ヘリコニア過去ログ12年3月

「ナイトランド創刊号」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月30日(金)23時03分19秒
 
   《ナイトランド創刊号》は、<名作発掘>の2編、ロバート・E・ハワード「矮人族」(中村融訳)と、ラムジー・キャンベル「コールド・プリント」(野村芳夫訳)を読む。
 前者は、生前未発表の初期作品で、後に原稿が発見され、怪奇小説誌《コーヴェン13》70年1月号に掲載されたもの(訳者解説)。ありていに言って習作です(途中1頁紛失している)。創元文庫の全集か、青心社の文庫かなにかで、読んだことがあるような感じがしましたが、まさか既訳の新訳ということはないでしょうから、おそらく本篇を発展させた(もっと書き込んだ)話を、それらの媒体で読んでいるのかも。習作とはいえ、ケルトの黄昏の雰囲気が濃く立ち籠め、それなりに読ませる作品です。

 後者は、主人公の造形が純文的に自立しており、それはよかったのだが、やっぱり私の趣味ではありません。言っても詮ないことではあるが、邪神など登場させずにこの人物を描いているのだったら楽しめたのかも。本編の解説に「邪神イゴローナクが登場する点でも、重要な一篇と言えるだろう」とありますが、出てきただけじゃん。登場したことが重要って、ストーリーは二の次かい、とイヤミを言いたくもなります(けっきょくクトゥルー・プロソディ皆無ということですな(^^;)。これじゃウルトラシリーズの前説や次回予告編で「〇〇怪獣△△登場!!」とやるのと同じじゃないんでしょうかね。初出は69年刊のダーレス編のアンソロジー。

 ということで、《ナイトランド創刊号》(トライデントハウス12)読了(あと朝松健の連載が一本あります)。なかなか面白かったですし、まあSFMよりは誌面に一途さを感じ取れるので、次も出たら読んでみたいと思います。
 

クトゥルー・ファンタジー

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月29日(木)20時54分36秒
   《ナイトランド創刊号》より、サイモン・ブリークン「扉」(田村美佐子訳)を読む。「いつとも知れぬ時代、いずことも知れぬ地」(特集前説)、切り立った崖の前に村があった。その崖の側面には、なぜか巨大な扉が付いているのだった。扉は古さびていて、あきらかに作られてから大いなる歳月が経過していることが見て取れる。けれども村人たちは、何者がその扉を、いつ、なにゆえに、崖に付けたのか、誰も知らない。ただ自分たちの使命が、その扉を見張り続けることにあることは知っている。でもなんのために見張っているのか。何かがその扉を開けて現れるのか。現れたらどうするのか。ということは何も伝えられていないのだった。ところが最近、扉の向こうから正体不明のうめき声が聞こえ始め……
 という設定、出だしはツカミばっちり。期待にワクワクします。ところが……そこからの展開が、「まさかこうはならないだろうな」という最悪の予想を体現する、これまでも読者が何百回何千回と読まされてきた、ありきたりなパターンで……萎えました。
 むろんスミスもこういう話を書きます。しかしそれはスミスのたぐい稀なる美文調によって、散文詩となり得ている。それゆえに、あー面白かった、と、満足して頁を閉じられるのです。でもそのような文体を持たないのだったら、作者はプロットで頑張って《小説》にしなければどうしようもない。もう一段の捻りが最低必要だったのでは?
 本篇に即せば、当の人物は、なぜ「いまこの時期に」扉を開いた、あるいは開かせられたのか、という必然的な理由が必要ではないでしょうか。いや伏線があるではないか、って? あれは伏線になっていません。伏線の行動も動機が認められないからです。結局、伏線の人物も、 当の人物も、なぜ行動に及んだのか。はるか昔から村人たちは監視を続けてきて、何も問題はなかった。ところが「いま」それは破られた。だとしたらその理由は何か? が絶対になければ、読者的には納得できない。これではウルトラ怪獣が日本にばかり飛来するのと同じなんですよね。魅力的な設定が無残に消費されてしまったのは、いかにももったいないと惜しまれます。
 以上で<特集・ラヴクラフトを継ぐ者たち>は読み終わり。つづいて<名作発掘>に取り掛かります。

 竹内薫『ホーキング虚時間の宇宙 宇宙の特異点をめぐって(ブルーバックス05)読了。
 

クトゥルー・スピンディジー

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月28日(水)21時28分4秒
   昨日の補足ですが、読むと私が、くだんの男に対して恨み骨髄であるかのような印象を与えたかもしれません。さにあらず。それ以降、何となく好感をもってしまい、その男(Tとしておきましょうか)と職場で会えば言葉を交わすようになり、Tが意外に破滅型で、休日には欠かさずパチンコ店に、開店から閉店まで居座って、十万単位で浮いたり沈んだりしていることを知るに及んでは、うい奴じゃという感じにもなってき、たまに飲みに行くようになり、会社をやめてからはそういうことはありませんが、結婚式にも招待され、やめて20年近くになるけれども、いまだに会社関係で年賀状を送って呉れる数少ない一人なのであります。念のため。

 さて、《ナイトランド創刊号》は、グリン・バーラス&ロン・シフレット「ウェストという男」(金子浩訳)と、レイフ・マクレガー「ダイヤー神父の手紙」(増田まもる訳)を読む。
 ラヴクラフトべったりだった前作(「沼に潜むもの」)とは180度変わって、どちらも純クトゥルーからは何ほどかスピンアウトしています。その飛び出していく方向は正反対ですが。
 前者は、タイトルが「スペードという男」のもじり(【特集作品解説】)であることから分かるように、クトゥルーをハードボイルドの文体で描いたもの。タイトルの「ウェスト」は、ラヴクラフト「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」(未読)その者で、映画「死霊のしたたり」にも登場するとのこと。
 これは面白かった。クトゥルーといっても、ウルトラ怪獣めいた古き邪神は登場しません。一種のフランケンシュタインもので、マッドサイエンティストものといってもよい。ウェスト博士の悪の所業に、二人のタフガイが挑みます。というわけで、つまるところ字で書かれたB級ホラーアクション映画です。ラストもそれらしく、お約束どおりウェストの生死は不明で続編への興味を繋ぎます(^^;

 後者は傑作。時は19世紀初頭、聖職者にして地質学者の主人公は、英国ウィットビー海岸で海棲巨大トカゲの完全骨格化石を発見する。古いトカゲを意味するパレオサウルスと命名されたそれは、それまでに発見されていたモササウルスともイクチオサウルスともプレシオサウルスとも異なった、更に古い新種のように思われた。
 当時、ジェームズ・アッシャーの「天地創造は紀元前4004年の10月23日に行われた」のごとき、聖書の記述を地質学に当てはめようとした説(ニュートンは紀元前4000年としたらしい)が聖職者に支持されていたのだが、化石の生物がかつてこの地球に存在し滅亡したとするならば、どう考えても紀元前4000年どころかもっと以前に天地創造を想定しなければ合わない、という、「神をも冒涜する」考えに、聖職者でもある主人公は囚われてゆき……
 著者は哲学者であり、且つシャーロキアンとのこと。なるほど、たしかに!(^^; すべては手記の内容であり、手記という形式に内在する、真偽定かならぬ「間接性」が、クトゥルー物に「あるまじき」(笑)リアリティとその裏面である相対感覚を作品に付与していて読ませます。これはもはやSFでしょう。
 《ナイトランド》ではこの作家の作品を順次紹介していく予定とのこと。楽しみ!
 

タクシーの思い出

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月27日(火)16時20分24秒
   小谷野敦さんのタクシーの思い出がめっちゃおもろいのですが、私も思い出しました。

 サラリーマン時代、忘年会だったか何だったか忘れましたが、終電などとっくになくなっていて、その日はタクシーで帰るつもりでいたところ(というのはサウナで一泊するという選択肢もあるからですが)、違う部署であまり話したこともなかった若い者が同じ方向、電車でいえば途中のF駅が最寄り駅だというので、じゃあ乗ってけということになった。高速も利用して40分ほどでF駅まで来たのでしたが、最寄り駅というくらいだから駅からそう遠くでもないんだろうと、まあふつうは思うじゃないですか。で、家まで行ってあげよう、となり、するとタクシーは、そいつのナビゲーションで、F駅から線路とは直角にそれて、どんどん山の方に上がって行くんです。心細い道を20分ほど行った真っ暗なところでそいつを降ろし、とんでもないところに来たものだな、ここはどこだ、まあ運転手に任せておけば大丈夫だろう、と居眠りしていたら起こされて、見たらさっきのF駅なのです。運転手が言うに、私も、もう戻らねばならない。駅前に地元のタクシーが停まっているからそれで帰って下さい、と強制的に降ろされ去っていくのを見送らされた。おいおい、と思ったが、とにかく客待ちしていたタクシーに乗り込んだところ、そのタクシーの運ちゃんも見ていたらしくて、ほり出されましたんか、けしからんやっちゃ、と舌打ちする。そういわれると私もだんだん腹が立ってきて、自宅前で料金を払う際、結局合計したらF駅から若い者の家までの往復分を余分に支払ったことになることに、遅まきながら気づいて、その運ちゃんが悪いわけではないのに、糞ッと思うた。夜間タクシーで帰るときはつり銭はもらわない主義なのですが、このときばかりは、きっちりつり銭を回収したのでした。そんなことが、昔はわんさとありましたな。
 

クトゥルー・ラプソディ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月27日(火)00時00分51秒
   

 Carlos Santana & John McLaughlin - Love Devotion Surrender: Tribute to John Coltrane (1973)

 Track Listing

 Original Vinyl Album
 01 00:00 "A Love Supreme" (John Coltrane)
 02 07:49 "Naima" (John Coltrane)
 03 11:00 "The Life Divine" (John McLaughlin)
 04 20:26 "Let us Go Into the House of the Lord" (Traditional)
 05 36:09 "Meditation" (John McLaughlin)

 Only in the CD Version (In 2003 Was Released on CD)
 06 38:57 "A Love Supreme (Take 2)" (John Coltrane)
 07 46:23 "Naima (Take 4)" (John Coltrane)

《ナイトランド創刊号》はティム・クーレン「沼地に潜むもの」(夏来健次訳)を読む。目次では「沼地を這うもの」となっています。嵐にたたられて道を失い、さまよっていると丘の上に明かりが見え、やれうれしやと近づいてみたら、荒れ果てた屋敷が……という、おなじみのパターン。これはC・A・スミスもよく使いますね。どうってことありませんが、怪奇小説らしく文体がぐじゃっとしつこい分、前作(「ルイジアナの魔犬」)よりは楽しめました。
 そう考えると、「ルイジアナの魔犬」がダメだったのは文章があっさりしすぎていたからかもしれません。ハリケーン・カトリーナの惨状残るルイジアナという現代的な舞台でクトゥルーをやろうというのが眼目だったのでしょうが、それで現代的な文体を採用したのかも知れませんが、その二つの世界観を融合するのは余程の筆力が必要で、しかももっと書き込まなければ読者をその世界へ連れていけません。残念ながらカーソン氏には手に余るアイデアだったかも。
 その点、本篇は、時は現代ながら、舞台は北イングランドの人跡稀な沼沢地であり、因縁はクロムウェルとルパート王子の対決に端を発しているというわけで、雰囲気は申し分ありません。ただ結局はクトゥルーものでありまして、クトゥルー読者って、古き邪神が登場しさえすれば、それで満足なんでしょうか。だとしたらウルトラ怪獣シリーズ(例えが古いか)を楽しんだ子供と異ならないような気がするんですが……あんたにはプロソディがないのよ、って言われたら引き下がるしかありませんけれども(^^;
 

クトゥルー・プロソディ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月26日(月)01時15分56秒
   きのう、SRの会-森村誠一事件(戦後ミステリ事件史的には有名みたい)を、私は初めて知ったのでしたが、それについてはさておき、いわゆるジャンル小説には、蓄積によって磨かれてきた(ある意味洗練された)「プロソディ」みたいなものが厳然と存在するんですよね。どこにあるのか。ジャンル読者の脳内に、それは形成されるのです。たとえば本格なら本格のプロソディがあり、それを踏まえて書かなければ(というかジャンル読者上がりの作家は無意識に踏まえている)、たとえ当該作品が客観的には本格の要件を備えていたとしても、ジャンル読者は違和感を覚えたりすることが往々にある――というのは、ジャンル読者の方なら頷いていただけるのではないでしょうか。もとよりSFにもそれはありまして、そういえば、瀬名秀明が当初受け入れられなかったのも、「プロソディ」問題が原因だったんじゃないでしょうかね。

 《ナイトランド創刊号》より、スコッチ・カースン「ルイジアナの魔犬」(田中一江訳)を読む。くそつまらん。などと思うのは、私がクトゥルー・プロソディを持っていないからなのかも知れません。なんといったって創刊号の巻頭小説なんですから(SFMでいえば「危険の報酬」のポジション)。
 

畸人郷読書会

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月25日(日)12時48分44秒
   昨日は畸人郷、『消える「水晶特急」』の読書会でした。初刊85年で、国鉄がJRに変わったのが87年とのことで、国鉄が舞台なのですが、字面に違和感。民営化ははるか昔のような体内感覚があって、あれ、そんなに最近だったか、と一瞬めまいめいた感覚が。というのは他でもなく、私にとって80年代は、体内感覚ではつい「こないだ」なんですよね。二つの異なる体内感覚がぶつかり合って、ちょっと変な感じでした(^^;。
 さて、読書会です。やはり酒飲みの会ではなく、本格ミステリの会でした。トリックに対して不満続出。先日私が挙げた電話の問題は他の方も挙げておられました。
 最初に掲げられた地図で、トリックは分かったという方も(^^;。つまり地図のシニフィエ(所記)が不適当でバレバレ。木はもっと深い森の中に隠してしまわなければダメだとのこと。なるほど。私はスルーしてしまっていましたが、そう言われて見直せばその通りでした。
 あと、(私も触れましたが)一種のアンフェアである点、要するに公開された手がかりだけで真相に至るのは原理的に不可能である点が、特に問題になった。とりわけ第2の(というか第1の)誘拐事件は、何らかの形で読者に予め匂わせておく「見せ方」の工夫は必須とのこと。車中の主人公(視点人物)の描写が、それまでは三人称客観描写であったのが、最後の電話の場面で、一人称に変わるのも、手がかりを読者から隠すためなのですが、ミステリ的にアンフェアで、もっともこの叙述の変化で、何か隠したな、とは気づくとのこと。本格読みはさすが深いです(汗)。
 本書の謎解きの形式は、一般的な、手がかりはすべて開示して読者に挑戦するというものではなく、奇抜なトリックを構築し、最後に(作者が)えんえんと説明する(おそらくドヤ顔で)もので、ミステリ小説の「見せ方」としては感心できるものではないのだが、その後の著者の作品は、このようなものばかりになっていくとのこと。
 そのかわり、レギュラー作中人物(たとえば吉敷竹史)はどんどん肉付けされていき、そっちの興味で読ませるタイプになっていくようです。
 結局、「読中感」では高得点ながら「読後感」で減点されてしまい、ちょっと7点は出せない。6点が妥当となりました(上述のキャラクター性を加味して7点をつけられ方もいましたが)。

 次回はジョージェット・ヘイヤー『マシューズ家の毒』に決定。わたし的には作家名すら初めて聞いた作家です。楽しみ楽しみ。

 ということで二次会はいつもの居酒屋。話が弾みすぎてふと気づくと、10時50分。これはいかんと慌てて小走りに大阪駅に向かう。東梅田駅の横を通るとき、そうだこっちの経路ならと、時刻表を見たら、58分発。この時点で55分。神の配剤と切符を買ったのでありました。結局天王寺で小用をたす余裕さえあって、いつも大阪駅から乗る快速(多分)に間に合い(各停に乗り換えるまで立ちましたが)、最寄り駅12時過ぎ着でした。これで10時50分まで腰を据えられることが判明(>おい)(^^;

 あ、そういえば巷で話題の《ナイトランド創刊号》を購入したのでした(大阪地区ではジュンク堂のみ取り扱い)。手にとってなんか違和感。あ、紙がざらざらっと分厚くて色の悪い再生紙じゃないんだ。あ、表紙はコーティングされてつるつる光っている。これじゃあまるでスリック誌ですがな。どうせなら(わざと)パルプ・マガジンぽく装ったらいいのに。ちょっとがっかり。まあ読んで面白かったら、そんな不満は吹っ飛んじゃうわけですが・・。
 

「インフレーション宇宙論」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月24日(土)15時38分9秒
   佐藤勝彦『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか(ブルーバックス10)読了。

 大相撲春場所が俄然面白くなってきて、今日明日見逃したくないのですが、今日は畸人郷例会の日。テレビ観戦と飲み会、さてどっちをとるか。って、言うまでもありません(^^;。しかし寒そう。コートを着ていったほうがよさそうですね。ということで、そろそろ出発します。
 

「童夢」視聴中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月22日(木)23時50分14秒
   

「対称性から見た物質・素粒子・宇宙」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月22日(木)20時59分37秒
  > No.3531[元記事へ]

 昨日の続きですが、この作品、たしかに大トリックではあるのですが(でも、大は大でも大掛かりな物理トリックなんですよね)、本格ミステリ(もしくはパズラー)といえるものなのかどうか、ちょっと気になって来ました。
 というのは、読者は、人質になった主人公の親友で、もう一人の主人公(というか謎解きという観点からはこちらが真の主人公)で、後半の視点人物である島丘弓芙子に、ほぼ寄り添っており、島丘弓芙子が知り得た情報を共有するわけですが、その情報だけでは、トリックを見破ることは不可能だからです。
 たとえば本トリックの必要不可欠な構成要素である第二の誘拐事件があったことは、吉敷刑事が最後に行った謎解きではじめて島丘(=読者)に明かされる。読者が情報(手がかり)において、探偵(もしくは実行犯(^^;)と平等であったとはとてもいえない。
 その意味では、ラストの幻想的シーンの絵柄から予想されるように、むしろ2時間ドラマのミステリーの構造に、より近いともいえる。つまり本質的には、本格パズラーではなく、トラベルミステリ、旅情ミステリの範疇にふくまれるものではないでしょうか(もっとも真夜中に疾走しカーテンは閉めきったままなので、旅情はありません(^^;)。
 いやまあ、読者への挑戦を謳う原理主義的パズラーが、実際のところ、世にどれだけあるかという話ではありますが(笑)

 広瀬立成『対称性から見た物質・素粒子・宇宙 鏡の不思議から超対称性理論へ(ブルーバックス06)読了。
 

「消える「水晶特急」」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月21日(水)21時25分46秒
   島田荘司『消える「水晶特急」』(光文社文庫91、元版85)読了。

 今週末の畸人郷読書会の課題。二、三日みておけば大丈夫かな、と読み始めたところ、巻措くことができず、昨晩11時に開始して、なんと3時に読み終わっちゃいました。正味4時間一気読み【註】。これには、われながらあきれたりびっくりしたり(笑)。
 いやー面白かった。島田荘司って、こんなストーリーテラーだったっけ。『斜め屋敷の犯罪』『占星術殺人事件』は読んでいますが(あと多分『出雲伝説7/8の殺人』も)、それも20年近く前の話で、ストーリー自体はまったく記憶に残ってないなあ(斜め屋敷のトリックは今でも鮮明ですが)。
 とりあえず上野-酒田間を結ぶ日本のオリエント急行《クリスタル・エクスプレス》が、忽然とレール上から消えてしまうところまでは、間然するところがありません。いやもちろん、後半もストーリーに吸引されるように読まされましたから、ミステリとすれば大成功作です。
 が、読み終わって、やや冷静に振り返ったときに、いろいろギモンがぽつりぽつりと浮かんできた。実はかなり苦し紛れのトリックなんですよね。案外綱渡りなのでした(^^;
 まず、乗っ取られた水晶特急の人質でファッション雑誌の記者の主人公が、犯人の命令で、単線で対向車とすれ違うための3分程度の停車駅のたびに駅から雑誌社へ電話するのですが、必ず主人公が106でコレクトコールする。これなんて列車が到着する時刻は分かっているのだから、あらかじめ雑誌社からその直前に駅に電話すればもっとスムーズなのに、と思ってイライラしていたんですが、実はそうでなければ、この大トリックは綻びてしまうのでした(^^ゞ。
 途中のスイッチバックも、犯人に土地鑑がないから成立する不完全なもので、トリックとしては美しくありません。最後に捕まる犯人の行動がギクシャクしているのは、トリック成立にあわせて動かされているからでしょうね。ラストの幻想的シーンも、絵的にはありですが、リアリティ的には無意味で、そこへノコノコとやってくる犯人の行動もありえません。
 しかしこの大トリック小説で、死者が一人だけだったのは、近年のミステリの大量殺人傾向に逆行していてよかった(笑)。何やかやいっても、着地まで殆ど疑問を抱かせず、手に汗握らされたストーリーテリングは傑作の名に値しますね。読書会でなければ一生読まなかっただろう作品で、拾い物でした。

【註】SFではどんなに面白くても無理。ミステリだから可能だったと思います。ミステリ読みで年300冊なんて方は案外いますが、SF読みにはまずいません。それはそういうことでしょう。
 

「よろずお直し業」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月20日(火)21時25分15秒
   草上仁『よろずお直し業』(徳間デュアル文庫01、元版91)読了。

 地球なのか他の星なのか、どことなくエーゲ海的な古代を思わせる土地(星)が舞台。主人公はどうやら戦争で大怪我を負い、それまでの記憶を失っている。名前も覚えていない。気がついたらそんな状態で、しかしなぜか物の「生命」の<ネジ>を巻き直す能力を身につけている。
 それは壊れた「物」の時間を逆回しさせて壊れる以前の状態に戻す能力で、ネジを巻き戻された「物」は、しかしいつかまた壊れてしまう(巻き戻し加減による)。どうやら本人も、本当は死んでいるようで、毎日自分の心臓のネジを巻き戻して生きながらえている。
 その能力で「よろずお直し業」と書いた幟を担いで各地を回り、生業としている。本書は、その行く先々で、頼まれて行った「巻戻し」のゆくたてを、連作形式で描いたもの。

 いやーしみじみとよかった。この形式自体は、紋次郎と同じで、永久に書き続けられるものですが、著者はそんなことはせず、最終篇で、主人公の出自の謎が明らかになり、大団円を迎えます。この辺は「果しなき……」のラストを髣髴とさせます。
 上述のようにエーゲ海風古代世界で(人々は寛衣を身に纏っている)【註】、神が信じられ、実際神が人間界に影響も及ぼしており、その意味ではヒロイック・ファンタジーといってもよい。ヒロイック・ファンタジー好きの私にはこたえられません。
 ただし、ヒロイック・ファンタジーにしてはハートウォーミングで、個々の話はあまりひねりがない。このひねりがあまりなくあっさりしているのは、著者の近年の傾向で、これが単体の短篇だと、少し残念に感じたりもするのですが、本書の場合は、それがオムニバスで連なり、加えてラストに一応の謎解明がなされるので、不満になることはありません。
 むしろ単体での短所が、このような連作形式では、逆に紋次郎的な意味で良きマンネリズムとなって、長所と化しているようです。

 草上さんは、世評では短編の名手ですが、実は長編の方が著者に合っているのではないか、とひそかに思っているんですよね。ソノラマ文庫のスター・ハンドラー・シリーズも面白かったですし、新作で、スペオペとかヒロイック・ファンタジーのシリーズ長編を読ませてほしいんですけどねえ。

【註】文中で寛衣と明示され、舞台も古代風世界なのに、イラストでは、上下別の、ぴったりしたTシャツにひざ丈のパンツ姿でカバンをたすき掛けにして、まるで中学生みたいなんですが、実はそこそこの歳で、頭には白髪も混じっているんです。全く原文を読んでいないとしか思えません。いくら何でも安易すぎる。これならイラストなどない方がまし。
 

「トーク8」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月19日(月)23時01分30秒
   ブックオフにふらりと入ったら、筒井康隆『トーク8』(徳間文庫84、元版80)が100円棚に。早速ゲット。これは対談集でして、河野典生との対談が収録されているのです(「夜の神戸でジャズを語ろう」)。そのまま喫茶店に入って読了。二部構成(「第1ラウンド・1974年10月・神戸にて」〈初出「小説推理」75/1月号〉「第2ラウンド・1975年1月・東京銀座にて」〈初出「別冊問題小説」75/春季特別号〉)で、仲のよかったことがわかる対談です。ただ、対談しているうちに、それぞれがお互いを(良い意味に)「誤解」しあっていたことが、次第に読者には見えてきて、大変興味深い。実は当人同士もそれに気づき始めたと覚しく、第2ラウンドは、ちょっとジャブの出しあいになっているんですよね。面白い(^^;。そのせいかラストが、

筒井 もういいんじゃないのこのへんで……。
編集部 もうちょっとお願いします。
筒井 だんだん顔が歪んできた(笑)。
河野 そろそろ飲みに行きますか(笑)。


 となっていて、この会話の前に、しばしシラーッとした沈黙の時間があったことを窺わせます(^^;

 偽文士日碌の、「蜜月状態にあった交友時期のことは今でもよく思い出し」云々という言い方が、その後断絶もしくは冷却状態になったんだな、と強く示唆していて、へえっと思っていたので、ある意味納得したのでした。

 印象に残ったのは、河野が、ズボンはスジのついたのは嫌いで、革かGパンしか履かないんだと、「どうもスジが付いていると、身体にまでスジが入ってしまうような感じがするんだよ(……)それにしても、筒井は折り目正しい人間だなあ」(52p)、と皮肉だか何だかわからないツッコミで、筒井さんを往生させているんですが、それはさておき、河野のスクウェア嫌いは徹底していて、そこに私なんぞは惹かれるんですよね。たぶんスクウェア、ヒップという言葉を知ったのも、河野さんの作品かエッセイからだったと思います。

 一方、SFの認識は不徹底で、筒井さんが、「ぼくはSFというものを、ジャンルではなく、SF的な"物の見方"だと考えているんだね」(68p)との発言に対しては、的をはずした返事をしています。この時点では、例の国文学は出ていなかったみたいなので、ある意味しかたがないのですが。

 あと70pで筒井さんが、河野典生がエンターテインメントの枠内で純文学をやろうとしていることを立派といったあとで、「ところがそうじゃあなくて、シュールレアリズムのあげた成果をSFの中に持ち込んできている人がいるんだね。そうすると純文学を読んでいないSFの若い読者は、これこそSFの開花だと言って騒ぐんですよ。これは欺瞞だと思うね」と発言していて、言うまでもなく山野浩一なんですが、そのことは河野にもわかっていて、「あなたの言っていることはぼくにも良く解るし、賛成なんだ。ただ、ちょっと違うところもある。まあ、対岸の火事という感じもしないでもない(笑)。だから、それは置いといて(……)」(71p)、といなしているのも面白かった。

 コルトレーンとマクラフリンを並べて言及(61p)する作家なんてSF界、いや日本文学界広しといえども河野さんぐらいですよね。年齢的にはそんなに早逝というわけでもないですが、前世紀末から今世紀初頭にかけてあたりで、もうひと花咲かせてほしかったですねえ。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月19日(月)19時46分36秒
  > No.3524[元記事へ]

 修整しました。初稿も残してありますので比べて下さい。
 ちょっぴりラファティ(但しらっぱ亭訳の)も入って、私自身はよくなったと思うんですが(^^;。


「もっと光を!」
「あ、はい」
「もっと光を!」
「これでどうですか?」
「ぜんぜん見えない。もっと強い光を」
「うーん、じゃこれでは?」
 地球全権大使はペンを投げ出し「真っ暗でサインできないよ」
「でもこれが最大なんですよ。われわれにはまぶしすぎるほどだ」
「だーかーらー、波長400から800ナノメートルの可視光をだよ」
「客人よ、それは光ではない。電磁波だ」

 かくして調印式にまでこぎつけていた「最初の接触」は、散々な失敗に終わったのであった(でもほんとの理由は、大使の態度が、よろしくなかったからなんだよね)。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月19日(月)01時30分43秒
  > No.3526[元記事へ]

 海野さん
 おお、ありがとうございます。いいじゃありませんか!
 では、私も(笑)

「もっと空間を!」
 彼は叫んだ。
 地球人口は遂に一千億を突破し、人類はみな立って眠らなければならなくなった。
 眠りから覚めれば、鼻先にぬっと他人の顔がある。というか、つねに誰かの体と触れ合っている状態。
 ひしめきあった人のまさつ熱で温度も高い。40度、いや60度はあるんじゃないか。
 ――これじゃあ、うだって死んでしまう。
 「もっと空間を!」
 人々は叫んだ。

 一瞬、室内の照明がちかちかと暗くなった。
 おや、発電所長のエフ博士は顔を上げた。所員が小走りにやって来る。
「所長、熱死者が予想値より多く、発電力が低下しております」
「それはいかん。もっと繁殖力を上げてくれ」
「はっ」一礼して所員が去る。
 エフ博士は、立ち上がり、窓から地球を見下ろした。
 富豪宇宙コロニーの下に広がる、透明な覆いを被せられた地球は、たちのぼる熱気でかげろうのように、ゆらゆら揺らめいていた。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月19日(月)00時20分33秒
  > No.3524[元記事へ]

即興ショートショートのお時間です。
とりあえず書いてみて、物にならなければ削除します(笑)


「もっと闇を!」
彼は叫んだ。声にならない声で。
「もっと闇を!俺たちには闇が必要だ」
都市は年々明るくなり、闇の住人たちを追いやった。
邪悪なものたちは既に去り、夢見るものたちも姿を消した。
そして今、安らげるものたちさえも追いやられようとしていた。

永久照明建材の普及によって街の隅々までが完璧に明るくなったその日、人々は感じた。
自分の中に確かにあった言葉にはならないが、生きて行く為に無くてはならない何かが永久に失われてしまった事を。
それがなぜなのかは誰にもわからなかった。
 

「天の守護神」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月19日(月)00時05分27秒
   

 初期サンタナ、やっぱりいいですねえ。私が持っているのはサンタナVまでからのベスト盤(ゴールドディスクシリーズのやつ)なので、このアルバム自体を完聴するのは初めてのはず。単なる短編集かと思っていたのですが、ちゃんとトータルアルバムになっていたんですね。これはおみそれしました。キャラバンサライで変身したとは一概に言い切れないなあと思いました。
 あと思いだしたのは、この時代のアルバムって、ジャケット絵が素晴らしいのが多く、購入決断を後押ししましたよね。横尾忠則の「アミーゴ」はジャケ買いしましたが、この絵もインパクトがありました。まあLPだったからで、最近のCDのチマチマした絵柄では、どんな名作も映えませんよね。
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月18日(日)18時50分36秒
  「もっと光を!」
「よしわかった」
「もっと光を!」
「これでどうだ?」
「やっぱり見えない。もっと強い光を」
「うーん、じゃこれでは?」
 地球全権大使はペンを投げ出し「真っ暗でサインできないよ」
「でもこれが最大なんだよ。われわれにはまぶしすぎるほどだ」
「だーかーらー、波長400から800ナノメートルの可視光をだよ」
「客人よそれは光ではない。電磁波だ」
 かくして調印式にまでこぎつけていた「最初の接触」は、散々な失敗に終わったのであった。
 

Re: 五木版「風の王国」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月18日(日)01時15分38秒
  > No.3521[元記事へ]

 昨日書き足りなかったのでもう少し。ケンシ一族(いわゆる山の民)の経済的基盤を担う射狩野グループの総帥・射狩野冥道は、一族の開明派・近代派であり、経済的実力でケンシ一族の衰亡を食い止めようとしており、いわば、日本沈没の山本総理とか渡老人に相当する人物です。ポジション的には田沼意次ですな。田沼を否定するのか、評価するのかというのは史観です。本篇ではこの人物、いともあっさりと、昨日引用した「ゼロに帰ればいい」とする原点回帰派(原理派)というべき葛城天浪派の鉄砲玉(とは厳密には違うのですが)竜崎に狙撃され殺されてしまう。渡老人も残留組でしかもそれ以前に亡くなってしまうのですが、それとは意味が違います。対比的に実に面白い。ここにははっきりと、近代派の小松左京と反近代の五木寛之という理想(史観)の差異が集約されているように思います。平谷さん的に言うなら弥生人小松と、縄文人五木となるでしょうか。

 ついでに半村良との対比で言いますと、どちらも伝奇小説ではありますが、ぜんぜん違うタイプのそれです。おそらく半村さんならば、堺県令・斎所厚(当時の堺県は和泉河内大和を併せる大県)の指令でその右腕・縄岐要介が二上山のサンカ(ケンシの蔑称)を使役して仁徳天皇陵から無断で或る「物」掘り出す場面から、物語を始めるんじゃないでしょうか。そしてその「物」(お宝)が重要なストーリーを引っ張るモチーフとなっていく……。本篇はそうではなく、実際のところその「物」が何だったのか、最後まで不明のままなんですね。ですから半村さんの領土を掠めたと書いたのは全くの予断でありましたm(__)m

 閑話休題。本書によれば、ケンシの中でも箕作りの一族というのがあって、かつて農家の必需品であった《箕》の修理と生産を専業とし、山林や渓流にキャンプしつつ移動し、その先々の村や里を回りながら《箕なおし》つまり修繕をして村人たちにその来訪を待たれていたとのこと。
 で、「あ、これって草上仁さんの『よろずお直し業』やん!」と気づいた次第。ということで引っ張り出してきました。まだ読んでなかったのでした。丁度よい機会なので、次の読書は『よろずお直し業』にしましょうか(笑)。
 

サーカスききくらべ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月17日(土)20時47分35秒
   

 私は、小室等は勘違いしている、というよりも、解釈できていないと思うのですが、いかがでしょうか。センスといってしまえばそれまでですけれども。
 

五木版「風の王国」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月17日(土)00時46分50秒
   五木寛之『風の王国』(新潮文庫87、元版85)

 一気読了(いやまあ実際は足掛け3日かかったのですが)。さすがに面白かった。要らん敵視などせず、もっと早くに読んでおくべきでした。
 これは(意図してはいないでしょうが)結果的に小松左京(あるいはSF)へのアンチテーゼになっていますね。小松左京といっても、象徴的には「日本沈没」の小松左京。小松は「日本」という愛すべき国土そしてその「国」民が持続するべきだとして、そのためには「現」体制が(沈没後も)維持されることが必要と考え、あのストーリーになりました。つまりテーマは「守る」ということ。
 一方、本篇のテーマは、扉にあるように「一畝不耕 一所不住 一生無籍 一心無私」であります。つまり「土地や私欲から自由」な人々の話。「守る」のではなく「捨てる」ことから生きる人々の物語なんです。

「わたしたちは、本来、無一物の生き方を大切にしてきた一族ですもの。振り出しに戻ってメンメシノギで最初からやり直せばいいのよ。大きくなりすぎた体を、自分たちの手で切り捨てる。前進をやめて、意志的に後退する。権力に頼ることをやめ、無力の民として生きる。わたしたちは、一所不住のケンシなんだわ。取ることをでなく、捨てることを知っている素晴らしい一族よ」(501p)

 実は小松左京もSFも、沈没以前はそうだったんですよね。だから小松は、沈没の続編を書き継げなかった、という面があるのではないか。あからさまに現状維持することについては、アンビバレンツな気持ちがどこかにあったに違いない。ただあの作品以降の、新しい作家によるディザスター小説は、おおむね、現体制維持をアプリオリに疑わない小説になっているように思います(もちろんそれは、近年の「読者」を反映しているからなんですが)。沈没の、功罪でいえば罪の影響ですね。なぜ現体制は維持されなければならないのか、そのスペキュレーションはなく、ただ現在あるものだから、というにすぎない。天皇制の議論と同じで、天皇制は続かなければならない、というアプリオリが無反省に議論の原点になっています。少し考えれば天皇制ほど、皇族の人々の人間性を疎外し踏みにじっている制度はないんですけどね。

 補遺。司政官シリーズはどうなのか。あれも守りの小説ではないのか。一見そう見えます。でも違うのです。実際のところ司政官は引き裂かれて苦悩する話がほとんど。守るべく赴任してきた行政官僚が、守ることの不毛、無意味に気づき、疲れ敗退していくのです。

  
 

Re: あ、間違えた

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月16日(金)20時58分20秒
  > No.3519[元記事へ]

 平谷さん

>同盟関係のように見えますが実は日本は渤海を属国扱いしてたんですよ
 あ、そうでしたね。でも日本だって実際はアメリカの属国ですが、いちおう日米同盟ですから(>おい!)(^^ゞ
 うむ。だんだんと霧が晴れてきましたよ。日本へ遣日本使として、もしくはその随行員としてやってきた渤海人(の若者)が日本で辱めを受け、帰国するんですよ。物語はそれから始まるんですよね、きっと。いや妄想ですが(^^;
 しかしそれにしても、平谷さん、もう、ストーリーを語りたくてうずうずしてますね(笑)。よほど面白く仕上がっているんでしょうね。待ち遠しいです!

>【ユーディット]V(ドライツェーン)】
 ニッポン男児が画家で、ユーディットとくれば、これはもうクリムトをめぐる冒険に間違いなし。13というのがわかりませんが、それは読んでのお楽しみですね(笑)

 追記。読み返して、しかしまあ勝手なことを書いていますね。出版前の大事な作品で遊んでしまい、申し訳ありませんm(__)m
 

あ、間違えた

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 3月16日(金)17時37分24秒
  「今日に入るのを禁じたり」→「京へ入るのを禁じたり」でした。
すみません。
そうそう。
ドイツ舞台の冒険小説は【ユーディット]V(ドライツェーン)】というタイトルです。
主人公はニッポン男児。画家になる夢を壊された男です。
 

日本と渤海

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 3月16日(金)17時33分34秒
  日本と渤海、同盟関係のように見えますが実は日本は渤海を属国扱いしてたんですよ。
挨拶の文書が間違っていると突き返したり、インフルエンザが流行るのは渤海人のせいだと、今日に入るのを禁じたり、貢ぎ物の契丹大犬だけを受け取って使者は追い返したり。
遣渤海使もはじめのころは出していたのですが、途中から中断。渤海から来る遣日本使を受け入れるのみ。
上記は資料にあることですが、物語は【義経になった男】よりも虚実が入り乱れて進みます(笑)
 

Re: 【風の王国】

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月16日(金)13時37分37秒
  > No.3516[元記事へ]

平谷さん

 渤海が関わっているとなると、10世紀初頭ですね。10世紀初頭で東日流、渤海、契丹を繋ぐもの? うーん、見当もつきません。日本と渤海は同盟関係ですから、東日流がそれに対抗して契丹と組んだ? なんてことも聞きませんしねえ。いわゆる歴史小説の形式である著名人物に託して国家や政治的流れをえがくと言うよりも、それは遠景で、10世紀環日本海を舞台にした無名個人の冒険譚みたいな感じかな(あ、交易小説かも)。いや妄想はとどまることを知りません(笑)。楽しみです。
 きびすを接して上梓されるというナチス・ドイツ舞台の冒険小説(当然ニッポン男児が主人公なんでしょう?)も面白そう。こちらも楽しみにしております。
 

【風の王国】

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 3月16日(金)01時05分18秒
  チェック、ありがとうございます♪
【風の王国】はおおよその「流れ」も含めて先方の提案であります。
日本、東日流、渤海、契丹あたりが絡んできます。
もう少しすると、「第二次大戦中のドイツを舞台にした冒険小説」の告知ができそうです。
【風の王国】第1巻の翌月あたり、でしょうか。
そちらもお楽しみに。
 

海野さん、平谷さん、益川さん

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月15日(木)18時16分44秒
  > No.3514[元記事へ]

 海野さん
>「宇宙恐怖物語」
 おお、やっぱり最初から短い話がお好きだったんですね。納得ですねえ(^^;。

 さてここで、平谷さん最新情報。4月6日、平谷さんの新作歴史大作『風の王国』の第1巻が、ハルキ文庫より発売とのことです!→http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/next/
 大長編ということで、何巻になるのかわかりませんが、文庫で出してくれるのはとてもありがたい。財布にもやさしいのですが、それ以上にポケットサイズで片手で持てて満員電車で困らないのがまずうれしいですね。『ピース・オブ・ケーキと……』はソフトカバーで少しはましだった(折り曲げられるから)とはいえ、外読みにはやはり不適で難儀しましたから(笑)。
 「風の王国」ときいて、ただちに想起されるのは、五木寛之の同題長編。五木さんの代表作の一つですよね。これにわざわざぶつけるとは、平谷さん、会心の自信作とみました! そういえば五木作品は、山の民がテーマでした。としますと、前作『義経になった男』で金売り吉次を山の民に設定した平谷さんですから、当然テーマでも競合しているはず、と私は見た(^^;
 でも、あれ? ブログによると、「10世紀の日本と大陸を舞台にした冒険活劇」となっていますね。10世紀中国といえば五胡十六国です。遼東は渤海、遼西なら契丹。朝鮮は高麗。日本は将門と純友の乱がありました。当然主舞台は奥州でしょうから、これは将門がくさい(笑)。純友が海人族を糾合したのなら、将門が山人族に支えられたとしてもおかしくないですから。ただ大陸との関係がわかりません。いやごちゃごちゃ考えずとも読みゃあいいわけで、わが予想どこまで当たっているか、わくわくします。でもあと半月あるのか。半月は長いなあ!
 まあいいか、その間に事前知識で五木版を読んでおこう(>読んでなかったのです。出版当時、半村さんの領土掠めやがって、という反発があったので)、と思って探したが見つからない。そうだ。前々回だか前々々回の蔵書整理で五木本は未読も含めて一切売っ払っちゃったんだった。と愕然としたのが昨日のこと。仕方がないので今日、ブックオフへ寄って購入してきました〜。こっちも楽しみ(笑)。

 ということで(どういうことだ)、益川敏英『素粒子はおもしろい』(岩波ジュニア新書11)読了。新書はすぐ読めちゃいますね。最新宇宙論を読む際、どうもミクロの世界のふるまいの知識(の不足)がネックになっていることが明らかになって来たので、まあ俺にはジュニア新書が丁度よいレベルだろうと手にとったのだが……エッセイだった。うーん。ミクロの世界に興味を持った中高生が潤沢とはいえないお小遣いで清水の舞台から飛び降りる覚悟で本書を買ったとしませい。その子のショックやいかばかりか。いくらノーベル賞受賞者とはいえこれはない。著者よりも編集部に猛省を促したい。

 
 

Re: 「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月15日(木)00時53分15秒
  おおー、そうそう。
中学時代に読み始めたハヤカワSFシリーズの中の一冊「宇宙恐怖物語」
あれはもう夢中になって読みましたねー
時間を忘れてずるずると、もう一編、もう一編と止まらなくなる。
ああ言う夜がもう一度訪れないかと思いますね。
 

Re: 「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月15日(木)00時44分9秒
  > No.3512[元記事へ]

 海野さん

 遅さにかけては私も負けていませんよ(笑)
 この本も、2月25日に着手ですから、おおかた3週間かかっています。集中力がなくなりましたね。よほど乗ってこないと、30分持続しません。子供の頃は気がついたら2時間、3時間はざらに経過していたような気がします。(新書はすぐ読めてしまいますが、小説は……)
 ショートショートを書き始めると、一気に読書量は激減してしまいますよね。両立はできないみたいです。
 

Re: 「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月15日(木)00時27分1秒
  > No.3511[元記事へ]

「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」というのは、小説に関する評論か何かかと思いながらいたんですが、金井美恵子さんの小説なんですね。
金井美恵子さんの本は何冊か持っています。
「単語集」も有りますが、ほとんど読んでいないような気が…(笑)
また読んでみますね…とは言うものの本を読むスピードの遅くなったこと。
もともと遅かったのですが、更に遅くなっていますからねー
遅い上に、すぐに眠くなるしねー、どうしょうもないです。
 

「ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月14日(水)20時25分38秒
   金井美恵子『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(新潮社12)読了。

 最初筆法に面食らいました。初老の作家である「わたし」が記憶をたどるうち、記憶の中の母が、伯母が、祖母が、またそのなかで、記憶をたどり始め、意識の流れ的に思い出すことを語り始め、その母や、伯母や、祖母の記憶の中の、「わたし」についての記憶が、また「わたし」の記憶を引き出していき、その、子供である「わたし」から見えた、「わたし」によって思い出された母や、伯母や、祖母や父親の姿は、初老の「わたし」が思い出した母や、伯母や、祖母や父とは微妙にずれており、それはまた父が転がり込んだファムファタルの手紙の父とも異なっているのだが、それらはそれぞれ、整合性もなく矛盾を含んだまま思い出され、もちろん記憶とはそういうものなのだけれど、ひとつらなりのセンテンスのなかで(いつの間にか語り手も変わっていて)シームレスに移り変わっていくのですから堪りません。そんな世界を、独特の蜿蜒たる、とんでもなく息の長い文体で語られると、読者である私自身が、ぼんやりと考えごとをしながら運転していると、というか脳を通さずに身体に任せて運転していて、ふっと我に返った時、おや、ここは一体どこ? という、見覚えのない、よそよそしい、どこか別の街中を走行しているような、そんな心細い感覚を、一瞬覚えて、エアポケットのようにふわっとなることがあって、もちろんそれは錯覚で、「猫町」の類なのですが、それと同じような、一種奇妙な不安感とくすぐったいような酩酊感にとらわれてしまう、そんな効果があるようで、不思議な語りを堪能しました。
 本書が、『単語集』のトゥワイス・トールド・テールズ「でも」あると聞いたので、取り出してきてぱらぱらめくってみたのですが、たしかに砂岩丘の傾斜の中腹にまゆみの生垣で仕切られた家々があみだくじのように拡がるこの土地は、単語集と同じであるように思われます。センテンスもコピペ同然の部分もあり、登場人物は似ているようで細部は異なっていて、SF的にいえば平行世界でしょうか。それもそのはずで、トゥワイス・トールド・テールズが再現するのは、トゥワイス・トールド・ワールドであって何の不思議もありません。
 エンタテインメント小説の既視感とは真反対な、初めて出遭うトゥワイス・トールド・テールに酔いました。
 

海賊盤スノーグース

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月13日(火)21時55分4秒
   

 「スノー・グース」がまるまる入った、オリジナル・カルテットによるライブ盤。ほぼスタジオ録音通りの演奏なんですが(ライブでスタジオ録音と同じ事をやる是非は別にして)、プログレバンドの中では甘く見られがちなキャメルですが、テクニックは確かである(スタジオ録音がカサ上げではない)ことがこれでよくわかりました。録音が拡がりが悪いですが、カルテットのみでのスノーグースは聴き応えあり。
 ところでこのアルバム、ウィキペディアには記載がないんですよね。アマゾンで検索しても出て来ません。録音ももひとつだし、ひょっとして海賊盤? そういえばコメントでもこれは何?と聞いている人がいますね。
 で、ちょっと調べてみました。
 キャメル73-75ゴッズ・オブ・ライトというアルバムがあり、そのライナーノートによりますと、このアルバム、海賊版が音源で(その経緯についてはライナーノート参照)、収録曲にExcerpts from The Snow Goose(from BBC Radio One in Concert 1975)というタイトルが見えます。
 Excerptsって何かと辞書を見たら「抜粋」でした。
 てことは、おそらくこのユーチューブは「抜粋」の元になった完全版で、公式にはリリースされていないものということになるのではないでしょうか?
 いやー、ユーチューブ、倫理的な問題はさておいて、素晴らしいですなあ(^^)
 

Re: レス

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月12日(月)22時27分52秒
  > No.3508[元記事へ]

 雫石さん
 ご賛同いただけてありがとうございます。
 先日も書きかけて、「おーい、出てこーい」と比較しようとしたまま、途中で話がそれていってしまいましたが、雫石さんの作風といいますか、ショートショート作法って、「ストーリー」なんですよね。
 高井さんの分類で、「ショートショート」の下部概念として<ショートショート>(狭義)と<掌編>を区別していたと思いますが、それでいうと、掌編です。別の見方をすれば、<ストーリー>と<プロット>の区別ですね。

 <ストーリー>は時間線に従うので、その都度その都度でどう決断し選択していったかを記述するものと言い換えられます。
 選択するとは、その他の可能性を捨象してしまうということです(もっともイーガンに言わせればすべての可能的分岐は捨てられたわけではなく実在しているということになるわけですが)。
 そういう構造を持つ雫石作品は、原理的に、読者に、他の可能的分岐を想像させずにはおかない。つまり二次創作への誘惑を、そもそも構造的に内在させているのが、実に雫石ショートショートなのではないでしょうか。
 これは雫石さんにかぎらなくて、この形式の作品は、優れていればいるほど、上記二次創作(そこまでいかなくとも「二次想像」)へと読者を誘引するのです。
 最後の行まで来た読者は、そこから遡行的に全体を振り返って読書を完了するわけですが、優れた作品は、その際に、読んだストーリーとは別の、他の可能性(可能的分岐)に思いを馳せさせずにはいない。それは謎があるということでもあり、だから優れた作品を読むと豊かな読後感があるわけです。
 その意味で、私や海野さんは、それに「釣られた」といっても良い(>おい)のですが、それはとりもなおさず「倉田看護師の手」がすぐれたショートショート(掌編)である証でもあるということなんだと思います。
 雫石作品でみなさん評価するのが「海神」シリーズですが、それはシリーズのテーマが「人生」だからで、「或る人生」ほど、「別の人生」(別の分岐)を読者に想像させないものはないからだと、私は分析しているのですが、さて、どんなもんでしょうか(^^;

 ということで、『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』は、270頁。

 あと、佐藤勝彦『宇宙論入門――誕生から未来へ(岩波新書08)を読了。
 

Re: レス

 投稿者:雫石鉄也メール  投稿日:2012年 3月12日(月)20時26分43秒
  > No.3507[元記事へ]

>雫石さんがそんなことを気になさるとは到底思えません。ご自由にどうぞだと思います。ね、雫石さん?(笑)

そうです。拙作にて自由に遊んでくだされば、私もうれしいです。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: レス

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月12日(月)14時14分8秒
  > No.3506[元記事へ]

 海野さん
 や、ご投稿ありがとうございました! これでもなかなかいいと思いますけどね(^^;。おっしゃっているような修整は下の編集・削除ボタンから簡単に出来ます。私など気がつく都度修整しています。いったん投稿した文章は触ってはいけない、などということは本板では全くないので、よろしければご利用下さい。
 でも完璧なものにしたいという欲求は創作者として当然ですよね。オリジナルにインスパイアされて書かれたものこそ、トゥワイス・トールド・テールズでありますから、ぜんぜん問題ないのでは? 雫石さんがそんなことを気になさるとは到底思えません。ご自由にどうぞだと思います。ね、雫石さん?(笑)
 実際、そういう経緯で生まれた作品は山とあって、澁澤龍彦なんかその筆頭ですが、それで非難されたなんて聞いたことがありません。

 私のやつも、オリジナル前半に接ぎ木する形ですが、(私は海野さんと違って後ろから作っていくのが多いですが)後ろから作っていく立場からは、やはり不自然になっており、前半もオリジナルにしたいという気になってしまいます。私も一から作りなおさせてもらおうかな(^^;
 

Re: レス

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月12日(月)08時35分52秒
  > No.3505[元記事へ]

おはようございますー

読みなおしてみると、ちゃんとした形にしたくなりました。
主人公の名前を変えて、前半もほぼオリジナルにして完成させてみようと思いますが、よろしいでしょうか?雫石さん。
 

Re: レス

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月12日(月)02時04分44秒
  > No.3504[元記事へ]

ぎゃー!
更にミステーク。
小川医師がいつの間にか小林医師になっちゃってるう〜(笑)
 

Re: レス

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月12日(月)02時02分23秒
  > No.3503[元記事へ]

わおー、ミステーク。

>  あの日手術が終わり、乗っていた私は人気のない道路を自転車で家に帰る彼女を見かけた。

「車に」が抜けていましたね。
全く校正せずに投稿してしまいました。

あの日手術が終わり、車に乗っていた私は人気のない道路を自転車で家に帰る彼女を見かけた。
 

Re: レス

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月12日(月)01時53分24秒
  それではお言葉に甘えさせていただいて。
雫石さんの前半をそのまま生かして、後半を書いてみました。
雫石鉄也さんオリジナルはこちら→倉田看護師の手


「倉田亜由美看護師は、あなたの手術のあった日、病院から帰宅途中、交通事故に遭って亡くなりました」
 彼はその場に崩れ落ちた。ひざを床につけ写真に手を合わせた。長い間手を合わせていた。肩が震えている。泣いているのだろう。ずいぶん長い間、その姿勢のまま、そこでうずくまっていた。
 気がすんだのか、ふらふらと立ち上がってペコリと頭を下げた。
「ありがとうございました」
 泣きながら帰っていった。

 倉田亜由美が死んでから、同じような内容の手紙が2〜3通は来ただろうか。それを最後に当然のように途切れてしまった。
 しばらくの間は。
 そう、またポツリポツリと当医院で手術をした患者からのお礼の手紙に「手術中にずっと手を握っていてくれた看護師さん」に対する感謝の気持ちを綴った物が現れ始めたのだ。
 手術のスタッフに聞いても、そんな覚えのある看護師はいなかった。看護師不足の昨今、必要最小限の人員で手術は行われる。一人の看護師がかかりっきりで、ただ患者の手を握る続けるなどそんな余裕はないはずでもあった。
 「倉田亜由美は今でも手術室にいるのかもしれないな」
そう言ったのは小川医師だった。
「先生は手術中に彼女の存在を感じませんか?」
「私が?いやいや、そんなことはないよ。私には全く霊感はないからね」

 「手を握ってくれる看護師」へのお礼の手紙もその後、また次第に数が減り、全く来なくなった。そして何年もが過ぎた。
 私は現役を退き、隠居生活に入ろうとしていた矢先、家で倒れた。
 激しい頭痛と吐き気がした。その症状から私は皮肉にも私の専門とする脳の病気、くも膜下出血だと自分で判っていた。朦朧とした意識の隅で妻が救急車を呼ぶ電話をするのが聞こえた。

 私はかすかに意識を取り戻していた。かすんだ視界には小林医師の顔が見えた。
 「先生、お任せください」
 自信に満ちた声だった。私は安心しきっていた。そう、彼が執刀するならば何の不安も感じなかった。
 その時私は突然に倉田亜由美の事を思い出していた。

 私と倉田亜由美は当時、不倫関係だった。妻にそれを疑われ始めていたし、私の方が飽きかけていたのに倉田亜由美は別れ話を受け入れなかった。それでつい魔が差したのだった。
 あの日手術が終わり、乗っていた私は人気のない道路を自転車で家に帰る彼女を見かけた。いっそこのまま後ろからぶつけてやろうかという気持ちがむらむらと湧きあがり、ついアクセルをふかしていた。
 ぶつかりはしなかったのだ。エンジン音に振り向く彼女の直近で車は止まったが、驚いた彼女はガードレールに自転車をぶつけ、そのまま下の道路に落下して意識を失った。
 救急車を呼んでいれば助かったかもしれない。

 麻酔によって意識が薄れて行くその時に私はそっと私の手を握る暖かい手を感じた。
 私は恐怖に震えた。そして、胸が苦しくなった。
「どうした?!」
と言う小林医師の声が聞こえた。続いて女性看護師の声。
「心臓まひです!」

おわり


結末は書いて行きながら考えると言う、ツイッター小説の時のパターンです。
 

Re: レス

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月12日(月)00時22分42秒
  > No.3501[元記事へ]

>いかように、いじっていただいても結構ですよ。
 ではお言葉に甘えまして(^^;

   ――――

「やれやれ、これで一件落着だ」と医師がほっとしたように言った。
「倉田さん、亡くなってからも助けてくれるのはありがたいんですけど、やっぱり気味悪いんですよね」
「これこれ、この部屋にいるんだから」
「あ、すいません」
「でも、本人のためにも、早く成仏してほしいよなあ。なむなむ」
 と、医師はスタンドの写真に向って手を合わせた。
「せ、先生〜!」
「うん?」
 医師は顔を上げた。光の反射で、ちょうど写真立てのガラスに医師の姿が映っている。その両肩には、白い、やわらかい手が、やさしくそっと添えられていた。

   ――――

 うーん。やっぱりオリジナルにはかないませんなあ(^^;
 

Re: レス

 投稿者:雫石鉄也メール  投稿日:2012年 3月11日(日)22時44分43秒
  > No.3500[元記事へ]

>  あ、あまり酒の肴にしていると、雫石さんが怒って乗り込んできそうなのでこの辺にしておきましょうか(^^;

怒りませんよ。
拙作をいかように、いじっていただいても結構ですよ。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月11日(日)18時35分24秒
  > No.3497[元記事へ]

 雫石さん
>私もまぜてもらっていいですか。
 どうぞどうぞ、大歓迎です。覚えておられることなどありましたら、ぜひ。
 そういえばブログでは創研以降の情報はいろいろ読ませてもらっていますが、直接的なチャチャヤン関係はまだあまりないような(勘違いかもしれませんが)。どんどん思い出していただきたいです(笑)

> No.3498[元記事へ]

 ogawaさん
 マリアンヌ・フェイスフルとは懐かしいです。でも検索してわかりましたが、「やわらかい手」というのは近作なんですね。ストーリーを読んだ限りですが、この映画を想起されたというのは、いかにもogawaさんらしいと思いました。
 雫石さんの作品、海野さんもそう感じておられると思うのですが、いろんな展開を考えさせられる作品なんですよね。「おーい、出てこーい」は、あの終わり方しかないという作品ですが、そういうタイプのショートショートではないんですよね。
 私は手術室の呪縛霊(良い意味での)みたいなものが結末に用意されているんではないかなと思いながら読んだので、あの結末は意外でした(私の予想では、同僚がふと見ると、医師の両肩に両手が乗っているという結末でしたが(^^;)。
 その意味で、ホラー超自然的なものを匂わせておいて、あの結末に持って行ったのは雫石さんのテクニックですね。
 その手の持ち主が、患者には見せられない、見たら卒倒するなにかクトゥルー的な存在だったというのも面白そうです(あるいは卒倒させておいてそれがなにか示さないとか)。
 あ、あまり酒の肴にしていると、雫石さんが怒って乗り込んできそうなのでこの辺にしておきましょうか(^^;
 

Re: 倉田看護師の手

 投稿者:ogawa  投稿日:2012年 3月11日(日)08時57分47秒
  「柔らかい手」→「やわらかい手」でした。申し訳ありません。  

倉田看護師の手

 投稿者:ogawa  投稿日:2012年 3月11日(日)08時45分27秒
  雫石さん、おはようございます。「倉田看護師の手」看護師としては落第だった、という記述から「柔らかい手」という映画を連想してしまいました。主演のマリアンヌ・フェイスフルはCD持っていますが、味のある歌い手なんですけど。
海野さんや管理人さんが、素敵なホラーを連想して行くのに対し、わたしは「我が家」です。お恥ずかしい。
 

Re: お詫びと訂正

 投稿者:雫石鉄也メール  投稿日:2012年 3月11日(日)04時48分3秒
  > No.3496[元記事へ]

なんか、チャチャヤングの同窓会みたいになってますけど、私もまぜてもらっていいですか。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

お詫びと訂正

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月11日(日)03時29分2秒
  > No.3495[元記事へ]

 わ、また間違えた。

 深田亨さん

 でした。申し訳ございません。
 もう完全に間違えて記憶してしまっているなあ。辞書登録しているのに、それをまた(無意識に)変換してしまっているのでした。訂正してお詫びいたします。深田さん、本当にごめんなさいm(__)m

 山野浩一さんの追悼文→「河野典生さん」

 らっぱ亭さんのツイッターで知る→SFマガジン覆面座談会
 私もコピーを持っているんですが(どこかにあるはず)、今、かなり入念に(数十年ぶりに)読み直しました。
 結論。
(Bが稲葉明雄で確定として)A=福島正実、C=石川喬司、D=伊藤典夫、E=森優。
 これでまず間違いありませんね(愛蔵太さんもそう感じているみたいですが)。かなり自信あり。だからwikioedia(最相説?)は間違い(シャッフルされているという説もありますが、それはないと感じました)。
 

私の「ここから始まる」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月11日(日)00時16分15秒
   ほんのつい先日、深田亨さんのブログを見つけました。遅い、遅すぎますね。申し訳ない。で、今日ようやくつぶさに読んだのですが、はじめて書いたショートショートを載せてはる。
 そうか、そういうことをしてもいいのか! では私も(>おい)(^^;

 この処女作(笑)、たぶん中学2年生(1969年)の7月ごろに書きました。と言えるのは、中学二年のとき同じクラスだった友人に見せたという記憶が残っているからです。ですからチャチャヤング以前の作品。したがってチャチャヤングに投稿していません。
 お読みくだされば一目瞭然なように、光瀬龍の完全なるパクリです(^^;。深田さんはブラッドベリだったようですが、私は、この頃は光瀬龍にずっぽりと浸かっていたのでした。
 あと、投稿しなかった理由として思いつくのは、「3」の後半の叙述がキリコの文章の引き写しなんですね(汗)。それを気にして投稿しなかったのかも。つまり私は、最初の最初から、(良く言えば)「ブッキッシュ」(実は二次創作的)であったわけですなあ。はっは。
 この作品、二年前に、時空概念とかが無茶苦茶なのを訂正して書き直しかけたのですが、結局挫折。もうあきらめたので、原文を(どうしても我慢出来ないところ多少触りましたが)そのまま公開いたします。

   黙示録 (10枚)

      1
 あの出来事があってから数年後、人々は白昼にもまぶしく輝く『超新星』とおぼしきものを目撃した。
 ファンもまた、『退役宇宙開拓者の家』の、彼の個室のベッドの上から、それを眺めていた。『退役宇宙開拓者の家』に収容されている者たちは、現役宇宙開拓者からは敗残者として蔑視されていた。宇宙開拓に失敗して送還されたものや、事故で片輪になった者たちが、宇宙航行不適格者のらく印をおされて、ここに収容されているのだった。
 ファンも、あの事件が起るまでは、一等巡視員として、最前線で活躍し、将来も期待されていた。
 ファンは、うすれゆく意識の奥で、あの出来事を思い出していた。

     2
 巡視船のレーダーは、巨大な物体を捕らえた。ファンはいぶかった。こんなところに天体はなかったはずだ。
 彼は、予定航路を、その物体の方向へはずれた。
 やがて物体が肉眼で見える距離にまで接近した。それは、巨大な、完全な球体だった。そして、それはこう漠たる宇宙の果てから何十何百年の旅をして、はるばるやってきた幾千億の星くずの光を、そのなめらかな表面で、反射していた。
「これは人工物だ。しかし太陽系から何光年もはなれているこの星域にどうしてこんなものがあるのだろうか?」
 彼は、宇宙服に着替え、船外に出た。
 満天にばらまかれた幾千億の星くずが、急に輝きをましたように思われた。
 上も下も、前も後ろも、右も左も、星、星、星、の完全なる静寂の世界が、ファンの眼前に展開されていた。
 ファンは、首を回して球体を見た。それは厳然として暗黒の虚空に浮かび上がって見えた。
 彼はそれに向かって泳ぎ出した。数分後、彼はその球体の表面に到着した。それには弱い引力があった。出入り口を見つけるために、歩き出した。
 しばらくすると、球体の湾曲した地平線に、丸い穴を見つけた。それから数分後、彼は表面に垂直にあいている直径五メートルほどの穴の前に立った。ぽっかりとあいた円形の穴の中は、全くの暗やみだった。
 ファンは、その中をずんずんと進んでいった。携帯用電燈の光をも完全に吸収してしまう、真の暗黒の中を彼は進んでいった。
 どこまでも、どこまでも、彼の周囲には、暗黒の壁が連って続いていた。
 ファンは、この穴が無限に続いていて、永久に出られないのではないか、と思った。
 忘却の暗黒の中に、一点の光を見出したとき、ファンは、ほっとため息をついた。
 一つの光の点でしかなかった出口が、だんだん広がってその向うの宇宙空間が見え出してくると、彼はある疑惑を感じ始めた。それは、出口が近づいてくるにつれて大きくなってゆき、雄大な、荘厳な、『銀河』が見えた時、確信に変わった。

     3
 それは、彼が見慣れていた『天の川』の流れではなく、渦状星雲そのものだったのだ。
 ファンは、その時はっきりと、その球体の真の意味を知った。
 彼の体内の時間の組み立ては、故意にゆがめられた『時間と空間の接点』を通過したことにより、全く変化していた。
 彼の目には、銀河系が自転しているのが、はっきりと解った。そして、その自転は、ファンの体内時間の変動が大きくなるにつれ、徐々にだが、確実に速度を増していくように見えた。
 今や全く彼の体内時間は無限に近くなっていた。もう、銀河系は、その何十本の腕を識別できなくなっていた。赤、黄、青、白、あらゆる星の色が混じり合い融け合って、この世のものとは思えない。回転はますます早くなったように見え、ところどころで何か爆発のようなことが起きていた。
 ファンは、目をこらしてみたが、彼の体内時間では、全くその正体をとらえることは無理だった。
 はじめはわずかだったそれも、しだいに増えてきたようだ。
 その時、ファンは、今では、異様な美しさをたたえた円盤に変化した銀河の奥底に、なにか、内的な、現実を超越したものを感じた。それは、人類が今まで、その存在を完全に無視していた世界のある種の様相が、いっさいの神秘を啓示しながら、彼の前に瞬間に立ちはだかったかのようだった。
 それは、常に手に届くところにありながら、人間の視野があまりに狭いために見ることができず、五感が正当に発達していないために感じることができなかった何者かだった。
 その死せる声は彼の間近から聞こえてくるのだが、まるで、銀河の奥底からのうめき声のように聞こえるのだった。
 彼はすべてを了解した。そして、そのまま身をひるがえし、穴の中へ戻っていった。ちらっと振り返ると爆発は、ますます広がっていた。

     4
 急がなければならない、とファンは思った。
 暗黒だけが唯一の存在である穴を、彼は、ものすごいスピードで進んだ。体内時間は、ますます無限に近づき、彼の目は、何も見ることができなくなってしまった。
 その瞬間、彼の体内から、時間という概念が失われた。
 しかし、現実を超えた何者かに一瞬であったが触れたファンには、それは予想されたことだった。
 次の瞬間には、彼の体内の時間は、無限になったその瞬間から、急速に平常の時間に向って収縮し始めていた。彼の体内の時間はの異常な伸びが、最終の無限になることによって平常に向けて逆転したのだった。
 ファンが、入り口へ戻った時には、彼の体内の時間は、通常に運動していた。

    5
 それから数時間後、彼は巡視船を球体から引き離そうと必死の努力を続けていた。
 時間は、あとわずかしかないはずだった。ファンの顔に焦慮の色がうかんでいた。
 球体の磁力は想像以上に強かった。そのため、巡視船のメカニズムは完全に破壊されてしまっていた。残る手段は、彼自身が一人でこの船を動かさねばならない。それは、一人の人間には至難の技だった。しかし、それしか方法はない。彼は全手動で巡視船をどうにか脱出軌道に乗せた。しかし、なかなか速度は出なかった。ワープが可能になるまで、あと三十分ほどか? それでは安全距離に程遠かった。
 二十分。十分。三分。一分。
 五秒。四、三、二、一、ゼロ……
 崩壊が始った。

    6
 ファンは還って来た。ワープには間に合ったものの、しかし、巡視船は、凄まじい衝撃波をくらってしまっていた。
 彼の四肢は、もう彼の言うことをきかなくなっていた。彼は、敗残者だった。『退役宇宙開拓者の家』の医師は、彼の死を予想していた。
 ファンは、『退役宇宙開拓者の家』で、死を待つばかりだった。
 あの時の崩壊のすさまじい光は、彼より数年遅れて、太陽系にとどいた。
 それを、人々は、超新星と呼んだ。しかし、それは星の爆発による超新星ではなかった。
 『超新星』のかがやくあかつきの空を見つめながら、ファンは、失われてゆく意識の中でつぶやいた。
「俺は、、あそこで戦っているのだ」
 ファンは死んだ。
 しかし、彼は今も、あのくう漠たる宇宙の深奥で戦っているのだった。そして、これから何十年後も、その光景は、宇宙を旅し広がりつづけるのだ。何百年も何千年も、永遠に。

    7
 どうして球体は崩壊したのか? それを知るただ一人の人間は死んでしまった。
 今は、もう、その理由を知る者はいない。それは永遠に解けることはない。
 そして、それを知らないことによって、人類は飛躍するのかも知れない。あるいは、永劫の時の流れの中に、滅びてしまうのかもしれない。
 悠久の大宇宙は、それを教えてくれはしない。
 すべては、時が明らかにするだろう。
 とわの眠りについたファンの双眸は、あかつきの空にかがやく光を、まだ、映していた。
 人類の未来は、茫々たる時の砂漠の中にあった。(終)
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)02時13分40秒
  > No.3493[元記事へ]

 ああ、そうだったんですか。
 実はCDを聞いていたら、和田さんの他にも、妹尾氏と高島氏の作品も眉村さんが朗読されていたので、コピーして送ってあげようと思ったのでした。試してみます。ありがとうございました。

 追記。コピー出来ましたー! ありがとうございましたm(__)m
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)02時01分32秒
  > No.3492[元記事へ]

ああ、あれはですね、ウインドウズメディアプレーヤーなんかでCD作成すると、74分とか、長くても80分ぐらいしか入りませんよね。
でも、普通のCDラジカセでも再生できます。
僕のはデータ用CD-Rにmp3のデータのままコピベしたんです。
パソコンの画面上でポイポイとほうりこむ感じです。
これだと音楽なんかでは、200曲以上入るはずです。
最近のCDを再生する機械はこういったものも再生できるようになって来ているはずです。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)01時52分52秒
  > No.3491[元記事へ]

 それは聞いてみたいですねえ。
 そういえば頂いたCDRですが、ふつう80分弱と思うのですが、どうやってあの長尺を詰め込んだんですか? CDR自体が長尺用?
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)01時44分7秒
  > No.3490[元記事へ]

おおー、朗読ですか。
なかなか面白そうですね。

僕のテープライブラリにはチャチャヤングの自作ばかりを集めた録音がありますよー
まあ、テープライブラリとは言っても、もう倉庫の片隅に忘れ去られていたんですけどね。
探し出すのに苦労しました。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)01時38分17秒
  > No.3488[元記事へ]

 先日、ogawaさんとメールしていたんですが、朗読(音読)って馬鹿にできませんよね。本当はとても大事なことなんだと、最近思っています。眉村さんの作品は、朗読で聞くと、黙読ではわからなかった味わいがみえてきます。昨日リンクした対談でも、朝吹さんが声には出さずとも、頭の中で(声質まで想像して)音読する、と言ってました。
 実は、眉村さんの作品を(できればご本人に朗読していただいて)ユーチューブにあげられないかなーなどと考えてもいるのです。あるいは朗読会とか。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)01時30分20秒
  > No.3487[元記事へ]

> 大熊さんもどんどん書いて行きましょう。
 私もだんだんとその気になって来ました(笑)

> これまでは同じ書き出しの作品を50本書くと次の書き出しと言う感じでやってきたんですが、
 それ、なんか俳句の手法に似ていますね。面白いです。

> 大熊さんがこだわったらっしゃるので…(笑)
 すみません。どうぞお構いなく〜(^^;
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)01時29分1秒
  > No.3487[元記事へ]

「ゆっくり生きる」をやってらっしゃるharuさんは色んな人の作品を朗読してらっしゃいます。
僕の作品もけっこうたくさんありますね。
また自作のショートショートも書いてらっしゃいますよ。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)01時23分21秒
  何十年も書いていなかったショートショートを再開するきっかけになったのがツイッター小説です。
大熊さんもどんどん書いて行きましょう。
これまでは同じ書き出しの作品を50本書くと次の書き出しと言う感じでやってきたんですが、ここのところいろいろ違うパターンを同時進行と言う感じですね。
「その角を曲がると」のシリーズに加え「おとぎ話パロディー」と「140文字刑事」そして「箱が落ちていた」
ふえすぎー

「箱が落ちていた」はびっくり箱にこだわらない方行へ持って行こうとしてたんですが、大熊さんがこだわったらっしゃるので…(笑)
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)01時23分2秒
  > No.3484[元記事へ]

 拝見しました。三段落ちというのでしょうか。最初の二つは、なんか鶴光やな、と思っていたら、三つ目でドカーンときました(笑)

 あ、それから、勘違いしていましたが、Tome文芸館氏の作品を、ゆっくり生きる氏が、あのように加工(?)なさったんですね。そういう共同作業も、ひとりでシコシコ書いてきている私には、非常に新しい感じがします。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)01時09分45秒
  > No.3482[元記事へ]

 拝見しました。これはまたびっくりです。こうなるともはや、ショートショートや短話には収まらない、総合芸術ですね。手法に興味がふつふつ沸き上がって来ました。私もできないかな(笑)
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)01時08分8秒
  なんか、掲示板がチャット状態ですね(笑)

あーそうそう。
昨日書いたツイッター小説「140文字刑事」のシリーズも、もとはと言えばお知り合いの作品を元ネタにしています。
140刑事 - 虎犇秘宝館
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)01時03分36秒
  > No.3480[元記事へ]

海野さん
や、早速みじかばなし、ありがとうございます(^^)

 では私も(^^ゞ


 箱が落ちていた。
 それはびっくり箱だった。
 ふたはすでに開き、中からピエロの人形が飛び出している。
 拾い上げようと、手を伸ばした。その手をつかまれた。
 あっという間もなく箱に押し込まれ、ふたが閉まる。
 ――しまったひっかかった!
 ピエロの服を着た私は、力なく首を横に振る。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)00時53分23秒
  リンクの貼り方も間違っていましたね。
びっくり箱/Tome文芸館より
 ←こちらです。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月10日(土)00時52分15秒
  > No.3479[元記事へ]

 海野さんいらっしゃいませ。
 なんと、そういう経緯でしたか。というわけで、Tome文芸館、ちょっと覗いて来ました。これはまたお洒落なブログですね。画像も(オリジナルでしょうか)素晴らしいです。これからたびたび覗かせていただこうと思いました(^^)
 雫石さんの作品、私もホラー的な展開を予想しつつ読んでいたので、あの結末は意外でしたね。でもおっしゃるように、ホラー的結末が色々考えられますよね。書いちゃおうかな(>おい)。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)00時40分18秒
  やってしまった。
雫石哲也鉄也さんでした。
やってしまったついでにみじか話をリアルタイムで考えてみます。

箱が落ちていた。
それはびっくり箱だった。
ふたはすでに開き、中からピエロの人形が飛び出している。
人をびっくりさせた後の無様な人形。
びっくり箱を英語では「Jack in the box」と言うんだっけ、と思いだしていた。
「そうかお前はジャックと言う名前か?」
その時、僕はびっくりして箱を放り出してしまった。
人形がうなづいたように見えたのだ。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 3月10日(土)00時25分1秒
  大熊さんこちらへの書き込みは初めてですね。
えーと、このご紹介のみじか話は、更に元ネタがあるのです。Tome文芸館というブログをやってらっしゃる方の作品「びっくり」をゆっくり生きると言うブログをやってらっしゃる僕のお友達が、朗読作品にした物のコメント欄に感想の代わりに書いて、それをツイッターに上げたのがそもそもです。人の作品を元ネタに書くと言うのは僕もよくやりますのでその気持ちよくわかります。雫石哲也さんの作品倉田看護師の手を元ネタにホラー作品が書けないかと、ついさっき、あーでもないこうでもないと考えていたところでした(笑)
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 9日(金)23時24分11秒
   以下の二篇は、海野久実さんがツイッターで発表された作品へのレスポンスとして作ったもの。したがって元ネタを読まないと面白くもなんともありません。

 まずこの海野作品が載り、それに対して私が(1)でチャチャを入れました。
 すると、海野さんがこの作品で応答して下さいました。それに対して、私がまたもや悪ノリして(2)を書いたという経緯。
 いやあ、昨日のogawaさんに対してもそうでしたが、どうも私、ゼロから生み出すよりも、人様の作品に触発されてアイデアが出てくるみたいです。これは昨日リンクしたユーチューブで金井美恵子さんがおっしゃっていて、「あ、オレも」と頷いたんでしたが、良く言えばブッキッシュなんですよね(>実はオリジナリティがないだけ)(^^;

      ――――――      ――――――      ――――――

(1)箱が落ちていた。ビックリ箱だった。僕は静かに、そーっと近づき、フタを取るや大声で「ワッ!!!」と叫んでやった。箱の中から「きゃーっ」という声が聞こえるかと思いきや、何も聞こえないのだった。しまった。失神させちゃった。

(2)ビックリ箱が落ちていた。何故分かったのかというと、いかにもビックリさせてやろうという顔をしていたから。「分かってたら驚かないもんね」とせせら笑って僕は箱を開けた。すると、四方八方凡ゆる方向からから「ワッ!」という声が! 僕はぎゃっと叫び、慌てて箱の中へとび込んだ。

      ――――――      ――――――      ――――――

 追記。つまり私が書いている大半の作品も、トゥワイス・トールド・テールズなんですっ!なんちゃって(^^;

 ということで、『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』は200頁まで。
 

Re: いきなりショートショート

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 9日(金)05時34分32秒
  > No.3476[元記事へ]

 ogawaさん

 おおー、いいじゃないですかいいじゃないですか(^^)いかにも信州らしい素材の民話風ショートショート、といったら偏見でしょうか(笑)
 お出入り禁止なんてとんでもないですよ。これからも遠慮せずどんどん投稿して下さい。楽しみにしております!

 てことで、↓は私からのレスポンスです。こういう良いショートショートを読むと、すぐ影響されちゃうんですよね。ご笑覧〜(笑)

 「おっかしいなあ」
 と、太郎は空を見上げる。
 雨雲が、手に届きそうなほど低く降りてきていた。
 黒い雲のなかでは、びかり、びかりと、稲妻が光っている。
 いまにも降り出しそうな気配なのだが、いっこうに降ってこない。
 ――そういや、びかびか光りまくっているのに、音が全然してないなあ。
 「変な天気だなあ」
 でも、いつ降ってくるからわからないから、今のうちに急いで帰ろう、と、太郎は足を早めた。
 峠を越えて、道なりに下って行く。と、道端の草むらに何かがあった。
 太鼓だ。太郎は拾い、持ち上げて見た。
「やあ、こいつぁー、カミナリ様の太鼓だべ」
 小さな太鼓が丸い輪っかに五つほどくっついているやつ。太鼓の皮には三つ巴の紋。
「そっかー、カミナリ様、太鼓落っことしたべか」
 ――だから稲妻は光るのに、音がしないんだ。
 小太郎は、太鼓を見、空を見上げる。そして、うん、と頷くと、輪っかを持った手をグルグル回し、エイヤっと、空に向かってほうり投げたのだ。
 くるくるくる。
 太鼓が五つくっついた輪っかは、回転しながら飛んでいき、驚くほど遠くまで飛んでいき、小さくなり、ずいぶん下まで降りてきていた黒雲の中に、つい、と吸い込まれた。
 と。
 どっかーん! ごろごろごろ!
 とてつもない音とともに、ざーっと雨が降りだしてきたのだ。
「うっひゃー」
 太郎は叫び、おへそを両手で押さえると、大慌てで駈け出した。にこにこ笑いながら……。
 

いきなりショートショート

 投稿者:ogawa  投稿日:2012年 3月 9日(金)03時27分45秒
      遠い太鼓

 二人の娘が小学校から同じプリントをもらってきた。
 熊が出没しています。お子さんに熊除けの鈴を持たせてください。
 翌日、子どもたちはジーンズのベルトループにリボンの端切れで鈴を括りつけて出かけて行った。
 夕刻、じゃん、じゃん、と鈴の音が帰って来る。熊に遭った、とお帰りの代わりに訊いたら、そろって呆れたといった顔をした。ドーナツ化現象で、学校の近くに住んでいる子どもは多くない。遠くの子は車で送ってもらうから、鈴の子は少なかったらしい。それから、手で持つ鈴のほうが良いと言った。どうやら神楽鈴のような鈴をご所望のようなのだが、そんな鈴はうちにはない。
「幼稚園のときのお遊戯の鈴じゃだめ?」
 押入れの玩具箱から見つけて来ると、二人とも気にいったらしい。上の娘がじゃんと鳴らすと、ちょっとの間を置いて、下の娘がじゃんと鳴らす。なんだか楽しそうだ。
 それからはちいさな楽隊になって学校に通うようになった。
 一週間ほど過ぎた日、長女がこのごろ太鼓の音がする、と言った。鈴を鳴らしていると、誰かが合わせて叩いているみたい、と次女も言う。
 通学路に面した家の子が面白がってやっているんじゃないかと言うと、太鼓の音は遠くから聴こえると言うのだ。上手なの、と訊くと、二人は顔を見合わせ、可笑しそうに上手じゃないと言った。
 太鼓の音は依然として遠くから聴こえて来るが、日を追うごとに上手になっているらしい。テンポが合ってきたようなのだ。
 二人は声に出してやってみる。
 じゃん、じゃん。とん。
 じゃん、じゃん。とん。
 そんなかんじらしい。
「どん、じゃないんだ」
「どんじゃないよ。とん、だよ」
「そう、とん、だよ」
 順番に言った。子どもが使うおもちゃの太鼓のような音らしい。
「うちにも、おもちゃの太鼓あったよね」
 言われて探してみたが見つからなかった。太鼓の音はわたしが口でやることになった。
 じゃん、じゃん。とん。
 じゃん、じゃん。とん。
 おかあさんも聴きたいでしょ、と言うので、翌朝はいっしょに登校することになった。
 家を出てすぐに長女が鈴を鳴らす。じゃん。続けて次女が、じゃん。それを続けていると、次女の鈴の音に呼応して、遠くから、とん、と太鼓の音が響いて来た。
「ね、ほんとでしょ」二人はうれしそうに言った。
 じゃん、じゃん。とん。
 じゃん、じゃん。とん。
 なんだか、三番目の子が叩いているみたいだ。
「あれ」長女が小首を傾げて言った。
 太鼓の音が少しずつ近づいて来る。
 じゃん、じゃん、とん。
 じゃん、じゃん、とん。
 少しずつ、少しずつ近づいて来た太鼓の音は、学校近くのお寺の竹林の前まで来ると聴こえなくなった。娘たちは顔を見合わせ、ゆっくりと鈴を振る。
 じゃん、じゃん。じゃん、じゃん。太鼓の音はしない。代わりに竹林が、がさごそ、がさごそ、と音をたてた。
 三人でそちらを見ていると、竹を掻き分けて何かが出てきた。
 黒いちいさな動くもの。仔熊だった。竹林から出てくると、後脚を踏ん張って立ちあがった。下の娘よりも背丈は低い。首のところの白い月の輪が三日月みたいで可愛い。仔熊は肩から小さな太鼓とばち袋をたすき掛けにしている。
 しばらく、わたしたちとにらめっこになった。すると仔熊は器用にばち袋からばちを取り出すと、両の手に握り、ちょっぴり胸を反らした。
 準備できました、ということなのかな。
 長女が、じゃん、と鈴を振ると、子熊が右手でとん、と太鼓を叩いた。続いて、次女がじゃん、と鈴を振ると、今度は左手でとんと叩いた。
 上手だね、と娘たちが言うと、仔熊は嬉しそうに、とんとん、と太鼓を叩いた。
 いっしょに行く、と言うと、こっくり肯き二本のばちを口に喰わえ、四脚になって駆けて来た。
 わたしと次女の間を開けると、仔熊はそこで再び後脚を踏ん張って、立ち上がった。
 長女。次女、仔熊、わたしの順で歩き始める。
 じゃん、じゃん、とん。じゃん、じゃん、とん。
 太鼓を叩く仔熊を後ろから見ると、着ぐるみを着た子どもみたいだ。首の後ろあたりにチャックが付いているんじゃないかと探していると、視線が気になったのか、子熊は立ち止まって、困ったようにこちらを振り向いた。太鼓の音が途切れたので、娘たちも振り向いた。
 子熊はばちをばち袋に収めると、四脚に戻り、竹林に駆けて行った。一度も振り返らなかった。
 学校はもうすぐそこだ。校門の前まで来ると、これ、もう要らないね、と二人は鈴を差し出した。
 受け取った鈴を両手に持って、家に戻る。右手でじゃん。次いで左手でじゃん。プリントをもらってから、二人の娘が毎日やっていたことだ。
 仔熊が現われた竹林を過ぎたころ、鈴に合わせた太鼓の音が聴こえて来た。
 じゃん、じゃん、とん。
 じゃん、じゃん、とん。
 太鼓の音は次第に遠ざかって行く。
 じゃん、じゃん。とん。
 じゃん、じゃん。とん。
 家のあたりに来ると、耳をすませても聴こえなくなった。
 二つの鈴を押入れの玩具箱に戻すとき、あんなに探しても見つからなかったおもちゃの太鼓が下のほうにあるのが見えた。
 取り出して手で叩いてみる。音がしない。もう一度、叩いてみる。やっぱり音はしない。
玩具箱をがさごそ探すと、ちいさな歯型の付いたばちが出てきた。そのばちで叩いてみる。今度も音がしない、と首を傾げていると、遠くから、とん、と太鼓の音が響いて来た。
 遠い太鼓の音だ。


 他所様のお座敷で裸踊りなどしたら、お出入り禁止になっても知りませんよ。などという継母みたいな科白も聞こえたのですが、一回こっきり踊ってみました。お許しください。

 

金井美恵子x朝吹真理子対談

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 9日(金)00時18分51秒
   小谷野敦さんのブログより↓
 

 朝吹真理子は朝吹登水子が大叔母に当たるのか。朝吹登水子には嫌な思い出があって、大学で仏語の授業が「ある微笑」で、それならと授業には出ず、テスト前に新潮文庫版を丸暗記して望み、自信満々だったのですが、実はその先生、朝吹訳は誤訳であるとする立場で、そんなことはつゆ知らない私は、散々な成績を取ってしまい、翌年、誰も知った者がいない一年下のクラスでもう一回やり直さなくてはならなくなったのでした。これはツラかった。いや自分が悪いんですが。
 

「アクナル・バサックの宝」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 8日(木)20時53分4秒
   ゆえあって、講談社文庫版『アクナル・バサックの宝』集中の表題作「アクナル・バサックの宝」を読みました。いかなる「ゆえ」なのかといいますと、ブックオフで捕獲した「ゆえ」というだけの話なんですが。いうまでもなく半村良が水戸宗衛名義で発表した中篇であります。この作品を掲載したSFMは持っていたので、読んだはずなんですが、全然読んだ記憶がない。読まなかったのかも。で、ずっと気になっていたのが、このたび講談社文庫版を確保したという次第。うれしくなって早速読み始めました。おお、なんとこの作品、「カサブランカ」ではありませんか! そうと知ればタイトルにも自動的に届くわけで、CASABLANCAの逆読みだったんですね。といっても完全に踏襲しているのは、ボガート(本篇ではハンフ・ガート)が執務していると、あの曲が聞こえて来、憤然として階下に降りてきてみると……という、かのシーンのみ。あとはオリジナルを踏まえつつも巧妙にはずして、別のストーリーに仕上がっています。ま、出来は半村良としては凡作でしたが、長年の懸案が果たせて満足しました。  

「宇宙は本当にひとつなのか」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 7日(水)20時16分7秒
   村山斉『宇宙は本当にひとつなのか』(ブルーバックス11)読了。

 いやー面白かった。ブルーバックスを読むのは今世紀に入って最初ですが(^^;(>おい)。
 いきつけのGSでオイル交換してもらっている待ち時間、立ち読みで時間をつぶそうと入った併設の書店の棚に、このブルーバックスが一冊ぽつんと刺さっていたのでした。ロードサイドの小さな書店にはブルーバックスはめずらしくて、手にとってみたら、11年7月初版の11月第5刷でした。つまり売れているんですね。だからこんな書店にも回ってきていたんでしょうね。
 「はじめに」に目を通すと、2003年を境に宇宙像はころっと変わってしまったんだそうです。あ、これ邪馬台国と同じ! と思ったらむしょうに読みたくなって購入、喫茶店はしごで読み終わってしまった。新書はすぐ読めますなあ。

 いやしかし、私の知識は完全に古くなっていたのですね(これも邪馬台国と同じ)。もうびっくり。ビッグクランチは完全に否定され、宇宙は膨張の速度を逆に早めているらしい。何故こんなことになるのか。整合性のために出てきた説明が「真空エネルギー」で、膨張するにつれ宇宙は希薄になっていく、言い換えれば真空が増えていく。これまでの考えでは希薄化と共に宇宙は冷え、膨張速度はしだいに落ち、あるいは、宇宙の質量次第でやがてはストップし、場合によっては縮小に転じる、というのがわが理解だったわけですが、実際の観測はそれを否定したわけです。ここに真空エネルギーを導入すると、真空の増加は真空エネルギーの増加に等しく、宇宙は希薄化しないということになるのです。この真空エネルギーが暗黒エネルギーで、現在宇宙の73%がこれ。あと23%が暗黒物質で、私の知識の「宇宙」つまり「原子」は5%弱とのこと。実際の宇宙は光瀬的な「無」ではなかったんですね。
 ところがこれだけ宇宙が周密だとすると、逆に宇宙の膨張はとんでもないスピードになって飛散してしまい、星星や物質が生成される時間的余裕がないんだそうです。でも現に宇宙はあるわけで、そこから「宇宙はひとつではない」のではないかという、本書のタイトルとなるわけです。「この宇宙」に重なって無数の宇宙が存在することで、今の宇宙は存在できているのではないか、と……(今ひとつの謎の暗黒物質(量)が多元宇宙の「量」なのかな?)。そこから「この」宇宙がなぜ「人間原理」なのかに話が及ぶのですが、それは各自お読みください(^^;。
 これは面白かったです。現代宇宙論、すこし齧ってみようかなと思いました。

 かういふ新書は一日で読み終へてしまふので、新書ばかり読んでゐると金がかかって仕方がない――てことで、『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(現在150頁、漸く范文雀)に戻ります。
 

Re: 河野典生さん

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 6日(火)19時49分37秒
  > No.3471[元記事へ]

 段野さん
 お知らせありがとうございました。検索したら各紙報道し始めていますね。でもすべて最初の高知新聞の記事とほぼ同じ、味も素っ気もない文章。友人知人たちのコメントがほしいです。ミステリ関係はわかりませんが、SF関係では仲の良かった筒井康隆さん、山野浩一さん、石川喬司さんあたりに取材に行ってほしいです。いつ頃から(あるいは何故)SFとは切れちゃったんでしょうねえ。知りたいです。

 追記。あ、山下洋輔さんも!
 

河野典生さん

 投稿者:段野のり子メール  投稿日:2012年 3月 6日(火)17時22分22秒
  ようやく新聞夕刊[毎日)に訃報のお知らせが載りました。合掌。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 6日(火)10時10分32秒
  > No.3469[元記事へ]

高井さん

 おお、感想ありがとうございます!
 これ、最初、888のあとに、「真法の国苑 気付」としていたんです。が、しつこいなと思ってやめたら、「お互い歳だし」という伏線が意味をなくしてしまったんですね。それがちょっと気になっています。
 

Re: みじかばなし集

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年 3月 6日(火)08時05分55秒
  > No.3468[元記事へ]

 ケッサク!(笑)
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 6日(火)00時04分50秒
  《またいつかお会いしたいですね》
 と、その手紙は終わっていた。
「……と言っても、お互い歳だしねえ」
 溜息をついて便箋をテーブルに置き、封筒を取り上げた。
 よく記憶している字体で、彼女の名前が記されているのを懐かしげに眺めてから、よし子は裏返し、相手の住所を確認する。
 ――馬張区馬張田山原888
 

河野典生さん逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 4日(日)11時27分31秒
   知合いから知らされてびっくりしました。
 検索したけれど、ここしか見つかりません。wikioediaには反映されていましたが、ソースはここなんですよね。この報道のされ方はちょっと寂しいです。寡作ながらすてきなSFとジャズ小説を多く書いた作家なのに。

 ご冥福をお祈りいたします。

 

Re: ひなまつり

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 3日(土)18時36分37秒
   段野さん
 昨日はお疲れ様でした。楽しい会になりましたね。次回(来年ですが)もぜひぜひ!

> 二次会は実は600円で済んでいるのでした。
 わ、600円でしたか。酔っ払ってつり銭もいくらもらったか覚えてないのでした。帰り路でも、ケータイを忘れてきたと大騒ぎするわ(実はカバンの中に入っていた)、ogawaさんを駅まで送っていこうとして、地下道を反対方向に歩きだし、はてここはどこ?? とうろたえるわ(さすが梅田地下オデッセイとogawaさんに感心されてしまいましたが>違)、突如ケシカラン、ケシカランですぞ! と呟き出すわ(嘘)絶対に幹事を任せられない人物であることがおわかりになったかと思います(^^;

 50周年企画についても、よろしくご協力お願いします。
 

ひなまつり

 投稿者:段野のり子メール  投稿日:2012年 3月 3日(土)15時27分6秒
  昨晩のお料理、おひなまつりを念頭にされていたのでしょうか。季節的にいい感じでした。ちなみに、二次会は実は600円で済んでいるのでした。さすが、大衆居酒屋のようです。  

お疲れ様でした

 投稿者:段野のり子メール  投稿日:2012年 3月 3日(土)14時22分46秒
  皆様、ありがとうございました。大変楽しいひと時でした。ありがとうございました。お手伝いできることがありましたら、できるだけさせていただきます。  

眉村先生を囲む会

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月 3日(土)12時07分8秒
   昨日は、眉村卓さんを囲む会。今回は初参加してくださった方もいらっしゃって、14名の大人数、この規模になりますと、いっせいに眉村さんのお話を拝聴することは不可能で、途中で席をシャッフルすべきか、ちょっと大掛かりやなあ、などと考えていたところ、眉村さんご自身が途中でテーブルを移って下さいました。気さくな眉村先生ならではの裏技(笑)、そのせいか、個別での席の移動も頻繁で、つまりはたいへん盛リ上がった会となりました! 皆さんどうもお疲れ様でした。ありがとうございました。幹事さんも、大人数で切り盛り大変だったと思いますが、大変心地よい時間を過ごすことができました。感謝です。

 さて、眉村先生作家生活50周年(先生ご自身は全くそんな感慨はない、単なる通過点とのお話でしたが)をお祝いして、私たちで何かできないか、ということに関しまして、いろいろご意見をいただきました。けっきょく二つのことが、われわれに可能である、となったように思われます。そのうちのひとつに付きましては、眉村さんのご返事まちではありますが、たとえそれがかなわなくとも可能なことですから(そしてある程度それぞれのうちで時間を必要とすることでもありますから)、近々のうちに動き出したいと思います(今一つはさらに皆さんとご相談させていただかなければなりません)。そういう次第で、皆さま覚悟をきめ腹を据えて、よろしくお願いするのであります(あ、おれか・・)ゞ

 なお当サイトにて公開中の眉村さんの新作短篇「自殺卵」について、ブラウザの種類によるのでしょうか、うまく見えていないという方が複数いらっしゃいました。まことに申し訳ありません。原因を究明し改善したいと思います。今この掲示板をお読みの方で、私もそうだ、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ通報お願いいたします(お使いのブラウザ名も)。私の使っているInterenetExplorer7とGoogleChromeでは正常に見えていますが、Interenet Explorerだけど不具合という方がいました。あとFireFoxが不具合のようです。情報提供よろしくお願いいたします。

 二次会は、またも懲りずに各国スパイたちの秘密連絡場所へ向かったのですが、さすがに金曜日で満席。仕方なく居酒屋で軽く一杯。アテを最低限しか頼まなかったらひとり800円で収まる。安い! 居酒屋も時間が遅くなったらこんな客でも許容してくれるんですな(^^; 相生から参加された方がおられたので(11時発が最終とのことで)、10時半にお開きに。でも帰着は、つながりが悪くいつもと同じ12時過ぎなのでした。
 

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