【掲示板】



ヘリコニア談話室ログ(2006年2月)


「セルーナの女神」  投稿者:管理人  投稿日: 2月28日(火)22時41分33秒 p0175-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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半村良『セルーナの女神』(角川文庫、79)読了。
直近に読んだ
『夢の底から来た男』(角川文庫、79)がとてもよかったので、引き続いて読んでみた。

「わがホモンクルス」
「巨大餃子の襲撃」

SFはSFなんだが、所謂馬鹿SF、楽屋落ちSFの類。どうもSF的アイデア(というよりも超常現象)を持ち出すと、とたんに筆にしなやかさがなくなり、単調になってしまう傾向があるんだよな著者は。それは長篇にも見られる傾向で、「虚空王……」がその典型。

「汗」
「マンションの女」

は風俗小説。性にまつわる風景が描かれている。いわば古めの純文学の味わいで、とりわけ「汗」は谷崎なみの傑作ではないか。
しかしこの2篇が有する「リアリティ」は若い読者にはわからないかも。私も20代で読んでいたら判らなかっただろう。

「子犬」
「奸吏渡辺安直」
「伊勢屋おりん」

は江戸時代の歴史小説もしくは時代小説。芥川や菊池寛の歴史小説を彷彿とさせる「近代的解釈」がとても面白い。

「おなじみの夢」
「セルーナの女神」

は、ともに一種SF私小説で著者と思しい作家の「私」が主人公。
「おなじみの夢」は本集中の白眉というべき傑作。主人公の作家が、夢のなかで繋がったあの世の世界を往還する。あっちの世界の構築の、奇妙なリアリティが実によい。

「セルーナ……」では、主人公の作家のもとに、アフリカの現在のボツアナからマンダ族の男が二人訪ねてくる。あんたが手に入れる女神の像を返してほしいと迫るのだが、作家には心当たりがない。時間の矢の方向をずらすことでふしぎなセンス・オブ・ワンダーを醸し出している。

というわけで冒頭の2篇を読んだ段階では、うーん、と先行きが危ぶまれたのだが、結果的に満足できる1冊だった。著者の芸風の幅広さがよく判るバラエティにとんだセレクションで、半村良展覧会のような趣き。

 


早くも子供たちのあいだでは流行しているらしい  投稿者:管理人  投稿日: 2月27日(月)22時06分15秒 p1016-ip03osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

その頃、日本のあらゆる街角という街角では、人びとは顔をあわせれば挨拶もそこそこに、互いにイナバウアーを披露しあうのが常であった。つづく(>嘘)

 


Re:SFM  投稿者:管理人  投稿日: 2月25日(土)21時58分35秒 p0207-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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大橋さん

おお、今日発売ですね。楽しみです(^^)
しかし3冊分のボリュームと値段ですか・・

 


SFM  投稿者:大橋  投稿日: 2月25日(土)21時04分55秒 219x123x11x254.ap219.ftth.ucom.ne.jp

 

 

 

大橋です。
お声がかかったのでちゃっかり宣伝。
〈SFマガジン〉4月号から「SF挿絵画家の系譜」が連載になります。
〈SFJapan〉の「少年SFの系譜」に続く、系譜三部作の第二段!!
って、第三弾の予定はないけどね(お約束のひとりボケ、ひとり突っ込みです)。

第一回目は小松崎茂先生です。
〈SFマガジン〉4月号は普通の3冊分のボリュームと値段です。
立ち読みでページを探すのは大変だから、買って、家で読んでくださいね。

 


モームの警句  投稿者:管理人  投稿日: 2月25日(土)20時20分42秒 p0508-ip03osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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『セルーナの女神』(角川文庫版)の解説で、権田萬治が「事実というのは至ってお粗末な物語の語り手である」というモームの文を引用していました。
じつは昨日『夢の底から来た男』を読み、とても面白かったので『セルーナの女神』にも手をのばし、上の引用に気づいたのですが、けだし私が下の(2/13の)「原田のリアル」で述べたこと(リアルとリアリティの違い)と、同じことを言っているのではないでしょうか。
で、上の引用をもじって言うならば、
『夢の底から来た男』の諸篇は、事実が語るお粗末な味気ない物語とは違って、陰影にとんだリアリティ豊かな物語である」
といえる秀作集でした。願わくは『セルーナの女神』もまた、玄妙精緻なリアリティで、読者を酔わせてほしいものです――とわざわざ書くのは、一抹の不安を感じるからなんですが……

 


Re:地球シミュレータ  投稿者:管理人  投稿日: 2月24日(金)20時40分54秒 p0653-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

大橋さん

おお、これは面白そうなサイトを教えてもらいました。もともと地球科学というのか気象や地学は大好きな科目だったんですよ。コンテンツの充実度がすばらしいですねえ!
うーむ、無意味にネットサーフィンして時間の無駄使いをするくらいなら(最近とみに空しく感じています(^^;)、毎日ここに寄って少しづつでも勉強していこうかな。

ところで、SFMは今月号(4月号)からでしたっけ?

 


地球シミュレータ  投稿者:大橋  投稿日: 2月24日(金)07時42分54秒 219x123x11x254.ap219.ftth.ucom.ne.jp

 

 

 

地球シミュレータの話は海洋研究開発機構の西村屋さん
http://homepage3.nifty.com/nishimura_ya/
のサイトが詳しくて、
地球科学技術の耳学問
http://homepage3.nifty.com/nishimura_ya/earth/
が面白いですよ。私には難しくてわかりませんが・・・。

 


筒井康隆の新作  投稿者:管理人  投稿日: 2月23日(木)21時15分10秒 p0471-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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下に記したNHK「気候大異変」は、どうやら2回で完結だったようです。なーんだ。
面白かったので続編作ってほしいなあ……。たとえば日本列島限定で10年単位で(10回連続で)シミュレーションの結果を展開して解説したら面白いんではないでしょうか。例えば「2030年代、上町台地を残して大阪沈没」とか(^^;
それにともなってどういう社会変動が起こりうるかという解説があればいう事なし。未来社会テーマのSF並みの面白いものになると思うんですけどねえ。

故あって読売新聞の(ふだんあまり見ない)夕刊を広げたら、目的の記事は見当たらなかったんだけど(明日なのかな)、文芸時評欄で筒井康隆「巨船ベラス・レトラス」の雑誌連載完結が取り上げられていた。平成版「大いなる助走」だそうで、
「商業主義にさらされて衰退する文学、出版に対する辛辣きわまる批評」とか評されていて、これは面白そうですね!

 


「お祖母ちゃんと宇宙海賊」  投稿者:管理人  投稿日: 2月22日(水)00時41分6秒 p0271-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

チャチャヤン気分に掲載しました。

 


地球シミュレータ  投稿者:管理人  投稿日: 2月21日(火)19時11分46秒 p0693-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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NHKで放送された「気候大異変」が面白かった。
土曜、日曜と連続で2回放送されたので、続きものかと、昨日も9時にNHKをつけたら、やってなかった。で、今日は新聞のテレビ欄を確認したのですが載っていませんでした。
まさか2回でおしまいではないと思うのですが、続けて放送してくれないと、テレビを見る習慣がない私は、ついうっかり見忘れてしまいそう。

内容は、スーパーコンピュータ・地球シミュレータが予測した今後100年間の気候変動(温暖化)なんですが、この100年で地球が劇的にその相貌を変えていくのがよく判りました。
100年といわず、6〜70年でもがらりと変わっていて(例えば夏場北極から氷がなくなる。アマゾン大密林が乾燥化する、蒸発量の増加で気象が凶暴化する)、70年といえば、今年生まれた人は当然まだ存命しているはず。

彼らはその急激な変貌のありさまを、オンタイムでしかと確認できるわけで、とてもうらやましく思いました。ああオレも見たいなあ……と思ってもそれはできる相談ではなく、せめて地球シミュレータのシミュレーションで満足するしかありません。

しかし地球シミュレータってすごいなあ。ある意味フェッセンデンの宇宙の現実化では?
この地球シミュレータの計算結果、本になっているのか知らん、あるのなら読んでみたいと思いました。

 


眉村さん情報  投稿者:管理人  投稿日: 2月19日(日)19時25分14秒 p0579-ip01osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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講談社青い鳥文庫より、『まぼろしのペンフレンド』が復刊されました!

 


チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日: 2月19日(日)00時49分44秒 p0987-ip03osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

『ストリンガーの沈黙』を掲載しました。

 


「日本人を<半分>降りる」  投稿者:管理人  投稿日: 2月18日(土)20時23分54秒 p0251-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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中島道義『日本人を<半分>降りる』(ちくま文庫、05)読了。
これは共感した。私自身、著者と似たところがあり(ここまで徹底できていませんが)、言っていることはよく分かる。つまり何事も突き詰めないと気がすまないのですな。

ところが世間には、突き詰めるのを蛇蝎のごとく嫌う人がおり、よく「もうええやん」という言葉で、中途半端なまま手打ちさせられてしまうことが多く、悔しい思いをさせられます。

議論を好まないのは日本人の伝統のようで、そういうのは我々の上の世代で終わりかと思ったらそうではなく、むしろ若い世代に顕著らしい。

著者もどこかのページに書いていたが(ちょっと発見できず)、今の若い人のほうが古い心性を強く保持しているのですね。それは2ちゃんねるをみればよく判る。ちょっと理屈っぽい書き込みがあると、「うざい、長い」といった反応が返ってきていますよね。この先祖がえりはライトノベルに関連して大塚英志も同様なことを書いていたような。

今ひとつのテーマは、かかる「突き詰めない」という思考の慣性は、「疑わない」という副次的な思考態度を結果するということ。
日本人は、(広義の)お上のいう事には実に従順で疑うことをしない。この広義のお上には、テレビの言説も入るわけですが、著者は「文化騒音」という言い方をしています。いったんそのようなお上から発せられた(放送された)「指令」には、その意味するところを検定することをせず鵜呑みにしてしまう。「疑わない」とは、とりもなおさず「自分で考えない」ということであります。
テレビのCMに乗せられて、いうがままに消費に勤しむ姿は、まさに動物化の極致といえますが、それは新しい潮流(ポストモダン)でもなんでもなく、もともと日本人に固有の(トラディショナルな、プレモダンな)性格の、消費社会に適応した現れ方に過ぎないのかもしれません。

そういう意味で、本書のテーマである自分で考えることをせず、斉一化圧力を掛けてくる放送や看板に嬉々として従うマジョリティってのは、おそらくウィリアム・バロウズのテーマと同じでなのはないでしょうか。

かかるテーマは、実はSFがずーっと追求してきたテーマでもありまして、眉村さんの「幻影の構成」のイミジェックス装置しかり。人類家畜テーマも一変種とみなせましょう。

先日読了した「ストリンガーの沈黙」でも同じ問題が、異なる角度からですが追及されていました。
AADD人は身体内にウェッブを埋め込んで一種共棲しているのですが、その結果知らず知らずのうちに(電脳空間と繋がっている)ウェッブに潜んでいた突然変異ウィルスUIAの生存目的の影響を受けていました。
自分で考えて決断した行為(と思っていたもの)が、実はコンピュータウィルスに(ある意味)使嗾されていたわけで、いわば人類家畜テーマのいかにも21世紀的なバリエーションであり、やはり「人間とはなにか」、「考える主体とは何か」、という永遠のテーマに、しばし思いを向けさせられたのでした。

 


Re:オーネット・コールマン  投稿者:管理人  投稿日: 2月16日(木)22時47分56秒 p0703-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

堀さん
おかげさまでいい情報を戴きました。
>今回、謝恩&ラスト・ツアーかな
生オーネットを見られるだけで、もう十分!
でも、なろうことなら山下洋輔さんとの共演、実現してほしいですけど(^^;
我々のチケットもローソンで購入したようです。便利ですねえ。

 


オーネット・コールマン  投稿者:堀 晃  投稿日: 2月16日(木)21時28分6秒 softbank218125147178.bbtec.net

 

 

 

2001年に高松宮杯……じゃなかった、世界文化賞を受賞して、授賞式には来日したのではなかったかな。
産経にかなり大きなインタビュー記事が載りました。
この時に演奏はなかったようですが。
まあ、今回、謝恩&ラスト・ツアーかな。
山下さんとの「共演」があるやなしや、当日行ってみないとわからないみたいですね。
おれも明日、ローソン経由で押さえることにします。

 


オーネット・コールマン来日公演!?  投稿者:管理人  投稿日: 2月15日(水)20時39分11秒 p0389-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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堀晃さんのブログを見て、びっくり!
や、まだ生きてはったんか(^^;
大阪に来るんだったらこれは見に行かねば、てことで、友人のジャズ住職を電話で誘う。
住職もちろん否やは無し。というわけで、ザ・シンフォニーホールの近所に住いする住職にチケットの手配をお願いしました。しかし、売り切れてへんやろな……(後記:チケットは無事取れました!)

アルバート・アイラーのボックスも魅力的ですなあ。
コルトレーンの葬式の時の演奏なんて、聴きたい聴きたい(^^) 
しかし12500円……うう

そういえば、コルトレーンとアイラーはヨーロッパでセッションしているらしいんですが、これを前から聴きたいと思っていたんだった。レコードは残っているんでしょうか?

 


「ストリンガーの沈黙」  投稿者:管理人  投稿日: 2月14日(火)20時57分18秒 p0123-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

林譲治『ストリンガーの沈黙』(ハヤカワJコレクション、05)読了。

いや〜面白かった! 後半は一気呵成。
本書のテーマは「宇宙人も地球人も猫好きはみんないい人」(>違う)。

実は表現形式においては甚だしく不満があるのですが、SFとしては文句なしに傑作!
それについては、おいおいチャチャヤン気分にて(^^;。

BGM>アフリカ・ブラジル/ジョルジ・ベン(76)

 


原田のリアル  投稿者:管理人  投稿日: 2月13日(月)19時31分2秒 p0629-ip03osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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世紀の大ポカはいかにも原田らしい、といって笑ってすませるしかないわけですが、これでもしラージヒルで優勝ちゃったりなんかしちゃったとしましょう。まず間違いなくえらい騒ぎになりますわな(^^;。
実はそれは、事実(リアル)だから(そういう展開が)許容されるんだと思うのです。

上の展開が小説上のストーリーだったら、ギャグ小説でもない限り、あるいは伏線でもない限り、それはあまりにもリアリティのない、ご都合主義な筋立てというほかなく、創作講座の講師ならばきっとそう(リアリティがないと)指摘して書き直しを命ずるんではないでしょうか?

現実の「リアル」は何でもありだけど、つまり「起こらないことは何もない」わけですが、小説はそんなわけにはいかないのですよね。
「1キロ勘違いしてました」とか「試合前自分で計量するのをすっかり忘れてました」では、読者が怒ります。

仮にも小説であるからには、読者をある程度納得させる、一種ロジカルな因果関係を措定しなければいけません。それが「リアリティ」というものなのではないでしょうか?
つまり、リアリティ(小説)のほうがリアル(実際に起きたこと)よりも、きっと許容範囲が狭いんです。

ほんとうに原田は現実(リアル)でよかったと思います。小説だったら編集者から突っ返されているところ(^^ゞ

BGM>愛するマンゲイラ/カルトーラ(77)

 


新刊情報  投稿者:管理人  投稿日: 2月12日(日)19時31分55秒 p0997-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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藤野恵美さんの新刊が出ました。
『怪盗ファントム&ダークネス EX-GP3は、カラフル文庫のシリーズ第3弾!
このシリーズは、意外に幻想小説っぽいテイストの作品もあって、目を離せません。
藤野さんは、引き続いて2冊上梓の予定とのことで、もうすっかり売れっ子ですな。いや善哉善哉(^^)

そういえば眉村さんの青い鳥文庫版『まぼろしのペンフレンド』も、もうすぐですね(2/18予定)。お楽しみに!

 


ディアスポラI  投稿者:管理人  投稿日: 2月11日(土)21時10分7秒 p0492-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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グレッグ・イーガン『ディアスポラ』山岸真訳(ハヤカワ文庫、05)読了。

いやあよかった! 評判どおりの傑作宇宙大冒険(但し活劇なし)SFでした。

17章は「1の分割」という章題。もとよりクローン(コピー)を意味するが、イノシロウ以降それは殆ど無批判に受け入れられていた。ところがオリジナルにとっては分身であっても、クローン自身はオリジナルの記憶を継続しており、オリジナルそのものなのだ。オーランドは最終的に全てのクローンと合体を希望するが、それは当のクローンたちによって拒否される。ここにおいてようやく(途中消えていた)テーマの一つが戻ってきている。

18章で、C−ZはU**へ突入し、そこでトランスミューターではない宇宙知性ストライダーに遭遇する。
ストライダーによってC−Zはコア・バーストが確実に起こることをその必然性とともに知らされる。
それは半径5万光年以内の原子核を分裂させるほどの高温をもたらすのだった。銀河系の半径は5万光年だ。つまり銀河系壊滅!

ストライダーは言う。
「君たちの同胞をつれてきたまえ。この宇宙では喜んで迎えいれるよ」(449p)

全てのディアスポラ船、グレイズナーの船は250光年以内にいたので、間に合いそうだった。また地球の全ポリスを説得に、オーランドはメーザーにその情報を乗せて旅立った。
C-Zは全ての地球種族が避難してくるまで、そこに500年留まることになった。

しかし――トランスミューターはこのU**宇宙にはいなかった。ストライダーによれば、彼らは出て行ったらしい。
ヤチマとパオロはその後を追うことにする。手がかりを追ってさらに別の宇宙U
*へとはてしなく追跡を開始する。

ここからラストへといたる時空をはるかに超越した追跡劇がすさまじい。
まさに中島みゆき「流浪の詩」状態(^^;
  
何度も 人違いをしたわ
  あの人には めぐり逢えず
  旅から旅をゆく間に
  顔も忘れてしまってた
  それでも 旅を忘れて
  悲しみを捨てて
  ひとつ 静かに暮らしてみるには
  わるくなりすぎた


そうか、イーガンは中島みゆきだったのかあ!!(>違う)
そうしてラストのとてつもない諦念と無常観。これぞSFの醍醐味。

訳者あとがきで、「これはあくまでも、ふつうの意味での人間ドラマや物語ではなく、人類や宇宙の運命をこそ主眼とした作品なのである」(506p)と述べているが、そうだろうか?
いや確かにそのとおりなのだ。それはそうなのだが、それを織り込んだ上であえて私は言いたい。
本書はラストで二人が達する無常観こそを描きたかった話なのだ、と。

訳者が挙げているように、本書は「果しなき流れの果に」を連想させるものだ。そして「果しなき流れの果に」が傑作の名を縦にするのは、宇宙論的センス・オブ・ワンダーではなく、実にそのラストでの老夫婦の再会が喚起するセンス・オブ・ワンダーなのだ。

その意味では大森望氏の「ついに果しなき流れの果に到着したパオロとヤチマ。両者の静かな対話に心を揺さぶられないSFファンはいないだろう」(520p)という解説に深く頷かざるを得ない。

ともあれ冒頭で展開された私/他者の議論が、中盤以降案外生かされなかったように、作品構成上のアラもずいぶんあるのだが、それも含めたもろもろの欠点は、ラストの数ページで雲散霧消してしまった。

本作品を貫くフラクタル構造として二つの原理を挙げたが、ラストのラストでヤチマが(最初に戻るように)真理鉱山に沈潜してしまう結末は、諸ポリス、ワンの絨毯に見出されたのと同系の構造のように思われる。結局ここに還って来てしまうのか、という感懐なきにしもあらずながら、結果として惹起される徒労感はただならぬものがある。

#後日チャチャヤン気分に纏めます。

 


眉村さん情報  投稿者:管理人  投稿日: 2月11日(土)16時56分10秒 p0293-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

昨年11月、NHKラジオ深夜便で放送された「ある批評」の朗読が、同じくラジオ深夜便にて再放送されるとのことです→4月16日(月)午後10時15分〜午前5時05分のどこか。

10時15分は11時15分の聞き間違いかもしれません。NHKのHPを見たけどまだ先の話なので何の情報もありませんでした。
何かわかりましたら、追ってお知らせいたします。

眉村さんは、「音読」的要素をとても大切にされる作家でありまして、それは先の放送を聞いて納得したのでしたが、確かに活字で読んだ時とは、全く異なった印象がひろがったのです。

文字で読むと、ある意味ふつうの――つまり凝ってなくて簡潔で読みやすい、という印象だったのが、それを耳で味わうと、全く様相が変わってしまいました。
黙読では気がつかない工夫が籠められていることに気づかされました。というのも、同じ時間に阿刀田高も朗読されたのですが、阿刀田さんのは読んだ印象と聞いた印象がさほど違わなかったので、その差がよく判りました。これは眉村さんが俳人でもあることと関係しているのだろうと思いました。

私自身は、基本的に音読はしないので、こういう楽しみ方は実に新鮮でした。
阿刀田作品も先回同様再放送されるらしいので、聞き比べられたらと思います。

 


ディアスポラH  投稿者:管理人  投稿日: 2月11日(土)15時14分47秒 p0293-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

15章 16章
いよいよヴォルテールC-Zは自身のコピーC-Zを、マクロ球、すなわちこの(3+1次元の)宇宙の反転空間である双対空間(5+1次元の)U*(Uスター)に送り込む。
5次元世界の描写が続くのだが、まさに
「絵にも描けない」世界の描写で全然イメージできないのであった(^^;。

ここで一行は3次元世界のヤドカリに似た生物を発見する。一見知性のない下等生物のように思われたそれは、よく観察すると、この世界のあらゆる運動・影響関係から独立して存在しており、したがって進化適応する必要がありえない存在であった。

そういう存在は自然的にはありえず、それはあたかもすべての関係の網の目から切り離されるよう、他の全ての事象をそのようにコントロールした結果のようにも見えた。
このヤドカリのなかにトランスミューターのポリスが隠れているのではないか?
元アトランタの架橋者オーランドは、今こそ自分の出番であると覚る。彼は自分とヤドカリのあいだに、漸近的に自らのクローンを並べ、ついにコミュニケーションに成功する。

その結果わかったことは――ヤドカリはトランスミューターとは関係なく、自らこのような形態を手に入れた原住種であった。オーランドはいみじくも呟く。

「今ではここはヤドカリの聖域だ。完璧に保護されたヤドカリたちにとってのアトランタ」(427p)

しかしそれはオーランドの感傷に過ぎない。実際のところヤドカリに最も近似しているのは、皮肉にも、C-Z以外のポリスの姿ではなかったろうか?

それはさておき、ヤドカリたちはトランスミューターを知っていた。そしてどこに行ったかも。彼らはこのU*にはいなかった。
トランスミューターは、さらに別の4次元のマクロ球に向かったのだった。……

 


ディアスポラG  投稿者:管理人  投稿日: 2月10日(金)19時15分45秒 p0095-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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14章
「何がスウィフトを特別なものにしているのか? 大気中の重い同位体です。その同位体を特別なものにしているのは? そこに含まれる余分な中性子。その中性子を特別なものにしているのは? (……)中性子で変化させられることはひとつしかありません。ワームホールの長さです」(354p)

一般的に存在する中性子(ワームホールの「この宇宙」での存在形式)は狭く短く固定的。だからといって通過可能な長い中性子が存在できないわけではないにしても、きわめて稀らしい。

ところが――検定の結果スウィフトに存在する中間子は長い中性子だった。その存在頻度は自然ではなく人為的だった。そしてそこには「データ」が埋め込まれていたのだ!
つまりトランスミューターは不活性な重い同位体元素の大気に「長い中性子」そのものと共に膨大なデータを埋め込み、而してその不活性さによって膨大な時の流れに抗してそれを図書館のように格納していたのだ。

データは解析され、トランスミューターがこの図書館を作ったのは10億年前であり、そこに記述された宇宙の予測図の中には「トカゲ座」のバーストが正確に予測されていた。そしてそれ以上に深刻な予測も……。
なんとそれは、2万6千年前に銀河核でとてつもないバーストが起こっているというのだ!?

銀河系の半径は5万光年。太陽系は核から2万8千光年にある。もしこれが事実だとしたら、あと2千年後には、トカゲ座の比ではない巨大バーストが地球を襲うということだ。
トカゲ座に起こった中性子星の相互落下の巨大版が銀河核で起こっているのか?

惑星の陰に隠れていればガンマ線シャワーは避けられるが、ニュートリノは惑星など関係なくすり抜けてポリスに襲いかかるだろう。だからといって(ディアスポラ開始からして既に千年近く経過しているというのに)あと2千年で他の銀河へ逃げる余裕はない。

この問題にブランカが答える。
スウィフトの中性子は、まずはビーコンとして注意をひきつけ、次に警告メッセージとして機能した。ならばまだ精査していない残りの構造の中にまったく別の機能が埋まっているのでは?

長いワームホールは形を変えることができる。それは触媒として作用し、その触媒空間の中で、一般の短いワームホールは口を開く。この空間こそ高次元のマクロ球であり、ワームホールの口はそこへの入り口なのだ。
そう、トランスミューターは、この(3+1次元の)宇宙のどこかへ逃れたのではなく、この宇宙自体がそこでは「点」でしか過ぎない(5+1次元の)マクロ球へ、上位宇宙へと去ったのだ。しかも10億年前に。なんかパペッティア人みたい(^^ゞ

 


朝ミラ  投稿者:管理人  投稿日: 2月 8日(水)21時38分17秒 p0500-ip01osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

さてみなさん、今朝の朝ミラお聞き下さいましたか?
日産ラジオナビのコーナーで「実感的景気論・リスナーのメールから」と題して、先日私が当掲示板に書き込んだ内容を紹介していただきました。
名前も伏せていただきましたし、内容もちょっと問題があるかも、と密かに危惧していた部分は察して下さっていたようで、省略してくださってました。
ご配慮ありがとうございました。

で、道路を走る車の量が増えている、という新聞記事が紹介されたのですが、それは私も感じていました。
実はここ数日は特に交通量が多くて、イライラさせられているのですが、これは寒さと雨、雪という非・構造的要因が大きいかもしれません(^^;
でも、確かに交通量は、確実に増えていますね。

 


ディアスポラF  投稿者:管理人  投稿日: 2月 8日(水)20時56分44秒 p0500-ip01osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

12、13章
さらに640年後――地球発進からすれば900年が経過している。
C-Zはヴォルテール星系の惑星スウィフト周回軌道上にあった。

スウィフトは「人手が加えられた」惑星だった。
スィフトは、その重力では、水は分解し、水素はすべて星外に流出していてしかるべきだったにもかかわらず、水蒸気が存在した。

それもそのはず、スウィフトの水素は重水素だったのだ。同様に宇宙に一般的に存在する同位体元素(炭素12、窒素14、酸素16、硫黄32)はみとめられず、存在するのは、炭素13、窒素15、酸素18、硫黄36という各元素の最も重い同位体なのだった。

これは自然にはありえず、各元素を重い同位体に変性することで、分子を重くし、軽い重力のため宇宙に流出するのを極力防ごうとする「意志」のあらわれに違いなかった。

誰の意志?
もちろんこの惑星の知的種族だ。C-Zはオルフェウスに続いて、宇宙種族の手がかりを見つけたのだ。彼らはトランスミューターと名づけられる。

だが、この惑星のどこにもトランスミューターの存在は確認されず、彼らは既にこの星を去ってしまったのではないかと疑われた。ではなぜ、惑星を改造するという、花火のように人目を引く仕掛けを残したのか? それはあるいはクラーク「前哨」のごとき存在だったのかも。

そんな疑問に引きずられつつ、なんとか衰亡を遅らせているにもかかわらず、惑星最後のオアシス・水溜り(この辺はブリッシュ「表面張力」を彷彿させる)を調査していたヤチマ・クローンは、あっと気づく。
水素に何を加えたら重水素のなるのか? 炭素12に何を加えたら炭素13になるのか?
それは中性子ではないか!
トランスミューターは中性子を自在に扱えるテクノロジーを有した種族だったのか?
しかも中性子は電子−陽電子ワームホールの肝ではないか!
トランスミューターはワームホールを制御する技術を持った種族なのか?

ようやく本篇の肝が見えてきました。それが中性子。
愈々物語は、中性子をめぐって新たなステージへと移っていく……

 


ディアスポラE  投稿者:管理人  投稿日: 2月 7日(火)22時58分18秒 p0141-ip03osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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大森望さんが解説で、本書を「ビーグル号」になぞらえておられますが、私はむしろ「ジェイムスン教授」だろうと思う。電脳存在として永遠に生きるポリス市民は、唯脳存在となり機械の身体を取り替えながら永遠に生き、宇宙を探求して回るジェイムスン教授の、まさに直系の子孫ではないでしょうか。

それはさておき、11章です。この章はSFM掲載の「ワンの絨毯」を組み込んだ部分です。

チャイムが3回鳴り、唯一のパオロの眠りから、100人のうちの一人・ヴェガへ向かったC-Zのパオロ覚醒する。出発から230年経過していた。
宇宙船は既にヴェガに到着し、惑星オルフェウスの周回軌道にあった。
チャイム3回は生命の徴候が下の惑星に認められたということ。たしかにオルフェウスの深海底には巨大な絨毯状の生命体が生息していた。調査の結果、それは一個の巨大な分子、重さ2万5千トンの二次元ポリマー、折り重なった多糖類の巨大なシートであり――しかも驚いたことに、それは成長がそのプログラムの実行であるような生物化学コンピュータと呼んで然るべきものだった!

それではこのコンピュータが有する、そのとてつもない計算能力は一体何に使われているのか?
元グレイズナーのカーバルは気づく。その計算能力は、カーバルがフーリエ変換によって可視化したのところのもの、すなわちその中に「生きている」、いわば電脳空間(コンピュータ)内にポリス市民が生きているのと同じように、絨毯コンピュータ内に生きている高次元(16次元)生物を存在せしめているのだ。

ここにおいて、ひきこもる他のポリス群とは一線を画して宇宙に向かったC-Zポリスは、はじめて宇宙に生命を発見したのであった。
だがそれは、あまりにも次元をかけ離れた存在でありすぎて、C-Z市民がコミュニケートできるような存在ではなかった。なんたる皮肉か、そこにかれらが見出したものは、ある意味、彼らが否定する・地球に引きこもる諸ポリスの姿に他ならないのだった!

 


ディアスポラD  投稿者:管理人  投稿日: 2月 6日(月)21時24分17秒 p0711-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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7章。
コズチ理論によれば、宇宙に現存する(対消滅しなかった)すべての電子と陽子はワームホールの入り口と出口を形成しているらしい。
ところが始原のビッグバン膨張は、この入り口と出口をはるかに引き離してしまい、ここにある電子は宇宙の果ての陽電子と繋がっているかもしれないという事態を招来する。

つまり既存の宇宙は「あるいは電子と陽子のワームホールでいっぱいの宇宙」状態なのだ。
ところがこのワームホールの出入り口は量子論サイズのため、それより小さな通り抜けできる粒子は存在しえない。
しかし、ワームホールの端である電子と電子をくっつけることができれば、その口は広がるらしい。それを繰り返していけば、適度に複雑なナノマシンを通り抜けさせることが可能となる。

これがカーター=ツィマーマン・ポリス(C-Z)の企図する方法だった。

8章
800年が経過した。
喉もと過ぎれば熱さ忘れるというわけで、8世紀という歳月は、「肉滅」(大災厄のこと。しかしすごい訳語(^^;)のショックと危機意識を薄れさせ、C-Z以外のポリスは再び「ひきこもり」始めるが、C-Zは全長1400億キロメートル(冥王星の公転軌道長径の約10倍)の巨大粒子加速器<長炉>を使った実験で、新たに作られた電子−陽電子のペアでワームホールを確認するも、それは「近道(ショートカット)」ではなかったのだった……

急遽(といっても130年後)C-Zは1000個のC-Zポリスそのもののコピーを微小宇宙船に搭載し、宇宙の1000の方向に向けて発射する(ディアスポラ計画)。グレイズナーの後を追うように。

《10章 ひとりのパオロが1000の出発を前に凍結される。次にチャイムで目覚めるのは6つの可能性のうちのいずれかひとつ。
 チャイム一回は、地球にいるままの後方支援。2回は到着星に生命が存在しない場合。3回は探索プローブが生命の徴候を感知した時。4回は知性を持つ異星生命の発見の合図。5回ならテクノロジー文明。6回なら宇宙航行種族。1000のパオロがそれぞれのチャイムに目覚める。》

9章
さらに70年が経過。
1000のうちのひとつ、フォーマルハウトへ向かうC-Zの船内でブランカ(1000のうちの一人)は、なぜ長炉での実験が失敗したかを考えている。そして近道どころか、仮説上の隣接宇宙(多元宇宙)を無限に遠回りしていたのではないかと気づく。コズチ理論は間違ってなかったのだ。
その報告を地球のC-Zに送った後、ブランカはフォーマルハウトへ到着するまで自己を凍結するも、宇宙船は隕石に直撃され破壊される。

 


ディアスポラC  投稿者:管理人  投稿日: 2月 5日(日)21時13分24秒 p0524-ip03osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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6章読む。
大災厄から約20年後――
地球表面はすでに末期的なるも、地下深くのポリスには全く影響なかった。
しかしこのたびの災厄は、自分たちが宇宙(の構造)に対して圧倒的に無知であることを、ポリス市民やグレイズナーに対して見せつけるものだった。

ガンマ線バーストは肉体人には致命的だったにせよ、ポリス市民とグレイズナーに対しては殆ど影響を与えるものではなかった。しかし次に来る災厄が彼らに対して致命的でないと断言できるのか。できるはずがない。この点に関してはポリス市民もグレイズナーも、肉体人同様圧倒的な無知であることに変わりはなかった。

宇宙を知らなければ……
ということで、グレイズナーは15年前、即ち大災厄の早くも5年後に、有人恒星間船団を、21の別の星系に向けて発進させていた。
そしてカーター=ツィマーマン・ポリスも同じ道を進もうとしていた。ただし方法はワームホールを作り出すことで。
この方法の開発には数世紀かかるかもしれない。しかし数世紀の遅れならば、グレイズナーの核融合推進船に、結果的に勝るに違いない。

この計画を知ったヤチマはカーター=ツィマーマン・ポリスに移住することを決意し、イノシロウも誘う。
しかし、イノシロウは大災厄にとことん打ちのめされていた。彼は逃避するために、徹底的に虚無的な「価値ソフト」(つまり一種の麻薬)をランさせてしまっていた。
ヤチマはひとり、カーター=ツィマーマンに向かうのだった。……

 


セイザーX  投稿者:管理人  投稿日: 2月 5日(日)12時16分39秒 p0198-ip04osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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昨日の土曜日、たまたまテレビをつけたら、「セイザーX」という子供向け特撮番組をやっていて、つい見てしまいました。
これ、おもろいですなあ。
ストーリーはよく判らないのですが、主人公たちの住んでいる家が、なんか昭和30年代とみまごう雰囲気なのです。

お母さんは、いまどきありえない割烹着を着けているし、縁側があって、小さな庭があって、そこに柿の木(?)が一本生えています。
しかもその縁側では、一見グロテスクな宇宙人がひなたぼっこをしていたりして、笑ってしまいました。

主役の一人の女の子のユニフォームがまたよろしい(^^; なんと白いタイツ(パッチ?)に黒い脛あてという、グレート東郷顔負けの田吾作スタイル(^^ゞ たぶん激しい運動で脛のところに穴ができてしまったんで、布を当てて繕ったんでしょうが、そういう繕うという行為自体がまさに昭和30年そのもの! いやよいですなあ・・
ところが家の外の世界はまったく21世紀の現代なんです。

こういう無国籍ならぬ無時間的(昭和30年代と宇宙人=未来が混在する)風景は、ヨコジュン的にはありがちなパターンなんですが、テレビで見るとまたちょっとオフビートが効いていて、ふわっと浮揚感を感じることができました。
こういう感覚もまた、ある意味@「新奇なものを探そうとする衝動」であり、他方ではA「繰り返されるパターンを探そうとする衝動」、而してその統合から発してくるんですよね。

来週も見ようかな、でもきっと忘れているだろうな。

 


ディアスポラB  投稿者:管理人  投稿日: 2月 3日(金)21時13分41秒 p0931-ip01osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

石原藤夫博士が高井信さんのショートショートを誉めておられますオロモルフ号の航宙日誌
「赤き酒場」って半村良のファンジンだっけ?
快作『ショートショートで日本語をあそぼう』の続編なのでしょうか?

そういえば「ディアスポラ」の翻訳は読みやすいんだけれども、ときどき違和感を感じる表現が出てくるんですよね。チェックしながら読んでいるわけではないので、最初の方のは挙げられませんが、今日読んだ中では、

 
146p「話が見えません。」
 直訳しているのかもしれませんが(ちょっと信じられません。むしろあえて使用したように感じられます)、原文がどうであれ「話が見えないよ」というような用法は元来日本語にはなかったと思います。ここ最近よく聞くようになりましたが。
まあ一種の流行で今後定着するのかもしれませんが、廃れてしまう可能性も無視できない。
「ディアスポラ」はおそらくオールタイムベスト級の傑作であるので、やはり星新一が原則として自己に課したように、未来永劫読み継がれることを想定して、このような流行語の採用は避けるべきだったのでは?

 
162p「それは非常に不快な概念だったが、インフルエンザ・ウィルスが水爆を発明するくらいにありえなくもあった。」
 「ありえなくもあった」ってそんな表現はない(汗) 文脈から考えて「ありえなくもなかった」の誤記でしょうけど、それともこの通りなのか? ならば「ありえなかった」と書くべき。

いまぱっとページを捲りなおして以上の2箇所を探し出しましたが、これを含めて、最初から通せば
4〜5箇所違和感を感じる表現がありました。校正ミスもあるんでしょうが、200pそこそこで4〜5箇所というのは、偶然にしてはやや多すぎる気もしますが、たまたまなんでしょうね。

さて今日は4章、5章を読みました。
4章は、一転してグレイズナー(ポリス市民と同様ソフトウェアだが、物理的に存在するロボット内部に常駐して物理世界で活動する)登場。月面で重力波の感知に従事しているグレイズナー・カーバルが百光年離れたトカゲ座G-1という中性子星の連星の重力波異常から従来の理論予測より700万年も早く相互に落ち込み、そのとき放出されたガンマ線バーストが地球にせまっている(4日後)ことを発見する。
この章はまさにハードSFの醍醐味に満ちており、あのおなじみの、という意味ではA「繰り返されるパターンを探そうとする衝動」であり、且つ重力波の異常から中性子連星の崩壊によるガンマ線バーストをロジカルに導出する過程の楽しさでは@「新奇なものを探そうとする衝動」でもある(ていうかそれらは別々ではなく相互内在的なんですが)あのワクワク感「センス・オブ・ワンダー」をたっぷり味わえました。

5章は、イノシロウとヤチマが、(物理的時間で)21年前に世話になった生身の架橋者を救出すべく、ガンマ線のシャワーを浴びる直前のて壊滅する直前のアトランタへ実体化(厳密には遺棄されたグレイズナーの殻にエクスポート)する。その救出方法は肉体人たちの意識をソフトウェア化するというもので、それは到底肉体人たちに受け入れられるものではなかった。辛うじて長老オーランドのみ殆ど無理やり電子化するが、どうもイノシロウが一番助けたかったリアナは死んでしまう。

ここでヤチマ(がインストールされたグレイズナー)は肉体人に撲殺されてしまうが、その最新のスナップショット(コピー)はイノシロウによって持ち帰られます。

3章でイノシロウがオリジナルであることにこだわった作者が、ここではオリジナルを救わなかった。今後の展開が気になります。

 


ディアスポラA補足  投稿者:管理人  投稿日: 2月 2日(木)20時57分34秒 p0669-ip02osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

今日は1ページも読めなかったので、昨日の補足。

二種類の原好奇心についてNWとスペオペへの嗜好で説明しました。
ところが作品自体の成立に於いても、この2原理は関わっているのではないでしょうか。
たとえばスペースオペラ作品は、読者の「A繰り返されるパターンを探そうとする衝動」に訴えかけるべく対応するところの当の「繰り返し」を、作家自身が重視したからこそスペオペとなりえたわけですが、だからといってAだけで構成されたものであるはずがない。それでは単なる模倣でしかありませんから。

すなわちスペオペといえども、読者の「@新奇なものを探そうとする衝動」に訴えかけるべく対応するところの当の「新奇性」は必要不可欠な要素として組み込まれていなければなりません。
スペオペというA原理に忠実な形式を取る小説群の中で比較優劣を読者は評価するわけですが、そのとき基準となるのは、つまり面白いか面白くないかの基準となるのは、やはり@原理ではないでしょうか。

このようにいかなる小説形式においても、かかる2原理は必要不可欠にして相互内在的な契機(Moment)として作品の構成に関わっているのです。
この事実からしても、かかる衝動の2原理がフラクタルな構造を有しているといえるように思われます。

 


ディアスポラA  投稿者:管理人  投稿日: 2月 1日(水)19時10分19秒 p0991-ip01osakakita.osaka.ocn.ne.jp

 

 

 

3章まで読む。
1章読んでひとつ疑問だったのは、ヒトは社会において人間である、あるいは私である、という事態は、しかし人間は体験を通じてそれ(人間であること、私であること)を獲得していくということが前提となります。身体を動かすことで体験的に「知る」。ひらたくいえば身体で覚えていくわけです。
ところがソフトウエアとして存在する、つまり生身の身体を持たないポリス人にはそのような「体験」は原理的に不可能なのです。
このアポリアはイーガンも先刻承知していたようで、第3章でその問題に軽く触れられます。生身の身体を持つ架橋者オーランドは言います。
『ほう、しかしきみたちは自分自身の目で星を見たことはあるまい』(115p)
この言葉は私の疑問をそのまま言い当てているわけですが、さて……

ところで、本章のラストでイノシロウが架橋者の社会(生身の身体を持つ人々の社会)に残ろうとする。実際のところ最新のアップデートされたバックアップを取っているので、彼が残ったとしても、ヤチマが帰還してバックアップを起動させれば無問題のはず。たしかにヴァーリイの作品では逆に積極的にそういう事態を肯定していて、そこになにか「新しい」センスを感じもしたわけですが、イーガンは、というか本章ではヤチマは「この」イノシロウが、自らの意志で帰還する決意をするまで(残された時間が僅かであるにもかかわらず)待ち続けるのです。
コピー可能な電脳的存在であることと「かけがえのない私」であることが、今後どのように処理されていくのか興味津々。

前回の書き忘れ:
孤児の二種類の原好奇心として、@新奇なものを探そうとする衝動と、A繰り返されるパターンを探そうとする衝動を措定し、この2衝動のせめぎあいの中から知覚を発達させるメカニスムを書いています。
これはまさに人間のアナロジーそのものであって、人間の知覚のあらゆるレベルにおいて確認されます。いうなればフラクタルな構造なのであって、たとえばSFでいうならば@はニューウェーブを求める衝動ですし、Aはスペオペを求めるそれといえましょう(^^;
人間は、かかる2衝動のあいだを行ったり来たりしているのであって、人によって@寄り気味であったりA寄り気味であったりすると同時に、@を求めた次の瞬間にはAに心奪われたりするわけですね。

イーガンの記述はごく些細な部面にも深い意味が隠されていたりするので、油断なりません。気をつけて読まないと読み飛ばしてしまいそうです(^^ゞ

 


「ディアスポラ」@  投稿者:管理人  投稿日: 1月30日(月)22時39分32秒 p0931-ip01osakakita.osaka.ocn.ne.jp

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遅まきながら、『ディアスポラ』を読み始めました。
ていうか、 こたつの上に積ん読状態の「ディアスポラ」に手が触れたので、なんとなくパラパラと捲っていたら、面白くなって第1章「孤児発生」を読んでしまったのでした。

イーガンが現象学的な人文・社会諸科学の素養があることは、『祈りの海』でもよく表れていましたが、この章で扱われるヤチマの誕生(創出)から「我の自覚」までは、まんま(現象学的)社会学が明らかにしたところの「自覚の後至性(私の発見、構成される私)」の電脳的再現なんですね。

しかもこの「孤児」ヤチマは、『都市と星』における「ユニーク」アルヴィンに対応するものであることは、まず間違いなくイーガンによって意識されているでしょう(そしておそらく、同じ機能を持たされることになるのでしょう)。

クラークは当時のサイバネティックス・情報理論から「ユニーク」を設定したんだったと記憶していますが、それがとりもなおさず構造主義的文化理論における「マージナルマン」に重なる概念だったのと同様に、本章のラストで、電脳的存在であるヤチマの
(これを考えているのは誰だ?
 わたしだ)

に至る契機は、ヒトが、社会の中において模倣から始めて「我」を構成していく過程を社会学が考究した契機に重なります。

本章においてヤチマ(となるもの)は、まず自分というものを認識していません。イノシロウがいいます。
「おまえ、自分が誰かわからないのか? 自分自身のシグネチャーを知らない?」

生まれたばかりの赤ちゃんは、自分の範囲がわかりません。世界(環境)と身体的自己の境界線がない。
かかる自他未分化な状態からまず他者(他我)が分化され、その他者を鏡として自我が析出(構成)されるわけですが、かかる事態に対応するのが、「孤児」が「四人目の市民」を「見」れるようになることです。これこそG・ミードの「me」が構成された瞬間であり、身体的自己が環界から分離する契機であります。
このような過程を経て、ようやくヒトは「私」を獲得するわけです。

本章において、「私」は「社会」において構成される(社会でしか構成されない)、という事態が電脳的に再話されており、こうして「私」を獲得した「孤児」・「ユニーク」たるヤチマの今後の冒険(おそらく社会の根源的理解)が描写される「基礎」が示されたのだと思います。

 


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