ヘリコニア談話室ログ(2008年11)





「破軍の星」読了  投稿者:管理人  投稿日:20081130()155524

  返信・引用

 

 

北方謙三『破軍の星』(集英社90)、読了。

面白かった。ラストは感動につぐ感動。さすがストーリーテラー。がストーリーテラーでしかないのが不満。ここにはストーリーしかないのですね。贅沢な不満ですが、でも面白いだけではつまらないのです(^^;
たぶんこのアイデアでSF作家が書けばもっとずっと「小説」として面白くなるはず。

本書を読んで気づいたのは、顕家軍団の精強さは、結局奥州馬に依っており、それを顕家個人の(公家とは思えぬ)軍才が縦横に駆使しつくしたところにあるわけです。それはすでに奥州藤原氏の時代から明らかだったわけだけれども、奥州軍団の前に関東軍団がいともあっさりと蹴散らされるところを読むと、鎌倉時代の150年間、その馬文化は関東に波及しなかったということを意味しているのではないか。鎌倉幕府は奥州馬の優秀性に気が付かなかったのでしょうか。そんなことは考えられないように思うのです。ではなぜ関東は奥州馬を導入しなかったのか。もともと数が少なく広範囲に拡がることができなかったのかも。あるいは(ここで私は妄想するのですが)「奥州」自体が馬の拡散を「意図的」に抑えたのではないか。意図的に抑制しようとしてきた「集団」があったのではないか。
本書はやはり戦記小説なのであって、そういう世界設定に対する目配りは弱い。

その意味で安家の描き方が不十分。この一族がどのようにして成り立ち、その勢力を維持し続けているのか、よく分かりません。顕家が見せられた洞窟の奥深くに隠された金の山は、奥州藤原氏の埋蔵金なのかもしれませんが、この一族自体が金鉱に通じているのでしょう。その割りには武士然としているのは違和感がある。山の民としての存在感にリアリティがあまりない。大体「蝦夷」のエの字も出てこない。「同じ血」という顕家の言葉を家長は否定しないのですから、そのため家長が語る「奥州独立」の夢も非常に根拠が薄弱となってしまいます。

本篇もまた、ストーリー(面白さ)に奉仕するために拡がりの可能性を縛められた不自由な小説といえるでしょう。SFで読みたい物語です。

 





「破軍の星」着手  投稿者:管理人  投稿日:20081128()155932

  返信・引用  編集済

 

 

北方謙三『破軍の星』に着手。
北畠顕家には前々から興味がありました。稀代の碩学北畠親房(神皇正統記)の子供にして16歳で奥州経営を任され、建武朝の危機には黙々と奥州から駆けつけて足利尊氏を蹴散らし、しかし度重なる奥羽と畿内の往復に、さしもの常勝軍団も疲れ果て21歳の若さで堺にて戦死するのは、太平記に生き生きと描き出されていますね。平家物語では能登守教経、太平記ではこの顕家が私は大好きなのです。で、以前から顕家の小説はないのかな、と思っていたのですが、最近になって本書の存在を知った次第。

50頁までよみましたが、平泉三代に連なり、藤原以降かげで奥州を掌握していたとされる謎の山の民「安家」(あっか)一族というのが出てきました。この一族、今は洞ヶ峠を決め込んでいますが、どうも顕家を支える勢力となりそう。また楠正成(畿内の山の民ですね)から贈られた如月という忍者の存在もなかなか興味深い。
面白い話になっていきそうです。わくわく。

 





Re: インテグラルツリー  投稿者:管理人  投稿日:20081127()013916

  返信・引用

 

 

> No.1578[元記事へ]

土田さん
あれ、そんな作品がありましたか。それは不覚(^^;
ともあれ情報ありがとうございます。
出ていたと分かれば探し出すのみ(笑)
しかし「スモーク・リング」なんて全然見かけたことがないような気がしますね。マーケットプレイスに頼るしかないかも。

ヴォネガットは、本当に面白いのは初期の数冊だけだと思います。「ローズウォーターさん……」もし未読ならおすすめします。北杜夫みたいです。

 





インテグラルツリー  投稿者:土田裕之  投稿日:20081127()011050

  返信・引用

 

 

ご無沙汰しております。

「スモーク・リング」が「インテグラルツリー」の続編だと思います。
「無常の月」と「リングワールド」くらいしか読んでいませんけど。
アマゾンのマーケットプレイスでは本体価格1円で絶賛販売中です。

それはともかくニーヴンもリングワールドシリーズ以外、
全く翻訳されなくなりましたね。

樋口明雄氏の新作を読書中です。
ヴォネガットは自分にはあわないようで、
理屈ではわかったつもりでも、やはり絶賛とはいきません。

 





「インテグラル・ツリー」  投稿者:管理人  投稿日:20081127()005929

  返信・引用

 

 

ラリイ・ニーヴン『インテグラル・ツリー』小隅黎訳(ハヤカワ文庫86、原著83)、読了。
感想をチャチャヤン気分に掲載しました。

 





タルスといえば      投稿者:管理人  投稿日:20081126()191713

  返信・引用  編集済

 

 

金達寿。ちがう。

A) 1 2 3

B) 1 2 3 4 5 6
 *元データをステレオ化しました。

 





読了書  投稿者:管理人  投稿日:20081125()171459

  返信・引用

 

 

今年もあと一ヶ月あまり、ということで、読了書を備忘としてまとめておきます。計86冊。11/25現在。

    ■2008年読了書■

小説海外
10-01) ジェラルド・カーシュ『犯罪王カームジン あるいは世界一の大ぼら吹き』駒月雅子訳(角川書店 08)

8-02) エラリー・クイーン『スペイン岬の謎』井上勇訳(創元推理文庫 59)
8-01) ヴァン・ダイン『カブト虫殺人事件』(創元推理文庫 60)

7-01) 残雪『廊下に植えた林檎の木』(河出書房 95)

6-04) 各務三郎編『世界ショートショート傑作選1』(講談社文庫 78)
6-03) アンナ・カヴァン『氷』(http://blog.goo.ne.jp/m1suzuki/e/f6badc62e012314cbc1110d043fe484f
6-02) バリー・N・マルツバーグ『アポロの彼方』黒丸尚訳(海外SFノヴェルズ80、原書72)
6-01) ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』柳下毅一郎編(奇想コレクション 08)

5-02) ケヴィン・ブロックマイヤー『終わりの街の終わり』金子ゆき子訳(ランダムハウス講談社 08)
5-01) トマス・バーネット・スワン『薔薇の荘園』風見潤訳(ハヤカワ文庫 77)

4-01) イアン・R・マクラウド『夏の涯ての島』浅倉久志他訳(早川書房 08)

小説国内
11-05) 小松左京『夜が明ければ』(ケイブンシャ文庫 85)
11-04) 福田和代『TOKYO BLACKOUT』(東京創元社 08)
11-03) 福田和代『ヴィズ・ゼロ』(青心社 07
11-02) 梶尾真治『地球はプレイン・ヨーグルト』(ハヤカワ文庫 79)
11-01) 上田早夕里『火星ダーク・バラード』(ハルキ文庫 08)

10-01) 森下一仁『コスモス・ホテル』(ハヤカワ文庫 80)

9-05) 安部公房「人間そっくり」(新潮社『安部公房全作品4』 74)
9-04) 安部公房「第四間氷期」(新潮社『安部公房全作品4』 74)
9-03)  高野史緒『赤い星』(Jコレクション 08)
9-02)  山之口洋『瑠璃の翼』(文春文庫 06、元版 04)
9-01)  眉村卓『消滅の光輪(下)』(創元SF文庫 08)

8-07) 横田順彌『寒い国へ行きたくないスパイ』(徳間文庫 85)
8-06) 横田順彌『混線乱線殺人事件』(徳間文庫 93、元版 89)
8-05) 川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社 07)
8-04) 眉村卓『消滅の光輪(上)』(創元SF文庫 08)
8-03) 森鴎外『舞姫・うたかたの記 他三篇』(岩波文庫 81)
8-02) 高井信『DOUBLE DECADE』(信・一族 99)
8-01) 笙野頼子『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』(講談社 08)

7-01) 笹沢佐保『木枯し紋次郎(四) 無縁仏に明日をみた』(光文社文庫 97)

6-03) 今日泊亜蘭『海王星市から来た男』(ハヤカワ文庫 78)
6-02) 豊田有恒『大友の皇子東下り』(講談社文庫 94、元版 90)
6-01) 川上未映子『先端で、さすわさされるわそらええわ』(青土社 08)

5-04) 平谷美樹『ヴァンパイア 真紅の鏡像』(角川春樹事務所 08)
5-03) 黒島伝次『橇・豚群』(新日本文庫 77)
5-02) 筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』(新潮社 08)
5-01) 小川国夫『試みの岸』(河出書房 72)

4-03) 夢枕獏『妖樹・あやかしのき』(徳間文庫 91、元版 87)
4-02) 皆川博子『たまご猫』(ハヤカワ文庫 98、元版 91)
4-01) 井上光晴『新宿・アナーキー』(筑摩書房 82)

3-12) 村田基『フェミニズムの帝国』(ハヤカワ文庫 91、元版 88)
3-11) 夢枕獏『月の王』(徳間文庫 93、元版 89)
3-10) 水見稜『夢魔のふる夜』(ハヤカワ文庫 86、元版 83)
3-09) 石原藤夫『光世紀パトロール』(徳間文庫 86、元版 81)
3-08) 高千穂遙『美獣 神々の戦士(下)』(集英社 85)
3-07) 高千穂遙『美獣(上) 神々の戦士』(集英社文庫 88、元版 85)
3-06) 都筑道夫『銀河盗賊ビリイ・アレグロ』(集英社文庫83、元版81)
3-05) 高千穂遙『銀河番外地 運び屋サム・シリーズ〈1〉』(徳間文庫 80)
3-04) 川又千秋『創星記』(早川書房 85)
3-03) 野阿梓『五月ゲーム』(ハヤカワ文庫 92)
3-02) 野阿梓『花狩人』(ハヤカワ文庫 84)
3-01) 野坂昭如『てろてろ』(ファラオ原点叢書 01、元版 71)

2-08) 笹沢佐保『木枯し紋次郎(三) 六地蔵の影を斬る』(光文社文庫 97)
2-07) 山田正紀『天動説(二)蝦夷伝奇篇』(カドカワノベルズ 89)
2-06) 山田正紀『天動説(一)江戸幻想篇』(カドカワノベルズ 88)
2-05) 松浦寿輝『半島』(文藝春秋 04)
2-04) 平谷美樹『壺空 聖天神社怪異縁起』(カッパノベルス 04)
2-03) 眉村卓『司政官 全短編』(創元SF文庫 08)
2-02) 笙野頼子『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』(講談社 07)
2-01) 笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』(講談社 06)

1-14) 山尾悠子『仮面物語 或は鏡の王国の記』(徳間書店 80)
1-13) 高齋正『恋は飛行船に乗って』(トクマノベルス 86)
1-12) 鏡明『不確定世界の探偵物語』(トクマノベルス 84)
1-11) 新戸雅章『発明皇帝の遺産』(ノンポシェット 90)
1-10) 豊田有恒『雪原のフロンティア』(トクマノベルス 83)
1-09) 五代ゆう『はじまりの骨の物語』(富士見ファンタジア文庫 93)
1-08) 平谷美樹『呪海 聖天神社怪異縁起』(カッパノベルス 02)
1-07) 笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』(文芸春秋 94)
1-06) 藤本泉『血ぬられた光源氏』(廣済堂文庫 85)
1-05) 大原まり子『未来視たち』(ハヤカワ文庫86)
1-04) 大原まり子『一人で歩いていった猫』(ハヤカワ文庫82)
1-03) 殿谷みな子『許婚者の夜』(ハヤカワ文庫79、元版77))
1-02) 荒巻義雄『宇宙25時』(徳間文庫83、元版78)
1-01) 光瀬龍『歌麿(うた)さま参る』(ハヤカワ文庫76)

非小説
11-02) 岩波明『狂気という隣人 精神科医の現場報告』(新潮社 04)
11-01) 岩波明『自我崩壊』(講談社 07)

10-02) 岩波明『狂気の偽装 精神科医の臨床報告』(新潮社 06)
10-01) 堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書 08)

9-01) 三浦展『下流大学が日本を滅ぼす』(ベスト新書 08)、

7-03) 小室直樹『日本資本主義崩壊の論理』(カッパビジネス 92)
7-02) 鳥越憲三郎『古代中国と倭族』(中公新書 00)
7-01) 佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』(中公新書 07)

6-03) 別冊宝島編集部編『日本の右翼と左翼』(宝島SUGOI文庫 08)
6-02) 豊田有恒『知られざる古代史 神話の痕跡』(プレイブックス 97)
6-01) 豊田有恒『古代“日本”はどう誕生したか』(プレイブックス 99)

5-01) 角岡伸彦『はじめての部落問題』(文春新書 05)

2-01) 角岡伸彦『被差別部落の青春』(講談社文庫 04、元版 99)

 





清国  投稿者:管理人  投稿日:20081125()001536

  返信・引用  編集済

 

 

安馬は清国を襲名するらしい――そう報じているのが、どうも日刊スポーツだけなのがちとあやしいのですが、事実だとしたら結構なことで、わたし的にはぜひ継いでほしい。清国は跳んだり跳ねたりを一切しない愚直なまでにまっすぐな名大関でした(晩年というか引退後は不幸が続きましたけれど)。その名を継ぐに安馬ほどふさわしい力士はいないと思います。

ニーヴン『インテグラル・ツリー』に着手しました。

 





「夜が明けたら」(3)  投稿者:管理人  投稿日:20081123()191529

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2)「空飛ぶ窓」(週刊小説74/3/15)
本篇も、舞台は60年代とおぼしい、日本の北国の冬のある日。暖房器具といえば、電気炬燵と石油ストーブ。火鉢の鍋に甘酒があり、普段より遅めに帰ってきた小学3年生の娘が炬燵布団にくるまって杓子で湯飲みに汲んだ甘酒を飲んでいます。いつものようにテレビもつけずにぼおっとしている娘に不審を感じた母親は、夕餉の支度(もうそんな時間から始めているのですね)を中断して、炬燵に入ってきて、具合でも悪いのかと訊ねる。娘は首を振り、原っぱで「空中に浮かんでいる」〈窓〉を見ていたのだと答える。〈窓〉の向こう側は、常夏の浜辺で、娘は椰子の実や南海にしかいない貝類を拾って帰って来ていたのでした……

いわば「どこでもドア」の変種といっていい〈窓〉を媒介に「常夏の世界」を措くことで、かつての寒い雪国の生活があざやかに写し取られています。
ただ、ラストの「種明かし」は書きすぎで、言わでもがなであったように思いました。


3)「海の森」(週刊小説74/5/10)
舞台は海峡の町。3年後に海峡に橋を建設するための海底調査が行なわれているということですから、モデルは瀬戸内か明石かではないでしょうか。本四連絡橋公団が設立されたのは1970年なので、時代もその頃なのでしょう。

主人公は上記の海底調査を請け負った会社の社員。あるとき現場作業員のアルバイトが調査中に未発見だった遺跡を壊してしまう。あまつさえ発掘された像の一部を海底に破棄してしまう。どうやら海の神さまが祭られていた塚らしい。
直後、目には見えないが濡れた足跡を残す巨大生物らしいものが徘徊し始める。その辺の海底は鯨の墓場であったという伝承が町には残されていた。
やがて主人公は、こわされた像は普賢菩薩像で、海底に遺棄されたのはその台座、普賢菩薩の乗り物である六牙の白象であることを突き止める。同時に、鯨の墓場と思われていたのはもっと古い、一万数千年前の「墓場」であり、謎の生物は、その台座を「かたしろ」に、「開発」の名のもと、人間によって破壊されんとしていた墓場の主たる「古きもの」たちの集合思念が凝り集まったものだった……

70年代前後といえば、丁度開発景気に浮かれ、日本中が掘り返されていた時代ですね(「日本列島改造論」72年刊行)。小松左京は70年代をプロデュースしていたような印象がありますが、「葎生の宿」にしろ本篇にしろ、時代に踊らされていたのではなく、常にひとつ先を見据えていたことが判ります。これらはいわば「時代」の後ろに回った作品といえるのではないでしょうか。

 





「夜が明けたら」(2  投稿者:管理人  投稿日:20081123()140032

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小松左京『夜が明けたら』(ケイブンシャ文庫85、元版・実業之日本社74)*但しケイブンシャ文庫版では、元版から「長い部屋」(小説推理73/12)がカットされています。

1)「夜が明けたら」(週刊小説74/1/4)
本篇は筒井編'74日本SFベスト集成』でほぼリアルタイムに読んでいるのですが、今回読んで、印象が全然違った。もっとパニック小説だったような偽記憶をもっていたのでした。そうではなかった。

地球自転の停止という全地球的災厄が本篇のメインアイデア。とはいえ「日本沈没」のように、ニッポンとか国家とかいったワールドワイドな視点は採用されていません。むしろ日本の一地方都市の核家族とその近隣住民との、災厄を通して交わされた一瞬の淡い交流のみに焦点が絞られている。私は、戦後から70年代前半あたりまでは確かにあった、いわゆる「昭和」の情景が、リアリティゆたかにというよりも一種〈神話化〉されて描かれていると感じた。21世紀の、グローバル化されてしまった現時点から読みかえすからかもしれませんが、まるで時の風に晒されセピア色に変色した一枚の「写真」のようで、今われわれの住む世界と当時が、いかに断絶してしまったか、こんな時代があったんだなあと、懐かしく読んだことでした。

ところで、この自転停止現象、夜8時過ぎに始まって11時頃完了したとあり、約3時間かかって停止したということだと思います。これは一挙に停止すると壊滅的災厄になるからそう設定したのだと思うのですが(地球自転は日本緯度で時速1400キロらしい)、そういうことにしても、少なくともその3時間は継続的に負の加速度はかかっているのではないでしょうか。だとすれば最初の一瞬の地震様の衝撃以外は平常に戻っているのは不審。――と、私の頼りにならないあやふやな理科知識ではそう思うのですけど、いずれにしろどうでもいいことでした(汗)

 





カントリーミュージックと演歌  投稿者:管理人  投稿日:20081122()152053

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CBSソニー出版版『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』がすべて帯付きで105円だった(うち2冊は初版)。
脊髄反射でレジに持っていこうとしてふと、

 ――おまえさん、本当に読むのか?

という声が頭のうしろから聞こえてきて、我に返る。
すごすごと棚に戻したのであった(^^ゞ

小松左京『夜が明けたら』(ケイブンシャ文庫 85)読了。もうこれ1篇で切り上げよう、もうこれ1篇で……と思っているうちに読み尽しちゃいました(^^)。感想はあとで。

モラスキーさんの連載「ジャズ喫茶という異空間」が更新されていました。
「私にとってもっとも違和感のあるアメリカ音楽はまさしくカントリー&ウエスタン」というのが興味深い。ふーん、アメリカ人にとって「C&W」というジャンルは日本人にとっての「演歌」に近いものなのかもね。そういえばブッシュはカントリーミュージックファンだったような。そういう純粋な音楽性を離れたある種の「纏わり付く」何かが演歌と通じているのかも。そういう文脈で言っておられるのかな?

 





「夜が明けたら」(1  投稿者:管理人  投稿日:20081121()224047

  返信・引用  編集済

 

 

小松左京「葎生の宿」を久しぶりに読みました(ケイブンシャ文庫版『夜が明けたら』所収)。

6)「葎生の宿」(週刊小説73/10/5)
ホラーの定番に館もの(幽霊屋敷もの)というサブジャンルがあります。キング「シャイニング」やマシスン「地獄の家」やハーバート「魔界の家」などが代表作ですね。
本篇も<館もの>の範疇に含められる短編です。

昔近道ということで山中を車で抜けたことがある主人公がたまたま同じ場所を通りかかる。そのときの素晴らしい景観を思い出し、ふと出来心で再び山間の道に車を乗り入れた主人公は、しかし過疎化がすさまじく進行しているのに驚かされる。田畑は打ち棄てられて荒れ放題、ぽつんぽつんと見える家も廃屋ばかり。
そんななか主人公は道に迷ってしまう。行ったり来たりしているうちに日も暮れ果て、あまつさえ岩にでも擦ったのかラジエターの水漏れで車がオーバーヒートしてしまう。動かなくなった車の中で寒さに震えていると、丁度よい按配に、廃屋が目に入る。最初は埃だらけ蜘蛛の巣だらけだったのに、ふと見るとそんなにひどい状態でもなく、囲炉裏も整えられ薪が積まれている。これ幸いと火をおこし温まってうとうとしているうちに夢を見る。夢の中で主人公は何者かに歓迎されるも、水がないと不平をいう。と、水の流れる音に目を覚ます。裏庭の、さっきはからからだった筧の口から山清水が滔々と流れ落ちている。しめたとばかり、ラジエターを修理し、水を入れると、主人公は明け始めた空の下大急ぎで出発する。と――
何かが追いかけてくる気配がする。主人公が後ろを振り返ると……

ここまではまさに正統ホラーの展開。ところがところが……
ネタバレしますと追いかけてきたのは、何と主人公が束の間暖を取った古い無住の農家そのものだったのです(^^;
「家」とは人に住まれてこそ「家」たりうるのですよね。人に住まれなくなった家はその本来のレゾンデートルを否定されている状態な訳です。そこに、久しぶりに主人公がのこのこと現れた。「家」の喜ぶの喜ばないの(^^ゞ ようやく自らの真価を発揮するチャンスがやってきた。というわけでいそいそと歓待したのに、主人公はすぐに出て行ってしまおうとしている。そんなことは「家」にはとても許容できるものではありません。

という次第で、後ろを振り返った主人公がびっくら仰天して120キロの猛スピードで逃げるその後ろを、ぴったり50メートルの間隔をあけて、同じく時速120キロで追いかける家とのカーチェイスが始まるのでありました!

正統ホラーのようにみせかけておいて、ふいとその後ろに回りこんで超虚構化してしまう手並みのあざやかさ! まさにSFのお手本のような快作です。

 





寒さは明日まで続くらしい  投稿者:管理人  投稿日:20081119()221337

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うー寒かった。
遂にミズコール・サムサの季節がやってきましたね(^^; でも11月も半ばをすぎてようやくこの気温というのは遅すぎ。なんせ当地では一昨日までまだ蚊が飛んでいましたから(>噛まれた)。それが昨日は全滅していた。夏から直接冬になったという感じです。秋らしい気候は毎年短くなっていくように感じられます。小学校のとき日本の特徴として温帯で四季があると習いましたけど、今でもそう教えているのなら、それはもはや虚構ですね(笑)。

さて、ミズコール・サムサといえばかんべさんの超傑作な、朝起きると氷になっていた男の話(「氷になった男」)ですが、別の作品でタイトルが今ちょっとでてこないのですが、かんべさんの短い作品に、朝起きると、自分だけ重力が逆向きに働いていて、手で何かを掴んでなければそのまま大空へ墜ちていってしまう状態になってしまった男の話があります。そんな状態でも男は出勤せねばならんと、会社へ向かって決死の通勤を敢行する、そのあがきっぷりがめちゃくちゃ可笑しい話があります。いうまでもなくこれはサラリーマン根性を皮肉っているのであって、当時はものすごく納得したものでしたが、いま思うと、なぜそうまでして出勤せにゃならんのかと思ってしまう私がいます。これは時代性(這ってでも出勤するのが当たり前だった)もありますが(今の人は「なぜ公休取らへんの?」と不自然に感じられるかも)、私自身の考え方が変わって来た面が大きい。今の私は、空へ墜ちるのなら墜ちてもいいやん、手ェ放したれ、という風に思ってしまうのですよね。だから何という教訓的な結論はありません。あしからず。

  リチャード氷

 





共通語を身につける消極的な理由  投稿者:管理人  投稿日:20081119()00312

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いま、KYといいますか、人との接し方にやや問題があるひとりの青年(仮にK君としましょう)を興味本位で観察中なんですが、このK君、某国立大を中退してフリーターをしておりまして、もともと大阪生まれで、小さい頃親の仕事の関係で海外にいたことはあるそうですが、関東に住んだことはない。ところが喋ると完全な共通語なのです。大阪弁のイントネーションはまったく出ない。これが不思議だったんですが、仮説を思いついた。というか想像をたくましくしてみた。
このK君、パソコンが趣味で、あと好きなのがパチンコとライトノベルです。これらの共通点はひとり遊びですね。
おそらくK君、学生時代殆ど学友と遊んだり交友することがなかったのではないか。たぶん小学校から学内に友人は一人もおらず、一人で遊んでいたんでしょう。小さい頃はテレビばかり見ていたのだとしたら、喋る言葉は共通語になってしまうのではないでしょうか。
つまり友人のできない子供は近隣社会や子供集団から隔絶されてしまうことで方言を獲得することができず、消去法的に共通語のイントネーションを身に着けてしまうことになりがちなのでは?
そういえば私が小学校のとき東京から転校してきた友人は、非常に社交的で活発な子供だったですが、すぐに友人をたくさん作って、あっという間に大阪弁になってましたっけ。

 





カームジン再読(8)  投稿者:管理人  投稿日:20081116()212148

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10)「豪華なローブ」(46-5)
マクラが長い(^^; 今回、「自慢話」(?)だけでは、与えられた枚数をこなしきれないと思ったのでしょうか、カームジン、7という数字に纏わる薀蓄を手を変え品を変え披露します。一方、カーシュは早く本題に入れと急かすこと急かすこと。枚数稼ぎのようですが、実はこの薀蓄と掛け合い面白いんですよね。

さすがにアイデアが尽きてきたのか、本篇の手口は「宝石泥棒」とまったく同じ。若い女に嫌がることを強要してあくどく儲けている男の毒牙にかかった娘の、身の上話にほだされたカームジン、珍しくも正義心を発揮して、これはひとつ天誅を加えずんばおかじとばかり、首尾よく大金奪って逃げ出すまではよかったが、足を滑らせて転んでしまうというドジを踏んでしまい、結局依頼人(?)の娘に助けられる体たらく。
その薄幸の(と思われた)娘も、実は一筋縄ではいかないしたたかさを持ち合わせていたことが仄めかされるに至って、カームジンの赤心もどこまで信用してよいものやら、カーシュならずとも疑いの気持ちがむくむくわき上がってくるのを押さえることが出来ないのでした(^^;

 





TOKYO BLACKOUT」読了  投稿者:管理人  投稿日:20081116()155932

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福田和代TOKYO BLACKOUT』(東京創元社 08)読了。
感想をチャチャヤン気分に掲載しました。

 





TOKYO BLACKOUT  投稿者:管理人  投稿日:20081115()22403

  返信・引用

 

 

ただいま熱読中につき、今日はこれにてm(__)m

 





「ヴィズ・ゼロ」読了  投稿者:管理人  投稿日:20081115()002728

  返信・引用

 

 

福田和代『ヴィズ・ゼロ』(青心社 07)読了。
感想をチャチャヤン気分に掲載しました。

 





「ヴィズ・ゼロ」読み中  投稿者:管理人  投稿日:20081113()223327

  返信・引用

 

 

現在140ページあたり。
おお、これって日本版いや関空版「エアポート」ではないですか! 面白い面白い(^^)
面白すぎてこれはちょっと途中でやめられません。今日中に読んでしまうつもり(>無理かも)(^^;
ということで、今日はこれにてm(__)m

 





「地球はプレイン・ヨーグルト」(終)  投稿者:管理人  投稿日:20081112()214331

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7)「地球はプレイン・ヨーグルト」(SFM 78/7)

味覚SFです。著者の2大特徴であるリリカルな不自由小説でもなく、かといってドタバタナンセンス度もそんなに高くない。味覚でコミュニケーションする宇宙人とのファーストコンタクトがごくあっさりと、ふつうに語られているのですが、ラストにいたって突如狂騒的な盛り上がりをみせます。ラストで語られる黒幕老人と宇宙人のデモーニッシュな「交流」は、これまた別の意味で「新青年」的です。

ということで、梶尾真治『地球はプレイン・ヨーグルト』(ハヤカワ文庫 79)読了。

デモーニッシュといえば、この著者の作風には、良くも悪くも「しつこい下品さ」というか一種「あざとさ」があり、それがデモーニッシュな魅力ともなっています。
で、こういうのは、「小説」には必要なんですよね。
そういえば先日読んだ『火星ダーク・バラード』には、そのような成分が乏しい。
たしかに隅々まで手が行き届いた、いわば過剰なところも足らざるところもない、小説のお手本のような小説なんですが、それをウラからいえば引っかかるところがなくてスベスベしていて、逆に読者には通り一遍な感じを抱かせなくもない。
たとえば光瀬龍の火星ものは殆どストーリーがなく、ある意味ただ光瀬の妄想する火星が執拗に描写されているだけなんですが、それゆえものすごいひっかかりがあって、読者に強烈な印象を残す。そういう意味で、光瀬SFも「あざとい」デモーニッシュな小説なんです。ヴォークトなんかその典型ですね。
実は固定ファンを持っている作家は皆それぞれデモーニッシュな成分を持っている。『火星ダーク・バラード』の作者に今後必要であると思うのは、そのようなデモーニッシュな「妄想性」ではないでしょうか。

明日から週末にかけては『ヴィズ・ゼロ』を読む予定。

 





「地球はプレイン・ヨーグルト」(3)  投稿者:管理人  投稿日:20081112()192913

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2)「美亜へ贈る真珠」(SFM 71/3)

著者のデビュー作品。人によってはセンチメンタルな佳作と思われるかもしれませんが、私は、小説の自発的な可能性を極限まで締め付けた非常に「不自由」な作品だな、とまず感じました。
こんな不自然なストーリーはありません。

主人公は「航時館」の職員。航時館には「航時機」が展示されている。航時機とは4次元を航行する普通のタイムマシンとは違って、一種のタイムカプセルで、ただしその中では極端に時間の進行が遅くなっており、内部の1秒は外部の一日に相当する。
中には志願したタイムトラベラーが座っており、航時館ではその(凍りついた)姿を見学できる。
開館当初、主人公はタイムトラベラーを見て泣きながら去った女性を目撃する。非常に印象が強く、数年後にその女性が再び来館したときすぐに気づく。主人公は声をかけ、女性がタイムトラベラーの恋人で、タイムトラベラーは恋人を見捨てて(?)航時機に乗ることを志願したことを知る。それから度々女性は訪れるようになり、やがて二人は結婚し、年取っていき、孫まで生まれる。それでも女性は通い続けるのをやめない。やがて女性はタイムトラベラーを見ながら死ぬ。
それから暫くして、孫と一緒にいたときのこと、孫が航時機の中に真珠を見つける。それはタイムトラベラーの目から零れ落ち、床から10センチくらいのところで凍り付いていた。

まず内部のタイムトラベラーはただ彫像のように固まっているわけではないはず。トイレにも行くだろうし、食事もするだろう。外部の一年は内部では365秒すなわち6分に相当しますから、外の10年で1時間。美亜が老衰で亡くなるまで、最低50年は経過したでしょう。50年で5時間となります。まあそのくらいではトイレには行かないかも知れませんが、その辺をきちんと書かないとリアリティが感じられません。大体主人公がそんな年齢まで職員でいられるものでしょうか。

それ以上に、結婚までしているのに、美亜は死ぬまでタイムトラベラーを思い続けている。非常に不自然です。いやいや、不自然は不自然でいいのです。小説はその不自然をどう料理するかなんですから。そういう妻の姿を見ていて主人公の心理はどうだったのか、こういう設定にするならばそこまで描かなければ、絵空事で終わってしまうのではないか。
実際本篇は絵空事で終わってしまっているんですよね。

私から見ると、設定から考えられる「可能性」をすべて圧殺して、著者はストーリーを無理矢理一点に着地させている。これが非常に不満で、それゆえちっとも面白くないのですね。

3)「清太郎出初式」(SFM 78/11)
本篇はウェルズの火星人が日本にもやってきていた(当然やってきたでしょう(^^;)という設定。こういう設定は好きです。
ただストーリーが、新世界の通天閣へんの小屋で掛っている大衆演劇同然なのですよ。ちょっとがっくりしてしまうわけですが、しかしある程度長さがあるので、これはこれで楽しめなくもなかった(^^;

5)「詩帆が去る夏」(SFM 78/5)
本篇も不自然さでは「美亜へ贈る真珠」に負けていません。本篇はとりわけ俗流クローン解釈が主題なこともあって、私は戦前の「新青年」あたりに載っている変格探偵小説みたいな印象をもった。そういえば梶尾真治のこれらの傾向の作品は、確かに「SFM」ではなく、「新青年」こそ舞台にふさわしいような。

6)「さびしい奇術師」(SFM 79/2)
井上雅彦が書きそうな話。

 





「地球はプレイン・ヨーグルト」(2)  投稿者:管理人  投稿日:20081111()222755

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1)「フランケンシュタインの方程式」(SFM78/4)

本篇も「時空連続下半身」に負けず劣らずオモロイ(^^;

船長が「味噌樽」を一本、不法に船内に持ち込み、重量合わせで酸素ボンベを一本減らしたため、金星到着までに酸素が不足することが判明する。船長と俺は知恵を絞り、或る奇想天外な解決方法を思いつくが……

当時、「冷たい方程式」のパロディがはやっており、本篇もその一環とみなせます。
ちなみにwikipediaによれば
 『解けない方程式』 石原藤夫(SFM1968/4)
 『たぬきの方程式』 筒井康隆(SFM1970/2)
 『フランケンシュタインの方程式』 梶尾真治(SFM1978/4)
 『連立方程式』 堀晃(奇想天外1979/5)
 『なまこの方程式』 栗本薫(SFM1980/6)
 『究極の方程式』 横田順彌(SFM1980/7)
 『減量方程式』 川又千秋 (バラエティ1980/8)
 『予期せぬ方程式』 横田順彌(小説CLUB1980/9)
 『黄金の方程式』 豊田有恒 (SFM1980/12)
 『最後の方程式』 栗本薫(SFM1983/3)
 『変態の方程式』 高千穂遙(奇想天外1981/5)
などがあるようです。

本篇は「時空連続下半身」と興味深い対をなしています。
「時空連続下半身」では、「上半身と下半身」が「時間線」に沿って「分離」させられたわけですが、本篇では、俺の「左半身」と船長の「右半身」が「空間的」に「合体」させられます。

地球の家族と、「横向き」で映話するシーンは本篇の白眉で、ひーひー言いながら可笑しさをこらえてたら、腹筋が攣ってしまいました(^^;
高所恐怖症(なぜに)の船長が、自己に打ち勝って着陸シミュレーションを成功させるシーンでは、「ロッキーのテーマ」が脳内で鳴り響きましたですよ(^^;

主人公が「俺」であるところなどから、明らかにヨコジュンの影響というかハチャハチャを踏襲していることがわかります。星新一の巻末解説によれば、堀、横田の活動再開に刺激されたとあります。前回私が想像したとおりです。

 





デイブ死す  投稿者:管理人  投稿日:20081110()224032

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http://www.sanspo.com/geino/news/081110/gnj0811101911031-n1.htm

わ、ショックだ。

  愛する君に
  長い髪の少女

 





「火星ダーク・バラード」  投稿者:管理人  投稿日:20081110()023230

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上田早夕里『火星ダーク・バラード』(ハルキ文庫 08)読了。
感想文をチャチャヤン気分に掲載しました。

 





悪しからず  投稿者:管理人  投稿日:200811 9()184844

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最近ずっとなんですが、今日も、今日だけで「田母上 論文」で検索してやってくる人が10人近くいる(18時40分現在)。
何でこんな僻地に?と思ってリンク元を辿ってみた→ http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%94%B0%E6%AF%8D%E4%B8%8A+%E8%AB%96%E6%96%87&rs=0&search_x=1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&fr=top_ga1&yuragi=off

なるほど、田母神を田母上と誤記している部分が一箇所あるため引っかかるのですね。しかも誤記で拾うため母数が40件しかないので上の方に出てきたわけです。

という次第なので、「田母上 論文」でいらっしゃった皆様、ここにいらっしゃっても得るところはないと思うので、まことに申し訳ありませんが「田母神 論文」で再度検索なさることをお勧めいたします。あしからず。

 





「地球はプレイン・ヨーグルト」(1  投稿者:管理人  投稿日:200811 9()121149

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『地球はプレイン・ヨーグルト』より、
4)「時空連続下半身」SFM79/1を読みました。
私自身は梶尾の作風にややアンビバレンツな感情を持っているので、短篇集は通例並んだ順番に読んでいくのですが、とりあえず昔SFMで読み、あまりのおかしさに転げまわりのたうちまわった記憶がある本篇から入ってみました(^^;
やはり面白かった。でも記憶ほどではなかった(つまりのたうち回らなかった)(^^ゞ
ラストのエスカレーションは、たしかにここまでやるべきで、話は飛びますが森下一仁に感ずる上品さ奥床しさと裏腹の物足りなさはこれかもなあ、と感じたことでした。

残りは『火星ダーク・バラード』のあとに。

ところで唐突ですが――
SF第2世代と一括されますが、実は出自が異なる二つの集合を含んでいます。
そもそも第2世代はSFM74/7に一挙掲載された「神狩り」と、同年の再開第一回SFMコンテストに入選し翌75/1に改稿掲載された「決戦・日本シリーズ」を以って嚆矢とします。作者の山田正紀とかんべむさしにはファン歴が殆どなく、まったく無名の新人の華々しい登場劇だったわけですが、その後、彼らに刺戟されて、70年代初頭にSFMにポツンと作品を掲載したまま埋もれてしまっていた新人が再びSFMに作品を発表し始めます。

いうまでもなく堀晃(「イカルスの翼」70/6)、横田順彌(「友よ、明日を……」71/3)、梶尾真治(「美亜へ贈る真珠」71/3)でありますが、この3者はまったく無名だった前2者と違って、ファン活動に熱心なBNFでした。

かくのごとく第2世代は、相異なるふたつの集合の総称なのですが、かといってまったく無関係なわけではない。
上記のように、前2者の華々しいデビューに刺戟される形で、つまり「うぬれチョコザイな、ぽっと出の付け出し如きが儂らファンダムの重鎮を押しのけて人気を博するとは許せん」という感じだったかどうか当方は一切関知しませんが、ともあれ前2者の登場なかりせば後3者の登場もなかったかもしれないという因果関係あるいは蓋然性が認められるように思われます。

それが証拠に横田順彌の再デビュー作「謎の宇宙人UFO」は奇しくもかんべむさしのデビュー第2作「背(せな)で泣いてる」と同じSFM75/7掲載ですし、堀晃の再デビュー作「暗黒星団」も、遅れることその半年後のSFM76/2でした(いずれも前2者のデビューを確認してからの執筆であることが推測されます)。梶尾真治の場合は78/4(「フランケンシュタインの方程式」)とやや遅れますが、これはむしろ同輩の再デビューに刺戟されての活動再開なのかもしれません。

また、ハードSF一筋の堀晃はちょっと措いて、どっちかというとセンチメンタルな作風と認識されていた横田と梶尾の再デビュー作が、いずれもドタバタコメディであったのも、かんべの作風に「福島正実の呪縛」を断ち切られた結果であるのは間違いありません(それは堀においてもいえます)。

そのような意味で、(読者一般はともかく)第2世代も含めた書き手たちへの影響力においては、山田正紀よりも、かんべむさしの登場のほうがより衝撃的だったのではないでしょうか。(メモ)

 





ロック喫茶とジャズ喫茶  投稿者:管理人  投稿日:200811 8()155942

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「ジャズ喫茶という異空間」が更新されています。http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/molasky/index.html

ロック喫茶というのもあったはずですが、私は行ったことがありません。ジャズ喫茶ほど一般化しなかったのではないでしょうか。

この連載でも言及されていますが、50年代、60年代はレコードを個人が簡単に所有できなかったというのがジャズ喫茶を存在せしめた。
ところが70年代は(私がそうですが)、レコードは(洋盤も)簡単に、安価に(洋盤の方が安かった)入手できた時代だったけれども、この頃にはすでに「ジャズの歴史」というものが確固として存在しており(コルトレーンが亡くなってある意味ジャズは終焉している)、厖大なレコードをすべて揃えるわけにはいかず、その意味で70年代も依然としてジャズ喫茶は存在理由も価値もあった。

ところがロック(ニューロック)はたかだか68〜69年から始まったものですから、少なくとも私にとってロックの歴史は、「同時代的」「同時進行的」だったといえます。
つまり今でこそ古典として崇めたてられる名作傑作LPが、いわば「順々に」発売されていき、私たちはそれを毎月順番に、容易に購入できたし、当時放送開始されたFM放送では、今では考えられませんが、ざらにLP一枚まるまる放送していて、カセットに録音もできた。
したがってロック喫茶というものを原則として必要としなかった。
だからロック喫茶というのは、ジャズ喫茶のような学校の機能は端から要請されておらず、専ら自分たちでバンドを組んでいるような連中の情報交換の場であり、ジャズ喫茶のように各町に必ず一個はあるというような風には進化していかなかった。そういうことではないかな。

今回連載を読んで、そんなことを思いました。(メモ)

 





「コスモス・ホテル」(終)  投稿者:管理人  投稿日:200811 8()013422

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ということで、森下一仁『コスモス・ホテル』(ハヤカワ文庫 80)所収の全作品を概観してきたわけですが、何度も言うように著者の本領は、「コスモス・ホテル」や「シナモン・ドロップス」のような、一種純文学的な幻想にあり、「プアプア」も含めてそういう世界においては著者のユーモア感覚がのびやかに発揮されている。
ところがファンタジー的「拵えられた世界」では、その持ち味(とりわけユーモア)が減殺されて平凡な印象になってしまう(もっともこれらの作品は長編の一部分であるため設定が十全に表現されていない可能性は十分にありえます)。
ただ同じ「拵えた世界」であっても、「若草の星」や「風の浜辺」や「濡れた指」のように、その設定世界が「地に足の着いた」SFのそれの場合はさほど気にならなかった。
結局著者の持ち味そのものが「ふわふわしたセンチメント」にあるため、その設定世界までふわふわさせてしまうとその持ち味が背景色に紛れてしまうような事態になるのかも知れません。

川又千秋が解説で、いみじくも著者を「マイナーポエット」と評していますが、私も森下さんの「小世界」もっともっと読みたい。牧野信一が故郷小田原の地に幻想のギリシャを現出せしめたように、私は森下さんに、著者のインナースペースたる幻想の高知をいろいろ案内して欲しい。最近は評論家専業になってしまわれていますが、短篇を年に1本か2本でいいのですけどね。

明日から『火星ダーク・バラード』に着手の予定。

 





10時間寝た  投稿者:管理人  投稿日:200811 6()232645

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昨晩、9時半ごろ、寝っ転がってカセットテープかけていたら、ものの数分でカシャンと切れる音が。
や、遂に故障したか、と起き上がって調べたら、なんとちゃんと1往復して終了した音でした。
うーん、疲れているんだな、とおもって目をつぶって目をあけたら――時計が3時をさしていた。
あちゃー、と思って目をつぶって目をあけたら……5時だった。
これではあかん、もう起きようと寝返りを打ったら、目覚まし代わりのケータイ(7時半に設定している)が鳴っていた。

まじでかなり疲れているみたいです(ーー;

疲れたときは軽いロックがいいですね、ということで――

   アメリカン・ハードロック(1 (2)

とは言い条ほとんどポップスです(^^; どうもハードロックの理念とアメリカの風土は相容れないのかも。

   アラスカ・ロック

今日は眠いのでこの辺で。

 





「コスモス・ホテル」(7)  投稿者:管理人  投稿日:200811 5()200923

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7)「ユウ・とどかぬ叫び」
8)「風船草の祭り」
9)「嵐のあとで」

以上の3篇は、残念ながら私には響いてくるものが少なかったです。
7)は、形式的にはイギリスSF伝統の、文明が(何らかの理由で)衰退した世界でのサバイバル小説といえるものなんですが、そういう重厚感はなく、むしろ「北斗の拳」のそれに似た世界といえそうです。主人公のユウタロウの脳内イメージは、まさにケンシロウでした。そういう世界を現出させたところの「何らかの理由」は一応設定されているのですが、いかにも取ってつけた感がつよい。「郵便屋」の設定も、非常に恣意的で、一体何のために存在しているのか納得し難いところがあります。
あるいは作者の裡に於いては、もっと明確なイメージがあって長編を構成しており、本篇はその長編世界の、ほんの一部分なのかもしれません。

同様に8)と9)は連作で、同じ世界設定の、それぞれ部分なのですが、その《大きな設定》が(多分著者の中では確固として明確なのかも知れませんが)非常に見えづらく、読者には、というか私には、単なる恣意的なファンタジーとしか思えなかった。

7)も、8)と9)も、ともに本来は長編として構想されていたのかも知れません。ただ、小説分類としては、前者はヤングアダルト、後者はジュブナイルに含まれるもので、その点私には興味がもてなかった面もあります。でも実は大長編で前者は遍歴小説、後者は成長小説であって、主人公たちの生涯を描き切るものとして構想されていたのかも。もしそうならば評価は180度変わってしまうかもしれないのですが、このままではいかにも未完成品という感じがします。

 





「コスモス・ホテル」(6)  投稿者:管理人  投稿日:200811 5()035754

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6)「濡れた指」
火星のマージオン鉱山で、水分を失ってミイラ同然になるという奇病が発生し、その原因究明と治療のため、主人公の医師は、鉱山会社の求めに応じて火星にやってくる。

火星の描写が実によい。細かい砂ぼこりが大気中に充満し、どこもかしこも砂まみれ。極端に乾燥した空気は、乾燥止めのクリームをすりこんでおかないと、見る見るうちに肌から水分を奪っていく。本篇の火星世界はそんな厳しい環境に設定されています。
マージオンとは火星特産の鉱物資源で、放射線を吸収してしまう性質があり、超小型原子炉エンジンには不可欠のもの。化学式はH2O、つまり《結晶化した水》なのです(氷ではない)。

主人公は病因究明に努めるが、鉱夫たちはなぜか非協力的です。まるで治癒されるのが嫌な風にも見えます。
ある日、主人公は戸外で砂嵐に遭遇する。強風によって体からどんどん水分が失われていき、意識も失われる寸前、主人公の目の前に美しい女が……

リアルな火星小説です。鉱夫たちは、設定された・魅力的な・厳しい環境の中で、新しい火星人として、やがて形態も地球人とは異なっていくのに違いありません。パセティックな「美」に溢れた物語といえるでしょう。

日本の火星小説といえば「落陽2217年」など《東キャナル市もの》を擁する光瀬龍の独断場ですが、本篇も決してそれに負けていません。また違った味わいがあります。この世界設定でもっといろいろな話が読みたいなあ。でもマージオンの設定が完結して閉じる性質のものなので(まさにナルシシズム!)、それはちょっと無理かも。「火星SF傑作選」が編まれる時は(以下略)

 





ブラスロック  投稿者:管理人  投稿日:200811 4()232927

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岩波明『狂気という隣人 精神科医の現場報告』(新潮社 04)読了。

夏前に読書用の眼鏡を作ってから、読書も含めて机仕事がとても快適になりました。ところがなぜか老眼が急激に進んでしまった。たまたまなのか、因果関係があるのか定かではありませんが、ともあれその結果、インターネットで読むテキスト(主にブログ)は、ステータスバーの右下の拡大ボタンで125%に設定して読むことが多くなりました。でも、場合によっては画面からはみ出すので煩わしいときもあるんですよね。

大体、なんでブログの文字はあんなに小さいのか。そういえば某高級百貨店は(ターゲットとしない年寄りを排除するため)入り口のドアを敢えて自動扉にしないのだそうです。小さなフォントを採用するブロガー(若者といわずとも老眼には縁のない人たちであることは容易に想像されます)もまた、同様の意図を持っているのでしょうか――なんて考えるのは被害妄想ですか(^^;

   シカゴ
   チェイス
   BST

 





「コスモス・ホテル」(5)  投稿者:管理人  投稿日:200811 3()232459

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5)「プアプア」
著者の記念すべき商業誌デビュー作です(SFM79年3月号)。たぶん岬兄悟と同時デビューだったと記憶しています。ありゃりゃ、とすると形式論的には森下さんは第3世代になりますね(内実的には第2世代だと思いますが)。

田舎町の郵便局の集配人である北村君が、配達の帰途、いつものように峠で立小便をしていると、突然見たこともない不思議な生物が茂みから這い出して来て、北村君のイチモツに向かって6本の触手を伸ばしてきたのでした。驚いた北村君、ファスナーを上げるのも忘れて(いや忘れませんが)バイクに飛び乗り、一目散に新聞社の支局に駆け込んだのが事の発端なのでした。
宇宙からUFOに乗ってやってきたらしいこの生物、どうやら人間の尿を好んで食すことが判明します。だから立小便の最中に、北村君に向かって触手を伸ばしてきたわけですね。
その形状から六角星人、または屁くさゴンもといヘクサゴンと名づけられ、政府主導のもと、なんとも珍妙なファーストコンタクトが図られるのですが……

私は著者のいくつかある作風の中では、こういう「地に足のついた」ユーモア小説が一等好きです。とくに田舎を舞台にしたとき、著者の文章はにわかに精彩を帯びてくるんですよね。ラストはもっとアセンションしていってもよかったと思うのですが、しつこく追求していかないところが森下流なのかも。

 





「コスモス・ホテル」(4)  投稿者:管理人  投稿日:200811 3()163944

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4)「ヌクヌク」
本篇の、惑星ダルとヌイグルミのようなその原住種ヌクヌクは、どうやら著者のお気に入りらしく、ご本人のHPのタイトルとurlの一部にも援用されています。
銀河系の他種族と意思の疎通を図ることが任務のPGCS<汎銀河コミュニケーション・サービス>の研修生である主人公は、一人前になるための最後の試験として、実地に惑星ダルへと派遣される。制限期間内にヌクヌクと意志を疎通しなければならない。主人公はあの手この手でコミュニケーションを取ろうと悪戦苦闘するのだが、モグラモチの親戚らしいヌクヌクは馬耳東風、日がな日なたにちょこねんと座っているばかり。そうこうするうちに所定の期日が迫ってきて、主人公は……

本篇はもし「日向ぼっこSF傑作選」というようなアンソロジーが組まれる時には、眉村卓「惑星総長」と共にぜひとも収録して欲しい一篇であります。

 





「コスモス・ホテル」(3)  投稿者:管理人  投稿日:200811 3()161757

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3)「風の浜辺」
これはまた、いわゆる《未来のスリック雑誌に載りそうな》メロドラマです。
本篇の時代、IS通信という(相対論のくびきを破る)即時通信技術が実現している。ただし、通信基地の開設には人間が宇宙船で設置しに行かねばならない。この世界ではまだワープ等の即時航行法は開発されていないため、工事技術者は冷凍冬眠で目的地へ向かう以外にない。そのためウラシマ効果でこの技術者は(夫婦で同行しない限り)通常の結婚は不可能という設定。

ところがある技術者が、夫が冬眠航行中は妻も地上で冷凍冬眠するという方法で、二人のタイムラグを解消し結婚を成立させる。彼らは数十年おきに半年間の地上生活を楽しみ(別の、第2の半年間は地上の妻と、基地で工事中の夫は、即時通信で話し合うことができる)、数世紀にわたって夫婦でいられる――筈だった。

主人公は、そんな二人が(別々に)冬眠中、彼らの家を管理する仕事を請け負う。最初夫婦より年下だった主人公は次第に夫婦の年齢を追い越していく。すでに妻より5歳年上になっている主人公は、第2の半年間、妻の買い物に付き合ったりしている。そして第2の半年の終りが来、夫婦はそれぞれ冬眠に入ることになるのだったが……

非常に魅力的な設定で、面白いです。設定はオッケーなんですが、ストーリーにかなり無理がある。けだしこれは若書きのしからしめるところではないか。初出は79年で、当時著者は28歳。このとき森下さんが結婚されていたのかどうか知りませんが、たとえ結婚されていたとしてもせいぜい数年でしょう。
私は、25年も実質同棲していた男女にこんな結末は(あまりにも図式的すぎて)メロドラマ的にはありえるかもしれませんが、現実にはありえないように思われるのです。そこに違和感が残った作品でした。

 





Re: 南から西へ  投稿者:管理人  投稿日:200811 3()145557

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> No.1541[元記事へ]

昨日の続きになりますが……

無知である以前に読解力の方に問題があるのかも。
たとえば――と引用部分をコピペしようと思ったのですが、原文がミクシイという性格上文言を改変して要約します(正確にはこちらで確認を→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=981468386&owner_id=15414833)――

《 空幕長という公人が政府見解と異なる歴史認識を示したことが問題となっているが、あくまで当該者が個人として論文を発表しただけ(それが何が悪い?内容も正しいじゃん)。だから(この記事では)「私」は「田母神空幕長」ではなく「田母神氏」と書く。》(大意)
などと書いている人がいる。

それが問題なんですけどねえ。

確かにこの人がいうように、私人の立場で発表されたものならば何も問題はなかったのです。そうではなくて本件は、公職にあり、且つそのことを公開して発表したから問題となり更迭されたわけです。今回の事例は端的に田母神氏の史観についてそれが正しいか正しくないかという是非を問うものではない。況や断罪するものでは決してありません。単に立場上不適切でしょ?というだけのもの。[註]

つまりは、「公務員である以上、政治的活動の制限はやむを得ない」というのが司法的判断になっているのに準ずるものなのであって(自衛隊法ではどうなっているのか知らないのですが、多分なんらかの制限条項があるはず)、その意味で、田母神氏はまず公職を辞してから自説を公にすべきであったと思われます(少なくとも授賞が伝えられた時点で(賞を受けるのであれば)速やかに辞職するのが当然の身の処し方であったはず)。
田母上氏本人も、論文で「我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)と述べているところから推して、「法原理主義者」であられるようですから、当然<更迭>については納得されているに違いありません。

結局上記ミクシイ文は、記事の内容を正確に読み取れない、語学力(たって日本語ですけど)の不足に起因する誤読、ありもしない何かに対して憤って取っている一人相撲なんですよね。おお!何たるちやサンタルチヤ(ーー;。

[註]だからといってこの論文を私は肯定しているわけではありませんよ。まあ大概杜撰な論文だと思いますが、それはまた別の話。→http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html参看

 





「コスモス・ホテル」(2)  投稿者:管理人  投稿日:200811 3()114142

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2)「若草の星」
本篇も、一種の異類交歓譚といえるものです。
自己中心的で、且つパルサーと渾名されるほど感情の起伏が爆発的に激しい主人公の、宇宙調査船の同僚でもあった恋人が、事故で命を落としてしまう。主人公の荒れまいことか。結局こんなキケンなヤツは乗せておれないと、「艦船破壊及び器物損壊、上官不服従」の罪で最寄の惑星に置き去りの刑に処されてしまいます(もちろん一年分の食料もろもろと共に。一種の見せしめ刑であり、近傍を通過する宇宙船が回収してくれるのです)。
その惑星は未探査の星でした。そこで主人公はナメクジに似た原住種族の個体と遭遇する。その個体は(知性はまだ低いですが)主人公の思考を読んで変身できる能力を持っており、死んだ恋人の姿になって現われてきたのだった……。

おお、これはソラリスではないか、と思っていたら、話はそういう方向には展開せず、ナメクジは全身全霊を傾けて主人公に尽すのです。それはまさに主人公の性格とは対極的な、何の見返りも要求しない「無私」の態度なのです(この個体以外に他の個体は登場しないので、これがこの種族の特質なのかどうかは定かではありません)。主人公はそれをいいことにわがまま放題で相手に尽させます(しかもわがままを言っているという自覚は皆無(ーー;)。しかしナメクジはそれをまったく厭う様子がない。もともと水棲生物なんですが、主人公のために陸上にいる時間が次第に長くなり、やがて……

ソラリスのような非情さはありません。かといって梶尾ほどセンチメンタレ流シックにもならず、苦いものが残るところが、著者の持ち味かも。
本篇はもし「異類SF傑作選」というようなアンソロジーが組まれるならば、眉村卓「わがパキーネ」と共にぜひとも収録して欲しい一篇であります。

 





南から西へ  投稿者:管理人  投稿日:200811 3()025647

  返信・引用

 

 

わ、もうこんな時間か。
貴重な休日が無為に過ぎ去ってしまいました。一日が早すぎる。てゆーか昼前まで寝ているからなんですけどね。

沖縄集団自決訴訟や自衛隊幹部更迭に対するネット(主にミクシイ)の反応を読んでいると本当にがっかりしますね。歴史に対して信じられないくらい無知。結局知識がないというよりも与えられてないのですね。ゆとり教育で社会の授業が削られた結果なのでしょうか。ちゃんと教えない(教えられない)教師にも問題があるのかも知れません。まあミクシイという母集団のレベルの問題もありますが。

心が暗くなったので、ライトなウェストコースト派を聴きつつ、もう寝るのであった。
明日は普通に起きよう。

   イーグルス
   ドゥービーブラザース
   パパ・ジョン・クリーチ (ホット・ツナ)

 





ディープアメリカ  投稿者:管理人  投稿日:200811 1()235833

  返信・引用

 

 

岩波明『自我崩壊』(講談社 07)読了。

   スワンプロック(1)(2)
   サザンロック(1)(2)
   カントリーロック(1)

 





Re: ありがとうござんす!  投稿者:管理人  投稿日:200811 1()001949

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> No.1538[元記事へ]

かんべさん
お久しぶりです!

> サンタナ、オシビザ。聞かせていただきました。あんなん、大好きなんす。
や、かんべさんこういう傾向がお好きでしたか。いいですよねえ。私も大好きです。
思えば眉村さんのチャチャヤングで「ブラックマジックウーマン」を聴いたのが洋楽に目覚めるきっかけだったように思います。

> もっか、「朝ミラ」長篇、半分まで書いてて、へばり気味なので、
頑張って下さい! 期待しております。

> 長篇には、ほんの数行ですけど、往年の「チャチャヤング」も出てきますぜ。
へえ、どんな話なのかいろいろ想像してしまいますね(^^;
ともあれ体調管理宜しくご健筆をお祈りいたします。完成を楽しみにしております(^^)

PS>ややっKとブルンネンではないですか! これはまたピンポイントですなあ(^^;
それではこれはいかが?→http://jp.youtube.com/watch?v=lXTCUxcSFOw&feature=related&fmt=18

 


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