堀晃さま
はじめまして。ご高名はかねがね存じ上げておりました。『幻影城の時代』ご購入くださり、ありがとうございます。薔薇十字社の『定本三島由紀夫書誌』は島崎氏の労作として名高いのですが、これまで島崎博という書誌学者、編集者について正面から取り上げた出版物は皆無です。この『幻影城の時代』をきっかけに氏の再評価を期待したいと思います。
今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。
O熊さま
私見によれば、ミステリー、ことに本格探偵小説は、始祖ポオ以来、単独者の文芸という宿命を負っており、本質的に遊戯文学、本来的 に“成熟”という概念とは相容れない文芸ジャンルではないかと思います。作者がすべてを計算する“推理小説”は自ずと限界が生じます。
ただ、もしやすると作家たちによるその限界への挑戦、成熟へのやみがたい情熱、葛藤と止揚こそがミステリーを現在まで発展させてきたダイナミズムの要因なのかもしれません。
中井英夫が『虚無への供物』をミステリーというカテゴリーのなかで構築したのは、推理小説という一種の戯作文芸のなかでこそ可能な「読み」の可能性に賭けたためではないかと思います。おそらく中井英夫はその生涯を通じて、書いている主体(中井英夫)が「まだ」生きているということに捕われており(メインテーマ=恥)、書かれたものが自分の真実の声、真の投企なのかという自責の念に苛まれていたのではないかと思うのです。
『虚無への供物』は終章で、意外な人物に“あなたが犯人だ”と問いかけますが、その意味も、私たち読者の解釈にゆだねられています。そのようなミステリー小説こそ、彼の文学的野心が達成できる最良の器だったのだと思います。作品世界を支える文体の問題はパラレルでもあるのでしょうが、個人的には、中井英夫が同性愛者であったこと(愛の可能性の単独者としての宿命)が大きいと思います。
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