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殿谷みな子『許婚者の夜』(ハヤカワ文庫79、初出77)
「島」と「暑すぎる一日」を読み、読了。
この2篇は(「海の城」もですが)、登場人物はAとかOといったアルファベットになっています。そのような記名法から想像できるように、一種の前衛的な観念小説、不条理小説の雰囲気が強い。その分「表題作」や「海へ一歩を」のような小説的なふくらみには欠けているように感じました。
たとえば「島」――私は先に、「表題作」の感想に「いろいろ障害があって(この部分の不条理感も申し分ない)」と書きましたが、本篇はまさにこの「いろいろ障害があって」のみで構築されているような作品なのです。表題作はこのあとから、(起承転結の)「転」のパートに入っていくわけです。その部分が欠落している。もっともラストの「結」の手際はなかなかにあざやかで(「プリズナーNo.6」風で)うならされましたけれども。
同様に「暑すぎる一日」も、「脱走と追跡のサンバ」的シチュエーションなんですが、ここにおける主人公を襲う「不条理」や寓意は何となく空回りしている印象があるのも、「転」の部分が弱いからのように思われます。
有体にいって、この2篇は、文体的にも表題作のような凝りに凝ったというところは認められず、いまだ習作的な色合いが濃いようです。おそらくは本集収録5編のうち、この2篇は時間的に先に書かれたものであるはずで、このような習作を書き上げた結果、「表題作」や「海へ一歩を」のような色彩豊かな傑作・秀作が生まれたのでしょう。成長期の作家が突如何かを「掴んで」一気に「完成」に近づいていくのはよくあることです。
ではこの観念小説的な2作に何が加わって「表題作」のような達成に至ったのか? 私は「観念性」にプラスしてケルトの妖精物語的な「具象性」が加わったことが決定的に大きかったと思います。
ともあれこの作家、ほぼ同時期にデビューし作風も同傾向で年齢もさほど変わらない山尾悠子に、決して引けを取らない優れた幻想小説の書き手であると思いました。ところが、私も不明でしたが、どうも山尾ほどポピュラリティを獲得できなかったようで、とても残念に思います。そのせいか、検索すると幻想短篇集はあと2,3冊あるくらいで、今は幻想小説ではない一般小説を主に書かれているようです。が、もっと幻想小説を書いてほしい作家だと思いました。
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