ヘリコニア過去ログ2005年12月)

 


 

よいお歳を  投稿者: 管理人  投稿日:12月31日(土)19時12分15秒

引用

2005年もあとわずか。
今年(1月〜12月)刊行された書籍で、私が読んだ限りでのベストを発表しておきます。

<小説部門>
@シオドア・スタージョン『輝く断片』大森望編(奇想コレクション、05)
Aアヴラム・デイヴィッドスン『どんがらがん』殊能将之編(奇想コレクション、05)
BR・A・ラファティ『宇宙舟歌』柳下毅一郎訳(未来の文学、05)
Cフィオナ・マクラウド『かなしき女王』松村みね子訳(ちくま文庫、05)
Dブルーノ・シュルツ『シュルツ全小説』工藤幸雄訳(平凡社ライブラリー、05)
(次)ピーター・トレメイン『アイルランド幻想』甲斐萬里江訳(光文社文庫、05)


 @ABは何も言うことなし。
 CDは復刊ですが、いずれも忘れられてはならない作家であり広く読まれて欲しい傑作集。
(次)はケルトなるものを現代に復活せしめたその切り口が秀逸でした。

<非小説部門>
@廣野由美子『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』(中公新書、05)
A下楠昌哉『妖精のアイルランド 「取り替え子」の文学史』(平凡社新書、05)
B高井信『ショートショートの世界』(集英社新書、05)


 @は、「フランケンシュタイン」というテクストを、骨までしゃぶり尽くしており、小説とはこのように読みたいものだと強く感嘆しました。
 Aは、通常いわれている「ケルト」なるものが、ある意味「虚構」であることを明らかにしており、目からうろこが落ちました。
 Bは、ショートショートという小説形式の、他に類例のない完全教科書。今後とも類書はあらわれない(増補版はありうるかも)と思われますので、生まれたばかりの本ですが「古典」といって過言ではないでしょう。読書家ならば必携。

今年もご来訪ありがとうございました。来年もよろしく。

編集済

 

間違えた  投稿者: 管理人  投稿日:12月31日(土)02時18分0秒

引用

ブルーシャトーのコード間違いを訂正。
  ↓

 

MIDI総集編  投稿者: 管理人  投稿日:12月30日(金)21時20分53秒

引用

ドラムスの有無で、音の厚みがぜんぜん違ってくるんですね。
実際に触ってはじめて気づきました。
というわけで、ドラムス強化バージョンに作り直して見ました。
どんなもんでしょう(^^;

@ブルーシャトー
A真っ赤な太陽
B虹色の湖
C雨をみたかい
D北国の青い空
E京都の恋
F恋のハレルヤ

編集済

 

久しぶりに  投稿者: 管理人  投稿日:12月29日(木)23時20分25秒

引用

MIDI>京都の恋

 

最低限の一貫性  投稿者: 管理人  投稿日:12月28日(水)20時03分58秒

引用

武生尼さん

>聡明な管理人様
そういう皮肉は言わないように(ーー;

「夜幣賀岐」の所在ですが、全然判っていませんでした。安来市内に比定されるんだろうな、とは想像しておりましたけど(^^;

饒速日をニギハヤシと読むのですかあ?
うーむ、私はハヤは「隼人族」、ヒは通説どおり、といいますか半村良のいうとおり、カミムスビ、タカミムスビと同じムスヒ(産霊)の「ヒ」だと考えたいです(こちらの松岡正剛の解説をお読みください→「産霊山秘録」)。

つまり「ハヤ(隼)」族の宗教的リーダーという意味で、おそらくこのニギハヤヒ部族は神武部族に先立って九州より攻め上った隼人の一部族ではないでしょうか。

ということはつまり私は、神武ももちろん隼人部族の一部族長で、ニギハヤヒに遅れて東上し、登美のナガスネヒコ(中曽根彦)と組んで河内・北大和に拠点を築いたニギハヤヒを破り、さらに三輪方面に攻めいった部族の長だったと考えているのです。
それが証拠に、本名のヒコホホデミの「ミ」はミミ(耳)の省略で、もとより「ミミ」(耳)は隼人族の首長家の称号です。
神武の子はタギシミミ、ヌナカワミミ、ヤイミミなどとなっており、この辺まだ神武部族の隼人的一面が強く残存しています。

さてこのタギシミミですが、神武がまだ九州にいる時に、薩摩阿多隼人族の女アヒラツ姫に産ませた子ですから、神武軍団譜代の隼人族の総大将。
ヌナカワミミは、母親が大物主神の娘となっていますから、神武が大和平定後に新たに従った三輪一族の総大将です。
タギシミミの謀反として古事記に描かれた事態は、神武麾下の隼人に対する大和の旧支配者のアンシャンレジームの企てだったんでしょう。

ではそもそもの隼人族の出自は、と申しますと、これは台湾高砂族の類縁で(高砂族の一部族にアタヤル族があります。阿多隼人の本貫なのかも)、南西諸島伝いに北上してきたマラヨ・インドネシア系海洋民族の一分派と考えたいですね。武生尼さんはどう思いますか?

あ、すみません。話がそれてしまいました(^^;
武生尼さんのお説は、前回は音でしか示されてないヤクモに八雲という意味を付会したのは後世の合理化であるとし、ヤクモという「音」に立ち還って「焼く母」を導出したわけです。これはなかなかあざやかでした(^^;
ところが今回は、ヤヘガキを八重垣と合理化した通説を採り、その上で「八重」は「八つ」であると持っていったのは、残念ながら一貫性がないといわざるを得ません。前回と今回の書き込みは繋がっているので、これはいただけませんね(別の論文ならばオッケーですが)。
とうわけで、今回は不発だったと思います。これに懲りず、次回を楽しみにしていますね!

 

聡明な管理人様  投稿者: 武生尼  投稿日:12月28日(水)03時46分31秒

引用

 のっけから「ひつれいしました!」と
やられると、これから書くことがバレバレのようで多少恥ずかしいぐらいです。
「ひつれい←→しつれい」の変換は現在の江戸弁と標準語に残るものです。
古代にも、「ひ」を「し」と発音することで意味がまざまざと復元されるもの
があるのです。例えば饒速日(にぎはやひ)命、天穂日(あめほひ)命などです。
これを変換すると「にぎはやし」や「あめほし」ということで、「慌しく素早く
過ぎていった」とか「どちらかといえば受身で雨乞いをする」という神性を象徴
することがよく分かります。

 ところで宿題として出しておいた、「夜幣賀岐」とはどこかということですが
管理人さんもすでに見破られているとは恐れ入りました。八重(やえ)、とは八つ
「やつ」と変換できるのです。十二単(じゅうにひとえ)が十二の重ね着を一つの
衣として着こなすということと同じですね。
 すると「やえがき」とは「やつがき」であるということになります。この
「やつがき」とは出雲国風土記に記載の暑垣烽(あつがきのとぶひ)があったとこ
ろで現在の島根県安来市飯梨の車山付近だということを示しております。

 管理人さんは分っていらっしゃいますが、その他の閲覧者に分りやすいように
解説しましたが、蛇足だったら削除願います。

 

「肉桂色の店」  投稿者: 管理人  投稿日:12月27日(火)22時37分49秒

引用

『シュルツ全小説』のうち、「肉桂色の店」(第一短篇集)を読了。
幻想小説のオールタイムベスト級の傑作!
私は15年前に、恒文社版で一度読んでいる。比較してみたところ、訳文は小さな訂正がかなり施されてあるようだけれど、微修正にとどまり大枠差異はなさそう。
それにしてもこんな凄い作品が全く評価されなかったというのだから(恒文社版工藤幸雄のまえがきによれば、「肉桂色の店」の出版で、シュルツは一文の収入も得なかったらしい)、この世は不条理である。それをいうならカフカがその典型なんだけど、その意味でもポーランドのカフカという評は当っているのかも。
本篇は、短篇集というよりも「父」をめぐる連作長篇であり、北野勇作や深堀骨に通じる「町サーガ」でもある。
ゴキブリの群れに身を投じて床の隙間に消えてしまう「父」の幻像が凄まじい。(「あぶら虫」)

つづいて「砂時計サナトリウム」(第二短篇集)に着手の予定。こちらは恒文社版では抄録だったので、とてもたのしみ。

編集済

 

うなり音による幸福感  投稿者: 管理人  投稿日:12月26日(月)21時08分58秒

引用

かんべむさしさんが、HPの『理屈は理屈 神は神』 続考篇で、「唱える」ことの意義について考察しておられます。
その意義の2番目として「うなり音」による幸福感を挙げておられますが、これはよく判ります。

法事などで坊さんのお経を足を痺れさせながら聴いていますと、しかも木魚を単調にたたかれ、あるいは鉦をカンカン鳴らされますと、耳の中でうなりが生じてだんだんと意識がモーローとしてき、何となく魂がどこかへ飛んでいってしまったような、直接そこにいないような、妙な「間接感」を伴った「気持ちよさ」を感じることがあります。
こういうのを宗教的法悦と昔の人(今の人もそうでしょうが)は感じたのではないでしょうか。

ところが、この法悦感は、私の経験に照らせば、ロックコンサートの大音響に晒された時に感じるのと全く同じものなんです。
学生時代、たまたま巨大スピーカーのまん前で聴いたことがありましたが、その時などは、ベースの重低音が内臓を揺さぶりこねくり回すわ、ドラムスの叩くリズムが音の矢となってビンビンと体に突き刺さってくるのが、「波形」として感じられたような気がしたものでした。

当時つきあっていた彼女と「これではロックツンボになるね」と話したことが懐かしく思い出されます。実際のところ私は、そういう体験の積み重ねでロック難聴になってしまいましたが、いまはそういう話をしているのではなく、ロックコンサートの巨大な音響に包まれることで、上に述べた宗教的法悦と全く同じ効果を実際に感じたように思いました。
この境地はまた、フォークソングの集会で、大勢で唱和したりする場合にも生じるように思います。

お経を大勢で唱える、そのときに鉦や太鼓があればなお望ましいわけですが、その行為は、おそらくロックコンサートやフォークの集会で一般の若者が一体感的幸福感を感じるのと全く同じメカニズムではないでしょうか。
「うなり音」によって脳が思考停止状態に陥り、幸福感を感じるのは、一種エンドルフィン効果なのかもしれません。

昔も今も、宗教的善男善女という人々は、皆が皆宗教的教義に帰依しているのではなく、唱和による一体感多幸感こそを求めているのではないでしょうか。おそらく現代のロックにはまる若者と何ら違いはないのでしょう。ふつうの一般の善男善女にとっての宗教なんて、けっきょくのところそういうものなのでは?

その意味で、
もっとも、そうなると宗教である必要はなくなり、皆でハミングしたり、
未知の外国語の歌を唄いつづけたって同じことになるはずだけれど


というかんべさんの考察は、私にはまさにそのとおりなのではないか、と感じられます。と書くと、かんべさん的には首を傾げられるかも判りませんが。

編集済

 

リアルとリアリティ  投稿者: 管理人  投稿日:12月26日(月)00時46分55秒

引用

かんべむさしさんがHPのふりーめもに、『男たちの大和』を見られた感想文をお書きになっています。

実はSFMの影響で、小説における「リアル」と「リアリティ」について思いついてはいろいろ考えているのですが、このかんべさんの感想文が、実に好都合なことに、「リアル」と「リアリティ」の関係が隠れテーマとなっていたのでした。
とりわけその5)が、説明のために実に都合のよい例文でしたので、少し引用させていただきます。

5)出撃にあたって艦長訓辞を聞き終えるや、それに応えて士官、下士官
から水兵までの総員が右腕を突き上げ「おおっ!」
それはないでしょう。一瞬ながら、あそこでリアリティが崩れて
安っぽくなりましたぜ。それとも、あれは事実ですか?


私は、上のシーンが「事実」であるかどうか判断する知識は持ち合わせていませんが、絶対になかったと言えないことは間違いありません。
通常ならば、こういう場面で「右腕を突き上げる」ような習慣は、帝国海軍にあったとは考えられません。
しかし乗組員の気分が異常に高揚した結果、突発的にそのような行為が自然発生的に起こらなかったとはいえないと思います。
かんべさんが「あれは事実ですか?」と問われたのは、そういう「通常ではありえないはずの」無意識的突発的偶発的な事態を想定されたのだと思います。

ことほどさように、現実「リアル」は、形式的論理的には起こり得ないことがまま起こり得るものです。実際、何が起こるか判らないのが現実ではないでしょうか。
そして一方、上の事実「リアル」は、海軍あるいは艦船上のしきたりからみれば、ありえない事態といえます。これが「リアリティ」です。

つまり上のシーンが現実に起こった事実だと、とりあえず仮定しましょう。そうしますとこの事実は「リアル」ではありますが、「リアリティ」のない事実であるということになります。

「事実は小説より奇なり」とはかかる事態を表現したものだと思うのですが、まさにそのとおりなのであって、その現場にいた人にとってはリアルそのものの「事実」も、その場に居合わせなかった人にとっては「リアリティ」が崩れた嘘っぽい、それこそ「安っぽい」ものに感じられる場合があり得る訳です。

で、「小説」あるいは「フィクション」におけるリアルとリアリティの問題です。
上のシーンがかんべさんを萎えさせたのは「リアリティ」が崩れていたからで、小説的見地からいえば、そのようなシーンは(たとえ事実であっても)そのまま書いてしまってはいけなかったのです。

つまり「リアリティ」は「リアル」よりも許容範囲が狭いのだと思います。何でもありなリアルに対して、リアリティには因果が求められます。
「リアル」ではない小説が「リアル」そのものを芸なく提出しても、リアリティがないというカタチで読者に許容されない。小説は「リアル」を加工して、そこに「リアリティ」を発生させなければ、小説を書いたことにはならないのではないでしょうか

小説は、よしんば或る「リアル」の異常さを映したいのであっても、その唐突な(現実には無意識的突発的に起こった事態である)「リアル」に行きつくまでの道筋を、読者が受け入れられるように伏線を張り因果を明確に付けなければならない。

例が悪いですが、9.11の飛行機が貿易センタービルに突き刺さった映像を見た人は、その時皆「ありえない」と思ったはずです。それはあまりにリアリティのないシーンでした。しかし現実「リアル」だったのです。その後いろんな情報が入ってき、解説を聞くことで、私たちはその「リアル」に「リアリティ」を付加していったのではなかったでしょうか。

「男たちの大和」はフィクションですが、フィクションであるからには上のシーンがたとえ「リアル」であったとしても、観客が受け入れられるよう、たとえば「こういうシーンは考えられないのだが、気分の高揚が自然発生的に乗組員にこのような行動を取らせたのである」といったナレーションを入れるとか、伏線で予想させるとかする必要があったのだと思うのです。

翻ってSFMが唱道する「リアルフィクション」ですが、この形容矛盾的ヌエ的な現実の作物(さくぶつ)が胡散臭く(少なくとも私には)感じられるのは、まさに21世紀の「リアル」なのかもしれないが、それを芸もなくぽーんと提出されても、現場にいない(つまり世代の異なる)読者には「リアリティ」の崩れた安っぽいまがい物にしかみえませんぜ、という感じを否めないわけです。

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「夜明けの口笛吹き」  投稿者: 管理人  投稿日:12月25日(日)15時31分23秒

引用

ピンクフロイド「夜明けの口笛吹き」(1967)を聴いています。
これはピンクフロイドのデビューアルバムで、最初「サイケデリックの新鋭」というLPタイトル(邦題)だったはず。
サイケデリックという言葉を敬遠して、聴いたことがなかったんですが、ツタヤにあったので借りてきた。
なんだ、とてもよいではないか(^^;
このアルバムはシド・バレットが参加した唯一のアルバムだそうで、そのシドがリーダー格で作られている。
これを聴いて、シドがポップ志向であったことが分かりました。もっとぐじゃぐじゃした作風かと思っていたのだ。ポップ志向といったって、ピンクフロイドですからふつうのポップミュージックになるはずがない。アルバート・アイラーが南部民謡を吹いたって、ふつうの民謡にならないのとよく似ていますね。
ただ、ビートルズの影響が認められて意外だった。とりわけサージェントペパーズと似たようなフレーズやメロディが痕跡として残っているように感じられて、おや、と思いました。

で、調べたら、サージェント・ペパーズも67年だったんですね。というわけで、対応関係は確実にあるとは思いますが、前後関係は特定できませんね。案外ビートルズがピンクフロイドというかシド・バレットサウンドを取り入れていたりして。

 

それでも  投稿者: 管理人  投稿日:12月24日(土)00時47分48秒

引用

少なくとも北部九州や畿内では1対9とか3対7状態だった事実は変わらないはずです。
しかも弥生以降の農耕化で人口流動性は縄文よりもむしろ低下したと思われますから、畿内や北九州では混血率はそのままに人口を増加させ(弥生時代は西日本の時代ですよね。東日本より西日本の人口増加の方が甚だしかったのではなかったでしょうか)たのだとしたら、やはり人類学者の説も等閑視することはできず、それなりの有意性があるのではないか。
――とりあえずメモ。

 

すこし判ってきた  投稿者: 管理人  投稿日:12月24日(土)00時13分42秒

引用

あ、そうだ!というわけで(どんな訳だ?)、中野善夫さんのお作りになったブログ自動作成機○×のことならプロジェクト Ver 0.1に、キイワード「弥生の人口」を入れてお任せしたところ(ここ)、次のようなコンテンツを教えてくれました。→今日の学説

これは九州大学関係のHPのようですが、石原博士の所謂「さいきんの考古学的研究」がここで解説されていました。

なるほど人口増加率が1%を超えることもありうることや、人類学者の「人骨の形質変化からは少なからぬ渡来人が想定される」説が、(縄文人)母集団の小さい西日本あるいは北部九州での調査結果を、全国規模に拡大解釈してしまっている可能性が指摘されていますね。
うーむ、これはなかなか明解ですな(汗)

しかし、それにしても恐るべし「○×のことならプロジェクト」(^^;

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縄文からみた弥生の人口  投稿者: 管理人  投稿日:12月23日(金)19時27分51秒

引用

小山修三さんの講演→縄文からみた弥生の人口

講演は平成12年11月5日、日本人類学会公開シンポジウムで行われたようです(→http://wwwsoc.nii.ac.jp/jinrui/sympo/h12symp.htm)から、いまから5年前なのですが、もう古くなっているのでしょうか?

小山さんの本が見つからないのですが、山口敏『日本人の祖先』(徳間文庫)に簡単な記述がありました。本書は1990年の出版で、15年前になります。
199pの補注六より要約します。
埴原和郎は在来系と渡来系との混血率は1対9ないしは2対8だったろうと推定した。
この混血率を目安にして小山修三は縄文時代の人口75800人が、千年後の古墳時代末に約540万人にまで増えるためにはどの程度の渡来者数と人口増加率が必要だったかをコンピュータシミュレーションし、平均増加率を0.2%として渡来者数約150万人という数値を導き出した。
またロシアの人類学者コジンツェフは古墳時代人の混血率を推定し、縄文系3に対し大陸よりの移民7という結果になったと報告している。


しかし混血率1対9とか2対8とか3対7となりますと、混血どころの話ではないですね。ほとんど入れ替わってしまったといえるのでは?

石原博士は
>日本人の血統自体が激変したことはないであろう
と記しておられますが、この5年間にそのような研究結果が発表されたのでしょうか?
どなたかご教示いただけたら幸甚です。

ところで、最近ワードがまじめに変換しやがらないのですが、なぜでしょう? すねているのかな・・

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縄文・弥生交代説の退潮?  投稿者: 管理人  投稿日:12月22日(木)23時08分3秒

引用

石原博士の掲示板《日本の伝統文化を大切にしよう》の12月19日の記事で、石原博士は、「縄文・弥生交代説の退潮」と題して、大陸からの大集団の流入がなかったというのが最近の定説、という内容の投稿をされています。

私はオンタイムでアンテナをはっているわけではないので最近の古代史を知らないのですが、そこまで決定的なんでしょうか?

うろ覚えで書きますが、元国立民族学博物館の小山修三さんの説では、縄文人は東日本に偏っていて西日本はほとんど真空状態だった、そこに半島から弥生系の人々が流入し、その結果縄文人と同数あるいはそれ以上の人口が西日本に住みついた、というものだったと思うのですが、私は読んで非常に説得力があると思ったのですが、その説はいまや決定的に否定されたのでしょうか。

そういえば石原史観はある意味反京大(民博)学派的ですよね。
小松先生は石原史観を読んでいらっしゃるのか知らん。小松さんの性格からしても、派手な大陸からの民族移動があったという説の方に親近感をもっておられそうな感じがするんですが……。

 

「せまい谷」  投稿者: 管理人  投稿日:12月22日(木)00時04分41秒

引用

らっぱ亭さん

らっぱ亭さんらしいセレクションですね。
>この卑しい地上に
おお、私はSFMで読みました(>「このけだるい地上に」)。でもおぼろだなあ。ある土地から離れるに従って消えてしまうかなんかするんでしたよね(^^;。

私は既に変わってきておりまして(汗)、らっぱ亭さんがラファティの個別作品をあえて選ばなかったので、私も踏襲したのですが、やっぱり入れたくなりました。
なので、「霜と炎」を「せまい谷」と入れ替えようかな(^^ゞ

 

オールタイムベストSF海外編  投稿者: らっぱ亭  投稿日:12月21日(水)23時48分21秒

引用

せっかくですので、こちらにも投稿させていただきます。

長篇ベスト5
1)ユービック
2)ノーストリリア
3)夢見る宝石
4)火星人ゴーホーム
5)中継ステーション

短編ベスト10
1)この卑しい地上に
2)そして赤い薔薇一輪を忘れずに
3)ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち
4)順応性
5)跳躍者の時空
6)リアルト・ホテルにて
7)エンジェル
8)取り替え子
9)クレイジイ・プラセット
10)ぶどうの木

作家ベスト5
1)R.A.ラファティ
2)アヴラム・デイヴィッドスン
3)キャロル・エムシュウィラー
4)コードウェイナー・スミス
5)シオドア・スタージョン

 

オールタイムベストSF海外編  投稿者: 管理人  投稿日:12月21日(水)21時44分57秒

引用

某所でらっぱ亭さんがやっておられたので、私も真似して選んでみました。

海外長篇(含ム連作長篇)
1)334
2)都市
3)宇宙播種計画
4)都市と星
5)夢見る宝石
6)隠生代
7)非Aの傀儡
8)タイタンの妖女
9)火星のタイムスリップ
10)結晶世界
次)ストーカー

海外短篇(含ム連作短篇))
1)スター・ピット
2)星の海に魂の帆をかけた少女
3)死亡した宇宙飛行士
4)霜と炎
5)ピー・アイ・マン
6)アジアの岸辺
7)ナポリ
8)石環の図書館
9)ケルベロス第五の首
10)おぼえていないときもある
次)三面鏡

海外作家
1)アブラム・デイヴィッドスン
2)シオドア・スタージョン
3)サミュエル・R・ディレイニー
4)トーマス・M・ディッシュ
5)ブライアン・W・オールディス
6)キャロル・エムシュウィラー
7)バリイ・N・マルツバーグ
8)フレドリック・ブラウン
9)ジーン・ウルフ
10)R・A・ラファティ
次)ロバート・シェクリイ

明日になったら大幅に変わっていること確実です(^^)
ブラウンは名前だけでも、と。
ハインラインの月シリーズをどこかに入れたかったけど、短篇としては代表作といえるものがなく、連作としては未来史シリーズの一部になってしまうという具合に、うまくあてはまる場所がなかったのでなくなく断念。

 

 翻案する能力  投稿者: 管理人  投稿日:12月18日(日)21時49分37秒

引用

大橋さん
こういう分野を発掘し再照明しているのは、ほとんど大橋さん一人です。
がんばって続けていただきたいと思います(^^)

>リトールドやアブリッジやダイジェストによる弊害
おお、次回も楽しみです。
もちろん過去には沢山の弊害があったでしょうね。私も下手くそなアブリッジにあたって腹を立てたことがあります。
が、未来への展望を述べるならば、編集者(監修者)がしっかりして見抜き取捨選択すれば(出来るだけの権威があれば)問題ないはずなのです。
問題があるとすれば福島正実や中尾明のような優秀な人材が現在いるのか、またいるとしてもどれだけそのような人材を確保できるか、ではないでしょうか。その意味でも人脈が広く自身優秀な監修者を迎え入れるかが成否を握りますね。

 

あかね書房と少年少女世界SF文学全集  投稿者: 大橋  投稿日:12月18日(日)20時24分44秒

引用

「感想」を書いて頂いてありがとうございました。
自分の書いたものでどのような感想をもたれるのか? 「チャチャヤン気分」に飛んで読ませて頂く前までは、ドキドキものでした。『嬉しいけれど怖い』って感じですね。で、読んでみると私が言いたかったことが伝わっていたようなので安心しました。

まず、ページ数のこと、前回と変わっていません。それから〈少年少女世界SF文学全集〉と題しておきながら、ほとんど〈少年少女世界推理文学全集〉のことしか書いていなかったりします。

『サプライズ』と書いていただいた「学校図書館法の制定」のこと。皆、忘れているけど、学校に図書館が出来たのとか、児童図書出版社が活気づいたのは、この法律のおかげです。あと、ベビーブームの時代だったということも多いに関係していました。やっぱり、そういう、社会的環境がバックにあってのSFの開花だったわけなんですね。
それから「完訳主義」のこと。情熱のある翻訳者の方はほんとうにいい仕事をしていました。中尾明先生の『怪奇植物トリフィドの侵略』と『トリフィド時代』を読み比べるとほとんど変わりがないことに驚きます。福島氏の言う「精神的完訳」というのは確かにそうだなと思ったりします。

でも、リトールドやアブリッジやダイジェストによる弊害というのもあったのも事実で、それはたとえば、ジュール・ヴェルヌの作品ではかなり困った状態になったりします。詳しくは次号の〈SFJapan〉の「ジュブナイルSFにおけるジュール・ヴェルヌ」で・・・。って最後は宣伝でした(笑)。

http://www.garamon.jp.org/

 

「ゲームの魔法」  投稿者: 管理人  投稿日:12月18日(日)17時30分58秒

引用

チャチャヤン気分に掲載しました。

 

「あかね書房と少年少女世界SF文学全集」  投稿者: 管理人  投稿日:12月18日(日)14時22分16秒

引用

SFJapan(2005winter)所収の大橋博之「日本ジュヴナイルSF 出版史B 少年SFの系譜」を読みました。連載第3回目の今回は「あかね書房と少年少女世界SF文学全集」
感想をチャチャヤン気分に書きました。

 

Re:紹介をよろしく  投稿者: 管理人  投稿日:12月18日(日)11時40分34秒

引用

仁来夢さま

やあ、昨日はお疲れさまでした(^^)
昨夜は這うように家に帰り着き、バタンキューで、さっき目をさましました(あースタミナが(ーー;)。
いや楽しかったですね。

>R・シェクリイ特集やりましょうよ
ぜひぜひ。ある事情でちょうど「明日を越える旅」を読み返してみようかなと思っていましたので、渡りに舟の企画かもです。

砂の十字架>いいですよね〜 頑張ります(^^)

>紹介の件
メールさせていただきました。お返事お待ちしております!

 

紹介をよろしく  投稿者: 仁来夢  投稿日:12月18日(日)00時42分38秒

引用

本日の忘年会、楽しかったです。
R・シェクリイ特集やりましょうよ。
今日話題になったホームページ(と言っていいのかな)に紹介してください。
よろしく。
ペンネーム使ってますけど、分かりますか。
中村晃子「砂の十字架」良いです。

 

今日は畸人郷忘年会  投稿者: 管理人  投稿日:12月17日(土)15時23分44秒

引用

もうすぐ出発します。
しかし寒いのう。車で出かけようかな。
と思ったところで、はっと思い出した。そういえばお昼前車で走っていたら、やたらと警官が多かったんや……。
やっぱり電車で行こう(^^;

 

居高(?)のクレーン  投稿者: 管理人  投稿日:12月16日(金)21時49分10秒

引用

見にくいですが、中央の高層ビルの屋上にクレーンが設置されています。
あんな高い所にどうやって設置したんでしょうか?
吊り上げた? 吊り上げるにはクレーンが必要なので、これは自家撞着。
ヘリコプターで運んだ? こんな重機ヘリコで運べるでしょうか?
材料をエレベーターで運んで屋上で組み立てた? うーむ、これが正解かなあ……
三球師匠ではないですが、気になって夜も眠れなくなってしまいそうです(^^;

*** 中央大通り弁天町付近にて撮影 ***

編集済

 

シェクリイ逝く  投稿者: 管理人  投稿日:12月14日(水)19時07分13秒

引用

ロバート・シェクリイが亡くなったことは、森下一仁さんのブログで知っていたのですが、いろいろ忙しくてここ数日書き込み出来ませんでした。
あらためてシェクリイさんのご冥福をお祈りいたします。合掌。

それにしても、シェクリイ逝去に関するコメントは、私がネットを巡回する限りでは、上の森下さん以外には誰も取り上げておりませんね。今の若いSFファンは、あのシェクリイ体験をしていないのでしょうか。

私が「エスエフ」ということば(聴こえてくる音)から即座にイメージするのは、大体シェクリイが書くようなSFです。(ちなみに「SF」という文字からは、クラーク系のハードSFがイメージされます)。
ことほどさように、私にとってシェクリイ体験は私のSF観に大きく影響を与えたわけですが、どの作品がよかった、という影響ではなく、その筆法、対象の切り取り方、歪め方そのものに、「SFとはこういうことをする(できる)小説なんだ」という風な、一種「枠組み」を教えられた(刷りこまれた)ような気がします。

現在私が観念する「エスエフ」は、どうも「SF」から排除されつつあるようで、「奇想」とか「異形」の一分野として避難先を見出している感が強いのですが、ここにいたってのシェクリイさんの逝去は、その排除の完成を象徴しているようにも思われてきます。ネットにシェクリイ哀悼のコメントが見当たらないのも、その証左といえるのではないでしょうか。

 

「チャチャヤン気分」に  投稿者: 管理人  投稿日:12月12日(月)21時30分1秒

引用

高野史緒「ヴェネツィアの恋人」を掲載しました。

編集済

 

ドラムス強化  投稿者: 管理人  投稿日:12月12日(月)02時27分22秒

引用

真赤な太陽

 

自律  投稿者: 管理人  投稿日:12月11日(日)14時57分30秒

引用

石原博士が日記(12/09▲耐震偽造 )で、どんな職業でも(統計的に)犯罪者はいるのであって、むしろそれをチェックする機関の怠慢が問題とおっしゃっていますが、そのとおりと思います。

私自身、吹けば飛ぶような自営業者ですから、主たる取引先から、たとえ暗にではあれ、不正を要求されたら、そしてチェック機構がメクラ判体質であることが判っているだったら、それを突っぱねる自信はありません。
しかしチェック機構が水も洩らさぬ体制でありさえすれば、そんなことは不可能だと言い得るでしょうし、そもそも不正の打診もありえないはず。

かといって「性善説」が悪いとも思わない。要は担当者が高潔な人格者であれば今の体制でも問題ないと思う。
先日生まれてから18年間教育の機会を奪われていた女性が救出(厳密には自力脱出を保護)されましたが、この事例も教育委員会や学校の担当者が「ふつう」の人間たちでありさえすれば未然に防げたことは明らか。おそらく同様の事例はこれまでも統計的にあった筈で、その大部分は「ふつう」の担当者が大事に到らせなかったはず。

いずれもシステムではなく、当事者の人間的資質の問題であると思います。つまり容器ではなく中身の問題。
それを問わずシステム(容器)の強化を叫ぶのは、人間的資質の問題を置き忘れたお門違いな議論だといわざるをえません。

ではどうすればいいとお前は考えるのか。ここで私は、ふたたび石原博士と同じ考えになります(^^;
つまりシステムではなく個々の人倫を厳しく問う方向です。
本来「役人」や「先生」と呼ばれる職業の方は、自らの落ち度は切腹で贖うべき。それが無理なら、このような人に限っては石原博士がおっしゃるように、「死刑を含む厳罰にするよう法改正を希望いたします」ということにならざるをえません。

本来性善説には自らを律することにおいて切腹をいとわない厳しさが契機として内包されているのであって、かかる「自律」が近代国家として適わないのであれば、厳罰をもって(その厳密な適用をもって)代替する以外にないのかもしれません。

どうも私は、愛国者というより「憂国者」なんではないかな、と最近思いはじめてきました(^^;

 

「ブラウ・ブロウ」  投稿者: 管理人  投稿日:12月10日(土)20時41分55秒

引用

土田さん
お知らせありがとうございます。

>短編小説の愉楽
期待が持てそうなシリーズですね!
私はなんといってもエムシュウィラーが楽しみ(^^)

>伊藤典夫評論集成
SFMに連載中断した「エンサイクロペディア・ファンタスティカ」が、ようやく読めるのでしょうか。実は私がはじめて自分で買ったSFMがこの連載の最終回(中断回?)だったのです。とても楽しみ。

鏡明は未完王ってだけじゃないですよ。SFMに何回か書いた(結局未完の)ヒロイックファンタジーに至っては、初回に「これまでのあらすじ」が付いていました。物語の冒頭部分の手抜きですな(^^;

>「反対進化」
>叙情性と奇想の組み合わさった世界は独特ですね
おっしゃるとおり。これがハミルトンの本領であって、じつは通俗スペオペのほうが手すさびなんではないでしょうか、量的には逆ですが。

来年も海外SFにいい風が吹きそうですね(^^)

さて、中崎町のコモンカフェ(*)にて、劇団オリゴ党の『ブラウ・ブロウ』を観て来ました。
先般上演された(私は行けなかった)『短編集』のうちの1篇で、今回はリーディングスタイルにて上演されました。
リーディングスタイルとは一種の朗読ですが、ただしひとりで朗読するのではなく、複数の役者さんがイスに坐ってそれぞれの役回りのセリフを朗読するという形式。
今回の「ブラウ・ブロウ」は、ネタを割れば、木星探査ロケットが事故を起こし、一人だけ生き残った隊員と、自我分裂をおこしブラウとブロウに分裂したコンピュータの3名(?)のセリフによる白熱のコラボレーション、インタープレイといえる。

私はすぐ作者/演出家はどんな意図で台本を書き、演出したんだろうか、と憶測をめぐらせて楽しむ人間なんですが、なぜコラボレーションといい、インタープレイと言い得るのかといえば、おそらく作者/演出家の目論見として、<理想的>には右、中央、左に位置した役者の声が、ステレオのように声が右中左を行ったり来たり、ぐるぐると回ったり、あるいは同じフレーズが左右からポリフォニックに聞こえたりする面白さを狙ったものではないかと考えるからです。そしてそれは呼吸が合っていればいるほど、また対応、応酬の速度が早ければ早いほど効果を観客に与えるのであって、その意味も含めて私はマハビシュヌ・オーケストラがやったのと同じコンセプトではないかと思いました。
それは阿吽の呼吸で見事に成功していたと思うのですが、いかんせん舞台が変形で(カフェですから(^^;)、観客には伝わりにくかったかも。本当はもっと横に長い舞台でやりたかったのではないかな。

で、そこから私の妄想が駆動しまして、出来うるならば横長の舞台に三名の役者がそれぞれカプセルのようなものに入っている。そのカプセルは瞬間的に幕が降りたり上がったりして役者さんを一瞬に隠したり現したりできる。とします。
最初コンピュータ内の2人格が、どこからともない声を聞くところから会話を始めるのですが、そのときは真ん中の役者のカプセルには幕が降りていて声だけしか聞こえない。
後半、真ん中の人物が生き残りの隊員ブルーであることが明らかになり、、それまで人間だと観客に思わせていた左右のふたりが、コンピュータの分裂人格であることを暴露するのですが、この瞬間に、左右のカプセルに幕が下り、中のカプセルの幕が上がり、ここにいたって初めて、生き残りの隊員ブルー役の役者さんが姿をあらわすのです!

いや単なる妄想ですよ(^^; もちろん小劇場は「見立て」の芸術ですから、ある意味シンプルであればあるほどよいわけで、その意味では私の「演出」(汗)は邪道であり、今日の舞台の方が正しいものであることは間違いありません。ふむ、だとすればスポットライトででも出来るかも(>まだ言うか)

このブラウとブロウの元ネタはガンダムらしいです。私はガンダムは全く無知なので、その辺の面白さは分かってないことをお断りしておきます。
また、出演なさった3名の役者さんの名前を、私は大体分かっているつもりですが、もし誤記しては失礼になりますので、あえて省かせていただきました。ご了解願い上げます。

ともあれ考えれば考えるほど、「ブラウ・ブロウ」はリーディングスタイルという形式に実にぴったりマッチした台本ですねえ。劇場版は観ていませんが、形式的にはこのような舞台にこそふさわしいお話だと思いました。

(*)コモンカフェというのは、なかなか面白いスペースです。→こちらを参照。

<追記>以上は一義的な表層レベルでの感想で、表層の下に埋め込まれた深層の主題があるのかも。大体岩橋さんの芝居はムツカシイのであるよ(汗)

フィオナ・マクラウド『かなしき女王』(ちくま文庫、05)読了。
ブルーノ・シュルツ『シュルツ全小説』(平凡社ライブラリー、05)に着手。

編集済

 

いろいろ  投稿者: 土田裕之  投稿日:12月10日(土)12時05分25秒

引用

未来の文学に続いてSF叢書というわけではありませんが
短編小説の愉楽という叢書が国書刊行会から出るようです。

ラインナップはビオイ=カサーレス、レイモン・クノー、キャロル・エムシュウィラー、
イタロ・カルヴィーノ。 それにトレヴァーっていう人があるらしいけど
これは誰だか思いつきません。
純文学寄りの異色短編集というアプローチで面白そうです。

他には少し前にこんな企画の情報も出てて、その中の何冊かが含まれていますね。
ジョン・ハリスン、浅倉久志エッセイ集、伊藤典夫評論集成、アルフレッド・ジャリ全集。

伊藤典夫氏の評論集は昔、創元か早川で予告されていた気もするけど。
最近、小説を見かけませんが鏡明氏の小説全集なんてのも良いかも。
未完が多いですけれど。
(鏡氏のエッセイ集も本の雑誌社でずーっと予告されっぱなしでしたね。)

本の雑誌の高橋良平さんの連載がまとまったら読みたいですね。
いつ終わるのかわかりませんが。

「反対進化」読みました。
最初のヒロイックファンタジーはちょっと苦笑しましたが
叙情性と奇想の組み合わさった世界は独特ですね。

 

「雨をみたかい」  投稿者: 管理人  投稿日:12月 9日(金)18時52分54秒

引用

 雨をみたかい

フリーウェアのMIDIシーケンサなので、ドラムスがないものと思っていたのですが、さっきあることを発見。
私が理解していなかっただけでした(>説明書、読まないもんで(^^;)。
しかしドラムスは難しいなあ、触ったことがないだけに特に。

ところで、私がダウンロードしたのは、ミノ式MIDIシーケンサというソフト。→http://www.vector.co.jp/soft/win95/art/se270923.html
「MIDIシーケンサ」でぐぐって、いちばん頭にあったソフトをダウンロードしました。

他と比べたことがないので、使い勝手がいいのか悪いのか、よく分からないのですが、まあ初心者としてはこれで十分ですな。
いまのところ別に不満はありません。なんといいましてもフリーソフトですし、そんなに多くを求めているわけではないですし。
昔やりたかったコンボ演奏の真似事が出来たら満足(^^)

 

電子版火星シリーズ  投稿者: 管理人  投稿日:12月 6日(火)21時02分29秒

引用

や、野田大元帥訳の火星シリーズが電子書籍で出ているではないか!→『火星の秘密暗殺団』
いわずと知れた懐かしの「講談社版」火星シリーズの1冊ですね。
私がはじめて読んだ火星シリーズでもあります。で、つい最近まで講談社版は野田さんが全部訳していると思っていたのですが、実際はチームで翻訳されたもの。(こちらを参照)

というわけで、電子出版で講談社版が復刻されたのかと一瞬喜んだのですが、、どうも違うようです。

火星のプリンセス  小笠原豊樹訳
火星の女神イサス  小笠原豊樹訳
火星の大元帥カーター   小笠原豊樹訳
火星の幻兵団  小西宏訳
火星の交換頭脳    小西宏訳
火星のチェス人間   小西宏訳
火星の秘密兵器  北川幸比古訳
火星の秘密暗殺団 野田昌宏訳


うーむ、7の北川訳と8の野田訳は講談社版に間違いありませんが、1〜3の小笠原訳は角川文庫版が元版のようです。で、4〜6の小西訳は当然創元文庫版でしょう。
3種の元版から集めてきているのです。

これはどうなんでしょう。私は良いとは思いません。なぜなら訳語がそれぞれの版で異なると思われるからです。
角川文庫版は未読なので措くとしても、たとえば創元版のワフーン、プタースは、講談社版ではワルフーン、プタルスだったはず。電子出版の段階で統一していれば問題ないのですが、たぶんそのままなのではないか。

なんでこんなややこしいことをしたんでしょうねえ。講談社版の1〜6にはなにか欠陥があったのでしょうか?
 *ちなみに講談社版の翻訳は、1=亀山龍樹、2=塩谷太郎、3=矢野徹、4=福島正実、5=都筑道夫、6=中尾明、9=南山宏、10=内田庶、みんな当時としては一流の翻訳家ですよね。

 

藤野恵美さんの新刊  投稿者: 管理人  投稿日:12月 4日(日)21時47分39秒

引用

藤野恵美さんの新刊が出ました!→『ゲームの魔法』(アリス館) 【bk1】、
こちらは編集さんの→紹介文

 
アトピー検査のため入院したきなこは、長期入院の紗雪をみつける。面会謝絶の紗雪と友だちになるため、きなこはアドベンチャー・スター・オンラインゲームの扉をあけた…。ふたり一緒ならどこでも行ける! 入院中の冒険物語。(bk1内容説明より)

羽住都さんの(いま風ではない)ジュブナイル原点回帰っぽい絵がいいですねえ(^^;

「ただ問題があるんじゃ」
「なんやなんや」
「この本、1470円なんじゃ」
「A5版ハードカバーの児童書やからな、そんなもんやろ」
「違うんじゃ、1470円は1500円に30円足りんのじゃ」
「なんじゃ、そら?」
「あーあーつらいのお! 1500円以下の本は送料がかかるんじゃ〜(泣)」
「それやったらもう1冊足して買うたらええだけやろが」
「そういう手があったんか〜、あーあーすまんのおッ!」

編集済

 

北国の青い空  投稿者: 管理人  投稿日:12月 4日(日)15時18分52秒

引用

ヴィブラフォン導入改訂番

 

MIDI  投稿者: 管理人  投稿日:12月 3日(土)22時07分10秒

引用

 北国の青い空

アップロードできなかったのは、無料HPの容量オーバーだったせいでした。
とりあえず不要な画像などを削除したらアップロードできましたが、はて今後どうしましょうか、、、

編集済

 

「かなしき女王」  投稿者: 管理人  投稿日:12月 3日(土)18時28分11秒

引用

「北国の青い空」をMIDIで作った。のですがなぜかアップロードできません。
もうひとつ、ふたつ、みっつ、だったので、まあいいか。
とはいえ、うーむ限界を感じ始めてきたぞ。フリーソフトの限界ということにしておこう(^^;

>『かなしき女王』
「海豹」と「女王スカァアの笑い」を読む。
のっけから濃厚な花の香りにも似た、むせかえるようなケルト的世界にどっぷりと沈潜する。
前者はケルトの浜辺に展開する一語の無駄もなく彫琢された散文詩のような神話的世界。
後者も神話的様式美の極致ながら、ラストの樫の木にたわわに実った屈強な男たちの図は、まさに狂気と背徳の浪曼主義の強烈な香りに充ちている。

 

 

日本の戦争映画  投稿者: 管理人  投稿日:12月 2日(金)20時05分33秒

引用

今朝の朝ミラで、武田鉄矢さんが「感動」をキイワードに、 「亡国のイージス」や「火垂の墓」などの戦争日本映画の問題点を挙げていて興味深かった。
「火垂の墓」がなぜに、と一瞬思いましたが、よく考えてみれば、確かにある意味、一面的な空襲の被害者の立場に密着したつくりになっており、「感動」した観客が、そういう空襲を行った「敵国」を憎悪するあまり、そのような空襲が何故日本にもたらされたかという客観的な認識がすっとばされ、結果的に「空襲の被害者である個人」が、「空襲の被害者である日本」にずれ込んでしまい、いわばなし崩し的に「戦争を引き起こした日本」が視野から消え去り、「戦争で虐められた日本」だけが強調されて観客の意識に残ってしまう危険性を、あの映画のつくりは持っていますよね。

「亡国のイージス」は論外ですが(笑)、口当たりがよく集客しやすい「感動」を担保にする日本映画の問題点が私の中で明確化されました。

今週あたりの武田鉄矢さんは、人気はない方がいいとか、人が集まってくるものは用心した方がいいとか、なかなか含蓄があります。なんばしょっとかと思うとったが鉄矢、ちっとば見直したぞ鉄矢!(^^ゞ

フィオナ・マクラウド『かなしき女王』に着手の予定。

 

「騎馬民族国家99の謎」  投稿者: 管理人  投稿日:12月 1日(木)21時36分13秒

引用

松崎寿和『騎馬民族国家99の謎 日本の民族・文化・国家の起源(サンポウブックス、76)、読了。

これは時代を感じますね。劈頭に著者は、自分は
「江上波夫氏の騎馬民族国家説に左衽するものだ」 と高らかに宣言しています。そういえば70年代は騎馬民族征服説に代表される「東アジア史の一環としての日本史」が一世を風靡していました。
かくいう私も、豊田有恒さんの『倭王の末裔 小説騎馬民族征服説を読み、古代史への興味を啓かれたものでした。

本書は、まさにゴリゴリの騎馬民族説「原理主義」者による古代史論ならぬ、古代史「読み物」(^^)
読み物だけに、論証をすっ飛ばして著者の「ファンタジー」が語られていたりして、初心者にはやや危険かも。いや読み物だからそれでいいのかな。たとえば騎馬民族原理主義者として「鯨面文身」を江南と関係付けたくないからだろうが、
「倭人のイレズミはなにを物語るか。それこそ、紀元前後の日本にはまだアイヌ人が広い範囲に住んでいたということにほかならない」などと無茶なことが書いてあったりする(^^;

そういう勇み足に目をつむれば、押さえるところはきちっと押さえてあって、コンパクトなよい本といえよう。
それにしても、徐福の項目などは、ほとんど小説の一節みたいになっているのはご愛嬌かも。
今や大っぴらに唱える人が殆どいなくなってしまった感のある騎馬民族説が、まだ元気だった頃が懐かしく思い出されて、わたし的にはけっこう楽しい時間を過ごせました。

 


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