ヘリコニア談話室ログ(20116)


「親」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月30日(木)22時10分29秒

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 「あの子は、かわいそうに、ひとりで遊んでいられる子ですね」(312p)

 
古井由吉『親』(平凡社80)読了。

 <三部作>の第三部。前二作の感想はこちら→『聖』1『聖』2『栖』
 著者は「杳子」以来、神経が剥き出しになったようなある種のタイプの女性像を、まるで顕微鏡のようなきわめて微視的な視線をもって、髪の毛一本に至るまで拡大して写し取る独特なタッチで描き続けて来ましたが、当三部作はその集大成というべき連作であり、いわば第一期の代表作といってよいと思います。
 しかしそれらは、細部は異様にくっきりと鮮明なのだが、全体を鳥瞰しようとすると、とたんに焦点がぶれ、輪郭が曖昧になる。と同時に、たとえばすべすべと滑らかにみえた肌を拡大鏡で拡大していくと、そこに突然思ってもみなかった凸凹や襞があらわれる、そんなグロテスクさを読者に齎す視線でもあります。その結果、著者の作風は、これまではどれをとっても、いわば古井版「ナジャ」とでもいうべきもので、おそらく読者はそこに「ロマンティックな狂気」を見出していた。
 本連作はそのような(良い意味での)停滞、安逸な繰り返しに、決着をつけるものであるように思いました(集大成と書いた所以です)。なぜなら本連作のナジャは、遂に「精神病院」に入院する、つまりロマンティックな装いを剥ぎ取られて「現実」のなかにポジション(いわば病名)を与えられて「現実存在」となってしまうからです。そして本篇『親』で、ナジャは「退院」し、最後は第一部の舞台であった「郷里(くに)」へ「報告(和解)」に、男と子供と共に帰郷(回帰)することで、完結する。
 ところで、今一つのモチーフとして、昭和三〇年代の高度成長期の新しい家族(地方から上京し、核家族をなす)が被る矛盾の結節点としての「佐枝」があります。地方と東京の二重構造が産み出した精神状況ですが、四年後に帰ってきた故郷は、しかし様変わりしていた。
「冗談じゃないわ、何が里帰りだ、あたしらの住むところよりよっぽど都会になってるわ」というのは主人公が熱の頭で見た夢のなかでの佐枝の嘆きですが、示唆的です。ナジャは最終的にこちら側に居場所を獲得したのでしょうか。ラスト、「満ち足りた佐枝の声が響いて、狂い立つときと同じ髪の匂いがまろやかにふくらんだ」とはいかなる未来を暗示しているのでしょうか。

 いやー面白かった! さてこの連作の後、著者は内容的な深化は止まり、そのかわり超絶的な文体練磨に向かいます。それは賛嘆に価するものではありますが、袋小路といえなくもない。私の関心からは外れていくように思われます。私にとって古井由吉は、どうやらこのあたりまででよさそうみたいです。

 ということで、『眠狂四郎無頼控』に着手。

 



初クーラー

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月30日(木)00時20分58秒

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 今日は最高に暑かったですね。そんな日に限ってなぜか作業が発生する。もう噴出するという感じで上半身汗まみれ。案の定午後には後頭部にかすかな鈍痛すら感じ出し、これはヤバいと喫茶店に逃げ込みました。幸いにも、節電何それ、といった体の店で、ガンガンに冷房が効いている。小一時間も坐って読書していたら、汗で濡れた下着が凍りつく(かと思われる)ほど冷たくなって、おかげで内にこもった不要な熱が冷却され、事なきを得たようです。節電には協力すべきと思いますが、年寄りは金科玉条にしちゃうと死にますよ。ほどほどにしておかなければ。ということで、帰宅即今季初めて自室の冷房を入れたのであった(>長い言い訳(^^;)。

 『親』は280頁。いよいよ明日が最終回です。

   

 



眉村さん情報:訂正

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月28日(火)22時50分46秒

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 『親』230頁。主人公の母の葬儀の場面。初対面の夫の親族たちにうちまじって佐枝はそつなくこなしている。のだが、そつがさすぎて、神経を張り詰めきっている感じがありありと。今にも切れて再発するのではないかとヒヤヒヤする章でした(汗)。

 先日の眉村さん情報・日経エッセイ(4)に関して事実誤認ありとのご指摘が……。新聞からコピペした写真の建物は、やはり1号館とのこと。ただし1号館の「内側」なんだそうです。再掲します。

 実は最初、当該写真を見たとき、1号館の「裏手」かも、とは思ったのでした(実際に団地内に入ったことはないのです)。でも、裏手だとすると、写真の向かって左手の角は1号館の南端にあたるはず。ところが、その隣り(更に南)に白い棟が見えます。一号館の南端より南には団地の敷地はない。ゆえに、この写真は1号館ではない、とそう判断したのでした。
 そういうわけで、ご指摘が俄には信じがたく、ネットを見回してみた。
 と――。
 下の案内板をご覧ください。(以下の二枚の写真はこちらからリンクさせて頂きました)m(__)m

 なんと1号館は下駄を横倒ししたような形状だったのです!

 そして下の写真が南側の下駄の歯の部分(その向こうに北側の歯の部分が見えています)。

なるほど! 合点がいきました。新聞掲載の写真は1号館の「裏手」ではなく、「内側」だったのか。最初からそう指摘してはるがな、というなかれ。私の裡で、「内側」は「裏手」と読み替えられていたのです。うむこれは錯覚トリックとしてミステリに使えそうだ(使えません)。
 おそらく撮影者は、上の写真の下駄の歯に隠れている裏側(案内板の「あそびば」)から、こっち向きに撮影したようです(したがって桜の木は出っ張りの向こう側で、元写真左端の白い棟は12棟ですね)。
 この私の推理は正しいでしょうか。現地に行ってみればイチコロやろって? ところが、建て替えのため写真の阪南団地はもはや存在しないのです。したがって確認しようがない。つまり当該写真の謎も、永久に解決しないのであった(^^;。

 なお、この写真の撮影者は、眉村さんご自身だそうです。てことは恐らく、第1回の近影以外はすべて眉村さんの撮影に依るものかも知れませんね。

 



上半期読書記録

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月27日(月)22時39分44秒

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 『親』180頁。佐枝が二泊三日の試験的外泊をこなし、いよいよ一週間後退院と決まった病室に、突然の主人公の母の死が伝えられる……。と、外見だけ書けば、まるで連続テレビ小説ですなあ(^^ゞ

 さて2011年も半分が過ぎようとしています。以下、ここまでの読書記録です――

 
2011読了書 本日現在>55冊(小説・日本37、小説・海外 8、非小説10)

 小説・日本
 0605)平谷美樹『義経になった男(四)奥州合戦』(ハルキ文庫11)
 0604)平谷美樹『義経になった男(三)義経北行』(ハルキ文庫11)
 0603)平谷美樹『義経になった男(二)壇ノ浦』(ハルキ文庫11)
 0602)平谷美樹『義経になった男(一)三人の義経』(ハルキ文庫11)
 0601)中上健次『十九歳のジェイコブ』(角川文庫92、元版86)

 0502)眉村 卓『しょーもない、コキ』(出版芸術社11)
 0501)柴崎友香『寝ても覚めても』(河出書房10)

 0404)柴崎友香『ドリーマーズ』(講談社09)
 0403)柴崎友香『ビリジアン』(毎日新聞社11)
 0402)矢野 徹『地球〇年』(角川文庫78、元版69)
 0401)松本清張『神と野獣の日』(角川文庫73、元版63)

 0305)光瀬  龍『宇宙塵版 派遣軍還る』(ハヤカワ文庫81)
 0304)古井由吉『夜の香り』(福武文庫87、元版79)
 0303)古井由吉『聖・栖』(新潮文庫86、元版「聖」76、「栖」79)
 0302)古井由吉『行隠れ』(河出書房72)
 0301)津山紘一『架空の街の物語』(集英社文庫コバルトシリーズ81)

 0210)北野安騎夫『ウイルスハンター』(リイド文庫95)
 0209)矢野 徹『さまよえる騎士団の伝説』(角川文庫80、元版74)
 0208)古井由吉『水』(集英社文庫80、元版73)
 0207)宮崎 惇『太陽神の剣士タケル』(ソノラマ文庫80)
 0206)古井由吉『櫛の火』(河出書房74)
 0205)秦 恒平『みごもりの湖』(新潮社新鋭書き下ろし作品74)
 0204)田中光二『アッシュと燃える惑星』(講談社80)
 0203)横田順彌『小惑星帯遊侠伝』(徳間文庫90、元版83)
 0202)高井  信『風雲のズダイ・ツァ(3)ズダイ・ツァ決死行』(ログアウト冒険文庫94)
 0201)高井 信『風雲のズダイ・ツァ(2)ズダイ・ツァ逃避行』(ログアウト冒険文庫94)

 0111)田中光二『アッシュ――大宇宙の狼』(講談社文庫80、元版78)
 0110)川田  武『闇からの叫び』(角川文庫80)
 0109)広瀬  正『鏡の国のアリス』(集英社文庫82、元版73)
 0108)広瀬  正『ツィス』(集英社文庫82、元版71)
 0107)石川英輔『大江戸仙境録』(講談社文庫92、元版86)
 0107)井上雅彦監修『異形コレクション 江戸迷宮』(光文社文庫11)
 0106)西村賢太『人もいない春』(角川書店10)
 0105)西村賢太『瘡瘢旅行』(講談社09)
 0104)西村賢太『小銭をかぞえる』(文藝春秋08)
 0103)西村賢太『二度はゆけない町の地図』(角川書店07)
 0102)西村賢太『暗渠の宿』(新潮社06)
 0101)西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社06)

 小説・海外
 0601)フレデリック・ポール他編『ギャラクシー 上』矢野徹他訳(創元推理文庫87、原書80)

 0401)ヴァン・ヴォークト『非Aの傀儡』沼沢洽治訳(創元推理文庫66、原書56)

 0303)A・E・ヴァン・ヴォークト『非Aの世界』中村保男訳(創元推理文庫66、原書45)
 0302)ヴァン・ヴォークト『武器製造業者』沼沢洽治訳(創元推理文庫67、原著47)
 0301)ヴァン・ヴォークト『イシャーの武器店』沼沢洽治訳(創元推理文庫66、原著51)

 0102)リン・カーター『緑の星の下で』関口幸夫訳(ハヤカワ文庫76、原書72)
 0101)エリザベス・A・リン『冬の狼』野口幸夫訳(ハヤカワ文庫85)

 非小説
 0601)藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』(岩波新書 11)

 0503)ドロシー・テイト『ジョージ・ルイス』小中セツ子訳(SOLITON CORPORATION 07)
 0502)川嵜克哲『夢の分析 生成する〈私〉の根源』(講談社選書メチエ05)
 0501)妙木浩之『エディプス・コンプレックス論争 性をめぐる精神分析史』 (講談社選書メチエ02)

 0401)金原瑞人『大人になれないまま成熟するために―前略。「ぼく」としか言えないオジさんたちへ』(新書y04)

 0302)片田珠美『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(光文社新書10)
 0301)山鳥  重『言葉と脳と心 失語症とは何か』(講談社現代新書11)

 0202)山鳥  重『言葉と脳と心 失語症とは何か』(講談社現代新書11)
 0201)藤井貞和『日本語と時間 <時の文法>をたどる』(岩波新書10)

 0101)今井むつみ『ことばと思考』(岩波新書10)


   ――――   ――――   ――――

 この上半期、日本小説と積ん読消化に極端に偏ってしまっていることに改めて気づく。うーむ。そういえば現世では、いつの間にかラファティやクラーク・アシュトン・スミスやディレーニイといった要注目作が出ているんですよね。バランス的にまずはこの辺から手をつけて、下半期は海外小説と新刊に重点を移そうか。あ、でも70年代純文学の再読と落穂ひろいは継続するつもり。下期は大江健三郎の予定。

 



「冷血」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月27日(月)01時38分22秒

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 「冷血」(67)観了。よかった。感動した(>感動するのか)。原作は未読ですが、wikipediaによるとカポーティは犯人二人組のうちの片方に共感じゃないな内的に入れ込んでいたみたいですね。映画ではそれも忠実になぞっているようで、片方とはペリー(ロバート・ブレイク)の方でしょう。憎悪のような強い動機もない犯行に、二人の人格が融合した第三の人格といった苦肉の解釈まで法廷では出てくるわけですが、ディックの方はそれなりに(不良ワルとして)筋がとおっている。つまり了解可能。
 問題はカポーティが入れ込んだペリーの方で、どっちかというとディックの暴走の引き止め役だったのが、一瞬にして惨劇の下手人になってしまっている。ここは監督も了解不能だったんでしょうね、ペリーが父親と決別した最後のシーンをフラッシュバック風に挿入してそれらしく演出して、つまり解釈しているのですが、なんかとってつけたような感じですね(原作に同じシーンがあったら謝りますが(^^;)。
 結局その一点では私も不可知としか言い様がないのだけれども、不幸な家族関係から人格の一部が発達しきらず未熟なまま成長したことが関わっているんじゃないでしょうか。ある意味ものすごく幼いですよね。ヒッチハイクの老人と孫の受け容れかた。メキシコでユカタン半島の情報を教えてもらった誰かに、財宝を見つけられたらお礼をしなければ、などと考えているところなどに、それは現れています。それらは情け深いというよりも幼さが現れているとみるべき。その幼さが、ふとした拍子に情けなき殺戮者に一変してしまう、実は契機(Moment)だったのかも……と、精神分析的に読んでしまうのは、私の解釈です。映画自体は(監督の手を離れて)不条理のままに在る。どんな解釈も許容すると共に拒絶して「そこにある」わけです。

 



「ぼくつま」レンタル開始

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月26日(日)20時47分16秒

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 きのう「僕と妻の1778の物語」にちょっと触れたら、さっそく今日はその検索語で閲覧に来られた方が何人も。まだまだ関心を持たれているんですなあ。しかもプラス「試写会」で来られた方がいらっしゃいます。また試写会があるのでしょうか。ともあれ折角ですから新情報を(^^;。
 「僕と妻の1778の物語」は7月9日からレンタル開始とのこと。
 近時は半年ほどでレンタル解禁になるようですね。ロードショーで見逃された方は、レンタルショップへどうぞ!

 今日は日曜、休読日につき『親』もおやすみ。以上。――ではあんまりなので、少し引用。
 
「いちいち几帳面に守るのはよいのだが、全体にぎこちなくて、ほどほどということを知らない。もうすこし余裕(ゆとり)を持ちなさいと言ってやると、それはどうすればいいのですか、と勢いこんでたずねる」(71p)

 ところでこの2週間ほど、実はEWIにさわっていません。飽きてしまったわけじゃなくて、暑くて吹いていられないのです。おかげでまた体重が増え、腹周りも以前に戻ってしまいました。その意味では、今練習するほうが確実に痩せるような気がするんですが、スターターが駆動しない。このスターターの起動力の弱化が、実に年を取るということなのかも知れませんなあ(噫)。

 さて今日はリチャード・ブルックス「冷血」を観るつもり。

  

 



「ガルシアの首」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月26日(日)02時15分45秒

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 サム・ペキンパーの「ガルシアの首」(74)を見ました。先に見た「さらば狼」と同じ74年の作品。なんですが、厚みというのか奥行きは雲泥の差。「さらば狼」の10倍は分厚く深い。これは面白かった。しかし(wikipediaによれば)本国では興行的には惨敗だった由。一方日本ではヒットを記録したとのことで、かの国はジョン・ウェイン的見地からして、わが国は紋次郎的心情からして、それぞれ当然の結果のように思われますね。なんでこう、破滅していく負け犬の最後っ屁みたいなのが、日本人は好きなんですかね。私も大好きです(笑)。

 



眉村さん情報・日経エッセイ(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月25日(土)21時14分34秒

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 <こころの玉手箱>も今回で最終回。締めは一日一話を書いておられた頃、いつでも、どこででも執筆できるようにと設えられた携行セットの話です。
 写真には、シャープペンシル、シャーペンの替え芯、消しゴム、簡易ホチキス、ホチキスの替え針が認められますね。それらを収納したメッシュのクリアケースと、同じサイズの小型の原稿用紙でワンセット。この携行セットで眉村さんは、付き添いの時は新宿ごちそうビル2階のカフェテリア・メイムで、泊まりの夜は喫煙室で、一日一話を書いておられたんですね。

『親』は、120頁まで。前篇のラストで、妻の佐枝は精神病院に入院しました。本篇はここまでのところ、入院生活(というか主人公が面会に訪れたときの場面)が主に描写されているのですが、この病院の佐枝の主治医の医師が、なぜかわが脳内映像では「僕と妻の1778の物語」の医師役だった大杉漣さんの姿かたちをしているのです。参ったなあという感じなのであります(^^;。
 

 チャールズ・ブロンソン「さらば狼」(74)を見た。まあまあかな。よくも悪くもハリウッド製。制作年代は同じながら、アメリカン・ニューシネマとはベクトルが正反対なんですよね。

 



「網走番外地 決斗零下30度」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月24日(金)23時05分31秒

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 健さんの「網走番外地 決斗零下30度」(67)を観ました(健さんめちゃくちゃ若い。後年の苦みばしった貫禄まるでなし(^^;)。このシリーズの初見でしたが、ヤクザ映画という先入イメージとはぜんぜん違って、モロ西部劇でした。
 しかもかなりテキトー。マタギのアラカンが突如というか何の脈絡もなく助っ人に現れたり(ひょっとしたらシリーズ先行作品で登場しているのかも知れませんが)。悲壮感がまるでないのは物足りなかったなあ。まあ見ている間は無邪気に楽しめましたが。
 見終わってからネットで調べたら、シリーズも8作目で、既に出来上がった設定に寄りかかった作品かも。ここまで内面のない主人公も珍しい(座頭市や紋次郎に比較して)。あっけらかんとしているのが魅力なのでしょうか。その意味では先ず第1作目を見るべきでした(というか1作目だと思って借りたら違ったのでした)。そのうち見よう。

 



眉村さん情報・日経エッセイ(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月24日(金)17時30分17秒

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 <こころの玉手箱>第4回は、出ました「13年住んだ阪南団地」!!
 眉村さんはここに新築入居で13年間住まれたのですが、公団になる前は、なんと阪大の教養部南校だった由。つまり学生時代通われたその土地に、10年後に今度は住みつかれたのでした。
 というか、眉村さんは生まれてから現在まで、疎開期を除いて、ずっとそのあたり、岸ノ里と田辺の間の、わずか直径2キロに満たない円内に住んでおられるんですよねえ。そういえば、小学校も中学も高校も、先述の大学一年まで、その円内に収まっている(歩いて通える)。こういうのってなかなかないパターンですよね。

 写真は「解体される前の阪南団地」――なんですが、なぜか住んでおられた(「なぞの転校生」のモデルになった)1号館ではない。
というわけで、1号館の写真も掲載します(笑)。

 さて、ずっと待機中だった古井由吉『親』に、いよいよ着手しました。60頁まで。

 

 

 

 

(管理人) >上記に就て事実誤認が発覚しました→こちらでご確認下さい。

 



「ギャラクシー 上」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月23日(木)22時33分42秒

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 フレデリック・ポール他編『ギャラクシー 上』矢野徹他訳(創元推理文庫87、原書80)読了。

 《ギャラクシー》誌はH・L・ゴールドを編集長に、1950年に創刊され、紆余曲折はありながらも1980年に終刊となるまで、30年間継続したアメリカSF雑誌の名門です(ただし79年は2巻(6・7月号と9月号)のみ。80年に至っては1巻(7月号)と、ほぼ78年で雑誌自体の生命は終わっているようです)。
 40年代を独走したキャンベルの《アスタウンディング》誌が物理学、天文学というハードサイエンスでSFの近代化を図ったのだとしますと、《ギャラクシー》は社会学、心理学等のソフトサイエンスで《アスタウンディング》に対抗し、いわば現代化を成し遂げた。それは二面があり、一は(日本でいう)近未来社会テーマを確立した。今一つは愚直なハードSFに対して洒脱な、もしくはひねくれた、いわゆる奇妙なSFに門戸を開いたのでした。前者の旗頭がポールでした。そのポールが60年代初頭にゴールドから編集長を引き継ぎます。そしてポールに変わるや、ラファティやC・スミスが誌面で活躍を始めるのです。
 本書は、《ギャラクシー》が30年の歴史に幕を閉じた1980年に上梓されており、一種のメモリアル企画と思われます(下記ポールの序文は79年6月記となっていて、79年9月号編集時点で既に終刊は既定の事実であったのでしょう)。
 その日本版は上下二巻分冊として出版され、本書はその前半にあたり、丁度ゴールドとポールが編集長だった、いわば黄金期を網羅している。ポールの序文、ゴールドの自伝、ゴールドの下でボーヤだったバドリスの(愛憎表裏な)覚書「覆水盆に……」を読めば、当時の状況が立体的に浮かび上がってきます(^^;。

1)
フレデリック・ポール「序文」増田まもる訳
2)
「ホーレス・L・ゴールド」増田まもる訳 *自伝?よりポールが抜粋したもの?
3)
フリッツ・ライバー「性的魅力」増田まもる訳(50/11)
4)
デーモン・ナイト「人類供応のしおり」矢野徹訳(50/11)○※
5)
ロバート・シェクリー「幸福の代償」小尾芙佐訳(52/12)
6)
ウィリアム・モリスン「審査の規準」山田順子訳(53/10)○※
7)
ジェローム・ビクスビイ「火星をまわる穴・穴・穴」矢野徹訳(54/1)○※
8)
マーガレット・セント・クレア「ホラーハウス」小尾芙佐訳(56/7)
9)
アラン・アーキン「人間スープ」増田まもる訳(58/11)○※
10)
ゼナ・ヘンダースン「光るもの」山田順子訳(60/2)
11)
コードウェイナー・スミス「星の海に魂の帆をかけた女」伊藤典夫訳(60/4)
12)
ジュディス・メリル「深層のドラゴン」佐藤高子訳(61/8)○※
13)
アルジス・バドリス「クリスタルの壁、夜の目」野口幸夫訳(61/12)○※
14)
ジム・ハーモン「シカゴのあった場所」増田まもる訳(63/2)○※
15)
アラン・ダンジグ「大いなるネブラスカ海」山田順子訳(63/8)○※
16)鳥居定夫「ギャラクシー・ノート――ゴールドの時代」 *巻末解説

 註)()内数字は掲載号。○は編者による序文あり。※は著者による覚書あり。

 3)のライバー作品は創刊号掲載ですが、まさにギャラクシーの性格(ゴールドの目論見)を体現した傑作。
 第3次大戦でニューヨークは水爆攻撃され、放射能まみれとなっている。イギリスから商用で訪れている主人公は、エンパイアステートビルが崩壊したインフェルノ地区(今いうホットスポット?)で、暴走族に拉致されかけた女を救う……。大戦で被害を受けたアメリカは、清教徒的な道徳観が神経症的に覆っていて、女性はマスクをして夜には外を出歩かない。そんな抑圧的な世相気分が逆に性的欲望を淫靡に隠らせ歪めており、TVではマスクをした女レスラーと屈強な男レスラーのレスリングが人気。救出したマスクの女が、主人公に、英国へ連れ出してくれと頼むのだが……。余談ですが、ウルフ「アメリカの七夜」を髣髴とさせますね(笑)。

 この話、アメリカ人にはちょっとしたショックだったと思います。なんせ貿易センタービルに飛行機が突き刺さったくらいで総ヒステリーになる国民性ですから(>おい)、エンパイアビルが崩壊したNYなんてのは、アスタウンディングには載りそうもありません。惜しむらくは日本人には間接的。舞台が東京で東京タワーや六本木ヒルズが崩壊し放射能まみれという状況を想像されたし。主人公は胸に貼った放射能パッチの変化を気にしているのですが、これも今なら共有できる感覚でしょうな(笑)。
 しかし本篇の読みどころは、救出してくれと懇願していた女がラストで主人公を傷つける「心変わり」でしょう。鳥居解説の
「社会や未来をみつめる視線の病的傾向に、かたくなな拒否反応をみせる<アスタウンディング>の健全な世界意識からは決して生まれ得ない作品である」というのはまさにそのとおり。
 ベストワンはやはりコードウェイナー・スミス。これはずば抜けてますね。あとよかったのは、シェクリー、セント・クレア、ヘンダースン。これらもゴールド好みの社会SF。小尾芙佐の翻訳の素晴らしさに改めて賛嘆。
 でも、(上述のように)アルジス・バドリスの覚書は良かったのですが、小説は挫折しました。内容がそもそも読みにくいのかどうかは不明。まず翻訳が読めない(野口幸夫訳)。

 下巻は、入手次第(入手できたら)読みます。でもマーケットプレイスにも出てないなあ(ーー;

 追記。メリルの覚書に、(向こうの雑誌特有の)カバーストーリーに就て、絵が先にあってそれを見て小説を執筆する場合もあったとあって、なるほどなあと思いました。たしかにこっちのほうが合理的(もちろん商業的意味で)(^^;

 



眉村さん情報・日経エッセイ(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月22日(水)20時47分33秒

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 日経新聞<こころの玉手箱>、さて今回は、秘蔵の備前焼のお話。眉村さんは、作家となられてからも日生の工場へ、たびたび遊びに行っておられたとのこと。本エッセイにも書かれていますが、よほど居心地がよかったんでしょうね。本社社員にとって、最初の任地となった田舎の工場ってのは、誰にとっても愛着が湧くものなのかも知れません。
 不肖ワタクシも、業種柄工場ではないですが、最初の任地である和歌山には格別の感情がありますもんね。今でもときどき、(もう建物もないんですが)現地へ行ってみたくなります。先日、『義経になった男』をうっかり買い忘れた日も、来た道を戻れば買えたものを、せっかく和歌山の近くまで来たんだからと、つい孝子峠から潜入して、色々うろうろし、風吹峠から脱出したのでした(和歌山と大阪って隣県ですが、ほぼ無人地帯めいた峠でしか繋がっておらず、なんか停戦ラインを越えていくような雰囲気があって、潜入脱出みたいな感覚が、私には強いのです(^^;)。
 あ、昨日のエッセイにも出てきた平野流町の社宅が会社時代の最悪の場所だとしたら、日生の工場はその対極的な場といえそうですね(笑)。

 『ギャラクシー 上』は、280頁まで。そういえば以前に『飢餓列島』で眉村さんをパートナーに選んだことに関して、福島さんは自分をポールに、眉村さんをコーンブルースに見立てていたのではないでしょうか、と眉村さんに訊ねましたら、ちょっと考えて、そうかも知れないねと頷かれたことがありました。

 



眉村さん情報・日経エッセイ(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月21日(火)22時12分49秒

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 日経新聞<こころの玉手箱>第2回は「ペン立てに並ぶ万年筆」。国産、モンブラン、ペリカン、パーカー等、書き易さを求めての試行錯誤が綴られています。紙面から写真だけ掲載します。このパーカーは、私は見た覚えがないですねえ。いつも持ち歩いておられたのは、モンブランだったような。このパーカーは家での執筆専用だったのかな。

 『ギャラクシー 上』に着手。150頁まで。福島さんはF&SF誌を選択しましたが、それは(鳥居定夫解説にあるように)59年がギャラクシーの衰亡期だったからでしょう。私は、福島さんが好む(理想とした)SFは、ギャラクシーに載るようなそれだったと睨んでいるのですが。福島さん自身は、以前にも書きましたが、自らを(自己イメージとして)Fポールになぞらえていたと私は思っています。しかし、それとは違う意味で、客観的なポジションという意味では、福島さんは日本のHLゴールドだったといえるのではないでしょうか(徹底的に書きなおしを要求する編集態度も)。ちなみにHLゴールドはホレス・ゴールド。いうまでもなくホレス・シルバー、ホレス・ブローンズと並んでホレス3兄弟のひとり(嘘ですよ)(^^;。

 



眉村さんの日経エッセイ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月20日(月)23時18分22秒

返信・引用

 

 

 平谷さん
 次の作品も期待しております(^^)

 さて、眉村さんの日経連載エッセイですが、ある方のご好意で読むことができるようになりました。ただし1週間分まとめてもらえることになっているので、感想はそのときに。とりあえず携帯画像送っていただきましたので、雰囲気だけでも(^^;
 内容は、宇宙塵入会当時の話みたいですね。これは楽しみ!

 



ありがとうございました

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2011年 6月20日(月)23時10分14秒

返信・引用

 

 

感想、ありがとうございました。
気に入っていただけたようで嬉しいです。
次回作は、いろいろと構想中です。

 



「義経になった男」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月20日(月)21時29分16秒

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 『義経になった男(四)』読了。この巻は、ほぼ奥州合戦が扱われています。骨格は史実通りなんですが、内容は180度違っていて、奥州軍は「負けるべく」戦っているのです。これは読んでいてツライのです。難儀なのです。
 しかし次第に、奥州軍が火星年代記の火星人のように見えてきた。鎌倉軍が、罠を怖れつつ屁っぴり腰で近づいてみると、そこには誰もいない。また次の地点でも同じ。そうこうしているうちに、鎌倉軍は、いつの間にか奥州の深奥部にまで入り込んでいることに気づき、狼狽して周囲を見回す……というシーンはありませんが、そういう感じなのです。
 奥州軍団は(民も)、滅びを肯んじている。滅ぶことで新たな再生を目指しているのです。眉村さんの『消滅の光輪』の原住種族もそうでしたね(形はかなり違いますが)。眉村さんの司政官シリーズは、ある意味アシモフ的な、体制の維持がテーマなんですが、そのような「建設」志向の裏側には、必ず「滅び」が張り合わせになっているのです。それは小松さんにもいえ、一回チャラになってもええやんか、というアナーキーといえばアナーキーな、ゼロへ戻ることを怖れない、一種「明るい」諦念が認められると思います。
 本書の奥州軍も同じなんです。中途半端に維持されるくらいなら、いっそ滅んでしまえ。ゼロから再び出発しよう、いや、滅ぶことによって再生を担保しようという話ではないでしょうか。
 それがなんとなく腹に嵌ったとき(藤原三兄弟以下郎従が火星人に見えてきたとき)、ツライ感じはなくなった。難儀とも感じなくなりました。一気に荘厳なパースペクティブがひらけてきたのです。

 ところで最近、破滅テーマで、とても面白くも読み客観的にも傑作である事を否定出来ない長編SFを読んだのでした。面白いと感じながらも、なぜか心の端っこのほうで冷めている部分が残った。本書を読み終えて、その理由が何となく判ったような気がします。その作品は、想像を絶する天災に対して、いかに人類は生き残っていくか(文明を途絶えさせないか)を真剣に模索する崇高といってもよい話だったのだが、考えてみると、「このまま滅びたってええやん」という立場を示す登場人物がひとりもいなかった。全員が(敵も味方も)それぞれの思想に基づいてなんとか生き延びようとする。それぞれが第2ファウンデーションの建設を第一に考えて奮闘努力する「ばかり」。火星人やラクザーハにあたる者(あるいは者たち)がいない、すなわち相対化の視点が作中に存在しない、それが不定愁訴のような感覚を私にもたらしていたんだなあと、得心したのでしたが、これは余談でありました(以上は無論私の手前勝手な「ないものねだり」であることを付記しておきます)。

 閑話休題。という次第で、この巻も後半に入りますと、いよいよ奥州の民が火星人ぽく見えてきまして、森とした無音の感覚に捉えられた。一方鎌倉兵も何かを感じているわけで、ところが私と違いその感覚を気味悪がるわけですが、鎌倉側の価値観の根底にあるのは、ほぼわれわれ現代人のそれに通底するものでしょう。奥州(火星人、ラクザーハ)はそれを逆照射するもので、かかる構図は、前作『精霊のクロニクル』にも、縄文人対弥生人として認められるものです。ただこの作品では、縄文人が弥生人の思考法もありうるものとして部分的にせよ受け入れる下地をもって描かれていた点が、原理主義者的な私の感覚からすると、やや物足りなかったのですが(上記SF小説と同様私の感性との親和の問題であって、小説的にはこれでいいのです)、今回は、平泉側の行為はまさに原理主義的で、わたし的にはとても満足できました。
 おそらくかかる構図は、著者の今後の作品でも中心的なテーマになることと想像されます。いずれにせよ、著者初の歴史小説ながら、初挑戦とは思えない手練を示されて、これは嬉しい驚きでした。私の趣味をいいますと、次は南北朝を期待します。南北朝で上記テーマを存分に描いてほしいです。
 月末かつ決算報告期限というのこのクソ忙しい時期にもかかわらず、ほぼ1週間にわたって楽しい世界を提供していただきました、とお礼を申し上げたい気分であります(>おい)。

 以上、これにて
平谷美樹『義経になった男』(ハルキ文庫11)、全巻の読み終わりといたします。

 



Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月20日(月)00時33分19秒

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> No.3096[元記事へ]

 雫石さん
 それは残念でした。眉村さん、とてもお元気でしたよ。椅子が準備されていたのに、ずっと立ち詰めでお話されました。話に夢中になりすぎて、囲む会の相談を忘れてしまいました。一応夏ごろ(8月?)を、私は考えております。

 『義経になった男(四)』は230頁まで。今日中に読み終わるつもりですが、ビールを飲み始めたからなあ(^^;
 あ、聞くところによりますと本書、発売10日にして早くも重版がかかったとか! めでたいなあ(笑)

 



Re: 眉村さん情報

 投稿者:雫石鉄也メール  投稿日:2011年 6月19日(日)21時53分53秒

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> No.3093[元記事へ]

眉村さんの講演会、私も行くつもりだったのですが、残念ながら、この日は休日出勤しておりました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 



日経のエッセイ明日から

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月19日(日)20時37分41秒

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 しまった。焚き火の時間を聴き逃してしまいました。今日は<お便り特集>だったのになあ。いやケータイのアラームは鳴ったんですよ(日曜日の5時55分に設定してあるのです)。そのとき丁度調べものをしていたのです。あ、鳴ったなあと思って、よし、これだけ片付けてしまおう、と……で、ふと気がついたら7時前なのでした〜(ーー;。
 まあいいさ、また投稿しよう。そうだ、次は沙棗のエクストラバージョンを書いて送りつけようか(>嘘です)(^^ゞ。
 その『義経になった男(四)』ですが、日曜なので今日はまだ手をつけられていません。これから読みます。

 ところで、過日もご案内しました眉村さんの日経新聞のエッセイですが、明日月曜(20日)から金曜(24日)まで連載されます。お見逃しなく〜。ただし夕刊とのことです。これで困っているんですよね。夕刊はコンビニで扱っていないのです。で、販売店を検索したところ、当市には日経の販売店がないみたい。たぶん他社の販売店が日経も扱っているんだろうと思うのですが、ネットでは今のところ判らない。ということで、日経購読しておられましたら、もしよろしければ、コピーでもファックスでもスキャン画像をメールしてくださっても構わないので、よろしくお願いしますm(__)m.。

 



心配になってきますなあ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月19日(日)12時11分31秒

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 きのう帰途A書店に寄ったら、創元文庫から『宇宙大密室』が出ていました。急いでいたので手に取ることはしなかったのですが、これってハヤカワ文庫版そのまんまなのかな?

 それはさておき、創元文庫の棚に店員がハタキをかけていてびっくり。店から出るとき一階でもやっているのを見かけた。雨の日とはいえ土曜日、40年来通っていますが、こんな光景を目撃したのははじめてかも。うーむ。

 



眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月18日(土)21時48分37秒

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 今日はJR神戸駅に南隣するNHK文化センター神戸にて開催された眉村さんの講演を聴講しました。本日の内容の中には、先生の講演はなんども聞いていますし、エッセイで読んで知っていることも多かったのですが、まだまだ初耳なこともたくさんあり、つまり書かれたものとして残っていないことがまだ数多くありそうだなあと思ったことでした。特に高校、大学時代の学園生活に就てはあまり語られてないんじゃないでしょうか。今日おはなしを伺っていてそれは強く感じたのでした。つまり、眉村さんにはまだ「青春記」がないことに、はたと気づいた次第。これは真空地帯でした。どこかの出版社さんがここを見ていましたら(いないでしょうけど)、ぜひ注文してみられたらいかがでしょうか(笑)。

 一例。これは今日話されていたことですが、住吉高校新聞部の一年後輩に、池口小太郎という男がおったそうな。この男、妙に議論好きというか理屈っぽくて、部の会議の後、「先輩、ちょっと……」と、部長であった眉村さんをつかまえて、「今の会議のアレ、ちょっと違うんじゃないですか」とか、決まったことを蒸し返していろいろ言ってくるので難儀したのだとか。卒業してからは没交渉になっていたのだが、この男が二浪だったか二留だったかして東大に入り通産省に入ったことは知っていた。ある時新人ながらベストセラーを発表し、眉村さんも名前を知っている作家から、突然本が送られてきた。誰あろうそれが、一年後輩の池口小太郎で、ペンネームは堺屋太一なのでした。以上は今日聞いた話に、以前伺ったか読んだかしたことも加えたものです。大学時代の硬派と軟派(とは少し違う)の二重人格(今日、柳生さんの言葉(^^;)とか、ボクシング大会に出場したときの顛末とか、面白い話がいろいろありそうです(^^ゞ。

 一時間半の講義だったのですが、時間を延長しての熱弁で、ショートショートも何本か朗読してくださる大サービスでした。しかも講義後は、眉村さんに無理をいって、柳生さんと私、あと講義に来ておられたファンの方2名と、NHK文化センターが入っているビルの2階の喫茶店にて、更に1時間半ほど、いろいろお話を伺うことができました(^^)。
 そうだ、朗読で思い出したが、眉村さんの文章が音読で練られているんじゃないかということは、当板で何度も書いています。音読を意識するようになったのは、最初からではなかったそうです。初期の文章は音よりも視覚を意識されていたそうです。もちろん今も視覚は注意されているそうです。だから初期の簡潔な文体の後、いわばシーツ・オブ・フレーズの時期があり、また簡潔な文体に(一見)戻っているのですが、実は回帰ではなく、初期のそれと現在の文体は、簡潔さの質が異なっているんでしょうね。そうと知って振り返れば、たしかに最近の文体は、簡潔ですが、音読してみるとわかるのですが、たわんだり歪んだりさせられているように思われますね。以前のは堅く、最近のは粘性があるというか。この辺はもう少し、そういう意識を以て読み返してみる要あり。
 追記。手塚さんのキャラクタ、ケン一、お茶の水博士、アトムをさらさらとホワイトボードに書かれてびっくり。やんややんや。手塚さんは同じキャラクタでも年代ですこしずつ違っているらしく、見る人が見ればそれは一目瞭然らしい。眉村さんは藤子不二雄に「あ、この〇〇は70年代のですな」とかいわれたことがあるそう(^^;

 さて、『義経になった男(四)』に着手。今日は車中の読書となりましたが、170頁まで。2000枚の大長編も、いよいよ残り150頁を切ってしまいました!

 



Re: 変な運賃体系

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月18日(土)01時37分29秒

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> No.3091[元記事へ]

 わ、天王寺で降りて大阪まで切符を買えば、更に50円安いのか。知らなんだ〜・・

 



変な運賃体系

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月18日(土)01時26分25秒

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 わ、12時にJR神戸に到着するためには、10時には出発しないといけないのか。
 そして神戸まで切符を一本で買ってはダメで、まずは大阪まで買い、大阪駅でいったん駅から出て、神戸までの切符を買わなければならんのか(130円も違う)。

 



「義経になった男(三)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月17日(金)22時01分57秒

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 昨日うっかり書き落としてしまいましたが、154頁の「吾妻鏡」の矛盾を、「解釈」しないでそのまま事実とする《解釈》が見事。これは一見昨日述べたのとはまぎゃくなようにみえますが、しかし表札的な記述からは離れない(並行世界ではない)という意味で、同じ方法論ではないでしょうか。みごと見事!!

 もうひとつ補足。蘊蓄はあっても説明はないと書きました。逆櫓の松のエピソードを、本篇ではその伏線で「逆さま」にし、エピソードの部分でそれを今一度ひっくり返した(結局360度回転して元に戻る)わけです。つまり結局「表札的事実」に収まる。逆櫓の松のエピソードを知っている読者は、うーんと唸って拍手喝采となるわけですが、著者自身は(この蘊蓄を)これみよがしに説明しません。だから知らない人はそのまま通りすぎてしまう。このエピソードを知らずに通りすぎてしまっても、物語に何ら影響を与えないんですよね。粋ですなあ(^^;。←はっ、これってエステルハージイの筆法では。デイヴィッドスン好きは必読かも。
 そのかわり平泉の都市構想が、一見(南から見れば)平安京のものまね(しかもその貧弱な模倣)に見えて、実はそれが中央対策であって、斜め横に望めば壮大な都市計画のもとに作られていることがわかるということは、なんども説明している。それはこの都市構造自体が平泉政権の本質を如実にあらわしており、物語の根幹に関わるものだからでしょう。
 そういう絶妙な濃淡の意識が、膨大な情報量をもつこの物語を、にもかかわらず速度のある、見通しのよいものにしているのだと私は思います。

 ということで、
『義経になった男(三)』読了。残すは最終巻『義経になった男(四)』のみ。これから取り掛かりますが、明日は眉村さんの講演会に出掛けるので、そんなには進まないかも。

 



「義経になった男」(二)読了、(三)着手

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月16日(木)22時26分7秒

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 『義経になった男(二)』を読了。ひきつづき『義経になった男(三)』に着手、150頁まで。これじゃあ仕事になりませんがな。月曜が20日だというのに……。週末に地獄が来そう(ーー;。
 (二)の「走者(逃亡者)」の章が圧巻。ついに平家物語からも離脱し、骨格は義経記に従いつつも、換骨奪胎されたオリジナルな世界に突入しています。SF的にいえば別時間線ものと解釈もできるが、それでは著者の意図から外れます。著者がやりたかったのは、おそらく史実というか、戦記物語も含めて、現在われわれが参照できる、記述されたものに切れ目を入れて広げれば、そこには表層的記述では窺い知れなかった意想外な世界が拡がっている――ということでしょう。われわれが書類を整理してダンボール箱にしまい、中に何が入っているかメモを貼り付けるように、任意の史実が入っている函というものを想定し、それに就いての残された記述は、それがいかに詳しくても、中に入っているのは何か、それを簡単に示す表札に過ぎないのです。実際に何が入っているのかは、だから函を開けてみなければ分からないんですよね。いやーおもしろい〜(笑)
 (三)では、義経一行が平泉に戻ります。そこでの物語は、藤原氏三代が築き上げた、現実にはありえない、ユートピアが、いかに自分を抹消することで生き残っていくか、そのアクロバチックな在り方を背景に、沙棗の「観念的主君殺し」が描かれる。この章も圧巻であります。
 次章ではいよいよ「史実に存在しない」《義経北行》が始まります!

 



みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月16日(木)00時16分21秒

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 景時は、ふう、と息をついて、卓袱台の前にどっかりと座り込んだ。額の傷が痛々しい。
「悪役も、疲れるものよのう。ええかげん嫌になって来たわ。つぶては飛んで来るし、ゆまりは降ってくるし」
 ジッポーをパチンとならし、スパスパとふた口、三口吸いつけ、慌ただしくもみ消すとプカリと吐き出し、両手を顔にそえた。そうして、ゆっくりとはがし始める。はがれていくマスク。その下からだんだんに現れ出でくるのは、マスクと寸毫変わらぬ、景時の顔なのであった……

 



「義経になった男(二)」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月15日(水)22時00分58秒

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 『義経になった男(一)』を読了。ひきつづき『義経になった男(二)』に着手。150頁。いや面白い。喫茶店を二件ハシゴして、読みふけってしまいました(^^)。
 (ー)の309p〜313pで、平氏、源氏ともに製鉄氏族であったというアイデアが!! 私は別のアイデアを持っているんですがね。それに就ては、ま、おいおいに(実は書きかけたのだが、延々終わらないので今日のところは断念しました)(ーー;
 (二)では冒頭で、静御前のあっと驚く新解釈が! おおっ、という感じですな(^^;。(二)に入ると、義経記を離れて、平家物語に重なっていきます。著者の筆も、次第に歴史物語に慣れてきたのか、自在になり、ユーモアも随所にちりばめつつ、文体にリズム感もあってまさに講談本の世界(笑)。リズム感があってサクサク進むのは、一から十まで説明しないから。ウンチクはあっても説明は(必要最小限しか)ないんですよね。だからべったりと淀まない。その辺のバランス感覚が絶妙。
 梶原景時が憎たらしくて安心しました(>おい)。逆艪の新解釈も面白い。これって、つまり本篇の次第が真実で、それを景時がわざと、自分がミスったように変えて頼朝に報告した、という設定ですね(それが平家物語等に書かれたものとして残り、伝えられた)。なぜなら義経は(形式的には)景時の策を受け入れて屋島で大勝し、ところが当の景時自身はその戦に間に合わなかったという大失態。大失態よりは小失態を、ということですね。
 ところで、実は私、中学の古文で平家物語(の一部)を読んで以来の能登守教経の大ファンなのです。平谷さんが教経をどのように扱うか冷や冷やしていたのですが、ちゃんと扱っていただいていました。よかった(笑)。

 さて、今日中に読了できるかな。無理かな。

 



Re: 梶原景時

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月15日(水)09時12分57秒

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> No.3085[元記事へ]

 官僚>近年はやりのポストモダン解釈ですね(笑)。
 梶原景時は、吉良上野介、松永弾正とともに永遠の悪役でいてほしいものです(汗)。

 



梶原景時

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2011年 6月15日(水)01時06分13秒

返信・引用

 

 

最近の義経モノでは、梶原景時は「官僚」として描かれ、枠からはみ出す義経に厳しく当たるのは役目上しかたなかったというとらえ方をすることが多いそうです。
【義経になった男】は原点回帰ですね(笑)

 



Re: ありがとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月15日(水)00時14分30秒

返信・引用

 

 

> No.3083[元記事へ]

 平谷さん

 早速に疑問へのお答え(とネタばらし(^^;)ありがとうございました。

 >「義経記」とは違う展開をしますのでお楽しみに
 なるほどそういうことでしたか。ラジオでおっしゃってましたが、梶原景時は平谷さんのこの小説でも、やっぱり悪役なんですねー(笑)。一日せいぜい1時間〜2時間しか読めないので、遅々としてしか進められませんが、ゆっくり楽しませてもらいますね(^^ゞ

 



ありがとうございます

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2011年 6月14日(火)22時46分31秒

返信・引用

 

 

拙著を読んでいただき、ありがとうございます。
蝦夷ヶ島ですが、奥州合戦で捕虜になった奥州兵の言葉に出てくるので使いました。
また、出典は失念しましたが渡島は北海道のことではないと書かれた資料もありました。
逆櫓については、「義経記」とは違う展開をしますのでお楽しみに。

また、ぼくの番組にメールをいただき、ありがとうございます。
今度の日曜の放送は、リスナーからのメールへのお返事を中心に構成します。
お時間があれば聞いて下さい。

 



「義経になった男(一)」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月14日(火)22時21分59秒

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 『義経になった男(一)』270頁。面白いおもしろい。著者がラジオで語っていた殆ど資料のない平泉時代の義経のパートですね。忠衡が好いですなあ! ある意味誇張された造形なんですが、異彩を放っている。読んだ部分までではワンシーンにしか出てこなかったが、この後、義経のコンピュータとしての活躍を期待するものであります(^^;。
 134頁に「蝦夷ヶ島」! この時代から蝦夷ヶ島だったのか。もちろん「えぞがしま」と読ませるんでしょうね。
 ニヤリとしたのは鵯越えの伏線が早くも張られていること。あと、逆艪の伏線かと思われるのが267頁にあるのですが、逆櫓の松では義経は逆艪を取り入れなかったんでしたよね。ちなみに逆櫓の松は我が中学校区の元阪大病院付近にあります(もちろん碑しかありません)。なぜそんなことを知っているかといいますと、小学5〜6年生の時、社会クラブだったか名称は忘れましたが、クラブ活動で、区内の旧跡を、そういうのが載っている資料を区役所で借りてきて、カメラで撮りまくり、発表したことがあった。この碑も写真に撮ったんです。阪大病院の正面には福沢諭吉生誕地碑もあったんですが、今はどうなっているのかな。ちなみにズージャ住職のお寺のほん近所。
 256頁で、杉妻小太郎のしくじりに自刃を命ずる義経に、沙棗が
「事を仕損じて、その責任もとらずに自刃して済ますは、坂東夷の慣らい」(256p)ですなあ、と揶揄します。これはユキの行為にも通じますね。
 次の章では、いよいよ頼朝が挙兵します(^^)

 ところで、「惑星空間」の発売年ですが、英語版wikipediaに、
originally-released posthumously by Impulse! Records on LP in 1974.」と書かれていました。→http://en.wikipedia.org/wiki/Interstellar_Space
 ということはつまり、『十九歳のジェイコブ』の舞台は、少なくとも1974年以降であることが確定します。1974年としますと、ジェイコブとユキは1955年生まれ。あ、おれと同級生か(^^;。ユキのリアリティがより増すと同時に、モダンジャズ喫茶店の描写は、著者が入り浸っていた60年代頃のそれだとほぼ言えそうに思われます。それとも新宿では、私が19歳の頃でも、ラリった客がぶっ倒れているモダンジャズ喫茶店が存在していたんでしょうか。

 



橘司

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月13日(月)23時24分3秒

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 『義経になった男(一)』に着手。85頁まで。なるほど、吉次は橘司でしたか。これは平谷さん、蝦夷と楠木正成を繋いでしまう遠大な構想の布石と、私は看破しましたが(笑)。

 なお、昨日の投稿に就て、ユキの行為は「自己否定」になっていないことにはたと思い当たったので、また「倫理性」の観点を書き落としてもいましたので、少々書き直し、書き足しました。
 あと「モダンジャズ喫茶店」に関して補足するならば、70年代に入ってもこのような店が存在していたのか、新宿を知らない私は甚だ疑問で、この部分は著者の体験したモダンジャズ喫茶店(60年代半ば)が流用されているのだろう、と考えています。ただ、モラスキーさんの『ジャズ喫茶論』で、
60年代後半」の「汀」のありさまが引用されており(22p)、少なくとも60年代後半まではこのようなモダンジャズ喫茶店があったことは確かなようです。では舞台は60年代後半なのか。私は「惑星空間」の日本発売(録音日にあらず)がいつだったかが、ひとつの鍵になると思うのですが、これがネットでは全く掴めないんですよねえ(ーー;。

 追記。いま、中山康樹『マイルスvsコルトレーン』をパラパラ見ていて、「あとがき」に
「松竹座で行われた深夜のジャムセッション」の一文を発見。結局東京と大阪で各一回、深夜にジャムセッションが行われたみたいですね。となると、7月24日の日曜日に、(スケジュール表にはない)東京公演が実はあり、その深夜にビデオホールのジャムセッションがあった。22日の厚生年金大ホールの公演はあったが(録音が残されている)、しかしビデオホールは、その日ではなかった、というのが真実では? それで、「八都市で延べ15回の公演、2回の記者会見、日本のジャズプレイヤーとの共演セッションが2回」という記述と数字が合うんですが。

 追記。わ、ディスコグラフィーを念のために確認したら、22日ビデオホールの録音も、24日ビデオホールの録音も存在するではないですか! うーむ。ジャムセッションは3回あったのか? となると最終日はジャムセッションだけ? 謎は深まるばかり・・・
 

 



「十九歳のジェイコブ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月12日(日)21時02分55秒

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 中上健次『十九歳のジェイコブ』(角川文庫92、元版86)読了。

 初出は《野性時代》で、78年から80年にかけて同誌に連載されたもの。時代の気分がむせ返るほどに立ち籠めていてよかった。本篇の初出時の「焼けた眼、熱い喉」という、派手派手なタイトルは、いかにも野性時代風で、編集部の押し付けっぽいですね。本にするとき著者が改題したのも当然であったと思われます。
 時代の気分と書きましたが、正確には70年代からの60年代へのオマージュというべきかも。本篇の舞台は70年代初頭でしょう。既に学生運動も内ゲバ化し衰退していた時代ですね。
 わたし的には、本篇登場人物の中ではユキにもっともリアリティを感じました。というか、共感――じゃないな、内に入り込みやすかったというべきか。ブルジョアの、角度を変えて見れば、世間知らずの単なる道楽息子なんです。ジェイコブと同じ19歳。小説世界を72年と仮定すれば53年生まれです。トロツキーを吹き込まれたはいいが、既に新左翼も惨めに内ゲバ化している。数年早く生まれていたらヘルメットをかぶって暴れられたものを、もはや新左翼には幻滅するしかない。
 実際、全共闘の活動家は地方の富裕層の息子も多かったはず(というか60年代は「大学生」という存在の中核がそのような層だった)。つまり彼らの戦いは《自己否定》を含むものだった。
 新左翼運動に乗り遅れたというか間に合わなかった(しかし心性は新左翼活動家と共有している)ユキは、アナーキーに自堕落にジャズ喫茶に沈潜しています。それも、堀さんが喝破されたように、ごく普通の「ジャズ喫茶」ではなく、当たり前のようにフリージャズが掛かる(そしてラリった連中がたむろしているような)「モダンジャズ喫茶店」。しかし根本的に良家のボンボンですくすくと育ったユキは、それゆえに誠実なのです。いやむしろ「倫理的」というべきか。身を持ち崩すことができない(車のカセットに入っていたのは大学の講義テープ)。あげくに無理からな《自己否定》に向かいます。むろん階級的なそれも含んだ自己否定です。それが実家と実家が経営する企業の爆破「計画」となる。
 それを解説で斎藤環が、精神科医らしく《父殺し》と分析してみせるのですが、無論そういう面はあるのでしょうが、私は《自己否定》の面が強いと思う。
 しかし――結局(新左翼学生が挫折していったように)、ユキに於いても
「一切合切、拒む」ことに徹することはできなかったのです。「計画」は計画倒れとなり、「自己否定」を完遂できなかったユキは、その「倫理」性ゆえに、自己を消去することで決着をはかる。でもそれは問題回避に過ぎないんですけどね。
 そのあたりが路地から這い出してきたジェイコブと決定的に異なるところです。いわばユキは、フリージャズについていけなかったのですね(一つ前の書き込み参照)。ユキが本当に好きだったのは、心性にピッタリだったのは、実に「ヘンデル」だったわけです。
 いやー面白かった。中上健次は30年以上前に少し齧ったきりだったので、これを期に体系的に読んでみようかなと思いました。

 ということで、いよいよ『義経になった男』に着手します(^^)

 追記。ユキにトロツキーやレーニンを吹き込んだのは、実の兄だったわけですが、まさにこの兄こそ全共闘世代ど真ん中なのです。学生時代はゲバ棒担いで暴れたのでしょう。しかし(本書の)現時点に於いて、この兄はユキを阻止する側にいる。おそらく父親の会社に入って<企業戦士>となっているんでしょうね。

 



リバーワールド再び?

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月12日(日)12時43分18秒

返信・引用

 

 

 《ユキは(……)「なにがフリーなもんか」/「だって考えてみろよ、どんなにこいつが長くコードをむちゃくちゃに吹いたって、息しなくちゃならないだろう。息ってのはコードだぜ。吸って吐いてる息が結局、コードを作っちゃうんだぜ。だからフリージャズってのはないんだって事を言いたいために、こいつは吹いているんだ」》(215p)

 これは私も、トレーンのフリーが分からなかった頃に引っかかった最大の部分。こういうことを言っている間は、実はまだ体感として分かっていないんじゃないかな(頭で考えている段階)。

 
《「コルトレーン好きじゃないな」/ジェイコブは言った》(215p)

 
《「惑星空間」/スウィングする事もいらない、一切合切、拒むというコルトレーンは、耳に痛いたしく聴こえた(134p)》

 ということで、『十九歳のジェイコブ』読了。感想はあとで。

 岡本さんの「罪火大戦ジャン・ゴーレ 」評を読んで即座に思ったこと。これってリバーワールドじゃないの?(^^;

 



朝まで

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月12日(日)02時40分9秒

返信・引用

 

 

 やっと仕事が終わった(主にプリンタの不調が原因)。
 これから朝までジェイコブ……のつもりですが、ビールを飲んじゃったので、たぶん寝落ちすることでありましょう。

 



エミシからエゾへ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月11日(土)22時37分40秒

返信・引用

 

 

 『十九歳のジェイコブ』200頁。「なんや映画を読んでる感じやな」とつぶやいていたら、「映画みたいね」(158p)! 思わずVサイン(^^;。

 昨日は不用意に「エゾ」と書き込みましたが、「エゾ(地)」は近世の概念。平安〜鎌倉は何て言っていたのかな。やはり渡嶋? 《小説・北行伝説》である『義経になった男』を読めば書いてあるかも。
 ところで、なぜアイヌ人に義経の伝承が残っているかというと、やはりアイヌ人となる前の続縄文人は東北蝦夷(エミシ)と同じ《民族》だったからでしょう。文化的な交流が想像以上に密接だったのではないか。それこそ津軽海峡を挟んで両岸に親類がいるという感じだったのではないでしょうか。妄想が膨らんできますが、さすがにそういう方面にはストーリーは進まないと思います(笑)。

 



エゾの義経

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月10日(金)22時47分29秒

返信・引用 編集済

 

 

 『十九歳のジェイコブ』は、今日は1ページも読めず。
 まあ、『義経になった男』の到着予定が日曜日なので、丁度よい按配かも。

 ところで、今日はこの時間(10時現在)までで、50名の人が本板を閲覧して下さっているのですが、そのうち11名は「義経になった男」の検索語で来訪された方なんです。驚いちゃいますねえ。昨日書き込んだばかりなのに。
 思うにこれは、本書、出たばかりではありますが、かなり認知度が高く、注目されているということの証左でしょう。つまり義経北行伝説が、まんま事実ではないにしても、まるっきりの虚構でもなかったのだという、本書の設定(SF的にはアイデア)が、読者のツボを突いたということなんではないでしょうか。いやもちろん、まだ読んでないんですよ。でも、たぶんきっとそういう話なんです! こう言うことに、私の勘はよく働くのです(笑)。
 そこで私の興味は、実はアイヌ人の間にも義経が北海道(渡嶋)にやって来たという伝承が残されているんですが、それがどのように反映されているのかいないのか、いるのであれば、それをどのように著者は料理しているのか、その辺に特に集中するのでありますが……ああ、ワクワクしますなあ(^^;

 お話変わって、車ではFMを付けっ放しにしています。ふと気づいたら山下達郎が歌っている。しかし、なんかしつこいんですよね、歌い方が。いやにべったりと粘っこいなあ、などと思いながら聞いていたんですが、曲が終わって曲名歌手名が紹介されてびっくり。ということはつまり、山下達郎ではなかったわけです。即座に名前を控えて、帰宅してからyoutube検索して見つけました。
 ↓なんですが、まずは目をつむって聞いてください。それからそっと目を開けて画面を確認して下さい。ひっくり返ることうけあい(^^ゞ

 

 追記。斎藤肇さんの一日一話、終了しましたね。 

 



「義経になった男」発売

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 9日(木)22時36分43秒

返信・引用 編集済

 

 

 『十九歳のジェイコブ』150頁。今日中に読めるか、無理か。

 平谷美樹さんの大作『義経になった男』がようやく店頭に並んだみたいですね。本来なら4月中に出る予定だったのですが、もっとも売り上げを見込める東北地方が大変なことになったので、出版が延期させられていた本です。いや売れ行きに地域性というのが実際にあるんですよね。日本全国でまんべんなく売れるというものではないらしい。大阪万博ものは、やはり関西で売り上げが突出するのだとは、去年『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』を上梓された大橋博之さんがおっしゃっていました。

 中上の次に『義経になった男』に着手する予定で、今日、岬公園方面に行く仕事があったので、その途次、イオンりんくう泉南店の旭屋書店で購入するつもりだったのですが(ここに在庫があることはあらかじめ確認していた)、走っているうちにすっかり失念してしまっていて、通過しちゃったのでした。仕方がない。ネットで注文しよう。

 この作品、全4冊なんですが、先日の平谷さんのラジオ番組を聞いていたら、最初は牛若丸時代の話とのこと。ところがこの牛若丸、元服して義経が、金売り吉次に連れられて奥州に向かうのは有名な話ですが、奥州での行状は、史実ではほんの数行程度の記述しかないんだそうですね。だから困ったと、そういう話ではなく、得たりや応と、空想・妄想をめいっぱい広げて、完全平谷史観の義経を描き出されたんだそうで、かなり自信がある様子なのでした。非常に楽しみ(^^) まあ週末くらいから読み始められそうです。

 



Re: 「コルトレーン」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 8日(水)20時44分46秒

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> No.3073[元記事へ]

 堀さん

 なんと、「レオ」でしたか! ということでyoutubeを真剣に検索したら、ありました(笑)。
 早速視聴。出だしのテーマ部分はテナーですね。すぐに、連続的にアルトに変わるのですが、どう考えてもトレーンのパフォーマンスで、一瞬の早業で持ち変えたのかしらん。それともテーマはファラオだったのか(それはありえませんよね)。10分以上ソロがつづくのですが、なるほどこれはすごいですね。その後ドラムソロになり、途中、ソプラノサックス(ですよね)との掛け合いがあって、ピアノソロ、そしてサックスに戻る。このサックスはテナーですが、これ、ファラオなのかな。ラストのテーマもテナーで、これは間違いなくトレーン。ということでずいぶんサービスした演奏でした(^^; でも音が悪いのはしかたがないのか。

 『コルトレーン』によれば、
「日本のジャズプレイヤーとの共演セッションは二回行われた」とのことです。初回は不明ですが、二回目は「7月24日、日本公演最終日の深夜、《東京ビデオホール》で」行われたみたいなんですが(日野皓正の証言もあり)、ここでまた日程の矛盾に気づきました。下に掲げた日程表をまず再掲します。

  日  程 開催都市 会  場
 10日(日)東京  サンケイホール
 11日(月)東京   サンケイホール
 12日(火)大阪  フェスティバルホール
 13日(水)広島  広島市公会堂
 14日(木)長崎  長崎市公会堂
 15日(金)福岡  福岡市民会館
 16日(土)京都  京都会館
        大阪  松竹座
 17日(日)神戸  神戸国際会館
 18日 (月)東京  厚生年金大ホール
 19日(火)東京  厚生年金大ホール
 20日(水)大阪   フェスティバルホール
 21日(木)静岡  静岡市公会堂
 22日(金)東京  厚生年金大ホール
           ビデオ・ホール
 23日(土)名古屋 愛知文化講堂
 24日(日)帰国

 このスケジュール表は、検索するといろんなサイトに掲載されています。もともとは当の藤岡氏がラシッド・アリが保管していたものをもらったか、コピーさせてもらったかしたもの。
 ところが、本書の記述を信ずれば、最終公演は24日(日)で、
「翌25日、コルトレーン一行は早々に日本を後に」(28p)しているんです。表と異なるところです。
 でも考えたら、土曜を最終日に設定するなんてあり得るでしょうか? やはり日曜まで興行するもんでしょう。となるとこの表は正しくないかも知れない。
 大体、静岡公演→東京→名古屋っていうのも、どうもありえそうにない。
 ひょっとして事実は、大阪→名古屋→静岡→東京(厚生年金H→ビデオH) なんじゃないでしょうか。
 表では公演は15回(ビデオホールを含めて)なのですが、本書では
「八都市で延べ15回の公演、2回の記者会見、日本のジャズプレイヤーとの共演セッションが2回」となっていて数が合わない。たぶん表とは別ソースなんでしょう。
 本書では詳しい日程が前半のものしか記されていないのですが、藤岡氏もどっちが正しいのか確認できなかったので、このような曖昧な記述になったのかも知れません。
 あ、レコードが出てるから、22日東京は確定か。では、スケジュール表を刷った後で、24日に新たに東京公演が組まれ、深夜にジャムセッションがなされた可能性はどうでしょうか?

 いやどんどん謎めいてきます(勝手に謎めかせているだけか)^^;。これはもう、堀さんのタイムマシンで66年7月に戻って、直に確かめるしかありませんね(笑)。

 



Re: 「コルトレーン」読了

 投稿者:堀 晃メール  投稿日:2011年 6月 8日(水)05時33分22秒

返信・引用

 

 

> No.3072[元記事へ]

トレーンのアルト

>なかったのは「レオ」といまひとつの「ピース・オン・アース」

じつはその「レオ」でアルトを吹いているのです。
この時の事情については、J・C・トーマス『コルトレーンの生涯』にかなり詳しく記述してあり、
・東京公演初日のあと、(サンダースとともに)ヤマハのアルトを贈られた。
・松本英彦らが来てジャム・セッションを申し入れて受諾した。
・ふたりは日本滞在中のジャム・セッションでは、必ずこのアルトを使った。
・7/22の東京(ライブ・イン・ジャパン)では<レオ>でサンダースと「ヤマハの楽器によるデュオが収録」されている。

しかし、わからないところもあります。
・15日連続の公演の間に「ジャム・セッション」を行う体力があったのか? 何度くらい行われたのか。
・そもそもアルトはヤマハのだけだったのか? そうだとすると、初日の公演後にツアーでのアルト使用が決まったことになる。ま、フリーの時期に入っていたとはいえ、これは異例のことではなかろうか。
このあたりは当時を知る人(同行していた人)に聞くしかないようです。

 



「コルトレーン」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 7日(火)23時42分4秒

返信・引用 編集済

 

 

 藤岡靖洋『コルトレーンジャズの殉教者(岩波新書 11)読了。

 面白かった。コルトレーンの評伝を、そんなに読んでいるわけではありませんが、本書はその決定版といってよさそう。トレーンの業績を、黒人解放運動、公民権運動の表現として解読したものは初めて読みました。
 トレーンが生まれたノースキャロライナ州では、当時でもジム・クロウ法(黒人差別法)が黒人たちの上に大きくのしかかっていて、少年トレーンもリアルに人種差別を、肌身を通して体験していたのです。
 そのトレーンは、長じてマルコム]にも傾倒し、プロミストランドを夢見、それをジャズに託すのです。もし延命しておれば、アメリカ国家内にいまひとつの黒人国家を作り出しかねない、そんな人物として、本書はトレーンを捉えています。そのようなトレーンが到達した宗教的境地は、したがって必ずしもキリスト教のそれではありえません。トレーンがいう「愛」は、キリストの愛ではなく、それも含みますが、アフリカやインドやチベットやイスラムも覆い盡す、もっと普遍的なものだったのではないか。本書を読んでそれは感じました。

 「アンダーグラウンド・レイルロード」のかくれた意味の解釈は、目を洗われる思いでした。これは現在のアメリカ人でも知らない人が多いらしい。これを読んで卒然と私は、ディックの『アンドロイドは……』で、アンドロイドが逃亡する設定は、この「アンダーグラウンド・レイルロード」が元ネタなのではないかと思いついた。といっても、ストーリーはほとんど忘却の霧のかなたで、そのように感じた理由も説明できないのですが。とにかく今度読み返してみよう。

 著者の「至上の愛」の解題も圧巻。ここで著者は、もはやトレーンを距離をおいて見ておらず、トレーンなのか「おれ」(著者自身)なのかという、境界を取り払われた境地で「自作解説」しています。羨ましい境地であります。

 蛇足で小ネタを二題。

 ◎70ページで、1956年マイルスが(コルトレーンも加わったクインテットで)完成させた名盤「ラウンド・ミッドナイト」ですが、この時期早くも
「テープを繋ぎ合わせてベストなマスターテイクを造り、ダメなものは遠慮なくお蔵入りさせ、完璧なアルバムを創り上げた」とのこと。既にこういうことをやっていたんですなあ。

 ◎161ページ、モダンジャズの退潮が誰の目にも明らかになっていた63年
「当時、巷でジュークボックスから流れる音楽の第一は、ロックンロール、そしてオルガンジャズ、ディキシー、フォーク」とあります。ベッセルのいう「ニューオーリンズ・リバイバル」ですね(^^;

 本書は、私にとって、折に触れて読み返したい本になりそうです。

 さて、とは言い丈、コルトレーンとアルトに就いては、本書では何も分かりませんでした。こうなったら実際に聴いてみるしかありません。youtube にライブインジャパンの「アフロ・ブルー」「クレッセント」「ピース・オン・アース」(但しディスク1のかディスク3のか不明)「マイ・フェバリット・シングズ」があったので(なかったのは「レオ」といまひとつの「ピース・オン・アース」)、視聴。聴いた限りではアルトサックスは「マイ・フェバリット・シングス」で用いられただけのようです。それも前半のみ。
 無論悪くはないのですが、有り体にいってジェイコブがこだわるほどのものかという感じでした。この曲でも後半はソプラノサックスに戻り、正直なところ、ソプラノサックスになって一気に引き締まり生気が溢れてきて、よかった(笑)。聴いた限りではジェイコブの思い入れには、さほど共感しなかったのでした。となると、やはりこれは「トレーンがアルトだって?」と知ったかぶりでせせら笑う読者を、「あんさん、ライブインジャパンを聴いてはらしまへんのやおへんかえ?」と切り返したくてこういう描写を挿入したとしか思えません(^^;。中上が今の時代に生きていたら、ツイッターで喧嘩を売りまくっているんじゃないでしょうか(>おい)。

 



「十九歳……」から「コルトレーン」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 6日(月)21時08分58秒

返信・引用 編集済

 

 

 《山下洋輔が語る。「(トレーンの日本公演を一緒に観ていた)中村誠一が「何やってんだ!」って怒ってたのを僕がなだめたね。でも"フリー・ジャズ"をあそこで体得したから、ぼくは自ら"フリー"の道にハマっていったんだ」》(『コルトレーン』25p)

『十九歳のジェイコブ』は100頁。やはり底意地の悪い作家の手になる話は面白いですなあ。いやホンマですよ。だからオールディスもディッシュも面白いんです。

 ところで、読んでいてはっと思いついたのですが、トレーンが日本公演でアルトサックスを吹いたのは、ひょっとして体が弱っていたからではないでしょうか。

 というのも、昨日リンクしたここを読むと、トレーンがどれだけ「弱って」いたか分かるわけで、しかも、公演日程を見れば一目瞭然なように、現在では考えられない過密スケジュール(当時はこんなもんだったんでしょうか、ジョージ・ルイスの公演も過密でしたね)。あるいはトレーンは、自分の体力を鑑みて、テナーだけではもたないと思ったのではないか。

 それで、ネットをざっと見ましたが、上記に類する記述は見つけられなかったのです。
 で、余計に気になって、中上は一旦お休みにしまして、岩波新書で最近出ました藤岡靖洋『コルトレーン』を買ってきて読み始めたら、これが滅法面白い。購入してから気づいたのですが、上記リンク先の著者原田和典氏は藤岡氏と知合いらしくて、どうやらソースの多くを藤岡氏に負っているらしいことが本書を読んでいると分かります。

 一気に読んでしまうつもりで、最初飛ばし読みで読み始めたのですが、あまりに面白く、途中からじっくり読みに変更。なので現在150頁。ここまでには、トレーンがアルトを吹いたことに関する記述は無し。パッと見ですが後半もなさそうです。むしろ来日パーソネルのところには、トレーンはテナーサックス、ソプラノサックスになっていて、アルトで吹いたことはほとんど気にも止めておられないようですね。とりあえず今日中に読み終えるつもり。

 



Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 6日(月)02時47分56秒

返信・引用 編集済

 

 

> No.3069[元記事へ]

 堀さん

 あ、そのIさんが、くだんのHPの「ボーヤ」なんですね(^^;。アルバム「コルトレーン」は私も持っています(正確には持っていた。誰かに貸したまま返って来ない)。集中のアウト・オブ・ジス・ワールドはトレーンの中でもマイフェイバリットな曲です。実はこのジャケ写真も、いかにもトレーン!という感じでかっこよくて大好きだったんですが、なんと堀さんのお知り合いの作品でしたか。いいですねえいろんな意味で(笑)。

 また、65年ルイス(最後の)来日の翌年に、ニュージャズのトレーンが来日しているってのも、先日も書きましたが、この同時代性はとても不思議な感じがします。私はどうも単線的な歴史で理解してしまいがちなんですが、実際は複線で同時存在だったということなんでしょうね。 

 

Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:堀 晃メール  投稿日:2011年 6月 5日(日)19時42分6秒

返信・引用

 

 

> No.3068[元記事へ]

「十九歳のジェイコブ」関連のつもりが、コルトレーンからルイスまで拡大、お騒がせしてすみません。
さすがにコルトレーンとなると、ネット上でも情報が多いですね。

ヤマハのアルトサックス云々については再訂正しておいた方がいいみたい。
ちょっと記憶が混乱してますが、状況証拠からはやっぱりコルトレーンのようです。
わが資料の整理が悪くていけません。
このように混乱する理由のひとつが、Iさん(ご本人は照れ屋だから名は出しませんが)が、コルトレーン研究で屈指の人であるとともに、ジョージ・ルイスについて日本で最も詳しいひとりだからです。

そのごく1例を挙げると、66年のコルトレーンの日本最終公演(愛知文化講堂)でIさんが撮影した写真が(プロの写真家ではなく、本業は美術の研究者)、その後、CDジャケットに採用されています。
「バラード」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/B000060N7Z/ref=dp_otherviews_0?ie=UTF8&s=music&img=0

「コルトレーン」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AA7DR8/nobelbooks01-22/ref=nosim
の2枚。
したがって、この日にトレーンがアルトをいじっている写真も撮影された可能性は高いです。

一方、ジョージ・ルイスについては、
「George Lewis in Tokyo」
http://artist.cdjournal.com/d/george-lewis-in-tokyo/3200031031
の写真がIさん撮影によるもの。
例の本「ジョージ・ルイス」の表紙写真も同日に撮影。

写真だけでこのレベルですから、コレクションは推して知るべし、です。

で、「十九歳のジェイコブ」、せっかくだからわぼくも読むことにしました。
「モダンジャズ喫茶店」という表記が気になると書きましたが、これは普通に「ジャズ喫茶」と書いたのでは新宿の雰囲気が希薄になるし、具体的に店名を書いたのでは世界を狭めてしまうからでしょう。特別な土地を「路地」と表記したのと同じ方法ですね。

 



Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 5日(日)13時59分0秒

返信・引用 編集済

 

 

 堀さん
 あ、でもここ
「日本公演のあいだ、とある熱狂的なコルトレーン・ファンが彼のボーヤ(楽器を運んだり、身の回りの世話をする係)を務め、いくつものスナップ写真を残している。妻アリス・コルトレーンと寄り添うように新幹線(?)の座席で眠るコルトレーン、フルートを練習するコルトレーン、ヤマハの工場でプレゼントされたアルト・サックスを試し吹きするコルトレーン」
とありますから、たぶんそれをどこかで見た記憶が堀さんに残っていたんじゃありませんか? 名古屋公演でというご記憶も、ヤマハの工場という記述から信憑性がありそうですよ。

 > この文脈ではやっぱり誤解しやすいですね。
 いや、これは読者を貶めようとする邪悪な心性以外の何ものでもありません!(きっぱり)

 コルトレーンとルイスの関係? というのもゾクゾクしますね(^^)

 



Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:堀 晃メール  投稿日:2011年 6月 5日(日)13時44分29秒

返信・引用

 

 

> No.3066[元記事へ]

あ、すみません。
プレゼントされたアルトを持った写真云々はジョージ・ルイスの間違いです。
ボケはじめているような。
昨日Iさんに会って、ルイスのツアー中の話など色々聞いていて、つい混乱してしまいました。
・65年の大阪・新大阪ホテルのロビーでスタン・ゲッツと会ってしゃべっている。(河合さんが横にいたが、内容は聞き取れなかった)
・63年の来日の時にはロリンズと会って写真が残っている。
・アルトの話もこの流れ。
で、コルトレーンとの関係はどうなのだろうという話をしたばかりだったので。
それ以上に、Iさんが探しているのが、ローランド・カークとの共演音源。何度か共演しているのは確かだとか。
さらに「密かに翻訳進行中」の本の内容に触れて、
ルイスはグッドマン、アーティ・ショウをかなり聞き込んでいて、ウディ・ハーマンにも興味を持っていたらしい。
ニューオリンズ・スタイル一筋ではなく、モダンな感覚も持っていたという解釈らしいです。

さて、コルトレーンのアルトのくだりですが、やはりテナーの音に較べてとか、アルバム名を書かないと、この文脈ではやっぱり誤解しやすいですね。
それと「ジャズ喫茶」ではなく、すべて「モダンジャズ喫茶店」と表記してあるのがちと気になります。

 



Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 5日(日)12時52分19秒

返信・引用 編集済

 

 

 堀さん

 ご教示感謝します。なるほどねー、日本公演で吹いていますね→http://ja.jazzdisco.org/john-coltrane/discography/
 しかも、少なくともLPになっている二日目から吹いています。

 <1966年7月、J.コルトレーン.クインテット,日本公演日程>←このページの一番下

 日  程 開催都市 会  場
 10日(日)東京  サンケイホール
 11日(月)東京   サンケイホール
 12日(火)大阪  フェスティバルホール
 13日(水)広島  広島市公会堂
 14日(木)長崎  長崎市公会堂
 15日(金)福岡  福岡市民会館
 16日(土)京都  京都会館
        大阪  松竹座
 17日(日)神戸  神戸国際会館
 18日 (月)東京  厚生年金大ホール
 19日(火)東京  厚生年金大ホール
 20日(水)大阪   フェスティバルホール
 21日(木)静岡  静岡市公会堂
 22日(金)東京  厚生年金大ホール
           ビデオ・ホール
 23日(土)名古屋 愛知文化講堂
 24日(日)帰国

 名古屋公演は最終日みたいですので、プレゼントされたのを吹いたとしても、それは最終日だけでしょうね。だとしたら、コルトレーンはアルトを持参したということになります。
 ところが、上記ディスコグラフィーによれば、この日本公演以前にアルトで演奏した記録は(少なくともインパルスでは)ないみたいです。『マイルスVSコルトレーン』に、トレーンが最初に買ったのがアルトだったと書いてありましたから、無名の最初期にも吹いていたかも知れませんが、少なくとも主要な演奏活動に於いては、アルトが用いられることはなかったと思われます。
 それが突如、日本公演でアルトが吹かれ、それ以降も吹いているのですよね。不思議ですねえ。ひょっとしてプレゼントされたのは来日早々だったのかも。いや、でも練習もせずにいきなりコンサートで吹けるものでしょうか。うーん。謎ですねえ。

 ところで中上がこの本で描写したとおり、ジェイコブの聴いたのがアルトだったとしたら、当然ライブインジャパンのLPが出た後ということになります。で、ぱらぱらとページを捲ったところ、エルビン・ジョーンズのヘビイサウンドをリクエストしています(河出文庫版27p)。このLPいつ発売かと調べたら、67年のようです。つまり物語は、少なくとも67年以降ということになり(ライブ・イン・ジャパンも67年)、ジェイコブがアルトを吹くトレーンをジャズ喫茶で聴いているのは、ぜんぜん問題ないというか、あり得るという驚愕の真相が!!

 やー、ありがとうございました。私の性格ですから、教えられませんでしたら、死ぬまで吹聴しまくって、赤っ恥掻き続けたはづ。おかげさまで一生恥ずかしい間違いをしたまま生きていかなくてすみました(^^;。
 しかしそれにしても、トレーンにわざわざアルトサックスを合わせた中上はやはり邪悪ですなあ。これはいっぱい食わされました。死せる中上生ける管理人を走らすの図。いやこれは間違いなく、私のような反応を読者から引き出してせせら笑うつもりだったに違いありません。そんな風に読者を弄んでいるから早死するんだよ! プンプン。

 ということで、気を取り直して読んでみようかどうしようか思案中(笑)

追記。わ、見落としていましたが、上のディスコグラフィーで、45年(19歳)から52年まではアルトでも吹いていて、レコードも残っているようで、上述が裏付けられます。

 



Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:堀 晃メール  投稿日:2011年 6月 5日(日)10時59分4秒

返信・引用

 

 

> No.3064[元記事へ]

あ、強いていうなら、ここでかかっていたのは「ライブ・イン・ジャパン」の1パートという可能性もありますが。
研究家のI氏から、名古屋公演で確かヤマハからアルトサックスを贈られたことがあって、その時の写真を見たことがあります。
これを吹いたのかどうかは、ちょっと調べてみないとわかりません。

 



Re: 君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:堀 晃メール  投稿日:2011年 6月 5日(日)10時47分58秒

返信・引用

 

 

> No.3062[元記事へ]

まさかと思って(たとえばアイラーの誤記ではないかとか)、近所の大書店へ行って「中上健次全集9」を調べてきました。
確かにご指摘の通りでした。
全集巻末には詳しい「校異」があって、連載以来の改訂箇所が詳しくチェックしてありますが、ここにも表記なし。
30年以上、誰も気づかなかったんでしょうか?
強いていうなら、主人公がラリっているからかなあ。

 



カニ朝打ち止め

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 4日(土)21時59分3秒

返信・引用

 

 

  

 出来はまあこんなものですが、ちょっと達成感があります。
 フュージョン系というのは、存外定型的で初心者も入りやすいのですが、ジャズ系は、アドリブパートが多く、しかもその部分、ある程度、いわゆる<プロソディ>を身につけないとなかなか難しい。と私は思うのです。
 案の定この曲では、8割方メモを取らなければなりませんでした。でも、曲がりなりにも一応格好がついたように思います(むろん当社比です(^^;)。とまれかくまれ、やればできるじゃん、という感じで、まあ満足したのでありました(^^;。

 



君はジャズを聞いていたのか

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 4日(土)18時12分28秒

返信・引用 編集済

 

 

 中上健次のジャズ小説、『十九歳のジェイコブ』に着手するも、なんと1ページ目で挫折。新記録だ。いや挫折じゃないですね。あきれて読むのを止めたのです。
 なぜか?
 引用します。
「ジェイコブにはそのコルトレーンのアルトサックスが音ではなく音のひとつひとつを強い喉の力で潰すために吹いていると聴えた」
 中上ってジャズが好きだったんですよね。斎藤環の解説でも
「当時の中上はジャズに熱中し、とりわけジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスに心酔していました」と書かれています。
 しかし。
 それにしても。
 心酔しているミュージシャンの楽器を間違うか!?
 本当にジャズが好きだったんでしょうかね。疑わしくなりました。少なくともコルトレーンのファンだったというのは嘘だと分かります。せいぜい好意的に見て、テナーとアルトの音の区別がつかなかったという可能性もあるが、それでは聞き齧りの初心者の域で止まっていたということになりますが。

 眉村さんは、自分があまり知らないことを小説に持ち込まないことを常に心がけていると言っておられました。どんな宇宙の辺境の町であっても、それには必ず身近な、よく知っているモデルがあって、そうしておくと、ケアレスミスを犯さないからとのことです。知ったかぶりは致命傷になりますもんね。上記アルトサックスがその典型的な例で、私のように1ページ目で躓いた、あるいはもっと過激に本を窓から投げ捨てた読者が一体何千人何万人いることか。

 あと、斎藤環の解説もいささか不可解。
「たとえば最初期の作品である『一番はじめの出来事』や『十九歳の地図』(……)いずれも文体は大江健三郎の影響を受けているといわれ、そのためか例外的に読みやすい作品になっています」 (管理人註>どちらも『十九歳の地図』74)所収)
 まるで大江の文体が読みやすいものであるような書き方ですが、大江の文体、読みやすいですか? 大江の文体(とりわけ中上が影響を受けたと推定される初期のそれ)は難解でならしていたんじゃないでしょうか。
 ちなみに私の感じでは、難解大江文体の極めつけは『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(72)。これが頂点でしたね。この本には表題作と「月の男ムーン・マン」が収録されていて、「月の男ムーン・マン」はなんとか読みこなし面白かったのですが、表題作は今にいたるまで、その佶屈入り組んだ文体のために(なんども挑戦しているのだが)跳ね返され続けているのです。この解説者、(ジャズを知らないことは上記引用で分りましたが)本当に大江を読んでいるのかなあ、とこちらも疑わしくなります。
 あんた、そんな大口叩いて、解説者はんに「何を言うておるのか、大江の文体って簡単じゃん、あなたあれが難しいの?」って反論されたらどないしますん。
 謝る。

 



「見かえり峠の落日」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 3日(金)22時33分58秒

返信・引用 編集済

 

 

 笹沢左保『見かえり峠の落日』(角川文庫 73)読了。

 いろいろ思い出してきまして、百目鬼の評は、当時本書(確認したら本書収録の「中山峠に地獄をみた」・他1篇)が直木賞候補になるも受賞に至らず、その理由として西部劇の真似というのがあった由で、それに対して百目鬼が、「選考委員は西部劇とマカロニウェスタンの違いも分からぬようだ」と皮肉ったんだったと思います。

 さて本書、プレ紋次郎ものという位置付けができるでしょう。しかし解説で武蔵野次郎は、
「これからのヒーローは、どんどん死ぬべきなのだ」という著者の言葉を引用しているんですよね。そうしますと、著者は蜿蜒と続くヒーローものに対するアンチテーゼとして、アンチヒーローを引っ提げて時代小説界に参入したと考えられる。だとすれば、紋次郎シリーズは、本来の目論見から後退していることになりはしないでしょうか。

 その意味で、本書収録作品群は、著者の意図が最も純粋に反映されているということになりそうです。たしかに本集五作品中三作品で、主人公は敢えない最期を遂げる。
「見かえり峠の落日」では、こと成就して安全圏の見かえり峠まで逃げ延びた主人公が、女に金糸の根掛を返すのを忘れていたことに気づいて、のこのこと引き返して捜索隊に見つかり銃弾に仆れる。犬死以外の何ものでもありません。この三作品は、どれもひとしなみに、主人公は何がしかの達成を遂げたあとで、犬死するのです。何がなんでも死なさずんばおかじ、という無理矢理感すら感じられます(^^;。従来の股旅物ならば、こと成就したあとは、夕暮れの、風が砂埃を舞い上げる中を、孤影を曳いて去っていくものであります。ここに従来の股旅物に対する著者の批評があるわけです。
 その地点から、なぜ著者は後退したのか? ま、理由は色々あらーななんでしょうね。

 さて、本集中のわがベストは
「地蔵峠の雨に消える」であります。この作品、何十年も渡世人として一所に留まることなく風来坊をしていた男が、ひょんな偶然で、同道していて病死した男の頼みで、死の直前に託された手紙を、男の故郷にまで届けることになる。実はこの男自身が労咳で明日の命も危ういのですが、生まれて初めて「目的をもって行動する」愉快さに目覚める。生まれて初めて、他人のために行動する喜びを知る。あたかも生まれ変わったように賦活するのです。実はそれは死出の旅なのですが……

 いまひとつ、
「鬼首村に棄てた鈴」は、とんでもない使い手の用心棒と戦う仕儀になった主人公が、絶対勝てるはずがない相手をいかにして仆したかという話で、武士の剣術と対比するかたちで、いわば非・武士の闘い方というものが描かれていて、大きくいうならば正統に楯突き、勝ってしまう、そこに強い共感を抱かされたのでした。この奇襲は、のちの紋次郎の爪楊枝に通ずるものがあるかも知れません。
 その意味で、今日の阪神・ソフトバンク戦は面白かったです。あのセ界のお荷物、吹けば飛ぶような弱小ヘナチョコ阪神球団が、常勝ホークスに対して、小よく大を制して勝ったのですから、こんな愉快なことはありません(>おい)。

 ということで、さすがに面白かった。しばらく遠ざかっていた紋次郎ものを読みたくなりました、っていうと、著者はどんな顔をするのでしょうか(^^ゞ

 



「見かえり峠の落日」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 2日(木)22時35分4秒

返信・引用 編集済

 

 

 『しょーもない、コキ』の誤植に就いて、先回、雑誌のテキストデータを流用したのではないかと書きましたが、そのあとでもっとありえそうな原因を思いつきました。出版社は雑誌をスキャンしてOCRに掛けたのではないでしょうか。そう考えれば、打ち込み者が「藤沢周平代」とか「僧越」 などと原稿(漢字)を誤認して打鍵したなんていう、ミスにしてもちょっと考えられないミスを想定する必要がありません。もっとも「中編と後編」は、もう完全な思い込み(中編を前中後編のそれだとの予断から引き摺り出された後編)によるミスとしか考えられませんが。
  


 さて、ようやく『見かえり峠の落日』に着手。収録5篇中、表題作を含む2篇を読みました。で、ふと思い出したのですが、かつて朝日の百目鬼恭三郎が、表題作に就いて時代劇に於けるマカロニ・ウェスタンであるといって、積極的に擁護していたのではなかったかしらん。
 マカロニウェスタンというのはちょっと違うなあ。百目鬼は、時代劇ジャンルに於ける本作のポジションをそう表現したのかも知れませんが。私は、笹沢時代劇の、ジャンルに於ける最も大きな特質(貢献)は、時代劇にミステリ的展開(つまりどんでん返し)を持ち込んだことではないかと思うのですが? そこで気になるのは柴錬なのです。柴錬はまだ読んでいないのです。柴錬時代劇にミステリ要素があったのかなかったのか。柴錬も読まねば。


 今日はなぜか細田版「時をかける少女」を見ていました。二度目です。先年は、大林版を再観しました。そのときは学芸会的な演技に「しまった観ないほうがよかった」とほぞを噛んだのでしたが、こちらは二度目でも面白かったです。こうなったら最新版も観るべきか(笑)

 



「しょーもない、コキ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 6月 1日(水)03時22分15秒

返信・引用 編集済

 

 

 眉村卓『しょーもない、コキ』(出版芸術社 11)読了。

 すでに斎藤さんからご報告がありましたとおり、俳句誌「渦」と短歌誌「あめつち」に、いまも連載中の短いエッセイのうち、2004年から今年締切り時点までの分116編を、掲載順に並べたもの。
 その第1回
「コキ」2004年掲載)は、はからずも本集の前説となっていまして、「この間から、頼まれてもいないのに、折々の感慨や短い思い出話を書き溜めにかかっている。全体の仮題は、「ショーモナイ、コキ」である」(7p)とあります。何事にもシステマティックな著者らしく、はなから全体の構図が定まっていたわけですね。
 ――と、その方向性は定まっていたとはいえ、しかしその範囲内に於いて、
「ここに収めたのを見ると、自分でも苦笑したくなるほど、雑多である」(238pあとがき)として、亡妻がらみ話、老いの自覚からくる気持ち、子供の頃の思い出、さらには、(現在の)日常生活での不満や世の中へのイチャモン、と、その雑多性を強調するのだが、結局それが、収録作品の実に整然たる分類となっているところも、いかにもこの著者らしくて笑っちゃうのであります(^^;。

 いまひとつ、本書の特徴は、表紙はもとより、すべての挿絵を著者が描いていることです。116本のエッセイすべてに、あの独特なオバQにも似たキャラクターのイラストといいますかカットが付されていて、ついほほ笑んでしまうのですが、またそれが当該エッセイの内容に見合ったポーズを示してどれ一つ同じものはないのであります。まことにプロはだしというべきではないでしょうか。
 
「変な絵(?)について」では、当のそのイラストを話題にしているのですが、そのなかに「私は、少年時代、マンガを描いていた。本人としてはマンガ家になりたかったが、ちゃんとした修行をしたわけではない。当時の少年雑誌に投稿して掲載されたのを、物好きな方が最近見つけ出してコピーを送って下さったのを眺めると、よくまあこんなに下手なのに頑張っていたものだなあと思う」(230p)とあるのは、何を隠そう(隠しません)このことでありましょう(^^;。有志Oさんのご好意が一本のエッセイを生む原動力となりました。まことにありがたい限り。

 さて、収録116本の中で最も気に入っているのが、
「歩く速度」と、「Y通り」。前者は、上の分類にしたがえば、「亡妻がらみ」と「老いの自覚」の合せ技。後者は「子供の頃の思い出」と現在が交錯する話となるのでしょうが、どちらもエッセイというよりは随想、いやむしろ掌篇(短話)といいたい逸品で、読後に強烈な印象を残します。スケッチなのですが、無駄な語は一語もありません。どちらも見開き2頁の紙幅に収まるものながら、その奥行きは限りなく広く深い。完璧な傑作といいたい。
 とまれ、飄々とした軽みがとても味わい深いエッセイ集で楽しみました。現在連載中の分も、何年後になるのか分りませんが、楽しみに待ちたいと思います!

 ところで本書、どうも誤植が、あまりに素人っぽくて気になった。まずは気がついたのを列挙――

 漂白については既に記しました。
 131p、こっちゃ→ごっちゃ
 143p、藤沢周平代→藤沢周平氏
 151p、僧越→僭越
 158p、部分→部品
 219p、エントリピー→エントロピー
 228p、中編と後編→中編と短編
 230p、見つけだしで→見つけだして

 これらは変換ミスというようなものではないですね。眉村さんは、本書でも語られているように手書き派でありますから、ワープロ打ち込み作業が発生します。そのときに起こったケアレスミスのように思われます。それにしても「藤沢周平代」なんてのを見ると、完全に素人の手によるものであることがわかる。出版社から委託される業者ではちょっとあり得ないと思います。となれば、このミスは、雑誌掲載時のワープロ入力の際に起こったもので(両誌とも限りなく同人雑誌に近いのでしょう)、出版社はそのデータをそのまま流用したのではないかな。ともあれ、見苦しいので重版時には訂正していただきたいものです。

 最後に
「記憶の圧力」で言及されている「倦怠の檻」は、著者の言うとおり、検索したら即判りました(私は未読)。リチャード・R・スミス作で『宇宙の妖怪たち』所収(→こちら)。

 

 


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