北方謙三『破軍の星』(集英社90)、読了。
面白かった。ラストは感動につぐ感動。さすがストーリーテラー。がストーリーテラーでしかないのが不満。ここにはストーリーしかないのですね。贅沢な不満ですが、でも面白いだけではつまらないのです(^^;
たぶんこのアイデアでSF作家が書けばもっとずっと「小説」として面白くなるはず。
本書を読んで気づいたのは、顕家軍団の精強さは、結局奥州馬に依っており、それを顕家個人の(公家とは思えぬ)軍才が縦横に駆使しつくしたところにあるわけです。それはすでに奥州藤原氏の時代から明らかだったわけだけれども、奥州軍団の前に関東軍団がいともあっさりと蹴散らされるところを読むと、鎌倉時代の150年間、その馬文化は関東に波及しなかったということを意味しているのではないか。鎌倉幕府は奥州馬の優秀性に気が付かなかったのでしょうか。そんなことは考えられないように思うのです。ではなぜ関東は奥州馬を導入しなかったのか。もともと数が少なく広範囲に拡がることができなかったのかも。あるいは(ここで私は妄想するのですが)「奥州」自体が馬の拡散を「意図的」に抑えたのではないか。意図的に抑制しようとしてきた「集団」があったのではないか。
本書はやはり戦記小説なのであって、そういう世界設定に対する目配りは弱い。
その意味で安家の描き方が不十分。この一族がどのようにして成り立ち、その勢力を維持し続けているのか、よく分かりません。顕家が見せられた洞窟の奥深くに隠された金の山は、奥州藤原氏の埋蔵金なのかもしれませんが、この一族自体が金鉱に通じているのでしょう。その割りには武士然としているのは違和感がある。山の民としての存在感にリアリティがあまりない。大体「蝦夷」のエの字も出てこない。「同じ血」という顕家の言葉を家長は否定しないのですから、そのため家長が語る「奥州独立」の夢も非常に根拠が薄弱となってしまいます。
本篇もまた、ストーリー(面白さ)に奉仕するために拡がりの可能性を縛められた不自由な小説といえるでしょう。SFで読みたい物語です。
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