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かんべさん
ぜひぜひ! 使って頂ければ光栄でございます(^^;。あ、目が顔から飛び出して必死に走り始める絵が浮かんできたではありませんか。そういえば筒井さんは驚きのあまり飛び出した目が紀州まで転がっていって蜜柑になったんでしたっけ(笑)。
川田武『闇からの叫び』(角川文庫80)読了。
マルタン(炭鉱労働者)の劣悪な労働条件、経営者側の凄まじい搾取、苛斂誅求についてはつとに知られるところでしょう。石炭産業壊滅期60年代のマルタンたちの精神の状況、その荒廃した内宇宙を風景として描きとめ、ときにSFにまで昇華させたのは井上光晴でした。
一方本篇の舞台は、本篇発表当時の現在、すなわち70年代末の筑豊です。既に全ての炭鉱は70年代初頭までに閉山しており、廃鉱にはボタ山や打ち棄てられた気罐場の煙突、錆びついた捲揚機が放置されてむなしく残るのみ。
その地がにわかに世の注目を集めるようになったのは、地下に巨大なマグマ溜まりが発見され、なかなか進まない原子力発電所の代替として地熱発電所の計画が持ち上がったことによる。
この計画の(政府や財界に働きかけての)実質的な推進者は、筑豊に大手の日鉄(元八幡製鉄)や三菱に伍して炭鉱を経営し、廃鉱後もその備蓄した資本力で筑豊地域に隠然たる勢力を維持していた衛藤財閥・衛藤昌蔵だった。
ところが計画が発表された直後から、それを妨害する動きが活発化し、衛藤自身も列車事故に遭遇する。
実はこの衛藤財閥の前身の鉱山会社は、同業他社に比べてもマルタンを虐げること甚だしく、63年の炭鉱火災では、衛藤昌蔵は炭鉱夫の救助より鉱山の被害を最小限に押さえることを優先して、坑内に数百名の炭鉱夫が残っていたにもかかわらず注水を命じ、結局火攻めの上に水攻めで彼らを見殺しにしてしまいます。
石炭の時代が終わり、鉱山が閉じられると、かつての炭鉱地帯は人口が激減する(wikipediaによれば、「田川市・・・102,755人(1963年)→52,328(現在)、山田市(当時)・・・39,563人(1959年)→11,007(合併による消滅前)」)。
マルタンは四散し(ごく一部を山谷や釜ヶ崎が吸収したと推定されるが、もとより吸収しきれる人数ではない。他の行き先の調査はなく、彼らは杳として消え去った)、筑豊に残った者も、生活保護を受ける割合が全国でも突出する(同じくwikipediaに「生活保護受給者が急激に増え、福岡県は日本でも屈指の受給率である」)。本篇によればその虎の子の生活保護手当も、衛藤財閥傘下の高利貸し会社に吸い上げられてしまっているのが現状。
ところが――地中に見捨てられ、皆殺しにされたと思われていた彼らの一部は、生体系を光なき世界に適応させて生き延びていた! 筑豊の地下に縦横に張り巡らされた坑道の奥深くで、地底人としてマグマの熱エネルギーを活用して、地上とは没交渉でひそかに地下共和国を営んでいたのです。そこにだしぬけに、彼らにとって必須のエネルギ源を奪い盗ろうとする地熱発電計画が立案される。しかもその実質的な実行者は、彼らを今の状況に陥れた張本人の、憎き衛藤ではないか……。
怒った地底人たちは遂に立ち上がる。しかしながら、ひとり衛藤を取り除いたところで第ニ、第三の衛藤が現われるのは必定。この国の権力構造そのものを、下からひっくり返すべし。「世直し」であります。そのために彼らは、衛藤の計画阻止の行動と並行して、新興宗教「黒霊教」を立ち上げる。全国に四散していたマルタンたちが筑豊に還ってきます。三池からも、石狩釧路からも、常磐からも続々黒霊教のもとに集合してきます。
そしていよいよ、(政府、警察をも味方に付けた)衛藤財閥と、黒霊教の斗いが開始されるのでしたが……!?
かくのごとく、本篇は川田版「大暗室」(乱歩)であり、「日本アパッチ族」(左京)であり、「邪宗門」(和巳)です!
で、フォーマットは半村伝奇(^^;。「ツィス」もそうでしたが、半村伝奇小説が70年代から80年代の小説の形式に与えた影響は計り知れないものがありますね。いやー面白かった。前作である『戦慄の神像』よりもストーリーは整っていました。「戦慄の神像」ほど強引なところはない(いや充分強引ですが(^^;)。
* ところでこの衛藤財閥、モデルはこの会社かも(汗)
ということで、著者はデビューしてから10年たらずで短篇集一冊と長篇が三作あり(第3作は『女王国トライアングル』)、これで全部読んだことになります。すべて水準以上で面白かったのですが、その後20年くらい断筆する。これは本業が忙しくなったからのようです。その後復帰して何冊か長篇が上梓されているようなので、これらもおいおい読んでみようと思います。
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