ヘリコニア談話室ログ(2006年11)

 


イスラム教の伝来は?  投稿者:管理人  投稿日:1130()21379

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住職の日記帳より――

 11月 9日(金) 報恩講参勤。昼 伽陀二章 文類偈草四句目下 念讃五淘
     「三朝浄土」次第 三首。夜 正信偈草四句目 念讃三淘「弥陀成仏
     飛び三首。

 11月 8日(水) 報恩講参勤。昼 正信偈真四句目下 念讃五淘 「五十六億」
      御俗姓。夜 御伝抄拝読 正信偈舌々 短念仏。

 11月 7日(火) 報恩講参勤。正信偈真四句目下 念讃五淘 「五十六億」
      二重表 巡讃。


……(汗)
そういえば住職が以前より所望していた藤本泉『秘聞一向一揆』をブックオフでゲットしたのはいつだったか、渡しそびれているうちにすっかり忘れてしまってましたよ。本もどっかへ紛れ込んじゃった。まあどっかにあることは間違いないのですが(^^;

宇月原晴明『黎明に叛くもの』に着手。
松永弾正久秀((1510年-1577年)の物語らしい。最初にコーランからの引用があったりして掴みはばっちり!
たしかに戦国時代にイスラム教が伝来していても不思議ではないですよね。大体明の鄭和(1371年 - 1434年)はイスラム教徒でしたし、14〜15世紀には既にインドネシアやフィリピンはイスラム化されていたそうですから、イスラム商人が日本にやってきていない方が不自然。
だと思うのですが、イスラム教の日本伝来を検索しても見つかりません。このページ「何よりもバテレンは、キリスト教の最大のライバルであるイスラム教が日本にはまったく進出していないことに勇気を得たという。」とのことで、そうだとしますと、ではなぜイスラム教は16世紀の日本に入ってこれなかったんでしょうか? その理由に興味を覚えますね。

 




「柳柊二 怪奇画帖」  投稿者:管理人  投稿日:1128()205222

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SFMとSFJでSF挿絵画家やジュブナイル小説の連載コラムをもたれている大橋博之さんが、このたび初めての御本を出版される運びとなりました。

大橋博之編『柳柊二 怪奇画帖』で、12月中旬刊行の予定とのこと(大橋さんのサイト参照→GARAMON)。
版元はラピュータ。先般、加藤直之監修『武部本一郎SF挿絵原画蒐集』を上梓した会社ですね。この『武部本一郎SF挿絵原画蒐集』にも、大橋さんは協力されていたはずですが、このたびは大橋さん名義で本が出るわけで、これはめでたい(^^)

詳しくは上記大橋さんのサイトで確認して頂きたいのですが、大橋さんのサイトから予約しますと、おまけにポストカードがもらえる特典がついてきます。とのことで、早速私も大橋サイトから予約させていただきました(^^)。せっかくのチャンス、ぜひぜひ予約してお買い求め頂ければと思います。
柳柊二といえば、わたし的には旧版ファファード&グレイ・マウザーの挿絵画家のイメージしかないのですが、本来は怪奇画が本領なんだそうで、どんな怖い絵が載っているのでしょうか、たのしみです!

 




「ネフェルティティの微笑」  投稿者:管理人  投稿日:1127()204035

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栗本薫『ネフェルティティの微笑』(角川文庫、86)読了。

エジプト史上の美女としてクレオパトラと共に名高いネフェルティティは、アメンホテプ4世(イクナートン)の正妃。ということで、イクナートンつながりで読んでみました。
期待していた歴史小説ではなく、現代小説でした。

失恋を忘れるためエジプトにやってきた主人公はカイロ博物館のネフェルティティの頭部石像(そっくりだといわれている)を見学しているとき、その石像とそっくりな日本人女性那智と邂逅し、その魅力のとりことなる。
彼女はエジプトの大富豪の後妻として嫁いできた女性で、あとで分かるのだが義理の息子と関係がある。
実はネフェルティティもオリエントの国ミタンニからイクナートンの父王(アメンホテプ3世)に嫁いで来、父王の死後あらためてイクナートンの正妃となっており、ネフェルティティと那智の相似性が印象付けられるように設定されています。だからといって生まれ変わりであるというような設定は全くありません。最終的にはごくふつうのミステリに収束します。

吉村作治の解説によると、アトン神唯一信仰政策を実際に推進したのはネフェルティティとのこと。残念ながら本篇自体にはアトン信仰について触れられている箇所はありません。
余談ですが吉村作治が書くようにイクナートンの宗教改革がミタンニとエジプトの宗教戦争であったというのはおかしい。もしそうだとすればミタンニに唯一神信仰の事実がなければいけません。そんな事実はなさそうです。大体オリエント世界こそ典型的な多神教世界でしょう。

というわけで、フツーに面白かった。元版が81年であり、まだ小説としての体裁は保っています。とはいえやはり浮き足立った躁的な雰囲気はそこはかとなく看取されますが、許容範囲内。
エジプトを舞台にした旅情冒険ミステリといった感じをめざしているのでしょう。それはおおむね成功しています。軽いとはいえ、崇拝され支配する女王と支配される男たちというオブセッションが根底にあり、この図式は栗本薫の基本構造なんでしょうか。殆ど読んでいないので単なる予感というか想像ですが、そのように感じました。

 

 

 

 

(管理人
松岡正剛によるフロイト『モーセと一神教』の読解

 




「神の発明 カイエ・ソバージュ(4)  投稿者:管理人  投稿日:1126()202211

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中沢新一『神の発明 カイエ・ソバージュ(4)(講談社選書メチエ、03)読了。

一神教(ゴッド)は、平等なアニミズム(スピリット)が高神(グレート・スピリット)のもとに再編された多神教からのさらなる変換形態であり、その出現は国家の出現と軌を一にするものであるとします。理念的にはそのとおりだと思うのですが、実際のところというか現実には、一神教といえるものは先日も記したようにアトン信仰と、ユダヤ教−キリスト教-イスラム教だけなので、そのような一般化が妥当なものかやや疑問ではあります。

正統キリスト教の三位一体説は事実上の多神教であるというのは興味深い。三位一体を否定したり偶像崇拝を禁ずる一神教至上主義の新教徒やイスラム教徒に原理主義が発生しやすいというのもなかなか面白い仮説でした。

それはそれとして、第7章「高神から唯一神へ」が最近の私の関心に応えてくれる内容で、本章によりますと、族長アブラハムに率いられたハベル(アビル)族がシュメールの都ウルを出てカナンの地にたどり着いたとき、アブラハムが斎祀していた神は「ヤハウェ」といいましたが、一般のハベルの人々は「神々」を信仰していたらしい。
むしろ土着のカナン人たちと一緒になって「バアル神」や「エル神」(イルラ・エル、イスマ・エル)という「高神」を信仰していた節がある。というよりも、アブラハムがウルより連れてきた神の名は実際はエルであったかもしれないと聖書学者カレン・アームストロングは唱えているらしい。

さて、その600〜700年後、族長モーセに率いられた一族が「神を戴いて」エジプトからやってくる。
「その神(アブラハムの神)は(……)モーセの前に出現した神と完全に同じ神であると書かれていますが、それはずっとあとになってから、ユダヤ民族が自分たちの歴史を、「唯一神」の思想にしたがって合理化するために考え出した話で、そのまま鵜呑みにすることはできません」(160p)

つまりイスラエルの民に一神教を持ち込んだのは、実にモーセだった!
「モーセはそれまでのイスラエルの人々の考え方とは違って、アブラハム以来の彼らの神ヤハウェを、人間との絶対的な距離で隔絶された(……)神として理解し(……)他の多神教宇宙の神々への信仰を徹底的に禁止したのです」(166p)

ここで先日の私の妄想にリンクします(笑)
モーセは一神教という考え方をどこから得たのか? そうモーセはそれをアトン信仰から得た(そうとしか考えられない!と書きたいところですが、それではトンデモ言説と同じになってしまいます。いやトンデモですけど(^^;)。

時系列的にはどうか? モーセは紀元前13世紀から紀元前12世紀頃の人物と推定されています。一方アトン信仰を推し進めたアメンホテプ4世の在位期間は紀元前1379年〜紀元前1362年ころ、すなわち紀元前13世紀中葉です。
そうしますと、この両者のタイムラグは50年から100年でしょう。イクナートン亡き後アトン教は迫害され地下にもぐったとしても、50年から100年は隠れ信徒の集団は衰退しつつも命脈を保ったのではないか(ちなみに秀吉による宣教師追放令(1587年)から島原の乱(1637年)までが丁度50年です)。しかしモーセの頃にはにっちもさっちも行かなくなって遂にエジプトを脱出、カナンにたどり着いたのでは?
と妄想はどんどん膨らんでいくのですが、これくらいにしておきましょう。

 

 

 

 

(管理人ちょろっと検索したんですが、モーセとアトン信仰を結びつける説って案外あるんですね。
極めつけは、あのフロイトが「モーセと一神教」という著書でこの説を提唱しているらしいここ

 




かんべむさしさんの新ブログ  投稿者:管理人  投稿日:1126()120814

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かんべむさしさんが書評というか読書録のブログを開設されていたんですね。かんべむさしのブックレビュー
今頃気づきました。朝ミラを聞いてないのがバレバレですな(^^;
いや家のラジオが壊れてしまった上、通勤時間がすこし後にずれて武田鉄也の3枚下ろしとモロにぶつかってしまっているのです。――なんて言い訳はおいといて、最新の書き込み『低度情報化社会
Webは本当に進化しているのか?は面白そうですね。2ちゃんねるもそうですが、ミクシイのニュースに付けられるコメントがまさにコメンテーター症候群でありまして、その低レベルさには唖然とさせられます。これに比べると、2ちゃんねるはまだしも玉石混交ですな。

情報量の増大が逆に単一化志向に向かう問題はすでに70年代前半から言われていたことで、庄司薫4部作の隠れたテーマでしたし、クライン・ユーベルシュタインの傑作「白い影」はずばり情報量の増大と意思決定のマイナスループを正面から取り上げたものでした(結論はSF的トンデモですが(^^;)。
ネットの普及が一挙にそのような世界を現実化してしまいました。それからの脱出はかんべさんのおっしゃるとおりですが、実際にミクシイのニュースに付されるコメントを見るとそれ以前の問題を強く感じてしまいます(meの発達の遅れ)。

わ、この文もヘッドライン症候群だな(汗)

 




ゴッドとスピリット  投稿者:管理人  投稿日:1125()225638

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一神教とアニミズムのことが気になりだして、中沢新一『神の発明 カイエ・ソバージュ(4)(講談社選書メチエ、03)を読んでいます。
「カイエ・ソバージュ」も3巻まで読んで、いつの間にか遠のいてしまっていたので、ある意味丁度よいきっかけになりました。
内容は面白い。ただ近代科学ガチガチの人には何を言っているのか理解不能かも(^^;

 




「私はいつ生まれるか」  投稿者:管理人  投稿日:1123()19198

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板倉昭二『「私」はいつ生まれるか』(ちくま新書、06)読了。

「私」がいつ心の中あるい脳の中に生まれるのかを、実験心理学的な手法で明らかにしようとする。
私自身も著者と同じで、「生後間もない赤ちゃんは混沌とした世界に住んでおり、自分と自分を取り巻いている環境とを区別していない存在」だと大学で教わりました。発達の理論はほとんど環境か遺伝かの二者択一的な時代だったわけですが、今日ではもっと精緻になっていることがよく分かりました。

「私」の認識も身体的なそれから社会的なそれへと段階を追って獲得していくものであり、一番基礎的な「私」については胎児の段階から想定できるようです。まあそのような私は動物にも認められ、私の発達の段階論は進化的な系統発生として考えることができるということを、霊長類学の知見も駆使して説明されます。

とはいえ「他者なくして自己はない」という意味での自己が私には一番興味があるところで、本書では「メンタライジング」(ある対象に心的状態を認めること)、「心の理論」(生物が他者の心的状態を洞察し、そうした心的状態に応じて適切に反応する能力)の発達のフェイズをチンパンジーや乳幼児での実験を通じて明らかにしている。
ただこのような実験的手法が明らかにするのは、たとえば「メタ認知的自己意識」を獲得するのが5歳ごろであるという「事実」だけであって、「メタ認知的自己意識」が如何なるメカニズムによって生じるのかといったことが明らかにされるわけではない。

実際のところ、私が本書を読もうと思ったのは、「準ひきこ森」が、(準)ひきこもりという人間の状態(傾向?)を、まず存在しているものとして(アプリオリに疑わず)論を展開しているのが若干物足りなく、その意味で本書はたとえば「ひきこもり」という状態(「私」のありかた)はいかなるメカニズムで生じるのかといったことを論じている、つまりより原理的なというか根源的なレベルが考察されるのではないかと考えたから。しかしそのような発達の遅れ、あるいは心の理論の機能不全を問題にするものではなかったのはいささか残念。まあ勝手に予断で読み始めて不満を感じるのもどうかと思いますが(^^;

 




「別冊詩の発見」(第4号)  投稿者:管理人  投稿日:1123()162944

  引用

 

 

11月16日に投稿した「別冊詩の発見(第4号)」、購入したい旨のメールを送ったのですが、返事をいただけません。メールが届いてないのかな。それとも部外者には頒売しないのか。でもメールアドレスが記載されているということは受け付けているということだと思うのですが……。
関係者でここを見ている方はいらっしゃらないですかねえ。

 




一神教単系起源説  投稿者:管理人  投稿日:1123()102852

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一神教は遊牧民の宗教観であるという知識を私はもっていまして、天皇部族が一神教崇拝ならば当然その出自は遊牧民であろうという屁理屈を構築できそうで、これはうまい具合であるなあとほくそ笑んでいたのですが、ところがよくよく考えてみるとこれがまるで入試の知識でありまして、ぽつんと教条のように公理としてあるばかりでなぜ一神教が遊牧民の宗教観なのかという理由がすっぽり抜け落ちているのでした。

そういえば最近安田喜憲が「一神教の闇」という新書を出していたなあと思い出し、検索してみますと、ずばり内容説明に「一神教的世界観に支えられた畑作牧畜民」とありました。
少なくとも私の入試的知識が強ち外れたものではないことが確認できてほっとしたのですが、最近の安田喜憲の著作は老化が激しくてほとんどエッセイなので、確認のためとはいえちょっと買う気がしないなあ、という感じで、さらに検索したら、こんなところがヒットしました→http://www.whaleeaters.org/~3ki3ro/diary/personal/00/0009.html

「遊牧民族の中で一神教が生まれるというのは理解しがたい.もし遊牧民族に一神教が生まれる性質があるというなら,世界中に生まれていただろう」
というのは確かにそのとおり。だいたい一神教ってユダヤ教、キリスト教、イスラム教以外に何がある?って感じですよね(後述のとおり、あとは世界最初の一神教として大学入試知識で覚えた「アトン信仰」)。
で、この三大一神教は周知のとおり系譜関係があり、その観点からいえば一神教は発生は単系的であるといえる。「遊牧民=一神教」という大学受験的常識は事実からかけ離れているわけです。

で、「アトン信仰」です。このページの要旨は上記三大一神教が示しているように「一神教というのはいったん成立してしまうと、なかなかしぶとくしつこいものだ」といえるのに対し、アトン信仰は「ただ一代限りのこととして、雲のように消えてしまったことになっている」。しかし政治的には姿を消しても信仰者がいなくなったとは限らない。実はかかるアトン信仰の「隠れキリシタン」こそがモーゼであり、出エジプトとはアトン信仰者が迫害から脱出してカナンへいたった事実であり、実にそれこそがユダヤ教の起源であった、というのです。詳細はリンク先で読んでください。

いやーこれは面白い。つまり世界最初の一神教「アトン教」こそが三大一神教の大もとの起源であり、一神教はまさに単系的であった(遊牧民に普遍的に生ずるものではない)ということになるのです。

うーむ、実に面白く、かつ説得力があるのですが、天皇部族の出自を遊牧民に求めたかった私にはあんまり面白いものではない(^^; なぜなら一神教単系説を採ると、天皇部族が単一神信仰であったという私の説を成立させるためには、実に何とトンデモないことを想定しなければならなくなるのですよね(^^ゞ

 

 

 

 

(管理人あ、景教があったか!
景教はいつ頃中国に到着したんだろう? 調べなくては。

(追記)
うーむ景教関係もトンデモな説が多いなあ。
それに崇神・垂仁紀を3世紀とするならば、景教はまだ成立していませんね。

 




天皇と一神教  投稿者:大熊宏俊  投稿日:1121()211728

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わ、『魔女誕生 新訂版コナン全集2』(創元文庫)は、12月に延びたのか(ーー;
 →http://www.tsogen.co.jp/np/detail.do?goods_id=3647

オロモルフ博士が掲示板(11/21)で、余談と断わった上で面白いことを書いておられます。
すなわち、古代天皇は神々より上位の存在であったらしく、神々に位を「授けて」いたりしている。ただし先祖神の〈天照大神〉だけは別格で、結局神武から崇神・垂仁あたりにかけて天皇の一族は〈天照大神〉を別格・至上神とする宗教政策をすすめていく。その過程でそれを認めまいとする土地の豪族との間で相当な確執がおこる。その事実を別観点から記述したのが魏志倭人伝の卑弥呼、台与だったのではないかと想像しておられます。

これは面白い。以下は私の空想(妄想?)ですが、つまり天皇家は一神教を導入しようとしていたのではないでしょうか! 倭国大乱とはこの政策に対する反動で、結局一神教をあきらめ大物主神に代表される土着神を取り込むことで(倭迹迹日百襲姫命が大物主を斎祀る)、天皇家は倭国大乱を収束させたのでは。

さらにオロモルフ博士の考えからは遠ざかるのですが、天皇家がもともと日神を信仰する一神教部族であったとすれば、(多神教から一神教が生まれる。その逆はない)かなり進んだ(「自然」を対象化できる)高文化種族だったといえますね。もちろん天皇家がユダヤの失われた支族だったといいたいのでは決してありませんよ、為念(^^ゞ

 




「腸卜」薀蓄  投稿者:大熊宏俊  投稿日:1120()205535

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ラファティの「腸卜」ではありませんが、佐原真『騎馬民族は来なかった』(NHKブックス、93)に、紀元1世紀のブリタニアでは「捕虜の血で祭壇を浄め、人間の臓器を見て神意を問うことを神聖な掟としていた」というタキトゥスの記述が紹介されています。
もっとも基本は家畜(特に羊)の内臓で、ドイツの西アジア古代史家マイスナーによれば、内臓占いはバビロニアに始まり、ヒッタイトからエトルスク(エトルリア)に受け継がれローマで終わるとのこと。内臓のなかでは肝臓が重視されたようです。もちろん腸もたしかに使われていました。
しかしそれにしても、腸管のループとニューロンのループの「外形的類似」に着目して「腸」と「脳」を同一視する(ことを思いつく)ラファティの感覚はやはり特殊だよなあ・・・一種の「換喩」ではありますな(レヴィ=ストロースが野性の思考であるとしたところの)。

 




「準ひきこ森(もり)」  投稿者:管理人  投稿日:1119()125235

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樋口康彦『準ひきこ森(もり) 人はなぜ孤立してしまうのか?(講談社+α新書、06)読了。

本来「ひきこもり」なのだが、大学という自由な、逆にいえば人付き合いがまるでできなくても問題ない環境のなかにあることでその非社交性が顕在化せず就職の段階を迎えてしまう一群の人々――という存在形式を「準ひきこもり」と定義することで示したもの。

や、これは面白い。私もひとつ間違えばこの連中の仲間だった可能性があるから、よけいに面白い。ただここに書かれている若者たちを、我々は実によく知っていると思います。なぜならここで提出される定義のどこかに必ず、私たちは該当する部分を持っているからです。とりわけこのような掲示板に訪れてくれる方はとりわけその傾向が強いのではないでしょうか(^^; 結局のところ「準ひきこもり」の要素を持たない大学生なんて存在しない。この本を読んだ読者はほとんど例外なく、「や、これはおれだな」と思ったに違いない。

この事実(?)が「準ひきこもり」が病理的事態でも機能的障害でもないことを端的に示しています。「準ひきこもり」は単に「偏り」にすぎない。ただその偏りが大きければ大きいほど社会的不適応が避けれられない。要素を極端に多く抱え込んでいるのが「準ひきこもり」として、就職活動に際して顕在化するわけです。
私が辛うじて準ひきこもりとならなかったのは、単に経済的事情がそれを許さなかっただけのような気がします。症状の軽重はあれ、準ひきこもりは、その前段階での環境のあり方で、なんぼでも状態の進行は食い止められた。逆にいえば「自覚」によって「意識的に」擬態できる。そしてその擬態がいつの間にか本質に吸収されてしまうというのは、社会人として10年も過ごしたものは誰でも知っています。
準ひきこもりであった著者が「努力の甲斐あって」ある人から「営業マンタイプ、遊び人風」といわれて嬉しかったとありますが(190p)、私も同窓会で何十年ぶりにあった人から「セールスマンしてるの?」といわれて、なるほどそう見えるかと思ったことを思い出しました。

本書は、誰でも「半自覚的」には知っている事態を「命名」することでくっきりと切り出し、読者に「自覚化」を促す効果があったと思います。多くの方に読まれるべき本ではないでしょうか。

それにしても、「準ひきこもり」未満の潜在的予備軍は、本書に明らかなとおり、狡猾にも(とは書かれてませんけど)公務員や教員に紛れ込んでしまっている。というのは本書に対する否定的なわが感想です。
昨今顕在化している岐阜県や大阪市の杜撰なあり方、いじめ問題に対する教師の消極的な反応は、準ひきこもりの根本的要素から惹起される「見て見ぬふり」の集積の結果と一括できると思うのですが、この傾向の根源には公務員や教員に流入した「他者に対する関心の薄い」という「準ひきこもり」的性質が少なからず(私見では決定的に)影響しているのではないか(従ってシステムの問題ではなく構成員の問題なので、システムをいくら弄っても根本的には改善されない)。
その意味で、著者が準ひきこもりは公務員をめざせ(一義的には医者や弁護士を目指せといっているのですが、それは少数に該当しても大多数がなれるわけがない暴論です)というのは理解できるけど、全面的には賛同できません。

 




山崎努の「いいかげんワールド」評  投稿者:管理人  投稿日:1117()193211

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週刊文春11月23日号、山崎努さんの「いいかげんワールド」評を読みました。(「私の読書日記」152p)
なるほど、下記の大森さんの評言とは正反対ですね。「いいかげん」なところ(脱力、頑張らない)を積極的に評価しておられます。考えたら「頑張って苦しむ」司政官とは対極的な生き方を描いているわけで、その指摘を読んでちょっとびっくりしました。
山崎さんは昭和11年生まれ、眉村さんとはほぼ同世代ということで、眉村さんがこのようなキャラクターを造型した気持ちが我々なんかよりもより一層理解できるのかもと思いました。
それにしても「頑張らないヒーロー」って視点は死角でした。エルリックよりもユニークかも(^^;

樋口康彦『「準」ひきこ森(もり)』(講談社+α新書、06)読み中。これは面白いです。

 




眉村さん情報  投稿者:管理人  投稿日:1116()21075

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堀晃さん
「いいかげんワールド」の書評のご紹介ありがとうございます。
早速明日購入してみます。どんな内容かわくわくします。

先日京フェスで大森望さんが「いいかげんワールド」について語っておられたのですが、あの話の「いいかげん」(笑)な部分にちょっと違和感を感じられたようでした。そのかわり「新・異世界分岐点」の新作(「エイやん」のことだと思います)については、「よかった」と高評価でした。

――と書いたところへ、おおシンクロニシティでしょうか、眉村さんから電話が!
早速週刊文春のことお伝えしました。ご存じなかったようで、あとでコンビニに買いに行ってきますとのことでした。
堀さんの「探索」については御存知だったようで、「分からないでしょう」とニヤリとされていました(ような感じが電話口から感じられました)(^^;
いろいろお聞きしましたので、以下に――

1)「別冊詩の発見(第4号)」(特集・眉村卓の詩)が発行されたそうです。
目次に「新作小詩集 空のかけら/晩年/ゴン/他三篇 眉村 卓」
とありますから、眉村さんの新作詩が掲載されているんでしょうか? 注文しようと思います。

 詳しくは→こちら
 主催の山田兼士さんは芸大教授。以前に眉村卓の散文詩REMIXを本掲示板で紹介したことがあります。

山田兼士の研究室


2)明日ですが、平安女学院大学にて講演会があります。詳しくはこちら
 「時代・SF・わが年齢」講師:平安女学院大学 客員教授 眉村卓先生
 とのことで、今年から平安女学院の教授をされているんですね。入場無料ですが男でも聴講できるのかな。

3)明後日ですが、眉村さんが選考委員の堺自由都市文学賞の表彰式&文学フォーラムがあります。
 第18回堺自由都市文学賞
 13:30 〜16:00 ※入場無料 ウェスティ(西文化会館)ホール
 問合せ:堺市文化振興財団 TEL:072-252-3993 FAX:072-252-5902

4)11月26日、来年1月28日、ABCラジオ朝8時からの番組「ちょっといい話」で、5分間ほど喋られるそうです。お聞き逃しなく!

 




いいかげんワールド  投稿者:堀 晃  投稿日:1116()134620

  引用

 

 

本日発売の週刊文春(11月23日号)の「私の読書日記」。
執筆者は俳優の山崎努氏。(サキの字はちょっとちがうけど出てこない)
1頁ちょっとにわたって「いいかげんワールド」について書かれていますが、これが見事なもの。今までの書評のなかで最も優れているのではないでしょうか。
同世代の共感が働いているのかもしれませんが、この素直にして深い読みには脱帽です。
「司政官」や「カルタゴ」の延長にある作品という予断が「捨てきれてない」のだなと反省しきりです。

 




今年の読了本  投稿者:管理人  投稿日:1115()200840

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年末回顧に備えて、今年の読了本を書き出してみました(本日現在)。

  海外小説 18冊
  国内小説 40冊(うち眉村卓11冊)
  非小説  24冊(文学6冊、非文学18冊)

  合計82冊というのは、近来にない読書量です。あと1ヶ月半で3桁に乗るか、ちょっと無理っぽいですな。


<小説>
1月
  アーシュラ・K・ル=グウィン 『なつかしく謎めいて』谷垣暁美訳(河出書房、05)
  エドモンド・ハミルトン 『眠れる人の島』中村融編(創元文庫、05)

2月
  野田昌宏編 『お祖母ちゃんと宇宙海賊 スペース・オペラ名作選U』(ハヤカワ文庫、72)

  林譲治 『ストリンガーの沈黙』(ハヤカワJコレクション、05)
  高井信 『おかしなおかしな転校生』(青い鳥文庫、05)

3月
  エリン・ハート 『アイルランドの柩』宇丹貴代実訳(ランダムハウス講談社文庫、06)
  グレッグ・イーガン 『ディアスポラ』山岸真訳(ハヤカワ文庫、05)
  H・G・ウェルズ 『モロー博士の島』中村融訳(創元文庫、96)
  ジーン・ウルフ 『デス博士の島 その他の物語』(未来の文学、06)

  半村良 『セルーナの女神』(角川文庫、79)
  半村良 『夢の底から来た男』(角川文庫、79)

4月
  ロード・ダンセイニ 『最後の夢の物語』中野善夫・安野玲・吉村満美子訳(河出文庫、06)

  藤野恵美 『怪盗ファントム&ダークネス EX-GP3』(カラフル文庫、06)
  藤野恵美 『七時間目の占い入門』(青い鳥文庫、06)
  大石英司 『沖ノ鳥島爆破指令』(Cノベルズ、05)

5月
  ロード・ダンセイニ 『時と神々の物語』中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳(河出文庫、05)
  ロード・ダンセイニ 『魔法の国の旅人』荒俣宏訳(ハヤカワ文庫、82)

  藤野恵美 『妖怪サーカス団がやってくる!』(学研エンタティーン倶楽部、06)

6月
  若島正編 『ベータ2のバラッド』(未来の文学、06)
  マイクル・スワンウィック 『グリュフォンの卵』小川隆・金子浩・幹遙子訳(ハヤカワ文庫、06)

7月
  カート・ヴォネガット・ジュニア 『モンキー・ハウスへようこそ〔1〕』伊藤典夫・浅倉久志・吉田誠一訳(ハヤカワ文庫、89)
  カート・ヴォネガット・ジュニア 『モンキー・ハウスへようこそ〔2〕』伊藤典夫・吉田誠一・浅倉久志訳(ハヤカワ文庫、89)

  高野史緒 『架空の王国』(ブッキング、06)
  小松左京+谷甲州 『日本沈没 第二部』(小学館、06)
  高橋たか子 『彼方の水音』(講談社文庫、78)
  高橋たか子 『共生空間』(新潮社、73)
  森万紀子 『黄色い娼婦』(文芸春秋、71)
  河野典生 『カトマンズ・イエティ・ハウス』(講談社、80)
  眉村卓 『いいかげんワールド』(出版芸術社、06)
  眉村卓 『乾いた家族』(ケイブンシャ文庫、93)
  眉村卓 『素顔の時間』(角川文庫、88)

8月
  オリーヴ・シュライナー 『アフリカ農場物語(上)』大井万里子・都築忠七訳(岩波文庫、06)

  眉村卓 『白い小箱』(角川文庫、83)
  眉村卓 『強いられた変身』(角川文庫、88)
  眉村卓 『還らざる城』(旺文社文庫、88)
  眉村卓 『それぞれの曲り角』(角川文庫、86)
  眉村卓 『出張の帰途』(ノン・ポシェット、90)
  眉村卓 『月光のさす場所』(角川文庫、85)
  眉村卓 『駅にいた蛸』(集英社、93)
  牧野修 『月光とアムネジア』(ハヤカワ文庫、06)

9月
  ブライアン・W・オールディス 『マラキア・タペストリ』斎藤数衛訳(サンリオ文庫、86)
  アイリーン・ガン 『遺す言葉、その他の短篇』幹遙子訳(早川書房、06)

  眉村卓 『新・異世界分岐点』(出版芸術社、06)

10月
  小川一水 『天涯の砦』(ハヤカワJコレクション、06)
  平谷美樹 『銀の弦』(中央公論新社、06)
  北野勇作 『空獏』(ハヤカワJコレクション、05)
  川端裕人 『せちやん 星を聴く人』(講談社、03)
  草上仁 『文章探偵』(早川書房、06)

11月
  ロバート・E・ハワード 『黒い海岸の女王 新訂版コナン全集1』宇野利泰・中村融訳(創元文庫、06)

  東野司(小松崎茂原作) 『ProjectBLUE地球SOS(1)』(ハヤカワ文庫、06)
  道尾秀介 『向日葵の咲かない夏』(新潮社、05)
  倉阪鬼一郎 『十人の戒められた奇妙な人々』(集英社、04)
  倉阪鬼一郎 『下町の迷宮、昭和の幻』(実業之日本社、06)
  三津田信三 『作者不詳 ミステリ作家の読む本』(講談社ノベルズ、02)
  三津田信三 『蛇棺葬』(講談社ノベルズ、03)
  三津田信三 『百蛇堂 怪談作家の語る話』(講談社ノベルズ、03)
  三津田信三 『シェルター 終末の殺人』(東京創元社、04)

<非小説>
1月
  稲葉振一郎 『「資本」論 取引する身体/取引される身体』(ちくま新書、05)
  橋本治 『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書、05)
  八柏龍紀 『「感動」禁止 「涙」を消費する人びと』(ベスト新書、06)
  正高信男 『考えないヒト ケータイ依存で退化した日本人』(中公新書、05)
  森達也 『悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書、05)
  菅野聡美 『〈変態〉の時代』(講談社現代新書、05)
  四方田犬彦 『「かわいい」論』(ちくま新書、06)
3月
  中島道義 『日本人を<半分>降りる』(ちくま文庫、05)
4月
  的場昭弘 『ネオ共産主義論』(光文社新書、06)
  中川裕 『アイヌの物語世界』(平凡社ライブラリー、97)
5月
  新城カズマ 『ライトノベル「超」入門』(ソフトバンク新書、06)
  高原基彰 『不安型ナショナリズムの時代』(新書y、06)
6月
  丸橋賢 『退化する若者たち 歯が予言する日本人の崩壊』(PHP新書、06)
  鈴木邦男 『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書、06)
7月
  村瀬学 『自閉症――これまでの見解に異議あり!』(ちくま新書、06)
  小松左京 『SF魂』(新潮新書、06)
  小松左京 『天変地異の黙示録』(パンドラ新書、06)
  福吉勝男 『使えるヘーゲル社会のかたち、福祉の思想』(平凡社新書、06)
9月
  宮本忠雄 『言語と妄想 危機意識の病理』(平凡社ライブラリー、94)
  松田忠徳 『大相撲大変』(祥伝社新書、06)
10月
  片田珠美 『薬でうつは治るのか?』(新書y、06)
11月
  玄田有史・ 曲沼美恵『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎文庫、06)
  金井美恵子『目白雑録』(朝日新聞社、04)
  金井美恵子『目白雑録2』(朝日新聞社、06)

 




「シェルター」  投稿者:管理人  投稿日:1114()19565

  引用  編集済

 

 

三津田信三『シェルター 終末の殺人(東京創元社、04)読了。
おお、パズラーかと思いきや。
いやパズラーなんですけど、西澤某並みのあじけないカサカサのパズラーもどき。
今年のマイワーストワンでした。

 




承前  投稿者:管理人  投稿日:1113()231525

  引用

 

 

「タッツェル蛇の卵」(らっぱ亭奇譚集)より、「腸卜」(R・A・ラファティ)チャチャヤン気分に掲載しました。
今号は以上の2篇のみ。いかにもらっぱ亭さんらしい選択眼が効いた嬉しい1冊でしたが、2編きりとはちょっと読み足りないなあ。お忙しいから無理はいえませんが、もっといろいろ紹介してほしい(>と無理を言うのであった)。

 




「タッツェル蛇の卵」  投稿者:管理人  投稿日:1112()224938

  引用

 

 

より「ヒーロー登場」(イドリス・シーブライト)チャチャヤン気分に掲載しました。

 




帰還  投稿者:管理人  投稿日:1112()113518

  引用  編集済

 

 

京フェスより帰還しました。
私は初日の合宿のみ参加。今もまさに二日目の本会が開催中の筈ですが、二日連荘(睡眠時間殆ど無し)なんて過酷過ぎてとても老兵にはついていけないのでありました。
初参加でしたが、やはり日本SF創成期の先輩諸氏は皆さんそれぞれにすごいというかすばらしいですね。もっとしっかり読まねばと思いました。某編集者の方とお近づきになれたのも収穫でした。いや楽しかった。京フェススタッフの皆様に感謝いたします。

ということで、京フェスで戴いたらっぱ亭さんの個人誌「タッツェル蛇の卵」(らっぱ亭奇譚集号外)に着手。

 

 

京フェス参加  投稿者:管理人  投稿日:1110()19111

  引用

 

 

三津田信三『百蛇堂』読了。
いや〜面白かった。『蛇棺葬』『百蛇堂』の二部作は、今年のマイ・ベストワンかもです。

それはさておき、突然ですが、明日の京フェス(合宿)に参加いたします。
右も左も分からない初心者ですので、ご参加の皆様、どうぞお手柔らかにお導きくださいますよう、お願い申し上げる次第ですm(__)m

ところで、京都在住の方に伺います。京都の夜はもうかなり冷え込んでいますか?
「京都の秋の夕暮れはコートなしでは寒いくらいで、丘の上の下宿屋はふるえていました」
とは加川良の名曲の一節でありますが、やはりコートは必須でしょうか? まだ要りませんよね(^^;

 

 

 

 

(管理人今のところ――
20:30-21:50
 SF書評企画リターンズ
22:00-23:20
 翻訳講座
23:30-24:50
 SF用語講座
25:00-26:20
 ベスト海外短編

を聴講の予定。まあ予定=未定ですけど。

 




『蛇棺葬』  投稿者:管理人  投稿日:11 7()200041

  引用

 

 

読了。
こ、怖い!! これはもはや土俗ホラーの傑作というべきでしょう。ラストで飽くまでもお座なりな謎解明がなされるも、多分全然真実ではなさそう。実際のところ謎は何も解明されていませんね。
で、『百蛇堂』というのが続編らしい。これも可及的速やかに読まねば。
ミステリに収束するのか、ホラーのまま突き進むのか、わくわくします。

 




只管読書  投稿者:管理人  投稿日:11 6()191022

  引用

 

 

『目白雑録2』読了。
三津田信三『蛇棺葬』に着手。これはおもしろい。仕事が残っているんだけど、読むの途中でやめられるだろうか(^^;

 




チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日:11 5()222833

  引用

 

 

東野司(小松崎茂原作)『ProjectBLUE地球SOS(1)』(ハヤカワ文庫、06)

道尾秀介『向日葵の咲かない夏』(新潮社、05)

三津田信三『作者不詳 ミステリ作家の読む本』(講談社ノベルズ、02)

を掲載しました。

 




「黒い海岸の女王」  投稿者:管理人  投稿日:11 5()203134

  引用

 

 

ロバート・E・ハワード『黒い海岸の女王』宇野利泰・中村融訳(創元文庫、06)チャチャヤン気分に掲載しました。

 




同前  投稿者:管理人  投稿日:11 4()210130

  引用

 

 

『作者不詳』読了。
うーむ。

ひきつづき金井美恵子『目白雑録(2)』に着手。

 




読んでいます。  投稿者:管理人  投稿日:11 3()145332

  引用

 

 

『向日葵の咲かない夏』読了。
三津田信三『作者不詳』に着手。

 




最近読んだ本  投稿者:管理人  投稿日:11 2()210528

  引用

 

 

いろいろ読んでいるのですが、感想を書く時間がない。時間というよりも意志の問題かもしれません・・
とりあえず忘れないよう列挙しておきます。

『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』
『目白雑録』
『十人の戒められた奇妙な人々』
『下町の迷宮、昭和の幻』
『黒い海岸の女王』
『文章探偵』
『ProjectBLUE地球SOS(1)』

あまりためちゃうと書けなくなってしまうんですけどね。

とかいいながら、道尾秀介『向日葵の咲かない夏』に着手。

 


 

 

 

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