ヘリコニア談話室ログ(2006年12)

 


よいお歳を。  投稿者:管理人  投稿日:1231()131355

  引用  編集済

 

愈々大晦日です。今年も早かった。

邦光史郎『藤原氏の謎 最長・最大の血脈はいかに成立したか(カッパブックス、93)読了。
本書が今年最後の読了書となりました。

ということで、今年の読書記録を確認しておきます。

≪2006年度読了冊数≫
  小説・海外 20冊
  小説・日本 41冊
  非小説   29冊 
  計      90冊


小説・海外>20冊
1月
  アーシュラ・K・ル=グウィン 『なつかしく謎めいて』谷垣暁美訳(河出書房、05)
  エドモンド・ハミルトン 『眠れる人の島』中村融編(創元文庫、05)
2月
  野田昌宏編 『お祖母ちゃんと宇宙海賊 スペース・オペラ名作選U』(ハヤカワ文庫、72)
3月
  エリン・ハート 『アイルランドの柩』宇丹貴代実訳(ランダムハウス講談社文庫、06)
  グレッグ・イーガン 『ディアスポラ』山岸真訳(ハヤカワ文庫、05)
  H・G・ウェルズ 『モロー博士の島』中村融訳(創元文庫、96)
  ジーン・ウルフ 『デス博士の島 その他の物語』浅倉久志・柳下毅一郎・伊藤典夫訳(未来の文学、06)
4月
  ロード・ダンセイニ 『最後の夢の物語』中野善夫・安野玲・吉村満美子訳(河出文庫、06)
5月
  ロード・ダンセイニ 『時と神々の物語』中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳(河出文庫、05)
  ロード・ダンセイニ 『魔法の国の旅人』荒俣宏訳(ハヤカワ文庫、82)
6月
  若島正編 『ベータ2のバラッド』(未来の文学、06)
  マイクル・スワンウィック 『グリュフォンの卵』小川隆・金子浩・幹遙子訳(ハヤカワ文庫、06)
7月
  カート・ヴォネガット・ジュニア 『モンキー・ハウスへようこそ〔1〕』伊藤典夫・浅倉久志・吉田誠一訳(ハヤカワ文庫、89)
  カート・ヴォネガット・ジュニア 『モンキー・ハウスへようこそ〔2〕』伊藤典夫・吉田誠一・浅倉久志訳(ハヤカワ文庫、89)
8月
  オリーヴ・シュライナー 『アフリカ農場物語(上)』大井万里子・都築忠七訳(岩波文庫、06)
9月
  ブライアン・W・オールディス 『マラキア・タペストリ』斎藤数衛訳(サンリオ文庫、86)
  アイリーン・ガン 『遺す言葉、その他の短篇』幹遙子訳(早川書房、06)
10月
11月
  ロバート・E・ハワード 『黒い海岸の女王 新訂版コナン全集1』宇野利泰・中村融訳(創元文庫、06)
12月
  ロバート・E・ハワード 『魔女誕生 新訂版コナン全集2』宇野利泰・中村融訳(創元文庫、06)
  グレッグ・イーガン 『ひとりっ子』山岸真編訳(ハヤカワ文庫、06)

小説・日本>41冊
1月
2月
  林譲治 『ストリンガーの沈黙』(ハヤカワJコレクション、05)
  高井信 『おかしなおかしな転校生』(青い鳥文庫、05)
3月
  半村良 『セルーナの女神』(角川文庫、79)
  半村良 『夢の底から来た男』(角川文庫、79)
4月
  藤野恵美 『怪盗ファントム&ダークネス EX-GP3』(カラフル文庫、06)
  藤野恵美 『七時間目の占い入門』(青い鳥文庫、06)
  大石英司 『沖ノ鳥島爆破指令』(Cノベルズ、05)
5月
  藤野恵美 『妖怪サーカス団がやってくる!』(学研エンタティーン倶楽部、06)
6月
7月
  高野史緒 『架空の王国』(ブッキング、06)
  小松左京+谷甲州 『日本沈没 第二部』(小学館、06)
  高橋たか子 『彼方の水音』(講談社文庫、78)
  高橋たか子 『共生空間』(新潮社、73)
  森万紀子 『黄色い娼婦』(文芸春秋、71)
  河野典生 『カトマンズ・イエティ・ハウス』(講談社、80)
  眉村卓 『いいかげんワールド』(出版芸術社、06)
  眉村卓 『乾いた家族』(ケイブンシャ文庫、93)
  眉村卓 『素顔の時間』(角川文庫、88)
8月
  眉村卓 『白い小箱』(角川文庫、83)
  眉村卓 『強いられた変身』(角川文庫、88)
  眉村卓 『還らざる城』(旺文社文庫、88)
  眉村卓 『それぞれの曲り角』(角川文庫、86)
  眉村卓 『出張の帰途』(ノン・ポシェット、90)
  眉村卓 『月光のさす場所』(角川文庫、85)
  眉村卓 『駅にいた蛸』(集英社、93)
  牧野修 『月光とアムネジア』(ハヤカワ文庫、06)
9月
  眉村卓 『新・異世界分岐点』(出版芸術社、06)

10月
  小川一水 『天涯の砦』(ハヤカワJコレクション、06)
  平谷美樹 『銀の弦』(中央公論新社、06)
  北野勇作 『空獏』(ハヤカワJコレクション、05)
  川端裕人 『せちやん 星を聴く人』(講談社、03)
  草上仁 『文章探偵』(早川書房、06)
11月
  東野司(小松崎茂原作) 『ProjectBLUE地球SOS(1)』(ハヤカワ文庫、06)
  道尾秀介 『向日葵の咲かない夏』(新潮社、05)
  倉阪鬼一郎 『十人の戒められた奇妙な人々』(集英社、04)
  倉阪鬼一郎 『下町の迷宮、昭和の幻』(実業之日本社、06)
  三津田信三 『作者不詳 ミステリ作家の読む本』(講談社ノベルズ、02)
  三津田信三 『蛇棺葬』(講談社ノベルズ、03)
  三津田信三 『百蛇堂 怪談作家の語る話』(講談社ノベルズ、03)
  三津田信三 『シェルター 終末の殺人』(東京創元社、04)
  栗本薫 『ネフェルティティの微笑』(角川文庫、86)
12月
  宇月原晴明 『黎明に叛くもの』(中央公論社、03)

非小説>29冊
1月
  稲葉振一郎 『「資本」論 取引する身体/取引される身体』(ちくま新書、05)
  橋本治 『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書、05)
  八柏龍紀 『「感動」禁止 「涙」を消費する人びと』(ベスト新書、06)
  正高信男 『考えないヒト ケータイ依存で退化した日本人』(中公新書、05)
  森達也 『悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書、05)
  菅野聡美 『〈変態〉の時代』(講談社現代新書、05)
  四方田犬彦 『「かわいい」論』(ちくま新書、06)
2月
3月
  中島道義 『日本人を<半分>降りる』(ちくま文庫、05)
4月
  的場 昭弘 『ネオ共産主義論』(光文社新書、06)
  中川裕 『アイヌの物語世界』(平凡社ライブラリー、97)
5月
  新城 カズマ 『ライトノベル「超」入門』(ソフトバンク新書、06)
  高原基彰 『不安型ナショナリズムの時代』(新書y、06)
6月
  丸橋賢 『退化する若者たち 歯が予言する日本人の崩壊』(PHP新書、06)
  鈴木 邦男 『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書、06)
7月
  村瀬学 『自閉症――これまでの見解に異議あり!』(ちくま新書、06)
  小松左京 『SF魂』(新潮新書、06)
  小松左京 『天変地異の黙示録』(パンドラ新書、06)
  福吉勝男 『使えるヘーゲル 社会のかたち、福祉の思想』(平凡社新書、06)
8月
9月
  宮本忠雄 『言語と妄想 危機意識の病理』(平凡社ライブラリー、94)
  松田忠徳 『大相撲大変』(祥伝社新書、06)
10月
  片田珠美 『薬でうつは治るのか?』(新書y、06)
11月
  玄田有史・ 曲沼美恵 『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎文庫、06)
  金井美恵子 『目白雑録』(朝日新聞社、04)
  金井美恵子 『目白雑録2』(朝日新聞社、06)
  樋口康彦 『準ひきこ森(もり) 人はなぜ孤立してしまうのか?』(講談社+α新書、06)
  板倉昭二 『「私」はいつ生まれるか』(ちくま新書、06)
  中沢新一 『神の発明 カイエ・ソバージュ(4)』(講談社選書メチエ、03)
12月
  赤松明彦 『楼蘭王国 ロプ・ノール湖畔の四千年』(中公新書、05)
  邦光史郎 『藤原氏の謎 最長・最大の血脈はいかに成立したか』(カッパブックス、93)


今年は何といいましても眉村卓の新作長篇が読めたこと、これに尽きるでしょう。
「いいかげんワールド」は、管見によれば、読者層をヤングアダルトに絞り込んだライトノベルがあるのなら、逆に中高年層に対象を絞ったライトノベルがありうるのではないか、という一種斬新な試みだったのではないかと思います。
その挑戦は成功しています。本篇には40代以上の社会人経験者にしか分からない、併しその年代者ならば等しく共感できる、一種「さわやかな諦念」といったものが確実にピンナップされていて、「老人文学」という既成語では推し量れない独特の「軽やかなエンターテインメント」に仕上がっていました。発売早々に版を重ねたことからもその試みは支持されたといえます。

ところで、今年「SF」を出版した第一世代は眉村卓のほかには筒井康隆と小松左京しかなかったはずです。眉村長編の好評は、上記内容的な支持とは別に、このような状況とも関連がありそうです。

というのはほかでもありません。私は思うのですが、SFはある意味「いびつに」中高年層に大きな市場を潜在的に有しています。
70年代にSFの隆盛を支えてその後社会人となり忙しくて読書という習慣を失った層です。
この層が今後引退世代となり、どんどん読書人として復帰してくるはずなのです。現在既にその兆しは現れていて、「河出奇コレ」や「国書未来の文学」の好調さはその先駆けといえるように思われます。
しかもなお今後ますます「復員兵」は年年歳歳に復帰してくることはあっても、毫も減少することは考えられません。少なくとも現在の「河出奇コレ」や「国書未来の文学」の部数程度のヴォリュームではすまないはずです。
ところがSF供給者の側、とりわけその中心的存在・先導者(煽動者)であることをいわばベルーフとして「運命」付けられているはずの早川書房に、特に日本作家対応において、そのような動向を見据えての「仕込み」の動きが全く見えてこないのが、まことに歯がゆく残念でなりません。

いったいに、読書の現場から何十年も離れていたら、現在の作家名なんてぜんぜん馴染みがありませんから、何を購入していいのか途方に暮れてしまうに違いありません。私だったら第1世代・第2世代の作家をまず引っ張り出しますけどね。
今このような潜在読者層(から引き揚げてくる復員兵)を一手に引き受けて無競争の旨みを享受しているのが(第二世代の)山田正紀と梶尾真治ではないでしょうか。しかしながら彼らの最近のゆるい作品をみていますと、競争相手がいない弊害を感じないではいられませんね。

別に早川書房でなくてもよいのです。いま第一世代(や第二世代)にいち早く唾をつけて(笑)、長編を書かせるシリーズ(かつての日本SFシリーズの再来)を立ち上げたら絶対成功間違いありません! 各社是非検討していただきたいものです。
来年はそのような企画が、兆しとしてでも見えていたらいいのですが。……




「ひとりっ子」  投稿者:管理人  投稿日:1229()045614

  引用

 

表題作「ひとりっ子」をチャチャヤン気分に掲載しました。(下-2)




「オラクル」  投稿者:管理人  投稿日:1226()224956

  引用

 

ひきつづき作品集『ひとりっ子』から「オラクル」をチャチャヤン気分に掲載しました。(下-1)




「ひとりっ子」  投稿者:管理人  投稿日:1225()224718

  引用  編集済

 

グレッグ・イーガン『ひとりっ子』山岸真編訳(ハヤカワ文庫、06)の感想ををチャチャヤン気分に掲載しました。(上) (中)




「ルミナス」  投稿者:管理人  投稿日:1221()225248

  引用  編集済

 

イーガン『ひとりっ子』読み始めました。「ルミナス」まで読んだ。
いやー「ルミナス」超面白かった!傑作ですねえ。
アイデアは小松左京「こういう宇宙」の数学版。途中の謀略部分は山田正紀調。こちらの数論宇宙とあちらの数論宇宙が境界線で陣地を取ったり取られたりするイメージはベイリーを髣髴とさせます。ラストはレムですな(^^;

「ルミナス」という言葉は、私に神戸ルミナリエを連想させるのであった。で、ルミナリエからは、最近流行の個人宅イルミネーションが(ーー;
にしてもクリスマスなのに、聖夜なのに、なぜに人工の光を溢れさせるのでしょうか……逆では?
近年は深夜でも人工の明りが夜空に反射して星の光を打ち消してしまう現状、クリスマスだからこそネオンも何もかも消して真っ暗にしてほしいと切に願います。年に一度くらい満天の星くずというのを眺めたいものであります。




「夕焼けエッセー」  投稿者:管理人  投稿日:1219()204544

  引用  編集済

 

お知らせが続きます。
ご存知の方も多いかと思いますが、産経新聞夕刊一面に「夕焼けエッセー」というコラムがあります。
読者の投稿エッセイが掲載されるコーナーだそうで、毎日の掲載作品の中から月に一度選考委員によって優秀作が選ばれ、これまでに2冊の本となっているようです。
  『夕焼けエッセー』
  『夕焼けエッセー2』
上記二冊の撰は時実新子さんと玉岡かおるさんが担当されていたそうですが、このたび玉岡かおるさんが退任され、眉村さんが後任となられたとのことであります。
既に眉村さんとしては第一回の選考会が開かれ、産経新聞紙上でその選考経過(たぶん時実新子さんとの対談形式?)が載ったとのこと。
うーむ。ショートショートもオッケーなんでしょうか(^^ゞ 暫く図書館に通って傾向と対策を研究したいと思います。
しかーし、眉村先生と時実新子先生ですよ! これはもう柳生真加に投稿しなさいという天の声としか考えられませんなあ。おーい柳生さーん(^^;




「幻影城の時代」  投稿者:管理人  投稿日:1219()200730

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という同人誌が近日発売となるそうです。こちら
責任編集が本多正一さんということで、当然こゆーい内容となっているであろうことは火を見るより明らか、手にとる前から予想されるわけです(その予想は全く正しかった。それは上記リンク先に行っていただければ確認できるでしょう!)。

「幻影城」といえば乱歩ですが、こっちの「幻影城」はもちろん古き良き70年代に存在したユニークな探偵小説誌の方。なんとこの雑誌、私が大学に入学した年に創刊され卒業した年に休刊しているのですね。まさに「幻影城の時代」とわが「大学生活」はぴったり重なり合っていたんですねえ。なんかフシギ(^^;。

とまれ「幻影城」という探偵小説誌が、かつて(ミステリが推理小説といわれていた時代にですよ)存在していた。そして愛読した熱心なファンがいた。で、同人誌「幻影城の時代」なのです。
休刊後一時消息が不明だった編集長(社主)の島崎博さんへのインタビューを核に、当時の愛読者たちのオマージュで構成されているようです。しかしこれは凄いですね……錚々たる執筆陣ではありませんか。畸人郷の方々もちらほら。おお大橋さんのお名前も(^^ゞ
表紙のデザインがまた洒落ています。書影をご覧下さい。これエースダブルですよ! いや凝ってますねえ(^^;

「幻影城」に懐かしさを感じる方も初めてその存在を知ったという方も、これはぜひお買い求めいただきたいですね。
とはいえ当時の大学SF研のメンバーでも、中井英夫澁澤龍彦を愛読しているような幻想小説系とか、「ドグラマグラ」や「黒死館」を愛でる探偵小説系の連中は「幻影城」を読んでいましたけど、ガチガチSF系であった私自身は、実はあまり熱心な読者ではなかったんですよね。でもこの同人誌は手許に置いて味読したいですねえ。
(購入はリンクのページに取り扱い書店[予定]が載っていますし通信販売で購入することもできるようです)




「柳柊二怪奇画帖」  投稿者:大橋  投稿日:1219()07262

  引用

 

お買い上げ、ありがとうございました。
「届いた」というお返事を頂いています。嬉しい限りです。
今回、怪奇画のみで構成しました。SFとかファンタジーはご自宅に絵が残っていなかった
(別のところにあるかもしれない。聞かないと分からないが)
せいもあり、いずれまたの機会に、と言うことにしました。
余白は文字のスペースです。
今回、原画を忠実に再現しています。漫画雑誌で掲載された雰囲気と若干、違うものもあります。
そこら辺も楽しんでいたたげればと思います。




「柳柊二怪奇画帖」  投稿者:管理人  投稿日:1218()191240

  引用  編集済

 

【本日の名セリフ】
「私はマルケスに20世紀的な刺激を受けたことはないですね。やっぱり反動作家なのだと規定しておきたいです」(314p)
 ――金井美恵子『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』(講談社、03)


「反動」ということでは繋がるかもしれませんが、私自身はそれ以前にかれらが(或いはかれらの賛美者が)<ラテンアメリカ文学>という呼称を平気で使う神経を疑うんですがね。
いうまでもなくフォルクローレやエスコーラ派のサンビスタはラテンアメリカ音楽やミュージシャンではありえません。ポール・サイモンが「ライブ・ライミン」のなかでウルバンバをサウスアメリカン・ミュージックとして紹介していましたけど、まさにそういうこと。

注文していた大橋博之編『柳柊二怪奇画帖』(ラピュータ、06)がようやく届きました(予約特典の絵はがきはカバーと同じ絵でした(^^))。
まだパラパラとしか見ていませんが、この絵柄、よーく覚えてます。なんだ少年マガジンとかサンデーでお馴染みの絵ではないですか!
そうだったのか、私は柳柊二といえばファファード&グレイ・マウザーの挿絵しか思い浮かばなかったんですが、もっと昔にお馴染みの画家さんだったんですねえ。これは懐かしいです。
で、当のF&Gの挿絵からは収録されてないようです。やはり柳柊二としては少し「らしさ」が足りないのかな。文庫サイズと本書のような雑誌サイズでは、同じ絵でも印象が大きく違うはずなので、F&Gを大判で見てみたかったというのがあったんですけど……それはそれとして、本書のセレクションもなかなかよく、これはこれで満足(^^; 余白が気になったんですが、この部分に文字が入っていたんでしょうか。
ともあれ幼少のみぎり少年漫画誌に親しんだ世代の方は必携でしょう! ぜひお買い求めいただき懐かしんでほしいと思います(^^;。




「魔女誕生」  投稿者:管理人  投稿日:1217()223125

  引用

 

堀さん
うしろからご主人(だと思いますが)が「おい、こっち来い」と声をかけてうしろへ下がらせました。
私も事と次第によっては……だったんですけど(^^;

『魔女誕生 新訂コナン全集2』をチャチャヤン気分に掲載しました。




Re: だから大阪のオバはんは……  投稿者:堀 晃  投稿日:1217()201639

  引用

 

>「あれ、兄ちゃん並んでるんとちゃうやろ?」

 このあと、オバはんは、後ろへ回ったんでっか?
 結果が書いてないのがすごく気になります。
 わしだったら、事と次第によっては……




シェクリイとゼラズニイの共作  投稿者:管理人  投稿日:1217()164449

  引用

 

昨日の畸人郷忘年会、シェクリイ話でひとしきり盛り上がりました。そのときに私はシェクリイとゼラズニイの共作がサンリオ文庫から出ていた筈と喋ったのでしたが、どうやら思い違いだったようです。このページに拠れば、シェクリイとゼラズニイの共作はこの3作品です――

 Bring Me the Head of Prince Charming (1991)
 If at Faust You Don't Succeed (1993)
 A Farce to Be Reckoned With (1995)

すべて90年代ですね。ところがサンリオSF文庫はそれ以前の87年に終刊していますから、シェクリイ・ゼラズニイ共作がサンリオで出版される筈がないのでした。
何で勘違いしたんだろう? 酒席で、しかもかなり酔っ払っていましたから、ゼラズニイではなくエリスンとの共作にSFMに掲載された「男が椅子に腰をかけ、椅子が男の脚を噛む」があり、あるいはこれと混同したのかもしれません。




だから大阪のオバはんは……  投稿者:管理人  投稿日:1217()143020

  引用

 

用事があってロードサイドの電気店に行きました。さすがに年末で混雑しており、三台のレジがフル稼働。
ここのレジはスーパー方式と違って一列に並んで順番に空いたレジに行って清算する方式。
私が一番前まで来たとき、中年のオバはんがチョコチョコとやって来て、あろうことか私の前にすっと入った。
私が睨むとふと気がついた風に、
「あれ、兄ちゃん並んでるんとちゃうやろ?」
並んでるに決まってるやろが!
ほんまに大阪のオバはんはドあつかましいですなあ(ーー;

「コナン」は残りあと一篇になってしまった。いっぺんに読んでしまうのはあまりにももったいない。しばらくお預けとするのであった。
――といっても今日中に読んでしまうんですけどね。




下町  投稿者:管理人  投稿日:1216()161912

  引用

 

堀さんもやっぱり気になられましたか!
それにしても「下町」という語は、関西人の私にさえ「東京の下町」を自明的に想起させますね。「下町」と「寅さん的人情」のイメージ的癒着はとても強力なように感じます。
空間的地形的な意味での「下町」はどこの町にだって想定できるわけですが、そのような意味での「下町」のたたずまいや人情が、すべて東京の下町と同じ庶民的イメージであるはずがありません。谷町筋は空間的下町とみなせるわけですが、おっしゃるように豪商の町だったんですよね。

換言すれば一般的に私たちは、「下町」と聞くとたちどころに無意識に、人情味溢れた寅さん的世界を自明的に連想してしまいがちなんですが、それはつまり「東京の下町」のイメージなんですね。
この連想は逆向きにも働くようで、ある町に対して人情味があると感じると、私たちはただちにその場所を「下町」と観念してしまうのかも。 くだんのアナウンサーの発言はまさにこの例かもしれません。

しかしながら人情は下町の専売特許ではなく、それぞれの町にはそれぞれの人情があるのであって、上町台地に近隣付き合いの風が残っているからといって、それをもって上町台地の町のたたずまいに、「下町情緒」を感ずるというのはいかにも粗忽ではありますね。
しかも上記のとおり「下町(情緒)」という語には、実のところ「ある時期」の「東京の下町」の「(情緒)」という「限定」が含意されているとするならば、二重の意味で粗忽というほかないように思います。

さて今夕は畸人郷忘年会。ということでそろそろ出発する予定。




Re:下町? 谷町!  投稿者:堀 晃  投稿日:1216()06113

  引用

 

ぼくもあの番組見ていまして(「えいやん」のモデル地が出てこないかと思って)、やっぱり同じところが気になりました。
地形的には夕陽丘は上町台地の上で、下町ではありませんね。
東京の場合、山の手(武蔵野台地)と下町ははっきりしてますし、阪神間も山手(六甲山麓/山手女子大まである)と下側ははっきりしてますが……そして下町のコンプレックスをギャグにしたのが「決戦・日本シリーズ」だと思うのですが、大阪の場合、上町台地の下が下町とすると、下寺町から西が全部下町になってしまいます。
社会的・歴史的に見ても、谷町筋は相撲のタニマチになるくらいの豪商が住んでいたし、下側は下寺町で、ここは下町ではなく寺町ですしね。
いずれにしても、夕陽丘界隈は絶対に下町ではありませんね。




下町? 谷町!  投稿者:管理人  投稿日:1215()20184

  引用

 

たまたまテレビがつけっぱなしで、NHKだったのですが、7時のニュースが終わって、関西のローカル番組なんでしょうか「関西もっといい旅 夕日輝く坂の町・大阪天王寺」というのが始まった。
天王寺七坂とか夕陽丘の坂道の映像が写ったので、「へえ」とちょっと坐りなおして見始めたのです。しかし、レポーターのアナウンサーが「ここにはまだ下町の情緒が残っています」とかナントカカントカ喋り始めて、一気にしらけた。

おいおい、夕陽丘の坂の上がなんで「下町」やねん? だいたい上町台地やないか。予断でテキトーなことをいうなよ、とそのお座なりな制作態度に気分が悪くなってテレビを消したのでした。

でふと思ったのは、そういえば大阪に「下町」なんてあったっけ、ということでした。
たしかに鶴橋辺は「下町」っぽい風情がありますが、ここで私が感じた「下町という風情」は、よく考えたら東京の下町のイメージを自明のものとして当て嵌めているだけなのでは?そう思えてきたのです。
調べてみないとなんともいえませんが、そもそも大阪には「下町」はないのではないでしょうか。あるのは下町ではなくて「谷町」ですな。しかも「谷町」のイメージは「下町」(東京の下町)とはずいぶん違うような感じがします(もっと人情的に冷たい感じがします)。わたし的には下町は職人というイメージなんですが、谷町はあきんどのイメージなんですよね。

ロバート・E・ハワード『魔女誕生 新訂版コナン全集2に着手しました。




「楼蘭王国」  投稿者:管理人  投稿日:1213()215451

  引用

 

赤松明彦『楼蘭王国 ロプ・ノール湖畔の四千年(中公新書、05)
チャチャヤン気分に掲載しました。
「王都はどこだったか」を文献を駆使して推理しているんですが、「邪馬台国はなかった」に勝るとも劣らない「本格」ぶりで興奮しました。本格ミステリファン必読かも(^^;




「黎明に叛くもの」  投稿者:管理人  投稿日:1210()203530

  引用

 

読了。感想文をチャチャヤン気分に掲載しました。
多元宇宙テーマの幻想伝奇SFの傑作! 松永弾正操る「傀儡」(操られるだけでなく半分意志を持っている)がとてもいい味出しているんですが、その原理の説明が全然ない。それがSF的見地からは気になりましたけど、とにかく面白さは近来随一でした。




Re: 「柳柊二 怪奇画帖」  投稿者:管理人  投稿日:12 9()185936

  引用

 

大橋さん
ご出版おめでとうございます。
たしかに武部なんかと比べて認知度は低いかもですが、本書の出版で知名度も上がるのでは?
その意味でもどんどん売れて欲しいですよね!

>あっちには何もタッチしていません
おや、そうでしたか。てっきりそう思い込んでいました。失礼しました。

>お買いの逃しのないように
はい、そう思って早々に予約しましたですよ、特典も魅力的ですし。
到着を楽しみにしているところです(^^;




「柳柊二 怪奇画帖」  投稿者:大橋  投稿日:12 9()090514

  引用

 

『柳柊二 怪奇画帖』を紹介していただいたのに、お返事、遅れて申し訳ありませんでした。

> この『武部本一郎SF挿絵原画蒐集』にも、大橋さんは協力されていたはずですが、
は、間違い。あっちには何もタッチしていません。イベントを提案してしゃべっただけなのです。

来週、早々に見本が完成。版元さんでは取次ぎ回りの営業を開始します。
おかげさまでフェアのオファも頂いていて、マニアには受けが良いみたいです。でも、一般受けはいまいちなので、ドーンと売れるということはないでしょうね。ジワリジワリと売れて気が付けば絶版。10年後、古書値は上がると予想しています(笑)。お買いの逃しのないように・・・。よろしくお願いします。


「アニマソラリス」のレムレビュー  投稿者:管理人  投稿日:12 8()20532

  引用  編集済

 

アニマソラリスの『ソラリスの陽のもとに』のブックレビューが面白いです。
雀部さんとたなかさんという二人のレビュアーの対談形式ですが、SFが本来持つ社会学的な特性に依拠して「ソラリス」を解題しており、SFプロパー読みとしての私は深く頷かされました。

で、実はこのような社会学的読みに応じられる「新しい」小説形式としてSFを捉えていたのが、他ならぬ福島正実だったんですね。福島はそのような「新らしい小説」としてのSFの可能性に魅せられて日本にSFを立ち上げたというのが私の認識なんですが、そのような読解の仕方・SF観は、70年代のSFの多様化(いわゆる浸透と拡散>NWから中間小説まで>但し日本での状況)の過程で、忘れられてしまったわけではありませんが、主流からは降格します。

その典型的な例が日本におけるディック受容でありまして、福島正実がディックを日本に紹介したとき、福島にとってディックはまさにずばり社会学的SFの書き手として認識されており、その観点から翻訳がなされたわけです(解説からの類推)。が、そのようなくくりでのディックは人気がなく、後にフィーバーしたときはかかる社会学的なディックとは別のフェイズでディックは受容されました。

私自身はおそらく福島的読みのもっとも忠実な読者なのでありまして(多分雀部さんも同じでは)、そのような読者として40年近くSFを読んできた者としましては、たなかさんの言説は、おお福島正実降臨か!という感じでとても心強く感じた次第。
とはいえ、福島的SF観が少数派であることは言うまでもなく、雀部さんの次のような発言――

「SFの社会学的な構造とか仕掛けがわかったところで、「面白ければいいじゃん」の一言に社会学は敗れ去ってしまうのであります(爆)」

というのが現実なんですね。大体元締めのSFM自体が福島的SFを相手にしなくなって久しく、社会SF的な特集なんて絶えて組まれたことがないのですから、どうしようもありません。

先日、といってもずいぶん前ですが、ポールの「ハピバースデイ、イエスさま」を再読して面白かったんですが、どんなストーリーかというと、近未来のアメリカ、クリスマスセールが最大の商戦で何ヶ月も前からシビアなセールは始まっている。で、いろいろあって(笑)、クリスマス当日になる。主人公は決意も新たに「明日から次のクリスマスセールが始まる、がんばろう!」と思うという、ほほえましいクリスマスストーリーであると同時に皮肉な批評性を内在させた話で、今でも充分面白いのです。いや、70年代より今読むほうがリアリティがあってよりインパクトがある。このような50年代〜60年代のアメリカ社会派SFこそ、福島正実が考えるSFの実践例なんですが、どうも日本での翻訳の状況はこの辺がすっぽり抜け落ちているような気がしてならない。坊主憎けりゃならぬ福島憎けりゃなんでしょうか(汗) そんな妄念すら私は持っているのです。

ともあれ、レムを哲学風やポストモダン風に特権化せず、プロパーSFの文脈でまっとうに(笑)読解されているのがすなおに嬉しかったのでした。


本日の名セリフ  投稿者:管理人  投稿日:12 6()204837

  引用

 

宮台真司「成熟社会においては、関係性に敏感な人間にだけ、天下国家のことを考えてほしいと念願するからです」

斎藤環の対談集『OK? ひきこもりOK!』(89p)より。
かんべむさしさんご紹介本で、コメンテーター症候群なる用語を知ってから、なんかミクシイニュースのコメントをよく読むようになってしまったんですが、で、そこに溢れかえる痛々しいコメントを読むにつけ、まさに上の意見に深く頷かざるを得ないのでありました(>但し文脈違いの引用です)。


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