ヘリコニア過去ログ1212

高井CD完聴

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月31日(月)23時27分56秒
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承前。CDより「やまいだれ症候群」「回収の日」「人影参上」「不老不死」「眠れぬ森の美女」を聴きました。

「やまいだれ症候群」はCBCラジオ〈ことばのたまてばこ〉2004年3月27日放送。主人公が「寺」ヘ遊びに行ってみると、住職は「ぢ」で苦しんでおり、ペットの「羊」は全身「かゆ」そうにしている。それを見て主人公は原因を推論し、仮説を立てます。そのうちに大変な「つかれ」を感じ、それは着ている皮ジャンのせいであることに気づいて、仮説は検証される。つまり新しい「知」識が得られたのです。しかしそれもつかの間、それが「知」られるや否や……(笑笑)
 原作は『ショートショートで日本語を遊ぼう』(03)所収。近年著者の金看板となった日本語ネタです。

「回収の日」は「シャドウ効果」と同じNHK第一〈ラジオSFコーナー〉(83年7月13・18・19・20日放送)。ナビゲーターは門倉純一さんで、著者の高井さんがゲスト出演しています。デビューして間もない、まだ20代の著者の初々しい声が聞けます! 朗読は山田康雄さん。さすがにうまいですねえ。バカバカしくもグロテスクな話を、あの名調子で聞かせます。もう一段のオチがあるかと思っていたらそれはなく、かわりにシュールな光景が上空に広がります。このシーン、私は楢喜八さんの絵柄で脳内スクリーンに映し出されました(^^;。原作は『超能力パニック』(87)所収。

 後3編はショートショート。「人影参上」は89年1月、「不老不死」「眠れぬ森の美女」は95年4月〜6月、FMジャパン〈パイオニアサウンドトリップ〉にて放送とのこと。原作は、「人影参上」、「不老不死」(原題「不老不死を信じますか」)が『夢中の人生』(88)所収。「眠れぬ森の美女」は出典わかりませんでした。このなかでは「不老不死」が、我々が普段なんとなく使っているこの熟語を、いわばダリ的に偏執狂的批判的に腑分けしていきあっと思わせます。これもまた日本語ネタといえますね。

 ということで、高井さんから頂いたCD、完聴。いやあ楽しかった(^^)。

 

「マイティ・ソー」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月31日(月)20時34分50秒
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   DVD「マイティ・ソー」(11)を観ました。ソー(Thor)はマーベルコミックスのヒーローですが、もともとは北欧神話のトール神です。本編の世界観は、北欧神話は実際あったことで、かつて地球(ミッドガルド)を征服に宇宙から来たヨツンヘイム軍を、助太刀にやって来たアスガルド軍が逐い返した史実を反映しているとします。
 しかしオーディンは老い、息子トールに王位を譲ろうとする。それを快く思わなかった弟ロキが策を弄してヨツンヘイム軍を手引きしアスガルドに引き込む。トールの活躍でヨツンヘイム軍を撃破するも、自らの力に奢ったトールはオーディンの制止も聞かず、この際一気に、とヨツンヘイムに攻め込み、逆に大敗を喫す。怒ったオーディンは王位継承権を剥奪し、修行してこいとトール(ソー)をミッドガルドに追放し、ここから本編の物語がはじまります。
 ちなみにトールは虹の橋ビフレストから逐われるのですが、これは地球から見ればアインシュタイン・ローゼン・ブリッジを通ってくるということになります。
 大変面白かったのですが、どうもこの映画、日本のアニメにかなり影響されているのではないでしょうか。たまたま日本語で見たので、そのせいかもしれないのだけれども、地球に墜ちてきたソーに最初に遭遇する地球人のふたりの女の会話が、まるで日本のアニメぽくて、だぁー、となってしまいました。ジャパニメーションおそるべし。アメコミまで変質させてしまっているのでしょうか。
  デビューした1962年の雑誌表紙

 

「新宮本武蔵」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月31日(月)14時20分34秒
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  > No.4157[元記事へ]

流転さん
 お久しぶりです。光瀬さんのお言葉、これは剣豪が最終的に到達する境地のようなお言葉ですねえ。作家が剣豪と同じ尺度で一般化できるとは思いませんが、少なくとも光瀬さんの執筆態度は剣豪のそれと近いものがあったように想像します(むろん武士がみな剣豪であったわけではないのと同じですが)。
 その意味で最後の長編にそれが体現されているというのは、まあ論理的にですが、頷かされますね。この小説、一般的には光瀬作品のなかではあまり評価されなかった、というよりもSFのオピニオンリーダーたちには全く無視された長編ですよね。恥ずかしながら私も全然注目していませんでした。探求書にして読んでみたいと思います。
 でも、私自身は光瀬さんの境地などには遙かに届かない凡人ですので、やはりSFはSF、時代物は時代物、という区別を、読んだ作品から受け取ってしまいます。もちろんその両者が重なった小説もあります。しかしそれは境界線がなく連続しているという感じではなく、ふたつの契機(Moment)を内在させているという感じなんですよね。いつか光瀬さんの境地に、読者の立場から到達したいものですが>反語(おい)(^^;
 ともあれ、流転さんにも今年一年お世話になりました。来年も宜しくお願いいたします。

 ということで、光瀬龍『新宮本武蔵(2)』(徳間文庫84、元版83)読了。(元版の出版年は巻末の記載から引用ですが、一年後というのはほんとかなあ。ミスのような気がしますね)
 さて、前巻とはすこしタッチが変わって、SF的なシチュエーションは殆んどなくなります。私はこの、江戸時代に宇宙人なり未来人がやってきていたとしたら、江戸時代人はたしかにこのように感じ、反応しただろうなあ、という著者の描写が大変気に入っていまして、実際それが一種独特な雰囲気を醸し出してもいて、半分がたそれが目当てで読んでいたというところがあり、その面ではちょっと残念でした。
 今回は全7編中4編(「青蝿武蔵」「馬頭武蔵」「化猫武蔵」「江戸闇勝負」)が武蔵の江戸での世話係である門下生の小河久太夫が武蔵の手を借りたいと持ち込んでくる難題を処理するという形式で、これは平谷美樹さんの<百夜>シリーズとも同型ですね。ある種時代もの連作の定形でしょう。あと「稲妻武蔵」もこの形式に近く、解決法も(当時はまだ存在しない)エレキテルや幻燈機を使ったりするのがいささかSF的といえますが、敵もハリボテの馬に喋らせたり催眠術だったりと一種の手妻使いじみた奴輩だったりと、ややスケールが小さい。
 もちろん著者の創作動機の一方には、リアルな武蔵像を復権したいという面があり、武蔵自身試し斬りの手伝いを嬉々としてやっていたり(天下の名刀を操れるので)、人を雇って試合相手の様子を探らせたり相手も相手で色仕掛けで漆を塗りこんだ衣類を贈ったり(女物を身につけるのは魔除け)得物の杖に磁石を貼り付けていたり(「権之助、武蔵を打つ」)と姑息なこと姑息なこと(笑)。まあ吉川英治が読んだら頭から湯気を立てて怒り出すこと必定ではないかと思われます。
 しかしながら掉尾に配された「地蔵武蔵」では、はじめて江戸周辺を出て(元主家の島原の乱討伐の助太刀に)西下中の甲州街道の山中が舞台で、一気に妖気が充満し、これを蒼古世界に持ってくればクラーク・アシュトン・スミスもかくやという傑作ヒロイックファンタジーめいた作品になっており堪能しました。
 本シリーズは武蔵が江戸にいた寛永13、14年の二年間の話を集めたもので、上記「地蔵武蔵」で江戸を離れてしまったからには、シリーズもこれにて終了ということのようです。『異本西遊記』も含めて、後期の作品を蒐集しなければなりません。
 

光瀬龍

 投稿者:流転  投稿日:2012年12月31日(月)02時19分49秒
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  どうもお久しぶりです。
書かれた記事を読ませていただいて思い出したのですが、光瀬先生が晩年に近い時期に
今の自分にとってSFとか時代小説とか分けて考えることはあまり意味のない事
のように感じられる、かってSFとは何かと問われれば「センスオブワンダー」と
答えられた、だが他の小説ジャンルに「センスオブワンダー」はないのだろうか?
けしてそんな事はないと今の自分には思える。だから今の自分にとってSFも時代小説も
またそれ以外の小説も意識の上ではほとんど区別していないと言う意味の事を
言われたことがありました。
その様なお考えで書かれた代表的な作品が最後の長編「異本西遊記」ではなかったか?
と個人的には思っております。
では良いお年をお迎えください。
 

「アイアンマン」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月31日(月)00時23分17秒
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   DVD「アイアンマン」(08)を観ました。原作はマーベルコミックス版(63年〜)。原作の舞台はベトナム戦争中のベトナムですが、映画ではアフガン紛争に変えられ現代化がはかられています。要するに(本編はパワードスーツものなんですが)それによって60年代ではありえない高度化したテクノロジーを、リアルに見せることを可能とさせる意図があったのではないでしょうか。日本でいえば同じく63年に連載が始まる「ビッグX」を、21世紀にそのまま実写化してもダサいだけだと思います。設定を現代化すればビッグXのフィギュアも現代化できるわけです。
 さて、内容はたいへん楽しめるもので堪能しました。ロバート・ダウニーJrはうまい役者ですねえ。しかし所詮は日本にゴマンとあるパワードスーツもの。CGは素晴らしいですが、既視感ありまくりで新鮮味はなかったのでした。
 下の絵は1964年のアイアンマンとキャプテンアメリカですが(なぜこの二人のヒーローは戦っているのか?それは買って読めばわかる!と書いてありますね(^^;)、まあ現代的見地からすればダサい。しかし私は、映画のアイアンマンより、こっちのアイアンマンのほうがずっと味があってよいと感じるんですよねえ。
 
 

「ダモクレス幻想」「至福の時」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月30日(日)20時35分57秒
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  > No.4153[元記事へ]

承前。高井さんのCDより、1996年8月19日TBSラジオ「ラジオ図書館」で放送された高井信原作「ダモクレス幻想」「至福の時」を聴きました(ただしCDの音源はMBSでの放送分のようです)。どちらも原作は短編集『ダモクレス幻想』(96)所収。
 高井SFの特徴として、論理の自走が挙げられると思います。ある奇現象、超常現象が作品世界に出現します。これらの現象は基本あり得ないもので、その出現に論理的必然性はありません。とにかく「なぜか出現しちゃった」のです。その出現を「現実存在」として認めた上で、高井SFの論理暴走はここから開始されます。
 前者では、主人公の頭上に糸で吊るされた剣(ダモクレスの剣)が出現します。最初それがなぜ出現するのか、主人公は皆目見当がつきません。最初はトイレで脱糞しようする直前でした。二度目は放尿する直前でした。三度目は性行為のクライマックスの直前でした。この三回とも、その直前で剣に気づき、あまりの驚きに出るものも引っ込んでしまいます。そこで主人公はこの3例から共通項を帰納法によって推論するわけです。体内から何かを放出しようとした時に剣が現れるのではないか、と。この推論によって得られた仮説が正しいかどうか、それはその段階ではわかりません(実はそれは事実の半分でしかなかったのですが)。とにかく恐ろしい事態です。主人公はやけ酒をあおり、眠り込んでしまうのですが、胸のむかつきで目覚め、あわててトイレに駆け込み……というわけで仮説の正しさが検証されます。なかんずく主人公が気づかなかったもう一つの事実も発動し、主人公に振りかかるのでした(笑)
 後者も同様で、楽しい時間は短いのに嫌なことをしている時間は長く感じる、という一般的な心理現象が、なぜか主人公に物理的に働いてしまい、生きる意欲を失った主人公は(嫌な時間ばかり伸び楽しい時間はどんどん短くなるのですから当然でしょう)屋上から飛び降ります。その瞬間パノラマ視現象が……
 あり得ない(たいていの場合ショーモナイ)現象を設定し、それを論理でぐるぐる振り回し、その遠心力であらぬ方角へ投げ飛ばしてしまう、その結果招来される痙攣的な笑いが高井SFの本領だと私は思います。なんとまあ無駄な努力(>おい)。しかし私はそこになぜかラファティの、やはり無駄な熱意と似た何かを感じてしまうんですよね(^^;
 

眉村さん情報「駅と、その町」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月30日(日)16時23分48秒
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  眉村さん情報
 来年3月2日発売予定で、双葉文庫より眉村さんの連作短篇集『駅と、その町 』が出版されます→【楽天市場】
 これは以前講談社文庫から出ていた『魔性の町』(95)の復刊ですね。初刊は実業之日本社版で『駅とその町』(89)のタイトルだったのを、講談社文庫化される際に改題されていたのですが、今回、元版に近いタイトルに戻すのですね(たぶん改題は出版社側の意向だったんでしょう)。
 版元サイトはまだ何も上がっていませんが、以後続々と眉村作品の刊行(復刊)が予定されているようです。楽しみですー(^^)

高井さん
 ご教示ありがとうございました。「奇想天外」誌掲載の翌月にラジオ放送されたのですか(実際には2か月後になるのか)。素早い。思うに当時は、放送関係者が鵜の目鷹の目でSF雑誌を読み、放送に適した作品はないものか、と探していたんでしょうね。いま、SFマガジンをそんな風な、新鮮なものを探す目つきで読んでいる放送関係者っているんでしょうかねえ(>反語)(^^;。
 

Re: 「シャドウ効果」

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月30日(日)12時32分5秒
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  > No.4151[元記事へ]

 お楽しみいただいているようで、嬉しいです。

>  それはさておき、原作は『超能力パニック』(87)所収(あれ、ラジオドラマのほうが先だったのかな)。
 え〜とですね。
「奇想天外」1980年8月号掲載→NHKラジオ「ラジオSFコーナー」1980年9月放送→アンソロジー『恋する銀河』に収録(1984年10月)→短編集『超能力パニック』に収録(1987年5月)となっております。
 ご参考になれば。
 

「レッド・ソニア」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月30日(日)01時33分9秒
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  「レッド・ソニア」(85)を観ました。これシュワルツェコナンの番外編的作品で、まず85年にビデオが売りだされ、のち87年に劇場公開されたとのこと。シュワちゃんはヒルカニア王カリドー役で出演。あくまで主役はレッド・ソニア(ブリジット・ニールセン)ですが、どっちも主役ですね(今回サンダール・バーグマンは悪女王役)。
 内容は、前作「キング・オブ・デストロイヤー」の路線で、少年王子(なかなか悪達者、加藤清史郎みたい(^^;)が重要な脇役で出てきたりして、やはり子供向けのように感じられます。しかし前作よりはずっとよくできていて面白かったです。
 ところで、レッド・ソニア(Red Sonya)はハワードの短編に出てくる女戦士なんですが、あくまで原作は16世紀の東欧が舞台の歴史小説であり、原作コナンとは関係ありません。しかしマーベルコミックスがコナン物語をコミック化した際、綴りをSonjaに変えられてハイボリア世界に投入されたみたいですね。したがってこのシュワルツェコナン三部作は、原作の映画化であると言うよりはマーベルコミックス版の映画化なんですね。

 

 
 

「シャドウ効果」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月29日(土)21時28分46秒
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   先日高井さんから、高井信原作のラジオドラマ(朗読)を集めたCDを頂きました。海野セレクションCDを聴取し終えたので、引き続きこちらに着手することに。
 まずは「シャドウ効果」を聴きました(NHKラジオ第一/1980年9月12・15・17・19日放送)。放送されたのは、「ラジオSFコーナー」という15分番組のようです。まず数分間、横田順彌さんの「SFコラム」(ご本人が喋っています)があり、ひきつづいて朗読が始まるというプログラムになっています。朗読なので、朗読者の方(アナウンサー?)が原作を(地の文も「 」の部分も)読んでいくのですが、この作品では作中人物の女性がしゃべる部分は女性の朗読者が加わっています。ドラマと朗読の中間的な形式ですね。考えてみたらラジオドラマと朗読の間に、はっきりした線引はできない、連続的なんですよね。
 それにしてもヨコジュンの「SFコラム」付きって、今からすれば非常にぜいたくな番組ですねえ。先日も書きましたが、こういうラジオ番組が、70年代、80年代には盛んだったんでしょう。今昔を感じますね。
 それはさておき、原作は『超能力パニック』(87)所収(あれ、ラジオドラマのほうが先だったのかな)。これは正統的な(50年代に通ずる)超能力SFなんですよね。高井さんが書くと、そんな風には見えませんが(>おい)(^^;。というか、超能力者ゆえにその能力を隠さざるを得ず、常人の大海の中で孤立し、仲間を求めてやまない――この定番のテーマを高井さんらしく、50年代風に大上段に振りかぶらず、ごく卑近な世界の中に持ち込んで展開した作品といえます。久しぶりに読み、もとい聴きましたが、よくできた(作られた)作品で、やはり面白かったです(^^)
 

「キング・オブ・デストロイヤー」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月29日(土)13時01分22秒
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   「キング・オブ・デストロイヤー」(84)を観ました。シュワルツェネッガー・コナン続編。
 でしたが、正編から比べたらだいぶ落ちます。特撮がずいぶんチャチでした(正編との繋がりも杜撰)。あまりおカネをかけてないのかも知れません。首が飛んだり血が吹き出したりしていますが、基本、子供向け映画のような感じでした。一種ゲーム的なクエストものといった風で、ただそのような観点で観るならば、そこそこ(ディズニーを観るような感じで)楽しめる映画だったのではないでしょうか。
 

「新宮本武蔵(1)」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月29日(土)01時13分54秒
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  光瀬龍『新宮本武蔵(1)』(徳間文庫84、元版81)読了。

 『量子怪盗』をすでに一か月近く読み続けているのだが、なかなか進まない。わからないところは無視して、なんとか260頁までこぎつけたのですが、ここにいたって全く何を読んでいるのかわからなくなってしまいました。かすかにヴォークト的な感じもしないではないのだが、単にその場限りの絵が時系列に並んでいるだけのマンガなんじゃないかという疑いが脳裏を去らず、それが制動をかけて進まないようです。で、フラストレーションが限界を超えてしまいました。一旦リセットして最初から読み直すことにしました。ただし今すぐにではなく、正月にでも集中的に。

 ということで手にとったのが本書。いやーすいすい読めてしまいました。あーすっきりした(笑)。
 すっきりしただけでなく、これ、想像以上の傑作でした! 単なる剣豪小説かと、期待せずに手にとったのだが、光瀬作品でも上位をうかがう連作集でした。著者の時代SFは、後になればなるほど、物語を投げ出してしまう傾向があって、もっとも最近は少しその効果に目覚めてきてもいるのですが、有り体にいって書き流し感は免れない。本書もそういう感じかと思っていたのです。全然そうではなかった。どの作品もきっちり結末がつきます。主人公は宮本武蔵。あとがきにもありますが、太平洋戦争直前に連載が始まった吉川英治の「剣聖」武蔵像は多分に戦意高揚の目的があり、それ以前に大衆に流布していたイメージとはかなり違っているようです。著者はそれをもとの姿に戻したかったとのこと。そういう意図で創造された光瀬武蔵は、剣聖どころか、金の続くかぎり吉原にしけこみ、その遊女から金を借りるような男。剣技は無双だが頑固で嫉妬心も強い、欠点も多い、いわば人間味溢れる人物として描かれます。

 で、そんな武蔵が相手にするのは、
「人形武蔵」(寛永13年夏)では、両国広小路の傀儡芝居小屋の傀儡人形たち。
「幽霊武蔵」(寛永13年夏)では、永禄の頃(100年前)星が落ちたあたりに穴が開き(墜落したUFOが何かの拍子に目覚めた?)そこから現われた異形の人物。
「にっしょく武蔵」(寛永14年早春)では、相手の目を睨むことで一種の催眠術を使う修験者と対峙しなければならなくなった武蔵。その彼に「日蝕」の時刻を教えて(暗くなって睨むことができなくなる)、辛くも勝利に導いた人物は、寺院の屋根に不時着したUFO(?)の修理に、ちょうどよい案配だったらしい太刀のつば(!)を武蔵からもらった代償としてそれを教えたのでした(笑)
「ぶんしん武蔵」(寛永14年5月)で武蔵が闘うのは、草庵に隠れ潜む未来人(?)が操るアンドロイド(?)
「もういちど武蔵」(寛永14年9月)は、本集中の傑作。試合で武蔵に打ち負かされた男が、筒井康隆「しゃっくり」よろしく何度も時を戻って武蔵に打ちかかり、その都度打ち負かされます。こうなってくるともはやドタバタ(笑)
「めいしん武蔵」(寛永14年10月)は、これは真言の法が実際に力を発揮する話で、SFとはいいがたい。
「松風に消ゆ」は、シリーズ番外編で異色の傑作。私たちは小次郎というと少年剣士を思い浮かべますが、事実は武蔵より年上だった可能性が高いらしい。別資料によれば巌流島の時には小次郎はすでに死んでから15年たっており生きていれば90歳になるとも。これは一体どうしたことでしょうか。この矛盾を解決するのが本編なんですが、上の諸作品とはタッチが少し違っています。聊斎志異を彷彿とさせるひっそりとした感覚が実によいです。

 ところで、これらの諸作はすべて30頁(約50枚)程度の短編なんですが、一直線に上記のシーンに向かうのではなく、その手前でひとつ小さな山を作り、屈折させている。たとえば「幽霊武蔵」では、上記のシーンの前に、人間が幽霊を騙った事件が置かれて、ストーリーをしなやかに捻っているのです。それを50枚に収めるのですから、どれだけ彫琢しているかということです。やはり名文というべきです。

 

「病院のある風景」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月28日(金)22時57分41秒
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   承前。CDより別役実「病院のある風景」を聴きました。男が道を歩いていると、看護婦に呼び止められ、だしぬけに、あなたは病気のようだから病院へ行きましょうと、病院へ連れて行かれる。診察され急遽入院をさせられる。入院の用意もしてないしとりあえず一度帰宅したいと言うが認められない。では家族や会社や友人に電話させてほしいと懇願するも、こちらで連絡しておくと言われる。電話してくれたかと尋ねると、実は奥さんから電話があり入院させてくださいという話だったのだと言われ、会社の方には奥さんが退職願いを申し入れたと聞かされ呆然とする男。友人の方はと聞くと、あなたがメモした電話番号はすべて誰も出なかった、と……。
 典型的不条理ドラマです。はっきり言ってよくわかりませんでした。病院内以外のやりとりはすべて電話で、それも聴取者はその場面を聴いていますが、男には全て伝聞情報。その電話が本当に外部と繋がっているのか、はなはだ心許ない。これまた関係性の心許なさを醸成して不安な感覚を聴取者に齎す眼目なのでしょうか。ちょっと消化不良でした。

 ということで海野さんから頂いたCD、完聴。ラジオドラマという形式を再認識させられた思いがします。70年代、80年代は盛んでしたが、最近は衰退したジャンルのような気がしますが(そうでもないのかな)、復活させてほしいものです。というか、案外youtubeなどの媒体を使って試みる人が出てきそうな気もしますね。期待したいですねえ。
 

「コナン・ザ・グレート」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月28日(金)17時03分59秒
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   「コナン・ザ・グレート」(81)を観ました。いうまでもなくシュワちゃんの出世作。この映画はロードショーでみたのですが、覚えていたのはタルサ王が大蛇に変身する(正確には化けていた人間から戻る)場面だけ。当時は全体としてもあまり感銘を受けなかったように覚えています。で今回、正味31年ぶりに再観したわけですが、大変面白かった。当時はコナンシリーズの設定もわかってなかったし(知識不足)、「ドラマ」を楽しむには「経験不足」でもあったのかも。でも最大の原因はデートの一環としての映画鑑賞だったので、集中して見てなかったのでありましょう(爆)*
 さすがに前世紀映画で、作りが重厚。進行もゆったりしていて「映画を楽しんだ」感があってよかったです。ここを基準にすると、最近のCG映画は、いわゆる「映画」とは別物ですね。微視的連続感に捉えられていると気づきませんが、30年を取っ払って接続させてみれば(つまり「コナン・ザ・グレート」と「コナン・ザ・バーバリアン」を並べてみれば)一目瞭然。最近のCG を私は好むものですが、昔の映画も捨てがたいですねえ。

*この(爆)は「爆笑」ではなくて「自爆」の略なので念の為(^^;
 

「二階のある家」「太郎と花子の伝説」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月27日(木)22時03分11秒
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  承前。CDより別役実「二階のある家」と「太郎と花子の伝説」を聴きました。
 前者は受験地獄*が、受験者本人よりも、実はその親にとって地獄であるというアイロニカルな物語。二浪中の受験生の娘が受験日を目前に失踪した家。二階の娘の部屋は失踪前そのままに残されている。そこへその部屋を10日だけ貸してほしいという母子が現れる。二浪中の受験生の息子とその母で、母親は方位に凝っていて、志望校合格には、その家から試験を受けに行くのがよいらしい。家のあるじ(失踪した娘の父親)はなぜかそれを許可し、あるじの妻を訝らせる。受験生は下宿し、日を追うごとにあるじはおかしくなっていく。その理由は……
 方位に凝る母親も狂ってますが、家のあるじも狂っています。それと対照的な、当の受験生の暢気さ。これはこわい。ホラーです。
*現在では少子化と事前の調整管理で受験地獄というのも過去のものとなっていて、シチェーション的に近頃の人にはピンと来ないかも。

 後者は、30過ぎて結婚に焦っている(らしい)女が夜歩いていると、見ず知らずの男が擦り寄ってきて結婚してほしいと懇願します。結局結婚(というより同棲)するのだが、女は、男の自称する身元がすべてウソであることに段々と気づいていきます(実は女も年齢を詐称している)。この話はいかにも、上京、上野駅といったものに意味が感じられた60年代ぽいシチュエーションで、現代の超管理社会ではちょっとありえませんが、逆にそれゆえ、人間が身分証明というものから引き剥がされると、人間ではない何かに変わってしまう、すなわち人間とは何枚かの身分証明書が本体であるという「真相」が、顕在化してくるわけです。かかる「不安感」は、安部公房とも共有するものですね。
 あと、女にとって信じられるもの、確実なものが、これから生れてくる子供というのも、事実だけにこわいですなあ。
 

「猿の惑星:創世記」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月26日(水)21時50分29秒
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   DVD「猿の惑星:創世記」(11)を観ました。面白かった! まさに巻措く能わずもといポップコーンくちに運ぶ能わずのジェットコースタームービーで、105分が本当にあっという間でした。
 人間どもがサルたちにコテンパンにやっつけられちゃいます。私、人類がこっぴどい目にあう話が大好き。胸がすかっとするんですよね。つくづく平井和正さんに汚染されております(>おい)。
 そうか。天災や人災で世界が滅びるのを何とか食い止めようと努力する、ある種のSFの定形文法を、私が好まない理由が分かりました。平井さんの影響だったんだ(^^;。
 本編は、猿の惑星シリーズの、根本的な発端を描くもので、これでなぜ地球が猿の惑星化したのかが明らかになります。ところが悪逆な人類に引導を渡した筈のサルたちですが、その後の経過を(つまりこれまでの作品を)たどれば明らかなように、どんどん「人類化」していったわけです。これはかなしい歴史の必然でしょうか。宇宙で生成する文明は等しくやがて人類化し滅び、後を継ぐものに取って代わられて行く……諸行無常ですなあ・・
 

「担当者は不在」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月26日(水)01時31分41秒
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   年賀状書き終了。ふう。去年の年末は生まれて初めて出さなかったので(ただし届いた分に関しては正月に書いたと思いますが)、色々思い出しながら宛名書きしていたら、えらい時間がかかってしまいました。明日投函してこよう。

 承前。2枚目のCDより、別役実「担当者は不在」を聴きました。さすがに劇作が本業の方だけあって、作品世界の深みが尋常ではないですね。安部公房とも共通する、我々が在るとアプリオリに(無根拠に)信じて疑わない、これまで在ったから今も在り、これからも在り続けるだろうという、確固とした世界への確信が、どんどん揺らいでいきます。こういうのを書いてみたいんだよなあ(>無理ッ!)(ーー;
 

「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月24日(月)22時57分4秒
返信・引用 編集済
   DVD「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」(11)を観ました。
 ホームズがエキセントリックなのは原作と同じなのですが、そのエキセントリックさの方向が正反対を向いていて、私は、シャーロキアンが見たら認めないだろうという評判を聞いていたのですが、まあそうだろうなと思いました(ワトスンも正反対)。基本アクション映画で、別にホームズとワトスンでなくても成立するのではないか。
 しかし話が進むに従って、ホームズがたぐい稀な写真的記憶力を発揮して見ぬいてゆく場面が増えてくると、やはりこれは、主役はホームズにしておかなければリアリティを保てないな、と思い直した。後半は次第にホームズらしい観察力による、オリジナルっぽい推理も現れてきます。もう原作は覚えていませんが、案外そのまま借りている部分もあるのではないでしょうか。極めつけはラストで、「最後の事件」そのままにモリアーティと組み合ったままスイスの滝の底へと墜落してゆきます(ただしその後があるのはお約束)。
 これは面白かった。ワトスンとホームズの造形は、原作をまったく踏襲していませんが、これはこれでひとつの類型たりえたのではないでしょうか。ロバート・ダウニーJrとジュード・ロウの掛け合いも息がぴったりでよかった。しかしわたし的には、この役はダスティン・ホフマンとジャック・ニコルソンで見たいなあ、と思いました(もちろん若き日の)。
 それから、19世紀末のロンドンとパリが、CGで再現されていたのもよかった。やはり当時の写真や映像が大量に残されているんでしょうね。これからの映画は、CGで過去の風景がどれだけ再現されているかが、個人的趣味的には、鑑賞の大きなポイントになっていくと思われます。

 そういう意味で昔の東京なども、CGで再現してほしい世界なんですよね。日本の中では、比較的写真も映像も残されているんじゃないでしょうか。それほどでもないのかな。ロンドンやパリほどはないのは確かでしょうね(ちなみに大阪だったら通天閣からロープウェイが降りてくるシーンを見てみたいですねえ)。
 と考えていたら、こちらでこんな記事が。溝口作品で名のみ有名な「東京行進曲」(29)は、本編102分のところ、現存するフィルムは20数分程度しかないらしい。ところがフランスにも残されていて、そちらのほうが少し長く日本版にはないシーンも含まれていて映像もクリアとのこと。そこでリンク先の管理者さんが日仏ミックス版を作成されyoutubeに上げられたんだそう→http://nakaco.sblo.jp/article/60985543.html
 見ましたが、これは労作ですね。非常に綺麗にリマスタリングされていて、日中戦争直前の大正モダニズムの名残りがまだ漂う東京市内が観覧できます。役者の演技がややオーバーな気がするんですが、当時はこれでふつうだったのかな。それとも映画的に誇張されているのでしょうか。

 

眉村卓原作ドラマ「日曜日ごとの町」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月24日(月)14時07分13秒
返信・引用 編集済
  > No.4141[元記事へ]

海野さん
>そういう結末だったのか?
 エンドロールが終わったあとに、次回予告風に出てくるので、気づかない人も多いのではないでしょうか。

 承前。眉村さん原作の「日曜日ごとの町」を観了。原作はちょっと思いつきません。
 これは最後まで読めなかったなあ。次第にもとの町の人々と親しくなっていくのは、あっちの町での気分がこっちでも持続してきて、それで人間関係が良好化していったのではないかと思ったのです。つまり主人公本人の、他者との接し方に問題があったと。でもそうではないみたいなんですよねえ。
 ひょっとして、それはひとつの定形、理に落ちすぎだということで、あえて崩したのか。
 あるいはこの作品(原作)、結末を考えずに書き出し、ストーリーが勝手に動くままに記録していったような気がします。なぜラストはこうなんですか? と質問したら、作者は、さあねえ、そうなっていったんですねえ、と答えるのかも知れませんなあ。まあ作者が、これはこうこうこういうことです、とすっきりきっちり説明できる小説ほどつまらないものはないわけで(笑)。原作はもっとホラーっぽいんじゃないかな。
 

Re: 「キャプテン・アメリカ」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月24日(月)10時57分48秒
返信・引用
  > No.4140[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

「キャプテン・アメリカ」ってそういう結末だったのか?
いくら考えても思い出せないと思ったら、たぶん録画を見ているうちに寝てしまったんだと気がつきました。
もう一度見直さねば。

「白き日旅立てば不死」は2〜3回読み直した気がします。
「聖シュテファン寺院の鐘の音は」の方を手に取ると、まっさら。
これってたぶんまだ読んでなかったのねー

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「キャプテン・アメリカ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月23日(日)22時48分48秒
返信・引用 編集済
   DVDで「キャプテン・アメリカ」(11)を観ました。
 いうまでもなくマーベルコミックスのヒーロー。マーベル・コミックスについては、SFマガジンを読み始めた頃、小野耕世さんがコラムを連載していて、その頃から存在だけは知っていました。実際にはテレビドラマや映画化されたものでしか知りません。最近はいろいろ映画化されているみたいですね。これもスチームパンク的な流れの一環なんでしょうか。
 そういう懐かしさで借りてみましたが、これは思いがけない拾い物でありました。
 舞台は第二次大戦さなか。愛国心と義侠心は人一倍持ち合わせているが、いかんせん体格が貧弱なため何度も兵役志願するもそのたびに検査で落とされている主人公チビのロジャースが、その高潔な心を買われて、アースキン博士が開発した超人兵士養成剤を注入され、強靭な肉体を得る。それで前線に派遣されるかと思いきや、キャプテンアメリカのケバケバしい衣装を着せられて国民に国債を売るためのショーの役者みたいなことをさせられてドサ回りをします。
 このへん、アメリカの自己パロディになっていて、なかなか秀逸。
 しかしヨーロッパの前線での慰問では逆にその滑稽ないでたちに実戦兵士たちからバカにされ(まあ当然ですわな)、おりしもその前線に配属されているはずの無二の親友がドイツ軍の捕虜となっていることを知るに及んで、自己の使命に目覚める。彼は単身、敵の基地に潜入する。
 この基地を統括しているのがシュミット博士といい、実はロジャースの前に超人化剤を注入された人物。ところがこの血清は肉体を強靭化するだけでなく精神にも作用することがわかる。悪人はさらに悪人度を強めてしまうのでした(それで体格よりも人格を鑑みてロジャースが抜擢されたわけです)。
 主人公は、バカバカしいド派手な衣装に身を包み、トレードマークの星条旗柄の円盾をひっさげてシュミットに立ち向かっていきます!(笑)

 いやー愉しかった。この作品のよい所は第二次大戦中というか対ナチス戦に時間的空間的に限られているところ(正確には対ドイツというよりヒトラーにも反抗するシュミット率いるヒドラ党との戦い)。そのわりにはオーディンのクリスタルパワー(というものをシュミットは手中にしている)で動く超近代兵器目白押しですが、全体としては「懐かしい未来」の雰囲気を発散していて、そこに好感しました。

 もっとも続編があるみたいで、ラストで北極海かどこかに墜落し死亡したものとみなされたキャプテン・アメリカが、70年後に冷凍状態で発見され、復活するらしい(^^;。このラストで十分な気が、私はしますがねえ。
 

Re: 「和田宜久ショートショート・ファイブ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月23日(日)18時56分32秒
返信・引用 編集済
  > No.4138[元記事へ]

海野さん

 私がはじめてカセットデッキ(ステレオセット)を買ったのは、高校に入ってすぐか、遅くとも夏休み前、つまり1971年前半でした。チャチャヤンはまだ放送中でしたが、私自身はクラブ活動が運動部だったので遅くまで起きていることができなくなって聞かなくなってしまっていました。つまり、チャチャヤンとカセットテープは、ちょうど時期的に重ならなかった。それで番組を録音したことはなかったですね。オープンリールレコーダーは持っていましたが語学用で、ラジオの前にマイクを向けて録音するという、そういう発想がなかったなかったみたいです。カセットテープ自体も高かったですよね。これは浪人の時(1974年)のことですが、ソニーのクロムテープが1個980円だったのを覚えています(ですから一般品はその半額くらいだったでしょうか。あ、2個1000円とか3個1000円だったっけ)。もちろん当時の物価で。ちなみに私がはじめて購入したSFマガジン1971年12月号は270円でした(^^;

>石清水作品の方が評価が高く
 録音のなかで何度も眉村さんはファンタジー系への評価が甘くなる、と自戒されていますね。

>>「面倒な自然の決まり」
>これは僕の作品ではありません。
 ああやっぱり。和田さんらしくないのは分かったのですが、録音されているということは和田作品だからなのかな、と思ったのでした。

>「和田宜久全作品リスト」
 それは資料として戴きたいです。よろしくお願いします。

>「ショートショートと言うものはこんな感じだよなー」と言うイメージで書いた
 なるほど。本質はブラッドベリで、イメージとして持っていたショートショートのかたちはブラウンだったわけですね(>違)(^^;。ショートショートかくあるべしという縛りが、次第になくなって自然体になって行ったということでしょうか。

>「聖シュテファン寺院の鐘の音は」
 は単体でも読めますが、一応「白き日旅立てば不死」の続編ですよ。もちろんご存知とは思いますが、念のため(笑)。
 

Re: 「和田宜久ショートショート・ファイブ」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月23日(日)14時15分52秒
返信・引用 編集済
  > No.4136[元記事へ]

この録音はほぼ自分に関係のある部分だけをダビングしたものですが、今ならショートショートコーナー全体を残していたんでしょうけどね。
でも、当時はオープンリールの時代で、テープ1巻もそこそこ値段がしましたので、泣く泣くこんな感じになりました。カセットテープは途中からが登場するのです。
それから、一時ショートショートコーナーへの投稿者の名前と作品名とランクをノートにメモっていたんですが、すぐにやめてしまいました。これも続けていれば貴重な資料になったかもしれませんね。

>石清水和人はいつの間にか消えてしまいます。
これはですねー、「チャチャヤングショートショートNO1」に僕の作品が候補としてあんなにたくさん上がっているのに1本だけしか載らないのが少々不満で(笑)ようし!2本載せてやろうと言う事で考えたペンネームです。
2〜3本目ぐらいには嵯峨さんから、「眉村さんは(同一人物だと言う事に)気がついてらっしゃるみたいですよ」と言われたので、もういいか、と言う感じでやめてしまいました。
石清水作品の方が評価が高く、和田宜久の名前が石清水の影に隠れるのが嫌だったと言うのもあったような感じです。
ところで、石清水の名前は一度お会いした清水順也(漢字違うかも)さんを意識してつけたように思います。

>もしまだだったらリクエストしたいなあ。
そ、そうですか?
あーと。まあ、そう思ってらっしゃると言う事だけ、気持ちに留めておきます。

>最後の「面倒な自然の決まり」
これは僕の作品ではありません。
チャチャヤングが終わり、これ以上録音が増える事がないと言う事で、テープの余った所に気に入った作品を入れただけですね。
作者名は思い出せませんが、たぶん女性だったように思います。


(記事を一つさかのぼって)

>ショートショートファイブ作品の原型(?)が投稿されていたことに気づいた。
そうですそうです。録音の9本に対しては結構割合が高いですが、全体的には書きおろしの比率が高かったと思います。これは「ショートショート20プラス1」の後ろにある「和田宜久全作品リスト」を見ればわかるのですが、今は手元にない(笑)倉庫にある原稿を引っ張り出して来ないと。
自分のためにこれをスキャンして印刷しようと思っているのですが、大熊さんにも送りましょうか。


追記(さらにさかのぼって)

>和田宜久ショートショートって、こんな味なのでした。現・海野久実とはずいぶん作風が違うんですよね。
それで考えていたんですが、だんだん思い出しました。
チャチャヤングが始まるまでは小説は書いた事が無くて、漫画を描いていたんですよね。
でも、ショートショートはよく読んでいました。
で、チャチャヤングでショートショートコーナーがあると言う事で、書いてみようかなと思った時に、これまで読んで来て、僕が持っていた「ショートショートと言うものはこんな感じだよなー」と言うイメージで書いたんだと思います。最初の頃はね。
それまで描いていた漫画のストーリーを作るのとは違う発想方法と言うのかな。
おそらく、海野久実作品の原点は漫画作品の方にあるのではないかと言う気がします。より自分の書きたいものと言うかね。
あ、そうそう、本質的と言うか。そんな感じです。


さらに

>荒巻ラジオドラマ

なるほどねー


それだけかいな。
荒巻義雄さんが読み返したくなって、倉庫から2冊出してきました。
「神聖代」「聖シュテファン寺院の鐘の音は」

http://marinegumi.exblog.jp/

 

荒巻ラジオドラマ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月23日(日)13時16分55秒
返信・引用 編集済
  > No.4136[元記事へ]

 承前。引き続き2枚目のCDより、荒巻義雄ラジオドラマ「青きニルバーナ」と「真白き渚にて」を聴取しました。
 どちらも原作は思い浮かばず。前者はアンアンという名の<アニマ>が出てきます。「アンアン」という名には記憶があったので、『白壁の文字は夕陽に映える』を引っ張りだしてきました。ありました。「大いなる失墜」に「アンアン」なる<存在>出てきました。しかし、パパっとめくったかぎりですが原作ではなさそうです。
 ところでこの「大いなる失墜」、ドイツ幻想派風に荘重に始まるのですが、「アンアン」という名前はいかにもこの世界になじまない。初読(1972年)当時から違和感ありまくりだったんですよね。「アンアン」という女性誌が1970年に創刊され、「ノンノ」とともに「アンノン族」なる流行語を生み出した時期で、その喃語的な語感も相俟って、なんでそんな時事風俗にまみれた言葉を流用するかなあ、という感じであったわけです。著者にとって「女性」の象徴だったのでしょうが、この言葉を象徴と捉えてしまうところに、著者の通俗性の地金が見えた思いでありました。
 そういう意味では「青きニルバーナ」のストーリーも、まさに昭和30年代よろめき小説の雰囲気そのまま(支笏湖(死骨湖)で道行)(^^;。著者の基層にはこういう(他のSF作家なら恥ずかしくて触れようともしない)ベタな部分があって、いや誰でもあるのかも知れませんが、それを恥ずかしげもなく晒して動じない思い込みの強さがありますね。とかいいながら、こういうストーリーも私は嫌いではないですねえ。井上光晴もこのようなストーリー型を多用しますが、それは日本の最下層民を描く意図によってであることは了解しているのですが、実は井上光晴自身が、荒巻さん同様、このようなベタな世界を好んでいるからに違いないと思いますね。それにしてもアニマの名前がアンアンではなあ(^^ゞ
「真白き渚にて」は、誰からも変わっている、変、と言われつづけている(外的に観察すれば)独語癖とみえる(中年)女が主人公(話者)。彼女は自然界が語りかけてくる言葉が聞け、会話できる(内的には)。本編は海辺にやって来た主人公が「渚」と会話し、次第に愉快になってゆきます。てことは主人公は死ぬために海辺にやってきたのだったのでしょうか?

 小説では、例えばアンアンという語の選択とか、ベタな要素が鼻につくこともあるのですが(ただしそれがうまくハマると『白き日旅立てば不死』のような傑作にもなるのですが)、受動的に聴くラジオドラマという装置に流し込まれたそれは、意外に臭みが取れていて、荒巻感性にとってラジオドラマはなかなか親和的かもな、と思わされました。

 

Re: 「和田宜久ショートショート・ファイブ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月22日(土)21時47分19秒
返信・引用 編集済
  > No.4135[元記事へ]

承前、講評集聴了。いやあ面白かった。竹本健治さんの投稿作品が朗読されてビックリ。やっぱり理屈っぽい話でした(>おい)(^^;
 和田宜久は初期のトリッキーな作風から、内的なムードで読ませる、いわば海野久実っぽい作風にどんどん変わっていったみたいですね。で、そっちを担ってゆくのかと思っていた石清水和人はいつの間にか消えてしまいます。(私は前半の一年目しか聴いてなかったので、この頃の和田作品は全く知らなかったのです)
 そんななかで「忘れるのがこわい」という作品は、内的な、心理学的なテーマがアイデアになっており、その意味で両者を共に満たす秀作でした。これ、もっと長くすべきですね。もうされてるのかも知れませんが、もしまだだったらリクエストしたいなあ。そういえば、<緑葬館>に発表された「少年たちのハイウェイ」の原型も投稿作品だったんですね。18枚(19枚?)とのことですが(改稿作は40枚くらい?)、「忘れるのがこわい」もエピソードを具体的に書けばそのくらいになりそう。
 最後の「面倒な自然の決まり」、作者名が聞き取れなかったのですが、当然和田さんですよね。と聞くのは和田作品的には異色な感じがしたので。これもよかったです(^^)
 いやあ懐かしい音源で堪能しました〜(笑)

 懐かしいといえば、こんなの発見↓。故川村尚さんのポップスインピクチャーではじめて接したときはおったまげましたなー。懐かしー。私は2曲めのバラードが大好き。
 
 

Re: 「和田宜久ショートショート・ファイブ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月22日(土)10時47分49秒
返信・引用
  > No.4131[元記事へ]

海野さん
 なるほどねえ。あとから書き手が追加されたということは、それなりに各放送局で好評だったんでしょうね。嵯峨さんはそうしますと、本社に戻って企画みたいな仕事だったんでしょうかねえ。葵企画って、現在は一部上場企業なんですよね。でも嵯峨さんはすぐ離れられたんですよね(調べているとどうもヘッドハンティングみたいですね)

 さて承前。二枚目のCDより、「眉村さんによる和田宜久チャチャヤング投稿作品全講評集」(!)を聴いています。これ、3時間30分もあるんですよね(それだけ膨大な作品を投稿されたということですね)。とりあえず1時間分聴きました。いやー当時のラジオの前で耳をすませていた感じがよみがえって来ました(笑)。13分30秒あたりで、大学に合格したばかりの小野霧宥生出演。小野霧さん、声が若い(^^;。声が若いというのは、スキだらけという意味です。全く防衛的なところがない話しぶりで、現在の一分のスキも与えないご本人とは隔世の感あり、は誤用か。それもそのはずで、録音の中では大学に合格したばかりの小野霧さんも、今年めでたく定年退職なさったんですよね。うーむ(汗)。
 話は戻って、ショートショートファイブ作品の原型(?)が投稿されていたことに気づいた。えっとここまでで3本、4本?
 そのなかで、投稿された「懺悔の時」の原型について、眉村さんが懇切に改良案を述べられているのですが、ファイブ掲載作品はまさにその改良案を殆ど取り込んで改稿されたものになっていたのが面白かった(笑)。
 「ナイフで」という作品は、海野久実に通ずる作風で、眉村さんも和田宜久について、先回私が述べたのと同じようなイメージを持っておられたようで、それでこういうオチに頼らないムード的な作品は珍しい、といっておられますね。その前に「もっと内的なものを」という要望を挙げられていて、私はこれがひとつの回答なのかなと思いました。
 その後石清水和人名義でも投稿され(これ眉村さんわかっていてボケてはるんですかね)、海野久実に通ずる路線は石清水名義で書かれるようになってゆくみたいですね。
 あ、そういえば和田宜久、S・A、宇井亜綺夫、南山鳥27が揃い踏みで読み上げられる週があって、今更ながらすごいショートショートコーナーだったんだなあ、と感慨ひとしおなのでありました。
 

Re: 「和田宜久ショートショート・ファイブ」

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月22日(土)08時40分52秒
返信・引用 編集済
  > No.4131[元記事へ]

>その他の作品は録音できなかったということでしょうか?
そういうことです。
当初は札幌ラジオで放送されていたので、はなから録音はあきらめていましたが、その何年か後に山陽放送(岡山)で放送されているのを発見。
ラジカセを車に乗せて岡山側へ1時間ぐらい走って録音しに行ってました。
この時は週一回しか放送はなく、つまり、5週間に1回しか僕の作品が放送されなかったんですね。
この山陽放送の録音が、状態が悪い物です。
まあ、もっと岡山に近い所へ行けばきれいに録音できたんでしょうけど。
で、これは全てが放送される前に終わってしまいました。
その後毎日放送でもやってるのを見つけたんですが、これはプロ野球シーズンで中断したり、新しいメンバーが混じっていたりで、順番がバラバラで、やはりいつの間にか終わっていました。
全国のラジオ放送局で、トータルすると結構な回数放送されていると思うんですが。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: パイロット版拝受

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月22日(土)00時32分33秒
返信・引用 編集済
  > No.4132[元記事へ]

かんべさん
 おお、今日はSF検討会兼忘年会でしたか。楽しいひとときだったみたいでなによりでした。しかしけっこうキケンな会話がとびかったようですなあ。きょーてえ、きょーてえ。
 と思ったらこっちにまで火の粉が。「競艇は住之江、筐底は地蔵堂」なんて、きょーてーきょーてー、勘弁してつかーさい(^^;
 話が飛びますが、山尾悠子さんもふだんは岡山弁を使っておられるんでしょうか。あの顔でおいりゃーせんのお、とか言われたら困っちゃいますねえ>ナンノコッチャ。

>パイロット版
 ひいき目でなく、それなりの作品が集まったと思っています。楽しんでいただけたら幸いです。

>チャチャヤン本編の音源
 お安いご用です。色々集まってますので、CDにコピーしてお送りさせて頂きますね(準備できたらメールいたします)

>バーター的に
 なんて、そんな水くさいことは言いませんですよ。とかいいつつ、

>小松・筒井・半村、そしてかんべという、若き日のラジオ番組の音源
 うわー、これは喉から手が出てきます。ぜひぜひ。

 よろしくお願いしますm(__)m
 

パイロット版拝受

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2012年12月21日(金)21時41分55秒
返信・引用
  本日夕刻より、堀氏「穴蔵」にて、定員2名のSF検討会、
兼忘年会を開催。「嫁さんもSF研なんやから、知っとるやろ。
帰って聞いてみ」「そんなこと、聞けますかいな。妙齢の娘が
3人もおるのに」とか、「長生きせんといかん。先に死んだら、
○○や××に、追悼文やコメントで、何を言われるかわからん」
とか、盛り上がって大爆笑でした。そして帰りかけたところ、
管理人さんからの預かり物とて、チャチャヤンSSマガジンの
パイロット版をいただきました。なるほど。これでしたか!
ありがとうございます。とりいそぎ、御礼まで。
チャチャヤン本編の音源も、機会がありましたら聞いてみたく、
本日、堀氏に預けてきましたが、こちらには、小松・筒井・半村、
そしてかんべという、若き日のラジオ番組の音源があります。
バーター的に御検討いただきますれば、恐悦至極に存じ奉ります。
ともあれ、競艇は住之江、筐底は地蔵堂にて。何のこっちゃ!
 

「和田宜久ショートショート・ファイブ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月21日(金)18時56分55秒
返信・引用 編集済
   海野さんから「ショートショートファイブ」和田宜久作品の録音が9本入ったCD と、もう一枚、いろんなものを入れて下さったCDの、計2枚が届きました! 海野さん、ありがとうございました。
 さっそくショートショートファイブを拝聴。そうそう。これですよ。和田宜久ショートショートって、こんな味なのでした。現・海野久実とはずいぶん作風が違うんですよね(以前も書きましたし海野さんからレスも頂いたのでしたが、どっちがいいとか悪いとかそんな話ではありませんよ(^^;)。和田宜久のイメージは、アイデアを簡潔な、切り詰めた文体に乗せてさらりと描き、「うまい!」とリスナーを唸らせる、そんな作家だったんですが、まさにこのCDの9本がそれでありました。9本の中では「マンネリ」がマイ・ベスト!
 ところで、掲示板の過去ログを読み返していたんですが、ショートショートファイブに和田さんは28本の作品を提供されたんですよね。で、「結局残ったのは9本」と言っておられましたが、ということは、その他の作品は録音できなかったということでしょうか?
 2枚目は眉村さんの他、荒巻義雄や別役実のラジオドラマが入っているとのことなので、こちらはゆっくり聴かせていただこうと思います。
 ともあれ貴重な録音を、本当にありがとうございましたm(__)m
 

「眉村卓ショートショート・シアター」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月20日(木)21時22分58秒
返信・引用
  > No.4129[元記事へ]

 承前。「11)<1979/3/29>拾得物」ですが、いま、『C席の客』の同タイトル作品を読み、それから録音を聴取しました。たしかにそのドラマ化でした。ただし原作(9枚程度)を何倍にも膨らましてあって、印象的には別作品と言ってもよさそうなほど。余談ですが、こういう、他人の作品を膨らまして別作品に仕立て上げるのって、案外私に向いているかも。今頃気づいても遅かりしですが(^^;。
 閑話休題。このドラマのラストでナレーターが「眉村卓のショートショート・シアター第一回」と言っておりました。てことは、第二回、第三回などもあったんでしょうか? 「男のポケット」の時間帯でイレギュラーに放送されたのでしょうか? このへんも知りたいところですなあ。
 

Re: しつこくラジオドラマ(訂正済み)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月20日(木)11時09分11秒
返信・引用 編集済
  > No.4128[元記事へ]

 段野さんから「男のポケット」のCD(2枚)が届きました! 段野さん、ありがとうございました。
 中身はまだ殆ど聞いていません。あとでゆっくり聞かせてもらうつもり。
 とりあえず文庫版との異同を確認してみました。→下記。
 で、確認したこと。
 ● 文庫の順番と放送の順番は同じではなかったようです。
 ● 一本、文庫に収録されてないがあります。「7)<1979/3/1>熱中屋」です。ただしタイトルが変更されているのかも知れません。まだ中身を聞いてないので。←コピペミス訂正しました。
 ● もう一本、「11)<1979/3/29>拾得物」も、文庫の収録作品名には見当たりません。しかもこの作品だけラジオドラマ仕立てになっており(通常は眉村さんの朗読)、《ショートショートシアター》と(放送の中でも)述べられていますから、別番組なのかも。ただし放送日的には連続しており、特番だったのかも知れませんね。段野さんは覚えておられないでしょうかねえ。なお、『C 席の客』に同タイトルが収録されています。これもちゃんと聞いてからご報告。
 ●「15)<1979/4/26>金色のパスポート」 と「 16)<1979/5/10>総合カード」の間に「5/3」が抜けているようです。単に録音できなかっただけなのか。それとも 祝日の特別プログラムで放送がなかったのか? これも段野さん、覚えてないでしょうねえ(^^;

     ――――――     ――――――     ――――――

『ぼくたちのポケット』 80.11.10 角川書店 <作品集> ――

 ※「 )」内の数字は放送順


   鉛筆削りコンクール
   ボールペン騒動
3)<1979/2/1> ぼくのペン(僕の万年筆)←( )内は段野さんのメモのタイトル(=放送時のタイトル)
2)<1979/1/25> 悪癖(悪い癖)
   悪運
   財布
9)<1979/3/15> 古いガマグチ
1)<1979/1/18> 借りた鍵
12)<1979/4/5>定期時間旅行券
   何でも免許証
16)<1979/5/10>総合カード
15)<1979/4/26>金色のパスポート
5) <1979/2/15> 万能手帳
   落とし主
   Kのハンコ
   ふたつの写真の話
   マッチおくれ
   ジャクリン氏
   シガレットケースの底に
   広告文
   サングラスのむこう
   扇子の風
14)<1979/4/19>臨時講師
   登山とお守り
   センチな話
6) <1979/2/22> 万能切符(万能定期券)
4) <1979/2/8> 半券コレクター
8)<1979/3/8>最終レース
   松山さん
   パチンコ玉
   夢のような話
   白紙のカード
   明細書のブルース
   あるラブレター
   辞表
10)<1979/3/22> 占いの流行
   旅は道づれ
   会社の歴史
13)<1979/4/12>フィンガーカメラ
   ポケットのウィスキー
   タグレバさんのくすり
   決闘
   発明物語
   怪物の夢
   ガイドと客たち
   未来現在過去
   テレビニュース
   おいしいもの
   刺激
   利き味大会
   合成食品
   偶然にも
   必然的に
   もしも
   昔の予言
   能力について

<不明>
7)<1979/3/1>熱中屋

<ショートショートシアター>(ラジオドラマ)
11)<1979/3/29>拾得物(C席の客?)

     ――――――     ――――――     ――――――

放送順
1)<1979/1/18> 借りた鍵
2)<1979/1/25> 悪癖(悪い癖)
3)<1979/2/1> ぼくのペン(僕の万年筆)
4) <1979/2/8> 半券コレクター
5) <1979/2/15> 万能手帳
6) <1979/2/22> 万能切符(万能定期券)
7)<1979/3/1>熱中屋
8)<1979/3/8>最終レース
9)<1979/3/15> 古いガマグチ
10)<1979/3/22> 占いの流行
11)<1979/3/29>拾得物(C席の客?)<ショートショートシアター>(ラジオドラマ)
12)<1979/4/5>定期時間旅行券
13)<1979/4/12>フィンガーカメラ
14)<1979/4/19>臨時講師
15)<1979/4/26>金色のパスポート
16)<1979/5/10>総合カード


 

Re: しつこくラジオドラマ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月18日(火)23時10分57秒
返信・引用 編集済
  > No.4127[元記事へ]

段野さん
>自分でもCD化して残しておきたいくらいなもんで
 テープからパソコンに取り込んであるのなら、何枚でもCDにコピーできるんじゃないですか? テープからのコピーは時間がかかって大変だったと思います(お疲れ様でした)。ですがCDへのコピーは一瞬なので、ご自身の分も、それは絶対にデジタル化して残しておくべきだと思いますよ。さらなるスキルの研鑽に邁進されんことを祈念するのであります(^^ゞ。

 閑話休題。今回の投票率の低さに対して、ツイッターを漫然と辿っていると、ツイッターでつぶやいているのはやはり20代、30代が大半だろうと思うのですが、自分たちの年齢層が投票に行かなかったため、老人たちの望む政策を掲げた党が圧勝したようにつぶやいている人が多い。
 これはどうも私には違うように思えるのです。上の構図は前世紀には当てはまるパターンで見慣れたものですが、小泉以降、このパターンは完全に崩れているのではないか。
 今回に限っては、これまで皆勤賞だった層が、どこに投票すべきか困惑して投票所に足が向かなかったところへ、風に流される浮動票が自民に回った結果、投票率低下→自民圧勝という、一見前世紀を思わせるパターンになったように思うのですね。もしくは中高年の投票者が(上記の理由で)減った分、相対的に若年層の比率が上がったとも考えられそうです。
 そんな次第で、ツイッターを眺めていて首をひねっていたのだが、そんな中で「ツイッターは若者を代弁していない。いくつかある塊のひとつにすぎない。2ちゃんねるやニコ動のクラスタでは自民圧勝を大喜びしている」と、数字を示して指摘している人がいました。
(→https://twitter.com/phopecapiks/status/280470773582401536 https://twitter.com/phopecapiks/status/280465073871409153
 実際のところはどうなのか。実投票者数を年齢別(世代別)に集計した資料はないんでしょうかねえ。前回(民主圧勝)のそれと比較したら面白い傾向が見えるような気がします。出口調査では年齢とかは聞かないのかな。
 
 

しつこくラジオドラマ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年12月18日(火)15時11分10秒
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  海野さま、高井さま、管理人様、悲しいことにちんぷんかんぷんなのであります。とりあえずCD化はしたのですが果たして聞けるのでしょうか。(自分のパソコンでは再生できた)テープの状態はいいだけに悲しい(涙)自分でもCD化して残しておきたいくらいなもんで。ところでここ最近、掲示板に近づくことができませんでした。何故だかわからないのですが。とことん嫌われているのかしらん。(うう、悲しい)諦めずに取り組みたいと思います。皆さまには、またご教授をよろしくお願いいたします。  

「コナン・ザ・バーバリアン」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月17日(月)22時11分25秒
返信・引用 編集済
   「コナン・ザ・アドベンチャー」に引き続き、DVD「コナン・ザ・バーバリアン」(11)を観ました。
 さすがにロードショー映画だけあって、CGもふんだんに使われて異世界(といっても地球の蒼古世界ですが)を満喫できました。テレビ版がてなもんや道中記的な(よい意味での)可笑し味や軽さがあったのに対し、こちらはもろリアル・コナン。首は斬り飛ばされるわ、鼻はもぎ取られるわで血しぶきの嵐(笑)。やっぱり斬られたら血がピュッピュッ吹き出さなければあきません(そういう作りでなければ様式美に収斂してしまいます)。これぞコナンのオリジナル型に近いです(シュワちゃんのはもう覚えていません。CGが使える分、本作のほうが世界観的には上ではないかな)。女だっておしとやかさみたいな近代女性観をひきずらず、修道女のくせにあっけらかんと殺戮してゆくところも、ハイボリア的にリアルでよい。まさにバーバリアンの時代のバーバリアンの物語で、楽しめました(^^)

追記。しまった。「コナン・ザ・アドベンチャー」見終わったこと、記録し忘れていました。
 

「風の王国5」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月16日(日)22時44分24秒
返信・引用 編集済
  海野さん
>発送は月曜日ぐらいでしょうか
 楽しみにしています!

 さて、平谷美樹『風の王国5 渤海滅亡』(ハルキ文庫12)読了。
 昨日の書き込み後読み始めて、その日のうちに(3時過ぎ)読了。いやー今回も面白かった。今回は特に面白かったというべきかも。これまで押さえ気味だった魔術(呪術)じゃなくて霊力が一気に解放され、文字どおりソード&ソーサリーと称して毫もはばかることない物語世界が確立されています。大枠は遼史等で固め、使えるエピソードは使っているんでしょうけれど、史的実在人物も含めてすべての登場人物は著者により魂を吹き込まれて史実の軛を離れた虚構的リアリティを獲得しているように思われます。
 本篇でついに海東の盛国と謳われ、15代230年つづいた渤海があっけなく崩壊します。原因は平和ボケで、本書の記述によれば最後の60年の安逸が為政者の眼を曇らせてしまったのです。といわれると嫌でも気付かされるのが、渤海と我が国の現状との類似ですね。著者は渤海に日本の姿を重ねているのではないでしょうか。渤海の現実感を喪失した外交(下手)が、契丹に易々とつけこまれる余地を開いたのでしたが、安倍新政権が現実無視の新世紀大東亜新秩序的路線に突っ走れば、同様の結末を招来する可能性は極めて高いといえる(笠井潔も結局アメリカは連合国体制維持を優先し日本は見捨てられると考えているようです)。
 いやこれは、わたし的には願ったり叶ったりで、これから安倍さんに一所懸命に頑張っていただければ、ニッポンの解体は一気に現実に見えてくるように思われます。私の妄想では九州を中国が、山陰には韓国が、北海道はロシアが進駐し(下手したら北朝鮮も能登半島あたりを掠めるかも)、東京には国連の暫定統治機構が置かれるでしょう。ある意味山野浩一的世界観が実現するのかもしれない。そうなったとき、日本人は地下に潜ってパルチザン兵士たりえるのか。本日自民党を支持した(浮動票の主体である)人たちは、そういう覚悟を持って投票所に向かったのか?
 そのへんの動向が、渤海の後に契丹によって樹立された東丹国(国王・耶律突欲)下の渤海民衆の行動(とりわけゲリラ部隊須理奴夷靺鞨の活動)として、次巻以下に描かれることになるに違いありません! 問題は靺鞨ではなく高句麗遺民である骨抜された渤海人ですね。著者がどのように描くか興味津々。
 いよいよ環日本海ヒロイックファンタジーとしての本性をあらわしてきた本シリーズから目が離せません!

 なお、本稿はフィクションであり、現実の<風の王国>シリーズとは無関係であることをお断りしておきます(>おい)(^^;

 

Re: Re: ビットレート

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月16日(日)00時56分1秒
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  > No.4122[元記事へ]

> 音楽はともかく、ラジオの朗読でしたら、もっともっと低音質でも気にならないと思いますよ。
そうだと思ってはいましたが、あとで気が付きました。
iTunesはアイポッド用のソフトですから高音質が標準になっているんでしょうね。
> たぶん明日か明後日、拙作ラジオドラマ収録のCDが届くと思います。
ありがとうございま〜す。
楽しみです。

大熊さんへの発送は月曜日ぐらいでしょうか。
今しばらくお待ちくださいませ。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: ビットレート

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月15日(土)23時13分1秒
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  > No.4121[元記事へ] > No.4122[元記事へ]

海野さん、高井さん
 解説ありがとうございます。なるほどなるほど。そういうことですか。そういうことですって、段野さん(>おい)(^^;
 MP3>私もEWI(エレクトリックウィンドシンセサイザー)を録音するときは、WMAをMP3に変換するフリーソフトを使っていますよ。伴奏用にユーチューブからMP3に落としたりもします。(ちょっと対抗心を燃やしてしまいましたー(^^ゞ)

 さてコナン・ザ・アドベンチャー、順調に消化して、残すところあと一話。一種のてなもんや漫遊記のパターンでしょうか。テレビ的には正しい選択。途中でレギュラーキャラが何の説明もなく変わっているのはアクシデントでなければ、キャラ設定がストーリーに合わなかったからかも(主にアクションのスピード感)。マンネリの良さが次第に効いてきました(笑)。ただ低予算(たぶん)で仕方ないかも知れませんが、舞台づくりがロケなのがいささか残念。その辺の里山にしか見えません。CGでもっとそれらしい雰囲気を出してほしいところ。

 『量子怪盗』は進まず。そうこうするうちに『風の王国5』が届いちゃいました。ちょっと時間配分を間違えた。というか冒頭部分予定以上に時間がかかってしまった。
 ということで、ここは一旦中断し、先に『風の王国5』に着手することにします。
 

Re: ビットレート

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月15日(土)22時29分19秒
返信・引用
  > No.4121[元記事へ]

> まあ、ビデオテープで言うところの標準/3倍みたいなものかな。
 私もよくわからないのですが、そんなもんだと思います。
> これをオーディオエディターと言うフリーソフトで編集しようとすると、
 おお、私も使っています。>オーディオエディター
 使い勝手がいいですよね。
> これは変更できるのかと思って設定を見てみると、160kbpsは良音質、128kbpsが標準音質、192kbpsが高音質となってて、選択できるようですね。
 音楽はともかく、ラジオの朗読でしたら、もっともっと低音質でも気にならないと思いますよ。
 たぶん明日か明後日、拙作ラジオドラマ収録のCDが届くと思います。ビットレート64kbps。聴き比べてみてくださいね。
 

ビットレート

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月15日(土)21時55分27秒
返信・引用
  ビットレートとはなんじゃろか?と思ったのですが、調べるのもめんどくさい。
まあ、ビデオテープで言うところの標準/3倍みたいなものかな。
カセットテープからウインドウズに標準で入っているサウンドレコーダーで録音すると、WMAファイルになるんですが、これをオーディオエディターと言うフリーソフトで編集しようとすると、WMAファイルのままではだめで、MP3ファイルにしないといけないんですよね。
そこで、調べるとiTunesで変換ができるらしく、やってみるとビットレートが160kbpsに勝手になってるんです。
これは変更できるのかと思って設定を見てみると、160kbpsは良音質、128kbpsが標準音質、192kbpsが高音質となってて、選択できるようですね。
さらにもっと自由に変えられます。16kbpsから320kbpsまでありました。これは数字が大きいほど高音質で、小さいほど劣化するけれど長時間入ると言う事ですね。
そう言う事も知らずに作った今回お送りするCDは「ショートショートファイブ」がCDフォーマットで、ラジオドラマが160kbpsのMP3ファイルです。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

マッチョなヒーロー

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月14日(金)23時33分13秒
返信・引用 編集済
   おお、高井さんの和田宜久讃!(^^)

 テレビ版「コナン・ザ・アドベンチャー」を見はじめました。全7時間30分! 第一話見た。シナリオはゆるいのだが、映像で挽回しています。こういうマッチョなヒーローは日本のテレビでは絶対出てこないんですよね。カマキリ顔の(シュッとしたとも言う。あ、これは関西方言なのかな)ヒョロッとしたやさ男ばっかりなのはなぜなのか。一般的な日本人の視聴者が求めていないということなのか。まあ、ぼちぼち見ていくつもり(^^;

 『量子怪盗』は160頁。

 さ、続きを見よう。
 
 

ラヴィ・シャンカール逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月14日(金)01時54分36秒
返信・引用
   ラヴィ・シャンカールが亡くなったのか。コルトレーンの息子ラヴィ・コルトレーンのラヴィは、シャンカールにあやかったもの。しかしシャンカールがトレーンを理解したとはとても思えない(アルバム「インプレッションズ」ライナーノート、油井正一のシャンカールインタビュー参照)。片思いだったと思います。
 それよりもノラ・ジョーンズがシャンカールの娘だったとは知らなかった。ウィキペディアを見たら母娘共々シャンカールは面倒を見てませんな。
 
 

紀淡海峡のゴミの島

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月13日(木)20時04分13秒
返信・引用 編集済
   いささか旧聞に属しますが、堀晃さんの12月4日の日記を読んでいて、もう何年も前にテレビで見た「紀淡海峡のゴミの島」のニュース特集をはたと思い出したのでした。
 大阪湾の潮の流れは概ね時計回りに流れているそうで、これを「恒流」というのですが、この恒流に乗って、大阪湾で発生した(あるいは大阪湾に流れ込んだ)すべてのゴミは、廻りまわって紀淡海峡に流れ着き、それから紀伊水道へと排出される。
 ところがこの紀淡海峡、和歌山加太から淡路島にかけて、飛び石的に幾つかの小島(あわせて友ヶ島)が並んでいて、ある意味海峡を塞いでいるのです。
 その結果、外海に出てゆくべきゴミが、友ヶ島のどれだったかの島にぶちあたることになり、その島の東北面の浜は、膨大なゴミがうず高く堆積する事態となっている、それを取材したのが、上記のニュース特集で、実際テレビの画面は、その異様なゴミの島の様子を映し出してもいたのでした。
 これは面白いなあ、宇宙SFに転用したら面白い話ができそうだなあ、と当時思った記憶があります。が、なんせ文才がないもので、いや文才はあるのですが(>おい)、アイデア創造能力がとぼしく、そのうち忘れてしまった。堀さんの日記を読み、おおそういえば、と上記を思い出したのでありました。でも、いまなんとか使えそうなアイデアが浮かびかけているのです(といってもみじか話のです)が、さて(^^;

追記。『量子怪盗』、130頁まで読んだ。

 

逆転無罪

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月13日(木)01時00分11秒
返信・引用 編集済
  高井さん
 なるほど! と言いつつ、このビットレートたらいうのがチンプンカンプンで、いつもマゴマゴしてしまうのですが(^^;
 とにかく23時間弱が一枚のCDに収まるわけですか。文庫収録作品を見ると、ほぼ6枚前後のように思われますので、朗読も6分くらい、余裕を見て10分として、CD1枚138本。ということは大体1枚に収まる勘定ですね。朗読のみの単純計算では。そう思うとすごい容量なんですねえ、CDって(DVDはもっとすごいのか)(^^;

 それはさておき、今回の逆転無罪判決で思ったのは、一番の元凶は目撃者ではないでしょうか?
 一人なのか複数なのか、たぶん一人でしょう。一人として妄想します。
 この人、こうでは? と言われたら、そうなのかな、と本心思ってしまうんでしょうね。だから目撃時のイメージなど、とうに客観的には残っていない。にもかかわらず、自分の中でははっきり、(印象は)連続している、とそう確信している。それを疑わない。そういう人のように私は妄想しました。
 警察も長年の勘で、あ、こいつは信用できんな、と思ったに違いない。しかし、だから慎重になろうと思うか、扱いやすいやつで好都合と思うか、そこが分かれ目で、誘導しやすい後者に流れたのは、ま、警察の慣性としては当然ですわな。こういう、易きに流れる傾向が確実に警察組織にはあることは、ある意味常識でしょう。
 余談ですが、警察小説に存在意義があるとしたら、その辺にメスを入れる志向性がある場合に限る。その辺を回避した警察小説は存在意義がないどころか、むしろ有害であると私は思います。
 ちょっとそれました。
 実は私、この、私が妄想する(実際はどうなのか知りませんよ)目撃者を主人公にした小説なら、書いてみたい気がするんですよねえ。他人に影響されて(誘導されて)、どんどん言うことが変わっていく(記憶が改変されてゆく)のに、本人がまるでそのことに気づかず、首尾一貫していると思い込んでいる、という、そんな主人公(^^;。
 

Re: Re.しつこくラジオドラマ

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月12日(水)23時01分7秒
返信・引用
  > No.4115[元記事へ]

 東海ラジオ「星新一の世界」を録音する際、MP3形式のフォーマット、ビットレート64kbpsに設定しました。20分番組が130回、30分番組で48回。計4040分がCD3枚に余裕で収録できました。ご参考になれば。
 

Re: Re.しつこくラジオドラマ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月12日(水)20時10分2秒
返信・引用 編集済
  > No.4114[元記事へ]

段野さん
 あ、「今日も雨」は、つい最近、斎藤さんから送って頂き、聴取したばかりです。他のでお願いします(貰うのに勝手ですが(^^;)。

>「容量が大きすぎてコピーできません」
 私も素人なので、トンチンカンかも知れませんが、モードが音楽のコピーになっているのではありませんか? その場合74分かそこらしか入らないのです。ふつうのデータのコピーにすればもっと入ります。ということを、以前、海野さんに教えていただきました→こちら
 違う原因かも知れませんが、まずはお試し下さい。

 話は変わりますが、youtubeの仕様が2、3日前から変わっていて、ということに気づいたのが実は昨日なのです。その結果、当掲示板にアップできなくなってしまい、あちゃー、と思ったのでしたが、さっき試したらアップできるようになっていました。掲示板の会社が速攻対応したんですね。さすが生き馬の目を抜く業界ですな。てゆーか、クレームがものすごかったんだと思いますが。
 ということで、ティーカップさんに敬意を表して(^^ゞ
 
 絹の靴下も還暦なのか! と一瞬思ったが、むしろまだ六十なのかという感じですね。私と3歳しか違わないのか。もっとずっと上だと思っていました。でも口が金魚みたいにあきっぱなしなのは、やっぱり息が上がって苦しいからでしょうね(>違)(^^;
 

Re.しつこくラジオドラマ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年12月12日(水)17時14分9秒
返信・引用
  管理人様 早速見てみますと、やはり管理人様のご指摘どおり、「最後のポケット」がないようです。どういった事情で録音しなかったのでしょうか。はや記憶が遠ざかっているようです。今、テープから「今日も雨」をパソコンに入れたところ、「容量が大きすぎてコピーできません」ときました。ああ、パソコンにも嫌われているのだ、とがっくりしたのでした。もっと大容量のCDを使えということなのでしょうか。テープの状態はすこぶる良いのに。このへんがど素人の悲しさ、何とかしなければ。(パソコン本体には書き込みができている状態です)何とか解決策を考えなくてはいけませんね。誰か助けてくれー、という状態です。うう、悲しい。(涙)  

Re: しつこくラジオドラマ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月11日(火)20時09分47秒
返信・引用 編集済
  > No.4112[元記事へ]

段野さん
 「男のポケット」の朗読テープ>それ、すごいですね! まさにお宝ではありませんか!!

>かなりな本数なので、活字化されていたのではないでしょうか。どんなタイトルになって、いつ頃発行されていたのでしょうか。
 おっしゃるとおりで、角川文庫で4冊にまとまっています(『ぼくたちのポケット』(80年11月刊)、『ポケットのABC』『ポケットのXYZ』(82年10月、2冊同時刊行)、『最後のポケット』(85年6月刊)。

>1979年1月18日から放送されています。ラストの録音は1982年6月17日に終わっています。
 文庫の著者あとがきから引きますと、
『ぼくたちのポケット』79/1〜(?)放送分、56編。
『ポケットのABC』『ポケットのXYZ』80/5/26〜82/6/14放送分、42編+43編=85編。
『最後のポケット』 (?)〜85/3/末 放送分、98編。
 合計239編。
 となっています。

 つまり段野さんが持っておられるのは、『ぼくたちのポケット』から『ポケットのXYZ』までの収録分のようですね(ただし眉村さんの記憶では6月17日ではなく、6月14日のようです)。 私は聴取してなかったので想像ですが、6月14日(6月17日)で一旦終了し、しばらくして又(『最後のポケット』分が)再開されたのでしょうか。
 また、眉村さんの記憶では、放送は全326回だったようですが、文庫化された作品数は239編です。この差異(326−239=87)も気になりますね。(こちらに「もくじ」を掲載しています。もし可能だったら引き比べて頂ければ、何が文庫本未収録か確認できるのですが)

 いずれにしても、大変貴重な音源をお持ちですね。しっかり保存していただきたいです(オークションに出品したらトンデモナイ価格が付くかも(^^ゞ)

 ※ちなみに高井さんは、「男のポケット」のリスナーへのプレゼント用だったのではないか、と推測される『ぼくたちのポケット』の、変わりカバー版を持っておられるんですよねー。これもオークションものかも(^^;
 

しつこくラジオドラマ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年12月11日(火)14時20分16秒
返信・引用
  管理人さま、早速テープをとりだしてきました。「男のポケット」はなんと眉村さんご自身の朗読によるショートショートだったのです。各タイトルが眉村さんみたいな感じだったので、もしや、と思って今再生中であります。かなりな本数なので、活字化されていたのではないでしょうか。どんなタイトルになって、いつ頃発行されていたのでしょうか。1979年1月18日から放送されています。ラストの録音は1982年6月17日に終わっています。ちゃんとノイズもなく無事残っていました。あとはCDにコピーが無事できるかどうかにかかっています。祈るのみです。  

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月11日(火)06時01分25秒
返信・引用 編集済
    夜のリズム



 出発するために乗った列車は、いっかな降りる駅に到着しなかった。


 わたしは〈残された時間〉が気になって仕方がない。なぜか居ても立ってもいられないような気持ちに追い立てられていた。次の停車駅で降りるということは判っているのに、(もう時間がない、時間は残ってないのだ)という、胸が苦しくなるほど切羽詰まった気分が迫ってきて、その差し込んで来るような強迫感に苛々と気が急くのだが、列車は一向に降りる駅には到着せず、一体、この列車にどれくらい前から乗り続けているのか(一時間前からなのか、一日前からなのか、それとも一年前? ひょっとしたらもっとずっと昔からなのかも知れない)ということさえも、実は判然としなくなっていた。
 わたしが乗っているのは、近頃では絶えてお目にかからなくなった恐ろしく時代遅れの――樫材であろうか――木製の車輌で、車内は艶出しのニスが分厚く塗り込められて、透明な飴色の暗い光沢に耀いていたのだが、あろうことか車体が驚くほど長かった。
 どれくらい長いのかといえば、後続車輌との連結部の扉を背にして前方を見ると、前の車輌との連結部の扉が、遙か彼方に霞んで見えるほどなのだ。そして、その遠く小さい前方の車輌との連結部の扉に向かって、延々と延びる細い通路の両側には、ふたり掛けの座席が――向かい合わせのボックスではなく――あたかも劇場か教会の座席のように、進行方向に向いてずらりと並んでいて、そのありさまは、通路を挟んで、その両側に二人座れるきりしか座席がない、鉛筆のように細長い劇場の客席に見立てられなくもないのだが、他方、それはどこか異様に体長の長い百足の節足を連想させて、いささか不気味でもあった。
 さらにその上、天井が、これもまた劇場のように途轍もない高さで、一応そこには蛍光灯が取り付けられているのだが、そんな高みからの照明ではとても車内をくまなく照らし出すというわけにはいかないから、あたりはずいぶんと薄暗かったし、もとより隅の方は、光線が充分に行き届かず、そこかしこの物陰には、犬ほどの大きさの闇が何匹も澱み蟠っている。
 かように巨大長大な車輌であるにもかかわらず、乗客はわたしを含めてたったふたりだけしか乗っていないのが――他の車輛の状況は判らない――不思議といえば不思議で、しかももうひとりの乗客というのは、長袖の黒っぽいワークシャツに黒のジーンズ、黒のブーツに黒い野球帽を目深に被った男なのだが、がらんと空いた座席の――もちろんそれは、車内の他の部分と同様、飴色に耀く木製の、クッションどころかクロスもない剥き出しの堅い座席で、背もたれが直角に固定されているところなどは、そうだ今思い出した、郷里の街の駅下がり商店街の突きあたりにあった映画館で、幼い頃、年齢の離れた姉によく連れていってもらった〈キネマ旭座〉の客席にまったくよく似ていた――その座席のどこに座ってもかまわないはずなのに、なぜかそうせず、隠れるように昇降デッキの自動扉に凭れて、その男は両脚を投げ出しているのだった。
 一方、わたしは窓際の座席に座って、窓ガラス越しに外を眺めている。ガラスが蛍光灯の光を反射するので、外の様子は見づらい。窓を開けて見たいのだが、窓枠の両端に付いている、バネ錠を親指で押さえながら上下に動かす式の車窓は、どうやら壊れているらしく、窓は開かないのだ。窓ガラスに顔を貼り付け、目のまわりに、手のひらで反射を遮る覆いを作って覗いてみるのだが、ガラス越しに見る外の様子はまっ暗闇、後ろへ飛び去っていくものの影の存在が辛うじて判るばかりで、その影が具体的に何であるのか――家並みなのか、工場群なのか、それとも森とか丘であるのか――は一切判らない。
 ただレールとレールの繋ぎ目を、列車の車輪が通過するたびに生じる、がたんごとん、がたんごとん……という単調な音の繰り返しと、それが堅い座席を伝わって、一定のリズムで臀部に響いてくる振動だけが、外からやってくるすべてだ。


 時折、後ろの連結部の扉を開けて車掌が姿をあらわした。
 青い制服の痩せた車掌は、しかし切符を改めるでもなく、また何かを告げるために車輌を回っているわけでもなさそうで、ただ黙って、ぶらりぶらりと通路を通り、わたしの横を過ぎて前方の車輌に――次第に小さくなりつつ――消えていく。そして、車掌が通っていったということすらわたしが忘却してしまうほどの時間が過ぎ去った後、ふたたび、今度は遠くに霞む前方の連結部から小さな点としてあらわれ、近づくにつれその姿は大きくなって、後ろの車輌へと戻っていくのだが、わたしは車掌が横を通り過ぎるたびに呼び止め、降りる駅まであとどのくらいなのかを訊ねる。
「ああ、もうすぐですよ、もうすぐ」
 反っ歯で丸い眼鏡をかけたねずみ男のような顔立ちの車掌は、手にした業務手帳を開いて時刻表を確かめるというお座なりなポーズすら取ろうともせず、気のない返事を返す。
「もうすぐったって、さっきもそう言っていたじゃないか」
「もうすぐですよ、もうすぐ」
 車掌はゆらりゆらりと後部車両へと去っていく。そのような交わらない言葉のやりとりの場面が幾度あったろうか。外の景色は、相変わらず曖昧に夜の闇に溶け込んでいてよく判らない。ただ車輪から規則的に音と振動が伝わってくるばかり。がたんごとん、がたんごとん……と、単調なリズム……夜のリズム……


 ――いつしか、私は眠り込んでいたらしい。どれくらい眠っていたのだろう、途方もなく永い夢を見ていたような気がする。ガタン、と車体が大きくかしぎ、わたしは前につんのめって目ざめたのだ。
 列車が減速を始めたのだろうか? わたしはぼんやりそう考える。と、それまで昇降デッキの自動扉に凭れて、影の紗幕にひっそりと隠っていたもうひとりの乗客――黒づくめの男――が立ち上がり(わたしはその男が車内にいたことすらすっかり失念していたので、闇が凝って異形の何かが立ちあらわれたものかと一瞬ギョッとしたのだったが)わたしの方へゆっくりと近づいてきた。
「***」
 黒づくめの男がわたしの名前を呼ぶ。「もうじきに到着だよ、降りる準備はよろしいか」
 返事を返そうとして、突然わたしは、自分が喋ることさえ困難なほど猛烈な疲労というか、困憊していることに気づく。もとより立ち上がるなどできない。閉じようとする本能に抗って目を見開いているのが精一杯だ。その間にも列車は、車輪を鋭くきしませて減速をつづけ、やがてごとん……とひとつ、車体を揺すって停車する。扉がごろごろと左右に開く。
「到着したよ。早く降りなきゃ、またすぐ出発しちゃうよ」
 と言いながら、網棚からわたしの荷物を下ろしている。
 ――ああ、判っている。
 と、呟くのだが声にならない。相変わらずからだは動かず、何とか声をふり絞って、「あんたはだれだ」
「あんたはだれだって?」
 わたしはおかしくなって、「僕がだれだか、あんたはよく知っているはずじゃないか?」
 わたしは――苦労して――片目をつぶってみせる。もちろんよく知っている。夢から醒めたばかりで、頭がぼんやりしていたようだ。
「降りないんだったら、僕はここで失敬するよ……」
 わたしはひょいと、申し訳程度に帽子の庇に手をやり、じゃあ、と口を歪め――網棚から下ろした荷物(黒のナップ・ザック)を肩に担いで――駅へ降り立つ。プラットホームは無人だった。さっと吹き抜けていった夜更けの風が心地よかった。見上げると、上空は曇って星の姿は見えない。しかしホームには裸電球がひとつぶら下がっていて、侘びしい黄色の光をその周囲にだけ投げかけている。見回すと列車の進行方向とは逆の方向に、跨線橋へ繋がる階段が見えた。荷物を担ぎ直し、わたしは階段に向かって歩き出す。


 それでもまだしばらく、扉は開いていた。しかし(車掌が鳴らすのだろう)ヒュィィィ、という掠れたような笛の音――わたしにはそれが風の吐息のように聞こえた――を合図に、扉は閉まる。ごとり、と列車が動きはじめる。
 ――ああ、そうだ。車輌を乗り替わっておけばよかったんだ。
 そう胸のなかで呟くが後の祭り。わたしは気怠さに身を委ねて目蓋を閉じると、電信柱のようにぼうっと突っ立っている駅員に、抛るように切符を渡して改札口を通り抜ける……



                                     RITMO DE LA NOCHE,  inspired  DiMeola
 

Re: 皆さまへ

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月10日(月)19時46分53秒
返信・引用 編集済
  > No.4109[元記事へ]

段野さん
>必ずやお手元にはお届けする決意です
 いや決意だなんて、そんな大層な。二年でも三年でもお待ちしてますので、ぬるーくお願いします。アナログテープのコピーは、CDのように一瞬というわけには行きませんものね。
 

皆さまへ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年12月10日(月)13時11分21秒
返信・引用
  ラジオドラマの件、コピーするのに時間くださいませ。何せ、やり方が分からない(!)ものですから。管理人様、そういう訳で、必ずやお手元にはお届けする決意ですので。R-typeさま、よろしくお願いいたします。調べておきますので。  

みじかばなし集

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月10日(月)04時41分4秒
返信・引用
  「はい。こちらは〈あの世〉です。本日の業務は終了しました。ご用の方はピー、という発信音が鳴りましたら、お名前と電話番号をどうぞ。住所も忘れずお願いします。明朝、早速参上いたします。ピー!」
 慌てて受話器を切った。
 

Re: こんなの。

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月10日(月)01時06分44秒
返信・引用
  > No.4106[元記事へ]

海野さん

>こんなの
 おー、いいですねえ(^^)
 楽しみ。ですが急ぎませんよ。仕事や趣味に差し支えない程度に、合間合間に作業して下さいね(^^;
 私もようやく「捩子」見直し終了。3度見直ししてもまだ打ち間違い(送り仮名ミス)が見つかって、心が残るのですが(最終的に虫眼鏡を引っ張りだしてきた)、とりあえずチェックお願いした尾川さんに送りました。

>ブラッドベリで、まだ読んでいない作品があったのか〜なんて
 本の表紙にはブラッドベリのクレジットはありませんからね。これはよほど気をつけて調べないと気づかないかも知れませんね。私も購入してはじめて、あ、共作だったのか、と気づきました。
 何でしたらお送りしましょうか? 
 

こんなの。

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月10日(月)00時25分21秒
返信・引用
  こんな事に凝っている時間があったら早く送れよって?

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: よろしくお願いします。

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 9日(日)22時03分21秒
返信・引用 編集済
  > No.4102[元記事へ]

R-typeさん

>NHK−FM「芸術劇場」
なんて聞くと、わくわくしますね。
「芸術祭参加作品」なんて言うのも、それだけで興味をそそられました。
特にNHKテレビ、ラジオね。
最近のはそうでもないですが。
ラジオドラマはほぼその頃に集中して、熱心に聞いていました。

別役実さんの「病院のある風景」は録音があります。
あと、「太郎と花子の伝説」「二階のある家」「ふな屋のいる街」「担当者は不在」「ガラスの壁の中で・夕日を見るX氏」なんてのがありますね。
テレビドラマの音だけを録音した「あの角の向こう」「うわさの委員会」も、聞くと映像が浮かびます。
ラジオドラマはYouTubeにいくつかありますね。

いやしかし、荒巻義雄さんの小説、読み返してみたくなって来ました。
手始めに「神聖代」かなー
殆ど覚えてないので、初めて読む感じで読めるかも。


管理人さん

リイ・ブラケット『赤い霧のローレライ』の作者が、レイ・ブラッドベリに見えてしまった。
「題名」の「ローレライ」のレを一緒に読んでいたみたい。
で、何たる不覚!と思いましたよ。
ブラッドベリで、まだ読んでいない作品があったのか〜なんて。
今になって気が付きました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「赤い霧のローレライ」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 9日(日)15時29分7秒
返信・引用 編集済
   リイ・ブラケット『赤い霧のローレライ』鎌田三平編(青心社文庫91)読了。
 前回はそんなに昔ではなく、たぶん10数年前なのですが、ストーリーはあらかた忘れていました。ムードはしっかり残ってましたが。つまりストーリーで読ませる作家ではないということでしょう。
 やっぱりよいですねえ(^^)。同じスペオペでも、最近のニュースペースオペラの源流にブラケットやムーアは注ぎ込んでないと思います(あえていえばスミスかも)。ベストは「金星の魔女」。でも魔女じゃあないですねえ。原題は「Enchantress of Venus 」で、辞書を引いたら「魔女」も載ってましたが、もうひとつの訳語である「魅惑的な女」の方に近い。「金星の蠱女」はどうか(^^ゞ

 ひきつづきムーアの<ジョイリーのジレル>に着手しようかと思っていたら、『量子怪盗』が最近のニュースペースオペラとは一線を画す(古い)作風らしいので、そっちを読んでみようか、と思案中。

 PDFでショートショートをアップしてみました。ちょうど旧作を改稿したところだったので。
 いやチャチャヤン雑誌関連なんですが、紙版だけではあまりにも反応を期待できない(だって会員以外には10部も出回っていない)ので、紙版と並行して電子版も視野に入れてみようかなと。その実験であります(^^; →こちら

追記。ここで眉村さんの的確な助言を掲げておきましょう。
「 よくこれだけ退屈なものが書けたもんだ、そう云う感じは作品を発表した後で屡々受けるものである。/ 自分の感情が過多だったのではないか、表現が至らなかったのではないか、また、素材に難点があったのだろうか。/ 一応それはそれでいいと私は考える。過去の作品の手直しをするよりは、これからのものに、努力を傾注するのが、当然ではないだろうか。その時々に全力をそそいであったならば、それは作者の力である。済んでから手を入れるのは、感情の再現を前提とせぬかぎり、邪道である。」(「捩子」32号「ぼくの言い分」より)
 

Re: よろしくお願いします。

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 9日(日)00時14分52秒
返信・引用
  > No.4102[元記事へ]

R-typeさん

 あ、『時の葦舟』も傑作ですね。『神聖代』と一、二位を争いますが、わたし的には鼻の差で『神聖代』です。『白き日旅立てば不死』はそういう最先端をゆく話ではなく、荒巻さんの(ブッキッシュな)ノスタルジー世界ですね。

>友人と騒ぎながら毎月読んでいました。
 学習雑誌連載でそういうことはなかったですが、中学時代がちょうど星、小松を皮切りに第一世代が順次文庫化されはじめた時期なので、みな同じ文庫本を読んでいるわけです。その意味で友人たちと騒ぎながら読んでいましたね。いまは本が多すぎて、そういう体験はあり得ないかも知れませんね。

>「SFマガジン」「スイングジャーナル」「COM」に繋がって行きました。
 おお(^^)
 ジャズ喫茶などは行かれましたか? 「COM」にはついに縁がなかったですねえ。ジャズには複数の入口から入ったんですが、その中には筒井→山下トリオという入り口もありました。
 

よろしくお願いします。

 投稿者:R-type  投稿日:2012年12月 8日(土)18時13分53秒
返信・引用
  管理人さま

「白き日旅立てば不死」「白壁の文字は夕陽に映える」も大好きですが・・・
ボク的ベストは「時の葦船」です。
思い出しただけでたまりませぬ!ww

眉村卓氏とのファーストコンタクトは「天才はつくられる」でした。
たぶん当時の学習雑誌に連載されていたのですよね。
友人と騒ぎながら毎月読んでいました。
その頃に「SFマガジン」「スイングジャーナル」「COM」に繋がって行きました。
「世界」への「夏への扉」だった訳ですね。(^_^)
その後大人になって古本屋で
秋元文庫「天才はつくられる」を見つけたときは、
とても嬉しかったですよ。
そそ。安部公房「第四間氷期」もその頃出会ってます。
SFマガジンに宣伝が載っていました。♪

>「開けない夜は無い!」
ほんとですねぇ。
「SF第1世代」の作家(って、今言うのかな?(^_^;)たちの無意識の恐怖対象であった
「核兵器」や「焼け跡」「ナチズム」等々・・・今はぼくにもザックリきます。
もっとも、ぼくは不安神経症なんだろうけど。(苦笑)


海野さま

なるほど。74年あたりのNHK-FMなのですか!
ぼくは自分で録音始めたのが78年あたりでして
(ラジオドラマもJAZZのライブも)
それ以前の録音Tape(オークションで手に入れたオープンTape)
の録音日などを昔の雑誌で探したりしていました。

70年代の放送に興味ありまして・・・
(自分も放送に関わったりしてるので)
「音源」というより「放送自体」みたいな。(笑)
それで古いFM誌とか探しております。

74年のは残念ながらまだ無いのですが
1973年のものを見ていましたら・・・
1973年8月24日(金)22:10〜23:05 NHK-FM「芸術劇場」(mono)
〜ドラマ名作選〜「われらの時代」小松左京
(昭和42年10月29日放送)

というのがありました!
この時間枠だったんですね。
この「われらの時代」は「NHKアーカイブス」でぼくも録音しながら聴きました。
大阪弁たっぷりの!ww
しかし「ラジオ深夜便」の中で放送してくれたのですが
途中でみごとに天気予報だったか交通情報だったかが入り
とても残念だったです。(>_<)

同じ流れで・・・
1973年8月31日「芸術劇場」
〜ドラマ名作選(終)〜「病院のある風景」別役実
というのがありました。
海野さんは聴かれたのでしょうね。
ぼくはFMシアターの「帰ってきたジョバンニ」しか
「別役もの」は知りませんでした。
寺山修司のように別役氏もCDが出れば良いのになぁ・・・ぼそっ

段野さま

>「ビーナスの狩人」(原作者分かりません)
J・G・バラードですよぉ。ううう・・・いい!!

わぁ、またラジオドラマネタになってしまいました。(^^ゞ
もちろん小説も好きですので・・・よろしくお願いします。
 

Re: 遭遇!

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 8日(土)08時34分9秒
返信・引用
  > No.4099[元記事へ]

R-typeさん、はじめまして。

> 海野さまのライブラリーの荒巻物はどこで放送されたものでしょう?

僕のこの録音は、殆どがNHK・FMラジオからの物ですよ。
ドラマはAM放送はウオッチングしてませんでした。
FMは当時NHKしか入りませんでした。
眉村卓さんの「日曜日ごとの町」が1974年4月29日の放送で、荒巻さんのもその前後だったと思います。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: 遭遇!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 8日(土)02時46分39秒
返信・引用 編集済
  > No.4099[元記事へ]

 R-typeさん

 おお、私も荒巻義雄は大好きな作家です(山尾悠子も)! 濃厚な幻想小説がお好みなんでしょうか。『神聖代』は最高傑作だと思いますが、ドイツロマン派ぽい『白き日旅立てば不死』も捨てがたいですねえ(^^)。

>「開けない夜は無い!」
 というのは、いま在るこの日常が、かならず連続し持続してゆく、という根拠のない「思い込み」ですよね。安部公房がまさに『第四間氷期』で「不連続」を導入してそれを批判したのでしたが、最近では笠井潔さんがツイッターで「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなる」という「ニッポン・イデオロギー」を指摘していました。
 3・11は、まさにそれ(今日の次には明日が来る)が、そんな根拠もなしに確信できるものではないことを、はっきり証明してみせたわけですが、いかんせん大方の日本人はそれでも主体的に考えることを厭って現実を直視しないわけでありまして、笠井さんも「福島原発事故に続いて夏の尖閣危機でも(ニッポン・イデオロギーの)不滅性を証明した」となかば突き放していますね。→ここ
 貴投稿を読み、私も遅まきながら、あ、そうか、『夜が明けたら』は、そのような視点から読むことができるな、というよりそのように読むべきなんだな、と気付かされました。おかげで本書に対する「見る目」がぐんと広がったように思います。
 

遭遇!

 投稿者:R-type  投稿日:2012年12月 7日(金)23時27分52秒
返信・引用
  ほんとにびっくりでした!
熱心に「検索」したりしない自分なのですが
・・・出会えました!
「2001年〜」のように「大きな時間のズレ」も無く!
感謝であります。

>管理人さま
3.11以前は地震を怖いと思ったことがないのでしたが、
あれ以後は「根源的恐怖」と直結で結びついてしまいます。
と言っても千葉県と東京の境でありまして、直接的被害にあったわけではないのです。

「収集」と言う程のものでは全然ありません。(^_^;
でも「音」も好きでして・・・「ラジオドラマ」も「音表現」として大好きです。
「録音」という行為も好きなのですが。(^_^)

地震で思い出したのですが・・・
以前TBSラジオで「ラジオ図書館」というラジオドラマ番組がありました。
小松左京氏の「夜が明けたら」を放送していました。
(小松氏の新年あいさつ&解説付き)
地震が起こり、朝が来ない。地球の自転が止まったらしい・・・
というドラマでしたが、一切音楽を使っていなくて、効果音だけ。
いやぁ、寒そうで(お正月)怖かったのを思い出しました。
「開けない夜は無い!」と力説する方がおられますが
「無い・・・ことも無いかもしれない」と最近はチャチャを入れたくなります。

小松氏の追悼雑誌とかでも「小説」「映画(映像化)」「レコード」といった
全お仕事の中・・・「ラジオドラマ(化)」とかは触れていないですね。(T-T)

昔の段野さんの情報によると
関西地方では「眉村卓氏の番組」があったそうですね。
うらやましい限りです。

>海野さま
カセットの写真・・・うらやましく(よだれを流し)拝見しました。
(きれいなインデックスですね!!)
当方荒巻氏ファンなのですが(あと山尾悠子氏!)
荒巻さんのラジオドラマは「無限への崩壊」(NHKのアドベンチャー)と
「神聖代」(音の本棚)しか知りませんでした!
海野さまのライブラリーの荒巻物はどこで放送されたものでしょう?
是非教えていただけませんでしょうか。

>段野さま
覚えてはいらっしゃらないかもですが・・・
Tapeの「トロキン」が途中で終わってました。
オリジナル録音がそうなのでしょうか?
(気になって仕方ありません(^_^;)
 

Re: 段野さんのコレクションすごい!

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 7日(金)23時12分34秒
返信・引用
  > No.4097[元記事へ]

海野さん

 わ、申し訳ないです。よろしくお願いします。
 でもあまり無理なさらないように。急ぎませんから。
 

段野さんのコレクションすごい!

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 7日(金)22時09分25秒
返信・引用
  テープからパソコンに取り込もうとすると、パソコンの音が出ない。
そんなあほなー
再起動したら出るようになりましたけどね。
なんだったのだろう。

作業続行。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: はじめまして。

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 7日(金)20時53分30秒
返信・引用 編集済
  > No.4095[元記事へ]

R-typeさん
 はじめまして。管理人です。ご来信ありがとうございました。地震、大丈夫でしたか?
 R-typeさんはラジオドラマの録音(主にSFの)を収集されているのでしょうか。実は当掲示板でラジオドラマが話題になるのはめったにないことで、段野さんがテープを収集されていることも、先の投稿ではじめて知った位なんです。丁度話題が盛り上がったところに、検索でヒットされたようですね。タイミングがよかったですね(^^)
 段野さんは、当板を毎日閲覧してくれているわけではないようなので、R-typeさんのご投稿を読まれるのは、もしかしたら少し先になるかも知れませんね。しかしレスは必ずあると思いますので、時々覗きに来ていただけたらと思います。
 というよりも、これを機にご贔屓にして頂ければ幸いです。眉村さん情報はどこよりも早く正確であると自負しております!(^^ゞ
 よろしくお願い致します。

 ということで、さっそく眉村さん情報を!
 来年早々発売予定の大森望編『NOVA9』(河出文庫)に、眉村さんが登場されます!→こちら
 リンク先ではまだ作品名が発表されていないのですが、私は知っています!
 しかし公式に発表があるまでは私もガマンすることにしましょう(>おい)
 当ホームページにもゆかりのある作品ですよ。
 ということで、期待して発表をお待ち下さい(^^)

 

はじめまして。

 投稿者:R-type  投稿日:2012年12月 7日(金)18時29分2秒
返信・引用
  管理人さま、みなさま

先ほどかきこして
段野さんのTapeを探していましたら・・・地震!(;゜ロ゜)

過去ログを見させて頂きました。
先ほどかいた「眉村卓ファンクラブ」が
もしかしたら・・・みなさんなのでは?
何だか・・・ぼ〜っとしてしまいました。

段野さんには「ヴィーナスの狩人」の他
「今日も雨」「小松左京短編集(音の本棚)」「真夜中のサスペンス」などなど
聴かせて頂きました。
写真は「音の本棚」の「2001年宇宙の旅」。
当時段野さんが全部にメモをして下さりました。
(段野さん、ご自分の文字・・・覚えていらっしゃいますか?(^_^))

当方もまだSF好きやってます。
ラジオドラマ、JAZZ等も相変わらずです。
何だかたくさん変わったmonoもあるのですが・・・
相変わらずのものも・・・こうやってあるのだなぁ。

本当にびっくりしてしまい動転しております。
急な書き込みでお騒がせです。(^_^;
 

段野さん!!

 投稿者:R-type  投稿日:2012年12月 7日(金)16時17分42秒
返信・引用
  割り込み申し訳ありません。_(._.)_

段野のり子さん!!

大昔「SFマガジン」に載っていらした「眉村卓ファンクラブ」当てにお手紙して
ラジオドラマを聴かせて頂いた者です。
あのときは・・・突然の見ず知らずの者にカセット聴かせて下さり
本当にありがとうございました。

あのときの「ビーナスの狩人」はマイ・フェイヴァリットになりました!
(その後NHKのAMでも聴けました!)
ほんとに感激で・・・ありがとうございました。

ここはたまたま「荒巻義雄ラジオドラマ」で拝見しました。
うう・・・うらやましいお話を・・・(歓喜)

管理人さまにも失礼をお許し下さい。
 

Re: 「アバター・オブ・マーズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 7日(金)01時14分44秒
返信・引用 編集済
  > No.4092[元記事へ]

高井さん
 『火星のくも人間』は傑作でしたねえ。私も最初は講談社版で読みました。小学校高学年で大阪市立中央図書館の小中学生室に入り浸るようになって(あまりに頻繁に借りに行くものですから司書のお姉さんに憶えられてしまい、外で声をかけられたこともあったほど)、そこでたまたま手に取った講談社版火星シリーズが面白くて一気にハマりました(でも全巻は揃ってなかったような)。バルスーム事典も作りましたよ。もう残っていませんが。
 で、中学生になって創元文庫版を知り、揃え始めたのですが、辞書を作ったくらいですから、ワルフーンがワフーンになってたり、プタルスがプタースだったり、スビアがサビアだったりと、訳語の違いに非常に違和感を感じたのを覚えています。まだこんなことを書いているくらいですから、いまだに引きずっているわけで、刷り込みは怖いですねえ(^^;
 でもさすがに、ターザンシリーズまでは食指が伸びませんでしたので、高井さんには敵わないのでした(笑)。
 

Re: 「アバター・オブ・マーズ」

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月 6日(木)23時09分32秒
返信・引用
  > No.4091[元記事へ]

>  「火星の蜘蛛人間」の話で作ってくれはしまいか。
 おおっ。激しく同意します。
 記憶は忘却の彼方の深淵の奥深くに埋没しているのですが、私が小学生のころ、初めて読んだバローズは『火星のくも人間』ではなかったかと思うのです(創元版では『火星のチェス人間』)。あまりの面白さに狂喜し……。私にとって、〈火星シリーズ〉中の最高傑作です。
 管理人さんのおっしゃる通り、『火星のプリンセス』よりも映画向きと思います。

 ちなみに、〈ペルシダー〉で最も好きなのは第5巻『栄光のペルシダー』ですし、〈ターザン〉は『野獣王ターザン』『恐怖王ターザン』の2部作です。新しいシリーズの開始直後は手探り状態。何冊か書いているうちにバローズ本来のストーリーテリングが冴えてくるのではないかと思います。
 

「アバター・オブ・マーズ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 6日(木)22時33分28秒
返信・引用 編集済
   DVDで「アバター・オブ・マーズ」を観ました。主人公ジョン・カーターは米軍特殊部隊の隊員で、アフガンかどこかで特務中に瀕死の重傷を負う。軍は、生前の契約書に従って死にかけた肉体から精神を取り出し、何百光年も離れた火星とそっくりな系外惑星に(植民可能か確認するため?)テレポートさせる(肉体は新しく再生されたもの)。
 まあ現代が舞台なので、ナイーブに火星とすることができなかったんでしょう。猪口才な小細工ですな(^^;。
 けっきょく行った先はサーク族がおり、難破した飛行艇からヘリウムの王女デジャー・ソリスがカーターによって救出されるパターンに。
 それはいいのですが、この世界、サーク族とヘリウムしか存在していません。原作の世界からはずいぶん矮小化されています。サブ・サンが、実はアフガンでカーターを裏切った現地人――というのも話をちいさくしている。それもまあ許すとしても、テンポが遅いのは致命的。せいぜい1時間もののドラマを90分に引き伸ばしたような感じ。
 CGはなかなか良く出来ています。飛行艇はかっこいいのだが、出番はほんのわずか。空気製造工場をメインに据えたのもよい着眼でしたが、そこでのチャンバラはチャチ。ということで、90分使うなら、もうちょっと色々詰め込んでほしかった気がします。
 それにしても、「ジョン・カーター」も本作も、原作第一巻が下敷きで変わり映えしません。「火星の蜘蛛人間」の話で作ってくれはしまいか。CGなら、頭だけ生物(頭から即蜘蛛のような触手が生えている)が首なし人間の首に挟まって、触手で脊髄と直結し、コントロールする、気持ち悪い絵柄を十分に表現できるし、それこそCGの醍醐味なんじゃないのかなあ(^^;
 

ラジカセ文化論

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 6日(木)18時12分49秒
返信・引用 編集済
  > No.4088[元記事へ]

段野さん
 おお、宝の山ではありませんか!
 平谷さんだったか、「ラジカセ文化」ということを言っておられましたが、たしかにラジカセの出現が、当時の若者(=我々です)のライフスタイルを劇的に変化させたのですよね。エアチェックというやつです。
 いままで一回的だったラジオ放送が何度も聴き返せるようになった。とりわけ音楽です。同時期に出現したFM放送での音楽番組で、聞ける音楽が、知識も含めて、一気に拡大し(アルバム単位での聴取の一般化)、しかもそれをエアチェックし保管しなんども聴き返すことが可能となって、「お小遣い以上」の情報をゲットできることになって(それまではお小遣いの範囲でしか音楽は広がりを持ち得なかった)、私たち世代の音楽的なセンスは、前代に比較してきわめて広く深くなったと思います。それはもはや連続的と云うよりも断絶的・超越的といってよいかも知れません。
 音楽以外でも、皆さんのように、ラジオドラマやいろんな放送をエアチェックされていたわけです。しかし、これは私はほとんど(いや全く)しなかったので、いま新鮮な驚きに打たれています。
 その意味では、私自身はあんまりラジカセを使いこなしてなかったかも。音楽放送の録音は専らステレオセットのカセットレコーダーでしたね(私は高1のとき、そういうことに詳しいクラスメートについてきてもらって、日本橋の中川無線でステレオセットを購入したのでした。もはやそのことを知る人も少なくなりましたが、日本橋は当時電気街、電気屋さんのひしめく街だったのです>おい(^^;)。
 ラジカセ自体は後継録音装置に取って代わられましたが、ライフスタイルは持続して今に至っているんじゃないでしょうか。

 ということで、段野さん、うちのカセット装置は、聴けないわけではありませんがもはや時間の問題なので、CDもしくはDVDにコピー可能でしたら、眉村さん原作のラジオドラマを所望いたします。よろしくお願いします。
 

調子に乗って

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年12月 6日(木)14時59分54秒
返信・引用
  書き込みができるようになって、調子に乗ります。他のラジオドラマでは、「アルジャーノンに花束を」眉村さんの「青白い月」「ビーナスの狩人」(原作者分かりません)「ツィス」(広瀬正)「餓えた宇宙」(小松左京)「星空の訪問」(語り・半村良)筒井康隆短編集、星新一短編集、「タイムスリップ大戦争」(豊田有恒)「大放浪」(田中光二)「神聖代」(荒巻義雄)小松左京短編「発狂した宇宙」「富豪刑事」(筒井康隆)眉村さんゲスト「あなた」「ジャズ大名」「夏のよる、夢をみてしまった」(眉村さん)「パチャカマに落ちる陽」そして原作者が分からないのですが、タイトルをみると眉村さんではないかと思われる「男のポケット」などなど。ちゃんと聞くことができればいいのですが、カセットレコーダーにかけたら消えていた、なんてことにでもなればどうしようもないですもんね。、  

ラジオドラマ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2012年12月 6日(木)14時19分28秒
返信・引用
  ええ、やたらとラジオドラマの話が多いようなんですが、聞こえるかどうかわかりませんが、私も何本か録音しています。一例をあげますと、眉村さんゲストの「馬場章夫です」ドラマの「もう一つの時間」(すべりこんだ男)眉村さん語りの「ぶらり、コーベ、オーサカ、京都」ドラマの「トロキン」そして「きょうも雨」などなど。あと星新一のショートショートなどなど。カセットにかけると消えているかも知れませんが、ご興味のあるかた、いかがですか。特に管理人さまにはいかがかと。





 

Re: Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月 6日(木)09時54分27秒
返信・引用
  > No.4083[元記事へ]

 海野さま

 起床してネットにアクセスしてみれば、とんでもなくありがたいコメントが!

> たぶん「ショートショートファイブ」の他の方の作品に興味をお持ちなんだとは思いますが、手掛かりとしては僕のこの作品しかないと言うわけですね。
 いえいえ。最も興味があるのは海野さんの作品です。戸倉さん、柴野さん、荒巻さんのショートショートは、おもにファンジンではありますが、けっこう読んできましたから。
> ですからたった一部手元にある物を差し上げますね。汚れ放題、変色、痛み放題なので覚悟しておいてください。
 うわあ。ほんとにいいのかな、と思いつつも、固辞する器量は持ち合わせておりません。
> 高井さんのコレクションにしていただけるとは幸せな奴です。
 そう言っていただけると嬉しいです。もちろん死蔵はせず、有効活用させていただきます。
> それでは録音のCDも一緒に送る事に致します。
> なるべく早くとは思うのですが、少々お待ち下さい。
 ありがとうございます。特に急いではいませんので、お時間のあるときに。

> 高井さん原作のラジオドラマ!ぜひお願いしたいですね。昔からラジオドラマが好きでした。
 了解しました。そんなにたくさんはなくて、3時間半くらいです。
 ほかに、拙作ではありませんが、『アルジャーノンに花束を』『冷たい方程式』『マイナス・ゼロ』のテープも残っていました。録音状態が悪くて聴き取りづらいですが、もしご希望でしたら、これらも入れておきます。当時はラジカセを持っていなくて、ラジオのそばにテープレコーダー(オープンリール)を置いて録音していたような……。それぞれをつなぐということには思い至らなかったのです(苦笑)。

 本当にありがとうございます。感激しています。(ちょっとしたお礼も考えております。これは届いてからの、お楽しみ)
 それと、こういう場を設けていただいている管理人さんにも感謝!
 

Re: Re:Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 6日(木)02時06分6秒
返信・引用 編集済
  > No.4084[元記事へ]

海野さん
>「緑葬館」を買ってもらったあの日
 あ、意外に早い時期だったんですね。私が眉村さんのご自宅にたむろしていたのはせいぜい79年までですから。
 ということで一つ疑問が氷解。ヨカッタヨカッタ(その心はまたお会いした時にでも(^^;)。

>この頃は絵を描くのが億劫になって来た頃で
 てことは逆説的にコラボ型作家であったことを証明してますね(笑)
 上下二段の下段全部使ってのイラストなんて、私には到底考えられないことです。私の場合カットやイラストは、あくまで「従」の位置づけで、文字を詰め込まないと気がすまないですねえ。何せコルトレーン信者ですから(>それは違う)(^^;

 高井さんの住所をダイレクトメッセージでお送りしました。
 

Re:Re: Re:Re: ショートショートファイブ

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 6日(木)01時58分37秒
返信・引用
  あ、「ショートショート20プラス1」を読みなおしていて、放送時間についての記述がありましたので。
実は「ショートショートファイブ」に書いた作品で、1本だけ没になった物があります。それは「性教育」と言う作品なのですがタイトル通りちょっとあれな作品です。
嵯峨さんがおっしゃるには、内容が内容だけに放送時間帯を見合わせるとちょっとまずいと言う事でした。
最初に放送されたのは札幌ラジオで、その時は午前11時に放送されていたのです。

放送された物からの20作品に、この没になった作品1本を加えたと言うわけで「ショートショート20プラス1」と言うタイトルになったのでした。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:Re:Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 6日(木)01時31分54秒
返信・引用
  > No.4082[元記事へ]

>しおやたかしは(ソノラマ文庫に著作がある)塩谷隆志では?
あー、そうなんでしょうね。
名前を聞くだけですから、漢字が解らないですから。草川隆さんだけは当時知っていました。
>草川隆は私の高校の国語教師のポン友だったんです。
わおー。なんと言う。
しかし今更ながらわずか15歳ですごい人たちと仕事をしていたんですね、僕(違!)

>「わたしは知らないですね」とのお返事でした。
>それはいつ頃のお話でしょうか? 上記調査に関連して重要なので。
岡山で放送されていたのが1975年ごろでしょ。僕はチャチャヤングが終わってからのち、眉村さんにお会いしたのは、大熊さんに「緑葬館」を買ってもらったあの日しかないので、たぶんあの日あの場所だったと思います。
それ以後はつい最近、神戸文学館に飛んでしまいますからね。

>やはり海野さんは、最初から文章と画像のコラボの人だったんですね。
うーん、この頃は絵を描くのが億劫になって来た頃で、写真などをトレスしてアレンジする感じでしたね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re:Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 6日(木)01時19分22秒
返信・引用
  > No.4081[元記事へ]

高井様。
たぶん「ショートショートファイブ」の他の方の作品に興味をお持ちなんだとは思いますが、手掛かりとしては僕のこの作品しかないと言うわけですね。
「ショートショート20プラス1」はトレーシングペーパーに手書きで書いて、青焼きコピーしたものです。元の原稿が残っているのを確認した上で(まず確実に残っています)お譲りしてもいいと思います。今ではもう青焼きコピーの機械もないので、新しく作ることはできませんしスキャンして印刷すると雰囲気が全く違うものになりそうですね。
ですからたった一部手元にある物を差し上げますね。汚れ放題、変色、痛み放題なので覚悟しておいてください。
高井さんのコレクションにしていただけるとは幸せな奴です。
それでは録音のCDも一緒に送る事に致します。
なるべく早くとは思うのですが、少々お待ち下さい。

高井さん原作のラジオドラマ!ぜひお願いしたいですね。昔からラジオドラマが好きでした。
音だけで絵を想像するってなんかいいんですよね。
テレビドラマを音だけ録音して聞いて想像して楽しむなんて事も良くやっていました。

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Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 6日(木)00時42分0秒
返信・引用 編集済
  > No.4079[元記事へ]

 わ、晩酌のあとでこたつに入ったら、熟睡してしまいこんな時間に!

海野さん
 詳細なデータをありがとうございました。
 しおやたかしは(ソノラマ文庫に著作がある)塩谷隆志では? 草川隆もジュブナイルで(当時)活躍していた作家。なのですが、検索してみたところ略歴が全く存在してない(ネット情報の偏りを実感します)。実は草川隆は私の高校の国語教師のポン友だったんです(いわゆる文学仲間。眉村さんにおける捩子みたいな)。たぶん眉村さんと同い年と記憶してます。塩谷隆志も今調べたら1934年生まれ。荒巻さんは一つ上。
 そんな中に伍して執筆されていたとは! 出版芸術社の本が<新青年>作家と勘違いするのもむべなるかなですなあ(>違)(^^;
 そういえば嵯峨さんの調査も止まっているなあ。ショートショートファイブについてもお聞きしておきたいですね。

>「わたしは知らないですね」とのお返事でした。
 それはいつ頃のお話でしょうか? 上記調査に関連して重要なので。

>この「ショートショートファイブ」の録音も一緒に送りましょうね。
 楽しみにしておりますm(__)m

>別役実
 そういえば、たしか『幻覚のメロディ』には別役実が採録されていましたね。眉村さんもそれなりに注目しておられた作家なんでしょうか。あとで引っ張りだしてきて読み返してみよう。

 画像拝見。素晴らしいです。やはり海野さんは、最初から文章と画像のコラボの人だったんですね。
 で、たしかにこの画像を見せつけられたら、ショートショート研究家の高井さんとしては、コレクター魂を揺さぶられずにはいられませんよね。
 ということで高井さんの件、もし可能なのでしたらよろしくお願い致します。
 
 

Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月 5日(水)21時07分28秒
返信・引用
  > No.4079[元記事へ]

 海野さま

 面識もない方(拙ブログでの接触はあるにせよ)に、こんなお願いをするのは失礼と承知しているのですが、我慢できず……。

「ショートショートファイブ」、興味あります。興味ありすぎます。
> 僕は、当時自作の「ショートショートファイブ」の作品をまとめて、手書きのコピー誌を作っています。(ショートショート20プラス1)まあ、せいぜい10部ぐらいしか作らなかったと思います
 もし万一、在庫がありましたら、ぜひともお頒けいただきたいのですが、残っていないでしょうねえ。
 ダメ元で書いてみました。

> まあ、この「ショートショートファイブ」の録音も一緒に送りましょうね。
 私の分も、できればお願いいたします。
 私の小説を使ったラジオドラマをCDにまとめようとして、パソコンに取り込んであります。出演番組なども一緒に入れようと思い、しかしそれはあまりにも煩雑で、ほとんど進まないまま頓挫中。もう何年も経ってしまいました。で、まだ1枚もCD化していません(苦笑)。
 もしご希望でしたらCDに焼き、差し上げます。

 図々しくて、申しわけありません。私の連絡先は管理人さんに聞いていただければ。
 

別役実

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 5日(水)20時28分1秒
返信・引用
  「書き下ろし新潮劇場」は結構集めています。別役実は「椅子と伝説」「移動」ぐらいかな。筒井さんの「スタア」のほかに星さんの「にぎやかな部屋」もありましたね。
三一書房から出ている別役実戯曲集は殆ど集めていますよ。

あ、今検索してると、ネットの古本屋さんで「椅子と伝説」(入手困難)とあり、1万円の値段が付いていました。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

Re: ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 5日(水)19時56分13秒
返信・引用
  > No.4078[元記事へ]

そうですね。ネットで検索しても殆ど引っかからないのは何でなのでしょうかね。
僕は、当時自作の「ショートショートファイブ」の作品をまとめて、手書きのコピー誌を作っています。(ショートショート20プラス1)まあ、せいぜい10部ぐらいしか作らなかったと思いますが、その「あとがき」に結構詳しく経緯を書いてあるのでそれをどうでもいい所は端折って書いてみます。

「ショートショートファイブについて」
眉村氏の紹介でラジオ番組「ショートショートファイブ」の原稿を書いてみませんか?とのこと。一週に5本放送で月曜から金曜までで、毎日作者が代わりました。僕は金曜日が受け持ち。他の作者は荒巻義雄氏、戸倉正三氏、小隅黎氏と言うメンバーで、戸倉さんが週二回担当し、4人で週5本の放送です。
それからというもの、毎週毎週書き続け、僕の作品だけで28本にもなりました。1本原稿用紙3枚、1枚について原稿料××円、総額いくらかは計算してください。
その28本の中から面白そうなのを21本選んで自分でカットを入れたのがこの「ショートショート20プラス1」です。殆どの作品に手を入れて、少しづつ長くなっています。
はじめ、書いて行くそばから放送されていた放送局は北海道は、札幌ラジオ。(1972年)北海道では聞く事は出来ないと諦めていたのですが最近(1975年)毎日放送で再放送されています。
毎日放送では、番組改編の時に番組と番組のつなぎと言うか時間調整?にやっているらしく、1975年4月から5月頃まで放送して休み、また8月から9月までやり、現在はまたお休み中。時間は夜の12時25分から。そのうち再開されるといいのですが。
また、岡山県の放送局、山陽放送でも放送されています。こちらは毎週土曜日に1本放送されるだけなので、すこぶるゆっくりしたペースですね。山陽放送は僕の家ではよく入らないので僕の作品が放送される順番の時は、岡山へ向けて約1時間車を飛ばして録音しに行っています。こちらは、夜10時15分から。こちらは現在放送中。
所がこの岡山の放送では、オリジナルメンバー4人以外の人の作品がちらほら混じっています。ヤマザキミツオさん、シロヤマノボルさん、シオヤタカシさん、草川隆さんです。この中でシロヤマノボルさんの作品は殆ど面白くない。この方は素人でしょう。
毎日放送で4本、山陽放送で3本僕の作品を録音する事が出来ました。

以上が「ショートショート20プラス1」の「あとがき」からの引用です。

付け加えると、この「ショートショートファイブ」と言う番組は嵯峨ディレクターさんの所属していた番組制作会社「葵企画」の制作だったと思います。眉村卓監修と言う感じね。
たぶん東京のスタジオで録音されて、色んな地方の民放ラジオ局に売られていたんではないでしょうか?だからもっといろんな全国の局で放送されていたはずだと思います。

5分間の番組で正味3分ぐらいです。朗読が始まる前に中近東風の音楽が鳴り、女性のナレーターが「ショートショートファイブの時間が参りました。今日は海野久実作「歩道橋」をお送りします。出演は高木均さんです」と言う感じで朗読に入ります。
終わると同じ音楽が流れ、「ショートショートファイブ。今日は海野久実作「歩道橋」を高木均さんの出演でお送りしました」で終わります。
「ショートショート20プラス1」を作った時は7本録音していましたが、その後2本増えてますね。結局残ったのは9本です。

何曜日が誰の担当と言うのはちょっとわからないですね。新メンバーが入って来て順番がバラバラになったようですね。ところで、この新メンバーの事を眉村さんにお聞きした事があるんですが、「わたしは知らないですね」とのお返事でした。

まあ、この「ショートショートファイブ」の録音も一緒に送りましょうね。
ぼちぼちやりますので、首を長くしてお待ちください。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

ショートショートファイブ、と、レスなど

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 5日(水)17時47分42秒
返信・引用 編集済
  海野さん
 ダイレクトメッセージへのお返事はこちらに書かせてもらいます。ダイレクトッセージって形式は私には短すぎて使い勝手が悪いのと、ある一定の期間が過ぎると履歴が消えちゃうのですよね。これも困りものです。単なる用件のやり取りだけなら便利なんですが。

 ショートショートファイブって、チャチャヤン以上に忘れられてしまってますよね。というか私は、チャチャヤン後半は殆ど聞かなかったので、番組自体の存在も知りませんでした。だから一度も聴取したことがありません。のちに創研に入って知りましたが、それもそんな番組があったということくらい。貴DMではじめて、へえ毎日放送の番組だったのか、と(^^;
 ネットで検索しても海野さんのこちら以外は皆無に等しい。
 これはいささか問題ありかも、と思いました。きちんと残しておきたいものです。
 ということでお聞きするのですが、1)放送開始と終了はいつ? 2)月から金までとのことですが、放送時間は何時から何時まで? 2)何曜日は誰の担当? 3)枚数に制限はあったの? 4)どんなふうに進行したのか? リンク先のyoutubeは正味の朗読ですが、この前後に進行役がいたのでしょうか?
 そんなところでしょうか。覚えておられる限りでかまわないので、教えていただけませんか?

追記。わ、投稿へのお返事を忘れていました。
 「飛べ!クマゴロー」の録音はめちゃめちゃ希少価値がありますね。こういうのこそ蒐集するに値します(^^;
>眉村、荒巻作品はお送りするとして、
 ありがとうございます! お言葉に甘えさせていただきます。
>あと興味がありそうなのが有るでしょうか?
 別役実は私も興味があったのですが、結局新潮社から出た読む戯曲(「書き下ろし新潮劇場」? 「スタア」とか出た双書)で出たのを読んだくらいで終わっちゃいました。海野さんが面白かったのを一本お願いします。
 以上、よろしくお願い致しますm(__)m

 

Re: 眉村さんの録音(その2)

 投稿者:海野久実  投稿日:2012年12月 5日(水)12時27分16秒
返信・引用 編集済
  えー、倉庫をごそごそ探して来ました。
ラジオドラマ関係のテープはこれだけありました。(20数本)写真1
眉村さんの原作は「今日も雨」と「日曜日ごとの町」ですね。
後もう一本あったかなと思ったのが「とらわれの町」ですが内田文子さんの作品でした。
荒巻義雄さんは2本あります。
「青きニルバーナ」と「真白き渚にて」です。写真2
筒井さんの「ジャズ大名」は放送されているのに気が付いて、慌てて録音したので途中からになってしまいました。
あと、「飛べ!クマゴローただいま大奮闘」の録音もありました。写真3(クリックで拡大するか?)
これはショートショートを主に残し、面白いお便りも取り入れた編集版です。
あ、そう言えば僕もお便りを出して読まれたんですが、それも入っているかも。

眉村、荒巻作品(ラジオドラマ)はお送りするとして、あと興味がありそうなのが有るでしょうか?
僕は別役実さんが好きで、彼のラジオドラマが結構多いですね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

「赤い霧のローレライ」

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 5日(水)01時46分50秒
返信・引用 編集済
   ここ数日、中村融さんのブログはムーア話が続いていて(今日はジョイリーのジレル)、そのせいでむしょうに古いスペオペが読みたくなり、『暗黒神のくちづけ』を探していたら(私はNWスミスはいまいち買ってなくジレルのほうが面白い)、勿論それは発掘はできたのだが、その下から『赤い霧のローレライ』が現われた。
 おお、こっちがいいや、と表題作を読みました(ムーアよりもブラケットのほうが好みなんです)。
 やっぱり良いですなあ。いや佳いですなあ。特にこの作品はブラッドベリとの合作ということで、ストーリーは多分ブラケットが専ら担当しているんでしょうけど、設定にはブラッドベリらしい雰囲気が横溢していて(赤い霧とか)、楽しめます。
 最近はミリタリ系のスペースオペラは訳されても、こういう所謂スペオペはとんとお目にかかれないですよね。残念でなりません。

追記。ウィキペディアを見たら、前半がブラケット、後半がブラッドベリらしい。そうなのか。後半のほうが断然よいのですが(^^;
 

ふしぎ文学館

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 4日(火)20時56分44秒
返信・引用 編集済
   高井さんのブログの記事で知りましたが、出版芸術社の〈ふしぎ文学館〉シリーズが刊行50冊に達したそうです。まことに喜ばしい。おめでとうございます。
 この〈ふしぎ文学館〉、独特の切り口のセレクションが大変素晴らしいのは言うまでもありません。しかしながら別にベストセラーを狙うわけでもない、はっきりいって地味なシリーズですから、これを維持継続してゆくのは並大抵ではないことは、素人の私にだって分かります。そんななかで、しかもこれまで1巻として絶版や品切れをさせてないとのこと。よほど版元に、良書を読者に届けるという、強い「意志」と「出版者魂」がなければ、このような偉業は達成し得ない(*)。まさに出版人の鑑というべきではありませんか。出版芸術社に栄光あれ!
 周知のようにこのシリーズからは、眉村卓『虹の裏側』、かんべむさし『トロッコ』、高井信『ダモクレス幻想』、中井英夫『幻戯』など、実際シブいアンソロジーが目白押しなのですが、そのうちの1巻、『妖異百物語〈第1夜〉』に、和田宜久さんの作品が収録されていたことを、皆さんご存知でしたでしょうか。こちらでラインナップが見れますが、なんか和田さん、こうやって並ぶと、まるで戦前の文豪みたい(笑)。どういう経緯でこんなところに紛れ込んじゃったんでしょうねえ(^^ゞ
(*)某H書房の〈プラチナ・ファンタジー〉の腰砕けぶりを見れば、それは一目瞭然。関係ないですが、そのうち文庫SFなんて全部ペリー・ローダンになっちゃうんじゃない?(ーー;
 

ガリ版など

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 3日(月)23時13分24秒
返信・引用 編集済
   高井さんがご自身のブログでさらにガリ版談義をなさっています。
 私も驥尾に付してもう少しばかり(^^;
 上は1973年12月発行。この文章自体は私ですが、ガリ切りしたのは誰か別人です。もはやカクカクと線を引くガリ版フォントの影も形もありません。「日本沈没」は年末封切りだったんですねえ。
 あ、そうだ、これは鉄筆ではなくボールペン。この頃ボールペン原紙というものができたんですね。非常に簡単になりました。しかしボールペンの先ですから線が少し太くなりました。と書きつつも、ボールペン原紙ってどのように使用したのか、全く思い出せないことに気づいた。どんどん記憶が漏れ落ちてゆきますなあ(ーー;

 下は75年9月発行。文章は他人ですが、切ったのは私。やはりガリ版フォントの影も形もありません。しかしこれは何という印刷方法なんでしょうか? 「定例会作品集」のような青焼きじゃないのです(現に今でもこれだけ鮮明ですから)。この年はすでに高校を卒業していて、仲間の一人が大阪市大に進んだのですが、「おい、学生課の印刷機をただでつかえるぞ」、とのことで出かけていったのを覚えています(私は浪人生だったのだが、9月になってもまだこんなことをやっていたのですね。というか年末になってもまだ遊んでたのですが>おい(^^;)。しかしどんな方法で版を作ったのかも思い出せません。嗚呼。
追記。や、間違えた。75年は私も大学生になってました。前年の74年にも大市大で制作しており、それとごっちゃになってしまいましたm(__)m
   (クリックで拡大)
 

Re: 「捩子」打ち込み完了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 3日(月)01時45分45秒
返信・引用
   おお! では私も(^^;
 上が私の。1972年11月発行で、切ったのは私ではなく、クラスメートの女の子に頼みました。いま気が付きましたが、ガリ切りの素養があったみたいですね。
 下は「捩子」です。「か」とか「る」に顕著。あとここにはないですが、ガリ版独特の略字が使用されています。(クリックで拡大)
 

Re: 「捩子」打ち込み完了

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月 2日(日)23時37分56秒
返信・引用
  >  眉村さんの世代は、というか私たちの世代までガリ版刷り同人誌はふつうだったわけですが、私の周囲ではすでに技術の伝承はすたれていました(高井さんの周辺はわかりませんが)。
 私が初めて作ったファンジンは、当然のことながらガリ版刷りでした。1974年9月10日発行の『ペルシダー・グロッサリー』です。
> 眉村さんたちはしっかりガリ切りの技術をマスターしていて、特有の「ガリ版フォント」で切られているので、現物は読みやすいのだと思います。
 私は全くそんな素養はありませんでしたので……。
 サンプルとして、『ペルシダー・グロッサリー』の冒頭部分を少しだけ。

>  残り2編を打ち込んだら、分からなかった部分を尾川さんに確認していただいて(それでも完全には判らないと思います)、高井さんにもお送りしますので、楽しみにお待ち下さいね(^^)
 ありがとうございます。楽しみにしています。
 

Re: 「捩子」打ち込み完了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 2日(日)22時00分35秒
返信・引用 編集済
  > No.4070[元記事へ]

高井さん
 眉村さんの世代は、というか私たちの世代までガリ版刷り同人誌はふつうだったわけですが、私の周囲ではすでに技術の伝承はすたれていました(高井さんの周辺はわかりませんが)。眉村さんたちはしっかりガリ切りの技術をマスターしていて、特有の「ガリ版フォント」で切られているので、現物は読みやすいのだと思います。ただコピーになると、本が傷まないようコピーするので、しかたがないことですが、どうしても陰影がついたり歪んだりしてしまうんですよね。その部分で判読に苦しんでしまいました。モノが詩なので、前後関係から類推という方法があまり機能しないのも一因。「時間は( )を歪め ( )の夜になってゆく」なんて( )のなかをその前後から類推するなんて殆んど無理です(正解は(色彩)と(犬たち))(^^;
 残り2編を打ち込んだら、分からなかった部分を尾川さんに確認していただいて(それでも完全には判らないと思います)、高井さんにもお送りしますので、楽しみにお待ち下さいね(^^)

『カンパニュラの銀翼』、やっぱり私にはムリでした。
 多分内容的には私の好みのはず。だから読了できたら好意的な感想になると思うのですが、しかし文章に抵抗されてそこまで達することが出来なかったということです。
 なぜこんなあせった文章になるのかなあ。一か月とか二か月、一年とか二年、寝かせれば、それを表現するにもっと妥当な言葉があったことに、きっと作者も気づくはず。てゆーか20年後に読み返した作者が、ぎゃっと叫んで走り出してしまう姿が、わたくしには見えます(おい)(^^;
 どこで引っかかったか例証しかけたのですが、やりはじめたらきりがなくなったのでやめた。(cf:前作の感想
 しかし選評で誰も日本語として異様である点を指摘していないのが不思議(詩的表現として異様なんじゃなくて単に当たらずとも遠からず的な語の選択で異様なだけ。私のような素人でも、いや素人だからこそ、書いていると、この表現はピッタリじゃないのだが、もっとよい表現を思いつかない、とりあえずこの表現を当てはめておこう。あとでもっと考えよう、ということはままあります。しかしできるだけ最適な表現を見つけようと努力します。本書はそれを放擲しているように思われてならないのです)。
 検索して見つけたこのサイトの感想に頷かされた。「最初の方こそちょっと漢字の遣い方とか遣いどころが読みづらい感じの人かな〜とも思ったけれど読んでるうちに気にならなくなってくる。まぁ私も文章書くとつい厨っぽい漢字遣いしてしまうので・・・」
 まさにそういう感じなのでした(ただし漢字遣いだけではなく表現自体が)。
 

Re: 「捩子」打ち込み完了

 投稿者:高井 信  投稿日:2012年12月 2日(日)19時12分42秒
返信・引用
  > No.4069[元記事へ]

 お疲れさまです。
>  今回は手書きの、ガリ刷の、しかもそのコピーからの引き写しだったので、異常に疲れました。
 私も今年、大昔のガリ版ファンジンのテキスト化をしました。しかも、そうとう個性的な字でして……(笑)。いやあ、大変でした。
 お気持ち、よ〜くわかります。
>  これはみんなに読んでもらいたいなあ。なんとか出したいなあ。
 期待しています!
 

「捩子」打ち込み完了

 投稿者:管理人  投稿日:2012年12月 1日(土)23時19分53秒
返信・引用 編集済
   眉村さんの『捩子』掲載の全文章(今のところ分かる範囲では)をテキスト化しました。
 今回は手書きの、ガリ刷の、しかもそのコピーからの引き写しだったので、異常に疲れました。目が痛い。肩が痛い。腰が痛い(^^;
 でもやっぱり読めない文字が10文字ほど。
 あと、残っている桜井節詩集2冊の「跋」を写したら、尾川さんに見ていただこうと思います。
 初読時は、傑作もあるがやはり若書きもあるなあ、と思ったのだが、読み返し、判読し写しているうちに、なぜこの表現なのかという、その意図がうっすらと分かってき(たような気分になってきて)、どんどん良いと感じるようになって来ました。眉村さんご自身は、おそらく若書きで恥ずかしいから公開したくないと感じておられるかも知れませんが(いやお聞きしたわけではなく私のカンですが)、決してそんなことはないです。これはみんなに読んでもらいたいなあ。なんとか出したいなあ。とりあえずチャチャヤンのメンバーにはPDFにして読んでもらおうと思っています。もう少し先になりますが。

追記。で、思ったのですが、文学(この場合詩)への真摯さ、思い入れ、気負いが強く読み取れ、そういう態度(姿勢)はSF作家になった初期の眉村さんにも認められるものです。ところがそのような一途さ(ある意味青臭さ)は、実はSF作家のなかでは異質なんですよね。先日聞いた藤本統紀子さんとの録音のなかで、星さんのSF作家観に対して自分は少し違うかもしれないと話されていたのですが、まさにその部分。その部分を平井さんや小松さんは揶揄したりして、眉村さんも次第にそういう話はしなくなっていった面があるように思います。おそらくそういう眉村さんの思い、姿勢(志向性)を唯一理解したのは筒井さんではないでしょうか(同意するかどうかは別として)。そんな気がしますね。筒井さんのスタジオでは、眉村さんがしゃべりまくり、筒井さんは聞き役だったんじゃないかなあ、そんな絵が浮かんでくるのであります。それが「捩子」には純粋なかたちで明瞭に現れています。
 

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