|
先日のオリゴ党の芝居『僕は昔子供じゃなかった』(8/28,29、於アトリエS-pace)は、観ている間は熱中して、必死になって観させられ、また十分に満足させられるものだったのだけれども、振り返って腑分けしようと思い始めると、とたんに?マークが三つも四つも頭の上に浮かんでくるていたらく、舞台芸術(一回性の視聴芸術)に慣れていないせいか、一見ぐらいでは何がなにやら極めて難解で、帰る道すがら、あれは一体なんだったのだろう、と途方に暮れてしまったのでした。
で、座付作者(兼演出)の岩橋貞則氏に台本を送ってもらった。何日も前に届いていたのだが、ようやく読ませて頂きました。や、少し分かったような(ほんとか?)。
むろん文字で読んで初めて分かるようでは芝居を見る資格はないんだけれども、それは措いといて、この芝居が、実のところ極めて構造的に構築されていることに、遅まきながら気づかされた。
と同時に、改めてすげー傑作、岩橋脚本の中でも一二を争うに違いない大傑作であると認識を新たにしたのでした。
構造的であるとは、ある意味非常に平明だということであって、なぜこれが観劇オンリーでは見えなかったのか、自らの度し難い文字情報偏向、読み専に凝り固まってしまった脳を恥じ入るばかり(>まあ50年続けてるからな、固まりもしようぞ(^^;)。
では感想。
舞台は次のように転換します(目次?)。
モノローグ
繋ぎの話1
サエコの場合1
ヒミコの場合1
ユウコの場合1
繋ぎの話2
女子トーク
繋ぎの話3
ユウコの場合2
ヒミコの場合2
繋ぎの話4
サエコの場合2
繋ぎの話5
実際に芝居をみると、役者の存在感(と内容の猟奇性)で、サエコの物語のように私は受け取ってしまったのですが、そうではなかったのです。
目次を見れば明らかなように、登場する三人の女性は、三人とも物語の中で等分の重さで存在しているのです。
●サエコの場合1
サエコは優秀な派遣社員で、優秀な分、正社員たちの仕事ぶりが歯がゆくてならない。頼られるのに飽き飽きしいらついています。プライドが高く人に頼ることができない性格。それは社員たちからみればクソ生意気な派遣と映っている。
●ヒミコの場合1
ヒミコはOLのようですが、サエコとは正反対で、要領が悪く仕事も遅い。他の社員から軽んじられており、あまり社内に居場所がない。現実の自分は仮の姿で、本当の自分はファンタジーの中にいる。要領が悪いのも、常に半分白昼夢に浸っているからかも。役者は昔なら文学少女、今なら同人誌の世界にいかにもいそうなキャラを実にリアルに演じていました。
●ユウコの場合1
ユウコは外見子供ですが、実は成人している。隠れていたカバンの中から登場するシーンは見ものなのですが、なぜか私はその時別のどこかを見ていたらしくて、その瞬間を見逃してしまった。残念。それはさておき、ユウコは、家庭の事情等で現実に嫌気がさし、どこか遠くへ行きたいと無銭乗車する。大きなカバンに、たまたま持ち主が目を離した隙に(中身を捨てて)もぐりこみ、まんまと乗車してしまいます。
さて「サエコの場合1」は途中でとつぜん場面が変わり、後述する「銀河鉄道」世界の車掌から、サエコは検札される場面となる。しかし車掌に「あなたはまだ切符を使えない」といわれる。それはサエコがこの段階では「押しつぶされていない」からです。自信たっぷりなサエコだからです。「押しつぶされる前の」サエコであるからです。この段階のサエコには「銀河鉄道」に乗る資格がないのです。本場面はそのことを観客に印象づけるために、唐突にも関わらずあえて挿入されたように思われます。
「ヒミコの場合1」の世界は、現実世界に銀河鉄道世界が二重写しになっています。銀河鉄道世界で汽笛が鳴りますが、しかしヒミコには「汽笛」の音は聞こえない。なぜならこの段階では、サエコ同様、ヒミコにとっても銀河鉄道はまだ必要ないから。
「ユウコの場合1」のユウコが潜り込んだ列車は、「銀河鉄道」ではなく、現実の列車です。この段階では、ユウコの気持ちは安易で、いつでも戻れる。逃げ道があると思っている。
●女子トーク
三人の女が「銀河鉄道」列車内で顔を合わせる場面。つまり三人は列車に乗り込んでしまっているのです。ヒミコとユウコは、なんとなく自分がこの列車に乗り込んでいる理由(後で出てくる)に気づいているようですが、サエコには皆目見当がつかない。彼女は「忘れて」しまっている。あまりのことに無意識が記憶を抑圧してしまったのです。しかし一瞬その記憶が甦りかける。この場面は「サエコの場合2」への伏線であるとともに、本場面が、「サエコの場合2」の場面より後の話であることを示します。
ヒミコが「あなたも共犯者なんですよ」といいますから、彼女はサエコほど無意識に抑圧されてはいないようです。と同時に、この銀河鉄道が、三人の女が関係した或る出来事のために現出したものであることが暗示されているわけです(それは最終シーンで明らかになる)。
疲れたので今日はここまで(笑)。次回完結。
|
|