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アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』(河出書房10)
再読、了。ゆっくり読んでいたら、案の定、年末になってしまいました(^^)。本書でことしの読み納め。よい本で締めくくることができました(それに合わせたことは内緒だ)。
いやそれにしてもいっぱい笑わせてもらいました〜。偉大なるユーモア小説というべき。基本ヨシモトなんですよね(>おい)。いやホンマですよ、新喜劇というか、要はドタバタ。ただしそれはとんでもないウンチクと絡めて繰り出されるので、ドタバタなのに重厚感があるという、ちょっと他に類例にない不思議な読み心地でありました。
本書は、表紙裏と裏表紙裏に、共に見開きで、現実には存在しない架空の国家スキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国の、首都ベラの地図と、その版図がオーストリア=ハンガリー二重帝国の南に展っている19C末〜20C初頭の<バルカン半島>の地図が印刷されています(どちらもJ・ウェストフォール刻とあります。ウェストフォールって誰なんでしょう?)。私はこの世界そのものが、本篇の主人公だと思います。
表向きは短篇集の体裁ですが、実はこの<世界>そのものが主人公の、ひとつづきの長篇なのです。いうなれば『ヴァーミリオン・サンズ』のような小説といえば近いでしょうか。したがって読者は、この世界に入り込んでしまうために、まずかかる地図を頭に叩き込んでおいたほうがよいと思うのです。
そんな理由がなくとも、私は地図が大好きですから、しげしげと小一時間見入ってしまいました。で、いろいろ発見。ルリタニアはこんなところにあったのか(ゼンダ城はたしかに国境に位置してます)、とか、ヒューペルボレオスってこんなちっちゃな地域だったのか、とか、琴欧洲の出身地は、してみるとパンノニアに含まれるのか、ゼンダ城からもそう遠くないな、とか、ウロクス人は民度が低く差別されているようだが、<この世界線>ならばサラエボ辺であるな、セーブル河はボズナ川かな、とか、イリリアは古代民族の地名かと思っていたのだが、調べたらそうでもなく、クロアチア人が自称する場合もあるのか、とか、どうでもいいことまで含めていろいろ妄想してしまうのでした(笑)。
以下箇条書きに――
・本書の世界にはアヴァール人(語族)というのが700万人という大勢力で存在するのですが、現実のアヴァール人は、スラブ人がバルカン半島に南下してくる前にドナウ河畔にいた東方起源の遊牧民です(柔然説あり)。もちろん「この」バルカン半島には存在しない民族。
・スロヴァチコ人は、最初スロバキア人のことかと思っていたのですが、件の地図に当たればベオグラードの西北域が居住地域らしく、スロバキア人では合わない。(この世界の)スロベニア人かと思われます。
・(地図上の)アグラムはザグレブですね。
・としますと、現在のスロベニアの領域は、小説世界のオーストリア領になる。スロヴァチコ人は現スロヴェニア人居住地より南東にいたという設定か。
・つまりブーメラン型の実存するクロアチアの国土の西翼がイリリア(クロアチア)で、東翼にスロヴァチカ(スロヴェニア)人がいた?
・となりますと、彼のウロクスがボスニアヘルツェゴビナと定まる。上記したようにウロクス人は蔑視されていたようですが、なるほど蔑視されてるわけだ! このへん現実が反映されていますね(ただし「真珠の擬母」に描かれる小ウロクス領の描写は、たしかにきわめてど田舎の印象ですが、回教世界ぽいものではない。このあたりの現実についたり離れたりする出し入れは、著者の恣意、ただし絶妙のそれです)。
・ボスニアに回教が広まる前は、グノーシス系のボゴミール教が信仰されていたんですね。妄想ですが、ウロクスにボゴミール派が残っていたら面白いんだが。そうすると、『マラキア・タペストリ』と繋がるんです(笑)→チャチャヤン気分(と期待していたら、「神聖伏魔殿」で「ブルガリアの魔人崇拝」「キリスト悪魔教」が実際に出てきて大笑い)
・アヴァール語族が700万人に対して、スロヴァチコが350〜400万(約半分)というのはいかにも少ないような気が……。しかし「これは三重帝国に」(47p)在住する人数ということ。つまりオーストリア領内(現スロヴェニア)とに分断されている(合計で700万)という含意なのではないでしょうか。
・ところが、いま調べたらスロヴェニア人の推計総人口は250万人! うーむ。かの世界は現世界より人口稠密なのかな(^^;
・と一瞬思いましたが、この350万は、三重帝国外人口(現スロヴェニア領人口)からデイヴィッドスンが推計した架空の(地図に切れ目を入れて継ぎ足した)三重帝国内の架空のスロヴァチコ人口なんでしょう。
・だいたいアヴァール語族700万人というのが、現実には存在しない数字(笑)なんですから、スロヴァチコ人の350〜400万というのも存在しない数字。
――と、妄想の上に妄想を重ねてしまいました。もとより私の勝手な想像です。当たるも八卦、当たらぬも八卦(^^;。こういうのはデイヴィッドスン本人に訊きたかったな。「先生これはこうでしょ?」 「ふっふ、残念でした。キミそれはやな、実はこうなんや」、嬉々として語ってくれそうな気がするなあ(笑)。
とまれ読むほどに、この細密に描き出される架空世界・三重帝国こそが主人公の感が強まってくるのであります。これはもはや<異郷小説>というジャンルを提唱したいほど(当然『ヴァーミリオンサンズ』も、この角度からは異郷小説と言える筈です)。
第1話「眠れる童女、ポリー・チャームズ」、この作品は、本書の解説者でもある殊能将之さんが自身で訳してネット公開していたのと、新異色作家短篇集『狼の一族』の古屋美登里訳のも読んでおり、今回が三読目。何度読んでも面白い。いや読めば読むほどその世界観が身に馴染んできて、面白さが深まってくるようです。
翻訳者はそのあたり、実によく読み込んで訳していますね。たとえば14頁、「cannot-shot」が「cannon-shot」の誤植であることをロバッツ警視総監が指摘する場面、訳者は、前者を「不可能砲弾」と訳し後者を「加農砲弾」と訳していて、語呂合わせは分かるのだが、加農砲ってなによ? 気になってきて調べたのですが、カノン砲を漢字で書くと「加農砲」なんですね。いやーこれなんか忠実に訳すことで日本語としても語呂合わせになっているわけで、訳者の素晴らしいテクニック(^^;。 訳者池央耿は、原作の雰囲気をしっかり日本語化しており、本書は最良の訳者を得ていると思いました。
ただし本篇は、第1作(解説によれば執筆順に並べられているそうです)ということもあってか、あとの作品と比べればドタバタも控えめなのですが、それでもこんな場面が――
エステルハージは聴診器を取り出した。客一同は、あぁ……、と嘆声を漏らした。
「哲学者だ」誰かが言って、別の誰かが相槌を打った。「そうよ」おそらくは二人とも、哲学者の何たるかをまるで理解していなかった。(25p)
――たまたま電車の中で読んでいたのですが、周囲も忘れて大笑いしてしまいました。さしづめ八つぁんと熊さんですね(^^;。
第2話「エルサレムの宝冠 または、告げ口頭」はさらにスラップスティック度が強まって、最後に威光を示したのが60余年前という時代遅れにもほどがあるプロヴォ(国王直筆の書状)が、なぜか絶大な効力を発揮してしまう。黄門かよ(笑)。これなどもはやドリフターズの世界ですなあ。いわば現代シリアスドラマで、あわやという瞬間、突如「控えおろう!」と印籠が示される。するとなぜか全員がははーっと平伏しちゃうようなもの。吹き出さずにはいられません。
その意味で、60頁の「これでもか!」は、「このプロヴォが目に入らぬか!」と訳してほしかったなあ(^^;
ところで、タイトル「The Crown Jewewls of Jerusalem, or,
The Tell-Tale Head」の「The Tell-Tale Head」はなぜ「告げ口頭」なんでしょうか? むろん「tell-tale」は辞書的にはそのとおりなんですが、それでは意味が通らないような……
直訳の「ほらふき」→内容に即して「誇大妄想狂」とか「夢想狂」がちかいのではないかと愚考するのです。少なくとも「告げ口」よりも意味が通る。エステルハージの骨相学による見立てでもそうだし。結局タイトルは、戴冠せる妄想頭、くらいの意味じゃないのかな? 私の訳はずばり「テルテル頭」!(>おい)(^^ゞ。
しかしこの2篇、ともにラストでは人生の苦さをしみじみ感じさせてポンと終わる、名場面になっており、作家の筆の冴えに、読者は溜め息をついてページを閉じるのでありました。
第3話「熊と暮らす老女」は、これはまるでディケンズのようなしみじみさせられる話。もちろんオーネット・コールマンが吹くスタンダード・の・ようなもの、ではありますが(笑)。狼男(超自然)の存在は曖昧なままで、否定も肯定もされない。表層的にはそうですが、読者は実在と読むはず。
第4話、「神聖伏魔殿」、あ、やっぱり「キリスト悪魔教」が出てきたではないか(^^;。いやもう、たまりませんなあ。これぞ私がSFに求める<理想型>をほぼ体現した小説といえそうです。おそらくエステルハージとグロッツ助祭の間に密約が成立していたのでしょう。巨大な異形の人面は何らかの仕掛けに違いない。劈頭のアメリカに関する話題はラストに対応している。間然するところなき傑作というべきでしょう。
なんども出てくる不思議な描写、「縫い取りのあるチョッキを両手で掴んで半ズボンの中にちろっと洩らし、全身にふるえが来て堆肥の山に倒れこむ」は、ヨシモトで、ボケに対して全員がずっこける、あのリアクションと同じ定型だと思われます。
ところで、後日譚に出てくるバイソンですが、このバイソンはヨーロッパバイソン。20C初頭に一旦絶滅します。あまりにも唐突な場面で、最初は成功報酬でアメリカに来たのかと思ったのですが、ヨーロッパでは絶滅するが新大陸では生き残っているのを、この教団に重ねあわせたものなのかも知れません。
第5話「イギリス人魔術師 ジョージ・ペンパートン・スミス卿」、これも傑作。<笑撃力>では本集中でも一等ずば抜けています。読中ゲラゲラ笑い詰め。筒井康隆もかくやの面白さで、いつ冷蔵庫からシロクマが飛び出してくるか楽しみにしていたのだが、出てこなかった(>おい)(^^;
さて本書も、本篇にいたってはじめて、まごうかたなき超常現象が目撃されます。「きゃあーっ!」(笑)
第6話「真珠の擬母」。これはめずらしくオカルト探偵らしい話。一見超自然存在が物理的に謎解きされる。筋が通って腑に落ちます。その分わかりやすすぎて歯応えがたりないかも。
ただしその筋の通り方が半端じゃありません。伝説の復活が一国の経済をゆるがすのです。まあ風が吹けば桶屋が儲かる式なんだけど(^^;
相変わらずドタバタ描写は際立っており――
エステルハージから針箱を受け取って、セリグマンはクックと喉を鳴らし、舌打ちして嬉しそうにうなずいた。「ほう、ほう。これこれ!親父の代の細工です。親父の代の。この菱形模様……。菱形模様は当時の流行でしてね」主人は螺鈿の部分を指先で軽く叩き、ちょっと間をおいて言い足した。「安物です」(201p)
ワイトモンドルはものものしくうなずいて、どこからともなく貝殻を二つ取り出した。鼻の孔からだったかもしれない。(202p)
第7話「人類の夢 不老不死」。「もう、金を作ってはいけない」って、おい。そんなに簡単なのか(^^; もう、ムチャクチャでござりますう!
錬金術書バシリウス・ヴァレンティヌス「十二の鍵」からの引用があるのですが、この著書、実在し、引用部分も作者の創作ではないようです。ネットに訳文がありました(なんでもあるな、ネット)→バシリウス・ヴァレンティヌス「十二の鍵」の翻訳(「南の不死鳥」云々の一文もあり)。おや「逃げるアタランテー」なる書物もあるのか(cf山尾悠子)。
第8話「無限泡影」。これは一転、謡曲小説です。全編を覆う滅びのイメージ。御大は夢で枯野を駆け巡る、もとい大都ベガを駆け巡り、エステルハージはそこに帝国の滅びを重ねあわせるのでした……。
以上で全篇の読み終わり。
結局エステルハージとは何者だったのか。オカルト探偵? 否。オカルト探偵のように超自然現象を合理的に解釈したのは第6話「真珠の擬母」だけなのです。
エステルハージは推理してなにかを解決したか? 基本なにもしていません。かろうじて第2話「エルサレムの宝冠 または、告げ口頭」が捕物帖の形式に則っており、犯人を突き止めますが、突き止めたときには犯人は既に自殺したあと。解決してはいない。
一つ一つつぶさに思い出してみれば、エステルハージ独自の魅力というものはほとんど見つけられないことに気づかざるを得ません。ホームズのようにキャラ立ちしているのでもありません。つまりエステルハージとは「世界」を描写するための<狂言回し>でしかないようです。結局著者は、三重帝国という、ありえない架空世界を望見する視座として、エステルハージを創造したのです。やはり主人公は、エステルハージによって見られた奇妙奇天烈な「三重帝国」そのものなのであって、本書はたしかに<異郷小説>と呼ぶのが相応しいように思われるのです。
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