ヘリコニア談話室1101

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月31日(月)22時52分22秒
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   『ながいながい午睡』収録のショートショート「黄色い時間」の初出誌がわかりました。

 「パラノイア」6号(発行・1965年5月2日、編集者・堀晃、発行者・パラノイア・クラブ)に掲載されたものとのことです。
 さっそく眉村卓著書リストに付け加えさせていただきました。
 貴重な情報をお知らせ下さり、ありがとうございましたm(__)m

 ――てゆーか、実は情報提供者は高井信さんなのでした! いつもお気に止めて下さって、本当にありがとうございます。でもプレッシャーが(^^ゞ
 

本多正一写真展

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月31日(月)21時42分12秒
返信・引用 編集済
   ようやく浮上できました。ほっ。10月が31日あって本当によかった(^^;。

 ということで、早速お知らせ。

 

 写真家で、中井英夫最後の助手であった本多正一さんの写真展が、下記の次第で、本日より東京古書会館にて開催されております。

           < 記 >

 ◆愛を刻み、明日へ伝える──本多正一写真展
 「古書の森の黒岩比佐子」
 昨年11月17日、古書と神保町を愛し、52歳で急逝したノンフィクション作 家・黒岩比佐子さん。彼女の笑顔に再び古書会館で。
 「いつまでも活版印刷」
 活版印刷の美しさを意地と愛情、心意気で守り抜く内外文字印刷の仕事を紹 介。いつまでも活版印刷、どこまでもグーテンベルク。
  会 場 : 東京古書会館 地下
  日 時 : 10月31日(月)〜11月3 日(木)11:00〜18:30(最終日は 18:00まで)
  備 考 : 入場無料


 これは第52回 東京名物神田古本まつり(会場:神田神保町古書店街)のイベントとして行われるもののようです。
 本多さんは、黒岩さんとは、毎日の『シリーズ20世紀の記憶』編集部で席が隣同士になったことから友人となったそうです。おそらく写真は、主に亡くなるまでの一年間が縫い留められているのではないでしょうか。
 1970年代以降、写植、電算写植、オフセット印刷、DTPと新しい印刷技術がつぎつぎに実用化され、活版は衰退の一途ですよね。ところが現在も活字を組み、熱心な著者、出版社のために、活版印刷を続けている会社があるそうです。社長の小林さんは、なんと2007年になってから(家族の反対を押し切って)岩田母型製造所の母型を購入したそうです。岩田明朝は書家の文字を改刻した美しい活字なのだそうです。

 小林さんは語る。「去年は電子書籍元年ってことで、世の中の動きはそっちのほうへ行っちゃうのは間違いない。でもウチはウチのやり方でいく。母がいなければ子は育たない。活版という文化を産んだ母をウチでは大切にしたい」。(本多さんの文章より引用)

「いつまでも活版印刷」は、そんな小林さんとその会社(工房?)の、時代に背を向けた(?)「いつまでも活版、どこまでもグーテンベルク」(小林さんの名刺)な姿を活写しているんでしょうね。

 あー、この写真展は見たいなあ。でも東京はあまりに遠く、わが財布はあまりに軽いのであった(^^;。当板読者で、神田古本まつりへ出かけられる方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。その節は、もしよろしければ「本多正一写真展」にも、忘れず足を向けていただければ嬉しいです!


 

「時間はだれも待ってくれない」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月30日(日)23時23分20秒
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  > No.3277[元記事へ]

 スエ城(完)(*)
 いやぜんぜん完じゃないですが、エンディングは別にこうじゃなくてもいいと思うので(汗)。ていうかちょっと飽きたという面も……。でも、このくらいまでやっておいたら、いわゆる熟成効果みたいなのが働くことが、経験的にわかってきたので、ここのところはしばらく寝かせておいて、そのうちまたトライしたいと思います。次はまた、久しぶりにフュージョン系かなあ。
(*)どうも月曜未明に巡察が多いような気がするので、もし消えていたら、明日また復活しておきます。

 『時間はだれも待ってくれない』をまた読んでしまった。そんな余裕はないのに。
 オナ・フランツ「私と犬」。いやこれも佳品ですな。著者は73年生まれとのことで、日本で言えば長谷敏司(74生)ら最近の若手作家と同世代。ところが作風は大違いで、編集者の高野史緒が「星新一にも似た情緒性」という指摘をしていますが、文体も星的に抑制が効いている。視点と描写という小説の契機大前提が、ルーマニアではまだちゃんと前代から後代へ伝えられているんでしょうね。というか、いわゆるライトノベル(YAにあらず)が存在していないんじゃないかな。日本はライトノベルで育った世代とそれ以前の世代で切れてしまったように思います。
 

「時間はだれも待ってくれない」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月29日(土)22時46分53秒
返信・引用 編集済
   『時間はだれも待ってくれない』が、購入したままテーブルの上に放りっぱなしになっていて、ああこれも読まなくちゃなあ、と手に取ったのが運の尽きで、そんなことをしている暇はないのだが、気がつけば冒頭の「ハーベムス・パーパム(新教皇万歳)」を読んでしまっていました。や、これは傑作! しかし(私の読み間違いでなければ)新教皇になられた「お方」が、教皇になる小説内的必然性はおそらくないはずなので(ですよね)、私ならリドルにしたいところ(^^;。登場のシーン、遠く小さく「光っている」ものがまず見えてくるので、伏線として(記述された)候補者すべてに、どこか「光る」部分を描写しておけば面白いような(笑)。

 スエ城。明日には完成させたい(課題は終結部)。
 ↑追記>あわわ、新テイクと入れ替わってなかった(まだ消されてなかったのか)。今入れ替えた。

 テンパっているので、今日もこれまで。テンパっているわりにはいろいろ遊んでいるじゃないかって? 逃避ですっ!

 <追記> 小谷野敦さんが、ブログで、北杜夫が三島由紀夫の仮名遣いの間違いを注意して怒らせた話を紹介していて、得心しました。なにを得心したかというと、北杜夫がエッセイで、三島由紀夫に「白きたおやかな峰」は「白きたおやかなる峰」か「白いたおやかな峰」でないとダメと注意されて困ったという話を書いているんですね(出典は多分『人間とマンボウ』)。「白きたおやかな峰」は66年の刊ですから、10年後に三島は仇を取ったわけです。おお、なんという粘着質(笑)。まあ作家は粘着質でなければ、辛気臭い小説なんか完成させられないわけですが(^^;。

 <更に追記> 気になって『人間とマンボウ』を引っ張り出してきた。劈頭の「表面的な思い出など――三島由紀夫氏」に、やはり記されていました。ところが小谷野さんが紹介したことも(奥野健男から後に聞いたとして)書かれていたのでした。こっちは完全に忘却していました。同じエッセイの記述なのに、忘れていることと覚えていることがあるわけです。不思議ですなあ。
 あ、書き忘れるところでしたが、このエッセイを読むと、「仇を取った」説は、どうも成立しそうにありませんなあ(^^;

 面白い文章があったので引用――(三島が「楡家の人びと」の推薦文を引き受けてくれて喜んでいたのだがなかなか完成しない)「担当の人の話によると、町で氏がたまたま新刊のSFマガジンを買いこんだりすると、「あー、これでまた二、三日のびた」とガッカリしたということである」(12p)

 それはそうと、引っ張り出してきた「人間とマンボウ」をみて思わず絶句。表紙カバーに点々とカビが生えていたのです(本体は大丈夫だった)。この本を引っ張り出してくるのは、それこそ40年ぶり(72年刊)なので、ある意味当然なのかもしれませんが……。とりあえず拭きとってみようと思いついた。しかし御存知のとおり、中公のマンボウシリーズは表紙カバーの上に、更にビニールのカバーが付いている。しかも折り返しが溶着されていて、ハードカバーなので取り外せない(ソフトカバーならなんとかなるのですが)。仕方がないので、カッターで溶着部分を切り離して外しました。本当はビニールカバーは本にはあまりよくないんですよね。この際捨ててもよかったのですが(実際ハヤカワポケットは捨てている)、私としては珍しく、本にも愛着がある作家なのです。他の中公マンボウシリーズ(庄司薫もだ)も、いちど棚おろしして調べるべきかも。

 <また追記> プヒプヒ氏がブログで、『どくとるマンボウ昆虫記』について書いておられました。私は、その蛾の話は憶えていないのですが、ひとつだけ印象深くて忘れられないのがあります。それは「薄馬鹿下郎」!(笑)


 

鏡花賞

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月28日(金)21時45分43秒
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   あっちのブックオフ、こっちのブックオフで購入したビニール袋の、開封(?)もしてないのがそこら辺に置きっぱなしで、見た目も邪魔になってきたため、先日袋から取り出して整理していたら、なんとダブりが3冊も4冊もあってガックリ。最近は絶えてそんなことはしなかったのですが……。てことでそれらを売っぱらうために、とはいえ3、4冊ではお話にならないので、あれこれ不要なのを100冊ほど見繕って、今日ブックオフに持っていったのでした。81冊買い取ってくれて(売れなかった分は廃棄を依頼。ほんとに廃棄するのかどうかは甚だ疑問ですが)、計1320円也。一冊平均16円強(廃棄分を含めれば13円見当)。以前は20円弱くらいだったはず。かなり下がってしまいましたね。そのくせ、いつのまにか定価の半額という原則が崩れているんですよね。ブックオフも組織が大きくなって固定費が上昇しているんでしょうな。やれやれ。

 で、その1320円の一部を使って何冊か購入したんですが、なんとまた一冊ダブらせてしまっていた! 『美女か狐か峠みち 追放者・九鬼真十郎シリーズ(2)で、第1巻は読んだ記憶があったのですが(だから2巻を購入したのだが)、第2巻も読んでいたのか。とほほとしか言いようがありません。確認したら、90年3月4日(日)に、『かまくら三国志(上)』と一緒に購入、4月26日(木)に読了していました(ちなみに「案外この本の人間観はサルトルのそれに近いのではないか」とのメモあり。何を突拍子もないことを、とその前後をみたら同時期に『水入らず』を再読していたのでした(^^;)。

 しかしこの「重追放」のアイデア(というか実際にあった刑罰ですが)、SFに援用したら面白いんじゃないですかね。ということを初読時に考えた記憶があって、今日第2巻を見つけたときにそれを思い出し、それじゃ最初から通読してみようかな、と思って購入したのでした。まあせっかく思い出したのだから、近いうちに読み返してみようと思います。

 小谷野敦さんがブログに「泉鏡花文学賞が変」と書いておられます。「文学賞の中で信頼できるのは鏡花賞、と言ったのに賛同したところだが、どうもこの数年、変である」と。私も鏡花賞だけは商業主義に塗れてない唯一信頼できる文学賞だと、ずっと思っていたのでしたが(眉村さんの『消滅の光輪』も受賞しています)、先日『日々のあれこれ 目白雑録4』を読んでいたら、「三十二年前、吉行淳之介が(……)今度小説集を出したら泉鏡花賞をやるよ、と言い、なにを言っているのだろうと本気にしなかったのだったが、ちゃんと受賞したのである」(264p)とあった。だとすると「この数年」のどころの話じゃありません。でも、ウィキペディアのリストを見ているのですが、おおむね納得できる作品が並んでいますね。ちなみに『プラトン的恋愛』『消滅の光輪』と同時受賞。ただし金井本人は不満で、受賞するなら『単語集』だろうと(暗に)書いています。それは私も同意見(笑)。

 小谷野さんも書いておられますが、鏡花賞には独自の性格があり、その意味で、なくてはならない文学賞ですね。大体ANに一喜一憂する風潮は非常に馬鹿馬鹿しく、そもそも文春なんですから保守的であるのは端から分かっていることで、新奇なものを認めないのも今に始まったことではない。それは過去のSF作家の例でみんな分かっているはずなのに、いまだに円城が取れないのは不当とか言っている。そういう賞じゃないんですから。むしろ円城こそ鏡花賞がふさわしい作家ではないのでしょうか? しかし「単語集」が取れんかったからなあ(>おい)(^^;。
 とまれかくまれ、SFファンがAN祭りにのせられて浮かれるのは、恥ずかしいことだと私は思います。

 ちょっとテンパっているので、今日はこれまで。
 

Re: 「幽霊」「白きたおやかな峰」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月28日(金)09時53分39秒
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  > No.3274[元記事へ]

 スエ城>消去されていた。今回あまりにも早かったので復活しておきました。
 ところで昨日の投稿で、「ずばり『幽霊』です」の部分、最初は「『幽霊』にとどめを刺す」と書いていたのでしたが、「名作になんてひどい事をするんだ!」というお叱りのコメントが来そうな気がして、言い換えました。しかしこれ誤用ショートショートに使えそうだな(しませんが)(^^;
 

「幽霊」「白きたおやかな峰」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月27日(木)22時43分17秒
返信・引用 編集済
   承前。では、北杜夫の小説では何がいいでしょうか。『楡家の人びと』が代表作であるのは言を俟たないところですが、わたし個人的な趣味でいわせてもらえば、ずばり『幽霊』です。この、ドイツロマン派を髣髴とさせる、自費出版された処女作、傑作だと思います。亡くなられて、ネットではあれがいい、これがいいとタイトル百出のことと思われますが、「幽霊」を推奨するサイトはなかなか少ないのではないでしょうか。ということで、ここにタイトルを挙げておきます。
 あと、『白きたおやかな峰』もユニークな山岳小説で、面白かったですねえ。この作品もたぶん、あまりタイトルが挙がってこないような気がしますので、銘記しておきます。

 スエ城(全)※追記>消えていたので復活。またいずれ消えますが。
 →週末には、何とかかたちになりそうな気がしてきた。希望的観測ですが。でもオリジナル速度では絶対ムリ(^^;。

 ちょっとテンパっているので、今日はこれまで。
 

北杜夫さんご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月26日(水)21時43分42秒
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   北杜夫さんが亡くなられたとのことで、愕然としております。私が北杜夫の本を初めて買ったのは中学3年生の秋、二学期開始直後の1970年9月4日(金)で『どくとるマンボウ航海記』でした。その頃はまだ日記をつけておらず、残念ながら感想は残ってないのですが、でもよほど面白かったのでしょう、さっそく同月19日(土)に、『夜と霧の隅で』を買っています(ちなみにこのときは『燃える世界』と『壁』を同時購入)。その次が12月12日(土)で『怪盗ジバコ』。間髪入れず29日(火)に『船乗りクプクプの冒険』

 たいへんな勢いですな(笑)。とりわけジバコにはいたく感動しまして、教室で、級友たちを集めて、ジバコがいかに面白いかを大声で吹聴していたところ(クプクプが「クプクプクプ」と言ってるうちに「プクプクプク」になるねん、とも言っていたような(^^;)、当時憎からず思っておりましたK子が、何を子供っぽいのを読んでいるのかと憐れむような目で私を見(下げ)まして、「北杜夫は「青春記」じゃん!」。もちろん関東弁ではなく大阪弁でのたまわったのでしたが、でもまあニュアンスとしてはそんな感じ(汗)。

 あ、北杜夫は青春記なのか、青春記を読まずんばファンとはいえないのか、と、その頃ひそかに憎からず思っておりましたK子の発言でありますから、余計に競争心がふつふつと沸き上がって来まして、これは負けてはならじと(むろんケシカラヌと叫んでピョコリとび上がったりはしません。それじゃあ『奇病連盟』ですがな(^^;)、それまでは文庫とソフトカバーしか購入したことがなく、ハードカバー本などそもそも購入選択の対象外だったのに、翌年71年1月11日(月)、生まれて初めて(但し一般書籍の話、小学生で読んだ児童向け小説本は除外)ハードカバーの『どくとるマンボウ青春記』(昭和45年11月20日発行の30版、定価390円)を、忘れもしません、まだ現住所に移転開店して、多分1年も経っていない旭屋書店本店(今年12月閉店)の、当時1階エレベータ右側の角地が、新刊や話題作や、庄司薫や北杜夫といった人気作家を平積みにした第1磁石のエンドで、そこからドキドキしながら抜き取って購入したのを憶えております。

 ――そうか。ということは多分(クプクプの購入日から考えても)、上述の教室でのシーンは、1月11日が月曜だったわけですから10日は日曜、三学期開始は1月8日だったと記憶していますので、その8日の金曜か、翌日の9日土曜の出来事だったと逆算されますね(追記。それとも11日当日か。授業が終わってあわてて梅田まで買いに走ったのかも)。
 ま、それは余談ですが、『どくとるマンボウ青春記』、読んで私はどう感じたのでしょう? 実は私、1月15日から日記をつけ始めているのです。その第1頁に、私はこう記しています。

 「(……)成人の日だったので12時頃起きた。ラジオがつけっぱなしになっていた。どうも2時半頃に眠ってしまったらしい。ショートショートコーナー(チャチャヤングの:管理人註)を聞きのがしてしまった。/ どくとるマンボウ青春記を読み終えた。久しぶりに感激した。日記をつける気になったのはそのため(……)」

 つまり、すぐに簡単に影響されてしまう軽薄至極な私は、もう完全にこのノスタルジックな長篇エッセイに、ノックアウトされてしまっていたというわけです(^^ゞ。

 合掌。


 

「日々のあれこれ 目白雑録4」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月25日(火)22時54分21秒
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   「この二人(吉田修一と橋田壽賀子)のインタヴューから読みとれるのは、「分からない」者が一人もいないように語りたいと考える者特有の(……)なんとなくそこいらに行きわたっているイメージによって物ごとを語る姿勢だろう。(……)曖昧でありふれた固着的なイメージが、インタヴュアーの新聞記者とも新聞の読者とも共有されていることを決して疑わないのだ。/ シナリオには小説と違ってこう書かないと「分からない」という、まあ、ちょっと前まで流行っていた言葉で言えば「上から目線」とも思えなくない言い方は、むしろ誰とでも分かりあえるイメージを共有したいという願望なのだろう」(217-218p)

 金井美恵子『日々のあれこれ 目白雑録4(朝日新聞出版11)読了。

 先日の芦屋までの往復で8割方読み(当地からだとそれくらい電車に乗るわけです)、今日残りを読んだ。
 前作の第3巻では、愛猫トラーの死と、自身の白内障手術後の経過が今ひとつだったことなどが合わさって、やや落ち込んだエッセイが多かったのでした。今度のはどうかな、と思って読みだしたのでしたが、それは引きずってなかった。ただ、なんというか、ちょっと全体に「毒」が薄かったかな。文学や出版関係の話題が少なかったせいかもしれません。それと関連があるのか、著者の魅力はわたし的には颯爽と引き締まった文体なんですが、それが今回はいささかダランと緩んでいるように感じられた(従来のメインタイトルである「目白雑録」が、今回サブタイトルに移り、比べて柔らかい感じのする「日々のあれこれ」が主タイトルとなっているのは、かかる作風の変化に合わせたのかも)。
 また今回は、読んでいて、なんとなく寺山修司のエッセイを想起させられました。なぜなのかはよく判りませんが、細かいデータを出してきて論を展開するところなど、作り方が似ていると感じたのかも。でもこのシリーズでは、ずっとそんな筆法だった気もするので、まあ単なる思いつきですな(>おい)。
 

谷崎記念館・ミステリ講座第一回

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月25日(火)01時54分16秒
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   昨日は(もう一昨日ですが)谷崎潤一郎記念館に、野村恒彦さんの講演を聴きに行って来ました。秋の特別展「妖しの世界への誘い─谷崎・乱歩・横溝」の関連企画である「ミステリー講座(全3回)」の第1回です。演題は「横溝正史・人と作品〜神戸から」。野村氏の横溝狂い(^^;全開の講演で、大いに楽しみました。内容については、一緒に聴講した雫石さんがブログで要領よくまとめておられますので、そちらをお読みください(>おい!)→とつぜんブログ

 なお、第2回は戸川安宣さんで「谷崎と探偵小説の作家たち〜乱歩を中心に〜」(あれ、演題が変わってる!?)。第3回は正史のご子息横溝亮一さんで「父・横溝正史の思い出」。詳細はこちらでご確認ください→谷崎潤一郎記念館

 雫石さんのまとめ記事に書かれなかったのを一つ。渡辺温は谷崎邸からの帰途、乗ったタクシーが踏切で貨物列車と衝突して亡くなったのでしたが、乱歩も正史も、阪急電車の踏切で貨物列車と事故にあったと記録に残しているのだそうです。
 しかし――と野村さんは言います。自動車が衝突したのは貨物列車だったんです。貨物列車が私鉄の線路を走るだろうか(いえ走りません)。てことは阪急電車ではなく、実はJR(当時の省線)の踏切だったのではないのか?
 ということで調べはったんでしょう。ありました。野村さんの名推理のとおりでした。昭和5年2月11日の神戸新聞に「青年作家無残の死 夙川省線踏切の事故」との記事が掲載されていたことが確認されたのです!! その新聞のコピーが資料として配布されました。余談ですが、その記事を読みますと、タクシー(とはいわないのか、自動車となっています)には運転手だけでなく助手が同乗していたとあるんですよね。当時の乗合自動車(?)は、二人体制がふつうだったのでしょうか。そういえば『魔術師』の冒頭、明智がタクシーに乗ろうとして賊に拉致されるあの場面も、運転手と助手の二人でしたっけ。うーむ。どうだったか。ちょっと思い出せません(^^;。

 講演会終了後、打ち上げに参加。最寄り駅の阪神芦屋駅周辺は住宅地で飲食店は皆無。仕方なくバスでJR芦屋駅に移動。しかしここも、私たちが平生利用するような、安上がりなチェーン店の居酒屋の類は一切なし。さすが芦屋(^^;。西方向へちょっと歩いてやっとそれなりの店を発見、やれやれ。なんかいろいろ喋ったのですが、例によって、一晩寝て起きたら、何を喋ったのかほとんど覚えていないのでした(汗)。あ、『ジェノサイド』が面白いらしい!

 帰宅したら、足が、というか膝から下が、遠足から帰ってきたみたいに痛だるいのでありました。阪神芦屋駅から記念館まで、そこそこあって15分ほど歩いたのですが、しかも間に合うかどうか微妙な時間で、かなり早足で歩いたので、そのせいに違いない。朝起きたらだいぶましにはなっていたのですが、今現在でもまだ少し違和感がある。わずか15分ほどの速歩でこんな状態とは、われながら情けない。ちょっと真剣に、できるだけ歩こうと思ったことでした。毎度同じ決意をしております(ーー;
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月23日(日)02時05分30秒
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   断捨離迦は狭隘な地峡で繋がった砂時計もしくは瓢箪状の大陸の、地峡部分を占める小国であった。断捨離迦を間に挟んで、北大陸は全て分荼離迦という国で、南大陸は全て闕咤離迦という国であった。元々三国はひとつの大陸国家で、分荼離闕咤離迦と称した。しかるに北大陸と南大陸の仲が悪くなって、或時両国に分裂した。その際地峡部分が緩衝地帯に設定され、後に独立し断捨離迦を名乗ったのである。統一時代は疆盛であったが、分裂して衰えた。蓋し分荼離闕咤離迦という名前が悪かったのであろうと、後世の人は噂しあった。


 

「日本アパッチ族」(6)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月22日(土)22時50分56秒
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  > No.3267[元記事へ]

 承前。上記のアナロジーとは別に、それとかぶせて、山田の考える「人間」には、一種高貴な、教養もある、「士」と言い換え可能な意味が含意されています。と書くと、日本の武士ってそんな高貴だったかね、とシニカルを気取ってうそぶく奴が必ずあらわれる。それは「侍」。サムライとはサブラう者、侍(はべ)る者です。すなわちメタファーでいえば「イヌ」となる。ぜんぜん違うものです。「士」をネットで牽くと「学問・道徳を修めた男子についていう」と出てきます。しかし私が使うこの文脈では男子に限定せず人間一般として捉えています。それは権威に媚びない主体的な「人間」です。山田は、自分をそのような「人間」と規定し、大衆を「人間」に引き上げてやろうと考えている、そういう活動家です。

 一方、アパッチは全く逆です。アパッチは主体的に徳士に「上昇」するのではなく、食うものもなくなって否応なくアパッチに「落ちる」。110頁で木田は山田のことを回想する。「彼は人間であることに、その誇りと執着をかけていた。人間であろうと決意すること、――それが人間にとって肝心なことだ、と(……)。彼は人間として死に、私は(……)人間であることをやめることによって生きのびた(……)アパッチは人間ではなく、屑かもしれない。しかし、非人間にも生はあり(……)満足したとはいわないが、化物の生活もまんざら捨てたものではなかった」

 何度も書いていますが、これはクラーク的な上への超人間化(反ヒューマニズム)に対して、下への超人間化(反ヒューマニズム)を提示するものです。山田の人間主義(ユマニスム)は、おそらくクラーク的シチュエーションに於いても、それに抵抗をしめすでしょう。『果てしなき……』ではアイへの対抗勢力にそれが反映されています。(以下次回)
 

午後から回復?

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月22日(土)20時57分53秒
返信・引用
   明日は谷崎記念館なのだが、雨は大丈夫なのかな。
 あ、11月3日は木曜だが祝日だったのか。早速予約。

 スエ城
 前半のみ。ようやくここまで。しかも速度75%。遅い。遅すぎる。
 

「日本アパッチ族」(5)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月21日(金)21時31分41秒
返信・引用 編集済
   承前。「第七章 動乱への序曲」に至って、アパッチはその本性をはっきりと示し始めます。本性とは、むろん「人間ではない」ということです。もとより小説内事実として、アパッチは人間ではない存在ですが、著者の創作動機のひとつに、現実社会のアナロジーがあるのは明らかです。
 ここで「人間」は2つの意味を含意します。ひとつは(第一章で)山田捻が唱えたそれで、この意味では大多数の人間は人間ではなくなります。ということでちょっと戻りますが、山田はいう。「人間はどんな状況におかれても人間でしかないこと。そして問題は一にかかって人間であることを、自己自身において認めるか、それを拒否するかという点にあること――つまりは、自己が人間であり、それでしかありえないことを認め、そうあることを志すか、その条件がたえがたいという理由をもとに、人間であることを否認し、その条件を逃れるか、この二つしかないのだ」(51-52p)と。むろん山田は前者です。

 これに対して木田福一は「そんなりっぱなこと、どうでもええわい」「人間として生きられないやつは、わんさといよる」と反論する。つまり大多数の人間は後者である、と。山田視点でいえば、それは当然「人間ではない」存在なわけです。ここで前回引用した高橋和巳の文章を思い出していただきたいと思います。
 ところが山田は、「おれがたたかうのは、そういった人間たちのためだ」というのだが、木田は「うそつけ、自分のためや」(63p)

 これは当時(というか六全協以前?)の共産党活動家のアナロジーになっているわけで、山田のいう(前者の)人間とは「プロレタリアート」、(後者の)人間として生きていない人間は、いわば「前プロレタリアート」、前プロレタリアートをプロレタリアートに「引き上げる」「指導する」山田のような人間は「プロ活動家(専従)」と、捉えることもできそうです。
 本篇の舞台は、六全協以降の日本ではありますが、いずれにせよ、共産主義運動(とりわけ日本のそれ)の一面に、エリートが「下々の」人間たちを教導してやるという、「上から目線」があることを著者ははっきりと認識(体感)しており、それに対する著者の立ち位置を、木田の反論によって(「果しなき……」同様に)示したと見るべきでしょう。(以下次回
 

「サル学の現在(下)」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月20日(木)00時00分0秒
返信・引用 編集済
   いろいろ雑事。ささっと片づ…………かない。明日は20日ではないか!

 立花隆『サル学の現在(下)』(文春文庫96、元版91)読了。
 下巻も面白い。新世界ザル面白い。『カンガルー作戦』が思い出されるなあ。江原昭善インタビューあたりからだんだんSFっぽくなってくる。
「大進化の各レベルにおいて、爆発的な進化があるわけですね(……)あらゆる面が一挙に変わって(……)もう一つ上のレベルに飛躍する。たとえば物質が化学変化を積み重ねていくうちに、突然生命を生み出す(……)徐々に猿人が原人になっていくわけではない。段階的飛躍の前とあとは、一本の糸で結べるような関係じゃなくて、何本かの木が枝を伸ばしてからみ合った、生け垣のようなものがあいだにはさまっている関係(……)だから、そのあいだでどの糸が両者をつないでいるかを論じることは、意味がないし、論じても、誤った結論に落ち込む危険があります」(219-220p)
「私も最近まで、人間は絶滅に向かって進んでいるんじゃないかと、ペシミスティックだったんですが、最近ちょっと考えが変わりましてね。生物が飛躍的進化をするときはいつでも危機なんです。それを乗りこえたとき、新しい段階に飛び移れるし、飛びそこなうと絶滅する。だから現在の危機的状況をバネにして、人類は次の次元に入っていくのではないか」
 ――もう一段、高次の存在に進化するということですか。
「そういうことです(……)もう一段上にパッと飛躍する。そして、進化した向こう側から我々の側を見ると、まるで、我々が猿人を見ているくらいの差がついて見えるんじゃないかと思うんです」(226-227p)

 いやー小松さんもびっくり、というか、小松さんの影響が強そうですね江原さんという方は(^^;

 一方、野澤謙はこういう。
 ――すると、人間もこれから進化しますか。
「当然するでしょうね(……)」
 ――すると、今西進化論がいうように、変わるべきときがきたら、みんないっせいに変わるわけですか。
「突然変異が個体の中に起きて、それが種の中に広がっていくことによって、種の進化は起こるものなんです。一つの種の全個体が、ある日突然ゴソッと変わってしまうようなことは、生物の遺伝メカニズムからは考えにくいと思います。今西先生は、遺伝学からの情報はいっさい取り入れないで、理論をつくり上げておられると私は思いますね」(318p)

 野澤さんは反ラファティ派のようです(違)。

 さて、1991年に出版された本書は、京大霊長研設立の1967年からすれば24年後の「現在」における達成の紹介なんですよね。しかしそれから2011年の現在まで、ほぼ同じくらいの時間である20年が経過しているわけです。本書に記されたところから、さらに研究は進展しているんでしょう。フィールドワークも進んだでしょうが、とりわけ分子生物学や遺伝学研究は、飛躍的な進展がなされているに違いないと考えるべきでしょうね。21世紀の「サル学の現在」を知りたいものです。

 明日からまたアパッチに復帰します。
 

果しなき読書会(さらに追記)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月18日(火)21時48分56秒
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  > No.3264[元記事へ]

 今日は、なんで阪神の放送してんねん、オリックス放送せんかい! とテレビやラジオの前で思った人が大多数だったのではないでしょうか。なんとも劇的なオリックスのCS滑り込み失敗でしたねえ(笑)。これは見たかった。いや阪神戦の中継画面の中に小さく、岡田監督の顔だけずっと映しているのでもよかったんですけど。ちょっとした見物だったんじゃないですかねえ(>おい)(^^;

 てことで承前。会合で、ミステリは一点にギュッと「収束」する。SFは一点から無限大に「膨張」する。いずれにしても「ラスト」があるのだが、一方、伝奇小説は、収束も膨張もしない。そのかわり(半村良が言ったように)「終わらない」んだよね、という話になって、だとすれば『果しなき流れの果に』は、伝奇小説なのではないのか、というトンデモナイ意見が出たのでした。
 本篇、既述のようにラストはあのとおりメインストーリーの行き着いた結末ではありません。ある意味、終わらせたいときにこれを持ち出せば良いという、伝家の宝刀(もしくは黄門の印籠)みたいなものともいえるんですね。実際のところ、この物語は(そもそも始まりも終わりもない物語ですから)アイデアさえ続けば、いくらでも(アイの側とその対抗勢力の抗争として)引き伸ばせるものという見方も可能なのです。
 つまり、かつての連続テレビドラマ「タイムトンネル」のような構造を持つ小説といえる。「タイムトンネル」も機械の不調で、常に各回のラストで回収に失敗し、主人公たちは別の時代に跳ばされてしまう、原理的に永遠に続けられるのです。「タイムトンネル」が最終回でどのように回収されたのか全く記憶に残っていませんが(そもそも最終回を見たのかどうかも曖昧)、本篇の場合は爺さん婆さんの(見かけ上の)ラストで、(ある意味)無理やり終わらせてしまっているわけです。
 逆の言い方をすれば、いくらでも連載を継続できる。編集部から「もうそろそろ」といわれたらあのラストを持ってくればいいというわけです。連載当時はそんなこと思いもよらなかったかも知れませんが、もし本篇が今の時代の連載だったら、むしろそんなふうな展開になる方が普通かもしれんという冗談だか本気だか分からない意見だったのですが、日本を代表する本格SFの金字塔が、実は伝奇小説だったという目の付けどころは、(その当否は別にして)実に私にはセンスオブワンダーだったのでした。
 

果しなき読書会(追記)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月17日(月)21時19分1秒
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  > No.3262[元記事へ]

 無駄な設定として列挙された中に、ネアンデルタール集落のエピソードがありました。この実験は一体何なのか。主筋にはぜんぜん絡んでこない、つまり回収されない伏線じゃないかというわけです。そう言われればたしかに。ただ、好意的に読めば、というかこの部分だけ独立させてみれば、太陽ノヴァ化による地球終焉がホモ・サピエンスを誕生せしめたという円環構造が完成しており、この部分だけでひとつのセンスオブワンダーが発動するようになっています。私は事前にカルメル遺跡についての知識があったので、とりわけおおっ、という(つまりありえなくはないという)感覚がありましたが、もしそのような知識がなければ、一体何のエピソードやねんと感じたかも知れません。当然著者は混血問題を知っていたはずで、旧人から新人への飛躍的・爆発的な進化(当時はまだ多元的進化説が主流だった)を説明するアイデアとしての、このプロットの原案もまた、ネタ帳(?)にはメモされてあったんじゃないでしょうか。で、それを本篇に挟みこみたくて仕方がなかったのではないかと想像してしまうのですよね(^^;。つまり結局、前項で記した「とにかく思いついた(温めていた)アイデアを全部ぶち込んだ」、その一例といえそうで、しかし私は、無駄な設定は認めるにやぶさかでないにしても、必要ないとは必ずしも思わないんですよね。結局SF読者はミステリ読者のような緻密な読みは、あんまりしないんでしょうな。「終わりよければ全てよし」というのはSF読者の常識ですが(>常識なのか)、それはミステリ読者には通用しないものなのかも知れません(そういえばこれはミステリ反則のシステム外知の導入にあたりますね)。単一時間線と並行時間線が同時並在しているのも矛盾ですよね。これもミステリ的には受け入れられないと思います。ところが私は、ヴォクト的として喜んでしまうのですよね(笑)。
 あと、Nやルキフェル側も、現在知を過去に投入して進化を促進させる計画があったりして、アイ側とどこが違うのか、という疑問もあった。これも確かに、と納得させられた指摘でした。つまりルキフェル側も、「下」に対しては「上から目線」になっているわけです。が、さらに考えれば、これは瑕瑾ではなく、オーバーマインド(*)への対抗勢力もつまりは小オーバーマインドでしかないという「相対主義」を、小松さんは「意識的」に盛り込んだのかも知れません。とすればそれはクラークにはない独自の視点であり(多分笠井潔も気づいていない)、むしろ「幼年期の終り」を総括するものであるのかもなー、とも考えるのでありました。

(*)本篇は階梯制なので、「幼年期」のようなオーバーロードとオーバーマインドの絶対的区別はない。すべてが登りつめる可能性を持ち、それゆえに降位もあるわけです。
 

あぢきなき流れの果に 

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月16日(日)17時21分5秒
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   ――しかうして、或る球団の愚かしくもぶざまな一年は、終ひに焉りをむかへたのであつた。なむなむ。
 

果しなき読書会

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月16日(日)12時42分9秒
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   ということで、昨日は「果しなき流れの果に」読書会でした。ミステリ読みがこの作品を読むとどういう感想を持つのか、興味津々で出掛けたものでしたが、いやー楽しかったです。やはり読みの角度がわれわれSF読者とはちょっと違っているんですね。なかなか新鮮でした。それからSFファンが支配されずにはいない「小松左京」という呪縛から自由であるのも大きいですね。彼らにとっては小松左京も数ある作家のなかの一人でしかないというわけです。

 結論からいえば、出席者9名中8点が7名、7点が2名となりました。やはり前半の緊密度・疾走感に対して後半が緩み停滞するという感想が多かった。前半は伏線を貼りまくった周到な筆致なのに、アイマツラが階梯を駆け上がって行きストップされる場面はこんな文章でいいのか。落差が大きい(註:という言葉を言われたのではなく、そういう意味の発言だったとご理解下さい。細かいニュアンスは忘れました。以下同じ)。細かい点では本筋に絡まない無駄な設定も見られる、とにかく思いついた(温めていた)アイデアを全部ぶち込んだのかも。その迫力は凄い。30代という若さだから書けた。ラストの爺さん婆さんのエピソードはこの壮大な物語の中では中心的な主題ではなく傍系的なもの。その意味でラストとしてはふさわしいものではない。強引に終わらせるもの。だいたいアルプスで生き返った野々村が放浪の旅に出てなぜ和泉山脈というローカルなところを通ったのか、必然性が薄い。そこに至るもう一段の仕掛けが必要。小さく終わらせてしまっている。ただし中高生で読んでいたらこの部分感動したかも。と言った意見はなるほどと肯かされてしまいました。

 その一方で、野々村が未来に生まれて過去に死ぬサブストーリーは、非常にセンス・オブ・ワンダーがあると思うのですが、そのゆくたては理解されているのですが、さほど感銘したというふうではなく、小さい頃からSF漬けできた者とはやはり回路が少し違うように出来上がっているんだろうなあ、とも思ったのでした。

 とまれ非常に示唆を受け、見方的に得難い経験をした読書会でした(^^)。例会はジュンク堂の近くで行われていて、読書会終了後ジュンク堂に赴き次回作をさがすのが通例。今回重い作品だったので次回は軽くという話になり(笑)、五十嵐貴久『土井徹先生の診療事件簿』(幻冬舎文庫)に決定。帯には<「動物と話せる」獣医師が謎に挑戦!>との惹句。そうです。土井徹はドイトール→ドヰトール→ドヰットル→ドゥリットル、すなわちドリトル!(>バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ(^^;)。いかにも軽そう(汗)。ぜんぜん前知識のない作家ですが、おもしろそうです!

 ところで、例会前に旭屋書店に寄ったのでした。なんと左側の銀行は移転していた。右側のエスバイエルはもう随分前に撤退しているので、そのブロックで営業しているのは、旭屋と隣の肉屋さんだけになっていました。ブロックごと再開発されるんでしょうか。
 高野史緒編『時間はだれも待ってくれない』(東京創元社)を購入。12月閉店なのでもう1回くらいは訪れることがあるかも知れませんが、そのときはたして購入するものがあるかどうか分からない。本書が旭屋書店最後の本となるかも。

 例会後二次会。前項で書いたような情報を頂いたり、日本推理作家協会の、先般お知らせした眉村さんの小松さん追悼文が掲載された会報のコピーを頂いたり(既に高井さんからファイルで頂いていたものですが)。この追悼文(石川さんらのも同様)、SFM第一世代特集号に再録されているんですね(当該号を持参している方がいたので分かった)。で、そこで編集部のやる気のなさが一頻り槍玉に上げられたのでした。いくらなんでもお茶を濁しすぎやろと。わが社的にはどうでもいいのだが他社他誌がいろいろやっているのに全く何もしないというのもアレだからお茶を濁しとけというイヤイヤ感フンプンの号でありました(ただし資料は価値があるので買っておくべしとのこと)。

 いつもの時間で切り上げたのでしたが、出発時さほどでもなかった雨が、意外に長引いて、それどころか降りも強くなっていて(予想では帰る頃には止んでいると踏んでいた)、傘を買うためにあいている店を探したりしていたら乗車が遅れてしまい、12時半過ぎの帰宅時間となってしまいました。

 しこうして、或る果しなき一日も終に焉りを告げたのであった……。(^^ゞ
 

Re: お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月16日(日)01時25分3秒
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  > No.3260[元記事へ]

 雫石さん

 今日聞いた話ですと横正イベント、サプライズゲストが登場するみたいですよ。お楽しみに〜。
 思い出したのですが、去年は打ち上げだけ参加したんでしたね。今年もその手で行くかな(^^;

 そうか京フェスだったんですよね。京都もうちからは遠いのです。正味新幹線の東京新大阪間くらいかかってしまいます。朝7時前には出発しなければ間に合わないのです。来年は頑張って早起きしてみましょうかねえ(笑)。

 野村講演は私も出席するつもりです。戸川さんの武州公秘話は新資料が出されるらしいです。そういえば今日、細雪=黒死館説が出ていました。あれ、細雪=ドグラマグラ説だったっけ?
 

Re: お知らせ

 投稿者:雫石鉄也メール  投稿日:2011年10月15日(土)16時37分22秒
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  私は行きますよ。
そうですね。あのへんは管理人さんちからは遠いのですね。
私はJR神戸は、通勤途上の地下鉄への乗換駅です。便利です。西さんなんかもっと便利で、歩いて来れますからね。
京フェスは行きました。岡本さんも来てました。23日の谷崎記念館の野村さんの講演も行きます。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

お知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月15日(土)01時00分16秒
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  △明日土曜は畸人郷例会の「果しなき流れの果に」読書会出席のため、「日本アパッチ族」はお休みします。

△第7回横溝正史生誕地碑建立記念イベントのご案内
 今年は11月26日(土)14:00〜 東川崎地域福祉センター(神戸市中央区)にて行われるそうです。→アクセス
 去年の中相作先生の漫談アワワもとい講演が大好評、且つ熱演すぎて途中で時間切れになったため、今年も中先生が去年の続きを講義されるとのこと(演題「続・横溝正史と江戸川乱歩」)
 去年は行けなかったので、今年は行ってみようかな。でも続編だけ聴いても意味がないような。しかもJR神戸駅に行くためには、変則運賃制適用区間のため、わざわざ三回乗り換えないといけないんですよね。うーむ。

マッドサイエンティストの手帳に、面白そうなイベント(Photo & Talks Session 2011)が紹介されています。で、リンクをクリックして当該ページへ跳んでみた。チック・コリアのユーチューブ動画が貼りつけてあったので、視聴してみたら、おお、以前マハヴィシュヌ・オーケストラに在籍していたジャン=リュック・ポンティの姿が!
 このイベントも行ってみたいなあ。平日なんだよなあ。ジャズ住職は無理かしら。
 

「日本アパッチ族」(4)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月14日(金)20時33分9秒
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  > No.3257[元記事へ]

 承前。種のレベルにおける「下への進化」は、別のレベルでは共産革命のアナロジーにもなっているわけです。64年のカッパノベル版発売当時は、むしろこの面での評価が高かったのではないでしょうか。
 資本制に疎外された無産人民がプロレタリアートに「変化」することが共産主義の前提となるわけですが、この変化した人々を具体的に描写したのが、何あろう『所有せざる人々』です。このなかで貧富の差もある代わりに多様な文化が花開き、欲望を刺激する娯楽に満ちたウラス社会と、共産主義の理想型に近い無政府主義的なアナレスとが対比的に描かれています。

 ここに描写される個人的欲望(所有欲)を捨て去ったアナレス人は、今の時代の我々日本人的には非常に奇妙な世界と感じられます。しかしこのような「変化」を経なければ、共産社会は、実際のところ実現できないことを、ル=グインはよく理解しています(もちろん小松左京も)。プロレタリアートは単純に無産階級の言い換えではないのですね。それは無産者が「変化」して「なる」存在なのです。同様にアパッチも、窮民が「変化」して「なった」存在であるのはいうまでもありません。

 そんな社会は受け入れられないと思うかも知れません。しかしそれは皆さんが(たとえ自己認識ではオレは最底辺と思っておられようと)、「まだ完全に追いつめられていない」(本書33p)からです(もちろん私も含まれます)。しかしながら、高橋和巳が『堕落』で指摘したように、「すでに国家の恩恵に浴している国民の中の急進主義者にとって、国家はやがて消滅するものであっても、すべてがユダヤ人マルクスのように思想的国際性を獲得できるわけではない混血児にとっては、何とかして既成の民族に融け込み、国家の枠内にもぐり込むことが先決だった」(講談社文芸文庫版70p)といった情況に囚われた人々からすれば何ほどか幸せな立場にあるからに他なりません。

 アパッチは、まさにアナレス人に対応しており、完全に変態した真のアパッチでは個人的欲望は殆ど起動しません。その延長線上に女子供を前線に配備する二毛次郎(ジロニモー)の戦術もあるわけです(実在した共産国にもこの面がありました。むしろ悪肥大してあった)。もはやアパッチは「人間」的基準で計れる存在ではなくなってしまっている(当然共産主義的人間も)。
 と書けば明らかなように、アパッチは、『果しなき流れの果に』のアイたちの存在に対応しています。ただし、上にあるアイに対して、アパッチは下にあるわけで、いわばマイナス符号を付けたアイの鏡像とというべきかも。『幼年期の終り』に照らせば、オーバーマインドに相当させて、私はいいと思います。ではオーバーロードに対応するのは? それは次回以降で(^^;。
 

「日本アパッチ族」(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月13日(木)21時28分51秒
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  > No.3256[元記事へ]

 承前。もちろん火星人ゴーホームが、日本アパッチ族の出現を見通した予言の書だったと解釈することも出来ます。もうええですかそうですか。

 さて、『果しなき流れの果に』『幼年期の終り』の上から目線優越への批判的レスポンスでした(但し最終的に同一地点に着地する)。本書『日本アパッチ族』もまた、『幼年期の終り』を強く意識した作品になっているようです。
 オーバーロードを上帝(上主)、オーバーマインドを上霊(主上心)と訳されたように、クラーク(あるいは「果てしなき……」)に於ては、人類は「上」へ進化します(させられます)。

 まず本篇はそれをひっくり返す。アパッチは食うにもこと欠いた将来の展望のない最底辺の人間が「追いつめられ」(「おそらく私はまだ完全に追いつめられていないのであろう」33p)、否応なく食鉄を身につけた結果、進化の新たな階梯に達したのでした。
 もちろん過去の飢饉に百姓が壁を食べたり土を食べたりしたわけですが、きっかけはそれと同じです。ただ食鉄はその成分上、食鉄者に鉄の体(とそれに対応する心)をもたらした。食土その他よりも適応性ではるかにすぐれた変化だったので、本篇の設定の条件で一気にひろがったのでした。実際、東北や瀬戸内では砂を食うサンドマン(砂をかけて眠らせるのが得意)が、九州炭鉱地帯では石炭を食うコールマン(口髭がトレードマーク)が発生したと320頁にあります。ですが、彼らよりも生存に有利な食鉄アパッチが生存的に(人間も含めた他種を)圧倒したわけです。

 これは「への進化」ではなく「への進化(超越)」といえる。いわばクラークを180度転倒させるもので、画期的な操作だと思います。著者は、クラークの上から目線進化に抗して、アパッチという最下層の「窮民」たちをもって「人間」を超えさせたのでした。このへんは英国SF界でクラークに並び称されたオールディスに近い筆法ですね。(以下次回

 追記。320頁の砂男の、構成物質の性質上もとの姿をたもっておられず、砂そのものと化してしまうくだりは、もはや一幅の幻想画の趣きですね。安部公房風の幻想掌篇になりそうかも。そうそう、安部公房は、また後で触れることになると思います(^^;。

 

「日本アパッチ族」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月12日(水)21時52分56秒
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    承前。昨日は大変なことを忘れていました。主人公木田福一ですが、もちろん福田紀一ですね。ついでにいえば、中盤に重要な役割を担う浦上は眉村さんなのかどうか。いうまでもなく「浦上」は、眉村さん(本名村上卓児)が自身を反映させた主人公によく使われる名前なんですが、眉村さん自身が使い始めたのは、ちゃんと確認していませんが、「あの真珠色の朝を」や「ワルのり旅行」あたりのはず。すなわち70年代に入ってからなので、やや牽強付会かも知れません。とはいえ眉村さんのメインテーマは「人間を人間たらしめるものの考究」でありますから、冒頭の山田捻=中盤の浦上=ラストでの木田福一とバトンタッチしていくところの(超人に弁証法的に対極する)「人間」契機の担い手のひとりに、モデルとして擬されるのは、実にもって当を得た小松さんの配役であるように感じられるのですが……。いや、これは少し先走りました。

 いまひとつ、これも私の読み過ぎなのかも知れませんが、アパッチたちが巻き起こすドンチャン騒ぎに、皆さんは何か思いあたりはしなかったでしょうか? このアパッチ、「火星人ゴーホーム」の火星人とよく似ていませんか? 私は読み始めるやただちに「や、そっくり」と思ったですよ。そこで世界SF全集版を引っ張り出してきたところ……
 おおっ!
 そのあまりの符合に、思わず私は声をあげ、持った本をばバッタと落とし、小膝叩いてにやりとしてしまったのでありました(笑)。
 くだんの火星人が地球に現れたのはいつだったと思われますか? 当該本を引っ張り出して検証していただければ幸甚でありますが、彼らの到来は、第1部のドあたまにはっきりと記載されている。すなわち「時 1964年3月26日、木曜日の夕刻」(場所はカリフォーニア州インディオに近い砂漠地帯の丸木小屋)。一方本書のアパッチが初めて出現したのは、当然本書の発売日です。元版であるカッパノベル版の発行日は、ずばり「1964年3月5日」(もちろんその数日前には書店に積まれていたんでしょう)。なんと日本のSF読者がアパッチのアナーキーなドタバタ騒ぎにてんやわんやになっているそのときに、外つ国では火星人が大暴れしていたのです! 何たる偶然の一致! いやこれは本当に偶然の一致でしょうか。『火星人ゴーホーム』の森郁夫訳ハヤカワポケット版(厳密にはハヤカワファンタジー)が出たのは1958年。当然小松さんは既読のはずです。とすれば――
 ――私は、小松さんが周到に仕掛けた暗合だったのではなかったかとの妄想を払拭できないのです。つまりアパッチを書いているとき、火星人ゴーホームを意識していたのではないかということなんですが(^^;。以下次回。いよいよ本論に入ります(>ホンマか)。
 

「日本アパッチ族」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月11日(火)22時53分57秒
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   小松左京『日本アパッチ族』(角川文庫71、元版64)読了。

 本書にはレシートが挟まってなかったので、購入記録を引っ張り出してみたところ、71年10月30日に、『スはスペースのス』と一緒に購入していました。おそらくレシートはブラドべりの方に挟んであるのだと思われます。ゆえに購入店は不明。例によって日記を確認してみたら、早くも翌日10月31日に読了していました。ただし感想は「素晴らしい作品だった」の一言のみ。この頃はまだ16歳なので、感想はあってもこの程度です(^^;。ちなみに10月30日は中国の国連加盟が決まったとの記載あり。

 高橋和巳の『邪宗門』に対して、小松が「パクったなあ」といった(高橋曰く「バレたか」)真の意味がようやくわかりました。私はアパッチを読んだ高橋が、エンタテインメント文体にめざめて「邪宗門」で実践したことを指して言ったのだと思っていたのですが、いやーそんなレベルではない。ほぼ完全なパクリやないですか(笑)。ひのもと教(だっけ)はアパッチですね。ただ結末は、陽の小松に対して陰の高橋ですが(汗)。これについては、近々『邪宗門』を読み直して確認してみたいと思います。

 本篇は、開始時点ではマンガ的な風刺小説、且つ執筆の動機からして内輪小説の面が強く(山田捻(ひねる)は山田稔ですよね)、次第に本格的な小説の結構を獲得していく。ついでにいえば「ダイモンジャ」は大阪の方言で「でか頭」の意味です。もんじゃ焼きとは関係ないと思います。野田某はその体型からして野田宏一郎でしょう(小松は61年頃には宇宙塵に入会していますから、執筆時点では既に当然知り合いであります)。しかも宏一郎は、この野田某に、単に外形的類似だけから役振りされたのではないというのが私の妄想で、野田某は名門の庶子で有力政治家Tの後ろ盾であるという。宏一郎は庶子ではなく、麻生太郎の従兄弟です(もっともその文章から窺い得るギラギラしたところ皆無の清廉な人柄は、精神的庶子といってもいいかも。小松さんもその辺を加味して庶子と設定したのかも知れません)。太郎の家は、戦後、筑豊炭鉱でもっとも搾取がひどかったらしい麻生鉱業(余談ながら川田武『闇からの叫び』の搾取会社のモデルは麻生だろうと私は睨んでいます)。野田某には、この太郎の父親の太賀吉が半分モデルに含まれていると思います。本篇の某は政治家ではないですが、有力政治家Tの資金的後ろ盾のようです。一方、太賀吉は政治家になり、wikipediaによれば「人権を無視した納屋制度により」得た「莫大な利益」を元手に岳父吉田茂の「政治資金を捻出」の役目を果たし、のちには田中角栄と組んでいます。ここで両者は結びつくわけです。お察しのとおり、本篇の有力政治家Tとは、田中角栄のことであるのは明らかでしょう。(以下次回
 

Re: 厚年病院の南側

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月10日(月)21時00分35秒
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   かんべさん

 >古い煉瓦塀はいまも一部が残っており
 へえ、そうだったんですか。それはなんかうれしいですねえ(^^)。機会を見つけて、行ってさがしてみます! 昔住んでいたところ、じっくりみて回りたいなあ、という気持ちは、ずっと以前からあって、でもすぐ忘れてしまうんですよね。ときどき突発的に思い出すのですが、なかなか実現できずにいます。ほん近所の、JR福島駅周辺にはたまに出没するんですけど。ともあれうれしいご教示をありがとうございました。

 ところで『日本アパッチ族』に描かれる風景は、当然ですが、景観が大きく変わってしまったオリンピック以前の風景(60年前後?)なんですよね(それで逆に興味ぶかいのですけど)。環状線ではなく城東線で、まだ地上を走っているんでしょう。角川文庫版180頁には、淀屋橋の欄干にもたれて天守閣を見るシーンがありますが、私は小学校高学年の頃(60年代なかば)、北浜2丁目の教会に毎週通っていたんですが(但し宗教とは無関係な理由)、おそらくその当時から天守閣なんてビルに隠れて絶対見られなかったと思います(それとも北詰からなら今でも望めるのかな。無理ですよねえ)。
 

厚年病院の南側

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2011年10月10日(月)13時39分39秒
返信・引用
  そこには、ずっと前から大きなマンションが建っています。
廃墟のような云々という、古い煉瓦塀はいまも一部が残っており、
これは元々は、明治時代あの区画を占めていた日本紡績の広い工場のもの。
明治42年7月の北区の大火、いわゆる「天満焼け」のとき、
空心町(造幣局の近所)から燃えだした火が、延々と西に延び、
この工場の高さ3メーターもあった塀によって、
ようやく食い止められたとのこと。
下福島公園の西の端には、新しい市民プールもあります。
以上、ちょっと調べたことがありますので、その由来を御参考までに。
関テレのエキストラの話、おもしろいですな。
私も広研の先輩が関テレに就職してはって、その伝手で、
「ちびっ子のど自慢」公開録画、場内整理のバイトをしました。
知る由もなかったけど、プロデューサーは野田宏一郎氏だったのね。
 

「日本アパッチ族」の思い出

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 9日(日)22時35分22秒
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   きのう今日と、当地の秋祭り(だんじり祭)でありまして、あちこちの方向から風に乗って笛鐘太鼓そして鯨波(というのでしょうか)が、遠く近くに聞こえてきます。そうなりますとこちとらの気分も何や知らんだんだんに浮き立ち高揚してまいりまして、逼塞して本など読んでられるかいというコンコロモチになってくるのであります。しかしこの祭りの期間だけは、道路の規制が網の目のレベルで徹底しており、安易に車で出発してみようものなら、どこへも行き着かずあまつさえ帰り着くこともかなわないという事態に陥り、臍を噛むのも稀ではない。という次第で外出はあきらめ、家でイーウィを吹いて遊んでいたのでした。今日から新しい楽曲(「スエーデンの城」)にトライ。まだまだ人様に聞かせられるレベルではなくイヤホーンでこっそりと練習。来週あたり公開できるレベルになっていればいいのですが、なかなか……。

 『日本アパッチ族』は160頁まで。そういえば思い出したのですが、大学の総部放送局に友人がいて、この放送部、在阪キー局にOBを多く送り込んでいまして、その関係でたまにエキストラのアルバイトの斡旋の声をかけてくれるらしく、この友人のツテで何度かバイトを、私はさせてもらったことがあったのでした。おぼえているのはNHK大阪朝の連ドラ「おはようさん」でおにぎりを食う役とか、朝日の日下部吉彦のワイドショーにも、いまどきの大学生の一人として出演したのとか。で、とりわけ鮮明なのが関テレの「どてらいやつ激闘篇」(wikipediaには激動篇となっていますが私の記憶では激闘篇)のロケ。これは戦後闇市時代のドラマで、関テレで復員兵めいた格好をさせられ、マイクロバスに積み込まれて連れていかれた。よくは憶えていないのですが、本書を読んでいて、どうもあれは本書のアパッチ追放地の運河(かその北の寝屋川)べりだったんじゃないかな、という気がしてきたのでした。運河のほとりで壊れかけた煉瓦造りの構造物がありました。当時(70年代半ば)工廠跡地は既にかげもかたちもありませんが、一部にそのなごりが整地され残っていたのでしょうか。むろん単に廃工場の跡地か何かだったのかも知れませんが。そのような半ば瓦礫になった建物は、あの頃そんなに珍しくなかったような。当時住んでいた福島区の、厚生年金病院と丁度下福島公園を挟んだ南側にも、空襲を受けたそのまんまみたいな廃墟が残っていて、私たちはお化けが出ると噂しあっていたものでしたが、そこはのちに市民プールとなり姿を消してしまいました。現在はプールもなくなってしまっているそうで、今は何が建っているのかな。

 
 

「サル学の現在(上)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 8日(土)22時32分21秒
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   立花隆『サル学の現在(上)』(文春文庫96、元版91)読了。

 本書は、タイトル通り「サル学の現在」(ただし1990年当時の現在)をレポートするものであると同時に、京大霊長研列伝にもなっているわけです。幸島や高崎山でのニホンザル観察で確立した世界に冠たる日本独自の方法論(個体識別と長期観察)をひっさげ、同研のフィールドはやがてアフリカに向かう。そこでチンパンジー、ゴリラ、ピグチン(現・ボノボ)、ゲラダヒヒ、さらにボルネオに飛んでオラン・ウータンに、その卓抜な方法論を適用して多大な成果を上げ世界を驚かせるのでした。イメージとしては今西信長の号令一下、北陸に勝家、山陽に秀吉、四国に長秀、関東に一益が配されたイメージですな(笑)。
 それぞれの種にそれぞれヒトの一面が認められ、実に面白い。でもそれは勝手な思い込みにすぎず「見たいものを見ている」(伊藤典夫がラファティに見たいものを見たように)だけなのかも知れませんが……。
「自然科学の観察においても、純粋に客観的な観察というのはなかなかできないのであって、どうしても主観が投影されがちなんです」
――最初の観察者が、サルの社会に人間社会を投影させて、人間社会そっくりのボス支配の構図をそこに見てしまった。それがいかにもと思わせるところがあったので、その見方がずっと踏襲されてきたということなんでしょうか。(129p)


 下巻ではフィールドワーク(動物行動学)以外の、新しい方法論(生態学、生理学、脳生理学、生化学、遺伝学、進化学、心理学、社会学)を取り入れた多角的研究にスポットが当てられるみたいですが、とりあえずここでちょっとストップし、『日本アパッチ族』に着手したいと思います。
 

ラファティvs小松左京

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 8日(土)13時46分36秒
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  > No.3249[元記事へ]

 らっぱ亭さん、お返事ありがとうございます。
 超読書家というのがポイントですよね。その面では小松左京的かも。つまり博覧強記。いやいや、博覧強記は小松さんには当てはまりますが、ラファティの場合は博覧狂気ですな(笑)。つまり「ひけらかし」(もとよりSFらしさを醸成する重要な形式的契機でもあります)が全然ないわけです。だから一般的なSF読者は、隠れた次元で確かな裏打ちがあるアイデアを、それをトレースできないので、ラファティの(知性のかけらもない)法螺話と認識してしまう。
 ホラ吹きラファティ、酔いどれラファティという流布するイメージには、多分に伊藤典夫が作り上げた(無意識の・かくあってほしいという)フィクションが混ざっているんじゃないでしょうか。実は今回『翼の贈りもの』を読んではっとそう思いついたのでした。こういう翻訳の仕方をした井上央氏には、ひょっとして流通するラファティ観を正したいという意図があったんじゃないか。そんな気が実はしております。
 

Re: ラファティ進化論vs今西進化論

 投稿者:らっぱ亭  投稿日:2011年10月 8日(土)00時09分24秒
返信・引用
  > No.3247[元記事へ]

いやあ、私は進化論とか、まったく素人なのですが。

ラファティの作品では、わりと「ある日、いっせいに」何かが起こるというものがしばしばありますね。「すべての陸地ふたたび溢れいずるとき」とか。「そういう時期があるんやな」は良いですね。ラファティの作品にも通底するような気がします。

何でも読む、という超読書家のラファティのことですから、もし英文で紹介した本や記事があったならば、読んでいたかも。インタビュー記事でも、割と最新の科学記事とか目を通しているようですし。

>今西進化論とは独立に「突然いっせい変異」的にラファティの頭脳にあれましたのか!?
それはそれで、ラファティらしいですし、いろいろと考えていくと楽しいですね。
 

「サル学の現在」と「運命としての伝統」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 7日(金)23時46分12秒
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   『サル学の現在(上)』は390頁まで。めっちゃ面白い! ボスザルに支配される順位制社会というのが、ニホンザルの社会の一般的イメージだと、昨日まで私はそう思いこんでいたのですが、それは(そのスペキュレーションは)瓦解していたのですね。それも本書元版は1991年(雑誌連載は86〜90)ということですから、20年以上も前に既に……。でも私の感じでは、現在でもボスザル・順位制幻想は広く流布しているような気がするのですが。

 ともあれ、伊沢紘生氏によれば、ボスザルは存在しない。ニホンザルの社会を律しているのは「仲間意識」「ついていく行動」「頼る頼られる関係」の三契機らしい。移動はボスが先導するのではなく、サルたちはお互いに他のサルの動きを気にしていて、誰かが動き出したら残りがそれに何となくついていくかたちで移動が開始される。動き出した個体の近くの者が引きずられて動き始め、最終的に全個体が「それに乗り遅れまい」と「その流れに乗って」行く。脅威に際してボスザルは率先して敵に立ち向かうかと思いきや、なんとまっ先に他のサルを押しのけて逃げていく。これは高畑由起夫氏の話ですが、ニホンザルの社会は母系社会で、むしろ実権はメスガシラが握っていてボスザルでも嫌われたら群れを出ていくしかないとのことで、著者(というか実質はアンソロジストですね)の立花隆が「なんだか、日本の社会によく似ていますね」と感想をもらしているのはうべなるかなです。
 以上は特殊ニホンザルの話で、世界のサル社会全体に一般化できるものではなく、多様であるとのこと。ヒトでも民族により父系制・母系制いろいろあるのと同じです(でも私見では基層は母系制だと思う)。
 では、かかるニホンザルとニホン人のこの類似は何を意味するのか。ニホン人はニホンザルから進化した? 論外ですね(笑)。となると考えられるのは環境要因。ニホンザルは30万〜40万年前に日本にやってきて、最短に見積もって2800年で下北半島に到着できたらしい。少なくとも縄文人よりも古いので、原生種とみてよいでしょう。縄文人も同じ意味で列島原住民です。この2種が似た社会を持つのは(氷期以降の)日本列島の、概ね四季のある穏やかな環境が、そのような社会を形成させたという仮説が成り立ちはしないでしょうか?
 はっ、この発想、小松左京の「運命としての伝統」に通底するかも。だとしたら小松SFは、日本の風土でのみ生まれ得た原生SFといえるような気がしてきたのですが、妄想はこのくらいにしておきましょう(笑)。
 

ラファティ進化論vs今西進化論

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 6日(木)21時32分34秒
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   <小松左京特集>、次は『日本アパッチ族』に(この作品は小松さんの三契機のうちでも「反抗」契機が強く出た作品だと思うので)着手するつもりが、ふと手に取った『サル学の現在(上)』に次のような文章を見つけてしまった。

 「直立二足歩行のはじまりを考えてみても、一人の赤ん坊が立ち上がって、それからだんだんとイミテーションかなんかで広がっていったというのでは追いつかんのや。全部がいっせいに立ち上がらなんだら。それを<突然変異>というたらいかんけど、そういう時期があるんやな」
 ――突然いっせい変異になるんですね。先生のその、自然淘汰説を否定して、変わるときは変わるべくして変わるという、いわゆる今西進化論ですね。(45p)


 うーむ、これって「だれかがくれた翼の贈りもの」とまったく同じではありませんか! ラファティは今西進化論を読んでいたのか!? それとも今西進化論とは独立に「突然いっせい変異」的にラファティの頭脳にあれましたのか!? 「だれかがくれた翼の贈りもの」が発表された1978年当時、今西進化論は既に世に出ていたようなんですが……この辺はらっぱ亭さんのご意見を伺いたいところ(笑)。

 それにしても――
「ぼくは自然科学のようなちっぽけな問題をやるには忍びんねん。人間はうまれつきもっと大きいんですよ。その大きい人間を生かさなあかんな。そのためには自然科学を捨てなさい、というたら一番ええねん」(49p)(赤字化、管理人)
 と、さらりと、しかし豪快に言い放ってしまう今西錦司、よろしいなあ。最近の言葉で「自由すぎる!」というやつですね(^^;。ということで『日本アパッチ族』はちょっと横に置いといて、『サル学の現在』に着手。まあ小松さんと同じ京都学派ですし許容範囲(>なんのこっちゃ)。アパッチも『果しなき流れの果に』読書会までには読んでおきたいのだけれども、読書会は15日ですから、少々寄り道しても大丈夫でしょう。
 

笠井潔の「果しなき流れの果に」論

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 6日(木)00時26分33秒
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   今日は、笠井潔「宇宙精神と収容所」を読み返しました。『機械じかけの夢』所収の「果しなき流れの果に」論です。やはり「小松左京が『幼年期の終り』を念頭に置き、それを引き継ぐ意図を持って『果しなき流れの果に』を書いたのは、ほぼ間違いのないことである」という視点ですね。共通するのは「進化の管理」で、小松はそれに「管理に対する反抗」を付け加えたとします。この辺は私の読みと同じ。
 ただ笠井は、当たり前ですが私よりも読みが深く、小松が管理の極と反抗の極の間で自己分裂しており、「小松左京がアイとNのどちらの側に立とうとしているのか、読者にはほとんど決定することができない」とします。そういわれてみれば、確かにそれは私も読中ずっと感じていたところ。有り体にいって読みの立脚点を確保できず苛々させられたのでした。
 結局笠井によれば、小松はその二極をヘーゲル弁証法的に展開させることで「止揚」させてしまうのですが、それはルキッフに代表される「反抗」を「否定的契機」として頽落させ、「管理」に従属せしめるということにおいてなのでした。だからルキッフの像がぼんやりして焦点を結ばないのですね。
 笠井によれば、これは小松作品に普遍的に見られる展開で、「運命への反抗」を「運命への服従」へ至らしめるために「運命としての伝統」が措定される。笠井はこの操作を批判します。
 私流に言い換えれば、小松は、クラークの無反省に上から目線を肯定してしまうオプティミズムに対して、そんな単純なもんじゃないだろうとの視点を導入しますが、結局のところ最終的にはクラークと同一地点に着地してしまっている。それは「伝統」の導入によってなされるとするのですが、本篇における「伝統」契機は、いうまでもなく爺さん婆さんのセンチメンタリズムです。
 『果てしなき……』の怒涛の展開に、私は圧倒されながらも、どこか奥歯にものが挟まったままのような、隔靴掻痒感を払拭できなかったのですが、その理由がすっきりと意識化できました。
 とまれ笠井の、「その「哲学」の問題性にもかかわらず、『果しなき流れの果に』は優れた、おそらく伝統の浅い日本SF界を単独で代表するに足る作品である」との結論は、昨日の私の「日本SFは本篇だけあれば、あとはなくなっても構わないとすら思われます」という結論と同じことを言っているわけですよね。いや決して虎の威を借りているわけではありませんよ。だいたい虎っていうけど、たかだか4位あたりでウロウロしているチームやないですか。虎がナンボのもんじゃい!(>ハナシがちがう!)。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 5日(水)09時52分44秒
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   日本推理作家協会会報9月号に、眉村さんのエッセイ「小松さんの訃を聞いて」が掲載されました。星さんを例に出されて一面的な見方が定説化してしまう(小松さんの場合は奇抜さや壮大さ)傾向を心配されています。同感です。活動の領野が星さんよりも遙かに広い小松さんは、星さん以上にその傾向が強く現れてしまいがちなのではないでしょうか(特にSFサイドからのそれの優越)。星さんの場合は最相評伝が出たことでその傾向が些かなりとも是正されたように思います。私自身も自分の星新一観がずいぶん偏っていたことに、この本によって気付かされました。それはやはり最相さんがSF外部の人であったことが幸いしたのだと思います。当然そのような小松左京の(自伝ではなく)評伝を強く望みたいわけですが、やはり書き手はSF外部の人であることが望ましいといえる。とはいえ、小松さんの活動のすべてをトレースできるのは、小松さんに匹敵する知の巨人ということになり、はたしてそんな人がいるのだろうか、とも思ってしまうのですね。

 なお本号には石川喬司さん新井素子さんの追悼文も掲載されています。
 

「果しなき流れの果に」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 5日(水)00時31分33秒
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    物語の始まりの場である葛城山は、地理的描写からして和泉葛城山であることに間違いありません。ところが著者は、なぜかそこに付加される文化、伝承の記述に於いては、賀茂(鴨)族や役行者といった、大和葛城山ゆかりのそれを流用しているんですよね(もっとも本篇に登場する行者はベトナム人ですが(^^;)。理由は和泉葛城山には古墳に見合う伝承がないからでしょう。では最初から大和葛城山にすればよかったのではないか。それはダメなんです。6000万年前の白亜紀の地層が露頭していなければなりませんから。そのような場所は、和泉山脈にしか求められない。で、かかる故意の混同がなされたのではないか。私はそのように理解したのですが……。

 ということで、小松左京『果しなき流れの果に』(角川文庫74、元版66)、読了。

 いやー圧倒されてしまいました。本篇は『幼年期の終り』へのレスポンスであることは明らかで、クラークの西欧中心的な上から目線に対する異議が含意されていますよね。またそのスタイルが、クラークの正統本格に対して、本格は本格ながら、むしろヴォークト的な八方破れなそれだったのは、ちょっと意外でした。クラークが米朝なら著者は枝雀ですね(年齢的にも)、というのはちょっと強引ですか(^^;。
 意外といえば、本作にはその後の日本のSF作品において使用されたアイデアの多くが、既に原型的に認められるんですよね。つまり日本SFの始点原点といえる作品であり、而してそのすべてをあらかじめ含んでいる、画期的な傑作といって過言ではありません。その後に書かれた日本SFのすべてをその領野の内側に含んでしまう釈迦の掌のような作品です。その意味でいえば、日本SFは本篇だけあれば、あとはなくなっても構わないとすら思われます(いやレトリックです。なくなってしまったら困ります)。
 以上は本篇が有する理念的な潜在的可能性、すなわち何がやりたかったのか、という面においてであります。

 一方、それと同時に、本篇は失敗作でもある。それはプラクティカルな面に於ける話でありまして、(当時の)著者の技倆が、憚りながら本作品が有する深さと広がりを、そのキャパを、十全に語り上げるにはやや不足していたように感じられたのも事実。前半のキビキビした小説的展開・文体が、後半になるに従って、次第に小説的見地からは「痩せた」梗概的な文体になってしまいます。いやもちろん、かかる言いようが、著者に対してとんでもないレベルを要求するものであるのは重々承知で、おそらくそんなことは誰にもできないでしょう。でも私は読者ですから、十全に表現された(想像上の)途轍もない作品から見れば、本篇は残念ながらそれに達し得ていないと、100パーセントを求めたくなってしまうのです。そういう意味で、わたし的には(惜しむらくは傑作になりそこねた、という意味では全くなく)、大傑作であり且つ失敗作である作品なのでした。
 ところで本篇、英訳出版されたことがあるんでしょうか。西欧人が本書を読んでどう感じるのか、ちょっと知りたい気がします。『幼年期の終り』も読み直さなければいかんかなあ……。

 

マーニャでカルナバル

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 3日(月)22時26分15秒
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   昨日は、久しぶりにEWIを吹いたり録音したりして遊んでいたのでした。ところがMP3ファイルをユーチューブにアップしてくれるサイトが、しばらく利用していないうちに閉鎖してしまっていて(たぶん違法録音の温床だったからでしょう。いやむしろこのサイトは逆向きもできたので、ダウンロードして取り込み放題だったのが音楽供給者側から圧力があったのかも)、そういう次第で、代替をいろいろ探していたんですが、適当なのが見当たらず、そんなことバタバタやっていたら、あやまってFFFTPまで消去してしまう始末。ぐったりして寝てしまいました。
 今日はさっきまでFFFTPを復活させたりしていまして、とりあえず暫定的にFFFTPにてアップロード。

  ここ

 なぜ暫定的なのかといいますと、以前にも書きましたように、FFFTPは元来mp3ファイルをアップできないらしい(たぶん容量の関係)。なのでアップしても(アップすればアップできる)不定期に消去されてしまうようです。だいたい午前3時頃に巡察があるみたいです。したがって早ければこの3時頃に消去されている可能性もあります(タイミングがよければ1週間残っていたこともあった)。とまれ聴きたい方は可及的速やかにお聞き下さい。練習なしに一発録音にしてはまあまあではないかと思っているのですが。え、そんなのだれも聞きたくないって? そんな〜(^^;。

 『果てしなき……』は330頁まで。
 

リメイク版「逃亡者」看了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 2日(日)02時50分4秒
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   リメイク版「逃亡者」(93)を観ました。面白かった。オリジナルのテレビドラマは64年から67年にかけて放送されたとなっていますが、私の記憶では、「宇宙家族ロビンソン」の第1シーズンが間に挟まっていたはず。と思ってWikipediaを参照するに、実際は第1シーズンと第2シーズンの間に「ルーシー・ショー」が挟まり、第2シーズンと第3シーズンの間に「宇宙家族ロビンソン」が挟まっていたようで、してみますと私は第1シーズンは見ていないようです。とにかく延々と各回のラストはワンパターンの繰り返しだったように憶えています。
 本リメイク版は、その点(単発映画だから当然ですが)ストーリーがサスペンスフルに引き締まっており、出来はオリジナル版よりも、私はよかったと感じました。主演はハリソン・フォードですが、あの宇宙人ジョーンズのトミー・リー・ジョーンズが、バルカン星人並みの冷酷非情な追跡者ジェラード役を演じて、主役に拮抗する存在感を発揮しています。ジョーンズの存在感が、本篇を厚みのあるものにしているのは間違いないところでしょう。良質のハリウッド製映画でした。
 

《妖しの世界への誘い─谷崎・乱歩・横溝》展

 投稿者:管理人  投稿日:2011年10月 1日(土)12時08分49秒
返信・引用 編集済
   《妖しの世界への誘い─谷崎・乱歩・横溝》展が、今日10月1日より12月25日まで、芦屋市谷崎潤一郎記念館にて開催されています(→記念館HP)。

 その関連企画なのでしょうか、ミステリー講座(3回シリーズ)もあわせて開催。

  ▽第1回「横溝正史・人と作品〜神戸から」 日時:10月23日 午後2時30分〜
  講師:野村恒彦氏(神戸探偵小説愛好会会長)

  ▽第2回「谷崎の探偵小説と乱歩〜「武州公秘話」を中心に〜」 日時:11月6日 午後2時30分〜
  講師:戸川安宣氏(東京創元社相談役)

  ▽第3回
  日時:11月下旬の予定(講師と調整中)

 野村恒彦さんは、要するに<畸人郷>の会長さんですな(笑)。
 谷崎の探偵小説への関与を過大評価するべきではないとは中さんの説だったと思いますが、戸川さんがどのようなお話をされるのか、興味深いです。
 

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