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山口果林『安部公房とわたし』(講談社 13)読了。
面白かった。一気読み。本書が出るまで(ネットで感想を拾うまで)私はこのような事実を知りませんでした。著者は私も嫌いではない女優でしたが、私よりも上の団塊世代(つまり著者と同世代)に絶大な人気を誇り、そんなファンたちを指して果林党(かりんとう)と言ったらしい、とは、先日畸人郷で先輩氏から聞いた話。ですから安部公房スタジオ(さすがにその名前は知っていた)の看板女優だったということも、知らなかった。ま、青天の霹靂的な本でありました。
著者はなかなか烈女なんですよね。読んでいて到る所でそれを感じました。これも事前に読んだネット知識ですが、先年出された、公房と真知の娘である安部ねりの『安部公房伝』には、この事実は一言も書かれてないらしい。となれば、それを読んだに違いない著者は、ねり許さん、と思ったんじゃないでしょうか。で、それまでは「ことの真相」は胸に秘めたまま墓場に持って行こうと思っていたに違いない、そして実際この20年間はそうしてきていたのを、これはやはり事実として明らかにしておかねば、と、決意したのではないか。その意味で本書は、いわば果林版「蜂のひと刺し」と言ってよかろうと思われます。
となりますと性格的に、胸に納めていたことごとを全て吐き出してしまわずにはいられなくなり(言うまでもなく私の憶測です)、その結果、付随的に、これまで隠れていた関連事実が芋づる式にあげつらわれていく。それに関しても著者の烈しい気性は、固有名詞を濁しません。公房没後、芦ノ湖畔の旅館松坂屋の主人談話が週刊誌に載っていて著者を驚かせる。なぜならこの旅館の息子が事件記者で「ノーベル賞」の時期に公房の別荘のシャッターを乱暴に叩いた張本人だった。それで松坂屋は考慮の余地なく利用しなかった宿だったから、と著者は語るのですが、今更これを暴露された松坂屋も息子も困惑するばかりでしょう(^^;
公房は癌がわかったとき、既に4期だったとあります。実はそれ以前におしっこが極端に近くなっていて、東大医科の同窓の友人に検査してもらったのだが誤診で発見できなかった。この時見つかっていたら、という思いが著者にあり、後に、「裁判に訴えようよ」と公房に迫っています。まさに烈婦。しかしこれも当の医者にすればなんで今頃、ではあるに違いないですね。
ある時期から、公房は家を出て別荘に住み、同居はしなかったが著者と暮らし始める。ところが、財布は真知夫人が握っているのです。したがって公房が家族と別居してからは著者が公房を養うかたちになる。紫綬褒章の打診が来たとき、著者はノーベル賞以外はもらうに値しないと辞退させるのですが、公房は欲しそうだった。なぜなら年金が貰えるのではないかと思ったから、というのは、世界的作家安部公房にしてあまりにも哀しい逸話ではあります。
公房の命がいよいよとなってきたとき、著者の母親も末期癌でいつ死んでもおかしくなくなります。著者はふたりの末期がん患者を同時に(しかも片方は隠密裡に)世話をしなくてはならなくなる。この辺りは地獄ですね。私も何はともあれ先に死んでいきたいと思います。
「ノーベル賞」までは離婚を許さないというのが新潮社の意向だったのですが、結局ノーベル賞を取る前に公房は亡くなり、新潮社の公房担当者だった新田敞(当時常務)もその後すぐ病に倒れる。死ぬまで「最大の後悔は果林と結婚させなかったこと」と夫人に介護されながら言っていたとのこと。しかし著者にすれば恩讐アンビバレンツだったのではないか。
実母の死と相次ぐように公房が亡くなり、新田敞も病に倒れる(亡くなるのは10年後)。8か月後には真知も亡くなります。なんか、つはものどもが夢のあと、のような読後感でありました。
こうなったら『安部公房伝』も読まねばなりません。
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眉村さん情報:朝日新聞9月24日夕刊
投稿者:管理人 投稿日:2013年 9月30日(月)01時33分20秒朝日新聞9月24日夕刊文化面の切り抜きのコピー、昨日届いていました。いつもありがとうございます。
朝日新聞デジタルのここで見つけましたが、読むことができません。有料のようです。
前にも書きましたが、朝日のやり方は首を傾げてしまいます(他の大手新聞はここまでしていません)。紙版の新聞って、その日読んだらあとは捨ててしまうものですよね。一日限りの情報というのが原則といえる。ネットでも数日は有料でよいですが、或る期間を過ぎたら(新聞ではなく旧聞となるので)無料にして、だれでも検索できるようにするべきでしょう。
ということで、私が代わりに公開しちゃいます。あんさんそんなことしたら怒られまっせ。責任者が出てきはったらどないしますん。あやまるm(__)m
ところで、「SFの手法で組織や社会を描いてきたが、60を過ぎ、社会より自分を書くというところに行き着いた」というのは、ここまではっきりと言い切ったのは、なかなかショッキングで、これはひとつの境地というべきなんでしょうね。『自殺卵』の、就中「佐藤一郎……」「退院後」「とりこ」の三部作に、それがとりわけよくあらわれていると思います。