ヘリコニア過去ログ1204

Re: ロックの自立

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月30日(月)21時13分22秒
返信・引用
   いま確認したら、「展覧会の絵」はLPそのままでした。
 なんとあやふやな記憶(ーー;

 せっかくなのでスキャンしました。帯(タスキ?)の画像は貴重かも。
 

Re: ロックの自立

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月30日(月)16時38分26秒
返信・引用
  > No.3632[元記事へ]

>一曲一曲選んで再生しなきゃいけませんね。
 これが流して聴くときのネックでしたが、フルアルバムが可能になったので、改善されました。

>それに玉石混交で、オリジナルかと思えば、素人の歌を聴かされたり。
 ガックリします(笑) ちゃんと表示してくれているのもありますが、ダマシに近いのもありますよね。限定公開にすればいいのにね。私はそうしています。
 

Re: ロックの自立

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月30日(月)13時37分17秒
返信・引用
  > No.3631[元記事へ]

あ、なるほど。
鳥が中心に来るように原画がトリミングされてるんですね。
はいはい。

電脳ライブラリーですね。
YouTubeではパソコンで音楽を再生するときは、一曲一曲選んで再生しなきゃいけませんね。
それに玉石混交で、オリジナルかと思えば、素人の歌を聴かされたり。
きちんと整理されたらいいんですけどね。
最近のテレビはネットも出来て、YouTubeなどは曲名や歌手名を入れておけば連続再生もしてくれます。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: ロックの自立

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月30日(月)13時06分52秒
返信・引用
  > No.3630[元記事へ]

 私の持っているLPジャケットは見開き型じゃなくポケット型ですが、この画像の右半分が表で、左半分が裏になっています。
 というか、これが原画じゃないですかね。
 そういえば、「展覧会の絵」も、LPジャケットとは違ってますよね。

 youtubeで一番気に入っているのは、クラウド化と言うのですか、ダウンロードして「所有」するんじゃないところなんです。
 頭の上あたりに電脳空間があって、欲しいものを欲しいときに、ひょいと手を伸ばして引っ張りだしてくる。利用し終わったら、勝手に電脳空間に帰っていく、というイメージです。

 なぜ個人個人が別途所有保管しなければならないのか。一か所にオリジナルがあって、個々、必要なときに引っ張りだしてきて利用すれば、無駄な容量食わないじゃん、と思いますね。
 最近はさらに嵩じまして、書物(文字データ)も、電脳図書館に古今東西のすべてのデータが揃っていて、読者はそれをひょいと取り出して、読み終わったらもとに戻す(途中ならどこまで読んだかの履歴は残っていて、次はそこから頁が開く)というのを想像します。

 いま、地方都市には都市ごとにちっちゃな市立図書館があります。うちなんか車で10分以内にそういう市立図書館が三館あります。で、おんなじような品揃えをしていて(同じようにSFや専門書籍は入ってこない)、無駄だなあ、と思っちゃいますね。三館統合すればもっと品揃えが広がるのに。電脳図書館はその究極型ですね。

 だいたい日本列島に、本って、どのくらいの重量で存在しているんでしょうね。いますべての物理的本が消滅したら、日本列島、数センチくらい浮上するんでは?(ないない)(^^;
 

Re: ロックの自立

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月30日(月)12時14分5秒
返信・引用
  > No.3629[元記事へ]

え?このアルバム持っていないぞ。
と思ったらファーストアルバムですよね。持っていました。
どうも、ジャケットの絵は羽ばたく鳥のイメージが強くて、左側に顔がデザインされていたのかと、ちょっと意外でした。
しかしYouTubeで全編聞けるんですね。
すごい時代になったもんです。
若いころ、好きだったけれどアルバムを買うほどでもなかったミュージシャン達の曲をYouTubeで落として、アイポッドで聞いていますよ。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

ロックの自立

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月30日(月)00時01分58秒
返信・引用 編集済
   ウィキペディアによれば、
>ロック(英: rock)は、アメリカで1950年代に黒人音楽と白人音楽の融合により生まれたポピュラー音楽のジャンルである。

 とありますが、(音楽のルーツ的にはそうかも知れませんが)もっと表層的には、ジャズでは白人は黒人にかなわないので、ロックがうまれたような。対抗的という意味では、ウィキペディアにも、

>そもそもロックはその勃興において、既存のジャズやクラシックに対する若者に訴求しやすい新たな対抗音楽文化として生誕しているという側面もある

 とあります。
 実際、最近のロックミュージシャンは知りませんが、少なくとも初期の、50年代から70年代までのロックは、(ジャズミュージシャンといえば黒人がイメージされるのと同じ意味で)ミュージシャンはほとんど白人ですよね。

 ところが、70年代に入ると、ロックシーンは、ニューロック、プログレッシブロック、ハードロック、すべてブリティッシュロックが卓越します。当時の私の感じでも(というか70年代のロックキッズはみんなそうだったと思います)、アメリカンロックはしょぼい、というイメージでした(唯一ブラスロックはアメリカオンリーでしたが、結局BSTもシカゴも、ジャズ系に戻って行きました。要するにジャズの鬼子だった。チェイスなんて、バディリッチ(は白人ですが)のリードトランペッター)。

 つまりビルヘイリー以下のアメリカンロック(ンロール)は、アメリカ白人の(黒人への無意識的な)対抗意識のみで成立している、音楽的には浅薄なものだった。それがイギリスに渡って(対抗文化的な意味合いは切断され)音楽的に成熟し(ブルースからクラシックへ)、ようやく音楽実力的に、ほんとうの対抗音楽(対黒人ではなく対ジャズ)となり得た。だから初期アメリカンロックに、黒人は皆無(例外はジェファーソンと組んだパパジョンクリーチくらいでは。でもジェファーソンはジェファーソンでも70年型にバージョンアップしたジェファーソンです)。これはイメージですが、ブリティッシュ・ロックがアメリカを薫陶して以降は、黒人もロックをやり始めたという構図は考えられないでしょうか(でも黒人ロックミュージシャンて、私はとんと思い浮かびません。むしろフュージョンやヒップホップですよね)
サンフランシスコはちょっと違うのかも。サンタナもいましたし。でもいずれにせよ70年代です。

 やっぱりアメリカンロックって、カントリーウェスタンの尻尾が切れないんですよね(C&Wのルーツというか田舎系であるブルーグラスは大好きですが)。

 以上は証明以前の思考メモ。

 ELP初期アルバムがフルアルバムで出揃ってますね(^^)。


 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月28日(土)23時04分8秒
返信・引用 編集済
   かんべさん
 今回は残念でしたが、またの機会に(^^;
 サンケイブリーゼは、5月1日発売開始でしたね。3日に大阪に出るので、そのときに購入する予定です。楽しみ!

 ●ということで、下は、「巨星墜つ」と同時期に書いた作品(だから何となく傾向が似ています)。というか下書きのまま放ってあったもの。当然、チャチャヤン未投稿。今回も、ストーリー(縦糸)は全くそのままですが、設定(横糸)はかなり改変しました(特に分類関係)。タイトルも変更。
 なお、シアニストはシアニニストが正しそうですが、シオニストと掛けているのでシアニストです。


     赤と青

 西暦二三〇四年。地球連邦宇宙省は、恒星間光子ロケットの開発が最終
段階に入っていることを明らかにした。
 早くもその三年後、光子ロケット試作一号機が、冥王星トンボー基地へ
の処女航海に成功、地球人類の太陽系外への伸張は、もはや時間の問題と
なった。

 一方その頃、地球並びに地球外惑星植民地、基地等において、同時多発
的に、ある変異が起こっていた。
 それは、人間の血液中の赤血球に含まれる呼吸色素ヘモグロビンが、ヘ
モシアニンに変わってしまうという突然変異だった。

 もちろん、ヘモグロビンもヘモシアニンも、酸素と結合して、血液中に
酸素を運搬することでは同じ役割を担うものなのだが、周知のように、ヘ
モグロビンは鉄由来の赤、ヘモシアニンは銅由来の青、という違いがある。
 要するに、ヘモグロビンがヘモシアニンに変異した人間の血液の色は、
青色になるということだ。

 だが、それで体調が損なわれてしまう、ということはなかった。
 なぜなら、変異者は、体組織全体も、ヘモシアニンに適応したものに、
遺伝子レベルで変異してしまうからだ。その辺は20世紀中葉、日本の一地
域に発生した食鉄人アパッチ族と同じです。
 つまりそれは病気ではない。青血球保有者も、赤血球保持者同様、健常
者なのだった。

     ※

 やがて、連邦厚生省の特別調査団によって、地球人類の半数が、青血球
保有者に変異していることが突き止められた。
 さらにその後の追跡調査で、それは単純に半々になっている、というよ
うなものではなく、人間の、人間が観念する「あらゆる分類概念において」、
赤血球保有者と青血球保有者が、一対一になっている、という驚くべき事
実が判明したのだ。

 どういうことか?

 男性/女性という分類がある。かかる分類の、「男」に属する人間(数)
の[青/赤]比が、[1/1]、同様に、「女」に属する人間(数)の
[青/赤]比も、[1/1]になって発現しているのだ。
 これは生物学的な性別であり、可視的である。ある意味納得できる。

 ところが、人間の文化的な分類(人為分類)においても、[1/1]比
になっていることが明らかになった。
 たとえば、日本標準職業分類表では、まず大分類としてAからLまで12
分類されており、それぞれその下位に、中分類、小分類がある。
 それらの(大中小すべての)分類項目において、属する人間の[青/赤]
比が、[1/1]になっているのは不思議を通りこして不可解としかいい
ようがなかった。

 それは日本の分類だろう、国が変われば分類基準も変わるはずというの
は正しい。ところが、どの国の、どの分類項目においても、[1/1]は
実現しているのだった。
 それどころではない。
 いま、この瞬間に、新しい分類概念を思い浮かべたとする。その基準に
従って調査すると、やはり[1/1]は守られているのであった。

 人間の観念である分類に、なぜ物理的・生理学上の変異が対応するのか?
 この謎に対して答えられる者は、いかなる研究機関にも、個人の学者に
も、いなかった。

 またあらゆる分類、日々生成される無限の分類概念に[1/1]を対応
させることが、数学的に可能なのか?
 これに関しても数学者はこたえられなかったばかりか、この設問を食わ
せた世界有数のスパコンは、すべてオーバーヒートでぶっ壊れてしまった。

 要するに人類は、これを事実として受け入れる以外になかったのである。
 こうして、赤血球保有者は「グロビニアン」、青血球保有者は、「シア
ニスト」と称され、地球文明の二大勢力として相拮抗するようになる。

 細かい分類において一対一対応するということは、どちらかが優越する
ことを原理的に不可能にしていた。世界の指導者も、各国軍の兵士たちも、
みな、相等しかった。

 世界各地で婚約が解消され、離婚が急上昇した。シアニストの子はシア
ニストの親に引き取られ、グロビニアンの子はグロビニアンの親に引き取
られた。
 シアニストはシアニストで集まるようになり、それはグロビニアンも同
じだった。
 同じ国家、同じ地域の中に、シアニスト部落とグロビニアン部落が、ま
だら状に入り組んで形成された。

 既存国家は無意味化した。地球は、グロビニアンとシアニストの二大勢
力下に分裂する。彼らはお互いに、相手を〈同じ人類〉とはみなさくなっ
ていった。
 そうして、言葉の正確な意味で実力伯仲する二大陣営の、奇妙な冷戦が
しばらく続いた後、突如戦争が始まった。

 むろん勝負はつかない。なにしろ、軍事力、経済力、頭脳、等々、す
べての面で、実力伯仲しているのだから。

 戦争は、何十年もつづいた。終結はなかった。それは際限なくつづけら
れた。
 もはや宇宙開発などにかまけている余裕は、どちらの陣営にもなかった。
 太陽系各惑星植民地、基地は、閉鎖され、植民者たちは、それぞれの陣
営のもとへと撤収していった。
 恒星間光子ロケット開発など、もはや夢のまた夢だった。
 地球は、泥沼のような戦争に疲弊し、次第に衰亡への道をたどってい
った。

     ※

 窓の外は、夜だった。
 夜空には星々がびっしり犇めきあって、そこが銀河系核星域であること
を証明していた。
 老バリオは、ちかごろ頓に感ずるようになってきた倦怠感に身を任せた
まま、星々によって隙間なく埋めつくされ、銀色に輝く、夜の空を眺めて
いた。

 ふと彼は、ここ数十年、一度も帰っていない、トリエスト星区の故郷の、
トレアの実のたわわに実った大農園のことを想った。

 ――帰りたい。

 と、痛切に感じた。
 それが不可能なことも、彼が一番よくわかっていた。
 連邦は彼をまだ必要としていたし、彼の故郷も、今では、彼の知る故郷
ではなくなっていることも……。
 トリエスト星区は、今や銀河系でもっとも戦闘の激甚なところだった。
トレアの大農園など、何十年も前に遺棄されていたはずだ。

 音もなく部屋の一隅が、ぼやっとぶれ、通路が開いた。一人の男が入っ
て来た。
 自動的に、絞られていた室内照明が、ゆっくり明るくなった。
 天井全体が発光しているので、明りはやわらかく穏やかで、影はでき
ない。

 男は敬礼して報告する。
「経営部主席閣下、〈赤と青〉計画は、予定通り、完了しました」
「うむ」
 老バリオは、頷く。
 男は再度敬礼すると、くるりと回れ右し退出していった。

 出口がまた少しぼやけ、焦点があった時は、元の壁に戻っていた。
 部屋の照明が落ちてゆく。
 彼は、ふたたび窓外に目を移した。

 連邦のかかる非常事態時に、われらが後背地たるワレント星区――彼ら
の言葉でなんと言ったかな、そうそう、シリウス星区だ――に混乱が生ず
ることは、好ましくない。
 彼らをあのまま野放しにしておけば、必ずや、恒星間航法を開発し、ワ
レント星区に進出してきただろう。
 それは、この時期、この状況下においては困るのだ。今、現状において
後背地に問題が起これば、それは即、我が方の敗北を意味する。

 彼らには可哀想だったが、これは連邦存亡の大問題だった。
 わが方の兵站は、既に伸び切り、動員力も限界に達している。
 彼らは、その発生する時期が、悪かったのだ。そうとしか言いようがな
い。そう思って、諦めてもらうしかあるまい。……

 と、老バリオは、複雑な心中で思った。

 将来、連邦に加盟し、ひょっとしたらその枢軸となって連邦に貢献した
かも知れぬ、新興の人類――やむをえぬ事情であったにせよ、その可能性
の芽を摘み取ってしまったことは、まごうかたなき事実であった。

    ※

 何十世紀も昔から続いているこの戦争は、終息する気配さえなかった。
 老バリオは、同様に銀河連邦を名乗っている《敵》との、このながいな
がい戦の原因を知らなかった。
 それが忘れ去られて、既に久しかった。

 かつて、遙かな蒼古時代、銀河系はひとつの連邦に統合されていたとい
う。
 それが、ある日突然戦争が始まった。
 ――そう、伝説は伝えていた。

 もう一つの連邦の構成種属たちは、我われとは全く異なっていて、コミ
ュニケーションの手段がなかった。
 だから、互いに歩み寄る、などということもありえなかった。
 つまり道はひとつしかなかった。
 戦って、戦って、戦いぬいて、相手を殲滅し、勝利する。それしかあり
えなかった。

 ――それがわれわれの運命なのだろう。
 老バリオは、そう思っていた。そう思うしかなかった。

 ふと彼は、自分たちの運命が、《赤と青》計画によって衰亡した、あの
地球と呼ばれる惑星の住人たちに、似ていることに気づいた。

 それがむしょうに、彼には哀しかった。
 

わははは、落ちよった!

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2012年 4月28日(土)00時10分21秒
返信・引用
  悪は滅びる。葵は枯れる。
うるさそうなやつらは落選する。
これすべて、世のならいじゃ。
残念やなあ。聞いてほしかったのになあ。(^_^)
いや。しかし、ほんまに応募が多かったそうですわ。
サンケイブリーゼなら、誰でも参加できますので、よろしく!
 

Re: 管理人様へ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月27日(金)22時23分47秒
返信・引用 編集済
   海野さん、解読ありがとうございました(^^;。

 あら、段野さんも落選でしたか。私のところにもはがきが届きました。案の定落選でした。
 西宮市民の段野さんがだめなんですから、市民でもない私が入選するはずがありませんよね。いたし方ありませんね。
 かんべさんの講演を聴く折角のチャンスでしたが、又の機会を待ちましょう>段野さん

 >これでかんべさんのお怒りも少しは減るかな
 かんべさんは、怒ってはりませんよ。恥ずかしがってはるんですよ。いうところの含羞の人ですね。遠景中景近景でいえば、遠景や近景は問題ないんじゃないでしょうか。
 などと書くと「ほう、マジかえ?」とか言うんですよ(^^;

 落選記念に案内ハガキを貼り付けておきましょう。

 それにしても、不思議な文字化けですね。アルファベットはセーフなんですね。この掲示板のソフトと段野さんのPCの反りが悪いんでしょうか。ちょっと調べてみます。

 ゴールデンウィーク前日ということで、今日は久々に忙しくて、ぐったり。肉体労働もけっこうやったので、腕がブルブル震えています。昔のような手書きだったら、今日はアウトですな。ワープロだからこうやって打てていますが。読書時間は当然ゼロ。これから読もうと思っていますが、バタンキューかも。
 

Re: 管理人様へ

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月27日(金)20時41分40秒
返信・引用
  > No.3624[元記事へ]

むむむ。
段野さん。さしでがましいですが、暗号文を解読しましょう(笑)

管理人様へ
文字化けしていますが、他の投稿は無事です。
[西ノ宮文学館]見事!落選してしまいました。(これでかんべさんのお怒りも少しは減るかな)


そんな感じですねー
抽選だと言ってらしたですね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

管理人様へ

 投稿者:段野???  投稿日:2012年 4月27日(金)14時51分26秒
返信・引用
  mojibakesiteimasuga,hokanotoukouha,
bujidesu.
[nisinomiyabunngakuannnai]migoto!rakusensitesimaimasita.(koredekannbesannooikarimosukosiha,herukana.
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月27日(金)02時31分43秒
返信・引用 編集済
       巨星墜つ

 被弾の衝撃はすさまじかった。
 隣りに座った軍医長が何か叫んだけれども、貫通孔から流入する風音が
凄まじくて、彼には聞き取れなかった。
 そのときにはすでに、機体はほのほに包まれており、真っ黒な煙を吹き
出しながら、錐揉みに墜落をはじめていた。

      ※

 とつぜん彼は、自分が墜落中の飛行機の座席ではなく、どこか別の場所
に立っていることを知った。
 そこは広い部屋だった。
 壁面の一つが、全面、一枚の窓であることに、彼は注意をひかれた。
 部屋には明りがなかったので、外がくっきりと見えていた。

 窓の外は、夜だった。
 上から下まで、夜空であった。

 彼は首をひねった。

 夜空が、上方へ伸びているのは当然である。だが、窓の下枠に区切られ
た、そのさらに下方にまで、つづいているように見えるのは、不可解だ。

 ――ここはどんな高い建物なのだ? 断崖の上にでも建っているのか?

 夜空は、満天の星屑だった。
 でも、なにか変だ。
 そして気づいた。

 ――星々が、瞬いていない!

 星空全体が、まるで時間が止まったかのように、凍りついていたのだ。

 窓ぎわに寄って、下を覗いた。
 彼は息を呑んだ。
 窓から見える下方には、目路の届く限り、底なしの夜空が拡がっていた
からだ。しかも……。

 遥か下方に、月が懸っていた。

 そして、月のさらに下方に、月よりもずいぶんと大きい、青い月のよう
なものが浮かんでいた。

 ――あれはなんだ?

 頭が混乱していた。

 ――これは夢なのか……。

 そして彼は、自分がついさっきまで、墜落する飛行機の中にいたはずだっ
たことを思い出した。

 ――するとここは、もう、《あっち》……なのか?

 背筋がぞわりとした。

 そのとき……部屋にやわらかい照明が拡がった。
 それまでただの壁面だと思っていたところが、音もなく左右に開き、背
の高い人物が入ってくるのを、彼は見た。

     ※

 彼は、口を真一文字に結んだまま、一言も喋らない。
 背の高い人物はため息をついて首を振り、もう一度、今の話を繰り返した。

「我々は貴殿を、激突寸前の搭乗機から救出しました。
 そして我々は、貴殿を死中より救助したと同様に、貴殿のお国をも、今
や定まった(と申し上げてよろしかろう)その死から、救い出してご覧に
入れましょう、そう申しておるのです。
 既に貴殿が、この《うちゅうせん》の中でご覧になったように、我々の
科学技術の水準は、貴殿のお国のそれの、何百倍、何千倍も進んでいます。
その力を、お国のために提供しましょう……もし、貴殿がそれを希望され
るのであれば。
 お国の誰よりも頭脳明晰であり、洞察力に秀でた貴殿なら、もはやこの
戦争の先は見えておられましょう。
 だが、ひとたび我々が応援すれば、状況は忽ちひっくり返るでありまし
ょう。さあ、いかがなされます?」

 ――たしかに、この男の言うとおり、わが国の命運は、既に決した。

 彼は思う。

 ――もし彼らが、その言葉通り、わが国に肩入れしてくれるなら、ある
いはひょっとして、我々はこの戦に勝てるかもしれない。いや、この科学
力をもってすれば、負けるはずがない。必ずや勝利するに違いない。

 しかし……

 ――彼らは、この地球の人間ではないという。私には想像もつかないが、
彼らは遠い星からやってきたのだという。でも、いったい何故? ただ我
々に肩入れするためにやってきたというのか? そんなことが信じられる
ものだろうか? だとしたら、奴らの本当の目的は何なのだ?

 あるいは……

 ――わが国が勝利したとしよう。だが、その後の戦後処理はどうなるの
か? やつらはそれに関与してくるつもりではないのか? 我々の局所的
な勝利が、地球という星全体の敗北の序章とならないと言い切れるのか?

 彼の心は決まった。

     ※

 墜落の翌日、ブーゲンビル島モイラ岬ジャングルの墜落現場に、最初に
到着したのは、第六師団歩兵第二十三連隊、浜砂少尉の部隊であった。
 浜砂によれば、搭乗機、一式陸攻の機体の傍に、山本は座席ごと放り出
された状態で、軍刀を右手で固く握りしめ、あたかも生きているかのよう
に着座したまま死亡していたという。
 記録には残されていないが、そのとき浜砂は、山本の口元が、かすかに
微笑みを泛べており、それがまるでありがたい仏様のように見え、思わず
膝をついて合掌したと、同僚に語っている。――昭和十八年四月十九日の
ことであった。

●チャチャヤン評価は不明。全く覚えていません。でも「C」は取ったことがないはずなので、「B」のどれかだったんでしょう。
 ストーリーは触っていませんが、ラストの部分は、今、ネットで調べながらでっち上げました(^^ゞ
 

「サイバラバード・デイズ」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月26日(木)21時55分51秒
返信・引用 編集済
   承前
 3番目の「暗殺者」を読む。
 うーむ。ここまでの3作、なんか日本のアニメの臭いがぷんぷんしてきますね。ヌートという(両性具有ではなく性器がない)ユニセクシャルな中性人のフォルム(とりわけヌートのヘールのそれ)は、いかにも日本のアニメっぽい。本篇は特に、字で書かれたアニメといって過言ではありません。(*)
 しかしこの著者、ジャパニメーションの洗礼を受けるような、そんな若い世代だっけ、と裏表紙の略歴を見たら、1960年生まれ。うーん微妙。中年になってからジャパニメーションにハマったんでしょうか(笑)。

 あと、特徴的だなと思ったのは、伝統的にカッコイイサイバーパンク的世界観なのに、案外に泥臭いんですよね。サイバーパンクが長嶋なら、本書は新井ですな(>おい)。
 いわば魔法や精霊を扱っていたファンタジー作家が、頑張って無理して、AIやら電脳やら遺伝子改変を、必死にコントロールしようとしているような、そんな感じがしますねえ。
 ひょっとしたらインドで電脳という著者の目論見自体がミスマッチなのかも(アジアと電脳は合うんですけどねえ)。いやそれがミスマッチなのは著者も先刻承知、そのミスマッチから手術台上でのミシンとこうもり傘の結婚を目論んでいるんでしょうね。

(*)いやむしろ往年の少女漫画的かも。萩尾望都が漫画化したら合うような。
 

Re: Ull

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月26日(木)16時58分7秒
返信・引用
  > No.3619[元記事へ]

 段野さん?

 ご投稿ありがとうございます。
 なのですが、ご投稿文が、こちらでは文字化けして見えています。ただ文字化けの中に「mojibake sitemasuyo」という文字列が見えるので(こういう表示は初めてです)、そちらからは掲示板全体がおかしく見えているのでしょうか?
 携帯と別のブラウザとで確認しましたが、掲示板自体は問題ないようです。ひょっとしてご投稿文入力の際、何かあったかも知れませんね。
 これまでの経験では「機種依存文字」あるいは「半角(カタカナ)」を文章の中で使用すると、化ける場合があるような気がします。あと〔ツールバー〕の〔表示〕の〔エンコード〕がずれているかも。

 よろしければ、ご確認の上、再度ご投稿お願いします。
 

(無題)

 投稿者:段野E��  投稿日:2012年 4月26日(木)13時36分58秒
返信・引用
  ???  

Ull

 投稿者:段野???  投稿日:2012年 4月26日(木)13時31分49秒
返信・引用
  ???mojibake sitemasuyo  

「サイバラバード・デイズ」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月26日(木)00時15分40秒
返信・引用
   まず、『第六ポンプ』表題作について補足。
 承前、作品集中では唯一異質な感じを覚えた表題作の主人公トラビスには、知の絶対善に対する確信があるのです。
 それは「知(教養)への帰依」と言い換えてもよい。ある意味主人公は、「知」を笠に着て、教養が失墜した世界を見下ろしているわけです。
 この構図、下向きのベクトルが、私には引っかかるところだった。
 この視座から見ると、主人公トラビスは「盲人の国の片目の王」の印象を、否応なく纏い付かせているのです。
 ただしこれは、いうまでもなく、(作者作品を超えた)SFというジャンル特有の「契機」なんですよね。かかる傲慢さをSFは、構造的に内在させています。
 むしろ逆に、このベクトルがあればこそ、(先日規定したような)「SFファン」にとっては、心地よいということになるわけです。
 その点、ジャンルSFではない「やわらかい」には、そのようなベクトルが微塵もなく、むしろカミュを彷彿とさせる。傑作です。
 私が予想するに、著者はどうも、この対極的な二作品の間をいったりきたり、これからもしていくのではないか。
 ただバチガルピの本質は「やわらかい」の方にあることは、集中の表題作以外のSF作品が証明しています。要はSFという「装置」を利用する際に、ちょっと気が抜けると、「SFのプロソディ」に引きずられてしまう、ということでしょう。

 『サイバラバード・デイズ』は、最初の二篇を読みました。この二編は、「第六ポンプ」表題作と同じで、ジュブナイルの構造で作られています。したがって主人公はどちらも、いわゆる「良い子」であるわけです。「やわらかい」の主人公からは最も遠い存在といえる(というかそこまで達する経験を積んでいない)。ただ、知や教養を後ろ盾にして見下ろす視線はありません。「SFのプロソディ」で語りつつも、自動的に流れてしまうのを、マクドナルドは堪えているように思われます。
 

Re: OCR

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月25日(水)16時35分52秒
返信・引用 編集済
  > No.3616[元記事へ]

 海野さん

 あ、いや、手書き原稿は無理ですね。下は、タイプ印刷された同人誌をスキャンしてOCRにかけたものです。
 すみません、説明が稚拙で。読み返したとき、分かりにくいかな、と思ったんですが、そのままスルーしてしまいました(^^;。

 海野さんも同じなんじゃないかなと、ひそかに思っているのですが、手書き原稿をワープロで入力していると、全部直したくなってしまうんですよね。「だ」を「だった」にして、また「だ」に戻したり(^^;。無限ループに落ち込んでしまうのです。
 場合によっては原文が見る影もなくなってしまったりもします。時間がバカかかる上に、改稿前と後を比べて、さして良くもなっていない。
 3枚程度ならまだしも、下は17〜18枚くらいあって、これを一から打ち込んでいたら大変なことになってしまいます。
 だからOCRで、とりあえず全文テキスト化して、その後、文字誤認を訂正しつつ部分改稿していくという方法にしました。
 というか、まずOCRの練習・習熟(コツの把握)が先にあったんですが。

 手書き文字を読み取り可能なOCRが出来て……というアイデアは面白そうですね。
 ラストはペン習字を習いに行かなければならなくなった、とかいった、結局要らん作業が増えてしまってなんのこっちゃない、という方向のオチがよさそうですね(笑)。
 

Re: OCR

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月25日(水)13時58分37秒
返信・引用
  > No.3615[元記事へ]

うちのプリンターにも付いていました。OCR機能。
むむ、手書き文字でも読み取れる?
「みなしご」の手書き原稿でやってみました。
冒頭の「ぼくは」だけ読みとれて、あとは数字と記号のわけのわからない配列になりました。
しょうがないですねー

わかった。
もっときれいな字で書き直してから読み取らせればいいんだ(笑)

あ、これってちょっとしたショートショートになりそう。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

OCR

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月24日(火)21時51分3秒
返信・引用 編集済
   ところで下の記事、よくもまあこんなに長文を、飽きもしないでテキスト化したもんやな、暇なんやな、と思われたんではないでしょうか。失敬な、暇なことないですよあー忙し((c)谷しげる)(^^;
 実は今回の分、OCRにかけて作成しました(だから同人誌掲載作品なのです)。
 新しいプリンタを買ったんですが、最近のはみなそうなんでしょうか、なかなか多機能で、そのなかにOCRもあったのでした(本を見開きでスキャンしたら、扇形に歪みますよね。それを補正する機能もあるみたい。まだトライしていませんが)。
 で、練習を兼ねて、使い勝手を試してみたのでした。やってみると、スキャンの向きで、よく読み取ったり読み取らなかったり、いろいろコツがあるみたい。面白いです。
 習熟したら、眉村さんの雑誌掲載エッセイや新聞切り抜きをテキスト化してみたいな、などと考えています(笑)

 歌田明弘『電子書籍の時代は本当に来るのか』(ちくま新書10)読了。

 新銀背がなかなかよかったので、つづけて『サイバラバード・デイズ』に着手の予定。
 

「みじかばなし集」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月24日(火)19時18分53秒
返信・引用 編集済
  ●「工場管理人」は、作品ナンバー4。「廃墟」の次に書いた作品。チャチャヤン評価は、たぶんBだったと思いますが、未記入。
 「識別者」は、<チャチャヤング・ショートショート bQ>に掲載。なのでA評価だったはずですが、このときのチャチャヤングを聴かなかったという大失態!
 「気象官」「学生」「煽動者」は、チャチャヤン未投稿。のちに、<風の翼4号>掲載。
 すべて今回、手直ししました。
 なお、《メンター》シリーズ(なのです(^^;)は、もう一篇「踏切番」があるのですが、それはまたいつか(笑)。

      ――――――      ――――――

【工場管理人】

 ビィィィィィ――

 起床のブザー。老人はベッドから起き上がった。
 洗面室で顔を洗い、いつも通り、朝食。
 コーヒーを入れ椅子に座り、新聞を読み始める。

     ※

 ブゥゥゥゥン――
 ゴォォォォオ――
 ガラガラガラガラ――

 さまざまな音を響かせながら、工場は生産を開始する。
 またたくまに原料は加工され、製品がベルトコンベアに吐き出される。
 コンベアは時速4キロの速度で、ベルトの上に整然と並んだ製品を工場の
外へと運び去ってゆく。

 人間はいない。無人工場なのだ。そんな工場内を、修理ロボットのみが
縦横に走り回っている。
 自己修復能力のある、完全自動化された生産工場――

     ※

 ビィィィィィ――

 就寝のブザー。
 老人は、新聞を丁寧にたたんで、椅子から立ち上がった。そして呟く。
 「ああ、今日も……」ちょっと言いよどみ、「何も起こらなかったな」
 今日も無事に――と言いかけて、やめたのだ。
 老人は、ベッドにもぐりこむ。

     ※

 機械が止まりひっそり静まり返った工場内を、清掃ロボットが、一日分
の埃がうっすらとつもった通路を、掃除してゆく。


【識別者】

 もう間違いは許されなかった。
                      moppin'bird
 ブンプンと羽音をひびかせ、忙がしく立ち働くモップ鳥の仕事ぶりを、
呆然として見守る彼の顔面は、蒼白だった。
 ついに――
 彼は、ゼイゼイと喘ぐ。ついに、来るべき時が来たのだ。

 モップ鳥の羽音が、ひときわ騒々しくなる。
 《それ》は……。リノリウムの床に、ぐじゃぐじゃに飛散した《それ》
は、既に、ほぼモップ鳥によって、消化、吸収されてしまっていた。彼が
診断を誤まった、三度目の、《それ》は……。
 四度目は、許されなかった。
 もう、あとはないのだ。

 モップ鳥が巣に帰り、カチリとスイッチが切れて凝固すると、ドアがす
るすると、左右に開いた。
 次の被疑者が入ってきた。
 ひょろりと長い手足、表情のない顔……。
 光沢を取り戻したリノリウムの上を、男はやけに緩慢な動作で歩き、彼
の前の診察椅子に、腰を下ろした。

 固い表情で、彼は診察を開始する。
 ――10分が経過した。
 度はずれた念の入れようで、彼は男を診ていた。
 ――20分。
 玉の汗が、額に浮かぶ。
 ――30分。

 ビイイイイイイ――

 しびれをきらせた《メンター》が、ブザーを鳴らして彼をせきたてた。
 しぶしぶ、彼は顔を上げる。
 一瞬の懊悩。
 そして、うしろを振り返る。
 合図した。

 緑色の光線が、男の体を刺し貫いた。男は、うしろざまにどうと倒れる。
 ほとばしる鮮血。
 彼の白衣に、びしゃっと、赤の模様が描かれる。
 彼は、はじかれたように立ち上がった。

 飛び散ったのは、ハイシリコンやプラスチックではなかった。
 噴き出したのは、潤滑オイルではなかった。
 桃色の内臓と肉片。どくどくと流れ出る血液。
 それは正真正銘、生身の人間のものであった。

 彼は叫ぼうとした。
 けれども、それは声にならなかった。舌が膨れ上がっていた。
 よろりと、彼は、椅子に坐り込む。
 まだ赤熱している銃口が、ゆっくり、彼の方に向き始めていた。


【気象官】

 六時五〇分――
 彼は、〈気象観測室〉と記された扉を開けると、定員一名の、その狭い
空間に体をすべり込ませる。
 巾一メートル、奥ゆき三メートルの狭小な室内には、机と椅子がある。
 机の上には、小さなコンソールがそなえつけられ、机の前の壁面はパネ
ルになっている。
 彼は椅子に腰を下ろすと、机上に鉛筆と紙片を置いて、しばらくの間待つ。
 それが彼の、ささやかな抵抗。

 待つまでもなく、コンソールに明りがともり、カタカタと振動し始める。
 パネルが抽象的なパターンを描き出す。
 彼がコンソールのキイを二つ、三つ叩くと、コンソールの上部につき出
した発声装置から、音声が流れ出した……

 《メンター》ヨリ、定時連絡。
 今夜、七時カラ明朝七時ニカケテノ、第五管区ノ天候ハ、雷ヲ伴ナウ豪
雨トナル。
 従ッテ、午後七時ヨリ、"おれんじ警報" ヲ、発令セヨ。
 最低気温、摂氏三度。最高気温、摂氏十二度。
 ナオ、今回ノ電力消費ハ、"れべる・せぶん" デアル。
 以上――

 彼は、写したメモを掴んで、室を出る。
 数歩あるいて、隣の、〈放送室〉と記された室に入る。
 前の室と、寸分もたがわぬ小さな室。機能本位の設計。
 そこにも、机と椅子があり、コンソールとパネルがある。
 椅子に坐って待機する。

 六時五十五分――
 コンソールに明りがともり、上部につき出した小型テレビカメラが自動
的に作動を開始する。
 彼は、メモを片手に喋り始める。

「みなさん今晩は。六時五十五分の天気予報の時間です。
 今晩から明朝にかけて、雷を伴なう豪雨の可能性があります。
 そのため今夜七時より、オレンジ警報が発令されます。外出の際はくれ
ぐれも御注意下さい。
 また、落雷による停電が予想されます。
 今夜は昨夜より、さらに冷え込みが厳しく、気温は三度近くまで下がる
かも知れません。
 これからますます、寒さは厳しくなっていきますから、どうぞ風邪など
召さぬよう、お気をつけ下さい。
 これで、今夜から明朝にかけての天気予報を終わります」

 彼は立ち上がる。
 扉を開けて、通路に出た。
 通路をはさんだ対面は、窓も扉もない壁面だった。
 壁面には、大きく文字が、彫り込まれている。
 それは、五十年も昔のスローガン。

 ――的中率百パーセントをめざして!

 この巨大な庁舎にたったひとり残されて久しい。
 〈外〉はいったいどうなっているのだろうか。
 まだ「いる」のだろうか。
 おれの放送にチャンネルを合わせてくれる人が、まだいるだろうか……

 彼は、スローガンを左手に、一歩を踏み出した。自分の個室へと。

 七時――


【学生】

 講義が始まった。
 彼は、カセットテープレコーダーのスイッチを入れた。
 カシャ、と微かな音をたてて、カセットが作動を開始した。
 語学の時間は、いつもこうする。
 カセットテープは、復習に、実に役立ってくれるのだ。
 もっともそんなことをするのは、彼くらいのものだったが。

《ティーチャー》が、正確な発音で英語を喋り始めた。昨日は女性だっ
たが、今日は男性の声だ。
 教室は、しばらくの間ざわついていた。が、しだいに静かになっていき、
やがて《ティーチャー》の声と、学生たちが走らせる鉛筆の音を除けば、
物音ひとつしなくなった。

 その静寂の空間を、時間がゆるやかに流れていく……

 かすかに外が、騒がしくなった。
 遠く、男たちの罵る声や、女のヒステリックな叫びが聞える。
 それはだんだん近づいてくるようだった。
 学生たちは、不安気に身じろぎした。心配そうに顔を見合わせる。

 いくらも経たぬうちに、声の主たちが教室になだれ込んできた。
 手に手に、銃を持っているのだった。
 乱入者たちは、興奮していた。目が異様にギラついている。明らかに正
気ではない。

 「この合成ゴム野郎!」
 乱入者たちは腕をふり上げ、口々にがなりたてた――

 きさまらのせいで、おれたちは職を失った。
 きさまらが、おれたちの仕事を奪ったんだ。
 きさまらのために、どれほどたくさんの人間が、路頭に迷ったことか。
 苦しんだことか。
 死んでいったことか。

「それをおまえたちは知っているか!」
 学生たちは、何も言わなかった。
 教室の隅に体を寄せあって、悲鳴もあげず、学生たちは、じっと乱入者
を見あげた。
 その態度が、乱入者をさらに逆上させたのだ。……

 殺戮が始まった。
 乱入者たちは、蛮人のように吠え、おめきながら、銃を撃ちまくった。
 銃声と喚声とが、壁に反響し、重なり、聞くに堪えない、ひとつの音に
なった。

 殺戮は終わった。
 乱入者は潮が引くようにひき上げていった。
 あとには――、学生たちであったものが、おり重なって、遺された。
 それはただの物体だった。

 そして静寂だけがあった。
 殺戮の間じゅうも、まるで無頓着に喋りつづけていた《ティーチャー》
も、《メンター》の指令で、黙り込んだ。
 照明も消された。……

 暗く、無音の教室に、ひとりカセットテープのみが作動していた。
 それは、全ての経過を記録していた。
 数分前の騒動も、全部もらさず録音していた。
 乾電池は新しく、録音は完璧だった。
 死に絶えた世界で、なお、カセットは回りつづけていた。静寂のなか沈
黙を録りつづけながら。とはいえ、それもあとわずかの命であったが。

 そうして、真っ暗な教室に、カシャ、という音が響きわたった。
 テープが尽きたのだ。

     ※

 見捨てられた教室に、うっすらと埃が積り始めた。


【煽動者】

 ついに、男は追いつめられた。とび込んだ横道は、行きどまりだったのだ。
 男は恐怖にかられて、うしろを振り返る。
 足音が追ってくる。
 やつらの足音。
 男は、けもののように唸った。
 血走った目で、周囲を見回わし、逃げ道をさがす。
 だが、空しい。

 不意に、角を曲って、やつらが姿を現わした。
 男は吠えた。
 言葉ともいえぬおめきを発しながら、男はやつらに向って突進した。
 先頭の男に、踊り込むようにとびかかる――

 その瞬間、緑色の淡い光線が、男を貫いた。
 ボッ、という音がして、男は燃えあがった。
 どす黒い煙を噴き上げながら、燃える男は、路地をころげまわる。
 キナ臭い、油臭いにおいが、あたりに充満した。

 またたく間に、男は燃え尽きた。
 炭化し、融解し、変形した男の残骸から、不燃性の合成物質で作られた
臓器が、そのびらびらした姿をのぞかせていた。

      ※

 照明が甦った。
 しばしのざわめき。
 人々は立ち上がる。
 彼らの顔には、等しく憎悪の色。

 彼らは、いっせいに胸のホルスターから、冷たく光るプラスターを取り
出した。
 点検し、ふたたび納める。
 整然として、映写室から出ていく。

 マンハント……。

 人間狩りが、これから開始されるのだ。
 彼らは正確無比、冷酷無情に、都市にひそんだ人間どもを見つけ出し、
消去していくだろう。
《メンター》は、彼らに指令を送りつづけながら、満足気に、表示燈を
明滅させた。
 

「みじかばなし集」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月23日(月)20時30分1秒
返信・引用 編集済
   さて、(実質的な)第一作の「黙示録」は光瀬龍の完全なコピーでした。第三作の「廃墟」は、言わずもがなだから書きませんでしたが、眉村さんの「午後」の剽窃でした(汗)。つまり最初の最初から、私の創作態度は不変なのであります(>威張れることなのか)。
 となると、みなさん、では第二作は誰だったんだと、思われますよね。いやきっとそうに違いない。実は筒井康隆だったのです。下の作品がそうなんですが、これが筒井? と思われますよね。いやまったく。筒井さん(の擬似イベント物)をごく浅く、表層的にしか、理解していなかったことが丸わかりのショートショートでしょ?
 自分が読んでも赤面の軽薄な作品で、この掲示板にさえ、載せる価値がないと考えていたのでしたが、昔の作品を載せていくうちに、そんなことをしていると、どんどん敷居が低くなってきて、案外捨てたもんじゃないな、手を入れたら読めるんじゃないかな、などと思い始めたんですから、なんと自分に甘い男なんでしょう。でもクラスではそこそこ好評だったんですよ。

 ということで、われながら読むに耐えない自己満足な軽薄な部分を削り、表現を変えました。「イッチバーン」とか(笑)
 なお、ここで揶揄しているのは日本人です。中国人ではありませんので念のため。今でこそ日本人のなかには中国人を小馬鹿にする輩がいますが、わずか四〇年前の日本人のイメージって、こんな感じだったはず。小馬鹿にする資格なんてありませんよね。ただ軽薄な描写であるのは間違いなく、しかし中学生が喜んで書きそうで、また喜んで読みそうな描写ではあるわけです。この作品はチャチャヤン未投稿。まあそれくらいの分別はあったわけで。
 ところで石原藤夫や豊田有恒のトリビュート作品もあるんですが(^^ゞ


     プロ

 時は皇紀六千六百六十六年。
 わが地球は、大統一戦争の結果、かつて存在したすべての国家は『ホン国』と『ガイ国』の二国に統合されていた。
 日時は五月五日午後五時五十五分。
 ガイ国の宣戦布告により、両国は第九百九十九回目の全面戦争に突入した。

      ※

 平行宇宙も含むすべての宇宙の茶の間の目は、この地球統一大戦争最終ステージにそそがれた。

      ※

 開戦三時間三十三分三十三秒後、ガイ国人は、得意のトッカン工事で、ガイ国領土から地球の中心を通ってホン国に至るトンネルを掘り抜いた。何故そんなに迅速に達成できたかというと、実は宣戦布告以前から、ひそかに掘り始めていたのだ。

 ガイ国人兵士は、その平板な黄色い顔に、ニタニタ笑いを浮かべ、二人一組になって、直径一メートル、重さ百キロの鉄の球を、スモウレスリングのヨコヅナの土俵入りのように腰を割った姿勢で抱え(それは短足ガニマタという人種的特徴を生かした技であった)、ヨタヨタとカニのように横歩きして、その鉄球を、穴に落とした。

 実はその鉄球は、新型バクダンなのだ。どこが新型かといえば、加速感知装置が付いているのだ。

 ガイ国人科学者は考えた。バクダンは地球重力をうけて加速し、中心点を最大速度で通過、その後は逆に重力に後ろから引っ張られて減速し、向こう側に出た瞬間に速度はゼロになる。したがって加速感知装置に信管をつなぎ、加速(減速も)を感じなくなった瞬間に爆発するように設定しておく。そうすると、バクダンはホン国領土に出た途端に爆発し、われらは大勝利を収めるではないか。

 ガイ国兵の手から離れたバクダンは、まっすぐ穴に落ちていった。ところがバクダンは、科学者が予想したようには落下していかなかったのである。
 バクダンは、最初こそ勢いよく加速したが、途中から減速しはじめ、なんと中心点付近でストップしてしまった。
 なぜなら重力加速度は質量に比例し距離に反比例するのである。地球中心では質量はゼロになる。よって重力加速度もゼロとなり、つまり停止してしまうのだ。
 ガイ国人科学者は、万有引力の法則を知らなかったのだ。何たるちやサンタルチヤ!

 さて、加速度がゼロになったらどうなるのだったか。爆発するのだ。
 地球中心で爆発したらどうなるか。もちろん地球は粉々に砕け散ってしまう。
 かくして地球文明は消滅してしまうのであった。

 ところが。
 なんとバクダンは爆発しなかった。いや、したことはしたのだが、それはそれ、世界に冠たるメイド・イン・ガイコク印のバクダンである。安上がりに作られていないはずがない。不発弾ではなかったが、プシュッと線香花火のような煙を上げただけで、バラバラと部品に分解してしまった。

 ガイ国人唖然呆然、ホン国人の気勢は最高潮。一気に国境線を越え、ガイ国領を蹂躙し、ガイ国政府は無条件降伏したのだった。

      ※

「それでは、今次戦争の勝利国であるホン国大元帥、オタンチンパレオロガス閣下にインタビューします。 閣下、勝利おめでとうございます。これで去年の借りを返し、通算成績でタイに持ち込んだわけですが、勝利のお言葉を」
「イッチバーン!」
「ありがとうございました。次回も期待しております。それでは今年のUPW宇宙プロ戦争は、ホン国の勝利をお伝えして、アースパレスからの生中継を終わります。また来年まで、ごきげんよう」

      ※

 平行宇宙も含む全宇宙の戦争ファンは、満足してテレビ中継を切った。

      ※

 かくしてわが地球は、一年分のファイトマネーを獲得した。これで今年も百億の人口を養っていける。
 それどころか、次の戦争まで一年間、地球人はぽっかりとふくらんだ財布をハラマキの下に入れ、メガネステテコカメラのユニフォームに身をまとい、団体旅行で宇宙各地をねり歩き、ヒンシュクを買いながらも、金はばら撒くので観光星をホクホク顔にさせるのであった。

       ※

 第千回UPW宇宙プロ戦争協会総会は、創設十世紀を記念して、各星で盛大な興行を行うことを申し合わせた。地球地区においては、ガイ国が大接戦の末、ホン国に勝利することを決定し、両国にその旨通達し、閉会した。
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月23日(月)01時09分32秒
返信・引用 編集済
       虹

 外に出てみると、雨は止んでおりました。
 そして美しい虹が、私の家の庭先から、西の方へ、アーチをえがいて架
かっていたのでした。
「やあ、なんときれいな。そしてなんと近いんだ!」
 目の前で虹を見るなんて、初めての経験。ものすごく明かるくて、キラ
キラ七色に光っているのであります。

 と、そのとき。どこからともなく――
「おい、君。虹の上を渡って向こう側へ行ってごらん。そうすれば君は、
君の未来を見ることができるんだよ」
 という声が。
 私は虹の先を振り仰ぎました。
 虹は、アーチの天辺から少し先のところで、雲に隠れておりました。

 私は、虹の上を歩いていました。
 はじめは急だった坂も、上るにつれてだんだん緩やかになってくるので
ありました。
 私は、ずんずん歩いてゆきます。
 とうとう天辺に着きました。
 私は、ほっと一息つき、そのついでに下界を振り返って見ました。

 遙か下の方に、私の住んでいる町が見えました。
 私の家の前を、幼い子らが、巫山戯合いながら走ってゆきます。
 大通りの四つ辻では、近所の同級生のミッチャンが、塾のカバンを持っ
て、ツマラナソウに信号が変わるのを待っています。
 その前を、幌を付けたトラックが、すごい勢いで通り抜けてゆきました。
 小学校が見えます。古びた木造校舎の、私の学校。
 なんともいえない、懐かしさがこみあげてきました。

「どうしたんだい。早く行こうよ。君は、未来を見たくはないのかい?」
 はっとして、前を向きました。
 虹の架け橋は、私の居るところから、ほんの少し先で、白い雲の中に消
えております。
「さあ、早く」
 でも、私は動くことができなかった。
「どうしたの?」
 私はくるりと、踵を返しました。そしてゆっくりと、家に向かって降り
始めたのでした。
「未来を知りたくはないの?」
 その声は、少しの間、私の頭の中で、エコーのように響いておりました
が、次第に小さくなって、やがて聞こえなくなりました。

 私は、黙々と家路を急いでいます。
 下の世界では、工場の煙突が真っ黒な煙をもくもくと噴き上げています。
 走る自動車の後ろからも、どす黒い排気ガスが。
 そして、どっちを見ても、人、ひと、人。

 ●この原稿には、チャチャヤン評価のメモがありません。しかし朗読されたという記憶があります(ただしAではなかったと思います。Aだったら忘れませんから(^^;)。よく見たら原稿用紙が大学のそれなので、おそらく清書し直したんでしょう。そのとき評価を書き写し忘れたようです。例によって、表現はだいぶ変えましたが、ストーリーはそのままです。
 

ニューオリンズジャズ・アット・チャーチ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月22日(日)21時01分13秒
返信・引用
  > No.3610[元記事へ]

 海野さん

 や、改稿して下さったのですね。いやー、私の無責任な指摘に対応して頂き、恐縮です。なんか責任を感じちゃいますね。ともかく早速、読ませて頂きました。私は良くなったと思います。ありがとうございました。でも、もともと改稿前のでも問題はなかったんで、海野さんの腹に嵌る方を決定稿にして下さいね(冷汗)

 さて今日は、大阪のジャズの聖地、島之内教会で年に一度開催される「ニューオリンズジャズ・アット・チャーチ」(註:PDFです)に、今年も行って来ました。ラスカルズを筆頭に関西のニューオリンズジャズバンドが一堂に会するコンサートで、大いに楽しませてもらいました。約4時間、ニューオリンズサウンドを心身に浴び、すっきりリフレッシュしましたー(^^)  帰りがけに堀晃さんとばったり出会い、ご挨拶させていただきました。

 なお、5月5日も、ほぼ同じメンバーでビッグリバージャズフェスティバルがあります(PDF)。司会のクリスさんから、観客に宣伝して下さいとの要請がありましたので、告知しておきますね(笑)
 

Re: 「再会」雑感

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月22日(日)11時56分46秒
返信・引用
  > No.3609[元記事へ]

読んでいただいてありがとうございます。
最近作はみんな仕事場で、机の前で椅子に座って書いたものです。
家に帰ると座敷机の前で書いているので、すぐに横になってしまってはかどりません。

ところで
>唯一アンフェアといえるかもですが
の部分
>ココはその女の人の連れている犬にしか興味はないようだった

>ココはその女の人の連れている犬にしか興味はないようだと康介は思った。
と修正してみました。

これでどうだー(笑)

最初に一気に書いた時は結構ばればれで、修正に修正を重ねました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「再会」雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月22日(日)00時47分34秒
返信・引用 編集済
   海野久実「再会」(10枚)を読みました→http://marinegumi.exblog.jp/15102708/
 や、こ、これは!?
 ネタを割りますので、未読の方は先にお読みください(笑)




 よろしいですか?





 よろしいですね。





 では始めます(^^;
 これは叙述トリックですね!
 僕はココなんですよね。初読では、まず読者は、僕は康介だと先入観で読んでしまいますね。
 それを支えるのが、康介が感じる「どこかで見たことがある」という感覚で、読者は(康介の)前世の因縁という風に誤読します。
 でも、これは担任の双子の姉だから「見たことがある」と感じたわけで、因果関係ではなく並行関係を誤読させているわけです。
 それをさらに強化するのが、どちらもプードルという仕掛けで、「ココはその女の人の連れている犬にしか興味はないようだった」は唯一アンフェアといえるかもですが、海野さんは巧妙に断定はしていません(汗)。叙述トリックのミステリの中にはもっと唖然とさせられるものがありますから、これは許容範囲でしょう。
 うまいですねえ。うまいというかシャープ。まさに海野さんの技巧派の面が出た、叙情とオチが互いを支え合うショートショートでした。

 コメント欄に書こうかと思いましたが、それはやっちゃいかんだろう犯罪だろう、ということで、こっちに書きました(^^ゞ

 

「第六ポンプ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月21日(土)21時01分2秒
返信・引用 編集済
   パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』中原尚哉・金子浩訳(ハヤカワSFシリーズ12)読了。

 復活したHSFS5000番台、初めて読みました(^^)。
 読中、なんといいますか、SFを読んでる! って感じがしみじみとしてきました。まるで昔に帰ったみたいな(笑)
 この形態が懐かしいんですよね。持ち具合(指の感覚)とか、さわり心地とか。あと旧シリーズでは、茶色く塗られた薬品(?)の臭いがしていたと思うのですが、それがないのが残念(と書いてからなんですが、臭いしてましたよね。それとも偽記憶?)。本という形式あるいは記憶が、内容のみならずそのような触覚や嗅覚などによっても支えられているということを再確認。
 そういえば電子出版関係の新書に「自炊」という行為の説明が出ていて、経年で茶色く変色していくのを防ぐためにスキャンして電子本化することのようなのですが、でも、本って茶色くなっていくからいいのじゃないのかなあ。端末のなかで永遠に真っ白なままって、まるで仏壇に飾った故人の写真みたいではありませんか(^^;

 それはさておき、いやー面白かった。実は表題作のみSFMで既読で、そのときも悪くはないとは思いましたが、いかにも主人公がSFファンのアレゴリーめいてみえて、やや鼻白んだ。
 SFファンて(山野浩一さんもブログに、ここ3回くらい続けて書いておられますが)「お勉強大好き」で一種の「知的エリート」なのですね。
 逆にいえば町のごんたくれ達みたいには遊んでないともいえる。
 そのぶん体験から作られる器の幅が狭かったりするのですが、それは取りも直さず、「染まってない」「まっすぐである」ということでもあるわけで、いわば「誰も見ていなくても信号が赤なら待つ」、原理主義な人なわけです。なので、一般大衆の「赤でも、誰も見ていなかったら渡る、もしくは他の人が渡っていたらいっしょに渡っちゃう」態度が許せなかったりするのですよ(みんなが渡っても一人だけ渡らずに頑張る(^^;)。

 まさに表題作の主人公がそうで、街中の人々が、インフラがどうにもならなくなってきているのに、(この場合環境汚染で痴呆化しているという設定ですが)「そうね大体ね」で一向に気にかける様子もない。主人公が一人それをなんとか維持しようと必死になっていて、大衆を軽蔑しつつも、放ったらかしにできない。で、いろいろあって、一旦はやーめた、となるんですが、自分は下水処理関係でそうだが、鉄道も何とか動いているし電気も通っているのは、やはり少数ながら自分みたいなのがいて、頑張っているのだ、とちょっと気分を持ち直して、また頑張ってみようというところで終わる。
 この「向日的」なストーリーもSFファン好みで、ジュブナイルというには年齢的に違いますが、結果として同型なんですよね。
 で、この表題作がバチガルピ初読であった私は、なんだYA作家じゃん、と拙速にも思い込んでしまっていたのでした。同時にSFファンに好評なのも、むべなるかなと(^^;。

 ところが今回、短篇集を通読して、YA的なのはこの表題作のみであった。あとはすべて、トーマス・ディッシュ『314』を髣髴とさせる、いわゆるスペキュレイティブフィクションで、もちろんそれらを通読したあとで(巻末の)表題作を読めば、やはりこの小説もそのような著者の世界設定から生まれた良作であることが了解されるわけです。(ある意味ダイベック描くシカゴの未来形かも)
 その意味で、ちょっと出遭い方が不運だったけれども、今は私も、バチガルピという作家、イーガンとは別の意味で最高のSF作家の一人に違いないと、確信しているところです。

 補足
 
 

「電子出版の未来図」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月20日(金)22時36分52秒
返信・引用
   立入勝義『電子出版の未来図』(PHP新書11)読了。

 同じテーマでの3冊目だが、著者たちのポジションはそれぞれすこしずつ異なるけど、現状の認識や伝えたいことはそんなに違いません。利用するデータも共通するのが多い。
 要するに、電子出版の可能性も問題点も、ほぼ共通理解ができあがっているってことなんでしょう。
 ではなぜ日本はガラパゴスと揶揄され、それから抜け出せないのか。
 最大の電子出版販売数を誇る(ただしその大部分をしめるのがケータイコミックという特殊性)にも関わらずアメリカ勢の後塵を拝しているのは、本書が一番はっきり述べていますが、「しがらみ」にがんじがらめになっているから。依存しあい、もたれ合いで、それぞれの既得権に配慮し合っていたら、それでは前に進んで行きません。「電書協」の大同団結護送船団はその典型で、これはアメリカのような、「創業者」オーナー社長が生まれにくい風土と根は同じですね。アメリカでは創業者オーナーが、一気に走って、あれよあれよという間に先行者利益を獲得してしまう。IT、インターネット業界というのは、日本人に向いてないのかも(クリエイターも含めて)。
 著者の提言は、「依存心」と「国際感覚音痴」をなんとかしろ、ということですが、それが出来る国(国民)なら、今頃新書で叩かれていません(^^;。
 ちなみに著者は、大阪出身でアメリカ在住の電子出版起業家。キンドルストアでコンテンツを販売した(苦い)経験もある。
 そういう実践家だからか、前二書が、デジタルコンテンツのジャンク性に否定的だったのに対しては、肯定的に捉えていて、ただ日本人特有の依存心(すでに作家なら出版社へのそれ)をきっぱり捨てなければ、ジャンクの山に埋もれてしまうだけ、とハッパをかけています。 
 

処女作(?)発見!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月20日(金)00時58分58秒
返信・引用 編集済
   昔の書き物をゴソゴソ引っ掻き回していたら、どうやら初めて書いたショートショート(の・ようなもの)が出てきました! 完全に忘れていたものでした(見たら思い出しましたが)。

 先日、私の最初の作品として「黙示録」をアップしましたが(事実原稿に<作品1>と付されていた)、どうやらそれに先行するものです。
 ちゃんと日付が入れられています。
 同じ日に2本書いたみたいで、「私は今……」というのが1970年7月11日午後8時10分。「将来」というのが1970年7月11日午後10時となっています(何と詳しい(^^;)。正真正銘の初ショートショート(の・ようなもの)ではありますが、さすがに厚顔無恥な私でも、これはちょっと、よう公開しません(^^;。当時の私自身も、「黙示録」に<作品1>と書き込んでいるところを見ると、やはりこの2本は習作とみなしていたようですね。さもありなん(笑)

 それはさておき、上記原稿の発見で、上にリンクした記事に、「黙示録」について、
>たぶん中学2年生(1969年)の7月ごろに書きました

 と書いているのは、これで勘違いだったことが判明しましたね。たぶんこの2本のあとの、7月中に、「黙示録」は書かれたものと思われます。

 しかし、何をトチ狂って、突然ショートショートを書こうなんぞと思ったのか? ひょっとして直前に読んだものに影響されたのではないでしょうか。
 ということで、購読書リストを開いてみると――
 お、まさに7月11日(土)その日に、『墓碑銘2007年』を購入しているではありませんか!(ちなみに同日購入は他に『僧正殺人事件』『チャイナ橙の謎』『海の秘密』)
 うーむ。光瀬龍を読んで、自分も書いてみようと思ったのか。大いにありそうです(^^;
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月19日(木)21時37分33秒
返信・引用 編集済
      冥界の王

 漆黒の空に、黄色い太陽が、他の星々よりもひときわ明るく、輝いていた
――地球から見た金星のように。
 その光は、見渡すかぎり白一色に覆われたこの星の単調な表面を、ひそや
かに照らし出していたけれども、もとより、その熱を感じることは不可能だ
った。

 ここは冥王星。
 物質という物質が、マイナス270度Cに固く凍てつく、さいはての地。
 物質で最も融点の低い水素分子ですら、凍りついて、そこらへんに転がっ
ている、そんな荒涼たる世界だ。
 白銀のなだらかな雪原と、やや険しい氷原。そのふたつの状態が、交替し
つつ、そんなに遠くない地平線まで、何にも遮られずうち続くばかり。

 大気のない(水素分子すら結晶化するのだから気体は存在し得ない)この
星では、見えるものすべてがくっきりと明瞭だった。
 地表の白色は、地平線でスッパリと切り取られ、鋭いコントラストで、空
の黒色にとって代わられる。

 地球人が初めてこの星にやってきてから、半世紀が経っていたが、なお、
冥王星は、その苛烈な自然環境を以って、地球人の入植を拒みつづけていた。
 如何なる最新の設備を備えた基地も、超のつく極低温のこの世界では、半
年と維持できなかった。
 冥王星は、まさにその名のとおり、生者には向かない地なのだった。

 だが、その人類をも寄せつけない、この惑星の特殊な条件が、逆に人類に
付け入る隙を与えることとなったのは、運命の皮肉というべきか。

 実に運命のメカニズムは、原初の冥王星誕生の瞬間から動き出しており、
そして今日までの四十数億年を費やして、少しずつ、だが倦まず弛まず、働
き続けていたのだ。

 冥王星は、小惑星ほどのごく小さな地殻の上に、分厚く氷層が堆積した、
きわめて特殊な構造を持つ星だ。
 氷層は、惑星表面からの半径の、実に5分の4に及んだ。
 膨大な氷層は、当然、厖大な重量をともなっている。
 ゆえに、地殻と接する、氷層最下層は、氷層全体の重みで圧縮され、非常
な高密度となっていた。
 必然的に氷層最下層は熱を発生し、周囲の温度を少しずつ上昇させていっ
た。

 四十億年という時間が、それに加担した。

 いまや最下層の温度は、表面近くの温度よりも、ずいぶん高くなっていた。
 冥王星表面の環境には、人類は太刀打ちするすべがなかったけれども、氷
層最下層のそれは、人類にとって「なんとかなる」ものだった。

 その事実に、遅まきながら地球人は気づいた。

 かれらは氷層を掘り進み、到達した地殻に、楔を打ち込み、初めて恒久基
地を建設することに成功した。
 ついに人類は、生者に向かない地を、手に入れたのだった。

 さらに時が流れた。

 基地はしだいに発展し、町となって、一般人の入植も始まった。
 町は都市になり、いつしか木星の浮遊都市(プランクトン・シティ)の向
こうを張って、氷層都市(ピッケル・シティ)と名付けられた。
 都市の数も増えた。
 生者に向かない表層とは異なって、氷層最下層に鎮座するピッケル・シテ
ィほど、人類の活動に好適な環境は、少なくとも太陽系辺境域においては、
他に見当たらなかった。

 冥王星は辺境世界の一大センターとなり、最大の都市ポート・トンボーは、
宇宙の平泉と賞されるほど繁栄を極めた。
 けれども、その栄華の時代は短かった。
 わずか数百年の春の夜の夢と消えたのも、又、運命の皮肉というべきか。

 氷層都市(ピッケル・シティ)の増加による生活排熱の増大が、無視でき
ないレベルとなっていたのだ。
 その分がメカニズムとしての温度上昇に加算され、押し上げ、相乗効果で
温暖化を促進したのだった。

 突然、冥王星に異変が起こった。
 冥王星全域で、氷層が数十キロ陥没した。
 ポート・トンボー以下、数十基の氷層都市(ピッケル・シティ)は、ひと
つの例外もなく、崩落してきた氷層の巨大重力に、ひとたまりもなく押し潰
された。

 そもそも、すでにかなり進行していた最下層の氷層のゆるみが、都市排熱
の急激な増大でその進行を加速され、少なくとも一千年は早く、陥没が誘発
されのだ。

 陥没によって、氷層上部と下部の温度差は解消された。
 しかしその結果、最下層は人類にとって有利な環境ではなくなってしまっ
ていた。
 たとえ氷層都市を再建しようと思っても、もはやそれは叶わなかった。

 とはいえ、下層の温度上昇のメカニズムは、崩落の直後から、また動き始
めているはずだった。
 いつか、何十億年かの後には、ふたたび人類にとって快適な環境が再現さ
れるだろう。
 そのとき、人類は、また都市を建設するのだろうか。
 いや、その頃にはもはや、地球人類は滅び去っているのではないか。

 いずれにせよ、冥王星は、人類の存在など気にしてもいない。
 その存在し続けた四十数億年からすれば、たかだか人類の一万年など、一
瞬でしかない。
 おそらく人類など、たかった蟻ほどにも認識していないだろう。
 ただただ、自らのメカニズム(運命)に身を任せて、何十億年かけて下層
に熱を貯え、そしてまた崩落を引き起こしては振り出しに戻る。何度もそれ
を繰り返すばかりだ。

 いまは金星のように輝いている黄色い太陽が、赤く肥大して内惑星を飲み
込み、急速に収縮して矮星となって冥王星からは見ることができなくなる日
が訪れても……冥王星がある限り……


●チャチャヤン評価はB中。本篇も表現には手を入れました。ストーリーは変更していません。平泉は、どうせ『義経になった男』に悪乗りしたんだろうと思われるかもしれませんが、さにあらず。原文のままですよ(^^; 本当はラストで捻りたかったんだけど、思いつきませんでした。
 

「アマゾン、アップルが日本を蝕む」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月18日(水)22時03分32秒
返信・引用 編集済
   岸博幸『アマゾン、アップルが日本を蝕む 電子書籍とネット帝国主義(PHPビジネス新書11)読了。

 先日読んだ『出版大崩壊』と同様、プラットフォーム(≒流通業)の寡占状態を憂慮する内容。ここではグーグルは、巨大スーパーマーケット(価格破壊→文化の破壊)に、アマゾンとアップルはスーパーに対抗するメーカーの垂直統合(顧客の囲い込み)に比定されます。どちらも問題にされているのですが、スーパーとの類比でいうと、アマゾン(キンドル)の寡占的価格支配(操作)に対してガルプレイスのいわゆる拮抗力として機能しており、元小売業社員としては共感する面なきにしも(いや限定的にですが)(^^;。

 一方アップル(iPad)も拮抗力となったわけですが、こちらは顧客の(端末による)囲い込みという意味では、キンドルと同じ穴のムジナです(ネット書店と機器メーカーと母体はレイヤーが異なりますが)。

 ところで、キンドルやアイパッドという端末による顧客囲い込みといえば、まず眉村さんの『幻影の構成』が思い浮かびます。この小説は、情報端末であるイミジェックス装置によって、人々が縦割り管理されているディストピア社会を描いた小説でした。
 本書の著者が『幻影の構成』を読んでいたかどうか、定かではありませんが、結局著者の警告もまた、キンドルにはキンドルの、アイパッドにはアイパッドの、一種の「偏向」があり、その利用者はその偏向に慣らされてそれを当たり前と思ってしまうということだと思います(『幻影の構成』の予言というか警告どおりですね)。

 とりわけ危険なのはフェイスブックとツイッターとのことで、やり玉に挙げられており、これらの「形式」に嵌ると、それに型どられた人間ができあがるのです(よくいえば創業者の思考世界観が注入されている。但しアメリカ人である創業者の)。
 その意味で、プラットフォームは多様なものを自由に選択できる自由がなければならず、とりわけ日本人には日本人に適合したプラットフォームが絶対に必要で、それが確立されなければ、遠からず日本人は、経済ばかりか、その内面も、グローバル化という名のアメリカ帝国主義の支配下に入り、それを当たり前に受け入れてしまうであろう、という論旨です。いやホンマですって(^^;

 最後に著者が引用しているジャロン・ラニエーの言葉を、私も引用しておこうと思います。
「ウィキペディアなどの匿名の場のコンテンツの充実に割く時間があったら、実名であなた個人の考えを公開し、関心を持った人が学べるようにしなさい」
「SNSをやるより自分のサイトを作り、SNSが提供するテンプレートでは表現し切れないあなた自身のことを、そこで公開するようにしなさい」
「自分の頭の中で何週間もじっくりと考えて醸成した内容をブログに書くようにしなさい」
「ツイッターをやっているなら、瑣末な日々の出来事ではなく、あなた自身の考えを表現するようにしなさい」(261p)

 あと私なら次を追加したい――
「とりあえず『幻影の構成』を読みなさい!」(^^ゞ
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月18日(水)01時49分9秒
返信・引用 編集済
      廃墟

 地平線の向こうから太陽が顔を出し、その日最初の光の箭を、都市の無人の街路に届けた。
 林立する高層ビルが、光を、ねっとりと鈍く反射した。
 そうして、静寂のなか、沈鬱な夏の鼓動が、鈍重な蒸気機関車のように、空気を重々しく揺り動かし始めた。

 そして太陽は、柱時計の短針めいて動きはわからないが、確実に上って行った。
 どんよりとよどんでいた空気が、暑さに泣き叫び出す。
 太陽は、さらに高く上った。空気が熱で陽炎を生み、ビル群をゆらゆらと揺らめかせる。

 真昼だというのに、空は暗い黄昏の暮色だ。
 天頂には、狂気じみて肥大した、血のように赤黒い太陽。
 空気が対流し始める。熱せられた大気は、上昇気流となって、すさまじい勢いで舞い上がってゆく。
 あとを襲って、周辺から冷えた大気が、狂風となってどっと流れこみ、都市に積もった一日分の塵を、一気に吹き飛ばす。

 人間はいない。
 滅んでしまったのだろうか。
 生きているものは何もいない。動くものもない。ただ、びょうびょうたる狂風が、街路を吹き抜けていくばかり。

 ――と。
 ビルの一角から、赤さびに覆われたロボットが、ギクシャクと、体をふるわせながら現れた。

 ウゥゥゥゥゥゥゥ――――

 ロボットは、急調子でサイレンを鳴らし始めた。

          ゥゥゥゥゥゥゥゥ――――

 かつて、それの任務は、人々に正午を告げることだった。
 だが今や、サイレンを聞いて、腕時計を合わせる者はいない。
 そのけたたましい音は、ギラギラ光る白昼の都市に、むなしく響き渡り、そして唐突に――やんだ。

 赤さびたロボットが、ゆっくりと崩れ落ちてゆく。舗道にガシャンと、ものすごい音を響かせた。部品がはずれ、四方に飛び散った。

 ロボットは、この無人の都市で、いったい何十年、いや何百年、時報を鳴らしつづけたのだろう。
 しかしそれも、今日かぎりだった。
 ふたたび、都市に静寂が訪れた。
 けたたましいサイレン音の途絶えたあとの静寂は、いっそうひえびえとした空虚感をきわだたせた。

 太陽が、西に向かって降り始めた。
 ビル群の影が街路に落ち、それはしだいに長く伸びていった。
 空気が冷えてきた。
 空は明度を失って赤黒い夕焼けとなり、都市を昏くそめた。

 そうして太陽は、いままた、地平線に隠れる。闇が甦り、ふたたび地上を覆い尽くした。

 でも――
 見上げてごらん。

 そう。闇に沈んだ廃墟の上空は、燦然たる星の海。幾千万の星屑が、夜空にくまなくばら撒かれて、瞬いていたのだった。
 その悽愴たる光は、都市の廃墟を、あえかに照らしだした。――


 ● この作品は、いつ書き上げたのか記載がないですが、作品ナンバー3となっています。だからかなり初期で、少なくとも中学2年か3年で書いたもの。チャチャヤン評価はB中(^^;。今回、かなり手を入れてしまいました。
 

「出版大崩壊」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月16日(月)23時35分39秒
返信・引用 編集済
  > No.3600[元記事へ]
 雫石さん
 よろしくお願いします。頼りにしております(笑)

> No.3601[元記事へ]
 高井さん
 確かに勢いがついてしまっているようですね(^^;。でも高井さんのは、忘れられないように後世に残すもので、意義のある仕事ですね。


 さて、『第六ポンプ』は、200頁。半分超。面白い。こんなに面白いとは思わなかった。いやおみそれいたしました。ということで、じっくり、一日一篇のペースで読んでいます。

 一日短篇一作では、さすがに、予定している読書時間を埋め切れない。そこで山田順『出版大崩壊 電子書籍の罠(文春新書11)を読み出したら、あっという間に読了。新書はすぐ読めてしまいます。
 でもこの本は、近年の薄味の新書の中では、かなり内容がありました。私自身が電子出版(デジタル化)絡みの最近の動向に疎かっただけかもしれませんが。

 結局インターネットはタダがデフォルトで、コンテンツ産業は成り立たない(プラットフォームのみ儲けられる)ということのようです。
 ではデジタル化が進展した未来に、創作者(クリエイター)が生き残るためにはどのような方向があるのか(本書のテーマの一つである出版社の生き残り戦略は、私にはどうでもいいので)。読んでいる途中から私の頭に浮かんでいたのは、残るのはネットやデジタルから切り離された舞台芸術しかないんじゃないかな、ということでした(するとあとがきで高城剛の方向転換が書かれていて、やっぱりなと)。

 クリエイターが用意した空間に、観客として参加し、ある一体感(ライブ感)を楽しむ方向です。同じライブ音楽でも、録音されたもの(再生可能なもの)を自宅で聴くのと、会場へ行き、そこで音楽が、無から生成されるその瞬間瞬間を、リアルタイムで体験するのとでは、全然別物であることは言うを俟ちません。それはデジタル化不可能なんですよね。落語などもそうですね。生で聴く落語と、同じ噺家が同じ演題をやってもそれがビデオでは全然違います。臨場感(ライブ感)だけでなく、一回きりゆえの何かがありますよね。芝居もそうです。

 では小説家がその方面に活路を見出すことは可能か。朗読会なんていうのはどうなんでしょうか。これはogawaさんからの又聞きですが、ドイツでは作家本人による朗読会がさかんで、ロックのスタジオ入りしてアルバム録音→新譜発売→コンサートの流れのように、小説執筆→新著発売→朗読会を旨とする、朗読が好きな(得意な)作家も少なくないと、ドイツ在住の多和田葉子が書いているそうです。英米やドイツでは、本を出版した後で朗読会をして回るというのは、ごく普通のパターンとのこと。

 現状このような催しで作家が潤う環境は日本にはないですが(むしろボランティア?)、その一体感が癖になった読者は、ネットにはビタ一文払わない人であっても、そういう金は喜んで払ってくれます(それは音楽のライブと同じ)。少なくともこの方向はデジタル化できないのです(たとえデジタル化してもそれは別物となる)。自分で朗読するのが苦手な作家は、朗読者を雇えばいいのです。ただこれでは利益が出るかどうかとなってくるわけですが。

 あと、ネット配信の小説はBOOKからVOOKへ、村上龍の造語でリッチコンテンツ化へ進んでこそネット書籍であるというのも納得できます。もっとも私は旧来の小説形態を愛しますが(笑)
 その点、海野さんは画像を小説内に取り込んだりして、この方向に取り組んでおられますよね。
 下はVOOK化した海野作品に、さらに可聴性を付加した、海野さんのお知り合いでharuさんという方が作成されたコンテンツです。

 
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年 4月16日(月)10時27分2秒
返信・引用
  > No.3599[元記事へ]

>  いやー、私達の世代って、同人誌作りが最大のモチベーションになってましたよね(今はどうなんでしょう。マンガの同人誌は盛んみたいですが)。
 いやほんと。
 若いころにパソコン、プリンター、スキャナー、デジカメがあったら、ファンジンを作りまくっていたでしょうね。
 家から一歩も出ず、費用もさしてかからず、そこそこ美しい本が出せる。――感動的です。
 勢いがついてしまって、もうちょっと、何か作りたい気分になっています(笑)。
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年 4月16日(月)04時50分29秒
返信・引用
  > No.3599[元記事へ]

このたくらみ、賛成です。
私にも、なんぞ書かせてください。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月16日(月)00時22分16秒
返信・引用 編集済
   高井信さんがブログで、先般配布しました『自殺卵』をちょこっと紹介して下さっています(→「ショートショートの…」
 いやー、私達の世代って、同人誌作りが最大のモチベーションになってましたよね(今はどうなんでしょう。マンガの同人誌は盛んみたいですが)。創作の発表のための場作り、というよりも、どっちかといえば、同人誌を作りたいがために創作をでっち上げていたような……。そんな不純な野郎は私だけですか。しつれーしました〜(^^;。

 眉村さんの50周年企画で何かしようという話で、大層なことを考えていたらなかなか前に進みません。で、結局、このような手作り同人誌形式で、チャチャヤングのメンバーによって(プラス、ご縁のある方にもお願いして)チャチャヤング・ショートショートを復活し、しかしそれだけでは芸がないから、サプライズな、ちょっと今は漏らすわけにはいかない或るものも載せられないかな、という話に、現在の時点ではなっています。実はこの『自殺卵』は、イメージをわかっていただきたく作ってみたパイロット版でもあるのです。
 このようなものであれば、少なくとも私に可能な範囲ですし、後者がうまくいけば、ある程度継続的に出し続けられます(うまく行かなければ前者だけ。書き手は充分に揃っています(^^))。私は《眉村卓マガジン》の誌名がいいなと思っていたのですが、さすがに手作り雑誌にそれはちょっと看板が立派すぎる、ということで、《チャチャヤング・ショートショート・マガジン(眉村卓作家生活50周年企画)》(*)に落ち着くのではないでしょうか。最初の意気込みからは竜頭蛇尾、どころか尻切れトンボに近いかも知れませんが、よく考えれば、その程度が私たちの器に合っているといえそうです。
 なにはともあれ、みなさん、よろしくお願いしますm(__)m

(*)作家生活と云ったって、どこを起点にするかですが、とりあえず眉村さんの処女出版『燃える傾斜』が出てフルタイムになられたのが1963年なので(眉村さん29歳!)、それが照準。
 

Re: この夏、小松左京に出会う会が!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月15日(日)00時21分4秒
返信・引用
  > No.3591[元記事へ]

 森下一仁さんも吹聴して下さっています(^^)→惑星ダルの日常

 ところで、森下さんの日記にある、

>花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ

 ですが、私は寺山修司で覚えたのでした。元ネタが井伏鱒二の訳であると知ったのは、ずっと後になってからでした。まずは井伏の訳文をリンクしておきます。
 で、寺山は、多分いろいろな文章のなかで、この言葉を引用してるのですが、「あるぞ」ではなくて、「あるさ」だったような。
 ということで、いま、何冊か出し易いのを引っ張りだしてきてぱらぱらめくっていたら、とりあえずハルキ文庫版『ぼくは話しかける』の「革命――ゲリラ入門」に、

《アルゼンチンの詩人で医者であったこの男(註:ゲバラ)の、無限逃亡の人生観は、私の好きな、

 花に嵐のたとえもあるさ
 さよならだけが人生だ

 という詩に一脈通じるものがあると思われるからである》(42p)


 と、あるのを見つけました。井伏訳を寺山は言い換えていたんですね(しかも井伏訳が親鸞上人を踏まえていた可能性に就ては、森下さんの文を読むまで全く知らなかった)。
 でもたしかに、あるぞ、より、あるさ、の方が、私はぴったりくるんですよね。ただリンクした井伏の訳詞を読むと、「あるぞ」の方が文脈的に自然です(「あるさ」では変)。
 つまり、寺山は「あるさ」と変えることで、漢詩のこの部分を独立させて通用する一般性をもたせた(だから人口に膾炙した)、といえるのではないでしょうか。
 

Re: 「みなしご」雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月14日(土)19時57分42秒
返信・引用 編集済
  海野さん

>「金の輪」
 全然思い出せなかったので、引っ張りだして読み返してみました(そういえばチャチャヤンで小川未明キャンペーンみたいなのをやりましたね)。なるほど、これはきれいに着地する、典型的(オチ)ショートショートですね。いや、「でもありますね」、と言い換えましょう。
 そう言い換えるのは、オチの部分がなくても雰囲気が持続する、優れた掌篇でもあるからで、最後の一行を付けず、「夢を見ました」で終わったとしても、それで十分通じてそれなりに読者の心に何かを残す作品だからです。その意味では、眉村さんの「みなしご」評が、そのまま通じる作品なんですよね。

 ただ「金の輪」の場合、ラストの一行を付加したことで、それまでの部分が一気に様相を変えて(別の意味を持って)しまいます。端的には、最後の一行までは謎のままだった少年が、その一行で、ある意味を担って読者に、遡行的に納得される。「金の輪」の場合は、さらにそれから「運命」というテーマが浮かび上がってきます。運命とは永遠の諸相の一つですから、作品に一気に奥行きができるのですが、しかしこれは、ショートショート的になかなか稀有なことだと思います。

 海野さんが途中で方向転換されたのは、階下に降り、戻ってくるまでの描写に、ある一定の雰囲気があるので、それをオチ小説にしてしまっては、「ちょっと台なしだな」、という意識が(無意識かもしれませんが)あったんじゃないでしょうか。その意味で、この原型作品を「開放系」にしたのは、はっきりいって正解だったと思います。
 海野さんが考えられていたオチ(人類の太陽系進出)を、一瞬のイメージで読者に示すのは、かなり困難なような。少なくとも私にはとんと代案が思いつきません。なになに、チャチャヤンのトップライターでさえ思案投げ首な難問を、おまえに解けるはずがないではないか、ですと? そのと〜〜〜り!(c財津一郎)
 

Re: 「みなしご」雑感

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月14日(土)12時27分50秒
返信・引用
  > No.3592[元記事へ]

放送の中でも言ってますが、「みなしご」はその前週に眉村さんが紹介した小川未明の「金の輪」を読んでから思いついた話なんですよね。
だから最後に来てすべて明らかになるというのが理想だったのですが、途中からそうでなくても面白いんじゃないかと思って、ああいう感じに仕上げてしまいました。
最後ですべてが明らかになる作品はまた別に書けばいいかなーという感じ。
放送で、そういう意味のことを言おうとしたんですが、眉村さんに話を締めくくられてしまって、ちょっと欲求不満でしたね(笑)

>私も眉村さんも、上記リンクで海野さんが明かされているところの、太陽系の比喩は気づいていませんね

それはそうなんですね。
途中からすべてがわかるように書くのをやめてしまったんですから。

こうやって自作をいろいろ分析されるのはなかなかいいもんですねー

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: この夏、小松左京に出会う会が!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月14日(土)00時30分37秒
返信・引用
  > No.3594[元記事へ]

 おお、早速にありがとうございます!
 どんどん拡散していってほしいですね(^^)
 

Re: この夏、小松左京に出会う会が!

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年 4月13日(金)22時35分23秒
返信・引用
  > No.3593[元記事へ]

「小松左京に出会う会」のお知らせ。
私のブログでもやっておきました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: この夏、小松左京に出会う会が!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月13日(金)21時51分45秒
返信・引用
  > No.3591[元記事へ]

 かんべさん

 「小松左京に出会う会」のお知らせ、ありがとうございます。ということで、こちらでも転載しておきます。

 時   7月16日(月・祝日)13時〜17時
 場所  サンケイホールブリーゼ
 入場料 大人1000円、学生500円(5月1日発売)
 第一部 「さよなら小松左京」出演 桂米朝(但し体調による) 他
 第二部 「さよならジュピター」上映
  (詳しくはリンク先のかんべさんHPを御覧ください)

 これは関西の小松ファン、SFファンは全員集結ですね。私はもちろんですが、ご覧の皆さまも、ぜひぜひ、今からスケジュール調節していただいて、当日はサンケイホールに集合しましょう。あわせて吹聴の方もよろしくお願い致します。
 

「みなしご」雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月13日(金)20時41分59秒
返信・引用 編集済
   海野さんのブログに「みなしご」の原型がアップされています(→http://marinegumi.exblog.jp/15033770/)。この原型の「みなしご」は、チャチャヤングで、眉村さんによって朗読されました(B上)。その録音を、実は海野さんから頂いていまして(ちなみにこの日、現・西秋生の「夏の終わり」も同じく朗読されており、さらに現・深田亨の「彼と彼女」が、朗読はされませんでしたが、B下の一篇としてタイトルを読み上げられています)、その録音を聞いたとき、私は、終わりの部分の「相転移」に、うまいなあ、と感心したのでした。

 ところが録音での眉村さんの講評は、終りの部分は別になくても成立する、と、むしろそれ以前の部分を評価するもので、以前はオチ主体だった和田宜久(現・海野)が次第にオチを必要としない作風に変わっているとして、それを肯定的に見ておられるようで、その延長線上にこの作品を位置づけようとされているように、聞いていて感じました。 しかし私は、このラストがあることで、一気に前半が映えたように感じたんですよね。

 とはいえ、私も眉村さんも、上記リンクで海野さんが明かされているところの、太陽系の比喩は気づいていませんね。というか、この作品で気づけというのは、はっきりいって無理!(^^; 眉村さんは下へ下へ降りていく、そのベクトルの象徴性を評価されており、私は私で、窓の外(下)は街の夕景、ふと視線を転じれば、天井(屋根裏の設定?)から(上に)見えているのは宇宙から見た地球、という視線(と言うよりも視座)の瞬間の相転移、或る種マグリット的な絵柄に感心したわけです。

 してみますと、私も眉村さんも、作者の意図には気づかず評価しているわけで、むろんこれはこれでもちろん有りなんです。読者の特権なんですよね。

 でも意図の表現という面では、この原型はちょっと弱かったかな、と思わざるを得ません。作者もたぶんそう感じたんでしょう。そこで改訂版が、このたび新たに執筆されたということでありましょう。
 で、結論として、著者の意図からいえば、格段に、否、作品をつぶさに読めば(そして画像に思いを致せば)、その意図に必然的にたどり着くという、本格ミステリ並みの作品が出来上がりました。

 と、私は思ったんですが、どうも改訂版のコメントを見ると、なかなかそう言うわけでもなさそうなんですよね。で、気づきました。この改訂版の前提として、最低、水金地火木土ッ天海冥がスラスラと出てくる、そんな《教養の偏り》、水金は暑くて火以遠は寒い、火は赤く土は出っ張りがある、というようなことが、当たり前すぎてもはや無意識化されている、そのような人間であることが最低条件になっているのです。ショートショートに興味はあっても、SFのショートショートを読み込んできたのではない方たちが、いま、ショートショートで自己表現されているんだなあ、と、目から鱗が落ちたのでした(^^;。

 『第六ポンプ』に着手しました。
 

この夏、小松左京に出会う会が!

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2012年 4月13日(金)20時10分3秒
返信・引用
  さきほど解禁されたばかりの、ホットホット情報です。
当方のホームページを、御参照ください。
そして皆様、せいぜい御吹聴、御参加のほど、
何卒よろしく、お願いいたします。

http://www.ne.jp/asahi/kanbe/musashi/

 

「ブラック・アゲート」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月13日(金)00時33分2秒
返信・引用 編集済
   上田早夕里『ブラック・アゲート』(光文社12)読了。

 面白かった。後半も一気読み。最後まで集中力が途切れませんでした。リーダビリティ高し。世界同時多発の昆虫パニックものなんですが、ストーリーをむやみに複線化せず、瀬戸内海のとある島の中だけに限定する単線世界主義を選んだ勝利ではないでしょうか。
 つまり単線世界の選択で、読者の読みが拡散せず集中され、例えは悪いですがフィヨルドに押し寄せた津波のように、一点集中的にエネルギーを増大させて、読者を先へ先へと押し続け、立ち止まることを許さないリーダビリティの高さを実現したのだと思います。

 でもそれって、作者に複線化でごまかす必要がない、始めから終わりまで単線世界で描き切ることができる筆力が備わっているということでもあるんですよね(偏見かも知れませんが、複線小説って、単線で太く描き切る技倆のない作家が、ちょこっと書いてはあっちへ飛び、ちょこっと書いてはこっちへ飛びしながら、(自分に可能な)細い短い線をかき集めてなんとかごまかしている場合もあるんじゃないでしょうか)。

 だいたい近年の日本のエンタメ小説は、傾向としても、複線化による長大化が進行しているように思われます(良くも悪くも)。むろん「華龍の宮」のような《大きな物語》を書こうとすれば必然的に複線世界化は避けられないわけですが、しかしながら複線小説は、その線の一本一本に関していえば、(未熟者でなくても)単線で描き切った物語より確実に軽薄で短小なのです――ということは、各自そのような作品を思い出してみられれば明らかだと思います。というよりも、実際それは原理的な制約なのです。もちろんやればできないことはないのですが、そうやって完成した小説は、結果として野間宏的な全体小説なのであって、エンターテインメントの要請からは逸脱したものといわざるを得ないでしょう。いまどき誰が読むかという話です。

 ――話が逸脱してしまいました。そういう次第で、本篇はまさに、単線世界小説を十全に書き得る実力者が、しかもなお、不要なものは極力排除することに留意して完成させた、これ以上は何も削れない、必要にして十分な筋肉質を維持した小説たり得ているように私には思われます。だからこそ、この物語は350頁で収まっているのですよね。世のエンタメ小説の中には、主筋に絡まない、いわば通りすがりの人物でしかない者の内面を描写したりして、要らぬ紙幅を費やしブヨブヨに膨満させている例を、私は何度か見てきています。その意味でも、著者の小説に対するストイックさには好感を感じるものです(チンタラした小説が嫌いなだけかも)。

 ところで、昆虫パニックと書きましたが、実際のところB級映画めいたパニック描写は皆無です(ほぼ導入部のみ)。それが前面に出てくることはありません。むしろそれは背景的といってよく、本篇のストーリーの根幹である《追う者と追われる者》という、原型的な心理劇(ドラマ)を展開するための前提条件として導入されたものとして捉えるべきではないでしょうか。

 原型的というのは《追う者と追われる者》の物語が、それがつまるところ根源的な、剥き出しの人間性をあぶり出すに適した物語原型だからで、事実本書のリーダビリティは、パニック描写に負っているのではなく、《追う者と追われる者》の心理劇にこそあるのは明らかでしょう。
 それは取りも直さず、一種ゲーム的(山田正紀的)な面白さをも孕んでいるわけで、たしかに本篇は形式的に《単線世界物語》ではありますが、内容までそうであるわけではないのですよね。

 著者は本篇を執筆にあたって、単に一方的に、例えば《追われる》側の視点からのみ描くのではなく(その視点からでは、《追う》側は「悪の権化」としか読者に認識されない)、《追う者》からの視点も同時に確保することで、「悪の権化」にも「五分の魂」といいますか、この人非人にも、実は切実な動機があってそうなっている、つまりは「人間」であることを、読者に公正に示している。

 この両側から挟みつけていく、一方通行ではない双方向描写があるからこそ、つまり敵役に血肉が通ったからこそ、本篇は単純で安直な(一方通行な)ストーリーからは決してもたらされない、複雑で豊かな物語性を獲得している。世界は単線だけれどもその内実は双方向的、それが読者をして「一体この先はどうなってしまうんだろうか」という、ハラハラドキドキする共感的な読書体験に引きずり込む。私のごとき30分も読めば飽きて本を放り出してしまう者にさえ、数時間われを忘れさせる引力を及ぼすのですね(でも原則として視点人物は少なければ少ないほどよいというのが私の考えです)。

 小説――というよりも読書には、マルチ・リフレクティブという面(作用)がある、といったのはM27でしたか……それはたしかに事実でありまして、その意味で本篇もまた、(上述の通り)私にいろいろな事を考えさせてくれる(私の裡から引き出してくれる)読書体験を提供してくれるものだったのですが、それは結局本篇が「優れた小説」であるという証左でもあるのですね。つまらない小説は何も引き出してはくれません。良い時間を過ごさせてもらいました(^^)
 

Which do you like?

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月12日(木)00時47分20秒
返信・引用 編集済
   

 osaka vs nishinomiya
 

「事件の夢、夢の事件 〜多羅尾伴内の世界・千年女王編〜」を観て

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月11日(水)21時14分55秒
返信・引用 編集済
   さて先週の土曜に観たオリゴ党公演「事件の夢、夢の事件 〜多羅尾伴内の世界・千年女王編〜」の感想をまだ書いていませんでした。台本をもらえることになっているのですが、それが届く前に、純粋に芝居を観たことで喚起されたところを記しておきたいと思います。

 この芝居、非常に難解で、どこまでトレースできているか、はなはだ心許ない。で、それはとりあえず棚上げして、芝居を観ることで私の内部に組み立てられた《シナリオ》(のあらすじ)を書いてみたい。したがってそれは、実際の芝居とは全く別物になっているかもしれません。たぶんそうなっているでしょう。ですから以下は、芝居によって喚起された別の物語なのかも。

 若者アムロは、夜な夜な不思議な夢を見る。それはどこか不明な場所で、7名の男たちに拳銃で撃たれるというもので、そこにヤヨイと自称する少女が現れ、わたしに会いに来てほしい、とアムロに言う。

 アムロはミャンマー(ヤンゴン)に到着する(既にそれが現実か夢なのかは判然としない。なぜミャンマーなのかも)。そこで出遭った在留邦人は、夢のなかであった7名だった(但し一人はロシア人マフィア)。彼らはダラダラとミンメイ姉妹が営業する酒場に入り浸り、日本人旅行者にタカッたりして暮らしている。

 日本から探偵クロイと助手が到着。クロイは日本で多羅尾伴内の引退した探偵事務所を引き継いだ男だが、経営がうまく行かず伴内に泣きつきにやって来たのだ。

 伴内は、どうやら戦後ビルマにいて、黄金三角地帯で少数民族の英雄になっていたらしく(丁度カンボジアのハリマオみたいな?)、引退後ミャンマーに戻っているらしい。

 アムロが到着した際、見知らぬ女キヨコがヤヨイにあってはならないと忠告する。どうもこの女は伴内の変装? この辺から登場人物が本物と変装者に分裂したりして、観客には判別しがたい。夢の中だからか。

 邦人社会の実力者で暗黒世界と繋がりのあるシルバーが企画した、軍事戒厳令下で息詰まった民衆の空気抜きのためとして(実はロシアンマフィアと組んでの金儲けのための需要創造)、ゴムバンドピストルで撃ち合うお祭りが、ヤンゴンの街を熱狂させる。軍事政権も黙認する。そのさなか、本物のピストルで邦人のガイドが殺される。

 その騒動のなかで、夢に出てきたヤヨイの正体が分かってくる。彼女は黄金三角地帯の少数民族ラウ族で、現政権によって民族抹殺され、ヤヨイのみが生き残った。ヤヨイはラウ復興を夢見て、邦人の6名(7名引くロシア人)と(肉体)関係を持っていた(彼女は村に残された図書館で日本のアニメだけを見て育った。この辺が特殊な設定で、アニメオタクの自分探しっぽくその辺は私にはちょっと理解が届かない。実際、私には何ということもないセリフで、私の席の両隣の人が同時に笑ったことが複数回あって、たぶんアニメオタクにのみ分かるくすぐりなんだろうなと想像したわけです)。
 とすると、アムロが呼び寄せられたように、この6名もヤヨイによって呼び寄せられたのか?

 しかし実際は、ラウ復興のアイデアは、アニメしか知らず育ったヤヨイの妄想で、孤独によって歪んだ男あさりでしかなかった。
 ここに、今や老いた多羅尾伴内登場。上記の解説をし、自分がかつて関わった民族戦争の、犠牲者であるヤヨイを見守ってきたが、自分ももう長くない。結末をつける時が来たのだ。としてヤヨイを伴って去ってゆくのだった……

 ――とまあ、そんなストーリーが解釈されたわけです。これはある意味、ハミルトンがスターキングやその他の作品で用いた手(異世界訪問譚)に近いですね。とりあえずオタク的知識皆無の私には、非常に難解でした。ぼんやりと思うのは、座付き作者で演出担当のイワハシ氏の、自身がどっぷり浸かっているオタク的状況への、二律背反する自己認識でしょうか。

 台本が来たら、(「観て」感じた)上記と、対照しながら「読んで」見たいと思っているのであります。

 小松賞つながりで、上田早夕里『ブラック・アゲート』に着手。150頁。あれ、この小説、オリゴの前作「グレガリア」に照応しているような……ベクトルは逆だけれど。
 

Re: ふふふ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月11日(水)19時53分12秒
返信・引用
  > No.3586[元記事へ]

 平谷さん

>ふふふ。これからの巻をお楽しみに(笑)
 おっ、さらにはげしく波乱万丈になりそうですね。
 ますます楽しみになって来ました(笑)
 そういえば『ユーディットXIII(ドライツェーン) 』の予約が、ネット書店で始まりましたね→【amazon】

 

Re: むむむ

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月11日(水)07時26分53秒
返信・引用
  > No.3585[元記事へ]

> 敵かと思えば味方、かと思えばやっぱり敵みたいな(^^; でも(再読できる)小説でそれをやるのは、なかなか難しいでしょうね(読者が怒る)。

ふふふ。これからの巻をお楽しみに(笑)
 

Re: むむむ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月11日(水)01時00分52秒
返信・引用 編集済
   平谷さん

 そうでしたか。猿飛佐助に霧隠才蔵、読んでみたいです(^^)
 講談って、「エンターティメント歴史小説」ではありますが、基本語り芸ですから、(大枠は守りながらも)その場限りなところがあります。話があっちこっちへずれて(発展して)いくんですよね。前言否定(バリノード)の繰り返しですし(笑)。その意味では「風の王国」も、もっとドラスティックにストーリーのひっくり返しひっくり返しで進めていってもいいのでは? 敵かと思えば味方、かと思えばやっぱり敵みたいな(^^; でも(再読できる)小説でそれをやるのは、なかなか難しいでしょうね(読者が怒る)。進行中の小説に茶々を入れて失礼しましたm(__)m
 

むむむ

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月11日(水)00時39分37秒
返信・引用
  講談を意識してはいませんでしたが、講談に強い興味を持っているのは確かであります。
古い講談本を読み返さなければと思い始めていたのでした(笑)
講談って「エンターティメント歴史小説」なので、学ぶべき所が多いなと。
そのうち「真田十勇士」なんて書いてみたいですね。
 

Re: ありがとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月11日(水)00時32分49秒
返信・引用
   平谷さん

 滅茶苦茶楽しかったですー!
 ところで今風呂から上がってきたのですが、下の感想文、私の感じたこの小説を言い表そうとして、戦前の時代小説とか、角田喜久雄とか、ヒロイックファンタジーとか、ゼンダ城の虜とか、贅言を費やしているのは、どうも、どれも遠からずではありますがズパっと的を射てもおらず、いろいろ言い換えていたわけです。で、書き終わってもまだスッキリしなかったのですが、風呂に浸かっていて、ハッと思いつきました。
 これ、<講談>なんですよね。<講談>のなかに、上の言葉はすべて収まってしまうんです。ということで、ようやくスッキリしたのでした。だから何だと言われれも困るのですが(笑)

>来月は【ユーディット]V】でお楽しみ下さい
 こちらも楽しみにしております!
 

ありがとうございます

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月10日(火)22時55分8秒
返信・引用
  楽しんでいただけたようで嬉しいです。
ウミヘビも「動物」というくくりということで(笑)
【風の王国 第2巻】は6月の刊行ですが、来月は【ユーディット]V】でお楽しみ下さい(笑)
これもまた、史実の中に虚構を構築しております。
 

「風の王国(1)落日の渤海」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月10日(火)22時16分56秒
返信・引用 編集済
   平谷美樹『風の王国(1)落日の渤海(ハルキ文庫12)読了。

 いやあ、面白かった。読み出す前は、『義経になった男』みたいな作風を想像していたのですが、全く別ジャンルでした。『義経になった男』は歴史の新解釈(奇想)があるとはいえ、(司馬遼太郎的な意味で)歴史小説そのものでした。ところが本篇は、もっとずっと奔放です。それはむしろ(史実重視な)司馬遼太郎以前の、戦前の時代小説のフォーマット、角田喜久雄や国枝史郎的な<伝奇時代小説>により近い。
 もちろんその延長線上には半村良があるわけですが、半村伝奇SFの場合は、超自然現象を扱っても、そこにはSF的な(擬似合理的な)解釈が前提とされていたように思います。本篇はそうではなく、はっきりと霊的な存在をアプリオリに実在として取り扱っており、それをジャンルに当てはめれば、<ヒロイック・ファンタジー>ということになるのではないか。

 舞台は一応10世紀初頭の東日流と渤海ですが、渤海の「遣東日流使」などという「歴史的事実」は(私の知る限り)ありませんし、津軽にそのような東日流国があったという「歴史的事実」もありません。『義経になった男』は「歴史的事実」を解釈することであの世界を作り上げたのでしたが、本篇は「歴史的事実」にとらわれずに空想的(妄想的)日本海世界を構築したものです。
 とはいえ(多くのヒロイック・ファンタジーがそうであるように)完全な異世界ファンタジーではなく、歴史的世界と異世界歴史の重なりあった部分に小説世界を構築しており、そのような設定は<ヒロイック・ファンタジー>的にもユニークで、先行する作品としては豊田有恒の日本新神話シリーズくらいしか思い当たりません。

 かかる妄想(著者の史観)と史実が渾然一体となった小説世界に徒手空拳飛び込んでいくのは、嵐で遠長湊(十三湊)に漂着し育てられた、渤海人の若者宇鉄明秀。彼はみずからの出自を知るために東日流の遣渤海使に潜り込む。おりしも渤海国は平和に溺れ内側から弱体化していました。その渤海を西から虎視眈々と狙う契丹は、稀代の方術使欒巴(而してその実体は皇帝耶律阿保機の王子耶律突欲)を頭とする隠密撹乱部隊を渤海国内に放っていた。その企てを知った明秀は、親友で遣渤海副使の安東勇魚らと共に、大魔道士欒巴に敢然と立ち向かう。やがて自己の出自も明らかになって……というところで第1巻は終わり。いやー本当にわくわくさせられて読み終わりました。しかし、第2巻は六月発売とのこと。二か月先なのか。うーむ。

 ところでこの波乱万丈の物語に、そういえば私は、なぜか『ゼンダ城の虜』を想起させられたのでした。そんな風な面白小説でもあるということなのですが、それは本篇に19世紀ヨーロッパの歴史冒険小説に連なる感じがあるということでもあります。そのことからも<ヒロイック・ファンタジー>との親近性は認められそうです。

 とはいえ……しかしまあ、ここだけの話でこっそり言わせてもらいますが、契丹人の欒巴がウミヘビを使嗾するのはなんかそぐわないなあ。大体、海を知らないと思いますから泳げないんじゃ? あ、でも遼河や大凌河は知っているんだな。てことはウミヘビは河伯である水神(竜)の眷属だからいいのかな(笑)
 

Re: 「みなしご」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月10日(火)01時03分49秒
返信・引用
  > No.3579[元記事へ]

たしかに、しっかり読めば地球の画像で、わかった!となれるはずですよね。手がかりはすべて目の前に提示されているのですから。
私の場合は元作品が頭に残っていたので、それに引き摺られたかもですね(>いいわけ)(^^ゞ
 

Re: 「みなしご」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月10日(火)00時49分12秒
返信・引用
  人生のアレゴリーだと思って読んで行くと、地球人類全体の成長のアレゴリーだったと言う事なんですよね。一番下の画像を見なくても地球の画像で「そうだったのかー」と、解ってくれる人が一人でもいてくれると嬉しい。
これの原型を書いた当時、解りやすい作品ばかり書いてたじゃないですか。一つ難解な作品も書いてみたいと言うのがあったんですよね。あこがれていたと言うか。でも難解な作品を書ける自分ではない(笑)
それで、いちいちこれがこうだと当てはめて行って一見難解だけど、自分の中では明快なお話として書いたわけです。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「みなしご」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月10日(火)00時10分44秒
返信・引用 編集済
   海野さん

 「みなしご」読みました。原型とは全く別作品といってよいですね。
 いや、このオチはわかりませんでした。一番下の画像を見て、「わ、すごい!」と「む、やられた!」の二つの思いが、両方同時に押し寄せてきました(バルコニーは「なるほど!」と)。
 原型もよかったですが、この作品もよかった。読中は、これは人生のアレゴリーなのかな、と想像していたのでした。いやむろん、読者はそのようなアレゴリーとして読んでよいわけで、そう読む人はそう読むことが必要だったからそれでよいわけです。しかしその一方で、著者にそのような意図があったのかどうか、それも知りたくなってくるわけですが(あるいはそう思わせておいてひっくり返すのが意図だったのか)(^^;

 原稿用紙を所望したのは私じゃありませんよー! ずっと後になって、眉村さんの仕事場で一枚いただいたことはあります(笑)。
 

Re: レスなど

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 9日(月)20時24分3秒
返信・引用
  > No.3576[元記事へ]

そうですそうです、10数人から20人ぐらいは集まったんじゃないですか?良く覚えてないんですけど。
その日は眉村さんとのお話の後、ボウリングに行きませんでした?その後、番組に出る人だけ残ったんだと思います。その中に南山鳥さんと小野霧さんがいたんじゃなかったですか?
その日、僕は眉村さんがお持ちの名前入りの原稿用紙を1枚いただいて、それに即興のシヨートショートらしい物を書いていただきました。100字程度ですかね。今でも持っていますよ。
その時に同席した人から、その原稿用紙をもらえないかと聞かれました。もちろん断りましたけど、それって大熊さんじゃなかったでしょうね(笑)
さて、今から「みなしご」のアップにかかります。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 9日(月)18時21分51秒
返信・引用 編集済
   海野さん

 きのうリンクした《眉村卓とショートショート》に、「1971年4月29日(祭日)、番組の呼びかけで常連の内4人(だったと記憶する?)が集まり、放送局で会合が開かれ、そのままチャチャ・ヤングに出演した」とありますが、この時でしょうか。だったら私も(番組からお誘いのハガキを頂いていて)出席していました。そこで海野さんとはお会いしていた(というか同席していた)ということになりますね。
 ↓画像はその日眉村さんに頂いたサイン。

 当時まだ15歳でして、本を持参するという知恵がなく、たまたま眉村さんのカバンに入っていたハヤカワの目録にサインして下さったのでした。ということはさておき、その日は4人どころじゃなかったです。出席者はもっと多かったと思います(ブログでも「?」が付けられていますけれども)。
 もっとも私自身は、誰がいたのか全く記憶がないのです。ただただ眉村さんのみを見ていたんでしょう。一緒に行った(一昨日会っていた)友人によれば、一昨日の話ですが、ひとりだけ、髪の毛が腰まである異様な男を覚えているとのこと(爆)。かれは創研に関わったりはせず、まっとうな道を歩んでいますので(>おい(^^;)、かの御仁とは面識がありません。ですから、よほど強烈な印象だったんでしょうね。ひょっとして上記の「4人」とは、番組を見学した人数を記憶されていたのかもしれませんね。

 『風の王国(1)落日の渤海』は200頁。舞台は列島の対岸、古代の咸鏡道(*)の港町麗津で、そこは超自然的力が存在する世界。敵方(まだ具体的にはわからない)に強力な魔道士【註】、対する主人公は剣の達人(剣もどうやら凄そう)というわけで、いよいよソード&ソーサリーっぽくなってきました。いわばアジアン・ヒロイック・ファンタジー!? どんどん私のツボに入ってきました(^^)
【註】やや事実と異なります。為念(^^;
(*)ちなみに百済や加羅から出発する船は博多に、新羅(慶尚北道)からの船は出雲に、江原道あたりからは能登(珠洲)に、咸鏡南道出発は越後〜秋田に着くというのが私の認識。咸鏡北道からの船が十三湊に着くというのは従って理に適っています(ちなみに井上秀雄は南京南海府を咸鏡北道南端に比定しています)。  
 

Re: レスなど

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 9日(月)13時37分21秒
返信・引用
  > No.3574[元記事へ]

清水順也さんとは、MBSで当時一度きりお会いしただけですね。一言三言お話しただけですが、シャイな感じの好青年でした。それでペンネームの一部にお名前を拝借したというそれだけのお付き合いです。
「みなしご」今晩あたりアップしますね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 8日(日)22時03分58秒
返信・引用 編集済
   海野さん
 なるほど。書き続けていると、読まれやすいように、とかいった虚飾(?)の部分が自ずと剥がれ落ちていって、本質的な物だけが残るということですね。これはひとつの境地というべきでしょうね。私にはまだまだ遠いですなあ。あ、いうまでもありませんか。失礼しました(^^;
 「みなしご」の改稿版、楽しみにしています。

>石清水和人のペンネームは清水順也さんの人柄に好感を持ってつけたのを思い出しました
 清水順也さん、リアルでお知り合いでしたか。先日HPを教えていただいたのでしたが、実はogawaさんにも教えてもらっていたことに、後で気づいたのでした。どうも最近、酔っ払うと記憶が怪しくなってしまうようで、非常に不安であります(ーー;
 HP→http://ameblo.jp/seiyadec/(眉村卓とショートショート→http://ameblo.jp/seiyadec/entry-10720844927.html

 さて『風の王国(1)落日の渤海』は、100頁。東日流の遣渤海使の一行が日本海を渡り切ったところまで。や、これは歴史小説じゃないような……ひょっとして……豊田有恒以来久しく絶えていたヒロイック・ファンタジー? いや愉快愉快。面白くなってきました〜!!
 

Re: 平谷美樹さま

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月 8日(日)17時03分31秒
返信・引用
  段野のり子さま
管理人さま
ありがとうございます。
昨日から「百物語」のための怪談会へ出かけ外泊していたので、お返事が遅れました。
物語、お気に召していただければ嬉しいのですが。
一ヶ月おきに刊行予定ですので、末永いお付き合いをよろしくお願いします(笑)
 

Re: 「シカゴ育ち」読了

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 8日(日)14時07分5秒
返信・引用
  トリッキーな作品もマイナーポエット(?)作品も、同居していましたね。
ブラッドベリもACクラークもブラウンも同じように好きでしたから。
チャチャヤング以前には盛んにマンガを描いていたんですが、それは抒情的な物が多かったように思います。
で、ショートショートを書き初め、放送で読まれやすいように短くオチのある作品も書くようになった気がしますね。
チャチャヤング後半ではマンガで描いたものを文章にして投稿するようにもなっています。
それは石清水和人というペンネームを使っていました。
このペンネームでは小冊子2冊目の掲載候補作品としてタイトルのみが載っている「何も見えない水平線に」や、その他4作品ほど書きましたね。
そもそもこのペンネームは次のショートショート集には2作品載せてやれといういたずら心から思いついたものです。
僕の作品が候補作品にずらーっと並んでいるのに1本しか載らないという不満からですかね。

こうやってショートショートを書き続けていると、僕の本質的な物が出てきているのだと思いますね。
ブログに過去の作品を改稿したものもありますが、トリッキーな作品は改稿してブログに乗せようという気にすらなりません。

ところで、偶然、放送の録音にある「みなしご」を昨日から書き直していました。
近いうちにアップしますよ。

そうそう、石清水和人のペンネームは清水順也さんの人柄に好感を持ってつけたのを思い出しました(笑)

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「シカゴ育ち」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 8日(日)11時49分0秒
返信・引用 編集済
  > No.3570[元記事へ]

 海野さん

>ショートショートも連日書いていますし
 書くのか、読むのかは、永遠の難問ですよね。両立はまず不可能です。どっちかになっちゃいますね。私は、読みたい、が勝ってしまいました(^^;。

>登場人物を少年少女にしたいところです。
 うん、これはこだわっておられますよね。とりわけ少女に。

>ペット・ミルク
 ペット・ミルク(コンデンスミルク?)がえがく模様を見ている視線が、そのまま空に向かう視線の変化が、海野さんぽいと思いました。CDに入っていた、眉村さんが朗読された作品のラストも、そういう手法でしたよね。

 昨日もチャチャヤン仲間と喋っていたのですが、和田宜久って、「願いごと」の印象が強烈なせいか、トリッキーな切れ味の鋭さが本領で、風の翼の、いわゆるマイナーポエットたちとは、少し毛色が違っていたという印象があったのですが、やっぱり本質はマイナーポエットだったんだな、と最近の海野作品を読んで考えを改めました(笑)。そうと知れば、「願いごと」も雰囲気を重視した叙情詩で、ひょっとしてオチの方が従で、雰囲気の方を表現したかったのかも、と話していたのでした。
 

Re: 「シカゴ育ち」読了

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 8日(日)10時01分7秒
返信・引用
  > No.3569[元記事へ]

追記しようと思ったんですが、できませんでした。
こちらは仕事場のパソコンですからね。

「ファーウェル」はなかなかよかったと思います。好みと言ってもいいでしょうけど、もっとファンタジーが入るとと言うか、自分が書くときには入れるでしょうけどね。そして、登場人物を少年少女にしたいところです。
レンガを投げられるかと思って伏せていたというくだりでは笑ってしまいました。
そこはかとなくユーモアがいいですね。
もう一遍読んでみようとなんとなく選んだのが、図らずも「ペット・ミルク」でした。これは僕の嗅ぎ分ける力ですかね?(笑)
雰囲気はいいですねー、ミルクの描く模様からファンタジックな展開へ持っていく方法を考えてしまいました。
しっかりした素敵な文章は参考にしたいところですね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「シカゴ育ち」読了

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 8日(日)01時58分50秒
返信・引用
  「シカゴ育ち」到着。
しかしなかなか読み進めるのは遅いですよー
ショートショートも連日書いていますし、おほめいただいた「角砂糖物語」も描かなくちゃいけないし。
とりあえず「海野さんに読んでほしいと」言ってらした作品だけでも読む事にしましょうか。
あー、ピグやってる時間がないわ〜い(笑)

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 平谷美樹さま

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 8日(日)01時24分46秒
返信・引用
  > No.3567[元記事へ]

 今日は、オリゴ党の芝居を見てから、ジャズ住職と定員二名のSF&市政検討会。いつもどおり、0時過ぎに最寄り駅帰着しました。詳しくは明日にでも。

 段野さん
 お知らせありがとうございます。これですね↓
 
 私は今日、ジュンク堂で購入しました。なんとなんと、新刊文庫コーナーで面陳4フェースでした! いやー出版社のヤル気をひしひし感じましたです(^^;。もう眠いので、今日は読みませんが、楽しみです〜!
 

平谷美樹さま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年 4月 7日(土)18時06分39秒
返信・引用
  大きな広告でていましたよ。ご成功おめでとうございます。
 

「シカゴ育ち」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 6日(金)23時53分23秒
返信・引用 編集済
   スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』柴田元幸訳(白水∪ブックス03、元版92、原書90)読了。

 承前。
 「アウトテイクス」「珠玉の一作」「迷子たち」はショートショートですが、一転して抽象的。次の「夜鷹」も含めて、いまいち腹に嵌って「読めた」という感じがしません。要再読。なのですが、いまはその時間がない(というのは『風の王国(1)落日の渤海』が控えているので)。機会を見つけて読み返したいと思います。とまれ――
 「アウトテイクス」(2頁)は、支配人に見出されて映画館の案内係になった少年が、いつしか仕事に習熟し、観客に対して透明になってゆき、つまりは映画の欠くべからざる部分である、「夜行性」の「集団の一員」となる。冒頭の、少年がクレジットに自分の名前をさがすのはその故でしょう。著者の一種の願望的なシチュエーション?
 「珠玉の一作」(9頁)も、ある極めて大胆で前衛的な映画の話。これまた著者の願望の表明?
 「迷子たち」は、次々と拾ってくるペットに名前を付けない女の話。「名前っていうのは、人間が匂いの代わりに使うものなのよ」

 「夜鷹」は50頁の短篇。でも実質は薄いストーリーが繋ぐ連作ショートショート集です。印象は、ずばりケリー・リンク。

 「失神する女」は4頁のショートショート。めずらしく少年の抑圧された性的願望が描かれるのですが、その場所が教会の日曜ミサというのが、アレゴリカルであるような、ないような。

 「熱い氷」は50頁の短篇で、私は本集中のベスト作品だと思います。純血を守って死んだ娘を悲しんだ父親が、所有する貯氷庫に氷漬けにしてしているという「伝説」が、はじめに語られる。まだいわゆる「氷屋」が成り立っていた時代のこと。その当時はシカゴにもまだ市電が走っていた。いまでも線路だけが残っている。本篇の描写で、そういえば氷屋が氷のブロックにフックを引っ掛けて引き摺っていたよなあ、と、私も50年前の光景をくっきりと思い出しました。昔の実家は、台所が土間で、吊瓶式の井戸があり、水瓶に水が入っていてその横に頑丈な鉄製の、氷で冷やす冷蔵庫がありましたなあ(いやさすがに私の小さい頃には、既に水道も電気冷蔵庫も別途揃っていましたが)。そういう時代から、日本もシカゴも、どんどん清潔に整理されてきたわけですが、「こういう古いビルを壊し出すと、鼠が暴れるんだよな」、とあるように、そのような政策や時代の趨勢に取り残されていく者たちが少なからずいたわけで、教会に屯して何十年変わらず懺悔し続けるバブーシュカをかぶった喪服の老女たちも、その仲間でしょう。よいとか悪いとかではなく、そのような結果取り残されていく人々への共感が著者にはあって、それがよいです。本篇の主人公のふたりも、橋元アワワもといデイリー市長的観点からすれば、どうしようもないヤクザな「荒廃」人間ですよね。住んでいる土地が清潔に整理されていく過程で、くだんの鼠のように、暴れることしか思いつかない。最後は、(電気の時代になり)久しく操業していない貯氷庫に忍び込み、融けかかった娘(過ぎにし日々の象徴)をトロッコに乗せ、湖に向って駆けていく。ある意味お約束のラストとはいえ、感動的でした(眉村さんの「産業士官候補生」のラストを連想しました)。しかしここはリアリズムではなくなっていますね。何年も何十年も操業していない貯氷庫が娘を冷凍保存できているはずがないのですから(笑)。

 「なくしたもの」「ペット・ミルク」は、それぞれ2頁、8頁のショートショート。やや深刻な話が続きましたが、本集のラストは、ふたたび巻頭の作風に戻っています。ノスタルジックなシカゴを素直に表現した、いわゆる海野久実風のお話で(「ふと窓の外に目をやると、通りの向かいの鉄道操車場の上で、空も同じことをやっていた」なんて、まさに海野節(^^;)、訳者によれば作品集の配列に著者はこだわりがあるとのことですが、やや重い中盤に疲れた読者は、ラストでふたたび甘美な気持ちになって、ああ面白かった、と、本を閉じらる(あるいはふりだしに戻れる)のでありました。

 
 

Re: いやがらせか?!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 6日(金)17時38分23秒
返信・引用
   わ、すばやい反応、ありがとうございます。
 だから、当たりませんて(^^;
 しかしまあ、もし万一、前世の因果で当たってしもたらすんません。かんべむさしの目に小松左京はどう映っていたかが聞ける滅多とないチャンス、これを逃すわけにはまいりません。
 大人しゅう、ヤジも飛ばさず隅でちっこなってますんで、どうかおめこぼしを。
 ビッグイベントの方は、告知を楽しみにしております。
 

いやがらせか?!

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2012年 4月 6日(金)17時14分57秒
返信・引用
  やりにくいから来んといてちょうだいと、神戸のときに頼んだのに、
また申し込んだてか。わしをオタオタさせて、おもろいか(おもろいやろな)。
しかしまあ、当たらんとは思うけど、ほんま、堪忍してくらはい。
それより、来週末に公表解禁になるビッグイベント、
これにこそ、皆さん申し込んでください。出演者、すごいよ!
 

Re: 小松左京の西宮マップ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 6日(金)16時59分48秒
返信・引用
  > No.3562[元記事へ]

 段野さん
 いえいえ、お知らせありがとうございます。

>当選できるのでしょうか
 HPにはどこにも書かれていませんが、たぶん西宮市民が優先ではないでしょうか。またそうでなければだめだと思いますね。むしろ私のほうが危ういのでは。ご一緒に受講できたらいいんですけど(^^;
 

Re:小松左京の西宮マップ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年 4月 6日(金)15時22分51秒
返信・引用
  すでにご存じのようでしたね。失礼しました。  

小松左京の西宮マップ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年 4月 6日(金)15時16分57秒
返信・引用
  こんなのも5月5日に見つけました。かんべさん、大忙しみたいですね。西宮であります。抽選です。思わず申し込みましたが、当選できるのでしょうか。心配です。とりあえずお知らせです。  

オリゴ党公演のお知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 5日(木)23時53分17秒
返信・引用 編集済
   告知が遅くなってしまいましたが、関西を中心に活動する小劇場、オリゴ党が、下記の通り、今週の土・日に公演を行ないます。

    記

 オリゴ党結成20周年企画公演 その2
 第30回公演
『事件の夢 夢の事件 〜多羅尾伴内の世界・千年女王編〜
 作・演出/岩橋貞典
 原作・比佐芳武『多羅尾伴内』より

 日時  2012年 4月7日(土)15:30/19:30
          8日(日)13:00/17:00
 会場 シアトリカル應典院

 結成20周年・第30回公演とのことで、私が初めてオリゴ党を観劇したのが、いま調べたら、2004年第19回「パイライフ」の公演でしたから、はや8年。長いお付き合いになって来ました。
 私は、土曜15時半〜の公演にお邪魔する予定。今回はどんな舞台を見せてくれるのでしょうか、楽しみです(^^)

 

 

Re: 御覧になってはりますよ。

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 5日(木)17時23分52秒
返信・引用
   かんべさん
 そんな褒めんといて下さい。照れますがな(^^ゞ(>おい!)

>「西宮文学案内・春期講座」
 こちらのHPに案内が載っていますね→西宮市文化振興財団
 ちょっと見つけにくい。あんまり広報に熱心じゃないようですね。と一瞬思いましたが、よくよく考えれば、西宮市の文化事業をワールドワイドに広報する必要があるか、といえば別にありませんわな。市から補助金も出ているんでしょうし、むしろ市外からの参加者は断りたいくらいかも。そういう渋々感が感じられるHPではありますね(笑)。てことで、とりあえず申し込んでみました。当たるかな〜。

 中村融さんがブログSFスキャナー・ダークリーを始められたのを、凡々ブログで知りました。
 奇想天外に載った「キャプテン・フリント危機また危機」、よーく憶えています! なんとシルヴァーバーグとランドル・ギャレットの共作だったとは! 36年目にして明かされる驚愕脱力の真実(笑)。いろいろ面白い情報が読めそうで、楽しみ。
 

御覧になってはりますよ。

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2012年 4月 5日(木)08時13分26秒
返信・引用
  作品の本質と構造を鋭く追究する文章、「う〜ん……、…」と唸るショートショート、
そしてまた、マーケティング用語のローマ字表記など、眼が離せませんもので。
ところで、神戸文学館の次は、西宮文化財団の「西宮文学案内・春期講座」
というのが5月初旬にあるんですが、申し込み→抽選というややこしいものです。
それより、来週4/13(金)、または14(土)の、当方か堀晃氏のホームページを
皆様、御注目ください。小松さん関係のビッグイベント情報が、公開解禁になります。
 

Re: なるほど

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 5日(木)01時16分20秒
返信・引用
  > No.3556[元記事へ]

 やはり『義経になった男』で、注目度が大きくアップしたんですよ。(特殊ではない)一般読者層に知名度が拡がったというか認知されたというか……。
 その結果、平谷美樹なら初回導入はこれだけあればオッケー、という統計的な基準がアマゾンにあるはずなんですが、それがいまや全く現実とかけ離れてしまったんですね。
 とすれば、歴史小説はSFとは違って、リアル書店の販売比率が高い分野ですから、おそらくリアル書店ではもっとドラスティックな変化が、これから現れるんじゃないですか。と予言しておきましょう(笑)

>頑張って面白い作品を書かなければ
 期待しております。
 

なるほど

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月 5日(木)00時41分32秒
返信・引用
  そういうシステムだったんですね。
ともあれ、こういうパターンはたぶん初めてなので、読みたいと思ってくれている人が多いということで、嬉しいです♪
頑張って面白い作品を書かなければ。
 

Re: そういう意味でありましたか

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 5日(木)00時26分30秒
返信・引用 編集済
  > No.3554[元記事へ]

 そうなんですよ。これはとあるネット書店に問い合わせて確認しました。予約の段階では(当然ですが)在庫はされていません。発売になった瞬間、予約でカウントされた分が(締め切られて)、版元or取次に発注されます。同じ瞬間に、(予め決まっていた)ネット書店の在庫分が、ネット書店の倉庫に発送されます。予約分はこのあとに版元or取次で発送準備され、在庫分より原則一日遅れてネット書店倉庫に入荷するので、予約が在庫に変わった瞬間に注文された分のほうが、先に梱包されて出荷されるんです。まあせいぜい12時間か、24時間の違いですが、10年前はもっとひどかったんですよね。それに懲りて、私は予約では購入しなくなったのであります。
 予約分を初回送り付け分から抜き取るのではなく、あくまで別システムなんです。その初回入荷分が少なすぎると一気にパンクして、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」というのが出るんですね。ただしこれは十年前の知識なので、今はシステムが変わっているかもしれません。でも事実として今でも予約分は到着が遅いです。
 

そういう意味でありましたか

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月 5日(木)00時07分44秒
返信・引用
  わたしは「一時的に品切れ」というのを見て、『ああ。まだ入っていないのね』と思っていました(笑)  

「風の王国」発売忽ち品切れ!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 4日(水)23時24分41秒
返信・引用 編集済
   平谷美樹『風の王国(1)落日の渤海』が本日発売のはず、とアマゾンを見たら、わ、なんということ、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」となっているではありませんか。どうも瞬殺だったみたいですね。切らすのはやすぎだよアマゾン。在庫設定を間違ごうとるよ。早急に設定し直すように!
 いやおまえこそ予約しとけよと言われるかもしれませんね。でも私の長年の観察結果によりますと、予約から在庫に切り替わった瞬間に発注すると、予約より一日早く手元に届くのです。今回もその手で行こうと、実は日付が今日に変わった午前〇時過ぎに、一度アマゾンに行ってみたところ、まだ予約のままだった。あれ、発売日がずれたのかな、と思って寝てしまったのでした。どうやらそれが失敗だったみたいです。
 しかしこれは、出だし好調、ということですよね。まずはめでたしです(^^;
 さて、では私はどう購入するかですが、丁度今週の土曜日に大阪に行く用事があるので、そのときリアル書店で購入することにします。たぶんアマゾンの在庫補充を待つよりも早いと思います。
 

Re: いらん口出しですが

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 4日(水)22時42分7秒
返信・引用 編集済
  > No.3551[元記事へ]

 海野さん、段野さん
 ご投稿ありがとうございます。へえ、お二人ともかんべさんのファンでしたか(^^)。かくいう私もかんべファンであることについてはお二人に引けを取るものではありません。これは一度、かんべむさし読書会をやりたくなってきました。いかがでしょうか(笑)

 『シカゴ育ち』は、実はogawaさんのオススメなのですよ。私は、SFジャンルに関しては、そこそこアタリをつける自信があるのですが、海外小説全般となると、広すぎてボーバクとしすぎて何から読めばいいのかわからない、と言ったら、この本(ほか何冊か)を推薦して下さったのでした。おかげでよい本を知ることができました。海野さんもきっと気に入られると思うのですが、もし万一合わなかったらごめんなさい。

 さて、現在連載中の海野さんの4コマ漫画「角砂糖物語」がムチャクチャよいです。これは4コマ漫画で長編をやる試みですよね。現在第6回で、作品世界の構造が垣間見えてきて、いよいよ面白くなって来ました。これからどうなっていくのか。早くつづきが読みたい!
 

Re: いらん口出しですが

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 4日(水)16時14分58秒
返信・引用
  > No.3550[元記事へ]

段野のり子さん、その節はどうも。
と言う事は段野さんも行ってらっしゃったんですね。
と言う事は雫石さんとお会いしたりして…
その頃はまだ僕は彼とは出会えてませんでした。
詳しくはこちら→http://marinegumi.exblog.jp/13396639/

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:いらん口出しですが

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年 4月 4日(水)15時16分35秒
返信・引用
  海野さんも神戸文学館に来ておられたのですか。
かんべさんもこちらの掲示板をご覧になっておられたとは。サインありがとうございました。「ミラクル3年柿8年」ありがとうございました。
 

Re: いらん口出しですが

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 4日(水)10時11分40秒
返信・引用
  > No.3544[元記事へ]

かんべさんはこちらの掲示板をご覧になってらっしゃるんですね。
その節はありがとうございました。
去年8月に神戸文学館で「笑い宇宙の旅芸人」にサインをしていただきました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「シカゴ育ち」に着手

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 4月 4日(水)10時04分27秒
返信・引用 編集済
  > No.3546[元記事へ]

本をお勧めされると買わずにいられなくなります。
日々、素敵な物語に飢えていますからね。
値段もお手頃なので、即注文しました。
しかし白水社の「海外小説の誘惑」シリーズはたくさん出てますね。
ちょこちょこ面白そうなものを探してみます。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「シカゴ育ち」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 3日(火)22時50分50秒
返信・引用 編集済
   『シカゴ育ち』より、ショートショート「ライツ」「右翼手の死」「瓶のふた」と、35頁の短篇「荒廃地域」を読む。

 「ライツ」は殆ど詩といってもよい、作家にとってノスタルジックな夏の夕景。

 「右翼手の死」はシンボリックなショートショート。「あまり何度もボールが戻ってこないので、我々は様子を見にいった。それは長い道のりだった」。そうして我々は、遠くに右翼手が死んでいるのを発見する。いったい誰が、何故、どのような方法で、彼を殺したのか(若い健康な男が自然死のはずがない)、いろんな憶説が提示されるけれども、これだといえるものは出てこない。そのうち日も暮れてくる。我々は右翼手をその場に埋葬する。新しい右翼手がプレイするのに差し障りがないよう、平たくしようとするが、結局ピッチャーマウンドのように盛り上がってしまう。だがもう遅くなってしまった。もうすぐ夕食だ。我々は帰途に着く……
 外野手と内野手の類型論的分類が面白い。しかも右翼は、草野球では一番下手くそが守るポジションですよね。球はほぼ飛んでこないから、たとえ死んでいても気づかれないのです。これはアレゴリーなのか。無論アレゴリーなのです。もっともアレゴリーが読み取れない小説なんてありません。いかに作家自身がこれはアレゴリーではないと主張しても、読者は直接作家から作品の説明を受けたりしないのですから、読者が読むのはアレゴリーに他ならず、つきつめれば自分自身を読んでいるのですよね。

 「瓶のふた」。ビール瓶のふたを集めることに熱中する少年。弟がそのコレクションからちょろまかしている現場を押さえる。「何のつもりだよ?」。弟が連れていった裏庭の日の当たらない一角には弟のコレクションが……。不気味だが笑えなくもない哀切なオチ。

 「荒廃地域」。標題は「僕」の住む町(23番小路)が、シカゴ市長リチャード・J・デイリー(1955年から1976年まで在任)によって、「公認荒廃地域」に指定されたことに拠ります。おそらく著者の体験が色濃く反映させられているんでしょう、ノスタルジックな幻想シカゴ物語。いささかノスタルジーに酔いすぎて、つまり「想い出が想い出を呼んで」、ストーリーが緩んでいるのですが、それだからこそよいともいえる。結局本篇も、「僕」も(車と共にサックスは川に沈み)、悪ガキ仲間でバンド荒廃団(ブライターズ)のメンバーだったペパー、ジギー、ディージョも、それぞれの理由で町から(音楽からも)出て行ってしまう(ディージョのEPもいつかジュークボックスから外されている)、サヨナラの物語なのでした。
 
 

「シカゴ育ち」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 2日(月)20時53分11秒
返信・引用 編集済
   スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』に着手。まずは冒頭の「ファーウェル」「冬のショパン」を読みました。
 前者はショートショート。ロシア人教師の「サヨナラだけが人生さ」。いいですなあ。大学に契約を更新してもらえなかった教師は、あっさりとよそへ移っていく。話者の「僕」も驚かない。そういうものだ。これは海野さんに読んでいただきたいなあ。ここにある諦念のリリシズムは、海野作品にも通底していると私は思います。

 後者は30頁の短篇。舞台は18番通りのアパート。家主ミセス・キュービアックはボヘミア移民で、娘は音大に進む。大学どころか、キュービアック家で高校まで上がったのも彼女が初めて。その娘が妊娠して戻ってきた。母親は嘆くが、相手が誰かは絶対に言わない。
 同じ冬に「僕」の祖父であるジャ=ジャも放浪から帰ってきた。ジャ=ジャが家にいることはめったにない。帰ってきてもすぐどこかに行ってしまう。祖母(自分の妻)の葬式にも現れなかった。しかし今度は落ち着く気配。というか、歳も歳で衰弱しているのだ。上の家主の部屋からピアノの音が聞こえてくると、ジャ=ジャはなんという曲か当ててしまう。母も僕も全然わからないのに。ほとんどショパンなのだが、あるとき、「ありゃブギウギだ」と呟く。「相手は黒人の男だな」。ジャ=ジャが旅立たないのは、ピアノの音が聞こえてくるからかも。
 母の幼なじみシャーリーの母親バブーシュ(そのあだ名はアメリカに来て40年になるのに頭のバブーシュカを取ろうとしないから)の容態が急変し、シャーリーはバブーシュの一番のお気に入りの息子(バブーシュの孫)を連れて病院へ駆けつける。息子を見たら生きる気力を持ち直すかと思って。息子は、その日生まれてはじめて、ダンパでバンド演奏することになっていて、バイトで貯めた金で揃えた衣装を着ていたのだが、その格好のまま病院に向かう。バブーシュはひとめ見、「お前、黒んぼみたいな格好して」というや白目を剥き死んでしまう。
 ……と書いていてもキリがありませんね。しみじみと切ないストーリーがとてもよいです。最後の段落がまた格別。バラードの或る作品を彷彿とさせられました。本篇もやはり、サヨナラだけが人生だ、というお話ですね。

 
 
 

Re: いらん口出しですが

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 1日(日)20時45分48秒
返信・引用 編集済
  > No.3544[元記事へ]

 かんべさん
 返信遅くなり、申し訳ありません。
 A I D O M Aはですねー、 うもこれ もろそうなな ぁこうてみちゃろかいな の略号なのです。違いますね。すみません(汗)。アイドマと書きゃあいいのに、英語もできないのに、ちょっと気取って横文字にして墓穴を掘ってしまいました。ご指摘ありがとうございましたm(__)m。早速直そうかと思いましたが、でも掲示板の流れ的におかしくなるし、そのままのほうが面白いので、触らずに晒しておくことにします。しかし元がつくとはいえ広告の専門家に読まれてしまうとは……むう。一生の不覚であったなあこれじゃ『田舎の刑事の動物記』のお間抜けな犯人とかわらんなあブツブツ(>おい!)(^^;

 ということで、気を取り直して滝田務雄『田舎の刑事の動物記』(創元推理文庫11、元版09)読了。北杜夫系のユーモアミステリで脱力させられました。著者はよく調べて謎を作っていて、ちょっとした知識がつきますね。しかし解決はほぼ、上記のとおり私と同じで、犯人が要らんことをして足を出してしまう(純理的に推理で分かるのではない)上、その推理もよく読めば筋が通ってなかったりします。その意味で、ときどき雑誌に載るのを読む分には面白いんだろうと思いますが、短篇集として読むと途中でお腹いっぱいになってくる。その中では表題作が、「ヌエは天才ザルであります。ヌエを捕らえるは人間の犯罪者を捕まえるに近いと言わざるを得ませぬ。小生はここに警察の出動を要請しますぞ」などと口走り、マシラのごとく電信柱によじのぼり、ムササビのごとく隣のビルの屋上へ飛び移る、ソウ気味な老学者が登場し、「決戦・日本シリーズ」ばりのロケットスタートで飛び出します。でもいかんせん後半はまただらだら下降していくのですがね。脱力系とは言い条、鯨某のような厚顔さはないので、そこそこ楽しめました(笑)。
 

いらん口出しですが

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2012年 4月 1日(日)12時10分34秒
返信・引用
  AIDOMAが、購買心理云々のアイドマなら、
Oはいりまへん、AIDMAでっせ。おせっかいですんませんけど、
元プロとして、自分の記憶が危うくなったのかと不安にかられ、
関連書籍を確認してしまいましたもので。\(^O^)/
 

宣伝ありがとうございます!

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年 4月 1日(日)01時24分36秒
返信・引用
  やっと出ました(笑)
昨年の7月から始動した企画でありました。
「あらすじ」は発売日が10日ほど早まったので、間に合わなかったのかも。
 

絵が出ただけでもましですが

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月 1日(日)01時11分21秒
返信・引用 編集済
   先週は千秋楽の興奮でコロッと聞き逃したため、今日平谷さんのブログで知りました。アシスタントのタカハシ氏が先週で番組を降りられたとのこと。息の合った掛け合いも番組の魅力だったので、ちょっと残念。お疲れ様でした。その平谷さんの新作『風の王国(1)落日の渤海』(ハルキ文庫)がいよいよ来週(4/6)発売。ということでセブンネットに書影が出ましたね。
 
 しかしネットを見回しても「あらすじ」(内容紹介)が全く出てませんね。これはサプライズがあるためか。単に出版社の怠慢なのか。まあ後者でしょうが、内容紹介がないとAIDOMAが発火せず「初速」に影響すると思うんだけどなあ(いや私が早く知りたいだけ(^^;)。

 滝田務雄『田舎の刑事の動物記』(創元推理文庫11)に着手。半分。ナンジャコリャー!!(笑)
 

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