ヘリコニア過去ログ1307

「明日への楽園」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月31日(水)22時46分17秒
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  > No.4633[元記事へ]

 段野さん
 高井さんのブログに関連記事があります。大変参考になりますよ(^^;
 星新一の単行本未収録作品集
 ミラー・ボール
 もし読まれていましたならご放念下さい。

 『新鋭作家叢書 丸山健二集』は、「明日への楽園」を読みました。69年雑誌初出の200枚。
 舞台は移民船です。移民船がいつまで運行していたのか、調べてみたところ、「最後の移民船」の記事がありました→こちら
 この記事によれば1973年3月27日サントス着のにっぽん丸が、「最後の移民船」のようです。本篇では、乗船している移民者がスペイン語を勉強しているので、ブラジルではないのでしょう。ただしこの記事では、「乗り込んだ移民は285人。ブラジルが222人、アルゼンチン36人、パラグアイ25人、ボリビア2人だった」とあるので、各地に寄港しつつ最終サントスに到着したようですね(でもブラジルに行くならパナマ運河経由になるので、ボリビアやアルゼンチンはちょっと変ですね。列車で行くのか)。
 一方、本篇の移民船が、当航海の前回の航海で運んだ移民の中に、「花嫁移民」が多く乗船していたということになっています。花嫁移民は1980年まで行われていたとここには記述されています。
 いずれにせよ、本篇が書かれた1969年頃は、規模は縮小したとはいえ、まだ移民は確固たる日本の現実だったんですね。
 さて、とはいえ本篇はそのような「事実」は全く表層には現れません。船の名前も、行き先も作品内で示されることはない。上記のにっぽん丸は各地に寄港して移民者たちを降ろしていったようですが、本篇の船は全員が同じ最終寄港地に行ったようになっていて、全く仮構の移民船というべきでしょう。
 本篇の主人公の女は「花嫁移民」ではありません。向こうで成功している日本人が花嫁をもとめて日本に帰国し、お見合いなのかそういう専門の紹介なのか(そのへんも全く記載がありません)、いちおう日本で婚儀をあげ、男は慌しく飛行機で帰り、女は支度をしてから移民船に乗り込み、男の待つ南米のどこかの国へ旅立ったのです。
 出発に際し、他の移民たちは、先行きの不安もあって見送りに来た親族や友人たちと愁嘆場を繰り広げているのですが、けろっとしている。前途に何の不安もないのです。その理由が途中でわかるのですが、要するに「移民先の生活が日本でのそれより悪くなるはずがない」という生活をしてきた女であったのですね。要するに中島みゆきの「彼女の人生いつでも晴れ」なのです。
 もうひとり副主人公の男がいます。向こうについて何を始めるか、しっかり計画しており、女にその話を飽きず繰り返す。向こうでの重労働に備えて躰も鍛えに鍛えている。まあ私はなんとなくミシマを重ねました。その男と女の絡みを中心に、船では赤道祭が始まります……
 ラストで、女と男が対照的に描かれます。男は、ダリの言う甲殻類で、鎧を固めているのは内面の脆弱さに無意識に気づいていたからなんですね。

 これまで私は、著者の削ぎ落とされた「ある意味貴族的な」文体とそれに伴う反世俗的な世界風景にばかり目が行っていて、内容を軽視していたかもしれません。本篇の女も、「僕たちの休日」の4人も、「正午なり」の主人公も、すべてこの生活世界(≒ニッポン)の反・中心に位置しているのでした。真ん中ではなく端っこ、上ではなく下、知識に対する反知識。そういう雑草的な位置から見た(見上げた)この生活世界――それこそが(少なくとも初期の)著者が描きたかった世界だったのかも。
 

星新一

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月31日(水)13時36分43秒
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  やはり出ました。小説新潮8月号に、星新一幻の初期作品と銘打って「ミラー・ボール」が載っています。まさしく皆さまがおっしゃったとおりの結果となりました。皆さま、さすがでございます。(高井様、お疲れ様でした)  

「僕たちの休日」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月30日(火)22時16分10秒
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   ひきつづき『新鋭作家叢書 丸山健二集』より、「僕たちの休日」を読みました。雑誌初出、70年。
 本篇も、60年代感をびっしりとまといつかせた60枚。
 あ、その前に「正午なり」で書き落していたこと。主人公の故郷は、冬のスキーだけではなく、夏は登山客で溢れかえるのですね。これまたのちに団塊世代といわれる若者たちが大挙してやってきて、行列を作って山登りする。一億総レジャー化のはしりの時代で、というか、団塊世代の人口が、日本にレジャー産業を創出せしめた。彼らは地方から集団就職で、あるいは大学進学で、東京にやってきている。栖づくりをしている(郊外の宅地化)。その連中が今度は一転、地方へレジャーで訪れる。これもまた地方と中央の二重構造の一つのかたちでしょう。ラストのカタストロフのあと、著者は、レジャーで訪れていた「東京者」の軽い、開放的な性関係を併置して見せます。このシーンは小説に必然的に必要なシーンなのか、私には何とも言えませんが、著者はこのシーンをラストに置かずにはいられなかったのではないでしょうか。

 さて、本篇は都会の話。同じ故郷で同級生だった4人が、都会で共同で部屋を借りて同じ職場に通っている。ある休日、4人は、朝から、海辺に完成したばかりの、「畑をつぶして作った」レジャープールにで出かけます。レジャープールといっても、最近のを思い浮かべてはいけません。まさにそのはしりの、周囲を有刺鉄線でかこっただけの、そして滑り台と飛び込み台があるだけの、素朴なプール。いうまでもなく満員です。
 4人のうちの一人は故郷に帰ろうかどうしようか悩んでいる。「あっちはつまらんぜ」「こっちは面白いのかい」「あっちよりはいくらかましさ」
 それが原因か、熱気に負けたのか体調を壊してプールサイドでへたばっている。他の三人は泳いだり、監視員のアルバイト学生に絡んだり、女の子を引っ掛けて振られたり、場内で遠洋漁船のスカウトに声をかけられたり、そんなこんなで一日中プールにいて、夕方帰るまでが描かれます。ストーリーはない。ただただ、地方出身者の、それも不良ではないにしても真面目なわけでもない、将来を考えてもいない(考えられる状況でもない)そこら辺にいるあんちゃんたちの休日の一日が描写されるばかり。テーマは鬱屈でしょう。ここにあるのは、やはり日本の高度成長がもたらした反面なんだと思います(そのことを当人たちは気づいてもいないけれども)。

 休日は終った。それはいつもの休日と変らなかった。
 

よっ、会長!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月30日(火)20時26分34秒
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   甲斐智陽って、「かいちょう」が入っているんだろうね。芸名からしてどんな志向性の人間か分かるような。
  《使用前》→《使用後》(>おい)m(__)m
 今回どっちに転がるのかわかりませんが、私も以前、仕事でひどい目にあったことがあります。たいてい強く出れば相手は引くと高をくくっていて、嘘で固めて押し出して来る。しかしあかんとなると、いっぺんに態度を豹変させるのも、この手合いの常道なんですね。本当に嫌な思いをしました。二度とそういう人とはかかわりたくないです。
 

「正午なり」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月29日(月)22時32分43秒
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  > No.4630[元記事へ]

丸山健二「正午なり」読了。雑誌初出、68年。
 承前。昨日の投稿後、読み続けていたらやめられなくなり、けっきょく半徹してほぼ読んでしまいました。今日残りを読んで読了。面白かった!
 故郷に帰って来た主人公は、徹底的に他人と接することを避けた、両親とも殆んど会話のない、半引きこもりの生活を始める。唯一、同級生でたった一人(都会に出ず)村に残っている友人とは互いに行き来しています。
 電気屋の修理の内職も始めるのですが、これも通いではなく、週に一度、電気屋の主人が車で修理品を主人公の家に運び込み、修理が終わった前週分を持ち帰るという、文字通りの内職仕事。
 そういう次第で時間は有り余っているのだが、主人公は一向に退屈しないようで、日がなぼんやりしたり、友人と映画を見たり、ふと思い立っては雷鳥を観察しに出かけたり、という生活に満足している様子。むしろ友人のほうが単調な村の生活に飽きて、東京へ駆け落ちしてしまう(ただしすぐ女に捨てられて一人だけ帰ってくる)。
 私のかすかな記憶では、事件らしい事件はなにも起こらない、丸山版「田園の憂鬱」というイメージだったのですが、後半になって意外にいろいろ事件が起こります(この辺ほとんど忘却していた)。で、ラストに至って「おお薔薇、汝病めり」に相当するカタストロフィーが! ただし「おお薔薇、汝病めり」は内的なカタストロフィーですが、本篇のは外的具体的なカタストロフィー。
 ところでこのカタストロフを主眼に振り返ると、本篇はいささか小さく収束してしまうような気が、今回しました。ごく当たり前な青年期の衝動に回収されてしまうような。お話というか、表層的な起承転結を気にしすぎたのかも。本当はもっと大きな何かが後ろにあるのですね(昨日書いた「しんとした」何か)。これは私だけの感覚かもしれませんが、極端なことを言えば「ストーリー」は要らないんですよね。今回はストーリーが前面に出てしまって、もっと大きな何かが、比較的に後景へ退いてしまったといえるかも。
 この辺、初読時にどう感じていたのかわかりませんが、これを忘却していたということは、案外当時の私も、納得しなかったからなのかも。解説で秋山駿が「イメージの色彩感と、緊迫感のためのテクニックが深くなっていく。しかし、それとともに、微妙な何かが稀薄化し、すこしずつ薄れていくのを、この作者は知っているだろうか」と書いているのも、あるいは同じかとも。
 いま読めばやはり過渡期的な作品であったのだなと思いました(というか、第二作品集なんですからある意味当然)。実際のところこの地点から著者は自己を観照し鍛えて、さらに磨きぬかれた小説世界に、何段階もレベルアップしていくのですね。
 とかいいながら、でもやっぱりよい小説でした。満足(^^)
 

「正午なり」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月29日(月)00時25分33秒
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   今日は比較的涼しく、本でも読んでみようかという気になったので、そうだ丸山健二のあれだ、と、スライド式書棚の最も奥まったところから、最前列の文庫本をどけ、二列目の文庫本もはずし、一番奥の並びから河出版『新鋭作家叢書 丸山健二集』を抜き取ってきました(ああもちろん文庫本の上に横積みされた本を先ずどけたことは書くまでもありませんよね)。
 お目当ては「正午(まひる)なり」。この作品、丸山作品で私が一番好きな長篇(純文規格。300枚なのでSF的には長中篇)なのです。といっても初読以来読み返したことはなく、指折り数えてみれば41年ぶり、内容はほぼ忘却してしまっています。ただ、読んでいる最中の、読後の、しんとした、圧倒的な感覚だけが残っているばかりなのです。
 もう何十年も再読したいと思ったり忘れたりしていた作品で、ようやくとりかかることができました。いま五分の一。言うまでもないですが、圧倒的な描写力。最小限の言葉量で、読者の脳内スクリーンにいともありありと、くっきりと作品世界が映し出されてきます。いまの作家に、これだけの描写力を持った人はいないでしょうね(というか精読してもぼんやりとしか見えない作家もいる)。丸山健二賞に応募しようと思っている人は、まず、文体(描写力)に磨きをかけないと、一行でポイされてしまうでしょう(>誰に向かって言っとんねん)(^^;
 主人公の若者が、失恋の痛手(?)で、一切が嫌になり、東京から信州とおぼしき故郷に帰るところから話が始まる。
 これは小説の内容とは無関係というか、作家は意図したわけではなく無意識だと思うのですが、というのは対象を(当時の)同時代に定めればあたりまえだからなのですが、冒頭から「60年代!」という感じが立ち籠めています。
 (1行目) 忠夫はバスに乗ってアパートへ帰って来た。そのあたりは郊外で、空地がたくさんあった。
 この郊外の駅は、夕方、東京からの列車は帰宅者を満載して到着しますが、反対の東京行きの線路はガラガラ。アパートの管理人に鍵を返し、カバンひとつもって主人公は都心へ引き返す。
 都心では人間が充満している。「端から端までいっぱいになって人は歩いていた。そこでは他人よりも早く歩いたり遅く歩いたりはできなかった。誰もが同じ歩調で歩かねばならなかった」
 田舎へ帰る電車は、シーズンでスキー客で満杯。幸運にも座席に座れた主人公は、がやがやしている中、いつの間にか眠り、起きたときは早朝で、電車の後ろにもう一台機関車がついて押し上げて進んでいる箇所だった……

 まさに中央と地方の二重構造(距離感)、都心の郊外の宅地化、後に団塊世代となる若者たちが満ち溢れて行列を作っているそんな60年代の典型的風景です。
 古井由吉の初期作品もそうですが、かかる「戦後・後」の高度成長期世界を文学的風景に選んだのが、私見では内向の世代で、特徴づけるのはその文学的実験性よりも、対象の共通性のほうが重要で、その意味ではこの孤高と言われる作家も、内向の世界に分類して語られるべきではないかと思います。
 

チャチャヤングショートショートマガジンに関する若干のお願い

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月27日(土)23時19分34秒
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 この『千日の瑠璃』朗読は、残念ながら2回で中断したようです。著作権関係ででしょうか(しかし削除してないということはそうではないのか)。

 その代わりといいますか、『千日の瑠璃』は、いまネットで無料配信されています→第一日
 こちらは著者も噛んだ企画のようで、著者自身の連載開始宣言が↓
 
 ただしこちらも、5か月前に、496日目で中断していますね。
 もっとも、この小説は紙版で読んだほうが断然いいです。1回分がちょうど1頁に収まるように構成されているからです。
 こういう感じ↓(ネット版では崩れています。リンクの第一日も、最後の「た。」が行頭にきてしまっています)
 
 こういう趣向は京極夏彦が始めたことのように思われているかもしれませんが、実は本書の方が先なんですよね(『千日の瑠璃』は1992年刊、『姑獲鳥の夏』は1994年刊)

 ところで、先日ご報告した《チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号》到着第一号作品が、この形式を踏襲しているのです。12篇で構成された連作掌編集なのですが、頂いたデータ原稿を、CYSSMの書式に流し込んだところ、見事に各作品が1頁に(上の「千日の瑠璃」の画像のように最後の行まで使い切って)おさまっていて、おお、と声を上げてしまいました。これはお見事でした。
 あ、念の為に申し添えておきますが、いま私がこのように述べたからといって、このやり方を暗に強制しようというわけではありませんのでご安心を。実際のところ全員の方にこんな原稿を送ってこられた日には、空白ができないので、私のみじかばなしを差し込む余地がなくなってしまうではありませんか! それはちと困る。むしろご勘弁願いたいのでありました(^^;
 

「鬼のすむ都」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月27日(土)01時20分44秒
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  吉田知子『鬼のすむ都 「今昔物語」の世界』(吉野ろまん新書 80)読了。
 面白かった。「今昔物語集」の編纂者が源隆国だったかどうかは別にしても、各説話が収集されたのは、道長、頼通と同時代もしくは前代だったことは間違いない。つまり平安最盛期、きらびやかな貴族文化(源氏物語、枕草子)が花開くその一方で、朱雀大路の南端、羅城門の上層は、死体捨場と化していたのですね。少なくともそういう話が流布していた。
 本院の大臣(おとど)の若い女房が使った便器は、香染の絹で包み、それをさらに赤い色紙の扇で隠して、下女が厠に捨てに行く。これなんか17世紀フランスの宮廷文化もかくやではないですか。このような奥ゆかしい文化生活が営まれている(それを奪い取って匂いを嗅ぎ舐めたいというこれまた文化嵩じた末のデカダン趣味さえ出現している(^^;)この二重構造がとても興味深い。以前にも書きましたように、源氏物語の文法から現代のまじぱないへと日本語は終始一貫崩れ続けている(簡単化、省略化してきている)わけですが、日本語の初出が古事記だとしたらそれは8世紀初頭。源氏物語のわずか280年前でしかない。この高文化は、突如日本に出現したのかもしれないとすら妄想させられます。だとしたら紫式部や道長らが使っていた日本語と同じ言葉を、羅城門に主人を捨てに来た老婆や、その老婆の身ぐるみ剥いだ盗賊らも本当に使っていたのだろうか、などと妄想してしまうのですよね。
 閑話休題。先回述べたように「今昔物語」は説話集ながら、巻が進むにつれ、説話の説話性が薄れてゆく。
 邸の寝室の柱に節穴が開いていて、夜な夜なその節穴から奇ッ怪陋劣潜望鏡が、もとい、小さな手がニョッキリと出ておいでおいでをする。穴の上にお経を結びつけても、仏様の絵をかけても効果がない。で、ものは試しと穴に矢を突っ込んで塞いだら、それからあとは手は出なくなったという説話は、そもそもご利益がなかったわけで、まったく仏教宣伝になっていません(^^;
 鬼に追いかけられていて、無我夢中で飛び込んだ穴。穴の奥から声がして鬼を追っ払ってくれる。声が言うに「ここはもともとはある聖人が法華経を収めた穴で、既にお経も朽ち何もなくなっているのだが、お経の最初の一字の「妙」という字だけが残った。オレはその「妙」という字だ」。アイデアに関しては、ヨコジュンが思いつきそうな話ではありませんか。
 ところで、後者はまだ仏教説話的で、その分因果が通っていて理解しやすい。前者の系統の「非説話」は「だからなに?」とつぶやいてしまう話もあります。じつはそういう話ほど、原型がそのまま残っているんだろうと思います。「意味」を求めがちな私の読書態度を反省させられます。そのような原型に「解釈」が加えられて仏教説話に仕立てられるんでしょうね。
 
 

急告、丸山健二文学賞!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月26日(金)01時45分40秒
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  丸山健二文学賞宣言!

 300〜350枚。短篇集でも可。

 

「今昔物語の世界」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月26日(金)01時33分54秒
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   そんなオドシをかけている私自身が、実はまだ何にも準備できていないのでした(笑)。
 でも、今回はたくさん集まりそうな予感がするので(希望的観測)、予感があたった場合は、私は遠慮して編集に専心しようかと(^^;。
 誤解のないように言っておきますが、これは何もあらかじめ逃げを打っているのではありません。ありませんとも! ただ、ホッチキスの能力が80ページ(230枚程度)が限界なんですよね。正味それ以上になった場合は、分冊にしなければなりませんが、さすがにそこまでは集まらないだろうと思っています。でもギリギリそれを超えるか超えないかくらい集まるだろうことは間違いないです。
 まあ、すき間にみじかばなしを突っ込むくらいは可能かと思っていますが。
 とはいえ、やはり新作は、出来れば用意しておきたい。
 ということで、吉田知子『鬼の住む都 今昔物語の世界』を読み始めました。
 いや、眉村さんが「聊斎志異」なので、だったら「今昔物語」かなと(なぜに対抗する)(^^;
 資料のつもりで読み始めたのですが、これ、めちゃめちゃ面白いです。半分小説です。
 「今昔物語」の成立は平安末期。作者は確定していないようですが、吉田知子さんは、(このへんも小説らしいところで)有力な一人である源隆国を蒐集者として「決めて」しまいます。本書はその妻(源経頼の娘)が語るという体裁で書かれた「今昔物語」入門書なのです(現在100頁なので想像ですが、平安末期京都論になっていくのかも)。
 「今昔物語」は説話集なので、基本「仏教のお説教」「ご利益の宣伝」なのですが(「仏教も、まだまだ新しい宗教なのでした」33p)、あとの巻になるにつれてお説教調は薄まり、俄然物語として面白くなるんだそうです。
 したがって本書も、前半はばさっと飛ばして、25巻前後から後の説話が紹介されているようです(全31巻、ただし一部散逸)。このへんも単なる入門書ではなく小説家の作物らしいところですね。
 

Re: Re:堀内孝雄「笑うは薬」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月24日(水)20時53分33秒
返信・引用 編集済
  雫石さん
>ロック・キャンディーズといってたのでは
 おお、ロック・キャンディーズ! ありましたねえ。このグループ名、ふと、キャンディーズのパロディだったのかな、と思って調べてみました。ロック・キャンディーズ結成のほうが何年も早いのでした(笑)

段野さん
>拙作「告発」につき、ネットでの書評がのりました
 検索したら一発でヒットしました(^^)→こちら
 感想や書評の検索のコツは、「著者名・書名」+「思う」で検索すると案外簡単に見つかります。書評や感想文で「思う」を一回も使わずに書かれたものはほぼ皆無といっていいですね(^^;

 そういえば、《チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号》の原稿の、第一号が到着しましたよー!>皆さま
 読ませて頂きましたが、まさに創刊号にふさわしい力作で、嬉しくなりました(^^)。他の皆さんも、力作をお待ちしておりますよ!
 でも考えたら、締め切りまで2か月をもう切ってしまっているんですよね。原稿が届いたってちっとも不思議ではありません。
 皆さまにおかれましては、もちろん執筆は進んでいることと思います。そのことを私は毫も疑ってはおりません。でも中には「あ、忘れてた」などという暢気な方もいらっしゃったと仄聞しておりますので、念のため、締め切りが2か月を切ったことのみ、此処でお伝え……え、くどいぞ皆まで言うな?……しつれーしましたー(^^ゞ。
 

Re:堀内孝雄「笑うは薬」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月24日(水)16時46分22秒
返信・引用 編集済
  斎藤様
よくぞ、このような楽曲を見つけて来られましたね。感動、感動です。(泣けてきそう)べーやんもはっきりと表に出して、宣伝すればよかったのに(彼は、「はぐれ刑事純情派」が放送終わってから、ヒットがない。今からでは「はぐれ刑事純情派」はもう作れない)いい曲なのに、残念です。(それとも、皆で有線にリクエストをかけたおしますかね。そしたら、ヒットするかも)
管理人様
突然ですが、機械ものは、ある日突然死にますということをききました。まさに、我が家の扇風機が突然死にました。この猛暑、クーラーの代わりを結構果たしてくれていたので、もうおっとり刀で電気屋に走りました。早速の購入、お代1480円でした。これも、先がみえているのか、怪しいところです。恐ろしい価格でありました。他の家電、特にオーディオ関係は気を付けねばならないと思った次第です。
で、またもや、突然ですが、拙作「告発」につき、ネットでの書評がのりました。これについては、いかがいたしましょうか。公開につき、特段に希望はございません。
 

Re: 堀内孝雄「笑うは薬」

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2013年 7月24日(水)04時43分27秒
返信・引用
  > No.4622[元記事へ]

>まだアリス結成前か結成直後くらいです。

アリス結成前ではなかったでしょうか。たしか、ロック・キャンディーズといってたのでは。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

Re: 堀内孝雄「笑うは薬」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月23日(火)22時55分13秒
返信・引用 編集済
  > No.4621[元記事へ]

斎藤さん
 ご教示ありがとうございました。この歌のことは全く知りませんでした。
 初めて聴きましたが、とってもよいですねえ。私も感動しました。アニメも曲のイメージにぴったりでよかったです。
 一年ほど前の曲とのことですが、あまりヒットしなかったんでしょうか。車ではずっとFMを掛けっぱなしなのですが、耳にしたという記憶がないのです(もっとも、FM放送では歌謡曲はめったに掛かりませんからね。AMラジオ(関西ではラジオ大阪という放送局が演歌歌謡曲一筋なんですが)だったら掛かっていたのかもしれません。
 しかし1年前というのは中途半端でしたね。映画は2年前でしたっけ、映画に合わせてリリースしたらよかったのに、と思ってしまいますが、間に合わなかったのか。いやむしろ、べーやん的には、それはあざといと、わざとずらしたのかも(^^;

>これは是非「みんなのうた」で歌って欲しいと
 たしかにぴったりですねえ。このPVのまま放送してほしいですね(^^)

 蛇足ですが、堀内孝雄さんとは違うけれども、谷村新司さんがチャチャヤングで眉村さんの担当日の翌日の担当だったので(杉田二郎さんの後任で)、全く縁がないわけでもありません。まだアリス結成前か結成直後くらいです。
 

堀内孝雄「笑うは薬」

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 7月23日(火)20時05分22秒
返信・引用
  今日、たまたまですが、表題の歌を見つけました。
発売から一年以上経過していますので、こちらの掲示板では既に話題になっていたかも知れません。
その際にはご容赦下さい。

この歌は、眉村さんの「日課一日3枚」のことを相田毅という作詞家の方が作詞され、これにアリスの堀内孝雄さんが曲を付けたもので、シングル盤として発売されています。
PVで視聴しましたが、歌詞はもろに眉村さんご夫妻のことを丁寧に描いており、素直に感動しました。
曲調は演歌ではなく、又、ニューミュージック(死語?)でもありません。
出だしこそ、弾き語りフォークのようなおとなしく物悲しい曲調で、いかにもという感じで、ちょっとなあと正直思いました。
しかし、歌詞の2番前の間奏でリズム隊が入り、それ以降はバックの演奏は軽快に明るくなります。
70年代のフォーク歌謡調とでもいうような、アコースティックサウンドでとても爽やかなミドルテンポのフォーク・ロックでした。
映像は動物を擬人化したアニメで、この動物が熊のようなまるまっちいかわいらしい動物で、ネクタイと帽子をかぶっています。
暖かい雰囲気一杯のPVで、これは是非「みんなのうた」で歌って欲しいと思いました。

PVは以下のURL(You Tube)です。フルバージョンでちゃんと聴けます。

http://www.youtube.com/watch?v=941ZWQtkRfY

以上です。
 

眉村さん情報:サイン本、再売り切れ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月22日(月)21時06分46秒
返信・引用 編集済
   標記の件、出版芸術社さんのツイートによりますと、先日追加投入された、東京堂書店神保町店のサイン本は、またまた売り切れてしまったようです。
 
 今回、何冊サインされたのか不明なのですが、常識的に考えて前回と同じ15冊というのが妥当な線でしょう。上のツイートの眉村さんの言葉に注目すれば、ひょっとしたら前回よりも多い、20冊くらいだった可能性も(^^; それがわずか4日で捌けてしまったというんですから(こちら参照)、先日斎藤さんもおっしゃってましたが、眉村さんの潜在的なファン層は相当分厚い、ということが歴然と示されましたね。
 こういうデータが示されたわけですから、大阪の書店もぜひ特設フェアにチャレンジしていただきたいものです。そういえば8月に入ったら、双葉文庫から『職場、好きですか?』が、出版芸術社からは『自殺卵』が、相次いで発売されます。実にタイミングがよいではありませんか。現場の書店員さんは、せっかくのこの機会を逃さず、上司を説得していただきたければと思います(笑)

 さて、波戸岡景太『ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア(講談社現代新書 13)読了。
 うむ、はっきりいって、ラノベを読んだことがないので隔靴掻痒感甚だしいのでした。著者の論旨がきちんと頭の中に流れてこない。それは著者の責任ではなく、こちらの受容能力が本書を受け入れるには準備不足でお粗末ということ。両村上や大江について述べている部分はちゃんと頭に入るし納得もできるので、ラノベの部分も信頼してよいことは明らかなんですが……。ここに挙げられているラノベ、読んでみるべかねえ。でないと話しにならんと思いました。
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月22日(月)20時19分6秒
返信・引用 編集済
  高井さん
>角川文庫の『きまぐれ博物誌』は、以前は2分冊でしたが、現在は全1冊になっています(現行本を買えば、「続」は不要)。
 あ、そうだったんですか。高井さんの記事は読んだはずですが、すっかり忘れていました。
 ところが、キンドル版は「続2」が生きているのです。当然「1」も(つまりキンドル版は、旧角川文庫2分冊のまま継続ということなんでしょうね)。というわけで、そこから自動的に勘違いしてしまったようです。
 そういえば新版『きまぐれ博物誌』の商品説明にも、合本したという情報はなく(紀伊國屋でも確認)、いささか不親切です。私のミスも、半分は角川にあると思いました(>おい)m(__)m
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 7月22日(月)19時28分58秒
返信・引用
  > No.4617[元記事へ]

>  すみません、昨日も一部に就いては確認したのですが、そもそも絶版と品切れを区別していませんでした。下の投稿は品切れという意味です。その意味では、星新一のエッセイ集で現在紙版が生き残っているのは、非常に意外でしたが、『きまぐれ星のメモ』『きまぐれ博物誌』(但し(続)は品切れ)、『できそこない博物館』だけのようです。(アマゾン調べ)
 へえ。そんなに品切れがありましたか。でも、もしかしたらアマゾンで品切れ、というだけで、版元には在庫があるかも。このあたりは未確認です。
 書名を挙げられた3冊はいずれも最近、再刊されたものですね。角川文庫の『きまぐれ博物誌』は、以前は2分冊でしたが、現在は全1冊になっています(現行本を買えば、「続」は不要)。ちなみにこの本、私が解説を書いています。
 3冊とも拙ブログで採り上げていますので、ご参考に。
『きまぐれ星のメモ』
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2012-11-24
『きまぐれ博物誌』
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2012-12-17-1
『できそこない博物館』
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2013-02-28
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月22日(月)17時31分39秒
返信・引用
  高井さん
 重ね重ねの訂正ありがとうございます。
 すみません、昨日も一部に就いては確認したのですが、そもそも絶版と品切れを区別していませんでした。下の投稿は品切れという意味です。その意味では、星新一のエッセイ集で現在紙版が生き残っているのは、非常に意外でしたが、『きまぐれ星のメモ』『きまぐれ博物誌』(但し(続)は品切れ)、『できそこない博物館』だけのようです。(アマゾン調べ)
 絶版ということなら、ウィキペディアの記述は間違っているということですね。

 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 7月22日(月)09時45分14秒
返信・引用
  > No.4615[元記事へ]

>  ウィキペディアを見ていて、小説ではさすがにそんなことはないですが、初期のエッセイ集のなかには絶版もあるみたいですね。今度の『つぎはぎプラネット』がきっかけになって、これらのエッセイ集も復刊されるとよいですねえ。
 絶版は『進化した猿たち』だけと思います。これは版権の問題もあり、復刊は難しそうです。
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月22日(月)03時04分16秒
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  > No.4614[元記事へ]

高井さん
>『きまぐれ読書メモ』が文庫化されないかなあ
 おや、星新一でも文庫化されてない本がまだあるのですね。ちょっと意外でした。
 ウィキペディアを見ていて、小説ではさすがにそんなことはないですが、初期のエッセイ集のなかには絶版もあるみたいですね。今度の『つぎはぎプラネット』がきっかけになって、これらのエッセイ集も復刊されるとよいですねえ。

>それにしても協会の幹部たち、どうしてこんなに稀勢の里を優遇したがるのでしょう
 日本人横綱で人気挽回とか企業努力とか、理事長の背中を後ろからあれこれ突っつく手合いがいるんじゃないでしょうか。横審とかに。
 でも、そんなのは一時的な人気取りであって、効果は何場所かのものです。
 そんな弥縫策ではなく、幕内の取り組みが6時頃から始まるように、進行を後ろにずらすくらいの抜本的対策のほうが先ではないかと私は思います。いまの、6時に打ち出しになるような進行で、平日一般的なサラリーマンが観戦に行けるはずがありません。土日は満員御礼になっているんですから、幕の内がプロ野球と同じくらいになれば、平日でもじゅうぶん満員御礼になると思うんですけどねえ。
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 7月21日(日)22時09分17秒
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  >  しかし今回の発表で、出版社の思惑とは無関係な、実際の(つまりさらに未発表作品が発見されない限りという意味ですが)1001編目を、確定しようと思えばできるようになったのではないのですか?
 1001編目を確定するだけなら、星さん公式サイトの初出リストをチェックすればOK。今回は、存在はわかっていても簡単には読めなかった作品が容易に読めるようになる、ということです。
 とはいえ、1001編目には興味がありますねえ。数えてみます?(笑)
>  今回の発見が、出版社にとって大きなビジネスチャンスであるのは間違いないと思います。品切れだった星作品も、きっと各社続々復刊されるんでしょうし、読者にとっても願ったりかなったりです。
 来月、ちくま文庫で『真鍋博のプラネタリウム』が復刊されますね。私としては、『きまぐれ読書メモ』が文庫化されないかなあ、と思っています。
>  ブログを拝見しますと(いや、たとえ拝見しなくても、それがどれほど根気のいる作業かを思い浮かべるだけで)、この二年間大変だったんだろうな、ということが想像できます。ご苦労様? お疲れ様? これをなんといえば良いのかうまい言葉が浮かんで来ませんが、とにかく大任を果されたことおめでとうございますと、お慶び申し上げます(^^)
 ありがとうございます。大変といえば大変でしたけれど、楽しさのほうが大きく上回ります。もう終わってしまうかと思うと、淋しくて。

> >稀勢の里
>  理事長はそんな事を言ってるのですか。でもあの精神力では来場所優勝はあり得ないと思いますね(^^;
>
 ちょっとネットのニュースを検索してみました。審判部長の「白紙に戻った」はありますが、理事長発言は見当たりませんね。これはいかんと、周囲がもみ消しにかかったのかも(笑)。
 そりゃそうですよね。先場所の13勝は好成績ですけれど、優勝ではないし、13勝にしたって4年ぶりの2度目。それで横綱云々と騒ぐほうがおかしいと思います。横綱って、年に何回かは13勝する力量の持ち主では?
 それにしても協会の幹部たち、どうしてこんなに稀勢の里を優遇したがるのでしょう。そういえば、大相撲中継のアナウンサーも明らかに稀勢の里を贔屓&擁護していました。録画しておけばよかった(笑)。
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月21日(日)20時37分49秒
返信・引用 編集済
  > No.4612[元記事へ]

高井さん
 ご教示ありがとうございます。
 しかし今回の発表で、出版社の思惑とは無関係な、実際の(つまりさらに未発表作品が発見されない限りという意味ですが)1001編目を、確定しようと思えばできるようになったのではないのですか?
 今回の発見が、出版社にとって大きなビジネスチャンスであるのは間違いないと思います。品切れだった星作品も、きっと各社続々復刊されるんでしょうし、読者にとっても願ったりかなったりです。
 ブログを拝見しますと(いや、たとえ拝見しなくても、それがどれほど根気のいる作業かを思い浮かべるだけで)、この二年間大変だったんだろうな、ということが想像できます。ご苦労様? お疲れ様? これをなんといえば良いのかうまい言葉が浮かんで来ませんが、とにかく大任を果されたことおめでとうございますと、お慶び申し上げます(^^)

>稀勢の里
 理事長はそんな事を言ってるのですか。でもあの精神力では来場所優勝はあり得ないと思いますね(^^;
 

Re: 「北極星号の船長」読了

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年 7月21日(日)19時59分47秒
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  > No.4611[元記事へ]

>  どうもしないでしょう。上梓後に新事実が出てきただけの話で、それで『星新一 1001話をつくった人』の評価が下がるなんてことは、全くありえないことです。
 いえいえ最相さんは、すべてとは言わないまでも、未収録作品の多くを把握されていますよ。ただ、それが本当に未収録か否かということまでは調査されていないようですが。
『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮文庫版の巻末に掲載されている年譜をご覧になれば、納得していただけると思います。今回の未収録発掘においても、大いに参考にさせていただきました。
>  出版社も、いまさら1001話目が(もし万一)変更されたとしても、何とも思わないんじゃないでしょうか。むしろビジネスチャンス到来で大喜びなのでは(^^;
 え〜と、ですね。もともと1001編が話題になったとき、すでに1001編は正確な数字ではなかったのですよ。それは星ファンの多くが知っていました。

 稀勢の里は結局11勝に終わりましたが、理事長によりますと、綱取りは完全に白紙に戻ったわけではないそうです。笑っちゃって、どうしようもありません。
 

「北極星号の船長」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月21日(日)19時01分7秒
返信・引用 編集済
  > No.4610[元記事へ]

段野さん
>最相葉月はどうするんでしょうか
 どうもしないでしょう。上梓後に新事実が出てきただけの話で、それで『星新一 1001話をつくった人』の評価が下がるなんてことは、全くありえないことです。
 出版社も、いまさら1001話目が(もし万一)変更されたとしても、何とも思わないんじゃないでしょうか。むしろビジネスチャンス到来で大喜びなのでは(^^;

『北極星号の船長』は、「ジョン・バリントン・カウルズ」「寄生体」を読みました。どちらも「他者に影響力を及ぼす女性」の話と云えばいいでしょうか。両作品共に平井和正のある種の作品を想起させられました。「魔女の標的」とか「悪霊の女王」とか。
「ジョン・バリントン・カウルズ」では、語り手の親友(学友)が、或る非常に美しい女性を見初める。ところがその女性は他の男(やはり語り手の学友)と婚約していた。ところがとつぜん後者の男が婚約を解消する。じつはこの女性はその前にも婚約を解消されていて、二度目の婚約解消だった。
 ある日主人公は、後者の男とばったり出遭う。かつては学内有数の洒落者だったその男は、衣服もかまわない酔っぱらいに変わっていた。語り手は男を下宿まで引っ張って帰る。寝かしつけて帰宅しようとするとここにいてほしいと懇願される。女が怖ろしいのだという。女とは誰かと問うと、元の婚約者だと答える。何が怖ろしいのか問い質しても口を濁すばかり。ようやく寝かしつけて帰った語り手だったが、それから暫くして、前者の親友が、件の女性と婚約したことを知る。なんとなく不安を感じた語り手は、女性のことを調べ始めたのだったが……
 本篇では女性の正体は最後まで解明されず、リドルとして残されたまま終ります。

「寄生体」の女性は、正体がはっきりしています。一種のテレパシストで、テレパシーの力で他者を操ることができる(ただしテレパシーという言葉は使われておらず(と言うか発明されていなかったんでしょう)、オカルト的な力として描写されています)。
 主人公は「事実や証拠しか扱わないように訓練されてきたのだ。憶測や空想は、私の思考回路には存在しない。顕微鏡で見られるものやメスで切れるもの、秤で量れるものを与えられれば、生涯かけて研究することができる。だが、感じとか印象、気配と行ったものを研究しろといわれたら嫌悪や困惑すら感じるだろう」(278p)という生粋の科学者なのだが、女性の示す力に魅了され、それを科学的に解明してやろうと、自ら実験台を志願するのだったが……

 両作品とも、まず科学的客観性の立場が示されて(その前の「火あそび」も形式は同じ)、それが超常現象を目の当たりにすることで、現科学の水準ではまだ解明できない世界があり、しかしそれは科学の進歩で解明できるようになるであろう、というのが認識の座標軸の原点としてある。それを示すことで、著者は安んじてオカルト的な物語を、嬉々として語っている印象があります。
 かかる態度が、著者を、それ以前18世紀から19世紀にかけて盛行したゴシック小説の著者たちと截然と分けるところでしょう。実際テーマは同じなんですが。
 先回だったか先々回だったか、ホラーとSFをその両足で踏みしめると形容しましたが、むしろ超自然現象をアプリオリに受け入れているゴシックホラーを、19世紀的科学教育を受けた世紀末人が書こうとすれば、こういう構成にならざるをえないのかもしれない、と、思い直したのでした。非常に示唆に富む作品集で、堪能しました。

 ということで、コナン・ドイル『北極星号の船長 ドイル傑作集2北原尚彦・西崎憲 編(創元推理文庫 04)の読み了りとします。
 

Re:星新一、未収録作品発見

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月21日(日)16時06分49秒
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  管理人様
以前、最相葉月の作品がありましたね。確か「星新一と1000話」でしたっけ。最相葉月は、遺作品を整理するとともに、ドキュメンタリーを描くことを、遺族(奥様)に許可を得て、星新一のメモなどを検証していたはずです。(このドキュメンタリーは読んだ)今頃未収録作品の存在が分かれば、最相葉月はどうするんでしょうか。(しかし、高井様はすごい。今更ながら言っても、すでにご存じの方はすごさをご存じなんでしょうね)
星新一は、いろいろと、出版社との兼ね合いがあったとのこと。この先、どうなるんでしょうか。(高井様が采配して下さるのでは、などと思うのは早合点かもしれませんが)
 

星新一、未収録作品発見

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月21日(日)13時35分56秒
返信・引用 編集済
   金曜の夕方、左の後頭部と首筋の境の、手刀で首をトントンする部分が、とつぜん痛くなり、これは熱中症か、と思っていたら、喉も痛くなってきました。早めに寝んだのですが、次の土曜日の朝起きても改善しておらず、昼過ぎにはついに我慢できなくなって横になった。何度か目を覚ましながらも、5時過ぎまで寝てしまいました。暑くて起きたみたいで、温度計は33〜34度をさしていました。しかし何度か目を覚ましたときはぜんぜん暑いとは感じてなくて、汗もかいていなかったんですね。どうも昼寝のあいだは体温が低下していたのかも。それが常温に戻ったので目が覚めたというところでしょうか。起きたときには頭痛も喉痛も収まっていました。熱中症というより夏風邪だったのかも。
 起きてからしばらく大相撲中継を観戦していたのですが、白鵬・稀勢の里戦で、立ち合い白鵬が、左で張り右でかち上げる、朝青龍発明のモンゴル殺法を繰り出したのですが、かち上げが顔面をヒットせず失敗。負けてしまいました。稀勢の里があまり頭を下げて出て来なかったんでしょうね(あるいは痛めた右脇腹の影響か)。
 この技は、相手を一発で昏倒させる危険技で、白鵬もここ一番という時しか使わない。それを使ったということは、やはり白鵬も「ここ一番」という認識だったということではないでしょうか(脇腹を痛めていて組んで長引く相撲は避けたかった)。これで一気に稀勢の里の株が上がったことは間違いなく、綱取りも来場所に繋がったんでしょうね。しかし稀勢の里は大関昇進でも内規を緩めての昇進なので、なんだかなあ、と思ってしまいます。日馬富士は時間の問題という暗黙の諒解が、相撲協会執行部にあるんでしょうか(ーー;

 昨日の読売夕刊に、「星新一 未収録の50編超確認」という記事が掲載されました→こちら
 発見の端緒を開いた高井信さんのコメントも(^^)
 この58編、いわゆる「1000編」の中にカウントされているんでしょうか? もしカウントされていないのだったら、「1001編目」の作品が変わってしまうのでは?
 星新一は、1001編目を馴染みのある出版社に配慮したため、特定できないのですが、この58編が新たにカウントされれば、星さんの配慮を台無しにして(>おい)はっきり確定してしまうのでは? どうなんでしょうか(^^ゞ

 昨晩も早めに就寝したので、昨日書くべき話題を、いま書きました(笑)。
 

「まぼろしのペンフレンド2001」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月20日(土)22時35分36秒
返信・引用
  > No.4607[元記事へ]

斎藤さん
>カセットデッキのような古いメカ系機械は、ある日突然何の前触れもなく死が訪れます
 そうなんですよね。そういえばステレオセットのカセットデッキも、ある日とつぜん作動しなくなったのでした。いま唯一残っているラジカセも、ときどき、いや頻繁に、ポーズが効かなくなったりプレイを押したら早回りし始めたりしているので、余命はわずかなんだろうな、と思っています。

>「まぼろしのペンフレンド2001」
 あ、このドラマはリアルタイムで見ていました。なのですが、あんまり覚えてないなあ。当掲示板の過去ログを検索したところ、3回目まで見たことを記録していました。しかしその後は記録なし。途中で見るのをやめてしまったのかも(汗)。
 

Re: 高橋たか子さん逝去

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 7月20日(土)09時47分40秒
返信・引用
  雫石様
管理人様が貼って頂いたリンクから、高井さんのHPで該当記事とコメント投稿を拝見させて頂きました。
なるほど、JDC版っていわくありだったのですね。
これを買った時には、既に司政官のオリジナルの単行本、文庫本とも持っていましたが、新しい解説と作品インデックスがついていたので、こりゃ買わなくちゃと思って買ったものでした。
これはすごい、と思っていいた作品インデックスが、まさか「星群」版からの盗用だったとは...
なんか...申し訳ありません。
(創元推理文庫版もあるので、司政官の本だけで4種類買っちゃっいました。いずれも解説やあとがき目的です)
雫石様は「星群」のメンバーの方だったんですね。
この高井さんの記事で書かれていた「星群の会」発行の「司政官の世界―眉村卓読本―」の存在だけはよく覚えています。というか、ある意味憧れの本です。
SFマガジンのファンジンコーナーか読者コーナーで販売告知の記事を何度も見ていました。
当時中学生だった私は、本当に欲しかったのですが、東北地方の田舎から、どうやって買えばよいのか全く分からず、連絡や申し込みの仕方、代金の支払い方とか、通信販売などの経験が全く無く、ずっと毎月毎月モンモンとしながら結局購入をあきらめてしまった本でした。
社会人になってパソコンを購入してからは、ヤフーオークションなどで探してみたことも何度もありました。
でも、こうして書影を拝見出来ただけでも、なんかとても嬉しいです。

段野様
30周年記念だったのですね。年数的にもズバリです。
当時の参加されたのですね。
うらやましいぃ〜!! です。
その時のご様子、雰囲気をお教え頂きありがとうございます。
改めて「うぉ〜」と吠えたい気分です。
50年記念での関西での何らかのイベント予定は無しなのですね。改めて残念です。
そして、今回は東京での小さいながらフェアがあってよかったと改めて思いました。
あと、少年ドラマの役者の方がトークショウの中でお話したエピソードで印象に残っていたことを一つだけ。
星野さんのお話で、「幕末未来人」の撮影の後、星野さんと、沢村さん(伊藤 役)と小手川裕子さん(雪 役)の三人で一緒に帰るの楽しみで、星野さんと沢村さんは小手川さんの隣のポジションを争っていたというお話でした。
彼女のドラマデビュー作で、本当に可愛かったとおっしゃっていました。

管理人様
高井さんのHPへのリンク、ありがとうございます。
正にこのはがきです。
管理人様がこのHPを運営頂いているおかげで、私のようなただの閲覧者も新しい情報を得ることが出来ています。
本当にありがとうございます。
そして一点だけ。
カセットデッキのような古いメカ系機械は、ある日突然何の前触れもなく死が訪れますので、貴重なテープ音源は早くディジタル化なさって下さい。
私も自分がディジタル化すべきアナログテープの存在を思い出しました。
「まぼろしのペンフレンド2001」です。
早くDVD化してしまわねば、です。

以上です。
 

いちびるとほたえる

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月19日(金)23時16分21秒
返信・引用 編集済
  『北極星号の船長』は、「火あそび」を読みました。まるっきり降霊会の顛末(^^;。著者は、超自然現象ちゃう、いつか科学的に解明される現象やねん、というスタンスで書いているんでしょうけれど、いかに当該現象を複数の登場人物が現認しており、この手記も目撃者たちにチェックしてもらっている、と客観性を装ったところで、事実はオカルト現象をアプリオリに認めている地点から書き始めているので、怪奇小説と「してしか」楽しめませんでした。しかしながら怪奇小説としては、ストーリーも遅滞せずリーダビリティが高くて一気に読まされました。いまやっている考察はSFとホラーの版図の確認であって、小説の面白さとは別次元ということですね。

 先日ラジオの或る番組を聴いていたら、リスナーからの投稿に、あなた(DJ)はいちびりですね、というものがあって、それを読み上げたDJが、自分はイチビリではない、ほたえているだけ、と応えているのがなかなか面白かった。
 ほたえる、なんて久しぶりに耳にしました。
 で、ふと、いちびるとほたえるはどう違うのか、と、考えこんでしまった。なんとなくニュアンスのちがいは分かるのですが、そのちがいを明快に言葉にできない。どっちも調子に乗っているのですが、ほたえるの方は動作を伴うことに使うような気がするんですが、よくわかりません。
「いちびってほたえた」という言い方をしてもそんなにおかしくないような感じが、私はしていまして、としますと、いちびるの方が広い概念で、そのうち動作、というか運動を伴うものを、ほたえると表現するのかも。これは今思いついたもので、全く自信なし。だいたい、ほたえるなんて生まれてこの歳まで、あわせて100回も聞いてないような。死語に近い言葉なのでしょうか。
 

高橋たか子さん逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月19日(金)18時52分42秒
返信・引用 編集済
  斎藤さん、雫石さん、段野さん
 斎藤さんが確認されたハガキの写真が、高井さんのサイトにあります。これですよね。
 1992年頃は、私は完全にSFとも、ファンダムとも、縁が切れていまして、このイベント自体知らなかったのですが、後に、「とべ、クマゴロー!」を立ち上げたことで知り合いになった方に、この日行われた「眉村卓特別トークショー」の録音テープをいただいたのでした(ネットを始めたことで世界が一気に広がりましたね)。
 そういえば、うちのラジカセが完全にこわれてしまわないうちにデジタル化しておかなければ……。改めて思い出しました(^^;

 昨日今日と、高橋和巳・たか子関連の検索語で来られる方が「まじぱなくて」、何ごとか、と思っていたのですが、高橋たか子さんが亡くなったのですね。謹んでご冥福をお祈りします(たか子さんはカトリックですが)。
 あちらでは小松さんが、来るんかいなナギやなあ、とボヤいているかもしれませんねえ(>おい)。まあ三人仲良く、議論を斗わせて暮らして頂きたいと願います。
 面白い小説を読ませてもらいました。ありがとうございました。
 

Re:眉村さんサイン本の完売&追加でふと思ったこと

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月19日(金)14時34分51秒
返信・引用 編集済
  斎藤様
東京でのイベントに参加されて、よかったですね。私だって、抽選を潜り抜けてでも参加したかったと言える、イベントですね。そのゲストのなかで、後にNHKの特番少年ドラマシリーズについて、星野さんが出演されていました。今ではダンス教室を主宰されているとか。(この星野さんの役は最後にタイムスリップして、現代に戻ってきます)当時「幕末未来人」で一緒に出演された沢村さん(彼は江戸時代にそのまま残るという役)との、当時の、演技について、夜中までファミレスで熱く語ったことなど、述べられていました。当時、未成年者が夜中までいるのは、まだご法度だったころのことなので、今語るのは時効にしてくれ、などと言われていました。(そのビデオは、多分残っているはず)いやー、今思うと、ぜひとも参加したかったですね、行けるものなら。
雫石様
斎藤様
大阪でのイベント、もしかして、眉村さんの執筆30周年を記念したものではなかったでしょうか。大阪の本町で2日間にわたって、「燃える傾斜」を始めとした全著作の展示、そして夕方になると、お弁当(!)を予約した人たちが眉村さんを車座に囲んでの、熱く語る人たち。2日目になると(これはもういけないと思い、ビールを差し入れた)眉村さんの奥さまがご友人を伴ってのご来場、そして、ご友人からの奥さまへの花束贈呈、プレゼント(イヤリングでした)などなど、またまた夕方になると、車座になっての熱い語り、今となってはすごく懐かしい思い出でもありますし、参加できたことを嬉しく思っております。
その会の最後は、(花束を持たれていた奥さまのためでしょうか)タクシーに乗り込まれるご夫妻を皆でお見送りしました。参加者は、皆熱かったですね。勿論、記念写真に納まっていただきました。
斎藤様、「東京堂書店」さんで、サイン本ゲットされたのは、本当によかったですね。大阪でのイベント、なさそうとのことですから。おめでとうございます。
 

Re: 眉村さんサイン本の完売&追加でふと思ったこと

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2013年 7月19日(金)09時07分48秒
返信・引用
  > No.4602[元記事へ]

大阪のこのイベント、私も、関西ですから、もちろん出席しました。
イベントは良かったのですが、問題はJDC版の「司政官」。はっきりいって
星群の会発行の「司政官の世界」のパクリといってもいいでしょう。レイアウトなどそっくりです。
同人誌発行のファン出版ですが、ぱくられるのはいい気がしません。
この「司政官の世界」掲載の児島冬樹「司政官制度概観」は、SFマガジンに転載され、のちに東京創元社「司政官」の巻末に載っています。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

眉村さんサイン本の完売&追加でふと思ったこと

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 7月18日(木)23時59分49秒
返信・引用
  13年前で、2001年のことなのですが、NHKの少年ドラマシリーズの一部がDVD化・販売が決定し、そのキャンペーンで、東京・渋谷の東電の電力館ホールで、少年ドラマで人気のあった3名の役者の方によるトークイベントが行われました。
参加は事前の申し込み&抽選で、私は運良く参加出来ました。
70名位の参加だったようです。
抽選ですので、実際に申し込みされた方はもっともっと多かったのだと思います。
この時のトークショーの役者の方は、
高野浩幸さん(「なぞの転校生」岩田広一 役)、
星野利晴さん(「なぞの転校生」山沢典夫、「幕末未来人」和田 役)、
熊谷俊哉さん(「未来からの挑戦」飛鳥清明、「その町を消せ」赤川二郎 役)
の三人でした。
いずれの方も眉村ドラマで人気に火がついたと言っても良いのではないでしょうか。
この3名の方目当てにこのトークイベントに参加したのは、私を含めて相当数だったと勝手に想像します。
そう考えると、今回の東京での眉村さんサイン本の人気も当然のような気がしました。

眉村さんフェアということでは、これも昔のことで1992年ですが、大阪で「眉村卓SFの世界展」というイベントがあったと思います。
私がこの情報を知ったのは、「司政官」のJDC版に挟まったいたはがきで、イベント終了後でした。
是非行きたかったと、とても残念がったことを思い出しました。
今回はたまたま東京の書店でラッキーだったなあと改めて思いました。
この大阪でのイベントの内容をそのはがきで確認しましたが、本当にすごいものだったんですね。
オープニングパーティ、眉村さんトークショウ、そして展示物が初期作品としての「スーパージェッター」、「引き潮のとき」のSFマガジン原画、眉村さんの全小説単行本の展示、生原稿 等々。
又、このようなイベントがあったら、場所は大阪でもどこでも絶対いくぞ!!と思うのでありました。
(開催してくれないかなあ...。50年記念で)
 

左右の足でSFとホラーを踏みしめる

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月18日(木)21時51分10秒
返信・引用 編集済
  『北極星号の船長』は、「革の漏斗」「銀の斧」「ヴェールの向こう」「深き淵より」「いかにしてそれは起こったか」を読みました。

「革の漏斗」。著者にはメリット風の作品がいくつかあるようです。本篇がそうなんですが、後述の「ヴェールの向こう」もそう。
 というのは実は逆で、メリットはドイルより25歳も年下。本集収録作品はすべてメリットの作家デビュー(1917年)よりずっと以前に発表されているのですね。つまり前後関係で言えば、メリットがドイルの或る傾向の作品に影響されたとはいえても、逆はいえないのです。
 また本篇は、著者の歴史趣味も色濃く出ています。
 主人公は、(蒐集家である)友人のパリの自宅で、奇妙な漏斗を見せられる。17世紀頃のものとは見当がついたが、注ぎ口のところに奇妙な疵が付けられている。由来を訊ねるに、友人は夢の心理学なるものを持ち出してきて主人公を当惑させます。実はかの友人は心霊学にも造詣が深く、その答えは、その漏斗を傍において寝れば、自ずと夢のなかに現れるであろう、と不思議なことをいうのです。で、主人公は言われたとおりに実践する。果たして夢の中に主人公が視たのは……!?
 漏斗の口に疵をつけた人物は実在し、ウィキペディアにも項目が立てられています。西洋史に詳しい人なら、あ〜あの、と頷かれるでしょう。いわんや当時のイギリスの読者であれば、日本人における絵島生島事件と同じくらいよく知られた事件なので、最後の、イニシャルの謎が解かれた瞬間、「虚構が現実に接続」し、「落腑感覚」が惹起され、それが快感になったと思います。しかしながら、いかんせん大多数の日本人にとっては(英国人とは常識の範囲が違っているので)そのような「落腑感覚」はなかなか望めない。あ、そう、とか、ふーん、で終わってしまう。翻訳小説の不利なところですねえ。
「これを使ったワイン醸造業者はずいぶん変わった人間で」「樽の方も相当に珍しい樽だっただろう」(131p)とか、「牝虎が一般にそうであるように」「頑丈で鋭かったというわけだ」(146p)というブラックユーモアも、著者一流の乾いたものでなかなか味わい深いです(^^;
 著者の歴史趣味と神秘志向が合体した面白小説。その意味では怪奇小説なのですが、ただし「昨日の山師は明日の教授」(132p)に着目すれば、SFと言ってもおかしくない。著者の二本の足は、片方の足で怪奇の地を、もう片方でSFの地を、それぞれ踏みしめているのですね。
 追記。ただしなぜ夢を視たのか、視ることができたのかの説明は無し。これは不満。器物に乗り移った怨念の力、と、自分なりに解釈して読みましたが。この一点で、やはり本篇はSFとは言いがたいですね。

「銀の斧」は、19世紀後半のブタペストが舞台。蒐集家で有名な伯爵が非業の死を遂げ、そのコレクションがブタペスト大学の大学博物館に遺贈されることになる。汽車で駅に到着したコレクションの数々は、博物館の館長と副館長が手ずから遺漏なく博物館に運び入れた。ところがその数時間後、館長の惨殺死体が発見される。それは、その後数日に亘って続いた連続猟奇殺人事件の幕開けだった……。
 犯人は要するに雫石鉄也「満腹」と同じなのですが、こちらは満腹などしません。ロボットの特質が回路に組み込まれた指令を壊れるまで実行して飽かないのと同じで、薔薇十字団によって伝授された呪いは壊れるまで解けることはなかったのです。
 なのですが……著者は別の解もありうるとします。なるほど、薔薇十字団は中世の化学者錬金術者の集団でもあったわけで、錬金術を前科学と捉えるならば……。本篇もまた怪奇小説でありながら、SFへの通路を閉じてはいないのです。

「ヴェールの向こう」は、イングランドとスコットランドの国境のローマ人の砦跡が舞台。最近発掘された(火災で焼亡したとおぼしい)この遺跡を見学しようと、主人公夫婦がやってきます。彼らはどちらの家系も、よそからやってきたのではなく、ずっと昔からこの辺りの農民なのです。その夫婦が、発掘されたばかりの遺跡の「怨念?」に当てられて、ふたりとも彼らの家系の、遺跡が炎上して滅びた際に生きていた先祖と繋がってしまう。すると……
 ある意味非常に皮肉なファルスですね。この後夫婦はどうなるのか。もちろん死がふたりを分かつまで、一緒に生きていくのです(^^;

「深き淵より」は、恐怖小説ですが、超自然は介在しません。作中人物が恐れ慄いたのは、いってみれば勘違いで、その恐怖は即物的で科学的ですらあります。「樽の方も相当に珍しい樽だっただろう」に通ずる感性です。

「いかにしてそれは起こったか」は、これは純然たるショートショート。
 

7月17日

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月18日(木)00時34分43秒
返信・引用
   「マジでハンパない」を略した「まじぱない」という言葉など、初めて目にしたときはイントネーションすら想像できなかった。(講談社現代新書『ラノベのなかの現代日本』9頁)

 7月17日
 
 

Re: 「告発」の書評&東京堂書店情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月17日(水)21時25分20秒
返信・引用 編集済
  > No.4597[元記事へ]

 段野さんの作品集である篁はるか著『告発』(日本文学館刊)の、図書新聞の書評をアップしました→こちら
 掲示板に直接貼り付けるのはさすがに遠慮しました。書評執筆者に無断掲載なので(でも執筆者の署名は見当たらないので問題なかったのかも)。

 段野さん
>配本された荷物が一目で何階(の棚に入るものなのか)行きなのか分かるように、
 なるほど、そういう意味があるのかもしれませんね。ご教示感謝です。

 さて、出版芸術社さんのツイート続報です。斎藤さんご提案の冊子『眉村卓が選ぶ10冊』がツイートされています。画像もあり。
 
 


 意外に(と言っては失礼ですね)立派な冊子ではありませんか。感心しました。これが無料とは! この冊子を貰うためだけでも、東京堂書店神田神保町店に足を運ぶ価値がありますね(^^)
 

サイン本

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月17日(水)14時02分1秒
返信・引用
  管理人様
しつこく思い出したことがありまして、ちょっと前(といっても今年に入ってからですが)
ジュンク堂ヒルトンプラザ店(今の名前はジュンク堂梅田店)で時間潰し、いえ、閲覧していましたところ、ある方(お名前を失念、でも覚えていても記せない)のサイン本が面出しで並んでおりました。皆にいじられてしまったのか、よれた状態で並んでおりました。どんなサインや、という好奇心により、長く陳列されたせいもあるのでしょうが、購入される気配も薄かったようです。
それに引き替え、眉村さんのサイン入りご本は、とりたてての宣伝(ツイートを見ることのできる方ならわかるんでしょうけど)は聞かせて頂いてはなかったなかでの完売、追加と、素晴らしい売れ行き、いやはや、東京近辺の方々が羨ましいことです。
サイン本だから、といって、必ずしも売れる、とは限らない様子を目のあたりにしたことを思い出したのであります。
 

Re:「告発」の書評

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月17日(水)12時09分2秒
返信・引用 編集済
  管理人様
どうぞどうぞ、公開して下さいませ。(書評が出るなんて、聞かされてもいなかったことなのです)
雫石様
拙作「告発」ですが、お会いできる時があるやもしれませんので、その時には必ずお持ちいたしますので、それまでお待ちくださいませんか。
管理人様
ちょっと気が付いたことがありまして。「東京堂書店」さんではわざわざと「3階」とつけられていることに、管理人様は疑問をもたれたのですよね。「東京堂書店」さんにあてはまるかどうかは、実際違うのかもしれませんが、階別に呼ぶのは、配本された荷物が一目で何階(の棚に入るものなのか)行きなのか分かるように、わざと「何階」ということがあります。毎日毎日山のように新刊が搬入されるお店ではよくあることなのです。(例えば、ヒバリヤ書店さんでは本店「3階」「2階」と呼んだりしています。返品の際にも何階からの返品か分かるように書店印を使い分けています)こういう例もあるのです、とお伝えさせて貰いました。
 

Re: 『告発』の書評

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2013年 7月17日(水)08時54分0秒
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  > No.4594[元記事へ]

図書新聞の段野さんの「告発」の書評。
見たい見たい。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

眉村さん情報:サイン本追加

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月17日(水)00時55分56秒
返信・引用 編集済
   東京堂書店の眉村さんサイン本、斎藤さんが、先般フェアを見に行かれたときには、既に売り切れていたということでしたが、出版芸術社さんのツイートによりますと、追加された模様です!
 
 サイン本って売れるんですねえ。意外でした。その作家のファンへのサービスにはなっても、売上に貢献するようなものではない、と、思っていました。サイン本なら買おうという購買層があるということなんでしょうか。何はともあれよかったよかった(^^)

 ところで、上のツイートを読んで、ひとつ疑問に思ったんですが、東京堂書店さんには、神田神保町店とは別に、「神保町本店」があるんでしょうか。それとも(サイトを見てもそんな店舗は見当たらないので)神保町店の1階を、本店と読んでいるのかな。そういえば眉村さんフェアは「神保町店3階」となっていました。てことは、神保町店は、階別に独立採算制なのかも。どうなんでしょうか?(以上から推理するに、今回は1階のサイン本コーナーに積まれているのかもしれません)

 あ、アマゾンに、『自殺卵』が登録されましたね→[Amazon]。8月12日発売のようです。

 お、双葉文庫の新刊カレンダーには、『職場、好きですか?』がアップされていますね→新刊発売カレンダー8月。こちらは8月8日発売予定。(アマゾンはまだみたい)
 

『告発』の書評

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月16日(火)22時45分32秒
返信・引用 編集済
  > No.4593[元記事へ]

段野さん
 おお、高槻の小学校は、毎年そんな危険なことをしているのですか!(>おい)(^^;
>地震がきたら、危ない危ないところですね
 まあ巨大地震でも来ない限り、頂上が陥没することはめったにないと思いますが、石灰岩というのは水に弱いですから、石灰岩が融けだして、地底と地上の境が薄くなっているところがあるかもしれません。そういうところなら、ごく小さい地震や、集中豪雨で通路ができてしまう可能性がありますね。そうなると、「青い洞窟の恐怖」のように、地下世界で進化した別種の生物がそこから地上に出てくるやもしれません。
 しかしまあ、遠足ならば、遅くとも夕方にはポンポン山から下山していると思いますので、実害はないんじゃないでしょうか。
 よしんば肝試しで夜中訪れるにしても、懐中電灯は忘れないように。
 「青い洞窟の恐怖」の主人公もランタンの灯りのおかげで助かったのでした。
 つまり、ダービーシャーの地底はまったき闇の世界ではなく、多少地上からの光が届いていたのでしょう。そこで進化した動物の目は、暗視カメラのように少ない光量でものが見えるように進化していたんですね。なので、ランタンの光でも、その動物には目が潰れるほどの光量だったわけです。そういえば、ゴルゴ13だったか、暗視スコープで見ていた敵に、マッチだったかライターだったかの火で、目を潰す場面がありましたね。
 が、しかし。
 地底の生物は別の進化も考えられます。それは目が退化してしまう場合です。こうなると、懐中電灯はなんの役にもたちません。ポンポン山の地下世界の動物がこっちの方に進化していないことを祈るばかりですが、この進化の二方向を分けるのは、なんでしょうか? おそらく地底世界の光量でしょう。つまりどこかから地上の光が漏れてきていて、もしくは地底に光源があって、真っ暗ではない場合は、ダービーシャーの方に進化する(ダービーシャーではブルージョンがその役割を果たしたのかも)。しかし全く無明の闇だったら、目が退化する方に進化するのでしょう。
 ポンポン山は、このどちらの場合なのか、僅かな隙間でもあれば前者になるはずですが、もし後者なら、肝試しはお控えになられたほうがよいと思います。老婆心ながらご忠告申し上げます(^^ゞ

 どうでもいいことを延々と書き連ねてしまいました。これからが本題です。
 『告発』の図書新聞の書評、本日落掌しました。ありがとうございます。おお、大絶賛ではありませんか(^^)
 この書評、当掲示板で公開してもいいのでしょうか? ご指示くださいますよう。よろしくお願いします(なんと短い本題(^^;)。
 

Re:「青の洞窟の恐怖」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月16日(火)14時05分25秒
返信・引用 編集済
  管理人様
突然ですが、ポンポン山は、高槻市の小学生の遠足の場でした。実際に頂上で足を踏んでも、何の音もしなかったので、がっくりした思い出があります。山頂の地下が空洞になっているとは知りませんでした。毎年たくさんの小学生が山頂に登っても、崩れてこなかったのなら、空洞はなかったのでは、などと思ってしまいます。地震がきたら、危ない危ないところですね。
でも、どこかとつながっている、などと思うと、それはどこなのだろうか、と想像がふくらんできました。当時はそんなことつゆ知らずで脳天気に登ったものでした。
 

「青の洞窟の恐怖」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月15日(月)22時59分51秒
返信・引用 編集済
   『北極星号の船長』は、「青の洞窟の恐怖」を読みました。
 舞台はイングランド中部ダービーシャー州の高地の村。高地といっても1420フィートとありますから430メートル程度です。しかし高緯度の中部イングランドでこの標高だと、かなり冷涼ですがすがしく高原というのが相応しいのかもしれません。主人公は結核を患っており、療養のためこの地の農場に仮寓しています。
 実はこのあたりには石灰岩の丘陵地帯があり、地下は空洞になっているようで、ハンマーで叩いたら音が響く。
 主人公は暇にあかせて、そして養生をかねて歩き回っていて、石灰岩の裂け目を発見する。それは人工の隧道だった。掘ったのはローマ人で、この地方特産の青蛍石(ブルージョン)採掘の跡なのでした。
 調べたら青蛍石は実在の準宝石の鉱物で、ダービーシャー産のそれを、特にブルージョン(BlueJohn)と呼んだようです。
 その古代の香り豊かな隧道から、最近奇妙な声が聞こえ、農場の羊が姿を消す事件が頻発する。「青蛍石の洞窟に棲む化け物」の噂も。興味を持った主人公は確かめるために単身洞窟探検に向かったのでしたが……
 今回の秘境は「地底」の秘境。今回も化け物は超自然ではありません。それは地底に閉じ込められ別の進化をたどった或る動物だった。最近その地底世界とローマ人の隧道の間が崩れ、穴が開き、地底の生物が地上に現れたのでした。
 というわけで、今回は進化論の怪物という次第。
 そういえば京都と大阪の府境にポンポン山という700m弱の山があります。なぜポンポン山かというと、山頂で歩くと足音がポンポンと響くから。つまり山の頂上付近の地下が空洞になっているらしいのですね。この山も石灰岩層なんです。現在、この(有ると想像されている)空洞と、頂上をつなぐ穴は開いていないみたいですが、もし地震か何かで、地面が陥没して穴が開いてしまったら!?……ひょっとして(^^;
 

「樽工場の怪」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月15日(月)14時26分7秒
返信・引用 編集済
   『北極星号の船長』は、「樽工場の怪」を読みました。主人公は蝶の採集家。持ち船闘鶏号に乗って、セネガルからアンゴラへ、熱帯の蝶を採集しつつ海岸線を南下している。その途次、水の補給のため、リベリアのとある河口の島に立ち寄る。その島にユニオンジャックが翻っているのが見えたので、主人公は挨拶に向かいます。そこはイギリスの貿易会社の樽工場だった……
 前作の極北の秘境から一転、本篇は、まさに熱帯の秘境、(当時の観点での)暗黒大陸の秘境物語です。
 樽工場では怪異が発生していて、すでにふたりの不寝番をしていた現地人が、3日おきに神隠しにあっている。今日が又その三日後にあたり、迷信深い原住民が恐れて不寝番を拒否したので、会社側の英国人自ら不寝番をすることになっている。興味を惹かれた主人公も、一緒に寝ずの番をすることを申し出るのでしたが……
 結論を言えば、本篇に超自然は介在しません。超自然現象と思われたのは、UMAともいえない巨大動物のしわざだったのです。その意味で本篇は、ホラーの衣をまとったSF(もしくは普通小説)となり、私は大変満足しましたが、ある種の人達は肩すかしだ、引き技だ、といって非難するんでしょうなあ(^^;

 さて、昨日紹介した村田基ですが、その直後に、ブログ(とHP)を発見しました。ブログ HP
 HPの方は著者の「道徳の起源論」で、これは実に興味深い。まだ本論に入る前の、序論というのか、そういう段階ですが、実に面白いし、ある意味共鳴します。
 ヒュームの説をひいて「である」から「べき」に移ったのが人間(ちょっと強引な要約)というのにはなるほど、と膝を打ちました(人文社会科学の棚卸の部分に、なぜか社会学(心理学も)がないのですが、この序論自体が社会学なんですよね)。
 昨日の投稿で、「言葉の真正な意味で倫理的とも」と書きましたが、その推測は間違っていませんでした(^^)
 ブログは現在も続いています。大変面白いです。これは書かれていない本論では、直接的には、ありませんが、著者の頭の中にある本論を、現実社会に適用したものといえそうです。しばらく著者の思索を追おうとアンテナに登録しました(^^;
 

異コレの村田基

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月14日(日)23時37分47秒
返信・引用 編集済
  > No.4589[元記事へ]

斎藤さん
>現物は、A5版サイズで、表紙と見返しもきちんとした体裁で、選出の10冊は書影をつけて、
>それぞれに眉村さんの手書きコメント文を配して、一冊に1ページを充てていました。表紙、
>見返しを含めて12ページに及ぶ立派なものでした。
 おお、それはすばらしい。本当に一読者の要望にきちんと対応して下さっているのがすばらしい。
 まさに斎藤さんがおっしゃるように「企業の鑑」「書店の鑑」というべきですね。ネット販売されているのならば、私もぜひ利用させていただきたい。と思ったのですが、ネットストアは開かれてないみたいですね。残念。
 さきほどは関東の、と書きましたが、これはもう、関東のみならず甲信越、静岡福島の眉村ファンの方も、東京堂書店神田神保町店に結集していただき、そして是非ゲットして頂きたいと思います。

 閑話休題。少し前になりますが、異形コレクションの手持ち分を処分するつもりと書き込みました。今日、実行するつもりで引っ張り出してき、ホコリだらけなので(少しでも高く値付けしてもらおうと)1冊ずつクリーニングしていたところ、ふと村田基の名前が目に入り読み始めたのが運の尽きで、手持ちの異コレから村田作品を探しだしては読み、結局すべて読んでしまいました。
「アロママジック」(2巻『侵略』(98))
「貯水槽」(5巻『水妖』(98))
「黄沙子」(6巻『屍者の行進』(98))
「猛獣使い」(14巻『世紀末大サーカス』(00))
「人形の家」(20巻『玩具館』(01)) *ちなみに調べたところ、村田基の、異形コレクション掲載作品は全部で7篇で、あと「ベンチ」 (10巻『時間怪談』(99))、 「ナイトメア・ワールド」(19巻『夢魔』(01))があるようです。
 やはり面白かったです。ホラーなんですが、そこに意図があるホラーなんですね。とりわけ「アロママジック」と「猛獣使い」と「人形の家」にそれは顕著で、日本SF史に残る傑作長篇『フェミニズムの帝国』につらなる作品群といえる。「アロママジック」は匂いという、基本的には主観的な価値観で、マイノリティを差別してしまう、その差別の構造を浮かび上がらせていますし、「猛獣使い」では、それとは反対向きに、単一の価値観に順応させられることの危険(斉一性)を描いています。それは「人形の家」にも現れていて、ここに描出された人形は、単なる「人形愛」的な観念の玩弄物ではなくて、「人形」のように従順になってしまった人間です。この3篇は(『フェミニズムの帝国』もですが)、ハクスリーやオーウェル直系のディストピア小説といってよいと思います(その意味では第一世代的とも言える。意外に思われるかもしれませんが、言葉の真正な意味で倫理的とも)。
 一方、「貯水槽」と「黄沙子」は、よりホラー的で、ちょっと苦手な作風なんですが、やはり「単なるホラー」というと脊髄反射で反発する人がいるのですが要するに怖がらせたり驚かせたりするだけに書かれた(したがってベクトルの向きに一貫性がない)ものではなく、そこには意図があり、「人間のもつ負の部面」を描き出しています(その辺はラファティと同じです)。「貯水槽」のはしがきで井上雅彦が「怪物より、人間のほうが怖い……という言説は、村田基には、通用しない」と書いていますが、牽強付会も甚だしい。村田基こそ、人間の(誰もが持っているかもしれない)暗部を描いている作家なんですよね。

 ということで、思わぬ再確認をしてしまいました。異コレは玉石混交とはいえ、傑作もたくさん生み出しているんですよねえ。売り払うのはちょっと惜しくなって来たので、今回は売るのを中止します(^^;
 

Re: Re:眉村さん情報・他

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 7月14日(日)22時55分26秒
返信・引用
  段野様
本当に、今回の件は東京堂書店さんに感謝感謝です。
1ファンの提案というか、泣き言に真摯に対応頂きました。企業の鑑です。
眉村さんのコメントは、名刺サイズの手書きポップの形で展示されていたものなので、これを冊子にまとめるとしても、せいぜい文庫サイズに裁断した用紙数枚にまとめる程度のものかなあ、などと非常に失礼な想像をしていました。
現物は、A5版サイズで、表紙と見返しもきちんとした体裁で、選出の10冊は書影をつけて、それぞれに眉村さんの手書きコメント文を配して、一冊に1ページを充てていました。表紙、見返しを含めて12ページに及ぶ立派なものでした。

眉村さんが「聊斎志異」の面白さを語っていたのを、私も何かで読んだ記憶があります。
かなり前で、それを読んだ時に、私も読もうと思ったことを覚えています。
その頃は、かなり大判で高価な全集体裁のものしか見当たらず、結局買うことすらせず、現在に至るです。
今回の選出10冊(実際は15冊:「聊斎志異」は6巻までありました)を全部買って帰ろうとも思ったのですが、暑さで挫けてしまいました。
きっと、何日か後にやっぱり買おうとか思いそうです。
その時には、アマゾンとか近所の丸善ではなく、東京堂書店で買いたいと思います。

管理人様
今回の小冊子は、東京堂書店3階の眉村さんフェアコーナーにおいてありまして、自由に持ち帰り出来るものです。
それなりの部数はあったと思います。
上にも書きましたが、とても良い感じの体裁で、眉村さん自筆の肉筆コメント付きですので、入手する価値は高いと思いますので、行ける方は是非という気がします。
尚、サイン本はもう一冊もありませんでした。めでたし、めでたしです。

最初の投稿でどうしても思い出せなかった選出10冊の一冊である松井孝典さんの本ですが、この方は、かなり前、結構テレビで見ていました。
派手な色のめがねの竹内均さんと対照的に、まじめな学者然とした雰囲気の方だった印象があります。
まだ助教授の頃だったと思います。
最近は、なぜか東日流外三郡誌の真贋論争で有名な安本美典さんと、「典」の一字しか同じ字はないのに、混同してしまうことがあったりします。
この人の本を見たときに、「あれ、宇宙物理の人じゃなかったっけ?」と何度か思いました。

今回の件では、自分の記憶力の低さと、いい加減さを改めて思い知らされてしまいました。
もっと脳を鍛えねばと改めて思います。
 

Re: Re:眉村さん情報・他

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月14日(日)20時31分45秒
返信・引用
  > No.4586[元記事へ]

斎藤さん
 お知らせありがとうございました。
 これは素晴らしいご提案をなさいましたね。それを受けて小冊子を製作して下さった東京堂書店さんにも感謝です。
 斎藤さんと東京堂書店に栄光あれ!
 この小冊子は、そうしますと、東京堂書店神田神保町店3階で開催中の、眉村卓『たそがれ・あやしげ』刊行記念フェアのコーナーに行けば積んであって、自由に貰ってかえることができるのですよね?
 素晴らしいではありませんか!
 これはもう、関東在住の眉村さん読者のみなさんは、とまれかくまれ取るものもとりあえず万難を排し万障繰り合わせおっとり刀で東京堂書店神田神田神保町店3階へ駆け付けるが吉ですね(^^;
 先回のご投稿になかった松井孝典、私も一時期、著者の本は出れば買って読んでいました。といっても初期の太陽系形成理論の頃ですが、その後宇宙哲学みたいな方向に行かれたんですよね。で『我関わる、ゆえに我あり−地球システム論と文明』も近作で、やはり哲学的な著作のようですね。タイトルだけ見たら現象学か実存主義みたいです。これは面白そう。たぶん科学的アプローチから現象学的な地点にたどり着かれたのではないかと想像しています。読んでみようと思います。
 斎藤さん、本当にありがとうございましたm(__)m
 

Re:眉村さん情報・他

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月14日(日)18時02分23秒
返信・引用 編集済
  斎藤様
わざわざのご報告、ありがとうございました。また、東京堂書店さんにご提案下さいまして、ご足労さまでした。東京堂書店さんも、よくぞ、冊子にして下さいました。これは、斎藤さまの、執念(!)ともいえるものだと思います。これにて、ブックフェアの詳細が見えてきました。大阪では、ないのですから。
そのなかで、「聊斎志異」につきましては、いつの記事だか不明なのですが、眉村さんがお書きになったものを見つけました。どうやら(あいまいで申し訳ございません)「聊斎志異」についての、ご本人の記事だったようです。よほど、「聊斎志異」につきまして、ご本人の思い入れが強いものだと、改めて思い知ったのであります。(作品に反映されていること、ご存じですよね。それ以外にも、眉村ワールドにあるのかも知れません)
お疲れ様でした。
しかし、改めてラインナップを見てみますと、「なるほどねー」と感心するばかりです。
 

Re: Re:眉村さん情報・他

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 7月14日(日)14時42分40秒
返信・引用
  > No.4574[元記事へ]

管理人様
段野様

実は、前回の貴掲示板への投稿のあと、東京堂書店様の方に一つ提案をさせて頂いていました。
前回の投稿時に、どうしても眉村さん選出10冊のタイトルをちゃんと覚えていなかったことが残念だったことと、眉村さんのせっかくの手書きコメントもちゃんと内容を覚えることが出来なかったことが残念だったので、東京堂書店様に、眉村さん選出10冊のコメントを冊子にして配布等頂けないでしょうかと、口惜しさ半分でメールでお伝えしました。
先週の中頃に、私のお願いを受け入れて頂ける旨の返信を頂きまして、小冊子が出来次第連絡を頂けることとなりました。
そして、昨日の夜、小冊子の配布を開始したことのご連絡を頂き、今日、無事に眉村さん選出10冊のコメント小冊子を頂いて来ました。

改めまして、眉村さん選出の10冊を報告させて頂きます。
前回投稿で明らかに誤っていたのは、「科挙の話」村上 哲見 でした。
タイトルが似ていたのでこれと思ってしまいましたが全く別の本でした。失礼しました。

・クラーク「幼年期の終わり」でした。陳列されていたのは創元推理版ですので、「地球幼年期の終わり」です。
・ベスター「虎よ、虎よ」
・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」でした。
・角川書店「新版 季寄せ」(角川書店)でした。
・聊斎志異
・宮崎一定「科挙−中国の試験地獄」(中公文庫)でした。科挙がタイトルに入っていたので、完全に間違えていました。すみません。
・手塚治虫「火星博士」(講談社 手塚治虫文庫全集)
・宮沢賢治「月夜のでんしんばしら」
・芥川龍之介「河童・或阿保の一生」(新潮文庫)
・松井孝典「我関わる、ゆえに我あり−地球システム論と文明(集英社新書)
でした。

以上です。
 

「北極星号の船長」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月14日(日)00時15分53秒
返信・引用
  『北極星号の船長』は、表題作を読みました。スピッツベルゲン島とグリーンランドの中間点あたりの北極海が舞台。九月半ばのこの辺りは早くも冬が到来しつつあり、捕鯨船北極星号は、東西北を北極点からつづく氷原に、南を日々拡大してくる叢氷に閉じ込められ、北風が吹いて南の叢氷が開くのを待っている状態。なぜこんなギリギリまで留まっていたのか。船長が鯨の大群を見かけたと主張して譲らなかったからなのですが、それは口実でしかなかった。彼は待っていたのです……。
 氷に音を吸い取られ沈黙に領された晩秋の北極海の光景が(とりわけ夕映えに染った氷原が幻想的で)、目に見えるような臨場感を持ってせまってきます。まさに海の秘境、極北の秘境小説の趣き。よかったです(^^)。
 しかしストーリーはホラーでした。船長が待っていたものは、最後にだいたい見当がつくようになっているのですが、なぜ北極海のこの時期に、そこにいたのか、は、本文からは全く推測不可能。
 私はSF愛好家でありますからして、こういうストーリー展開は、どうしても不満が残ってしまうんですよね。もちろんそんな不満を吹き飛ばしてしまう圧倒的な内圧が小説世界に漲っていれば話は別ですが、本篇は(面白かったにせよ)異形コレクションの上位クラスといったところがせいぜいなのでした(^^;

 あ、それから一点疑問が。船の甲板から直線距離にして900マイル先の島が見える、という文があるのですが(41p)、900マイルは1448キロ。福岡から東京までの距離より長い。そんな遠くまで見えるはずがない(水平線までの距離は、20メートルの高台から見ても20キロに満たない)。というか、グリーンランドとスピッツベルゲン島間の最短距離も1000キロ以内でしょう。当時はマイルの示す距離が違っていたのでしょうか?
 

「大空の恐怖」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月12日(金)23時40分22秒
返信・引用 編集済
   コナン・ドイル『北極星号の船長』に着手。
 冒頭の「大空の恐怖」を読みました。
 いうまでもなく、じゃなくて、知る人ぞ知る岡田正也の労作「大空の秘境」に、その例として取り上げられていた作品です。私はこの「大空の秘境」が収録されたファンジン『ベム AGAIN』を、編纂者の高井信さんからいただき、読んで、その着眼の面白さに驚倒させられたのでしたが(こちら)、たまたま、本書を入手したところ、「大空の秘境」が収録されているではありませんか。大喜びで読んでみました。
 本篇は、ちょうど100年前の1913年に雑誌に発表されました。折しもライト兄弟の初飛行が1903年。人類は大空という未踏の世界に乗り出す手段を得ます。瞬く間に飛行機は改良され進化し、早くも1910年には陸軍大尉の徳川好敏が日本人初の航空士としてアンリ・ファルマン3型機で日本の上空を飛び、奇しくも本篇の発表年と同じ1913年には武石浩玻が民間航空家として初めて大空に浮かぶも着陸に失敗、航空事故死者第一号となります(余談ながらこの経緯は拙作「鎖国市有情」に詳しいので参照ありたし→こちら)。
 こうして人類は、大空という未踏の世界に、(かつて西欧人がアフリカやジブラルタル海峡の外に見出したような)「秘境」の存在する余地を見出すことになる。こうした時代背景のもとに執筆された本篇は、岡田エッセイに紹介された他の数篇とともに、新たに見出された「大空の秘境」を舞台とする秘境モノの一分野を形成したわけです(もっとも岡田エッセイにある通り、この分野の寿命は短く、1940年代には絶滅してしまいます。つまりそれだけ航空機の発達が急激だったということですね)。
 本篇では、41000フィート(約12000メートル)上空に秘境が存在します。1913年時点では、これが当時の飛行機の限界高度だったんでしょう。主人公が操縦室から望む高空の気象の状態は科学的に間違っていないと思います。その科学が届かない地点にイマジネーションを展開しているわけで(もちろんイマジネーションされた空の怪物も理に適ったデザインです)、その創作態度というか作法はSFのそれと全く同じですね。「毒ガス帯」などと同様、初期のSFに含めるべきでしょう(などと私が言うまでもなくSFとして認められているんでしょう)。
 で、ふと思い出したのですが、トドラの回も、「大空の秘境」モノだったんじゃなかったでしょうか。と、思って検索したら、4次元空間になっていますね。しかし旅客機が迷い込んだ世界であり、ゼロ戦の残骸があったりするんですから、これはやはり「大空の秘境」とすべきだったんではないでしょうか。きっと製作者は、岡田正也の「大空の秘境」を読んでなかったんでしょうね(^^;
 

Re: 「らっぱ亭奇譚集」拝受

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月12日(金)02時04分45秒
返信・引用 編集済
  > No.4582[元記事へ]

 らっぱ亭さん、面白いお話を訳して下さり、ありがとうございました。
>ホラー・アンソロジー初出のまっとうなホラー作品
 ああやっぱり! しかしラファティも、アンソロジーの趣旨を理解して書くなんてこまかい芸当ができたのですねえ(>おい)。もちろん皮袋の中身は、100パーセントラファティでしたが(^^;。
「カブリート」は、いかにもらっぱ亭さんらしいセレクションだな、と思いました。こういうラファティもいいですねえ。
 らっぱ亭さんには、一度、自分の好みを前面に出したラファティ精華集を編んでいただきたいです。もちろん翻訳は当然らっぱ亭節で(^^)

 
 

Re: 「らっぱ亭奇譚集」拝受

 投稿者:らっぱ亭  投稿日:2013年 7月12日(金)01時02分51秒
返信・引用
  > No.4581[元記事へ]

ご感想有難うございます。

「ベリーヒル」はラファティには珍しくもホラー・アンソロジー初出のまっとうなホラー作品なのです。
まあ、今回はホラーとホラの抱き合わせってことでw

ご興味あるかたは、拙サイトにアドレスがありますので、メールにて御連絡ください。
Twitter (@RappaTei)経由でもどうぞ。

大熊さんも、ご自由にPDFを配布していただいて結構ですよー。

http://hc2.seikyou.ne.jp/home/DrBr/index.html

 

「らっぱ亭奇譚集」拝受

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月11日(木)22時59分39秒
返信・引用 編集済
   らっぱ亭さんから、らっぱ亭さんによるラファティの本邦初訳を2篇掲載したファンジン《らっぱ亭奇譚集ファン交出張版2013》を、PDFでいただきました。
 まずは「カブリート」を読みました。
 その居酒屋は止まり木が7つ並んだカウンターの両端の壁が鏡になっていて、丁度、ちょっとずつ離れた3つのグループが、止まり木にとまって飲んでいるようにみえるのです。
 3つのグループの、いずれのグループでも中心にいるのはノルウェー人で、この見かけの世界では空士ルンドクエストとして知られていて、川向うの空軍基地に駐在しています。
 しかしリアル世界ではヴァイキングなのです! ヴァイキングとして日夜ヨーロッパ沿岸を荒らしまわっているのです。
 この二重構造が、実によいです。眉村さんの『夕焼けの回転木馬』と同じ設定ですね。ではイーガンとも同じではないかって? いやいや、元の世界を措定する点で、イーガンではなく、眉村卓なのです。

 ここで一気に作品世界に引きこまれた読者は、次に、両側の鏡の中の二つのグループに注目させられます。この二つのグループは、真ん中のグループの鏡像でなければなりません。ノルウェー人以外はそうなんですが、空士ルンドクエストのみ、真ん中の本人と違う動きをしている。
 いや実にワクワクする光景。鏡像が本人に向かってニヤリとしてみせる恐怖小説はあまたありますが、こういう設定は珍しいのではないか。まあ実際は左右の鏡像の端にも鏡があるので無限に続いている筈なのですが、そこはラファティ、ハードSF作家じゃないのでリアリズムにはこだわりません(>おい)(^^;

 さて、酒場のバカ話にも堪能したルンドクエスト、次行こう、とばかりにつれのアイルランド人を誘って、カブリートを食わす店に向かう。
 カブリートとは仔山羊の串焼き料理のようです(漢字で宛てると齧人かな)。で、店から出て馬車を拾う。ところが両端の鏡像世界のふたりのルンドクエストも後ろからついてきていて、馬車に乗り込む。つまりこのふたりは鏡像ではなく生霊だったのです。大抵の人間は、生霊の一匹や二匹くらい持っているんだって(^^;
 着いたカブリート屋で、焼きあがるのを待つ間に聞かされたのは、うちではいっぺんに100頭のカブリートを炙っている。ここいらには同じような店が他に100軒ある。ところが牧場には雌山羊が1頭いるだけ。さて、どうなってるの?

 ここで私が卒然と思いだしたのは、日本人はこの列島に一億以上いて、どこに行ったって人間の姿がみえないところは殆どない。さてこの一億人が毎朝たまごを一個食べるとします。いやこの例はそんなに的外れではないでしょう。てことは日本では、鶏は、少なくとも毎日一億個以上(というのは昼飯や晩飯にも卵は使われるからです)産んでいなければなりません。とすれば、私たちは、人間を見ない瞬間はないというくらいですから、卵自体も、それに見合うだけ目にしていなければならないはず。でもそんなことはありませんよね。さて、どうなってるの?
 本篇の結末のようなことが、リアル現実のこのニッポンでも起こっているのショッカー(^^ゞ

 もう1篇の「ベリーヒル」は、これは意外にもオーソドックスなホラー。最後の結末までオーソドックス。これはまたどうしたことか。鬼の霍乱とはこういうことをいうのでしょうか(>言いません)(^^;

 いや面白かった。らっぱ亭さん、ありがとうございました。また翻訳されましたら、その時も宜しくお願いいたします!
 

「聖痕」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月11日(木)01時39分2秒
返信・引用 編集済
  筒井康隆『聖痕』(新潮社 13)読了。
 面白かった。これは、精神分析でいう生の根源であるところの、リビドーを遮断された人間を仮設し、その人間がいかに成長してゆくかを描く実験小説で、先ずあります。
 ひらたくいえば煩悩から解放された人間を設定したわけです。
 とりわけ青年期、人間は性衝動を昇華することで成長していくわけですが、リビドーをもたない人間は、まず芸術に対して関心を持たない。事実本篇の主人公は、小説も読まなければ音楽も聞かない。そういう興味が発動しない。これはまさにその通りでしょう。
 その上で著者は、リビドーを持たないとは煩悩がないということなので、とりわけ青春期は勉学に励む時期でもあるわけですが、音楽や小説などの芸術にも、もっと根源的に異性にも「惑わされることなく」勉学一筋に励むことができ、東大に入ります。
 こういう人間は一面的な人間になってしまいそうな気が、私にはするのですが、著者の見解は違うようで、主人公に与えられたかかる条件の、好ましい面に注目します。それは暴力や闘争心というものがあらかじめ除かれている人間です。そのような人間が幼少期から大人になっていく姿を、著者は仮想し描写しています。その意味で本書は、一種「エミール」的な小説といえなくもないのではないか。
 次に本書は、食通小説であり料理小説でもあります。リビドーがない主人公に、芸術心は発現しませんが、そのかわり「味覚」を追求していわゆる食通となり、それが高じて、食べるだけでは満足せず、「料理」というものにどんどん惹かれていく。もちろん料理も芸術の一分野ですが、ただ、味覚は、性衝動と無関係と、著者は考えているようです。この料理の描写は、私には猫に小判で、通り一遍にしか読めなかったのですが、食通の人や料理に関心のある読者は、たぶん舌なめずりしてよだれを垂らしながら読めるのではないでしょうか。雫石さんにはお勧めです(>おい)(^^;
 さて、主人公は二十代なかばに独立して自分のレストランをもちます。丁度精神分析的な意味での青春期の終了と軌を一にしており、エミール的な実験小説は、これ以後、後退してしまい(主人公は考察の対象から既定の存在となり)、小説の性格が変わります。
 バブルの始まりから崩壊、その後の不況、そして東日本大震災という、昭和末期から平成のほぼ現在にかけての社会情勢を背景にして、主人公の一族とその周辺の人間関係を描写する、まあいわゆる新聞小説らしい小説になります。そしてこの部面では、昭和のあらまほしき家族のありさまが活写されており、ある意味、『楡家の人びと』的な面白さがあります。
 それとは別に、本篇のレストランのビルの中のあれやこれやには、「梁山泊ビル」を想起させられ、その意味では『俗物図鑑』の延長線上にある作品とも言えそうです。
 小説の形式的にも、前半は話者がセンテンスごとに変わっていくような実験性がありましたが、後半はほぼ主人公に視点人物が固定され(最終的に神の視点になる)、内容が新聞小説的になるのに対応していきます。
 では前半と後半は分裂しているのか。
 いえいえ、そうではありません。後半の一族小説自体、前半のリビドーを奪われた主人公の成長が契機Momentになっているのであって、前半なければ後半もあり得ない。
 最後に主人公は、震災直後の東北の被災地で、自分からリビドーを奪った当の犯人に遭遇するのですが、彼を赦し、いや感謝すらするのです。ラストは大団円ですが、それもまた主人公からリビドーを奪った犯人の兇行ゆえなのでした。
 頁数はわずか250ページですが、改行が殆どなく、実感的にはもっと長いものを読んだ印象。それもそのはずで、本書は1970年代から東日本大震災までのほぼ40年に亘る物語なのであり、或る「時代」を読み終わったという満足感があります。堪能しました。
 

Re: Re:眉村さん情報・他

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月10日(水)20時22分19秒
返信・引用 編集済
  段野さん
>拙作「告発」(画像にアップして頂いた本)が書評されました
>図書新聞7月13日付(3118号)
 おお、それは素晴らしい!
 早速、図書新聞のサイトに行ってみました。ありました(^^)→今週の図書新聞
 …………………………………………
 不思議な力を使いながらも不器用に日々を生きる主人公を清々しく描く
 評者◆A
 告発
 篁はるか
 日本文学館
 …………………………………………
 リンクにいけば、書評も読めるのかな、と、クリックしてみましたが、その先は有料でした(^^; まあ当然ですわな。
 ということで、その書評、ぜひ読みたいのですが、当分ジュンク堂に行く予定がありません。可能ならば画像にしてメールで送っていただくか、コピーを郵送していただくかしていただけませんか? よろしくお願いします。

>そのせいで、豊田さんには、この頃には創作の数が少なかったのかも知れません
 そのとおりです。で、アニメに行ったまま戻ってこないのではないかと心配したSF作家仲間が、一番温厚な眉村さんに憎まれ役を押し付けて、ショック療法を仕掛けさせたんですね。眉村さんだと豊田さんも怒るわけにはいきませんから(平井さんが行ったらつかみ合いの喧嘩になってしまいます(^^;)。
 それは豊田さんも分かっていて、おかげで豊田さんは数年後に再びSFを量産し始めるわけですが、やはりそんな仕打ちを自分に対してした当の眉村さんが、アニメの企画の席にいたことについては、分かっちゃいるけど、フクザツな気分だったのではないかな、と邪推したのでした→「あの眉村さんがアニメの企画の席にいる!」
 

Re:Re:眉村さん情報・他

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月10日(水)15時22分21秒
返信・引用 編集済
  管理人様
言葉足らずな書き込みだったかもしれませんが、スーパージェッターは豊田さんが関わる頃には、筒井さんによる骨格が出来上がっていたのかも知れません。「スーパージェッターは筒井さん」と言われておりましたので。豊田さんは虫プロでの時期(嘱託社員だとのこと、雇われ時期は短かったとのこと)アニメの脚本を手取り足取り教えて貰ったのは、手塚さんのお蔭、と言われていました。ともあれ、SF作家がアニメ(その頃はまんがだった)にものすごく関わった時期だったのではないでしょうか。そのせいで、豊田さんには、この頃には創作の数が少なかったのかも知れません。
>山野浩一さん
この方は「X列車で行こう」や、競馬のお話が記憶にあります。管理人様のおっしゃるとおり、アニメのイメージがないですね。でも、実際に沢山脚本を手がけられておられたようで、(お仕事要覧によりますと)「あの」と言われれば、そうかも、と思ってしまうかもしれないですね。

ところで、ところで、こんなところで、自分宣伝してはいけないのでしょうが、なんと、拙作「告発」(画像にアップして頂いた本)が書評されました。本の宣伝は、6月26日付毎日新聞4面下、月刊「群像」261ページ目、図書新聞7月13日付(3118号)1面下にあるのですが、まさか書評されるとは思ってもみなかったことです。ほとんど業界紙みたいな図書新聞ですが、ジュンク堂に行けば、文芸誌の片隅の棚にさしてあります。図書新聞7月13日付6面に書評があります。よくぞ、書評の対象になったものです。さすが、うまいことかいてあるなあ、と感心しました。(実はこの図書新聞、今日届いたもので、まだお店には走っていません)まいりました。もし、ご関心のある方、ジュンク堂で見ていただけましたなら、幸いでございます。
 

Re: Re:眉村さん情報・他

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 9日(火)21時14分34秒
返信・引用 編集済
  > No.4576[元記事へ]

段野さん
 その話、面白いですねえ。しかし「あの〇〇さんがアニメの脚本を書いた!」の〇〇にもっとも相応しいのは、私は山野浩一さんではないかと思うんですけどねえ。
「各テレビ局は競ってSFアニメの制作に乗り出し、ようやく本格的な創作活動を始めたばかりの第1世代SF作家のほとんどはそうしたTVアニメの原作や脚本を手がけている。硬質な作風からは最も不向きと思われる山野浩一だが、持ち前の器用さから、この分野でもかなりの売れっ子となり、手塚治虫さん原作の「ビックX」(TBS)と、自身の原作による「戦え、オスパー」(日本テレビ)の脚本の半分近くを担当した他、「鉄腕アトム」、「怪獣ブースカ」(実写)、「こがね丸」(人形劇)など、さまざまなTV作品の脚本を書きまくっている。」
 自分でおっしゃっているのがなんだかなあ、ですが、いかにも山野さんらしいところではあります(^^;

>アニメの脚本はSF作家たちが何とはなしに、すみわけができていたそうなのです
 これはちょっとずさんな言いようではないでしょうか? 住み分けができていたのは本業のSF小説の方だと思います。うっかり混同されたのかな。
 それが証拠に、
>スーパージェッターは筒井康隆さん
 これはあきらかに違います。ウィキペディアによれば、スーパージェッター全52話中、脚本は豊田さんが8本、眉村さんが6本に対し、筒井さんは5本です(半村さんが1本で一番少ない)。
『あなたもSF作家になれるわけではない(徳間文庫版)155頁に、虫プロをやめた豊田さんにスーパージェッターの企画へのお誘いが掛かり、行ってみたら、眉村さんと筒井さんがいた、という記述がありますから、少なくとも、8マンにおける平井さんや008における小松さんとは、ちょっと意味が違いますね。
 うっかりミスではないのなら、眉村さんがアニメにタッチすることに就いて、豊田さんに若干含むところがあったのかなあ、と邪推したくなるわけです(→こちら参照)。やっぱり邪推ですね(^^;

>「虎よ!虎よ!」
>どこがいいのだろうか
 いや、SF史に残る傑作だと私は思いますよ。ただ眉村さんの作風の中に、その影響を私は発見できないということなんですね。
 これが平井さんなら、その作品中の至る所に「虎よ、虎よ!」が顔をのぞかせているわけです。豊田さんならポール・アンダースンですね。一方、光瀬さんはシマックの影響を自ら告白されていますが、私はシマックよりもハインラインの未来史シリーズの影響のほうがずっと強いと感じますね。光瀬さんの例に眉村さんは近いのかも。内的な影響ということでしょうか。
 

Re:眉村さん情報・他

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月 9日(火)14時00分43秒
返信・引用 編集済
  管理人様
あの講演会での豊田さんのおはなしでは、「あの、社会派SFをお書きになられていた、(この豊田さんは、眉村さんより一世代下の書き手である、と最初に話を始められたあとで)眉村さんが、ですよ、アトムの脚本を手掛けられました。びっくりしましたね」ということだったのです。
あの頃のアニメの脚本はSF作家たちが何とはなしに、すみわけができていたそうなのです。スーパージェッターは筒井康隆さん、空中都市008は小松さん、エイトマンは平井和正さん、と言った例をあげてこられました。半村良さんもアトムの脚本を手がけられたとか、
その話のなかでの、「あの、眉村さんが」となったのです。はっきりと、「社会派」という言葉をお使いでした。
でも、眉村さんが、漫画少年(それも手塚漫画雑誌に投稿をしていた)が成長したあかつきには、きっとアトムの脚本を手掛けるには何の抵抗もなかったと思われるのですが、実際の本数は少なかったのだそうです。豊田さんはそのあたりのことはお話はされませんでした。
(本当のところのことはご存じではなかったのかも知れません)
「虎よ!虎よ!」は毎年のごとくゼミでお使いでした。わっ、また来た、(心の中では、毎年ハヤカワ書房もたいへんや、と思っていたものです。今や、店頭に並んでいるところなどまず、お目にかかれないのでは)こういう言い方をすると、まずいのかもしれませんが、どこがいいのだろうか、などと思って、伝票をめくっていたのであります。(伝票には、講師眉村先生、ときちんと書かれていました。でも講師の名前がなくても、分かりますよね)
 

Re: Re:眉村さん情報・他

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 8日(月)23時01分51秒
返信・引用 編集済
  段野さん
 それは大変興味深いお話ですね。詳しく知りたいです(^^;。
>「あの、眉村さんが」
 の前後の文脈がわからないのですが、一般的に、「あの、〇〇さんが!」(←!がつくような感じ)という場合、そこには「意外」感が暗意されているように思います。
 豊田さんは(眉村さんがアニメの脚本に携わることに就いて)何が意外だったんでしょうか?
 その説明を、豊田さんはなさったんでしょうか? よしんば説明がなかったとしても、聴講されていたのなら、前後の文脈から、現場ならではのニュアンスを受け取られたのではないでしょうか。推測で結構ですのでよかったら教えていただけませんか? よろしくお願いします。

 それから、これは以前から思っていたことなのですが、眉村さんが『虎よ、虎よ!』を大変評価なさっているのは、今回の東京堂書店の眉村卓フェアに、「影響を受けた10冊」の1冊に選ばれていることでも明らかですけど、私の感じとしては、『虎よ、虎よ!』と眉村さんの作風はあんまり結びつかないような感じがあるんですよね(もちろん客観的に大傑作であることについては、私にも否やはありません)。大学で教科書に使われていたとのことですが、眉村さんはいったい『虎よ、虎よ!』のどこを、或いは何を、そんなに評価されていたんでしょうかねえ。

 さて、お話はガラリと変わります。リンク先は昨日の長崎新聞の記事→母国はトルコライスに難色
 一読、そらそうやわなあ、と思いました。だいたい日本人は異文化について無知すぎるのですが、最近感じているのは、意味するものと意味されるもののつながりの軽視ということ。言葉におけるポストモダン化の進行なんですね。「120パーセントあり得ない」なんてのもその例(いや強調したいという意味はわかります)。こういうのって、私の感じでは70年代辺りからテレビで始まったように思います。最初は表現の奇抜性の追求だったのだと思いますが、その効果は原典を知っていてこそ。ところがそれが行き過ぎて、視聴者がそれを真に受けてしまったのと並行して、元の言い回しが忘れ去られてしまった、ということが起こったのではないでしょうか。「さりげに」は、最初は「さりげなく」の異化効果があった。ところが今や、「さりげに」をよく使っている人の語彙に、元の「さりげなく」は知識としてもなくなってしまっているのではないかとさえ思われます。「よろしかったでしょうか」も同じですね。論理的におかしくても、皆が使っているのだから、という斉一性が論理に優越してしまっているのでは?

 トルコライスのおいしい作り方は、こちらをどうぞ→とつぜんブログ 実はトルコライスなるものを、この記事で初めて知ったのでした。でもトルコと豚肉の取り合わせに、そのとき私も違和感をもたなかったのでした。他人のことは哂えません(ーー;

 

Re:眉村さん情報・他

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月 8日(月)17時01分57秒
返信・引用
  管理人様
斎藤様
ちょっと前に、手塚治虫記念館での、ゲストを迎えた講演会のご連絡を申し上げました。で、行ってきました、ゲストは豊田有恒さんでした。テーマは「手塚治虫とSF作家たち」で、あの「鉄腕アトム」の脚本に眉村さんが参加されていた、という裏話を披露されました。豊田さんには、「あの、眉村さんが」という思いがにじんでいたのですが、管理人様のご指摘どおり、漫画には特別な思いをお持ちだったのではないでしょうか。(大体、サインには、最近のことですが、「たっくん」というキャラクターが出現します)相当影響があったと思われます。豊田さんが結構、驚きと言われてましたので。
斎藤様
いやー、実に羨ましい現状を体験なされたものです。できるものなら、ほんと、見てみたいものです。こんなことは、そうそうあり得ないものだと、思います。だって、出版芸術社さんの本だけではないんですもの。まして、「虎よ、虎よ」は大阪芸術大学でのゼミで、毎年採用(クラスで使うために注文する)があった本なんですから。
それで、貴重なサイン本を手に入れられた、いや、おめでとうございます。もしまたお店に行かれましたならば、ご情報をいただけましたなら、ありがたいことと存じます。(だって、東京堂に行くこと、できませんもの)
 

Re: 眉村さん情報・他

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 8日(月)01時20分56秒
返信・引用 編集済
  > No.4572[元記事へ]

斎藤さん

 おお、東京堂書店に行って来られたのですね。
 眉村さんコーナーのご報告、本当にありがたいです!
 サイン本>出版芸術社さんのツイートでは15冊とありましたから、残り1冊ということは、やはりサイン本は全部ここに集められたのではないのでしょうね。
 さて、眼目の「影響を受けた10冊」ですが、『虎よ、虎よ!』はビンゴでした(^^;
 クラークは、こうして結果を見ればある意味当然感がありますが、逆に当たり前すぎてちょっと意外でした(変な日本語ですが)。『消滅の光輪』は、(巻頭に謝辞があるように)『宇宙気流』なんですが、いわれてみれば『太陽系最後の日』なんですよね。で、いま本当に、はっと気づいたのですが、たしかに『幼年期の終り』も同じ構造なんですねえ。もちろん選抜されたエリート(スターチャイルドでしたっけ)主義を受け入れてないのは、『果しなき流れの果に』と同様、日本人(非・アングロサクソン)の感性でしょうね。
 ディックは、ブレードランナーの原作でしたら『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でしょうね。これもなんか当たり前感がありますねえ。映画は小説の映画化というよりも、はっきり別作品というべきだと思うのですが、そのへんのことがコメントには書かれてあったのでしょうか。
『聊斎志異』は、なるほど、でした。著者が「聊斎志異」に影響を受けていると知ったのは、「ペケ投げ」が最初で最近なので、著者の不思議な短篇(ショートショート含む)系列には「聊斎志異」が後ろにあるとの前提で、これらの作品を読み返してみる必要があるのではないかな、と、思っていたところでした。
 手塚漫画の影響も、いわれてみれば当然でしたね。中学時代、眉村さんは手塚さん選者のマンガ投稿誌にせっせと投稿されていたわけで、ちょうど私が中学時代チャチャヤングにせっせと投稿していたのと同じ。私が眉村さんに被った影響力と、少なくとも同程度の影響力があったことは想像するに難くありません。
 芥川の影響というのは一種意外感があります。しかし、『《捩子》の時代』に掲載しなかった詩が、実は数篇あって、その不掲載の理由として、芥川の影響モロ、といった説明があったことを今思い出しました(^^;
 科挙の話は司政官制度と関係があるのかないのか。

 いやあ、斎藤さんのお陰でいろいろ新しい発見がありました。本当にありがとうございました。無理して行ってもらう必要は全くありませんが、もし神田の方に行かれることがありましたら、ついでに寄って頂ければ感謝感激雨あられであります。よろしくお願いいたしますm(__)m

 
 

Re: 眉村さん情報・他

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年 7月 7日(日)19時23分7秒
返信・引用
  > No.4569[元記事へ]

本日東京堂書店に行ってまいりました。
久しぶりに行きましたが、改めて良いお店だと再認識しました。
棚の作りが実にマニアック(良い意味で)で、正に書物のテーマパーク。
一日中居たいと思わせてくれました。

さて、眉村さんコーナーです。
眉村さん自身の著作は、出版芸術社刊行本以外には、創元推理文庫の「司政官」「消滅の光輪」、ハルキ文庫ものでした。
サイン本は、何冊入荷されたかは不明ですが、私は無事ゲット出来、残り一冊でした。
危ない危ない。
眉村さん選出の影響を受けた10冊ですが、申し訳ありません、メモも写真も何もないので、うるおぼえになってしまいました。しかも、わずか数時間前のものなのに、タイトル等、思い出せないというていたらくです。

・クラーク「幼年期の終わり」か「太陽系最後の日」のどちらか(こんなことも忘れてしまいました)
・ベスター「虎よ、虎よ」
・ディック「ブレードランナー」の原作 だったと思います。トータル・リコールの方ではなかったと思います。眉村さんのポップには、映画にも触れていました。
・角川書店「季節のなんたら(申し訳ありません、これも覚えていません)」
・聊斎志異
・科挙の話―試験制度と文人官僚 (講談社学術文庫) 村上 哲見: 多分これでした。
・手塚治虫の漫画。(タイトルを忘れてしました)
・宮沢賢治(絵本でした。タイトルを見るのを忘れてしました)
・芥川龍之介(これもタイトルを忘れてしまいました)
あともう一冊を思い出せません。我ながら、本当に情けないほどの記憶力に呆れてしまいます。

眉村さんのコメントはそれぞれの本に、手書きポップの形で、名刺サイズ程度のカードに書かれていました。
出版芸術社の紹介ツイッターの写真の中に左手にポップが立っているのが見えると思いますが、それです。
じっくりと読みたかったのですが、結構読みづらい字面で(眉村先生申し訳ありません)読むのにちょっと手間取ってしまいました。
時間を気にしながらでしたので、あまりじっくりと読み込むまでには至れませんでした。

非常に中途半端な報告となってしまい、申し訳ありません。
又、今月行くチャンスがあると思いますので、今度はメモの準備をしていきたいと思います。
 

村上芳正回顧展

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 7日(日)02時02分23秒
返信・引用 編集済
   過日、お知らせしました弥生美術館の村上芳正回顧展ですが、すでにこの4日より開催されています。
 会場には皆川博子先生から豪華絢爛たる巨大薔薇が届けられ、飾られている由(下世話な話で恐縮ですが、レリアンローズギャラリーという(日本で初めての)薔薇専門店からのものなので、おそらく10万円以上はするだろうとのこと!)(@@;
 
 お近くの方は、ぜひお運び下さい。
 なお、本展覧会に合わせて企画されていた『薔薇の鉄索 村上芳正画集』(国書刊行会)も、7月中には刊行されるようです→国書刊行会
 超豪華本なのでアレですが、こちらもよろしければ(^^)

 

 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月 6日(土)19時22分42秒
返信・引用
  管理人様
実は、ジュンク堂大阪本店にも配本してくれ、と願い出たのですが、あとは、本屋(ジュンク堂)次第である、との返事があったのであります。となれば、ジュンク堂大阪本店では、「いらない」ということになったのではないでしょうか。そうなれば、もうこちらの出番ではありません。おまかせ、ということになりました。それで、ジュンク堂千日前店では扱うが、本店では扱わないということになったのではないか、と思った次第です。
 

眉村さん情報・他

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 6日(土)18時44分44秒
返信・引用 編集済
  段野さん
>これは、トーハンだな
 そうしますと、トーハンはどうも大阪ではキタよりもミナミに影響力があるみたいですね。紀伊國屋とジュンク堂の大阪本店(どっちもキタにある)に陳列されないのはいささか想いが残るのでは?

 下の写真は、ケータイで撮ったので写りが粗く、チャチっぽく見えて申し訳ないのですが、先日、畸人郷例会で見せて頂いたもので、《SRの会ミステリベスト10》(SRマンスリー387号にて発表済)の国内部門、翻訳部門で1位の作家に贈呈される(された)賞品であります。
 ちなみに国内1位は横山秀夫『64 』、翻訳1位はジョン・ハート『アイアン・ハウス』
 写真の写りのせいで合成樹脂製に見えるかもしれませんが、れっきとした木製であります。製作費ウン万円! 鍵穴から中を覗くと、作品名、著者名などが記載されているのが見えるのです。写真はジョン・ハートさんに贈られる分で、きちんと梱包して、この日の数日後にはアメリカに向かって発送されたはず。横山秀夫さんの分は、7月1日に手渡されることになっていて、それまでは写真をお見せすることができなかったのですが、もう大丈夫だと思うので、アップしました。

 東京堂書店のサイトに、神田神保町店にて現在開催中の眉村卓『たそがれ・あやしげ』刊行記念フェアのお知らせが→こちら
>今回眉村先生には、ご自身に影響を与えた本10冊を選書していただき、その1冊1冊について先生直筆のコメントをいただきました。
 これ、気になりますねえ。私も書名とコメント内容がぜひ知りたい。見に行かれた方がいらっしゃいましたら、ご報告いただけると幸甚ですm(__)m

 『聖痕』は、今日はまだ読めていませんが、昨日までで130頁。ちょうど半分。

 

Re:「告発」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月 6日(土)14時21分47秒
返信・引用 編集済
  管理人様
まさか、あの拙い作品につき、この掲示板にて取り上げて下さるとは、感謝大感謝でございます。(思ってもみませんことでしたので、ありがとうございます。その上に、本の画像まで紹介して頂きまして、まるで、「眉村さん情報」みたいに扱って頂きましてもう、驚き一杯でございます)
おまけに配本ルートの件についてもお話されました。印刷に入る前に、特定店一覧を貰っていたので、これは、トーハンだな、と目星をつけてはいました。まあ、勝負はこの一か月間、どのようになるのやら、自分でも興味があります。それにつけても、検索していただき、お疲れ様でした。ありがとうございました。(ちにみに、タイトル「告発」ですが、かなり手が入っております。何人の方々からの熱いご指摘を頂いたものです)
「神社の前の食堂」のお話ですが、さすがは管理人様、私ごときが偉そうに申し上げても、及び及ばぬところでございました。恐れ入りました。
 

「告発」拝受

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 5日(金)21時00分7秒
返信・引用 編集済
  > No.4566[元記事へ]

段野さん
>キツネうどんでなければならないと思いました
 いやそのとおりなんですが、しかしその理由は、「大阪人はやはりキツネうどん」といった一般論ではなく、主人公が若い頃からほかのどの店でもなくこの店のきつねの味が気に入っていたからなんですね。
「やはりキツネは、この味でなければならない」の「この味」とは「この店のこの味」という意味でしょう。
 したがって本篇執筆の最大の動機は、「あの店のキツネを食べられないことが、残念なのである」という最後のセンテンスが全部言い表しているわけでして、単純に、何十年も食べてきたあの店のキツネを、今後一生食べられないことを惜しんで、このショートショートが書かれたとみるべきじゃないですかねえ(^^;。

 ところで段野さんのご著書『告発』が届きました!(著者名・篁はるか) わーい。段野さんご恵贈ありがとうございました!
 こちら↓
  
 ごらんのとおりISBN番号も付いていますので、検索したら、とりあえず楽天で引っかかりました!→こちら
 紀伊國屋書店ジュンク堂も登録済みです。
 しかし、どちらもリアル店舗には入荷していませんね。版元が(に配本権があるのなら)配本を怠っているのでは?
 どういう契約なのかわかりませんが、「特定店に並ぶ」という約束を果たしていなのだったら、きちんと要求するべきだと思うのですが、いやこれは、釈迦に説法でありましたm(__)m

 とまれ、ゆっくり拝読させて頂きますね(^^)

追記。大変失礼しました。紀伊國屋の弘前店や仙台店には入荷していました! 大阪本店は特定店ではなかったんですね。
 旭屋書店天王寺MIO店も在庫ありです→在庫検索 ジュンク堂は千日前店に入荷しています→こちら

 
 

Re:眉村さん情報:毎日新聞ショートショート

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年 7月 5日(金)14時16分31秒
返信・引用
  管理人様
皆さま方より遅れること半日、ようやく新聞を手にいれました。
JR西宮駅を出発し、目指すは西宮中央図書館。殆ど夙川沿いにあります。
前日の夕刊は、無雑作に新聞ボックスにつっこまれている。そのなかから目的の毎日新聞を手に取り、コピー係のところで、必要事項を記入し、いざコピー機のまえへむかう。(いかん、調子が影響を受け始めている。元に戻さねば)
用紙の大きさを確認して、十円玉を投入し、コピー終了。
自転車で来たものだから、降りると大汗をかきます。汗をおさせるためにも、ここはひとつ座って記事をゆっくりと読み出しました。
大阪人はやはりキツネうどんなのですね(大阪には有名なうどん屋さんが多い。今井のうどん屋さんなんかもそうかも)ここは、やはり、キツネうどんでなければならないと思いました。そばではまた感じが異なってくるように思えます。管理人様の推測写真においては、「生そば天ぷら」とありますが、ここはどうあっても注文するのはうどんでしょうね。キツネうどんでなければなりたたないお話なのではないかと思ったのでありました。
 

眉村さん情報:毎日新聞ショートショート

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 4日(木)21時03分15秒
返信・引用 編集済
   眉村さんのショートショートが掲載された毎日新聞夕刊(7月4日付)、無事入手しました。
「手のひらの小説」ではなくて、「掌の物語」というコーナー名でした。毎月第1木曜日に掲載されているようです(次回は8月1日)。
 タイトルは「神社の前の食堂」。私ファンタジーです。路面電車*の通りに面した古い大きな神社といえば、これは住吉大社以外に考えられません。googleストリートビューで確認しますと、たしかに住吉大社の鳥居前の、阪堺線を挟んだ対面に、「生(そ)ば天ぷら」の看板を掲げた閉店している店があります。ここでしょうか?(写真参照。「生□ば天ぷら」の□を「そ」(の当て字)と見ましたが、如何よくよく見たら、ひらがなの「そ」ですね!)。でも解体工事が進んでいると書かれているので違うかも。しかし、店内から鳥居が見えるロケーションはこことしか考えられないんですけどね。
(私の比定が正しいとして)著者は散歩の途中でこの店が閉まっているのを見つけて、あっと思ったのではないでしょうか。と、同時に、この話がパッと思い浮かんだ。そんな風に妄想しました(^^;
 従来の私ファンタジーが、『眉村卓コレクション異世界篇』三部作のように、過去に引き戻されるのを契機とするのに対して、『たそがれ・あやしげ』は、私ファンタジーであるのは同じとはいえ、過去へ引っ張られる引力は弱く、むしろ「老年」にこだわって、従来路線とは逆の向きに、未来にベクトルが向かっている点で、私ファンタジーの新たな発展型を感じたのですが、本篇はその意味では従来路線のショートショートですね。
*ちなみにこの路面電車の道を(ただし阪堺線ではなく上町線の方)天王寺に向かって少し戻ると、先日リンクした加川良「白い家」のある(あった)帝塚山三丁目へ至ります。
 クリックで拡大↓
 

眉村さん情報:毎日新聞

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 2日(火)23時17分4秒
返信・引用 編集済
   あさって、7月4日の毎日新聞夕刊に、眉村さんのショートショート(4枚)が掲載されます。手のひらの小説(?)という、ショートショートを掲載する連載コーナーがあって、そこに載るとのことです。そのコーナーをネット版で検索しましたが、発見できず。新聞すべてがサイトにアップされるわけではないのでしょう。もちろん有料サイトは別の話。
 毎日新聞購読者の方は、気をつけておいて頂ければ幸甚です。いちおう私は毎日新聞の販売店で購入するつもりです。

 『聖痕』は70頁。いやこれ、面白いではありませんか(^^)

 
 

東京堂書店眉村卓フェア

 投稿者:管理人  投稿日:2013年 7月 1日(月)20時57分57秒
返信・引用 編集済
   出版芸術社さんのツイートによりますと、東京堂書店の眉村卓フェアはもう始まっているようです(〜7月末まで)。
 
 前面左側は『たそがれ・あやしげ』、右側が『眉村卓コレクション異世界篇』全3巻ですね。
 その後ろは何かなあ→拡大写真(^^;
「眉村先生に影響を与えた本」が気になりますね。
 私の予想では、ベスター『虎よ、虎よ!』は確定。ブーアスティン『幻影(イメジ)の時代』も確実では?
 あと、アシモフ『宇宙気流』(か、『銀河帝国の興亡3部作』)とか、ブラッドベリ『火星年代記』とかでしょうか。
 うーむ。実際のところは何が選ばれているのかな。知りたいですねえ(^^)

 筒井康隆『聖痕』に着手しました。
 
 

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