ヘリコニア談話室ログ(2007年2月)




「シェイヨルという名の星」読み中  投稿者:管理人  投稿日: 228()21020

  引用  編集済

 

 

なぜかうしろから読み始めた。
表題作「シェイヨルという名の星」と「帰らぬク・メルのバラッド」を読みました。

表題作>いやー、こういう感動……じゃないな、感覚?を味わいたい……感じたい?がために、実にオレは何十年もSFを読み続けているのだな、という原点(?)を思い出させてもらった気がします。スミスの原点には間違いなくシマック「都市」があると思った。というか「都市」の直系を継ぐのが(シマックの他の作品ではなくて)スミスのこの未来史シリーズなんだなと「分かった」(もっと残酷ですが)。

「ク・メル」はちょっと恋愛小説の要素が入っていて、それはアレなんですが、ラストが実によい。このク・メルの生き方って、なんとなく古きよきニッポン婦人という感じを持ちました(^^; 著者のの中に一種日本的もしくは儒教的感性があるのではないかな。そういえばスミスって中国で育ったんでしたっけ。

ということで今夜は残りガシガシ読むぞ〜! と思ったら、肝心の本を仕事場に忘れてきているのであった。うーむ、、、

 




Re: 朝日新聞  投稿者:管理人  投稿日: 227()214244

  引用

 

 

>  これです!
おお、ありがとうございました!
なんとなくリンクからamazonに跳んでみましたら……「燈台鬼」の原作も面白そうですね。
南条範夫は「わが恋せし淀君」しか知らず、全く守備範囲外という認識だったんですが、興味がわいてきました(^^)。

『中性子星』(の感想)からの流れで『シェイヨルという名の星』に着手しました。

 




朝日新聞  投稿者:本多正一  投稿日: 227()141037

  引用

 

 

 これです!

http://book.asahi.com/review/TKY200702200367.html

 




「中性子星」  投稿者:管理人  投稿日: 226()01277

  引用  編集済

 

 

ラリイ・ニーヴン『中性子星』小隅黎訳(ハヤカワ文庫、80)読了。

ノウンスペースシリーズの中短篇は、本集と『太陽系辺境空域』の2冊に纏められている。主に後者に近未来短篇が、前者にはそれ以降の(25〜27世紀の)中未来を舞台にした中篇が収められているようだ。
当然前者の方が所謂ハードSF色が強く、本集では表題作はガチガチのハードSFだったけれども、他の作品はむしろ「未来神話」的な味わいが強い作品群だった。
とりわけ「フラットランダー」「狂気の論理」がそうで、これらの作品を読んだとき、私は思いがけなくもコードウェイナー・スミス的な詩情すら感じられて、それが意外で面白かった。
ところでシリーズ代表長編の『リングワールド』は、設定はハードSFながらストーリーはありふれた活劇で、つまりスペースオペラで、後半かなり飽きがきて苦しかった記憶がある。
その意味でわたし的には、ノウンスペースシリーズは近未来ハードSF短篇と遠未来スペオペに二極分化しているとの認識だったのだが、実はその中間(25〜27世紀の中未来)にコードウェイナー・スミスを彷彿とさせる未来神話風の中篇群があるのが分かったのは収穫だった。
著者にはこのような未来神話風の作品が他にもあるのだろうか。あるのならぜひ読んでみたいと思った。

 




「バビロニア・ウェーブ」と新しい宇宙SFの認識背景  投稿者:管理人  投稿日: 225()154236

  引用

 

 

今、ラリイ・ニーヴンの作品集『中性子星』を読んでいます。ラリイ・ニーヴンは、いうまでもなく60年代70年代の、80年代90年代に活躍するブリンらよりひとつ前のハードSF作家です。
先日、『バビロニア・ウェーブ』の感想で、80年代以降のアメリカハードSF派と宇宙観を共有していると書きました。
それはすなわち、新しい宇宙像が作品世界に反映されているというばかりではなく、アポロ以降の(停滞する)宇宙開発計画のレベルからして、(系内はともかくとして)「太陽系外への人類の進出は自力では無理かも」という共通認識が、ブリンらの世代にはあり、それを、堀さんも共有しているのではないかと感じたということなんです。

要はたまたま発見した異星人の過去の遺産の活用で銀河系進出といったモチーフなんですが、このようなモチーフは70年代以前にはなかったのではないでしょうか。
今パッと思い出すのは、ソウヤー「スタープレックス」とマッコーラム「アンタレスの夜明け」あたり。「スタータイド・ライジング」はちょっと違っていて、人類は自力で星間航法を獲得するも、出て行った銀河宇宙にはすでに列強がひしめいており、すべての「始祖」という謎も存在するという設定。

『中性子星』を読んでいて、ニーヴンのノウンスペースものも、結局はパペッティア人の圧倒的な技術力に頼っていることを思い出したのでした。
そういえば「ゲイトウェイ」もそうでしたね。「ゲイトウェイ」は1977年の作品。で、はっと気付いたのは、短篇版「バビロニア・ウェーブ」も、「へびつかい座ホットライン」も同じく77年作品なんですよね。

つまりどうやら80年代90年代作家の世代的特徴ではなく、70年代後半以降、(上記のような理由で)ハードSF作家のパラダイム(共通認識の基盤)そのものがシフトしてしまったのかも、と思いなおしたのでした。ハードSFはあんまり読んでないのでこの仮説の当否の検討は身に余りますが、とりあえずメモ代わりに記しておく次第。

 




バビロニアウェーブはなぜ発光しないか  投稿者:管理人  投稿日: 224()194431

  引用

 

 

『バビロニア・ウェーブ』を読んでいて、再三それが「目には見えない」ことが述べられています。
で、ふと思ったのですが、ビームはいわゆるオールト雲の真っ只中を貫通しているのですから、むしろ1200万キロの幅で上下に貫通する壮大な「光の瀑布」が見られるんじゃないのかな、と。

実はこれは文系読者が陥りやすい陥穽で、「雲」と書かれると我々文系読者は気象現象の雲みたいなものを無意識に想像してしまうのです。実際には雲(汚れた雪玉の素?)といってもその分布密度はごくごく薄いんでしょう(調べてませんが)。

おそらくビームが「できた瞬間」には、ビームに照射されてチカッ、チカッと瞬間的に輝き、蒸発したことはあったでしょう。しかしながらその結果、次の瞬間以降は、ビーム内には星間物質は存在しなくなるはず。
つまりビーム内部は完全真空となり、円筒状のビームの外側にたまたま接触した星間物質は発光するかもしれませんが、それもオールト雲の存在密度からすれば局所的な現象で、間違っても「光の瀑布」みたいな観光資源にはなりそうもありません。
あ、ビームの出現の方が太陽系の形成よりも先なんだから、上の説明もありえないのか(ーー;

ところで今日図書館で朝日の2月16日の夕刊を閲覧したんですが、「幻影城の時代」の書評は見つけられませんでした。関西版と関東版では内容が違うのかも知れません(18日の「柳柊二 怪奇画帖」も見つけられず(ーー;)

 




「バビロニア・ウェーブ」読了!  投稿者:管理人  投稿日: 222()223650

  引用  編集済

 

 

堀晃『バビロニア・ウェーブ』(徳間書店、88)読了。

昨夜半から読み始めて、措くことができず明け方まで読み続け、そのまま炬燵で眠る。今朝も今朝とて仕事もせず読み耽り、昼は喫茶店を梯子して4時前に読了。ふと我に返り、ああ、このクソ忙しい時期にぃぃ〜と後悔するもあとのまつり(^^; 作りがミステリ仕立てなので読み始めたら止められません。これから着手される方はお気をつけ下さい。

いや面白かったです。
太陽より3光日(冥王星遠日点距離の10倍)の太陽系外縁、太陽から見て射手座の方向(銀河系中心方向)に、黄道面を垂直に貫く直径1200万キロのエネルギーのビーム、バビロニア・ウェーブが発見される。やがてそれが黄道に対して上下方向に5000光年にわたって延びる定在波であることがわかる(つまり両端に鏡?が向かい合わせになっており、その鏡の間にレーザー光が囚われて、無限に行ったり来たりしている状態)。
このビームに鏡を差し込み、ビームに対して45度に傾ければ無限のエネルギーを太陽系は得ることができる。つまり電線から電気を盗むようなものですな(^^; この、まさに天よりの授かり物(窃盗物?)のおかげで、エネルギーは無限に使えるようになり、ホーマン軌道航法など過去の遺物と化す。
ただしこの差し入れた鏡を宇宙空間に固定できないから、鏡の裏面にも鏡を貼り付け、上下方向からの定在波を反射することで反動を中和して固定するのだが、その結果、太陽系とは反対方向(射手座の方向)へ、太陽系へ送られるエネルギと同量のエネルギーが無駄に廃棄されてしまう。
この銀河系中心部へ向かって垂れ流される廃エネルギをCETIなどに有効利用できるのではないかという企てが試されるも、射手座方向へのその手の企図は、なぜか原因不明のトラブルに見舞われる。それはまるでバビロニア・ウェーブ自体が「意志」をもって妨害しているようにもみえるのだったが……

――と、アイデアを書き写すだけで、興奮が甦ってきました(^^;、終章がまた凄い。イーガン「ディアスポラ」のラストも凄かったですが、同様のアセンション(無限上昇)ぶりにハードSFはこうでなくっちゃ、と改めて宇宙SF、ハードSFのセンス・オブ・ワンダーを堪能しました。

根本のアイデアは、旧版あとがきにあるように、(短篇版や連載)当時はまだ翻訳されていなかったヴァーリィ「へびつかい座ホットライン」とは、外形似ているようで、よく読めば(よく読まなくても)全然異なっている独自のアイデアだったのですが、その一方でヴァーリイも含めてそれ以降のブリンやソウヤーなど80年代90年代アメリカハードSF派の宇宙観に共通するものもそこはかとなく感じられ、その辺はなかなか興味深かったです。勿論本篇にはアメリカ自大的な幼稚さは微塵もありませんし、小説の構成自体もずっと引き締まっており、むやみやたらと水増しされたアメリカ作品など足元にも及ばない作品となっていることはいうまでもありません。私としてもそのように感じたのは、実は意外でした。

もし堀さんが本書をアメリカで発表していたら、むしろヴァーリイと並んで80年代90年代ハードSF派のさきがけ的な、リーダー的なポジションを獲得していたのではないか、いや堀さんの本篇が基準となって彼らの「小説」はもっとましなものになっていたに違いない、そんな妄想を抱かされました(^^;。

ともあれ、今頃本書を読み終わっている私がいうのもなんですが、本篇が10何年も絶版状態にあったのは、とりわけ新しいSFファンにとって大変な不幸であったことは間違いありません。その意味で今回の創元SF文庫での復刊は、まさに時宜を得た(というか遅きに失した感なきにしもあらずですが)快挙というべきで、諸手を上げて歓迎したいと思います。

 




「バビロニア・ウェーブ」が創元文庫に!  投稿者:管理人  投稿日: 221()215418

  引用  編集済

 

 

堀晃さんのハードSF長篇『バビロニア・ウェーブ』が創元SF文庫から、同文庫の日本作家作品第1弾として復刊されましたね→こちら
いやあ快挙快挙(^^)

本作品は81年から83年にかけてSFアドベンチャー誌に連載後、88年に単行本が徳間書店から上梓され、翌年星雲賞を受賞した宇宙ハードSFの代表作です!
単行本化されるのに5年もかかった理由は、文庫版あとがきによれば、どうやらハードSF作家独特の「作家的良心」によるものと想像されます。ハードSF作家は大変ですなあ。

私はアドベンチャーで断続的に読み、単行本も購入したのですが、何度も書いていますが85年から95年頃は完全にSFから遠ざかっていまして、結局積読本となっていました(汗)。
今回創元文庫から復刊と知り、あわてて文庫版あとがきと旧版あとがきを読み比べてみました。どうやら大幅な改稿はなされていないようですね。

ということで、『バビロニア・ウェーブ』、これから着手します(旧版ですけどm(__)m)

 





「哲学の横町」  投稿者:管理人  投稿日: 220()221754

  引用

 

 

臼田さん
SRの会開催のお知らせ、ありがとうございます。
深堀骨さんと山沢先生の東西対決は面白そうですね(^^)
一般参加可の二日目も盛り沢山で楽しめそうです。
現在会員ではないけれども、伝統あるSRの会にいささか興味があるという方は、折角の機会、一度体験してみられてはいかがでしょうか。
55周年大会のご盛会をお祈りしております。

さて、木田元『哲学の横町』(晶文社、04)読了。
何気なく手にしたら、つい引き込まれて一気に読んでしまいました。
で、ふと著者が北杜夫の一年後輩であることに気づいた。著者が東北大学に入学したのは農林専門学校卒業後21歳のときと少し遅いのですが、北杜夫のいた医学部は他の学部より長いので、それでも数年間は同じ大学に在学していたことになりそうです。当然面識はないはずですが、そういえばエッセイの質、ユーモア感覚などがとてもよく似ているような……。あるいは仙台という土地柄、大学の気風みたいなものが共通の土壌になっているのかも、とちょっと思いましたが、まあ関係ないでしょう(^^;。

前著『哲学の余白』同様、軽めの哲学論文から自伝風のもの、新聞などに載った小説の書評などを集めてあって楽しめました。
著者は、「退官後はこんな文章ばかり書いている(書かされている)」と自嘲ぎみなんですが、むしろエッセイストとして非凡なものがあり、編集者もその辺に注目しているということではないでしょうか。実際、私も名エッセイストだと思います。

前著の感想文では翻訳についての著者の見解を紹介しましたので、本書からも――
池内紀の「カフカ」、鈴木道彦の「プルースト」の新訳が平明で読みやすいのを評価して、「カフカもプルーストも旧訳に固執する人がいてもいい」としつつも、「翻訳者にはある種の職人気質があって、原文の構造やリズムをできるだけ訳文に移し入れようとするものだ。そのため、日本語としての読みやすさが犠牲になることがある」として、少なくとも既に翻訳があるものを新訳で出すのであれば「思い切りよく日本語としての面白さを考慮」してよいのではないか、と「池内訳のカフカ、鈴木訳のプルーストの平明さは否定できない」とします。(303-304p)

私も同感です。しかしながら、無味乾燥な(訳者の理解が及んでないところから来る)直訳文は論外ですが、所謂「翻訳文」「それ自体」を楽しみたいという欲求も、私にはあります。
漢文はもともと「中国語」であるわけですが、それに返り点を振ったりして読み下した「漢文」は、紛れもない日本語です。日本語としての「漢文」には、もともとの日本語(やまとことば)にはない一種新しいリズムや語感や独特の表現があります。漢文の魅力の何がしかはそのような「読み下し文」「それ自体」にありそうです。
よい「翻訳文」にも、そのような「漢文」に似た新しい「リズム」や「語感」や「独特の表現」があると私は思います。そして、そのような翻訳文「それ自体」を楽しんでいることがままあるのです。とはいえそのような楽しみ方は「詩」とか「韻文」の鑑賞に近く、「小説」それ自体を楽しむときには、ストレスになりますよね。その意味で2種類の訳文があってよいという筆者の考え方はそのとおりだなと思いました。

 

 

 

 

(管理人
大橋さん
>やはりご遺族の方に喜ばれるのが一番、嬉しいです
よかったですね。
たしかに「怪奇」という語感に共感する感性が一般化するのは、70年代以降(「おたく」以降)でしょうね。それより上の年配の方にとって「怪奇」はネガティブな感じしかないのかもしれませんね。

 




感謝  投稿者:大橋  投稿日: 220()221027

  引用

 

 

本多様 並びに管理人様
いろいろありがとうございます。

柳先生の奥様に朝日新聞のことをメールしたところ、
「「怪奇」と言う題名に何となく拘りがあったのですけれど、載っている「絵」はまさしく柳柊二の絵です。良い記念を残して下さったと感謝申し上げて居ります」
とお返事を頂きました。やはりご遺族の方に喜ばれるのが一番、嬉しいです。
あっ、画集が売り切れになる方がもっと嬉しいかな(笑)。

 




SRの会55周年記念大会開催告知  投稿者:臼田惣介  投稿日: 220()005021

  引用

 

 

当掲示板の管理人の了承を頂きましたので以下告知をさせて頂きます。

ミステリ・ファンクラブ「SRの会」は来る3月17〜18日に創立55周年の記念大会を下記の要領で開催致します。
3月17日の前夜祭は会員限定の催しとなりますが、18日の本大会及びレセプションは会員以外の参加も受け付けておりますので、ご希望のミステリ・ファンは是非ご参加ください。

○3月17日(土)17:00〜   前夜祭   場所:東京五反田 ゆうぽうと
 懇親会・東西対抗犯人当て小説朗読ほか企画満載
  ※但し、前夜祭はSRの会・会員限定のイベントです。
 ちなみに犯人当て小説は
  (東方)「怪談・呪いの雪密室<犯人当てヴァージョン>」
       出題者はあの「アマチャズルチャ」の深堀骨、だっ大丈夫なのか?
    (西方)「密室2007」 こちらの出題者は磐石の山沢晴雄です。

○3月18日(日) 場所:東京渋谷 フォーラム8
   ※本大会・レセプションは会員外の参加も受け付けています。
  ☆本大会 12:30開場 13:00開会〜
    1.紀田順一郎氏講演会  演題「MYSTERY&IMAGINATION」
    2.SRの会 2006年ベスト5発表
    3.SRの会 翻訳ミステリ「SRの殿堂」入り作品発表
    4.道尾秀介・米澤穂信両氏による座談会
             (座談会終了後サイン会 18:00終了予定)

  ☆レセプション 18:00開場 18:30開宴〜
              (20:00終宴)

●その他申し込み方法等詳細については、下記の「SR55周年記念大会公式ブログ」を参照、確認願います。

  SR55周年記念大会公式ブログ
   http://blog.livedoor.jp/sr5520070318/archives/50722924.html

 ★公式ブログには天城一、有栖川有栖、芦辺拓、法月綸太郎ほか各氏の祝辞・コメントが掲載されています。合わせてご覧下さい。

                                                                      以上
                                                                     SRの会事務局 長瀬信行

 




「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」  投稿者:管理人  投稿日: 219()201641

  引用  編集済

 

 

本多さん
おたよりありがとうございます。
埴谷雄高さんが亡くなってもう10年になるんですか。早いですねえ。

>台湾にて、海賊版
うーむ、さすが海賊版天国ですね。

>スタッフ全員で鋭意検討中です
期待しております。暫く京都へはお越しになられぬようご忠告いたしますです(^^;

B・W・オールディス『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』柳下毅一郎訳(河出文庫、07)読了。

ああ、これは傑作です!
とりあえず感じたことをメモ。
結合双生児(所謂シャム双生児)として生まれ、四六時中顔をつき合わせていなければならない(つまりプライバシーがない)トムとバリーの兄弟は、それゆえに互いに激しい憎悪を抱き合う。これはよくわかる。木村敏がいうように、ヒトは「あいだ」を生きることによって「自己」を形成する。すなわち「人間」となる。言い換えれば「視点の移動」を獲得する。

ところがトムとバリーはずっと「接して」いるわけで、つまり「あいだ」がない。「あいだ」があってこそ「視点の移動」は可能となるのだから、お互いにもっとも「近い」(距離ゼロ)「あいだ」がない他者であるのに、実はそれゆえに「視点の移動」が働かないわけだ。いかにもオールディスらしいアイロニーではないか。

結局、結合双生児の兄弟には、「あいだ」がないため、人間としての自己形成にある欠落が生じてしまう。これは構造的必然といえる。オールディスはかかる構造的必然を決して恣意的に歪めたりしない。

凡百のエンタメ小説では、このような「必然」を「(好悪の)感情」や「(表層的な)倫理」の要請に簡単に屈し、読者の「期待する」結末へと物語を捻じ曲げて仕舞いがちだが、オールディスはそんなことはしない。兄弟はその「必然」にしたがってまっしぐらに悲劇へと突き進んでいくのだ。

とはいえこの鉄壁の論理構成は、しかしラストで綻びをみせる。もちろん三番目の兄弟の覚醒で、18年間意識もなく夢にまどろんでいた三番目(このアイデア自体は実によろしい)が、バリーの死を契機に目覚め、トムを攻撃するのだが、なぜそうするのかが了解できない。この経緯の必然性をオールディスは書いてないのだ。だから最後で本篇はホラーになってしまっている。

これは残念。夢みる第三の兄弟というアイデアはすごくいいのだ。プロットはこのままに、あとはその必然性を納得させる「論理」は必要だったように思う。

ということで、きちんとした感想は後日チャチャヤン気分に書きます。
#今回の柳下訳は、多少手抜きしているような。ロードショーに間に合わせるためにせかされて、詰めの推敲に充分時間を取れなかったのではないでしょうか。

 




『幻影城の時代』海賊版登場!  投稿者:本多正一  投稿日: 219()170223

  引用

 

 

 なお『幻影城の時代』ですが、早くも島崎氏の母国台湾にて、海賊版(無断翻訳)が登場しているようです。また増刷につきましてはスタッフ全員で鋭意検討中です。急いでご報告申し上げます。
 あ、なるたけ月のない夜は歩かないようにしたいと思います。(^^;)

http://blog.livedoor.jp/windmail1975/

 




『柳柊二 怪奇画帖』  投稿者:本多正一  投稿日: 219()163638

  引用

 

 

管理人さま
 ご無沙汰しております。
 昨日の朝日新聞には大橋博之さんが編者を務められた『柳柊二 怪奇画帖』(ラピュータ)の書評も出ています。ご高覧ください。なお本日は偶然ながら柳先生のご命日でもあります。
 埴谷雄高さんと一緒の日なのですね(埴谷さんは丁度10年目の命日=アンドロメダ忌です)。

http://www.garamon.jp.org/

 




「神様お願い」  投稿者:管理人  投稿日: 218()125856

  引用  編集済

 

 

MIDI「神様お願い」を、チャチャヤン気分に掲載しました。

 




嵐山氏殺意を抱く!?  投稿者:管理人  投稿日: 217()23145

  引用  編集済

 

 

おやまあ、私はこんなページを作っていたのですね。すっかり忘れていました(^^;
最終更新が01.06.09! 5年半以上ほったらかしにしていたのか。
しかしそれにしても最終更新時、次元放浪民さんは中学1年生か2年生だったのではありませんか。うーむ。そう思うと、ぬるいサイトなりに、はるけくもきつるものかはの感深しですね。
管理人の埃を被った拙いサイトを丹念に見ていただきましてありがとうございます。
了解しました。チャチャヤン気分掲載後、コピペしておきますね。
よろしければ次元放浪民さんも感想文を書いてください。次元放浪民さんの感想ぜひ読みたいです。掲示板に投稿していただければ拙サイト「著書リスト」の「なぞの転校生」からリンクして辿れるようにさせていただきますので。

それはさておき、聞くところによりますと、2/16付けの朝日新聞夕刊の文化欄で、小川びいさんというライターの方が『幻影城の時代』について書かれているそうです。朝日新聞を購読されている方はお見逃しなく。私も図書館で閲覧してくるつもりです。

それにしても増刷はまだなのかな? あの「温厚という文字がヒトガタを被って歩いているような」嵐山さんが珍しく怒っておられますよ(^^;

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 217()21283

  引用

 

 

感想文のコーナーとは個別作品紹介&感想のページのことを言っているのです。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




道中に仆れし無念冬の雨  投稿者:管理人  投稿日: 217()201950

  引用

 

 

今日は以前勤めていた会社の上司のお葬式で、雨の中奈良まで出かけてきました。
実はこの方も独立なさっていて、去年、これはまた別のお葬式で10数年ぶりにお会いしたのですが、そのときはガンガン仕事をなさっている雰囲気で、名刺交換もさせていただいていたのでした。それが一年もたたずに亡くなられるとは……
本当に人間いつ死ぬか、分かったもんではありませんね。まあ確実に死ぬこと、それだけは100%間違いないのですが、問題はそれがいつなのか、なんですよねえ……

まあいつ死んだって構わないんですけど、準備というものがありますから。
いつも思うのですが、わが蔵書なんて遺族にすれば場所ふさぎのゴミ以外のなにものでもありませんから、どうせ二束三文で売っ払ってしまわれることは必定。それはまったく構わないんですけど、サイン本で為書きしていただいているのが流出するのは恥かしいし迷惑もかかります。それは避けたいところ。

そのようなのだけ集めて別口で管理しておく方がいいのですけど、それは以前から思っているんですけど、ぜんぜん実行が伴いません。だいたい既に、為書き本を一体どれだけ所有しているのか、個別のそれらがどこに仕舞われているのか、見当もつかなくなっている。結局死に恥を晒してしまうことになりそうです(ーー;。

次元放浪民さん
>感想文のコーナー
ってのが何を差しておっしゃっているのか、よく分からないのですが、「後日」(^^;チャチャヤン気分に収録いたしますので、気長にお待ちいただけたらと思います。

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 217()150239

  引用

 

 

わざわざどうもありがとうございます。それから後、感想文のコーナーに『なぞの転校生』も載せていただければ嬉しいです。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




「後日」の陥穽  投稿者:管理人  投稿日: 216()213821

  引用  編集済

 

 

次元放浪民さん

>とてもわかりやすかったです
あ、そうですか? わたし的には質問に答える形で鑢をかけようと思ってたんですけど。
というのは、私自身が眉村SFの影響を受けすぎているため、眉村さんの言っておられることが「自明」、「わかりきっていること」として、もはや「透明化」してしまっている部分があるからで、その辺が外部読者を想定した場合、多分説明不足になっている。
それを(私よりは何ほどか)外部読者である次元放浪民さんの指摘で自分としても気付かせてもらえるかな、と考えていたのでした。「とてもわかりやすかったです」と言っていただけたんですから、まあよかったとしましょう(^^;
後日山沢の部分を補完してチャチャヤン気分に掲載いたします。

その「後日」なんですが、先日森下さんのベストSFを選ぶために、過去に書いた感想文をチェックしていたところ、ウルフの感想文がなかなか見つからず、往生したのでした。
まあ発見できたのですが、当掲示板にバラバラに感想文を書き散らしっぱなしだった。それをチャチャヤン気分に纏めるのをしていなかった。そのうちにと思っているうちに完全に忘れてしまっていたようです。

そういえば「後日」に纏めようと思ったまま、忘れてそのままになっているのがずいぶんあるようです。「後日」というのが曲者なんですね。大体忙しい時にそういう事が起こりがちなので、悩ましいところなんですが、できるだけ「読んだら即感想を書く」を徹底しなければ、と反省したばかり。「なぞ転」も可及的速やかに纏めたい――と思っているんですけど、既に「後日」が結構たまっているのであった。
備忘として列挙しますと――

 水谷千秋『謎の豪族 蘇我氏』
 中野正志『万世一系のまぼろし』
 内倉武久『謎の巨大氏族・紀氏』
 田中卓『海に書かれた邪馬台国』
 田中卓『日本の建国史』
 田中卓『日本国家の成立』


うーむ、溜まってくると斥力みたいなのが働き出すんですよね(ーー;

しかしながら読むほうは好調(^^;
今日あたりから、ブライアン・オールディス『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』読み始めようかと思っています。

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 216()185725

  引用

 

 

わざわざ説明どうもありがとうございました。説明は、とてもわかりやすかったです。僕は、この『なぞの転校生』という小説は、とてもよくできた小説だと思います。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




「なぞの転校生」  投稿者:管理人  投稿日: 215()215250

  引用  編集済

 

 

内倉武久『謎の巨大氏族・紀氏』(三一書房、94)
眉村卓『なぞの転校生』(角川文庫、75)

読了。

前者は、最初はずしたかと思ったんですが、結果オーライでした。
後者は表題作の他に短篇「侵された都市」が併載されているのですが、今回は表題作のみ再読。

前者については後日ということで、まずは次元放浪民さんへの宿題を済ませておきます。

次元放浪民さんはおっしゃいました。
>成長小説と言いましても、『ブレイブストーリー』では、主人公の少年の成長を描くのに対して、
>『なぞの転校生』では、転校生の少年(その他の次元放浪民も含む)の成長を描く点が大きく異なります。

これに対して私は次のようにレスしました。、
>「なぞ転」は(少なくとも原作では)転校生の少年も主人公の少年も少女も、みんなそれぞれに成長していますよね。
>単に転校生の少年の成長のみを描いているものではありません。

これに対して次元放浪民さんは、
>『なぞの転校生』は転校生の少年も主人公の少年も少女も、
>みんなそれぞれに成長していますと書かれてましたが、どういう点が成長してたでしょうか?

とお尋ねになりましたので、以下に記してみます。

転校生山沢典夫(その他の次元放浪民も含む)が成長したことは、お分かりのようですので省略します。
でとりあえず、岩田広一と香川みどりそれぞれについてどう成長しているか抜き出してみます。

まず岩田広一。彼は最初山沢が出現した時、それまでクラスで保っていた地位を山沢に奪われてしまったような気がして、嫉妬のような感情を山沢に対して抱き、ツンケンした態度をとります。雨に濡れるのが怖ろしいから放課後残らないという山沢に対して、しつこく追求するところは半分イジメにも似たもので、クラスメートから非難されます。
その岩田が、運動会で山沢を3年生から守ったあたりから、少しずつ理解して行こうと努力します。その過程で、たとえば山沢の部屋の前に集まった野次馬を堂々と説得して追い返すような「勁さ」を彼は獲得していきます。自分ひとりの感情で判断する段階から、「視点を移動させて」(cf「第九の日」)もっと大きな視野を獲得するに至ったわけです。
148ページ(75年版。98年改版では161p)で山沢に対して「あいかわらずわがままなヤツだ」とつぶやきますが、「ふしぎに腹は立たなかった。それよりも逆になにかあたたかいものを典夫の言葉に感じ取」りさえします。ツンケンとしつこく相手を糾弾していたのとは全く変わっていますね。

次に香川みどり。彼女も最初は山沢に対する気持ちに捉えられて、周囲を見回す余裕がありません。屋上で9時という約束に対して、彼女は自分もその会見に立ち合わせるようにと無理を言います。広一の断りに対して「ひどいわ」とか「いじわる」と取り乱すのですが、やがて「でもわたしがそうしたら、クラスの人もみんな同じことをいうでしょう」と気付きます。彼女もまた「視点の移動」ができるようになったのです。会見を断念した彼女は、クラスメートがマスコミに洩らした場合の困難に気付き、みんなを説得して回るほどになります。
そんなみどりですが、やはり人の子、山沢が去った後虚脱状態になり殻に閉じこもってしまう。一種の退行ですが、山沢が帰って来てやや回復するとはいえ、山沢が東京へ転校するとなったときには、広一は「またショックを受けるのじゃないか」と心配するのでしたが、案に相違して「自分の気持ちというものを、自分自身で整理することのできた者だけに見られる、あの晴れやかな」表情をみせます。「悩み苦しんでいたみどりは、きっと典夫の帰還を頂点として、そこで自分を取りもどした」(155p 171p)と著者は書きますが、私はもっと積極的にみどりは成長して自分の器量を一回り大きくしたのだと理解したいです。

かくのごとく本書は、次元ジプシー(とりわけ山沢典夫)というシステム外からの闖入者(すなわち転校生です)によってシステム(社会、とりわけ阿南中学)がゆさぶられ、結果システムが活性化されるという大枠の構造のなかにおいて、システムの構成要素たる広一とみどり(そして転校生である典夫自身)がシステムの活性化・再構成のなかで、必然的にそれぞれに成長していく、そのさまを記述したものといえるのです。

次元放浪民さん、お分かりいただけましたか? 不明な点がありましたら是非質問してください。それにお答えしていくことで、私自身もっと思考をこなしていけるのではないかと考えています。

 




読んだ本 読んでる本 これから読む本  投稿者:管理人  投稿日: 214()214024

  引用  編集済

 

 

田中卓『海に書かれた邪馬台国』(プレイブックス、75)
中野正志『万世一系のまぼろし』(朝日新書、07)

読了。
どっちもめちゃ面白かった。
特に『海に書かれた邪馬台国』は、今までこの本を知らなかったのは一生の不覚(ーー;
後日感想を纏めます。

内倉武久『謎の巨大氏族・紀氏』(三一書房、94)読み中。期待はずれかも。
ようやく『なぞの転校生』(角川文庫、75年版と98年版)を引っ張り出してきました(^^)。

そういえばオールディス『ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド』が書店の袋に入ったまま部屋の隅にころがってるなあ……早く取り掛からねば・・

 




リクルートメント現象  投稿者:管理人  投稿日: 212()212758

  引用

 

 

森下さんのところにベストSF2006の投票をしてきました。

で上記森下さんの日記にリクルートメント現象について書かれていて、ほう、と思いました。
私が今ひしひしと感じているのは、聞き取る力がかなり弱くなっているような気がすること。
昔読んだ渡辺慧の「認識とパタン」(岩波新書)に書いてあったと思うのですが、素人が録音した講演テープを聞くとよく分かりますが、不要な音が一杯録音されていて聞きたい音情報が、耳で聞いた時とはぜんぜん別物みたいに遠くか細く録音されています。

これは録音された音のほうが実際の自然な音なんですね。
実は耳は、聴きたい音を増幅して「聞き取る」機能があるというか、様々な不要な音を無意識にシャットアウトして、聴きたい音だけを優先的に聞き取っているんだそうです。

そのような聞く集中力と言いますか、この能力が歳取ると弱まるんではないでしょうか。
老人は耳が遠くなるとよく言われますが、たぶんボリュームが小さくなっていくのではなく、集中力が弱くなって不要な音が若いときよりも多く混入してきて、聞き取りを邪魔するのではないか。

リクルートメント現象とはちょっと違うかもしれませんが、どうも私にも最近そのような自覚があってガックリしてしまうのです。

田中卓『日本国家の成立』國民會館叢書二(社団法人國民會館、92)
田中卓『日本の建国史―三替統合の精華―』國民會館叢書五十(國民會館、03)

読了。
田中卓は面白いです。
ひきつづき田中卓『海に書かれた邪馬台国』(プレイブックス、75)に着手の予定。

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 212()14535

  引用

 

 

管理人さんのおっしゃるとおり新山千春主演の映画は、本当にクソ映画です。原作をここまで無視するかと言いたいです。メッセージ性ゼロの駄作です。ちなみに、3回というはもちろん劇場に見に行った回数です。DVDも買いました。映画版ブレイブストーリーは、見た後は元気が出ますし暖かい気持ちになれます。見る価値十分にありです。新山千春主演の『なぞの転校生』とは大違いです。あと感想文のページに『なぞの転校生』も載せてください。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




「決闘」  投稿者:管理人  投稿日: 212()13575

  引用  編集済

 

 

「決闘」をチャチャヤン気分に掲載しました。

次元放浪民さん
お手を煩わせました。
けっきょく次元放浪民さんは映画の「ブレイブストーリー」のことを最初から言っておられたんですね。いや初手から勘違いしてました。
というのは「ブレイブストーリー」が映画化されていたことは完全に失念していたからで、貴兄のレスで初めて「そういえば」と思い出したという体たらく。
そういう次第で、映画化と書いていらっしゃるけど新山千春のアレのことなのかな、あのクソ映画? しかもあれ、結構昔の映画だけど、3回見たってDVDかな……などと不審に感じていたのでした。申し訳ありません。

ことほどさように、私は最近の映画事情に疎く、というか今の映画に興味がないのでした。去年は主に50年代60年代のウェスタンをDVDで見てました(今年見たのはSFMのシェクリー関連で「ウェストワールド」を何週間か前に見直したくらい、そんな程度なんです)

で、原作の宮部さんの「ブレイブストーリー」は、貴兄には「後味が悪」く、「ラストで泣け」「劇場版」のほうがいいので「原作よりも映画版を先に見ることを勧めめます」ということですね。
ただし「原作を先に読んだ人はみんな」映画版は「だめと言って」いるんですね。

委細よく分かりました(^^;
逆に小説版のほうに興味がわいてきました(いや読みませんけど)(^^;

>『なぞの転校生』は転校生の少年も主人公の少年も少女も、みんなそれぞれに成長しています
>と書かれてましたが、どういう点が成長してたでしょうか?それも書いてください。


了解しました。しばしお待ちくださいね。瀬名さんに入れ込みすぎて(30枚も書いちゃった)感想上げないといけないのがたまってきており、そっちを先に消化してしまいたいので。

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 212()111137

  引用

 

 

僕が、言っているのは『なぞ転』ではなく、『ブレイブストーリー』のことです。「後味が悪い」といっているのも『なぞ転』ではなく『ブレイブストーリー』のことです。原作を先に読んだ人はみんなだめと言ってますしとは、「原作を先に読んだ人はみんな映画はだめ」という意味です。『なぞ転』(原作)のラストは、『ブレイブストーリー』(原作)のラストよりずっと後味がいいです。とても元気がでます。それから、『なぞの転校生』は転校生の少年も主人公の少年も少女も、みんなそれぞれに成長していますと書かれてましたが、どういう点が成長してたでしょうか?それも書いてください。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




「第九の日」  投稿者:管理人  投稿日: 212()023743

  引用

 

 

次元放浪民さん
レスありがとうございます。ご指摘の「なぞ転」のラスト、「後味が悪い」とはどういうことか念のため原作を確認してからレスさせていただきます。しばしお待ちを。
その前にひとつふたつ確認させていただきたいのですが、

>原作を先に読んだ人はみんなだめと言ってますし
とは、
「原作を先に読んだ人はみんな原作はだめ」
といっているのですか、それとも
「原作を先に読んだ人はみんな映画はだめ」
といっているのでしょうか?
それから「映画版」とは新山千春主演作品のことでしょうか?
以上、恐れ入りますがお返事いただければ幸甚です。

○チャチャヤン気分に「第九の日」を掲載しました。

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 211()22468

  引用

 

 

すいません。要約をもっとわかりやすく書くべきでした。『ブレイブストーリー』は主人公の少年の成長のみというわけではではありません。『なぞの転校生』は転校生の少年も主人公の少年も少女も、みんなそれぞれに成長していますと書かれてましたが、どういう点が成長してたでしょうか?あと感想文のページに『なぞの転校生』も載せてください。『ブレイブストーリー』は『なぞの転校生』より落ちると想像すると書かれてましたが、決してそんなことはありません。僕は、原作よりも映画版を先に見ることを勧めめます。原作を先に読んだ人はみんなだめと言ってますし。それにラストが異なります。原作のラストは、後味が悪いですが。劇場版は、ラストで泣けます。ちなみに、僕は3回見に行きました。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




「モノー博士の島」  投稿者:管理人  投稿日: 211()124728

  引用  編集済

 

 

次元放浪民さん
早速レスありがとうございます。

>大きく異なります
そうでしたか。失礼しました。ただ次元放浪民さんの要約からはその相違を読み取ることは無理ですね。

>成長小説と言いましても、『ブレイブストーリー』では、主人公の少年の成長を描くのに対して、
>『なぞの転校生』では、転校生の少年(その他の次元放浪民も含む)の成長を描く点が大きく異なります。

「なぞ転」は(少なくとも原作では)転校生の少年も主人公の少年も少女も、みんなそれぞれに成長していますよね。単に転校生の少年の成長のみを描いているものではありません。
宮部作品がおっしゃるように「主人公の少年の成長」をのみ描いたものならば、はっきりいって「なぞ転」より数段落ちる作品と想像せざるを得ません。
逆にそうではなく、やはり「なぞ転」同様登場人物みんながそれぞれに成長しているのであれば、「大きく異なります」という次元放浪民さんの読みがやや不足している可能性があります(^^;。

>別の世界が大きく関係してると言いましても『ブレイブストーリー』では、
>転校生の少年が別の世界に行くのに対して、
>『なぞの転校生』では、別の世界から転校生がやってくる点です。


構造論的には同じですね。向きが異なっているだけです。次元放浪民さんも昨日の要約では、
>・別の世界≠ェ大きく関係している所。
という括りで、類似性を指摘されていたのでは?

以上はすべて「大同小異」の関係にある見解の相違ですよね。
「大同」の部分が「構造」、「小異」の部分が「要素」と考えていただければ矛盾するものではないことがお分かりいただけるのではないでしょうか?
フォーミュラ小説といえども「小異」を創造しなければ、単なる模倣贋作になってしまいます(^^ゞ

>眉村卓もベストセラー作家とまでは行かなくても、
>宮部みゆきと同様に知名度の高い作家だと思いますが。

まあそのとおりなんですけど、私が眉村SFと遭遇した37、8年前は、SF作家で「一家をなして」いたのは星、小松、筒井の御三家だけだったんですね。いえ実際のところはわからないですけど、少なくとも私の思い込みの中ではそうだったのです。
そういうわけで、御三家の作品は自分では買いませんでした(友人に借りた(^^;)。そんな金があったら眉村、光瀬、豊田、石原作品を専ら購入していました。自分なりに新人作家を育てているというイメージです。なんとまあゴーマンな(汗) 今の大家である眉村さんのイメージとは違っていたんですよね。

「モノー博士の島」チャチャヤン気分に掲載しました。

 




管理人さんへ  投稿者:次元放浪民  投稿日: 211()115356

  引用

 

 

はい、元気でした。類似点についてですが、成長小説と言いましても、『ブレイブストーリー』では、主人公の少年の成長を描くのに対して、『なぞの転校生』では、転校生の少年(その他の次元放浪民も含む)の成長を描く点が大きく異なります。それから、別の世界が大きく関係してると言いましても『ブレイブストーリー』では、転校生の少年が別の世界に行くのに対して、『なぞの転校生』では、別の世界から転校生がやってくる点です。ベストセラー作家は、読む気になれなくてとおっしゃいましたが、眉村卓もベストセラー作家とまでは行かなくても、宮部みゆきと同様に知名度の高い作家だと思いますが。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




「メンツェルのチェスプレイヤー」  投稿者:管理人  投稿日: 211()014155

  引用

 

 

「メンツェルのチェスプレイヤー」の3回目をチャチャヤン気分に掲載しました。これにて完結。

 




Re: お久しぶりです。  投稿者:管理人  投稿日: 211()005828

  引用  編集済

 

 

次元放浪民さん

どうも、お元気でしたか?

> ブレイブストーリー
すみません、未見です。なぜかベストセラー作家は読む気になれなくて(^^ゞ

> 相違点
類似点ですね。的確に纏められていると思います(^^)
しかしこれらはむしろ成長小説には必須の構造といえるものではないでしょうか。
いわば永遠の物語原型なのであって、宮部さんは「なぞ転」を意識した可能性は否定しませんが、たとえ「なぞ転」を読んで(見て)いなくても、宮部さんほどのストーリーテラーならば当然このような構造は押さえたと思われます。

次元放浪民さんも、ちょうど春休みでもあることですし、このプロットで少年小説の短編を書いてみられてはいかがですか(^^;
構造がしっかりしているので、構成要素を入れ替えるだけでそこそこの作品に仕上がりそうですよ。あ、なんか大塚英志みたいなことを言ってますね(苦笑)

 




お久しぶりです。  投稿者:次元放浪民  投稿日: 210()225925

  引用

 

 

おひさしぶりです。先週から春休みが始まりました。前に紹介したブレイブストーリーですが見られましたか。前にも言いましたが、あれは、『なぞの転校生』と似ています。

相違点

・転校生の少年が物語のキーパーソンである所。
・転校生がギリシャ彫刻のような(アニメ映画版のみ)美形で成績優秀で少し冷めた性格で 素性がわからず謎めいてる所。
・転校生が悲しい過去の持ち主である所。
・主人公の少年と転校生が対比的に描かれてる所。
・主人公の少年がマンション住まいで3人家族という所。
・主人公の少年と転校生が学校で出会う前に出会いその時に転校生が不思議な言動をする所(アニメ映画版のみ)。
・主人公の少年が転校生を不良の上級生から助ける所。
・別の世界≠ェ大きく関係している所。
・この物語のメッセージは「なぞの転校生」に通じるものがある。
宮部みゆき氏は、1960年生まれで、72年から83年まで放送されていたNHK少年ドラマシリーズ(この中でなぞの転校生は放送されていた)を見たり眉村卓を読んだりしている世代です。ですから、「なぞの転校生」の影響は少なからず受けていると思われます。

http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p

 




神皇正統記  投稿者:管理人  投稿日: 2 9()212854

  引用

 

 

ひきつづき『万世一系のまぼろし』読み中。なかなか読む時間を捻出できず進まないのですが、「神皇正統記」の内容をこの歳にして初めて知りました。北畠親房=神皇正統記という受験カード的知識はもちろんあったんですが、その中身はまさに受験知識らしくブラックホールでした。
で「神皇正統記」、アイデアとしてはめっちゃオモロイやないですか(^^; 北畠親房って稀代のソフィストといえるかも……。

「メンツェルのチェスプレイヤー」の2回目をチャチャヤン気分に掲載しました。

 




探偵小説や冒険小説で、  投稿者:管理人  投稿日: 2 9()012033

  引用  編集済

 

 

明るい外から暗い室内へ飛び込んだり、部屋の明りがパッと消えて暗闇になったりしたとき、闇に慣れるまでしばらく目が見えなくなるというシーンがありますよね。
あれ、大嘘やなあと、子供のころ、読みながら思った記憶があります。
この歳になって(というかもっと前からですが)あれが嘘ではないことをひしひしと思い知らされております。
つい今しがたも電気をつけないで廊下を歩いていて、開いていたドアに思いっきり顔をぶっつけてしまった。目から火花が飛び散ってドアを確認しました(>嘘です)。
そういえば夜空の星の数が少なくなったのは地上光量の増大のせいだと思っていましたが、あながちそのせいばかりではないのかも。哀号。

 




眉村さん情報  投稿者:管理人  投稿日: 2 6()202122

  引用  編集済

 

 

読売新聞のコラム「週間日記」の1月18日と1月25日に眉村さんが登場されました。
このコラムは、まあ公開日記なんですが、毎週木曜に掲載され、ひとりの著者が二週間受け持つようです。

あと、先日の会でお聞きしたビッグニュースがあるのですが、一応確定ながらも、予定は未定と言いますか先で立ち消えの可能性もあるとのことなので、残念ですがまだお知らせできません。決まればすごいプロジェクトです(^^)

中野正志『万世一系のまぼろし』(朝日新書、07)に着手。
先日旭屋書店で見かけて思わず購入。まだ100頁程度ですが面白い。田中卓博士の邪馬台国・大和朝廷論の全体像を初めて知りました(実は博士の説と私の妄想が意外に一致していて、もちろん偶然の一致ですが、とても気分がよくなりました)。以前から思ってましたが、この方は皇學館の元学長という立場の方ながら、おっしゃっていることは理が通っていて傾聴に値します。

田中博士に比べれば八木秀次のY染色体説は(本書でもケチョンケチョンですが)なんと杜撰な発想でしょうか(失笑)。しかも驚くべきことに八木は安倍政権のブレーンなんですと。まあ安倍政権のレベルがその程度の低さということか(汗)
本書にあるとおり、100代の天皇(実際はというか系図上今上天皇は125代目)が撒き散らしたY染色体は各天皇が二人男子をもうけたと仮定すると2の100乗倍いることになる。すなわち1兆の1兆倍の更に100万倍となるらしい。いろんな制限を加えても初代天皇のY 染色体を受け継ぐ男性は「今の日本にゴロゴロいるはず」らしい(^^;
八木説に従えば、ひょっとして私やあなたも天皇の有資格者かも(^^ゞ

このことから明らかなように、皇統は「生物学」「遺伝学」とは無関係な観念なんですね。それはおそらく「想像的」あるいは「幻想的」な観念なんでしょう。平たく言えば「見立て」。当然「万世一系」も「想像的」「幻想的」な「見立て」に他ならない。その契機が何なのかが、この後の頁で明らかになるはず。楽しみです。

 




眉村さんを囲む会  投稿者:管理人  投稿日: 2 5()202414

  引用  編集済

 

 

昨日は久しぶりに楽しかった(^^)
眉村先生には、5時から途中河岸を変えて10時過ぎまで、5時間も付き合っていただきました。先生他ご出席の皆様お疲れ様でした。
河岸といっても二次会はカラオケボックス(歌なし)だったんですが、眉村先生、気に入られたようで、ここで仕事できますなあ、とまんざらでもないご様子でした(^^;
今日は私は夕方まで何となく熱っぽかった。ふつかよいの一種だったんでしょうか。
写真があるんですが、私、顔がまっ赤っ赤でちょっとお見せしたくありません(^^;
代わりに、先生がお手もとの裏にさらさらっと描いてくださったケン一とヒゲオヤジをどうぞ。うまいですねえ(^^ゞ

 




「メンツェルのチェスプレイヤー」  投稿者:管理人  投稿日: 2 4()13559

  引用

 

 

今日は恒例眉村さんを囲む新年会。今年は諸般の事情で2月にずれ込んでしまいました。
夕方5時、旭屋本店にて集合。お暇な方はどうぞ。
ということで、そろそろ私も出発します。

瀬名秀明『第九の日』の感想、まずは「メンツェルのチェスプレイヤー」に就いて書きかけていたんですが、そういう次第で、時間切れ。とりあえず書き上げた分をチャチャヤン気分にアップしました。

 




藤野恵美さん、新聞小説に進出(^^)  投稿者:管理人  投稿日: 2 3()214717

  引用

 

 

「毎日新聞」で、連載が既に2月1日から始まっています!
タイトルは「世界で一番のねこ」
童話のようですね。
朝刊「読んであげて」のコーナーで、月末までの1ヶ月間連載されるようです。

MSN毎日インタラクティブ
藤野恵美公式ホームページ

瀬名秀明『第九の日』(光文社、06)読了。
これは力作! 今感想文を書いているところ(^^;

 


 

 

inserted by FC2 system