ヘリコニア過去ログ1208

奇跡と神秘と権威

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月31日(金)00時27分11秒
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   『カラマーゾフの兄弟2』は300頁。有名な「大審問官」の節を読みました。
 さすがに面白い。これって一種の(反)ユートピア論ではないですか。人間はそもそも個が確立しているわけではない群れる羊なのに、キリストはそれに不相応な独立と自由を与えようとした。ところが自由を得た羊たちは(羊飼いの指示がなく)自分で決断行動しなくてはいけなくなって、逆にどうしたらよいかわからず右往左往している。そこにローマ教会(そしてイエズス会)が登場し、親切にも自由を取り上げ、そのかわり餌を与えた。人間にはそっちのほうがありがたく安心できるのだ。というわけです。
 うーむ。
 そういえば『ゴースト・オブ・ユートピア』を買っていたことを思い出した(あれ、どこに置いたっけ?)。あの第一話が「1984年」で、元本を読んでからと思って置いてあるのですが、元本「1984年」にも通ずる観念ですよね。19世紀中葉の作品なのにものすごく現代性がある、と感じるのは錯覚で、それこそ「人間とは何か」という永遠のテーマなんでしょう。
 ツイッターで愛読しているのが、「今日は気圧が低くてどんよりする」といったたぐいのよくある感想を攻撃する(いや揶揄する、か)人のそれで、実際言っていることは全く正論でそのとおりなんですが(しかもめちゃ面白い。要するにわかってやっている(^^;)、それはそれとしていつも思うのは、「人間」てそんなに現実には住んでないだろう。むしろ半分以上想像的な世界で住んでいるんじゃないのかな、という思いなんです。そのような「不完全」な人間に「自律性」や「主体性」や「科学的態度」を要求するのは、求められた当の人間にはありがた迷惑、という面も、実際あるんじゃないでしょうかね。ある意味このツイッターの方の思考態度は「超人」的といえるかも。今日も今日とて、「髭を剃らない→勝ちつづける」ことの因果的妥当性についてブツブツ呟いてましたが(笑)。もちろん人間も「脱人間」して「超人」に至るべきでしょうけど、「現人」はそこまで達していない。クラークの人間観も、「超人」を水準においていますよね。達しなかった者は、地球とともに滅んでよし、というわけです。

「佐藤一郎と時間」は15枚。
 

眉村さん情報「佐藤一郎と時間」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月29日(水)21時51分13秒
返信・引用 編集済
   眉村さんが「ペケ投げ」につづく新作を書き上げられました。
「佐藤一郎と時間」50枚です。
 早速拝読。「ペケ投げ」も「自殺卵」も、主人公は半ば傍観者的でそのぶん軽みがありましたが、今回のはなかなかシリアスです。
「盗まれた街」を髣髴とさせる出だしのシーンは非常にサスペンスフル。ただしそっちへは行きません。私は「邯鄲夢」を想起しました。そういえば「スターキング」は邯鄲夢のSFバージョンですよね。本篇はこれまたそういう願望充足的方向へは行かず、何万年、何十万年という一文明の消長を、それに比べたら一瞬の、数夜の夢で見届けます。主人公の数日が、ある文明の数万年なのです。それに気づいた主人公は、冒頭の事件を思い出し、今度は自分たち人類の数万年を、一瞬と感じる種属に思いを馳せる。時間とは何か?
 それが重いラスト「人生の時間」に接続するのです。……

 この作品も「とべ、クマゴロー!」にアップさせて頂けることになりました。可及的速やかにテキスト化し(早速10枚完了)、眉村先生にチェックして頂いた上で、お見せしますね。お楽しみに〜(^^)

 

ギターを抱えたスルメとジャコ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月28日(火)21時15分6秒
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  「かりに神が存在し、この地球を実際に創造したとしてもだ(……)神はこの地球をユークリッド幾何学にしたがって創造し、人間の知恵にしても三次元の空間しか理解できないように創造したってことさ」(217p)

 『カラマーゾフの兄弟2』は、250頁まで。このあたり、イワンとアレクセイの議論というよりもイワンの哲学の開陳がつづきます。これ、なんか既視感が……そうだ薫くんシリーズの薫と下の兄の議論(の形式)じゃないか、と気づいた。
 庄司薫は当然本書を読んでいるに違いないので(というか読んでないはずがないでしょう)、その影響かも知れません(だとすると庄司の裡では薫がアリョーシャで下の兄がイワン?)。
 と同時に(それとも逆に、というべきか)、フョードルに小松左京を感じたように、この辺も、実は訳者が意識して擬らえているような直観が働くんですよね。
 なぜならば、訳者の亀山郁夫は昭和24年生まれで、小松も庄司も同時代的に読んでいるはずで、ことにも作中人物の薫とはひとつかふたつ歳上なだけで、浪人していたら東大を受験できなかった可能性があるそういう世代で、庄司薫は他人事でなく読んだと想像されるんですよね。もちろんこんなことは、他訳者のと読み比べて言うべきですが、とりあえずメモ替わりということで。
 

「カラマーゾフの兄弟2」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月27日(月)21時08分36秒
返信・引用
  『カラマーゾフの兄弟2』は、150頁、第2部第4編「錯乱」まで読む。
またまた強烈なキャラが登場しました(^^;。「ございます」口調でしゃべるスネギリョフ二等大尉です(笑)。
キャラと書きましたが、マンガやライトノベルのキャラと同一視していいものかどうか。
たしかに、戯画化、誇張の激しい造形ですが、原因があって、この結果となっている(因果の分かる)造形なんですよね。
一方、ライトノベルのカリカチュアに原因があるでしょうか。ないでしょう。
そこが違います。原因がなく結果だけがあるのがキャラ。
よって、スネギリョフ二等大尉をキャラというのは不適当ということになるように、私は思いますね。
 

チャチャヤングが始まったのはいつ?

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月27日(月)12時15分59秒
返信・引用
   仕事をほっぽり出して(逃避とも言う)《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》の編集後記めいたものを書く準備で、事実確認に着手したんですが、初手から何も知らないことに気づいて愕然。

 深田亨さんのブログで、チャチャヤングが終わったのは1972年9月29日であることはわかりましたけれども、では始まったのはいつで、眉村さんご自身がはじめて登場されたのは(多分小関三平の後任でしたよね)いつだったのでしょうか?

 ご存知のかた、ご教示いただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月27日(月)00時13分48秒
返信・引用 編集済
   今日も今日とて、現在集まっている原稿で、練習旁々、製本して遊んでいました(^^;
 現状72頁になりますが、今までで一番上手に製本できました。いやまだまだなんですが、当社比では、という意味です。
 一番の難関は表紙を本体にくっつける工程で、両面テープを使っているのですが、一瞬で接着してしまうので、調整ができないのが困っているところ。
 これまでは、せいぜい20−30頁のしか作ったことがなかったので、両面テープで十分対応できたのですが、70頁超となると、「背」の部分も考慮していかねばなりません。薄いのだと、ちゃちゃっとくっつけて、背の部分はへらで押さえれば何とかなったのだが、背の幅(厚み)が5ミリ近くなってくると、そんな訳にはいかないのですね。
 またここで歪んで接着してしまうと、天地小口のカットで見た目を繕わねばならず、よりテクニックが要求され時間もかかるという按配です。
 木工用ボンドに切り替えるべきかも知れません。

 私の使っているホッチキスは42−3枚までは確実に留めれますので、84−86頁までは大丈夫。ですからあと10頁、30枚以上、まだまだ収録可能です。
 安心してどんどん送ってきてくださいね!
 もしそれ以上の原稿が集まっても問題ありません。そうなったら、大型のホッチキスを購入しますから(ちゃんと調査済み)(^^;
 

歯痛の原因

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月26日(日)00時54分21秒
返信・引用 編集済
   昨日から歯がいたくて、虫歯だったら嫌だなあ、と思っていたら、どうやらそうではなく、チャチャヤング・ショートショート・マガジンの編集に入れ込みすぎが原因のようです。

 何をそんなに入れ込んでいるのか。
 いま、「もくじ」を作っていまして、オリジナル版は、ほぼ、できうる限り、タイトルの長さが揃えられているんですよね。これを踏襲しようと、細かい作業に没頭していたら歯にきたという次第。

 タイトルは四文字もあれば六文字もあれば八文字もある。これを揃えようとすれば文字と文字の間の空白で調節するしかない。そこで空白のマスのフォントを変えて調節しようと考えたわけです。

 例えば――

果しなき流れの果に  小松 左京
幻 影 の 構 成  眉村  卓
百億の昼と千億の夜  光瀬  龍


 と、このようにしたいわけです。上例の場合は簡単ですが、

モンゴルの残光  豊田 有恒

 はどうしたらよいか。

モ ン ゴ ル の 残 光  豊田 有恒

 では字あまり。

 字間があいていない「果しなき流れの果に」は9文字です。
「モンゴルの残光」は7文字ですから、文字と文字の間は6マス。したがって9−7=2文字分を空白マス6マスで埋めればよい。

 フォントが12ポイントとしますと、12X(9ー7)÷6=4。
 ですから、空白マスを4ポイントにすればオッケーのはず。
 やってみましょう。

果しなき流れの果に
      

 成功!(笑)。

 今のところ集まっている作品のタイトル文字数は、
 2文字 2本
 3文字 1本
 4文字 2本
 5文字 2本
 6文字 2本
 7文字 2本
 (他に12文字とアルファベット表記があり、これは無理に合わせても不自然なので、例外とします。オリジナルにも例外あり)

 肩も凝ろう、歯も痛もう、というものではありませんか(^^;


 
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月24日(金)22時25分37秒
返信・引用 編集済
  > No.3876[元記事へ]

その「だいじょうぶです」は、どっちの意味でしょうか?

1)引っ込めてもらってかまわないよ、後はまかせなさい。
2)別に引っ込めなくていいよ。もともと期待してないから。

わお、どっちもだめじゃん(^^;

しかし、やっぱりワードは誤動作が多いですね。最終的にプリントアウトでチェックしてもらうほうがよさそうです。

> いやしかし、なんだかわくわくしてきましたね。
はい、私も舞い上がってしまって、読書などしている場合じゃないという感じですねえ(^^ゞ
 

Re: チャチャヤング・ショートショート・マガジン情報

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年 8月24日(金)19時38分17秒
返信・引用
  > No.3875[元記事へ]

>拙作はもう引っ込めましょうかねえ‥

だいじょうぶです。

いやしかし、なんだかわくわくしてきましたね。
しかもこれが創刊準備号なんですね。
創刊号は更に素晴らしいものになる予感。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月24日(金)16時43分2秒
返信・引用 編集済
   締切まで一週間、ここにきて続々と(というほどでもありませんが)作品が送られてきております。
 まず和田さんから20枚弱の短篇。おお、これは和田版「眼球譚」では!! いかにも和田作品らしい、関係性を拒絶する主人公の内面が、内的世界のみが描かれ、或る種の「選ばれし」読者にはたまらない作品ではないでしょうか。「風の翼/北西航路」の主調音は、やはり和田さんが築いたんだなあ、とあらためて納得。

 つづきましては、や、これは望外の喜び、服部誕(小野霧宥)さんから33枚の短篇が!!
 こちらも早速拝読。いやなんとなんと、SF的見地から見れば、恩師眉村先生の分岐時間流に真っ向から喧嘩を売る(>おい)、静的時間論が展開されていて、これが実に目新しく、印象的。
 しかしそれ以上に、「ああ、小説を読んだ!」という満足感が、読後じんわりひろがってき、堪能しました。本作も傑作!

 これで72頁に達しました。量的にも充実してきましたが、なんといっても傑作目白押しなのが信じられない感じ。これはもう、私の人徳としかいえませんなあ(^^;。ま、それはいいんですが、しかしわが作品が、そんなに悪くないのにもかかわらず(>ホンマか)非常にくすんで見えるではないか。比較してくさされそうでちょっとイヤになってきました。拙作はもう引っ込めましょうかねえ‥
 

大丈夫です

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月23日(木)23時21分17秒
返信・引用 編集済
   最近気になっているのが、「大丈夫です」の使い方。昔よりかなり、用途が広くなっているような。
 先日も、こっちで気を利かせて「帳端(ってわかりますよね)にしておきましょうか」と言ったら、「大丈夫です」という返事が返って来た。これ、一瞬悩みました。この文脈では、従来ならば「そんなこと結構です」という意味でしょう。でも実際は「それでお願いします」の意味だったんですよね。
 それがきっかけで、「大丈夫です」という言葉には耳が敏感に反応するようになって、今日も歩いていたら、キャッチセールスのお兄ちゃんが「ちょっと時間ありますか」と、女の子に声をかけていた。それに対して女の子は、「あ、大丈夫です」といってそそくさと逃げて行きましたが、本来ならば「時間ありますよ、オッケーですよ」と受け取られてもおかしくないのではないでしょうか。
 これってたまたまでしょうか? それとも、この言い方も、「よろしかったでしょうか」のように、一般化してしまった新表現なんでしょうかねえ。
 「大丈夫です」、大丈夫じゃないです(笑)

 チャチャヤング・ショートショート>枯れ木も山のナントカで、余白埋め用に、拙作を追加しました。「みじかばなし集」から2本。これで現在、57頁になりました。

『カラマーゾフの兄弟 2 』に着手。60頁。
 

Re: チャチャヤング・ショートショート情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月23日(木)00時00分2秒
返信・引用 編集済
  > No.3872[元記事へ]

 承前。一行減らしはやめます。よく考えたら、判型に合わせて、作品を見映えよく加工して下さっている、京極夏彦タイプの方も(複数)いるんでした。その方たちの作業が水泡に帰してしまいます。
 もっとも、逆に全然気にされてない、小松左京型(※)大人タイプの方もいらっしゃって、編集担当すると、いろいろ面白いですねえ(笑)
(※)イメージです(^^;

 そのかわり、もっと厚手の紙が手に入らないか、探してみようと思います。しかしA5ってあんまりないんですよね。

 あ、そうそう、海野さんから20枚の短篇と、掌篇(私は散文詩と受け止めたい)を拝受しました。和田宜久名義です。どちらも傑作ですよ。お楽しみに(^^)
 

チャチャヤング・ショートショート情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月22日(水)22時40分32秒
返信・引用
   標記の件、まだ締切前なんですが、できることからやっていこうと、いろいろ作業を始めています。どういう順番で並べたら効果的かな、とか、誌面に余白は極力少なくしたいな、とか、この余白を埋めるに丁度よい短さの作品は送られてこないかな、とか、余白にはカットを入れたいな、とか、カットが描ける人はいないかな海野さんならできそうだな、とか、考えていると、楽しくて時間を忘れてしまいます。

 問題は実技的な面で、これは本番で失敗すると目も当てられません。コツを掴むまで練習したい。というのは、横長の判型なので、長2辺、短1辺、削らなければならないわけですが(縦長なら長1辺、短2辺)、背に対して正確に90度でカットできればいいのですけど、なかなかそれは、不器用な私の手先では難しい。辺が長くなればなるほど、誤差が大きくなるので、横長判型のほうがアラが目立っちゃうのです。

 で、練習を兼ねて、現在集まっている作品をとりあえず並べて、両面印刷し、いわゆる刷り見本というやつを制作しました。50頁になりました。表紙も印刷しました。

 うーん。しかし、思ったより薄かった。背の厚み3ミリくらい。せめて5ミリ、5ミリあればそこそこしっかりした感じになりそうなんですが。
 てことで、作品がもっと集まってくれることを期待。既にお送り下さった方も、追加オッケーですよ(^^)
 あと、オリジナル版は36文字X33行で、それを踏襲するつもりだったんですが、1行減らすかも。ページ数を増やす意味もありますが、見開き部分がちょっと狭く感じられるので、それを解消しようかと。

 みなさん、力作をお待ちしております(^^)!
 

「カラマーゾフの兄弟1」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月21日(火)21時15分50秒
返信・引用 編集済
   ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟1』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫06)読了。
 本書最後の方で、それまで噂だけはゴマンと語られて伝説めいていたグルーシェニカが、いよいよ満を持して登場。いやこれは素晴らしい! ドストエフスキーの辛辣な観察眼は、オールディスよりも数枚上手[※]かも(>おい)(^^;

 フョードルが、小松左京に見えて仕方ありません。とくに酔っ払った場面での喋り方とか、あっちこっちへ話がとぶところとか、「自伝」と区別がつかないではありませんか。はオーバーですが。
 で、ふと思った。この喋り方ですが、ひょっとして訳者氏、小松さんを念頭に置いた確信犯的(誤用)翻訳じゃないのかなあ(笑)

 引き続き2巻に着手。

[※]じょうず、じゃないよ。うわて、とお読み下さい。
 

大橋さんと会う

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月19日(日)14時14分9秒
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   昨日は、大橋博之さんが大阪に来られているというので、久しぶりに会いましょうということになり、昼過ぎに出発したのでした。大和川を渡ったあたりから阪和線、停まっては動くの繰り返し状態となり(前を行く列車が詰まっているためとの車内放送)、天王寺駅手前で全く動かなくなった。浅香あたりから天王寺まで、今では完全高架になっているため、空が広いのだが、座っている左側の窓の外も、反対の右側の窓の外も、どっちをみても、いたるところで灰色の空から地上に、稲妻の箭がビカビカと突き刺さっていて(それも一瞬ではなく、2秒ぐらい突き刺さっているのです)、なんともすさまじい光景でした(雨は殆ど降っていなかった)。
 ようよう(15分遅れで)天王寺駅について、環状線に乗り換えようとしたら、なんと環状線、西九条駅落雷のため全面運休とのこと。
 そういえば、車窓から見ているとき、丁度西北の方向に、とんでもなく太い、ゼウスの雷電もかくやと思われる七支刀めいた稲妻が、ぐさりと突き刺さるのを目撃してびっくりしましたが、たしかにあれは西九条の方向でした。でも私の目撃したのが原因の落雷ならば、それ以前に列車が遅れていたのが説明できません。やはり原因の落雷ではなかったのでしょう。
 まいったな、と思っていたら、地下鉄で振替輸送しているとのこと、急いで御堂筋線に乗り換え、なんとか大阪にたどり着きました。

 大橋さんとは去年の年末以来。トレーニングをしているのは聞いてましたが、見違えるような肉体に変身していた(註:大橋比(^^;)。ずぼんがダブダブで履けなくなったとのことで、同様にずぼんがキチキチで履けなくなっている私も、ちょっと頑張ろうかな、と思ったことでした。
 大橋さんは、SFマガジン連載をまとめた本が、9月に出るそうです。また年末までにはウルトラ関係の本も上梓の予定とのこと。ようやく回転数が上がってきたみたいで、楽しみです。

 最初の店に3時間ほどいたのですが、そろそろ次に、ということになり、丁度近くで畸人郷が二次会していることを思い出し、乱入(笑)。ミステリにもSFにも共通する読者のジャンル意識問題(清涼院流水受容問題)や、円谷プロ関係で大いに盛り上がりました。
 いつもの時間にお開きとなって、大橋さんは、明日がご母堂の四十九日とのことで、眉村さんの近所の実家へ地下鉄で帰られ(大橋さんは眉村さんの、小中高の後輩)、私は大阪駅から環状線経由の阪和線快速に何とか間に合いました。しかしまだ落雷の影響が残っていて、最寄り駅には10分弱遅れの、12時過ぎの帰着でした。
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月18日(土)09時43分40秒
返信・引用
   産経連載の最終回→「書き続けて、喪失感を乗り越えて」
 オンライン掲載日付7月29日となっていますが、実際はかなり遅れたのではないでしょうか。さっき発見しました。
 あ、それともリンクが上手くつながってなかったのかな。ここを見ると、第五回の次が道上さん第一回になっていますから。

 「遅れたSF」ってのはいいですね。ケータイのない世界のSF、どんどん書いていただきたいものです。
 

「カラマーゾフの兄弟」に復帰

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月16日(木)23時34分22秒
返信・引用 編集済
   お盆も終わって平常運転に、ということで、『カラマーゾフの兄弟』に復帰。第1部第2編「場違いな会合」をようやく通過しました。
 ようやく、といったのは、物理的にはお盆で読めなかったことが第一ですが、内容的には、二十一世紀初頭日本人である私には世界観が異質すぎ、この第2編の登場人物たちの議論の理解に私の体験知が無効で、いちいち立ち止まらずを得ず、流れに乗っていくということができなかったことが大きい。

 この世界、いうならば「来世が存在する二重構造世界」なんです。「魂が存在する世界」と言い換えても可。これがデフォルト。疑う余地がない、疑いが発動しない、認識のアプリオリとしてある。
 しかも当然にしてこの魂(霊魂)は不滅なんです。不滅とは、紀元前に死のうが22世紀に死のうが最後の審判までは不滅ということ。
(実際には、死んだ当人(の魂)の視点からすれば、死んだ次の瞬間、最後の審判の法廷に立っているわけで、死んでから審判までの時間は、その死が紀元前であろうが22世紀であろうが、ゼロである。ある意味光速ですな)

 そういう世界であればこそ、「もし魂が不滅でなかったら」(肉体の死=魂の死だったら)というイワンの思考実験(この世界においては!)の余地が生じる。
 いやー面白い。面白すぎて、1頁読み進むたびにアイデアが湧いて湧いて、なかなか進まないのであります。これも流れに乗れない理由の一つ。

 それから、フョードルがユニークすぎて、一読ではついていけません(いや再読しても)(^^;。「うかれ」なんです。きまじめでおごそかな場に出ると、「地球の上に朝がくりゃー」と歌いださずにはおれないのです。
 と、そうなると、さらにいろいろ当てはめてみたくなるのが人情というもので、小松左京が確定すれば、さしづめ眉村さんはミウーソフ、筒井さんはイワンかな、などと、どうしてもそう見えてきてしまって困りました(笑)。

 ただしそれは本当に或る一面なんで、小市民俗物のミウーソフの性格が眉村さんと似ている、という意味では決してないことを、予めお断りしておきます(>おい)。
 実際眉村さん自身も、かつての、若気の至りの自身について(いや厳密には小説内の主人公の述懐ですが)、『眉村卓コレクション異世界篇U傾いた地平線』のなかで、
「自分の腕を見せてやろう、読む人々を感心させてやろうとの意図が露骨に出ている。かつてのぼくがこの通りであった」(56p)
 と、書いておられますから、強ち的外れとはいえないのではないでしょうか。
 
 

Re: 眉村さん情報「悪魔の世界の最終作戦」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月16日(木)00時37分37秒
返信・引用
  > No.3866[元記事へ]

 高井さん

 いつもありがとうございます。また情報がありましたら、よろしくお願いします。
 私の場合ヌルといえばネオヌルの方なんですよね(高井さんのデビュー誌でもありますね)。実際ネオヌルではじめて、昔むかしヌルちゅう同人誌があったげな、と知ったのでした。

 そういえば同じくネオヌル出身の牧野修さんは、なぜ「サはアラサーのサ」を書かないのかな。田中啓文さんとかぶらないよう遠慮しているのかな(>おい)(^^;。
 

Re: 眉村さん情報「悪魔の世界の最終作戦」

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年 8月15日(水)23時34分23秒
返信・引用
  > No.3865[元記事へ]

 お楽しみいただけて、よかったです。
 筒井さんのショートショート「亭主調理法」と比べると、楽しさが倍増します。
 

眉村さん情報「悪魔の世界の最終作戦」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月15日(水)21時44分24秒
返信・引用 編集済
   「NULL」という同人誌はご存じと思います。その終刊号(ダイコン・レポート号)に、眉村さんと筒井さんの共作が掲載されていたことも、或る限られた世界では、よく知られている事実といえるのではないでしょうか。
 ではその共作「悪魔の世界の最終作戦」を実際に読んだことがある人は、これは極めて少ないはずです。

 さっきメールをチェックしたら、高井信さんからのメールが届いていまして、開いてびっくり、なんとその幻の共作「悪魔の世界の最終作戦」の画像データが添付されていたのでした!
 高井さんは、折にふれて気づかれた眉村さん情報を送って下さっていまして、今回もそうですが、本当に有り難く、頭が上がりません、アワワもとい、誤用ですね。頭が下がります(^^;

 早速読ませていただきました。

 設定は、眉村さんの家に遊びに来た筒井さん。しかし眉村さんはまだ帰っておらず、待つ間、机の上にあった原稿用紙の裏に短篇を書き上げた。
 ところが帰る時にはそのことをすっかり忘れていて、眉村さんも自分の原稿の裏に、筒井さんの短篇が書かれているとはつゆも気づかず、そのまま出版社に送付する。
 受け取った編集者、ろくに読みもせず原稿は印刷屋に回され、返ってきた校正刷には、二つの作品がごちゃまぜに印刷されていた!
 そのとき編集者、少しも騒がず、持った校正刷りをパッタと落とし、小膝叩いてニッコリと、「まあええか」。
 かくして眉村卓「最終作戦」と筒井康隆「悪魔の世界」をあわせて一つの作品とし、掲載されたのであった……との但し書きが付いています(註。半分以上捏造です)(^^;
                                 
 読めば、どれが眉村さんで、どれが筒井さんのパートか、(内容以前に文体で)一目瞭然ですなあ。関西SF蜜月時代の、麗しいエピソードといえましょう。
 『眉村卓コレクション異世界篇U傾いた地平線』に、雑誌をパラパラとめくっていても自分の文章はすぐに見つけられる、と書かれてありましたが、私だって確実に発見できますね(笑)

 あ、そうだ、「悪魔の世界の最終作戦」は戦争SFです。流転さん、もし見ておられましたら、大森さんに教えてあげて下さい。

 高井さん、貴重な、そして微笑ましい眉村さん情報を、ありがとうございましたm(__)m
 

眉村さん情報「ペケ投げ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月14日(火)21時28分59秒
返信・引用
   拙サイト「とべ、クマゴロー!」に、眉村卓さんの最新作「ペケ投げ」(30枚)をアップしました!→こちら

 お楽しみ下さい(^^)

 ――ある日、交差点で信号待ちしていた主人公は、堂々と信号無視して自転車で渡ってゆく中年の女を目撃する。と、主人公と同じく信号待ちしていた小学生が、突如たたた、と駆け出し、去ってゆく女の背中に、何かを投げつけた。それは黒いX印なのだった。それこそが、以降の半年余り、世間を恐慌に陥れた「ペケ投げ」の発端であった……!?
  
 

CSNY情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月13日(月)16時02分0秒
返信・引用
   もとい。CYSS情報です(^^;

 雫石鉄也さんよりチャチャヤング・ショートショート用の玉稿を拝受しました。著者の名シリーズ「バー海神」ものを含むショートショート3篇で、計24枚です。雫石さん、ありがとうございました。
 ついさっき、判型に直したのを返送しましたので、校正、よろしくおねがいしますね(^^)

 ということで、現在、5名の作者から7本の作品をお預かりしており、判型の単純計算で44ページ分となっています。
 などと書くと、いっきにアセる方がいらっしゃるかも知れませんね。いえいえ、締切は8月末日、まだ十分余裕があります。安心して執筆してくださいね。また、締め切りが近づいて、ちょっと間に合わないかなと思われましたら、ご一報下さい。もとより定期刊行雑誌じゃありません、いくらでも融通が効きますから。宜しくお願いいたします。
 

チャチャヤング・ショートショート情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月12日(日)20時53分12秒
返信・引用 編集済
  『眉村卓コレクション異世界篇U傾いた地平線』の感想をチャチャヤン気分に掲載しました。

 ネットで注文していた《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》の、表紙用のケント紙(A3ノビ/きみどり)が届きました。想像していたのより若干厚みが薄かった。しかし大抵50枚単位のところ、20枚で買えたので致し方なし。まあ本番の予行演習のつもりなので(但し収録作品は本番と遜色なし)、いちど作ってみて、ご意見を伺うことにします。
 判型が、オリジナル《チャチャ・ヤング=ショート・ショート》を踏襲してA5横長と特殊なので、やってみないとイメージできない面が多々あります。この表紙も、表+背+裏の幅が必要なのですが、ちょうどA3ノビ(A3よりやや大きめ)というサイズがあって助かりました。上下に切断して二枚分取れます。
 ということで実験してみました。こういう感じです(^^;。
 表紙の印刷した感じは、私のプリンターでは用紙が入らないので(コピーセンターでやる予定)、今回はお見せできません。あしからず。

 あ、それから、眉村さんと縁が深い某SF作家さんが、本50周年企画にご賛同下さって、忝なくも勿体なくも、創作を一本、提供して下さいました! 切れ味あざやかなショートショートですよ。こちらもお楽しみにー。

 訂正>B3ではなくA3でした。訂正しました。
 さらに>30枚ではなく20枚でした。テキトーすぎる(汗)
 

「眉村卓コレクションU傾いた地平線」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月11日(土)23時31分53秒
返信・引用 編集済
   承前。ひきつづいて収録の短篇に着手。

「暁の前」(元版『月光のさす場所』角川書店80)は、「傾いた地平線」と同じく多元(分岐)宇宙テーマ。それぞれの宇宙にそれぞれタイムパトロールが存在したら? というアイデアストーリーなのですが、巻末の、著者による「収録作品雑記」によれば、主題は主人公とのこと。中年となり、それなりに小成功少安定を得て現状に満足していてしかるべき主人公が、しかしこれでいいのだろうか、これが我が人生なのか、と、ふと思ったところに、二つの時間線からタイムパトロール員が訪れ、それが主人公の心に、さざなみをかきたてる……

「潮の匂い」(元版『かなたへの旅』集英社79)は傑作。中年となり、それなりの暮らしをしている主人公だが、家では下宿人のように息を潜めて暮らしている。その彼がふと昔を思い出し、気分転換と、少年の頃よく海水浴に出かけた(今はもうコンビナートになっていてそんなことは不可能な)浜辺へ、自転車を漕いで出かけたとき、すでに異世界の門は開いていたのでした。浜近くの町で彼は、戦後の、アセチレンランプが照らし出す懐かしい夜店群に遭遇し、一晩を過ごす。そして……。
 「傾いた地平線」では切ないラストでしたが、ここでは主人公は「御破算」を選び取り「やりなおす」。別の時間線へと出立するのです。

「S半島・海の家」(元版『かなたへの旅』集英社79)は、リゾート・ホラー。

「檻からの脱出」(元版『かなたへの旅』集英社79)もホラーですが、主人公が囚われるのは、一人の女の内宇宙。

「乾いた旅」(元版『かなたへの旅』集英社79)は、一種の隠れ里テーマ。もしくは「塀についた扉」テーマ。ここでの主人公の決断は、「潮の匂い」とは異なります。本篇と「潮の匂い」を読み比べると、著者の謂う「複眼の思考」が、ステレオグラムのように浮かび上がってくると思います。

「遠い日の町」(元版『幻の季節』(主婦の友社81)は、「なきもの」への郷愁に満ちた傑作。「日生もの」と呼びたい。そういえば、「日生もの」(H市もの等も含めて)で短篇集が編めるんじゃないでしょうか。それはおそらく、結果として郷愁と哀愁にいろどられた青春記となるでありましょう。

 ということで、以上、眉村卓『眉村卓コレクションU傾いた地平線』(出版芸術社12)の読了とします。
 
 

「傾いた地平線」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月11日(土)00時57分58秒
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  『眉村卓コレクション異世界篇U傾いた地平線』より、「傾いた地平線」(元版81)読む。

 SF作家である主人公の「ぼく」は46歳、そこそこ地位も名声も得ているが、それゆえ「安定ともいえない安定に狎れた驕り」を自覚している。そんな「ぼく」が、突如、正確には1981年10月20日、気がつくと、作家になって辞めた会社で、次長をしている「自分」のなかに「転移」してしまっていたのです! そこは、主人公がSF作家にならなかった「別の」時間線上の世界だった!?

 多次元(分岐世界)テーマは、書き尽されている感がありましたが、大概は、別の時間線に移行しても、移行した人物の心身は前世界から連続的です(異世界の自分は別に存在する)。本篇はそうではなく、当該世界の自分の肉体に、前世界から連続する意識がとり込まれてしまう点が非常にユニークです。では、肉体の元の主人はどうなるのか。それは分からないとされます。ときどき元の主人の記憶が甦るので、閉じ込められている可能性もあります。可能世界は無数にあれど、実体化するのはその中の一つだけとの考え方をとれば、それまでは潜在していた可能世界が、「ナンバーワン」の意識が宿った結果実体化した、とも考えられます。ただしこの考え方は主人公には気に入りません。もしそうだとすれば、そもそもの「ナンバーワン世界」(という表現は出て来ませんが)は非在化してしまって還れないからです(この意味で、無数の多世界の同時並在を許容するイーガンのそれとは、あざやかに対称的といえますね)。

 さて、このような小説世界を設定することで、著者は何を突き詰めたかったのでしょうか。おそらくそれは、いま私たちが自分自身であると信じて疑わない「この私」は、はたして本当に唯一無二の「私」なのか、ということだったのではないでしょうか。「この私」は、その経歴(時間線)によって形成されますが、ある時点でもし別の可能性を選択したら(させられたら)、その新たな時間線に見合った「この私」となっているのではないか、そういう思考実験だったように私は思いました。
 追記。実際、遠い時間線に移行すればするほど、主人公は、当該時間線の主人公の「ふり」をすることに困難を感じてきます。この設定も、考えたら論理的に当然ですが、そこまで突き詰めた多元宇宙ものがこれまでに存在したでしょうか。私自身は、前例をにわかには思いつきません。

 著者の創作態度の根本には、「複眼思考」があります。すなわち「この現象はこっちから見たらペケだが、あっちから見たら、そう簡単にペケとはいえないぞ」という二段構えの態度であります。インサイダー文学論もこのあらわれの一つでしょう。本篇で著者は、それを「私」「自己」に適用してみせた。そう考えていいのではないでしょうか。

 本篇で、主人公は四度、時間線を転移するのですが、最初はほとんど違わない時間線から、次第に違いの大きな時間線へと移ってゆく。要するに、分岐点が「1981年現在」からみれば、どんどん過去に遠ざかっていくのですが、一回目では妻も娘も、ナンバーワン世界と全く違っていません(二回目では違ってしまっている)。でも、それでもやはり、別人なんです(と主人公は認識します。なぜなら当の妻子も別の時間線によって形成された人格だから)。*この視点はイーガンにあったでしょうか。ちょっと読み返して確認したい(^^;
 いずれにせよ、この辺は「近すぎるがゆえに」きわめてサスペンスフルでした。その意味で前半は、ちょっと安部公房を想起しました。

 最後の時間線では、世界自体もナンバーワン世界とは違っていて、1981年10月20日時点の一週間前に、大阪大震災とそれにひきつづく火事で、一面、戦後の焼跡を彷彿とさせる焼け野原と化しています(まるで14年後を予言しているかのようです)。
 それまで常にナンバーワン世界へ還りたい、そのためにはナンバーワン世界人としてのアイデンティティを必死に保持しようとしていた主人公ですが、上記のような「この私」は何者かの懐疑によって、その必然性に一抹の疑念を感じ始めていたこともあり、まさにこの時間線で「御破算」し一から始めるのかと思いきや、この時間線も「仮の宿り」にすぎないんですよね。切ないラストでありました。
 

「眉村卓コレクション異世界篇U 傾いた地平線」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月10日(金)02時04分27秒
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  『眉村卓コレクション異世界篇U 傾いた地平線』が、アマゾンで販売開始となりました!
 のですが、1時30分現在、[一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です]が表示されているではないか。
 アマゾン、懲りませんなあ。何度繰り返しても、学習しないようです。

 仕方がない、他のネット書店にリンクしておきましょう。
 と思ったら、
 hontoはまだ「予約」。
 セブンネットは「入荷お知らせ」。それは何かと調べたら、「在庫がなく、取り寄せもできない商品です。ご登録いただくと、入荷次第メールでお知らせします」。

 リアル書店はどうか。紀伊国屋もジュンク堂も本日閉店時点ではヒットしません。まだ陳列できていない? 実質明日から販売開始のようですね。

 さて、私は90頁まで。半分弱。面白い!
 しかし……こ、これは、ひょっとして!?
 著者は小説を書くことにおいて、インサイダー文学論(アウトサイダー・インサイド)もそれに含まれると思うのですが、「複眼的思考(態度)」ということをいっておられたと思います。
 本篇では、その当の「複眼」そのものが、ずばりテーマ(謎)として俎上に乗せられてしまったような……。まだ半分弱ながら、そんな予感がしますね。
 

「眉村卓コレクション異世界篇U傾いた地平線」が届きました

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 8日(水)20時07分6秒
返信・引用 編集済
   明日発売予定の『眉村卓コレクション異世界篇U 傾いた地平線』ですが、さっき帰宅しましたら、版元の出版芸術社から届いていました。眉村先生、ありがとうございました!(見ておられないでしょうけど)(^^;

 早速、「とべ、クマゴロー!」のトップページと、本掲示板のタイトル下と8月5日投稿記事中の画像を、帯付き書影に差し替えました。

 異世界篇Tの発売が一週間遅れましたので、今回もそれくらいかな、と予定していたんですが、これだったら、明日、確実に発売となりそうですね。出版芸術社、頑張ってくれました(いや企画編集責任者の日下三蔵さんが、というべきかも(^^;)。感謝感謝であります(笑)

 そのおかげさまで、わが予定が狂ってしまいました(うれしい誤算)。ということで、現在読み中の「カラマーゾフの兄弟」は一旦お休みしまして、『眉村卓コレクション異世界篇U 傾いた地平線』に着手することにいたします。
 

チャチャヤング・ショートショート・マガジン

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 7日(火)22時40分37秒
返信・引用 編集済
   表紙はこれでいきます。
 イラスト要るんじゃない? との意見もおありでしょうが、パイロット版は、とりあえずオリジナルのイメージをできるだけ壊さないものにして作ってみます。
 本番はどうするかは、(版型も含めて)出来上がりを見て、いろいろアイデアをたまわりたいと思います。
 現在、届いている作品は三本で、合計89枚。締切は8月末日です。力作をお待ちしています。あ、短篇がまず届きましたが、そもそもショートショートマガジンですから、5枚でも3枚でもオッケーですよ。念のため(^^;
 クリックで拡大
   ↓
 

眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 5日(日)22時28分0秒
返信・引用 編集済
   ふと気づけば、8月9日の発売まで、すでに一週間を切っているではありませんか。〔Amazon〕

 ということで、とべ、クマゴロー!のトップページに、『眉村卓コレクションU 傾いた地平線』情報をアップしました→http://okmh.web.fc2.com/i/
 

Re: 五輪雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 5日(日)01時40分14秒
返信・引用
  > No.3854[元記事へ]

 雫石さん

> 柔道は、私も高校で正課でして、授業が楽しみでした。事情がゆるせば柔道部に入ってました。
 たしかに雫石さんは、体型的に柔道強そうですよね。私は柔道部入部という選択肢は全くなかったですね。だって、卓球やバドミントンは女子が多いですが、柔道部って女子部員いないじゃないですか(>おい!)(^^ゞ

 

Re: 五輪雑感

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年 8月 4日(土)22時19分33秒
返信・引用
  > No.3853[元記事へ]

私は、オリンピックにはさして興味はありません。でも、柔道と水泳は時々はのぞいていました。
柔道は、私も高校で正課でして、授業が楽しみでした。事情がゆるせば柔道部に入ってました。
水泳は、大学が水産学科でしたので必須科目でした。実習中何度も海に落ちたことがあります。水泳ができなけれ何度も死んでました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

五輪雑感

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 4日(土)21時48分43秒
返信・引用 編集済
   オリンピックでやっぱり見てしまうのは、昔やっていた、といってはおこがましい、さわったことがある競技ですね。卓球、バドミントン、柔道、水泳、いまのところこの辺でしょうか。

 中学ではバスケット部だったのですが、卓球部にもちょこっと入っていて、でもすぐに、ピンポン玉みたいなちっこい玉を扱うのは自分には全然向いてないと覚り、バスケに入り直した(これは正解で三年は副主将でした。オリンピックは日本が出場しないからか地上波では放送しませんね)。でもほんのちょっとでもラケットを握りピン球を打っていたことがあると、(ただ外から眺める感覚ではなく)試合の中に入っていけるんですよね。

 高校はバドミントン部で、これは何度も自慢していて皆さん耳タコかも知れませんが、インターハイ出場(但しワケあり(^^;)。ところで五輪史上初めて日本がバドミントンでメダル確定との記事が踊っていますが、昔、湯木博恵さん(新沼謙治の奥さん)が取っているはずなんですけど、私の記憶違い?

 柔道は、高校で週一授業があって、寒い日の受け身は泣きそうになったものですが、あるときクラス対抗柔道大会があって、これが暗かった高校生活三年間のなかで異様に輝いて記憶されているのです(笑)。左利きなので、基本喧嘩四つです。ところが私は一計を案じ、わざと右手で襟を掴む。相四つで、すんなりそうなる。相手は、まあふつうは右腰から攻めてきますわな。この瞬間私は、左手を袖からはなして相手の腰へ回し相手の右腰の前に左腰を入れて投げるんです。大腰というやつですが、面白いように決まって、全部大腰で連戦連勝。現役柔道部員(白帯でしたが)も破ってしまった。最後はやはり柔道部員(黒帯)との対戦となった。ところが(なんせ同じ技ばっかりなので)左腕が疲れてきて、投げ損じ、崩され押さえこまれて負けた(寝技を返す技を知らなかった)のでしたが、オレってやるじゃん、と(^^;。柔道の教師は当然柔道部の顧問で、ひょっとして入部しろと言ってくるのではないかと思ったほどなんですが、そんなことはなかった。まあ邪道(卑怯)と認定されたんでしょう。でもそういう見地からすると、今テレビで観戦する柔道は邪道アリになってますよね。

 水泳は小学校で、ある日突如早くなり(なんかコツを掴んだんでしょう)、五年、六年では、クロールでは学年で常に二番目に速かった。一番は水泳教室に通っていたやつなんですが、そんなに遜色はなかったように記憶しています。

 こうして見ると、10代でいろいろ経験しているんですよね。それ以後の三十数年はさっぱりスポーツとは縁が切れてしまい、今やたまに野球を観戦する程度。今日なんか、外にも出ないのに、暑さでフラフラになってしまい、数時間寝込んでしまう体たらくで、あの頃の体力はどこへ消えてしまったんでしょうかねえ(ーー;

 しんどくて読書もできず、書くことがないので、埋め草めいた書き込みになってしまいましたm(__)m
 

「カラマーゾフの兄弟」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 3日(金)23時37分51秒
返信・引用 編集済
   「ペケ投げ」のワープロ入力完了。夕方、コンビニからメール便にて眉村さんに送りました。集荷の後だったので明日の受付になるそうです。本板をお読みの中にも、私からメール便を受け取られた方がおられると思いますが、さいきん、メール便に凝っているんです。なんたってA4サイズで厚さ1センチ(コクヨのコピー用紙90枚程度)まで80円で送れるんですから、これは意地でも使わずにはいられません(^^;。
 眉村さんに校正していたき、修正入力後、すみやかにアップしますので、お楽しみに〜(形式は「自殺卵」のそれを踏襲するつもり)。

 さて、『カラマーゾフの兄弟1』は140頁まで。面白い。こんなに面白い小説だったとは。登場人物がみんな立体的で厚みがあり、(フョードルでさえ)共感してしまうのでなかなか前に進みません。プロソディで自動的に「フョードルでさえ」と書いてしまいましたが、フョードルほど面白い人物もないですね。

 で、アリョーシャなんですが、小松さんは、高橋和巳の中にアリョーシャを見出していたんじゃないでしょうか。自伝に、「彼(高橋和巳:管理人註)だってデモに出るんだけど、あんまりひょろひょろしてるんで、みんなでかばうんだ」(「自伝」365p)、とありますが、このとき小松さんは、高橋にアリョーシャをオーバーラップさせて語っているような気がします。

 一方、高橋たか子も和巳の中にアリョーシャを見ているんですね。前回の末尾に引用した文は、「そもそも彼は、金の価値というものをまるきり知らなかった。(もちろん比喩的な意味でだが)。頼みもしないのに小遣いを与えられたりすると、どう使ったらいいのかわからないまま数週間が過ぎてしまうことがあったし、あるいはひどく無頓着に使い、すぐに財布の底をはたいてしまうこともあった」(「カラマーゾフ」51-52p)がその背後にあるわけです(これは表層的にはフョードルの或る一面でもあります)。

 とりわけ「他人の心がわからないのだ」は、フョードル的な意味でかわいそうだと感じているのはそのとおりだとしても、これまた「何か別の、他の者と関わりのない、彼自身の内にひそむひどく気がかりなことがあったためで、その心配が彼にとってあまりに重要なので、他人のことが頭からすっぽり抜け落ちてしまうらしかった」(同書46p)という面を暗黙に含ませていることは私には明瞭で、むしろこの面において、たか子は和巳を、「自分にふさわしい伴侶」と認めていたんだと思うのです。

追記。和巳の中のフョードル的な側面は、小松さんも「権力志向」(三浦浩的には「俗物的な欲望」自伝389p)として感知されていますね。
 

本多正一写真展のご案内

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 2日(木)22時11分42秒
返信・引用 編集済
   写真家、本多正一さんの写真展が、下記の次第で開かれます。

      ――――――      ――――――      ――――――

◎ 本多正一写真展「私の青空」
   ――本多道子詩集『母さま』出版記念(頒価1000円)

 会場:銀座ギャラリーバー・カジマ http://kajima.de-blog.jp/
                    住所:中央区銀座7−2−20山城ビル2F
                    電話:03−3574−8720
 会期:2012年8月21日(火)〜9月8日 (土)

 作家在廊:8月21、24、25日、31日、9月1日、7日、8日

      ――――――      ――――――      ――――――

 本多(旧姓石海)道子さんは、正一さんのご母堂で、6歳のとき生母を亡くされたそうですが、その少女時代、母への想いを一冊のノートに書き留めていらっしゃったとのこと。
 そのノートをもとにした詩集が、今回、自費出版にて刊行されることになり、写真展では、道子さんの詩にインスパイアされて撮られた正一さんの珠玉の写真が、詩集に添えられ展示されるのだと思います。

 例によって私は伺うことがかないませんが、お近くの方は、どうぞお立ち寄りいただけたらと思います。

      (C)本多正一

     「母さま」  石海道子(本多道子)
     
     私の母さま    とおい旅
     あの山越えて   行きました
     夢のお国へ    行きました
     私をおいて    行きました
     私の母さま    かえりゃせぬ
     お空にかがやく  お星様
     きらきらお空の  お星様
     母さま      守ってくださいな
  

   
 

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