ヘリコニア談話室ログ(2006年9)

 


訂正  投稿者:管理人  投稿日: 928()195256

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昨日は眉村さんはサラリーマンを辞めたあと、アルサロでアルバイトしていたと書きましたが、それは私の勘違いだったようです。
『新・異世界分岐点』のあとがきに「何せ昭和30年前後の時代なのだ」とあるので、やはり学生時代のアルバイトだったようですね(昨日の記述通り眉村さんの大学生時代は昭和27年から31年です)。
なんせ昭和8年生まれの藤本義一さんがアルバイト学生だったんですから(「このとき毎日、店に氷を配達しに来たアルバイト学生がいたが(……)それが藤本義一氏であった」)。

で、もうひとつ気づいたことがあります。それは本篇「夜風の記憶」は短篇集『かなたへの旅』からの再録なんですが、この『かなたへの旅』が出版されたのは昭和54年(1979年)。ですから「夜風の記憶」はそれより以前の執筆となるはずです。

さて、この昭和54年当時、くだんの場所はどうなっていたでしょうか?
昭和33年に大阪歌舞伎座が閉鎖され、千日デパートとなったことは下述しました。この千日デパートが有名な大火災で焼けたのは、昭和47年(1972年)のことでした。
そしてその後、昭和59年(1984年)にプランタン建設されるまで(取り壊しは前年の昭和58年)そのまま放置されていたようです。(→参照

すなわち、本篇を執筆していた昭和54年当時の眉村さんが見ていた大阪歌舞伎座跡地は、火事になった千日デパートの残骸が放置されていたのです(私自身は残念ながら覚えていません)。
たぶん塀囲いされていたのではないかと想像するのですが、それを差して「もとは劇場だった建物」と表現されたのではないでしょうか。

リンク先に「1932年9月28日に竣工した大阪歌舞伎座の建物だったものを、新歌舞伎座竣工に伴い改装」と書かれていますから、千日デパートの建物は新規に建設されたものではなく、大阪歌舞伎座の建物をそのまま利用したものだったようです。その意味でも「もとは劇場だった建物」という表現は、執筆されていた当時の[元・大阪歌舞伎座=現・千日デパート(の残骸)]を差しているとみなして間違いないように思われます。

 昔の大阪歌舞伎座の姿

 


推理「もとは劇場だった建物」  投稿者:管理人  投稿日: 927()221740

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「血ィ、お呉れ」とは一転して、「夜風の記憶」では大学時代アルバイトしていたアルサロ「フロリダ」の思い出が甘美に甦ります。
もっとも小説とは違って眉村さんが実際にアルバイトしていたのは専業作家になった当初の一時期だったはずで、この辺もまた「エイやん」同様、虚実皮膜の境い目を縫って書かれているのかも。

それはさておき、フロリダは何処にあったのだろう。
呑んでいた法善寺横町から戎橋に戻り、友人は戎橋筋を北に去る。
「フロリダはここから広い道路を横断して行った左側の、もとは劇場だった建物のその裏の通りにある」(56p)
この辺で広い道路といえば、東西の千日前通りか南北の御堂筋以外にはない。
御堂筋を渡るためには、戎橋筋から一旦出て、難波の交差点で渡らなければならない。
千日前通りならば、戎橋筋をたんに南下すれば横断できる。
前者だとすれば渡った対岸の左側には新歌舞伎座があるが、もちろん今も現存している(しかも後述の通り、主人公の学生時代にはまだ建ってなかった)。
後者ならば、現・ビックカメラ、前プランタン、元千日デパートの以前に大阪歌舞伎座があった。
で、この大阪歌舞伎座は、昭和33年に閉鎖されている。問題は上記のような変遷を経た場所を元劇場と表現するのは不自然ではないかということ。

しかしながら、眉村さん=主人公とすると、昭和9年生まれの主人公の大学生時代は、昭和27年〜31年頃に相当する。
つまり主人公がアルバイトしていた頃、大阪歌舞伎座は現存しており、主人公がアルバイトをやめた(就職した)あとに閉鎖されたことになるから、「もとは劇場だった建物」という表現は不自然ではないわけです。
よって、フロリダは大阪歌舞伎座の裏通りにあったに違いないと私は結論するのですが、もっともアルサロ体験のない私たち世代より上の、ある年齢層の人には、あああそこか、と直感的に分かるのかもしれません。

追記。
いろいろネットを見ていましたら、ここに千日デパートの火災についての記事があるのですが、以下の記述を見つけました。

アルサロとはアルバイトサロンの略でキャバレーの一種である。昭和42年のチャイナサロンプレイタウンの開店前は火災現場には昭和25年よりユメノクニというアルサロが入居しており、ユメノクニは日本最初のアルサロであった。

しかし不審ですね。千日デパートは昭和33年に大阪歌舞伎座跡地に建てられたビルですから、ユメノクニが昭和25年から入居できるはずがないのです。このユメノクニがフロリダとは思いませんが。

私が子供のころは高島屋の屋上で遊び、大食堂でランチを食べるのが無上の楽しみだったのですが、この大食堂から千日デパートがよく見えていた記憶があります。当時高い建物なんてありませんから、千日デパートは突出して高かった。高島屋の大食堂が何階にあったのかおぼえてませんが、子供心に高島屋より高い建物やなあと見るたびに思っていました。

 


midi  投稿者:管理人  投稿日: 927()013841

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「好きさ好きさ好きさ」をチャチャヤン気分に掲載しました。

 


山沢先生と眉村さん  投稿者:管理人  投稿日: 926()213457

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眉村卓さんの最新作品集『新・異世界分岐点』(出版芸術社刊)はとうに読み終わっているのですが、うっかり『遺す言葉 その他の短篇』(早川書房刊)を読み始めたら、止まらなくなってしまいました(といっても私の読書スピードでは一日に読める分量は限られていまして、ようやく半分超というところなんですが)。
『新・異世界分岐点』の感想は今の本を読み終わってからゆっくりまとめたいと思います。

それはさておき、『新・異世界分岐点』巻頭の「血ィ、お呉れ」は、著者の平野区の社宅時代の怨念に満ちた(笑)小説です。
この平野区というのは、今でこそアジア的国際都市の雰囲気ですが、大阪市内では珍しく空襲を免れた地区ということで、建物が焼けなかったばかりか、その結果旧い社会関係や人間関係も温存されてしまった地帯でもありました。
眉村さんが住んでおられた60年代頃まではそれは色濃く残存していたはずで、共働きの眉村夫妻が朝連れ立って出勤すると奇異の目で眺められ、それがかなりのフラストレーションであったことが、この短篇を読むとひしひしと伝わってきます。

実は先日の畸人郷例会に山沢晴雄先生もいらっしゃってまして、また私が調子こいてエイやん街道の顛末から拡がって上記平野区時代の眉村さんの話を吹聴していましたら、山沢先生が、眉村さんと一緒に平野へ帰ったことがあるとの昔話を披露してくださったのでした。KTSC(関西探偵作家クラブ)の会合の帰り、山沢先生も平野に住んでおられ、たまたま一緒に国鉄で帰ったことがあり、眉村さんから名刺をもらった。その名刺は本名の村上卓児だったとのお話でした。眉村さんがペンネームをまだ使ってなかった時代の話なんでしょうか? 会社の名刺だったかどうか聞こうと思ったんですが、聞きそびれてしまいました。

 


シェクリイ追悼号  投稿者:管理人  投稿日: 925()200326

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堀さん
高速道路下の道は、日当たりが悪いためか総じて薄暗くてじめじめしていて、あまりよい道ではありませんね。とくに山王町辺の高架下は小便臭もきつく、天王寺公園を追い出された(?)ホームレスたちが入り込んできているのか、寝床を作り始めていました。
「女郎逃げ出し防止塀」とはすごいですねえ。万博の前と後で、世の中はごろっと変わってしまったという印象が強いです。
70年前後というと、私の感覚ではそんなに昔とは思えず、「へえ、つい最近まであったんやな」という感じなんですが、実際には30〜40年というのはとてつもない歳月ですね。今の飛田の、おそらくはアルバイト感覚のお姉さんたちには、「女郎逃げ出し防止塀」なんて大昔の話というところではないでしょうか。

さてさて、SFマガジン最新号が出たようですね。おお、今月号はシェクリイ追悼特集ではありませんか。→アマゾン
亡くなってから間があきすぎている気もしますが、まあ追悼号を組んで呉れたんだから良しとしましょう(後で亡くなったレムの追悼号が先に出たときは何だかなあと思ったものでしたけど)。
表紙が真鍋博風ですね。これはよいですねえ、いかにもシェクリイ追悼号にに相応しい表紙であると思います。
内容もレム特集のときと違って小説が掲載されているようです。これは購入しようと思います。



Re:「エイやん」街道  投稿者:堀 晃  投稿日: 925()060445

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高速道路下の歩行というのもすごいですね。
そういえば、阿倍野から下る坂道、霊園の北側あたりに、長い塀がつづいていたのでした。
万博前まであったはず。
飛田新地の、要するに「女郎逃げ出し防止塀」です。60年代末に取り壊されたと記憶してます。
新開地と墓地がセットというのはその通りですね。

 


「エイやん」街道  投稿者:管理人  投稿日: 924()120646

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「エイやん」行程調査の「旅」に行ってきました。
昨日は梅田で畸人郷があるので、夕方天王寺で降り、エイやんとは逆向きに難波を目指してみました。

まずは出発点と決めていた阿倍野霊園(墓地)に向かって歩き出す。チンチン電車阪堺線の道(13号線)を南下し、阿倍野ベルタの交差点を右折、頭上を高速が走る東西方向の道を歩き出す。
暫く行くと金塚小学校前。それを越えると対岸に墓地が。
墓地の西端に細い旧道が見える。この道を入っていくと大谷学園に至る筈。

で、この道は今歩いている東西方向の道と交差点を形成している形なのだが、交差点から北へ伸びる道は整備された新しい道で幅も広くなっており、私の記憶では天王寺へと戻っていく筈だ。
ということで、もう少しすすみ、高速道がゆるやかに右(北)方向へ湾曲していくあたりで、そこから北へ伸びる細い道へ入ってみた。

とにかく高速の下の道を歩こうというのがはじめからの目的なので、曲がっていく高速道の方へと細い道を左へ左へと折れていくと、「おにいさん、おにいさん」と声をかけてくる。見ると、遣り手婆あであった。
ありゃありゃ飛田新地に入り込んでいたのか。高速道は飛田新地の真上を走っていたのだ。
時間は夕方4時過ぎで、早いところは店を開け始めていたようだ。
しかし女の子もまだ坐っていないのに声をかけるな。それともよほど物欲しげに見えたのかな。まあきょろきょろしていたのは確かだが(汗)

そそくさと一帯を抜け、さらに高速の下の道をすすむ。余談だが、いわゆる新開地と墓地はセットになっているんだなあとあらためて納得。
以降もそうなのだが、ここから先は殆ど高速の直下は金網で仕切られた空き地で、その両側に小型車がようよう通れるような道が続いていくばかり。小便の香りは匂いたっても、とてもバス停があるような道ではない。

そんな道を暫くすすむと、広い東西への通りに出た。何のことはない天王寺駅前から環状線に沿って新今宮の方へ伸びる道路だ。四方形の3辺を歩いてきた勘定になる。
実はこのあたりで時間的に30分弱。すでに足が痛くなり始めていた。衰えを実感。この地点から出発したらよかったと些か後悔。

道路を渡り、環状線をくぐってジャンジャン横丁に入る手前を右に折れ、ジャンジャン横丁と動物園の間の道(高速の下道)を北上していく。
25号線を渡り、高速環状1号線が(えびす町方向と夕陽丘方向に)分岐するあたりで、下の道がなくなり、やむなく東側の高架に沿った道を歩く(そのさらに東側で松屋町筋が始まっている)。

実はこのあたり、少し離れた西側を走っている道に日本橋東や日東小学校のバス停があったようだ。すなわち私の予想は間違っていた(堀さんのブログ参照)。
高速夕陽丘の出入り口(右へ行けば夕陽丘学園)からまた下道が始まるも、従前どおりの細い道である。で、羽呉神社の交差点に到達。ここにも堀さんがすでに確認されたようにバス停はなかった。

けっきょく堀晃さんの想像通り、バス停は現実にあるものではなかったようだ。

ここまでで既に1時間。ただし歩く速度は前半よりかなり遅くなっている。もはや気分的にも肉体的にも限界に達しているのであった。もはやナンバまでは歩けない。歩きたくない。タクシーを拾おう、というわけで松屋町筋に出るも、なんとこの道は南行き一方通行なのであった。
呆然と、惰性に任せて歩いていたらほどなく千日前通りから続く道路に出てしまった。何となく元気が出て左折し、少し行ったら地下鉄日本橋駅への降り口があったので、ああ助かった、と階段を下りたのでありました。

畸人郷では前半の喫茶店では死んでいました。後半の居酒屋でようやく元気が出てきました。
きょうはまだ大丈夫なようですが、明日くらいから筋肉痛が起こりそうで心配。(*)
「エイやん」の主人公は(まあ眉村さんと考えていいわけですが)、阿倍野霊園からさらに阪南団地付近まで歩くわけで、たぶんこれくらいの散歩は屁とも感じておられないんでしょうな。うーむ。

 (*)と思ったら、筋肉痛が始まった。翌日から始まるなんて、オレもまだ若いのであった(^^ゞ <12:49追記>

 


堀晃さんの「エイやん」解釈  投稿者:管理人  投稿日: 920()215743

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昨日の予告どおり、堀晃さんのブログに「エイやん」の解題が掲載されています。
私は一読驚嘆し、ネットの地図と大阪市営バスの路線図を画面に並べて、一時間近く見入ってしまいました。
堀さんの解釈はまったく唖然とさせられるほど意表を付かれましたが、よくよく考えてみれば、実に説得力があって確かにそうに違いない、いや、そうでなければならない、とさえ思えてきました。
私の感想はあちらのコメント欄に書き込みましたので、あわせてお読み下さい。

先日私は、この小説はもっと具体的な地名を書き込んだほうがいいと書きましたが、いやはや見当違いも甚だしいですね。それではこの小説の趣向がぶち壊しになってしまいます。
考えてみれば眉村さんが書き加えた具体的な地名は、たしかに出発地点こそ明示しますが、あとは曖昧なままに据え置かれている。なぜそんな中途半端なことをしたのか?という疑問も、堀さんの仮説を採れば氷解してしまいますね。

などと考えているうちに、また妄想が頭をもたげてきました。これはジーン・ウルフ的にも読めるんじゃないか? ベンチに坐って煙草を二本すっているわけですが、この一本目と2本目が、本当に連続的に同一地点ですったものなのか、保証の限りではないぞ、同じベンチであるとは限らないぞ、と(^^ゞ

 


Re: 異世界へのバス停  投稿者:管理人  投稿日: 919()224345

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え、高速道路下のバス停は「架空の存在」で「二重の存在」?
いや〜それはまったく想像の埒外でした!
明日の堀先生のブログでの謎解きを楽しみにいたします(^^)

 


異世界へのバス停  投稿者:堀 晃  投稿日: 919()204949

  引用

 

 

今日、難波から聖天山まで歩いて来ました。(途中、阪堺線利用)
「エイやん」における浦上の足取り調査です。
その結果、次のことが判明しました。
@高速道路下のバス停は架空の存在である。
Aそのバス停は「二重の存在」として設定してある。
BこれはSFの舞台設定としては極めてユニークな方法である。
ということです。
長くなりますので、詳細はぼくのブログに(たぶん明朝)書きます。
よく歩いたので晩酌で飲み過ぎてしまって。
本日は21時に早寝といたします。

 


レス  投稿者:管理人  投稿日: 919()203341

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大橋さん
や、3年もつづけますか!
と一瞬思いましたが、考えてみれば、1年6人として3年で18人。これまでの6人を足して、24人。
枚数でいえば、7枚×2回×18人=252枚(=7×36ヶ月)に、既掲載分の7枚×7回=49枚を加えれば、301枚となりますね。
なるほど、挿絵画家24名で300枚……妥当なところかも。それでようやっと、一冊の本としての最低ラインに達するのですね。

堀さん
たしかに「どこのバス停か」ですよね。これが確定すれば聖天山までの足取りもほぼ確定しますね(笑)。
「自動販売機が近くに設置されている」バス停って、そんなにないと思われますので、これは有力な情報だと思います。

私も車ではよく通るのですが、車では土地の高低とか坂道というのは、なかなか実感できないようです。やはり実際に歩いてみるか、せめて自転車で通行してみたいですね。
ということで、フレンチ警部もかくやの足の捜査を期待しております!

 


Re:『新・異世界分岐点』の「エイやん」  投稿者:堀 晃  投稿日: 919()082027

  引用

 

 

ぼくも浦上の歩くコースが気になっていて、最初は漠然と、下寺から夕陽丘へ上る坂道の途中と思ってました。ただしここは天王寺区と浪速区の境界です。坂道のイメージはこちらの雰囲気が使われたのかなと。この場合、学校は大阪女子大。
ただ、エイやんと出会うのは間違いなく松虫通を横に入ったあたり。こちらの坂道は行ったことがないのです。
ポイントは「バス停」がどこかですね。
ちょっと気になるので、日本橋の部品屋へ行くついでに「現地探訪」してみるつもりです。

 


SF挿絵画家の系譜  投稿者:大橋  投稿日: 919()071743

  引用

 

 

だんだんと「知る人ぞ知る」という画家さんが増えてくると思います。
3年も過ぎた頃には私も知らないような方が登場するかもです。

 


梅田へ出る。  投稿者:管理人  投稿日: 918()234935

  引用

 

 

たまには歩かないと、と突然思い立ち、夕方、梅田に出向いて書店めぐり。
近所を散歩すればいいものなんですが、散歩という習慣がなく、歩くといえば書店めぐりしか思いつかない。往復運賃でSFM2冊買えてしまうのだから、何とも無駄なことをしているわけですが、40年来の習性いかんともし難く。

さて、梅田旭屋にてそのSFMをまずチェック。大橋博之さんの連載「SF挿絵画家の系譜」第7回は「原色の咆哮◎南村喬之」。さすがに第7回となりますと、私のような挿絵画家に疎いものには、名前と作品が一致しません。掲載されていたテッド・ホワイトの文庫本のカバーも記憶がなかった。
逆にいえば、今後登場してくる画家の紹介にこそ、この連載の意義があるのかもしれません。ある意味、武部や小松崎についてならば、大橋さんによる新発見は別にして通り一遍なことは、他でも読めますから。
その意味で、この連載も「佳境」に入りはじめたといえるのではないかと思いました。

岩波文庫『アフリカ農場物語』の下巻が出ていたので購入。
ソフトバンク新書『嫌老社会
 老いを拒絶する時代はタイトルに感応して購入。
たしかに現代は、「アンチ・エイジング」という言葉に代表されるように、「老い」が当の老人からも忌避されてしまっている。老化防止の化粧品や健康器具は、まさに「嫌老社会」という市場なしには成立しなかった新商品ですね。

『新・異世界分岐点』は見当たりませんでした。見落とした可能性もありますが。
ああ、それから平山夢明の短編集が平積みされていました。なんでまた、と思ったら、推協賞を受賞したようですね。以前の浅暮三文といい、推協賞の性格が変わってきているようですね。

家を出たのが夕方で往復するだけで正味2時間半かかるため、、書店めぐりとはいい条今日は旭屋だけしかチェックできませんでした。ああ何たる無駄。

 


ハヤカワ文庫SF、最近の動向  投稿者:管理人  投稿日: 918()115829

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検索で遊んでいて、ふと今年のハヤカワ文庫SF出版点数のうち、ローダンと復刊を除いた純然たるSF新刊はいったい何点あるのか、が知りたくなりました。
で、結果が以下。1月−8月で正味9点。

1 ニュートンズ・ウェイク◇ハヤカワ文庫SF1575     ケン・マクラウド06.8
2 カズムシティ◇ハヤカワ文庫SF1571          アレステア・レナルズ06.7
3 ティンカー◇ハヤカワ文庫SF1572           ウェン・スペンサー06.7
4 シンギュラリティ・スカイ◇ハヤカワ文庫SF1567   チャールズ・ストロス06.6
5 火星縦断◇ハヤカワ文庫SF1562       ジェフリー・A.ランディス06.5
6 グリュフォンの卵◇ハヤカワ文庫SF1558     マイクル・スワンウィック06.4
7 コラプシウム◇ハヤカワ文庫SF1554              ウィル・マッカーシイ06.3
8 プルトニウム・ブロンド◇ハヤカワ文庫SF1549     ジョン・ザコーアー06.2
9 地球帝国秘密諜報員◇ハヤカワ文庫SF1545     ポール・アンダースン06.1

うーむ。月に1冊平均ですな。この期間に文庫SFとして30冊刊行されているので、ローダンの新刊と復刊と新刊でそれぞれ3分の1ずつという按配でしょうか。
新刊点数、多いのか少ないのか、といえば、丁度よいくらいではなかろうかと思われます。
大体SFをひと月に何冊も読めるはずがないので(ここがミステリと違うところ)、最近は他社からもぽつぽつと出版されることを考えれば、月に1冊というのはSF専門読者(?)的には妥当なところ。

ただジャンルが偏ってないか?
ハヤカワ文庫SFは[理系=スペオペ=ヤングアダルト(≠ライトノベル)]に路線を定めたのでしょうか。
私としては「グリュフォンの卵」のような[NW=社会=サイエンス・ファンタジー]系をもっと出してほしいところですが、「そういうのはもう他社に譲った。なのでそっちで出してもらってよ」というのがハヤカワの考えなのかも(笑)。

まあ、NW(国書)、サイエンス・ファンタジー(河出)はいいとして、社会SFがわりを食っているように思います。いわゆるイフ誌-ギャラクシー誌系といいますか……ポールには小粒ながらいい社会SFがあると思います。初期ディックも元来はこっち系ですよね。にしてもアメリカン社会SFの紹介は、ほとんど手を付けられていないような気がしています。社会SFは古びてしまうのでしょうか。

 


「大相撲大変」  投稿者:管理人  投稿日: 917()13176

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松田忠徳『大相撲大変』(祥伝社新書、06)

立ち読みにて読了。
著者はモンゴル通の大学教授(日本唯一人の温泉学者とのことだが、ネットで略歴みたら、どうもライター上がり(?)らしい。松浪健四郎のスポーツ社会学みたいなポジションか)ということで、モンゴル力士に対する愛に溢れた大相撲最近事情という感じの軽い読み物。買うほどの本ではありません。書店で30分で読めます。

結構興味深く面白いことが書いてあった。面白いとは裏事情的にという意味で、たとえば以前千秋楽で栃東と朝青龍が対戦し、朝青龍が勝てば栃東と白鵬の決定戦というシチュエーションで、朝青龍があっさり負けてしまって栃東が優勝したのだが、これは白鵬に優勝させたくない朝青龍がわざと手を抜いた疑いがあるとして、モンゴル本国でもそういう噂が流れたなどと書かれている。
ことの真偽は別にして、かかる書きようから分かるように、モンゴル力士擁護の基本姿勢ながら、一番のひいきは白鵬のようです。
モンゴルでも白鵬は朝青龍よりも人気が高く、その理由としては白鵬の一族の(モンゴル相撲における)家柄(家格)がよいからとのことで、モンゴル相撲横綱を父に持ち、母方は医家である白鵬は、どうやらモンゴルの家系的エリートのようです。白鵬のじっくり腰を据えた態度と朝青龍の攻撃的な態度の源泉もそんなところに求められるというのが、著者の考えです。たしかに白鵬には良家のボン的な風貌がありますね。

本書を読んで、じつは私は朝青龍を応援したくなりました。家柄の劣る朝青龍が瞬く間に相撲界の頂点に達し、厳しい取り口で支配体制を維持する姿は、まさに織田信長そのものではないか、と思えてきたのです。その意味で白鵬は徳川家康なんでしょうか。家康のような狸には見えませんけど(^^;
とすれば秀吉は誰か?という具合に私の妄想はとめどなくひろがっていくのですが、あるいは安馬なんかその候補ですね。いまでこそ朝青龍の腰ぎんちゃくですが、相撲に対する姿勢は非凡なものがあります。人気を保つためには太らず今の体型を維持しつつ強くなっていこうとするような、客観的自己観察力など、本書の著者も書くように、妙に計算高いところがある。そこそこ力がついたらいつでも朝青龍から離反することに躊躇しないように思われます。

あらら感想文のはずが、変な方に妄想がすすんでしまいました(^^;

 


amazonミスった?  投稿者:管理人  投稿日: 916()145921

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斎藤さん

情報ありがとうございました。
おお、早くも入手されましたか! 今回の「新・異世界分岐点」「いいかげんワールド」と装丁に共通性を持たせてあるようですね。きっと並べて陳列したら引き立つのではないかと思います。これは各書店様におかれましては、ぜひ両方並べてどーんと積み上げて頂きたいものです(^^;

ネット書店でも販売がはじまりました。bk1はいち早く24h以内体制を布き、なんぼでも注文オッケー、ウェルカムよとばかりに、でんと構えていますね。これは『いいかげんワールド』の際、amazonにスタートダッシュで敗れた苦い経験を生かしたのでしょうか(^^;
そのamazonですが、「在庫切れ」って何よ・・ ひょっとして商品確保に失敗した?

ということで、ネットでのご注文はbk1のご利用がもっとも早くお手元に届くと思います。
ともあれ、斎藤さんお知らせありがとうございました。また何か気がつかれましたらよろしくお願い致します!

 


Re: 『新・異世界分岐点』  投稿者:斎藤  投稿日: 915()223631

  引用

 

 

本日、本屋さんで普通に店頭購入しました。神奈川県川崎市の本屋さんです。
大型店では普通に入荷されているのではないかと思います。
平積みとなっていなかったのは残念ですが。
数日遅れで平積みの可能性も大かなと思います。
前の「いいかげんワールド」も最初は一冊だけさりげなく書棚に入荷され、数日後に
大量に平台に平積みとなってましたので。
以上簡単ながら報告まで。

 


「太陽を盗んだ男」  投稿者:管理人  投稿日: 915()010137

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DVD「太陽を盗んだ男」(79)を観た。

これは何だろう。アメリカン・ニューシネマ張りの純映画かと思えば、ハリウッド流のど派手な(金のかかっていそうな)アクション映画のようでもある。その意味でいささか中途半端、どっちつかずの感が否めないのだけれど、見応えはあった。
それはどこから来るのかといえば、けっきょく純映画であろうと娯楽映画であろうと、その根本に「明日があるさ」という言葉とは対極的な世界認識があるからだろう。
70年代には手垢にまみれていたこういう態度が、21世紀の現代では逆に批評性を獲得しているということかもしれない。

主役の沢田研二は、先回観た「ときめきに死す」(84)よりもよかった。こっちの方が時系列的に先に撮られたものなんだけど、アクションでカバーできる分、本作の方が向いていたんだろう。しかしやはり眼の力が弱い。眼に迫力がなく素のままなのが致命的。
菅原文太は演技過剰で浮いていた。ニューシネマ系にはこういう演技はいささか古めかしくて合わない。
池上季実子はまあまあの演技ながら、若かりし往年の姿が見られたのでよしとしよう。
井上堯之の音楽がよかった。「青春の殺人者」もそうだったが、長谷川和彦監督は音楽に恵まれているというか、センスがあるようだ。

ところで長谷川監督は、この二本を撮って以降、監督していないらしい。
その理由は何となく分かる。当時すでにメディアミックス大作主義の角川映画全盛期に入っており、すなわち日本映画のハリウッド化が進行しつつあったのみならず、「明日があるさ」的な未来志向が大衆心理に蔓延し始めており、長谷川自身の持つ「明日はない」(ラスト明示されていないが、東京で原爆は爆発する)といった敗戦体験的というか、一種新左翼的な(悪くいえば刹那主義的な)情念を新しい映像に乗せる方法論が、業界的にも大衆にも受け入れられなくなってしまったのではないだろうか。それはアメリカン・ニューシネマのなし崩し的解体と軌を一にする現象だったように思うのである。

 


『新・異世界分岐点』  投稿者:管理人  投稿日: 914()210429

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愈々9月15日刊行です!
ネット書店にはまだ反映されていませんね。リアル書店はどうなんでしょう、もう入荷しているんでしょうか?
唯一楽天ブックスで検索に引っかかりましたが、データは入っていないようです。→新・異世界分岐点
いずれにしても、遅れているとは聞いていないので、明日には注文できるようになるでしょう。まずはお買い忘れありませんように(^^)

藤野恵美さんのファントム&ダークネスの新作が、いちはやくネットで読めるようです。→WEBマガジン「WEBヒント?7号」

 


重版決定!  投稿者:管理人  投稿日: 913()200018

  引用  編集済

 

 

『いいかげんワールド』の重版が決定しました。まずはめでたし(^^)

大橋さん

「御堂筋」が鍵でしたね。
旧稿でも、百貨店の前で道路が分岐するという記述で、まあ高島屋というのは分かりましたけど、阪急も阪神も、強弁すれば一応その条件はみたしていますからね(^^;
この一語で、後は自動的に辿れるわけです。

このようなタイプの話は、具体的固有名詞を多用したほうが、あとの幻想場面が引き立ちますね。そういう意味ではもっと地名等を書き込んでほしかったかも。
ただ一般的にいって第1世代の作家には「星新一の呪縛」みたいなのがありまして、そういうのを忌避する傾向があるように思います。それはそれで正しい態度だと思うのですが、眉村さんの「私SF」にはちょっと嵌まらないように感じました。

ところでハヤカワ文庫の『ProjectBLUE 地球SOS 1』見ました?
これって小松崎の絵じゃないでしょう。
小松崎の絵物語は、その絵のほうに意味があるのであって、ストーリーに特段のオリジナリティがあるわけではありませんよね。絵があってこそのストーリーでは?
弾丸列車にしろ飛行機にしろ、あの小松崎のタッチで、読者は見たいはずなのです。

なので、ストーリーはどのように改変しても構わないけど、イラストは小松崎の原画から採用すべきなのです。いや屹度しなければいけない。
こんな小松崎を冒涜するような本を出していいのかな、と思いました。

 


幻想空間  投稿者:大橋  投稿日: 913()072711

  引用

 

 

> 幻想空間がくっきりと浮かび上がっています。

N区の聖天山の近くからA区へ引っ越して、松虫通り近くの晴明小学校に行き、阪南団地のそばの阪南中学にチンチン電車で通っていた私としては、たしかに「くっきりと浮かび上がって」きます。

http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.mapion.co.jp%2Fc%2Ff%3Fuc%3D1%26nl%3D34.6321939%26el%3D135.5126106%26scl%3D25000%26grp%3Dall%26coco%3D34.6321939%2C135.5126106%26icon%3Dmark_loc%2C0%2C%2C%2C%2C

 


『新・異世界分岐点』の「エイやん」  投稿者:管理人  投稿日: 912()232548

  引用  編集済

 

 

『新・異世界分岐点』収録の「エイやん」ですが、当サイト掲載稿から若干改稿されているようです。
地名が具体的になっているのです。
その結果、主人公がパチンコ屋を出てからどういう経路をとおって自宅に帰りついたか、おおまかに分かるようになりました。どこで幻想空間に入り込んだのかも。

そのパチンコ屋ですが、「アーケードのある通り」ということで、まず戎橋筋のどこかで間違いなし。
で、戎橋筋から御堂筋に出る。
御堂筋を南下し、高島屋で左(東)へ折れ、道なりに日本橋3丁目交差点を越えて東行、「高速道路が頭上に架かる」呉羽神社の交差点で、バス停(下寺町?)のベンチに坐り休憩。
そこから寺へ上がる坂の手前の横道を右折(南下)。ぐにゃぐにゃと高速道路1号環状線に添いつつ南下して、天王寺公園と新世界の間を抜け、大谷学園を通り、聖天山へ至る。

ここで下方に広がるN区を見遙かします。N区とA区の空間的位置関係が主人公の内宇宙と対応していることに注意。

で、ここから松虫通りへ、現実にはすぐに出られるのですが、そして松虫通りを左へ(東へ)向えば、阪堺線のチンチン電車の線路にぶつかり、それを越えれば13号線。13号線を南下すれば阪南団地となるのですが、実にこのとき、聖天山から松虫通りに出る間で、主人公は「もうひとりのエイやんがいた」幻想空間というか、「今ひとつの分岐世界」に引きずりこまれてしまうのです。

当サイト掲載稿に比べて具体的になった分、幻想空間がくっきりと浮かび上がっています。

 


ぐぐっても引っかからない「いろは」  投稿者:管理人  投稿日: 911()211653

  引用  編集済

 

 

柳生さん

リンクして下さるとのこと、よろしくです。
「天離る……」は、それまで書いていたPC8001+ワープロソフト(?)いろは(いまからするとよくこんな原始的なので書いていたものと思いますが、いろはの導入で20枚前後書けるようになったんだから、わたし的にはとても重宝でした。「黄昏圏」はいろはで書いた)からようやく専用のワープロ機に移行して書いた作品なんですが、如何せんMS-DOS機能がまだなくて、テキスト化できてなかったのです(この機種の次のワープロではじめてMS-DOS変換機能がついてた)。

で、「夜のリズム」以来フィクションは書いておらず、殆ど書き方を忘れてしまっていることに、先般気づいて愕然としたこともありまして、ちょっと肩慣らしを兼ねてその頃のをテキスト化しているんです。
いや具体的に何か書きたいと思っているわけではないのですが。……

そういえばあっちの創研でなにやら密かな蠢動の気配が(^^;→8/28〜8/31
憶測するに、深田享の個人特集号を出すのかな? だとしたらちょっと楽しみかも(^^)

 


お知らせありがとうございます  投稿者:柳生真加  投稿日: 911()200015

  引用

 

 

こんばんは。

北野講談亭を告知していただいて、ありがとうございます。講談も落語も、打ち上げも楽しみです。

傑作「天離る鄙の星辺に」は、「風の翼」バックナンバーのページからもリンクしますね。

http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fkazenotubasa.cocolog-nifty.com%2F

 


チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日: 910()185342

  引用

 

 

通俗SF小説「天離る鄙の星辺に」(下)を掲載しました。

 


第2回北野講談亭  投稿者:管理人  投稿日: 910()12585

  引用  編集済

 

 

柳生さん
眉村さん最新情報をありがとうございます。
いま当該サイトへ行って見ましたが、ネット上ではまだ掲載されていませんね。
先週(9/3)の『自閉症―これまでの見解に異議あり!』の村瀬学さんまででした。この著書もいい本でした。著者に会いたい
また日を措いてからアクセスしてみます。

>10月4日(水)の神戸での講演会、楽しみです

チケット拝受しました。ありがとうございました。
第2回北野講談亭、前回の一月からちょっと間が開きましたが、これはいろんな意味でたのしみ満載ですね(^^;。
盛会を祈念いたします。

ということで告知です。

    ――――    ――――    ――――

<第2回北野講談亭〜講談と落語の会〜
神戸北野の港が見える丘で、味わい深い上方講談と落語を聞こう!

10月1日(日)
 会場 北野天満神社(地図
 開場 午後1時半 開演 午後2時
 木戸賃(当日)1800円、(前売)1500円 (前売り完売の場合当日券の発行なし)

<演者>
旭堂南湖、旭堂花鱗
桂あやめ
 (演題は当日のお楽しみ)
 *終演後打ち上げアリ(参加費別途)


 前売り券の申し込み・問い合わせは、電話またはファックス、ハガキで、
 「北野講談亭チケット希望」として、@名前A人数B住所C電話番号、
 を明記の上、下記へ申し込んでください。

 北野天満神社
 〒650-0002 神戸市中央区北野町3-12
 TEL078-221-2139 FAX078-251-5682

 主催:旭堂南湖応援団 共催:PE-01企画

    ――――    ――――    ――――

惹句に「味わい深い上方講談」とありますから、古典の名作がきけそうですね(^^)
桂あやめさんもたのしみです。あやめさんはやはり新作でしょうか。

 


朝日新聞に  投稿者:柳生真加  投稿日: 910()105232

  引用

 

 

おはようございます。
今朝の朝日の読書欄「著者に会いたい」で眉村さんが載ってましたよ。
10月4日(水)の神戸での講演会、楽しみです。
ではまた。

http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fkazenotubasa.cocolog-nifty.com%2F

 


「ときめきに死す」  投稿者:管理人  投稿日: 9 9()22566

  引用

 

 

DVD「ときめきに死す」(84)を見た。

本篇は丸山健二の原作。その原作は未読ながら、だいぶ変わっているのではないでしょうか。映画ではコンピュータが小道具として使われているのですが、荒唐無稽感を強めるばかりでプラスには作用していません。原作にはないものと思う。だいたい指示を出すあの子供は何者? 丸山健二の、内に滾るものを秘めた静謐な物語が、劇画調に捻じ曲げられているのでは?

動いている車の内部を、車外からくっつくように接写しつつぐるっと車を一周するカメラアングルがあるのですが、これはどうやって撮ったんだろう。不思議なカメラワークが印象に残りました。

沢田研二は嫌いではありませんが役者としては素人で、アクション映画とは正反対のこの役は荷がかち過ぎたように思います。わたし的には萩原健一で見てみたかった。まあショーケンではハマリ役すぎてサプライズはなかったかもしれませんが。
ついでにいえば、樋口可南子は桃井かおりに似ていると思った。一見正反対ですが、演技の質が似ているのかもしれません。一瞬ですが、あれ、桃井かおり痩せたのかと錯覚しました(^^; ショーケンと桃井かおりのコンビで見てみたい。
という次第で、やや期待はずれでした。

 


「青春の殺人者」  投稿者:管理人  投稿日: 9 9()01176

  引用  編集済

 

 

DVD「青春の殺人者」76)を見ました。
「18歳、海へ」につづいて中上健次原作です。
これはもはや邦画じゃないですね。洋画、それもアメリカン・ニューシネマを見ているような感覚でした。
ゴダイゴの音楽がすばらしい。このBGMが洋画っぽい雰囲気に大きく寄与している。

さて内容は現実にあった両親殺しがモデルになっている。
最近も少年による親殺しの事件がありましたが、報道はすべて加害者を「分からない」として、「一線」の向うに追いやろうとするものばかりです。「一線」の向うのことは、自分たちとは全く無関係な別の世界であるといわんばかり。
もとよりモデルとなった事件でも、当時のマスコミ報道は同じような論調だったに違いありませんが、少なくともこの映画が撮られた。
あるいはシージャック事件は「闇の向うへ跳ぶ者は」が書かれた。少なくとも70年代はそういう時代でした。
いまや、そのような視点はとんとみかけないようです。

しかしながら、文学や映画、いわゆるフィクションの存在理由は(あるいはその一端は)、上記のような「ふつうの人々」には了解不能な出来事に、共感のメスを入れてなんとか理解しようとするといったところにあるのではないでしょうか。自分たちとは断絶的な「狂気」のふるまいと思われていたものが、フィクションを通じて、それが狂気として排除されるものではなく、自分たちと同じ「人間」の所業であったのかもしれない、そういう見方もあり得るぞという、一種「認識の変容(拡大)」を読者や観客にもたらすのがフィクションの力であるように思われます。

この映画は、一人の若者による「両親殺し」という、一般人にとって想像の埒外の、狂気のふるまいを、そのミッシングリンクを想像力によって埋めようとします。映画らしく論理ではなく気分として私たちを納得させようとするのですが、水谷豊の解釈と演技力は、それに充分に成功していると思いました(市原悦子は熱演でしたが、演技が濃すぎてややリアリティを欠いたように感じた。演技は難しい。原田美枝子と足して2で割れば丁度よかったかも(^^;)。

 


「いいかげんワールド」の書評  投稿者:管理人  投稿日: 9 6()233717

  引用

 

 

毎日新聞に載ったもの。
今週の本棚・本と人
ニュースクリッピング

同じ記事が、別のコーナーで掲載されたようですね(この写真のアングルはちょっと(ーー;)。

「今は自分が読みたいと思う小説が少ない。世の中を知り尽くした年配者向けの小説は、筋書きの面白さだけでなく、作者の思いを書き込んでいいのでは」
というのは全くそのとおりだと思います。
私自身「年配者」であるわけですが、若年読者には面白くても、「年配者」としての私には今更で詰まらない小説というのが確かにあるのですね。
若年層に特化したのがライトノベルならば、年配者に特化した小説があってもいいんじゃないか。
眉村さんの最近の作品はその意味で注目に値するものだと思います。

 


「マラキア・タペストリ」  投稿者:管理人  投稿日: 9 6()225416

  引用  編集済

 

 

チャチャヤン気分に、ブライアン・W・オールディス『マラキア・タペストリ』(サンリオ文庫、86)を掲載しました。

 


「18歳、海へ」  投稿者:管理人  投稿日: 9 6()001846

  引用

 

 

DVD「18歳、海へ」(79)を観ました。
まあ何というか、いかにも70年代青春映画らしく暗いのでありました。
その暗いだけが取り得の作品で、主演陣(森下愛子、永島敏行、小林薫)が演技力不足で、ストーリーの必然性が伝わってきません。
とりわけ森下愛子は、優等生でありながらタナトス願望の持ち主という、たしかに難しい役どころなんですが、全然解釈が及んでいないのが辛いところ。この役が肝なんでここがぐらぐらだとどうしようもないのです。
私は同時代人なので、何とか、この作品の「あるべき姿」を想像できるのですが、今の若者にはそれこそ「了解不能」でしょうね。

 


「忍者部隊月光」  投稿者:管理人  投稿日: 9 5()212331

  引用  編集済

 

 

のテーマ曲が卒然と頭のなかに鳴り響いたので、メモ。midi

この曲は(カラオケでもおそらく歌ったことがないので)確実に40年来聞いていない筈。
浮かんできたのは主旋律だけ。いったいどんなアレンジだったのか全く覚えてません。
というか小学生がアレンジを気にして聞くわけがないので、最初から頭にインプットされてないのでしょう。
うーむ、カラオケで聞いてみるか。てかカラオケにあるのか?

 


チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日: 9 4()202126

  引用

 

 

通俗SF小説「天離る鄙の星辺に」(上)を掲載しました。

 


「渋滞」  投稿者:管理人  投稿日: 9 3()215358

  引用

 

 

DVD「渋滞」(91)を観るも途中でやめる。
豊田有恒の傑作短篇の映画化かと思ったんだが違いました。

年末、交通費をケチって萩原健一、黒木瞳の夫婦と子供二人の4人家族が千葉から瀬戸内海の島へ車での里帰りを敢行するも、案の定大渋滞に巻き込まれる……

ある意味<自然主義>映画かも(^^ゞ。
面白くないわけではないけど、設定がリアルすぎて十年前の自分を見るようで、なんかもう観ていられないのであった。
豊田作品のようにほどよく現実離れしていたらよかったんですけどね。

映画には「リアリティ」が、わたし的には必須なんだけど、「リアル」そのものは最近苦手になってしまいました。「付き過ぎ」というか。
現実から飛躍した設定で、且つその設定にリアリティがあるというのが、わたし的に安心して没入できる条件のようです(^^;。

 


チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日: 9 3()134717

  引用

 

 

宮本忠雄『言語と妄想 危機意識の病理を掲載しました。

 


すみません  投稿者:管理人  投稿日: 9 2()230618

  引用

 

 

8月分投稿を過去ログへ移していて、うっかり9月分を消してしまいました。
とりあえずキャッシュから復活させましたが、ご迷惑をおかけしました>次元放浪民さん

 


「管理人さんへ」 投稿日: 9 2()212835  投稿者:次元放浪民  投稿日: 9 2()230214

  引用

 

 

見ていただきありがとうございました。映画版は本当にひどいです。原作と通じるメッセージも全くありません。見て本当に損しました。ほかには、この間のタイムマシンという映画も原作をまるっきり無視してます。H・G・ウエルズの孫が作ったとかですが、全然その意思を受け継いでません。それから、指摘についてですが改名から改題に直しました。ご指摘ありがとうございました。

http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww001.upp.so-net.ne.jp%2Fkindan-hm

 


「なぞ転」 投稿日: 9 2()200335  投稿者:管理人  投稿日: 9 2()230019

  引用  編集済

 

 

次元放浪民さん

ウィキペディア、見てきました。
なかなかの労作ですね、ご苦労様でした(^^)

映画版は見てなかったのですが、原作からかなり改変されているというか、ズタズタにされてしまっていることを知ることが出来ました。
まあ映画化が原作を踏襲して行なわれることの方が珍しいのかもしれませんが(今回の日本沈没もそうですよね)、映画を観た人が原作を読まずに誤解してしまうのが何より悔しいですよね。

という私ですが、実は日本以外全部沈没には期待しているんです(^^;
サワリだけテレビで見ました。これ面白そう!
原作自体がある意味、「日本」映画向きな話なんですよね。筒井先生も出演なさっていることですし、これは見たいと思っているんですが、大阪でのロードショーは未定のようです(ーー;

あ、そうそう。

>編集部の要請で「なぞの転校生」と改名
は、誤りとはいえませんが、
 編集部の要請で「なぞの転校生」と改題
の方が適切だと思います。

 


「管理人さんへ」 投稿日: 9 1()222737  投稿者:次元放浪民  投稿日: 9 2()225825

  引用  編集済

 

 

お久しぶりです。僕は、ウィキペディアでなぞの転校生について編集していました。まず、ウィキペディアでなぞの転校生と入れて表示ボタンを押してください。するとんぞの転校生の画面が出てきます。一番上に履歴がありますのでそこで8月27日以前のと見て比べてください。登場人物の項目などを作り発展させましたので是非みてください。

http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww001.upp.so-net.ne.jp%2Fkindan-hm

 


「股旅」 投稿日: 9 1()00034  投稿者:管理人  投稿日: 9 2()225526

  引用  編集済

 

 

DVD「股旅」(73)

木枯し紋次郎の市川崑が紋次郎以上にリアリズムを追及しています。
たまたま一緒になった小倉一郎、尾藤イサオ、萩原健一の3人の最低の渡世人がつかのま同道し、無意味なつまらない死にざまをさらす。
本作品には、紋次郎のマカロニウェスタン的なかっこよさすらありません。しかしそれがリアル渡世人の姿なんでしょう。
ストーリーといえるような太い連鎖はなく、シーンを積み重ねる手法が効いている。一見バラバラなシーンが、次第に寄り集っていき、何ともいえない感動があります。アメリカ映画にはない日本映画の最良の作劇のかたちがここにあると思います。その一方で日本映画の癌というべき作りすぎもたしかにあるのですが(冒頭など)、それも含めて満足できる映画でした。

 


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