ヘリコニア過去ログ1210

【過去ログ】 

追記

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月30日(火)23時50分27秒
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  > No.4006[元記事へ]

 下の文章を投稿してから、風呂に入ったのですが、風呂に浸かっているとき、卒然と「あ、あの飛行艇は違う!」と思い出したのでした。
 何が違うのか。映像の飛行艇は、見た限りでは潜水艦型ですよね。火星シリーズの飛行艇は、無蓋でデッキがある、まさに船形なんです(ただし上から見るともっと幅広で楕円形に近い)。だからよく甲板から人が落下するシーンが出てきます。かっこいいけど、やっぱり原作とは違うのでした(ーー;

「カウボーイ・ビバップ」は第15話まで。
『銀河赤道祭』はほとんど進まず。
 

Re: 「ジョン・カーター」ほか

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月30日(火)22時33分27秒
返信・引用 編集済
  > No.4005[元記事へ]

 高井さん
 「アバター・オブ・マーズ」、記憶になかったので、「ショートショートの……」内を検索させていただきました。ありました(笑)。
 リンクのyoutubeも観ました。他のにもリンクがつながっていたので、2本ほど見ましたが、たしかに緑色人がむちゃくちゃですね。手が2本しかないうえに、スケールも地球人並み。しかもデジャー・ソリスが金髪! カンガルーみたいな乗り物動物は原作にないですよね。火星馬のソートは8本脚だったか10本脚だったはず。
 これは「ジョン・カーター」以下の匂いがプンプン(^^;。ただし飛行挺はかっこいいですね。
 こんなんでバローズの著作権継承者はよく許諾したものだと思いました(何かのあとがきにかなり偏屈な人だったと書いてあった記憶があるのですが、偽記憶かも)。あ、著作権はもうとっくに切れてるのか。
 

Re: 「ジョン・カーター」ほか

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年10月30日(火)18時19分38秒
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  > No.4002[元記事へ]

『アバター・オブ・マーズ』のタルス・タルカスは2本腕で、デジャー・ソリスはオバチャン(笑)です。それと比べれば……。あ、ジョン・カーターは短髪です。
 

Re: 「ジョン・カーター」ほか

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月30日(火)12時47分38秒
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  > No.4003[元記事へ]

> この映画のデジャー・ソリス、なんだか女子プロレスラーみたいなデジャー・ソリスでした。
 それではたと気づきましたが、デジャー・ソリスって意外に日本人的といいますか、一般的な日本人にはしっくり馴染む理想的なヒロイン像ですね。※
 外国の映画で、こんな夫唱婦随的なヒロインって、いましたかねえ。

 ツタヤに入っているのならば、借りて見てみようと思います。

※もっとも私自身は、ホーリーサーンの娘のファイドールの性格のほうが好みです(^^;
 

Re: 「ジョン・カーター」ほか

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年10月30日(火)04時45分59秒
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  > No.4002[元記事へ]

>  追記。写真の左の人物がデジャー・ソリスなのかな。だったらオッケー。しかしまた重大な間違い発見。真ん中がジョン・カーターなら、南軍大尉なんだから刈り込んだ短髪でなければダメでしょう(笑)

そうです。左がデジャー・ソリスで、真中がジョン・カーターです。
この映画のデジャー・ソリス、なんだか女子プロレスラーみたいなデジャー・ソリスでした。ジョン・カーターも、南軍の大尉っぽくなかったです。
この映画、バローズの「火星のプリンセス」の映画化だというから、バローズファンや、武部本一郎ファンが文句をいいます。バローズを原案とした、オリジナルの映画なら、映像は確かに迫力がありましたから、そこそこの見世物映画となっていましたね。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「ジョン・カーター」ほか

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月29日(月)23時45分38秒
返信・引用 編集済
   雫石さんの今日のブログは、映画「ジョン・カーター」の感想で、興味深く読んだのですが、「タルス・タルカスはあんな線が細くない」と書いておられます。ブログに掲載された写真をみると、たしかに細い。いや、細いというより、サイズが違っているのではないでしょうか。緑色人は、私の記憶では3メートルか4メートルくらいあったと思います。それくらいのサイズにすれば、肩幅も倍になるので、このプロポーションでも充分に威圧的なはず。
 この映画、あんまり考証してないのかな。まさかデジャー・ソリスがブロンド美人なんてことはないでしょうね(^^;

 アニメ「カウボーイ・ビバップ」を見はじめました。第10話まで。最初の1、2話をみた段階では、あかんな、という印象でしたが、だんだん良くなって来ました。コブラのような純然たるスペオペではなく、太陽系の諸惑星がテラフォーミングされた世界観での物語、なので仕方がない面もあるにしても、火星や金星の都市の描写が地球のそれと全然変わらない(ただしサイバーパンク風の都市です)のが不満。物語も宇宙空間と地上が半分半分の案配。もっと宇宙空間で話を進めてほしいなあ。
 そのかわり、音楽が抜群によいです。だいたいSFアニメの音楽は通り一遍にマーチのリズムなんですが(音楽がわからん人間でも行進曲(軍歌)だけは楽しめる、とは金井美恵子が書いてましたが)、これは主題歌はジャズ(チェイス風味もあり)だし挿入歌もロックありブルースあり、ブルーグラスハーモニカあり、と、非常に趣味が良いです。

 『銀河赤道祭』は、150頁。

 追記。写真の左の人物がデジャー・ソリスなのかな。だったらオッケー。しかしまた重大な間違い発見。真ん中がジョン・カーターなら、南軍大尉なんだから刈り込んだ短髪でなければダメでしょう(笑)。
 

「銀河赤道祭」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月28日(日)22時41分46秒
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   最近、光瀬龍の後期のむちゃくちゃ八方破れな長編が気になっていまして、いま読んだらなら(面白さが)分かるような気がするんですが。ブックオフでたまに見かけたときに買っておけばよかった。近頃は本当に見かけなくなってしまいました。

 というか、突如ああいうのを書きたい気分がむらむらと(^^;

 以前アップした、邪馬台国は1万年前のムー帝国だったという話、いやあれは箸にも棒にもかかりませんが、三国時代の魏が(南海の大国と認識している)ムーの後ろ盾を得て、三国抗争を有利に進めたいと。ところがムーとの交渉は、ムーの3世紀の属国である倭を介してしか出来ない。というかムーへの道を知っているのは倭人だけ。そこで台与の遣使を渡りに船と塞曹掾史張政が、密命を帯びて派遣される、というわけです。すなわち3世紀の中国と紀元前1万年の(超科学が発達した)ムー帝国が交通している世界観です。

  光瀬龍っぽいでしょ? まさにタイムスペース古代史オペラ!完成すればですが(笑)

 しかたがないので、それっぽい(?)野阿梓『銀河赤道祭』に着手。まだ80頁ですが、いいですねえ! 冒頭の第一段落の描写を読んだ時点で、ぱあーっとアニメの映像が脳内スクリーンに広がりました。スペオペアニメの文字版というべきですね!

 連鎖反応で、アニメのスペオペも視聴したくなってきたのですが、悲しいかなほとんど知識がありません。コブラは全部みたのですが、ああいうのが好み。スペオペでもガキが主人公なのは興味なし。あくまでアダルトなスペオペですね。あとセカイ系というのか、女々しい若造が出てきて葛藤するのも趣味ではない。オススメがあればご教示を。
 

「白村江敗戦と上代特殊仮名遣い」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月27日(土)17時00分50秒
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   オロモルフ先生の掲示板に、藤井游惟という方が書き込みをされていて、私はたまたまそれを目にし興味を惹かれたので、貼られたリンクから白村江敗戦と上代特殊仮名遣い-「日本」を生んだ白村江敗戦 その言語学的証拠-という、この方の著書の要約サイトに行ってみたところ、実に興味深い内容で、面白かったのでした。

 ただし掲示板の書き込み自体は、速攻で消されていて、気づいた人は少なかったんじゃないでしょうか。私は本当にたまたま、タイミングがよかったようです。
 消去されたのは、当該掲示板で警告されている、主旨に反する書込、自己宣伝およびトンデモ本的主張と判定されたからでしょう。確かに投稿自体そう感じさせるもので、私はオロモルフ先生の掲示板の書き込みは、チェックされてから掲載される形式と思っていたので、よくまあこの投稿で掲載されたなあ、と、意外だったのでしたが、一般的な形式だったんですね。
 特にリンク先の第一章を読みかければ、そう判断されても仕方がないと思わせられます。いわゆる断定的な妄想古代史(私は大好きなんですけどねえ)をただちに想起させます。
 私自身は、むしろそういう内容を期待して読み始めたのですが、いやいやとんでもない(このとんでもないはトンデモとは意味が違いますので念のため。あ、だからトンデモ・無いなのか(^^;)、本格的な論考でした。
 その意味で、この章を最初に持ってきたのはややまずかったですね。一旦全部読んでからこの第一章に戻れば、たしかに(本稿中では特にきわだって)断定的ではありますが、なるほど、と納得できる面もあるのです。この第一章は、もっと後ろに回すべきでした。

 さて、内容の根幹は、記紀万葉集を実際に書いたのは、白村江で大量に亡命してきた百済人文官だったことを、言語社会学的に証明するものです。
 いやこの仮説の証明過程が実に説得力があり、頷かされます。
 上代日本語にはイエオに甲音乙音があって八母音であることが万葉仮名から読み取れるというのは昔は定説でしたが、今はそうではないという説と拮抗しているそうです。
 著者は上代より日本語は五母音だが、たとえば日本人はR音とL音が区別できない(精密にはRaLiRuReRoに近い発音をしている)けど英語スピーカーは区別するように(赤の世界では赤が見えないのと同じ。これはもちろん文化に由来する差異であり自然的な身体性とは無関係です)、上代日本人にとってはイエオとしか発音聴音してないのを、百済人はある意味勝手に、そこに甲音乙音を聴きとって表記してしまったとするのです(そしてそこに認められる甲乙を選択する規則性は、発音する際の前後関係や高低や口の運動筋肉によるものであるとする)。この辺、リンクされたyoutubeで実際に発音したのがアップされており、非常に説得力があります(万葉集の書かれた漢字(万葉仮名)を中国各地の方言や朝鮮語で音読させた実験は圧巻)。
 かかる音韻言語学的な考察は、まったくトンデモというようなものではありませんね。充分に説得力のある仮説ではないでしょうか。

 しかしコマッタ。不肖ワタクシの妄想によれば、上代日本語は百済語と同じなのであります(笑)。その理由は百済と倭の親近関係で、百済が同民族(同文化族)だからこそ、白村江にも出兵した、と考えてきたわけです。この説は案外一般的で、多分豊田有恒さんも同じ考えだった(今もかどうかはわかりませんが)ように思います。
 ところが本仮説が正しいとなると、わが妄想は音を立てて瓦解してしまいます。なぜなら百済語話者である日本人の文化的音認識構造の、当該制内者には見えない差異を、同じ文化を共有するところの百済人亡命者に、それが見えるはずがないからです。

 ここを著者は、畿内に流入し大和朝廷を打ち立てたのは加羅人であるとすることで、解決します(細かい論証はお読み下さい)。で、この部分が第一章なのです。加羅王が倭王となった、なんて冒頭で読まされたら、またトンデモか、と思ってしまいますが、上記論証を読んだ後にこの記述が来るならば、なるほど、そういう考えもありかな、となるわけです。第一章は後ろにまわすべきだった、と書いたのはそういう次第です。

 しかしこの論考、まさにネットの利点を駆使して(youtubeを取り込んで)たいへんわかりやすい記述になりました。たぶんオリジナルの紙版を読むより理解しやすいと思います。CDが付録されていますが、パソコンの前に座っていちいちCDを操作しながら読んでくれる人はごく少ないと思います。
 

高井さん、S・Aさん

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月27日(土)00時50分54秒
返信・引用
   高井さん
 さっそくにチェックしていただき、ありがとうございます。訂正いたしました。
 このような切り口のリストは、おそらくどこにもないでしょうね。なんか嬉しくなって来ました(笑)
 また気づかれたことがありましたら、よろしくお願いしますm(__)m

 S・Aさん
 おお、初登場ですね(^^)

>そのとおり。
 いやそのとおりなんですけどね。なかなかねえ。
 ちょっと光瀬龍を読み返して、ネタを探してみます(>それかい)(^^;

 

Re: 眉村卓「NULL」掲載作品リスト

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年10月26日(金)23時45分34秒
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  > No.3996[元記事へ]

>  ミスはないと思いますが、ご確認いただければ幸甚です。
 拝見しました。4号と5号に関しても掲載ページを記載したほうがいいですね。
「第三号批評・来信」56p
「墓地」2p−3p
「傾斜の中で」18p−25p
 それと、「あなたはまだ」ではなくて、「あなたはまだ?」です。ご修正を。
 

Re: むなしい・・・

 投稿者:S・A  投稿日:2012年10月26日(金)23時25分6秒
返信・引用
  > No.3991[元記事へ]

管理人さま

>  新作を書けという神様のご意向なのでしょうか?
そのとおり。
 

眉村卓「NULL」掲載作品リスト

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月26日(金)23時17分18秒
返信・引用
   先日、眉村さん情報として、《NULL》掲載作品についての情報をいただきました。→10/1410/1410/17

 遅くなりましたが、本日、「とべ、クマゴロー!」に項目を設けましたので、お知らせします→眉村卓「NULL」掲載作品リスト
 ミスはないと思いますが、ご確認いただければ幸甚です。
 

あ、行き違いでしたね

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月26日(金)20時25分48秒
返信・引用 編集済
   海野さん
 いやほんまに虚しいのですよ。
 下の段野さん宛のエントリに書きましたが、書くたびにどんどん変わっていく書き方のため、と、もう一つ後述の理由で、各段階の作品がそれぞれ残っていると、私の場合は困ることが多く、それで最新のだけ残して、後は消去します。バックアップしているつもりで、間違って新しいデータの上に古いデータを上書きしてしまうことがたまにあるので。

 もう一つの理由は、以前(といっても前世紀ですが)かんべむさしさんが、書き上げた原稿の下書きや途中の稿は、どんどん処分していく、と書いておられたのにいたく感心しまして、それ以降、その真似をしているんです(^^;。それまでは全て残しておくタイプだったんですが。

 あ、古いアイデアノートは、私もまだ大事に保管していますよ。この頃はとんとアイデアが降りてこないので、これがないと何も書けないのでしたー(>あかんがな)(^^ゞ

 トゲくま君、もっと活躍させなければ、ですね!
 

Re: ご同情申し上げます

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月26日(金)20時08分49秒
返信・引用 編集済
  > No.3992[元記事へ]

 段野さん
 いやほんまですよ。私も泣きそうになりました。
 もちろんネットに公開していたり(僥倖にも最近ダダっと公開しており)、紙の原稿も残っているのもあったりして、かき集めれば、ほとんど集められるのです。
 ところが、ここのところずっと、全作品改稿作業をしていまして、それがほぼ終わりかけているという段階だったのです。それがずべて無駄になってしまったのが最大のショックなのでした。

 ある作家さんが、文書を失くしても、自分が書いた文章やプロットだから、すべて頭の中に残っている。時間はかかっても復元は難しくない、と書いているのを読んで、さすがプロだなあ、と感心したことを覚えています。
 私の場合は、こうはいかないのです。書きなおすたびに内容が変わってしまうのです。大体プロットは作らずに書き始めるタイプで、書いていると、その都度、つづきが頭の中に降りてくる感じなんですねえ。だから書き上げて、数日寝かせて読み返すと、ほう、こんなこと、おれ書いたんか! と自分でびっくりすることもある位です。
 そういう書き方なので、しかも今回は、調子が良く、改稿に満足していたので、また改稿するのはもちろん可能ですし、するつもりではありますが、当然内容は変わってしまう。今回かなり満足していたので、新たに改稿して、同じレベルに達する事ができるか、と考えると、ほんと、億劫になってくるんですよね。まあ逃がした魚は大きいの類ではありますが(^^;

 しかし、段野さんも、当板への書き込みが、できるようになったんですね。よかったです。今後ともどしどし書き込み宜しくお願いいたします。

 と、最後まで新作云々には触れないのであった(>おい!)(^^ゞ
 

Re: むなしい・・・

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年10月26日(金)20時07分54秒
返信・引用
  > No.3991[元記事へ]

やってしまいましたか。
僕は書いた作品は仕事場と家で推敲するのでUSBメモリで持ち運びます。
家で書いたものは家のパソコンに入ってますし、それを仕事場に持って行って書きなおしたりすると、それも仕事場のパソコンに保存します。
で、完成したやつを家に持って帰ってそれもまた保存したりね。
それぞれ違う段階で保存されていますね。
USBメモリにもそのまま残っているし。

手書きの頃のは、下書きしたノートがまだありますし。
清書して投稿する時にコピーを取った物を保存しています。
手書きの頃の作品は内容を覚えていて、それを見なくてももっといい作品に書きなおせるんじゃないかと思っていたんですが、そうじゃなかったですね。
古いコピーを見ながらでないとちっとも進みませんでした。

とげクマ君がいつ動き出すのかと期待しました(* ̄Oノ ̄*)

http://marinegumi.exblog.jp/

 

ご同情申し上げます

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年10月26日(金)14時17分18秒
返信・引用
  管理者様
ああ、そのお気持ち、つらいほどわかります。
この掲示板に何度も書き込もうとして、その都度文字化けして、いいかげん嫌われているのだろうか、と泣きそうになった私ですので。
この際、一気に新作を、ぜひお願いします。
 

むなしい・・・

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月26日(金)01時16分55秒
返信・引用 編集済
   先日、これまでに書いたショートショートをまとめて、パイロット版に入れてみた、と書きました。
 41編(約280枚)入っていたのです。そしてその際、いろんな場所にばらばらに保存していた元データは(無駄だと思って)削除してしまったのです。
 ところが今朝みたら、そのまとめたのがないのです。
 昨日のみじか話は、そこからコピペして、掲示板に投稿したのですが、そのとき、なんかバカなことをやったみたいです(投稿する時点で、睡魔でモーローとしていたことは覚えている)。
 うわーん。本番用(と考えていた)作品も入っていたのに〜!
 これは、本番に過去作品の流用でお茶を濁そうとした報いなのでしょうか?
 新作を書けという神様のご意向なのでしょうか?
 ショックで午前中仕事になりませんでした。月末なのに。

 そんなわけで、文章を読むのも書くのも嫌になり、MIDIシーケンサーに没頭して、悲しみをまぎらわせておりました。こちらなんですがね(^^ゞ

         ↓
 
 
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月24日(水)22時39分24秒
返信・引用 編集済
 
鎖国市有情

 《四條畷》は大阪の東涯、峻険なる《生駒》の山中に蟠踞する。まさに塞外の絶境である。絶境、絶境! その地を訪れるのには唯一《片町線》を利用するほかにない。それ以外の交通手段は、後述の通り存在しないのである。
 《片町線》はJR大阪環状線を《京橋》駅で乗り換える。駅舎は二層で、上層は大阪環状線の高架ホーム、下層の地上駅が当の《片町線》ホームである。路線の名称は、建設当初《京橋》駅自体がまだ存在せず、西隣の小駅《片町》を以て発駅とし、終駅の《四条畷》までを結んだことによる。が、近時《片町》駅から乗降する客は殆どなく、京橋駅が実質的な始発駅といってよい。
 なに、いまは学研都市線というのではないかって?
 勘違いしてもらっては困る。学研都市線は《片町線》のとなりのホームですよ。お乗り間違えのないように。
 実際たしかにこの二路線を混同している人が少くない。そうだ丁度よい機会なので、この際違いをはっきりさせておくとしよう。
 JR学研都市線は、けいはんな学研都市と京橋駅を結ぶ、比較的最近に敷設された新・幹線路線である。しかも京橋駅でJR東西線と合体して、京阪奈地区と阪神地区を一気に繋いでしまう、実質この二路線で一本の、大動脈路線なのだ。鄙びた《片町線》とは全くの別路線なのである。
 《片町線》もかつてはJRの一支線であった。かつては、と書いたのは他でもない。現在では、学研都市線の開通に伴って新たに設立された第三セクター「株式会社片町線」に経営権が移管され、その運営に任されるかたちで細々と命脈を保っているばかりの赤字ローカル鉄道でしかないからだ。《片町線》が廃止されてしまうと《四條畷》が陸の孤島と化してしまうため、窮余の策としてこのような形態で存続が図られたのであった。
 そんなさいはての地、《四條畷》はすべて山の中である。天衝く峰々が南北に連なる峨々たる大《生駒》の、その険しい斜面にしがみつくようにして集落がある。年配の方なら覚えておられよう、「大阪のチベット」なぞと面白おかしく形容されたのもさほど昔ではない。そういう表現は、今ではまず聞かなくなったけれども、依然大阪の大辺境であることに変わりはない。それが証拠に《四條畷》は、今なお、ゆうちょ銀行代理店である郵便局の他にはいかなる民間金融機関も存在しない、我が国でも数少ない市町村のひとつである。
 かつて――今を遡る六七〇年の昔、いわゆる四條畷の戦で南朝方の忠臣大楠公正成が嫡男の正行が、当地に於いて凄絶な最期を遂げた。これは中学校の教科書にも載っている確かな史実である。が、その一方でどうした訳の訳柄か、まさか正行の怨念が時空を歪めてしまったわけでもあるまいが、爾来この地に、「南朝側が勝利した」《四條畷》もまた、存在を開始したのであった。
 これには実のところ、彼地の住人も途方に暮れ、警戒もしたらしい。それはそうだろう、北朝世界の大海にポツンと一村だけ孤立して、小さな泡のように南朝世界が浮かんでいるのだ。彼らにしてみればまわりはすべて敵なのである。防御的とならない方がどうかしている。という次第で、以降《四條畷》は人跡未踏の山岳地帯に隠れ潜み、杳として他所との交渉を絶ってしまったのであった。
 そして《四條畷》は、それを完璧にやり遂げたのである。
 どうやって交通を絶ったのか。もとより楠木党は山の民ゲリラの民であるからして、隠遁の術などお茶の子さいさい朝飯前のカッパの屁というわけで、得意の五遁の術わけても土遁の術を駆使し、実に何と麓との交通路そのものを完全に迷路のなかに封じ込めてしまったのである。
 以降、室町戦国安土桃山徳川と時代は移りゆく。その間、様々な動機から《四條畷》をめざした者が少からずいたらしい。なかでも特に有力な動機が「黄金伝説」であった。いわゆる「楠木正成の埋蔵金」である。むろん根も葉もない俗説であった。が、一攫千金を夢見る者はいつの時代にも存在したのである。しかしながら――その誰一人として、彼地に到達し得た者はなかった。麓から山の上の《四條畷》に至るいかなる間道も杣道も、彼らは見出すことが出来なかったのだ。
 そうこうするうち、この伝説の隠れ里を目指す者の数も次第に減じてゆき、やがて鎖国市《四條畷》は、住人の思惑どおりに世間から忘れ去られていった。時が移り降り積もり、いつしかその堆積の下に《四條畷》は覆い隠されてしまったのである……
     ※
 夫れ《四條畷》が再び世にその姿をあらわすのは時代も降って大正二年のことであった。航空機の発達がそれに寄与したのである。
 米国カーチス飛行学校で訓練を受け、我が国最初期の民間飛行家となった武石浩玻が、カーチス・プッシャー単座複葉機を引っさげ鳴り物入りで帰朝を果たしたのは大正二年四月のことであった。
 さっそく五月四日には大阪朝日新聞社主催のデモンストレーション飛行が企画敢行される。折からの天候不順で数日順延したこの日、武石はまず満員の鳴尾競馬場(現西宮東高校地)万雷の拍手のなか、城東練兵場(当時京橋駅の南にあった大阪砲兵工廠と、城東線(現環状線)を挟んで東接)をめざし無事これを果たした。
 ひきつづき京都深草練兵場に向かって飛行せしも、このとき悪気流に掴まり、東に流され《生駒》山系へと機体を迷走させてしまう。実にこれが《四條畷》再発見につながった。武石は上空より見遙かす《生駒》の山腹斜面に、貼り付くようにして点在する未知の集落を視認、無線にてそれを報告したのである。それこそが《四條畷》五七〇年に亘る鎖国に終止符が打たれた瞬間であった。
(なお余談ながら、このとき武石自身もまた、生駒上空より奇跡の大返しで深草練兵場へなんとかたどり着いたものの、武運むなしく着陸に失敗墜落、あたら二十八歳の生涯に終止符を打ったのであった)
 閑話休題、こうして《四條畷》の開国は果たされた。とはいえもとより《四條畷》側から積極的に開国を望んだわけではない。そもそも北朝世界との交通を嫌って、軍略に長けた尊氏をも大いに翻弄し震撼せしめたその卓越したゲリラの術を以て、山間に隠れ潜んだのである。航空機の発明なかりせば未だ気づかれずにそのまま鎖国が継続されていた筈なのだ。
 《四條畷》の不幸は、麓方面からは完璧にその姿を隠しおおせたその土遁の術が、上空からの目視に対してはまったく無効であったことである。上から見られては一目瞭然だったというわけだ。まさに頭隠して尻隠さず、いやいや尻隠して頭隠さずというべきか。住民も上空から発見されてしまうとは青天の霹靂であったろう。楠木党をもってしても「空遁の術」は未だ会得していなかったというわけだ。まことに《四條畷》にとっての黒船は航空機なのであった。

 滋養期せんと絶った四杯目夜も眠れず

 当時の《四條畷》での混乱ぶりを囃した戯れ歌として伝わっているものである。しかしながら筆者には、この歌のどこにそういう意味が隠されているのかさっぱり判らぬ。素直に読めば、明日に備えて、あんまり飲みすぎてもいかんとナイトキャップの四杯目を我慢したら、結局眠れなくて朝までまんじりともしなかった、なんのこっちゃ、という悔恨の歌である。けだしこれをば日本国との修好通商条約の締結を翌日に控えた《四條畷》高官のよみ歌と判ずる定説は、いかにも無理筋というべきではあるまいか。
     ※
《四條畷》も、近年ようやく「市」に昇格した由である。筆者も一度は訪れてみなければならぬと思いながら、いまだ果たさずにいる。この分では、一生訪れることはないかもしれない。
 実は何度か、思い立って《片町線》に乗車したのである。ところが、なぜか途中で必ず急な睡魔に襲われるのだ。不思議に思い、一度、強烈な睡魔に抗して、目をあけていられなくなるのを我慢して、周囲の乗客を見まわした。ことごとくこっくりこっくりとやっていた。
 で、はたと気づいた。おそらくこれもまた、楠木流の何かの術なのではあるまいか。
《片町線》は、乗車券を購入しさえすれば誰でも乗車できる。たとえ間諜であってもだ。
 もしも間諜が、《京橋駅》から《四條畷》駅まで、ずっと目覚めて車窓から外の風景を目に焼き付けようとすればそれは可能だろう。或いは密かにビデオカメラに収めれば……。土遁の術によって目くらましされた《四條畷》への陸路が、それではバレてしまうではないか。けだしこの睡魔はそれを防ぐ手段なのではあるまいか。いやきっとそうだ。
 それが証拠に、筆者はいつも《四條畷》の一つ手前の《野崎》駅で必ず目が覚める。目覚めれば、朝なのだ。

○本篇も以前連載しかけたまま、未完でほっぽり出してあったもの。今回完成させました。実は当時、書いているうちにどんどん妄想が膨らんできて、それを全部押し込んでしまうと収拾がつかなくなってしまいそうだったので、頭を冷やす意味で放り出したのでしたが、放り出しているうちに、アイデアをあらかた忘れてしまいました(^^; 結局最初のシンプルなオチに戻った。これで良かったような気がします。
 

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月23日(火)21時03分51秒
返信・引用 編集済
  ○本篇は、以前アップした「黙示録」(こちら)の改稿版。リンク先で「あきらめた」と書いてますが、諦めてなかったのでした(笑)。これで定稿とします。どこをどう直したか、読み比べてもらえれば一興かも(^^;



鏡 面 球 体

 白昼の蒼空に、突如、直視できないほど眩しく輝く〈超新星〉が出現し、人々を驚かせた。范もまた、《退役宇宙開拓者の家》のベッドから、窓越しにそれを見詰めていた。
《退役宇宙開拓者の家》に収容された元・宇宙開拓者たちは、現役の宇宙開拓者からは敗残者として蔑視されていた。過酷な宇宙環境で精神に失調をきたしたり、事故で身体を損壊し地球へ送還された者たちが、宇宙事業不適格者の烙印を押されて、此処に収容されているのだった。
 あの〈現象〉に遭遇しなければ、范は現役で、一等巡視員として最前線で活躍していたはずだ。しかし今では意識も混濁しがちで、ただ、「あの光景を再びこの目で見たい」という執念にも似た渇望が、彼を今日まで生きながらえさせてきたのであった。
 そしていま、超新星を見詰める范のうすれゆく意識に、再び《あのとき》が甦っていた……
     ※
 巡視艇の重力感知器が異常値を検知し、警報を発した。
 范はいぶかった。この宙域に、感知器に引っかかるほどの重力を示す小天体は、確認されていない。というより、さっきまではなかった。今とつぜん出現した――そんな感じだった。范は巡航設定を解除し、重力異常点へとコースを変更した。
 二時間後、巡視艇は肉眼で確認できる距離まで接近した。
 范は目を瞠った。それは直径十キロメートルの、完全な鏡面球体であった。
 暗黒の虚空にぽっかりと浮かんだ鏡面球体は、その鏡面で億万の星光を反射していた。
「これは人工物だ。しかし太陽系から何光年もはなれているこの宙域に、どうしてこんなものがあるのだろうか?」
 宇宙服に着替え、船外に出た。満天にばらまかれた星くずが、急に輝きをましたように思われた。范の、上も下も、前も後ろも、右も左も、すべて星であった。
 宇宙は、范を中心点として全方向にひとしく拡がっているように感じられた。さながら宇宙の三次元球面構造の中心に、范は在った。
 同じ意味で、鏡面球体もまた、宇宙の三次元球面構造の中心点であった。
 范は体を回転させて、球体を正面に捉えた。
 こう漠たる宇宙の果てより何百年何千年の旅をして、はるばる鏡面球体にたどり着いた幾千億の光の矢は、その完全なる球状鏡面でまっすぐ正反射され、任意の一点に鉛直に入射した光線は、ふたたびその光源に向けて正確に送り返されていた。宇宙の三次元球面構造と鏡面球体は、そのすべての「点」において、ただしく正対しているのだった。それはまさに逆《鏡地獄》の図といえた。
 彼は巡視艇を蹴って泳ぎ出した。十数分後、鏡面球体の表面に到着した。それには弱い引力があった。さかしまに彼の姿と星々とを、くっきりと写し出した鏡面上を彼は歩き出した。
 しばらく進むと、鏡球面の鋭く湾曲した地平線から、丸い穴が立ち現れた。数分後には、彼は球表面に垂直に穿たれた直径五メートルほどの穴の前に立ち盡していた。穴の内部はまったき暗黒で、底は見えなかった。范は穴に飛び込んだ。
 穴の中に引力はなかった。その事実は、穴が、この鏡面球体を垂直に貫通している可能性を示唆した。范は泳ぐように進んでいった。携帯照明の光をも完全に吸収してしまう究極の闇の中を、彼は進んだ。
 どこまでも、暗黒の筒状の壁が彼を取り囲んで続いていた。
 この穴は無限に続いていて、永久に出られないのではないか。そんな思いが范の頭をかすめた。やがてやみわだの果てにぽつんと光点が見えてきたときは、さすがに安堵のため息が出た。
 一つの光点でしかなかった出口が、近づくにつれだんだんに広がって、点から面となり、その向うの様子が少しずつ見えはじめると、彼はある予感にとらえられた。出口に佇立して、それは確信に変わった。
 見霽かす虚空は、范が後にしてきた、彼のよく知る、星々がぶちまけられて燦然と輝くあの宇宙空間とは、全く様相を別にしていた。前後左右上下を埋め尽くした星々の姿はなかった。星のない、文字どおりの虚空だけがあった。
 ただ星々の代わりに、その漆黒の虚空には見なれないものが架かっていた。それは視野の半分を占めて虚空に横たわっていた。巨大な《棒渦巻銀河》であった。
     ※
 あまり例をみない独特の棒渦巻の形状からして、その島宇宙が、人類の太陽系が属する《天の川銀河》以外の何物でもないことは、間違いないことのように范には思われた。ただし見慣れた《天の川》ではなく、渦状星雲そのものの姿であった。つまり范は、銀河系からよほど離れた地点から、当の島宇宙を望見しているのだった。
 范はその時、はっきりと鏡面球体の存在理由を了解した。
 彼の内なる時間の組み立ては、球体を通過することで変化していた。
 彼の目には、銀河系が自転しているのが解った。実時間で一回転するのに二、三億年かかる銀河の回転が視認できているのだ。しかもその自転速度は、范の内時間と実時間との乖離が拡大するに対応して、確実に増していくように見えた。
 今や彼の内時間は無限大に近づいていた。彼にはもはや銀河系の、その渦状腕を個別に識別できなかった。赤、青、緑、あらゆる星の色が重なりあって、この世のものとは思えない完全白色の円盤と化しつつあった。
 銀河自転速度はさらに上がる。すると円盤面のところどころで、何か爆発が起き始めた。范は目をこらしてみたが、彼の伸びきった内時間では、その正体をとらえることは無理だった。
 はじめは局所的に起きていた爆発が、しだいに銀河面全体に拡大して行っているようであった。
 ――と、だしぬけに、白色円盤と化した銀河面から、范の脳に何かが直接届いたのだ。
 今や范は、地球人類がその実在に全く気づいてなかったものに触れていた。それは常に手に届くところにありながら人間の視野があまりに狭いために見ることができず、五感が正当に発達していないために感じることができなかった何かであった。
 范には、それが「歌」として知覚された。
 それは紛うかたない、天の川銀河の「白鳥の歌」に他ならなかった。
 彼はすべてを了解した。そう確信した。そのまま身をひるがえし、穴の中へ戻っていった。ちらっと振り返ると、爆発域は、ますますその面を拡げていた。
     ※
 急がなければならない、と范は思った。
 暗黒だけが唯一の実在である穴を、彼は、ものすごいスピードで進んだ。内時間は、ますます無限に近づき、彼の目は、何も見ることができなくなってしまった。
 そしてついに、内時間は、無限大に達した。
 しかし、その次の瞬間には、彼の内時間は跳ね返され、急速に実時間に向って収縮し始めていた。内時間が伸び切り時間質量が無限大に達した結果、それは時間斥力に打ち勝ち、押さえ込んで、収縮に転じたのであった。
 范が、入り口へ戻った時には、すでに彼の内時間は、実時間に同期していた。
     ※
 それから数時間後、彼は巡視挺を鏡面球体の引力圏から脱出させようと必死の努力を続けていた。球体は強力な磁場を持っていた。その強い磁力によって、巡視挺のメカニズムは完膚なきまでに破壊しつくされてしまっていた。
 もとより電子頭脳は死んでいた。范ひとりで、独力でこの挺を動かさねばならなかった。それは人ひとりの手には至難の技だった。だが、やるしかない。
 時間は、あとわずかしかない筈だった。范の顔に焦慮の色がうかんでいた。
 全手動で、どうにか巡視挺を脱出軌道に乗せた。
 しかし、速度が上がってこない。
 この速度では、直近の《ゲート》まで、二十分かかるだろう。間に合うのか。時間との勝負だった。
 とはいえ范はそのベストを尽くした。あとは運を天に任せるしかなかった。
 ――十五分が経過した。
《ゲート》は、鏡面球体に対して直角の向きに開いているので、被害を呼び込むことはないはずだった。
 さらに十分経過――
 あと四分。
 三分。二分。一分――
 五秒。四秒。三秒。二秒。い……
 崩壊が始った。背後から光が溢れ、巡視挺に襲いかかる。
 ゼロ。
《ゲート》が開く。
     ※
 范は還って来た。なんとか間に合ったものの、しかしその一瞬に、巡視挺は凄まじい衝撃をくらっていた。
 彼の四肢は、もう彼の言うことをきかなくなっていた。彼は、敗残者だった。《退役宇宙開拓者の家》の医師は、彼の死を予想していた。
 范は、《退役宇宙開拓者の家》で、死を待つばかりだった。超新星が出現したのは、そんな「時」であった。
 ――あの時の崩壊のすさまじい光が、彼より数年遅れて(光の速さで)、いまこの瞬間に、太陽系に届いたのだった。それを人々は、超新星と呼んだ。しかし、それは星の爆発による超新星ではなかった。
〈超新星〉のかがやく白昼の蒼空を見つめながら、范は、失われてゆく意識の中でつぶやいた。
「俺は、今、あそこで戦っているのだ」
      ※
 その光の先端に、彼の姿があった。
 爆発の光束は、その先端に、彼の一瞬、一瞬を光景として貼り付け、全天全方向へ拡散したのであった。そのうちの一本の光の矢が、いま太陽系を、一瞬に駆け抜けていった。その拡がり続ける光景の先端で、彼は活人画のように凍りついたまま、今も、戦っているのだった。それは、これからも先ずっと……。その光景は、宇宙を旅し拡がりつづける。何百年も何千年も、時間の存在するかぎり永遠に。
 しかし、何億年かのちに、遙かに離れたどこかの星で、この光景を観測する者が、はたしているであろうか。その存在を許容する宇宙があり続けているだろうか。
 とわの眠りについた范の双眸には、晴れ渡った蒼空に抗してなお眩しく光る《超新星》の輝きが、映リ込んでいた。
     ※
 宇宙の未来は、茫々たる時の荒野の中にあった。
 

本日は乱歩の生誕日

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月21日(日)23時27分45秒
返信・引用 編集済
   乱歩が生まれてから118年が経ちました。ふるさと名張では、おお、なんか面白い展開に!→さあどうなるんだろうね

    クリックで拡大↓
 

「エレホン」再着手

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月20日(土)22時28分17秒
返信・引用
   昨日の記事の流れで、ザ・タイガースの最近の映像はないかと検索した結果がこれ(笑)
   ↓


 わはは、いくらなんでもこれじゃ、オバサンたちもがっかりだったのでは(あ、ピーが参加してますね)。

 と思ったら、海の向こうも同じだった(汗)。
   ↓


 いやだいぶマシですが(^^;


 さて、『エレホン』がようやく入手できたので、再着手。最初から読み直します。 
 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月20日(土)11時01分30秒
返信・引用
  > No.3985[元記事へ]

 そんなことはないでしょう。私は、短詩や俳句や川柳も載せたい(書いてくれる人がいれば)くらいですよ(笑)。

>凝縮した表現の方向で二番煎じをやってみますか?
 ぜひぜひ。

>みんながそれをすると、作品数は多いけれど薄っぺらい物になりそうですね
 みんな、は、しないと思います(>おい)(^^;
 それに特集みたいな形にするのではなく(それはこの雑誌の趣旨からして筋が違いますから)、分散して、こっそりやってみたいわけです。
 次回はずっしり重厚なのが集まリそうな予感がするので、その隙間に間奏曲みたいなかたちで。
 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年10月20日(土)10時50分59秒
返信・引用
  > No.3984[元記事へ]

ふむ。
僕の気持はあのレクイエムで、書けたと思っていたのでヤラレタ感が少なかったのでしょう。
>凝集しきった表現
と言う事では衝撃でしたけれど。
それでは凝縮した表現の方向で二番煎じをやってみますか?
みんながそれをすると、作品数は多いけれど薄っぺらい物になりそうですねヾ(・ω・。*) ォィォィ

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月20日(土)09時30分55秒
返信・引用 編集済
   海野さん
 あら、そうなんですか?
 「2012年……」を読んだとき、その凝集しきった表現に衝撃を受けるとともに、これを掲載するという明確な意思に対しては、あ、そうだ。この手があった、と、私はまず感じたのでした。
 「この手」というのは、CYSMに発表することで鎮魂する(ある意味自分の気持ちを)、リスペクトの意思を表す。活字として残すことで、自己の立ち位置を明らかにする……そんな感じでしょうか。海野さんのレクイエムも、そういう感じが胸にまずあったんじゃないのかな、と想像するのですが。
 意趣返しとはまあ冗談ですが、自分が気づかなかったことを先にやられた、ということに対しての表現。二番煎じとは、かくある秀作を前にしてはいまさらだが、やっぱり自分もやってみたい、という気持ちの表現、ということになりますかねえ(^^;。

 見本を、とのことなので、再掲になりますが(^^ゞ

先 触 れ(コラージュによるレクイエム)
 六月六日の早朝であった――。
 ウィリアムが、息せき切って階段を上がってきた。
「出発されたって?」
 魔女たちはかがみこみ、脂だらけの棒や、骨ばった指をつっこんで、大釜の加減をみていた。
「きのう、なさったとさ」
 三人の魔女は水晶球を持ち上げた。
「神よ!」
 ウィリアムは思わず両手をさしのべた。
「ディケンズさんにすぐ知らせよう」
 と、ポー氏が言った。
「少々おそすぎたくらいだ。あと数時間でわれわれの運命が決まる。ビアース、いっしょにディケンズ氏宅へ行ってくれないか」
「ポーさん! ビアースさん!」
「今行く、今行くよ!」
 ポーとビアースは階段を降りた。
「ニュースを聞きましたか」
 断崖から落ちかかった人のように、その男、ブラックウッドが、二人にすがりついて叫んだ。
「あと、一時間で、あの方は到着します。本を持ってきてくれるそうです――昔の本を!」
「ありがたや!」
 ポー氏が両手を合わせた。
「百万の援軍を得たも同然。ブラックウッド、ビアース、さあ、いっしょに行きましょう。われわれはチャールズ・ディケンズ氏の住居へ行って――」
「ディケンズ氏はきっと考えを変えてくれますよね」
 と、ビアース氏が言い、こっそりウインクした。
     ※
「おい、あれはなんだ?」
 スミスがたまげたように叫んだ。
 ロケットのそばに本を山と積み上げ、今しも火をつけようとしていた隊長は、思わず手を止めた。
 スミスが呆気にとられたように、空を見上げ、指差していた。
 その先に、火星にはいるはずがない蝶々が、緑と金色と黒に輝く蝶が、ひらひらと飛んでいた。
 そしてかすかに、霧笛のような音が、空の彼方から聞こえてき、それは次第に近づいてくるのだった。……
                   (小笠原豊樹氏訳文による)


 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年10月20日(土)08時30分56秒
返信・引用
  > No.3977[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

「2012年の永遠」を読んで、なんか、空気の張り詰めた俳句みたいな世界にひたりました。
これからはブラッドベリのいない世界で生きて行かなくちゃいけないんだなー
しみじみそんな感じでしたね。
しかし、ヤラレタ感とか、臍を噛むとかが良く解らないのです。
僕が「6月は雨降りしきる国」と言うレクイエムを書いていたからでしょうか?

これにどうやって意趣返しするのか、二番煎じをするのかピンと来てないのですが。
例えばどんな感じですか?
二番煎じに参加してもいいですが、見本を具体的に(笑)

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:S・A  投稿日:2012年10月20日(土)02時51分29秒
返信・引用
  > S・Aさん、二番煎じしてもいいですか?
どうぞどうぞ、二番煎じではなく美味しいお茶っぱをお持ちでしょうから、ぜひ淹れたてをお願いします。
もっとも、二番煎じのほうが美味しいともいいますが。

> 松橋さん、もしこれをごらんになっているのなら反応してください。
松橋さんは、どこかで、なにかで記憶があるのですが広島ではなかったような…

> チャチャヤングの仲間たちは、いまだにチャチャヤングしてますよ。
今回の「チャチャヤング・ショートショート・マガジン」はアマゾンでは手に入りませんので、お読みになりたいかたは管理人さんにお申込を。頒価、送料等はお尋ね下さい。(でいいのかな)
もっとも、完全手作り・受注生産・発行部数極僅少のようですので、注文が殺到するとまずいかも。
 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月20日(土)00時47分11秒
返信・引用
  > No.3980[元記事へ]

 雫石さん
「グッド・オールド・レイディオ・デイズ」はしびれましたよね。
 タイガース・メモリアル・クラブバンドみたいなものでしょうか(ナンノコッチャ)(^^;
 広島のえり子さんは、雫石さんに限らず、人気がありますねえ。私自身は、まったく記憶にないのです。
 たぶん、私が聞けなくなった頃に、入れ替わりのような感じで登場された方でしょうか。

 松橋さんがネット環境にあるならば、チャチャヤングで検索すれば、上位にずらりと、雫石さんや高井さんや深田さんの記事が出てきますから、比較的容易に50周年企画にたどり着けるはずなので、案外あしたにでもおたよりが届くかもですよ(^^ゞ
 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年10月19日(金)20時37分20秒
返信・引用
  > No.3977[元記事へ]

>雫石さんは(私の見立てでは)さほど影響されてないみたいですが、どうなんでしょうかねえ。

私は影響されてませんね。あんな作品は、私、逆立ちしても書けませんので。
それより、S・Aさんには影響されました。
松橋えり子、お会いしたことはありませんが、どんな人かいまだに興味ありますので。
S・Aさん、二番煎じしてもいいですか?
松橋さん、もしこれをごらんになっているのなら反応してください。
チャチャヤングの仲間たちは、いまだにチャチャヤングしてますよ。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「宇宙へ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月19日(金)03時14分13秒
返信・引用 編集済
  > No.3978[元記事へ]

 深田さん
>西さんならでは、ですね。
 ある意味、非常に難しい作品ですよね。

 さて――

 福田和代『宇宙へ』(講談社12)読了。
 面白かった。『カリブの天使』と一応同系統の、工学・技術系の話で、宇宙エレベーターが舞台。エレベーターの静止軌道上のステーションに常駐するメンテナンスマンたちの「日常」を描いています。
 「日常」なので、あまりSFらしさはないです。作者もSFを書く、という意識はほとんどなかったのではないでしょうか。だから以下の文は、ある意味言いがかりに近いかもしれませんなあ。SFじゃないものをSFとして読んだ感想ですから(>おい)(^^;

 同じ工学系といっても、『カリブの天使』が、風に弱い特性の飛行船を、成層圏まで上昇させ、ハリケーンの目の中に下ろすという、奇想天外なSF的シーンを見せる(成立させる)ために、そのためには設定はどうあればよいかについて(どのへんで嘘をつけばよいかも含めて)、全力を傾注して考えている、創案している点で、まさにSFマインドの産物であるのに対して、本篇は、まあネットで検索すればここに出てくることは大体調べがつきそうな、そういう一般論に収まっているように思われます(その意味では科学ライター的)。

 そこから突き抜けてゆく「アイデア(ハッタリ)」がないんですよね。(そういうグランドセオリーが一つありさえすれば、SF読みの場合、後はどんなにトホホでも、すべてオッケーになってしまうものなんですけどねえ)
 ラストのケーブル切断も、奇想天外な独創という感じはあまりしません。私も色々案を考えながら読んでいたわけですが、似たようなアイデアは思いついていましたから(と胸を張る(^^;)。
 しかもそんなアイデアも、第一話と最終話しか出てきませんし、当の第一話のアイデアも、メインアイデアというよりはサブアイデアです。あとは軌道ステーション内と、地上での休暇中の(人間)「ドラマ」だけ(SF読み的には「だけ」ということになる)。

 あ、そういえば、船外活動とか、実際に体を使って作業する場面は殆どない。第一話でも、テープ代わりのアイデアは良かったけれど、それを実際に使って修理する場面の描写はないですよね(ステーション内から眺めているだけ)。
 あと、余談ですが、いくらナノチューブとはいえ、5万6千キロ(地球の円周は4万キロだから、1周させてもまだ余る)も巻いたコイルを4巻も、ステーションの倉庫に格納できるものなのでしょうか。『星ぼしに架ける橋』では、静止軌道上にケーブルの生産工場を作ることで解決していたと記憶しています。ナノチューブではありませんでしたが。よしんば格納できるほどの大きさに収まるのだったら、それは逆の意味で驚異ですから、コイルのサイズを描写してくれていたらリアリティが出たのではないか。そういえばカーゴはどんなメカニズムで昇降しているのかも記述されてないのでさっぱりわかりません。必要だったと思います。

 翻って『カリブの天使』では、成層圏まで上昇した飛行船のてっぺんに上がって作業する場面があります。気圧が低く寒いためにさまざまな困難に直面する(普段は犯さないミスも出る)。そんな細かいリアリティがスリル満点で読者を引き付ける。テクノ小説の醍醐味だと思うのですが、本篇では、ほとんどがステーション内での出来事で、そういうテクノ本来の描写すべきところが流されてしまっている。そのため技術系フィクション特有の(上述したような)リアリティがあんまり感じられないし、まず、宇宙小説という雰囲気がしない。
 結局ホームドラマならぬステーションドラマなんです。逆に言えば、テレビのお仕事ドラマの原作に最適な小説ともいえますね。ステーション内部のスタジオセットでほとんどの話は作れそう(^^;。
 『カリブの天使』で「夾雑物(とは即ち人間関係、謀略、テロ等です)は徹底的に排除され」と書きましたが、本篇は、まさにその夾雑物で作り上げられているといって間違いではありません。

 そういう次第で、ストーリーもテレビのお仕事ドラマのシナリオと五十歩百歩(テレビのお仕事ドラマが、往々にしてマンガの実写版であるように、本篇のキャラクタもかなりマンガ的です)。とはいえ良質のお仕事ドラマにはなっていて、その意味では(テレビドラマを寝転がって見るみたいな感じでは)大変面白かったです。そういう小説を求めている読者は少なくないと思います。
 

Re: 「2012年の永遠」

 投稿者:深田亨  投稿日:2012年10月19日(金)01時47分56秒
返信・引用
  > No.3977[元記事へ]

臍は噛んでいませんが…タイトルも含めて短詩の極みのような作品ですね。
西さんならでは、ですね。
 

「2012年の永遠」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月18日(木)23時54分18秒
返信・引用 編集済
   しかし「2012年の永遠」は、ヤラレちゃいましたねえ。
 とりわけ深田さんと海野さんは「しまった!」と、臍を噛まれたんじゃないでしょうか。西さんに負けない位、深い影響をうけてますものね(笑)。
 やはりこれは、本番で、意趣返しすべきではありませんか?
 ぜひやって下さい。
 そういうお前はどうなんだ?
 もちろん、私もやりますとも! というわけで、さっきまであの作品を修整していました(>おい)(^^;
 他のみなさんも参加しませんか? 雫石さんは(私の見立てでは)さほど影響されてないみたいですが、どうなんでしょうかねえ。
 二番煎じ、みんなでやればこわくない、ですよ。
 

本番も遠くない

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月17日(水)23時29分34秒
返信・引用 編集済
   ある方が、早くも《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》本番の原稿に取り掛かったと聞いて、この頃、過去の作品を見直しています(>新作を書けよ)(^^;
 玉石混淆で、嘘、石石混淆で、パイロット版に流し込んで、90頁ありました(ショートショートのみ)。意外に書いていたのですねえ。しかし、良いのが全然ないなあ・・

 ところで、先日もあったのですが、本日また迷惑投稿されてましたので(同一会社と思いますが)、「認証コード」を復活させました。書き込みの際、お手間がかかって申し訳ありませんが、よろしくお願いしますm(__)m

 福田和代『宇宙へ』に着手。

 

Re: 眉村さん情報《「NULL」掲載作品》

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月17日(水)02時15分57秒
返信・引用
  > No.3973[元記事へ]

 尾川さん
 あわわ、これはまた貴重な新情報を!
 とりあえずこちらに書き足しました。後日、「とべ、クマゴロー!」にきちんとまとめて掲載いたします。

>「悪魔の世界の最終作戦」はのちに筒井さん部分だけ独立して「悪魔の契約」となっています
 ショートショート集『にぎやかな未来』に収録されている作品ですね!

 とまれ、毎度のことながらほんとうに助かります。ありがとうございました。

> 「捩子」は、そのうち国会図書館に行って調べてきます。
 よろしくお願いします。

 

「カリブの天使」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月17日(水)01時41分27秒
返信・引用 編集済
   高齋正『カリブの天使』(トクマノベルズ86)

 始読巻措く能わず一気読了。いやー面白かった!
〈旅客飛行船〉シリーズ第3巻です。現実のこの世界では、大型旅客飛行船の時代はツェッペリン、ヒンデンブルグを以って終焉しましたが、本書の小説世界では、コンピュータやGPS等20世紀の新技術によって、空の豪華客船として復活しています。
 全長500メートルで最大直径80メートル、1000人の乗客・乗員を乗せ、基本、地上1000メートルの空を、時速200キロで悠々と飛び、地球一周の旅を提供する空飛ぶホテル! これ、飛行船を縦にした二つ分の高さ(低空)を飛ぶわけで、地上から見たら壮観でしょうね。

 さて今回は、旅客飛行船「桜花」がロサンゼルスからマイアミに向かって飛行中に、巨大ハリケーンがカリブ海に発生。折悪しくその進路に、1000名の乗員乗客を乗せた豪華客船がエンジントラブルで漂流中。このまま行けばハリケーンが直撃、客船の沈没は必至。ところが諸般の事情でSOSが遅れ(日本触媒と同じです)、ようやく付近のヘリを動員して100名は救出したものの、嵐が近づき接舷が不可能となる。残る900名を一挙に移し替え得るような巨大な船は、間に合う範囲にはいない。丁度ヒューストン辺からメキシコ湾上空を飛行中の桜花以外には……。
 桜花はマイアミで乗客を降ろし、救出に向かいます。
 しかしながら、飛行船の構造上、嵐の中に突っ込むのは自殺に等しい行為なのです。そこでいろいろ工学的、技術的な検討が加えられ、奇想天外な方法が採用されるのですが……!?

 まさに字で読む航空パニック映画です。もちろん著者が高齋正さんですから、飛行船のみならず小説世界全体のメカニックな技術的、工学的考証は行き届いていて、単なる航空パニックものとは画然として違う、ハードSFを読んでいるわくわく感があり、そこが本篇の最大の魅力です。
 しかもシリーズの他の二作と比べても、本篇はことに技術的面白さに専心集中していて、夾雑物(とは即ち人間関係、謀略、テロ等です)は徹底的に排除され、かかる興味のみで読者を引っ張り切ります。実に以っていさぎよい、シリーズ中でもとりわけ傑作というべきでしょう。

 私は、このシリーズ三部作こそ高齋さんの代表傑作だと思います(カーSFよりも)。現在入手困難なのがとても残念。創元文庫さん、お得意の合本で出せばいいのに(^^;。

アマゾンで本書1881円、「恋は飛行船に乗って」1000円、「虚空の戦慄」はナシ!
 
 

Re: 眉村さん情報《「NULL」掲載作品》

 投稿者:尾川健  投稿日:2012年10月17日(水)00時37分39秒
返信・引用
  こちらでははじめまして。尾川と申します。よろしくお願いします。

<NULL>における眉村さんのリストですが、もうひとつだけ

10号 1964.1.1
「ヌル傑銘々伝」(うめぐさのためのうめぐさ)
  「小松左京氏」      眉村 卓 P48

があります。執筆者がそれぞれを紹介するもので眉村さんの紹介は
筒井さんが書かれています。

また「悪魔の世界の最終作戦」はのちに筒井さん部分だけ独立して
「悪魔の契約」となっています。前書きのような一文は眉村さん、
筒井さん、どちらが書かれたかは不明です。

国会図書館のデジタル化はあまり進んでいないようです。
高井さんが書かれておられますが、「宇宙塵」の古い号はほとんど
ありません。

「捩子」は、そのうち国会図書館に行って調べてきます。
 

Re: ラファティベスト3発表

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月16日(火)10時57分45秒
返信・引用 編集済
  > No.3971[元記事へ]

 らっぱ亭さん

 お知らせありがとうございました。
 早速見にいきました。単純加算式の集計には、(とりわけラファティのような作家の場合)さして意味があるとは思われませんが、投票者の方のベスト3をすべて収録していただけたのは、大変よかったです。
 といって、まだきちんと目を通していないのですが、なんとなくその方の個性(価値観、視座)が浮かび上がってくることが期待されますものね(笑)。今夜ゆっくり拝見させていただきますね!
 

ラファティベスト3発表

 投稿者:らっぱ亭  投稿日:2012年10月16日(火)09時46分15秒
返信・引用
  先日はラファティ・ベスト3企画の告知をさせていただき有難うございました。
「とりあえず、ラファティ」にて結果を発表しましたので、よろしければご覧下さい。

http://hc2.seikyou.ne.jp/home/DrBr/RAL/newbest3.html
 

Re: 大丈夫です(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月16日(火)09時25分27秒
返信・引用
  > No.3969[元記事へ]

 安心しました!
 10巻なら火星シリーズとほぼ同じですな。そういえば次回で金星シリーズに並ぶのか。
 ターザン・シリーズくらい行ってほしいものですが、一応正史があるものだからなあ(^^;
 

大丈夫です(笑)

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年10月16日(火)01時02分7秒
返信・引用
  全10巻ですから、まだまだ押さえ込みには入っていません♪  

「風の王国(4)東日流府の台頭」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月15日(月)22時46分25秒
返信・引用 編集済
 
 平谷美樹『風の王国(4)東日流府の台頭』(ハルキ文庫12)読了。

 明日の読み分として、100頁くらい残して今日はやめようと思っていたのに、面白すぎて、もうちょっと、あと少し、と結局ずるずると、300頁完読してしまいました〜!

 今回は懸案解消篇であったらしく、これまでただ付き従っていただけの狼が、ようやく活躍(しかも大活躍)する場を与えられました。また東日流から連れてきた御靈使たちも、いったい何のために連れてきたのか、と、実は私、密かに心配していたのですが、彼女らも働く場ができました。よかった(笑)

 物語はほぼ、遼東半島の遼東東日流府と、遼西から遼水を渡って進出してきている契丹との間での、渤海の衰退によって空白地帯となった高句麗故地の城取り合戦です。とりわけ前半は、「女」は一人も出てこない「男の世界」で通されていて(2頁だけ後半への伏線で芳蘭が出てますが)、なかなかに勇壮(>おい)(^^;。合戦物の面白さ満載です。東日流府の武器が秀逸。

 ところが、第6章で膠着します。ここで数年が経過する。そのきっかけは清瀬麻呂の再登場なのですが、このあたりから、なんとなく、今まで手綱を緩めていた著者が、引き締めにかかっている気配がするんですよね。
 そういえば、正史のとおりなら渤海国は、あと数年で滅ぶ。そういう時期が近づいています。
 この清瀬麻呂と、これまたとつぜん復活した橘を使って、どうも作者は物語を押さえにかかっている。

 その結果、耶律突欲と芳蘭が再会してしまう。これはまあ、第2巻232頁の記述が宿題として頭に残っていたので、なるほど! と膝を打ったのですが、しかしこれでは、大団円に向かってしまう。もちろん今後、二転三転はあるかもしれませんが、構図(相関図)的には大団円です。

 うーむ。数年後に迫った渤海の滅亡と大団円の構図(あと上記懸案解消、そして狼も老いました)を勘案しますと、上記作者による物語の押さえ込みは、この大河ドラマの仕舞支度に入ったということなのかな。ちょっと心配になってきましたぞ。
 

眉村さん情報《「NULL」掲載作品》

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月14日(日)21時51分56秒
返信・引用 編集済
  > No.3966[元記事へ]

>いや、初期の号は所蔵されていないみたいですよ。
 あ、ほんとですね。ここに「53号(1962年2月)〜 (欠: 60,78号)」と記載されていますね。
 ところが、デジタル化資料の検索では「宇宙塵」でも「科学創作クラブ」でも全くヒットしないんですよね。てことは蔵書分のデジタル化がまだということなんでしょうね。

 さて、そういうことで、備忘を兼ねて《眉村卓「NULL」掲載作品》を、わかった範囲でリスト化しておきましょう。

4号(1961/6/1)「第三号批評・来信」*「たまたま機会があって、NULL3号拝見いたしました」
5号(1961/10/1)「墓地」「傾斜の中で」
6号(1962-02)「あなたはまだ」*16p-21p
7号(1962-07)「目前の事実」*10p-18p
8号(1962-12)「静かな終末」*23p-30p
9号(1963-05)「錆びた温室」*20p-30p
10号(1964-01)「エピソード」*27p-39p
       「小松左京氏」《ヌル傑銘々伝(うめぐさのためのうめぐさ)》*48p、執筆者がそれぞれを紹介するもので眉村さんの紹介は筒井さんが執筆。
臨時(1964-09)「悪魔の世界の最終作戦 」筒井康隆と共著 *12p-17p

 高井さん、尾川さん、ありがとうございました。

 

Re: 眉村さん情報「眉村卓以前」補足

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年10月14日(日)20時37分36秒
返信・引用 編集済
  >  なんと、「宇宙塵」は、まだデジタル資料化されていないみたいなんです!(当然国会図書館には「宇宙塵」は収蔵されているはずです)。
 いや、初期の号は所蔵されていないみたいですよ。いつでしたか、某SF評論家に頼まれて、古い「宇宙塵」の資料を提供したことがあります。そのとき、「国会図書館にもなかったので、助かります」と感謝されました。

>  眉村さんは「NULL」には、6号から登場されたんですね。
 確認してみましたら、4号(1961/6/1)に寄せたお便り(第三号批評・来信)が初登場。5号(1961/10/1)にはショートショート「墓地」「傾斜の中で」を寄稿。で、6号(1962/2/1)に「あなたはまだ?」です。
 ちなみに、4号のお便りには「たまたま機会があって、NULL3号拝見いたしました」とあります。
 

眉村さん情報「眉村卓以前」補足

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月14日(日)19時26分59秒
返信・引用 編集済
   さて昨日は、「百夜・百鬼夜行帖」シリーズでリハビリしてみたわけですが、どうやら大丈夫な感じでありました。これならば日常的な読書生活に復帰できそう。
 などと、考えていましたら、何とも早、はかったかのように平谷美樹さんの新作『風の王国(4)東日流府の台頭』が届いたではありませんか!(いやまあ注文していたんですが(^^;)
 これぞまさしく天の配剤。と、早速着手。まずは慣らし運転で40頁まで。いや面白い。今回はいよいよ遼東津軽府が前面に出てくるみたいですね。
 これはなかなかよい着想だと思います。先回も書きましたが、これが遼東日本府だとしますと、いかに10世紀の話とはいえ、日本軍が朝鮮北部・旧満州・沿海州を駆け巡って、政府を樹立するなんていう物語は、あちらの国が黙っている筈がない。と言うよりもその前に、出版者がビビってしまって本にも出来ないのではないでしょうか。一種のタブーがあるのではないでしょうか。これだって、著者が日本に対置する縄文や蝦夷やまつろわぬもの、すなわち中央に対する辺境からの視線でずっと書いてこられた作家であったればこそ可能なのであって、ぽっと出の日本人作家では、とても扱いきれない主題だと思いますね。
 いやー楽しくなってきました(^^ゞ

 閑話休題。
 先日、眉村さんの、眉村卓名義でのエッセイの初出は、1963年と記しました→こちら
 高井信さんから、それは違うのではないか、とのご指摘をいただきました。「宇宙塵」1961年6月号(45号)から3回(45号、48号、58号)に分載された(ただし未完の)評論「SF論のためのノート」(→眉村卓「宇宙塵」掲載作品リスト)が、おそらく、眉村卓名義での最初のエッセイであろうとのこと。
 たしかにそうですね。もちろんこの評論以前に、エッセイが書かれていた可能性がありますから断言することはできませんが、1963年の詩集『風のある午前 』の「跋」が最初ではないことは、間違いありません。高井さん、ご指摘ありがとうございました。

 さて、そうなりますと、なぜ国会図書館での検索に、この評論が引っかかってこなかったのだろうと疑問になりまして、尾川さんがリンクしてくれた国会図書館デジタル化資料を、私も試してみたところ、簡単に氷解しました。
 なんと、「宇宙塵」は、まだデジタル資料化されていないみたいなんです!(当然国会図書館には「宇宙塵」は収蔵されているはずです)。
 だから引っかからなかった、と、それだけの話であったようですね(^^;

 ちなみに「眉村卓」で検索したら、「NULL」(Null studio)はヒットしました(上記「風のある午前」も当然。)。


1 Null. (6) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1962-02)
目次:あなたはまだ? / 眉村卓 ?
2 Null. (7) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1962-07)
目次:目前の事実 / 眉村卓 ?
3 Null. (8) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1962-12)
目次:静かな終末 / 眉村卓 ?
4 Null. (9) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1963-05)
目次:錆びた温室 / 眉村卓 ?
5 Null. (10) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1964-01)
目次:エピソード / 眉村卓 ?
6 Null. 臨時 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1964-09)
目次:悪魔の世界の最終作戦 / 眉村卓 ; 筒井康隆 ?


7 風のある午前 : 詩集 館内限定閲覧 図書 桜井節 著 (捩子文学会, 1963)
目次:跋 眉村卓 ?
8 小学三年生. 16(9) 館内限定閲覧 雑誌 (小学館, 1961-11)
目次:宇宙読み物 火星っ子と地球っ子 / 眉村卓 ; 手塚治虫
?

※「火星っ子と地球っ子」→4月4日の記事参照
 「悪魔の最終作戦」→8月15,16日の記事参照


 眉村さんは「NULL」には、6号から登場されたんですね。面白くなったので「Null studio」でも検索してみました。

1 Null 【全号まとめ】 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1960)
2 Null. (1) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1960-06)
3 Null. (2) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1960-10)
4 Null. (6) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1962-02)
5 Null. (7) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1962-07)
6 Null. (8) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1962-12)
7 Null. (9) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1963-05)
8 Null. (10) 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1964-01)
9 Null. 臨時 館内限定閲覧 雑誌 Null studio (Null studio, 1964-09)

 あれ? 3、4、5号は収蔵されてないみたいですね。


 

Re: 手代とはいっても

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月13日(土)23時33分30秒
返信・引用
  > No.3963[元記事へ]

 了解しました!
 逆に興味が広がって、目がはなせなくなってきましたですよ(^^;
 

手代とはいっても

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年10月13日(土)23時04分14秒
返信・引用
  色々と階級がありますんで。
佐吉は、百夜の使い走りをさせられているくらいですから、倉田屋での仕事ぶりも――。
そのあたりは色々とご想像くださいまし。

Re: 言葉遣い

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月13日(土)22時39分6秒
返信・引用
   ああ、やっぱり(笑)。それは分かったのですが、手代がここまでべらんめーな口調に進むものかなあ、行き過ぎちゃうか、と思ったのでした。
 その変化はやはり百夜と佐吉の距離が次第に近くなってきたからでしょうか。それとも更なる深謀遠慮の、あとになって効いてくる企てががっ?(^^;
 

言葉遣い

 投稿者:平谷美樹  投稿日:2012年10月13日(土)22時29分29秒
返信・引用
  佐吉の言葉の変化はわざとであります(笑)
気づかない人はそのまま読んでいただき、気がついた人は「なんで?」と思っていただければ。
そのために、少しずつ変化させました。
作者が間違っていると思われないように(笑)
 

「百夜・百鬼夜行帖」5話6話を読む

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月13日(土)16時43分18秒
返信・引用 編集済
   「エレホン」の心的後遺症で、暫く読書に対して向き合えない抵抗機制が働いていたのですが、日にち薬で、そろそろ何か読みたいなあ、という、ポジティブな気持ちになってまいりました(>ホンマか)(^^;。
 すると、何とも早、はかったかのようにhontoからメールが届く。「九十九神曼荼羅シリーズ 百夜・百鬼夜行帖」の新作がアップされましたとのこと。これは調度よいリハビリになるなあ、と、早速ダウンロードしました。

九十九神曼荼羅シリーズ 百夜・百鬼夜行帖5 漆黒の飛礫
九十九神曼荼羅シリーズ 百夜・百鬼夜行帖6 魔物の目玉

 あっという間に読了。リハビリには丁度よい分量と内容でありました(笑)。
 ところで、今回、佐吉の言葉遣いが変わっていて、あれ、と思う。
「そういう邪険な言い方をしなくてもいいじゃねぇか」「こいつはたんまりともらえるぜ」「相当近くに居なくちゃならねぇ」「どう思いやす?」

 念のため解説しますと、佐吉は商家の手代なんです。私自身、時代小説をそんなに読んでいるわけではないので、見当はずれな違和感なのかもしれませんが、手代がこんな口調でしゃべるのかなあ、と思ったわけです。
 最初の頃はこうではなかった。例えば第一回では、
「あなた様が、で、ございますか」「いかがでございましょう。悪い報せなのでございましょうか?」

 これこそが手代言葉だと私は思います。まあ第一回なので佐吉も他人行儀だったのかも。では先回の第四回は?
「ここで百夜さんに会えるとは思わなかったぜ」

 うむ。ちょっと馴れ馴れしくはなっていますね。しかし――
「三里でございますか」「そうでござんしたか」「この世こそが地獄なんですねぇ……」

 この程度ならば手代言葉として、私には違和感ない。だから気になりませんでした。
 ところが今回は……。「こいつはたんまりともらえるぜ」となるとねえ。これは職人言葉あるいは渡世人言葉、と、私の時代小説脳は認識してしまうのです。のっけから、あれっと思ってしまった次第です。

 あ、もちろんリアルな考証の話ではなくて、フォーミュラ・フィクションとしての時代小説の「文法」とでもいうべき話なんですが(^^;。

 

「アナザー・プラネット」を観る

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月12日(金)21時15分9秒
返信・引用 編集済
   DVD「アナザー・プラネット」(11)を観ました。

 ある日突然、太陽系にもう一つの地球が現れる――という話で、私自身は、軽いB級SF映画を期待してレンタルしたのでしたが、それは予想外の方向に裏切られました。傑作でした!

 もう一つの地球が現れたそのニュースを、車のラジオで聞いた女性主人公(17歳でMIT合格)は、運転しながら空を見上げていて、停車中の車に衝突し、大事故を引き起こします。相手の車には、大学教授の男と、5歳の息子と妊婦の妻が乗っていて、息子と妻は即死、男のみ辛うじて生き残る。
 4年後、刑期を終えて出獄した主人公ですが、事故を起こした心的後遺症で、人とあまり接することが出来なくなっている。ようやく清掃の仕事を見つける。ひょんなことで被害者の男の住所を知り、謝罪に訪れる。男は大学を辞め酒浸りになっており、家の中は汚れ放題。応対に出た男に、主人公は臆して清掃会社のおためし営業を装ってしまう。お試し仕事に満足した男は、週一回来てくれといいます。

 この辺は、日本のテレビドラマにでもありがちなシチュエーションで、正体を隠したまま主人公は清掃会社の清掃員のふりをして通い始めます。そしてお互いに惹かれてゆくのもお約束どおりの展開。なのですが、日本のそれのようなやり過ぎ作り過ぎ感はなくて、アメリカン・ニューシネマみたい。ハリウッドぽい華やかなところは全然なく、汚くリアルに描写されていて、なかなか見せます。

 ところで第二の地球は、文字通りこの地球のコピーだったのです。こちらの人間と対応する人間が向こうの世界に住んでおり、完全に同じ経験をしていることが分かる。その第二の地球にロケットを打ち上げることが決まり、搭乗員が募集される。この世界にいても何もいいことがない主人公も応募します。

 で、合格する。主人公はそれを伝えに男の家に向かうのだが……

 ここまでは、はっきりいってSFではありません。
 ところが、テレビで奇妙な説が披露されているのを主人公は見る。
 第二の地球は、完全にこの地球と同期する存在だったのが、4年前に可視化(実在化)したことで、そこから先は、違う道(歴史)を進み始めているのではないかという説。
 それを聞いた主人公は……

 ヴォークト風のラストは謎ですが、この解釈は、ありでしょう!

 いや、これは思わぬ拾い物で、堪能しました。しかしこの映画、日本では公開されなかったようですね。まあ日本の、そういう判断をするような連中には、ちょっとムズカシかったかなー(>おい)(^^;
 

眉村さん情報「眉村卓以前」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月11日(木)21時36分13秒
返信・引用 編集済
   深田さん
>長い棒を横から見るとストーリー、小口から見ると物語
 なるほど。その伝で言うと、私はその「小口」から見えるもの、深田さんのいう「物語」を、「世界」と捉えているわけですね。そのあたり、もうちょっと議論したいところですねえ(^^)

 段野さん
>現実世界の深田さんとは少し違うみたいに感じました
 いや、それは当然そうでしょう。異常心理を描く作家が異常心理者であるわけではありませんからね! 戦前の私小説作家にしてからが、その小説は多分に虚構を混ぜ込んでいるということは、つとに研究家によって突き止められていたんじゃなかったでしょうか。小説家って、悪魔にも天使にもなれる種族なんでしょう。空想的多重人格者なのかも知れませんねえ(^^;


 それはさておき、標記の件について――

 高井さんが、「眉村卓の商業誌デビュー」をきちんと調査されています。(このページ)です。
 それによりますと、眉村さんの、「眉村卓」としての初登場は、1960年11月の「宇宙塵」(38号)のようです。
 商業雑誌初登場は、1961年5月の「ヒッチコックマガジン」(22号)です。
 処女出版は、1963年5月に『燃える傾斜』を東都書房より。

 ――なのですが、では、「眉村卓」以前、つまり本名の「村上卓児」で発表されたものはなかったんでしょうか?

 それを、ファンサイト「筒井康隆についての……」管理人の尾川さんが、筒井さん関係の調べ物のついでに、とのことですが(笑)、調べて教えてくださいました! 尾川さんには毎度お世話になっておりますm(__)m
 国会図書館デジタル資料を検索して、眉村さんの本名で調べたところ、以下の結果だったそうです。

1捩子. (23) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1955-06)
・ 目次:不安な望み / 村上卓児
・ 目次:云いましよう / 村上卓児

2捩子. (24) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1955-10)
・ 目次:午后十時 / 村上卓児

3捩子. (25) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1956-04)
・ 目次:砂丘と海 / 村上卓児

4捩子. (26) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1956-10)
・ 目次:夜明け / 村上卓児

5捩子. (27) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1957-08)
・ 目次:遠い結像 / 村上卓児

6捩子. (28) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1957-10)
・ 目次:射手の座 / 村上卓児

7捩子. (29) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1957-12)
・ 目次:宙闇郷 / 村上卓児

8捩子. (30) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1958-04)
・ 目次:都市圈 / 村上卓児

9捩子. (31) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1958-08)
・ 目次:異郷への陥落 / 村上卓兒

10海景 : 詩集 館内限定閲覧 図書
桜井節 著 (捩子文学会, 1959)
・ 目次:跋 (村上卓児)

11捩子. (32) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1959-02)
・ 目次:マーチの記憶 / 村上卓児
・ 目次:同人寸論 / 村上卓児 ; 桜井節

12捩子. (33) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1959-03)
・ 目次:破局への挑戦 / 村上卓児
・ 目次:同人寸論 / 遠宮三郎 ; 村上卓児

13捩子. (34) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1959-04)
・ 目次:けもの / 村上卓児
・ 目次:光茫都市 / 村上卓児

14捩子. (37) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1960-08)
・ 目次:眼 / 村上卓児



 以上。館内限定公開資料にチェックを入れて検索出来るそうです。

 ちなみに眉村さんの名前で最初に出て来るエッセイは、

風のある午前 : 詩集 館内限定閲覧 図書
桜井節 著 (捩子文学会, 1963)
   目次:跋 眉村卓


 とのこと。[註]

 「捩子」という同人誌は、『眉村卓コレクション異世界篇Tぬばたまの…』の「自筆年譜」に、

 昭和二十八年 一九五五年 二十一歳
                     ね じ
  四月、大阪大学法学部に入学、誘われて「捩子」という同人誌に参加し、主に詩を書くかたわら、柔道部に入部。(……)」


 とあります。学内の同人誌だったのでしょうか?

 ところで、リストのうち、

8捩子. (30) 館内限定閲覧 雑誌
捩子文学会 (捩子文学会, 1958-04)
・ 目次:都市圈 / 村上卓児


 の、「都市圏」という散文詩は、星群の会が作った『司政官の世界――眉村卓読本――』(78)に、再録されています。
 『司政官の世界』は所持していたのですが、熱烈な眉村ファンの方にほだされて譲ってしまいました。しかし、この散文詩は素晴らしくて、鮮烈に覚えているのです。ひょっとしたら「都市圏」以外にも、上記リストより再録された詩があるかもしれません。

 『司政官の世界――眉村卓読本――』についても、高井さんがブログに紹介されています→眉村卓SFの世界展
 なお、このトークショーの録音テープを所持しています。これまた眉村卓SFの世界展のトークショーに出席された方からいただいたもので、こういうサイトを開いている役得ですなあ。ふぉっ、ふぉっ!

[註]『風のある午前』は、アマゾンで検索したらありました→こちら。版元は「捩子文学会」

追記。10の『海景』もアマゾンにありました→こちら
 

届きました

 投稿者:段野  投稿日:2012年10月11日(木)14時17分10秒
返信・引用
  チャチャヤング・ショートショート・マガジンいただきました。お疲れ様でした。ありがとうございました。深田さんのページも見させていただきました。現実世界の深田さんとは少し違うみたいに感じました。また違うところがいいのかもしれません。  

Re: 物語不要論

 投稿者:深田亨  投稿日:2012年10月11日(木)11時58分48秒
返信・引用
  > No.3954[元記事へ]

 私のブログを紹介いただきましてありがとうございます。

 都筑道夫によるショート・ショートの定義「非常に長い棒をはしっこからこっちのはしっこまでずっと書いているのが長編小説。その中ほどを適宜に任意にちょん切って、そのちょん切った部分のはじからはじまでを書くのが短編小説。ショート・ショートというのは、それをちょん切ってもいいし、ちょん切らなくてもいいんだが、棒を横にしないで縦にして小口を覗かせたもの」(高井信さんの「ショートショートの世界」から再引用)というのを気に入っていて、小口を書いています……といいたいところなのですが、長編や短編を書く気力も体力も能力もないのでやむなく、といったところが実体です。
 ホントは長編や短編も書いてみたいんですがねえ。
 長い棒を横から見るとストーリー、小口から見ると物語(を想起させるもの)、という感じかなと思います。
 

ストーリー不要論

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月11日(木)00時34分36秒
返信・引用 編集済
  > No.3954[元記事へ]

 承前。物語じゃなくて、ストーリーが要らない、ですね。物語とストーリーが、私の裡できっちりと弁別できてないなあ。
「金魚」ですが、物語はあるんですよね。ストーリーがない。もしくはあっても起と結だけ。
 この話、シチュエーションが読者に物語を読み取らせるのです(と私は思います)。これは、前にも述べましたが、(共時的な)世界と、(通時的な)「物語」は、実は同じものを別の観点から見たものなので、当然なのです。
 ストーリーは、物語の通時的な「形式」要素と考えるべきでしょう。
 だから私は、世界で物語を感じたい、と、最近とみに思うようになってきた、と、いうことになります。

 さて、理由は何度も書きませんが、読書する意欲を失ったので、今日はDVDで「紀元前1万年」(08)を観ました。マンモスとスミロドンがいる世界で、白人部族が黒人部族と組んで、(どうやら宇宙からやってきたらしい)神を倒す話。
 要するに、「恐竜100万年」と同じですね。紀元前1万年頃にスミロドンはいませんから、そのへんは極めて甘い設定。それはまあよいとして、登場人物たちの行動原理が全く了解不能。ただし、ビジュアルは大変よいので、私が子供だったら(行動原理なんてものは気にしませんから)楽しめたに違いない。あと、同様に作中人物の行動原理が???な、怪獣映画を、今でも楽しめる大人も、同様に楽しめるでしょう。もう私には無理。
 設定的にはヒロイック・ファンタジーもしくは神話物語にできただろうに、なぜこんな話にしたのか? やはりターゲットを子供に設定した、ということなのかな。

 追記。検索していたら、スミロドンは1万年前まで生存していたという説もあるみたいです。そうしますと、アジアから渡ってきたネイティブアメリカンの先祖は、スミロドンと遭遇しているかもしれません。意外に考証されているのかも。しかし1万2千年前のアメリカ大陸に黒人はいませんね。新世界ザルから進化した人類という設定ならば面白いですけど。
 

物語不要論

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月10日(水)20時18分29秒
返信・引用 編集済
   深田亨さんが、ブログで《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》を紹介して下さっています→Fukadamagazine

  手作りのパイロット版で、その昔番組で製作した2冊の「チャチャ・
  ヤング=ショート・ショート」の小冊子をみごとに再現している。
  なつかしいなあ。


 そう言ってもらえると本望であります(^^;
 同じエントリーに「金魚」という、ショートショート、と言うよりもみじかばなしと言いたい掌篇が掲載されているのですが、いいですねえ。
 私は近年、これは老化なのかもしれませんが、小説の「物語」(ストーリー?)が、次第にどうでもよくなってきているんですよね。
 この作品のように、魅力的なシチュエーションがポンと放り出されてあるだけで、紆余曲折し起承転結するストーリーは省かれている作品に強く惹かれるようになってきました。ストーリーなんて、この作品を読んだ読者が、それぞれに、あれこれと想像して楽しめばいいんじゃないかなあ。そんな風に感じる今日この頃であります。
 

重版出来!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月10日(水)00時36分53秒
返信・引用 編集済
    『エレホン』でガックリし、読書する意欲を失ったので、《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》を増刷してました(>おい)(^^;
 ということで二刷り完了。
 今回の増刷分と初版残分とで、作品を提供して頂いた方への追加分(二冊)に充当します。
 明日より順次発送しますので、もう少しお待ちください!
 制作にもだいぶ慣れて、かなり見映えもよくなりましたヨ(^^;。
 

「エレホン」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 8日(月)22時47分53秒
返信・引用 編集済
   サミュエル・バトラー『エレホン』に着手しました。『ニュー・アトランティス』より、時代は2世紀下って、1872年刊。岩波文庫版がバカ高いのですが、うまい具合に、ネットに翻訳が公開されていました。

 英国に居られなくなった(理由は書かれてない)22歳の青年が植民地に渡り(どこであるかは明らかにされない)、牧童になっていたのですが、植民地は背後の山脈のこちらがわだけ。山脈の向こう側は未知の世界。で、冒険心に富んだ主人公は、嫌がる現地人を連れて山脈に分け入ってゆく。途中で従者に逃げられ、単独行となるが、やがて主人公は秘境の向こう側に、未知の国にたどり着きます。
 このあたりは秘境冒険小説の趣きで、わくわくしてきます。

 ところがこの国が、非常に不思議な世界だった。人々はみな美男美女で体も頑健で発達しており、機械文明以前の生活をしている。一種の未開人かと思いきや、博物館には、機関車や時計など、物質文明の名残が展示されていて、聞くと何百年も前に、これらは使わなくなった、といいます。主人公は首都に連れてゆかれるのですが、途中の道端には、かつて線路だった跡地も見える。
 で、首都での生活が始まる。主人公は、この国の奇妙な慣習に驚かされます。
 この国は、主人公が元いた世界の、「さかさま国」だったのです!?

 このさかさま国の描写が実にわかりにくい。それは私が「こちらの世界」の行動規範を、いわばアプリオリに内面化してしまっているからでしょう。しかし文章もわかりにくい。そもそもバトラーの原文がわかりにくいんでしょうけど、訳文も、それを追うのに精一杯で、わかりにくさに輪をかけている気も。

 で、とにかく最終章の第16章まできたのですが、これがなんと、途中から英文になっているのであります。何だなんだ? 訳すのが嫌になったのか?
 しかもどう考えても、物語はまだ途中で、というか始まったばかりで、こんなところで終わるはずがないのです。
 リンクされてあった底本の原文を見てみました。わ、29章まであるではないか!

 翻訳は途中で放り出されたものだったのでした。がーん!! あとは原文で読めってかー(汗)。
 

「ニュー・アトランティス」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 7日(日)23時00分51秒
返信・引用 編集済
   ベーコン『ニュー・アトランティス』川西進訳(岩波文庫03)読了。

 本書は著者の死後、1627年に出版されたものですが、実際に執筆されたのは、訳者解説によれば、1622〜23年頃とのこと。いずれにせよ『ユートピア』より110年後、『太陽の都』より20年後となります。
 が、やはり『ユートピア』より後退している、というか、この国のどこがユートピアやねん、と言わざるをえない。むしろ未知の国の、単なる見聞録です。前2作にあった現状への批判精神はほぼないに等しい。
 ちょっと先走りました。

 面白いのは、このユートピアの存在するベンサレム島ですが、ペルーから中国と日本を目指して出発するも、太平洋のど真ん中あたりで風向きが変わって前進できなくなり漂流し(北へ流されたというのが不審ですが)、食料も尽きかけた頃、運よくたどり着いたのがこの島だったのです。
 島といっても大きな島です。周囲が5600マイル(約9000キロメートル)といいますから(32p)、この島が円形と仮定しますと、半径1433キロです。面積は645万平方キロメートルになります。太平洋にこんなデカイ島があったでしょうか。
 あったのです。オーストラリア大陸です。オーストラリア大陸の面積は、774万平方キロメートル。ベンサレム島はこことしか考えられません!
 ひょっとしてベーコンは、私同様、モアのユートピア国をタスマニア島に比定し、住民は遊牧民サカ族に逐われ海上に逃れたグレコ・バクトリアの遺民という推論に達していたのかもしれませんねえ。構造が同じですから(>おい)(^^;

 オーストラリア大陸は、いつ(白人に)発見されたのでしょうか。1602年にタスマンが、タスマニア島とニュージーランドを発見しましたが、オーストラリア大陸には気が付かなかったようです(今から考えると不思議ですが)。で、あんまり旨みのある地域ではないという判断で、それから170年間、ヨーロッパ人はこっち方面に来ることはなかった。ようやく1770年になって、クックがシドニー湾に上陸してはじめて、オーストラリアはヨーロッパ人の可視圏に入るわけです。
 したがってベーコンには、オーストラリア大陸の知識はなかったはずなので、この面積の一致には驚かされます。とともに、1600年頃までこの大陸にベンサレム国が存在していたとしても、世界史的に何ら不都合もないんですよね(^^;。

 本書によれば、アトランティスはアメリカ大陸にあったそうです。この辺は非常にSF的で、今でこそこの島は知られていないが、かつて3000年前は、今よりも航海は盛んに行われていて、カルタゴやフェニキアやティルス、エジプトやパレスチナの船が頻繁に訪れていた。
 アトランティスは強大で、あるときメキシコからヨーロッパへ、ペルーからベンサレムへ、同時に大遠征隊を送った(どっちも失敗)。「ティマイオス」の記事は、このときの記憶が残ったものだそうです。ついでにいえばアトランティスは地震で滅びたのではなく、洪水で滅びたとして辻褄を合わしています。アメリカ大陸は現存していますからね(笑)。
 このペルーとメキシコというところが味噌で、インカとアステカが想定されているのは間違いありません。ところが訳註にない。こんな重要な指摘をしないなんて、訳者はそっちの知識がなかったんでしょうね。いずれにせよ、デニケンも顔負けの記述ではありませんか!

 話を戻します。
 この国の宗教はキリスト教なんですね。こんな絶海の孤島に誰が布教したのですか、と聞きますと、ある時海上に光の柱が現れ、それが砕け散った後に聖書があった、などとムチャクチャなんです。
 結局、ベーコンは最後まで(最後は失脚しますが)体制側の人物で、大法官まで上り詰めた。つまり政治的にも宗教的にもイギリスのエスタブリッシュメントであった。ここが、ヘンリー8世の自分勝手(国教会の成立)を認めずに斬首刑に処されたモアや、一生の殆どを獄中で過ごしたカンパネッラとは決定的に違います。
 本書には、現実への批評的な志向性は認められません。現実の英社会に追随するばかり。ただ自然科学的な意識は相当高く、学問の府的な意味ではユートピアなのかも。その意味でこの世界、ベーコンにとって理想郷なんでしょう。ただし個人的な理想郷という意味では前二者も同じです。結局ルネッサンス期のユートピア小説は、すべてこのような性格を持つものであって、どうも私のイメージするユートピア小説とは別物みたいですね。

 追記。その伝で言えば、バルスームも、バローズにとってはユートピアなんですよね。


 

「太陽の都」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 7日(日)01時44分58秒
返信・引用 編集済
   カンパネッラ『太陽の都』近藤恒一訳(岩波文庫92)読了。

 サクサク読めます。本文わずか106頁。しかも『ユートピア』が、頁あたりの文字数が756字(42字×18行)であったに対して、本書は532字(38字×14行)ですから、前者の組版に換算すれば、さらに薄くなって75頁(『ユートピア』は190頁)にしかならない。

 内容的にも前者に比べるとかなり薄い。本書は『ユートピア』(1516)より一世紀後の著作(1602)で、構成等において、著者はかなり意識し踏襲しているように思われます。形式的にも、『ユートピア』の語り手が、アメリゴ・ヴェスプッチの航海に随行した者であったのに対して、本書の語り手はヴェスプッチのライバルたるコロンブスの航海士をつとめた者という設定になっており、モアに対抗する意識を感じさせます。貨幣と所有の否定という原則もほぼ同じ。で、諸国の中の一国という状況設定も同じで、周辺諸国と接触(貿易・戦争)があるのも同じ。計画的な共同社会で羊化しなければ息苦しい社会であるのも。
 しかし、管見によれば、カンパネッラの意識は、一世紀前のモアに比べても、ずいぶん遅れているようです。本当は逆でなければならないはずなのに。モアが進みすぎていたのかもしれませんが。

 本書も『ユートピア』同様、「理想国の舞台は遠くヨーロッパの外に設定され[管理人註]、ヨーロッパの社会や文化とは無関係であるようにみえる。しかしそのじつ、ヨーロッパの現実社会にたいする痛烈な批判を内蔵しており、その意味でヨーロッパ世界と深くかかわっている。ユートピアはだから桃源郷とは本質的に異なる」(訳者解説)のは、そのとおりですが、モアの「21世紀的現代性」は、本書にはありません。その意味では、時代に相応しているといえるわけですが。

 また、後になればなるほど「占星術」が全面に出てきて、ちょっとついていけなくなります。解説を読むと、カンパネッラは強烈な闘士だったようですが(一種の侠客でしょうか)、客観的合理的な認識力は、モアほどではなかったのかもしれません。21世紀の今、読む価値は、『ユートピア』ほどではないように感じました。

[管理人註]太陽国は、訳者によればスマトラ島にあり、チムールの後裔であるムガールのインド侵入を嫌って逃れてきた知識人によって建国されたということのようですが、ひょっとしてカンパネッラも、私同様、ユートピア国をタスマニア島に比定し、住民は遊牧民サカ族に逐われ海上に逃れたグレコ・バクトリアの遺民という推論に達していたのかもしれませんねえ。構造が同じですから(>おい)(^^;
 

50周年、三つの起点

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 6日(土)22時02分17秒
返信・引用 編集済
   高井信さんのブログで、「チャチャヤング・ショートショート・マガジン」を紹介していただきました!→http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2012-10-06
 この記事にリンクされています「眉村卓の商業誌デビュー」をご覧ください。50周年の起点が、私達の観点以外に、あと2つの可能性(1960年と1961年)があったわけですね。1963年を選んだ理由は、コメント欄に書かせていただきました! まあそんな次第であります(^^ゞ
 

Re: パイロット版完成

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 6日(土)21時26分58秒
返信・引用
   雫石さん

>京フェス
 行きたかったんですが、クレーム処理で事務所に張り付いていました。
 ラファティ企画、聴講したかったなあ。残念。

> 柊たんぽぽさんにあいました。
 おお。お元気でしたか(^^;

> 「チャチャヤング・ショートショートマガジン」来年の本番にはぜひ寄稿したいと
> いってました。
 大歓迎です! 作品楽しみにしています、と、お伝え下さい。
 どんどん陣容が揃って来ましたね(^^)
 

Re: パイロット版完成

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年10月 6日(土)20時52分11秒
返信・引用
  > No.3945[元記事へ]

いま、京都SFフェスティバルから帰ってきました。
めずらしい人に会いました。
柊たんぽぽさんにあいました。
京フェスが終わって、二人で京都で痛飲しました。
久しぶりの柊さん。楽しかったです。
「チャチャヤング・ショートショートマガジン」来年の本番にはぜひ寄稿したいと
いってました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

「ユートピア」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 6日(土)11時05分26秒
返信・引用 編集済
  > No.3937[元記事へ]

 承前。中途半端なまま、少し間があいてしましました。
 前回で書きかけていたのは、ユートピア国が、モアの個人的な視座からの理想世界であること。そしてユートピア国が、現実に存在する新世界の未知の一国家(187p)という設定によって、隣国が存在し、それらの(ごくふつうの)国々と貿易や戦争等の交通関係にとらわれている、そういう意味で、一種の限界ある理想国家だということです。

 それが端的に現れたのが、「奴隷、病人、結婚その他」「戦争について」「ユートピアの諸宗教について」の章でありまして、この平等国家において、奴隷の存在がアプリオリに肯定されていたり(人間の不平等)[註1]、結婚に関して男女が平等ではない制度であったり(男女の不平等)、戦争があったり(国家間の不平等)、貿易の際には「貨幣」が使用されていたり[註2]、細かく描写すればするほど、「ユートピア」の作家が、当時としてはたぐいまれな先見性にめぐまれた知識人であったのは間違いないにしても、やはり16世紀という「時代」の制約からは逃れられてはいない、モアにおける「自明性」(認識の慣性)が透けてみえてくるのであります。

[註1]この点について『最後の共和国』でもロボットが奴隷の位置に相当するわけですが、さすがに20世紀の作家らしく奴隷=労働者という寓意が籠められており、自明な存在とは認識されていません。したがって最終的にロボットが人間を打ち倒してしまう、という帰結になる。そのような視点はモアにはありません。

[註2]貨幣が存在しない社会であるのが最大の美質である(と話者のラファエルは強調している)のに、周辺に他国が存在するがゆえに、唾棄すべき「貨幣」も使用するというのは、まさにユートピア国家そのものを否定する(侵食してゆく)要素であります。話は飛びますが、スターリンが一国主義でソビエトを「国家」化してしまったのと同じです。四囲を既存国家に囲まれて存在する社会主義「国家」は、必ず貨幣に飲み込まれてしまいます。トロツキーにはそれがありありと見えていたわけです。その伝で言うならば、一般諸国の中に並在するユートピア国という本書の設定は、はなから矛盾を含んでいるように思われます。

 戦争の章など、先にもちょっと言及しましたが、バルスームの物語の叙述の中に紛れ込ませても、全然違和感ないのです。その気になって読めば、この章、ジョン・カーターが得意になってバルスーム海軍の優秀さについて長広舌をふるっている場面であると、たやすくそんな気になることができます(^^;。

 ところが、176頁以降、ふたたび、今(16世紀の現在)ある現実に矛先が向きます。こうなると、その舌鋒は、21世紀に持ってきても、通用してあまりある批評性を発揮するのです。結局、モアにとっては「ユートピア」を想像するのが目的だったのではなく、モアにとっての現実社会を糾弾するのが本義で、そのための「道具」として「ユートピア国」は設定されたというべきではないでしょうか。

 さて、第二巻も末尾まで読み進めますと、実にモア自身はラファエルの話に対して、百パーセント賛同しているのではないことが述べられていて喫驚。
「ユートピア人の風俗や法律などの中には、必ずしもその成立の根拠が合理的とは思われない点が沢山あるように、私には感じられた。また、彼らの戦争のしかたやいろいろな宗教とその礼拝儀式やその他の法律などにおいてもそうであるが、さらに根本的な問題としては、ユートピアのすべての法律制度の主要な基礎となっている(……)貨幣を少しも用いないで行われる(……)生活の共有制という点において、特にそうであった」

 なんと、私が上に提起した疑問点を、モア自身も共有していたわけです! これは何としたことでしょう? ひょっとしてモアは、21世紀からのタイムトラベラーだったのでしょうか(>おい)(^^ゞ

 妄言はさておき、いろいろ限界性は含むとしても、本書『ユートピア』の批評性は、この21世紀においても十二分に通用するものであり、むしろ今こそ読まれてしかるべき書物である、そういっても過言ではないように思われました。

 ということで、トマス・モア『ユートピア』平井正穂訳(岩波文庫57)読了。
 

Re: パイロット版完成

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 5日(金)21時34分58秒
返信・引用
   段野さん

 あ、届きましたか。
 汗の力作ですが(まだ筋肉痛が収まりません(^^;)、それよりも何よりも、内容が素晴らしいと自負しております。是非感想をお聞かせ下さいね!

 海野さん

>遠いあの日、毎日放送からチャチャヤングショートショートが届いた日の事……
 くー(泣)。

>は、忘れていますが
 忘れてるんかい(^^;

>おそらく今日と同じようにわくわくしたと思います
 そう言っていただけると頑張った甲斐があったというものです!

>来年創刊してさらに続くと言う理解でいいのでしょうね。
 もちろんです。この形式でよいと言われるのならば、私には何の問題もありません。皆さんが作品を提供してくださる限り、いくらでも続けられますよー(^^)

 とまれ次が本番ですよ。お二人とも、また力作をよろしくお願い致しますm(__)m

 

Re: パイロット版完成

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年10月 5日(金)20時25分1秒
返信・引用
  ありがとうございました。
そしてごくろうさま。
仕事から帰って来ると届いていました。
遠いあの日、毎日放送からチャチャヤングショートショートが届いた日の事……
は、忘れていますが、おそらく今日と同じようにわくわくしたと思います。
いいですねー、これは。

創刊準備号と言う事は、来年創刊してさらに続くと言う理解でいいのでしょうね。
 

Re.

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年10月 5日(金)14時24分49秒
返信・引用
  いただきました。ありがとうございました。汗の力作、読ませていただきます。小川様、切手楽しませていただいてありがとうございます。  

Re: パイロット版完成

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 4日(木)19時01分5秒
返信・引用
   雫石さん 海野さん 段野さん

 本日郵送しました! 早ければ明日到着するところもあるかも。夕方送ったのでそれは無理か。
 封筒のオモテを見て、ビックリしないように。小川さんから提供していただいた切手です(^^;。
 

Re.

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年10月 4日(木)15時51分6秒
返信・引用
  お疲れ様でした。楽しみにしております。  

Re: パイロット版完成

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年10月 4日(木)12時07分4秒
返信・引用
  ご苦労様です。楽しみですね。

送り先ですが、兵庫県…(*゚д゚*)ハッ!!

危ない危ない。
 

Re: パイロット版完成

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2012年10月 4日(木)04時29分21秒
返信・引用
  > No.3938[元記事へ]

どうもご苦労さまでした。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

パイロット版完成

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 3日(水)23時44分56秒
返信・引用 編集済
  《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》パイロット版、初版20部完成。疲れた。ひと月あいたら、もう、コツを忘れていました(^^;
 とりあえず1部ずつ郵送します。作品を寄せて下さった方には、1週間以内に重版して、あと2部(合計3部)お送りしますね。もっと必要なら、部数連絡下さい。
 おかげさまで、よい作品集に仕上がりました。お楽しみにー!

 なお、上記の次第で出来具合にムラがありますが、ご諒解下さい。眉村さんの分だけは、比較的ましなのを選びますが、といっても五十歩百歩ですが、あとは完全にランダムです。重版分は、もすこしましになると思いますm(__)m
 

ユートピア国はどこですか?

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 2日(火)22時09分46秒
返信・引用 編集済
  > No.3936[元記事へ]

 『ユートピア』は160頁まで。ユートピア国を具体的に描写すればするほど、けっきょくこの理想郷は、モア個人にとっての理想郷に過ぎなかったことがあらわになってゆくようです。
 というか、そもそもこのユートピア国、16世紀の地球上に存在した未知の一国家との設定なんですね。エロイやモーロックとは全く意味合いが違います。

 アメリゴ・ベスプッチの探検隊に参加していたラファエルが、その最後の(4回目の)航海の際、帰国の途につくベスプッチと別れて単独で探検を継続します。そして、セイロンにたどり着き、最終的にカリカットで、折よく停泊していたポルトガル船に便乗して帰ってきたとのことですから、ベスプッチと別れたあと、マゼラン海峡を越えてチリ・ペルーの海岸を北上し、コンチキ号と同じくフンボルト海流に乗ったという可能性が高い。

 しかしそうしますと、ユートピア国はペルーかチリあたりにあったということになり、現実の南米史では、その時代その地域にあったのはインカ帝国なんですが、ユートピア国は島国なので、(山岳国家の)インカ帝国のはずがありません。ではインカ帝国辺境に位置する独立国だったのでしょうか。
 でも、祖先はギリシャ人かもしれない(127p)とあって、これはさすがにちょっと合いません(北米東岸だったらありえる)。

 あ、ユートピア国がオーストラリアにあったとしたらどうでしょうか? フンボルト海流に乗ってセイロン島にたどり着いているのですから、途中、オーストラリア北岸を通ったという可能性は大いにありえます。
 そしてオーストラリアならば、グレコ・バクトリアの残党が、サカ族に逐われて、カチャワール半島あたりから、船でオーストラリアに逃がれた可能性があるのではないか。

 ラファエルによれば、ユートピア国の住人は「祖先をギリシア人に持つのではないか」「その言葉は、他のあらゆる点では多分ペルシア語に似ているが、都市名や役名ではギリシア語の面影をかなり留めている」(127p)とあり、これはバクトリア語の特徴に近そうです。

 ラファエルによれば、赤道付近は砂漠地帯で野蛮な土人が住んでいる。そこを越えると緑がふえ、都市へ出る、とあります。この記述もオーストラリアの地形と合っています。ユートピア国はオーストラリア大陸南東岸に存在したのではないでしょうか。あ、タスマニア?

 いやいや。そもそもベスプッチの4回目の航海はなかったとの説があり、その探検隊から別れたラファエルの航海は、さらに信用なりません。
 むしろユートピア島は、ブリテン島(の裏返しのアレゴリー)と見るべきでしょう。島が新月のかたちをしている点、一番太い部分で200マイル(320キロメートル)であること、さらに首都アローモートが、訳註によれば「暗い都市の意で、霧のロンドンを諷している」というのも、それを裏づけていると思います。

 

「ユートピア」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月 1日(月)23時27分36秒
返信・引用 編集済
  > No.3932[元記事へ]

 『ユートピア』は130頁まで。第二巻に入り、いよいよユートピア国がどのような国であるか、国民はどのような国民であるかが、ラファエルによって縷々語られます。
 第一巻でイギリスの(当時の)現実が批判されたわけですが、それに対するモアの対案を、架空の国家に託したものといえます。
 ところが、現実批判はあんなにもあざやかだったのに、その対案は(わたし的には)いささかがっかりするものなんですね。こんな国にいたら、私は一日で退屈して死んでしまうでありましょう(^^;。つまり品行方正で「要らんこと」をすることは許されない国といえます。「いらんことしい」をアホ、「○○足りん」をバカとするなら、アホでは非常に住みにくい国なんです。
 これは『最後の共和国』の人民が、個性がないのと同じですね。
 あ、ジョン・カーターが、バローズに語るヘリウムの国民がこんな感じではないでしょうか。要するにこんな斉一的でお行儀のよい国民は、実際にはありえないということです。

 ところが、とりあえずそういう国家を措定した上で、モアは再び(実質的な)現実批判を始めます。ユートピア人は、このような人間の態度を退ける、という形で。
 たとえば衣服は(一般的に細い糸でつくった衣服が高級なのは現在も同じですが)太い糸で織っても細い糸で織っても、実質的な使用価値は同じ。ところが美服を纏っているということで、それで自分が偉くなったと勘違いする輩をユートピア人は軽蔑する、という風に。実際のところユートピア国ではそんなアホは存在しないのですから、ユートピア人が軽蔑するはずもないのです。つまりは、英国の社会や上流階級を批判するために、そのたたき台としてユートピア国は措定されている。
 だからユートピア国そのもののリアリティは、ほとんどないのです。
 しかしながらそれはそれとして、イギリス批判になると、モアの筆は冴え渡って実に面白い。代々金持ちというだけで(貴族ってただそれだけじゃないか、とモアは言います)何を威張っとんじゃいと(笑)、もう言いたい放題です。実に痛快!

 「実際に使用するためではなく、ただ見て楽しむ為に無用な財貨を蓄えている連中について(……)また、絶対に用いないどころか、おそらくは二度と見もしない黄金を、こっそりと隠しているといった(……)連中、これについてはなんといったらよかろうか」(117p)
 色変更管理人ですが、赤くした部分を「」に差し替えても可(>おい)。ほんま、何てゆうたらよろしいやろか。わてほんまによう言わんわ(^^ゞ
 

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