ヘリコニア談話室ログ(2008年10月)





ありがとうござんす!  投稿者:かんべむさし  投稿日:20081031()185521

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サンタナ、オシビザ。聞かせていただきました。あんなん、大好きなんす。
もっか、「朝ミラ」長篇、半分まで書いてて、へばり気味なので、
ヘッドホンでボリューム最大にして、元気をつけるでございます。
長篇には、ほんの数行ですけど、往年の「チャチャヤング」も出てきますぜ。
ともあれ、とりいそぎ御礼まで。

http://www.fukuchan.ac/music/j-folk2/nazenifutariwa.html

 





ラテンロックの夜は紫  投稿者:管理人  投稿日:20081030()231245

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岩波明『狂気の偽装 精神科医の臨床報告』(新潮社 06)読了。

   Guajira
   Gitano
   恋のメキシカンロック

 





「シナモン・ドロップに捧げる歌」  投稿者:管理人  投稿日:20081029()205432

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森下一仁『コスモス・ホテル』読了。
「シナモン・ドロップス」よかったあ!! 道南さんのおっしゃるとおりでした(但し私ならタイトルは「ニッキ飴」としたい)(^^;
森下雨村も登場してまさに私小説SFであり、本集中でもとりわけ牧野信一的な何かが感じられる作品でした。まあニッキ飴をシナモン・ドロップとするところが既にしてマキノ的なんですが。全体の感想は週末にでも。
ちなみに「シナモン・ドロップに捧げる歌」は、高田渡「アイスクリーム」のメロディにのせると吉(^^;

  アイスクリーム

 





バイーア・ロックの熱い風  投稿者:管理人  投稿日:20081029()174028

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ギャオにて、ファン・ピケール・シモン『ジュール・ヴェルヌの地底探検』76)を観ました。スペイン映画で、59年のハリウッド版(パット・ブーン主演)のリメイク。ストーリーの必然性など端から無視した(時間もの的設定は何の意味があるのか)グダグダ感がなんともいえん作品。悪くないです(笑)。ヒロインのイヴォンヌ・センティスが往年の加賀まり子っぽくてよかった。

   ベイビー・コンスエロ(ド・ブラジル)
   ペペウ・ゴメス
      トップテンギタリスト

 





アフロロックは就眠音楽  投稿者:管理人  投稿日:20081029()015016

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な筈はありませんね(^^;
今日はくたくた。せめてBGMはご陽気なのをということで――

  Gong Gong Song
  Woyaya
  Sunshine Day

『コスモス・ホテル』は順調に進んでいます。残すところあと3篇なんですが、個々の感想文を書く余裕がありません。休日にでもまとめて――ということで今日はこれにて。

 





「エチカの鏡」見ました  投稿者:管理人  投稿日:20081026()22079

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ご覧になりましたか?
15分くらいと、思ったより短かったのが残念ですが、うまく纏められていましたね。
とはいえこういう美談めかした構成は、眉村さんご自身は本意ではないと思われます。
それは判っているのですが、しかし歳とって涙腺がゆるんでしまった私は、すっかりテレビ局の思う壺に嵌まってしまったのでありました。アイゴー。

1778話の「最終回」は放送で朗読されましたので、その一日前の1777話にリンクしておきます→http://kuma-gor.hp.infoseek.co.jp/No.1777.htm

 





24時間の情事」  投稿者:管理人  投稿日:20081026()182733

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アラン・レネ24時間の情事』59)の感想をチャチャヤン気分に掲載しました。

 





Re:Re: 「コスモス・ホテル」(1  投稿者:管理人  投稿日:20081026()09456

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> No.1530[元記事へ]

道南さん、お久しぶりです。
きのうはバタンキュー(死語)だったので失礼しました。
森下さんいいですねえ。ただのボッカール乗りのオジサンじゃないです(^^;
1980年あたりまでは、SFMもかなりしっかり読んでいたので、本書の収録作品は大体読んで知るはずなんですが、例によって印象しか残っていません。読み返して、当時の印象よりずっといいです。といって前が悪かったわけではありませんよ。私の読みの解像度がいくらか向上したんでしょう(^^;、 読み返してみて正解でした。道南さんお気に入りの巻末の「シナモン・ドロップス」も楽しみです。しかしまあ、ぼちぼちと急がず読んで行こうと思います。森下さんは短篇集一冊を一晩で読みきってしまってよい作家ではないと思いますし(^^)

ところで道南さんは道南出身だから道南さんなのですね。納得しました(笑)

 





Re: 「コスモス・ホテル」(1  投稿者:道南  投稿日:20081025()17423

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> No.1526[元記事へ]

お久しぶりです。
私も森下さん、なかでも『コスモス・ホテル』は大好きです。
梶尾さんの短編にも通じるものを感じるリリカルな「若草の星」や「風の浜辺」もとてもいいのですが、「コスモス・ホテル」や「シナモン・ドロップス」は、森下さん以外の人にはなかなかない味わいだと思います。
特に「シナモン・ドロップス」は、森下さんが言葉を紡げばそれが物語になるというような自然な感じがするのですが、ご指摘のとおり丹念に作りこんでの産物なのかもしれませんね。
「コスモス・ホテル」は、かなり昔になりますが、私の地元北海道の高校の演劇部が舞台化したこともありました。
まだ言及されていない収録作のことまで失礼しました。続きも楽しみにしています。

 





「ドイツ零年」  投稿者:管理人  投稿日:20081025()02265

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ロベルト・ロッセリーニ『ドイツ零年』48)を観ました。で、感想をチャチャヤン気分に掲載。

 





「葎生の宿」  投稿者:管理人  投稿日:20081024()16449

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堀さん
おお(笑)。私は断言しますが、筒井さんきっと「埴生の宿」と書こうとして「埴輪の……」と手が滑ったことがあったに違いありません。

小松さんの傑作ホラー(のバックに回ったSF)「葎生の宿」も、「葎の宿」でいいのに(辞書ではそうなっています)、わざわざ「生」の字を加えて、「埴生の宿」を踏んでいるんですよね。それにしても「葎生の宿」はとんでもない話でした! 読み返してみたくなりました。読み返してみよう(^^;

 





埴生の宿  投稿者:堀 晃  投稿日:20081024()061630

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「筒井康隆の現代語裏辞典」につぎのようなのがあります。

こふん【古墳】 埴輪の宿

涙腺がゆるみかけた時はこれを思い出すことにしています。

 





「コスモス・ホテル」(1  投稿者:管理人  投稿日:20081023()224932

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森下一仁の第1作品集『コスモス・ホテル』に着手しました。

1)「コスモス・ホテル」
主人公は地方都市の高校生(受験生)。購入して間もない原付きバイクが盗難にあい、そのショックで一時心が離人症的に空白になってしまいます。その統覚力が衰減していたさなか、というか減衰していたからか、庭のコスモスの葉上を常宿としていたカナヘビと心が入れ替わってしまう……

いまさらいうも愚かですが、これは紛れもない傑作ですね。著者のよき資質がすべて現われています。
まず何といっても、文章が瑞々しい。読むという行為それ自体が愉悦をもたらしてくれるそんな文章です。一語一語ゆるがせにせず丹念に彫琢していることが明らかに伝わってきます。とはいえそれは大江や高橋和巳の文体のような、無理矢理つくり込んだ人工的なそれではない。もっと大地に根をはった、自然な文章なのです。これほどしなやかでこまやかな表現力のある文章を書ける作家は、少なくともSF界では他に思いつきません。

次に内容的特質。人間と異類との間の距離感覚が独特です。ほとんど垣根がないのです。本篇ではカナヘビですが、著者の目には《人間》も《人外》も、さして違いがないようです。
まあ、それだからこそ、人とカナヘビがいとも容易に、するりと入れ替わってしまえるんですよね。
これは自然と文化を峻別しがちな英米作家にはない、非常に日本的な感性だと思います。一種異類交歓譚のヴァリアントであり、系譜的にはSFというより、むしろ自然主義的伝統の上に幻想を宿らしめる藤枝静男的な純文学の流れのなかで評価すべき作品なのかもと思いました。

また私は本篇に(とりわけ前半部に)そこはかとない牧野信一的なものを感じました。それは両者ともユーモアとペーソスがないまぜになった一種上品な「薄い明るさ」とでもいったエーテルが小説世界に充ちている点で、この「上品さ」を突き詰めれば、そこに地方の良家の子息の文学という共通性を認められるのではないでしょうか。

著者はSFに対して過剰な帰属意識があるようで、SF的設定にこだわった作品が多い。しかし管見ではそれは著者の資質とは少しずれている。本篇のようなSF的縛りにこだわらない作品の方がいいというのが、わが年来の主張なんですが、本篇はまさに私の主張の正しさを証明する傑作だと思います。
などといいつつも、本篇はもし「トカゲSF傑作選」というようなアンソロジーが組まれるならば、光瀬龍「墓碑銘2007年」と共にぜひとも収録して欲しい一篇であります。

余談ですがタイトルは内容に比していささかバタ臭い。傷心の高校生がいっときコスモスの葉上のホテルで療養し、快癒して現実界に復帰していくというメタファーが含意されているわけですが、私は「埴生の宿」ならぬ「コスモスの宿」を提案したいと思います(^^;。

    埴生の宿
      ↑
話が飛びます。このリンク、たまたま見つけたものですが、歳とって涙腺がゆるんでしまっている私は、このわずか数分の映像さえ最後までよう見られませんでした。この映画、まさに日本のネオリアリズモですね。

 





カームジン再読(7)  投稿者:管理人  投稿日:20081022()202528

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9)「透明人間」(45冬)
出稼ぎに行った先のデトロイトでカームジンは、奇遇にも「あの世を信じない男」で大富豪にくっついてアメリカへ渡った幽霊ヘンリーと再び出遭う(笑)。

カームジンによれば(というかヘンリーによればかも)、地獄の沙汰も金次第というのは本当で、たとえば莫大な財産が未だ発見されていないアッティラ大王はその財産を大いに活用して羽振りがいいんだそうです(^^; というような博覧強記の小ネタもカームジンものの面白さを下支えしているんですよね。

それはさておき、そういう次第で、枯れるどころかあの世に行ってもなお娑婆っ気たっぷりなヘンリー、おそらく大富豪に取り入って(重役に抜擢されたらしい)そこそこ溜め込んでいたのを元手にしたんでしょう、「幽霊仲間と積極的に交際」にこれつとめた結果、「1446年に生きながら火あぶりにされたミスター・サムソン・トリスメギストスという魔法使い」から「姿を見えなくする」秘術なんてのを伝授されたなどと、自慢げにちょこっと洩らしたものだから、それをカームジン聞き逃すはずがなく、早速儲けの25パーセントで、今回の仕事である億万長者サックバットを監禁状態から救出する作戦の仲間に引き入れちゃう(^^;
ちなみにサムソン・トリスメギストスは寡聞にして知りませんが、トリスメギストスといえば大錬金術師ヘルメス・トリスメギストスがいますね。

さてここから億万長者サックバットとヘンリーとカームジンの、二転三転する化かし合い合戦。最後に笑ったのは?……

――という話を聞かされたカーシュ、カームジンの顔をじっと見て、「今の話を信じろと?」
「当然だろう、本当にあった話なんだから」と、白々しく顔をしかめるカームジンなのでした(^^ゞ

 





遅ればせながら  投稿者:管理人  投稿日:20081021()233112

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マイク・モラスキーさんの「ジャズ喫茶という異空間」の今回を読む。相変わらず面白い。とりわけジャズ好きヤクザのエピソードがいいです。

「お前、車に行って寝ていろ」と言い放って、しばらく一人で静かに聴いていた。

なんて、矢作俊彦にありそうなシチュエーションやないですか。

 





「エチカの鏡」開始  投稿者:管理人  投稿日:20081019()232410

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9時ごろから急に来訪者数が増えて、何事ならんと思ったら、「エチカの鏡」が今日から始まったのですね。
すっかり忘れていて、アイヤしまった、と一瞬冷や汗が噴き出しましたが、眉村さんの出演は来週だった、と気づいて胸をなでおろす。
リンク先を見るとタモリさんの番組のようですね。見られた方はいらっしゃるんでしょうか。ともあれ来週は忘れず見なくては(>メモ)。

 





「無防備都市」  投稿者:管理人  投稿日:20081019()182944

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ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』45)を観ました。
感想はチャチャヤン気分に掲載。

 





ヴィスコンティ「ベニスに死す」  投稿者:管理人  投稿日:20081019()114243

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の感想文を、チャチャヤン気分に掲載しました。

 





Re: ありがとうございます  投稿者:管理人  投稿日:20081019()005841

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> No.1519[元記事へ]

平谷さん
初の歴史小説、楽しみにしております。
内容については少し伺っているわけですが、これは大変期待しております(^^)
半村良は既成の地図を引き裂いて、その引き裂いてできた空間に伝奇の王国を打ち立てたそうですが、その伝でいくと、平谷さんの場合は、歴史の記述の隙間を強引に押し広げ、そこに半村良とはまた異なった妄想の王国を打ち立てようとされているように思います。
確かにガチガチの歴史小説ではありませんが、だからといって恣意的な架空歴史小説でもない。むしろ歴史小説のバックを取ろうとするものであり、その意味で筒井康隆のいわゆる超虚構性を有しており、平谷さんは認めておられませんが、私はやはりSFといってちっとも悪くはなかろうと思っています。いや平谷さんに強要する気はないのでご安心を(^^;
ご健筆をお祈りいたします。

ルキノ・ヴィスコンティ『ヴェニスに死す』71)を観る。感想は明日。それにしてもこの映画のダーク・ボガードは月亭可朝にそっくり(^^;

 





ありがとうございます  投稿者:平谷美樹  投稿日:20081018()225422

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告知ありがとうございました。
初の歴史物なのでドキドキです。
まぁ、新聞の社告にも歴史エンターティメントと書かれていましたが、その通りで、ガチガチの歴史物ではなく、かなり妄想が混じった作品です(笑)。
ただし超常現象は禁じ手としました。

 





カームジン再読(6)  投稿者:管理人  投稿日:20081018()214232

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8)「殺人計画」(44)
「あの世を信じない男」(39)から暫く、カーシュはカームジンものから遠ざかっていたようです。5年後、満を持して(かどうか知りませんが)発表された本篇は、しかし遺憾ながらかなりショボい内容なのでした。

めずらしく1ポンド札を手に入れウハウハ状態のカームジン、いささか舞い上がりすぎていたのか、喜び勇んでまとめ買いした煙草のつり銭に贋物の半クラウン貨が雑じっているのに気づかなかった。カームジンの悔しがることか悔しがるまいことか(笑)。

賭場ですってんてんにされた男が、帰りの足代にようやく借りた1ドル硬貨を、帰り道で出会った不幸な娘に上げてしまう。翌朝娘が偽造1ドルを握りしめて水死体で発見されるエピソードはとてもいいのですが、メインの話がいただけません。

めずらしくカームジンに奢ってもらいながらカーシュが聞かされたのは、法律では裁けない極悪人を、カームジンが、いかに天に代わってお仕置きしたかという話――なんですがね、その〈未必の故意〉はさすがに無理筋でしょう(^^;

結局本篇は、奢ってもらって、さらにその上小説のタネを拾おうってのはあまりにも虫が良すぎるってこと。面白い話を聞かせてもらいたければ、やはりそれなりの対価を支払ってこそ、という教訓譚なのでした(>ホンマか)

 





平谷美樹さんの新聞連載小説  投稿者:管理人  投稿日:20081018()155811

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近頃、「最新情報」に対する《獲得意欲》が極端に低下している。
「カームジン」も、たまたま土田さんが購入記録をアップされていて、それで出版されていることに気づいた次第で、もし読んでなければ多分未だに知らないままだったかもしれません。

――とのっけから言い訳めいたことを記すのは他でもなく、平谷美樹さんがブログを開設されていたことを、ついさっき知ったからに他ならない。→http://utayomigaw.exblog.jp/

いやー我ながらこのレーダーの錆び付き加減はどうよ、と思わないでもないのですが、一方で、この歳になって新情報追いかけててもなあ、もうええわ、という気持ちもあるわけで(汗)。

とは言い条、それにしても平谷さんのブログ「歌詠川通信」、既にこの6月より公開されていたんですよね、これはちょっといくらなんでも問題でした。

まだ内容をじっくり読んだわけではありませんが、近況以外にもいろいろ情報が詰まっているようで、楽しみです。

さて、ブログにも記事が掲載されていますが、平谷さんの最新長編歴史小説『沙棗――義経になった男』が、このたび新聞連載小説として《河北新報》にお目見えするようです(^^)

《河北新報》というから、なぜに中国の新聞に? 河北といえば内蒙古の南、義経が蒙古に落ち延びていくからか〜? と一瞬思いましたが、何のことはない、東北地方の地方紙なんですね。けだし神戸新聞や中日新聞のような位置づけでしょうか。挿絵も元美術教師の平谷さんが担当するらしい。こっちも楽しみです。ただし新聞小説で、仄聞するところ現在1300枚ほど出来上がっていて、まだまだ終りは見えないようですから、単行本化はかなり先になるかもしれませんね。そんなの待ちきれないぞという方、それからブログにも記されているように挿絵は単行本には(ぜんぶは)載らないようなので、イラストに興味がある方は、河北新報を購読されますよう(^^;

以上最新情報でした(^^;

 





「おもいでの夏」  投稿者:管理人  投稿日:20081017()01242

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GyaOでやっていたので、ロバート・マリガン『おもいでの夏』(70)を観てみました。
音楽はあのメロディでしたが、アート・ファーマーの演奏ではなかった(ミッシェル・ルグラン)。
そういえば原タイトルもThe Summer Knowsではなくて、Summer of '42となっています。ちょっと検索してみましたが判りませんでした。

青春映画ですなあ(^^ゞ この歳で観るのはいかにも無理がありました。照れ臭いというか木ッ恥かしいばかり。北大西洋の荒波打ち寄せる風景と音楽とジェニファー・オニールは素晴らしかったです。

 





中さん迎撃大宴会の件  投稿者:管理人  投稿日:20081016()164449

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推理作家協会11月の土曜サロンは、乱歩研究の第一人者、名張人外境の中相作さんが講師として登壇なさいます。

            記

 日時 :11月15日(土)午後2時〜5時(時間内自由)
 ゲスト:中相作氏
 演題 :「江戸川乱歩と津藩藤堂家」
 会費 :協会員500円、会員外1000円(茶菓子代)
 会場 :日本推理作家協会書記局
     東京都港区南青山4-18-3
     秀和青南レジデンス305
 電話 :03-3401-3946

それはまあどうでもいいとして(>よくない)、そのあと大宴会があるそうです。
中さん久々の東上でもあり、ご昵懇の方はどうぞお越し下さいとのことです。関西から参加される方もいらっしゃるかと思いますので、本板でもお知らせしておきます(笑)。

 日時 :同日午後6時半〜(2時間ほど)
 会場 :いつもの蔵之助
 会費 :5000円ほど

土曜サロンは当日飛び込みオッケーですが、大宴会の方は11月7日までに本多さんか石井さん宛て御連絡をお願いします。

私ももう長いこと上京していないので、今年は知り合いの方々にお会いしに行きたいなと思っているのですが(と夏頃から思いつつ未だ実現していません、頼りない話です)、中さん組とは重ならない方もいるので、上京するとしたら別途となるかなあ。

 





「ルポ貧困大国アメリカ」  投稿者:管理人  投稿日:20081015()210437

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堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書 08)読了。

感想をチャチャヤン気分にアップしました。

 





奇しくもほぼ同時刻に(^^)  投稿者:管理人  投稿日:20081014()150041

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らっぱ亭さん、本多正一さん

おお、フランソワ−ズ・アルディ「さよならを教えて」でしたか〜!
といっても……うーん、フランソワーズ・アルディの名前は辛うじて聴き覚えがあるのですが、タイトル名はまったく記憶になかったようです(しかしまあ物忘れが嵩じたんじゃなくてひと安心(^^;)。

リンク先を見ますと、68年の作品なんですね。私が洋楽を自覚的に聴き始めたのが69年からなので(67年〜68年はGS一辺倒だった)、どうやら巷に流れているのを無意識に聞いたか、あるいは日本の歌手がカバーしたのを聞いて憶えていたのかも知れません。
なにを一年くらいでオーバーなというなかれ、この年頃は1年の違いが10年の違いくらいの感じですもんね。フレンチポップスでも、少しあとの「エーゲ海の真珠」は強く刻印されていますから(^^;

メロディもリズムもお洒落で、いかにもフランスぽい。いい曲ですねー。暫く聞きまくりそうです。
ともあれお二人とも早速のご教示どうもありがとうございましたm(__)m

岩波新書『ルポ貧困大国アメリカ』、読み始める。

 





さよならを教えて  投稿者:本多正一  投稿日:20081014()095439

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 ご無沙汰です。お尋ねの曲は、フランソワーズ・アルディ「さよならを教えて(Comment te dire adieu)」です。

http://frenchpops.net/40/hardy_comment_te_dire_adieu.html

 





(無題)  投稿者:らっぱ亭  投稿日:20081014()094617

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Françoise Hardy Comment te dire adieu(さよならを教えて)

http://jp.youtube.com/watch?v=xBIs_eSH_5g

 





教えてください  投稿者:管理人  投稿日:20081014()02072

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ラジオで流れていた曲、ああ懐かしいなあと思うも、タイトルが出て来ません(たぶんフレンチポップス)こんな感じ
手掛かりが皆無なので検索のしようもないのです。
ご存知の方、タイトルと歌手を教えてくださいませm(__)m。

あー、どんどんボケていくなあ(ーー;

 





カームジン再読(5)  投稿者:管理人  投稿日:20081013()105730

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7)「あの世を信じない男」(39夏)
本篇は犯罪小説ではありません。カームジンの真っ当なビジネスを描いています(>ほんとかよ)。
えー、いやまあ幽霊ビジネスなんですがね(^^; 幽霊ビジネスといってもそんじょそこらの、というか「世界衛生博覧会」の蛇女のような詐欺まがいではありませんよ。なんとカームジンはモノホンの幽霊と契約を交わして幽霊屋敷を経営するのであった!?

係累のない、さる大富豪の忠実な執事(ジェントルマンズ・ジェントルマン)が、その忠勤振りを買われてすべての財産を譲ると遺言されていました。ところが突然大富豪の「甥」が現われたのです。
まあよくあるパターンで、結局執事は大富豪と甥を殺害する。

あの世の存在を信じていますと、殺人などの犯罪の抑止力になるのですが、幸か不幸か、彼は「あの世を信じていなかった」。でも犯行はバレず、彼は遺言どおり莫大な遺産を相続し、めでたく「ジェントルマンズ・ジェントルマン」からほんもののジェントルマンに昇格します。
が、結局罪の意識に耐えられなかったのか、崖から飛び降りて自殺してしまう。

ところが、あの世を信じていなかったためかどうか判りませんが、彼は死にはしたものの、天国にも地獄にもいけず、屋敷周辺にとどまっている自分を見つける。悲観し何度も崖から飛び降りるんですが「死ねない」のです。
彼は呪縛霊(ではないんですけど)となって、夜な夜な飛び降りを繰り返し、屋敷は悪い噂が立って新たな買い手もつかず放置されてしまいます……

さて、ひょんなことでその幽霊と知り合ったカームジン、得たりや応とばかりに、自分と組まないかと持ちかける。買い手のつかない屋敷を格安の家賃で借り、(確実で安全な)幽霊屋敷としてアメリカの大富豪に法外な値段で貸し付けた。大富豪はパーティを開いてゲストの賞賛を浴び、幽霊は生きる価値を見出し、カームジンは巨富を得るというわけで、三方一両損どころか、三方ウハウハ(死語)。

味をしめたカームジンがビジネスのチェーン化(!)を図ろうとするのだったが……

この後は殆どドタバタな展開になっていって、もうトンデモナイのですが、ともあれ幽霊という超自然的存在を実在の存在として(空理的に)措定することによって成立し得る小品であることは間違いなく、本篇もまたトリックではなくロジックの小説であるといえましょう。

 





カームジンはちょっと休んで  投稿者:管理人  投稿日:20081012()212531

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ラファティの話題。
らっぱ亭さんが京フェスで配布するために翻訳されたラファティ「この予兆たる掻痒」が、ミクシイで公開されており、早速読ませていただきました。

すべての人類の(いや人類だけではないのですが)両掌に掻痒現象が発症し、どうやらそれは人類の進化の新たな階梯へのステージアップの予兆なのだった。つまりその掻痒は、手相学でいうところの「線」(従来6本)に、あらたな7本目の線(未来線)が形成される過程で生じるものなのだったが、しかしそれは「優れた健康と善き節度をすべての人々に強制」すべく「いかなる新たな疾患や症状をも世界規模で数分のうちに排除せしめる」ことをモットーとする世界保健執行管理機構(WHEW)にとっては、当然ながら看過すべからざる事態に他ならなかった。ということでWHEWは早速その撲滅のための活動を開始する。WHEWの第2のモットー「根こそぎ消し去れ、跡形もなく」そのままに。
かかる人類の恐るべき事態に、人類の「天性のリーダー」を自認する約30名の人々が集合し、敢然と反旗を翻すのであったが……

いやラファティだねえ(^^;
私はこれを野田大元帥の名言「SFは絵だねえ」と同じ感情を篭めて呟いているのですが、まさに本篇は「どこを切っても」のラファティ飴です(^^;
面白い! いやオモロイというべきか(^^ゞ
しかしこのオモロさ、私にはどう説明したらいいのかよく分かりません。というか分析不可能。まずは現物に当っていただきたいと切望するばかり。といってもテキストの所在は友人までのミクシイなので、もし読みたいと思われた方はその旨連絡いただければテキストをメールに添付して送ります(それはらっぱ亭さんオッケーとのことです)。

実は、らっぱ亭さんが、本作を含めてその訳業から抜粋された13篇をPDF化されており(これはおそらく近い将来らっぱ亭訳のラファティ傑作集の上梓される予兆であろうと推測されるわけですが、まあ私にはそうピンと来たのですが)、こっちの方が断然読みやすいのでこのPDF作品集で読まれることをおすすめしたい。読んでみたい方はらっぱ亭さんに直接申し込んで下さい(メルアドはこちらから→とりあえず、ラファティ)。

 





カームジン再読(4)  投稿者:管理人  投稿日:20081012()140438

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6)「宝石泥棒」(39春)
これは前回書いておくべきことでしたが、ロジックがリアルではないとはどういう意味か補足します。端的に作例で示せば、芦辺拓さんの『地底獣国の殺人』のメイン・アイデアがそれですね。以下『地底獣国の殺人』のネタばらしを含みます。ご注意。

この本格探偵小説はティラノサウルスはスカベンジャーであったというジャック・ホーナーの説を採用することで、その壮大なる密室トリックを成立させています。つまり肉食恐竜だと思っていたのが実は屍肉食いだったという(小説内における)錯覚が、密室を成立させていたわけです。しかし実際のところ、スカベンジャーは屍肉しか食わないでしょうか。そんなことはないでしょう。チャンスさえあれば生肉も食べていたはず。ところがこの探偵小説は、実に「スカベンジャー」の意味するところを、「屍肉しか食べない」と(絶対的に)措定する(見立てる)ことによってのみ成立するのです。スカベンジャーは屍肉食いだが生肉も食べるなどといった「現実化」を図るのではなく、「記号化」することによって、リアルではないが、リアルを空理化することで別の知的ショックを読者にもたらすことに成功した作品といえます。その意味で天城一の所謂「意識下密室」の好例といえるのではないか。
翻って、カーシュの作風もまた、このような空理化ロジックによる面白さが狙われているといえます。

本篇「宝石泥棒」は小品であり、アイデアも一人二役というか「なりすましトリック」の展開型といえるもので、入門編に含めてもよいものではありますが、その「なりすまし」自体にはまったくリアリティを考慮されていません(^^;
ここでは「記号的」な「見立て」が、読者の側に要請されるのです。その意味では外形入門編的犯罪小説ですが、肝となるトリックにリアリティは考慮されておらず、読者は一にロジックを楽しむことになるわけですが、とはいえそれは本篇の楽しみの半分でしかない。
残りのもう半分は、(本篇作品世界では)史上有名な二万ポンド相当の宝石泥棒を成し遂げた自慢話をし、チャチな宝石など買うなと忠告するカームジンが、直後カーシュに煙草代を無心し、断わられると「ちぇ、しけてるな」と棄てゼリフを吐く落差(対位法)であることは言うを俟ちません。

 





カームジン再読(3  投稿者:管理人  投稿日:20081011()230633

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5)「脅迫者になる」(38/39冬)は、脅迫される事態に立ち至ったカームジンが逆に脅迫者を脅迫し返す話(笑)。*今回は浜村純風です。ご注意。

悪徳警官クラポウはとある大臣の弱み(一気に破滅させかねない手紙)を握ることで絶大な権力を掌握している。そのクラポウには腹心の部下ケルビニがおり、これもまたワルで、クラポウに取って代わらんとクラポウを陥れる企みにカームジンを誘う。クラポウが外国のスパイに情報を売っている現場写真を撮り、それでもって件の手紙を強請り取ろうという算段。ケルビニの手引きでクラポウ宅に忍び込んだカームジンが写真を撮る謀議は滞りなく実行され、カメラは決定的瞬間を捕らえたのだが……これが何とカームジンを陥れる罠だったとは、お釈迦様でも気が附かないのであった!
実はカームジンがこっそり写真を撮っている姿を、そのうしろからケルビニが写真を撮っていたのだ。何たる姦計、クラポウとケルビニは結託していて、それでカームジンを強請ろうとしたのだ……

という、一読では展開を追い難いややこしい構成なんですが、あとの作品になればなるほど、この傾向は強まっていきます。
つまりリアルな犯罪小説から、次第にリアリティではなくロジックの面白さに移行していくのです。その分現実味は薄まり、たとえばカームジンが写真を撮る場面で、撮った写真の、クラポウの持ったライターにケルビニの姿が映っているのですが、つまりそれほど至近距離ということになるのですが、そんな近距離でシャッター音を気取られなかったのか(クラポウは結託しているから気づかない振りをしていたとしても、スパイの方はそんなわけには行きません。よしんばスパイ自体もダミーだったとしてもバレバレになるような行為をカームジンがするはずがありません)、という現実味において無理がある設定なんですね。結局著者の狙いが、トリックよりロジックの方に傾斜していき、ロジックの面白さが反映できていれば、個々のリアリティは犠牲になってもやむなしという風になっていったんでしょう。

結局カームジンが、その注意力と機転によって両悪党をギャフン(死語)といわせる小気味よい展開となるのはお約束どおり(^^;で読者は快哉を叫ぶわけですが、それで終わればカーシュではない。
カームジンは回収した手紙を大臣に返す。「タダで返したんですか」と訊くカーシュに「もちろんだ、実費のみ請求したけどな、はした金を」と答えるカームジン。さてそのはした金とは(^^ゞ

 





「カームジン」再読(2)  投稿者:管理人  投稿日:20081011()124039

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4)「めかし屋」(38秋)>本篇も大別すれば上記三篇と同じ入門編的作品なんですが、次のステージへの移行的要素も認められます。

外見を装うことの空しさをカーシュに懇々と説教していたカームジン、たまたま見かけためかし屋から30年前の出来事を思い出す――そのときカームジンは、しがない銀行員ながら「外見を装う」楽しさに目覚めてしまい生活費を削っても服飾費につぎ込んでいる青年を見かけ、すわカモ発見とばかりに接近を開始したのだった。……

まず上記三篇には曲がりなりにも明確にトリックがあったわけですが(3はすり替えトリック)、本篇にはトリックと呼べる要素はない。青年に銀行の金を持ち逃げさせる代わりに代理人となってネゴシエイトし、銀行に対して(本人、本人の親との)「三方一両損」を騙ってあざやかに丸め込んでしまう(で結局カームジンのみが大儲けする)。
とはいえここまでは上記三篇と同じ。

ところが後日談がある。それから30年後に、ニューヨークへのトンズラを手引きした当の着道楽の消息を、カームジンは知るのですが、その瞬間、カームジンと青年の立ち位置が鮮やかに逆転する。そして結局カームジンの説教は無化し、カームジン自身を道化と化すのです。

巧い! まさに短編小説のお手本のような作品。小説の基本が対位法であることがよく分かる作品といえます。第1象限にあるものに対しては対立物は第3象限にあるわけですが、第1象限にあった物が第2象限に移れば、対立物は必然的に第4象限に移行していなければならない。この転がし方がうまいと、小説巧者と認識されるわけです。いうまでもなくカームジンは一流の小説巧者です。

 





阪神タイガースと京フェス  投稿者:管理人  投稿日:20081010()232048

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奇遇にも阪神の優勝がなくなった翌日に京フェスが開催されるとは、何という皮肉でありましょうか(なんのこっちゃ)。
ということで(どういうことだ?)明日は京フェスに眉村さんが出演されます。→眉村卓インタビュー
聞き手が岡本俊弥さんということで、これほど理想的な適役はありえず、きっと面白い話をたくさん引き出してもらえるのではないかと思います。
私としてもぜひとも聴講したい気持ちはやまやまなんですが、仕事を抛りだすわけにはいかず、とはいえ、水面下で調整できないか当っていたんですが、やはり今回は無理となりました。残念。(まあ夜は行けるんですけどね、でも眉村さんの講座を欠席しておいて合宿に参加するのもなんだかな。モチベーションが上がりません)
行かれる皆さんはどうぞ楽しんできてください。よろしければどんな内容だったか報告していただけると幸甚です。

奇遇にも阪神の優勝がなくなる前日に、ル・クレジオにノーベル賞が授与されたとのニュースが……。
あらら、まだ貰ってなかったんですね。意外でした。
ところでこの作家、ちょっと大江健三郎と外形的なものが似ているような気が前からしているんですよね。
デビューが60年前後と大体同じで、共に60年代に鮮烈な尖った作品群を発表して人気を博し、けれども70年代に入ると文化人類学に傾倒していき、小説がどんどん丸くなっていく、という風に、大体同じ軌跡を辿っている。というか大江が後追いしているように見える。
ネットでクレジオの近作が翻訳されていないことを問題にしているサイトがありましたが、大作家だからといって内容が伴わなければ翻訳もされないということではないのかな。
大江も、わたし的には「洪水はわが魂に及び」以降はどんどん下降線を辿っているという印象なんですが(ただしピークは「個人的な体験」)、なんか「クレジオだっておんなじじゃん」と思っているんじゃないかと疑ってしまうんですよね。妄想ですかそうですか。
クレジオも大江も、旬は60年代の作品ですね。そういえば阪神もバッキー、村山がいた60年代は強かった(ーー;

 





「カームジン」再読(1  投稿者:管理人  投稿日:20081010()174159

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1)「銀行泥棒」(36)>5千ポンドしか入っていない銀行口座から、カームジンはいかにして2万ポンド引き出したか?
2)「ガスメーター」(37/38冬)>コインを投入することで使用できるガス器具を、カームジンはいかなる方法によってロハで使用したか?
3)「贋札づくり」(38春)>カームジンが発明したという偽札製造機に興味を示した悪党は……

1)はアッと膝を打つ時限トリック。
2)は斜め屋敷を彷彿させる(……と書くと慧眼の読者にはバレバレか(^^ゞ)まあ一種の機械トリック。
3)はまさに詐欺師カームジンの面目躍如たる舌先三寸の現金強奪。
 と、このように最初の3篇は、手口がいかにも現実にありそうで、ある意味ごく真っ当な犯罪小説です。たしかに何千万ドルという単位でなければ食指も動かないと豪語するカームジンがいつもカーシュに煙草をせびったり、つんつるてんになったズボンの尻をナイフで毛羽立たせているうちに過って切ってしまい蜿蜒と呪詛の言葉を吐き散らすところなど、カームジンもの特有のナンセンスなユーモアは最初から健在で、このユーモア感覚が私には怪盗ジバコと似たものを感じさせるわけですが、やはり犯罪小説なのであって、それ以上でも以下でもない(実際、他篇の文中にも名前が出てくるようにハドリー・チェイスと同世代なんですね)。
といった次第で、この辺はカームジン入門編といえるものでしょう。

 





「犯罪王カームジン」  投稿者:管理人  投稿日:200810 9()163724

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ジェラルド・カーシュ『犯罪王カームジン あるいは世界一の大ぼら吹き』駒月雅子訳(角川書店 08)、とりあえず一回目読了。
発表年代順に並べられているんですが(1936〜1962)、後になるほど更によいです。
前半は、日本でいえば『怪盗ジバコ』的なかろやかな快作群なんですが、後半の作品はむしろ凄愴な傑作と表現したいですね。犯罪(?)が逆説的でチェスタトンが思い浮かびました。特に60年代になると博覧強記とねじくれた論理で私の脳レベルでは、一読では何がなにやらという感じ、何度もページを繰りなおして読んでいました。凄い!

ということで再読に入ります。

 





関ヶ原  投稿者:管理人  投稿日:200810 8()21585

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巨人・阪神戦>一回から九回まで通してみたのは今年はじめてかも。面白かった〜!
がっぷり四つ相撲でした。しかし今日の試合を決めたのは守備力の差でしたね。3回阪神は今岡の緩慢プレーで満塁としてしまい、李の適時打を招来してしまったのに対し、巨人は亀井、坂本、鈴木らが再三好守で阪神のチャンスを潰しました。
今岡のは、普通の三塁手なら、あわよくばダブルプレーかという打球でした。もしダブルプレーだったら巨人無得点で、試合はどうなったかわかりません。

私は、先の三連戦で巨人が追いついたとき、これは巨神最終戦で勝ったほうが優勝だろうなと思いました。まあそれは大方の予想でしたが、同時にラッキーボーイが出た方が優勝するんではないかなとも思いました。その意味での阪神のラッキーボーイ候補は今岡ではないかと踏んでいたのですが、で、たしかにそんな気配もあったんですが、泣き所の守備で足を引っ張ってしまいましたね。

ともあれあと数試合、まだまだ何が起るか分かりません。巨人が連敗する可能性だってある。今年は最後まで目が離せないです。

 





時代の終り  投稿者:管理人  投稿日:200810 7()22581

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カーシュ>前回から一転、1ページも読めていません(ーー;。ようやく時間ができたので、今から読んでしまうつもり。

それよりも何より、下の写真です(→http://www.sanspo.com/baseball/photos/081006/bsh0810060507002-p1.htm
これは世紀の名ショットではないでしょうか。終生のライバルであった両人の表情の、なんと穏やかなこと(とりわけあの古狸野村の一切の構えの取り払われた表情を見よ)。S&G「オールドフレンズ」がバックから聞こえてきそうな構図ですね。このとき両人の脳裏には、半世紀になんなんとするプロ野球人生の全史が一瞬にして甦っていたのではないか。

思えば、わが小学生時代は両者の全盛期でした(64年王55本、65年野村三冠王)。おそらくかつて野球少年であったわが同世代で、この絵を見て涙しないものはいないでしょう。それは畢竟、写真の両人の表情とその佇まいに、我々自身の全史をも重ね合わせてしまうからに他ならない。

まさにはるけくもきつるものかなの感深し。

 





わ!  投稿者:管理人  投稿日:200810 6()001022

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わ、カームジンもの読み終えてしまったではないか(あと非カームジンものが2篇残っているけど)。馬鹿だ。

 





「カームジン」読み中  投稿者:管理人  投稿日:200810 5()182243

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『カームジン』は5分の2ほど。いやーいいですなあ。まさに極上酒の味わい。
その気になれば数時間で読了できますが、そんな馬鹿なことはしない。コニャックをガブ飲みする馬鹿はいませんよね(^^;。

  Contemporary Xinjiang Uygurian Music>The A Fan Ti Band

  Contemporary Hawaiian Music>THE Sunday Manoa

 





歴史的事項として残す意義  投稿者:管理人  投稿日:200810 5()110837

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堀さん

>「怒鳴られていた客」を想起して、笑ってしまいますね
「キ、キ、キミは、な、何をゆうてるんや!」
という声がまざまざと甦ってきます(^^ゞ

英語のマスターが独語のマイスターと関係があるのだとすると、まさに徒弟制度(^^;。
モラさんはかなり否定的ですが、私はそうでもないんですよね。そういう頑固親父もありかなと。優れた師匠(であることが条件ですが)につくことはやはり自分にとってプラスにこそなれ決してマイナスにはならないように思います。
もっとも、今どきの初心者はそういう「濃い関係」を求めていないというか、ついていけないから、やがて遠からず消え去り、忘れられてしまうことは確実でしょう。

結局、60年代から70年代にのみ存在しえた過去の遺物、歴史的事項なのかもしれません。50年後にはそんな存在(関係)があったなど忘却のかなたに消え去ってしまっているに違いない。
それをモラさんが掬い上げ(比喩的にですが)活字に定着されたことで、ようやくジャズ史上に残される可能性が出てきた。
おそらくこんな切り口はモラさんが最初でしょう。というかモラさんによってはじめて「発見」された事実なんですよね。その意味でこの連載は日本ジャズ受容史的に非常に意義あるものだと思います。

答案用紙の親父なんか、堀さんのタイムマシン技術で店ごと歴史博物館にでも展示しておきたいですね。未来のジャズファンが徒弟時代を体験しに(怒鳴られに!)ぞろぞろ訪れたりして(^^ゞ

 





Re:ジャズとSF  投稿者:堀 晃  投稿日:200810 4()232827

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モラさん、本領発揮ですよねえ。
あの日本語感覚の鋭さには脱帽です。「マスター」の漢語は「師匠」とは、なるほど。

で、そうですか、師匠がM27……「怒鳴られていた客」を想起して、笑ってしまいますね。

感想色々あれど、まったく無関係に、冬樹蛉さんパターンで「荒巻茂生と荒巻義雄ほどちがう」というのを思いつきました。

 





ジャズとSF  投稿者:管理人  投稿日:200810 4()124331

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マイク・モラスキーさんのジャズエッセイが更新されています。http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/molasky/index.html

今回はSFとの関連で読めて非常に面白かった。
新規の客に答案用紙の提出を命ずる京都の店主のエピソードはめちゃめちゃ笑えます。しかし荒唐無稽とは思わなかった。私は遭遇した事はありませんがきわめてありえることだなあと(笑)。

別の店主の「やっぱり三年ぐらい通い続けてもらわないとね」というのもさもありなん。もっともわが創研はもうちょっとゆるくて半年も通えば普通に会話していましたけれども。とはいえその半年が我慢できずに脱落していったものの何と多かったことか(ーー;
モラさんが憤られるのもうべなるかな。

ジャズ喫茶のきわめて重要な役割は〈鑑賞〉を奨励し育成することにあるからである。まず、ジャズを「芸術音楽」として鑑賞できるように、最適の聴取環境を提供することがその一面である。もう一面は、若い「ジャズ初心者」の客たちに対し、ジャズの「芸術性」に目覚めるように、つまり鑑賞できる力を育成するように、マスターが誘導することである。

ジャズがSFと似ているなあと感じるのはこの辺で、SFマガジンは、いわばこのようなジャズ喫茶の(学校)機能をかつて担っていたのではないでしょうか(現在ではこのような機能を果たす気もないようですが、それはジャズ喫茶も同じかも)。
追記>というかジャズ喫茶に当るのがSF同人誌で、SFMはジャズ雑誌の位置づけか。

しかしモラさんは「師匠」の影響力を過大評価しているような(言い換えれば「生徒」の自(己啓)発性を過小評価しているような)。実際ジャズ初心者はひとつのジャズ喫茶のみで勉強するわけではなく、他の店にも顔を出しますし、ジャズ雑誌でも勉強するわけで、よし当該「師匠」が「偏向」していたとしてもいつかは「気づく」ものだと思います。気づいてしまえば、その偏向を補正して話を聞けばいいし、他店に「学校」を「転校」してしまえばいいわけです。

創研における眉村さんの立場は後援者であり運営不介入(金は出しても口は出さない)を貫かれていましたので、この「師匠」に当るのはM27でしたね。そして結局この人はモラさんが看破されたそのもののずばりの人物だったわけですが、私たちは最初こそ、ははあと感心して拝聴していましたけれども、しだいに、うん?と首をかしげるようになっていき、最終的には周知のように天智に愛想づかされた孝徳状態になってしまったわけですから、モラさんも「学生」の「主体性」はもうちょっと信頼されてもいいのではないでしょうか。

ともあれとても面白いエッセイです。週一連載にしてほしいくらい。

 





「アルファヴィル」  投稿者:管理人  投稿日:200810 4()001510

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ジャン=リュック・ゴダール『アルファヴィル』(64)を見た。

アルファヴィルは銀河系の首都なのに、地球の都市(パリ?)にしかみえないとか、他星(おそらく地球)から自動車で到着できるという設定とか(解説によれば、なんと地球とアルファヴィル間の距離は9000キロ!)、いかにもひねくれています。

しかし――

もともとほろ酔い加減で見ていたせいでしょうか、途中何度か意識を失っていた模様(自分ではまばたきしたくらいの感じだったのですが)。うーむ。
ということで、感想は保留(汗)。

 





引き続きテレビの話題  投稿者:管理人  投稿日:200810 2()22302

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ミステリファンの皆さんには今さらな情報かもしれませんが――
ミステリチャンネルに島崎博先生が登場されます→ミステリリポート【幻の探偵小説専門誌「幻影城」〜島崎博さんをお迎えする会〜】
放送日はリンク先でご確認下さい。
もっともスカパー未加入の私は見ることが出来ないのですが(ーー;

毎日新聞の記事→http://mainichi.jp/enta/art/news/20080929dde018040083000c.html

ジェラルド・カーシュ『犯罪王カームジン』に着手しました。

 





訂正  投稿者:管理人  投稿日:200810 2()001559

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すみません、テレビ「エチカの鏡」で眉村邸を訪ねる旅人は、私の記憶違いで、斉藤由貴さんではなく菊池桃子さんだそうです。なんで間違えてしまったのかな。
とにかく下の投稿訂正しました。

ついでに眉村さん情報の追加。
大阪シナリオ学校の眉村さんの講座は、私も気付いてなかったのですが、きのうで締め切られた模様です→http://www.scenario-net.com/
しまった、申し込むのうっかり忘れていた、という方は、ダメもとで事務局に問い合わせてみられたらいいと思います。私の知る限りではシステムではなく個人力で動いている団体なので、そんなに厳密な〆切ではないと思います。

ついでに、毎日文化センターの創作講座ですが、こちらは目一杯になって、今は募集をやめていると聞いていたのですが、今見たらありました→http://www.maibun.co.jp/wp/?p=174
こちらは実技中心、興味のある方は申し込んでみてください。

それから角川の「俳句」にも何か書かれる予定みたいです。具体的なことがわかったらまた告知します。

あと、京フェスに出演されます。これは皆さんご存知ですよね。→ http://kyo-fes.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/Kyo_fes/wiki.cgi?page=%CB%DC%B2%F1%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6#p3

 





チャチャヤン気分に  投稿者:管理人  投稿日:200810 1()225338

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『地獄に堕ちた勇者ども』の感想を掲載しましたhttp://wave.ap.teacup.com/kumagoro/178.html

 





エッセイ掲載。そしてテレビ出演  投稿者:管理人  投稿日:200810 1()185642

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過日お伝えしておりましたように、眉村先生が「学士会会報」871号に寄稿されましたエッセイ「ショートショートと長編」を、学士会事務局様のご好意によりまして拙ページ「とべ、クマゴロー!」に転載できることになり、早速反映させていただきました。トップページからご覧下さい→http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/

眉村さんの小説観がいかに、どのような影響関係において、変わっていったかが述べられていて、大変重要なエッセイではないかと思います。
「一度はわかったつもりになったショートショートも長編も、そしてもちろん短編も、またわからなくなっている。それでも書きつづけるほかないであろう」
という結語に、私は、大家となっても現状に安住しない、小説に対峙する厳しい姿勢(それはほとんど求道者のそれでありましょう)を看取し、粛然とさせられた次第です。ふと「名人」という言葉が脳裏をよぎりました。

その眉村さんですが、テレビに出演されます。
なんか新番組で「エチカの鏡」という番組だそうで、なんと菊池桃子さんが<旅人>として眉村さんのご自宅を訪問するみたいですよ。
10月26日(日曜)午後9時からフジ・関テレ系で放映されます。お見逃しなく!

 





「地獄に堕ちた勇者ども」  投稿者:管理人  投稿日:200810 1()030625

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見はじめたのが遅かったので、午前3時になってしまった。ちょっとだけのつもりが、ぐいぐい引き込まれてこの時間。でもまだまだ終わりません。確認したら186分もあるのか〜。

面白い!!

一気に見てしまいたい気持ちはやまやまなんですが、明日あるを思うとそうもいってられません。泣く泣くあきらめる。
寝ます。

 





小説神髄(上巻)7  投稿者:管理人  投稿日:200810 1()004510

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小説総論
(承前)
 因云。菊池大麓大人が訳された『修辞及華文』と題せる小冊子がある。詩文に関する議論の如きは最も精到と思はれるので、左に抄出して本文の不足を補ふ。

 「詩の区域に属する文章は、其の類頗る多い。而して其の共通すべき品格を一定することの難事たるは、従来より歴験する所である。

然して句に節奏ある者をのみ詩と限るべきではないのは、散文においても、毎に高尚なる詩旨を有する者の多きことで之を明亮(明瞭)にすることができる。
況んや句に節奏を帯(おび)るものであるにも関わらず、還つて詩の中に含むべからざるものの、なんと多きことか。(中略)

 


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