ヘリコニア談話室ログ(20106)




「マイルスvsコルトレーン」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月30日(水)22時09分4秒

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中山康樹『マイルスvsコルトレーン』(文春新書10)読了。
どちらも1926年生まれの同年齢というのにまずびっくりさせられました。この同い年のふたりが、いかにしてそれぞれの道をたどってジャズジャイアントとなっていったかを、子供時代から晩年まで、並列的に記述するという手法で追いかけています。
この視点がなかなか斬新で、スタートで一気に飛び出した軽快なウサギを、後ろから鈍重なカメが、何につけても
「時間をかけて」(80p)こつこつと、ある意味「意識せざる意図的な遠回り」(105p)をしながらも着実に追いかけ射程に捉え、追いつき、追い抜いていくわけです(本書は67年までトレース)。
更にはその二人の背景に配置された、ふたりに対してそれぞれ異なる影響を与えたバード、モンク、オーネットらとの絡みも実に興味深い。パーカーが20年生まれで、ふたりとわずか6つしか違わなかったというのも驚きで、いかにこの二人によってジャズがとんでもない加速度で進化させられていったかが得心させられます。

内容的には、著者の他の著書で読んだことがあるような部分も多いのだが、それが二者を並列する視点から再話されるとまた新しい興趣があります。
これはまあどうでもいいことですが、アルバム「エクスプレッション」について、
「同名の曲が収録されているわけではなく、おそらくはコルトレーンの「思い」を反映した言葉だったのだろう」(234p)というのは事実誤認ですね。ただ「エクスプレッション」を「アブストラクトな静寂」と表現しているのは言い得て妙。一体に著者は「アセンション」系列が気に入らないみたいで、そこから「エクスプレッション」の「段階に歩を進めた」が、そこで「未来は無残にも断ち切られる」(242p)との見方ですが、コルトレーンはその後に「オラトゥンジ・コンサート」でアセンション的な演奏を残しており、一面的な見方ではないかと感じました。著者の論理でいえば、トレーンは、アセンション的な狂熱でもって「エクスプレッション」的静謐を表現したかったのではないか。両路線の融合こそ最終目標だったのではないだろうか、と今思いつきました。まあ私は「アセンション」を代表作と考える立場であり「エクスプレッション」のアブストラクト部分はもひとつと感じている者なので(^^;

とまれ読み物として大変面白く、堪能しました(^^)。

フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『金剛石のレンズ』に着手しました。

 




「創造者」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月29日(火)21時26分30秒

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【今日の名セリフ】「地理院は一枚の王国の地図を作製したが、それは結局、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬものだった」
「眼瞼に浮かぶが わたしの書庫の本のなかには/決して開くことがないと思われるものがある/この夏でわたしは五十歳を迎える」(「博物館」)


ホルヘ・ルイス・ボルヘス『創造者』鼓直訳(国書刊行会75)読了。
後半は詩篇でした。分かち書きされているのですが、分かち書きを外せば散文詩といってよいもので、そうすれば前半の幻想掌篇とそんなに印象は異なりません。
本書はボルヘスが、書肆の執拗な求めに応じて篋底をかき回し寄せ集めたものを整理し直したものとのことで、著者自身「雑録集」であるといい、
「とりとめのない寄せ集めと見えるこの雑纂ほど個性的なものはないと思う」(「エピローグ」)、「わたしには最も個性的に思われ、わたしの好みからいえば、おそらく最上の作品なのである。その理由は至極簡単、『創造者』のどのページにも埋め草がないということである」(訳者解説に引用された「自伝風エッセー」)と、言い訳めいて繰り返しているのは、やはり著者の裡に、本書を「雑録」、「寄せ集め」と思われる危惧があったからでしょう。実際本書の諸作は、ボルヘスにしては直截的でたくらみの度合いが比較的浅い。しかし逆にその分素直で読み易いものとなっているわけで、ボルヘスらしさは随所に味わえたのでした。

そういう次第で意外に早く読了してしまい、書店に寄って物色していたら、『マイルスvsコルトレーン』という新書がありました。ペラペラめくってみると、なんと「セロニアス・モンクの影」という章が……。モンクに目覚めたこの時期に、これはシンクロニシティであるな、と運命を感じ(嘘)即購入しました(笑)。半分読む。面白い。喫茶店で読み耽ってしまいました。

 




産経新聞に眉村さんのインタビュー記事

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月29日(火)17時24分39秒

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今朝の産経新聞(6月29日付朝刊)文化面「知と美の宿るところ」に、眉村卓さんの「アイデア逃がさない手帳」という、天王寺動物園に於けるインタビューの構成記事が掲載されました。シマウマの前で手帳片手に宙を睨んで想を練る眉村先生の写真も(>それにしてもなぜに動物園?)(^^;
縦開きの手帳って、なんとなく吟行に最適そうですね。この記事にもありますし先日も書きましたが、眉村さんは日記も兼ねたメモ帳を40年来付けておられ、先日の神戸文学館での講演の打ち上げで伺ったところでは、すべて保管されている上、現在に近づけば近づくほど精細な記述になっているそうです(ハヤカワ文庫版あとがきの自作評の原型は当然これです)。眉村先生の評伝を考えておられる方は、まずこの手帳の読破が前提ですね! 有意のライターさんの奮起を促したいと思います(笑)
あ、私はそういうことに関心も時間もありませんというかそもそも能力がないのでしたくともできませんということを、念のためここにはっきりと言明させていただくのであります(^^;

 




「創造者」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月28日(月)21時48分45秒

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【本日の名セリフ】「しかしそれらの作品はわたしの救いにはならないであろう。おそらくその理由は、優れたものはもはや誰のものでもない、もう一人の男のものでさえなくて、言語もしくは伝統に属するからである」(「ボルヘスとわたし」)

大長編を読みきったらお腹いっぱいになってしまい、膨満感で暫く読書意欲が減退していたのですが(蒸し暑くなったことも影響している)、少し戻ってきました。そろそろなんか読み始めようかな、長篇は暫くいらないなあ、短篇がいい、それもごく短いの、ショートショートか掌篇集、そういえば下半期は翻訳物を読もうと決心したんだったな……

ということで、J・L・ボルヘス『創造者』を選択。ちょうど半分読みました。最初は幻想風味だが私的回想的なエッセイが並んでいたのが、次第に幻想掌篇らしい作品が勝ってきて、面白くなってきました(^^)。

 




Re: ミステリオーソ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月27日(日)21時54分20秒

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> No.2545[元記事へ]

道南さん、堀さん

北海道ですか。いいですねえ。実は私の母方の祖母が開拓団で空知へ入植したそうです。もちろん両親に連れられてでしょうが。あながち縁がないわけではありません。ただしその後満州へ渡ったらしい。あれ、逆だっけか。とにかくどっちかで失敗しどっちかで成功して内地に戻ったんです。
わずか祖母の代でもこんなにあやふやになってしまうのだから、応神五世孫なんてまず信用できるはずがありませんね。

 




Re: ミステリオーソ

 投稿者:堀 晃  投稿日:2010年 6月27日(日)20時04分36秒

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> No.2544[元記事へ]

道南さんへのお返事です。

>JERICHOにもいらしていたのですね。

道都にも西南の港町にも、行きたい店がいろいろあったのです。
マイク・モラスキーさんがうろうろしてるんですよね。
今度は邪魔な随行者なしで行きたいです。
道都の「Bossa」(オモテを通りました)とか西南の「バップ」「想苑」とか。
近い将来、また行くつもりです。

ごく私的書き込みご容赦を、管理人さん。

 




Re: ミステリオーソ

 投稿者:道南  投稿日:2010年 6月27日(日)18時23分22秒

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> No.2542[元記事へ]

堀さんは管理人さんの前週に行かれたニューサントリー5の数日後には道都のJERICHOにもいらしていたのですね。
お見かけできたら御挨拶したかったですが、そうそう再来道される機会もないのでしょうね。

久しぶりにこの掲示板にお邪魔させていただきましたが、私、昨春の転勤にて北海道に戻り、今は道都におります。
西南の港町にも数年前まで数年間住んでいたことがあるのでした。

 




Re: ミステリオーソ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月27日(日)17時06分49秒

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> No.2542[元記事へ]

堀さん

あ、お知り合いでしたか。それだったらきちんと挨拶して帰るべきでした。立ち上がったとき、丁度向こう側の方と熱心に話しこんでおられたので、わざわざ肩を叩いて振り向いてもらうこともないと、そのままレジへ向かったのでした。

> ぼくは前週には行ってたのですが、さすがに昨夜は雨天で……
それは残念でした。またお会いしましたらよろしくです。

 




Re: ミステリオーソ

 投稿者:堀 晃  投稿日:2010年 6月27日(日)11時28分43秒

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> No.2541[元記事へ]

>隣に座っていたおじさん(仙台だったか、とにかく東北から聴きに来た

某本某郎(←銀行などの記入見本みたいな名前)さんですね、たぶん。
東京時代にもよく来ていて、リタイアして仙台の居を移したものの、年に数回は来はる方です。
ぼくは前週には行ってたのですが、さすがに昨夜は雨天で……

 




ミステリオーソ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月27日(日)10時28分26秒

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昨日はジャズ住職と、1週遅れのSF検討会&デキシー鑑賞会でした。
この掲示板のご常連さまはご存知のとおり、私は最近、youtubeはモンクばかり視聴しています。一度見て、あ、こんなによかったのかと感じ入り、youtubeの他の曲も聴きモンクすげーなとあらためて思ったからなのでありますが、逆にいえばそれまであんまり評価していなかった。実は私が持っているアルバムはモンクのソロ演奏盤で、リズム感がなくさほど気に入ってもなかったのです。ところがyoutube上のチャーリー・ラウズを含むクアルテット演奏は全然違っていたのでした。
住職にいわしめると、ソロ演奏は新しい音の響きを追求するあまり入れ込み過ぎて流れが疎かになるのだが、コンボ演奏ではそう勝手なことをするわけにもいかず、いやでもリズムセクションに合わせざるをえないからではないかとのこと。私もそう思います。その意味で上記のオリジナルカルテットは、モンク以外は出過ぎず(つまりモンクに対決せず)モンクの特異な音をうまく際立たせています。それはチャーリー・ラウズのテナーもで、非常にストレートに吹いてあっさりしている。モンクに絡んでいくことがありません。テナー吹きとしてはどうなのかとも思いますが、モンクのテナーとしては最適であるように思いました。
住職によればモンクのピアノはタイナーとは正反対なんだとのこと。それは私も激しく同意。重層的に音をつらねるタイナーに対してモンクはまるで指一本で弾いているような単音(映像で見たらそんなことはありませんでしたが)という意味だけでなく、モンク-ラウズの構図はトレーン-タイナーのそれとはまぎゃくの関係といえるのではないでしょうか。

というような話を一次会でしていたところ、じゃあタワーレコードへ寄ろうということになり、住職のお奨めの「ミステリオーソ」を購入。昨日は帰館即バタンキューだったのでまだ聞いていませんが楽しみであります(^^)

二次会はいつものようにニューサントリー5でラスカルズを聴く(なんかヨーロッパ公演に行くらしい。デンマークでのステージが今からおそろしとのこと(^^;)。3ステージすべて聴きました。実は2ステージ後帰ろうかと話していたら、隣に座っていたおじさん(仙台だったか、とにかく東北から聴きに来たと言ってはりましたが)が、最後のステージを聴かんでどうする、最後が一番盛り上がるんやで、とのことで残った。はたして大盛り上がり。久しぶりの生演奏を堪能しました。

 




上半期

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月26日(土)12時10分4秒

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今年ももうすぐ折り返し点。ということで読了書リストをまとめてみました。39冊。この調子だと80冊弱/年間か。まあこんなもんでしょう。
しかし、あらためて眺めると海外小説が全然読めてないなあ。ちょっといびつな構成。後半は翻訳ものを攻めるかな。

2010読了書 (39冊)

小説・日本
 06-03)黒岩重吾『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』(中公文庫91)
 06-02)日下三蔵編『日本SF全集2』(出版芸術社10)
 06-01)中原涼『ifがいっぱい』(白泉社91)

 05-07)中原涼『非登場人物』(地人書館89)
 05-06)中原涼『笑う宇宙』(地人書館89)
 05-05)吉田知子『天地玄黄』(新潮社76)
 05-04)倉阪鬼一郎『忍者ルネッサンス!』(出版芸術社10)
 05-03)樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』(徳間書店07)
 05-02)橋元淳一郎『神の仕掛けた玩具』(講談社06)
 05-01)林譲治『進化の設計者』(Jコレクション07)

 04-03)長谷敏司『あなたのための物語』(Jコレクション09)
 04-02)伴野朗『シャンハイ伝説』(集英社95)
 04-01)福田和代『オーディンの鴉』(朝日新聞出版10)

 03-03)永井荷風『あめりか物語』(岩波文庫52、改版02)
 03-02)福田和代『プロメテウス・トラップ』(早川書房10)
 03-01)山尾悠子『歪み真珠』(国書刊行会10)

 02-03)眉村卓『幻影の構成』(ハヤカワ文庫73、元版66)
 02-02)川崎賢子編『久生十蘭短篇選』(岩波文庫09)
 02-01)横光利一『機械・春は馬車に乗って』(新潮文庫69)

 01-05)中井英夫『真珠母の匣』(講談社文庫88、元版78)
 01-04)中井英夫『人外境通信』(講談社文庫86、元版76)
 01-03)中井英夫『悪夢の骨牌』(講談社文庫81、元版73)
 01-02)中井英夫『幻想博物館』(講談社文庫81、元版72)
 01-01)かんべむさし『ミラクル三年、柿八年』(小学館文庫10)

小説・海外

 03-01)山田登世子編訳『モーパッサン短篇集』(ちくま文庫09)

非小説
 06-08)大橋博之編著『日本万国博覧会パビリオン制服図鑑』(河出書房10)
 06-07)小田切博『キャラクターとは何か』(ちくま新書10)
 06-06)楡周平『衆愚の時代』(新潮新書10)
 06-05)前島賢『セカイ系とは何かポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書10)
 06-04)NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト『NHKスペシャル大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』(NHK出版04)
 06-03)森浩一・門脇禎二編『第7回春日井シンポジウム 継体王朝』(大巧社00)
 06-02)寺尾紗穂『評伝川島芳子 男装のエトランゼ』(文春新書08)
 06-01)水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(文春新書01)

 05-02)橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書06)
 05-01)橋元淳一郎『時間はなぜ取り戻せないのか』(PHPサイエンス・ワールド新書10)

 04-01)春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書10)

 02-03)長山靖生『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』(河出ブックス09)
 02-02)筒井康隆『アホの壁』(新潮新書10)
 02-01)石原千秋『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』(河出ブックス09)

 




「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月25日(金)22時32分52秒

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大橋博之編著『日本万国博覧会パビリオン制服図鑑 EXPO'70 GIRLS COLECTION』(河出書房10)読了。

いろいろ忘れていた記憶が戻ってきますなあ。105ページに外国のパビリオンのおねえさんにサインをねだる人が多かった、とあります。ああそうだったなあとうっすらと思い出しました。もちろん私自身はそんな国辱的(?)な行動は取りませんでしたが、そんなことをしている友人もたしかにいました。
それで思い出したのは、外人観光客に英語で喋りかける連中。これは多かったです。英会話の訓練のつもりだったんでしょうか(^^;。
更に思い出しました。当時永谷園のお茶漬海苔に浮世絵カードというのが入っていたのですが(今もなのかな。御茶漬海苔なんて何十年も食べてないので現在の状況は知らないです)、友人のMは相手をしてくれそうな外人さん(主に老夫婦)を見つけては英語で喋りかけ、お礼のつもりでしょうが、当の浮世絵カードをさも高価なものであるかのように「ジスイズ、ジャパニーズトラディッショナルピクチャー」とか言いながらうやうやしく進呈していたのでした。今はっきり思い出したぞ。もちろん私はそんな恥ずかしい国辱的な行為の仲間と思われたくないので、できるだけ近づかないようにしていたんでした。ああ今思い出しても恥ずかしい! そういえば、ニッポンノーキョーが、最近の中国人観光客と全く同様に世界の物笑いになっていたのもこの頃でしたっけ。思えば現代の日本人は、こういう恥知らず怖いもの知らずなバイタリティをなくなしてしまいましたねえ。国力が衰えるはずです(笑)。

 




「北風に起つ」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月24日(木)21時14分55秒

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黒岩重吾『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』(中公文庫91)

ようやく読了。長かった。結局磐井は直接には出てこず。ストーリーは概ね史実通り。補足しておきますが、「史実通り」が即「事実」であるわけではありません。史実とはつまるところ「史書」の記述はそうだということです。ところが日本古代史の場合、「史書」とは記紀と中国の史書以外にありません。細かい部分になると中国の史書は役に立たない。つまり「史実」の拠り所がほぼこの二原典しかない。ところが記紀もこの時代の記述は記紀の編者が参照する資料が多かったのでしょう、意外に矛盾する記述が併記されている。それをどう解釈するかが古代史小説のひとつの醍醐味といえます。

さて本篇は概ね史実通り。つまり継体は大和王権の外戚で、それを根拠に大伴金村に担がれて王朝を継いだという点が、記紀の通りなのです(さすがに応神五世孫は無視しています)。著者はこれを絶対に動かせないフレームとしますが、そのフレーム内では案外自由に書いているようです。著者の創作した人物も何人かいます。
また、たとえば本篇の継体と並ぶ主人公格である稲目は、史実では570年に死んでいます。ゆえに500年代初頭の生まれと推理できます。
継体が金村に担がれた継体が樟葉で即位するのが507年。
ところが本篇では継体が即位する年に稲目はすでに成年となっている。つまり史実よりは少なくとも10歳は早く生まれたという設定です。
一方平群真鳥・鮪の誅殺は史実では仁賢-武烈間の出来事ですが、本篇では継体即位直後、即ち史実よりも10年うしろに移されている。
このようにかなり自由なんですが、フレームは史実を踏襲している。ところがフレームは、上に書いたようにずいぶん矛盾を含んでいるわけで、これを踏襲すると、作中人物の内面も矛盾してくるのですね。言い換えれば内的整合性が損なわれてしまうのです。
もっともこういう弱点は、本篇に限らず、史実に依拠する「歴史小説」自体がその形式に内在させる弱点なんですね。
さらに「現実」の人間自体が矛盾を抱えた存在であるのも事実です。一例として若い頃理性的で泰然としていた人が、年をとるにつれ衝動的で幼児的な性格になることはありうることです。
しかし小説に於いては、そのような人物を描き出すのはよほど読者を納得させる筆力がないといけません。ところが若い頃幼児的で粗暴だった人が経験を積み、年をとって理性的で包容力がある、人々から慕われる人になるという変化ならば、読者はリアリティを感じ受け入れられる設定です。
かくのごとく現実のリアリティと小説のリアリティは別物なのです。ところが歴史小説では、歴史上の人物の行動は史実によって確定している(現実史実のリアリティ)。それを小説のリアリティで以て読者に納得させるのは並大抵ではありません。例としてはあまり適当ではないかも知れませんが、時点Aで溺れかけた息子を決死で救い上げた親が、次の時点Bで川に放り投げたとする。それが史実として確定していたら歴史小説家はそれを踏まえなければならない。AからBへと至る内面を読者に納得させなければなりません。至難です。しかしもし納得させえたら、論理(=史観)を構築しえたら、それは歴史小説の醍醐味となるでしょう。(余談ですがその点時代小説は、時代のみ史実であって作中人物は史実の桎梏を予め回避しています(もしくは格段に小さい)。ある意味チョンマゲがのっていればOKもたいな。だから内面の連続性は(史実の強制がなく)維持されて描かれる。その意味で時代小説の方が近代小説の筆法が成立しやすく受け入れられやすいといえそう)。

結局何を言いたいかというと、本篇はフレームに縛られた分、作中人物の内面が切り紙細工になってしまい、しかもフレームを維持したため、設定(史観)も(ほぼ史実通りなので)意外性がなく、いずれの面でも中途半端な印象を、私は持ってしまったということなのです。

追記。
書き方がまずいですね。私は改変歴史小説を求めているのではありません。外的な史実はそのままに、しかし新しい史観で矛盾なく解釈して驚かせてほしいのです。あ、これって歴史小説にSFを求めてる?(笑)

 




「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」到着

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月22日(火)23時40分32秒

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大橋博之編著『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』(河出書房新社)受け取りました!
おー、こんな本なのか。写真満載。図鑑なのだから当然ですね。これは往時を偲ぶにはなかなかいいんじゃないでしょうか。いや懐かしいなあ、とかいいつつ、実はコンパニオン(ホステス)の制服なんてそもそも全然覚えていないのでした(^^;
何はともあれ、まずはサンヨー館があるかどうか確認(笑)。ありました〜。
しかーし。堀さんの予言どおり。眼目の人間洗濯機が載っていない。けしからん!(>ておい)
冗談はさておき、当の機械だけでも見たかったなあ。
まだ文章のほうは読んでおらず、写真をざっとながめただけでなんですが(帽子とポンチョ風が目立ちますね。このころの流行だったのでしょうか)、その限りでは併しサンヨー館のコンパニオンが一番かわいいな(汗)。この子が人間洗濯機に(>違!!)
や、注目するところを間違えてますね、失礼しました〜。えーしかしまあ、この子っていったって、今や確実に60過ぎなんですよね(当時20歳(短大卒)として60歳、大卒なら62歳)。いやーはるけくもきつるものかなというかゆくものはかくのごとしかでありますなあ。噫。

 




アマゾン・チェイス

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月22日(火)00時44分45秒

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Amazon.co.jp ランキング:: 本 - 5,671位
おおおー! 売れてますやん(^^)ここはかさにかかってもっと宣伝を! しかしなんで河出書房はツイートしないのかな。そのためのツールなんだろうに。おいこら河出、売る気ないんか(^^ゞ

『北風に起つ』は475ページ。磐井登場で渋滞から抜け出した気配。このあたりが起承転結の「転」になるのかな。

追記。
霧島
いかにも生真面目な霧島らしいですなあ。しかしこれを問題にすると、そもそもの賭けの対象になった野球選手自体にも火の手が回ってくるのでは? というかゴルフをするサラリーマンや自営業者は大半ひっかかっちゃいますね。こんなの記事にするなよ。これを書いた記者は身に覚えないんだろうか。しっかり胸に手を当てて考えてみたらいいと思いました(笑)

 




国際大相撲

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月21日(月)20時22分20秒

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琴奨菊よ、おまえもか

29名の名前がすべて明かされたわけではないのでまだ分からないけれども、これまでに名前が出た力士はぜんぶ日本人じゃん(^^;
もしこのまま外人力士の名前が上がってこなかったら、もはや朝やんを断罪する根拠がなくなりましたね。
こうなったら仕方がありません、外国人力士だけでやっていきましょう! それがいいそれがいい。
日本人力士は当然連帯責任で全員馘首。そして可及的速やかに朝やんを呼び戻すのです。日本相撲協会は国際相撲協会に名称変更する。日本人は貴乃花派と反貴乃花派に分裂して、別途、文科省未公認の全日と新日を立ち上げたらいいんじゃないの。それなら暴力団とつるんでも大丈夫(笑)

 




アマゾン・ゲーム

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月21日(月)00時55分40秒

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大橋博之『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』>現時点のAmazon.co.jp ランキング: 本 -7,394位! 昨日が77,076位だったので、一気にひと桁減らしました!
これまで「予約」だったのが「在庫」に切り替わったからでしょうか。この調子で伸ばしていってほしいですね(笑)。

黒岩重吾『北風に起つ』は435ページ。ようやく3分の2。長い。

 




いい加減にもほどがある

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月20日(日)18時23分29秒

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1学級40人から35人へ(読売新聞)

現行の40人というのが、実態とかけ離れているのではないでしょうか。だいたい40人て、我々世代の話ですよ。私の子供が小学生だったのは今から15年ほど前ですが、既に35人くらいだった記憶が。参観日にうしろから見ると、なんか教室に生徒が少くて閑散としているなあ、という感じがしました。

「暴力行為の増加などで生徒指導の負担が増えている」ことも、そうしていく理由の一つのようですが、それに関していうならば、クラスの人数はあまり関係がないように思います。うちの子供たちが通った小学校も荒れた学級があった(実はうちの子のクラスがそうだったのです)。でも荒れてないクラスもあった。よく聞くと、荒れたクラスの担任は以前も荒れたクラスの担任だったそうです。逆にいえばその先生が担任をしたからクラスは荒れてしまった(荒れた学級を細かく調査すれば、同じ担任が複数回荒れさせているという事実が浮き出てくるのではないかと思っています。実際に出ていたりして)。要は教師の統率力の問題なんです。もちろんクラスの人数は少なければ少ないほど管理しやすいのは事実ですが、40人でも余裕で運営できる教師もいるってことです。クラスの人数はむしろ二義的で、まずひとクラスを束ねられる教師を揃えることが先ではないのか。ついでに言えば、クラスの人数が少くなれば教師は楽ですが、斉一化が働きやすくなって爪弾きにされるとそれが強化される嫌いがあるのではないか。むしろ教師が統制できるのなら40人よりも50人クラスの方がいいはずです。

>35人学級が実現した場合、教員は4万人以上増え、地方負担分を含め年間約3000億円が必要になるとの試算もある

3000億円を4万人で割ってびっくり。なんと750万円/人(年収)ですよ。3000億をすべてが人件費だとは思いませんが、大半はそれでしょう。増やす教員は原則新規に採用するわけです。教員の初任給の年収が750万円て、いくらなんでもとり過ぎ。

で、ちょっと検索してみた。→http://nensyu-labo.com/koumu_tihou_syoutyuu.htm
ぴったしかんかん742.4万円(笑)
つまり教員の平均年収(平均年齢43.8歳)を代入しているのです。誰が試算したのか書いてませんが、当然予算が欲しい人でしょう。いかにも公務員らしく、最大値で計算しての予算ぶんどり意識丸見えではないですか。こういう手口って、地方空港の利用客数予測と全く同じパターンですね。テキトーだなあ!それ以上にバカ。こんな数字出したらたたかれるだけなのにね。せめてアホになれよ(^^;
追記。35名の実施率も確認するべきでしょう。最初に書いたようにおそらくほとんどの学校で実質的に既になされているように思います。たとえ実施率が50%でも、必要な費用は半分で済みますね。


小田切博『キャラクターとは何か』(ちくま新書10)読了。

 




「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」ネット書店入荷

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月18日(金)22時50分17秒

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明日は久しぶりに、ジャズ住職と定員2名のSF検討会(&デキシー鑑賞会)の予定だったのですが、急遽仕事(つまり葬式ですな)が入ったとのことで、延期となる。
というわけで、大阪に出る予定がなくなった、『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』はネット書店に注文しました。アマゾンもbk1も既に入荷済みですね。私はセブンイレブン受け取りので注文しました。
[amazon] [bk1] [セブンネット]
なお、上のリンクから購入されても、管理人にアフィリエイト料が入ることは一切ありませんので、安心してご利用下さい!

小田切博『キャラクターとは何か』に着手しました。


 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月18日(金)16時04分17秒

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> No.2530[元記事へ]

雫石さん

おっしゃるとおりです。本人がどう考え、どう決断するかしかありません。
現状、関本は「日本一の控え選手」でしょう。ブラゼルの守備要員にも回れるし平野が調子を落とせばスタートから出場もする。でもユーティリティって結局は便利使いが利くということではないですか。で、誰が効かせているかといえば、これは当然球団です。
関本が、自分は阪神を愛しているので、阪神が優勝するためなら、喜んで便利使いされますと思っているのなら何もいうことはありません。でも一方で、レギュラーで出て活躍したい、とも思っているでしょう。プロ選手であるからにはこっちの方が本音でしょう。

大体選手のほうにいくらそんな愛団精神であっても、球団は編成でぽんとトレードに出してしまうものではないでしょうか。ちょっと力が落ちたら、ケガをしたら、他球団によい選手がいたら交換で、ぽいと排出されてしまう。今岡しかり。濱中しかり。雫石さんが好きな橋本健太郎なんて、まだ1年フルで出た経験のない(体もできてない)新人なのに、新人のくせに驚異的な肩とかおだてて50試合以上も投げさせて(本人も意気に感じて投げ続けて)、案の定翌年は肩を壊して振るわず、結局元に戻ることはなくロッテに放り出された。ロッテでも活躍出来ていません。社員に愛「社」精神はありえますが、会社に愛「社員」精神は絶対にないです!

でも球団、組織とはそういうものなんです(それは非難も否定もできません)。そこをどう見極めるかです。浜ちゃんも要するに「無理」して墓穴を掘った。周囲の期待に聞く耳持たず完全に養生していたら、現状のようなことはなかったと私は思います。

FA行使に対し、球団は年棒アップと複数年で引き止めます。以前野口がこの手で残りましたね。その結果、一番あぶらののっている時期にほとんど出場機会がなく、実戦不足から守備力も劣化させてしまいました。野口は高給をもらった代わりに飼い殺しを了承した。公務員第1号です。関本は同じ轍を踏むのでしょうか?

結局本人の野球選手としての自負がどの程度のものなのかが問われているわけです。「平野の調子が落ちてきたら、替りは関本でしょう」という大方の期待に対して「くそったれ」と思うのか「おう、まかせとけ」と思うのか、ということです。今オフそれが明らかになるということでしょうね。

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2010年 6月18日(金)09時33分8秒

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> No.2527[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

> 話は変わりますが、関本は出るべきですよね。もし出なかったら、公務員関本と呼ばせていただくかも知れません(爆)→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100617-00000019-ykf-spo

関本ですか、関本本人のことを考えたら出たほうがいいでしょう。
しかし、阪神ファンと致しましては、おってもらいたいですね。はえぬきですし。
今年は、たまたま平野が好調だからいいです。でも、赤星のいない今の阪神で、2番を打てる人は関本でしょう。
平野はバントがへたです。器用そうに見えて、案外不器用です。足は速いが盗塁しません。
平野の調子が落ちてきたら、替りは関本でしょう。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:堀 晃  投稿日:2010年 6月17日(木)23時05分57秒

返信・引用

 

 

> No.2526[元記事へ]

>雫石鉄也さんへのお返事です。

別にめでたくもありませんよ。
万博から40年も経ってるし……

ちなみに、人間洗濯機に入ってた女性の着衣とコンパニオンの制服は別物です。
見たいのは前者だけど、おそらく掲載されてないでしょう。

 




眉村さん情報と「衆愚の時代」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月17日(木)22時08分50秒

返信・引用  編集済

 

 

6月29日(火曜)の産経新聞朝刊文化面にインタビューもしくは構成記事が掲載されます。内容はアイデアやアイデアノートについて。天王寺動物園で撮られた写真も掲載されるそうです(^^)

あ、それから眉村先生ご夫婦をモデルにした草なぎ剛・竹内結子主演の映画「僕と妻の1778の物語 」の試写会があったそうです。もう完成したのですね(未確認情報ですが、アポロシネマのパンフレット売り場のあたり(一番上の一番奥)にポスターが貼ってあるそうです)。2時間20分ということで、「用心棒」ほどではないにしても(笑)かなり長尺、期待できそうです。一般上映はやはり来年の一月。カンヌ等国際映画祭に出品されます。まだまだ先の話ですが、それに伴う便乗企画は、秋ごろから活発化する模様。また追って告知させていただきます。


楡周平『衆愚の時代』(新潮新書10)読了。

「北風に起つ」に戻るつもりでしたが、何となくタイトルに惹かれて読みました。あとがきによれば執筆したものらしいが、印象は講演の速記録――なんて今はないですね、テープ起こしみたいな感じでサクサク2時間弱で読めます。
内容は、あからさまにいえば著者の愚痴です(^^;。もっとオブラートに包めば、我々世代の「愚痴」を代弁してくれている、といえるかも。個人的には頷けるところも頷けないところもある。頷けないところは、やはり著者が優秀な大学を出て米国系企業に勤めたエリート(著者の言い方に従えば額にではなく頭で汗をかく人)出身である人特有の偏見が仄見えるところか(それこそが偏見といわれるかも知れないが)。老人テーマパーク論なんて、私なら絶対入りたくない。老人同士で暮らして気が安らぐ筈がないではないか。その辺が頭脳で考えたもので体験の裏付けが弱いと感じてしまいました。投資コンサルタントや株式評論家、エコノミストなんて車券売場の予想屋と同じ、とか証券会社、金融商品を売る銀行なんてヤクザより質が悪いというようなところは納得できます。でもこんなことはみんないってるんじゃないのか。そういうことが結局タイトルに繋がるとしても、ダマされる方が駄目、と直接言っているわけではないのがやや及び腰かも。やはりどことなく中途半端でした。

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月17日(木)17時36分58秒

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> No.2526[元記事へ]

雫石鉄也さんへのお返事です。

おお、雫石さんは7月生まれでしたか。堀さんが6月で私が5月、西さんがたしか4月ではなかったでしょうか。
えーと、てことは7月で雫石さんは……。え、計算しなくてよい? 失礼しました〜。

話は変わりますが、関本は出るべきですよね。もし出なかったら、公務員関本と呼ばせていただくかも知れません(爆)→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100617-00000019-ykf-spo

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2010年 6月17日(木)13時30分26秒

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> No.2523[元記事へ]

堀 晃さんへのお返事です。

堀さんおめでとうございます。
堀さんは6月ですか。
私は7月です。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/

 




フィクション

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月17日(木)11時04分8秒

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『蘇我氏四代の……』は昨日110ページ迄しか進まなかった。
うーん。この人本当に史学者なのかな(巻末略歴によれば史学博士で大学非常勤講師)。以前はその小説的な空想力を好意的に感じていたのですけどね→「白村江」。だんだん関裕二と同類ではないかという気がしてきました、少なくとも本書においてはやりすぎ感が強い。ここまで解釈(深読み)してしまうのは、史書としてはまずいのではないか。勿論小説ならいいわけですが、ノンフィクションの体裁ではまずい。つまり史書でありながら部分的に越境して小説の領域にまで入り込んでしまっているのです。面白いけど。ただ本人にはフィクションを書いているという意識はないのでしょう。真実はこうなんだと確信して書いているようですね。そこがネタとして書く関氏とは違っているかも知れませんが(>より問題かも(^^;)。
ということで、(稲目の段は終り馬子の段に入ったので)一旦中断して今日からは再び『北風に起つ』に戻ることにします。

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月16日(水)20時55分17秒

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> No.2523[元記事へ]

堀さん

>当てつけがましくも、おれの誕生日に!
あわわ、おめでとうございますm(__)m
わたくしも先日誕生日を迎え、ついに四捨五入すると還暦の歳になってしまいました。ちっともうれしくありません。

>この日からしばらく旅に出ることにいたします
どうぞお気をつけて。ボンボヤージュ!
S社の件は、お留守のあいだに私がしかと確かめておきますね(^^;

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:堀 晃  投稿日:2010年 6月16日(水)20時35分54秒

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> No.2522[元記事へ]

>いよいよ6月21日(月)発売のようです。

当てつけがましくも、おれの誕生日に!
この日からしばらく旅に出ることにいたします。

 




「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月16日(水)19時22分24秒

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人間風車ときけば、ビル・ロビンソンの颯爽とした華やかな勇姿が浮かんできます。しかし人間洗濯機では誰もが淫猥な想像をするに決まっています。そんな露わなコスチュームが掲載されているのではないかと巷間話題になっている(いません!)『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』は、いよいよ6月21日(月)発売のようです。大きな書店なら土日あたりから積まれているのではないでしょうか。私は土曜に梅田へ行く予定があるので、そのときさがしてみるつもり。もし見当たらなければネットに発注します。
それにしてもどんな制服が掲載されているんでしょうか。楽しみだなあ(^^;

ところで、どうでもいいことですが家電メーカーのS社は当市に巨大工場が二カ所もあり、地元の雇用に多大な貢献をしてくれている有り難い企業なのです。徒や疎かにできません。(>ておい)

 




ストーリー

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月15日(火)21時11分46秒

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知合いが多角経営で最近焼鳥店に手を出したのですが、昨日は開店以来最低の入りだったとがっくりしていました(笑)。また昨夜11時頃26号線を走っていた別の知人によれば、車は全然通らず、まるで丑三つ時かと錯覚する森閑とした風景だった由。サッカーなんか見たことがないジジババも、昨日はテレビに釘付けだったんでしょうか。さても日本人はみんなと一緒に流されるのが好きなんですなあ(^^;

『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』は350ページまで。なのですが、ここで一旦中断し遠山美都男『蘇我氏四代の冤罪を晴らす』に着手。70ページまで。
『北風に起つ』では蘇我氏=木ら満致後裔説(の変形)を採用しているのだが、本書ははっきり否定している。上記説はいうまでもなく史学界のロマン派門脇禎二が唱えたものです。学説というよりもこうだったらいいのになあという願望・思いつきみたいなものなので、私自身は気に入っている説なんですが、否定は当然。しかしながら実は遠山美都男もロマン派のケがあるんじゃないでしょうか。筆の滑りもなめらかに見てきたように書いているのだが、そんな細かいところまで判らないやろ、という気がしなくもないんですよね(^^; 歴史「ストーリー」を読んでいるような感じが強くします。そういえば先日見た「マルタの鷹」が意外に聞き取りやすい発音で、字幕に「嘘」とか「虚偽」とある部分を、「ストーリー」と発音していて、なるほどなあ、と思ったことでした。いやこれは余談でした(笑)。

 




歴史小説の歴史離れ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月14日(月)22時24分6秒

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決算の書類が出来上がって、明日提出してくるのですが、意外によい数字になってました(^^)。まだまだ手放しで喜ぶわけにはいきませんが、当地にもようやく回復のきざしが波及してきたのでしょうか。ほとんど実感はないんですけどね。

『北風に起つ』は270ページまで。620ページの長編なのでそれでもまだ4割強くらい。ストーリー的には案外自在に歴史離れしています。しかし大枠の「設定」(世界観)は守られている(歴史離れしていない)。どういうことかは読了後に。


 




「北風に起つ」に着手するも……

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月13日(日)20時07分1秒

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ギターの弦を久しぶりに交換しました。10年ぶりくらいか。久しぶりにもほどがありますな(^^;
といっても殆ど触ることがない。なので指も軟弱化しており、今回はナイロン弦にしようかと迷ったのでした。でもナイロン弦は一度も使ったことがなく、またすぐ緩むらしいので、けっきょく慣れたスチール弦にしましたけど。
音はやはり全然違いますね。乾いているというのか、しけった古い弦の音が当たり前だった耳には実に新鮮。しかし悪く言えばキンキンしている。本当はある程度使い込んだくらいが丁度よいらしい(むろん10年は論外)。加川良はコンサートの直前に弦を必ず新しいのに変えたそうで、なぎら健壱によればそれはちょっと異常に神経質らしいのですが、たしかにレコードで聞いてもキンキンしていて、しかし加川にはその音質がよかったんでしょうか。

『北風に起つ』を読み始めたのだが、のっけから違和感が。

 稲目は皮履を脱ぐと正面の客間を通り、正座した。
「父上、御勉強中のところ、申し訳ありませんが、少しお耳に入れたいことがございます」(9p)


これって儒教的価値観に縛られた江戸時代の武士の親子の会話なら分かるんですけどね。五世紀末の日本でこんな会話がありえただろうか、と思ってしまうのです。もっとフランクだったのではないでしょうか。
戦国時代でももっと乱暴な会話をしたんではないかな。たとえば織田信長と家臣団の関係は、中小企業のオーナー社長と部長たちの関係に近かったと思います。命令には絶対服従ですが、普段の人間関係や会話にそんなに身分の違いは反映されてなかったのでは。

というのは私の先入観であって、実際古代でもこのような親子関係だったのかも知れません。歴史小説就中古代史小説を読む際には、このような読者と作者の歴史理解の温度差が必ずあるので、私は歴史小説は意外に苦手なのです。とはいえそういう作者の歴史観を許容しなければ読み進めることはできません。ここは我慢しよう(^^;


 




「セカイ系とは何か」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月13日(日)15時02分11秒

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朝日が巨人戦で読売が阪神戦なのか。なんだかなあ(ーー;

前島賢『セカイ系とは何かポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書10)読了。
本書で言及されるセカイ系以降の小説、映画、アニメ、漫画、ゲーム等のほぼすべてを(正確には「ぼくらは虚空に夜を視る」以外のすべてを)、読書も視聴も体験もしていない私であった(>おい)。てか前史であるガンダムもヤマトだって見ていないぞ。っていばってどうする。勉強になりました(笑)。

 




「座頭市地獄旅」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月12日(土)21時59分6秒

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「座頭市地獄旅」(65)三隅研次監督

前作「逆手斬り」よりは格段に出来がよくほっとしました。前作でいよいよこのシリーズもマンネリ下降線かと心配していたので(^^;。
子役が藤山直子で、やはりさすがでしたが(とりわけ「火の付いたように」泣く演技)、このシリーズ、子供を絡ませると大体面白く仕上がりますね。小林幸子のもよかったし、赤ん坊を送り届けるのもよかった。
ラストで成田三樹夫を(自発的に)斬るのだが、動機が不鮮明。全く説明がないのはトゥーマッチで退けたのか。
ごくふつうには、市は成田が敵討ちの当の相手と分かっても黙っているのではないか。それが次第に成田の正体がバレて、やむなく斬る――という筋書きになるのではないでしょうか。そういう「ありきたり」のストーリーがトゥーマッチなんですかねえ。

 




「大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月11日(金)21時21分8秒

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>亀井さん
何とか会期延長にもちこんで国民を失望させ、参院過半数ちょい割れ程度まで熱を冷ましたかったんでしょうけどね。さすがに民主もそうは問屋をおろさせませんでしたね。これで国民新党も死に体かも。

NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト『NHKスペシャル大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』(NHK出版04)読了。
かたやライバル磐井の墓に石人石馬あれば、こなた継体の墓には巨大埴輪が……。妄想が膨らみますなあ(^^;

順番では黒岩重吾『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』の予定でしたが、ぱらっと見てたら面白そうだったので、箸休めを兼ねて『セカイ系とは何か』に着手。

 




「春日井シンポジウム 継体王朝」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月10日(木)21時25分58秒

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どうでもいいですが、民主党は測ったように、もうこの時しかないという絶妙のタイミングで(小沢を道連れに)鳩山を辞めさせましたね。支持率は跳ね上がり、しかも実際の新内閣の手腕が見極められ、有権者が冷静になって支持率が揺り戻す前に参院選に突入できるわけで、これはもう密議を重ねて辞めるタイミングを計算していたとしか思えません。小沢も動けません。参院勝利すれば国民新党も不要となる(既に社民党は周到に排除された)。もし勝ったら鳩山が最高殊勲選手ですね。おそらく参院選後、退陣プロジェクトの全貌が明らかにされるのではないでしょうか(^^;

森浩一・門脇禎二編『第7回春日井シンポジウム継体王朝日本古代史の謎に挑む』(大巧社00)

内容とは直接関係ないが、森浩一が新羅を例に出して、書紀に数多く現れる「新羅」という名詞は同じでも、その内容は三国の一つのそれの場合もあれば、統一新羅をさして使っている場合もある、大体書紀編纂時には百済も高句麗もないのだから朝鮮半島を漠然と指す場合もある。時々言葉だけの統計をとって研究している学者がいるが、語の内容を厳密に吟味し区分しないと危険である、といっているのは全くそのとおりです。そういうのは「ヤマト」にもいえますね。記紀の中の単語なんて、「大数」のうちには入らないでしょう。十分個別観察が可能なはず。歴史学や文学に統計を援用している論文は、読む方もしっかり気をつけなければならないと思いました。

 




「評伝 川島芳子」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 9日(水)23時24分52秒

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寺尾紗穂『評伝 川島芳子男装のエトランゼ』(文春新書08)読了。

川島芳子って、私にとっては名のみ有名なのですが、その実体については、いまいちよくわかってない人物なのでした。せいぜいが女スパイということを知っているくらいで、しかしそれにしてはスパイなのにレコードを吹き込んだり、小説や映画のモデルになったり、皇室アルバム宜しく動向がマスコミによって報道される。派手な生活や浮名が流される。そんなスパイありえるんかいな、という感じだった。
実際本書を読んでも、川島浪速に引き取られた当初からその行動はマスコミによって晒されていたことが分かる。脇にそれますが、戦前のマスコミも現在のマスコミと変わらず公人や著名人にプライバシーはなかったんですね。
それはさておき、本書を読み、いろんな疑問がすこし解けました。たとえばなぜ男装だったのか。私は単純にそういう性癖だったのかな、などと考えていたところがあるのだが、そんな単純なものではなかった。実父粛親王が亡くなるや否や養父川島浪速に強姦されたのは事実のようであり(それは伴野朗「シャンハイ伝説」にも書かれていた)、その一方で、幼少期に川島浪速の教育もあり、且つその周辺にたむろする大陸浪人たちの日頃の立ち居振る舞いに接して無意識に刷り込まれた国士的価値観もまた、そのような態度を助長したようです。一面で防衛的手段でもあったわけですが、それだけではなく積極的な意味合いもあった。非常に複雑な意識と無意識のなせるものであった。
かと思えば、男に取り入る必要のあるところでは艶やかな着物姿になったりミニスカートを履いたり、甘えてみせたりと、自身の女の部分を十分意識して利用する面があったりもします。こういう一癖も二癖もある自立志向の女性は、ある意味よく見かけますよね。
芳子はマスコミの餌食でしたが、逆にマスコミによって作られた虚像を最大限に利用もした。そもそも男や、場合によっては国家をも、手玉に取ろうとしたわけです。
しかしそんな手法は虚の業というほかなく、そんな手法で達成しようとした清の復興という大目的自体がどう考えても現実的にありえない虚構だった(ここにも国士的幻想が影を落としている)。バブルで成功し湯水のように金を使いまくっていたが結局行方知れずになった人物を知っていますが、その人物を思い出しました(といっても何のことか分からないですね(^^;)。最終的に芳子は日本人からも、中国人からもエトランゼであった事実に直面します。
川島芳子という、いまいちよく分からなかった人物像が、本書を読むことで、とてもよく知っている人物のような気がしてきました。著者による芳子の造形(資料の整理)が立体的で説得力があるからに他なりません。
著者は非常にユニークな経歴の女性ですが、本書の芳子像はそのような経歴(へ至る志向性)と無関係ではないように思われる。一種の共感がそこに認められるように思われます(だからといって美化されているわけではない)。それだからこそ、この評伝は成功しているのではないでしょうか。

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 9日(水)16時28分56秒

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> No.2512[元記事へ]

雫石さん
ご教示ありがとうございます。
>「人間洗濯機」
「人間風車」なら知ってたんですけどね(^^;→ビル・ロビンソン
なるほどあそこでしたか。直感で白物家電メーカーかなとは思ってました。それは当たりました。どんな興行(違)かは容易に想像がつきますね。解りやすい(笑)。ともあれ同じ家電メーカーでも円谷プロを使った三菱未来館とは雲泥の差というかまぎゃくの発想ですね。大阪の企業らしいとはいえるかも。

>神戸文学館
まあ大したものを出展した訳ではないし、届いてなかったらそれこそ問い合わせがあるはず。「便りがないのが無事の便り」と思っていました(>それは意味が違う)(^^;

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2010年 6月 9日(水)09時44分9秒

返信・引用

 

 

> No.2511[元記事へ]

> え? ストリップまがいの「人間洗濯機」のあったパピリオン?
> そんな下品なパビリオンがあったのですか。

ありました。確か、サンヨーのパビリオンだったと記憶します。
70年の万博は私も日参したくちで、8割方のパビリオンは見ましたね。
ソ連館でソコロフの画集を買いました。

PS
私も、神戸文学館にはいくつか本を貸し出していますが、受け取りましたとの書類が
送ってきました。おかしいですね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 8日(火)21時29分41秒

返信・引用

 

 

> No.2510[元記事へ]

堀さん

え? ストリップまがいの「人間洗濯機」のあったパピリオン?
そんな下品なパビリオンがあったのですか。いえ質問しているんじゃないですよ。驚きをあらわす終助詞です(笑)

 




Re: 「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」

 投稿者:堀 晃  投稿日:2010年 6月 8日(火)21時18分12秒

返信・引用

 

 

> No.2509[元記事へ]

『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』

うーーーん、これは……
「おれの心がチクチク痛む」(←橋幸夫「チェッチェッチェ」)なあ。
ストリップまがいの「人間洗濯機」のあったパピリオンのがあるやなしや、書店でチラッと見てまた戻すことにしよう。
なぜ? 訊いてくださるな。
どうしてもというなら個人的にむさしくんに。

 




「日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 8日(火)20時16分56秒

返信・引用  編集済

 

 

神戸文学館SF企画展に、貴重なコレクションをご提供くださった大橋博之さんの著書が、河出書房新社より2010年6月(あ、今月だ)に発売されます。[註]

大橋博之編著『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』
                定価:1,680円(本体1,600円)
                出版社:河出書房新社
                [amazon]
【内容紹介】

■未来から舞い降りたビーナス。

万国博の主役といえば巨大なパビリオンやその展示品だったろう。しかし来場者をエスコートし、影で支えたのは未来のファッションに身を包んだホステス(当時はそう呼ばれていた)たちだった。彼女たちは“動く展示品”といわれた。万国博が未来都市ならば、ホステスたちは未来都市の住人だった。(本文より)

■ビジュアルムックを作ろう。

1970年に大阪で開催された日本万国博覧会は今年、2010年に40周年を迎えた。大阪・万国博記念公園に現存する鉄鋼館が「EXPO'7Oパビリオン」として生まれ変わり、3月13日にオープンした。
http://park.expo70.or.jp/facil/facil_11.html
このEXPO'7Oパビリオンには万国博の資料が数多く展示されている。中でも最大の注目となっているのが、当時のホステスたちが着ていたユニフォームの復元展示だ。
復元展示というプランがスタートしたのは2009年の1月のこと。本書はそれに連動させてビジュアルムックを作る、ということからスタートした。実は一年越しの準備期間を経ている。
その間、様々な想定外のこともあったが、日本万国博覧会記念機構と日本ユニフォームセンターの協力をいただき、EXPO'7Oパビリオンで復元展示されている22のパビリオンのユニフォームを中心に、海外国内のパビリオンも含めた貴重な当時のユニフォーム写真を多数掲載することができた。一番、感激しているのは自分自身だ。
それらの写真を見て、驚いたのは、ユニフォームのデザインは今も決して古びていないということだった。日本万国博覧会の資料として、1970年のファッションの資料として、万国博のファンからファッションに興味のある人たちまで、多くの人に見てもらいたい。


さて、私にとって万博コンパニオンのユニフォームといえば、これはもう三菱未来館なのです(笑)
遠足だったか社会見学だったかで万博会場を訪れたとき、コンパニオンさん(あ、ホステスさんというのか)をバチバチ撮りまくったのはいうまでもありません。そのとき一番人気があったのが三菱未来館でした(^^;
後日出来上がった写真をみんなでわあーわあーいいながら品定めしていたら、クラスの女子が不興げに寄ってきて、「ふん、ブスやん」と捨て台詞を吐いて去っていったのを、いまだに覚えております(^^ゞ
三菱未来館のユニフォームも載っているんでしょうか。載っていたら嬉しいなあ。

[註]大橋さんを神戸文学館に紹介したのは私ですが、交渉の経緯とかぜんぜん知らせてくれず、一体どうなってるのか、不安になったのでありました(実際に訪館時に、あ、出品されてる!とわかった次第)。というか、私が送った出品物に対しても、受け取りましたという連絡も何もなかったんだよな。まあいいけど。

 




「日本SF全集2」「謎の大王継体天皇」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 8日(火)17時16分50秒

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石川英輔「ポンコツ宇宙船始末記」、高齋正「ニュルブルクリングに陽は落ちて」、河野典生「機関車、草原に」、野田昌宏「レモン月夜の宇宙船」、鏡明「楽園の蛇」、梶尾真治「美亜へ贈る真珠」読む。
この中ではやはり「機関車、草原に」が格別によかった。たぶん30年ぶりくらいですが、こんなに状況説明が多かったっけ、と意外でした。世界SF全集35巻にも収録されているくらいですから、著者としてもSFに参入した最初期のものなんでしょう、そのせいで一般的なSFの筆法にいささか引っ張られたのかも知れません。通常はこんなに説明をしない作家だと思います。本篇も外的解説をとっぱらっても(シチュエーションの前提が不明でも)ストーリーは十分つながりますし、その方がすっきりするのにな、と今さらながら感じました。 ということで、
日下三蔵編『日本SF全集2』(出版芸術社10)読了。

ひきつづき、
水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(文春新書01)読了。

 




「七人の侍」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 7日(月)00時16分43秒

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黒澤明監督「七人の侍」(54)

圧倒的な傑作! そりゃあ斯界の名匠たちが影響を隠さないのも頷けますね。とうぜん志村喬の存在感が群を抜いているわけですが、「陰」の久蔵の宮口精二もよかった(「陽」はむろん三船敏郎。鉄板の三角形)。しかし木村功は見終わってキャストを見るまで全然気付かなかった(^^; この長篇小説なみの重厚さと拡がりは、やはり200分という尺に与っているのは間違いなく、あんまり長い映画は苦手なんですが、この映画は時間を忘れて全く退屈しませんでした。これを見ると「椿三十郎」や「用心棒」は縮小再生産品。ということで、今さらで恥ずかしい限りですが、本作以前の作品を暫く追いかけてみるかも。

 




「日本SF全集(2)」より(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 6日(日)12時50分37秒

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荒巻義雄「柔らかい時計」、山尾悠子「遠近法」、鈴木いづみ「アイは死を越えない」読了。

前二者は共にそれぞれの作者を代表する傑作で、どちらも初出誌(但し「別冊新評」と「SFM」)で読み初刊本で読み初刊版はもうなんども読み返している。けれども並べて読み返したのは初めてで、それで改めて気づいたのですが、両者とも共通して話者が作品世界から何程か距離があること。山尾作品では知人の(から預かった?)小説の草稿という形式ですし、荒巻作品では話者である私と作中の<ワタシ>は分離されている。この事はSFマガジン版には明示されているのだけれども、初刊本に収録される際に削除されています。作中で<ダリ>がダリではない(と記述されている)のですから、<ワタシ>と私の関係をことさら明示する必要はないという判断でしょうか。
これらは作品世界を「事実として語らない」態度の現れにほかならず、この掲示板でなんども書いている幻想小説の契機と私が考えるところの小説世界への「到着」と同じ機能を持たされているのだと思います(ちなみに石原千秋によれば、ケータイ小説では小説世界は「事実である」ことが必須の要素らしい(^^;)。
ごくストレートなSFが、その作品世界を「現実」に擬して描く(エクストラポレーションはまさにかかる態度が前提となっている)、もしくは全然意識しない、のとは違って、そこには強烈な(現実とは切断された世界であることへの)こだわりがあからさまに主張されているというべきでしょう。
山尾のばあい、それが「著者のことば」にはっきりと表現されているのですが、荒巻の場合はその自覚性は明瞭ではない。というか幻想小説も含めてSFと理解しているんでしょうね。

「アイは死を越えない」は初見。というか鈴木作品を初めて読みました。何となく先入観で後回しにしているうちに今日まで来てしまったという感じなのですが、こういう作風だったのか。本篇のメインアイデアは「生命移植」ですが、あたりまえのSFの発想では、「生命移植」というアイデアがまずあって、それが投入された結果がエクスポラポレーションされる、という順を踏んで書かれる(というのがタテマエになっている)のではないかと思うのですが、本篇はむしろラストの「心的」場面(テーマ)が先にあり、それにふさわしいガジェットとして「生命移植」というアイデアが思いつかれたという印象が、私には強い。つまり方法論としての向きがSFとは逆向きなんではないでしょうか。その意味で(表層的なイメージとは逆に)ニューウェーブっぽい作風なのかな、と感じた。ただそれが自覚的なのかどうかは一作では分かりませんね。もちろん発表された作品は作家の手から離れて自立したものなので、自覚的であろうとなかろうと、読者は作品自体を存分に楽しめばいいわけですが。作品集を読んでみたくなりました。

追記>あ、誤植情報書き忘れた。

「遠近法」227p上段 ×「欠席」→◯「欠落」。底本版で確認済み。
「柔らかい時計」194p下段 ×「ビルバート氏」→○「ギルバート氏」。底本未確認。初刊本にはそもそもない一語。

 




「マルタの鷹」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 5日(土)22時26分25秒

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ジョン・ヒューストン監督「マルタの鷹」(41)を観ました。ハンフリー・ボガード主演。
サム・スペードの造形は、当初、カネにがめつくビジネスのためには手段を選ばない無頼漢の面が強調されて描かれているのだが、ラストで探偵なりの倫理観が示される。今では既にお約束の展開かも知れませんが、しかしそれが示されたことで、事務員のエフィー(リー・パトリック)のスペードへの全幅の信頼・全く疑わない態度が、不自然でないと納得できるわけです。ラストはある意味解決になっておらず、ただし探偵(業従事者)の倫理のみが守られる。切ない終幕であります。

 




「継体大王の時代」展

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 5日(土)19時03分52秒

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近つ飛鳥博物館で現在開催中の「継体大王の時代」展に行ってきました。→http://www.mediajoy.com/chikatsu/index.html

以前から開催されているのは知っていたのですが、取り立てて見に行きたいというわけでもなかった。ところが、たまたま今日は170号線(外環)で四條畷方面へ行く用事があり、そうだ丁度よい機会だから寄ってみようと思いつき、帰路立ち寄ってみたのでした。近つ飛鳥博物館に行ったのは初めて。公共交通を利用するのはかなり不便。平日車で行くのが正解でしょう。
展示自体は、まあこんなものでしょうか。別に新説がフィーチャーされているわけではなく、ある意味ありきたりの感じがしましたが、展示された考古品それぞれには実物ならではのインパクトがあり、おそらく後日関連図書を読むとき、理解が深まると思われます。手持ちの継体天皇本、みつくろって読み返してみようと思ったことでした。

 




Re: へへえ。そうでしたか!

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 4日(金)23時51分32秒

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> No.2501[元記事へ]

あ、かんべさん、読解のヒントありがとうございます。
ヒントを手がかりに、該博な知識はありませんが、ありあまる妄想的深読み能力を以って再読してみたいと思います(^^ゞ
読み返す前の思いつきで言えば、どちらかが朱子学で他方が陽明学で、ガテン集団が蘭学でしょうか? その前にまずは岩波の「朱子学と陽明学」あたり押さえとくべきか(笑)

 




「日本SF全集2」より(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 4日(金)23時39分11秒

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堀晃「アンドロメダ占星術」を読みました。
ここまで読みすすめてきた作品は、一篇をのぞいてすべて再読なのですが、あまりに昔のこととて、ほとんど内容を忘れていて、おかげで初読も同然なのでした。
ただ「真夜中の訪問者」と本篇だけは、ある程度内容を覚えていた。それなのに今回もまた、その世代宇宙船(宇宙島)の背後から掴みかからんばかりにその指を伸ばして迫る、巨大な赤い「それ」のイメージに圧倒されてしまいました。これぞセンス・オブ・ワンダーというべき。

しかも初見ではないのです。そういう場面があったことも忘れていない。それであってなおこの圧倒的な映像迫力――ということは、今後何度読み返してもセンス・オブ・ワンダーは弱化しないであろうことを予想させるわけです。それはなぜか?
私は著者のハードSF(の映像)に、強烈な「詩情」を感ずることが多いのですが、例えば本篇のように相対論的効果で空間が偏る現象を小説のなかにリアルに映像化したハードSF作家は他にもあるでしょう、しかしそのようなリアルな映像に(ある意味背反的な)「詩情」をひそませ得るのは著者しか思い当たりません(あ、クラークもそうですね)。そのようなプラスアルファが、著者のハードSFに一種の永遠性を付加するのだと思います。

それかあらぬか著者の宇宙小説は、しばしばハードSFでありながらまるで幻想小説というか散文詩を読んでいるような感じにさせられます。むしろ私の裡では著者は幻想小説作家のひとりとして分類されている。そのように感じさせる一種独特の何かを成分に含んでいるのが、堀ハードSFの他に類例のない独自性のように思われます。

余談ですが、孫悟空とお釈迦様のあの話を思い出したのは私だけでしょうか(^^;

 




へへえ。そうでしたか!

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2010年 6月 4日(金)21時12分30秒

返信・引用

 

 

弁証法とは知らなんだ。
一遍、その該博なる知識と妄想的深読み能力でもって、
こないだの、「成程それで合点録」を読解してみてください。
私としては、朱子学と陽明学の構造的対立局面に
蘭学をば乱入させてみたんですがって、嘘でっせ。あはははは。

 

 




「日本SF全集2」より(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 3日(木)22時57分45秒

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かんべむさし「言語破壊官」読みました。
いやこれは凄い。巻末の解説風座談会に「実験SF」とあります。山岸さんが喝破したように
「(著者の)実験SFは思考の過程がそのまま書いて」あり、それがそのまま「ちゃんと小説になっている」ところが「凄い」(^^)。実はこの形式自体が、SFの支配的な形式であるところの<事後にマッドサイエンティストがその超越現象を解説する>という<コード>を倒立させた方法論といえるものであって、かかる自問自答によって(ストーリーが)進行していくのは、有体にいって哲学の叙述形式そのものなんですよね。つまりかんべむさしの実験SFの実体は、弁証法のSFへの援用であったといえるでしょう。

さて、本篇において著者の弁証法的思弁が向かったのは「世界」の根拠であります。まず著者は、客観的な存在物として「社会」を、[自然/人工物/人為規定]として措定します。しかしそれだけでは<死んで>いる。それを色付け、励起して生かすのは何か、と考えて、それが(諸人間の)社会を見る<視線>すなわち「主観」であることに思い至る。「世界」は諸人間の視線の交差のうちに<構成される>のだというのです。([註]<>内は私の解釈)

(体験構造を異にする)各個人の視線は当然同一ではないから、都市のような無数の視線から構成される世界は、元来輪郭が<何度もなぞった線のように>ぼやけて在るのだが、「世界」に埋没していると、それが当たり前になっているため、そのようなぼやけに気づかない。しかし、もしその真相に気づいてしまったら……そして気づいた人が増えれば……「世界」の構成は「剥散」されてしまうでしょう。
ということで、そういう事態を予防する「思考警察」が存在するのです!

いやー要約しているだけで、またアドレナリンが沸騰してきました(^^;

ところでタイトルの「言語破壊官」は「官」が付くぐらいですから<官吏>なんですよね。まあ「思考警察」の組織員ですからそれは当然なんですが、ということはこの世界では「世界」の構成を日本国が管理しているわけです。
主人公が捕まったのは、交通事故現場で普通の人間だったら当然とるであろう<野次馬的行動>を択らなかったために目をつけられたのでした。つまり一般に<期待される>社会的行動を択らなかった(規範に準じなかった)のがいけなかった。その事実から、思考警察は、「パターン化」を維持強化するのがその職務であることが分かるわけです。「世界のパターン化」とは「主観の衰退」と表裏の関係にある(159p)。いうまでもなく[事故→野次馬]や[赤信号→止まれ]というのは一種の<コード>であり<文法>なのです。

以上より明らかなように「世界」の構成が壊れて困るのは国家なのですね。端的に[赤信号→止まれ]というコードが壊れて真っ先に困るのは国家でしょう。そういう事態に対処するために、すなわち真相に気づいた人間を始末するために「言語破壊官」が存する。なぜに言語? それは「主観」とはそもそも「抽象思考」であり「言語によってしか進められない」ものだからです。
ところで、先に[赤信号→止まれ]は<文法>であると書きました。私見によれば、「言語」を破壊せずとも、「文法」を破壊しておきさえすれば、事は足りるように思うのです。その意味で、「言語破壊官」は「文法破壊官」であったほうが更に妥当なのではないでしょうか。「ここでの言葉」が一見でたらめに見えて、その実「文法」は日本語文法そのままである(ようにみえる)のは、原理的に画竜点睛を欠くようにも感じました。とはいえ「ここでの言葉」の疾走自体は、まさにニュージャズのパフォーマンスに似た酩酊感をもたらすもので、本篇の「凄さ」はかなりの部分、これに負っている以上、わが管見は、小説的見地からはまさに駄弁を弄するだけのものでしかないのでした(^^;。すみませんm(__)m

本篇は、「指の冬」のあとという配置も絶妙な、言語論SFの傑作でした!

 




「日本SF全集2」より

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 2日(水)17時08分2秒

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田中光二「メトセラの谷間」、山田正紀「かまどの火」、横田順彌「真夜中の訪問者」、川又千秋「指の冬」読む。

前3編は、いかにもそれぞれの作者の代表的な作風をよくあらわす作品が選ばれています。
「冬の指」は、初めて読みました。「幻詩狩り」の元になったもので、単行本未収録らしい。
のですが……
長篇「幻詩狩り」とはぜんぜん違う。すべてにおいて別作品の印象ですな。この作品、私は乱歩のセンを狙ったとみましたね(^^; そのように作家が意識して書かれた作品は、しかし作家の意図を離れて(或いは作家の意図通り)いわば「字で書いた漫画」となっており、私の場合は手塚治虫の絵柄が浮かんできました。大変珍しいものを読ませていただけむことができてわたし的にはよかったですが、これが川又千秋(の作風)を代表する短篇と(作家初見の読者に)思われるとしたら、(もともと多様な作風ではあるとしても)それは違うんじゃないかと、いらん心配をしました。

あ、別作品といえば「終末曲面に骰子を投げ入れて」と「終末曲面」が別作品であることは、今日の今日まで知らんかった。確認したところ短編集『終末曲面』には何の記載もない。だから勝手に思い込んでしまっていたわけですが、私は改題もしくは改稿作品だと思っていたのでびっくり(ざっと検索してみても、同じ勘違いをしている人がチラホラいるようです)。この辺のいきさつ、もっと詳しく知りたいのですが、それは『日本SF全集・総解説』を読めばわかるのかな。

 




Re: ハニー・ロイのテーマ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 1日(火)23時52分16秒

返信・引用

 

 

> No.2497[元記事へ]

堀さん
あわわ、すみません済みません。お耳汚し申しわけありませんm(__)m でもひょっとしたら言われるかな、とも思っていましたです(>おい)。
いや「宇宙の階層のはるか高みから聞こえてくる不思議な旋律」というのは至難です。とりあえずこんな風にしてみましたが(→http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/hanii-roi2.mid)、うーん、シンセサイザーぽくしたからって神秘的にはならないんですよね。
ということで、今後の課題とさせて下さいませ(汗)。

 




Re: ハニー・ロイのテーマ

 投稿者:堀 晃  投稿日:2010年 6月 1日(火)21時13分27秒

返信・引用

 

 

> No.2496[元記事へ]

わ、このようなものができているのですか。
まいったなあ。
リズムがちょっとポップ過ぎるような……
もう少し神秘的な方がいいのですが。

 




ハニー・ロイのテーマ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 1日(火)17時47分26秒

返信・引用

 

 

http://www3.ocn.ne.jp/~kumagoro/hanii-roi.htm『日本SF全集2』(166p)より。

 




「ifがいっぱい」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 1日(火)02時29分27秒

返信・引用

 

 

中原涼ifがいっぱい』(白泉社91)読了。

150ページの小さな本なので、あっという間に読み終えてしまいました。著者の作品集は以上の3冊だけらしい。あまりにも寡作ではないか。あとジュブナイルの長編シリーズがあるのだが、そんなものにまで手を伸ばす気はない。
なかった。
ところがそのシリーズ、本書の著者紹介欄によれば
「物語の解体と再構築をめざした実験的な作品」なんだって。うーん。

 


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