ヘリコニア談話室ログ(2008)




「思い出の夏」  投稿者:管理人  投稿日:2008 831()17304

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行ってきましたhttp://www4.ocn.ne.jp/~tcymbal/index2.html
到着すると、2時前だったと思いますが、マスターが外に看板を出したり開店準備をしていた。一番乗り。
日光のもとで見るマスターは……老いていました。そらそうですよね。閉店もやむなしの感を強くする。
わが最後のリクエストはMJQ「ラストコンサート」。決まったね!と思ったらマスターがふふんと鼻で笑った。ような気がして凹む。次にかかったのがコルトレーンのセルフレスネスのマイ・フェイヴァリット・シングス。その次がミンガス「黒い聖者と罪ある女」。
ここで1歳か2歳の子連れの夫婦が入ってくる。おいおい。おそらく閉店ということで、親が(マスターと知り合いみたいでしたが)子供にも見せておこうということだろうが、喃語しか喋れん子に判るはずがないやん。それ以前に小さな子供の耳、大音量で難聴になるのではないかとこっちが心配してしまう。また間の悪いことにミンガスやん。ゼッキョー、ゼッキョーですから(^^; 案の定むずがって奥さんと子供は早々に退場。自分の趣味を子供に強制してはいかんと改めて思った次第。気持ちはわかりますが。ジャズは与えられるものではなく個々人が獲得していくものだよ。せいぜいコレクションを残してあげるのはよいと思いますが(ただしレコード盤は嫌がられるだけ)。
そうこうしているうちに次第に客が増えて10人近くになったので、退出いたしました。

ああ夏が終わりましたな。
ということで、The Summer Knows

 





トップシンバル  投稿者:管理人  投稿日:2008 831()000555

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『消滅の光輪』下巻に着手、160ページちょっと。

行こう行こうと思ってなかなか果たせないでいたトップシンバルですが、いよいよ明日が閉店日とのこと(電話で確認した)。なので、万難を排して行って来ます。電話では「昼はやっている」という微妙な返答だったところを見ると、夜はパーティがあるのかも。

帰宅の車でFMラジオを聴いていたら、ロイヤルホースが33周年とのことで、スペシャルアニヴァーサリーライブというのを放送していました。そうなのか。私はここ30年くらいご無沙汰ですが(^^;

33年前といえば1975年。私が大学に入った年。トップシンバルもそんなもんでしょう。人生いろいろ、ジャズ喫茶もいろいろ、ライブハウスもいろいろだ、と小泉さんも申しておられましたが、いやほんま(>嘘です)。

 True Blues

 





「寒い国へ行きたくないスパイ」読了  投稿者:管理人  投稿日:2008 829()171816

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横田順彌『寒い国へ行きたくないスパイ』(徳間文庫 85)

たとえば「月の法善寺横丁」は、<ハチャハチャSFのつくり方>を解説するという趣向なんですが、これなんか逆向きに見れば、ハチャハチャを(自らは)書きたくないので、このような形式にしただけのように思われます。
初出誌一覧を見ますと、「月の法善寺横丁」(アドベンチャー83/6)のあとは、「話にならない話」(同誌83/8)、「続・話にならない話」(同、83/10)となっており(この2篇は小説が書けないので、というエクスキューズのもとに語られるいわゆる雑文の形式)、全く小説化を放棄した形式が続いている。
そしてそのあとにつづく「中村一郎の場合」(小説別冊宝石84/5)にいたっては、ハチャハチャSFとして小説化を完成する、そのひとつ手前のシナリオをそのまま発表していような作品なのですね。本集の中では一番新しい「異星の客」(アドベンチャー85/4)もそのような傾向が感じられ、有体にいって作者のあらすじメモに毛を生やしたようなものです。本来ならばこれらの地点から、小説化(ハチャハチャSF化)が始められなければならないのです。なんというかハチャハチャを書こうとしても正面から立ち向かえないような心理的抑制があるとしか思えません。
「緊急手術」や「必殺ホース固め」や「異星の客」などは、このアイデアで十分100枚程度のハチャハチャに出来るはずなんですけどね。これらの作品は、たとえば主人公を荒熊雪之丞に変えるだけで、自動的にハチャハチャSFになるのではないかと素人目には思えて仕方がないのですが。というか副主人公たちがよってたかってハチャハチャにしてしまうに違いありません。
ということは、結局作者自身がハチャハチャにはしたくないという強い意志があったか(これは下に推測したとおり)、何らかのトラウマでハチャハチャに向かい合えなくなっているか、いずれかではないのでしょうか。(備忘)

まあこの一文ような、ヨコジュンにはハチャハチャを期待する(ハチャハチャしか期待しない)読者や編集者への反発が、大きく作用しているのかも。

 





「混線乱線殺人事件」読了  投稿者:管理人  投稿日:2008 828()224832

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横田順彌『混線乱線殺人事件』(徳間文庫 93、元版 89)

一番面白かったのは、やはり巻頭の「支離滅裂殺人事件」。これはまさに村立探偵早乙女ボンド之介(プラス真暮警部)vs荒熊雪之丞一党というキャスティングの勝利でしょう。とにかくダジャレの応酬で全然話が進みません(^^;
以下、「最新科学殺人事件」はボンド之介vsポエム君&ミラクルタウン一党。「武者修行殺人事件」は、ボンド之介vsふぁん太爺さん。「良寛禅師殺人事件」は、ボンド之介vs山田太郎一家。「銀河残侠殺人事件」は、ボンド之介vs昇龍降龍の義兄弟。表題作では遂にダジャレ探偵金大事包助(プラス蟹丸警部)と推理比べします(ほんとかよ!)

かくのごとく本篇はハチャハチャで一世を風靡した頃のシリーズキャラクター総出演という趣向なんですが、ポエム君やふぁん太爺さんや真継龍一郎ではハチャハチャが自走しませんわな。いわんや山田太郎をや。唯一金大事包助が対抗できるのですが、荒熊雪之丞一党は陳さん、蘭花ちゃん、松戸菜園博士と多士済々ですから、これもかなわない。まさに最強の(最凶の)メンバーを揃えていたんだなあと改めて感じ入った次第。

今から思えば、著者はハチャハチャSFを、本篇を書き上げることで封印したのかも知れません。その後もダジャレSFは書きつがれますが、それはしかしもはやハチャハチャというものではなく、もっとソフィスティケートされたものになっていったように思われます。

 Desafinado

 





「ゼンダ城の虜」  投稿者:管理人  投稿日:2008 828()003054

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アンソニー・ホープ『ゼンダ城の虜』井上勇訳(創元推理文庫 70)より、まずは正編「ゼンダ城の虜」読了。
面白かったが何か物足りない。先に異次元SF的と書きましたが、決定的に違うのは、当然ですが外枠の設定がないこと。SF読み的な「読み」においては、ストーリーは設定に奉仕するのであって、設定なきストーリーは空虚なんですよね。
その辺がほぼ同時代人で同様のストーリーテリングの持ち主であるバローズと決定的に違うところで、バローズには厳然と設定があるわけです。ストーリーしかないホープは結局その点においてバローズに敵わない。
ということで、正編の好評により書き上げられたという続編「ヘンツォ伯爵」に進むかどうか思案中。さてどうするかね。ああもっと若いときに読んでおくべきでした。

 Festival Minor

 





ヨコジュン雑感  投稿者:管理人  投稿日:2008 827()211942

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『ゼンダ城の虜』は160ページ。

今日は持って出るのを忘れたので、ブックオフで横田順彌『寒い国へ行きたくないスパイ』『混線乱線殺人事件』を。
ヨコジュンはもういいやと考えていたのですが、気がついたらいつのまにかあんなに並んでいたブックオフからも姿を消しているんですよね。
あららシマッタと思っていたところ、上記2冊があったので購入。前者は85年刊。冒頭の表題作はそこそこ面白かった。それでもやはり初期のダイナミズム、そのアナーキーな破壊力は失われている(というか著者の狙いはそこにない)。次の「話にならない話」でガックリして、後者に乗り換える。
後者は小説奇想天外(第3次)に87年から89年にかけて掲載された早乙女ボンド之介シリーズ。冒頭の「支離滅裂殺人事件」は荒熊雪之丞シリーズとのコラボで、時系列的には前者よりも後ですが、初期の雰囲気が復活しています。
初期の雰囲気・ダイナミズムとはソニー・ロリンズのエンディングのように蜿蜒と(ストーリーの流れをあえてぶった切っても)つづくダジャレに依っているのであり、ダジャレを除けば分量は半分以下になるはず。前者にもダジャレは大きな要素なんですが、著者自身がそのような書き方に一種のあざとさを感じてしまったのではないか。祭りのさなかでふと正気に戻ったように醒めてしまって、ちょっと身を引いてしまっている。その分ダイナミズムは弱化しているのです。当時著者は上記の理由でおそらくハチャハチャ(のあざとさ)に飽き、むしろ86年からアドベンチャーに連載が始まる宇宙船スロッピー号シリーズに結実する雰囲気をめざして試行していたのではないでしょうか。
そんななかで後者が書かれたのは、あとがきにあるようなひょんな偶然の賜物だったのかも知れません。(備忘)

 Lotus Blossom

 





異世界SFの筆法  投稿者:管理人  投稿日:2008 827()00084

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『ゼンダ城の虜』は100ページまで。何と井上勇の訳だったのか!!
みちっと詰まったゴシック小説みたいな先入観を持っていたのですが、全然違ってました。するする読めます。ほとんどハミルトンが書いていてもおかしくない異世界SFの趣き。
設定を、主人公がひょんなことで他次元世界に跳ばされ、そこで瓜二つの王様(次元を異にする自分)の影武者となる、とすれば、まんま異次元冒険SFになっちゃいます(^^)
ああ、もっと早く読んでおくべきでした!

『消滅の光輪(下)』も並行して読むつもりですので、ご安心を(^^;
ただ脳の容量が小さいので、上巻が(脳に)定着するまで、しばし小休止というところ。シャチハタにインキを補充する要領ですな(笑)

 I'll Close My Eyes

 





劇団オリゴ党公演のお知らせ  投稿者:管理人  投稿日:2008 826()161237

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DAICON7の「夏だ!DAICONガンダム祭り」でも大活躍だったらしい(土曜日だったので私は観れなかった。無念)岩橋貞典さん率いる劇団オリゴ党の、次回公演のご案内をいただきましたのでご紹介。

オリゴ党第25回公演のタイトルは、「カーゴ・カルト」。今回のテーマは「かみさま」(宗教)とのこと。何とガンダム者の岩橋氏が宗教に取り組みますか。これはちょっと見ものですよ。

舞台はとある夫婦の会話から始まる。夫が妻に言う。「金を貸してくれないか」。そして夫はそのまま失踪してしまう……。
探偵事務所に駆け込む妻。そこで妻は、夫がとある教団の教祖になっていることを知るのだった……


なんか安部公房を連想させるシチュエーションですな。これは面白そう(^^;

9月13日、14日の2日間(4回公演)、天王寺区下寺町のシアトリカル應典院にて。
詳しくはこちらでご確認ください。

私は日曜日の昼公演にお邪魔する予定。いまから楽しみ(^^)

 





そろそろ  投稿者:管理人  投稿日:2008 825()234843

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【今日の名言】
君が言うほど 時間が無限になかったことも 今ではよく知ってる(「1969年のドラッグレース」)

思い立って『ゼンダ城の虜』に着手。
まだ読んでなかったのですよ(恥)。
でもそろそろ片付けていかないとね。

 Blue Minor

 





DAICON7  投稿者:管理人  投稿日:2008 824()203513

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今日は岸和田で行なわれたSF大会ダイコン7へ行ってきました。実にSHINCON以来30年ぶりの快挙(汗)。あさ9時に出発すると、日曜の早朝で車が少なく、また奇跡的に信号にも2回しか引っかからなかったこともあって、10分で会場の浪切ホールに到着。こいつは初手から縁起がいいぞ、ところが入り口で30分以上並ばされがっくり。もっとも並んでいる間、だんじりのお囃子のデモンストレーション(なのか練習なのか)をやっていて、太鼓の音で次第に高揚してくるのでありました。まさにだんだんよくなる法華の太鼓状態(笑)

まずは「モトコの囲碁」の部屋へ。新井素子さんと眉村卓さんの囲碁四方山話。ここで仁来夢さんとばったり出会う。お嬢さんと一緒に参加されていました。うらやましい。うちでは考えられない図(^^;
眉村さんから、執筆状況について会場からオウとどよめきが起こる発表がありましたが、緘口令発令につき伏せさせていただきます。乞うご期待。

つづいて「日本SF全集」企画の部屋へ。刊行目前に迫った(もう出たのかな)日下三蔵編『日本SF全集』(全6巻)(出版芸術社)にちなんで、眉村卓さん、森下一仁さん、山岸真さんが、編者の日下三蔵さんの司会で日本SFのはるけくもきたれる道を振り返る企画。
ところですこし前まで、野田昌宏の名前がリストに見当たらなくてちと不満だったんですが、新しいリストでは「レモン月夜の宇宙船」が加わっていて、よかったよかった(^^)
あと広瀬正はこちらにあるとおり著作権者の承諾を得られなかった模様。
森下さんが第2世代か第3世代かで盛り上がる。交友関係的には第2世代、デビュー時期的には第3世代という感じですか。年齢的にも中間的なんですよね。知人にこの話をしたら、森下さんは第3世代、とのイメージを持っていました。私自身は第2世代の印象が強い。「遅れてきた第2世代」という印象ですね。

この企画終了後、眉村さんはお帰りになられました。たまには参加するもんですねえ、と満喫されたご様子で、よかったよかった(^^)。
その後私はSF翻訳家鼎談の部屋へ。出演は山岸真さん、大森望さん、古沢嘉通さん。途中から国書の樽本周馬さんも飛び入り(させられ?)、なぜ今頃70年代作家なのかを考察。結局いま第一線のSF翻訳家(40〜50代)が原書を読み始めた頃活躍していたのが彼らだからというのが結論。なのかな?(>そんな結論でいいのか(^^ゞ)

翻訳家鼎談終了後、星雲賞発表もクロージングもパスして帰途(帰りはやや混んでいて20分かかった)。
いや久しぶりのSF大会、堪能させていただきました(^^)

 





「わたくし率 イン 歯ー、または世界」  投稿者:管理人  投稿日:2008 823()132032

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川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社 07)、読了。
中篇の表題作と、あと掌篇が一本収録されています。いやー面白かった。
表題作、実は前半読んで中断していました。「先端で、さすはさされるわそらええわ」や「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」のような濃縮文体を期待して読み始めると、前半の主観文(ある意味叙述トリックになっていることに後で気づくわけですが)はだるいのです。いやオレはこんな引き延ばされた薄々のダルダルの長尺(といっても110枚程度ですが)を著者に求めてはいないんや、ストーリーは要らんねん、2〜30枚の掌篇の、バロウズのようにどろんどろんの濃縮文が読みたいんやけど、ちょっと違うねんなあ……というわけで、暫く放置していたのです。先に読んだ作品集『先端で、さすはさされるわそらええわ』の一部の作品でもでもそうでしたが、この著者、ストーリーを作り始めると存在への思弁が形而上に向かわず案外少女趣味的な形而下の自明性に落下して自然的態度に囚われてしまう傾向がある。まだまだ不安定なんですよね。

ところが後半一気に世界が開け、主人公の怒濤の長ゼリフに突入するや、読者はもはやその急流激流になすすべもなく押し流されるばかり。すばらしい。この後半(といっても前半あっての後半なので簡単に分別できないのはいうまでもありません)の加速の持続は、ある意味笙野頼子に匹敵するものがあるかも。
最近の純文学界には疎いので偏見かも判りませんが、仄聞するに自然的態度から超越できない(少女)作家が多く輩出している(というか製造させられている)なか、著者には大成して欲しいと切に思います。

もう一篇収録されている「感じる専門家 採用試験」は20枚程度の掌篇。私の好みをいうなら、この程度の尺の掌篇をどんどん量産して欲しいんですけどね。
「優しいは鋭さ、それは高等訓練を受けた断食する顕微鏡のレンズの急部」(120p)
これこれ、これですよ! ええやないですか。
「冬の夕方、窓の外、経歴はゆく道を焼き刈り上げる、化石感応、純粋収斂、布団から、頭と体のぜんぶを出して、完全な、母というものがある蒼茫へ、〈私〉は生まれにゆきたい」(133p)

 





「日本SF全集」企画の出演者判明!  投稿者:管理人  投稿日:2008 821()221554

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や、日興ビルでしたか。うむ残念、一筋外してしまいましたね。それにしてもさすがウメチカ、奥が深いです! 今度探検してきます(^^;

ところで今見たらDAICONタイムテーブルが更新されてますね。
「日本SF全集」企画の出演者が掲載されていました。日下三蔵、山岸真、眉村卓、森下一仁の各氏が出演されるようです。おお、錚々たるメンバーではありませんか。これは濃ゆーいお話が聞けそうです。楽しみ楽しみ(^^ゞ

 





Re:梅地下クイズ  投稿者:堀 晃  投稿日:2008 821()055856

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あ、これ勘違いっつうか、設問に不備がありました。
多幸梅ビル(梅田花月のところ)からアーケードを南下すれば簡単に行けるのでした。
もうひとつ近道があって、日興ビルから東側に抜ける通路があるのです。
あとで訂正いたします。

 





梅地下クイズ  投稿者:管理人  投稿日:2008 821()013955

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Q:雨の日にJR大阪駅からニューサントリー5へ濡れずに行く経路はあるか?
ニューミュンヘンのある梅田セントラルビルの地下街の突き当たりの喫茶店の横から通り抜けできそうに思うんですが、ためしたことなし。
でなければ迂回して泉の広場に行く道から上がった多幸梅ビルかな? うーん判らん(ーー;

 





スクープ!眉村さん情報  投稿者:管理人  投稿日:2008 820()212623

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いやまあスクープってほどでもないんですけど(^^;、まだDICON7のタイムテーブルには反映されていないホットニュースです!

眉村さんがDAICON二日目の24日の、午前10時〜モトコの碁に出演されることはお伝えしました(註。そのときはあたかも新井素子さんと眉村先生が対局されるように書きましたが、リンク先を見ると、「対局」ではなく囲碁にまつわる「対談」のようですね。一知半解で書いてしまいましたこと、お詫びして訂正いたします)。
上の企画は11時半に終了の予定なのですが、そのあとひきつづいて、眉村先生は、12時〜の「日本SF全集」企画(日下三蔵さん主催)に出演されることが決定いたしました!
当掲示板御物見衆でDAICON7に参加される方がいらっしゃいましたら、スケジュール再調整していただきまして、モトコの碁のあとは、ぜひとも「日本SF全集」企画の部屋へ集合してくださいね(^^)

そういうお前はどうするのか? 当初囲碁の対局だけと思っていたので参加する気はなかったんですが、新井素子さんとの対談、日下三蔵さんとの対談と、二本も対談を聞けるなら、これはもう参加するっきゃないですよね。
ということで参加します(^^)
ただし土曜日は仕事なので、日曜日しか参加できません。HPをみているんですが、一日だけ参加というのはないのか〜。まあ仕方ありませんな。ということで当日よろしくお願いします!

 





読了2  投稿者:管理人  投稿日:2008 819()234116

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眉村卓『消滅の光輪(上)』(創元SF文庫 08)、読了。

「そうよ」
ランは、むしろ低くいい、上目づかいにマセを見やった。「きっと……鎧のせいね」
「鎧?」
「大昔の、刀や槍で殺し合った時代に身を守った、あの鎧のことよ」
「………」
「肉体が弱いものだから、鎧をつけるわけだけど……その鎧を信じ、ますます分厚い鎧にすればするほど、いったん鎧を剥ぎ取られてしまうと、抵抗力がなくなるでしょ? あなたは鎧に身を包むのに馴れてらっしゃる。だから何かのはずみで、それをはずすと、傷つきやすいんだわ」(489p)


うーん、私が↓に記すまでもありませんでしたね(^^;
ところで著者の小説では、大体において主人公と著者は重なる部分があるように認識していたんですが、少なくとも本篇に限っては、必ずしもそうとはいえないような気がしてきました。

つづいて「ふた夜」を読んだ。本篇は翻訳で、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ハックレンデルの原作。原作者については全然知りません(^^; ドイツ浪漫派的なストーリーで結末も予定調和的(悲劇)なんですが、いかにも王朝めいた雅文体による訳文が独特の効果をあげていて楽しみました。本篇の後に「文づかひ」や「そめちがへ」を読んでいたら、もっと評価が上がったかも。そういう意味で、浪曼主義で私小説をやった「舞姫」が特別にかけ離れた、稀有なる作品なんでしょうね。

ということで、森鴎外『舞姫・うたかたの記 他三篇』(岩波文庫 81)、読了。

 





大阪シナリオ学校  投稿者:管理人  投稿日:2008 819()010915

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今見たら、大阪シナリオ学校のホームページ《眉村卓ショートショート講座――アイデアと構成――》がアップされていました。このページのまんなかへんをご覧下さい→http://www.scenario-net.com/
10月開講で月二回(第2・4火曜)、眉村先生がショートショートのアイデアと構成について、その極意を伝授して下さいます!
興味のある方はお問い合わせ下さい(^^)。

その眉村さんの『消滅の光輪(上)』は、450ページまで。上巻は残すところあと50ページ。今日中に読んでしまうつもりですが、睡魔に負けるかも(^^ゞ

 





グルジア出身だけど  投稿者:管理人  投稿日:2008 818()002413

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グルジア人とは限らないというのが事実ならば、露鵬兄弟と仲がよいというのもうべなるかなですね。

 





「そめちがへ」  投稿者:管理人  投稿日:2008 817()174219

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「そめちがへ」を読む。ドイツ土産三部作のあと鴎外は暫く小説は書かなかったらしい(ただし翻訳は発表している)。そして漸く6年後に発表された本篇は、浪曼的風味溢るる三部作とは一転、人情本的な江戸情緒の世界だった。浅草柳橋の待合が舞台で、江戸っ子的な気風(きっぷ)の芸者のお姐さんが描かれています。
――が。
どうも通り一遍。なんですね。ぐぐっと読者に逼ってくるものがない。福田首相が小説を書いたらこんな感じではないか、というそんな感じ(>どういう感じだ)(^^ゞ
そういえばこの話も21世紀言文一致体で綴られれば立派にライトノベルですね。つまり作中人物の思考が「近代人」的に浅い(分かりやすい)。闇の部分がないというか。そういう意味でもライトノベル読者には受け入れられる作品でしょう。

 





「文づかひ」  投稿者:管理人  投稿日:2008 817()115925

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『消滅の光輪』において、ラン・PLC・タルヌスは口癖のように「いい人たち――」というのだが、私の経験上「悪い人」というのはまずいませんね。ただ人は裸で存在しておらず常に何がしかをその身に纏っている、あるいは背(せな)に担っている。それは社会的地位であったり責任であったり家族であったり、あるいは自負であったり理想であったりいろいろですが、その身に纏っているものが、纏っている当の人を単なる「いい人」では済まさせないんですよね。「光輪(halo)」ですね。「消滅の光輪」とは一義的には「司政官」という権威が色あせていくことのメタファーですが、主人公マセに即せば、当初身動きもままならないほど分厚くガチガチに着込んでいた衣装が否応なしに脱がされていって生まれたままの裸に戻ることの意でもあるように思われます。

「文づかひ」を読む。〈ドイツ土産三部作〉の最後の作品。ある意味「舞姫」の対角に位置する作品で、親が決めた(家と家との)結婚を否定するビュロオ伯のイイダ姫の画策を結果として成就に導く「お使い」を主人公がつとめます。ただし主人公である日本人士官の内面が関わりそれによって変化していく体の話ではなく、単に傍観者に終わっているところで、前2作より落ちます。

 





「まったり」しながら  投稿者:管理人  投稿日:2008 816()120032

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テレビでオリンピックを見ていたら、解説者が「彼はいつも良い意味で予想を裏切ってくれる(ので心強い)」みたいなことをいっていて、それはちょっとおかしいんではないかなーと思った。
「良い意味で予想を裏切る」の意味は、マイナスの予想をしていたところ、その予想を裏切って、プラスの結果を出してくれた、という意味であって、いつも良い意味で予想を裏切ってくれてる」ってことは、この解説者は常に当該選手に対してマイナスの評価しかしていないという意味になります。
でも文脈的には(テレビ解説という立場的にも)そういう意味でないことが明らか。おそらく解説者は「予想以上以上」つまり最上級(あるいは強調)的な意味で用いているはず。これは誤用なんですが、誤用が流通して誤用でなくなることはままあります(たとえば「なにげに」。よく似た「さりげに」はさ・ありげにだから文法的に正しい)。
21世紀の言文一致的世界では「良い意味で予想を裏切る」は予想以上の最上級(強調)としてすでに受け入れられているのでしょうか(笑)

『消滅の光輪(上)』は320ページ弱。
なお遅くなりましたが、トップページに『消滅の光輪』の情報をアップしました→とべ、クマゴロー! パクリで申し訳ありません>東京創元者様m(__)m

 

 

 

 

(管理人。「なにげありげに」の「ありげ」が省略されたと考えればいいのかな?

 





「うたかたの記」  投稿者:管理人  投稿日:2008 816()023919

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ひきつづき「うたかたの記」を読んだ。
いやーよかった! これぞ謂う浪曼主義の精華。神韻縹渺たる傑作といって過言でない絶品でした。狂王ルウドヰヒも重要な役割を担って、映像的にもなかなかに絢爛華麗。
しかし何と申しましてもその雅文体と内容との幸福な結婚、互いが互いを引き立てあう稀有なる饗宴が味わいどころではないでしょうか。即ち本篇は雅文体によってこそ輝く内容を持ち、且つそれは雅文体をこの上もなく耀かせる内容であるのです。両者相俟って絶品たりえているわけです。
これがですよ、言文一致体なかんずく21世紀の言文一致体なんぞで語られてしまった日には、おそらくライトノベルの範疇に属してしまうに間違いありません。形式と内容兼ね備えてはじめて小説(文学)たり得ることはいうまでもありませんよね。
本篇は鴎外28歳の、よい意味で「若気の至り」な作品であり、後期の、よくいわれる無味乾燥さは微塵もありません。19世紀末独逸の匂いが濃厚にぷんぷんと漂ってきます。のちの日本文学の重要なジャンルとなるいわゆる留学ものの嚆矢といえる作品でしょう(「舞姫」もそうですが)。

検索したら、青空文庫で読めるようです→http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card694.html

さて、下にちょっと書きました島崎博先生の来日に合わせまして、ギャラリー・オキュルスにて、「幻影城の時代展」が開催されるもようです(>画像参照)。
私も都合がつくようであれば、ぜひ見に行きたいと思っています。(>今ふと気づいたんですが、このチラシ、ひょっとしたら未完成かも)





 

「舞姫」  投稿者:管理人  投稿日:2008 815()182026

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各所で島崎さんの会の話題が出はじめましたね。いいな、羨ましいなあ。

『司政官(上)』は220ページくらいまで。
でも折角のお盆休みというのに、毎度SFというのも芸がありません。眼鏡もあつらえたことですし、普段なかなか読めないものも、ということで森鴎外『舞姫・うたかたの記 他三篇』(岩波文庫 81)を手にとってみた。
まずは「舞姫」読みました。所謂雅文体ですが案外するする読めた。内容はいわでもがなですね。解説によれば本篇の雅文体は、言文一致体より後の制作らしい(雅文体の第1作)。なぜ本篇において雅文体に後退したのか? 鴎外はこの話を、あまりに身につまされすぎて言文一致体ではよう書かなかったのではないかな、と思った。雅文体というクッション(しがない踊り子を舞姫と言い換える操作)を置くことによってようやく書きえたのでは?
検索したら「鴎外の基本的な特徴は、保守的エリートの地位を道徳的に弁護し肯定したことにある。」という記述がありました。これは或る意味定説なのかもしれませんがちょっとオモテ読みに過ぎる気も。
私は、自己弁護というよりは、わいはこの程度の奴ですねん、という自己卑下であり自嘲だと読みました。鴎外自身「小なる人物の小なる生涯の小なる旅路の一里塚なるべし」(166p)と自虐的に評しています。

と同時に、このようなゆくたては、いわゆるエリートに於いては(エリートではなくても)、現代でもかなり普遍的に見られる現象なのではないか。読んでイタタタと胸を押さえる読者は結構いるはず(^^; その意味では近代日本の一種典型的な事例を先取りしたものであり、やはり名作として読みつがれるべき作品といえましょう。

 





 

誤植発見!  投稿者:管理人  投稿日:2008 814()11006

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『消滅の光輪(上)』、昨日は100頁まで読んで就寝したのでしたが、誤植を見つけてしまいました。
巻頭の一連の図表のうち、2番目の「ツラツリ大陸」の地図で、ハイヤル地区を示すLが地図上になく、代わりにローヌを示すNが、ツラツリ交通計画路線の東側に南北の位置関係で2つ並んでいます。いうまでもなくどちらかがLをNに誤植しているわけです。まあ番号の順番からして北のNがLの誤植でしょう。

本書は何を底本にしているのか記載がないのですが(これまでに3種類の刊本があります)、とりあえず私が所持している単行本版(早川書房 79、初版。関係ないですが著者サイン入り(^^;)で確認してみました。やはり北側がLになっていました。

ということで、重版までに改訂しておいて下さいね!>東京創元社様

 





 

「どうぞ、つづけてほしい」  投稿者:管理人  投稿日:2008 813()21355

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『消滅の光輪(上)』にとりかかる。まだ50頁そこそこで、マセが情報官から任地ラクザーンの情報をブリーフィングされているお約束の場面。余談ながらこれはいわば007がQ から新兵器の説明を受けるシーンを踏襲しているんですよね。著者は意図的だと思います。

それはさておき――
23pに「――どうぞ、つづけてほしい」というマセのセリフがあります。情報官の説明が一段落した場面で先を促す発言なんですが、これまで読むたびに違和感があり、今回も「あ、出たな」とつぶやいてしまいました。日本語として不自然なんですね。非常に肩肘が張った感じがする。ふつうは「どうぞ続けて(下さい)」だと思うんですが、著者はあえてこう言わせています。
で、今回はじめて著者の意図に気づきました。

司政官制度も末期に近づき、任地を持たない待命司政官がうじゃうじゃ溢れている。一度も司政官とならずに終わってしまう者さえあるという状況で、司政官のステイタスもかなり低下しています。そんななか、司政官のかつての栄光を取り戻したいと考えているマセに、ようやくはじめて司政官として登用されるチャンスが回ってきたわけです。選ばれたという自負と、司政官は情報官と対等なんだという意識がない交ぜになって、たとえ情報はブリーフィングしてもらうにせよ、こいつらにへいこらできるかというちょっと背伸びした意識、肩肘張った虚勢が、この言葉には込められているのですね。
つまり、実のところこの言葉には、マセのこれから1000ページになんなんとする巨大ストーリーにおける行動原理が、すでにして端的に表現されているわけです! その意味で大変重要な言葉で、その、日本語として不自然な言い回しには必然的な理由があったことを今回気づかされた次第。

ああ今までの30年間、オレの目はなんと節穴だったことよ(ーー;、と思うとともに、眉村さんの凄さ、作家としての器量(技倆)を改めて思い知らされたのでありました(しかしまだ50ページなんですよ。これからあとどんだけ思い知らされることになるのでしょうか、あなおそろしや〜)。

 





 

「スペイン岬の謎」  投稿者:管理人  投稿日:2008 810()20167

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エラリー・クイーン『スペイン岬の謎』井上勇訳(創元推理文庫 59)、読了。

先日読んだ『カブト虫殺人事件』と同じく、翻訳は井上勇。何と言いますか「悪訳の名訳」ですな。地の文はまあよいとして会話文にちょっと頂けないものがあるのですよね。最初貶すつもりだったのですが読み終わってみれば「これでもいいか」と納得してしまった(^^;

一般的にいって、というか私のような英語が不得手なものでも、地の文に関しては文法が判っていれば、単語さえ確認すれば大体読めます。ところが会話文は、慣用表現があったり文法的にも崩れている(もしくは省略が甚だしい)ことが多くて、実地の会話の経験も含めた積み上げがないとお手上げな場合があると思うのです。井上勇の翻訳は失礼ながらそういう面があり、しかもそれを直訳してしまうため、きわめて会話が意味不明瞭になりがち(たとえばこれは思いついた例で、さすがにこんな訳はありえませんが、oh my god! を、おお、神様!みたいに訳してしまう)。

ところがヴァン・ダインの訳ではそんなに気にならなかったのです。これは蓋しヴァン・ダインの原文が会話さえも文法的な(というか教科書的な?)木で鼻をくくったようなものだからではないかと思った。つまり桑原和男の「ごめん下さい、お入りください、ありがとう」的な現実の会話以前の会話体は井上訳で対応可能なのですが、クイーンの場合はもうちょっと生き生きと崩されていて、吉本繋がりでいえばチャーリー浜的に「ごめんくさい」とか井上竜夫風に「おじゃましまんねやわ」みたいな表現になると、これはもう井上勇には手に負えなくなるのでは。
などという不満を、前半で感じたんでした。ところが読み終わってみれば、それらの不満(マイナス記号)も含めて、というかそれすらプラス記号に変わって、終わってみればすべてよし、クイーン訳は井上以外なしとでも言うべき全面肯定になってしまっているのでした。「悪訳の名訳」と表現した所以であります。

さて内容ですが、前半の「干潮のトリック」、これが実に中学生あたりの理詰め志向をこの上なくくすぐる体の論理で、中学生にはこれはたまらん快感だと思います(^^) ハードボイルドは理解できない中学生も、このような論理はわかるわけです(もっとも「ジゴロ」の内容についての理解はあやしいかも(^^;)。しかもこれがメイントリックの「なぜ死体は裸だったのか」に最後に結びつくところはお見事というほかありません(^^) おもしろかった。

ところで『チャイナ橙』のさかさまトリックもそうですが、ヴァン・ダインのトリックが結局ゴチャゴチャしているのに比してクイーンのそれがすっきりしているのは間違いありません。そういう点でミステリファンの間でクイーンの方が評価が高いのも理解します。もっとも私自身は、ヴァン・ダインのそういう文系的なところ、デモーニッシュなところがクイーンよりも好きなんですが。

 





 

大相撲カフカス場所  投稿者:管理人  投稿日:2008 810()11205

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南オセチア自治州をめぐり、ロシアと戦闘状態に入ったグルジアは、いうまでもなく相撲取り黒海の出身地です。
このグルジア、一体どの辺にある国かといえば、大関琴欧州とヨーグルトの国ブルガリアの、(相撲取り黒海の四股名の由来となった)黒海をはさんだ対岸に位置しています。余談ながらグルジアヨーグルトも有名ですね。
この相撲取り黒海、仄聞するところでは露鵬・白露山兄弟と仲がよいらしいのですが、実はこの兄弟、北オセチア出身(白露山は四股名からベラルーシ出身かと思いがちですが違います)。
つまり南オセチア領有をめぐって紛争しているまさに当事者同士に当るわけです。もし万が一にも軍隊に召集されたら、敵味方として戦わなければなりません。
ふーむ。
彼らはいまどんな距離のとり方をしているんでしょうか。非常に興味深い。
ちなみにグルジア出身力士は現在黒海一人のようですが、北オセチア出身力士は露鵬兄弟に加えて若の鵬、阿覧と有力力士が目白押し。相撲界では圧倒してますね。阿覧は本名の当て字のようですがwikipediaによればアランとはオセット人(オセチア人)の雅称でもあるようです。期待の力士。
それはさておき、オセット人もグルジア人も宗教的には正教会系で、チェチェンのような宗教的な対立は少ないはず、これはやはりロシアの政治的横車の面が大きいのではないかと想像します(チェチェン包囲網)。だとすれば力士たちにとっては案外馬耳東風的な感じなのかも。

 





 

秋はまだか・・  投稿者:管理人  投稿日:2008 810()010823

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チ、チカレタビー(死語)(ーー;

長い髪の少女2003 midi

たとえばタイガースやスパイダースの面々は(内実は知りませんが)見た目品よくふけているのに、この連中ときたら(テンプターズもかも)いつまでたっても不良のまんまといった雰囲気ですなあ、、、いいですねえ(^^;

 





 

「消滅の光輪」到着  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 8()235622

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今日は読む時間が作れなくてスペイン岬は殆ど進まず。

amazonより『消滅の光輪』(上下)が届いていました。amazonを利用するのは久しぶりなんですが(専らbk1を利用)なぜか段ボールケースで届いた。何事ならんと驚き怪しみて開梱するに、文庫本2冊が底面にぺたんと貼り付けてありました。9割方空気を配送しているみたいなもんです。貧乏性の私は勿体ないなと思った次第なのですが、送料って変わらないのかな。
スペイン岬を読み終わったら着手の予定。
とりあえず9年前に再読した際の感想文にリンクしておきましょう。→http://www.e-net.or.jp/user/stako/MA/M03-02.html
さてさて、今回、感想はどう変化するでしょうか。楽しみ楽しみ(^^)

ところで、ちょっと気になったので高井信『ショートショートの世界』(集英社文庫)を引っ張り出してきた。ありました。以下引用。

さて。
私の場合、ショートショートのアイデアは二種類あります。
?結末(オチ)と直結するようなアイデア
?異様なシチュエーション(発端の部分)のアイデア


内容については実際に本書でご確認下さい(^^;

 





 

夏バテ  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 7()22499

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今日は立秋だったんですね。さすがに夏バテが表面化してきた気配で、夕方遂に燃料切れしてしまいました(タフマン効かねえ)。ああ残暑が怖ろしい。
ということで、今日はこれにて失礼します。

『スペイン岬の謎』を選択。150頁くらい。訳文についていろいろ言いたいのですが、明日以降にでも。

 





 

「カブト虫殺人事件」  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 6()195721

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ヴァン・ダイン『カブト虫殺人事件』(創元推理文庫 60)、読了。

読んでいるうちに次第に思い出してきましたが、それでも最後まで面白かった。さすが前期6作に入る作品だけに、周到に構築されていて綻びはなく、十分に堪能しました。
たまに読むと、本格はやっぱり面白いですな(^^;
たまにというのは他でもありません。いうまでもなくパズラーの場合[謎→謎解明]という<形式>は、いわば契機(Moment)であり欠くべからざる必須の要素なのですが、しかしそれは逆からみれば、ワンパターンということでもあります。私のような者には、あまり続けざまに読んでいると飽きてくるんですよね。
とはいえ、大戦間を舞台とする古典は、そこに仄見える当時の風俗がまた、現在からみればファンタジーで、その辺が殊にヴァン・ダインの場合、私には魅力となっているのです(といってもアパートで会話しているか、屋上庭園や他の場所で食事をしているか(しかも食事の内容はほとんど描写されない)、いろんな催しものを観にいっているかだけなんですが、それでも30年代ニューヨークはこんな感じだったんだなという想像力は満たされます)。
そういうわけで、古典にはいまだに魅かれるものを感じないではいられないのですが、最近の、というか今世紀日本製本格には食指が伸びません。たとえ骨格は古典と同じであっても、その骨格を肉付けするのが、仄聞するにライトノベル的なキャラや世界観らしいときけば、ちょっと勘弁してよ、となってしまいます。管見によればファイロ・ヴァンスの造型は、キャラとは違うものだと思います。
本書ではそれらに加えてエジプト学の薀蓄(薀蓄も本シリーズの重要な魅力です)が興味深く、古代エジプト象形文字で書かれた手紙が重要なパズルのピースとなるところなど、まさにヴァン・ダインの面目躍如たる作品でした。

ということで、次はクイーンかカーを読んでみるつもり(^^;。

眉村卓『消滅の光輪』上下(創元SF文庫 08)を注文しました。amazonbk1





 

眼鏡の効用  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 5()002230

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夏になるとなぜか本格ミステリが読みたくなります。実は昔の純文学も読みたくなるのですが、これは夏休みの読書感想文感覚の残存でしょう。本格ミステリの場合はそのような明確な因果自覚はないのですが、おそらくSF優先の読書を続けていて、夏休みくらいしかミステリを読む機会がなかったその名残りかも。

それとは別に、最近読書用の眼鏡を作って、これが実に調子がいい(下の「DOUBLE DECADE」もさくさく読めた)。気がつかなかったけれど今まで非常なストレスを受けながら読書していたんだなということをまざまざと思い知らされている今日この頃なのですが、そういう次第で昔の文庫本のこまかーい活字、どれくらい読めるかなと挑戦したい気持ちがここ数日膨らんでいました。

そういう様々な要素が入り混じる中で、ブックオフに『カブト虫殺人事件』の比較的きれいなのを見つけてしまったら、これは購入しないではいられません。
で――
あの昔の創元推理文庫の細かーい活字が、全然苦にならない。するする読める。一気に200頁読んでしまった。眼鏡の効用絶大! 集中力が途切れないし、読む速度もぐんと上がっているようです。

しかし、なんだか既視感が。
帰宅して調べたら、『カブト虫殺人事件』、持ってました。
あちゃー。
検索したけど引っかからないので、ネット以前に読了しているようです。
でもまあ、ほとんど記憶にないので初読同然。実に面白いです。ということで、このまま読んでしまうことに。

それにしてもブックオフで立ち読みしたハヤカワ文庫の活字の大きいこと! なんだこれは。茫漠として読みにくいこと夥しい。もっと小さくしろよ(>勝手な読者だ)

 





 

 投稿者:管理人  投稿日:2008 8 4()233237

DOUBLE DECADE

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高井信DOUBLE DECADE』(信・一族 99)、読了。
本書は著者デビュー20周年を記念して、高井さんのファンクラブ〈信・一族〉が編纂した作品集で、99年時点で単行本未収録作品が網羅されています。いわゆる私家版ですが、なかなかどうして立派な造本で、書店に並んでいても全然遜色ないです。
99年刊なので、その後本集より短篇集に収録されているのがあり、私が確認できる範囲では「擬態音」、「異端の愛」、「ニホン語」『ショートショートで日本語をあそぼう』(ちくま文庫 03)に収められています。この3篇は、近年著者が力を入れている、所謂<日本語テーマ>もので、日本語の誤用を揶揄したり戒めたり、あるいはその独特の表現が実体化するといった、日本語の表現を妄想で膨らませていった作品群に含まれるもの。いやいや、「近年力を入れている」と書きましたが、考えてみればデビュー作「シミリ現象」が既にしてこの範疇であり、実は一貫して著者はこのテーマに入れ込んでおり、いわば著者の筆業の本筋というべきでしょう。
本集では、上記3作以外にも、「腐敗」や「公然の秘密」、「堪忍袋」が同テーマであり、「天邪鬼」も見方によればそういえなくもない。
これら日本語ものは、わたし的にいえば、観念が現実を侵犯していくところが、いわゆる〈断知識膨張〉(ユーベルシュタイン)になっていて面白いのです。
ところで、日本語テーマに限らず、著者の〈断知識膨張〉は、設定において発揮される場合が多いことに今回気づきました。たとえば「腐敗」は、ネタばらししますので反転しますが、「○○が腐るほどある」という表現がありますが、それが実体化したら……という話なんですが、それがストーリーを成り立たせる設定になっているわけです。で、そうしてシュールな世界が現出されると、もうはやオチは別にどうでもよいとはいいませんが、別にそれに拘らずともよいという考えのようで、それでも「腐敗」では無理矢理オチをつけていますが、「擬態音」ではもはやそんな意識はない。この辺は眉村さんのショートショート観に通底するように感じました。
私は、著者は(初期)星新一的なオチ至上主義者のように思っていましたので、ちょっと意外でしたが、設定さえ〈断知識膨張〉に値するものに出来上がっていればオチはなくてもいいというのは納得できるものです。
さて、本集は、時系列的に配置されているのですが、<小説>という観点に立つならば、断然後半の作品が優れていると思いました。とりわけラストの「幸運ホテル」は、揺るぎなく構築された傑作で、設定から有機的に導出されるオチにはアッと驚かされました。
他に、「人類皆殺し」と「暗い後年」を日本的に再解釈した「異臭の町」、途中でオチは割れましたが、その展開自体がなかなか秀逸な「ソルト・コマンド」、主人公の思い込みにより実体化させられたストーカーが哀愁を漂わせる「ストーカー」などが印象に残りました。

 





 

おっと、そう来たか  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 3()221047

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しんでけあとがき読了。親切(^^)。さすがに本篇に関しては著者も伝わるかどうか心許なく感じたのでしょうか。

「ネットを見れば判るが、カマトト面と同時にポモもフェミも知りきったふりで越えるとぬかすような超駄目評論は、実はマスコミやヲタブログに使われる口調さえまねしていれば、物も知らず考えもない方がよく使えるくらいである。読まないで本の写真だけ貼ってあるブログのまねをしてでも出来る事なのだ。つまり劣化言語にも劣化自動運動は発生するからだ」(262p)

関係ないですが、私自身使ってたかもしれないので自戒も込めてですが、ネット書評でよく目にする常套句「(なるほど)そう来たか」、一体どう来たのか具体的に解説してほしいと思う今日この頃。

『DOUBLE DECADE』、気がついたら半分以上読んでしまってた。もっとゆっくり読まねば。でも読みきってしまうかも(^^;

 





 

しんでけでけでけ  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 3()103915

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「だいにっほん、ろりりべしんでけ録」の「しんでけ」は、「死んでけ」とのこと。
で、ただちに思ったのは、「ワンツースリーフォー」を「一、二、三、死」と読み替えるほどの著者であるからして、これはきっと「乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン」から来ているのではないかということ!
まあそういうノリで読めということでありましょう。
ということで、アストロノウツの演奏にあわせて「死んでけ死んでけ死んでけろりりべ」(ネオリベも可)とご唱和いただければ幸甚。→太陽の彼方に

高井信『DOUBLE DECADE』着手。分厚いのでぼちぼち読んでいきます。
実はスピリチュアルで呪術的アトモスフィアにみちた上記本に取り込まれて「むこう」へ行ってしまわないよう、都度都度「こちら」へ引き戻すためのバラスト的に読み始めたのですが、このあともそういう感じで読み進めていく予定。




書物の南京玉簾  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 2()133650

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「少年少女乱歩手帳」をつくってみました(画像参照)。
おお、リバーシブルだったんですね。
私はなんとなくフランス装みたいな風になるんではないかと想像していたのですが。
下の画像の左側が、折り曲げ指示書の指示通りに山折り谷折りしたもので、右側が反対に折り返したものです。
訓練次第では一瞬でパッと広げてひっくり返せますよ。パッ、パッ、パッ!とホラね(動画じゃないので判りませんね、失礼しました)
そうなるとこれ、もはや書物の南京玉簾状態。子供は大喜びでしょう。アサテ、アサテ、サテモ南京玉簾! いや旭堂南湖さんもびっくりではないでしょうか(^^;

 




「少年少女乱歩手帳」  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 2()000058

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名張人外境の中相作さんより、「少年少女乱歩手帳」なる冊子(?)を頂戴しました(名張ロータリークラブ発行)。ありがとうございました。
この「少年少女乱歩手帳」、ただ一枚の紙なのですが、折り畳むと手帳様のものになるみたいです。左画像はその一部です。折り畳み方は右画像のように、点線部分が折り目で、△は山折り、▽は谷折りとなります。これは楽しそうですね。大人の私がそう感じるのですから、いわんや子供たちをや。まさに現代のBDバッジ、少年探偵手帳というべきでありましょう。
とはいえこれは、中さんの独創ではないらしく、こちらで中さんが白状されていますが、本多正一さんゆかりの「ギャラリー・オキュルス」の案内状のパクリとのこと。いずれにしても乱歩マニア垂涎の逸品というべきで、うふっ、笑いがとまりませんなあ。ということでまことに申し訳ありませんがひとこと言わせて下さい。「どうだまいったか!」(笑)
しかしまあ、どうしてもほしいと思われる方は中さんへお問い合わせ下さい。限定品と思われますので入手できるかどうか保証しかねますがね。うへへ。




スピリチュアル小説!  投稿者:管理人  投稿日:2008 8 1()000654

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笙野頼子『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』(講談社 08)、読み中。3分の2くらい。
おお、スピリチュアルですよ! トレーンですよ(笑) しかもオラトゥンジです(それは言いすぎ(^^;)
前2作の軽快さはなくなったかわりに、著者はネオリベグローバリズムに向かって、おんたこに向かって、腰だめで打ちまくっています。

「神は俗っぽく、その一方我が弱い。それは個人において世間や身内を気にする自分である」(17p)
小室直樹は日本資本主義の倫理の欠如(金融犯罪、情実の横行)を仏教に求めましたが、そして私は首をかしげたのでしたが、上記引用のように、神道に求めるべきなのかも。というのは別の話ですが。

 



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