト』 (PHP新書、98)
東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』(現代新書、01)
藤野恵美『怪盗ファントム&ダークネス EX-GP2』(カラフル文庫、05)
高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書、05)
今村仁司『マルクス入門』(ちくま新書、05)
斎藤環『「負けた」教の信者たち ニート・引きこもり社会論』(中公新書ラクレ、05)
鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(現代新書、05)

5月-8冊
中山康樹『マイルス・デイヴィス ジャズを超えて』(現代新書、00)
岡田尊司『自己愛型社会 ナルシスの時代の終焉』(平凡社新書、05)
かんべむさし『課長の厄年』(光文社文庫、92)
F・W・ニーチェ『キリスト教は邪教です 現代語訳『アンチクリスト』』適菜収訳(講談社+α新書、05)
平谷美樹『黄金の門』(角川春樹事務所、05)
フリッツ・ライバー『妖魔と二剣士 ファファード&グレイ・マウザー4』浅倉久志訳(創元文庫、05)
かんべむさし『理屈は理屈 神は神』(講談社、05)
エドモンド・ハミルトン『反対進化』中村融編(創元文庫、05)

4月-8冊
廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書、05)
ロス・マクドナルド『ロス・マクドナルド傑作集』小鷹信光訳(創元文庫、77)
塩野米松聞き書き『啖呵こそ、わが稼業 會津家本家六代目・坂田春夫』(新潮社、03)
レオ・ペルッツ『最後の審判の巨匠』垂野創一郎訳(晶文社、05)
スティーヴン・キング『ペット・セマタリー(上下)』深町眞理子訳(文春文庫、89)
藤野恵美『七時間目の怪談授業』(青い鳥文庫、05)
M・バルガス=リョサ『世界終末戦争』旦敬介訳(新潮社、88)
井原康夫編著『脳はどこまでわかったか』(朝日選書、05)

3月-4冊
山形浩生『新教養主義宣言』(晶文社、99)
埴原和郎『人類の進化史 20世紀の総括』(講談社学術文庫、04)
ヴィクトル・ペレーヴィン『虫の世界』(群像社)
赤澤威編著『ネアンデルタール人の正体』(朝日選書、05)

2月-7冊
田中光二『失われたものの伝説』(ハルキ文庫、00)
芹沢一也『狂気と犯罪』(講談社+α新書、05)
澤口俊之『あぶない脳(ちくま新書、04)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書、05)
フレッド・セイバーヘーゲン『バーサーカー赤方偏移の仮面』浅倉久志・岡部宏之訳(ハヤカワ文庫、80)
豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』(TBSブリタニカ、00)
中井英夫『虚無への供物』(講談社文庫、74)

1月-10冊
ラリイ・ニーヴン『無常の月』小隅黎・他訳(ハヤカワ文庫、79)
数土直紀『自由という服従』(光文社新書、05)
A・E・ヴァン・ヴォークト『イシャーの武器店』沼沢洽治訳(創元文庫、66)
榊原洋一『アスペルガー症候群と学習障害 ここまでわかった子どもの脳と心』(講談社+α新書、02)
福島章『子どもの脳が危ない』(PHP新書、00)
荷宮和子『なぜフェミニズムは没落したのか』(中公新書ラクレ、04)
岡田英弘『中国文明の歴史』(講談社現代新書、04)
田中光二『凶獣の島』(講談社文庫、82)
浜田雄介編『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』(乱歩蔵びらき委員会、04)
トマス・M・ディッシュ『アジアの岸辺』若島正編(国書刊行会、04)

 

Re:田中文雄といえば  投稿者: 管理人  投稿日:10月16日(日)19時05分57秒

引用

土田さん
ご教示ありがとうございました。

>田中名義では15年前くらいに新書版を中心に4,5冊ミステリーを出してます。
そうでしたか。思い込みで書いてしまい軽率でしたm(__)m

しかし草薙圭一郎=田中文雄とは……。全然知りませんでした。

>名義を変えた真意は何なのでしょう
単に仮空戦記に田中文雄や滝原満の名を冠したくなかったのではないでしょうか?
個人的感覚でも、田中文雄や滝原名義の架空戦記には皮肉のひとつもいいたくなりますが、別名義ならオッケーかもです(^^ゞ。

>ホラーも多いですし
ホラーっぽいSFが売りでしたね。でも同傾向の、もっとどぎつい作風のがどんどん出てきて存在感が薄れてしまいました。なんか張り合おうとして失敗しているような。
本領は原点の「夏の旅人」のような作風だと思います。いまでも「異形コレクション」にぽつりぽつり書かれているようですが、もっと書いてほしいです。
「ふしぎ文学館」あたりでその辺纏めたの出してくれませんかね(すでに出ているのかな)。

 

田中文雄といえば  投稿者: 土田裕之  投稿日:10月16日(日)17時02分12秒

引用

田中文雄氏と言えば、草薙圭一郎名義で架空戦記を山のように出してますね。

調べてわかったのですがここ何年かでは田中名義はダイソー以外、
推理クイズしか出されていないようです。
(もっとも草薙名義であれだけ出ていて他に書けるとは思えませんが)
名義を変えた真意は何なのでしょう。
初期の作品以外読んでいませんので無責任な事はいえませんが
田中名義では今の作品は出せないということなのでしょうかね。
うがった見方かもしれませんが。

読んだのは比較的初期の作品ばかりですが結構好きでした。
ホラーも多いですし。

ちなみに田中名義では15年前くらいに新書版を中心に4,5冊ミステリーを出してます。
滝原満では大陸書房から何冊かヒロイックファンタジーを出しましたね。

 

畸人郷  投稿者: 管理人  投稿日:10月16日(日)10時48分7秒

引用

昨日は畸人郷例会でした。本会ではハヤカワ徹底罵倒、二次会では……あれ、何を話したか忘れちゃった。
最近は畸人郷が精神衛生上のクリーンアップの場と化しており、会員の皆様にははた迷惑と思いますが、とにかく溜飲を下げて気分よく帰宅しました。あーすっとした。

そうそう、本会に書評家の福井健太さんが来ておられた事を二次会で知る。以前にも当会でご尊顔を拝見しているはずなのですが、なにぶん昔のことで忘れてしまっていたようです。知っていたらおききしたい事があったのですが、、、

滝原満と田中文雄が同一人物であるのはSFファンの間では常識的事実だと思うのですが、二次会でダイソーミステリの話題になりそのことを述べたところ、一同誰も知らなかった。ミステリ界ではあまり知られてないのかな。ミステリファンには、滝原満は幻影城作家として認識されているようです。SFサイドからいえば奇想天外作家ですよね。
で、気がつく。田中文雄という作家は、ミステリ的視野には存在しない作家なのではないか。たしかに田中文雄名義のミステリ作品はダイソーの1冊しか思い浮かびません。

編集済

 

「謎の大王 継体天皇」  投稿者: 管理人  投稿日:10月14日(金)19時39分9秒

引用

本多さん
お返事遅くなりましたm(__)m。

>齋藤愼爾さん、川崎賢子さん、澁澤龍子さん、東雅夫さん
いや〜豪華で贅沢です〜! そしていかにも本多さんらしい顔ぶれですね(^^)
おお、坪内祐三トークショーのゲストは亀和田武さんですか! こちらも見逃せませんねえ、、、

というわけで、滅多にないチャンスだと思いますので、お時間、ご都合つく方は是非おでかけくださいませ!!
それにしても、いろいろイベントがあって、東京はいいところですねえ。置き引きがなけりゃ申し分なし!(^^ゞ
そういう大阪はひったくり日本一(ーー;

水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(文春新書、01)、読了。

これは良い本でした。記紀における記述の矛盾や意味の推し測りにくかった箇所が、かなり整理されて見通しが良くなりました。
たとえば大和入りが遅れた理由として、反男大迹勢力の背後に芦田宿禰系葛城氏(著者によれば雄略が滅ぼしたのは玉田宿禰系だったとする)を想定し、その大番頭であった蘇我氏を寝返らせたことで、大和進入が可能となったとした点は、同時にその後の蘇我氏の伸張を説明しうることとあわせて実に納得させられました。

それにしても、なぜ応神(仁徳)王朝になって何度も跡継ぎが絶えるような一族の内紛(この王朝の特徴です)が頻発したんでしょうか? それについては「そうだったのだ」とアプリオリに通り過ぎています。

私は応神王朝が騎馬民族だからではないかと思います。チンギスハンもそうでしたが、瞬く間にユーラシアを席巻した後は兄弟が分割支配して、決して単一王国に拘らなかった。彼らは仁徳王朝同様「同族意識は希薄」(125p)で、兄弟での紛争も頻発した。本書によれば応神朝は父系より母系と繋がりが濃かったが、これも騎馬民族的。民族に拘らず部下を登用するのもそうです(だから大伴や物部等旧族が残存しえた)。また継体朝以降「合議制」が完成するとありますが、「クリルタイ」と似ているのでは?

そういうわけで、わが妄想に従うならば、応神による西日本征服後、各地に兄弟が配置され、土着化した。これが四道将軍の原型ではないか。九州には磐井、吉備には星川の皇子を推す一族、播磨には顕宗以下三代の播磨王朝を輩出する一族、そして北陸(に睨みを利かせる湖北)には男大迹の一族(そういえば四道将軍オホビコとオホドあるいはその祖先の意富富杼オホフトは似ている(^^ゞ)。また恐らく丹波にも倭彦王に連なる小勢力があったのでしょう。

したがって継体が応神に繋がる王族であるのは間違いないのでしょうが、だからといって記紀にあるように大伴金村の三顧の礼で天皇位についたのではなく、やはり自らの実力で奪い取ったのではないかと考えます。多分雄略没後、所謂「戦国」時代が到来し、まずは播磨王朝が覇者となるも三代で没落、続いて丹波王朝がいいところまでいって力尽き、最後に男大迹が天下を取ったのではないか(そういうわけで、結論は本書と同じ)。
いや、空想を拡げられる材料をいろいろ仕入れることが出来ました(^^ゞ

編集済

 

Re: オリゴ党公演と本多正一さんトークショー  投稿者: 本多正一  投稿日:10月13日(木)02時39分18秒

引用

 ご無沙汰です。
 久しぶりにこちらの掲示板を拝見したところ、話題(?)になっているのでビックリしました。

> そういえば本多正一さんのトークショーも迫ってきましたね→10月18日(火曜日)午後7時〜9時30分
> もう一回リンクしておきましょう。
>
>  地下室の古書展
>  ――『中井英夫戦中日記』&『澁澤龍彦との日々』刊行記念トークショー
>  ――本多正一写真展「ホントノデアイ」
>
 ありがとうございます。
 ただ、私は司会進行役で、トークショーの主役はゲストの方々です。皆さま、齋藤愼爾さん、川崎賢子さん、澁澤龍子さん、東雅夫さんの“実物”に会えるチャンスです。お時間、ご都合つく方は是非おでかけください。
 なお先日、このイベントで16日(日)にトークショーのある坪内祐三さんの新刊『極私的東京名所案内』(彷徨舎)の函の撮影を頼まれました。こちらもご高覧いただけましたら幸いです。

http://underg.cocolog-nifty.com/tikasitu/2005/08/post_0bbd.html

 

黛ジュン  投稿者: 管理人  投稿日:10月12日(水)22時08分3秒

引用

本日のダウンロードは「霧のかなたに」と「乙女の祈り」。
いや、よいですなあ黛ジュン。なんといってもそのたぐい稀なる奇跡の声質と歌唱力。もうひとつは、アレンジがGSであること。彼女の出現で、女性ポップス歌手の音楽パラダイムが一挙に変わりましたよね。

そういえば全盛期に「真っ赤な太陽」をレコーディングしたところ、美空ひばりが発売ストップの圧力をかけたと聞きましたが、むべなるかなです。現時点から振り返れば、美空ひばりを追い抜く可能性のあった唯一の歌手だったかも。
「真っ赤な太陽」は典型的なGSサウンドであり、ある意味本家よりも彼女にこそぴったりな曲だったと思います。美空ひばりがストップをかけたのは当然、というかひばりをしてそこまでさせるほど、当時は名実ともにひばりに肉薄していたんでしょう(演歌は知らん。知らんがポップス、演歌どっちもいける声質であることは確か)。
というわけで、「真っ赤な太陽」もダウンロードしようと思ったのだが、なかった。

うぬれそれでは、と今一人のGSサウンド歌手・中村晃子の「砂の十字架」を探したけど、これも見つからず(「虹色の湖」は持ってる)。
というところで、はっと我に返る。おー危ない危ない。や、ほんとうに無駄遣いしそうです(^^ゞ

 

オリゴ党公演と本多正一さんトークショー  投稿者: 管理人  投稿日:10月11日(火)21時28分22秒

引用

オリゴ党公演のお知らせです。

オリゴ党番外公演 短編集だよ!オリゴ党祭り「隔てているのはきっと分厚いガラス」

 平成17年10月24日 19:30A
 平成17年10月25日 19:30B
 平成17年10月26日 19:30A
 平成17年10月27日 19:00B

 会場 ウイングフィールド
 料金 前売1500円 当日1800円
 AB通し券(前売りのみ) 2000円

 詳しくは、オリゴ党HPをご覧下さい→オリゴ党

今回は短編集とのことで、面白そう! しかし全部平日ですか……観に行けるかな、すこし心配。



そういえば本多正一さんのトークショーも迫ってきましたね→10月18日(火曜日)午後7時〜9時30分
もう一回リンクしておきましょう。

 地下室の古書展
 ――『中井英夫戦中日記』&『澁澤龍彦との日々』刊行記念トークショー
 ――本多正一写真展「ホントノデアイ」

 首都圏の方はお見逃しなく〜(^^)

編集済

 

「雨のドラゴン」  投稿者: 管理人  投稿日:10月11日(火)00時22分21秒

引用

チャチャヤン気分に掲載しました。

 

ジャズ・ヨイトマケ  投稿者: 管理人  投稿日:10月10日(月)20時19分49秒

引用

「ヨイトマケの唄」のメロディラインは「ゴースト」(アルバート・アイラー)に似ている!
そう感じ始めまして、今や脳内では「ゴースト」風「ヨイトマケ」が嵐のように鳴り響いております。
しかも脳内演奏しているのは、山下・坂田・小山のトリオ(>なんと複雑な妄想だ(^^ゞ)。

丸山健二『雨のドラゴン』(河出書房、73)、3分の2ほど読んだ。
なんかこれ、ひきこもりの小説? 今日中に読み終えるかな。

 

「ヨイトマケの唄」考  投稿者: 管理人  投稿日:10月10日(月)11時39分1秒

引用

>ヨイトマケの唄
聴き耽っているのですが、聴けば聴くほど、この歌ほど60年代あるいは団塊世代の心性をくっきり表出した歌はないのではないでしょうか。

歌詞の主体は、母親がヨイトマケ(土方)で、今は大学も出、エンジニアになった男の回想。
彼の耳には「今も」ヨイトマケの歌、「あの子守唄」が聴こえてくる。それは「土方の子、汚い子」と苛められた小学生の頃の思い出とセットになっており、泥まみれで男に混じって働く母親の姿を尊いと感じつつも、ここから「脱出」しなければ、とあらためて「勉強」することを誓うのです。

そうして彼は「脱出」を果たし、苦労で死んでしまった母親に「今のこの姿を見てくれ」と誇らしく呼びかけます。まさしく「這い上がった」人間の、オレは脱出したんだという勝利の歌といえる(余談ですがこれは眉村SFの基本モチーフです)。

ここにおいて母親の職業である「土方」や母親と自分がいた階層(下層)は否定されています。しかしその一方で、土方として働き、大学までやってくれた母親は「苦界」で彼のための捨石となったという意識も含めて「称揚」されます。が、それは土方そのものを称揚しているわけではない。

まさに『下流社会』で分析された下層から中層への重心移動が端的にといいますか、象徴的に歌われているといえましょう。
団塊世代は、自己の出身階層の否定を契機として、即ち2重構造を顕在化することで回転し始めた日本の高度成長運動に自ら飛び込みその運動エネルギとなったわけです。別言すれば構造(枠組み)が明確化されることで逆に加熱が促され「流動化」(対流運動)が活発化したといえます。
「勉強」することが「這い上がる」ことと表裏一体であるのが、団塊世代の共通心性だったといえましょう。

翻って現代の若者、前掲書のいわゆる「真正団塊ジュニア世代」(だいたい75〜80生まれ)以降ひきこもりやニートが顕在化するのは、かかる彼らの親世代の明確な二重構造が、いわば熱平衡状態に達して(一億総中流化)見えなくなってしまった(端的には親の脛齧りで最低限生きていける)ことで、「這い上がる」動機もみえなくなり、「勉強」(教養)の必要性も低下してしまったからと整理できるのではないか。
こうして団塊世代において加熱が始まった日本はバブル期において沸点に達し、いまや次第に冷め始め、流動化は固定化へと様変わりしつつあるのかもしれません。

いや150円でダウンロードした「ヨイトマケの唄」、これだけいろいろヒントを呉れました。十分元が取れておつりがきた気分です(^^ゞ

編集済

 

「ファイブ・イージー・ピーセス」  投稿者: 管理人  投稿日:10月10日(月)01時31分28秒

引用

アメリカン・ニュー・シネマの名作。今回観て、はじめてよさが分かった気がしました。
これは虚飾を剥ぎ取った真実の「寅さん」だったんですね。
ジャック・ニコルソンの駄目っぷりが実によい。ほんとうに嫌な野郎ですが、しかし痛いほどよく分かります。カレン・ブラックも実に(結果的に)嫌な女でしかし哀れな女を表現しきっている。
アメリカン・ニュー・シネマは基本的に「アメリカ」を描いているのですが、本篇は人間そのものの、というか「生」それ自体の、どうしようもない「限界」がみごとに描きつくされています。1970年作。

この1週間は、平均睡眠時間3時間程度で働いたので、今日は本を読んでは居眠りし、音楽を聴きながら眠り、ネットを巡回しつつうつらうつらし、そしてDVDを観た一日でした。ああリフレッシュした〜(^^) それではおやすみなさい。

 

ヨイトマケの唄  投稿者: 管理人  投稿日:10月 9日(日)20時43分19秒

引用

大西ユカリと新世界のニューアルバムから――
初めてダウンロードしてみました。→昭和残唱
本家とはまた違ってよいですなあ。

それにしてもアルバム一括だと1500円。CDの半額ではないですか。→amazon
やはりこれくらいの価格差がないと、差別化できませんよね。なんか嵌まりそうな予感(^^;
それに引き換え、小説のネット販売価格は、いろいろな不利(読みにくい、持ち運べないetc)な条件を勘案すれば高すぎます。

 

作家心理  投稿者: 管理人  投稿日:10月 9日(日)18時39分28秒

引用

河本さん
>《アシモフ》という高性能体内カメラを駆使
しているそうですから、とうぜん「ミクロ潜航作戦」は念頭にあって書かれた筈なんです。
で、<作家>という存在に<同化>して想像するならば、「オレもイッパシの作家だ。おんなじことは出来まいぞ」と考えた可能性が高い。作家ってのはひねくれてますからね(^^;
というわけで、自ら進んで「茨の道」を選んだのではないでしょうか? しかしながらその結果は、下リンクの管理人さんに従えば、やはり茨の道だったようですね。

>ミクロの決死圏
実は映画は観てないのです(汗)
ラクウェル・ウェルチは「恐竜100万年」が印象に残っていますが、いまいち私好みではないのであった。
やっぱ女優はプラチナブロンドでしょう!! 古くはBB、最近ではシャロン・ストーン。でも一番好きなのはビルナ・リージ(ただし「雨のエトランゼ」の)、てのがなかなか渋いでしょ(^^ゞ

 

事実はSFより  投稿者: 河本  投稿日:10月 9日(日)17時32分54秒

引用

 大熊さん
 「安易なキャッチコピー」の作品、あの「ミクロの決死圏」ほどには面白くないのでしょうね。
 後者には、山ほど突っ込みどころがありますが、多少の整合性の無さなんぞ気にせず、医者が血液のなかを泳がなくちゃあSFとは呼べません。

 あの映画、ラクウェル・ウェルチが血球の群れに囲まれている場面をよく覚えていますが、TVで「越前くらげの大群とダイバー」の映像を見るたびに、「あっデジャビュだ」と思ったりします。
 ダリのデザインより、くらげのほうがホラーというか、シュールです。

http://boat.zero.ad.jp/~zbi74583/index.htm

編集済

 

安易  投稿者: 管理人  投稿日:10月 9日(日)14時34分24秒

引用

本作落選をもって《このミス大賞》に何らかの問いかけが為せるかというと大いに疑問である。

実にまっとうな意見だと思います。
しかしハヤカワ編集部がそんなところ(このミス大賞への問題提起)まで考えていたとは、到底考えられません。
たんに売れたキャッチコピーの前例を脊髄反射的に踏襲するパクリ以外の何者でもないことは明らか。発想的にはSFにラノベを着せて売るのと同じ手法でしょう。
しかしながらこれほど安易な発想はなく、ハヤカワからは、もはや出版人としての最低限のモラルすら払底してしまったのでしょうか?

 

ようやく  投稿者: 管理人  投稿日:10月 9日(日)10時32分47秒

引用

らっぱ亭さん

ご教示ありがとうございました。もうすぐですね(^^;
それにしてもbk1、すでに10月5日をとうに過ぎているのに、まだ訂正がなされていませんね。
どうも最近、やる気がないみたいで気になります。経営陣の気持ちは営業に敏感に現れますからね。撤退するのかな。
私自身は、売上ランキング至上主義のアマゾンより、よほど愛着があるのですけどね。
 *だいたいアマゾン社内データを見たって、データ数も小さく利用者層も偏っているはずで、むしろ(部分的)事実をもって(全体的)事実が覆い隠される効果が現れる危険性さえ予想されます。

ともあれ『どんがらがん』、楽しみにです〜(^^)
『宇宙舟歌』は、アマゾンにもbk1にもまだ登録されていませんでした。遅れるのでしょうか。

 

Re: 予約  投稿者: らっぱ亭  投稿日:10月 7日(金)22時51分8秒

引用

>『どんがらがん』
>bk1だと、10/5発売なんですが2205円。amazonにすれば、10/26になるけど1995円

編者の殊能さんのページでも、河出書房新社のサイトでも、発売日は10/26となっていますので、たぶんこちらが正式な発売日と思います。

なお、ほぼ同時期にラファティの『宇宙舟歌』も出ますので、併せてよろしく。

 

SFMを取り戻そう!  投稿者: 管理人  投稿日:10月 7日(金)22時05分52秒

引用

知人にSFマガジンを見せてもらいました。
まず「老ヴォールの惑星」のレヴューがラノベ欄だったのにビックリ。なぜならば少なくとも表題作はラノベとは全然違います。
で、読んでみると、
「この本を読んで面白かったら、ぜひSFを読んでください」という意味のことが書かれていて、二度ビックリ。
てか、これSFマガジンやぞ!SFMの読者に言う言葉か! 馬鹿かこのレヴュアーは!!と思いましたです。

ラノベの雑誌にこのレビューが載るのだったらよいわけです。意味が通るのです。
しかしながらSFマガジンの読者に向けてそんなことを言うのは、意図的ならばケンカを売っているとしか思われないではないですか。

と、思ったのですが、冷静になって考え直して三度ビックリ!
つまりこの一文はレヴュアーの「皮肉」(抵抗)なのではないか?

どういうことかといいますと、すでにSFマガジンの読者から、SFファンはいなくなって、ラノベファンのための雑誌になってしまっているのではないか? つまりこのSFマガジンという名の雑誌は、いまや実質ラノベが載る雑誌と化してしまった。
だからレヴュアーは、SFマガジンなのに、その読者に対して「SFも面白いんだよー」といっているのでは。
もちろんそれは表向きで、実はSFマガジンをラノベマガジンに変えてしまった編集部を暗に批判しているのです!!

そうか、そうだったのか。というわけで私は、柏崎玲央奈さんを断固支持します!!

 

「下流社会」  投稿者: 管理人  投稿日:10月 7日(金)21時14分51秒

引用

わ、知らんかった、終了してから気づくとは(ーー; →デ・キリコ展
110余点というのですから、かなり本格的だったんでしょうね。あー残念!

三浦展『下流社会 新たな階層集団の出現(光文社新書、05)、読了。感想をチャチャヤン気分に掲載しました。

編集済

 

東京はいいところさ  投稿者: 管理人  投稿日:10月 6日(木)22時49分55秒

引用

人外境主人伝言に連載中の「東京で財布を盗まれたおのぼりさんがいかに名張に帰り着いたか? 涙と笑いの顛末記」(嘘です)が面白い(^^) →[最初から読む]
面白いといっては、中さんに悪いですが、やっぱり面白いです。

ちなみに私もずっと前ですが、ディズニーランドに遊びに行った帰り、京葉線でセカンドバッグを網棚に置き忘れて下車してしまったことがあります。
すぐ気がついてひとつ隣のドアから乗って戻ったのですが、その間わずか1分弱、なんと既にもはや後の祭りでした。
このときほどつくづく、東京はおっとろしいとこだがや、と思ったことはありません。

私が常用する阪和線なんて、棚に忘れた荷物がそのまま終点の和歌山に行き、(忘れたことに気がつかず問い合わせが遅れたせいで)更に引き返して天王寺に戻ったところで、同じ網棚で確保されたことがありましたから、大阪はまだまだ田舎であります。

編集済

 

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」  投稿者: 管理人  投稿日:10月 5日(水)03時19分37秒

引用

249分、一気に観た!
わが生涯に観た映画(大した数ではないけど)のなかでも3指に入るのではないでしょうか。
映像でここまで重厚複雑な表現ができるとは……。認識を改めました。
やはり249分という贅沢のなせるところか。デ・ニーロの解釈(表現)がすばらしい。

アメリカという国は大嫌いなんですが、小説にしろ映画にしろ音楽にしろ、アメリカが生み出す文化芸術は凄い。我々日本人には足許にも及ばないところがあります。
とはいえそれは当のアメリカが、日本などこれまた足許にも及ばない底知れないディストピア、地獄そのものだからではないでしょうか。
本篇はネオリアリズモの伝統を間違いなくひき、クロサワ映画の影響を受けているイタリア人のセルジオ・レオーネ監督だからこそできたという面はあるかも知れませんが、やはりアメリカという地獄そのものが,本篇のとてつもない衝撃力の源泉であることは間違いありません。
ああ、もう一回観たくなりました。

 

日本版ポリティカルコンパス  投稿者: 管理人  投稿日:10月 2日(日)16時14分40秒

引用

石原藤夫先生の掲示板(9/30の記事)経由で、私も回答してみました。
     ↓
  日本版ポリティカルコンパス

政治的な右・左度(保守・リベラル度)−0.8
経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)−2.04
あなたの分類はリベラル左派です。

――となりました。

政治的価値観は、-0.8ですからほとんど中道。
経済的価値観は-2.04で、やや経済左派(政府介入派)

という結果でしたが、経済問題は、石原博士同様、質問そのものに矛盾があるように感じました。
その結果私の回答もかなり矛盾した、自信のないものとなった。というか、自信がないのは自分が市場経済に対してまだ態度を決めかねているからかも知れないと気づく。つまり、この歳になって恥ずかしい限りですが、まだまだ意志決定に必要な知識量に達していないということなんでしょう。もっと勉強しなければ。

編集済

 

予約  投稿者: 管理人  投稿日:10月 2日(日)11時37分5秒

引用

>『どんがらがん』
bk1だと、10/5発売なんですが2205円。amazonにすれば、10/26になるけど1995円で買えます。
うーむ、早く読みたいんだけど安くも買いたい。悩むなあ(ーー;

編集済

 

動物園  投稿者: 管理人  投稿日:10月 1日(土)23時25分33秒

引用

大西ユカリさんがラジオで、「子供のころあんなにワクワクした動物園も、大人になってから行くと、切ないものがある」とおっしゃってましたが、けだし至言ですね。

メゾン・ド・ヒミコ
柳生真加さんによれば、所与志夫のにおいがする映画だそうです(^^;
映画はさておき、そういえば所与志夫の新作、ずいぶん長いこと読んでないなあ。また読みたいなあ>柳生真加さま。

そうそう、柳生さんには東北っぽい創作民話を希望(^^;。「大男」、よかったっす。

編集済

 


過去ログへ

 

 

inserted by FC2 system