【掲示板】



ヘリコニア談話室ログ(2007年9月)




久々の観劇  投稿者:管理人  投稿日:2007 930()180828

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オリゴ党の芝居を観てきました。オリゴ党第24回公演「それはAVですか?」作・演出、岩橋貞則

うーむ、これは21世紀の「NHK少年ドラマシリーズ」ですな(^^;
中学校での文化祭中止事件の15年後、念願どおり映像助監督になっている主人公が、15年前の自分に(15年後の意識を持ったまま)タイムスリップし、くだんの文化祭中止事件を再体験する――というのがメインの枠。ただしそれが正しい解釈かどうかはわかりません。まあイワハシ台本の常ですが、非現実が現実を侵食し、現実が崩壊していきます……というか、どっちが現実でどっちが非現実なのかだんだん曖昧になっていくのですが、それで気づいたんですけど、ケリー・リンクのメビウス性って、実は演劇的なのかもしれませんね。

それはさておき、保健室の先生訳の誉田万里子さんの白衣姿がもうなんとも妖艶でよかった〜(^^ゞ
しかし、なんと申しましてもやはり前回(っていつだ?)同様、宇仁菅綾さんがオイシイところを全部持っていってしまいましたね。オーバーアクションなのに芝居のハーモニーをいささかも壊さないのがすごい。桂枝雀を感じました!

21世紀の「NHK少年ドラマシリーズ」と書きましたが、実際NHKで単発ドラマに仕立てても面白いのではないかね。
という次第で、2時間を超える長尺でしたが、全然ダレることもなく楽しませてもらいました。満足(^^)。

 




「遺跡の声」(1  投稿者:管理人  投稿日:2007 929()23050

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トマトさん
私も「五分前」を読み返してみました(^^)。すっかり忘れていたのですが、数行読んだら思い出しましたよ。
いいですねえ。お祖母さんが「おや、見えなくなった」というところが、本当にいいですね。こういうシチュエーションにしたところに、著者の心優しさを感じてしまいました。きっと久野さんはお祖母ちゃん子だったのかも。

さて、堀晃『遺跡の声』(創元SF文庫、07)に着手。まずは「太陽風交点」と「塩の指」を読みました。
前者は因果的なシチュエーションが秀逸で、著者にはめずらしくセンチメンタリズムが強く出ている佳品。
後者はコアとマントルの境界に住む超高密度生命がユニークです。ところで「塩の指」ってアレなんですね。堀さんの根源的な恐怖感と嫌悪感が、見事に悪夢として小説に取り込まれているところが面白かった(^^;

 




久野四郎  投稿者:トマト  投稿日:2007 929()163928

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お久しぶりです。


 久しぶりで久野四郎の『五分前』を読み返してみました。なんともいかない味わいがありますね・・・。
久野四郎はいわゆる青臭くて世間知らずな文学青年ではないので、その会話が実にリアルです。そんなところが久野四郎の魅力かもしれません。

 




「マジック・フォー・ビギナーズ」読了  投稿者:管理人  投稿日:2007 929()002148

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いや本篇も面白いですねえ。面白かった(^^)
しかしこれは又ずいぶんエムシュ寄りだなあと思っていたら、何とリンク版「果しなき流れの果に」になってぼう然とする。
本篇にもメビウスの輪構造は健在。小説の構造自体が魔法ですな。というか手品か。手品ですね。
その意味で、マジック・フォー・ビギナーズは私なら「奇術入門編」とか「簡単な手品」と訳したいですね。それでは売れないか(笑)
それにしても凄いなあ! こういうのを書き上げられる技倆も凄いけど、書き切ってしまう精神エネルギーが凄い。SF作家の中でもずば抜けた才能だと思います。
後日纏めてチャチャヤン気分の方にアップの予定。

ということで、暑さに負けてずいぶん時間がかかってしまいましたが、ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳(早川書房、07)の読み終わりとし、いよいよ明日から『遺跡の声』に着手します!

 




Re: 福島正美時代のSFM  投稿者:管理人  投稿日:2007 928()212359

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> No.971[元記事へ]

トマトさん

SFMのバックナンバーが並んでいる古書店が近くにあっただなんて、トマトさんは(SF的に)とてもよい環境にお住まいだったんですね(^^;
性描写といえば、直ちに思い出すのは、私の場合ウルフガイシリーズで、シリーズ物が嫌いな私ですが、このシリーズだけは熱狂的に追っかけていました。といってもノンノベルまでで、あまりに長すぎた中断期に離れてしまいましたけど(^^;
でも、今の(主体的ではなく解離的な)子達は、こんな濃くてむせ返るような物語はもはや読まない(読めない)のではないかと思いますね。

>久野四郎の全作品を読み返してみたいものです。
単行本未収録作も含めて、どこかで出版してほしいですね。
日下三蔵さんプロデュースで創元SF文庫から、となれば、これはもう最高の展開ですけど(笑)

 




福島正美時代のSFM  投稿者:トマト  投稿日:2007 928()092024

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管理人さん、秋なのに夏みたいで参りますね・・・。

わたしは中学時代、今はもう閉店してしまった近くの古書店でSFMのバックナンバーを立ち読みして福島氏時代のSFMを知りました。

すくなくともあの時代のSFMが青臭い文学青年少女ご用達の無責任な奇麗事の世界とは違い、性描写とその後の人間模様なども含めて生々しい人間社会の視点を持って描かれていた作品が豊富だったと思います。古書店での立ち読みだったので今手元にSFMバックナンバーがないので読み返しができないのが残念ですね。久野四郎の全作品を読み返してみたいものです。

 




「ネオリベラリズムの精神分析」読了。  投稿者:管理人  投稿日:2007 926()20262

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樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか』(光文社新書、07)読了。

面白かったです。しかしラカン派精神分析の用語って、一般的な用法と逆みたいなところがあって、慣れてないととんでもない勘違いをしてしまいそうですね。たとえば社会学用語でもある「再帰性」ですが、その意味範囲を円に見立てると、社会学用語の円とは中心の座標がかなり違うし、半径も大きいです。「存在論的安心」なんてのも、「自明性」と言い換えた方がずっと判りやすい。
そういう風に、私が慣れている現象学や社会学の言葉に置き換えて読んでいました。
ただ後半は、部分的に著者がおそらく作っていたのであろうカードがそのまま並べてあるようなところがあって、これはもっと咀嚼してほしかった。折角の好著が画竜点睛を欠いてしまいましたね。
あと、精神分析ってやはり世界の理解には欠かせない学問だなと、あらためて認識しました。近時精神分析への懐疑論があるようですが、現象学もそうですが、本書にも書かれているように、定量的科学偏重の悪しき影響でしかないように思います。
ともあれ感想は後日。

You'd Be So Nice To Come Home To  's wounderful

 




「遺跡の声」  投稿者:管理人  投稿日:2007 925()230424

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堀晃さんの新著『遺跡の声』が、創元SF文庫から出ました。→http://6823.teacup.com/kumagoro/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fwww.tsogen.co.jp%2Fnp%2Fdetail.do%3Fgoods_id%3D3762
「宇宙遺跡調査員」シリーズ、またの名を「トリニティ」シリーズですね。
以前、アスペクトから出ていたものに、書き下ろし新作1篇が追加された決定版!
ところで、上記東京創元社のサイトの、「星々を巡る下級調査員の私と、助手である結晶生命トリニティの旅路」という惹句に、私はラインスターの「メド・シップ」シリーズの主人公とマーガトロイドを思い出してしまいました。もちろん「トリニティ」シリーズはハードSFなんですけど、宇宙をたったひとりでお供とともに駆け回るという形式は同じですよね。

といっても、私自身はアスペクト版は読んでおらず、それ以前の短篇集に分散収録されていた分を読んだきりなので、かなり忘れてしまっているなあ。トリニティって要はコンピュータ生物でしたっけ(^^;
そういう次第で、今回の創元文庫版は、わたし的にはまさに時宜を得たものといえそう。もったいないとぐずぐず読み渋っていたリンクを片付けてしまって、早速着手したいと思います。

『ネオリベラリズムの精神分析』も、のこり20ページ弱。こっちも今日中に読んでしまおう。

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傍証?  投稿者:管理人  投稿日:2007 924()23101

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テレビを見ていたら、ソフトバンクモバイルの「4ヶ月連続加入者数一位」とかなんとかいうCMが流れているのに気づきました。
これってまさに下記の、若者の勝ち馬に乗りたい心理を突いたCMですよね?
CMで発信しているのは、ただ「4ヶ月連続加入者数一位」ということだけ。シンプルです。しかしこの1位であるってのが、今どきの若者に対しては、最大のセールスポイントなんですね。きっとCMを見た若者たちが、どっと雪崩をうって、一極集中的に、ソフトバンクに乗り換えているのかも。
さすがCM業界、今どきの若者の心理傾向なんてつとに織り込み済みなんでしょうね(^^;

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「ネオリベラリズムの精神分析」読み中  投稿者:管理人  投稿日:2007 924()13508

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某氏の日記に、最近出版された三浦展『下流社会 第2章』(光文社新書、07)に於ける「下流ほど石原慎太郎支持率が高い」という調査結果に対して、なぜ自分に不利な結果をもたらす人に投票するのかと疑問を呈し、ただ皆が投票しそうな人に投票するだけなのかも、という感想を見かけました。

これは私もずっと不思議に感じていたことで、上野千鶴子がいうように勝ち馬に乗るというか、多数派の方に入ってないと不安だということなんでしょうか。上野・三浦の対談集ではそのメカニズムにまで踏み込んでなかったのですが、今読んでいる新書に面白い記事がありました。
フランスでは通世代的な集団が無化し、高校生たちを規定しているのは同世代の集団文化で、この集団文化システムの中では、若者は他の子供たちが好きではないものを好きだというのはとても難しい、という調査報告が紹介されているのです。(樫村、前掲書185p−186p)

日本でも同様の状況があるように思われます。
横並び文化集団では、時差的な異文化が存在せず、結果歴史的な思考が弱まり、刹那的な同化圧力が圧倒してしまいますよね。そういう集団でしか生きてこなかったら、参政権を行使する年齢になっても、自らの意見にではなく、大勢(と思われるもの)にごく自然に投票してしまうのかも。そしてその行動に対する葛藤のようなものも、発現しないのではないでしょうか。

だからといって安倍晋三さんのいうような伝統社会への回帰(挨拶運動のような)を説いても、それはムリムリ、というのが著者の認識のようです。

「関係についてのメタレベルの思考を排除している挨拶運動は、彼らには押し付けがましくも見え、彼らの信頼や同化にチューニングするセンスを欠き、その外にある」(同書158p)
「一方では、原理主義的に「美しい国」を謳い、憲法改正を企図して国の統合を図りながら、他方では、小泉以来の規制緩和と地方の解体を更に推し進めている。この点で、原理主義的な「美しい国」スローガンは、むしろ規制緩和と社会の解体を推し進めていく移行対象になっているのである」(同書159p)

 




ヤクルト頑張りすぎ(^^;  投稿者:管理人  投稿日:2007 923()221433

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私は最近の漫才師のなかではメッセンジャーが贔屓。ただ漫才はあまり見たことがなく、「それ行けメッセンジャー」というラジオ番組での二人が好きなんですが、特に黒田さんの屈折した発言には常々感心感服している次第です。
先日も聴いていたら、黒田さんは子供のころ星新一のファンだったとのことで、よけいに好感度がアップしてしまいました。小さい頃は外で遊ぶよりもひきこもっている子だったのではないかなあ、というのは私の想像にすぎませんが、黒田さんの吐く毒発言には、たしかにひきこもりの小学生が大きくなった姿を、違和感なく想像させるものがあります。
一方のあいはらさんは、上記星新一の話になったとき、子供のころは本は読まず、20代後半から読むようになった。本を読み始めたら次第にマンガは読まなくなっていった、と話され、私は、あ、やっぱりそういう過程をたどるのが基本的な形なんだと納得しました。まあ漫才師になるような人に所謂オタクはいそうにありませんけど(そういえば笑福亭たまさんがひきこもりの人が仕事をしないことについて全然理解できないという態度をとっていたことを今思い出した。たぶん黒田さんだったらもう少し違う反応を示しそうに思う)。
そういう二人の対照的な「大人性」のコンビネーションに、他の若手中堅の漫才師にない魅力を、私は感じていたんだなあ、と気づかされたように思いました。
ウィキペディアによりますと、東京ではまだ知名度が低いようで意外だったんですが、じゅうぶん人気者になれる実力があるはずで、近い将来きっと全国区になっているのではないか。吉本もうまく売り出してほしいと思います。

 




岡田の改心(稍ギモン)  投稿者:管理人  投稿日:2007 923()141945

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渡辺

これは岡田、めずらしくも妥当な判断。
渡辺を杉山とともに落とせば、これは形式合理的な判断ですが、渡辺を残したのはちゃんと質的分析をしたわけです。
形式合理的な采配で前半低迷を招いた岡田ですが、ここにきて実質的合理性に開眼したのか(まあ送りバンドも普通にやってますし。ただし走者一塁で無死なら必ず送りバントとなるとそれは形式合理的となりますが)。
だとしたら、まだまだタイガース巻き返せますぞ(^^ゞ

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マクドナルド化  投稿者:管理人  投稿日:2007 923()133122

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「学問のマクドナルド化」
例えば、質の分析は形式的合理性にのりにくいので、現在、業績を論文の本数で評価することが主流になっている。また数値データに依拠した研究を重視する傾向が見られる。論文投稿者は、専門分野の先行研究に依拠し、それに何かを少し付け加えるといった論文しか書かなくなる。評価が形式的合理性によってなされると、投稿者もその内部でしか仕事をしなくなる。それゆえ学会誌の各号が極めて予測可能なつまらないものとなる。(樫村、前掲書80p)

「出版のマクドナルド化」
(社会学の教科書は今、ギデンズの教科書のような売れたものを範型にして、次の戦略を考えることになっているが)最近、どの出版社も新書を手がけるのは、同じ論理によるものだろう。新書が売れる要素を持っているのは確かである。が、それに目をつけて形式的合理性によって各社が新書を出版する今、書店でのスペース争いは熾烈になり、スペース確保のためだけに、毎月、次々に新書が売り出されることととなってしまう。最近では実質的合理性に見合っているのか、業界は判断することができなくなっている。(同書81p)


マクドナルド化の浸透の中で、「形式的合理性」が「実質的合理性」を侵食していくケースとして、「SF文庫のアニメ表紙化」なども挙げられるかもしれませんね。

 




夏なのか秋なのか  投稿者:管理人  投稿日:2007 921()220041

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暑い〜!! と毎日愚痴ばっかりですみません。ところが今日、道端に車を止めて得意先に行き、帰ってきたら車の上に黄色い葉っぱが……。気づけば車のまわりにも。わ、この暑さなのに落葉が始まっているのです。これぞまさしく落葉2007年なんちゃって。あ、墓碑銘か。

樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書、07)に着手。100ページまで読む。
こ、これはすばらしい。オレ的今年ベストワン決定かも!

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幼児化万歳  投稿者:管理人  投稿日:2007 920()003110

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SFの黄金時代が12歳であることはよく知られています。
これは逆向きにいえば、12歳前後でSFに出会っておかなければ、SFをたのしめるセンス、「SFマインド」は発達しないということなんです。私は15歳くらいまでは大丈夫と考えていますが、それ以上になるとたしかにきつい面があるように経験的にも感じられます。この限定性が、SFの受容層のなかなか拡大しない理由でもあるんですが、近年は少し風向きが変わってきたようです。
このところ引用に引用を重ねている『消費社会から格差社会へ』によりますと――

上野「東大生と10年つきあいましたが、はっきり感じる変化は学生の幼児化です(…)あなたは「35歳成人説」を言ってるそうですが、生理年齢に対して七がけが社会年齢の感じですよ」
三浦「六がけぐらいじゃないですかね。35歳の六がけで21歳だから」(136p)


つまりこの伝でいえば、かつての12歳は現在では生理年齢20歳の人に相当することになります。つまり20歳前後でSFとはじめて出会ったとしても、十分SFマインドは獲得できるということになるはずです。
12歳という年齢は、自分の小遣いで本を買うのはなかなか困難です。いきおい両親が買い与える、その「セレクション」に大きく左右されてしまいます。両親がSF本を好まなければ、子供がSFに開眼する可能性はぐんと低くなってしまうのです。
しかし、20歳ならば小遣いも潤沢ですし、都心の大きな本屋へ行く手段も有しています。SFへの能動性は格段に高くなります。
つまり昔よりもいまの方が状況的にSFマインドを育ませることが容易であるといえるわけで、SFの未来は案外明るいのかもしれませんよ。

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相撲と虎  投稿者:管理人  投稿日:2007 919()014239

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この時間は涼しくなりましたが(といっても部屋の温度計は29度Cを差しているのですが)、日中は今日も暑かった(ーー;
夕方仕事場に帰ってきたら、閉め切っていたせいもあるが、40度を超えていてうへー。9月でこの気温なんだから12月になったら一体どうなっているのやら、想像するだに怖ろしい(^^;。
というわけで本読みは断念して相撲と野球中継に専心。
琴光喜は結局もとの琴光喜に戻ってしまいましたね。今岡と同じである。もし明日の安美錦戦落としたら、下手したら新大関で負け越しも――と本人がその可能性に思い至ってしまったら本当に負け越してしまうかも。プレッシャーに弱いですからね。
一方いよいよ虎は神懸ってきました。しかしJFKが揃って打たれた。藤川は被安打1ながら、見ているとボールに押さえが利かなくなっています。力んでいたせいだと思いますが、勤続疲労が出てき始めているんだったら心配。ここはひとつ打線特に濱ちゃんに頑張ってもらいたい。折角チャンスなんだからここで意地を見せねば。桜井のふてぶてしさを見習うべし(^^ゞ

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「日本型サラリーマンは復活する」読了  投稿者:管理人  投稿日:2007 917()232712

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田中秀臣『日本型サラリーマンは復活する』NHKブックス、02)

うーん、そうだろうか、という感じ。
現在のサラリーマン受難(リストラ等)が、IT化や市場志向などの構造的変化によるものではなく、単にデフレスパイラルである長期不況(それも政府日銀の失敗でしかない)に対応する企業の「単なる人員整理」にすぎないというのはそのとおりで納得できる。
しかしその解決を政府によるインフレ政策に求めるのは、そんな簡単なものかなとも思ってしまう。
本書でも言及されているところの、現在進行している正規雇用と非正規雇用の二極分化、本書で言うS層からB層への移動というこれまでなかった事態は、単にインフレターゲット政策で改善されるとは思えない。
会社人間からJ型サラリーマンへの移行も非現実的な印象をもった。
本書は、どうも当時の小泉政権就中竹中構造改革路線批判として書かれたのかもしれない。実際本書で予見されたとおり小泉ネオリベ政策では何も解決せず、むしろ問題は深刻化した。では本書が妥当な代替案を提出しているかというと、うーんとうならざるを得ないなあ。

 




「日本型サラリーマンは復活する」  投稿者:管理人  投稿日:2007 916()152237

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というNHKブックスを読み始めました(田中秀臣、02)。まだ50p強なので、著者の意図まではいまのところ判りませんが、1910年代のサラリーマン誕生期を経て、20〜30年代の勃興期には、現在と変わらぬサラリーマンがすでに存在していたことがわかって面白い。というか、サラリーマンって全然変わってないのですね。

甲賀三郎「サラリーマンに意見は禁物だ。公開の席で意見など決して述べてはならぬ。上役に求められら(ママ)、その上役一人の所で、しかも彼の顔に現はれる賛否の表情を、出来るだけ微細に読みながら、勉めて上役の賛成する意見を述べねばならぬ。これが、蓋し、サラリーマン成功秘策中の最難事で、サラリーマンに執務以外の特殊の技能が要るとしたら、まあ、この一つ位なものであらう」(45p)

確かにこれほどの「最難事」はないのでありまして、とりわけ「ノイズ発生(=異文化体験)に耐性のない」「コミュニケーション能力の低い」(三浦・上野、前掲書112−113p)21世紀の若者に決定的に不足しているスキルなんですよね。って限定してはいけませんね、安倍さんが同類なんですから。

そしてこのスキルは人間がアプリオリに持っている形質ではなく、実に社会に放り込まれて獲得していくものなので、その獲得はいつの時代でも、というより時代とは無関係に、「最難事」なのであります。否応なしに異文化渦巻く社会に投げ込まれてはじめて獲得できる。「みんな悩んで大きくなった」(野坂昭如)んですよね。だから安倍さんのように温室で育てられると獲得できない。
しかし特に現代の若者は、可哀想にも、家庭、学校、国家を挙げて彼らを「ノイズ」から守ってきたせいで、現在の状況がある、というのが上野千鶴子の認識。

上野「だから何度も言うけど、政府与党には「あなた方が望んだとおりの国民が育ちましたね。おめでとう」と言ってやりたい(笑)」(三浦・上野、139p)

 




起きがけのメモ  投稿者:管理人  投稿日:2007 916()092956

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夢を見ました。高校時代らしく(部活の帰り?)友人と改札口を通ったとき、死んだはずの駅員が鋏を入れていた。改札を抜けたあと、友人と「あいつ死んだのにアルバイトしてやがる」と話した。
――前後にもっとストーリーがあったはずですが、そこだけはっきり覚えている。
面白かったので、忘却する前に銘記しておきます。ケリー・リンクの読みすぎですな(^^ゞ

ついでにもうひとつ、今度は思いつきを……
昔SとFを代表する巨星といえばクラークとブラッドベリでした。好き嫌いを別にして、ポジションとしてこれに異論を述べる人はすくないでしょう。今はイーガンとリンクがこれにあたるのではないか? イーガンのなかにクラークは明らかに存在しているし、リンクのなかにブラッドベリをはっきりみとめることができますから、手前味噌ながらこの比定は当を得ていると思うのですが。

遠すぎていつもは行かないブックオフで、ワールドコンで人気だったらしいチャンを見つけたのですが、そのとき何となくもっているような気がしてきて、スルーしてしまいました。もっていなかった。ガーン!(泣)
いつかは読まなければなんですが、まあいいか。あんまり騒がれすぎると読む気がうせてしまうんですよね(先んじていれば問題ないのですが、後追いはちょっと)。

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「消費社会から格差社会へ」  投稿者:管理人  投稿日:2007 915()162832

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三浦展・上野千鶴子『消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来』(河出書房、07)

面白い面白い。
どちらも社会学的アプローチをされる方たちなので、SFになりそうなネタてんこ盛りです。といっても福島さんが推進したエクストラポレーション系社会SFネタですから、現役日本作家は誰も利用しないだろうなあ。

三浦 みんな口をきかずに自動販売機やコンビニで黙って買い物をしているというのは、ある意味非常に未来的な光景ですよね。
上野 (……)千年後に宇宙人みたいな未来世代が登場して、現代の映像を見たとしたら、すべての人間がリモコンで動いていると感じると思う。「じゃあ、どこに装置があるんだろうか? きっとこれだろう、みんな身に付けているから」と、ケータイを指して思うんじゃないか、と。(114p)


これってまんま『幻影の構成』(1966年刊)のイミジェックス世界ではありませんか! うーん眉村さんは今から40年も以前に、日本人の今あるを予測されていたんだなあ!
そういえば超企業が国家に取って代わるというのも、まさに現在のグローバリズムの趨勢を予見していますね。

それはさておき、確かにグローバリズムアメリカは外国人を積極的に受け入れることで、格差の底辺を強化しさらなる低下を促し、格差の位置エネルギーを確保しました。一方日本は外国人受け入れがもたらす弊害を嫌うため、外国人の代わりに団塊ジュニアを下流化(非正規雇用)することで位置エネルギーを確保しているわけです。しかも彼らは自分たちが奪われていることに無頓着なんですよね。自分たちを下へ下へと押し流すネオリベ、ネオコンを、逆に支持し、喜々として消費する家畜に甘んじている。私には到底理解できないな。
上野が言うように「自分らしさ」志向とは、結局「今の状態でいいんだ」という負け犬根性に安心を与える免罪符なんですね。「個性化っていうのは格差を正当化するイデオロギーなんです」(26p)

本書に述べられる様々な構造的要因で「劣化」(とは書かれてませんが)した日本人も日本という国も、そのまま静かに滅んでいけばいいという上野の主張になるほどと共感しました(三浦は「上野さんはアナーキストだなあ」と苦笑していますが)。
話は飛びますが、SFも(ポスト団塊世代いわゆる<はざまの世代>とともに)静かに滅んでいくんでしょう。それもまたよしかも(^^ゞ

 




Re: 久野四郎など  投稿者:管理人  投稿日:2007 914()170136

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> No.953[元記事へ]

トマトさん
昔のSFMをよく読まれているようで、うらやましいです。
ガンといえば「不老不死の血」くらいしか浮かんできません(実は読んでもいません、、、汗)。当然「泡の女」というタイトルも初めて知りました。雑誌初出のみでどのアンソロジーにも採用されていないようですね。SFMはストックにすごい宝の山を抱えているのに、全然それを再利用しませんね。まるで公務員の会社のように感じます。まあ昔からですが(^^;

福島さんは明確なSF観をもっていてSFMにそれを反映させていたように思います。トマトさんがおっしゃるように、それは「大人のための読み物」、「「読書おたく」以外の人たちのための読み物」――の創造であったわけですよね。
これは眉村さんの言葉だったと思いますが、勤め人の感覚では、純文学の主人公はいったいどんな生活の糧を以って暮らしているのかさっぱり判らない、リアリティがない、と書いておられたと思います。福島さんは、そのような社会に出て生き馬の目を抜く毎日をおくっているビジネスマン、企業戦士にも通用するような小説の可能性をSFという容器にみとめていたのではないでしょうか。
これまで小説なんて女子供の玩物とバカにしていた一般の社会人――良識も常識もある大人が読んで、ややっ、小説ってこんなに面白かったのかと思わせるような小説を書かせる、というのが福島さんの基本スタンスだったように思います。

しかしながら、SF観がハッキリしている分、実際の書き手であるSF作家を、盤面に展開した自分の手駒のように、ややもすれば錯覚したのでしょう。豊田さんなんかは、自分の資質と福島さんに求められているものとの懸隔に苦しんだと書いておられますよね。福島さんのSF観にもっとも近く共作もしている眉村さんにしてからが、福島さんに対して一種の圧迫感を感じておられたようで、そのような不満が覆面座談会で爆発したのかもと想像しています。

そのように良い面も悪い面もありますが、知的な文学、福島さんの用語でハイブラウな文学としてのSF(シェクリーが典型でしょう)というコンセプトが、昨今かなり薄れてきているのは私も不満に思っているのです(勿論それだけがSFではないのも判っております)。

 




久野四郎など  投稿者:トマト  投稿日:2007 913()210919

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管理人様、いえいえどういたしまして、です。

私も古本屋にずらりと並んだSFMのバックナンバーの立ち読みで久野四郎を知ったのですが・・・。
久野四郎が福島氏降板とともに絶筆(?)してしまったのは残念ですね。
通俗小説的な一面を有している独特の感覚を持った作家でした。
私は「ガラスのわら人形」が久野四郎のその感覚が最も発揮されたものではないかと
と思います。この「ガラスのわら人形」は福島氏がSFM降板のきっかけとなった「覆面座談会」
の前の号(1969年一月号)に載っていた作品です。その後三篇ぐらい執筆していたようです。

福島氏編集時代のSFMにはかなり秀逸なものが多かったと思います。ジェームズ E ガンの
「泡の女」などもそうで、なんというのか大人の味のある短編だと思います。今日ではSFというと
「おたく」というイメージがつよいのですが、かつてのSFMはもっとアダルトでシックな
「大人のための読み物」という側面もあったと思います。言葉は悪いですが「読書おたく」以外の
人たちのための読み物というものが福島氏の時代はたくさんあったと思います。
たとえばにはアシモフの「その名はバイルシュタイン」モーロワの魂の重さなど、本当に深みのある短編がたくさんありました。

 




タイトルはリンク入門編という意味なのか?  投稿者:管理人  投稿日:2007 913()17011

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やっぱり阪神に風が来ていますね。連敗なのに、巨竜もお付き合いしてくれて順位に変動なし、しかもJFKは3連休も取れた。これ以上なにを望みましょう!

「マジック・フォー・ビギナーズ」読了。
くー、堪能しました。アイヌ神話では神の世界カムイモシリと現実世界アイヌモシリは夢で交信しますが、本篇は夢とテレビドラマと現実がつなぎ目もなく癒着したメビウス的超現実世界(ベースは70年代少女マンガですね)! 本集中のベスト作品です。大江健三郎に読ませればきっと大喜びするに違いない。だれか教えてやってください、って、もう読んだかな。読売新聞が大江や中沢に少年小説を書かせていますが、ここに嵌め込んでも違和感ない、というか読者は驚くでしょうけど(^^;

わ、あと残り1篇になってしまった。続けて読むのは惜しいので、「マジック・フォー・ビギナーズ」再読で引き伸ばしだっ(>本の雑誌定型文風)。

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Re: 久野四郎いろいろ  投稿者:管理人  投稿日:2007 912()184230

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> No.950[元記事へ]

トマトさん
こんにちは(^^)。久野四郎について、いろいろ情報を書き込んでいただき感謝です。
過去ログにも書いていますが、あのまま書き続けていたら、半村良のようなスケールが大きくしかも直木賞を狙える作品を書いていたのではないかと思います。
でも、福島さんとの盟友関係が強すぎたのか、福島さん降板後はSFMとは縁が切れてしまうんですよね。私自身、森さんになってからのSFM読者なので、久野SFをオンタイムで読んだことはないのです。
作家になりたいという意志がもともとなかったのかもしれませんが、タイミングが合っていればフルタイムでバリバリ書いていたのではないかと想像しています。運命というものは信じませんが、ちょっとしたボタンのかけ違いで、人生って大きく変わってしまうんですよね。久野四郎さんの場合は悪い方へ偶然が作用して(SF界にとっても)残念な方向に行ってしまったなという感じがしております。
ご紹介の単行本未収録作品も機会があれば読んでみたいですねえ。
またお気楽にお越し頂けたらと思います。本日はどうもありがとうございました。

 




久野四郎いろいろ  投稿者:トマト  投稿日:2007 912()113258

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はじめまして。過去ログの「久野四郎」の単行本『夢判断』(文庫本では砂上の影)でヒットしてこちらに参りました。久野四郎の本名は『浜口和夫』でサッポロビール企画部宣伝課に勤めていたとSFマガジンで呼んだような記憶が断片的にあります。

久野四郎の「ワム」「グルルンガ ジタ」「獏くらえ」などもなつかしいですが、単行本に載っていない「ガラスのわら人形」も秀逸でした。ガラスのわら人形は私鉄沿線のアパートに住む新興宗教の祈祷師が子供たちの霊力ほ使って次々とアパートの住民たちを呪い殺していくというもの。情景描写が印象的です。
最後の作品が「勇者の賞品」というもので、これはスペオペ風です。

 




「大いなる離婚」再読  投稿者:管理人  投稿日:2007 911()164743

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今日はずいぶん涼しかった。体調も回復してきたので、中断していたリンクを読もうと本を取り出したのだが、某ブログで「大いなる離婚」がめっぽう面白いと書かれていたのを思い出し、リハビリを兼ねてまずはこちらを再読してみた。

読んでみて、やはり本集の中では軽いなあという印象は変わらなかったのだが、この作品はある意味「笑いの文学」なので、そういう意味での面白さは確かにあるとは思った。いやもともとリンク作品には笑いの要素というかぷっと吹き出すシーンが要所要所に挟み込まれているのだが、本篇ではそれが「要所要所」から「随所」にと言い換え得る作品に仕上がっているのだ。

もっともラストで姿をあらわす話者の存在には、実は再読で気付いた。これは誰なんだろう。彼女が言う「あなた」は読者一般と思われるので、読者一般(但し男)の、それぞれのラヴィに相当する、誰かなんだろうか。

ということで、表題作に着手の予定(>蒸し暑くならなければ)。

BGM(24時間以内に消滅)

 




空見た子とか  投稿者:管理人  投稿日:2007 910()012129

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今日も凄い試合でした。何とか競り勝ったが、案の定、藤川が昨日今日と打たれ始めましたな。
そりゃあそうでしょう、私だって月曜はすっと起きられますが、週末の土曜はなかなか起きられない。昨日の土曜なんか30分も寝過ごしてしまいました(比較になりませんかそうですか)。
球児も10連投(厳密には4連投と6連投)もすれば球威も落ちますって。こんな起用法では、最終局面で球児が通用しなくなっていても不思議ではありません。
まあいいんですけどね。
わたし的には優勝して監督が続投するくらいなら、今年Bクラスでも監督が交替する方を望むので……。

BGM(24時間以内に消滅します)

 




「それはAVですか?」  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 9()170056

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大阪を中心に活動する劇団「オリゴ党」の定期公演のお知らせです。
今回は結党15周年記念企画第2弾として、次の公演が行なわれるそうです。

オリゴ党第24回公演『それはAVですか?』
   日時:2007年9月29日(sat) 15:30/19:30
              30日(sun) 13:00/17:00

   会場: TORII HALL

詳細はHPをご確認下さい→ダジャレジャン

うーんこのHP、なんか手抜きだなあ。通り一遍で、これじゃ全然吸引力ありませんがな>岩橋さん。
ということで、補足。
タイトルはなかなか扇情的なんですが、中学生が観に来ても大丈夫とのことで、ご安心を(残念?)。
テーマは
「ノスタルジー」
おいおい、大丈夫か、と思ってチラシをよく見たら、「似非ノスタルジー芝居」と銘打たれていました。やっぱりね。

これはぜひとも観にいかなければ!
実はお盆にオリゴ党の兄弟劇団Mayのお芝居があり、私が贔屓にしていますオリゴ党看板女優の誉田万里子さんが客演していたので観にいきたかったんですが、体調が悪くて断念したのでした。なので、今度の芝居は見逃すわけにはいきません。

とりあえず9/30日曜13:00からの公演に出席するつもり。一緒に行ける方がいらっしゃったら連絡下さい。

ということで、本日のBGMは明日という字は明るい日と書くのねです(24時間以内に消滅)

クリックで拡大

 




このままじゃやばいぞ  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 9()115454

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「今日は楽な展開にして球児、久保田を休ませてやれ!」

とはよう言いますなあ。本来なら月火2連休だったのを無意味に投げさせてしまった張本人は誰ですねん?

 




熱帯化と老化  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 8()155642

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今日も暑いです。
今夏は、体温調節がうまくいかず苦しみました。というか現在も進行形なんですが……。たとえばクーラーの効いている(といってもガンガンに冷やしているわけではない。にもかかわらず)車から降りると、ぐんぐんと体の表面温度が上がっていくのが実感されるのです(特に腋下)。どうも極端な外気温の変化に対して、ホメオスタシスの働きが衰えてきているようなのですね。

――ということに、実は先日まで気がついていなかった。ラジオでばんば・ひろふみさんが、この年齢になると日中外を歩いていると首がオーバーヒートしてきてふらふらになる、熱中症の一歩手前ですな、と話していて、あ、そうなんだ、と気づいた次第。
ああ、もはや炎天下では水分をこまめに補給したり、塩分を摂取したりしなければ生存できない年齢になってしまったんだなあ、昔はそんなん屁とも感じなかったのになあ、とがっくりしたのでした。

しかしたしかに、そんなオーバーヒート状態で塩水を飲むと、腋の下の熱が急速に引いていく(ちょっと汗ばんで体温が下がる)のが明らかにわかる。これはどういうメカニズムなのか。発汗で体内の塩分濃度が下がると、その塩分濃度を一定化するためにホメオスタシスが働いて発汗が促進されます。、しかし急激な発汗はさらに塩分を体外に放出してしまい、かかる負のループが熱中症がひきおこすのではなかったか。

だとしたら、塩分摂取とは別の因果関係かも。つまりオーバーヒートを防ぐための発汗作用が、若いときに比べてその反応が緩慢になっており、そのため若干タイムラグが発生しているのかもしれません。

いずれにしても、いつまでも若いつもりでいたらあかんと言うことですな(ーー;

BGM(24時間以内に消滅します)

 




Re: ワールドコン  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 8()013523

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> No.943[元記事へ]

なんか神懸ってきましたなあ>タイガース。
監督が調子こいで自分の采配の力やと勘違いしなければいいんですけどね。

大橋さん
お疲れさまでした!!
ようやく本業(?)に本腰を入れられそうですね。
大阪は地元の岸和田なんで、眉村さんがゲストで行かれるのならば、ひょっとしたら参加するかも。
そういうことなので、とりあえずはデンバーでお会いしましょう(^^ゞ

ということで、BGMはコロラド・ロッキー・マウンテン・ハイ

 




ワールドコン  投稿者:大橋  投稿日:2007 9 7()225316

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疲れた。
来年の日本SF大会は出動要請があれば考えるけど今のところは予定なし。
では、デンバーで会いましょう。

 




月夜蟹  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 6()223810

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秋葉原が荒覇吐のアナグラムになっていることに今日気付いた。
小説のネタにならんかね(^^;。

BGM(24時間以内に消滅します)

 




懐かしの怪作  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 5()22210

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堀晃さんの日記によれば、横浜で開催されたワールドコンにエリック・コタニが参加していたらしいではないですか!
エリック・コタニといえば、わたし的には『小惑星諸島独立す』の著者。『彗星爆弾地球直撃す』の方は、SFとしてはありきたりな設定のような気がして食指をそそられなかったのですが、この本はめっちゃ面白かった!
スペオペでハードSFで太陽系小説という三題咄めいたアクロバティックな設定に耽溺した記憶があります。続編を読みたかったのに、上記2作出たきりで翻訳されなくなったのはまことに残念。面白かったんですけどねえ。

今日のBGM24時間以内に消滅します)

 




訂正  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 4()164037

  返信・引用

 

 

すみません、下の記事、森下さんの生年は1951年が正しいようです(wikipediaに拠る)。
記憶で書いてしまったため、間違ったことを書いてしまいました、失礼しました。(うう、第2世代あたりまでのパーソナルデータは大体頭に入っていたはずなんですが……衰えた(ーー;)
いずれにしましても、昭和26年生まれの森下さんは、団塊世代ではありません。てゆーか私と4つしか違わないのか!! ずいぶん歳上のような印象をもっていたのですが、この歳になってしまえばもはや同世代ですな(^^ゞ

今日のBGM(24時間以内に消滅します)

 




眉村さんはかく語りき  投稿者:管理人  投稿日:2007 9 2()153937

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>眉村さんが言っていたのだが、団塊の世代はあまりSFが好きでないらしい。うまく捕まえられないのだけど

これは全くそのとおりですね。
その原因はいろいろ考えられますが、やはり福島さんがSFを立ち上げたとき(1960年代前半)、既に彼らは年端が行き過ぎていたというのが最大の理由でしょう。
私たちポスト団塊世代は、福島さんのSF読者創出計画の一方の柱であるジュブナイル政策は既に走り出しており、その恩恵をうけることが出来ました。団塊世代を1947〜1949生まれとすると、1965年の時点で18歳〜16歳に達しており、SFの黄金年齢である12歳をとうに過ぎてしまっていたわけです(私自身の見方はそんなに厳しいものではなく、12歳から15歳と考えていますが、それでもすでに手遅れ)。

団塊の世代の(専業を張れた)SF作家って、本当に少ない。かんべむさしさん、川又千秋さんくらいではないか(横田順彌さん、森下一仁さんは20年生まれだし、山田正紀さんは25年生まれ)

で、彼らは何を読んでいたかといえば、いうまでもなくミステリだったわけです。ミステリと団塊世代はセットなので、ミステリが他のジャンルに比して格段に厚い読者層を有するのは、実は当然なのですね。

BGM(24時間以内に消去します)

 

 


 

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