ヘリコニア談話室11年12月

Re: 眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月31日(土)16時00分35秒
 
  > No.3370[元記事へ]

> でも、桐山さんは星群の会員ではありません。
あ、そうでしたか。適当なことを書いてすみません。大変失礼致しましたm(__)m

> あのう、私も星群なんですが。
いえ、雫石さんは第一義的に創研の会員であるというのが私の認識ですっ!(^^ゞ
 

Re: 眉村さん情報

 投稿者:雫石鉄也メール  投稿日:2011年12月31日(土)15時54分55秒
 
  > No.3369[元記事へ]

星群の会連絡人としてちょっと。
桐山芳男さんとは、私たち星群の会会員は大変、懇意にさせていただいでいて、星群祭をはじめ、星群の催しには必ず参加なさいます。星群の会の、貴重な応援者であり最も良き友人の一人でしょう。
でも、桐山さんは星群の会員ではありません。
銀座ヶ丘集会(眉村さん宅勉強会)に桐山さんが参加したことは、なかったと私は記憶します。

>でも星群も、村上さんと中西公全さん以外は識別不能です

あのう、私も星群なんですが。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月31日(土)12時19分0秒
 
   高井さんのブログに眉村さん情報が!→ショートショートの…
 パンパカ集団がチャチャヤンに出演したという記憶がないので、私が聞かなかった回でしょうね。だいたいパンパカ集団って名前は知っていましたが、いまはじめて名前に実在感が伴ったという……(^^;。そもそもファン活動はしなかったので、あまり流れ的なのを理解していないのですよね。桐山さんはたぶん星群の方で(でもあるので?)、眉村さんのご自宅で開催していた銀座会で、ひょっとしたらお目にかかった(というか目撃した)ことがあるかも判りません。でも星群も、村上さんと中西公全さん以外は識別不能です(^^ゞ
 ともあれ、高井さんが発掘してくれなかったら、たぶん永遠に埋もれてしまった情報だと思います。貴重な情報をありがとうございましたm(__)m。

 ところで「あの真珠色の朝を」計画ですが、下の投稿をしてから一時間もせずに執行が放棄されました〜!。いやトシには勝てまへんな。ついさっき起きたところ。(汗)
 もはや私は、死ぬまであの真珠色の朝を目にすることはできないのでショッカー(^^ゞ
 

あの真珠色の朝を……

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月31日(土)01時44分51秒
   
   「あの真珠色の朝を」ふたたび見むとて、しばらく前から何度か「完徹」を試みその度に敗退してきたのですが(トシですなあ)、今日こそは何としてもやり遂げんと、ウィスキー舐めながら(LPの状態の把握も兼ねて)プログレ大会開催中!(手は年賀状の宛名書き)(^^;

 現在、「こわれもの」→「危機」→「エマーソン・レイク・アンド・パーマー」→「タルカス」まで。このあと「展覧会の絵」→「トリロジー」→「恐怖の頭脳改革」→「クリムゾン・キングの宮殿」→「神秘」→「ウマグマ」→「原子心母」→「エコーズ」の予定で準備しているのであります。
 さて、目論見は成就するのでありましょうか(^^ゞ
 

「バットマン・フォーエヴァー」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月31日(土)00時06分32秒
   
   DVD「バットマン・フォーエヴァー」(95)を観ました。ジョエル・シュマッカー監督作品。実はティム・バートン作品だと勘違いして借りてしまったのでした。バートンは制作のみでの参加。主演も交替しています。いや〜ハリウッドビジネスはシビアですなあ。
 面白かったのは面白かったんだけど、バートン作品に比べてずっとアメコミ寄りです(元々アメコミなんですけど)。トゥーフェイス(宇宙人ジョーンズの人。うまい)もニグマも、(ペンギンやキャットウーマンじゃなくて)「スーパーマン」のレックス・ルーサー寄り。ペンギンやキャットウーマンのように、爪弾き者の哀しみみたいなものが感じらないんですよね。要するに奥行きがない(まあアメコミですから)。ペンギンは(彼を畸形であるがゆえに水に捨てた両親に対してではなく)地上の人類全体に対して呪詛をぶつけるのですが、トゥーフェースは自分を護り切れなかったバットマンを、ニグマは自分をクビにしたブルースを、いわば個人レベルで逆恨みしているだけ。全然意味が違う。でも一般観客にとって、その違いは識別不能なんでしょうね。

 『ジェノサイド』に着手。590頁あるので、たぶん明日中に読み切るのは無理。ということで、今年の読了冊数は96冊で確定しました!
 

「安全靴とワルツ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月30日(金)15時40分41秒
   
   森深紅『安全靴とワルツ』(角川春樹事務所11)読了。

 小松左京賞最後の受賞者の受賞後第一作。一気に読了。面白かった。受賞作『ラヴィン・ザ・キューブ』はメーカーSFでしたが、本篇はまんまメーカー小説。SFではないですが、内的にはほぼ姉妹編といってよい。

 大手自動車会社の浜松工場に勤務していた10年生の女子(あだ名はブルドーザー、それは工場内では優秀だが特化しすぎて潰しがきかない、公道を走れないブルドーザーのような不器用さから命名されたもの)が、ひょんなことで、大衆車のモデルチェンジの新プロジェクト立ち上げに伴って、本社と工場の橋渡し役として出向するところから始まります。

 ところがそのプロジェクト、中国の自動車メーカーがそのスタイルだけを模倣したような新車を発売する情報が伝わり、一時は計画が頓挫する。それでは収まらないチームは、さらなる要素を付加して中国車に対抗すべく、設計を変更し強引に計画を復活させる。
 さあ、そのシワ寄せは、当然生産現場の工場、そして下請けの部品工場に及ぶわけです。未曾有の短期開発に、現場は対応できるのか!? さらにはソマリア海賊、フランスの部品工場のストライキが追い打ちをかけるなか、英語とローマ字の区別も定かでない主人公の、ブルドーザー並みの猪突猛進が敢行されます!!

 グローバル化した本社と昔ながらの組長組員関係で動く現場、自社工場と下請け部品工場の関係、チームを組む、それぞれ性格の違う(主人公も含めた)3名(いや4名か)の女性たちの相関関係――そういう縦糸と横糸の入り乱れるなか、プロジェクト、つまり「ものづくり」がラストに向かってゆったりと進んでいきます(ただし近年の日本作家にしては珍しく無駄な描写が切り詰められており、260頁に収まっている。むしろいま喋っているのは誰なのか判読せねばならないほどで、これも好印象の要因(^^;)。
 非常にリアル感のある小説で、ソフト人類や電脳空間等ヴァーチャルな物語が氾濫するなか、「安全装備に欠陥を持つ商品を追いかけて、安全靴で走った社員が、(安全靴のせいで)怪我をする」、まさに「生身」の物語となっていて、ちょっとした掘り出し物でした(^^)
 
 

「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月29日(木)23時24分23秒
   
   DVD「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」(07)を観ました。ティム・バートン/ジョニー・デップ作品。や、これはバートンの最高傑作ではないでしょうか(ただし現時点)。めずらしくミュージカルですが、意外にもバートンの作風に合っていました。ミュージカルの持つ様式性が、自然(ロケ)よりも人工(セット/CG)、拡がりよりも閉鎖空間、昼よりも夜というバートンの様式志向的な資質と幸福な結婚を遂げていると感じました。これはよかった!
 とにかく、屋根裏風のトッドの部屋の窓から見える19世紀ロンドンの、煙突から煙がモクモク出ている背景が、もう素晴らしいです。ある意味スチームパンク? これぞ21世紀の技術で甦った21世紀の表現主義映画といって過言ではありません(デップの陰影を強調したメーキャップは表現主義そのもの)。しかもストーリーの主題は「運命」と「悲劇」という正統本格。良質のヨーロッパ映画に全然負けていません。分厚く重厚で、グロテスクな美しさに、しばし酔わされました。

※これでティム・バートンのめぼしい作品はほぼ全て見たのかな。あと「ビートルジュース」と「コープス・ブライド」が未見なんですが、近くのツタヤにはどうもなさそう。
 

「バットマン・リターンズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月29日(木)20時14分46秒
 
   DVD 「バットマン・リターンズ」(92)を観ました。ティム・バートン監督作品。おお、これはバートン版「大暗室」ではありませんか! バートン監督の、「人外」(にんがい)への共感に溢れています。畸形で生まれ、親に捨てられ下水溝でペンギンたちに育てられたペンギン怪人は「俺は人間じゃない!」と叫びますし、要領が悪くてヘマばかりやっていたセリーナは、上司に転落死させられますが、野良猫たちによってキャットウーマンとして甦ります。そして地上の人間たちに向かって、地下から呪詛と共に破壊をもたらすのです。いやー、まんま乱歩ではありませんか。そうと知ってみれば、バートン映画はそもそも最初から乱歩的世界観で貫かれていたことに気づかずにはいられませんね。
 そんな本作ですが、エンターテインメントとしては、過剰すぎて失敗作でしょう(いや、いいことですが(^^;)。興行的にはどうだったのかな。wikipediaによりますと、第1作「バットマン」が$411,350,000(世界興業)に対して、本作は$266,830,000(世界興業)。かなり落としていますね(それでも「シザーハンズ」は$86,024,005なので一桁違いますが)。それが原因でしょうか、バートンが降りシュマッカーに替わった三作目の「バットマン・フォーエヴァー」は、$336,529,144と盛り返しているので、やはりブロックバスター狙いにしては、バートンの世界観が出過ぎたのでしょうね(いや、いいことですが(^^;)。
 

「プランク・ダイヴ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月28日(水)16時21分47秒
   
   グレッグ・イーガン『プランク・ダイヴ』山岸真編・訳(ハヤカワ文庫11)読了。

 いや面白かった。比較的新しい作品が多く、新しいものほど従来のイメージ(というのは『祈りの海』収録作品のようなという意味ですが)から「後退」して、きっちりハードSFの範疇に収まる作品になっているようです(内→外)。したがってジャンル読者には、邦訳短篇集のなかでは本書が一番なじみがあって読みやすいのではないでしょうか。久しぶりにハードSFを読んだという充実感がありました。

 「クリスタルの夜」(08)は、21世紀版「フェッセンデンの宇宙」。ミクロコスモスを「家畜化」し、それから収益を吸い取ろうとする所業に、ミクロコスモス側が最後っ屁をかまして逃走してしまう、痛快編!

 「エキストラ」(90)は、本集唯一の従来作品で、講談社現代新書の『言葉と脳と心』だったか、右脳と左脳の機能は完全に分離独立的ではなく、互いの側にも拡がっているとの記述があったと思いますが、それを思い出した。脳から「私」を司る部分を取り出し、健康なクローンへの移植は成功する。しかし――。ゴシック的雰囲気もある傑作!

 「暗黒整数」(07)は、「ルミナス」『ひとりっ子』所収)の続編。ということで、「ルミナス」再読後、読了。これまた「この世界」と重なった「数学的異次元世界」との確執と、実際に「戦い」を担った双方の当事者の苦悩を、謀略小説風に描いた快作!

 「グローリー」(07)に関しては既述しましたが、ひとつ補足。私が勘違いをしたのは、その瞬間に世界を無意識的に「天動説」(※)で捉えてしまったからなんですね。「情報は7年後に届く。その間何十回何百回もノード星は上空に姿を見せるやん」と。私は重力から逃れられないみたいです(^^;。

 「ワンの絨毯」(95)も記述済み。

 「プランク・ダイヴ」(98)は、石原藤夫「時間と空間の涯」を併読すると面白さ倍増。事態はほぼ同じで、生身の人間の事故ではなくソフト化した人間の自発行為である点が異なるだけ(ワームホールはないとする)。ただし本篇では密航者が付加される分物語は豊か。ラストのコーディリアとヴィクラムの会話がハードSF的向日的に感動的(笑)。

 「伝播」(07)は、21世紀版「宇宙播種計画」。二人(ソフト)が、視認できる島伝いに海洋を渡るように、永遠に宇宙の奥深くに進んでいくイメージはまさにセンス・オブ・ワンダー炸裂! 宇宙SFの醍醐味ですなあ。

 以上述べてきたように、イーガンはどんどん「ふつう」のSF作家になって来ているようです。私とは何か、自我とは何かを突き詰めて欲しかった気もしますが、本書に描かれたソフト人間たちが活躍する宇宙SFも捨てがたいですね(ある意味ジェイムスン教授ものの21世紀版かも)。これからどういう方向に進んでいくのか、やはりイーガンから目が離せません(^^)

(※)追記。あ、間違えた。×地動説→○天動説です。訂正済。
 

「PLANET OF THE APES/猿の惑星」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月27日(火)20時09分15秒
   
   DVD「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(01)を観ました。ティム・バートン監督作品。うーん。これはバートン観点からはいまいち。本篇も「バットマン」と同じで、ハリウッドの企画にバートンが招かれたものなんでしょうが、ちょっとバートンの資質と作品のコンセプトが違い過ぎました。バートン招聘は人選ミスでは?
 「バットマン」はまだしもファンタジーであり暗調のマイナーコードなので、ジョーカーの造形やゴッサムシティの景観にバートン的過剰を付加演出できましたが、本作はSFでありC調のメジャーコードなので、とりわけ宇宙船関係のセットにバートンらしさを出せなかった(出そうとしたけどハリウッド的惰性に却下された?)。SFのような広角度に見晴るかす視点は、バートンには合いませんね。
 もっとも私は、(小説以外は)基本的にナイーブなオーディエンスでなんでも面白がれるので、最期まで楽しく観ましたが。まあ面白い「だけ」ですが。
 ストーリーはかなり無理がありました。バートンのシナリオもストーリーは無理筋なんですが、ストーリー以外の要素が分厚くてそれを覆い隠してしまう。本作はSFらしく見晴らしがいいのでストーリーの不備もよく見えたということでしょうか。
 

チャチャヤング最終回、再び

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月26日(月)22時03分49秒
   
   ペーダーさんて、女子がズボンで来たら教室に入れなかった先生じゃなかったかな、と誰にともなく(^^;

 それはさておき――(^^;、
 小川さんに頂いた「チャチャヤング最終回」を折に触れて聞き直しています。210分放送のうち52分程度の抜粋なのですが、内容は、マリア四郎「火星の落日」、戸川昌子、藤本義一との電話のやり取り、そしてエンディングまで20分ほどつづく眉村さんの「総括」(?)に大きく分けられるでしょう。

 「火星の落日」の素晴らしさはすでに述べました。以前四郎さんが当板に書き込みしてくださったところによりますと、四郎さんの弾き語りではなく、ピアノ伴奏はあのヒットメイカーの馬飼野康二さんだったそうですが、この伴奏も素晴らしいの一語です。
 電話はねえ、特に藤本義一が酔っ払っていて埒があかないのはご愛嬌ですが、リスナーはイライラしたのでは(^^;。一方、眉村さんの総括は、いま聴いても聞きがいがあるものです。

 ちょっと電波の状態が悪く、というのは、小川さんは当時信州で聴いておられたみたいで(それは録音のなかで小川さんのハガキが読まれていて、住所が信州のどこそこと、眉村さんによって読み上げられたので分かるのですが)、さすがに電波が行き届かず、部分部分北京放送みたいになっており,聞き取れないところもあります。とりわけ後半の状態が悪い。私、小川さんが必死になって(カセットを操作しながら)聞きとろうとしている姿が、ありありと目に浮かんできましたですよ(笑)。

で、私も必死に耳を凝らし、速度を遅くして聞きました。余談ですが、今はデジタルの恩恵で、遅くしてもピッチが変化しないのは、皆さんもカラオケでよくご存知のことと思います。で、話がまた飛んじゃうんですが、眉村さんは早口なので50パーセントに落としますと、私の脳でも明瞭に理解できる。ところが、これがなんと、聞くと竹村健一がしゃべっているみたいに聞こえちゃうんですよね。いやー思わず笑っちゃいました。これは思わぬ発見でした(^^;。しかし笑ってばかりではダメなので、75パーセントにしたら丁度良くなったのでした。

 閑話休題で話は戻ります。眉村さんは何を語っていたかといいますと、一面的な見方をいましめる話で、ダンプの踏切無視で列車と衝突したとする。ニュースを聞いた大衆はダンプの運転手を非難する。でも、あとで電車の運転手も居眠りしていたことが分かるかもしれない。そうなると最初の大衆の判断は予断であったということになる。このように一面だけで見ると見落として判断してしまうという話なんですね。
 もとよりこの考えの発展型にインサイダー文学論があるわけです。ということで小説(この場合創作者)に視点を転ずる。いかにもな悪人を創出して小説中でやっつけるのは卑怯だと眉村さんはおっしゃっています。別の視点、悪人にも悪人なりの、というか止むに止まれぬ理由があるかもしれない、という視点の導入が必要ということでしょう。一方的に論難するのはやりやすいがそれでよいのか。同じことは甘いだけの小説にもいえる。本当はもっと複雑で苦いもの。そういう視点を持たないと、結局は世の流れに乗せられて体制の言いなり(作家の場合は代弁者)になってしまうんじゃないか。すぐれた小説は既成の秩序に対して、これでいいんだろうかと目を覚まさせる力をもっている。これを既成社会の側から言えば「毒」ということ。たとえ馬鹿と言われようと、そういうふうなスタンスを以ってやっていきたい、という一種の決意表明になっているように感じました(北京放送を判読いや判聴した限りでの解釈ですが)。ではその40年後から振り返ってどうか? 眉村さんはちゃんと筋をとおして、やり遂げられていますよね。やはりすごい、すばらしい作家です。

 それにしても、20分近くCMも挟まず、このようなある意味カタい話をしゃべり続ける、それを許容した当時のラジオの自由さに思いを致さずにはいられません。いまでもラジオは、テレビなどに比べればまだましですが、当時は本当に手作り感覚だったのでしょうね。
 とても良いテープです。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月26日(月)00時39分11秒
 
   大阪文学学校の機関誌「樹林」11月号で、<眉村卓特集>が組まれています。内容は、創作が1778話から4話と、4人の論者による<眉村論>。

 まずは葉山郁夫による緒言「眉村卓特集にあたって」に、「私にとっての私の俳句とは、時空の集約・凝集が感じられるものでありたい」という「作者の言葉」が、句集『霧を行く』から引用されています。これ、まさに「青い空」を言い表していますよね。

 創作は1778話から、「第50話 ある夜の夢」「第365話 トーボーくん」「第774話 メッセージを吹き込む」「第1020話 集金人」
 このうち、「トーボーくん」以外は、映画「僕と妻の1778の物語」で使われていたと思います。作品の選択を眉村さんがなさったのかどうか記載はないですが、もしそうなら、これらは眉村さんとしても気に入っている話なのでしょうね。

 眉村論は、眉村卓の多面的な世界を、1)司政官シリーズ、2)私ファンタジー、3)散文詩としてのショートショート、4)ジュブナイルの四面に分けて論じている。この分け方はすぐれて正しいと思います。

 1)は真鍋孝「「消滅の光輪」における内省的な世界」
 2)は谷山淳彦「あのときのぼくは、どこにいるのだろう――眉村卓『夕焼けの回転木馬』」
 3)は山田兼士「「眉村卓の散文詩remix」について」
 4)は真弓創「二〇一一年に読むジュブナイル小説」

 いずれも興味深い論考ですが、とりわけ、3)は、眉村卓のショートショートの中に「散文詩」として読めるものがあるとの観点から、その例として「第7話 思考の結果」を取り上げます。散文詩の要件として、1)短いこと、2)短かさの中に「新奇なる発見がある」こと、3)「オチ」がないこと、4)読者への「問いかけ」があること、5)「リズム」があること、を挙げ、この作品にはそれが全て当てはまるとします。これは納得できる整理ですね。

 この整理に従えば、「青い空」も紛れもない散文詩です。となると、「青い空」は眉村さんの俳句の境地であり、且つは散文詩でもあったということになるわけで、眉村さんのショートショートの本源が見えてきそうな感じがしますね。なかなかよい特集になっていると思いました。
 
 

「シザーハンズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月25日(日)22時47分8秒
 
   DVD「シザーハンズ」(90)を観ました。ティム・バートン監督作品。ジョニー・デップ主演。これはもろ大林的世界と重なりますね。ストーリーの不自然さは、バートンのセンチメントにより曲げに曲げられた結果。特異な才能を持つ若者が(アンドロイドとの設定ながら、物理的生理的にほぼ人間そのもの)、その特異な才能を発揮する両手(ハサミの手)ゆえに世間から次第に疎まれていくゆくたては、ほぼフランケンシュタインの怪物を踏襲するもの。バートンはそこに、様々な理由で社会に溶け込んでいけない、溶け込んで行こうとしてもなぜか弾かれてしまう孤独者を、哀切に表現しています。ウィキペディアによれば、最初主役だったトム・クルーズは、ハッピーエンドを要求してバートンに却下され、デップに主役が回ったそうですが、そしてこれがコンビ初仕事となったのですが、この世界観にハッピーエンドを要求したクルーズは、やっぱり物語世界が読めないんですかね。  

「ワンの絨毯」「崩壊」「青い空」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月25日(日)00時05分23秒
   
   今日は「ワンの絨毯」を読みました。長篇『ディアスポラ』に組み込まれた中篇ですが、もうそっちの方は忘れていて初読同然、どこまで長篇組込み版と異同があるのかわかりませんが、この作品単品でゾクゾクするハードSFになっています。ラストの299頁が感動的。その締め方も含めて、全体の「作り」に小松左京を彷彿とさせられるんですよね。堀さんの文章をお借りするなら、本篇は「人間にとって宇宙って何やねん」という出発点を持つ物語が、結果として「なあ、宇宙にとって人間て何やねん」(「崩壊」98p)という問い返しで終わっているともいえて、なかなかに味わい深い。何遍も読み返したくなります。(*)

 ということで、ついでに(といっては失礼なんですがそれはお許し願うとして)眉村さんの「青い空」も読み返してみた。あ。この作品、いま気がつきましたが、ひょっとして小松左京「が」テーマ? いや「が」じゃなくて「も」か……。やはり凝集された傑作ですなあ。

(*)どうでもいいことですが、278頁から279頁にかけて、オーランドの新しい恋人で黒人女性(もちろんアバターとして)のキャサリンが、もとはサミュエルという男性で、つまるところサミュエルは男性のオーランドを愛しているということになり、これはやっぱりディレーニイですよね。四角四面な感じのするイーガンですが、意外にユーモアが(^^ゞ
 

チャチャヤング最終回・眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月23日(金)14時14分30秒
   
   小川圭太さんから、チャチャヤング最終回(抜粋45分)のMP3ファイルをいただきました。ありがとうございました。
 早速聴取。眉村さんのお声が若い! マリア四郎さん「火星の落日」を40年ぶりに耳にすることができ感激。台詞があったんですね。すっかり忘れていましたが、聴いたら鮮明に思い出せました。この最終回、私はリアルタイムでは聴いてないと思うのですが、戸川昌子さんや藤本義一さんの電話は何となく覚えがあって、ちょっとあやふやになってきました。でも偽記憶かも。
 この録音はCD-Rに焼いて、囲む会で配布しようと思います。お楽しみに〜!

 藤本義一さんといえば心斎橋大学の総長であらせられますが、何でもちょっとお体の具合がよくないとのことで、藤本さんが受け持たれている講座を、眉村さんが肩代わりされることになりそうとのこと。はっきりしたらまた告知させていただきます。それにしても眉村さん、来年も超多忙となりそうですね。探偵ストレンジではありませんが、「田舎に引っ込んで学究生活に戻りたいのだが、世間がそうさせてはくれない」ですなあ。善き哉、善き哉(^^;。
 

「バットマン」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月23日(金)01時51分21秒
   
   DVD「バットマン」(89)を観ました。ティム・バートン監督作品。この作品はバートンの発案ではなく、ハリウッド製の一種の企画もので、バートンは監督に抜擢されたものでしょう。自発的ではなく呼ばれたという意味では、純粋なバートン映画ではなく、当然要求に従ったエンターテインメント作品なのだろうと思っていました。実際そのとおりで、「一般的な」娯楽成分はバートン作品にしては高い(テレビ版のコミカルタッチとは全く別物ですが)。昔観たときもそれなりに面白かったという記憶が残っていますし、その意味での期待は、今回も裏切られなかった。
 ただ今回は、バートン作品を集中的に見てきた目で見ているので、昔は単なる娯楽映画としてしか見ていなかったのが、実は本編にもバートン一流の「過剰さ」がいたるところに表現されていることに気付かされた。やはりバートン、腐っても鯛というのがこの場合適当なのかどうかよく分りませんが、そのトゥーマッチな要素が、本編をお仕着せの娯楽作品には収まり切らない味わいを付加しているんですよね。私は単に面白いだけでは詰まらないと感じる方なのですが、本編はまさに面白いを突き抜けた面白映画になっていて、満足しました。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月22日(木)21時22分44秒
 
   眉村さんが新作を発表されました! 「青い空」『物語のルミナリエ』所収)よりも新しい、出来立てホヤホヤの新作ですよ(^^)。
 タイトルは「アシュラ」。17枚のショートショートです。掲載誌は「月刊アレ(allez!)一月号」で、12月27日発売。
 そんな雑誌あったっけ、と首を傾げられるかも知れません。無理もありません。この雑誌、実は電子雑誌なのです→http://hon-to.jp/contents/StaticPage.do?html=special956
 単品でも販売していて、単品の「アシュラ」は、なんと本日発売! お値段は105円とお買い得(^^;
 ということで早速ダウンロード。あっという間にパソコン画面に作品が現れ、読了致しました。

 うーむ。たしかに年を取ると「上から目線」に対して過敏になっちゃうんですよね。これはよく分かります。そうと分かっていても……分かっちゃいるけど……ラストが身につまされます(^^ゞ

 余談ですが、ダウンロードするには会員登録が必要です。慣れてないからかも知れませんが、意外に面倒くさかった。眉村さんの新作を読みたいという大目的がなかったら、やーめた、となっていたかも。これはかなり利用意欲に対して、「敷居を高く」(※)していると思います。一体に紙の本を購入するのに会員登録なんてありませんよね。他の電子出版もそうなのかどうか知りませんが、似たような感じなら、この辺からオープンにしていく必要があるんじゃないでしょうか?

 (※)高井さんごめんなさい→http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2011-12-15
 

「マーズ・アタック」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月21日(水)22時31分0秒
 
   DVD「マーズ・アタック」(96)を観ました。ティム・バートン監督作品。「火星の落日」ならぬ火星人大襲来映画です(笑)。エイリアンが襲来し、スラップスティックに地球を混乱に陥れるというストーリーの映画は類例が多いですが、いつも「火星人ゴーホーム」の二番煎じだなと感じてしまうので、一体に評価は下がってしまいます。本編もその例に漏れなかった。ただ地球を救ったのが、家族からも厄介者扱いの、ボケ気味のおばあちゃんと、ぼーっとした孫だったというところが、まあこの監督らしいですが。しかし火星人に対して、トム・ジョーンズの歌声は問題ないのに、古いカントリーのスリム・ホィットマンの声は致命的であったというのは、納得できないなあ(^^;。
 

Re: 火星の落日

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月21日(水)18時21分47秒
   
  > No.3352[元記事へ]

 わ、いま掲示板を開けたら懐かしいお名前が! 小川圭太さん、はじめまして。ようこそご来信くださいました。いまでも書いていらっしゃるんでしょうか? 過去ログご覧下さったようですが、私たちは今でも年に一回、眉村さんを囲んで細々と集まっております。ご存知かも知れませんが、先日出版された『物語のルミナリエ』というショートショートアンソロジーには、眉村さんが執筆されているのはもちろん、西秋生氏と深田享氏(S・A)が参加しています。残党たちは(創作に限らず)それぞれにそれぞれの表現活動を継続していますよ(^^;

 そうそう、眉村さんは処女出版を起点としますと、2013年で作家生活50周年を迎えられることになります(チャチャヤングからでも、もう40年です!)。で、そのお祝いとして記念同人誌を作ろうという話になっているんです。具体化の暁には、小川さんも是非なにか書いてください! ご協力よろしくお願いしますm(__)m。

 と、早々からお願いになってしまいましたが、なんと「火星の落日」を録音されていましたか! これ、ご覧頂いた過去ログのとおりで、マリア四郎さんも所持されておらず、もう永遠に聴けないのだと諦めていました。ぜひともお聴かせいただけますよう、宜しくお願いします(私のメールアドレスは、o37okuma◆gold.ocn.ne.jp です。◆に「@」を入れてください)。
 ということで、今後とも宜しくお願い致します。
 

火星の落日

 投稿者:小川圭太  投稿日:2011年12月21日(水)12時45分40秒
   
  はじめまして、小川です。過去ログすべてを拝読してはおりませんが、本日、「火星の落日」のくだりにめぐり会いました。チャチャヤング最終回(1972年9月29日)の録音テープに収められています。放送すべてを録音した訳ではないのですが、「火星の落日」はフルコーラス録音されています。ただ、私は準難聴取地域でしたのでノイズ交じりですが。テープをダビングするか、ファイル化するか、お送りする段取りを考えます。まずはご連絡まで。  

「ビッグ・フィッシュ」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月20日(火)22時44分59秒
   
   DVD「ビッグ・フィッシュ」(03)を観ました。ティム・バートン監督作品。ホラ話が好きな父親、どこまで本当の話なのか息子には分からない。子供の頃から誇張された物語はいっぱい聞かされたものですが、そのくせ仕事であまり家にいない父親の実際の過去はほとんど見えない。どこかに別の世帯を持っていたのではないのか。そんな父親に反発して3年間没交渉だった息子ですが、父親の病状が悪化して実家に戻ってきます。そして息子の前に、次第に父親の、事実としての過去が開かれていくのです。
 5メートルの巨人はせいぜい2メートルだし、シャム双生児の歌手は単に双子の歌手だったという風に、物語の部分が剥がれ落ちていったとき、息子は、それなりに誠実だった父親の実像に達する。5メートルの巨人も狼男も魔女もいなかったが、それに対応する人物は存在したのです。この手法は、牧野信一の小田原ギリシャ幻想譚と同じですね。一見おとぎ話のようなきらびやかな物語が、実はリアルな現実の変奏だった。
 一種父と子の和解テーマで、最終的に主人公は父親に同期する。そして今度は主人公が物語で、父親の最期を鮮やかに彩り、送り出すのです……。感動作品ですが、私自身は「現実を幻視する」監督の視線に共感しました。

 
 

Re: 「プランク・ダイヴ」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月20日(火)16時02分14秒
 
  > No.3347[元記事へ]

  そうか、いま突然理解が訪れました!
  光の到着が7年後であるのはそのとおりなのですが、光の向きが、「現在」見えてなかったら、方向違いで永遠に届かないと、そういうことですね(宇宙的時間では7年など一瞬なので相対位置は不動)。なるほどねえ。というか考えたら当たり前ですね。うーん、まだまだ未熟(^^;
 

「エド・ウッド」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月20日(火)00時12分54秒
   
   DVD「エド・ウッド」(94)を観ました。ティム・バートン/ジョニー・デップ作品。
 エド・ウッドは実在の映画人で、「史上最低の映画監督」といわれた男。wikipediaによれば「最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪であり続けた(というよりも評価対象以前だった)にもかかわらず、それでもなお映画制作に対する熱意やほとばしる情熱を最後まで失わなかった」とあります。
 彼の映画は「すべて興行的に失敗し」(wikipedia)続けます。そのため次第に酒に溺れ、困窮のうちにアルコール中毒で亡くなるのですが、本篇は、そんなエド・ウッドが、酒浸りになる前、まだ自分の才能に疑いを抱いてなかった『プラン9・フロム・アウタースペース』完成までを扱う(だから少し救われています)。とりあえずやることなすこと、すべてズレているんですね。いささか躁病気味で、そういえば北杜夫のユーモア小説に登場しそうな感じ(*)。北杜夫は文体のユーモアでオブラートに包みますが、本篇はそんな糖衣はなされていません。女装趣味があり、落ち込むと女装する。そうするとちょっとは安定するのです。見ていてイタいです(^^;。
 いかにもティム・バートンが共感しそうな人物です。それをジョニー・デップがしっかり咀嚼して好演します。悲惨すぎて何度か見るのを中止しようかと思ったくらいよかった。佳品でした。

(*)牧野信一かも。
 

「プランク・ダイヴ」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月19日(月)16時36分1秒
 
   ――というか、先日来すこしずつ読んでいて、「クリスタルの夜」「エキストラ」、(「ルミナス」再読後)「暗黒整数」ときて、ついさっき「グローリー」を読み終りました。冒頭の出発から到着までの描写がセンス・オブ・ワンダー爆発の面白さで、最後まで一気だったのですが……ラストのところで、あれ、これでいいの? と止まってしまった。感想は全篇読了後としますが、ひとつだけ疑問を書いておきます。
 アンの光のダンスですが、これをノードの望遠鏡が観測するのは、「7年後」ではないのでしょうか? だから「現時点」でノードが地平線から出ていようがいまいが、関係ないのでは? 私の理解が間違っているのでしょうか。理系、ハードSFの方、ご教示いただければ幸甚。
 

畸人郷忘年会

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月18日(日)12時53分25秒
   
   昨日は畸人郷例会&忘年会。読書会の課題本は『パイは小さな秘密を運ぶ』、ミステリ読みの反応が興味津々であったわけですが、案の定、否定的な意見が飛び交いました(^^;。思いつくままに列挙すれば、
 読みづらくて何日もかかった。展開が遅い。この分量は要らない。意味のない(回収されない)手掛かりが多すぎる。主人公が生意気なばかりで可愛くない。etc etc――

 一番大きな問題は、現代的なミステリの作りからすればナイーブすぎるという点らしい。私は、70歳の著者が子供の頃読んで影響されたミステリがそういうのだったのではないか、と聞いてみたら、記載はないが1939年生まれだとしたらすでに20-30年代黄金期は実現化していたわけなんですよね。その意味では黄金期以前的にナイーブであり、それこそホームズの頃(あるいはルパン?)のミステリの感じなのです(この投稿、私の意見と会員諸氏の意見が入り交じったファジーな書き方になっていますので念のため)。
 先日の感想で書いた結末が活劇になっている点の不満を述べたところ、ホームズものにも活劇的な要素は顕著という指摘があったのでしたが、この点も「黄金期以前の影響」というのは、それなりに妥当なように思いました。
 とりあえず、一般的なミステリ読みには違和感のあるストーリー構成なんでしょうね。あるいは現代ミステリ的にはミステリを舐めているという感じ?
 著者は、ひょっとして同年齢層(山野浩一と同い年)の一般的なミステリ読者と比べて、かなり特殊な読書歴の持ち主かも知れません(大体読書好きの次姉の読んでいるのが「荒涼館」とか「オトラント城」とか18-19世紀小説ばかりなのが可笑しいのですが、ネタでなければ著者の幼少期の読書体験を反映しているのかも)。とりあえずミステリの「作り」には辛口の意見噴出なのでありました(^^ゞ。

 一方、擁護論的な意見としては、これは本篇の「展開を遅くしている」原因の一つですが、非常に細かいブランド名などが出てくる。英国(英語圏)における本書の読者は、おそらく年齢が高く、このような細かい記載にノスタルジーを誘われる、そんな読者なのではないか?
 また例えば、本書の原題The Sweetness at the Bottom of the Pieは、直訳してもよく分りませんが、あるいは英語国民はよく知っている警句の類なのかも、との意見も。そういえば、ブランド名だけではなく、私の感想に書いたように、イギリス社会史の知識も散りばめられているわけで、このあたりも英語国民的にはニヤニヤ笑って読める本なのかも。主人公の「化学」うんちくも、その流れで「また吹いてはるなあ(笑)」的に読み流されているのかも知れませんねえ。

 と、英国での受容の仕方がおぼろげながら浮かんできたわけですが、日本ではどうなのか。私が買ったのは2011年3版ですから、毎年のように版を重ねている。シリーズ続編もコンスタントに翻訳されている。ということで、それなりに受け入れられているのは間違いありません。
 日本の読者にとっては、上記のうんちくは読みにくさを助長するだけはずです。現に読みづらい、展開が遅い、という意見が出されました。この分量は要らないというのも、言い換えればミステリ以外の書き込みが多いということでもあります。
 日本において読まれているのは、上記英国的な理由じゃないのは明らかです。そこで提出されたのが、本篇の作りの安易さは、テレビのミステリドラマに通ずるもので、日本のコージー読みの大半を占める女性読者層は、おそらくテレビドラマも好む層であるという仮説を認めるならば、本篇がそれなりに支持を得た理由も見えてきそうです。
 ただ日本のテレビのミステリドラマの構造とは違うものであるという意見も出ました。ドラマでは最後に断崖絶壁に集まり犯人が告白するというのが必須ですが、この小説はそれは踏襲していない。私見になりますが、要するにドラマの定形は無意味な縛りにすぎないということなんではないでしょうかねえ(^^;。
 あと、この糞生意気な少女探偵を「可愛い」と感じる層もありそうです。実際のところはひとりよがりに無謀に行動して捜査を撹乱させているに過ぎない面があるわけですが、それを本会員のひとりは共感できないと否定されていましたが、そういうお転婆な少女を好む風潮も、一方にはありそうな気がしますね(笑)。

 本篇がコージーとしてどのような位置にあるのかも、聞きたかったところなのですが、本篇を課題に推薦されたコージー読みの方が体調不良で欠席されたため、聞けなかったのは残念でした(他の会員にコージー読みは皆無なのでした)。
 9名出席で、私の記憶に間違いなければ、3点が二名、7点が一名、残りが6点でした。私は当初7点と考えていたのですが、諸兄の話を聞いて最終的に6点に格下げ(笑)。次回は貴志祐介『狐火の家』。代表作『硝子のハンマー』のシリーズとのことですが、ストーリー的なつながりはなく、短編集で取っ掛かりやすいとの理由で決まりました。楽しみ。

 二次会は忘年会。ひとりずつ今年のベストを発表することになったのだが、はて何があったっけ、とぜんぜん浮かんで来なかった。去年は『華龍の宮』という褒めるにも否定するにもダントツの作品があったわけですが、今年はそういうのはなかったということか。いやそもそも新刊をあまり読んでないのでした(汗)。とりあえずミステリ忘年会という場でもありますし、最近読んで印象も新しい『機龍警察 自爆条項』を挙げてみました。しかし森下さんのベストSFに備えて、ちょっと整理してみる必要がありますな。ベストSFに向けて、この年末年始は、未読新刊を重点的に潰していこうかな。
 

「Dr.パルナサスの鏡」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月17日(土)02時07分31秒
 
   ジョニー・デップつながりで、DVD「Dr.パルナサスの鏡」(10)を観ました。監督が「未来世紀ブラジル」のテリー・ギリアムということで期待したのですが、うーむ、凡作でした。出だしは「何かが道をやってくる」とか「夢みる宝石」っぽくて面白くなりそうだったのですが、ストーリーが意味をなしていなくてモザイク的な映像作品になってしまっていました。主演のヒース・レジャーが撮影中に急逝し、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人を代役に撮り切った作品で、鏡の世界では顔が変わるという設定にすることで辻褄を合わせてあります。想像するに、この設定は主演急逝で代役を使わざるを得なくなってしまったための苦肉の策なのではないか。その結果、脚本も大幅に変更されたに違いない。だから一本の太いストーリーの流れを作り得ず、モザイク的な構成になってしまったんでしょう。ちょっと残念でした。
 
 

「アリス・イン・ワンダーランド」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月16日(金)02時29分35秒
   
   DVD「アリス・イン・ワンダーランド」(10)を観ました。これもバートン/デップ作品で、オリジナルアリス物語から十数年後、19歳になったアリスが再びワンダーランドを訪れるという設定。この作品では、映像的に完全にCDと実写が融合されていて、不思議な世界がありありと実現されています。
 ティム・バートンという人物は、ネットで調べるとかなり変人みたいですね。若い頃は現実と折り合いが付けられず、世界に対して強い疎外感を抱いていた人なんじゃないでしょうか。
 という「作品外」知識を以って本篇を眺めると、そこにどうしても或る「物語」を見出さずにはいられないんですよね。19歳のアリスも我が道を行くタイプで、お仕着せの既定路線に乗せられることに戸惑いを感じて、それがワンダーランド再訪の契機となるのですが、ジョニー・デップ演じる気違い帽子屋にも、監督は強い思い入れがあるように感じました。帽子屋はときどきオカシクなって自分が何をやっているのかわからなくなってしまいます。そんな帽子屋にティム・バートンは、同じように現実世界では一種の「用なし」「鼻つまみ者」であった自分を見ているように思われます。
 アリスはこのワンダーランドという試練(通過儀礼)を通り抜けたことで「成長」し、現実世界に戻ってからは、その自発的・主体的な性格を逆に武器にして社会に積極的に参加していく。一方帽子屋は、ワンダーランドに居残る。つまり「マッド」のまま永遠にお茶会を続けるのでしょう。どちらもティム・バートンそのもの(両面)と言えそうな気がします。ディズニー映画という「制約」のなかで、その「制約」を逆手にとって一種ほろ苦い映画(大人が見た場合)を製作しているのはさすがといっていいのではないでしょうか。
 

「スリーピー・ホロウ」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月15日(木)23時06分55秒
 
   DVD 「スリーピー・ホロウ」(99)を観ました。ティム・バートン、ジョニー・デップのコンビ作品。たぶんロケはなく、殆どすべてセットとCGで作り上げられた映像なんでしょう、それがとてもよかった(とりわけ18世紀末ニューヨークのたたずまいなど)。ティム・バートンには独特の審美センスがありますよね。ストーリーは、まあたいしたことないのですが、このような映画はそこに重点はありません。映像世界に見入っているだけで十分に楽しめました。そういえばこのような映像美学、ダークなメルヘンタッチであることも含めて、大林宣彦に似てますよね(「ハウス」とか)。私はリアリズムの映像も好きですが、このような作りこんだ映像も同じくらい大好き、というか配慮の行き届いた(監督の主体性が見える)映像をいろいろ見てみたいタイプなので、この映画、満足して看了することができました。
 
 

「パイは小さな秘密を運ぶ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月14日(水)22時34分0秒
   
  > No.3339[元記事へ]

 アラン・ブラッドリー『パイは小さな秘密を運ぶ』古賀弥生訳(創元推理文庫09)読了。

 承前。うーん。解決編で、テレビのミステリドラマっぽい活劇になってしまいました。やや残念。このような締め方は、ミステリ読者的にはどうなんでしょうか。肩透かしなんじゃないかなあ。読書会で聞いてみたい。楽しみ楽しみ。

 前回整理した部分ですが、結局のところ、あれは主人公の意図した行動ではなかった。要するにあそこで挙げた手掛かりを明らかにしておかなければ、ラストが成立しなくなるんですね。本書のストーリー構成上の綻びだったのです。それを縫い合わせるために、主人公に行動させたわけです。主人公自身はそこに意図をもっていないので、それがどういう意味を有する事実だったのか、気づいていないという不自然な形になってしまった。この場面では、主人公は一種の狂言回し役になっているのですね。明らかになった犯罪も、あとで振り返ればいささか詰めが甘い。犯人が殺害した動機も、よく考えれば最後まで実証はないのでした。

 と、ラストに至っていささか減点となりましたが、予想を超えた面白さで充分満足いたしました(^^)。これがデビュー作なんですから、手練ですなあ。もっとも新人とは言い条、著者はこのとき70歳! 人生経験も積み、おそらくは文学修行も十二分に研鑽を積んでいたのでしょうね、だからこのような豊かな物語を創造しえたのだと思いました。それにしてもこの世界、とても1950年とは思えませんね。まるで19世紀みたい。この姉妹は学校に行ってないようですが、イングランドの田舎の旧家では、戦後になってもそんな世界だったんでしょうか? 続編も出ているようなので、気が向いたらそのうちに読んでみたいと思います。
 

Re: 物語のルミナリエ

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月14日(水)17時44分0秒
   
  > No.3340[元記事へ]

 かんべさん
 お知らせ有難うございます。フリーメモ拝見しました。ネット上には本当に多様な読みがありますよね。その最たる者が私です(>おい)(^^;。とりわけショートショートは短い分、俳句鑑賞的な読み方をされ、読者によれば「作品外部」と関連付けて《物語》を作ってしまいがちかも知れません。自戒すると共に、それもまた可なりかもなー、とも思います。ただし悪意に基づくでっちあげじみた解釈は、当然その限りではなく、とんでもないことです。今回のはそういうのではないようで、だからかんべさんも誠実に対応されておられるんでしょう。今回の両作品については、感想で書いたとおりですが、併読することで、よりニヤニヤ楽しむことができました。これはまさに意図せざる偶然の賜物というべきで、さしづめ自販機の釣銭口に指を突っ込んだら、前の使用者が取り忘れた硬貨が残っていて「儲けたー!」みたいな感じでした〜(>それは違う)m(__)m。
 

物語のルミナリエ

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2011年12月14日(水)08時09分57秒
 
  当方のホームページ、フリーメモ欄で、
管理人様の御感想を、一部使わせていただきました。
誉めてありますから、御心配なく。
ちょっと、お知らせまで。
 

「パイは小さな秘密を運ぶ」佳境

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月13日(火)23時52分30秒
   
  > No.3338[元記事へ]

 承前。335頁まで。のこり100頁。なるほど! オレンジ党のくだりは一種の伏線だったのか。よく練られているなあ。こういうのは、演奏でいえばビブラートをつけたり付けなかったりどうするかというセンスの問題。こういうトリビアルな装飾が作品に奥行きを与えるのですよね。あるいは330頁前後の95歳と11歳の会話、なんとも教養に満ちあふれて深く迂遠的で惹き込まれます。こんな会話のシーンを描きたいものです(描けるものなら描いてみろですが)。
 いよいよ謎解き小説らしくなってきて佳境なのですが、それゆえにあえてストップし、遡行しながら整理してみました。作家氏は土曜の朝、前泊地のドッディングスリーを出発している。土曜未明の犯行時にはまだ村には到着していない(一応)。主人公はどうやって前泊地を知り得たのか? それは繰ってみたけどどこにもありません。ゆえにカンである。ただし作家氏と初めて会ったときスカンジナビア訛りを感じたとある。当地ビショップスレーシーからノルウェーへ行くならニューカースル・アポン・タインから船を利用することになることはマックスが言っている(ニューカースルとビショップス・レーシーの間にドッディングスリーがある)。では旅館を特定したのも一種のハッタリでということになる。そういう「捜査」をした内面の動機を、この段階では主人公は、読者に対して公開していません。
 

「パイは小さな秘密を運ぶ」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月12日(月)22時50分8秒
   
  > No.3337[元記事へ]

 承前。215頁まで進む。約半分。先回、北アイルランドが舞台と書きましたが、どうもイングランドの田舎が舞台のようです。100頁に「北って、どのくらい北? スコットランド?」とあって、おやっと思ったのですが、北アイルランドから見てもスコットランドは北だよな、とそのときはスルーしたのでした。でも、139頁に至って、ビショップス・レーシー唯一の教会が、国教会との記述にぶつかっては考えを改めざるを得ません。しかしながら、そうしますと、なぜド・ルース家がオレンジ党のシンパなどと思われたんでしょうか? このあたり、アイルランドのカトリックと清教徒革命のプロテスタントとヌエ的な国教会が入り乱れており、私の受験世界史の知識では歯が立ちません(ーー;。

 それにしても主人公フレーヴィアの八面六臂の活躍ぶりは、いやもう大変なもの。「これが11歳の女の子なの?」てな感じです(^^;。だいたい11歳の女の子が、「アン王朝様式の洗面台のカーブした美しい脚は、片隅に置いてある陰気なゴシック様式のベッドのそばで、みだらすれすれにみえた」(178p)なんて感想を持ちますかね(笑)。
 ということで私は、本書、フレーヴィアの一人称になっているのですが、これはきっとフレーヴィアが大人になってから回想した文章という形式なのかもな、とも考えたのですが、次の文章――
 「わかるわ。ジョージ六世陛下は浮ついた方じゃないから」/ヒューイット警部は悲しげにあたしを見た(……)「そうだな」しばらくしてようやく言った。「ジョージ王は浮ついた方ではない」
 で、その仮説は崩壊。実際に現時点でしゃべっているんですから。いうまでもなくこの会話は、ジョージ六世の兄で前王のエドワード八世(ウィンザー公)の行状を踏まえているわけで、この11歳の女の子は、そのような視点をすでに獲得していたんですねえ。きっと本書、英語国民には可笑しくてたまらん話で、ニヤニヤしながら読んだことは間違いありませんね(^^ゞ
 

「パイは小さな秘密を運ぶ」着手

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月12日(月)01時31分43秒
 
   まだもう一冊読みかけが残っているのですが、畸人郷読書会まで一週間を切ってしまったので、課題図書に着手することにしました。アラン・ブラッドリー『パイは小さな秘密を運ぶ』であります。なんせコージー・ミステリというジャンルに挑戦するのは初めて。コージー・ミステリ読みの会員の方に、読者は女性が対象で、ロマンスはあってもストーリーはあんまりないですよ、とおどされていたので、余裕をとって読み始めました(^^;
 70頁まで読んだ。いやこれ、面白いですがな(笑)。時は戦後間もない1950年、舞台は(おそらく)北アイルランド(と思うのは、主人公の家が400年間カトリック教徒であること、ところがオレンジ党(18世紀末北アイルランドで結成されたプロテスタントの秘密結社)シンパではないかと村人に疑われて屋敷を焼かれたという記述からの推測)の田舎ビショップス・レイシー。このド・ルース家の末娘こそ本篇の主人公であり、11歳の少女探偵なのです。このフレーヴィアがとんでもないお嬢さんで、大の化学好き。うんちくを垂れ始めたらとどまることを知りません(まあ昆虫や恐竜を語らせたらとまらない少年は日本にも多いですが)。大嫌いな姉を毒殺してやろうと虎視眈々と狙っているのであります(^^;。
 そのお嬢さんが屋敷の庭で死体を発見する。警察が来て捜査を始めるのですが、目を輝かせて興味津々で身を乗り出すので、警官が、婉曲にですが、家に入っていなさいと注意する始末。いまはそのあたりなんですが、この後が非常に楽しみ。すぐにも読み終わりそうで、余裕をみたのは杞憂だったかも。このように、普段読まない本を知ることが出来るのが、読書会のいいところですねえ。
 

「無限がいっぱい」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月11日(日)21時44分28秒
   
   ロバート・シェクリイ『無限がいっぱい』宇野利泰訳(早川書房76、原書60)読了。

 元版は《異色作家短編集11》(63)。本書はその改訂版で《異色作家短編集10》として復刊(また06年にも新版が《異色作家短編集9》として出ています)。著者第4作品集で、相変わらずユーモアと皮肉は健在ですが、それまでの三冊(『人間の手がまだ触れない』(54)、『宇宙市民』(55)、『地球巡礼』(57))に比べて、ややシャープさに欠けたように思われます。のちの長編に通ずる文化人類学的テーマとオデッセイ風のストーリー展開が顕著になってきていて、過渡期の作品集なのかも。
 なかでは「監視鳥」「風起る」「一夜明けて」「原住民の問題」「パラダイス第2」が、いかにもギャラクシーっぽい作風で面白かった(「パラダイス第2」以外は実際にギャラクシー掲載作品)。唯一のショートショートである「給餌の時間」は、高井信風の言語ショートショートで、且つ時間差ショートショート。というのは他でもありません、このオチ、私は英和辞典で確認してから大笑いさせられたので(^^ゞ。訳者が変な親切心を示さなかったのはなによりでした!
 

「超時空要塞マクロス」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月11日(日)16時10分42秒
 
   ではサイバーパンク以前のアニメはどんなだったんでしょうか。ということで、DVD「超時空要塞マクロス 愛おぼえていますか」(84)を観ました。うむ、これは見れたもんじゃないですなあ。30分で視聴中止。
 ネット書評の常套句に、(この作品は)「古びている」という言い方で貶しているのをよく目にするのですが、そのたびに、古びているってどういうこっちゃねん、古びているからこそいま読んでも面白いんやないのか、と一人で突っ込んでいたのですが、いやこのアニメを見て、その評言が有効な場合もあるのだなあと、ちょっと考えを改めました(^^;。
 とにかく古い! これはもはや70年代ドラマのストーリーです。その中でもかなり低レベル。興行成績はよかったとのことなので、主要ターゲットは80年代前半に全盛をきわめた歌謡アイドルに熱を上げた層でしょうか(ちなみに松田聖子デビューが1980年)。
 

「スチームボーイ」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月11日(日)02時43分47秒
   
   サイバーパンクとくれば次はスチームパンクでしょう、てことで、DVD「スチームボーイ」(04)を観ました。まるで実写かCGかと思わせる精細緻密な絵柄は、贅沢で素晴らしいの一語。しかしそのような映像に比して、ストーリーが貧弱だったように思いました。たしかに単純な敵味方分けを拒否しているところは好ましいのですが、その分主人公の少年の行動が、どっちつかずの行き当たりばったりな印象。それはやはり、少年が成長物語として獲得すべき(させるべき)ものが一体何であるのかを、制作者側に明確に把握されてなかったからではないか。要するに「絵を描きたかった」ということなんでしょう。エンディングで静止画が何枚か流れるのですが、これはこの世界(もしくは主役の男女)の未来を表現しているんでしょうか。  

「攻殻機動隊Ghost in the Shell」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月10日(土)21時09分58秒
 
   DVD「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」(95)を観ました。
 私は1979年に社会人になり、読書量を漸減させながらも、それでも80年代前半まではなんとかついて行っていたのですが、80年代後半から90年代前半にかけての10年間は、遂に完全にSFとは切れてしまいました。だから私はサイバーパンクを全く経験していません。はっきりいってギブスンもスターリングも一冊も読んでいません。wikipediaによるとサイバーパンクは、1985年にドゾアによって命名されたものだそうです。だから丁度(個人的な視座からの眺めですが)私の退場とサイバーパンクの登場は入れ替わり、軌を一にしているのですね。
 そういう次第で、この欠落が以前から気になっていたのですが、終わってしまったムーブメントなので、さほど食指も動かなかったというのが正直なところ。ところが雫石さんが先日のブログで、このアニメをサイバーパンク入門に最適と書いておられた。そうなのか、それは調法とさっそく借りてきたという次第。

 で、観た訳ですが、石森や手塚の、いわゆる「懐かしい未来」、光り輝く清潔な未来都市とは画然と対照的な、暗い不潔なゴミゴミした未来都市が描かれている。なるほど。要するにこのイメージ、この雰囲気が、サイバーパンクなんでしょうね。明から暗へのこの転換というか<倒立>が、当時の読者には目新しく目覚ましかったんだろうと想像しました(あとネット世界がSFの背景世界に加わった点、人体改変(サイボーグ化)の倫理問題を無化した点)。今ではありふれているわけですが、ありふれさせたこと自体影響力の大きかった(世間の関心とマッチした)証拠。
 絵柄も萌え的な部分がなく好みでしたが、テーマであるゴースト(魂?)は展開不足。というかアニメではちょっと無理でしょう。とはいえ、たまたまシェクリイ「パラダイス第2」を読んだところだったので、なかなか興味深かったです。
 
 

「物語のルミナリエ」

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 9日(金)21時17分48秒
   
   井上雅彦監修『物語のルミナリエ 異形コレクション(光文社文庫11)がアマゾンから到着。さっそく手にとってみました。何と78編収録のショートショートアンソロジーではないですか! 異形としては『ひとにぎりの異形』以来ですね。とまれショートショート集の出版が難しくなっている現状において、このようなショートショートアンソロジーが上梓されたことを大いに喜びたいと思います。

 さて、そういう次第で、ごく順当にアタマから順次読んでいこうかとも思ったのですが、そうはいっても前回『ひとにぎりの異形』はかなり出来不出来の激しい作品集でした。読む立場からしたら、まずは面白さ満点のから読んでいきたいじゃないですか。ということで、当社比ですが「絶対ハズレのない」ことで定評のある作家の作品から読んでいくことにしました(もちろん未知の作家たちの中にはこれらの方々を凌駕する作品を書かれた作家もいるでしょう。それはおいおい読んでいく中で読書の悦楽を味わわせて頂くことにします)。ということで10編セレクト。

 平谷美樹「猫」は、劈頭を飾るに相応しい「散文詩」! 著者は長編型の物語作家でありますが、その<物語>は、しかし元美術の先生であったという資質からも想像できるように、映像把握力の強さ鋭さによって裏打ちされているんですよね。本篇はその「眼力」が〈物語〉ではなく〈世界〉において発揮される。非常に美しい詩世界となりました(たとえモチーフの核に今次の震災があろうとも)。追記>しかしこの作品、本書のテーマからすれば掉尾にもってきたほうがぴったりだったような気が……。

 草上仁「オレオレ」、これはまたショートショートのお手本のような、切れ味鋭い傑作! このオチにあっと驚かない読者はいないでしょう。ただそれだけに、わたし的に残念と思うところが2ヶ所ありました。まず31頁後ろから6行目の「ようやく帰国したと思えば」。この事実を発話者が知っているのはおかしいような。ここは「帰ってきていたのか」くらいの感じでは?
 あと最終行は書き過ぎで不要かも。私はラストから5行目の妻の言葉で、あっと叫んだので、ラストは逆にやや興ざめでした。もっと読者を信用してほしい。以上は私の感覚なんですが、皆さんはどう感じられましたか?

 眉村卓「青い空」、これまた散文詩の傑作! あるいは俳句的世界観なのかもしれません。むしろ本作をアタマにもってきてほしかった(本作で世界は滅び、平谷作品で復活が暗示されるのだから)。津波が核にあるのかどうか。私はインスパイアされているとみます。と同時に後述の深田享作品にも通じますね、「青い空」も含めて……。
 ところでどうでもいいことですが、青い空が出ず、蒼井そらに変換されてしまうのは、いくらなんでも収集が歪んでいるんじゃござんせんかい? グーグル日本語変換よ(^^;

 堀 晃「崩壊」かんべむさし「庭に植える木」は、いずれも小松左京オマージュで、偶然とは思えないほどの対応関係を示す。堀94頁「膨大な「情報の塊」が一挙に送られてきた」は、かんべ113頁「情報のかたまり。意思の瞬間大量伝達」に見事に対応していますね。94頁「飛び立とうとしている」は118頁「高速拡張」に。
 とはいえまさか事前に相談しているはずがありませんから、内的に同じ小松像が見えていらっしゃったんですね。おそらくご両人自身が読んでびっくりされているのでは? それが前者では著者の〈私的世界〉のホテルプラザに収束再現(フラクタル圧縮?)され、後者では庭に植える木の想起が意識の流れ的に再現を呼び込む。どちらも見事!

 深田享「空襲」は、古井由吉「野川」に匹敵する空襲小説にして神戸小説。著者のショートショートは、いわば草上仁と正反対の、オチは不要どころか夾雑物、そんな作風。むしろ上述の古井由吉に近い。本篇はその資質が十全に発揮された傑作で、あたりまえに超自然が、物語のいたるところに姿を見せたり消えたりするのです。

 西秋生「1001の光の物語」は、タイトル通りタルホ・オマージュであり、且つ神戸小説。傑作!! これは本集全体でもベスト作品でしょう。読了する前から何を言うか、と眉を顰められるな。本篇はそんな比較のレベルを一気に超越している! むしろ私がここで百万言費やして褒めまくっても、ただ作品を貶めるだけ。とにかくだまされたと思って、まずは読んでみなはれ(^^;。

 上田早夕里「石繭」は、眉村さんの初期作品のような暗いリアリティを造形する世界描写力にまず酔います。そしてそのような世界観と主人公は繋がっており、<石繭>はその内宇宙の外化でしょう。主人公は石繭を自家消費してしまうので、これ自体は外へ突き抜けていきません。しかしラストでいたるところに石繭が現れて一気に世界も外化される。ラストの光景は異常なまでに美しい。

 芦辺拓「物語を継ぐもの」は、一種の決意表明なのかも。これはでも勘違いではないのか。いかに著者が少女物語を書いたとしても、それは実際のところ、著者自身を反映して歪みに歪まざるを得ず、理念的な(偏差の小さな)少女物語からすればとんでもない方向に離れて行ってしまうのです。だからこそそれは面白いし書かれるべき意義もあるのだが、それをもって一般の少女物語と同一視するのは、少女物語も迷惑でしょう(>っておい)m(__)m

 高井信「女か虎か」、掉尾を飾るのは、これまた草上作品同様、ショートショートはかくあるべしというシャープな逸品。とりあえず無駄な描写は一切ありません。この話じつは既読で、初読時の話になりますが、ラストのオチ、数秒間(あるいは十数秒)考えてから気づいて、持った本をバッタと落とし、小膝叩いて大笑いさせられたのでした。ショートショートはこうでなくっちゃ。読者を信用してくれているショートショートの快作!

 ということで、以上十編読了。私の思惑どおり、期待に違わず楽しませていただきました。満足満足。この十作品を読むだけで本書を買う価値がありました。あとは余録……というのは嘘ですが、とりあえず満足できたので、読みかけ本に戻り、そのあと全作読了することにします。
 

Re: そんなものなのか?

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 9日(金)12時58分51秒
   
  > No.3330[元記事へ]

高井 信さんへのお返事です。

>  メールすら、「メールを出したから読んでね」と電話連絡しないといけない人も(笑)。

 ケータイのMLなのでそれは大丈夫と思うのですが(>大丈夫なのか?)(^^;
 私も返信を要するメールを送ったら返事が来て、しかし聞きたかったことは何も書かれていず、果たしてこれは返信なのか、別途のメールなのか、「メールを出したけど読んだ?」というメールを送ってもいいものかどうか激しく悩んでいる最中であります(ーー;
 

Re: そんなものなのか?

 投稿者:高井 信  投稿日:2011年12月 9日(金)09時03分43秒
 
  > No.3329[元記事へ]

 メールすら、「メールを出したから読んでね」と電話連絡しないといけない人も(笑)。
 

そんなものなのか?

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 9日(金)00時39分9秒
   
   『物語のルミナリエ』明日到着との連絡メールが! あ、明日じゃなくて、もう今日ですね。しまった。中途半端に読みかけている本が2冊あるのだが(『無限がいっぱい』『プランク・ダイヴ』)、さてどうしますか……。

 ここのところ、本や音楽の世界とは別の世界での活動が(といっても勿論遊びの活動ですが(^^;)、何故か忙しくなってきまして、メーリングリストたらゆーもんを作れと言われて、泥縄であれこれやっておりました。始めるまでは、掲示板でいいんちゃうのん、などと思っていたのですが、毎日わざわざ掲示板を見に来る習慣のある人は、わたし的にはごく当たり前ですが、世間的には奇特な人種であることをこの歳になって初めて知りました。
 大概の人は、メールで流してあげなければ、情報は伝わらないみたいですね。しかもワンメールに二つ連絡事項を書いても、あとのは読んでないことも判明しました。相手は私と同年輩なんですがね……。ほんと、悲しくなってしまいます。
 2,3行しか書けないツイッターが不便で私は全く利用しなくなりましたが、あれは若い連中の読み取り能力に対応したツールなんだと認識していましたが、どうもそうではないらしい。一億あげて読み取りの射程が短くなってしまっているのであって(それともそれがそもそも人間のレベルなのか)、若者のみ取り上げてそれを揶揄するのは、今後控えなければと思ったのでした。
 それにつけても私がごくふつうに接しているところの大半の知人友人は、上述の次第で、日本国民の中でも特に選ばれたエリート層なんだなと、気づきもし、そのような友人に恵まれている私自身が、なんだかとても誇らしく、嬉しいのでありました!

 

サハリンの灯は消えず

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 7日(水)23時12分16秒
   
   強烈なタイトルですが、どこからこんな発想が生まれたんでしょうか(汗)。発売はGSブームの昭和43年です。シベリア抑留者の帰国は昭和30年代初頭まで続いたので(岸壁の母)、それから十数年後の昭和43年でも、まだまだなまなましい現代史だったのは確かです。
 でも、多分そういうのではないんじゃないかなあ。
 私が思うに、スプートニクスの「霧のカレリア」が昭和40年に大ヒットしたわけですが、ただ単にそれに対抗したかっただけじゃないのかなあ。極東の列島人がカレリアに対抗するんだったら、やっぱシベリアでしょう、という単純な発想だったのでは(笑)。いずれにせよ怪作であるのは間違いありません(^^;

   
                                ↑
                             原題「マンチュリアン・ビート」

 《追記》異形コレクション『物語のルミナリエ』が、日付が変わって予約から在庫に切り替わったので、早速注文しました!(予約よりも早く着くのです)
 

予断は怖い

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 7日(水)10時39分38秒
   
  昨日の投稿で、「よく掲載された小説新潮(83ヒット)ですら本誌掲載は70年代近くになってからで、それまでは載ったとしても別冊小説新潮」と書きました。実はこれ印象で書いてしまいました。気になって実際にカウントしてみました(もちろん検索機能でですが)。



    小説新潮 別冊小説新潮 小説現代 別冊小説現代 宝石 別冊宝石 小説宝石 別冊小説宝石
      65    18      35    5      69    6     13    10
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
50年代                          17   6
60年代   20    10       6          52         2
70年代   28     8      16    5               5
80年代   15           12                    6     10
90年代   2            1

 ということで、そんな事実は見当たりませんでした(汗)。どうも先入観で目が曇らされていたみたいです。ただ60年代は「宝石」が主戦場という感じ(しかも宝石は64年で廃刊している)。で、小説宝石(全く別会社ですが)になってからは一気に減ってしまいます。完全に乱歩つながりということでしょうか。年別に見ていけばもっとよく分かるのですが、時間が無いのでとりあえずディケード単位で。
 

星新一初出リスト

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 6日(火)21時08分14秒
   
   高井信さんが、《星新一初出リスト》という、トンデモないものを作成されました。→ホシヅル図書館

 しばらく前から挙動不審だったのは、これだったのですね(^^;。時間がなかったので、今日はじめてしっかり目を通しました。作品名のあいうえお順に並べられているんですね。
 思うに、このリストはたたき台であると思います。私たちは、このリストを如何様に使ってもいいんじゃないでしょうか。ネットに公開しているということは、それを許容するという意味でもあるはずですよね、と私は勝手に解釈するものであります。自分の興味に従って編集したら、いろいろ楽しめそうです。

 私自身は、オリジナル作品集主義者なので(できうれば文庫化も愚直にオリジナル作品集のまま出して欲しいと思う方です)、個々の作品集時点での初出情報というのに興味が有ります。ということで、やってみました。


◇おーい でてこーい  「宇宙塵」1958年8月号→「宝石」1958年10月号
◇鏡  「宝石」1959年12月臨時増刊号
◇親善キッス  「宝石」1960年10月号
◇生活維持省  「宝石」1960年11月号
◇月の光  「宝石」1959年12月臨時増刊号
◇猫と鼠  「宝石」1961年4月号
◇冬の蝶  「科学小説」第2号(1960年新春)→「宝石」1960年3月号
◇ボッコちゃん  「宇宙塵」1958年2月号→「宝石」1958年5月号
◇マネー・エイジ  「宝石」1961年7月号

◇悪魔  「朝日新聞」1964年12月27日
◇おみやげ  「朝日新聞」1965年4月25日
◇キツツキ計画  「朝日新聞」1965年12月19日
◇盗んだ書類  「朝日新聞」1965年8月8日
◇変な薬  「朝日新聞」1965年10月3日
◇約束  「朝日新聞」1961年4月8日
◇欲望の城  「朝日新聞」1962年7月1日

◇診断  「ヒッチコックマガジン」1961年11月号
◇人類愛  「ヒッチコックマガジン」1961年4月号
◇暑さ  「ヒッチコックマガジン」1961年8月号
◇ねらわれた星  「ヒッチコックマガジン」1961年6月号
◇年賀の客  「ヒッチコックマガジン」1960年1月号
◇包囲  「ヒッチコックマガジン」1960年7月号
◇誘拐  「ヒッチコックマガジン」1960年9月号

◇悲しむべきこと  「日本経済新聞」1967年12月10日
◇気前のいい家  「日本経済新聞」1967年10月8日
◇程度の問題  「日本経済新聞」1967年9月17日
◇特許の品  「日本経済新聞」1968年1月21日
◇なぞの青年  「日本経済新聞」1968年1月14日
◇雄大な計画  「日本経済新聞」1967年7月2日

◇ゆきとどいた生活  「婦人画報」1961年8月号
◇妖精  「婦人画報」1962年4月号
◇肩の上の秘書  「婦人画報」1961年9月号

◇殺し屋ですのよ  「労働文化」1965年2月号
◇波状攻撃  「労働文化」1965年3月号

<文芸誌>
◇よごれている本  「エラリークイーンズミステリマガジン」1962年7月号
◇闇の眼  「SFマガジン」1961年5月号
◇ツキ計画  「文藝春秋」1960年夏の増刊涼風讀本
◇冬きたりなば  「小説現代」1963年8月号

<PR誌>
◇愛用の時計  「高島屋PR誌」1963年夏号
◇被害  「北海道拓殖銀行すずらん」1963年1月号

<週刊誌>
◇白い記憶  「新刊ニュース」1962年6月1日号
◇デラックスな金庫  「週刊公論」1961年5月15日号
◇プレゼント  「週刊漫画サンデー」1962年8月22日号

<週刊紙>
◇来訪者  「日本読書新聞」1961年2月27日

◆ある研究  『妖精配給会社』ハヤカワSFシリーズ(1964年刊)
◆意気投合  『妖精配給会社』ハヤカワSFシリーズ(1964年刊)
◆追い越し  『悪魔のいる天国』中央公論社(1961年刊)
◆最後の地球人  『人造美人』新潮社(1961年刊)
◆なぞめいた女  『エヌ氏の遊園地』三一新書(1966年刊
◆不眠症  『妖精配給会社』ハヤカワSFシリーズ(1964年刊)


 『ボッコちゃん』ですが、実はこれ、オリジナル作品集じゃないのでした。作業をやり始めてからしまったと思ったのですが、とりあえずやってみました。上述の理由で1958年から1968年までの、やや長い期間の作品が収録されています。それでも特徴は読み取れるのであって、一般文芸誌には、まだこの時期そんなに登場していない。全体でみても、よく掲載された小説新潮(83ヒット)ですら本誌掲載は70年代近くになってからで、それまでは載ったとしても別冊小説新潮なんですよね。
 以上は一例ですが、こういう傾向が、加工次第で一望に見渡せるのがこのリストの面白さです。読者はただぼーっと眺めるのではなく、自分の興味に従って加工して、いろいろ発見して楽しんだらよいと思いますね。
 いずれにしろ大変な労作です。高井さんのことですから楽しんで作業されたのでしょうが、ともあれご苦労様でした。お疲れ様でした(^^)
 

「七人の使者」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 5日(月)22時24分18秒
   
  > No.3323[元記事へ]

 承前。先回書きそびれた、というかややこしくなるので省いたのですが、本書、そもそも『六十物語』(58)という、初期作品を集成した作品集からのピックアップなのです。『偉大なる幻影』の訳者(同じく脇功です)あとがきには、その内訳が示されていて、『七人の使者』全9篇、『スカラ座の恐怖』全9篇、『バリヴェルナの崩壊』全18篇、そして単行本未収録(?)の24篇で、合計60篇となるようです。
 ということはつまり本書の訳者は、『七人の使者』全9篇から実に7篇の作品を本書にセレクトしているわけです。いかにこの第一作品集の質が高かったかということが判りますね。

 「七人の使者」は前回述べたとおり。いうまでもなく本集ベスト3の一篇。

 「大護送隊襲撃」は、主人公に弟子ができてから突如静謐な謡曲小説に変わる。著者はカトリックなんでしょうね。<魂>の話になってきます。SF作家って、カトリックの人のほうが面白いような気がします。ラファティとかウルフとか。

 「七階」は、まさにカフカ調不条理小説。本集のベスト3の一篇。アンソロジー「不条理病棟」編纂するに際しては、シュルツ「クレプシドラ・サナトリウム」と共にぜひとも収録して欲しい傑作!

 「それでも戸を叩く」は、ポー「赤死病の仮面」を髣髴させる筋立て。水ですが。女主人公の行動が不可解。なぜ現実から目をそむけて適切な対応をしないのか。何か意味が隠されているのか。

 「マント」、本篇も謡曲小説。還ってきた息子はまだ亡霊ではありませんが。(※)

 「竜退治」は、舞台は1902年と20世紀の話ながら無時間的な竜退治ファンタジー(但しそこにヒネリが加えられているのはいうまでもない)、あるいは民話を模した物語となっています。著者には一直線に上方(北、外)へ向かうというモチーフがしばしば用いられますね。表題作もそう。

 「Lで始まるもの」も不条理小説。主人公を囚えるのはカフカ的な官吏や官僚機構ではなく不治の病。
 ここまでが第一作品集分。「七人の使者」、「マント」、「Lで始まるもの」は10頁前後のショートショート。それ以外は20頁程度の短い短篇。

 「水滴」もショートショート。これも見方を変えれば、カフカ的(というよりも「分裂症」的)な被害妄想の小説化ともみえる。「ひょっとしたらなにかの寓意だろうか?」と自ら書いてしまうところでちょっと笑った。筒井康隆が、山野浩一が小説内で不条理を連呼することに対していかがなものか、みたいなことを書いていたと思いますが、そんな感じ。

 「神を見た犬」は、本集中で最も長い40頁の作品。これは凄い。ベスト3の一篇。魂が主題のカトリック小説(てあるのか?)です。ストーリーが巧妙で、ラストであっと叫ばされます。

 以下は全て10頁前後のショートショート。
 「なにかが起こった」でも、列車は一直線に北へ向かう。

 「山崩れ」、山崩れのスクープに、記者は一直線に山へ、上へ向かう。

 「円盤が舞い下りた」、教会の屋根に止まった円盤から降りてきた宇宙人と司祭の会話。「するってーと、あんたらはまさかエデンの林檎を食べちゃったのかえ?」 うぐっと喉を詰まらせる司祭(笑)。

 「道路開通式」では首都から辺境の小都市を結ぶ道路が開通し、内務大臣一行が首都から一直線に辺境の町へ、外へ向かう。のだが、途中で道がなくなっちゃって(笑)……それでも強行軍で進むも、目的地にはたどり着かない。ということで、表題作に対応する世界観の小説です。

 「急行列車」も、列車に乗った主人公。車窓を風景が通り過ぎていく。途中の駅で母親と再会するも、母を残して再び車中の人となる主人公。列車旅を人生に喩える話は山とありますが、山と書かれるほどそのシチュエーションが魅力的ということでしょうか。

 「聖者たち」は、ま、神話世界譚といえるか。何と人間的な神様(厳密には聖者)(^^;!

 「自動車のペスト」も、不条理小説の一種。ただし不条理に取り込まれ撲殺(違)されるのはロールスロイスなんですが。

 てことで、全篇読了。第一作品集がずば抜けているというのが若干引っかかるのですが、ブッツァーティもっと読んでみようと思います。

(※)あ、亡霊なのか。少なくとも生者ではない。
 

フグ三昧

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 4日(日)10時53分58秒
   
   昨日は恒例小学校同窓有志での忘年会。今年で4年目になりました。場所は今回も石和川さん。年に一度のキタ新地♪
 しかし4年も続けているのに、まだまだ知らなかった事実が出てくるんですよね。<昔>は面白いなあ。
 今回も中央市場のN君提供の、フグ尽くしに舌鼓を打ったのでした。おりしもミシュラン2つ星店事件があったばかり、その話でも盛り上がった。極めて危険なのは天然フグ(つまり高級フグ)だそうで(食餌習性の関係)、餌を選んだ養殖のフグは、実際は無毒になるそうです。ブランド戦略で無毒フグを売りだそうとした地域があったそうですが、売り場で区別がつかないとのことで認められていないとのこと。なかなか難しいのですねえ。
 白子を生で食べてもうまいというので食してみましたが、私はやっぱりある程度煮て蕩けかけたくらいのが好みでした(^^;。締めの雑炊のダシにも白子を入れてもらったら、これが絶品でありました! いやー堪能しました。N君が十分すぎるほど用意してくれていて、一皿丸々残してしまったのは勿体なかった。ドギーバッグを所望したところ、なま物なので無理とのこと。一旦火を通したらオッケーとのことでお願いし、近場の者がもって帰りました。

 二次会は地元に戻ってスナック。宴たけなわのところお先に失礼して、11時過ぎ野田駅から乗車しました。西九条で降りて紀州路快速に乗り換えた。意外に混んでいた。既に忘年会シーズンなんですね。しまった大阪に戻ったほうがよかったかと思いましたが後の祭りで、結局乗換駅で各停に乗り換えるまで座れなかった。12時半前に帰館。バタンキュー。あー楽しかった〜(^^)。
 

「七人の使者」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 1日(木)23時53分55秒
   
   ディーノ・ブッツァーティ『七人の使者』脇功訳(河出書房90、元版74)読了。

 いやもうめちゃくちゃ面白かった。イタリアのカフカとも称されたそうですが、色調はもっと明るいですね。ドイツ(語圏)とイタリアの土地柄の違いかも。内容もバラエティにとんでいて(そのなかにはカフカ調もあるわけですが)、これはもはやSF作品集です。もちろん1906年生まれの著者がジャンルSFの影響を受けた可能性は小さいです。
 16篇収録されています。ほぼ訳者によるアンソロジーといってよく、16篇中、その半数に近い最初の7篇を第一作品集『七人の使者』(42)から、8篇目の「水滴」を第二作品集『スカラ座の恐怖』(49)から、その次の4篇を第三作品集『ヴァリヴェルナの崩壊』(54)から、残りの4篇はオリジナル作品集には未収録だった作品から、それぞれ採られています。

 半数近く採用されていることから分かるように、第一作品集からのセレクト作品が他の作品より良い。
 表題作「七人の使者」は、数学的(?)幻想小説の趣き。ある王国の王子が国境を見極めんと従者を連れて旅立ちますが、行けども行けども国境には至らない。遂に出発してから8年半が経過してしまう。王子は7人の使者を、王都との連絡係として往還させるのですが、王子は一日40里。使者たちは一日60里進むのです。
 出発して二日目(80里)に最初の使者Aを王都に向けて出立させます。Aは王都に戻り、王子の書状を渡し、王都からの連絡物を抱えてその足で引き返します。さてこの使者は何日目に王子に追いつくでしょうか?
 もちろん王子は、その場に留まってAを待っているのではなく、さらに進んでいるわけです。答えは十日目。Aは王子よりも160里余分に進まなければならないので、160里(80×2)÷20里(60-40)=8日。2日間は共通なので、8日+2日=10日となります。
 次に三日目(120里)にBが出立します。同様にして、240里(120×2)÷20里=12日。12日+3日=15日となります。
 つまり出立日×5の日に戻ってくるという公式が得られる。

 さて10日目に戻ってきたAは、即その足で、また王都を目指して出発します。Aが次に戻ってくるのは、ですから10日×5=50日目となります。
 では、小説内現在である8年半後(365*8+183=3103)に出立した使者は、いつ戻ってくるでしょうか? 3103*5=15515日目です。つまり42年と半年。それから8年半を引くと34年。なんとなんと、34年後なのです。
 王子は30歳で出発したのですから、8年半後の現在は38歳です。で、その34年後となると……72歳!

 王子は思います。使者が戻ってきたとき、自分はおそらくもう骸になっているだろうと。もはや生きて相まみえることはないであろう、最後の手紙を託したその使者の、砂漠の果に小さくなっていく後姿を、王子はいつまでも見送るであった……

 いやー傑作ですなあ。センス・オブ・ワンダーですなあ。これがわずか6頁のショートショートなんですから、見事なものです!
 

「機龍警察 自爆条項」追記

 投稿者:管理人  投稿日:2011年12月 1日(木)00時10分26秒
   
   『七人の使者』に着手。めちゃくちゃ面白いです。残り30頁。

 承前。先日の『機龍警察 自爆条項』について、今ごろになって、そういえば、と気づいたのですが――
 本書、日本の警察機構の縦割り官僚制をしっかり踏まえて描いているのですが、それについての批評性はないんですよね。元来警察小説は、本格探偵小説では描かなかった、また私立探偵小説では外側からしか描けなかった、警察の組織悪を、内側から(インサイダーSF的に)暴露していくところに、そのレゾンデートルがある(cf「警察小説大全集」)。それをもっともよく体現しているのが、佐々木譲です。本書にはそのような志向性が認められないように感じました。現状の警察機構をアプリオリにあるがままに受け入れて、その地点から書き始めている。佐々木譲にはぶっ壊そうという意志がはっきりと認められる。月村了衛にはそういう情念は感じられません。つまり<橋下>ではなくて<平松>なんですよね(違)。ここが、武器としての警察小説を十全には機能させておらず、わたし的には不満です。
 ――ということに今頃気づくとは、それだけ読中は、そんな批評的な目が作動しないほど取り込まれていたということで、逆の意味で本書が小説として優れていた証左でもあるわけなんですが……。
 

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