ヘリコニア談話室ログ(201010)




老化の一徴候

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月31日(日)11時00分4秒

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昨日は久しぶりにズージャ住職と梅田で落ち合い、定員2名テーマ不確定内容非公開のSF・世相検討会を開催。
もとよりテーマは脈絡もなくあっち飛びこっち飛びして、どれも収束することなく消え去ってしまったのはいつものことながら、折にふれてしつこくなんども立ち現われて検討されたのが、近頃ものの名前が瞬時には出てこなくなった件。野阿梓の名前が出てくるまで一体何分かかったことか(^^;。や、これはテーマが「老化」ということなのか(汗)。
河岸を変えていつものとおりニューサントリーファイブにてラスカルズ。大変混んでおり、入口近くの席しかなかったのが残念といえば残念でした。ここではニューオリンズジャズとデキシーランドジャズの違いについて検討を加える。話はアイルランド音楽からブラジルサンバにまでひろがったのであった。最初のステージの途中で入り、ラストの途中で退散。
気がつけば合わせて4時間以上……乗り換えのつながりが悪く、小駅の、吹きさらしのベンチで10分以上待たされた。雨も風もなく気温も適度で問題はなかったが、これならラスカルズ最後まで聴けばよかったと、薄暗い電球の下のベンチに座って嘆くことしきりでありました(^^;

 




村上芳正の世界展せまる!

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月29日(金)22時13分45秒

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先日ご紹介しましたギャラリー・オキュルスでの村上芳正の世界展ですが、開催がいよいよ来週土曜日からと迫ってきました(11月6日〜13日。初日は午後1時よりオープニング)。
プレスの方も、10月21日山形新聞に、先日私がフライングした本多正一さんの原稿を元にした記事が。今日はまた、読売新聞朝刊に「村上芳正さん88歳で初個展」という短い記事が掲載されました。
三島由紀夫が愛した耽美世界を、ぜひご堪能下さい! といいつつ、私自身は先週の埼玉行きで予定していた交通費を使ってしまったので行けないのでした。とほほ。

 

 




「夢の遠近法」到着

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月28日(木)21時04分12秒

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今日は、ゆえあって30日の免停を一日に短縮する講習に「参加」してきました(汗)。8時間に垂んとする講習でしたが、個人は名前ではなく番号で識別されるのでした。ちなみに私はナンバー6。「私を番号で呼ぶな!」(^^;

いろいろな適性試験があったのですが、シミュレーションによる「運転適性診断票」ではオールA(7項目)。視力を調べる「運転適性検査票」(丙)では、「夜間視力」はAでしたが、「動体視力」が5段階の2で良くない。動体視力はもともと悪いので想定の範囲内ですが、最近自信がなくなっていた夜間視力がよかったのは意外でした。でも若い時はもっとよく見えたように記憶しているのですが。反応性を調べる「運転適性結果表」は、総合判定で(同年代との比較)「優れている」。まあ、こんなものさ(>おい)。冗談はさておき、少なくとも今日から一年間は無事故無違反でいなければなりません。安全運転安全運転!!

山尾悠子『夢の遠近法』が到着。いま読んでいる篠田節子の次に読もう――のつもりが、つい「自作解説」の「夢の棲む街」を読んでしまいました。ふむ。この作品が著者の意識のうちでは実質「処女作」なのですね(「仮面舞踏会」ではなくて)。
わ、著者のポートレイトが(6枚も)載っているではないか。こりゃあオールドファンは堪えられませんなあ(^^;。

 




眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月27日(水)22時25分27秒

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本日、10月27日の中日新聞朝刊に、眉村さんのエッセイが掲載されていると、名古屋在住の高井信さんが、紙面をスキャンして送って下さいました。いつもありがとうございますm(__)m
「エッセー心のしおり」というコーナーで、タイトルは
「没イチ」

内容は、まさに先日の教育テレビの「没イチ」番組出演に関するもので、番組での江村利雄さんとの対談は、眉村さんにとって、いろいろ触発され、考えさせられるものであったようです。
江村氏が、若い人としょっちゅう会って話していると刺激をもらえる、と話されたことに対して、それは一人一人が持っている世界の多様性が作用しているのではないかと敷衍し、しかし心を閉ざしがちの(ことに己の世界を確立したつもりの)老人には、それはなかなか容易ではない作業なのだが、ただ相手が自分とは異質の、違った世界を持っていて当然の若い人なら、案外抵抗なく受け入れられる、ということではないか、と整理されます。
で、それを「没イチ」に当て嵌めてみる。
没イチになるとは、配偶者と共有していた知識や実感を失うということであり、そのままでは失ったままになってしまうということです。つまり自分の世界が狭くなってしまう。
ところで没イチ女が没イチ男より(一般的に)元気なのは、配偶者がいなくなっても確保している世界が、広いか狭いか、多様か一面的かということの差異に帰結している。
その意味で、没イチになり年をとるという事態に対して、(一般的な「態度」であるところの)座してなりゆきまかせにしていては駄目なのだろうと眉村さんは思い至る。積極的に異なる世界と相対して生きていくのがよさそうだとして、好きな句の一つだと言われる阿波野青畝の
「端居して濁世なかなかおもしろや」の解釈を、これまでは客観から傍観への移行と捉えていたけれども、実はもう一歩進めて、濁世をもっとしっかり見つめなければならない、と受け止めるべきなのかも、と結ばれます。

この頃の眉村さんは、「没イチ」という新造語の、ある意味象徴的な位置づけを(好むと好まざるとに関わらず)与えられてしまっているように思われるのですが、本稿は、そのような一連の流れにおける「まとめ」的な意味合いを持つ、単なる雑感ではない、しっかりと構築された好エッセイだと思いました。

 




「悪魔の囁き」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月26日(火)21時24分41秒

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ジャン=ピエール・ガッテーニョ『悪魔の囁き』高野優訳(扶桑社ミステリー文庫93)読了。

冒頭に、
「精神分析に隷属する愚か者は、必ず悪党になる」というラカンの言葉が掲げられています。そして本書のテーマというかストーリーが、まさにこの言葉を踏襲するものなのです。
面白かった。ただその面白さは、ふつうの「サスペンス小説」の面白さで、ちょっと予想していたのとは違っていました。
主人公が若いときラカンの教えを受けた精神分析医であるため、職業的な精神分析医の仕事がどういうものであったかが多少なりとも垣間見えて興味深かった。これはラカン派の分析治療の特徴なのかも知れませんが、患者の語った言葉の当否を問題にしてはならず、語った言葉そのものの「解釈」によってのみ治療に当たらねばならない(嘘だとしてもその嘘には無意識的な理由がある)、という分析医の金科玉条が示されています。とはいえ分析医は「善導」するのではなく、患者自ら克服しなければならない。だから患者の都合で面接に来られなくなっても料金を徴収するのですが、それは、患者に自ら治す意志を不断に意識させるためであるそうな。しかしこれは個人分析医が高額な報酬を要求することへの作者の皮肉なのかも(^^;。つまり分析医とは探偵の対極にある存在といえるのです(
「真実を見つけるには、なによりも患者の話を聞いて、その言葉を解釈するのがたいせつだとよくわかっているはずだ。外で調査を行なうのではなくてね……。患者はきみにシャーロック・ホームズを演じてもらおうと思って、診察料を払っているわけではないのだ」(63p))。

ところが主人公は、この金科玉条を離れて、ひとりの患者「ギュンター・ブロック」を「探偵」してしまうのです。これは当然分析医失格なんですが、なぜそこまで強迫行為的に患者の「現実の姿」を暴こうとするのか? 私はそこに分析医である主人公自身の(本人自身は抑圧している)無意識が隠されているのではないかと当たりをつけて読んでいたのですが、結局そうではなくて、些かがっかりしたのでした。
途中、図書館でマイクロフィルムを操作していて、自分で操作した記憶がないのに、いつのまにかリーダーに目的の記事が出ていたりといった、非常に幻想小説的な(精神分析小説的な)シーンもあって、ワクワクしながら読んでいたのですが……。

ラストにおいて、「ブロックは私だ」までは行かないまでも、ブロックと自分が「同類」であることに気づくのですが(で、冒頭のラカンの言葉に繋がる)、たとえそうであっても、そこに到るまでの主人公の「強迫行為」は、やや納得できません(「ブロックは私だ」だったならオッケーなのです)。上記のマイクロリーダーの謎も、超自然的な現象ではなく、ごく物理的な犯人による操作であったことが分かります。かくのごとく、読み終わってみれば、まさに、典型的なフランス・サスペンス小説なのでした。

著者のジャン=ピエール・ガッテーニョについて、訳者があとがきで「新人の第一作であり経歴は不明」と述べています。実は私は、ブックオフでこの本を見つけたとき、これはクセジュ文庫の名著『SF小説』の著者ジャン・ガッテニョではないかと思い、それが購読の大きな動機だったのでしたが、(年齢的に)どうやら別人のようです。ひょっとしたら息子かも(^^;

 




予約は遅れる

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月25日(月)23時20分34秒

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セブンネットショッピングより『夢の遠近法 山尾悠子初期作品選 山尾悠子/著』が入荷いたしました! ぜひお早めにご注文ください。というメールが届きました!
おお、案外早かったではないか、と早速 注文画面を開いたのですが……更新されてないやん。
「ぜひお早めにご注文ください」って書いて来ておきながら、これでは注文できないじゃないか! プンプン!!

以前にも書きましたが、私が「予約」を利用しないのは、在庫されたのを確認してから注文したほうが、「予約」よりも早く到着するからなんです。
なんとなれば、予約分は在庫(ランニングストック)から出荷されるのではないからです(そんなことをしたら、せっかく入荷した在庫がいっぺんにゼロになっちゃいます)。予約分は一括して別途出版社(取次?)に発注されるので、一日遅れてしまうのですね。以前それで嫌な思いをしたので、以来「入荷リクエスト」のできるセブンネットを主に利用しているわけです。一日でも早く読みたい本は、予約は避けたほうがいいと思います。ひょっとしたら今は改善されているのかも知れませんが、利用しないのでよく分かりません。今の方法で満足しているので。

ジャン=ピエール・ガッテーニョ『悪魔の囁き』高野優訳(扶桑社ミステリー文庫93)読了。

篠田節子『秋の花火』に着手。

 




眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月24日(日)21時56分35秒

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さっきたまたま発見した『司政官』評→http://syohyou.soragoto.net/mayumura%20taku.htm
これはすばらしい。ごく少ない語数でびしっと本質を提示しています。ああ私もこんなふうに書けたらなあ。見習いたい。

ということで、眉村さん情報――

いよいよ来年1月15日に全国東宝系にて一斉公開となります映画『僕と妻の1778の物語』(主演:草なぎ剛・竹内結子、監督:星護、公式サイト)、当板へ検索で訪れる方も増えてきました。その殆どが検索語に「試写」と入っているので、試写会情報を求めてのようですが、関係者を集めて行われる完成披露試写が来月あるとのことで、一般試写会もそう遠くないように思われます。

それにともなって周辺企画もいろいろと動き出しているようです。

●封切のちょうど1週間前の1月8日、毎日文化センターが、特別企画として眉村先生の特別講演会を企画しているそうです。講演タイトルもまだ決まっていませんが、そのうち聴講募集の案内が(毎日新聞等で)始まると思います。わかり次第お知らせいたします。
なお、毎日文化センターでは、現在「眉村卓の創作教室」が開講されています。興味のある方はどうぞ→http://www.maibun.co.jp/wp/?p=174

●先日もお知らせしました、1778話の中から眉村さんが厳選され、且つ注解を施された『メモリアル・セレクション僕と妻の1778話』は年内出版の予定。

●出版芸術社からも『日がわり一話』(全2冊)が復刊の予定ですが、さらに嬉しい情報が! 同社から眉村さんの新作短篇集(連作集?)が出るようです。ジャンルは私小説ならぬ「私ファンタジー」(?) 「エイやん」の系列ながらもう少し普通小説に近い(でもまんま普通小説ではない)作風みたいです。本文320枚は入稿済み、あとがきがまだで、年内には仕上げたいとのこと(^^)

●11月27日、関西テレビのニュース番組(「スーパーニュースアンカー」?)にて10分間ほどですが、インタビュー(&書庫拝見)が放送される模様(インタビュアーは玉岡かおるさん)。後日詳報。

●あ、書き忘れてましたが、映画館で販売されるパンフレットに眉村さんの文章が、自筆原稿のまま掲載されるそうです。映画館に行ったら忘れずに購入しなければ(笑)

 




祝中日優勝

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月23日(土)23時19分46秒

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やあ中日勝ちましたね。結局短期決戦でも投手力が決め手でしたね。シーズン中(阪神寄りべったりの解説者達から)よく耳にしたのが、中日は森野と和田だけ、という言い草。でも結果は、投手力が整備されていさえすれば、打者は二人で十分ということが証明されたようなもんです。今年に限っていえば、並み居る強打者のうちのひとりを外して関本を使っていれば(まあ内野手ですから交換可能なのは二人にひとり、当然チャンスに弱い方です)、22点取ったかと思えば零敗が続くというような、振幅の激しい得点ではなく、もっと平均に均された得点で、惜敗試合のうちの何試合かは拾えたのでは?

いや、しかしまあ、負け続ける贔屓チームをクソミソに貶すことで、一日の疲れ、ストレスを発散し、明日への滋養とするのも「プロ」野球の楽しみ方なのであります。興行なんですから。ショーなんですから。選手も野次られてナンボ。新井選手の、よくは知りませんが決して安くないであろう年棒には当然野次られ料コミでのそれなのです。われらが阪神タイガース球団も、そういう次第でこれでも立派に存在価値があったというもの。変に畏まらず縮こまらず堂々としておれば良い。てか、これぞタイガースですよね。来年もぼやかせてもらえそうで、ありがたいなあ‥

ジャン=ピエール・ガッテーニョ『悪魔の囁き』に着手。主人公はラカン派精神分析医!

 




CSはCentral Sinksの略号さ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月22日(金)22時04分40秒

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ということで、詰まらない試合がつづいていた巨竜戦ですが、初めて今日は面白い展開でした。というか巨人が先行したから終盤もつれた(もつれさせることができた)のであって、逆だったら過去二戦と同じ展開だったのではないでしょうか。

いろいろ忙しくて、本が全然読めていない今日この頃ですが、昨日「入荷状況のご連絡」というメールが届きました。セブンネットショッピングでは予約ではなく、入荷リクエストという出たら通知されるサービスになっていて登録していたのです。
  
「 いつもセブンネットショッピングをご利用いただきありがとうございます。
  先日、連絡をご希望いただきました商品に関しまして、まだ入荷の見込みが立っておりません。

     『夢の遠近法−山尾悠子初期作品選』
     山尾悠子/著  1,890円
     http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102975663

  引き続き、商品が入り次第ご連絡させていただきます。入荷の時期に
  関しましては、お約束できかねますがなにとぞご了承ください。 」


がーん。『縹渺譚』につづいて『夢の遠近法』も?? 本書には著者の自作解説が載るということで、とても楽しみにしていたのに〜。
それにしても、直前になって延期というのが……どちらも旧作の再編集なのに……私には解せないんですけどね。
まあ予定通りに発売されても、即着手というわけにはいかない状況なので、わたし的には問題なし(^^;
いずれにしても、『夢の遠近法』の方はまず間違いなく出そうですが、『縹渺譚』は本当に出るのでしょうか。非常に心配。

 




赤羽台団地を越えて

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月21日(木)22時04分8秒

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今日は埼玉県戸田市まで出張ってきました。東京から荒川を越えたのは初めて。大昔、光瀬さんのお住まいを探しに赤羽台団地に行ったのが、これまでの最北端のはず(笑)。
最寄り駅AM8時に出発し、PM8時に帰着。12時間の旅程のうち、移動にかかった時間が10時間(5時間×2)。正味2時間の戸田滞在のために10時間とは、何たる非効率!
しかしこれは仕方がない。まあいろいろ事情があるのです。
とはいえ、これで村上芳正の世界展観覧はほぼ絶望的となってしまったなあ(二度も上京できるほど懐があったかくない)。まあしゃーないです。ともあれ疲れました。東京もずいぶん近くなりましたが、当地からですとトンボ返りはまだまだ厳しいです。

 




CSを楽しもう

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月19日(火)23時26分42秒

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CS無用論には一定の論拠があり、私はこれを一概に否定するものではありませんが、今この時期にそれをいうのは、単に負け惜しみにしか聞こえないので、言わない方がいいと思うのですよ(^^;
今はむしろCSを大いに賛美肯定すべきなのでは?

あ、それもまた引かれ者の小唄なのか(^^ゞ

 

 




復活

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月19日(火)21時13分31秒

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いや〜ロッテ、素晴らしい。あっぱれ! どこぞのチームに爪の垢を分けてやって下さい。

さて、PC、なんか復活したみたいです。
以前からストップエラーというメッセージが出て、新しく入れたソフトに問題があるかも知れないからアンインストールしろ、というメッセージが出ていたのですが、そもそも新しいソフトをインストールしていない。それでもいろいろ既存のソフトを消してみたりしていたのだが改善しない。
そのうちバチンと切れる直前にはいつもマカフィーの更新アイコンが点ることに気づき、これではないのか、とあたりが付いた。しかし勝手にインストールしてくるものを止める手段がわからなかったのです。しかし切れるまでの短い時間に少しずつインストールが進んでいたみたいで、あるとき100%になって、ダウンロードしろとメッセージが出たのです。糞詰まり状態だったようで10コほどダウンロードし、再起動したら、問題は解消していました。
おそらく10コの更新のうち最初のやつが、何らかの理由でストップエラーを誘発していたように思われます(臨床観察ですのでその判断の正否はわかりません)。
いずれにしろ、今しばらくは使用に耐えそうでホッと一安心。

 




Re: 中学同窓会

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月18日(月)22時20分1秒

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> No.2711[元記事へ]

ロッテは強いねえ。短期決戦に強い。ここ一番で強い。まるで阪神と逆ですがな。阪神が新井ならばロッテは今岡ですな(おい)。

昨日忘れていて思い出したことがあったのでメモ。高校以上とは異なり、小中時代は友人の家に頻繁に上がりこんであそんだものです。家が商家のような職住密着なら、親が何家さんか分かるんですが、サラリーマンのような場合はどんな仕事をしてはるのか見当がつきません(もとより気にもしていません。聞くのは失礼かもという配慮が働くのではなく単純に興味がないわけです)。
その男の(今は後を継いでいる)家業が中央市場であるのは知っていましたが、具体的に何を扱った商売なのかは、そういう次第で40年以上の付き合いにもかかわらず(うち39年間は空白ですけれども(^^;)、全然知らなかった。
「えー、長靴屋ァ!?」
と聞いた瞬間は、中央市場で長靴を卸す商売があるなんて!
と驚いたのですが、よく考えれば中央市場の仕事に長靴は欠かせないもの。市場の人間相手の商売だったわけです。市場だからといって、八百屋や魚屋だけしかイメージできないのはいかにももの知らずでありました(実際、仕事に必要不可欠なものですから、一般人が使うような廉価品ではなく五千円もするようなものが売れ筋らしい)。
で、その男がインターネットで店を開いた。今では売上の半分はネットとのこと。これも考えたらなるほどと納得するのですが、いまや長靴を扱っている店は多分激減している。市場も縮小していますが販売店はそれ以上に潰れたり畳んだりして減少しているのですよね。
話は飛んで、これはツタヤ店舗に土地を貸している人から聞いたのだが、ツタヤはレンタル業より併設の本屋の方が旨みがあるんだそうで、それはレンタル屋はうじゃうじゃあるが本屋は潰れたり畳んだりして減ってしまった結果、レンタル店のそれより商圏が広くなったからとのこと。
同じ理由で、長靴が絶対必要なんだけど近所に長靴店がないという消費者が、ネット店舗に集中してくるわけです。意外にも長靴は、密度は薄いが商圏が広いというネット商売に最適な品物だったんですね(だから高額商品が売れる)。
なるほどなあ。と感心していたら、「おまえもネットで商売やったらどやねん。デジカメあれば簡単に作れる。ソフト貸したるで」。しかしわが営業品目はごく一般品で、いえばどこでも買える物。差別化は価格のみというものなので、あまりネット販売には向いてないんじゃないかなあ。しかしまあ要検討。
そんな話をしていたら、横から同じく中央市場のフグやマグロを扱っている男が、「ウチもネットしてるで」。まあマグロもフグも高級品で、信頼関係ができれば値段は二の次ですからねえ。
それにしてもネットビジネスがここまで、いわば路地裏にまで入り込んでいたとは! おれもそろそろ世の中から取り残されてきているのかも知れんなあ、と、ちょっと焦燥感も抱いた同窓会なのでした。

 




中学同窓会

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月17日(日)22時07分56秒

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昨日は中学校の同窓会でした。小学校と高校は定期的にあり、大学も一度ありましたが、中学のは初めて。280人の同窓生のうち70名参加と盛況でした。なにしろ正味39年ぶりに会う者もいるわけです。一目見た限りでは誰やらさっぱり見当がつかないのですが、名札を見てから顔を見直すと、おお、昔の面影が透けて見えてくるから不思議(笑)。
会場はリーガロイヤルホテル南隣のグランキューブ大阪12階のレストラングラントック貸切。といっても我が校区から堂島大橋を渡った向こう岸ですから、ずっと居ついているものはサンダル履きでも来れる場所なんです。

いや懐かしかった。立食形式(ただし座る席は人数分ある)だったのですが、しゃべるのに忙しくてほとんど物を口にせず、帰宅の電車の中でたまらなく空腹を覚え、コンビニで弁当を買って帰る羽目に(^^; もったいないことをした〜。

二次会は玉江橋を渡った朝日放送敷地内のカフェバー・リバーサイドテラス貸切(ここは普段はデートの定番らしい)。聞くところによると両店とも商工会議所会員2割引とのこと。なるほど!

以前ここで書いたと思うのですが、お爺ちゃんというあだ名で河出のグリーン版が愛読書だったNが、なんと亡くなっていたことを知らされたのには愕然。

チャチャヤン日記の冒頭で触れていますが、私はチャチャヤングの懸賞で、エレキベースが当たったことがあるんです。これが昨日えらい話題になりまして、こんなこと覚えているのがいたんですな(^^;。それで分かったのは、今まで眉村さんの放送日で当たったように覚えていたんですが、そうではなく、馬場章夫さんの放送日で当たったらしい(^^;
No「聞いとったら、住所で福島区とゆうとるやん。へえ、と思ったら名前が大熊。ひっくり返ったで。Naにゆうたら、寝とったって。受験生が寝るなよと」
Na「そやったかな」(笑)

ある男が北海道の大学に受かって出発する前日(?)、航空券をかったあと、思い出に女くらい引っ掛けようと、もう一人の男を誘ってひっかけ橋でひっかけたら、これが美人局(とはいわないのか)で、地下の暗い酒場に連れていかれて、やばいなと思っていたら水割り一杯が3万円(うろ覚え)、逃げるに逃げ出せない店の作りで、有り金吐き出さされて、その夜はふたりでポルノ映画館で朝までつぶした。「引っ掛けるつもりが引っかかってしもたがな。先に切符買うとってよかった(笑)」

私は案外教師に受けが良かったので教師に不公平なことをされた経験はないのですが、人によっては不当な、いじめに近いことをされていたらしい。高校に合格が決まったあと、その教師をボコボコに殴ったとか。「そんなことがあったん。全然知らんかったな」「いや知ってるやつは知ってると思うで」

私に、当時岡林を貸してくれたりしていた男は、いまオヤジバンドを組んでいるそうな。クリスマスに演奏するとのことで、「それはぜひ聞きたいなあ」「あかんあかん、聞かせるレベルちゃうねん」

うつになって出社できなくなっていると噂で聞いていた男が、元気そうだったのでよかったなあとそのときは思ったのですが、あとでよく考えたら会社が嫌なだけで、遊ぶのは問題ないのか、とか(^^;

39年後に明かされる真実というのがボロボロ出てきてめちゃ面白かったです。
いやー、同窓会ってほんとうに面白いですね。次は12月の小学校忘年会ですが、こちらでは一体どんな話が飛び出してくるやら、今からホントに楽しみ(^^)。

 




Re: 大震災と本

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月17日(日)18時30分51秒

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> No.2709[元記事へ]

かんべさん、雫石さん

たしかに蔵書の処分は、何か大きな、決定的なきっかけが要りますよね(大地震がきっかけというのは凄すぎますが)。
私は独立するとき、最初は血尿が出るほど頑張らにゃ立ちゆかんぞと脅されていたこともあって、よしもうSFは卒業だとばかり思いつめて、SFM、アドベンチャー、奇想天外、SF宝石、NW-SFのバックナンバー全て廃棄しました。
ところが意外に暇なもので、結局元の木阿弥でまたSFに戻っちゃいました(>あかんがな)(^^; でも、雑誌は毎号買わねばという憑き物は落ちましたね。そのへんはかんべさんのご体験と重なるかも知れません。

さて、阪神負けました。
野村が「負けに不思議の負けなし」とよくいいますが、まさに阪神にも当てはまるように思います。
スタート時点ですでに先発投手崩壊しているんですから、当然エンディングは(前倒し過多による)抑え投手崩壊で終わらなければ筋が通りません。で実際筋が通ってそのとおりになりました(先発未整備崩壊→中継ぎ登板過多崩壊→抑え前倒し過多崩壊)。キャンプでの投手陣整備に問題があったのは明らかです。その意味で来季構想に投手コーチが留任との噂は納得いきませんね。それをいうなら監督留任も私は理解に苦しみます。節目節目の大事な試合を投手リレーの失敗で落としており、先発、抑え、投手起用というピッチャー関連の三要素すべてで首脳陣の責任は問われてしかるべきでしょう。まあ外野があれこれいわなくても、監督自身がよくわかっているはず。今後の推移を注目したいところであります。

 




Re: 大震災と本

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2010年10月16日(土)17時55分40秒

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> No.2708[元記事へ]

かんべさんは西宮でしたね。
私は、神戸市東灘区で、おなじく震度7地帯でした。
あの朝、揺れがおさまって、本を置いてある部屋に行くと、
本棚が、内容物をぶちまけながら、机を飛び越して、向こう側へ落下しておりました。
引っ越し、結婚、と蔵書激減の要因は、たいていの人は結婚ですが、このへんの人はやっぱり地震なんですね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 




大震災と本

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2010年10月16日(土)16時00分31秒

返信・引用

 

 

そうです。私も震度7地帯の被災者ですから、泣く泣く、
というより、なかばヤケクソ的に、壮烈に処分しました。
それまで、雑誌はいくらでも捨てられてたのに、
たとえ文庫本でも、書籍を捨てることはできなかったんですが。
しかしあれで、「本も処分できるのだ」と、ある種、ふっきれました。
ただし、あとから必要が生じて、また買ったりした本もありますが。

 




死ぬときは一人ぼっち

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月16日(土)10時35分0秒

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なれど本に囲まれて……
というわけで、花の代わりに棺には本を投げ入れてほしいというのが、この世で最後の私の願いなのですが、現実、重量の関係でそんなに入れられるものじゃないんだそうです。
私にとってはどれをとってもそれぞれ読んだ当時の時間が埋め込まれた、頁を開けばそのときの記憶が甦ってくるいとおしい本たちばかりではありますが、しかし死んだあとに残される(知れてますが家人にすれば)大量のそれは、場所ばかり取る邪魔っけなシロモノでしかないのも事実で、実際処分に困るであろうことは目に見えています。というか、どうせ売っ払われてしまうんです。
それならば、生きているうちにその始末はある程度つけておきたい。数年前からそう考えて少しずつ処分しかけていて、今回もそのプロジェクトの一環なんです。とりわけサインしていただいた本の始末は、これはちゃんと措置しておかなければ、死んだあとで迷惑をかけてしまいます。時どき古書店で見かけるサイン入り本は、家人がそれと気がつかず売り払った故人の蔵書(の中に混じっていたもの)である場合が殆どなんではないでしょうか。

というのは併し実は口実で、本板を読んで下さっている中には、Tさんを筆頭に図書館をひらけられるほどとんでもない蔵書家が何人かいらっしゃって、みなさん収納場所に頭を悩ませつつも、床にうず高く敷き詰められた本と、天井の間のごく狭い空間で不自由をかこちつつ暮らしていらっしゃる(>嘘)。時どきそんな方を念頭に、こんなふうにコチョコチョっとからかってやるんですよ。それが私の無上の楽しみ(>おい)。もとより持たざるもののやっかみ半分であります(^^;

>あの地震は私の蔵書にも大打撃を加えました
いや、幸いなるかな、かも知れませんですよ(>失礼m(__)m)
雫石さんの場合は、息子さんが立派に読書家になられているのでそんな心配は無用ですね。うちは私以外には誰も本を読まないので(^^ゞ

 




本の整理

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2010年10月16日(土)09時27分55秒

返信・引用

 

 

どうしたのですか?
私も最盛期から比べると、本の量は三分の1以下になりました。
引越しで半減、結婚で半減、そして一番減ったのは、なんといっても阪神大震災です。
あの地震は私の蔵書にも大打撃を加えました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/

 




整理

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月16日(土)01時15分47秒

返信・引用

 

 

書棚を整理して売る(捨てる)文庫本をピックアップしていたら、あっという間に二時間ほど経っていました。
今回はドラスティックにバカスカ抜いていった。五木寛之とかエンタメ系はこれでほぼ絶滅(笹沢左保とかいまも興味が持続している作家は残しましたが)。しかしまあ前世紀の本なので7割がたは変色が激しすぎて売り物になりそうもありません。
残ったのは戦前の作家と60-70年代の純文学(安部大江以降内向の世代辺りまで)。海外作家は触らなかった。あ、むろんSFは、そもそも対象外です(^^ゞ
あと部屋に雑然と積み上げられた最近読了本の山からもピックアップして(とりわけ新書関係)いっしょに売り払う予定。
どんどん身辺整理していくのだ(^^ゞ

明日は中学校の同窓会につき更新は無理かも。PCのせいではありませんので、一応(^^;

 




「武装音楽祭」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月14日(木)22時25分39秒

返信・引用

 

 

野阿梓『武装音楽祭』(ハヤカワ文庫84)、読了。

テロリスト・レモン・シリーズの、一応長篇という体裁ですが、実質はそれぞれ完結した150ページの中篇
「冬の王」200ページの長中篇の表題作「武装音楽祭」との、ゆるく繋がった二部構成の作品集というべきでしょう。
面白かったです。本篇の特徴は相反する二面性とその合一です。基本、宇宙を股にかけたスペースオペラなんです。ただし革命党(狂茶党=共産党?)の活動家(職革)が主人公という設定が非常にユニークで他に類例がないところ。
この二契機は、ある意味水と油の要素といえると思うのですが、それを強引に張り合わせたところに本篇の特異な磁性が発生しているように思われます。
後者の議論をウザったいと感じる読者は、その部分をすっ飛ばして読んで構わない。そう読むと、本篇はまさにスピーディーなスペオペそのものであります。主人公レモンの超人ぶりは、(これは私だけの感覚かもしれませんが)意外にもジョン・カーターを彷彿とさせられます。付与された性格(体型からして)全然違うのですが、内面の動機を無視した外観は、私にはうりふたつに見えました。著者は個々の活劇シーンに於て、その限りに於てですが、バローズの描写法を参考にしたのではないかとさえ思わせられました。いや想像ですが。
そういう意味で本篇は、「活字で組まれた(比喩ですよ)アニメ」といってよいのではないでしょうか。私自身も(生身の人間ではなく)アニメ的な絵柄を無意識に想定して読んでいたように思います。というか、テレビのアニメであっても一向に構わない、いやむしろアニメ化してこそ映えるような作品で、一方ではあるのです(しかしながら、そのような特徴から想像されるかも知れない、ありきたりのストーリーラインにはならない、という点は後述)。

と同時に、もう一方で本篇は、また一種幻想小説的な面も兼ね備えている。表題作で主人公レモンが拉致監禁された孤島の建物は、精神病院であったり、いつのまにか城砦になったりと確定しません。そこに配された登場人物も、それに合わせて役柄が変化する(私は精神病院の話が大好きなので特にこのパートは惹きつけられました)。このパートに限らず、世界が夢の中のように不確定で曖昧なのはそもそもの最初からで、象徴的にも本書は、<私>(アイデンティティー)が無化される場所である「仮面舞踏会」に始まるのですし、変装の名人である主人公レモンは350頁に渉る作品世界で、あたかも怪人二十面相のように何度も名前を変える。そういえば主人公の本名からして……

「ずいぶん、いろんな名前を持っているらしいけど、君は……。本当の名前を教えてもらえるかしら」
「レモンだ。僕の名前は、レモン・トロツキー」(312p)


なのですが、このトロツキーという「本名」自体、かつて収監されていたオデッサ監獄の看守の名前なのであって、それが印象に残っていたため借用したものとの記述がwikipediaにもあるとおりで、本書のテーマと深く結びついているといえなくもない(>おい)(^^;

そういう次第ですから、革命ということに照準を合わせ過ぎるのも問題で、その視点からは主人公の行動が(党の指令も)さっぱり要領を得ません。同様に、ストーリーラインそのものも、ありきたりな冒険活劇のフォーマットをまったく無視している。ストーリーの表層的な因果律はくずれまくっているのです。首尾一貫性などまるで配慮されておらず、ある意味おざなりなんです。この辺の謎めいた訳の分からなさはヴォークトに近い。たとえば「冬の王」(カフカ「城」が下敷きになっています)における「生成迷路」なんて、メカニズムの説明は皆無。いやそもそも現実には不可能なアイデアで、「夢」の中にしか存在しえないテクノロジーといえる。読んでいても実はあまりピンと来なかった。
しかし、アニメの世界では通用する。アニメではどんな不可能なアイデアも、映像の力で観衆に納得させてしまう面がある。「生成迷路」も、映像化されたのを見れば、おそらく迫力ある映像で見るものを圧倒するように想像されます。
ここにおいて、とは即ち「映像化」を念頭するならば、ということですが、上記の「二面性」は合体してしまう。もともと著者は「映像」から本篇を思いついたのではないでしょうか?

おそらく作家には二種類あって、まず「絵」がある作家と、ストーリーの必然性の上で、そこから「絵」を想像し、描写する作家があるのではないでしょうか。
この著者は間違いなく前者です。本書にはストーリーに絡まない(つまり必然性では、なくても問題ない)視覚的シーンが数多くあります。

 赤と黒の市松模様の床から、奇怪な形がもり上っている。まるでビニル被膜で掩われた人体のような、それは、床の材質の一部がいま人の形状をとろうとしている瞬間であった。/ レモンが見守るうちに、赤い液にぬれた泥人形のようなその形は、しだいにりんかくを整え、やがて少年の形をとった。微速度撮影のように赤い塑像は、見る間に精密なディティールを彫刻されていき、ついに完全なひとりの裸の少年がレモンの目の前に立っていた。(333-334p)

いかにも映像が目の前に浮かび上がってきそうなあざやかな描写です。私はこの描写の必然性以前に、まず作家の裡に、この映像が、ストーリーから導出されたのではなく、独立的に出現したんだと思います。それを作家は「見たとおりに」描いただけなんです。

この(私が考える)事実、著者本有の<映像性>こそが、本篇の、本来反りが合わないはずの二面性を、読者に何の違和感もなく受け入れさせる、否、それどころかむしろ一種強烈な磁性で以て読者(私です)を惹き込み酔わしめる大いなる力となっているように私は思いました。

 




数字もてあそぼう(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月13日(水)20時02分11秒

返信・引用  編集済

 

 

今日は読む本を持って出るのを忘れたので、途中で『「若者はかわいそう論」のウソ』を購入、60頁ほどですが、これはおもしろいです。
数字ってのは、切り取り方次第、提出の仕方次第で、なんぼでも反対の結論(あえていえば思うままの結論)に着地させられるんですよね(汗)。私も前職でずいぶんあざといことをしましたが(ここにも出ている分母を調節するというのは私もよくやりました(^^;)、こっちはヒヤヒヤしているのに、まず数字の使い方(の妥当性)でクレームを付けられたことはなかったですね。数字が並べられているだけで、その結論が妥当なものだと思い込んでしまうようです。彼らにとって数字はそれだけで客観的なものなんですよね。出し方を工夫すればウソにでもなるものなのに、数字自体の検討なんて思いもよらない。数字はその表面だけ見るのではなく、しっかりその背後の意味、その数値が表している《実体》を見据えないとダマサれてしまいます。

 




移行完了

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月13日(水)00時23分12秒

返信・引用  編集済

 

 

インフォシークのサービス終了に伴うFC2への移行もほぼ終わりました。ただし抜けがあります。移行作業の過程で、こんなの残す価値がないなあと思ったのは移さなかった。もちろん本板の過去ログや「飛べクマゴロー」関係はすべて移行しました。ただ、ほとんど影響はないと思いますが、過去ログへのリンクはすべて死にます。そこまで直している時間も暇もなかったので。もし万一必要でしたら、リンクをコピーしてURL欄にペーストした上で、
「 http://kuma-gor.hp.infoseek.co.jp/ 」を「 http://okmh.web.fc2.com/ 」に置換していただければオッケーです。
例)http://kuma-gor.hp.infoseek.co.jp/kakolog/herikonia-log0508.htmhttp://okmh.web.fc2.com/kakolog/herikonia-log0508.htm
なにか問題を発見されましたら、連絡下さると非常にありがたいです。よろしくお願い致しますm(__)m

 




読了書リスト

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月12日(火)20時16分45秒

返信・引用  編集済

 

 

『武装音楽祭』読み中。「冬の城」読む。ひきつづき表題作に着手。

PCは順調に、目に見えて、速度が落ちてきております(笑)。
ただ低速化した代わりにフリーズやストップエラーはしなくなって、ある意味安定してきた。もう少し保つかも。
データはほぼCD−Rに移したのですが、現在継続して上書きしているものは弱冠残っている。たとえば読了リストがそうです。これらはCD−RWに移しているのですが、容量を超えてしまい上書きできなくなってしまった。ので下手するとPCと運命を共にしてしまうかも。
ということで、読了リストは本板にも残しておきたいと思います。現在81冊。今年は久しぶりに100冊越えするかも。

2010年読了書】(10月12日現在)

小説・日本
10-08)阿部牧郎『ぼてぢゅう一代』(双葉文庫87、元版74)
10-07)殊能将之『黒い仏』(講談社文庫04、元版01)
10-06)佐々木譲『警察庁から来た男』(ハルキ文庫08、元版06)
10-05)姉小路祐『特捜弁護士 十三年目の復讐』(カッパノベルス93)
10-04)姉小路祐『期待された死』(双葉ノベルズ92)
10-03)今野敏『果断 隠蔽捜査2』(新潮社07)
10-02)姉小路祐『刑事長 四の告発』(講談社ノベルス93)
10-01)姉小路祐『殺意の法廷』(カドカワノベルズ91)

09-08)姉小路祐『非法弁護士』(光文社文庫99、元版96)
09-07)姉小路祐『特捜検察官 疑惑のトライアングル』(講談社ノベルス06)
09-06)久生十蘭『平賀源内捕物帳』(朝日文芸文庫96、初出「講談倶楽部」40、底本49)
09-05)福田和代『ハイ・アラート』(徳間書店10)
09-04)伴野朗『さらば、黄河』(講談社文庫89、元版85)
09-03)泡坂妻夫『自来也小町 宝引の辰捕者帳』(文春文庫97、元版94)
09-02)篠田節子『静かな黄昏の国』(角川文庫07、元版02)
09-01)田中光二『無人大陸 中国』(カッパノベルス04)

08-04)大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 量子回廊』(創元SF文庫10)
08-03)森下一仁『「希望」という名の船にのって』(ゴブリン書房10)
08-02)邦光史郎『謎の古代文字』(カッパノベルス78)
08-01)篠田節子『天窓のある家』(新潮文庫06、元版03)

07-01)篠田節子『夜のジンファンデル』(集英社06)

06-03)黒岩重吾『北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目』(中公文庫91)
06-02)日下三蔵編『日本SF全集2』(出版芸術社10)
06-01)中原涼『ifがいっぱい』(白泉社91)

05-07)中原涼『非登場人物』(地人書館89)
05-06)中原涼『笑う宇宙』(地人書館89)
05-05)吉田知子『天地玄黄』(新潮社76)
05-04)倉阪鬼一郎『忍者ルネッサンス!』(出版芸術社10)
05-03)樺山三英『ジャン=ジャックの自意識の場合』(徳間書店07)
05-02)橋元淳一郎『神の仕掛けた玩具』(講談社06)
05-01)林譲治『進化の設計者』(Jコレクション07)

04-03)長谷敏司『あなたのための物語』(Jコレクション09)
04-02)伴野朗『シャンハイ伝説』(集英社95)
04-01)福田和代『オーディンの鴉』(朝日新聞出版10)

03-03)永井荷風『あめりか物語』(岩波文庫52、改版02)
03-02)福田和代『プロメテウス・トラップ』(早川書房10)
03-01)山尾悠子『歪み真珠』(国書刊行会10)

02-03)眉村卓『幻影の構成』(ハヤカワ文庫73、元版66)
02-02)川崎賢子編『久生十蘭短篇選』(岩波文庫09)
02-01)横光利一『機械・春は馬車に乗って』(新潮文庫69)

01-05)中井英夫『真珠母の匣』(講談社文庫88、元版78)
01-04)中井英夫『人外境通信』(講談社文庫86、元版76)
01-03)中井英夫『悪夢の骨牌』(講談社文庫81、元版73)
01-02)中井英夫『幻想博物館』(講談社文庫81、元版72)
01-01)かんべむさし『ミラクル三年、柿八年』(小学館文庫10)

小説・海外
09-06)E・S・ガードナー『奇妙な花嫁』平井イサク訳(ハヤカワミステリ文庫81、原著34)
09-05)E・S・ガードナー『義眼殺人事件』小西宏訳(創元推理文庫61、原著35)
09-04)E・S・ガードナー『吠える犬』小西宏訳(創元推理文庫62、原著34)
09-03)E・S・ガードナー『幸運な足の娘』林房雄訳(創元推理文庫59、原著34)
09-02)E・S・ガードナー『すねた娘』池央耿訳(創元推理文庫76、原著33)
09-01)E・S・ガードナー『ビロードの爪』小西宏訳(創元推理文庫61、原著33)

08-03)E・D・ビガーズ『チャーリー・チャンの活躍』佐倉潤吾訳(創元推理文庫63、原書30)
08-02)エラリイ・クイーン『フランス白粉の秘密』宇野利泰訳(ハヤカワ文庫83、原著30)
08-01)ヴィクトル・ペレーヴィン『宇宙飛行士 オモン・ラー』尾山信二訳(群像社10、原著92)

07-04)カミ『機械探偵クリク・ロボット』高野優訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ10)
07-03)ロバート・W・チェイムバーズ『黄衣の王』大瀧啓裕訳(創元推理文庫10)
07-02)青柳瑞穂訳『モーパッサン短編集(三)』(新潮文庫71)
07-01)フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『金剛石のレンズ』大瀧啓裕訳(創元推理文庫08)

06-01)ホルヘ・ルイス・ボルヘス『創造者』鼓直訳(国書刊行会75)

03-01)山田登世子編訳『モーパッサン短篇集』(ちくま文庫09)

非小説
09-02)岡村秀典『夏王朝 王権誕生の考古学』(講談社03)
09-01)堤未果『ルポ貧困大国アメリカ2』(岩波新書10)

08-03)原田実『もののけの正体怪談はこうして生まれた』(新潮新書10)
08-02)四方田犬彦『「七人の侍」と現代――黒澤明再考』(岩波新書10)
08-01)邦光史郎『太平記の謎 なぜ、70年も内戦が続いたのか』

07-03)トム・ベッセル『ジョージ・ルイス ジャズマン・フロム・ニューオーリンズ』小中セツ子訳(10)
07-02)小原秀雄『街のホモ・サピエンス自己家畜化するヒト』(徳間文庫99、元版81)
07-01)春日太一『時代劇は死なず!京都太秦の「職人」たち』(集英社新書08)

06-09)中山康樹『マイルスvsコルトレーン』(文春新書10)
06-08)大橋博之編著『日本万国博覧会パビリオン制服図鑑』(河出書房10)
06-07)小田切博『キャラクターとは何か』(ちくま新書10)
06-06)楡周平『衆愚の時代』(新潮新書10)
06-05)前島賢『セカイ系とは何かポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書10)
06-04)NHK大阪「今城塚古墳」プロジェクト『NHKスペシャル大王陵発掘!巨大はにわと継体天皇の謎』(NHK出版04)
06-03)森浩一・門脇禎二編『第7回春日井シンポジウム 継体王朝』(大巧社00)
06-02)寺尾紗穂『評伝川島芳子 男装のエトランゼ』(文春新書08)
06-01)水谷千秋『謎の大王 継体天皇』(文春新書01)

05-02)橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書06)
05-01)橋元淳一郎『時間はなぜ取り戻せないのか』(PHPサイエンス・ワールド新書10)

04-01)春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書10)

02-03)長山靖生『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』(河出ブックス09)
02-02)筒井康隆『アホの壁』(新潮新書10)
02-01)石原千秋『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』(河出ブックス09)

 




「縹渺譚」が!?

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月11日(月)19時04分35秒

返信・引用

 

 

ありゃりゃ、東京創元社の近刊予告から『縹渺譚』が消えちゃってる!?

最近PCの調子が悪くて(たぶん寿命)、しばらくyoutubeを聴いてなかったのでしたが、今日久しぶりに繋いだら、こんなアルバムが見つかった(↓)。たまに見るもんですな。

これは日本未発売ですよね。録音が1967年2月15日。ということはアルバム「エクスプレッション」収録曲と同じときに録音したものと思われます(「オファリング」は多分エクスプレッションと同じテイク。聴き比べてませんが)。
サンスターのコメントに「宇宙が表現されている」とありましたが、まさにまさに。エクスプレッションの姉妹編的内容で、いずれ劣らず素晴らしいのだけれども、わたしのフィーリング的にはこっちの方がより好みかな。


  1. Seraphic Light    2. Sun Star 

  3. Stellar Regions     4. Iris   

  5. Offering     

ということで、ある日突然更新が途絶したら、PCが壊れたものと思ってください(^^; まあケータイから繋げますが。

 




「ぼてぢゅう一代」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月10日(日)21時26分38秒

返信・引用  編集済

 

 

阿部牧郎『ぼてぢゅう一代』(双葉文庫87、元版74)、読了。

いやマイった。下の書き込み後、いっきに内容が充実してきたではないですか。丁度ミヤコという女が登場してきたのを境にそうなってきた。筆が伸び始めたといますか、あの手の描写まで必要最小限となり、そのうえあろうことか、どこへ消えたんやと言うておったブローカーも再登場し、物語にしっかりと絡み始める始末で、これはいささかあなどりがすぎたようです。阿部先生には早とちりまことに申し訳なくお詫びいたしますm(__)m

ぼてぢゅうに三系列(ぼてぢゅう総本家、大阪ぼてぢゅう、ぼてぢゅうグループ)あるのは本書を読むまで知りませんでした。私が専ら利用していたのは(といっても若い頃の話ですが)、千日前通りから戎橋筋に入ってすぐ左折した御堂筋の手前の右手の店で、今調べたら大阪ぼてぢゅうのお店のようです。創業者である主人公の店ではなく、主人公を拾って、単なるお好み焼き職人から経営者としての視野に気づかせてくれた宮永の店です。で、ぼてぢゅうグループがくだんのブローカー木村の会社なんですね。

ところで、この宮永にしろ木村にしろ、主人公西野の周りに入れ替り立ち替り現れる女たちにしろ、私はちょっとみんないい人すぎるなと思わないでもなかったのです。ちょっとキレイごとすぎるような。実際はもっとドロドロしていても当然なのではないでしょうか。みんな大阪の人間なのに(>おい)。
たとえば宮永から独立する際、主人公と行を共にした郷が、いともあっさりと広島へ去るのは、勘ぐれば実質西野一家の所有である店からていよく追い出されたのではないのか。私にはそのようないきさつがありありと想像できるわけです。
もとより関係者からの聞き取りを元にしているんでしょう。関係者が悪いことを言うはずがありません。で、その口ぶりの中に作家が何かを察したとしても、取材協力者を貶めるようなストーリーは作れなかったのかも知れませんが、そこはちょっと不満が残りました。描写のレベルでは下品なのに、描写の手前のストーリー作りのレベルで、いささかキレイすぎる憾みが残った。白黒つけがちでダークに目がいかないのは作家の個性なのかも知れませんが。
ともあれ十分以上に面白く、読んだ甲斐があった。ぼてぢゅうのお好み焼きが無性に食べたくなってきました(笑)。

 




「ぼてぢゅう一代」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月10日(日)13時38分9秒

返信・引用  編集済

 

 

『ぼてぢゅう一代』は半分。いまいちだなあ。せっかくの材料なのに、料理が下手すぎる。展開がはやすぎ、というかもっと膨らませられるはず。というかふつう膨らんでいくでしょう。ララ物資をみこして主人公にメリケン粉をおろしたブローカーはその後どうなったんや、とか。もっと各方面に繋がっていかにゃ面白くないのであります。
それで300頁あるのは不要なポルノめいた描写であいだを埋めているから。スポーツ紙の連載小説はそっちの縛りがあるのかも知れませんが、それにしても、素材に対して著者自身が見逃している部分が多いのでは。絡みは絡みでも人間関係の絡みがすっぽり抜け落ちているような。
これは著者の眼力にも問題があるのかも。
たくさん書いてはりますが、大半は官能小説で、つまり社会的な観察眼があまり要求されないファンタジーなジャンル。はばかりながらチェット・ベーカーり生意気なことを言わせていただきますがね、著者が直木賞をとったとき、これでしょうもない小説は書かなくてすむ、といっていたように記憶しているのですが(なぜ覚えているかというと、そのとき「なんと不遜な」と思ったからです)、むしろ官能小説でこそ生き残ってこれた作家なのかも。この点でもセルフイメージ、自己認識がファンタジーに曇っているともいえるわけで、若い頃遊んでないカタブツな人が向いてない舞台で一生懸命書いている(単なる官能小説は社会的経験を必要としないから書けるんです。極端な話、官能小説は中学生にだって書けるものです)というイメージがどんどん醸成されてきつつあるところ(ーー;。
や、こんなにディスるつもりはなかったんですが(^^; しかし書いているうちにどんどん読む気が失せてきた。いかんなあ。こんな時は喫茶店へ行くと(他にすることがないので。家では他にいくらでもすることがある)読書が進むのですが、今日は(昨日から)だんじり祭で家の前の道路が封鎖されている。車で外出できない蟄居状態。困ったなあ。

 




「黒い仏」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 9日(土)18時43分46秒

返信・引用  編集済

 

 

殊能将之『黒い仏』(講談社文庫04、元版01)、読了。

「なんじゃこりゃー!」
俺は読み終わったばかりの本を取り落として腹を押さえた。血は出ていなかった。あれ? 俺は考え込んだ。考え込むまでもなかった。そうだ今叫んだ「なんじゃこりゃー!」は、読み終わった本に対しての叫びだったのだ!!

  (し〜ん)


えと。
すみません。ついコーフンしてワケのわからん書き出しになってしまいました。
しかしまあ、実際本書は、なんじゃこりゃーな話であるとしかいいようがないのです。それもそのはず、本書は「ネオ伝奇・アンチミステリ・ユーモア・時間SF」なのです(いま私が定義しました(^^;)。なんじゃそりゃー?
で、その4つの要素のうちで、一番重心がかかっているのが「アンチミステリ」の部分。この時刻表トリックの実体は、明らかにミステリの(アプリオリな)筆法を根底から否定するものであり、本格ファンの90%は、おそらく本書を許容しないでしょう(笑)。

本篇を要約するならば、《古きもの》の眷属(大生部の多の子孫?)が名探偵の名推理による「冤罪?」(それも予め定められた・永劫回帰する!)で自殺してしまう、という話なのです(>おい)。そしてそれは取りも直さず本格ミステリの定まった文法を笑い飛ばすものとなっている。アンチミステリと考える所以であります。
またその強引な時間テーマの部分は、(円環のパラドックスは『脱走と追跡のサンバ』を想起させます)『トランプ譚四部作』とりわけ『悪夢の骨牌』を彷彿とさせるところがあり、その点もアンチミステリっぽく感じさせるところで、それゆえ全体の色調がユーモア小説的であるにもかかわらず、そこはかとなく幻想小説のイメージがひらめく、そんな重層的な構造になっているように思われます。

「重層的」をもう少し説明します。本篇のストーリーは基本的に会話によって進行する。むしろ掛け合い漫才的に進むといいたい。こういう進め方はユーモア小説の一つの型であると思います。そしてその会話の中で、作品の舞台は福岡でジャイアンツとホークスの日本シリーズの最中という設定なのですが、くどいほどその話題が蒸し返されます。こういうのもユーモア小説の手法のひとつです。ロックやポップのトリビアな知識が随所に篭められる独特のユーモア感覚も堂に入っていて、読み継ぐのがとても楽しい作品になっている。このように、基本ユーモア小説なのですが、その基台の上に伝奇小説的な主題が載っており(伝奇小説の層があり)、それをめぐって(SF的要素を取り込んだ)アンチミステリが展開される作品と見做すことができる訳です。むしろごった煮というべきかも(^^; とにかく面白かった(^^)。いやーこの著者、もっとコムヅカしい小説を書く作家だとばかり思っていたので、この軽さ、軽妙さは意外だったなあ。他の作品もそうなのかしらん。読んでみようかな。

しかしながら、本篇はどうやら、あの、いわゆる《古きもの》ジャンルへのオマージュになっている気配なのですが、私自身はその方面の知識が殆どないので、その点は読み切れていないと思われます。
というわけで、本書はなんじゃこりゃー小説の怪しからん傑作であり、もし未読でしたら、是非とも読んでいただき、「なんじゃこりゃー!」と叫んでひっくり返って頂けましたら幸甚であります(>って何なんだよ)(^^ゞ

『ぼてぢゅう一代』に着手。

 




「警察庁から来た男」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 8日(金)20時39分37秒

返信・引用  編集済

 

 

佐々木譲『警察庁から来た男』(ハルキ文庫08、元版06)

『笑う警官』の続篇というのか、北海道警大通署の件のメンバーが、その半年後に遭遇した事件の顛末です。
ここまで10冊弱の警察小説その他の小説を集中的に読んできたわけですが、さすがに小説としての厚み、リアリティ、リーダビリティはずば抜けています。下に書いたように半徹して一気に読了した、いや、させられてしまった次第。
で、読み終わったら回想するのです。そこでふと思ったのが、「小説の面白さは髄一だったんだけれども、<警察小説>としてはどうだったろう。やや薄かったような」という、ないものねだりな感慨でありました。
もちろん私が考える<警察小説>として、なのですが。
それはいわば、私も言うし時どき目にもする「宇宙小説ではあるけど、SFじゃないなあ」という感覚に近いようです。

ストーリーは、ある意味『刑事長』のダンさんと『果断』の竜崎が一致協力して、というよりも、両面から挟みこむようにして、道警に巣食う癌を退治する話で、まさに鉄板のストーリーラインといえる。
しかし挙げられた「癌」は、警察という組織自体の制度疲労、自家中毒では必ずしもないんですよね。本庁である警察庁が道警内部の良心と共同して道警の腐敗を摘発するものであって、警察組織の組織性自体が俎上に乗せられているわけではないのです。構造的な何かを摘出するのではなく、一回的、偶発的な腐敗が取り除かれるだけといえます。

この点が、私には(読後にですが)不満と感じられた。実は『笑う警官』の感想でも、同じような不満をいだいており(『警察小説大全集』所収の短篇にも)、同じ感想が三回も続くということは、案外に著者の<想像力の射程>は短いのかなと思っちゃいます。→こちら
これはどうやら、著者が「<警察小説>を書きたい」と思って創作活動に入ったのではなく、おもしろ小説を書く、その舞台として警察小説が選ばれている、ということではないでしょうか。SFを書きたいと思って書いている作家と、数あるレパートリーの一つとしてSF書く作家がいるのと同じで、70年代以来、我々はそのような感覚でSFに参入してきた作家を数多く知っており、そういう作品の多くが(SF読者には)薄味と感じられるものでしかなかったのは言うまでもないところでしょう。
警察小説はすべからくoutsider insideの物語でなければ、その(ジャンルとしての)存在価値はないように、私には思われます。あれ、こんなにディスるつもりはなかったんですが(^^;

 




あの真珠色の朝を?

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 8日(金)10時42分11秒

返信・引用  編集済

 

 

『警察庁から来た男』は一昨日読了済み。やめられず明け方までかかったが読みきった。そのまま起きてようと思ったんだけれども、我慢できなかった。2、3時間は寝たのかな、それでも昨日は下の投稿後バタンキュー。この歳になると、半徹でも翌日にこたえてしまうんですよね。
いや、この歳になると、なんて仲間を引きこんではいけません。体力管理が出来ていないだけ。ちょっと真剣に体力回復を考えなくては(気力かも)(ーー;
ああ、昔のように貫徹したいなあ。や、これは「あの真珠色の朝を……」なのか? 逆なのか?(笑)

ということで『黒い仏』に着手。

 




村上芳正展のお知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 7日(木)21時45分55秒

返信・引用  編集済

 

 

三島由紀夫、吉行淳之介、瀬戸内晴美、渡辺淳一、沼正三、赤江瀑、 日影丈吉、連城三紀彦……。
多くの個性派作家に愛された村上芳正画伯初の個展が、11月6日から一週間(13日迄)、ギャラリー・オキュルスにて開催されると、本多正一さんから教えていただきました(プロデューサー? フィクサー?(^^;)。
『家畜人ヤプー』『戻り川心中』『暗黒のメルヘン』『四面道』など、村上芳正の代表的な原画を中心に展示されるとのこと。
村上芳正というその名前はご存じない方も多いかと思います(私もそうでした)。が、作品をご覧になれば、ああ!あの画家さん!! と得心されるのではないでしょうか。
これはちょっとなかなかない展覧会だと思います。私も行けるようでしたら行くつもり(ただご存知のかたは御存知の通り近々(現状金額未確定の)ある大きな出費が控えており、その金額次第です(>おい)(^^;。

詳細はこちらで→http://barano-tessaku.com/index.html

追記>引用文、フライングだったようで削除しました。すみません。そのうち復活します(かも)(^^ゞ

 




眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 7日(木)00時27分32秒

返信・引用

 

 

眉村さんが出演されます「福祉ネットワーク」(NHK教育テレビ、20:00〜20:30、再放送あり)は明日が放送日ですよ!
みなさん、お忘れなく〜(^^)→http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/

 




「特捜弁護士」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 6日(水)20時58分0秒

返信・引用

 

 

姉小路祐『特捜弁護士 十三年目の復讐』(カッパノベルス93)、読了。

著者10冊目の本とのこと(著者のことば)。デビュー作以来まる4年で10冊(2.5冊/年)というのが多いのか少ないのか、にわかには判断がつきませんが、残念ながら本篇は出来が悪かった。ストーリーが不自然すぎます。トリックも不自然。というかこれで成功するものなのか。機械トリックなのです。得てして機械トリックは読者の首を傾げさせるもんなんですよね。ストーリーに戻りますが、不自然なばかりか、既刊作品と同じ設定の流用・使いまわしが散見されます。実の親の再婚で血の繋がらない兄弟があることが重要な契機になっているのは、前作『期待された死』と同じモチーフです。主人公がある理由で弁護士を廃業しているのは『非法弁護士』と同じモチーフですが、これは本書の方が先に書かれています。やはり短期間に10冊も書き続けると、「ストーリー」の手持ちがなくなってくるのでしょうか。
しかし書き手には、書きたい、訴えたい、ストーリーに盛り込みたい「内容」はいっぱいあるようです。

本篇のテーマは、かつて初陣の法廷で失敗し、依頼人の冤罪を晴らせず無期刑囚としてしまった主人公の元弁護士(その後10数年間を底辺労働者として社会経験を積む)の前に、ひょんな偶然で過去の、当の事件が再び現前し、主人公が敗者復活戦を敢行するというもの。
それは同時に、法曹関係者が超難関の司法試験によって選抜されるという仕組みゆえに、弁護士にしろ検事にしろ判事にしろ、10代〜20代を勉強一筋の石部金吉で過ごし、社会の「現実」のありさまを殆ど知らないままその職に携わっているため、かかる「世知」の疎さが冤罪を招いている場合があるのではないかという問題提起です(たとえば弁護士が連れ込みホテルのオーナーに宿帳の提出を求めてオーナーに嘲笑される。裁判官がそれを咎める場面)。

主人公は折にふれて、当時の自分自身がいかに自立しておらず受動的で世間知らずで、そんな青二才が、なんと身の程知らずにも弁護活動をしていたかを思い出し切歯扼腕します(また関係者から「当時のあんたが今くらいのガッツがあったらねえ」などと言われる)。過去の主人公のその姿こそ、現在の制度下での司法に携わる者の姿であると、著者は言いたいのでしょう。

折角のそのような問題提起が、ストーリーの不自然さによって十全には展開出来ていないのが惜しまれます。

『警察庁から来た男』に着手。

 




「期待された死」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 5日(火)21時40分18秒

返信・引用  編集済

 

 

姉小路祐『期待された死』(双葉ノベルズ92)、読了。

離婚後、「前社員再雇用優遇制度」で古巣の生保会社に復帰した主人公、辞令先は(元の本社勤務事務職ではなく)「査定課継続調査室」、つまり保険金詐欺等が疑われるダークな保険金請求者の調査員としてなのでした。
めずらしく女性が主人公。しかも調査室は主人公を含めて三人だけ。超近代的な生保の自社ビルではなく、古い雑居ビルの一室という、とんでもない部署に配属され、続くだろうかと不安だった主人公ですが、次第にその仕事に熱中していく。女性が主人公だからか、なんか2時間ドラマでありそうですね。そんな著者にしては軽めのストーリーです。しかし内容は重い。

不良女子中学生が転落死し、両親が生命保険の支払を請求してきます。しかしその生命保険は、災害時倍額特約という掛金も高いもので受取額は4000万円。しかしまだ一回目の支払いが済んだばかりの「ニアロス」(事故(ロス)が契約加入から短期間に起こったケース)だった。警察は事故と認定したのですが、保険会社は保険金目当ての殺人の可能性も考慮し、この案件が主人公の初陣となります。
まず、父親が財テクに凝っていて、バブル崩壊(本書は92年刊)で1000万の負債を背負ったことが疑われる。
昨日の『果断』で、盗人にも三分の理とかきましたが、この父親は株暴落の影響をモロに被ったわけです。ところが主人公のつとめる生保会社のような「大手の顧客」に対しては、当時証券各社が「損失補填」をしたことは山一證券や野村證券の例がただちに思い出されます。そのような次第で、バブル崩壊をモロに被ったのは個人投資家だったわけです。
このようなゆくたての中で明らかにされる生保会社の「しくみ」を知れば、たとえ父親が犯行者だったとしても、いささか「考慮」されるのではないでしょうか。「ルールを守らない者は社会に居る場所はない」ときっぱりとは言えなくなるように私には思われます。追記すれば父親は犯行者ではありません。結局少女は殺害されていたことを、主人公はつきとめます。ところが、その犯人は実に意外な人物だった。その意外さ加減は、Yの悲劇を彷彿とさせるほど(>おい)(汗)

結末は最近はやりの「イヤ小説」になっています。しかしこの意外な犯人ですら、ある意味被害者なんですよね。そういうすっきりと、きっぱりと断罪できない、白黒をはっきりとはつけられない「社会の現実」を、著者は、本篇でもまたしっかりと小説に定着させています。

それにしても、たしかに親を受取人として子供にかける生命保険て、一体何なんでしょうね。私も何の疑いもなく掛けていますが、まさに生保会社の術中にはまってしまっているのかも。

『特捜弁護士』に着手。半分。

 




「果断」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 4日(月)21時25分36秒

返信・引用

 

 

今野敏『果断 隠蔽捜査2』(新潮社07)、読了。

この著者は今回が初読。ずーっと偏見があって読まず嫌いだったのですが、いやこんなしっかり地に足の着いた作品を書く人だとは思わなかった。おみそれしました。

東大卒のエリート警察官僚が主人公です。といっても身内の不始末による降格人事で、本庁から大森署の署長に左遷されたばかりという設定(しかし刑事部長(≠部長刑事)とはオレオマエの間柄)。この主人公、「変人」として有名なんですが、それは度を越えた「合理主義」精神の持ち主だからなんです。と同時に(それに関連するわけですが)とんでもない堅物で、勤務中に入院した妻を見舞いに行くことすら躊躇するほど。そんな主人公には、所轄署の、まるで戦前の公安警察から連続しているような非合理で硬直した、親方日の丸な組織ががまんならない。
ところが、着任早々消費者金融強盗事件とその逃走犯による人質立てこもり事件が起こる。主人公は前線本部に詰めて指揮監督する。

この辺から警察の組織的活動がリアリスティックに描写されます。姉小路のダンさんものは、いわばはみだし刑事が単独で(いいかえれば組織を乱して)活動する話ですから、それに比べるといかにも「本格警察小説」の趣きがあります(笑)。それはやはり主人公を統括する立場に据えているからで、ダンさんが蟻の視線だとすれば、本篇の竜崎は上空に浮かぶ鳥の視線といえるかも。

そのようなリアリスティックな警察の対応が、走らないしっかりと地に足の着いた着実な筆致で描かれるのですが、しかしそれがとりもなおさず、警察機構の(主人公が所轄のあり方に感じたのと同じ)非合理性・硬直性・親方日の丸体質が、自然に浮かび上がってくるようにもなっているところがなかなかの技!
結局、本篇はノンキャリアの人情派のダンさんとは正反対なエリートではありますが、変人とあだ名されるほどの合理精神の持ち主に主人公を設定することで、同じく警察機構の矛盾を明らかにしようとする小説になっています。

ただ、先程からいうように、本篇は「上から目線」ではある。蟻の視線では見えるものが、上から目線では見えないことも、あるのではないでしょうか。主人公はいいます。
「社会的な弱者のすべてが犯罪者になるわけではない。自分が属する社会の約束事を守れない人間は、その社会に所属する資格はない。それがルールだ」(106p)

これは確かに正論です。本篇の犯人は、消費者金融に強盗に入るのですが、なぜそんな凶行に及んだかは全く説明がないのですよね。つまり犯罪者としてのみ作品世界に存在している。ある意味作者にとって、犯罪者の言い分など問答無用なのかも。
ここが姉小路作品と決定的に異なる点なのです。姉小路作品では、犯罪者は必ず何らかの(盗人にも三分の理であるかもしれませんが)已むに已まれぬ差し迫った事情で犯行に及ぶのです。もしこの作品を姉小路が書いたならば、まず間違いなく犯罪者はなぜ犯罪者になりしかが描かれていると思うのです。
上記主人公竜崎の言は、いかにも合理主義者らしいスパッとした割り切り方ですが、現実はそんなに簡単に割り切れないのではないか。
本篇は大変面白く、筋立てもしっかりした警察小説の秀作であるのは間違いないところですが、その視線の位置は見下ろすもので、実は上意下達な一方通行の警察機構と同質の向きなんです(本人は認めませんが、主人公がオレオマエの仲である刑事部長を実質的に傘に使っているのは間違いない)。だから駄目だと否定はしませんけれども(むしろもっと読みたいという気持ちがムラムラと湧いてきているところ)、大変面白く読んだ本篇ではありますが、読中ずっと小骨が喉に刺さっているような違和感を覚え続けたのも事実なのでした。

ということで、『期待された死』に着手。半分。

 




いろいろ

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 3日(日)22時59分39秒

返信・引用  編集済

 

 

いろいろとつまみ読み。

原田実「あまりにお粗末!「纒向遺跡=邪馬台国」論」(季刊邪馬台国2010年7月号所収)
本篇を読むと、やはり歴博の発表は拙速杜撰の感を免れませんね。しかし単なる杜撰なのか? それが「事実」の究明とは無関係な、「諸事情」によるものだとすれば、これはもう大阪地検と異なるところがありません……いや想像ですが。
関大の経済学の教授が
「纒向遺跡が邪馬台国と確定した場合の奈良県への経済効果について147億円との試算を出している」(124p)とのこと。(計量)経済学って本当につまらない学問ですね。まさに「虚学」というべき。虚学が虚業を生ぜしめるんですよ。そして虚業であっても実際に金が動き始めるんですから(あ、だから実学なのか)、資本主義というのは怪物ですね。共産主義は幽霊ですが(^^;

「月刊俳句界」2010年10月号の<文人俳句特集>をぱらぱらと読んでましたら、半村良の色紙↓が掲載されていました。で、思い出した。私はシンコンのサイン会で半村さんに下と同じような色紙にサインをいただいたのでした。現物現在行方不明中で記憶も薄れていますが、やはり同じような構成で一言(一句?)書いてくださっていました。あれも俳句だったのかな。
ほか、(きちっとは読んでないのですが)目にとまったのを掲載順にいくつか。

  凩や海に夕日を吹き落す  夏目漱石
  落ちる葉は残らず落ちて昼の月  永井荷風
  ゆきふるといひしばかりの人しづか  室生犀星
  金魚売買へずに囲む子にやさし  吉屋信子
  一の火も二の火も点し雪の路地  永井龍男
  星とぶや橋ゆく人の影の上  吉岡実
  うららかや 前の舟また あとの舟  森鴎外
  本売って酒ととのへぬ秋の風  山本周五郎
  浮浪児の俄かにはしやぐ花吹雪 吉屋信子
  蛍あまた庭に放ちて舞踏会  三島由紀夫
  冬空に旗の狂乱音もなし  眉村卓
  姥巫女が梟抱いて通りけり  泉鏡花
  はね橋のはね上げてあり冬の月  和田英作
  人をらぬ冬の噴水踊りをり  眉村卓
  夏の日の運河に浮かぶ新聞紙  媚庵(藤原龍一郎)
  風死せり絵の具の厚き抽象画  倉阪鬼一郎

『果断 隠蔽捜査2』に着手。半分。

 




「刑事長 四の告発」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 2日(土)22時25分13秒

返信・引用  編集済

 

 

姉小路祐『刑事長 四の告発』(講談社ノベルス93)読了。

指を負傷しメスを握れなくなった開業医が、尾羽打ち枯らして自殺した――と警察は最初そう判断した。ところがその背後には警察官僚とパチンコ業界の癒着という巨大な悪の構図が隠されていた!

いやー面白かった。今日も仕事を……あ、休日でした(^^;。

「そんな役所みたいな」/「警察は、れっきとした行政機関、役所だよ」(135p)

ということで、本篇でも問われるのは、いわゆる「お役所仕事」であってはならない警察が、併しれっきとした役所であることの矛盾です。そこでは通例の役所同様、減点評価がなされているため「後ろ向き」「ことなかれ主義」になびきやすい。本篇でも(中之島の手前の)大川の水死体を両岸の京橋署と北署がそれぞれ水死体を向こう岸につき合うようなことがあったと書かれています(笑)。いや笑い事ではありません。あるいは一旦出した判断を変更することは、減点主義ゆえになかなか難しい。すなわち真実の追究よりも保身が優先されて失敗隠しの辻褄合わせで冤罪が起る、というより起してしまう場合がある。
本篇でもそのような体質が事件を見えにくくしています。それと官僚機構としての警察の上意下達体質。
そんなところに、許認可権をもつ警察官僚が、お目こぼしを期待して擦り寄ってくる業者と癒着したとしたらどうなるでしょうか。それを捜査するのが警察なわけですが、そのような体質からして、機能しなくなる可能性が高いわけです。

つまりは本篇のダンさんのような、出世を屁とも思わない、ある意味横紙破りの独行者、文化人類学で言うところの「制外者」(山口昌男)のみが、それに応えられる。もとより制度内に居る制外者であるわけで、結局「インサイダー」と同義です。しかしながら組織は、組織を紊乱する者に対しては排除の論理が働く。本篇の主人公が、

「ダンさん、あんたは自分の所属する組織に対して、矢を放ったも同然や。サラリーマンが、自分の会社の悪事を告発したのと同じやで」(169p)

と(たとえ正しくても)糾弾されるのはある意味当然なのです。山口昌男によっても、神話における「制外者」に待っているのは常に「死」であるとされます。しかしながら制外者の働きによって制度に亀裂が生じ、その結果(不易と思われていた)制度は変化します(再生)。トリックスターの死によって世界は再生するのでした。

本篇は、警察の機構的な犯罪を一応明らかにして終結します。しかしこの程度では組織は揺がないでしょう。

「ダンさん、大変な戦いだったな」/「いや、これからがもっと大変や。彼らの供述をしっかり取り、裏付けを固めて、中央に向かって矢を放つ仕事が待っとるさかい」/「まだやるのか」/「あたりまえや」

すなわち、主人公による制度紊乱は端緒についたばかりということのようです。本シリーズの最終巻のタイトルが『刑事長 殉職』であるのが気になります。

 




「殺意の法廷」

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月 1日(金)18時54分35秒

返信・引用  編集済

 

 

姉小路祐『殺意の法廷』(カドカワノベルズ91)読了。

これも面白かった。仕事そっちのけで読みふけっちゃいました(^^;。
東京地検特捜の超エリートが、福岡地検にも特捜部を作ろうという意図のもと送り込まれます(特捜部があるのは東京、大阪、名古屋の三地検のみ)。このエリート検事が、このたびの大阪地検特捜の事件を彷彿とさせる、ストーリーを作って被疑者を冤罪に陥れるために、証拠品に改ざんを加える話。しかしこの操作が逆に主役である老弁護士の注意を引き、検事の犯行がバレます。
20年前の作品ですが、まるで同じ構図なんですよね。というか、本書でも指摘されていますが、1953年の徳島ラジオ商事件も同様の、地検のストーリーによる冤罪というわけで、そもそも根が深い。検察という「官」の在り方そのものが内包する或る危険性に思いを致さずにはいられません。検察官という究極の「独立者」であるべき者が、上下方向に階梯をもつ官僚機構のピラミッド構造に組み込まれている矛盾です。そのような構造を見切る著者の視線は鋭い。だからこそ本篇は、20年も前の作品なのに、このたびの事件を予見したような作品になりえているわけです。
老弁護士に協力した女性検事の、
「検察自体の不正の告発は、検察内部に居る者しかできない」というのはそのとおりで、検察官たるものはすべからく(眉村さんがいうところの)「インサイダー」たるべしなんですよね。なんですが……。

 



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