ヘリコニア談話室ログ(2009年5月)




時代考証  投稿者:管理人  投稿日:2009 531()171748

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某所で映画制作が進行しており(そのうちに告知できるかも)、関係するSNS内での話題の中で、過去の時代を舞台にしたときの小道具には細心の注意を払わなければ、あとで大変な目に遭いかねない、という話が出ていて、そういえば「泥の河」でそういう事例があったなあ、と思い出しました。→

http://kuma-gor.hp.infoseek.co.jp/kakolog/herikonia-log0501.htm#doronokawa

 

過去を舞台にした映像作品ではこういう時代考証はとても大事で、作品評価にもかかわってくる場合があるのでしょうね。
と書いていて、いまひとつの例を思い出した。
下の動画は以前に紹介したものですが、その後問題があることに気づきました(^^; 

まずはご覧下さい。

   ↓

http://www.youtube.com/watch?v=BWiVDB6tYH4&feature=related&fmt=18

 

――どうでしょうか、気がつかれたでしょうか?

植民地朝鮮時代に「色彩のブルース」が歌われるはずがないのはそのとおりなんですが、それは別にして(なぜなら製作者は当然分かってやっている筈だから)、重大な考証ミスがあるんです。
バックバンドのギターを見てください。エレキギターです。戦前にエレキギターがあったでしょうか?
不審に思って調べてみると、たしかに1935年にギブソンが世界初のエレキギターES150を発売していました(意外に早い)。しかしこれはいわばアコースティックギターにコードを取り付けたもの。現物はこれ→http://ja.wikizic.org/Gibson-ES-150/video-V5BMDbYVlvg.htm
胴の厚みを確認してください。

しかし映画の方のギターは違いますよね。胴がぺしゃんこのいわゆる一般的なエレキギターの形状です。
ところが、このようなタイプ(ソリッドギターというらしい)は、フェンダーのブロードキャスターというのが最初で、実に戦後の1948年発売とのこと(ここまではhttp://www2.tokai.or.jp/nex/history/electric/history.htmによる)。

つまりこの映画の時代にはありえないギターで演奏しているというわけです。

この映画、植民地朝鮮の映像が見れそうで、ちょっと期待していたんですが、たまたまこういうミスに気づいてしまうと、案外考証を手抜きした映画なのかも、と思ってしまいますよね。日本に輸入されないのもそれが原因なのかも、とか。映像作品はツライですね。

 




神武東征  投稿者:管理人  投稿日:2009 530()21226

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堀さん
>「信仰」や「尊厳」がからみますから難しいですね。
そうなんですよね。でも学者で公開を望んでない人は、信条の左右に関係なく、いないと思います。一般の人も、分からないままほっておくよりも、明らかになる方がよいと考えているのではないでしょうか。実質的にいって、一体誰が嫌がっているのかな、と私など思ってしまいます。規制したりするから、逆に「ことさら隠そうとするところをみると、発掘したら半島由来の遺物がぼんぼん出てくるので嫌がってるんだろう」などと邪推する者が出てくるんです(>いえ私ですけど(^^;)。

宮内庁指定の古墳以外は、ふつうに発掘が進んでいて、まったく無意味化していると思います。たとえば宮内庁は茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇陵として指定しているのですが、どうやら高槻市の今城塚古墳が真の継体陵らしく、この古墳は(指定外なので)発掘されているのです。何を考えてるんだか。自分が担当の間は波風を立てることはしたくないという役人根性としか考えられません。

雫石さん
>宮内庁さえOKだせばいいことなんではないでしょうか
>古墳よりも前に宮内庁を調査しなければいけませんね
いや全くおっしゃるとおり。宮内庁職員は国家公務員だそうで、日本の上級官僚はいっぺん総入れ替えした方がいいかもしれませんね(^^;

皇族のDNA調査もぜひ(学問的な意味で)やってほしいです。
もしかりに、天皇陛下のY染色体ハプロタイプがC1だったとしましょう。世の中がひっくり返りますよ(^^; 崎谷説を採用するならば、C1は貝文土器文化を担った人々のハプロタイプであり、天皇のY染色体がこのタイプだということは、すなわち出自が南九州であることを意味し、つまりは日向から出発した神武東征が事実であった可能性が一気に浮上するのです(神武天皇という個人がいたかどうかは別にして)!

 




Re: 卑弥呼の墓  投稿者:雫石鉄也  投稿日:2009 530()17130

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> No.1841[元記事へ]

ようするに箸墓古墳を本気で調べればいいことでしょう。
宮内庁さえOKだせばいいことなんではないでしょうか。
それで、長年の邪馬台国論争にカタがつくならOKするんじゃないですか。
もしOKじゃなかったら、古墳よりも前に宮内庁を調査しなければいけませんね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 




Re: 卑弥呼の墓  投稿者:堀 晃  投稿日:2009 530()103332

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> No.1841[元記事へ]

今朝になって昨日の夕刊を読んだものですから、このニュースにびっくり。
ニュースの内容にではなく、扱いの大きさに。
ぼくも『卑彌呼と日本書紀』を読んでましたからまったく同感です。

ほとんどの古墳は盗掘されているのに調査が進まないのには、泥棒に入られてカラッポになった家を、被害調査するでもなく立入禁止にしているようなもどかしさを覚えますが……ま「信仰」や「尊厳」がからみますから難しいですね。

 




「ヴァーミリオン・サンズ」に着手。  投稿者:管理人  投稿日:2009 530()003115

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「コーラルDの雲の彫刻師」読む。
たぶん30年ぶりくらいの再読。ほとんど忘れていましたが、これは完璧な傑作ですね。と再認識。一読即戻って二度読んでしまいました。しびれた(^^;

 




卑弥呼の墓  投稿者:管理人  投稿日:2009 529()203052

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「箸墓古墳の築造は240〜260年」http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is90529a.htm?from=ichioshi

NHKのニュースで知りました。
まあ、私にいわせれば何を今さらという感じ(^^; というのは他でもありません、つとに石原博士によって主張されていたことだからであります。
石原博士の『卑彌呼と日本書紀』(栄光出版社)より引用します。

《箸墓》からの木材の出土はまだ発表されていないが、こういう多種の測定と土器の研究から、《箸墓》の造営年は、西暦250年から260年の間くらいであろうと推定されるようになった(516p)

とズバリ記述されているのです。そうして博士は、箸墓埋葬者=ヤマトトトヒモモソ姫であることからモモソ姫=卑弥呼であると、つとに喝破しておられたわけです(^^) 石原博士のこの本は、実に今から8年前、2001年刊行なのです!
このことはあまりアカデミズムで知られていないようですので、ここで声を大にして書き残しておきます(といってもアカデミズムへの影響力は皆無ですけど(^^;)

ともあれ私が、何を今さら、と思ったわけもご理解いただけるのではないでしょうか。

引用文にある「木材の出土」ではなく、リンク先によれば、土器に付着した炭化物をC14法で測定した結果を、年輪年代法で補正したようです。これはC14法だけでは(大気中のC14量が一定ではないため)誤差が発生するためで、現在、年輪年代法による補正対応表が完成しているんだそうです。

この年輪年代法も、石原博士の著書で重視されていて、それで私はその存在を知ったのでした。

Y染色体やミトコンドリアのDNA分析もそうですが、いまや考古学も、間接的な状況証拠などではなく、直接の証拠によって確定される時代がやってきているということです。その意味でも宮内庁は多くの陵墓を「陵墓の静安と尊厳の保持のため」として調査を禁じていますが、もはやそんな時代ではないでしょう。

あ、そういえば皇族のDNAも検査させてもらえば、皇族のY染色体が縄文系なのか弥生系なのか、ひょっとしたら半島系なのかも(あるいは半島由来ではなかったということも)、一発で判明するのではないでしょうか。

 




「DNAでたどる日本人10万年の旅」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 528()230932

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崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?(昭和堂08)

Y染色体DNA分析は、ミトコンドリアDNA分析よりも、長期にわたるタイムスパンの追跡に適しているそうで、現在、AからRまでの18系統に分けられ、その系統樹が出来上がっています。さらにこの18系統は、5つのグループ(A、B、C、DE、F〜R)に分けられ、A系統とB系統はアフリカ固有です(つまり出アフリカしなかった)。

つづくC系統は、アフリカ第1次脱出グループで、先日述べたようにオーストラリア原住民に到ります。経路はジブチからアデンに渡り、アラビア半島南岸を東進、インド亜大陸を横断、インドシナ半島を南下、現インドネシアであるスンダランドを経て、現オーストラリア・ニューギニアのサフル大陸に至る。主にスンダランドとサフル大陸で繁栄しました。
C系統は、C1、C2、C3の下位集団を分岐する。
C1は日本にしか見当たらない(ただし比率的には小さい)。祖型集団がインドシナを南下する前に分岐し、直接日本列島に来たと推測されるが、移動ルートは不明との事。著者は新石器時代早期列島南部に達した貝文文化の民を想定している。
C2はニューギニアにみられ、祖型グループがこれらの地で定着したあと、分岐したもの。
C3は大グループで、C系統の幹から、インドシナ半島で分岐し、北へ向かって中国内陸部を北上、バイカル湖に至り、そこからシベリア各地へ大きく展開し繁栄した模様で、一部はサハリン経由で北海道(アイヌ)へ達している。九州にも存在し、朝鮮半島経由であろうとのこと。なおアメリカ大陸へわたったのもC3。

DE系統は第2次脱出組で、Eはサハラ以北のアフリカとヨーロッパ、中東に分布。
Dは、インドまではC同様のルートで来て、そこから中国大陸の海岸側へ向かい、黄河流域に分布(D1)、河北で西へ向かうD3(ほぼチベットにのみ存在)と、東へ向かうD2に分岐します。D2はしかし現在では大陸には存在せず、なんと日本列島だけにみられます。
このD2が縄文人であろうというのは、中堀本にも書かれていました。なお、サハリンや沿海州にD2が見られないことから、著者は朝鮮半島経由でD2は列島に来ただろうと考えています。しかし大陸のD2が絶滅したのだとすれば、半島経由と決め付けるのはおかしい(半島にも残ってないのだから)。サハリンや沿海州廻りの可能性も同じだけあり得るのではないでしょうか。

第3次脱出グループのF〜R系統のうち、日本人にとって重要なのはOです。下位グループのO1は、後藤本で、中国南岸から台湾(高砂族)→フィリピン→インドシナ、インドネシアへと展開したとされたオーストロネシア系のようです。後藤本ではかかるオーストロネシア人と長江文明の関連を示唆していて私は疑問に思うと書いたわけですが、次に書くように、遺伝子分析から長江文明人とは別種であったということです(^^;

ということでO2ですが、華南から東南アジアに分布しており、著者は長江文明の担い手と認識している。特異な分布パターンは長江(稲作)文明が黄河文明系の中原勢力の膨張と、それに伴い追い出されたヤオ族、ミャオ族の長江流域到来(鳥越憲三郎説)によって四散した結果というわけで、いわゆる百越のことですね(O2a)。
次にO3は、黄河文明人であり、ほぼ漢族です。細かい部分は省略。

さて、百越をO2aとしました。ということはO2bがあるわけです。このO2bこそ弥生人(池橋本の倭人)であり、O2bは日本列島と朝鮮半島だけに分布します。

実は日本列島人のY染色体分布は、大きくはD2とO2bが占めていますが、上記のC1だけでなく、多様なハプログループが存在するようで、これは他に類例がないとのことです。出アフリカした3つのグループが、すべて日本に到着しているわけです。考えたらすごいことです。つまり日本人は、そもそも単一民族どころか二重構造ですらなく、Y染色体の坩堝というわけです(アイヌ人や琉球人ではまた染色体多型の構成が異なり、その出自が違うことが解説されているのですが、割愛。各自読まれたし。アイヌ人と縄文人は別種との主張がされていてこれも紹介したんですけけどね(^^;)

ところで、著者はそのような分析結果から、日本は多様なヒト集団が共存していたとするのですが、Y染色体多型の多様さを即実在の人間の多様性とイコールで結ぶのは無理があると思います。Y染色体とは単に父系が連続している事実を表しているだけですから。たとえばチンギスハンの(つまりモンゴルの)Y遺伝子が、東ヨーロッパに分布していたとしても、それはジョチやバトゥの遺伝子が連続しているだけで、民族が共在しているわけではありません。

著者は遺伝子の専門家のようですが、遺伝子的事実を歴史に当て嵌める段階では、既存の、しかし厖大な書物を渉猟してその助けを借りている。その(部分の)手つきは以外に素人のレベルのように感じられ、ケアレスミスもあるようです(たとえば鳥越健三郎を牽いて夫余を朝鮮族としているが誤記でしょうか)。また作成したカードを並べて作り上げているとおぼしく、くり返しが多いのも難点ではあります。すなわち専門家としての著者とライターとしての著者が協力して出来上がったのが本書といえるのではないか。前者の部分は非常に刺激的でしたが、後者の部分はやや危うい感じが残ったのも事実。とはいえ充分に楽しめる内容でありました。

いやーそれにしても現にしかと存在しているこの私は、存在していることにおいて、(D2であるにせよO2bであるにせよ)間違いなくアフリカに生れた男から、連綿と途切れずに続いてきたその男系子孫なんですよね。そうか、わがふるさとはアフリカだったのか。膨大な距離と時間に目がくらむ思いであります。

 




「DNAでたどる日本人10万年の旅」着手  投稿者:管理人  投稿日:2009 527()212421

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崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?(昭和堂08)に着手。半分まで。
去年出た本で、夭逝された中堀豊さんのY染色体多型分析が発展させられています。本書も壮大。
それにしても中堀本が05年でしたから、わずか数年にしてかかる手法があたりまえに応用されている。中堀本では、Y染色体多型とはそもなんぞや、というところから詳述されていたのに比べて、本書では、こんなん誰でも知ってるやろ、という感じで、何の説明もありません。この分野の日進月歩ぶりにあらためて驚かされます。

 BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=6779FBA2E4480D7C

 

 

 

 

(追記>あと、残り50ページ。
面白い面白い。
面白いんだけど……ふっと湧き上がってきた疑問。
この本、どこまで信用していいの? 奇説すぎる〜(^^

 




「人類がたどってきた道」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 525()22515

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海部陽介『人類がたどってきた道 "文化の多様化"の起源を探る(NHKブックス05)

周知のように、現在ホモサピエンス1種しかホモ属はいません。最初に出アフリカした原人は、各地で旧人にまで進化しましたが、第2次出アフリカを果たした
「ホモサピエンスの到来とともに、これらの原始的な人類はいなくなる」のです。
著者は
「血なまぐさい出来事をイメージしてしまう方もいるかもしれない」「実際に人類集団間での殺戮がときおり起こった可能性を、わたしは否定しない」といいますが、別の可能性として、狩猟や食料採集における効率性や計画性で旧人類はホモサピエンスの足元にも及ばず、人口増加率で圧倒され、次第に辺地に追い詰められ、人口を減らしていったことも考えられる。著者は「最終的には急速に人口増大していくホモ・サピエンス集団に吸収されてしまったというシナリオも考えられる」(41p)として、混血の可能性を示唆します。ただし新人と旧人・原人との間で限定的な混血があったかどうかは(生物学的には可能でしたが)、専門家の間でもいまだ意見の一致がないそうです。

アジアにおいては、モンゴロイド特有の歯型が北京原人のそれに似ているとか、混血を「妄想」させる余地があるのですが(歯型に関しては本書では連続性に関して明確な解説はない)、コーカソイドにおいてはそういう余地はあまりないように「見え」ます(読んだ限りでは)。
コーカソイドとモンゴロイドでは旧人に対する接し方はかなり違っていたのではないか。
昨日書いたように、ネアンデルタール人はその末期にホモサピエンスと「共存」していたけれども、ホモサピエンスの高度な技術を受容した形跡はないようです(単発的一回的な例外らしき遺跡はある)。

私は、西アジア・ヨーロッパのコーカソイドへ進化したクロマニヨン人は、ネアンデルタール人を同類とは認識しなかったと想像(妄想)するのです。
知の累積仮説に従うならば、当時のヨーロッパのホモサピエンスは、いわば「知の恩恵を被っていない」現代人と類似した思考行動を持っていたに違いない。彼らからみれば、ネアンデルタール人は、狩猟の仕方も稚拙で計画性がなく、(赤澤「ネアンデルタール人」のイメージに従えば)ユーモアはないし口数は少ないし、愚鈍な連中という感じだったのではないでしょうか。しかも身体や顔つきもホモサピエンスとは際立って違います。

「あの丘のはずれのネアンデルタール人部落の連中な、ほんまにキモイな。狩りでももうちょっと考えてやったらええのに。頭悪いんちゃうか」
と考えていたかも。で、道で出会っても、
「おいコラ、どこ歩いてけつかんねん。おまえら臭いねん。あっちいけ。シッシ!」

こんな情景が浮かんでくるのであります。
実際、生活の技術力は格段に違いますから、新人はどんどん人口が増え地に満ち、旧人はしだいにより環境の悪い辺地へと追いやられ、人口を減らし、
「あれ、あいつら、いつの間にかおらんようになってしもたな」
という感じで滅亡していったのではないか。

アメリカインデアンやオーストラリアアボリジニたちにくわえた仕打ちと同じです。
その点、東アジアはちょっと違っていて、稲作弥生人は日本列島に渡来し、人口力で縄文人を圧倒しましたが、現在でも「Y染色体多型」を調べると弥生人型と縄文人型は同じくらいいるそうです。圧倒されて消えていてもおかしくないのに。(cf:中堀「Y染色体からみた日本人」)
このような例や、上記モンゴロイドの旧人要素などをかんがみても、同じホモサピエンスといえども、コーカソイドとモンゴロイドではかなり違う印象を私は持ちました。印象というか妄想ですけど(^^;

それはさておき、著者がサンブンマチャン人骨の調査に従事していたことは既に記しました。この調査によって、アボリジニがジャワ原人から進化したものではないことが(DNA分析に加えて)形質人類学的にも確定されたのでした。ところが内村「われら以外の人類」ではその理由がよく判るように書かれてなかった。本書によってようやく理解できました。オーストラリア古人骨に特徴的な頭蓋骨の形がジャワ原人からの連続性を予想させるところから、多地域進化説の根拠とされてきたのでしたが、オーストラリア古人骨の上記特徴が、人為的なものであった可能性が出てきた(最近までアボリジニの一部に風習として残っていた)。内村本ではこの頭骨に関係しているような書き方がなされていて不審だったわけですが、実際は上記の可能性と、サンブンマチャン古人骨で分かったことは独立的なものだった。古人骨が明らかにしたのは、カウ・スワンプ古人骨(2万年前)の頭骨の変形とは無関係で、ジャワ原人がホモサピエンス的な方向とは違う方向へ進化(進化の袋小路)していっている過程が確認されたということらしい。要はジャワ原人とアボリジニは無関係だったわけです。

あと、新人のアメリカ大陸侵入の過程も凄く面白かった。ベーリング地峡が存在し(寒期)、かつ「無氷回廊」が開いた(暖期)、きわめて短い期間のみに、新人はアメリカ大陸へ進入できたのです。これはゾクゾクするほど面白い。詳しく知りたくなりました。あ、これ「楽園」のモチーフだったっけ。

本書の特徴は、たんなる解説に終わらず、ホモ・サピエンスが存在したことによって他人類や環境がいかに変わったか、が主体的に記述されており、それは当然「ホモ・サピエンスとは何者か」という問題に踏み込まざるを得ず、実際踏み込んで考究がなされているところです。知的興奮に誘われる好著で、将来、「名著」と呼ばれることになるのではないかという予感さえもちました。

 BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=D7C77D054C60BD69

 




「人類がたどってきた道」読み中  投稿者:管理人  投稿日:2009 525()032150

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人類(ホモサピエンス)は、5万年前に既に完成型に達していた。つまり5万年前の人類でも「現代で育てば」ちゃんと一人前に生きていけるということ。過去5000年の文明化は知力の<進化>に依るものではなく、「知の遺産の継承」によって達成されたとする(知の遺産仮説)。

著者はこれを人類(ホモサピエンス)の優れたところとして捉えている。
しかし逆向きにいえば、5万年間、人類は「根本的には」変化していないということではないか。5万年前に人類が完成していたということは、言い換えれば5万年間「停滞」しつづけているということだろう。

つまり「知の遺産」は一種のメッキであり、何らかの理由でメッキがはがれたり、きっちりメッキがなされてなかったりしたとき、5万年前の人間がぬっと姿をあらわすのかも。ウェブ上のバカに限らず、そもそも人間はその皮の下には5万年変わらぬ愚かさが詰まっているということでしょう。

ネアンデルタール人も同じように完成型であり、20万年間ある一定のレベルで停滞したまま進化しなかった(新人のレベルに達しなかった)。その末期にはホモサピエンスと同じ地域に共存しており、そういう「目指すべき」見本があったにも関わらず、「変わる」ことができなかった。だからホモサピエンスに競リ負けて滅んでしまったのだそうです。

だとしたらそもそも人間は「愚か」であるのが本質なのであって、やはりそれは「変わらない」。それをどれだけ「知の遺産」によってカバーできると考えるかどうかでオプティミズムになるかペシミズムになるか決まってくる。
いずれにしろ根っこは変わらないのだから、人類は「限界」のある種であるということになります。そう考えると、『地球幼年期の終わり』は案外真相をついているなあ、と思わないではいられません>雑感。

 




「人類がたどってきた道」着手。  投稿者:管理人  投稿日:2009 523()22247

  返信・引用

 

 

NHKブックス『人類がたどってきた道』読み中。半分超。
このところ読んできたなかでは、もっとも過不足ないというか、痒いところに手がとどいた本だと思います。いわば現場の人が書いた教科書といえる。
しかも著者はジャワ原人が専門とのことで、なんと、先日取り上げたサンブンマチャン人の発掘にも直接関係していたらしいです。

 BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=D301E3875EDBCBFA

 




雫石さん  投稿者:管理人  投稿日:2009 523()091741

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>テレビはインターネットをバカにしていることになるのですね
そういう指摘はないです。古い媒体や企業が(商売になると思って)過剰な期待をしても空しいだけとは言ってますが。

むしろ著者は、ネットはテレビの発信力にはぜんぜん敵わない、といっています。テレビの話題を後追いする小判ザメ商法がネット向きといっていますね。
テレビネタだと沢山のPV(訪問者数)があり、逆にネット独自のネタは、テレビで取り上げられてはじめて火がつく、というそんな傾向があるそうで、むしろテレビに従属的というべきかも。
つまりネット住民(の声の大きな連中)は、新聞も、雑誌も、本も読まない、つまり金をかけてまで情報収集する気がなく、しかしテレビ(基本タダ)だけはよく見ているバカで暇人、そんなやつら。というのが著者の考えのようです(ネットも基本タダです)。
で後半は、そんなやつらのレベルに合わせなければならないなんて、オレってかわいそう、という話なのかも(^^ゞ

 




Re: 「ウェブはバカと暇人のもの」  投稿者:雫石鉄也  投稿日:2009 523()083119

  返信・引用

 

 

> No.1833[元記事へ]

古いモノが新しいモノをバカにする、ということがあります。
能が歌舞伎をバカにし、歌舞伎が新劇をバカにし、新劇が映画をバカにし、
映画がテレビをバカにし、という流れでいうと
テレビはインターネットをバカにしていることになるのですね。
インターネットは何をバカにするのでしょう?

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 




「ウェブはバカと暇人のもの」  投稿者:管理人  投稿日:2009 522()201628

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中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言(光文社新書09)読了。

なかなか痛快でした(^^)
21世紀はネットの時代なんてとんでもない。過剰な期待や思惑は裏切られるだけ。パソコンに終日貼り付くブロガーやコメント投稿者が、いかにバカでいかに暇人ばかりか、諄々と語っています。

リアルでは、路上に坐って喫煙する高校生を注意するものは誰もいないのに、ネットではテメーとはまったく関係ないことなのに、なぜにそこまで粘着して追求する? おまえら暇か!
という風に、前半はそういう事例が集められていて、いちいち頷いていたんですが、だからといって「匿名性と社会」といった問題意識にまで深化されることはなく、後半では、そのようなネット住民の特性をそのまんま認めてしまって、いかにコイツラからPV(ページヴュー)をふんだくるかという、まことに後ろ向きの「ネット小作人」(著者の自嘲的自称)まるだしの話になってしまい、ちょっと飽きました。だから副題が「現場からのネット敗北宣言」なんでしょうけど。
ネットを飯の種にしている人はこうならざるを得ないのかなあ。

しかし私は、ユーザーに迎合すればするほど、ネットの水準は下がっていくばかりだと思います。テレビのコンテンツがそうですよね。あるいは、埼玉市を「さいたま」市に、陸奥市を「むつ」市にするのも同じ。官民一体で国民のバカ化を推進している。まあ資本主義社会では、消費者はバカなほうがいいということなんでしょう。

面白かったけど、アッちゅー間に読み終わった。週刊誌レベルの内容。週刊誌は衰退しましたが、どうやら新書が、かつての雑誌のニッチに収まりつつあるということか。してみると、かつての新書の役割を「選書」が果たしている(果たさなければならない)のかもしれませんね。

 




「Y染色体からみた日本人」  投稿者:管理人  投稿日:2009 521()23476

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らっぱ亭さん

>つい先日に53歳の若さで亡くなられました
え、そうなんですか! 著者略歴に1956年生まれでとありますから、私よりひとつ下……。なんかショックです。
本書を読みますと、これからやりたいことがいろいろ記されており、まさに志なかばにしての夭折だったのでしょうか。謹んで哀悼の意を表させていただきます。

気を取り直して――
中堀豊『Y染色体からみた日本人』(岩波科学ライブラリー05)読了。

奇説珍説満載の面白本でした。哺乳類は、性の決定はY染色体(のなかのSRY遺伝子)を受け取るかいなかで決まりますが、こういうオスメスで染色体の違いを見分けることができる生き物の方が実は少ないらしい。環境因子によって性が(あとから)決まるのがそもそも普遍的で、哺乳類の性の決定は哺乳類の共通祖先において起きた遺伝子の突然変異の結果かもしれないと著者は予想しています。つまり『闇の左手』のゲセン人の存在形態のほうが宇宙では一般的ということなのでしょうか?

また縄文人のY染色体(ハプログループD)をもつ男性は、1月から6月にたくさん生れていて、弥生系(ハプログループO2b1)は7月から12月にたくさん生れているらしい。これは精子の濃度が一年を通して一定でないことに起因し(濃い季節と薄い季節が存在する)、それは縄文人と弥生人の生業の違いから、子作りに適した季節が異なり、それが精子の濃度に適応反映されたとみる。ほんとかよ(^^;
詳しくは直接当ってください。

さて、本書では現在の一夫一婦制で子供はせいぜい二人という環境では、Y染色体はいともたやすく断絶していくことを計算で示しています(子供3人でようやく現状維持)。当然ながら子供が多いほどY染色体は残りやすいのですが、基本、Y染色体は資本主義と同じでシェアが高くなればなるほど占有率は上がっていき、Y染色体の多様性は減少していき、またたくまに寡占状況が現出する。
著者は現代に限定していっているように読める。でも古代や先史時代でも、勢力者に女は囲い込まれて庶民のレベルではY染色体は減少傾向だったのではないでしょうか。

(昭和天皇の代からの)皇室の家系図を示して、
「このようにクローズアップされた1家系で、一回もY染色体が途絶えなかったなどということは確率的にいってまずありえない。どこかでごまかしが行なわれているか、外からのY染色体の入り込みがあると思う」(111p)として、万世一系が虚構であるとします。そのとおりだと思います。が、それはミクロな家系としての男系の話で、日本一の勢力家である天皇家のY染色体は上記のような意味で事実上日本中に蔓延しているはず。たとえば私の友人のSF住職は元を辿れば多田源氏だそうですので、ずばり天皇家のY染色体を引き継いでいるはずです(^^;。途中で入り婿がなければ、ですが(もっともその入り婿が天皇家由来であればY染色体は断絶しない)。

結局(話は外れますが)万世一系の基礎にY染色体を据えるのは見当違いも甚だしい。おそらく提唱者は女系を否定する、それだけの理由でY染色体を持ち出して、墓穴を掘ったということでしょう。

あと縄文人と弥生人が初期に(平和的に)「棲み分け」していたことを、Y染色体のハプログループから予想するのですが、はからずも『稲作渡来民』の仮説を傍証するものとなっており、非常に納得できました。

しかしながら、これらすべて仮説の段階にとどまっているわけです。著者の夭折はその意味でも非常に残念。引き継ぐ後継者がいればいいのですが。

 




Re:反教科書的  投稿者:らっぱ亭  投稿日:2009 521()190740

  返信・引用

 

 

>ひょっとして著者はらっぱ亭さんの同僚の方なんでしょうか。
直接の面識はないのですが、医学部で公衆衛生学の教授をされていた方です。
残念ながら、つい先日に53歳の若さで亡くなられました。

 




反教科書的  投稿者:管理人  投稿日:2009 520()230824

  返信・引用

 

 

中堀豊『Y染色体から見た日本人』(岩波科学ライブラリー05)に着手。
これはまた、「教科書」とは対極的というか八方破れというか、めちゃくちゃユニークですな(^^;
ひょっとして著者はらっぱ亭さんの同僚の方なんでしょうか。

 BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=DFBC0C279229E043

 




「われら以外の人類」  投稿者:管理人  投稿日:2009 519()223517

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内村直之『われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで(朝日選書05)読了。

著者は朝日新聞の科学部記者。ということから想像がつくように、取材に基いて広く浅くおさえた教科書的な内容でした。実際短いコラムの集積のような構成で、専門家がグランドセオリーな自説を展開するていの本ではありません。
そのせいで分かりにくい部分もある。たとえば多地域進化説のアラン・ソーンらが、「ジャワ原人が進化してオーストラリア先住民は(他のヒトとも混血しつつ)成立した」という自説の根拠としたのが、サンギラン化石(150万〜80万年前)とガンドン化石(40万から5万年前)と現生先住民の連続性だったのですが、2001年にサンギランとガンドンの中間に挟まるサンブンマチャン化石が発見されたことにより、多地域進化説は打撃を受けたのだそうです。ところがなぜ新しい化石が打撃を与え得たのかの理由が、読んでもさっぱり判らない。(196-199p)
私が今一番知りたいと思っているツボそのものなのに〜(笑)

つまりまさしく教科書的というべきなんでしょう、「なぜ」の部分の説明が弱いのです。これは取り上げる項目が網羅的に多すぎて個々の項目が短すぎることもありますが、もうひとつは研究者の文章ではなく取材者のそれであるために、「要約」であるのはある程度仕方がないにしても、それが一知半解で要約されている面なきにしもあらずだからではないでしょうか。ライターによる科学記事によく見られるパターンかも。

とはいえ興味深い説も多々取り上げられています。食料の不足した初期ホモ属時代に、ヒトは高カロリーの脂肪やすぐエネルギーとなる糖分の摂取が重要となり、そういう食物を「おいしい」と感じる味覚を獲得(適応)したわけですが、今や現代人は、そもそも栄養が足りているにもかかわらず、味覚の嗜好は残存しており、必要がなくても過剰であっても脂肪や糖分をとりすぎてしまう。生活習慣病は、石器時代人のおつりが、今来ているのだというのはなるほどと膝を打ちました。

「進化の主役だった自然淘汰が現代人には働かなくなってきた」というのは、社会ダーウィニズムに通じるのでいささか危険な考え方ですが、事実であるのは間違いない。むしろ「遺伝子」の支配から脱しつつあると考えるべきで、これからますます、小松左京のいう「叡知」が大事になってくるのだと思われます。

 BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=45CB8331E9F6AF93

 




「日本人になった祖先たち」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 518()223931

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篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造(NHKブックス07)読了。

昨日、父系に受け継がれるY染色体解析の2本立てが必要では? と書きましたが、ミトコンドリアDNAほど進んではいないとはいえ、Y染色体DNAの系統樹はそこそこ完成しているみたいです。そういうことが昨日投稿後に読んだ部分にありました(^^;
それによると、大まかにはミトコンドリア系統樹と一致していて、すなわちY染色体から見てもアボリジニとニューギニア高地人は、出アフリカのホモサピエンスの一派であることがはっきりしているようです。なーんだ(^^;

面白いのは、かつての元帝国の版図の中で、チンギス・ハンに由来するY染色体DNAを持つ人々は男性総人口の8パーセント、およそ1600万人いるとの研究報告があるらしい。
女性と男性では子孫の残し方に差があって、女性が生涯にもうける子供の数はある程度制限がありますが、男性の場合、限界がないのですよね(笑) 男系に伝わるY染色体なんてものは、世代を重ねるにつれネズミ算式にふえていくのです。製造業は設備のキャパが生産可能な上限となりますが、商事会社は原理的には取引に限界がないのと同じといえるかも。

そうしますと、近年天皇の跡継ぎ問題で、Y染色体天皇論がいっとき持て囃されましたが、この論がまったく無意味であることに気づかされるわけです。(チンギスハンはたかだか12世紀ですが)5世紀この方連綿と続く天皇家に男子は一体何人生産されたことか。
天皇になったものだけでも、今上天皇が第125代であり、確実に今上天皇にY染色体が繋がっている最古の天皇である継体から数えてもほぼ100人近くの天皇がおり、天皇にならなかった男子の数は容易に想像できるというもの(源氏も平家も皆そうです)。そのひとりひとりが何人も、場合によっては何十人も、男子をこの世に残し、その男子たちがまた同様の営為に励んでいるわけですから、ひょっとしたらいまの日本人の大半が天皇のY染色体を保有しているかもしれませんぞ。少なくとも天皇家のY染色体がなくなってしまうことはありえないのです。

そうか! 天皇家Y染色体の保持者のみが天皇になれる資格を有すると皇室典範を変えるとしましょう。そうなったら日本人の男のほとんど全てが(だけでなく例えば、ブラジルなど海外移民した男性も、その国の女性と結婚してもうけた2世、3世の男子にも)、天皇になれる資格がありうるということになり……あ。ということはこの私でさえ、ひょっとしたら皇位継承権を有しているかもしれないということではないか! つまり平たくならしてしまうなら、天皇は誰がなっても無問題ということです。 うーむこりゃいいですねえ。まあ女性はあきらめてもらいましょう(>と冷たく突き放す)(^^;。

冗談はさておき、Y染色体原理などというまったく意味をなさない原理を持ち出した八木某という方は、いったいどんな学者なんでしょうか。おそらく笑い者になったはずで、今も失脚せずに元気に活躍されているのでしょうか(^^;

あ、ずいぶんわき道にそれてしまいました。ミトコンドリアDNAに基づく分子人類学は、ほとんど21世紀になってから始まったといってよい学問だそうで、現在でも本を著す速度が、学問の進化に追いつかない面があるという大変な分野みたいです(つまり世代宇宙船が、光子ロケットに抜かれ、超光速ロケットに抜かれ、ようよう到着した星は既に文明の爛熟期に入っており、生きている古代人としてミュージアムで見世物にされるようなものか)。今後も目が離せませんね。とりわけ未だ端緒についたところらしいY染色体解析の進化が期待されます。

 




「日本人になった祖先たち」読み中  投稿者:管理人  投稿日:2009 517()21079

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『日本人になった祖先たち』は4分の3あたり。
アボリジニ(やニューギニア高地人)は、出アフリカの最初のグループ(枝分かれしていくその幹になった集団)の末裔であるという衝撃の事実ガッ!!!(笑)
ミトコンドリアDNAの分析から判明しているようです。

さてミトコンドリアDNAは、女性にしか伝わらないということなんですが、そこで極端なモデルを考えた。

・アジアの原人由来の新人Aが広がっているある大陸に、出アフリカ新人(ホモサピエンス)Bが渡来してくる。
・ところが原住Aにより渡来Bの男は全滅させられ、女は原住A集団に吸収される。
・渡来新人の女が生んだハーフのうち、女児にはホモサピエンスのミトコンドリアDNAが伝わり、女系をとおしてミトコンドリア遺伝子はA集団にまたたくまに拡がり、連綿と現代まで消滅せず持続した。

――としましょう。
このような条件下において、ミトコンドリアDNAの解析だけでは、出アフリカ人の系統関係は分かりますが、形質に残るAの特性はまったく探知できない(そういう検査ではないということ)。つまり新人Aの後裔の現代人が、たとえアジアの原人由来であったとしても、それはこの方法では確認出来ないということではないでしょうか。

本書に紹介されているY染色体の解析が進まないと、完璧には単一起源論は証明できないということですよね?

まあ現実的には、騎馬民族がワッとやってきて征服するようなイメージを描くのは間違いで、実際は数千年かけて少しずつホモサピエンスが拡散していったプロセスをミトコンドリアDNA解析は捉えているので、上記のモデルはほとんどありえない。でも可能性はゼロではないということですね。

もっとも共存したことが分かっているヨーロッパのネアンデルタール人とホモサピエンスは混血した形跡がないので(疑わしい人骨はあるらしい>赤沢「ネアンデルタール人」に書かれてあった筈)、ホモサピエンスはネアンデルタール人を自分たちと同種とは認識しなかったのかも。オーストラリアでも、ホモサピエンスが出会ったのがソロ人(旧人)ならば同様の事態かもしれませんが、もし既にそこにいたのがソロ人から進化した新人(アボリジニ)だったならば、当然同類と認識したでしょう。

 BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=C8B4BC49A98460D5

 




SF相対論入門」  投稿者:管理人  投稿日:2009 516()210032

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先日ブックオフに行ったら、いつになくSFがたくさんあり、それが実にわが琴線に触れる作品ばかりで、ははあ誰かSFファンが放出したなとほくそえんだのですが、琴線に触れる作品ばかりとは、言い換えれば所持している作品ばかりということに他ならないのでした。
ただ石原藤夫のブルーバックスが、『SF相対論入門』とか『銀河旅行』とか4、5冊並んでいて、ウーンと迷ったのでしたが、おまえ死ぬまでに読むかと自問し、結局あきらめました。
もっとも『SF相対論入門』は高校のとき友人に借りて読んでいて、私の相対論の知識はいまだにこの本がベースになっています。でも懐かしさだけで所有しようというのはもうやめようと。分野にもよりますが、おおむね蒐集の時代は終わったのです。これからは整理していかなければなりません。

NHKブックス『日本人になった祖先たち』に着手。分子人類学の本で、ホモサピエンスの系統樹におけるアボリジニの位置についても書いてあるみたいです。

 




「海を渡ったモンゴロイド」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 515()205539

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後藤明『海を渡ったモンゴロイド 太平洋と日本への道(講談社選書メチエ03)

インドネシアからニューギニア、さらにその東方のメラネシア、ポリネシアは、地図で見れば分かるように地球上で最大規模の多島海地域といえます。そういう地形から、その地域は「海人」文化というべき独特の文化が広がっています。その担い手は、現在のポリネシア人に至るオーストロネシア系の人々でした。現在では彼らがモンゴロイドで西から東へとひろがって行ったことが分かっています。(つまりヘイエルダールの主張した「東から西へ」は否定された)

ところで、氷河時代の海退期においても、オーストラリア(とニューギニアを含んだサフル大陸)は、アジアと地続きではなく、だからこそ有袋類の世界は現代まで維持されたわけですが(cf『カンガルー作戦』)、当然人間の侵入の阻むものではありませんでした。
3〜4万年前の人骨が発掘されていますが、その形質は昨日引用したように、ジャワ原人(→ソロ人)に近いものだった。状況証拠的にこの古人骨の裔がどうやらアボリジニーに繋がるらしく、著者によれば
「多くの学者はこのような「イブ仮説」に対してはまだ慎重である」(47p)との立場なんですが、どうなんでしょうね(この辺、要勉強)。
先日リンクしたHPの元ネタを見つけました→http://www.kitombo.com/gon/back.html(ここの「アボリジニ 進化の鍵を握る人々」の第5回以降)。なんとなくトンデモっぽいのですが紹介されている文献が案外本書のそれと重なるのが面白い。リンク先が信憑性があるともいえますが逆に本書がトンデモである可能性も(^^;

次に、いわゆるヒプシサーマル期にオーストロネシア系の南方展開が開始される。オーストロネシア諸族と台湾高砂族は同系で、もっとも早く分かれたことが確定しているところから、著者は彼らの原郷を台湾もしくは中国南岸と考えています。著者は長江文明と越人に関連付けていますが、私は疑問に思いました。まず長江文明は水田稲作特化文化であります。ところが台湾にはそもそも古代に水田稲作はなかった。著者はオーストロネシア人を、いわゆる照葉樹林文化的に捉えています。しかしながら水田に既に特化していた人々が根菜や雑穀栽培に戻ることは考えられないと思います。したがって、長江流域で水田を発達させた越人の人口爆発に押されて台湾へ逃れた海辺の一派がオーストロネシア人の元になったのではないでしょうか。

本書は非常に面白いテーマを扱っているのですが、どうも学術書の範囲を逸脱して、著者が自身のあらまほしき世界像(つまりは「妄想」(^^;)に惑溺しすぎているように思いました(まあ素人の直観ですが)。読者に妄想を掻き立てさせないではおかない学術書はわたし的見地では「良書」なんですが、著者が率先してそれをやると読者の立つ瀬がありません(^^; 著者がロマンチストであることはよく分かりました。

 




「海を渡ったモンゴロイド」読み中。  投稿者:管理人  投稿日:2009 514()212011

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『海を渡ったモンゴロイド』は范文雀。著者は出アフリカの単一起源説に疑問を持っているようですね。アボリジニについて、「オーストラリアの古人骨はインドネシアの旧人、ソロ人に近く、またその祖先をたどると、ジャワ原人にまでたどり着く」「つまり、アフリカ起源の新人が確かにやってきたとしても、既存のソロ人などと混血して生れた種族がアボリジニーだ」というアラン・ソーンの説を重視しています。
本書は2003年の出版で、わずか6年前の本なんですが、この分野では古くなってしまっている? 現在では成り立たないのでしょうか。

 BGM> http://www.youtube.com/view_play_list?p=B4F3B20EEF3B1906
  ↓
wikipediaによると、このアルバムは
「当時人気絶頂だったアイドル歌手の天地真理のアルバムを抜いてチャートの1位に輝いた」とあります。
ほんとかよ〜。
当時、私の周囲では、この盤を持っている友人は多くいましたけれども、天地真理のアルバムなんて、誰も持ってなかったぞ、ってそれは大海を知らなかっただけですかそうですか(^^;
たしかに1位になるだけあって、早くも堕落しかかっています(笑)、でもよくできたアルバムだったのは間違いありませんね。

 




Re: パンゲアの生き証人  投稿者:管理人  投稿日:2009 513()215010

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> No.1822[元記事へ]

雫石さん
へえ、そうなんですか!
アロワナって、高価な鑑賞魚ですよね。知合いの金持ちのどら息子が飼育しているんですが、あの魚がパンゲアの実在を傍証していたとは……センスオブワンダーですねえ(^^;。

<訂正>
昨日ベーリング地峡云々と書きましたが、ベーリング地峡はもっとずっと新しい氷河期の話ですね。そもそもパンゲア大陸では、北米大陸は、東岸側でヨーロッパとくっついていたんでした。失礼しました。

高千穂遙『聖獣の塔 運び屋サムシリーズ《2》(徳間文庫83)、読了。
第1巻は中編集でしたが、本書は長編。前半は面白かったのだけれども、活劇場面の多い後半、間延びした。これは活劇を面白がる成分を私が欠いているせいもありますが、そもそも中編もしくは長中篇のプロットを無理矢理引き伸ばしたからではないか。そうはいっても一気読みした(させられた)わけで、決してつまらなくはなかったことは間違いない。でもまあ、残念ながら第一巻ほどではなかったのでした。

ひきつづき講談社選書メチエ『海を渡ったモンゴロイド』に着手。

 




パンゲアの生き証人  投稿者:雫石鉄也  投稿日:2009 513()074147

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超大陸パンゲアの生き証人が今もいるのです。
アロワナという魚です。古代魚です。きれいな魚で、特にアジアアロワナは人気で、野生のものはワシントン条約で保護されています。でも、時々、闇で熱帯魚店あたりに流れ、検挙されています。
このアロワナが、オーストラリア、東南アジア、南米におります。オーストラリアのものはノーザンバラムンディと呼ばれ、南米のものが一番一般的で、シルバーアロワナ、レッドアロワナで、そのへんの熱帯魚屋で普通に売ってます。アジアアロワナは野生種は絶滅危惧種で、ペット用に養殖されたものが輸入されています。私の知る限りでは、神戸の須磨水族園で野生のアジアアロワナが見られます。
この珍しい特殊な古代魚が、離れたオーストラリア、アジア、南米に、今も現存することによって
かってこれらの大陸が一つだったといえるわけです。アロワナは大陸移動説の生き証人といわれています。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 




「カンガルー作戦」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 512()221047

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豊田有恒『カンガルー作戦』(徳間文庫81)

オーストラリア大陸には有力な哺乳類が皆無だったため、有袋類が適応放散して、旧世界の哺乳類(有胎盤類)と相似な動物相を作り上げていることはご存知だと思います。
これは(哺乳類が劣勢だった)恐竜時代に、超大陸パンゲアが分裂し、その後オーストラリア大陸は他の大陸と一度も合体することなく孤立的に存在してきたからです。他の大陸は、(後述する2例を除いて)すべて、パンゲア分裂後に何度か離合集散しており(ユーラシアと北米はベーリング地峡で繋がった時期があった)、恐竜消滅後の地球制覇戦において、対他的に優勢な哺乳類(有胎盤類)はそのすべての大陸に行き渡り、かくして哺乳類(有胎盤類)の時代が到来したわけです。

さて、オーストラリア大陸以外に、孤立的に存在した大陸がもう二つありました。南極大陸と南米大陸です。しかしながら南極大陸はその後、極点に移動してしまい、動物は死絶えたのですが、残す南米大陸は、つい最近の200万年前に、パナマ地峡で北米大陸と陸続きになるまで、孤立的に存在していたのです。
wikipediaの南アメリカ大陸の項にも
「孤立大陸であったため、独特の動植物が進化し、固有種が多い」(wikipedia:南アメリカ大陸 )とあります。
もうすこし押さえておきます。
・漸新世に
「南アメリカ大陸は他の大陸と孤立して独自の生物進化を始める」(wikipedia:漸新世)
・中新世までは
「孤立している南アメリカ大陸とオーストラリア大陸のみ、異なった動物相である」wikipedia:中新世)
・そうして、鮮新世に
「パナマ地峡が形成され」(wikipedia:鮮新世)、次のステージへとなだれ込むのですが、
「パナマ地峡が形成される以前の南アメリカでは、有袋類と鳥類の一部が生態系の上位を占めていたと考えられています」
「オーストラリアの有袋類は適応放散と収斂進化(しゅうれんしんか)の好例として上げられる事が多く、「フクロオオカミは他大陸のオオカミのような存在であり、オオフクロネコは他大陸の野生ネコのような存在である」といわれますが、同様な現象は南アメリカでも起こっていました・・・」(http://ecolumn.net/panama.htm


というわけで、どうやら現在のオーストラリア大陸みたいな状況であったようです。
ところが、上述のパナマ地峡の形成により、北米大陸から、それまでに旧世界を席巻しつくしていた優勢な真獣類(有胎盤類)が南下を開始し、またたくまに、南米の有袋類世界を併呑してしまう。南米の固有の種は殆ど絶滅し、現在に後裔を残していません。

以上が現実。
本篇は、パナマ地峡形成前に、南米大陸に旧世界の「霊長類」に相当する有袋類が発生し、進化をとげ、有袋人類ホモ・マルスピアリアが地球の覇者となった時間線が舞台となる多世界テーマもの。

とにかく以上のように設定に手抜きはありません。事実関係はきちんと押さえられている。その意味ではハードSFといえるでしょう。
たしかにオーストラリア大陸の有袋類は適応放散しましたが、ただひとつ有袋サルは生まなかったのですね。この指摘は新鮮だった。
本篇では南米大陸に生れたホモ・マルスピアリアが、パナマ地峡を北上し、ホモサピエンスとは逆向きに全世界に広がっています。おそらくホモサピエンスは駆逐されたのでしょう。ホモ・サピエンスが親類筋であるネアンデルタール人や先行のホモ属をことごとく駆逐してしまったように。

ところで本篇には、主人公の同僚として、オーストラリアのアボリジニの青年が登場するのですが、ほとんど出番がありません。
アボリジニは、最近でこそ南インド系と確定されつつあるようですが(『稲作渡来民』にもそう記述されていました)、一部に<単一起源説>の例外、アジア発生のジャワ原人や北京原人の直接の進化種とする説があるそうです(たとえば→http://www.gondo.com/g-files/aborig/aborig1.htm)。
トンデモかも分かりませんが、思考実験としてはありえる。著者はこの説も取り込もうとしたのではないか。ところが、あまりに問題ありと考え直した。で、このアボリジニの青年のポジションが宙に浮いてしまった。そういうことだったのではないでしょうか。

ともあれ恐竜時代終焉後、哺乳類の時代開幕直前のありえたかもしれないいまひとつの進化史を見出した著者に拍手を送りたい! こういう、事実を素材にして非在の楼閣を構築するのがSFのひとつの醍醐味ですな。いや面白かった(^^)

BGM>http://www.youtube.com/view_play_list?p=CBAE3B8B41207330

 




「カンガルー作戦」に着手  投稿者:管理人  投稿日:2009 511()211342

  返信・引用

 

 

豊田有恒『カンガルー作戦』に着手。范文雀もとい半分弱。
いやー面白いねえ。今回は<適応放散>が鍵なのかな。まだ全体の構図は見えてきてません。
それにしても日本でこれほど、正味の、何も尻尾に繋がってない、純SFを書けるのは、第1世代から現在の作家まで通して、豊田さんの他にいないのではないか。

ところで、こんなのを試してみました。→http://www.youtube.com/view_play_list?p=7436FEB49F3934D2
「すべて再生」をクリックすれば、自動で連続演奏します。

 




「稲作渡来民」  投稿者:管理人  投稿日:2009 510()203052

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池橋宏『稲作渡来民「日本人」成立の謎に迫る』(講談社選書メチエ08)読了。

壮大なグランドセオリーが展開されていて、とても面白かった。
まず、縄文人は東日本に偏住していて、東と西の人口比は10対1と推計されているらしい。そもそも西日本はスカスカだったところに、小山修三によれば縄文時代の人口は中期の300万人弱を最高に、減少に転じ、縄文末期には100万を切るところまで減っていた。当然西日本はスカスカのスカスカということになります。

*縄文人はきわめて均質だったらしく、それは突き詰めれば、というか極端なことをいえば、ひと組のアダムとイブから拡大していったということ。ふつうは外来の血が混じっていくものだが、いかんせん日本列島には縄文人しかいなかった。近親婚を繰り返すと寿命が短くなるデータが、本篇でも指摘されているのですが、で、ここからは私の妄想ですが、縄文人は近親婚とは言いませんが、きわめて血縁の近い集合だったとしたら、縄文中期でその最終ステージに達し、マイナスの効果出始めたのではないでしょうか?(そんなデータを示すところを見ると、著者もこれに近い感懐は持っているはず)

で、最終的に弥生人が到来した頃には、縄文人自体がきわめて衰弱した状態だった。だから弥生人が水田稲作適地の河口に開拓地を作ってもまったく競合しなかった。縄文人の住地は森の中ですから、そもそも競合しないんですが、とにかく何の妨害もなかったのではないでしょうか。

さて、通説では縄文人が稲作を受容し、弥生人になっていった、ということになっているが、稲作は実際のところ高度な技術複合で、見よう見まねで覚えられるものではない。またこの非常に優れた技術(後述)の勘所、いわば秘伝を、その担い手が簡単に外部に洩らすはずがない、と著者は考えます。結局上記の縄文人の現状もあって、弥生文化の担い手は、列島の外から渡来した稲作民自身であるとします。縄文人→弥生人説は、ナショナリズムは満足させられますが実体のない虚説とする。
しかもこの稲作は、途轍もない人口膨張をもたらす(後述)。あっという間に西日本は外来の弥生人の人口が縄文人のそれを凌駕したのです。

では、この弥生人はどこから列島にまかり来たったのか?

その前に、稲作の発祥は、現在では(これもグランドセオリーである)照葉樹林文化論のいう雲南説は退けられ、長江中下流であることが確定している。その担い手はごく大雑把に越人ということになる。
ところで上記のように稲作の生産力は他のいかなる生産手段を圧して高度で、人口膨張を招来します。
戦国時代に(それまで未開地と考えられていた)呉越が相次いで覇者になったのは、実にこの「人口力」の賜物でしょう。

ところが人口爆発は必然的に耕作地の不足をもたらす。現在のようなどこもかしこも水田化する技術はまだなく、水田化できる土地を見つけてそこに定着する時代でしたから、そうなると新たな土地へ、次男坊三男坊は出て行かざるを得ない。そのうち南方へ進出した結果が百越ですが、北へ向かう人々もいた。呉や越が山東半島まで版図を広げますが、それは中原を見据えた行動でもありますが、基本は水田適地を求めての人の移動でもあった。

一部の学者は長江河口から直接九州へ来る図を想像します。でも著者は当時の船の構造上、困難と否定的です。結局、山東半島から朝鮮半島への移動の延長として弥生人は列島に到来したとする。

そもそも照葉樹林気候に適した稲作は長江以北では不適で、養える人口は小さかった。でも長江以南の人口爆発は止まらずあとからあとから開拓民が北上してくる。彼らは必然的に渡海し韓半島南西岸に入植します(山東半島以北はもはや稲作不可能地域)。でもここもそんなに稲作適地ではない。一代も過ぎれば人口は飽和する。ということで「循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國」という感じで忽ち南岸に達し、北九州へ押し寄せたと考えられるのです。
実際、半島での稲作開始と九州での稲作開始は100年くらいしか差がなく接近している。とはいえ日本の初期稲作遺跡には必ず半島製の土器が伴出することで、この説が裏付けられるとします(江南より直接伝播説が否定される)。

で、この山東半島から渡って来て韓半島と西日本に定住した稲作民こそ「倭人」だろうと筆者は考えます。倭人は日本列島原住民ではなく、半島から(厳密には半島を経由して)やってきた越人であるとします。ある意味征服者だったわけです!

ここにおいて井上秀雄の倭人論が復活します。韓国や中国の史書に現れる「倭」は、日本列島の原住民やヤマト政権の意味ではなく、水田耕作を持って半島南部と西日本に展開した越人のことである。半島にも列島にも、倭人はいたということになります。
*そのうち列島の倭人からヤマト政権は発生したわけですが、だからといって半島の倭人もヤマト政権の一員というのは論理的に矛盾してしまうわけです。

さて、著者のグランドセオリーは日本語の起源についても考察をめぐらせており、非常に面白いのですが、さらに長くなるので割愛。

このように非常に示唆にとむ良著なのですが、土井が浜を筆頭に初期水田遺跡で発掘される高身長で顔の長い頭蓋骨が、半島から渡って来た倭人であるとします。私の常識ではそういう身体特徴は(埴原和郎的な意味で)半島人(土着)の特徴のように思われる。
ところが倭人は半島を短期間に経由して列島に到来しているのだから、半島土着民の形質が現われたのだとしたら理屈に合わない。

半島の倭人は、もともと半島は照葉樹林帯から北へ外れており、水田耕作に適地とはいえず、半島原住民を圧倒するほど人口力に恵まれなかったはずで、半島土着民に吸収されていったのだろうと思いますが、西日本へやってきたのはそのような韓人化した倭人ではなかったはずです。
とすれば越人そのものがいわゆる大陸的な高身長細長顔の形質を持っていたのでしょうか。そのへんが明記されていません。おそらくそのような研究をしている学者が日中にいないのかも知れません。ただ江蘇省から出た2体の、土井ヶ浜人と同時代の人骨に土井ヶ浜人と同じ抜歯風習が見られたと、この2体だけでは明確な結論は出せないが、との注釈つきで記されています。この辺の研究の進展が望まれます。

ということで、非常に刺激的、且つ妄想喚起力絶大な書物で面白かった。
ところでワタクシ、ホモ・サピエンスに属しております。昨日の記事にあるとおりホモサピエンスの情報入力機能はパターン認識に基いており、本感想文の要約もまた、「自分に都合よく世界を読んでしまうメカニズム」のくびきから逃れられないのは論理的必然であります。実際のところはどうなのかは、原著に当って確認していただく必要があるかと思います。まずは念のため>おい(^^ゞ

 




パターン認識  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 9()174715

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マイミク氏の日記からhttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/08/news021.html
すっと読めました。面白い。
これは圧縮で効率化し情報量を減らしているんですが、その結果、人が自分に都合よく世界を読んでしまうメカニズムの基礎にもなる。ある意味「中国人の部屋」か。

講談社選書メチエ『稲作渡来民』に着手。半分弱。

 




天王寺支線など  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 8()220332

  返信・引用

 

 

堀さん、かんべさん、ご投稿ありがとうございます。

堀さん
>「南海パーラー」だった店でしょうか?
ああ、きっとそうですね。移転の際、立地に合わせて業態を変えたんでしょうか(フランチャイジー?)。
で、南海パーラーの南海商事のホームページを見てみました。すると難波駅3階にも、サンマルクカフェがあるようです。面白いことに2階には南海パーラーもあるんですね。ということはサンマルクはフランチャイジーというより、場所(営業権)を貸しているのかも知れませんね。
で、そもそも南海商事の前身は南海電鉄の福利厚生部門だったんですって。思うに社員食堂とか、現業社員の仮眠室みたいなところで軽く食べさせる施設だったのかも。それから駅売店とか構内飲食店へと発展していったんでしょうか。面白いです。

かんべさん
youtube見ました(^^)
車窓の景色がいいですねえ。昔、野田阪神駅から天神橋6丁目まで走っていた北大阪線もこんな感じでした。廃止になる前に一度乗っただけですが、同じようにうらびれた裏町めいた軒先を、かすめるように線路が走っていましたっけ。

この画像( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%8D%97%E6%B5%B7%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E6%94%AF%E7%B7%9A%E8%B7%A101.jpg )はwikioediaから借用ですが、現在はこの廃線もなくなって、JRの一番端の、なんば行きの路線になっているような気がします。記憶違いかもしれませんが、先日乗ったJRが左の壁際(阿部野橋を過ぎるまでの地下みたいな感じの部分)ぎりぎりに走っていたように思うからです。なぜそんなことに気づいたかというと、以前阿部野橋を出たところにトップシンバルの看板が掛っていたのですが、「あ、やっぱりなくなってるな」と気がついたからなんですが、偽記憶かもしれません。今度確認してみます。

 




Re: 南海天王寺支線  投稿者:堀 晃  投稿日:2009 5 8()21503

  返信・引用

 

 

> No.1815[元記事へ]

あ、訂正。
「大門通(おおもんどおり)」です。

 




Re:南海天王寺支線  投稿者:堀 晃  投稿日:2009 5 8()214716

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なるほど、動画で見るとバラストが撤去された事情がよくわかりますねえ。
「石いらんか」は開高健のルポでしたっけ。

で、ぼくはテツではないのですが、最近は枕元に新潮社の「鉄道旅行地図帳」12冊を置いて眺めることが多いです。これ、廃線鉄道地図が詳しくて面白いです。
それによれば「飛田本通」は以前は「大門前(おおもんまえ)」だったのですね。
一度は乗って繰り出したかった……

 




南海天王寺支線  投稿者:かんべむさし  投稿日:2009 5 8()105946

  返信・引用

 

 

さっそくの御反響、ありがとさんにござんす。
南海天王寺支線で検索してもらうと、YOU・TUBEに動画あり。
天王寺〜今池町を、マニアが運転席の背後から撮影してはります。
廃止前のものらしく、今池町のホームには、カメラを構えた諸君も。
飛田本通りという駅を経由しますが、昔は飛田大門前という駅もあったそうな。
モロじゃがな。では、また。

 




Re:サンマルクカフェ  投稿者:堀 晃  投稿日:2009 5 8()053730

  返信・引用

 

 

ひょっとしたら前は「南海パーラー」だった店でしょうか?
天王寺駅の2階なんてずんぶん前(20年以上)から行ってないもので、記憶が曖昧。
南海天王寺支線……廃線になってもう16年ですか。
地下鉄から階段を上がったところに遠慮がちにあった南海の改札がいつの間にかなくなっていた……という印象ですね。

 




南海電車天王寺支線  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 8()012911

  返信・引用  編集済

 

 

かんべむさしさんの大阪ランダム案内、今回は南海電車天王寺支線が取り上げられています。おお、そういえばありましたね。完全に忘れていましたが、ちょっと懐かしい。
丁度現在の17・18番ホームの奥に駅があったと思うのですが、この路線には一度も乗ったことがなくて、したがってホームに入ったこともなく、よく覚えていません。天王寺駅自体は大学時代と社会人になってからも毎日通っていたのですけどね。

ここでひとつ知識をひけらかしたいと思います(笑)。現在ステーションプラザの2階に入っているサンマルクカフェは、正式な店名が「南海天王寺駅店」というのをご存知だったでしょうか?
おそらく、もともと南海天王寺駅構内で営業していたお店なんでしょうね。それが(権利を持っていた?)駅の廃止に伴い、同じタイミングで改装なされた駅ビルに入居したということではないか。だからどこにも南海電車がないところに「南海天王寺駅店」があるわけです。
というのが、この謎に対する私の推理であります(>誰でも気づくって(^^;)。

今調べたら、天王寺MIOは天王寺支線の駅跡地に建てられたもので、その関係でか、南海電鉄が35%出資しているようです。
や、ステーションプラザも南海が20%出資していますね。なるほど路線自体はなくなっても、権利関係は残っていたりするということなんでしょうね。

 




「伽耶と倭」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 7()225944

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朴天秀『伽耶と倭』(講談社選書メチエ07)読了。

きれいに整理されているので見通しがよく、すーっと頭に入ってくる。いまやきわめて細かい対応性にまで、この分野は進んでいるのだなあ、とびっくり。事実関係はとてもよく分かりました。

私は、半島南端で前方後円墳が発見されたあたり(80年代初頭)で離れてしまったのだが、当時は前方後円墳=倭の墓制という決め付けから、南端部にも倭人がいた→いや大和朝廷が支配していた証拠という捉え方をされていたように思います。

実際著者も前方後円墳は倭人の墓制であることを認めている。ただ解釈がちょっと違うようです。それは後で触れるとして、出土物の比較研究から、

1)紀元前後から2世紀まで、いわゆる狗邪国(昌原市)と九州北部の関係が密だった。
2)3世紀から5世紀、金官伽耶国(金海市)が加羅地方の主国となり(後に阿羅伽耶)、近畿地方と関係が密だった。
3)5世紀から6世紀前半にかけてに海岸の小伽耶(固城郡)が一時強勢化し(大伽耶と一時並ぶ)、九州と関係が深かった。
4)5世紀中葉から(いわゆる任那滅亡の)562年まで内陸の大伽耶(高霊郡)が加羅を支配し、当時の大和朝廷の版図に広く大伽耶産文物が出土するも、とりわけ若狭福井に厚く集中。この傾向は大伽耶滅亡後は百済によって引き継がれる。

このあとも新羅、百済についても同様の考察が加えられているのだが、きりがないのでこれくらいで。

さて、2)は邪馬台国の時代にあたるわけですが、このとき近畿地方との関係が卓越していたということは、やはり邪馬台国畿内説を傍証しますよね(^^;
3)は、一時的に九州勢力が巻き返した? ちょうど磐井の時代(528年)ではないですか。
4)は、はっきり継体朝(6世紀前半)との関係が示唆されます。著者は言葉では明言しませんが、継体朝と河内王朝は別王朝と考えているようです。たしかに考古学の出土物はそれを明示しているように思われます。

といったように、実に刺激的。妄想に誘われないではいられません(笑)
ただ半島の前方後円墳が、突発的な一代限りのものであることから、大和朝廷による半島南部支配の傍証にはなりえないというのは、私も納得ですが、しかしながらその墓に眠る倭人が百済に使える武将であったというのは、もうひとつぴんと来ません。とはいえ葛城の襲津彦とか穂積の押山とかの例もあるので、一概に否定は出来ませんが、腹に嵌まる説明ではない。もうちょっといろいろ考えてみたいところ。そういう意味でも実に刺激的で面白く、妄想のタネにみちた(笑)本でした。

 




「伽耶と倭」に着手  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 7()021231

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朴天秀『伽耶と倭』(講談社選書メチエ07)を80ページまで。内容的にどうやら先日放送されたETV特集のタネ本のひとつのような気がします。ひょっとしたら著者も出演していたかも。メモは取らなかったから確認はできませんが。
正味170ページの本なので、ほぼ半分。朝まで読もうか思案中。連休で睡眠時間は十分足りているし。でも結局今年のGWもだらだらと終わってしまったなあ(ーー;

 




Re: SFマガジンその2  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 6()202553

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> No.1808[元記事へ]

雫石さん

>SFジャパンの月刊化
これは必要ですよね。SF専門誌が(実質)1誌しかないというのが、確かに最大の問題点なのですね。SF読者は、SFMの誌面が気に入らなくても他に選択の余地がないわけですから。
先回NHK的、公務員的と書きましたが、内容の出来不出来と無関係に一定の売上があるという状況は、ある意味税収とかNHK受信料と構造的に相似といえると思います。つまり最近のネオリベ的言い方になりますが
「民間企業では考えられない」誌面になっていないかということです。
それを防止するのが、SFMによる1誌独裁から、SFMとSFJによる2大専門誌制への移行ということになりますね(^^;

マニア性を追及したいなら、つまり民間企業では出来ない誌面をつくりたいなら(私はそれも必要なことと思います)、それは「同人誌」というか、これは私の持論ですが「協同組合制」でやればよいのです。
スプロールフィクションを例にとるならば、スプロールフィクションの提唱者が発起人となって組合員を募り、組合員の出資によってスプロールフィクション専門誌を発行するわけです。そうすれば誰からも文句が出ませんし、今よりもっと先鋭的な誌面が作れるはずです。

そういう2極分化的な方向性を探ることが、これから必要になってくるのではないでしょうか。

>今岡が編集長になったあたりから
ということは、30年間「おかしい」状態が続いているではないですか!
この前知人と話していて、昨今のこの状況で日本人は暴動を起こしてもおかしくないのに、誰も蜂起しない。世界でも稀な、恥ずべき飼い慣らされた民族だ。という話になったんですが、SFサイレントマジョリティも日本人と同じみたいですね。あ、同じか(^^ゞ

 




SFマガジンその2  投稿者:雫石鉄也  投稿日:2009 5 6()045041

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管理人さま

私は、確かに99号から40年毎号欠かさず買って、読んでおりますが、この雑誌がこのままで、いいとは決して思っていません。
管理人さんのいう通り、一部マニア向けの編集で、マニアでない「面白い読み物」を求めて購入している人を、完全に無視する編集方針を強く否定します。
今や、SFマガジンはおおきなファンジンと化しているのではないでしょうか。かといって、私はまだこの雑誌を見捨てはしません。現実問題として、日本にSF雑誌はSFマガジンだけなのですから。そういう意味からも徳間の「SFジャパン」の月刊化を望みたいですね。「SFアドベンチャー」も連載が多かったけど。
SFマガジンは「プロの編集者」の手で編集して欲しいですね。今の編集長の清水というご仁はどんな人か知りませんが。思えば今岡が編集長になったあたりから、この雑誌、おかしくなりましたね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 




Re: SFマガジン  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 5()21481

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> No.1806[元記事へ]

雫石さん

先日はお疲れさまでした(^^)
雫石さんは99号から買い始めて、爾来最新号まで欠かすことなく定期購読されているんでしたね。
実はオールドファンで、そういう「欠かさず」購入されている方の割合は、SFMの実販売数のうち、無視できない比率であるように推測しています。

そういう方たちは、雫石さんはちゃんと読んでおられますが、大部分は「読むところはほとんどないんだけど」「今まで買い続けてきたから」「今さらやめるのも業腹だ」といった理由で惰性で買い続けているんですよね。
私は、そういう方たちに、読まないんだったら(読むに値しないんだったら)、購入を控えて下さいといいたい(^^; これは以前岡本俊弥さんにもいったことがあります。

実際、現在の編集方針を支持して購読している層というのはきわめて少数ではないでしょうか。
だとすれば、オールドファンが購入をやめるだけで、実売数はがくんと落ちるはず。というか「実読者数」が顕在化するはず。そうすればさしもの編集部も少しは慌てるのでは(^^;

雫石さんもおっしゃるように、SFMは上記底上げ層のおかげで、雑誌としては比較的ラクな商売をしています。その分編集部にマーケットリサーチみたいな意識は乏しいのではないでしょうか。
実は多くのSF読者(サイレント・マジョリティ)の期待するものとは、乖離した誌面づくりをしている可能性が高いわけです。一般SF読者ではなく、一部のSFマニア、SFオタクの自己満足の誌面になっている可能性を否定できません(一種NHK的、もしくは公務員的誌面づくり)。だとすれば(私は実際には読んだことがないのですが)某コラムが端的にそれを表しているかも。一般の人は「楽屋話」なんか興味ありませんもの。そんなんに興味があるのは、実際に関係者を知っていたりする・東京在住の・出版社周辺にたむろする・いわゆる「SFゴロ」(ⓒ豊田有恒)くらいのものでしょうから(汗)。

ところで、雫石さんはイーガンを挙げておられますが、イーガンはそこそこ売れているようですよ(^^ゞ むしろイーガンは「一般的」な読者を獲得しうる作家だと思います(ケリー・リンクも)。
それよりも私は、ニュースペースオペラとスプロールフィクションの作家を問題にしたい。一部は本物でしょうけど、基本的に作家として未完成で作品の質も稚拙にも関わらず翻訳されているのは、紹介者が自分の趣味に偏しているというよりも、その視野の狭さ、浅倉・伊藤のようなジャンルを見据えた視野をもっていないこと。そういう紹介者の提示を取捨できない編集部の鑑識眼のなさが問題です。10年後、イーガンは残っていると思いますが、NSOやSPRFから一体何人、SF文庫に名前が残るでしょうか(^^ゞ。

ちなみにスプロールフィクション特集のリストを掲げておきます。

2009
「名高きものども」 クリストファー・ロウ
「蝶の国の女王」 ホリー・フィリップス
「都市に空いた穴」 リチャード・ボウズ
「ローズ・エッグ」 ジェイ・レイク

2008
『蟻の王――カリフォルニアのお伽噺』 ベンジャミン・ローゼンバウム
『卵の守護者』 クリストファー・バルザック
『テトラルク』 アラン・デニーロ
『テオティワカン』 バース・アンダースン
『腸抜き屋』 エカテリーナ・セディア
『眠りの宮殿』 ホリー・フィリップス

2005
「志願兵の州」クリストファー・ロウ
「抱擁もて新しきもの迎ふる神」ベンジャミン・ローゼンバウム
「未来の家」リチャード・バトナー

2004
「ジョン」ジョージ・ソーンダース
「ある日の"半分になったルンペルシュティルツヒェン"」ケヴィン・ブロックマイヤー
「基礎」チャイナ・ミエヴィル
「飛ぶのは未だ越えざるもののため」ジェフ・ヴァンダーミア
「ほかの都市の物語」ベンジャミン・ローゼンバウム

2003
「ドッグズ」アーサー・ブラッドフォード
「ブレイクスルー」ポール・パーク
「私の友人はたいてい三分の二が水でできている」ケリー・リンク
「死んだ少年はあなたの窓辺に」ブルース・ホランド・ロジャーズ
「十月が椅子に座る」ニール・ゲイマン


このなかで今までに本が出版されたのは、本物のゲイマン、リンク以外には、わずかにブロックマイヤー、ソーンダース、ミエヴィルが一冊ずつのみ。しかもハヤカワからは出てないんですよね。SFMが特集して(もう7年、5回も続いているのに)ハヤカワから本が出ないとはどういうこと? SFMとしての「成果」は?
「企画」としてはほとんど成果のない特集というほかなく、結局選択眼が効いていない(自分で取捨していない)と言うことですね。十把一絡げに提出して、「この中に本物があるかもしれないよ」では責任を果たしていない(雑誌に対しても読者に対しても)。編集者ならば、あるいはオピニオンリーダーならば雑魚はいらない、本物をポンと提出してほしい。一事が万事であります。

 




SFマガジン  投稿者:雫石鉄也  投稿日:2009 5 5()162632

  返信・引用

 

 

>SF雑誌ではあるがSF小説誌ではもはやない。

まったくその通りだと思います。まさにわが意を得たりと思いました。
私と管理人さんとは、SFマガジンおよび早川書房の評価に関しては、少々見解が違うところもありますが、SFマガジンに関しては管理人さんのいうとおりです。
単行本の原稿のストック用としての雑誌という機能にかんしては、SFマガジンに連載が掲載されるのは理解できます。手元の2009年6月号を見ると連載が4本。いくらなんでも4本は多すぎます。私もブログで苦言を呈しましたが、
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/d/20090129
1本にして、そのぶん短編を増やすべきですね。コラムの分量に関しては、私はこれでいいと思っております。ただ、先日の酒席で話題となった、某翻訳家兼メッタ切り稼業の人のコラムは要りませんね。SFマガジンは商業誌ですので、かようなファンダム感覚を持ち込んで欲しくありません。楽屋話には興味なしです。このようなコラムを書きたければファンジンで書いてちょうだい。
雑誌が売れない中で、SFマガジンはある程度の売り上げは確保しているでしょう。私のようなコアなファンが確実に買うから、いたしかたないのですが、
最近、マニア向けの傾向が強くなってきました。確かに、円城塔やグレッグ・イーガンはマニアには喜ばれるでしょう。しかし、マニアで無い人が読んで面白いでしょうか。
日本でただ1つにSF雑誌なんだから、もっと門口を広くして、「SFへの入り口」としての機能も、持たせるべきですね。
森編集長がやった仕事を参考にすべきですね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 




「警察小説大全集」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 5()141025

  返信・引用

 

 

1)戸梶圭太「闇を駆け抜けろ」
2)永瀬隼介「ロシアン・トラップ」
3)白川道「誰がために」
4)乃南アサ「とどろきセブン」


1)は初期の筒井を彷彿とさせるスラップスティック。ムチャクチャで、吹き出すところ多数。暗くて重い作品の間に置かれているので、丁度よい気分転換になります。

2)は、これまた道警稲葉事件を下敷きにしたもの。警官の妻でチンピラの幼馴染と出奔した元水商売の女の視点から、組織が「必要」により生んだ悪徳警官、その部下で宮仕えの悪しき体質から上司に追随する上記妻の夫、悪徳警官が取引する日露混血のロシアン・マフィアらの入り乱れる抗争が捉えられる。その意味で(視点が外部にある点で)警察小説ではない。
かといって犯罪小説というほど、警察に対する側に肩入れもしておらず、題材的に冒険小説に収まるのかな。
いずれにせよ全体的にはどこかでお目にかかったシーンや人間描写等、書き飛ばしたような安直で荒っぽい筆法で、あるいは書き飛ばしたというよりも、書くのが追いつかないといった感じだったのかも。つまりそんな感じでストーリーに疾走感があり、リーダビリティは本誌ではもっとも高かった。とりあえず「枠」からはみ出した人間の「クズ」しか登場しない小説で、なぜ警察小説が息苦しく感じるのか、逆によく分かった。つまり警察小説はよくも悪しくも「四角四面」なところがその契機としてあるのですね。

3)は「教科書的」な小説。あらゆる意味で欠点というものはなく、文体も端正。つまり典型的四角四面小説。面白く感動もするが、つづけて読みたいという意欲は発動しない。

4)はむしろ新人警官(巡査と)の日常小説といったようなもの。興味は警察機構になく、社会問題になく、事件の謎にもなく、明るく朗らかな性格を付与された、すくすくと育った個人としての若い警官の(ある意味)成長物語。

以上で、
『警察小説大全集』(小説新潮平成16年3月臨時増刊号 04)読了。
いや読みでがありました。小説10篇、非小説3篇で360ページ、約1000枚超だから当然か。とにかくSFマガジン3冊分くらいの感じ。SFMは長編連載とコラムが無意味に多すぎですね。SF雑誌ではあるがSF小説誌ではもはやない。

 




ひきつづき「警察小説大全集」から  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 4()225344

  返信・引用  編集済

 

 

貫井徳郎「ストックホルムの埋み火」を読む。

ネタを割るので注意。

最初、何でスウェーデンなんだろうと訝しく思ったのだが、なんと、あのベックさんの息子の話なのだった。
それはなかなか意外感が効いてよかったんだけれど、肝腎の内容は、パズラーの造りで、しかも食傷しきっている叙述トリックだったので、がくっ。
警察小説とはジャンル違いやん。いやまあ警官が主人公だから警官小説ではありますが。
犯人の父親へのコンプレックスと主人公のそれを重ね合わせたのはなかなかのテクニックだが、結局のところセカイ系の話なのですね。社会性が希薄だとホラーっぽい読後感しか残りません。

 




「警察小説大全集」から  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 4()182011

  返信・引用  編集済

 

 

1)井家上隆幸「警察小説を歩くための完全ガイド」
2)
北芝健「元捜査官が読み解くリアリティー」
3)
今野敏「刑事調査官」
4)佐々木譲「逸脱」
5)柴田よしき「大根の花」

を読んだ。

1)によれば「警察小説」には二つのパターン、ひとつは「名探偵としての名警官」、もうひとつは「警察の集団的な捜査活動を踏襲するチームプレーもの」があるということで、なんだ、私が考えていることなんぞハナから周知であったということですな。
で、後者の例として(当然ながら)「87分署」が挙げられるのですが、公安に対する反権力意識という意味では「マルティン・ベック」シリーズを読むほうがいいみたい。それにしてもこれだけずらりとガイドされると、逆に引いてしまうのも事実。今さらなあ、という気にもなってきます。若いSFファンもこういう気持ちを味わっているのか知らん。

2)はタイトルどおり元捜査官によって個別作品のリアリティが検証される。どうも私の考える警察小説に一番近い日本作家は佐々木譲みたい。

3)はプロット自体はリアリティある捜査活動が描かれているのだが、肝腎の「小説」が駄目。下手。いわゆる小説の剥製で、作中人物はまるで(役割を割り振られた)ゾンビのよう。女性の心理調査官(プロファイラー)という設定も浮いている。別にプロファイラーでなくても女でなくても話は一貫するのではないか。

4)は、件の佐々木譲。やはり面白い。現実にあった北海道警稲葉事件の余波で、道警がまさに「お役所仕事的」配置転換をやった結果適所から適材が消えた状況を背景に、アメリカ小説的な地方都市の澱みが浮かび上がる。結末が偶発であるのは弱い。私は殺された子供の母親の復讐かと思ったのだが。それでは「小説っぽい」ということか。

5)は、いかにも女性作家らしい心理を読む推理が面白いのだが、これはラストがいかにも作り物めいていて(小説ぽくて)やや興ざめだった。4)とは逆のことをいっている。我ながら勝手だ(^^;。

しかし日本の警察小説は暗い話ばかりだなあ。それに小さい。ちょっと満腹してきた。思うに、私は犯罪捜査が結果的に「巨悪」を暴いてしまうような、「スッキリする」大きな話を読みたいんでしょうな。

 




「さよなら、卑しい人」  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 4()131416

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昨日は、GW吉例風の翼大宴会に出席。楽しいひとときでした。
ところで野村恒彦さんの『神戸70s青春古書街図 』ですが、amazonでは現在、取り扱い不可になっており、マーケットプレイスでとんでもない値付けで出品されております(ちなみに定価1260円に対して2761円+送料340円)。

私自身、最初7&Yで注文したところ版元品切れの返事があり、あわててamazonで若干部在庫があるのを確認してようやく入手するを得た(その後ほどなくamazonの在庫も売り切れました)経緯があります。そういう次第で、もう売り切れてしまったんだろうな、と考えていたのですが、席上で野村さんご本人に伺うと、版元に返本分等若干部数在庫がのこっているはずだし、たとえ切れても野村さん手持ち分がまだ十分にあるとの事です。

そういうことですので、これから購入を考えておられる方は、間違ってもハイエナマーケットプレイスには手を出さないように。くれぐれも版元に問い合わせるか、著者ご本人に直接注文してくださいね(あ、ジグソーハウスさんに在庫あるようです。もし切れても著者とツーカーなので取り寄せしてくれると思います)。

ハイエナの諸君は、あと10年かかえていなさい。そうすればその値付けが正しい時が来るでしょう、とご忠告申し上げます(^^;

 




「毒薬」読了  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 2()21207

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エド・マクベイン『毒薬』井上一夫訳(ハヤカワ文庫94)読了。

巻末解説によれば、本篇は
「シリーズでは、小品といっていいスケール」らしいのですが、なかなかどうして十分に広がりのある話でした。本篇の実質的な主人公はマリリンという強烈な印象を残す謎の美女。(本人の弁によれば)途方もない経験を重ねてきた彼女は、稀代の毒婦なのか、それともその言葉をほんとうに信じてよいのか、読者はその謎にやきもき最後まで引っ張られてしまう。まさに人気シリーズの看板に偽りなしのストーリー・テリングです。

ところで、この「87分署」シリーズによって警察小説というジャンルは開始されたというのが定説らしいのですが、かく云うところの「警察小説」とは、ミステリ読者には今さらかも知れませんが、捜査に当る警察官が、従来の、警察機構とは無関係な個人的な才能(神のごとき名推理)によって謎を解くミステリとは違って、当の警察官が、実は警察という組織の構成員(宮仕え)であるという事実を、一種の制約として小説の構成に必須の条件として盛り込んだものといえます。
捜査官といえどもスケジュールにしたがって3交替し、休日もとる。捜査令状を取るためには書類を作り、場合によれば却下される。そういった日常業務の一環として(当然単独ではなくチームとして)、ある事件が解決するまでの物語が語られる。すなわちハードボイルドとはまた別の意味で「リアリズム」小説であるわけです。

ただし本篇では、捜査の過程で担当警官が被疑者と同棲してしまうのですが、まあ日本的な常識では、そういうことが発覚した段階で、その捜査官は担当を外されるのではないかと思う。でもそれではストーリーにならないからか、そのまま捜査を継続するのは、リアリズムとしては画竜点睛を欠いているようにも思いましたけれども(^^;

で、そういうリアリズム小説である警察小説は、必然的に捜査主体の存立背景たる警察組織自体の腐敗(悪)への目配りが(形式的にも)可能となるはずで、そのような意味での警察小説を、ひとつの理念型(理想型)として捉えたいというのがあります。残念ながら本篇はそのような両義性はなかった。本篇では、作中で刑事の3類型が示されていますが、組織自体は健全という設定です(^^;

『警察小説大全集』からは
逢坂剛「昔なじみ」を読みました。雑誌小説特有の頽落した作物で、いわゆる小説のための小説というべきものであり、これはつまらなかった。

 




ドラマ木枯し紋次郎  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 1()231011

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いま、見終わったところですが、いやよかったですねえ。皆さんはどうだったでしょうか?
最初は江口洋介紋次郎、違和感ありまくりでした。どうしても初代と比べてしまうわけで、まず声に貫禄がない。身のこなしも(殺陣も含めて)重かったかな。渡世人はもっと腰からすっと動かねば。道中合羽がちょっと長かったような。それでよけい動きがもっさりと見えたかも。でも終わってみれば、これはこれで及第点だったと思いました。好評だったらシリーズ化されるのでしょうか?

テーマ曲を踏襲したのも正解→http://www.youtube.com/watch?fmt=18&feature=related&v=HI4vbfJhsNw&gl=JP

 




横山秀夫「暗箱」  投稿者:管理人  投稿日:2009 5 1()202924

  返信・引用

 

 

というわけで、87分署シリーズ『毒薬』に着手。面白くて150ページまで一気に。

『警察小説大全集』からは、
横山秀夫「暗箱」を読みました。リアリティ溢れる重い秀作。ただインサイダー小説的な警察小説ではありませんでした。主人公の警察官のとった行動は、組織の一員であることが契機になってはいるが、基本的に警察小説ではなく「警官小説」というべき。

 



 

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