ヘリコニア談話室2006年1月)

 




「ディアスポラ」①  投稿者:管理人  投稿日: 1月30日(月)22時39分32秒

  引用  編集済

 

 

遅まきながら、『ディアスポラ』を読み始めました。
ていうか、 こたつの上に積ん読状態の「ディアスポラ」に手が触れたので、なんとなくパラパラと捲っていたら、面白くなって第1章「孤児発生」を読んでしまったのでした。

イーガンが現象学的な人文・社会諸科学の素養があることは、『祈りの海』でもよく表れていましたが、この章で扱われるヤチマの誕生(創出)から「我の自覚」までは、まんま(現象学的)社会学が明らかにしたところの「自覚の後至性(私の発見、構成される私)」の電脳的再現なんですね。

しかもこの「孤児」ヤチマは、『都市と星』における「ユニーク」アルヴィンに対応するものであることは、まず間違いなくイーガンによって意識されているでしょう(そしておそらく、同じ機能を持たされることになるのでしょう)。

クラークは当時のサイバネティックス・情報理論から「ユニーク」を設定したんだったと記憶していますが、それがとりもなおさず構造主義的文化理論における「マージナルマン」に重なる概念だったのと同様に、本章のラストで、電脳的存在であるヤチマの
(これを考えているのは誰だ?
 わたしだ)

に至る契機は、ヒトが、社会の中において模倣から始めて「我」を構成していく過程を社会学が考究した契機に重なります。

本章においてヤチマ(となるもの)は、まず自分というものを認識していません。イノシロウがいいます。
「おまえ、自分が誰かわからないのか? 自分自身のシグネチャーを知らない?」

生まれたばかりの赤ちゃんは、自分の範囲がわかりません。世界(環境)と身体的自己の境界線がない。
かかる自他未分化な状態からまず他者(他我)が分化され、その他者を鏡として自我が析出(構成)されるわけですが、かかる事態に対応するのが、「孤児」が「四人目の市民」を「見」れるようになることです。これこそG・ミードの「me」が構成された瞬間であり、身体的自己が環界から分離する契機であります。
このような過程を経て、ようやくヒトは「私」を獲得するわけです。

本章において、「私」は「社会」において構成される(社会でしか構成されない)、という事態が電脳的に再話されており、こうして「私」を獲得した「孤児」・「ユニーク」たるヤチマの今後の冒険(おそらく社会の根源的理解)が描写される「基礎」が示されたのだと思います。

 




モダン神戸の夜  投稿者:管理人  投稿日: 1月29日(日)15時26分16秒

  引用  編集済

 

 

三宮に着いたのが、1時50分。うまくいけば間に合うかもと思いながら北野天満宮をめざすも、どうも道が違うような。神戸は南北に傾斜しているから、原則登り道でなければならないのに、ずっと平坦な道が続き……や、六甲山脈が右手に見えているではないか。つまり北に向かうつもりがいつの間にか西へ向かっていたらしい。

あわてて、とりあえず山並みの方角(坂道を上がる方向)に進路を変更する。
神戸の町の北のどんつき(突き当たり)に所在することは覚えていたから、そこに突き当たってから東行すれば、おのずと行き着くであろう、と高を括っていた。
道は次第に角度を変え、やがて峻険な上りに。この寒いのにじっとり汗まで出てくるのであった。
ゼイゼイ息をつきながら(思惑通り)ドンつきに達し、東へ向きを変える。そのうち異人館街らしき風情になり、少し安心するも、北野天満神社は見当たらぬ。
実はそのドンつきからまだもうひとつ階段を上がらなければならなかったのだ。それに気づくまで、更に神社の下の道を行ったり来たりしてしまう。

なんとか神社に到着したのは、したがって2時20分頃。30分近くもさ迷ってしまった。

既に南湖さんの「さやま遊園」は終わり、林家卯三郎さんの「河豚鍋」が始まっていた。「河豚鍋」はこの季節の定番の演目ですな。何度も聞いていますが、何度聞いても面白い。

つづいて笑福亭仁智さん。近鉄バファローズ関連ではよくお見かけするのですが、落語を聞くのは初めてかも。
新作なのでタイトルは判らないが、尾羽打ち枯らしたヤクザの親分と一人だけ残った子分のふたりが、なんとかアブク銭にありつこうといろいろ画策し、その都度ドジを踏むというパターンの繰り返し無限上昇型落語。
いやこれは可笑しかった(掘り出された豊臣の壺から雑巾が出てくるやつは、3秒くらい考えてしまいましたよ→Myゾーキン(^^ゞ)。
何度も掛けていると見え実によく練りあがっている。(省略が効いていて)とんとんと快調。この省略によるたたみかけは、福笑さんのお弟子さんのたまさんの新作にも感じたのだけれど、笑福亭の芸風なのかな。

トリはふたたび南湖さん。予定では「山内一豊と千代」だった筈が、いざ始まってみると、「荒大名の茶の湯」。うむ、これはまさに先週の再現ではないか!?
後刻打ち上げでもかなり失望(演題と違っていたことに対する)の声が聞かれた。怒って帰る人はいなかったけど(汗)。

南湖さんの言い訳によれば、最初の「さやま遊園」の反応が悪かったので、急遽差し替えたとの事だが、いろんな意味で大事な第1回目で演目のドタ変はいかがなものか。
思うに、(笑いを取りやすい「荒大名」への変更であることから推測して)仁智さんがどかんどかんと笑いを取った直後に、ある意味単調な古典講談では保たないと思われたのかも。

以上は好意的解釈で、もうひとつ穿った解釈が考えられ、それは翌日の12時から高野山での会があり、南湖さんは打ち上げもそこそこに高野山に向かわれたのですが、先週も探偵講談の前に仕事がひとつあったことが原因だったことから推測して、高野山の方の練習が優先して「山内一豊」は間に合わなかった可能性です。

以上から更に私の妄想は広がるわけですが、最近売れっ子の南湖さんは、仕事のとりすぎで準備の時間が取れなくなってきているのではないか。そのしわ寄せを探偵講談なり昨日の会なり、「甘え」やすい所で辻褄合わせをしているのではないか。

中間雑誌系の新人賞を取った作家は、その後半年なり一年間は毎月or隔月に作品をその雑誌に掲載しなければなりません。これも新人に対する試練で、コンスタントに作品を仕上げる実力があるかどうかを判定されるわけです。ここで潰れると、見捨てられます。たとえそれをクリアしたとしても、次は他誌から依頼が来はじめ、もちろん断るなんてできませんから、またここでも試練が課せられるわけです。
いまの南湖さんはこの時期に差し掛かっているのではないでしょうか?
この時期に手を抜くと、そういう情報は一気に広まり、「やはり南湖はこの程度か」という烙印が押されてしまう。
もとより頭のいい南湖さんのことですから、そんなことは重々承知、準備おさおさ怠りなく、細工は流々仕上げをご覧うじろ、であるとは思いますが……この2週間の南湖さんには、そんな心配を覚えさせられたのでした。

さて、会場でささやかな打ち上げの後、柳生さんにつれられて、サロン・ド・あいりというお店に連れて行っていただく。→神戸新聞の記事
モダン神戸の香り漂うふしぎな空間で、上の記事にもありますが、圧巻は手巻き蓄音機のコレクション。鉄針使用のビクターで貴重なSPレコードを効かせて頂き、至福のひと時(trade Thomas A Edisonの記名がある蝋管式円筒蓄音機も聴かせてもらいました)。

SPレコードを聴きつつ、俳句と川柳について大論戦(^^;を交わし、満足して帰途につきました。いや楽しい一日でした。次回(夏頃?)もぜひ参加したいと思います。
      ↓クリックで拡大↓

 




Re: 北野亭  投稿者:柳生真加  投稿日: 1月29日(日)15時01分44秒

  引用

 

 

きのうは、神戸の港がきれいに見える北野にお越しいただいてありがとうございました。
講談も落語も面白く、打ち上げも二次会も延々とお付き合いいただいて、楽しい一日でした。よく知っているはずの三ノ宮界隈では、ちょっと回り道をしたようで、ごめんなさい。
最後に行ったお店、お気に入りのようでよかったです。またどうぞいらしてください。

http://kazenotubasa.cocolog-nifty.com/tea/

 




Re: 北野亭  投稿者:管理人  投稿日: 1月29日(日)00時11分15秒

  引用

 

 

柳生さん

今日は運営お疲れ様でした。
さっき帰還しました(>遠かった!)。
なかなか盛況でしたね(60名ほど)。次回も大変でしょうが、よろしくお願いします。

ということで、詳細は明日にでも。

 




北野亭  投稿者:柳生真加  投稿日: 1月27日(金)20時26分3秒

  引用

 

 

こんばんは。
先日の「眉村先生を囲む会」ではお世話になりました。ほんとに充実した楽しい会でした。
「北野亭」(講談と落語の会)のお知らせをありがとうございます。はるか遠く神戸までお越しいただけるとのこと、ありがとうございます。あしたが楽しみです。
それにしても、ここにきて、風邪をひいてしまいました。今夜は早く寝ようっと!

http://kazenotubasa.cocolog-nifty.com/tea/

 




明日は北野亭  投稿者:管理人  投稿日: 1月27日(金)19時43分26秒

  引用

 

 

昨日は徹夜。これで峠は越えたか。
とにもかくにも、明日はなんとか北野亭に参加できそうです。遅刻は必至ですが……

なんたって泉州から神戸はあまりにとおい。大阪湾を半周しなければならないのですから。電車で正味2時間はかかります。
単純に距離のみでいうならば、当地から東回りに大阪市内を通って神戸に到るのも、西回りに淡路島を経由して神戸に到るのも、距離は殆ど違わないはず(現実には和歌山-淡路島間の友ヶ島水道が架橋されてなければならないのだけれど)。

神戸空港ができた暁には、関空と神戸空港を結ぶ橋ができれば言うことなしなのだけれど、船舶航行の妨げになるだろう。なので私は大阪湾の海底を走る真空チューブを設置を提案したい(^^;。私が生きているうちには無理そうだな。

大体、「懐かしい未来」の基本アイテムのうち、真空チューブほど影が薄くなってしまったものはありませんな。一方の雄であったリニアモーターカーは愛知万博で存在感を示しましたけど、哀しいことに真空チューブは、この現実の21世紀に何の痕跡も留めていない。
地球重力で駆動する真空チューブほどエネルギー資源に優しい乗り物はないんですけどねえ。

 




ハヤカワ文庫SF  投稿者:管理人  投稿日: 1月26日(木)21時18分37秒

  引用

 

 

去年、ハヤカワ文庫SFの探求本リストを本掲示板に載せたのですが、そのこと自体忘れ果てていた今日この頃、青天の霹靂のように、お二人の方から、相次いで「リストの本見つけたよ」との連絡を頂きました。
なんと当人さえ忘れているリストを、奇特にも心に留めて下さっていたのですね。ありがたや。
頂いたのは下記の本。

 ジェイムズ・マッコネル他『お祖母ちゃんと宇宙海賊スペース・オペラ名作選<2>野田昌宏訳(72)
 トマス・バーネット・スワン『薔薇の荘園』風見潤訳(77)

いやどちらもSF幻想怪奇ファンならば必携の基本図書ですね(^^)
しいてお名前を挙げませんが、探し出し、わざわざ届けて下さったお二人の方のご好意に、深く感謝いたします。

 




Re: 御了承のほど、お願いいたします  投稿者:管理人  投稿日: 1月25日(水)21時55分20秒

  引用  編集済

 

 

かんべむさし様

朝ミラ、いつも楽しませてもらっています(通しでは聴けないのですが)。
下のご投稿の件、了解しました。よろしくお願いします!
ただ、22日の記事に書きましたように、これらはすべて私自身の体験ではなく、仕事関係で聞き知った伝聞情報ですので、念のため(^^;
また私自身に言及されるのでしたら、本名ではなく、「掲示板の管理人」か、もしくはラジオネーム「とべくま」でよろしくお願いします。

日産ラジオナビの時間は、実は一番聴取困難な時間帯なんですが、頑張って聴くようにいたします(昨日の「グレート東郷」も頑張って聴きましたです(^^))
それでは当日の放送を楽しみにしております。

 




御了承のほど、お願いいたします  投稿者:かんべむさし  投稿日: 1月25日(水)16時49分52秒

  引用

 

 

1月21~22日の、「物流」談義。興味深く拝見いたしました。
つきましては、当方の番組で紹介させていただきたく、
もっかのところ、2月8日の水曜日、7時40分からの、
日産ラジオナビでと考えておりますので、
御了承のほど、なにとぞよろしく、お願いいたします。

 




北野亭(講談と落語の会)のお知らせ  投稿者:管理人  投稿日: 1月25日(水)00時00分6秒

  引用  編集済

 

 

神戸の私の友人が音頭をとって、新しい旭堂南湖さんの会が、神戸で立ち上がることになりました。(主催「旭堂南湖応援団」)

異人館街にある「北野天満神社」で開催されます。名づけて「北野亭」。
記念すべき第1回は、南湖さんの「山内一豊と千代」と「お楽しみ」(?)。そしてゲストは笑福亭仁智さんと林家卯三郎さんの落語のようです。

    と き:平成18年1月28日(土)
        開場1時半  開演2時
    出 演:旭堂南湖、笑福亭仁智、林家卯三郎
    ところ:神戸北野天満神社(三宮駅から北野坂上がる)
    木戸賃:(前売)千五百円・(当日)千八百円
    北野天満神社HP

    *チケットは「「北野天満神社」で発売中。または主催者の柳生真加さんへメールして下さい。
    柳生さんのメルアド→masaka0909●yahoo.co.jp(●は半角@と入れ替える)

神戸方面の方は、ぜひぜひお越し下さい!

 




毎日新聞の眉村さんの記事  投稿者:管理人  投稿日: 1月23日(月)21時09分21秒

  引用  編集済

 

 

毎日新聞1月12日付朝刊「紙面研究会から」に、眉村さんの報道に対する意見が掲載されました。

紙面研究会は毎日新聞社が社外の有識者に意見や批判を求めるための会合で、今回眉村さんは「一般的な読者」の立場から注文や提案をされたようです。

①まず女児殺害事件で出てきた「節度ある報道の申し合わせ」に就いて、ルールにするのではなくケース・バイ・ケースが望ましいのではないかとし、毎日新聞側もそのようにやっていきたいとの回答。

②次に最近日本語の使い方に引っかかるとして、例えば与謝野大臣が使った「美しくない」という表現は日本語として怪しく、新聞はそのまま掲載するのではなく、おかしいと指摘するくらいのことをしてもいいのでは、と提案するも、毎日側はおっしゃることは判るが難しいと逃げ腰。

③昨今英才教育(宮里藍や浅田真央を例に挙げて)を当たり前に受け入れる風潮ながら、本当にいいのかどうかその功罪を議論すべきでは、との問いには、確かにいろいろな問題があり、旬な話題だと思うと回答。

④あと、偉い人が天下国家を論ずるマクロな議論ばかりで、新鮮味がなくなってきた。むしろ「井戸端会議」的なミクロの話題も面白いのではないか、とか、

⑤掲載される記事に、比較するような視点とか情報、たとえば陣痛促進剤副作用で母子127人死亡という記事があったが、その数字が世界的にどのような位置になるのかというような比較する情報がほしい、
といった要望を上げていらっしゃいます。

以上から結論されるのは、「(読者が)自分の原点を取り戻すことができるような新聞であってほしい」と書かれているとおりで、私なりに言い換えるならば、今の新聞報道は、結果的に読者をして、新聞を読むことで逆に寄る辺なき情報洪水に溺れさせ、立ち位置がわからなくなったり感覚がマヒしてしまうように作用しており、上の要望意見は、それを回避するための方策としてこういうのはいかがか、と具体的に挙げられたものだと思います。
――いや全く眉村さんのおっしゃるとおりだと思いました。

 




「まぼろしのペンフレンド」「引き潮のとき」他  投稿者:管理人  投稿日: 1月23日(月)19時34分18秒

  引用  編集済

 

 

昨日の眉村先生の会で拾ってきた情報です――

①もうすぐ
青い鳥文庫から発売される『まぼろしのペンフレンド』の表紙カバーの見本を見せていただきました。青い鳥文庫既刊と同じく、今回も緒方剛志さんの絵です。なかなかよいですよ(^^) 2月18日頃の発売です。→近刊案内

②それから待望久しい
黒田藩『引き潮のとき』ですが、1巻と2巻の著者校は終わったとのことで、もうすぐ発売されると思われます。→黒田藩プレス

③いささか旧聞ですが、
日本ペンクラブ編の書き下ろしエッセイ集『わたし、猫語がわかるのよ』(光文社、04)に、エッセイ「ペケのこと」が収録されています。→bk1

 




眉村先生を囲む会  投稿者:管理人  投稿日: 1月23日(月)01時15分55秒

  引用

 

 

お昼過ぎより、ニューミュンヘン本店にて。
眉村先生も含めて12名の方々が集まって下さいました。みなさまお疲れ様でした。
おかげさまで、先生も楽しそうになさっていて、会話も弾み、とてもよかったです。一年ぶりにお会いした先生は以前にもましてお元気そうでした。
ニューミュンヘンはしっかりした個室だったので、他の客の喧騒も届かず、店の方の応対も申し分なく、くつろげました。予想以上によいお店でした。次回もここにしよう。
次回といえば、年に一回ではつまらない、夏も集まろうという話になりました。7月~8月あたりで計画したいと思います。

2次会は喫茶店。私は1次会で飲みすぎ、ここでは半分眠ったような状態でした。6時前に散会しましたが、考えてみたら喫茶店にも2時間近く居座っていた計算になりますな。

散会後、眉村先生はお帰りになりましたが、半数くらいはそのまま南湖さんの探偵講談の会へ。
さらに打ち上げにも参加して来ました。
ところが打ち上げで、だんだんと調子が悪くなってきて、これはイカン、また風邪をひいたら大変と、先に失礼して帰宅したのでした。で、今はそんなに調子は悪くなく、風邪はやり過ごせたかなとちょっとホッとしているところ。

とりあえず楽しくも結構忙しい一日でありました。

 




>景気回復  投稿者:管理人  投稿日: 1月22日(日)04時58分38秒

  引用

 

 

堀さん

>だんだん物は動かなくなっていきます
そうなんですよね。
中国から入港する南港には各運送業者が軒を並べているそうですが、仕事がないので採算度外視して仕事を取ってくるんだそうです。
なぜかといえば同業他社への「見得」なんだそうですが、結果的に地域全体の相場を下げてしまいますよね。
撤退する方がましなんですが、同じ理由で撤退も儘ならないとききます。

そうやってお互い首を絞めあっているのは、ひとり運送会社だけではありません。
輸入衣料品の検針という請負仕事があるのですが、東京の業者がわざわざ関西で請け負わせるそうです。「東京から商品を関西へ運んできて、検針させ、また東京へ配送するコストをかけても、関東で検針させるよりも安く上がるんやろな」とのこと。
そんな請負仕事も、今や中国で検針するようになって忽ちなくなってしまったそうですが。

以上はすべて伝聞ですので、誇張があるかも判りません。が大筋そうなんだろうなとは了解できます。

阪神・臨海工業地帯の地場産業である精密機械工業(ベアリング)は、自動車産業の好調で、まあ唯一よかった業種なんですが、聞くところによると中国の技術が上がって同レベルのベアリングが製造できるようになったんだそうで、「今後も好調を維持できるかどうか判らんぞ」とのことです。そうなると、もはや泉州地方の産業は全滅、壊滅状態になってしまいます。いったい、関西圏はどうなっていくのかと思います。

 




>景気回復の二面的局面  投稿者:堀 晃  投稿日: 1月21日(土)21時57分36秒

  引用

 

 

重要な指摘ですね。
桐一葉(ドライバーの発言)から天下の趨勢を推し量るのは面白い。
タイムマシン「製造業」を生業とするぼくにとっても、「物」が動かないことには生産活動が維持できないのは確かです。
ただ、周辺の「物流」が何を運んでいるのか。
いわゆるライフライン関係のものであって、工場へ「原材料」を運んできて「製品」を運び出すというものではないですね。
(わがタイムマシンみたいに付加価値の高い製品は例外。しかも重量はたいしたもとなし)
ぼくも「糸へん」で長い間仕事をしてきましたから、関空に近い地域の様変わりはよくわかります。
ノコギリ屋根の織物工場が、一時はビデオの組み立て工場に変わり、倉庫になって、場所によってはマンションに変わる……。
だんだん物は動かなくなっていきます。

 




景気回復の二面的局面  投稿者:管理人  投稿日: 1月21日(土)19時11分58秒

  引用  編集済

 

 

かんべむさしさんが、

「景気は回復してるというけど、本当かな。自分の仕事の実感としては、
物流はまだ以前のままだぞ」

というトラックドライバーのコメントを紹介していらっしゃいます。→◎おもしろいなあ!

そこから(物ではなく)情報が動いての株高(≒景気回復)という構図を示されているのですが、確かに私自身の仕事関係でも、回復の実感はじぇーんじぇんありません。
しかし、いろいろな人の話を聞いておりますと、上のコメントはひょっとしたら別の要因が考えられるのではないか、とも思われます。すなわち――

①関西圏とりわけ大阪の就中泉州地方は、日本で最も回復から取り残されている地域らしい。
②物流のラインが変わってしまっている。

という2点なんです。
①に就いては、地場産業からして自明なのですが、とりもなおさずそれはOBC聴取圏の特殊要因ともいえるものでしょう。
②は①と関連しますが新しい要因といえそうです。これまでも中国からの輸入によって国内産業は大きな影響を受けていましたが、物流は従来どおりだった。すなわち中国製品を活用するスーパーを例に取りますと、輸入された商品は必ず問屋もしくはスーパー自体の物流センターに一括入荷し、そこで整理小分けされて、たとえばAというセーターのS寸2枚、M寸5枚、L寸3枚をピッキングして、各個店への配送便に乗せられます。
ところが、去年後半あたりから、そういうセンター機能が中国で可能になり始めたらしい。つまり物は従来のコンテナでの一括大量輸入ではなくなり、日本にある個々の店の上記のような発注が中国に送信され、中国で個店別にピッキングされたものが航空便で届き、そのまま直接各個店に配送されるようになっているんだそうです。恐ろしいことに発注された商品は、リードタイム数日にして(勿論期日指定どおりに)発注店に直接届くようになったらしい。
その結果、従来の元紡績工場が倉庫兼配送会社になっているところが、軒並み仕事がなくなってしまっている。しかしそれは物自体が減ったのではなく、むしろ物流量は一昨年に比べてはるかに増えているらしいのです。ただ流通経路が変わってしまったので、もともとのラインは無用の長物と化しつつある……

①と②は関連しており、①の結果地場産業である織物工場がグローバル化で中国製品に圧倒され、倉庫業に変わって何とか糊口を凌いでいたのが、さらに②の流通ラインの変更でまた打撃を受けつつある、という構図が考えられます。

かんべさんのおっしゃる構図が汎日本的なものとすれば、私の説明は個別地域的要因で、その両方の圧力を、同時にOBC聴取圏の人たちは受けているのではないでしょうか。
つまり大企業レベルでみるならば景気回復は実感的だとしても、個別地域的な中小企業レベルではむしろ不況は進んでいるといえるのでは。

 *もちろん小泉さん的にはそれは問題でもなんでもなく、構造的変化なのだから当然潰れて当然なんだという明快な答えが返ってくるのでしょう。

菅野聡美『〈変態〉の時代』(講談社現代新書、05)読了。

 




「かわいい」から「変態」へ  投稿者:管理人  投稿日: 1月20日(金)19時17分27秒

  引用  編集済

 

 

わが母校・怪奇幻想大学が、ご近所の、姓は丹下名は左善大学と合併するらしい。
うーむ、大学名はどうなるのかな?
私は、怪奇幻想チャンバラ大を提案したい……(汗)

四方田犬彦『「かわいい」論』(ちくま新書、06)読了。

菅野聡美『〈変態〉の時代』(講談社現代新書、05)に着手。
 「アカデミック好みの岩田(準一)は、実は大衆作家江戸川乱歩を軽蔑していて、
  終始「平井太郎」という本名でしか乱歩を呼ばなかった」(110p)

 




朝ミラで起きた  投稿者:管理人  投稿日: 1月19日(木)21時24分27秒

  引用  編集済

 

 

寒さのせいか、朝なかなか起きられません。で一計を案じ、通常の起床時間の15分前にラジオが鳴るようにタイマーをセットしてみました。
もちろん選局はOBCの「朝はミラクル」。
結果は上々で、今朝はうまく起きられました。

ラジオが鳴り出し、かんべむさしさんの声が聞こえてくると、無意識に内容を理解しようとするのでしょうね、それで脳が少しずつ活性化し始め、目覚まし時計が鳴り出す時にはほぼ目覚めており、すっと立ち上がることができた。

で、ひとつ気がついた。この時間帯はABCの道上洋三、MBSの浜村純と、OBCかんべさんの三つ巴の争いが続いているのですが、朝ミラが一番テンポがいい、ていうか速いんですよね。

ラジオが鳴り出した瞬間はまだ完全には目覚めてなく、誰か喋っているな、という感じなんですが、すぐ、「あ、かんべさんや」と気がつく。それでもまだ夢かうつつかという状態で、完全に受動的にラジオの音が耳から入ってくるのみ。

これが10分くらい続くのですが、その間どんどんコーナーが変わっていき、メッセージが読まれ、CMになり、交通情報だか天気情報だかが流されるわけです。
それが(ボーっとした脳には特に)まさに「入れ替わり立ち代わり」という感じで実に小気味よくというかそつなくといいますか、そういう感じでどんどん進行していく。

これが道上さんや浜村さんだとこうテンポよくは行かない。映画でたとえたらかんべさんはテンポよくシーンが変わっていくアクション系の洋画で、前二者の放送は、アップで延々と顔の表情を取り続けるテレビドラマという感じ。特に浜村さんの放送はくどくて嫌になる時があります。

というわけで、この3者の中では朝ミラがもっとも番組として優れているわけですが、ところが今朝は……完全に醒めきってない頭には……かんべさんの放送はテンポが速すぎてついていけなかったのでした。あれよあれよという間に場面がめまぐるしく変わっていく印象だったわけです。

で、思ったこと。それは(この時間帯の主たるリスナー層である)大阪のオバハンたちのなかには、かんべさんの放送についていかれない人も結構多いんではないかなということです。特に年寄り。
私は(通常の思考活動のときは)浜村さんは遅すぎて(くどくて)いらいらするんですが、この速度が丁度いいというオバハンがいるに違いない。で、そんな人はおそらく朝ミラは聞かないんではないだろうか。

以下はまったくの推測ですが、朝ミラが一番聴取者の平均年齢が低く(30~40前半?)、つづいて道上さん(40代後半~50代?)、浜村さんが一番高くて50代後半以上なのではないか?
そんな調査結果はないんでしょうかね?

BGM>エレクトリック・ライト・オーケストラ/オーロラの救世主(76)

 

 

 

 

『眠れる人の島』  投稿者:管理人  投稿日: 1月18日(水)00時19分54秒

  引用

 

 

当掲示板に投稿した感想文を整理改稿してチャチャヤン気分に掲載しました。

 



「悪役レスラーは笑う」  投稿者:管理人  投稿日: 1月17日(火)21時11分49秒

  引用

 

 

を、チャチャヤン気分に掲載しました。
私は「グレート東郷」は好きだったけど、「芳の里」は嫌いでした。なぜそう感じたかは既に忘却のかなた。そう感じた「気分」だけが、僅かに脳の片隅に残っているばかり。

 




『眠れる人の島』感想メモ④  投稿者:管理人  投稿日: 1月16日(月)21時36分58秒

  引用  編集済

 

 

「生命の湖」(37)は、170pの中長篇(ノヴェラ)。あとがきに「メリット流秘境冒険譚」とあるが、「ハガード流」という方がふさわしいのではないだろうか? いやこれは巻措く能わずの面白小説でした。

アフリカは仏領コンゴの奥地に、死の山脈と呼ばれる峻険な環状山脈があるという。その内側盆地に、光る水を湛えた<生命の湖>があり、その水は飲むと永遠の生命を得られると、現地の民は信じている。
ただその山脈は魔法がかけられており、足をかけただけでその者に死が訪れる。よしんば山脈を越えることができて湖に到達したとしても、そこには恐ろしい<守護者>がいて湖を守っている――らしい。
探検家の主人公は、死にかけのアメリカ有数の金持ちに雇われ、他の4名のはみ出し者を率いて永遠の生命の水を求めて死の山脈をめざす。……


というわけで、まさにハガード「ソロモンの洞窟」の向うを張ったような秘境冒険小説なのであるが、違うのは本作がある意味「チーム小説」でもある点だろう。そのチーム小説という点でいえば、本書は、山田正紀を彷彿とさせるところがある。

とりわけ出だし、彼らの船がフランス軍艦に発見され追跡されるシーンから、環状山脈へ流れ込む川を筏で急流くだりしていくシーンまで、息を継がせぬアクションが連続するのだが、私は「あ、山田正紀だ!」と思った。主人公を中心にそれぞれの特技を生かして、いわば分業的にミッションを進めていくところはそっくり。
同時にこの部分は非常に映画的で、まさにつかみばっちりな開幕部分となっている。

山脈の内側に到達してからは、2部族の抗争に巻き込まれたり、「プリンセス」と相思相愛になったりと、この辺はバロウズ的お約束どおりなのだが、ラストに向かって盟友たちがひとり、またひとりと斃れていく筋立ては、また山田正紀的に復帰するものだ。

ラストに展開される「不死こそ業苦」という一種東洋的ニヒリズム思考は、ハミルトンのスペースオペラにおいても時折見られるものだが、アメリカン大衆小説には類例がないのではないだろうか。たとえばバロウズならば「不死」は肯定されこそすれ、ネガティブに捉える視点はありえないように思う。これはあるいは、ハミルトンの体に流れる(我々日本人とも繋がっているらしい)ネイティブ・アメリカンの血のしからしめるものなのかも知れないと、いま思いついた(汗)

ともあれ、本篇はまさに映画そのものといってよいフレームを持っており、いうなれば文字で書かれた映画といって過言ではないだろう。それは一に著者のすぐれて映像的な描写力の賜物であろう。わずか数語で、著者は読者の裡にありありとした映像を喚起する。一から十まで蜿蜒と描写したところで(最近の作家の悪弊である)、だからといってクリアなイメージが読者に伝わるとは限らないことを、ハミルトンは身をもって証明している。

さて私ならばどんなキャスティングにするだろう。主人公はやはりインディジョーンズのハリソン・フォード? いやいやこの映画は、わたし的にはもっと古いイメージ。しかしチャールトン・ヘストンではごつすぎてこの主人公のイメージではないのだよなあ。グレゴリー・ペックではどうだろうか(^^;


以上で
エドモンド・ハミルトン『眠れる人の島』中村融編(創元文庫、05)読了であります。

 




『眠れる人の島』感想メモ③  投稿者:管理人  投稿日: 1月16日(月)02時34分18秒

  引用  編集済

 

 

「邪眼の家」(36)>いわゆるゴーストハンターもので、まるでハマー・プロの映画を観ているような面白さ! 一気に読んでしまった。
ホームズとワトスンを踏襲するデール博士と助手のオウエンが、悪なる存在と契約して「邪眼」を手に入れた男(ピーター・ミオーネ)に挑むのだが、わたし的にはカーナッキやジョン・サイレンスよりもずっと面白かった。

とはいえその面白さは上述のように映画的で、後で思い返せば、ラストのミオーネが「邪眼」を放棄する場面は、ただ「取り消す」と叫ぶだけというのは、契約の破棄にしてはあまりにご都合主義で呆気なさ過ぎるし、邪眼という超自然的なものに対するデールの武器もまた、超自然的なのはSF読みとしてはいささか物足りないのだけれど、読んでいる最中は全然気にならなかった。

余談だが、ハマー・プロで映画化するならば、やはりピーター・ミオーネはクリストファー・リー、デール博士はピーター・カッシングだな(原作の描写とはちょっと違うけど)。
20世紀初頭のマサチューセッツ州トーリストンの町並みの描写が、(これは全然ハミルトンっぽくなく)堂々と怪奇探偵小説の味を出していてよいのであった。

 




『眠れる人の島』感想メモ ②  投稿者:管理人  投稿日: 1月15日(日)16時12分31秒

  引用

 

 

「神々の黄昏」(48)>表題で判るように北欧神話をベースに展開するヒロイック・ファンタシー。北欧神話の世界を、この世界と重なって存在する平行世界(≠分岐世界)に設定してたところがミソ。しかもその異世界がなぜこの世界の神話に混入したかもうまく説明できている。
ストーリーは「行って帰ってくる(また行く)」というハミルトンストーリーのいつもの基本型(ただし「来て戻って帰ってくる」という風に変形複雑化してはいる)で、安心して楽しめる。異次元北欧神話世界の風景描写が実に魅力的で素晴らしい。

 




『眠れる人の島』感想メモ  投稿者:管理人  投稿日: 1月15日(日)13時19分45秒

  引用  編集済

 

 

最近ミクシイにも日記を書いており、掲示板との使い分けで悩んでいます。
まあ(所謂日記であるところの)身辺雑記はミクシイに書き、眉村さん情報など本来の掲示板的使用に加えて、閲覧者が検証可能で少しは衆目に晒すべき意味があるかも知れない、本の(ただし読んですぐのナマの)感想などは掲示板に書こうかと。そしてブログは掲示板のナマの感想をさらに醗酵させた完成型としたものを掲載しようかと、いちおう分けて考えたのですがね……

そして、書きたいことはなんぼでもあるんです(筈なのです)。
が、残念なことに頭脳構造が、そういう風に分類的整理的に部屋分け出来ておりません。いわばひと部屋に雑多な知識や感情が整理されずに散らかっているような構造になっている。したがって、書いているうちに別のテーマや意見が芋づる式に「なんぼでも」引きずり出されてくるんですが、ハナから分けて考えようとしてもそれがでけへんのですなあ。

そういう次第で今、自然な流れが遮られているような、管が詰まったような気持ちの悪い不全感があるのですが、そのうち慣れてくるのでしょうか。

ということで『眠れる人の島』、最初の2篇を読みました。

「蛇の女神」(48)は典型的メリット譚で、善悪二元論的世界設定に主人公が巻き込まれるタイプ。ヒロイックファンタジーではない。アウターリミッツのような映像(今風に言えばハムナプトラ風?)にしてこそ真価がわかる作品ではないか。原題はserpent princessなので邦題は適当なのだが、ヘビといってもsnakeではなく、ここに描かれるのはウミヘビなので、私は「海蛇姫」を提案したい(>却下!)

 
表題作(38)はホジスン風海洋幻想譚。前作と違ってSF的アイデアがあり、私は辛うじて数行手前で気がついた(^^;
このオチはある意味ヴォークト的なのだが(たとえば非Aは48年なので前後関係的にはヴォークト的というのはおかしいかもしれないが、わたし的にはこういうのはヴォークト的と認識されてしまう)、ヴォークトなら「眠れる人は目を覚ました」でプツンと断ち切って終わるだろう。そういう意味ではその後は蛇足ともいえるが、逆にSF的ともいえる。私はヴォークト的が好み。
私が思いついた第3の結末は[ 目を覚ます→消える→目を覚ます ]で、最後の目を覚ます場所は浜辺の漂着した船の中。つまり永遠に繰り返すパターンなのですがダメですかシツレーしました~(^^ゞ

ところで「ヘビの女神」を読み中、そういえばこういうの昔SFMによく載っていたよなあ(岩淵慶造のイラストで)、と思ったのだが、あとがきによれば初訳が1977年8月号に載ったものらしい。やっぱりね。
しかし本当にこのような作風が最近のSFマガジンには載りませんなあ、ちょっと偏ってしまっている気がします。まあ最近は読んでないので印象ですが(ーー;

 




広告  投稿者:管理人  投稿日: 1月13日(金)01時27分25秒

  引用

 

 

おや、この掲示板、どあたまに広告が入るようになったのか。
ちょっと嫌やね。

ようやく、ハミルトン『眠れる人の島』に着手しました。

(BGM)びっくり電話ハウ・デア・ユー/10cc (76)

 




「考えないヒト」  投稿者:管理人  投稿日: 1月12日(木)20時37分57秒

  引用

 

 

を、チャチャヤン気分に掲載しました。

 




ややウツ  投稿者:管理人  投稿日: 1月11日(水)23時16分48秒

  引用

 

 

3日からひいている風邪がいまだに治りません。
正月休みが終わって治ったように思ったんですが、たんに気が張っていただけみたいで、成人の日の連休に入ってまた調子が悪くなってしまいました。
今日も仕事場のソファーにずーっと横になっていた。単に仕事したくないだけかも。
体調が悪いと、次読む本も決まりません。
というわけで、ぼんやり軽いCDをチェーンリスニングしているのであった。

 ハーヴェスト/ニール・ヤング →ジ・エッセンシャル・テン・イヤーズ・アフター・コレクション →ザ・グレイテスト・ヒッツ・オブ・ジョー・コッカー →追跡/チェイス

嗚呼、無駄に時間を消費しているなあ(ーー;

 




「なつかしく謎めいて」  投稿者:管理人  投稿日: 1月10日(火)23時18分19秒

  引用

 

 

チャチャヤン気分に掲載しました。

 




眉村さんを囲む会  投稿者:管理人  投稿日: 1月 9日(月)22時40分53秒

  引用

 

 

今年も行います。→1月22日(日曜)PM1時頃~、場所は大阪梅田です。
参加希望の方は、私宛メールください。
折り返し、ご連絡させていただきます。
私のメールアドレス→o37okuma●gold.ocn.ne.jp ●は@と入れ替えてください。

 




空港の本屋に本はない。あるのはベストセラーだけだ。(10p)  投稿者:管理人  投稿日: 1月 8日(日)23時42分44秒

  引用

 

 

アーシュラ・K・ル=グウィン『なつかしく謎めいて』谷垣暁美訳(河出書房、05)に着手。

 




チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日: 1月 8日(日)21時36分4秒

  引用  編集済

 

 

八柏龍紀『「感動」禁止 「涙」を消費する人びと(ベスト新書、06
を掲載しました。

そういえば「背中を押してください」も胡散臭い言葉だ。

 




「エコノミーとエコロジー」  投稿者:管理人  投稿日: 1月 7日(土)23時41分13秒

  引用  編集済

 

 

玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』(みすず書房、78)を読んでいます。ゼミの教授(師匠)に勧められて購入してから積読30年のヴィンテージ本でしたが、著者がポランニーの翻訳者であり、最近急に興味が出てきた市場経済に懐疑的な内容であることは知っていたので、手にとってみました。

100pほど読んだ限りでの感想ですが、かなり状況的な本で、60年代から70年代にかけて続々と顕在化した公害問題が、もともと経済活動に不可避的な(負の)産出であるにもかかわらず、従来の経済学の投入-産出の図式では全く検知されないものだったことを明らかにし、それを可視化する、市場経済システム上のインプット-アウトプットをスループットとする更に大きなエコシステムの経済学を唱えているようです。
とはいえ、私が考えていたような内容ではなさそう。

それもそのはずで、資本主義が欲望のフロンティアを発見というか自覚したのが80年代であり、本格的に開拓に乗り出したのは90年代以降ですから、当然といえば当然。
というわけでこのまま読み続けるか思案中。とりあえず次の章はアダム・スミスの再検討の話のようで、丁度『「資本」論』でもスミスは取り上げられていたので、読んでみますが、あとはどうしようかな。今読みたい本が、また溜まってきているんですよね。

 




「おかしなおかしな転校生」  投稿者:管理人  投稿日: 1月 7日(土)00時13分19秒

  引用

 

 

を、チャチャヤン気分に掲載しました。

 




快復  投稿者:管理人  投稿日: 1月 6日(金)02時00分37秒

  引用

 

 

迅速な手当て(寝酒のこと(^^;)が奏効して、体の調子はよくなりました。
ただ睡眠不足で、本を読んだりパソコンの画面を見ているとこっくりこっくりしてしまう。これではいかんと夕食後さっきまで寝てしまいました。
おかげですっきりしたんですが、また今夜も眠れそうにないのであった。なので、いまから
高井信『おかしなおかしな転校生』(青い鳥文庫、05)に着手の予定。

BGMは、テン・イヤーズ・アフター/ジ・エッセンシャル・テンイヤーズ・アフター・コレクション(98)

 




風邪  投稿者:管理人  投稿日: 1月 5日(木)02時06分28秒

  引用

 

 

風邪をひいてしまいました。
原因は分かっています。

昨日の風の翼新年会は、一年ぶりに会う人もいて、とても楽しい宴会になりました。ええコンコロ持ちで帰途についたのですが、電車の接続が悪く、小石のやうに黙殺される沿線の小駅で特急の通過を10分も待たされてしまったのでした。
その10分間、電車のドアは開いたまま!
氷りつくような寒風がびゅーびゅー吹き込んできます。車両には乗客が2、3人しか乗ってなくて、もともと寒々しい車内を、風は傍若無人に吹き抜けていく。まじ死ぬかと思いました。

――それが原因に間違いありません。

寒い地方の列車は、待ち時間はドアを閉めていますよね(あれは手動で開閉できるんだっけ)。大阪でも寒い日は寒いんだから、せめてその時くらいは車掌も気を利かせて閉めてほしかったなあ……。

体がだるいんで、早々に寝たらいいんですが、正月に寝まくっているし、夜昼が逆転した生活をおくっていたこともあってか、これが全然眠くならない。かといって本を読む気力はない。テレビを点けてもつまらない番組ばかりで、すぐ消してしまった。
というわけで、なーんか妙に暇をもてあましてしまった。

とはいっても、明日は本格的に仕事(今日は半ドンで帰ってきた)なので、そうそうぼーっともしていられません。無理にでも寝ないと明日に差し支えるので、これから寝酒と古いレコードかけて、なんとか寝てしまうのであります(^^;。

 




『「資本」論』  投稿者:管理人  投稿日: 1月 4日(水)17時04分26秒

  引用

 

 

稲葉振一郎『「資本」論 取引する身体/取引される身体(ちくま新書、05)チャチャヤン気分に掲載しました。

 




新年会  投稿者:管理人  投稿日: 1月 2日(月)23時19分52秒

  引用

 

 

明日は風の翼新年会。
集合場所は×旭屋ではなく、○紀伊国屋です。お間違いなく。
詳細は→こちら

 




「乱世を生きる」  投稿者:管理人  投稿日: 1月 2日(月)14時19分50秒

  引用

 

 

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
本年最初の読了本です。

橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない(集英社新書、05)

タイトルに感応して読み始めた。非常に大雑把な記述なのだが、それゆえ「経済」について原義に立ち還り、「体験」的に再考する部分はとてもよく判る。
無駄を省くという意味の「経済」が、いまや「不経済」という単語にしか残っていないとして、「我慢」(現状に抗する力)の消失がいまの日本社会を招来したというのが著者の見解。
現状に抗する力が失われて、個人が「現状に追随する者」となっているのは同感なのだが、その「我慢」が、状況によってではなく、「主体的」に喪われたとする説明は、私にはやや疑問。
やはりまず「現状」である「欲望というフロンティアの発見」という市場資本主義の最終進化形態の完成が先にあったと考える。
そしてそれを個人に内面化したのは「テレビ」だろう。
その意味で本書には、「テレビ」の影響に関する記述が皆無だ。このあたりは片手落ちかも判らない。

日本経済が開発した欲望のフロンティアは、個別的には「女」であり、「若者」、さらには「オタク」etcであったわけだが、それをさらに一般化すれば「オヤジ」以外の全てという指摘はとても面白い。

「オヤジ」を唯一フロンティア化しうるのは「過去(ノスタルジー)」なのだそうだが、それは厳密には「オヤジになる前の過去」だからで、「オヤジ」そのものは市場化できない。それは「オヤジ」たち(具体的には30年代に幼少期を過ごした団塊の世代)が「欲望」で生きる世代ではなく「必要」で生きる世代だからというのも納得する。

これはポスト団塊の世代を最初の「おたく」世代とした大塚英志の所論と対応するだろう。
八つぁん熊さん相手にご隠居が説をたれるような内容だが、聴いていてとても面白いご高説ではあることは間違いない。

 

 


過去ログへ

 

 

inserted by FC2 system