ヘリコニア過去ログ1310


楽天王手

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月31日(木)22時59分45秒
返信・引用 編集済
   いや〜よかった。感動しました! 10年に一度の名勝負だったのではないでしょうか。とかいいながら去年の日本シリーズがどんなだったかさえ、全く思い出せないのですが(>おい)(^^;

> No.4836[元記事へ]
段野さん
 いまはインターネットがあるので、ちょっと検索する労を惜しまなければ、たいがいのことは分かるようになりました。便利です。しかし逆に、調べることをせず「そーね大体ね」で済ませようとすると、てきめんに「ありがたいご指摘」を賜わるようになってしまいましたから、痛し痒しでもありますね。

> No.4837[元記事へ]
トマトさん
 ピロシキと一言で言っても、なかに入れる具は色んなパターンがあるみたいで、春雨を入れるのはどうやら満州流みたいですね(ですから本来緑豆春雨でしょう)。ウィキペディアによればパルナスのピロシキは春雨を使わないようですから、スンガリとは別系統と考えられますね。
 うーん。パルナスのピロシキ、食べたくなってきました。もうおそらく40年以上食べたことがありません(実は味もうっすらとしか覚えていない)。パルナス製菓はなくなってしまいましたが、製法を受け継ぐモンパルナスというパン屋さんが阪神電車尼崎駅構内に喫茶店併設の店舗を出していて、昔ながらのピロシキを売っているそうなので、買いに行ってこようかな。
 

パルナスピロシキパルナスピロシキ

 投稿者:トマト  投稿日:2013年10月31日(木)17時49分52秒
返信・引用
  パルピロの歌をYouTubeで見つけました。
パルピロパルピロパルピロパルピロと呪文のようです。
思わず童心に帰ってきてしまいました。
パルナス製菓のCMはリボンの騎士やムーミンなどで放映されていたようですね。
関東ではカルピス劇場だったと思います。



ピロシキもWikipediaでみてみましたが、本式のものは動物の「脳」も具としていれるようですね!さすがに脳入りの本場のピロシキは遠慮したいです。



 

Re:レス

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月31日(木)16時38分57秒
返信・引用 編集済
  管理人様
ごみ収集車のメロディー、張り付けて頂き、ありがとうございました。パソコン下手なので、手も足も出ませんでした。
>まあ、ぼーっとした子供だったので、
いえいえ、関心のない事柄には、大人も子供も、たとえ目の前にあったとしても、気付かないものです。例えば、今一番なゴシップって、とか聞かれても、週刊誌オタクなら分かるでしょうが、ワイドショーも関係なければ、分からないことです。人間、関心がなければ、知らないことだらけです。(これで恥かくこと、たくさんありでした)厚顔無恥で、人生あり、と、これは開き直りか? まあ、いろいろありの事柄でした。
ところで、このごみ収集車の元歌ですが、フルバージョンで聞いてみると、あまり古さを感じさせられない。カップリングの裏面は舟木一夫で、何だか青春歌謡なのかな、とも思ったりしました。で、ごみ収集車のメロディーが刷り込まれたのかも知れません。
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月30日(水)23時13分59秒
返信・引用
  > No.4834[元記事へ]

トマトさん
>パルナスの歌はなにか脳内リフレインします
 これ、クセになりますよね (笑)

>無借金黒字のまま事業縮小し会社精算
 って、なかなかできることじゃないですよね。おっしゃるように、「まだまだ」とか思ってしまいがちなんですよね。
 とくに昭和の時代は手形決済取引が一般的でしたから、右肩下がりだと支払いが収入よりも多いというのが常態で続くはずで、いくら無借金とはいえ、また資産も持っておられたんでしょうけど、きれいに終わらせるのは並大抵じゃなかったと思いますね。

> No.4833[元記事へ]
段野さん
 いろいろ調べて頂き、ありがとうございます。
 私も検索してみました。昭和41年からゴミ収集車で流されているようです→ここ
 昭和41年は1966年なので、だったら当然私も聞いているはずです。ところが、youtubeで聴きましたが、全く記憶が甦りません。まあ、ぼーっとした子供だったので、そのせいでしょうか(汗)

>(実は歌を張り付けたかったのですが、やりかたが分からず、諦めました)
     ↓ (^^ゞ
 


 

パルナス製菓のCM

 投稿者:トマト  投稿日:2013年10月30日(水)17時02分34秒
返信・引用
  パルナスの歌はなにか脳内リフレインします (笑)

Wikipediaでみてみましたが、売り上げ減を受け入れ無借金黒字のまま事業縮小し会社精算したというのは経営者として英断だど思います。
多くの場合、自分の築いた城とステイタスに固執して大変な事態に至るのですが。





 

メロディー

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月30日(水)13時44分52秒
返信・引用 編集済
  管理人様
以前に、大阪市の家庭ごみ収集車が鳴らすメロディーのことを書きましたが、調べてびっくり。約40年前から鳴らしているらしいのですが、元歌は島倉千代子が昭和39年3月に出したレコード「小鳥が来る街」だそうです。歌詞の中には「緑を植えて大阪を可愛い小鳥がすむ街に」とありますので、もろにPRソングですね。橋下市長になる前までは、庁舎の昼休みソングでもあったそうです。(橋下市長に変わってからは、うるさい、ということでなくなったとのこと)
管理人様がお住まいの頃は、なかったかもしれませんね。
ともあれ、よく調べなかったことに、反省です。(でも、びっくりです。いろんな人が、音とかアップしていました。有名なのかな。「赤とんぼ」みたいなありきたりでないところがおもしろがられたのかも知れません。大阪市環境事業局のホームページにまでもメロディーがありました)
(実は歌を張り付けたかったのですが、やりかたが分からず、諦めました)
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月29日(火)18時05分50秒
返信・引用 編集済
  > No.4829[元記事へ]

堀さん
 ああ、紛らわしくてすみません。グーグルビューで代用しました。私のケータイのカメラよりずっとクリアーなので。だから東横インはまだ空地のままなのです。
 で、私も堀さんに出会うのではないかな、と思いながら歩いてました。最終かっぱ横丁着は5時前でした。
 うめきたと言っても、人が溢れているのはほぼ茶屋町だけですね。あとは閑静で、とりわけ新御堂の東側の横道に入れば、ほとんど人を見かけず昔のままの雰囲気、(繁華街のすぐ隣なのに)夜も静かそうでした。
 今度は赤い鳥居から西回りに踏査しようと思っています(^^;

> No.4831[元記事へ]
トマトさん
 このCMは非常にインパクトがありましたねえ。憶えている人も多いと思います。
 そういえばラジオの放送で加藤登紀子さんが、ある時期まで映画にしろ歌にしろヨーロッパ(大陸)からの文化が主流で、掛かるのはイタリア映画やフランス映画、歌はシャンソンやカンツォーネだった。それがいつのまにか英米一辺倒になってしまったと言って(嘆いて?)おられました。加藤さんの経歴からすれば不思議ですが、ロシアの名前は上がりませんでした。でも当時流行した歌声喫茶で歌われるのはロシア民謡だったんですよね(そもそもCMを歌っているダークダックスはロシア民謡が得意レパートリーでした)。
 おっしゃるようにロシアもフランスなどの西ヨーロッパ諸国と並んで、日本人に影響を与えたことは間違いありません。でも私は思うのですが、戦後の状況は、シベリアでの強制労働などロシア(ソ連)に対してよい感情を持てる要素はないはずなのに、なぜ歌声喫茶ではロシア民謡が歌われたんでしょうね。加藤さん一家のように満州(とりわけハルビンあたり)からの引き揚げ者にとっては、懐かしいメロディだったのかも。で、1960年代まではまだそのような記憶を持った人が多かったのかもしれませんね。
 

パルナスの歌

 投稿者:トマト  投稿日:2013年10月29日(火)08時04分40秒
返信・引用
  おはようございます。

パルナスの歌、見ました。関西にはこういうものがあったのですね。アニメーションといい歌唱といい昭和の古(いにしえ)の香りが感じられる逸品でした。かつてはロシアもアメリカやドイツ、フランスと並んで憧れの地でしたね。ロシアケーキなるものも田舎の駅前の小さな洋菓子店(何故かモーツァルトなんていう店名だったりする)で売られていましたね。昭和の時代はドイツとフランスとロシアがごっちゃになってなんとなく憧れの対象でした。一方進駐軍の持ち込んだアメリカは青春の聖地でしたね。

ピロシキは東日本の田舎の町でもてに入りました。春雨の入ったあげパンでした。
 

Re: 梅田北ヤード調査

 投稿者:堀 晃  投稿日:2013年10月29日(火)05時09分7秒
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  > No.4829[元記事へ]

あ、なぜか懐かしいと思ったら、これは去年の写真か!
うーん、だまされた。
うめきた周辺もだいぶちがうはず。
 

Re: 梅田北ヤード調査

 投稿者:堀 晃  投稿日:2013年10月29日(火)04時44分28秒
返信・引用
  > No.4828[元記事へ]

わ、なんだか懐かしい町並みだと思ったら、ぼくも昨日歩いた場所だ。
時間的には、桜橋から大阪駅を経由、グランフロントを抜けてかっぱの北端に出るコースを帰りましたから、どこかですれ違っていたかも。
赤い鳥居?のビルの北側には11年前に井上剛さんが勤務されてました。
http://www.jali.or.jp/hr/mad4/mad232-j.html
今はすぐ近くに石飛さんが生活されてます。
宇治電ビルと並ぶ大阪のSF名所になりそうな。
 

梅田北ヤード調査

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月28日(月)21時27分40秒
返信・引用 編集済
   私の裡で懸案事項になっている電車通り前の印刷会社ですが、今日、現地調査してきました(^^;。
 実は先々週の土日に予定していたのでしたが、台風。それで一週間のばして先週の土日(つまり昨日一昨日)、これがまた土曜日は、金曜から引き続く異様な寒さで回避。昨日の日曜日は好天でしたが、金土の低温にやられたのか腹の調子が悪くなり、外出はためらわれる、というそんな状況で、今日、一念発起して行ってきました。
 紀伊國屋書店から元・北市民教養ルーム前を通って新御堂筋に出、北上。豊崎2丁目交差点で右折しますと、突き当りに東海道本線の高架が見えていました。意外に近い。その道を次の辻で、新御堂に並行する道に左折し、北上しますと、茶屋町から5分と離れていないのに、もうあたりはこんな風に裏町です。
 
 そうそう、くだんの印刷会社もこんな立地でした。突き当りは梅田貨物線。で、右手の電線工事をしているトラックのところ、この建物に注目。製本所の看板が出ています。一目見て、ああ、当の工場もこんな感じだった、という感じがひしひしと。
 
 グーグルビューのこの写真ではトラックが邪魔で、それにまた冬だったらしく入り口が閉まっているのですが、今日は当然工事のトラックはなく、入り口も開いていて、まさにこんな感じだったんですね。アングルを変えてみましょう。
 
 いよいよ、らしく感じてきました。もちろんここは製本所なので、私がアルバイトに行った工場とは別です。
 さて、製本工場を右手にさっきの道を北上しますと、豊崎4丁目交差点。ここで左を見る。と、正面の高架は新御堂筋。左手の白い塀が、現在は東横インが建っている空地で、以前は印刷会社だった由。堀さんがご教示下さった第二候補地です(10月18日の記事)。
 
 
 ここで180度ぐるりと回転しますと、道路越しに梅田貨物線の線路が見えます。
  
 高架というより盛土ですね。この線路の状況を覚えていないのですが、高架ではなかったのは間違いないと思うのです。しかも距離感的にもこんな感じだったような気がします。
 先を急ぎます。新御堂の高架下をくぐってさらに行きますと、第一候補地に至ります(ここ)。
 
 グルッと回転。
 
 うーん。かなり線路が遠いです。しかし、ミニストップの道にはなにか感じるのです(とは言ってもこの辺りの道は大体こんな感じではある)。
 どっちとも言えないんですよねえ。となるともっと西か。
 情けないことに、ここまででかなり疲れたので、本当は貨物線路にそって大阪駅西口の方まで歩くつもりだったのですが、やめることに即決(笑)。ミニストップの道を南下したら、すぐに、今話題の食材詐称で揺れるホテル阪急インターナショナルが見え、かっぱ横丁に辿り着いた。第一候補地は梅田から非常に近くて、これなら問題なく歩ける距離ですね。

 ということで、とりあえず調査終了(^^;。結論は出ませんでしたが、ひとつ気づいたのは、北ヤードって想像以上に狭かったこと。しかも東海道本線と貨物線にがっちり区切られていて(どこから見ても、道のかなたに高架線が見える)、その向こうもすぐに淀川ですし、ドン突き感が非常に強いです。見た目、どうもあんまり発展性がなさそうな気が(>おい)m(__)m。
 やっぱり南エリアのほうが、どう考えても地理的に優れている気がするんですが、地政学を打ち破る阪急商法なのでしょうか(笑)。あんまり履いてない靴を履いてきたので、帰途は片足を引きずりながらでしたが、面白かった。また調査に赴こうと思ったのでありました。

 

Re: パルナス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月28日(月)21時24分53秒
返信・引用 編集済
  > No.4826[元記事へ]

段野さん
 「隠密」という公的な役職はなく、役職としての正式名称は「御庭番」なんですよね。と思って、ウィキペディアを見たら、あらら「隠密廻」という役職はあったみたいですね。ただし町奉行所の役回りで全国を股にかける隠密とはちょっと意味が違うみたいです。

>大宇陀松山地区
 伊賀−名張−宇陀−吉野−金剛葛城−千早赤阪−根来 というラインは気になりますねえ。南朝ラインでもあります。(^^)

>家庭ごみの回収車が鳴らすメロディー
 これは知らないですね。私が市内に住んでいたのは1974年までなので、それ以後のシステムなんでしょうか?

 
 

パルナス

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月28日(月)15時05分35秒
返信・引用
  管理人様
どうもしつこくてすいません。
「パルナス」のCMソングとか、「ロバのパンや」のCMソングとかを集めたCDが発売され、懐かしさのあまり、ヒットしたということを聞いたことがあります。ある年代の人々には、郷愁を感じるものがあったのでしょう。話題になりました。
同じように、大阪市内に在住する人たちには、刷り込まれたかのようなメロディーがあるようです。家庭ごみの回収車が鳴らすメロディーを、いつの間にか覚えてしまうとのこと、このメロディーには、ちゃんとしたタイトルと、歌詞がある、といつぞやの朝日新聞に載っておりました。そういえば、勤務先が西区の時には、月曜日と金曜日にはそのメロディーが、会社周辺で鳴り響いていました。いつの間にか、覚えてしまった記憶があります。
とんだことで、失礼しました。
 

隠密

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月28日(月)14時19分8秒
返信・引用 編集済
  管理人様
以前に、隠密は武士のイメージがあるとおっしゃっておられましたね。私も、「隠密」=「隠密同心」=「侍」のイメージがあります。もっとすごいのになると、「隠密奉行」などというものが出てきますが、これなどは全くの作り物ではないかと思ってしまいます。「隠密奉行」は老中の命令でとある藩に赴き、人知れずその藩の悪事などを消し去り、公儀に知れることなく問題解決するという、大フィクションなのではないかと思うのですが。大体、「隠密」というよりかは、「つなぎ」という言葉など、よく使われています。
それと、これは、平谷美樹様には、「違う」とお叱りをうけるかも知れないのですが、「採薬使」(勿論役目柄は異なると思うのですが)と言う言葉をみて、ある場所を思い出しました。奈良県宇陀市、昔の地名の言い方だと、大宇陀松山地区なのですが、観光で行きまして、ここは薬草を山から採取して、薬を作る生業をしていたところで、今の大阪の道修町の製薬メーカーをたくさん生まれさせました。観光客に開放している住宅は、入口は狭いのですが、中に入ると、広い板の間、ここで製薬していたようです。薬草を採取する人々がたくさんいたのではないのか、そこから「採薬使」が出てきたのかも知れない、などと思ってしまったのでした。
勿論、平谷様の作品とは関係ない、とおっしゃることかも知れませんが(何も知らないくせに、とのご批判は甘んじて受けさせて頂きます)
ただ、大宇陀松山に行ったことで、薬草を採取する人々がかたまって住んでいた、その人たちが何かの役目をすることになったかも知れない、などと思うと、何かミステリアスな感じが出てきました。(各地にもあるやも、と思うと、またもやおもしろくなってきました)
全く関係ない、ということでしたら、誠に相済みませんでした。
 

岡本家とは別の話

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月28日(月)02時07分51秒
返信・引用 編集済
   岡本俊弥さんの『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号』評→岡本家とは別の話
 単なる義理ではなく、本気で講評して下さっているのが嬉しく、また本当にありがたい。
 編集方針について印象が散漫になるというのはそのとおりですね。ただ並べただけと言って過言ではないので。50周年の縛りも解けますし、次号ではもっと「雑誌らしく」なるように「工夫」しましょう(その前に「資料編」を出したいですね。並行でもいいですが)。
 

Re: Re: おおきにどすえ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月28日(月)01時06分32秒
返信・引用
  > No.4821[元記事へ]

海野さん

>単純に140文字で割ると1.571本ですか?
 おお! 眉村さんについで第二位決定ではないですか。いやマジで(笑)
 眉村さんもそうだと思うんですが、これはもう、書かずにはいられないという、一種の生理現象に近いのだろうなと私は思いますね。作家というのは基本、皆そうなんでしょう。注文があるとかは二の次なんでしょうね。というか、そうでなければ、たとえプロになれたとしても続かないのではないでしょうか。
 段野さんも、400本くらいで「遠い」なんて言っていては話になりませんねえ、と他人事のように(>おい)(^^ゞ。
 

Re: ご無沙汰してます。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月28日(月)00時49分16秒
返信・引用
  > No.4820[元記事へ]

トマトさん、お久しぶりです。

>SFMに「左右上下」という実験小説
 あ、その作品、ひょっとしたら未読かもしれません。
 SFマガジン1977年7月号を、ここで確認しましたが、表紙に記憶がありません。
 でも鏡明「来たりて破壊するもの」は読んだ記憶があるんですよね。ヒロイック・ファンタジーですよね。
 山尾悠子や豊田有恒や石原藤夫などのタイトルにも見覚えはあるんですが、こちらは出版されてから読んだ記憶が混入した可能性があります。しかし鏡作品は単行本化されていないので、SFM以外で読む可能性はありえません。SFMは持っていたけど、当該作品は読まなかったのかもしれません。1977年前後となると、コラムは読んでましたが、小説のたぐいはもう読まなくなっていた頃なんですよね。探してみます。

>加藤登紀子のお店のロシア餃子
 美味しそうですね。ロシア餃子というところに、満州直伝を感じさせますねえ(^^;
 ネットでHPを見ました。スンガリー(松花江!)、今日初めて知ったのですが、少し高級なお店みたいですね。
 私が、下の書き込みをしたとき思い出したのは、大阪ナンバ戎橋通商店街にあったロシア菓子店パルナスの、ピロシキというお菓子(調理パン?)でした。関西の方ではないトマトさんには、何が何やらかも分かりませんが、私が小さい頃、大阪南部の南海電車沿線の住人にとっては難波というターミナルが文明の入り口でして、連れて行ってもらうのは難波の高島屋。その屋上の遊技場で遊んで、階下の大食堂で食事をし、土産に買って帰るのが、このパルナスのピロシキか、蓬莱の豚まん・焼売か、ヒロタのシュークリームというのが定番でした。いまや、蓬莱は更に発展して大きくなっていますが、ヒロタは独立店舗はなくなり(電車駅の構内に数坪の小さな店を展開しています)、パルナスにいたっては会社自体がもはや存在しません。まことにゆくものはかくのごときかな昼夜をおかず、であります(ーー;

 

Re:Re: おおきにどすえ

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年10月27日(日)23時46分20秒
返信・引用
  > No.4819[元記事へ]

ツイッター小説ですから、殆どが140文字以内なんですけどね。
長くするとショートショートにも出来るアイデアの物をと心がけて書いています。
まあ、夏、仕事がハードになる時期は休んだりしますが、ほぼ毎日3本が長く続いていますね。
管理人さんに言われて何本ぐらい書いてるんだろうか?と疑問が。
でも数えるのが大変。
で、ワードで保存しているのを原稿用紙換算してみましたが、550枚ぐらいでした。
単純に140文字で割ると1.571本ですか?
結構書いていますね。
まあ、数ではもっとすごい人もたくさんいらっしゃいますが、ちゃんと落ちのあるものというこだわりを持って書いていますからね。
チャチャヤングショートショートマガジン掲載の2本も、このツイッター小説を元にしたものです。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

ご無沙汰してます。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年10月27日(日)20時11分2秒
返信・引用
  かつてのSFMに「左右上下」という実験小説が載っていたことを思い出しました。
筒井康隆です。あの人らしいライトさが面白かったです。
筒井康隆といえば「陥地獄仏法」が印象的でしたね。
あの人らしい自由&奇想天外さがいいです。
秋も深まり、最近私はココア党になりました。
ココアといってもホットチョコレートですが。


加藤登紀子のお店のロシア餃子、食べてみたいですね。




 

Re: おおきにどすえ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月27日(日)18時29分49秒
返信・引用 編集済
  > No.4818[元記事へ]

段野さん
>頑張れ
 こちらをご参照→トゥギャッター
 私は分かるような、分からないような・・・

>加藤登紀子さんのお父様の経営のロシア料理店
 ラジオ番組ではそんな話はなかったです。お父さんは引き揚げて東京で、ビクターだったかレコード会社に就職したとは言ってました。あ、でも番組の途中で目的地に着いたので、後半は聴いてなかったのでした(カーラジオで聞いていた)。
 今調べたところ、ロシア料理店は昭和32年に開店したようです(こちら)。ハルビンにいらっしゃったのなら、ロシア料理というのは筋が通って納得ですね。

>”日課・一日二枚半”は、400本ぐらい作らないと
 なんだ、たった1年と1か月じゃないですか(>おい)(^^;
 海野さんなんか、ツイッターでもう何年も一日一話(どころか、時には数話)を実践しておられますよ(^^)
 →こちらこちらでも。

 あ、そろそろ日本シリーズが始まるので、これにて。
 

おおきにどすえ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月27日(日)17時55分7秒
返信・引用
  管理人様
ちょっと前まで、京都西陣の帯の織り子の話を五話書きまして、頭のなかは京都弁だらけ。(約150枚くらい書きました)次に大阪弁の話約8枚で京都弁を追い出して、次は「どこそこ弁」のない話を2本書いて、「どこそこ弁」を追い出しました。で、まだちょっとすれば、京都弁の名残が頭を出します。(江戸時代の話です)何とかしなければ、とは思うのですが、影響力大ですわ。
ところで、「頑張れ」がいかんのですか。初めて知りました。気をつけねば、です。他にも「お約束」があるのでしょうね。
やっと、教室で「これでいいのではないか」というお言葉を頂きました。ただ、”日課・一日二枚半”は、400本ぐらい作らないと、というだめが出ました。はるけき道程ということです。うう、遠い。

で、加藤登紀子さんのお父様の経営のロシア料理店は、かなり後になってからの開店、ということなのでしょうか。結構有名だったので、昔からあったのか、と思っていたのですが、
何だか違って、覚えてしまったのかも知れません。管理人様の情報を聞きますによりますと、です。
 

お気ばりやす

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月25日(金)21時03分4秒
返信・引用 編集済
  > No.4816[元記事へ]

段野さん

>頑張れば、一日二枚半、いけるかも、です
 お気ばりやす!(ツイッター世界では「頑張れ」は絶対使ってはいけない言葉らしいので。そうかなあと私は思いますけどね。まあツイッターに引き寄せられる分布の「偏り」を反映しているんでしょう)(^^;。

 ところでお気ばりやすは、関西圏では当たり前に通用しますが、もともと京都弁なんですよね。
 京都といえば、今日FMラジオを聞いていたら、ディラン2の大塚まさじさんの番組に加藤登紀子さんがゲスト出演していて、加藤さんは昭和18年生まれで、1歳半のとき母親におぶられて満州から実家の京都に引き揚げてきたそうです。父親は満鉄職員で、その翌年引き揚げてき、それから家族は焼け跡の東京に移住された。加藤さんによると、お母さんは東京は本当によかったと言っておられたとのことで、その理由は焼け跡の東京はみな平等に無一物だったからだそうです。つまり京都は空襲を受けませんでしたから、戦前戦中の序列が維持されていて、無一文で帰って来た加藤さん一家はとても暮らしにくかったんだそうです。
 この話を聞いて思い出したのが高橋たか子の『誘惑者』で、この感想文に書きましたが、主人公(著者を反映している)が品川あたりの焼け跡を見て強い違和感を感じるのです。これは管見によれば、主人公の「無意識」に京都序列が内在化されていた証拠なんですね(著者自身の「意識」は京都に嫌悪感を感じていて、後に鎌倉に脱出し、和巳が京大に迎えられてもいっしょに戻らなかったのですが、でも無意識は京都に支配されていたわけです)。
 面白いのは大阪も焼け野原だったんですが(小松さんも眉村さんもそこにアナーキーな自由を感じた)、主人公が焼け跡を「認識」するのは東京のそれなのです。そして一方の加藤さん一家も、暮らしにくいからといって焼け跡の大阪には来ない。東京を選択する。上記では正反対の反応を示した二例ですが、ここではこの二例に或る共通する認識態度を嗅ぎ取らずにはいられない。それは言うならば京都人の大阪に対する一種下に見る態度です。そんなことを読み取ってしまうのは、これまた私の京都に対する「無意識」なのでしょうか(^^;。
 

Re:日課・一日二枚半

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月25日(金)16時59分1秒
返信・引用
  管理人様
本日、三枚半完成です。
(あほか、お前は、といわれそうですが)
少しは進歩したかな、この調子を忘れないで、頑張れば、一日二枚半、いけるかも、です。
本当に、眉村さんの講評は、痛かったので、参りました。
 

日課・一日二枚半

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月25日(金)14時11分54秒
返信・引用
  管理人様
まずかったのかな、反省そのものです。失礼しました。(初めから20分の約束でした)
やはり、実践で勝負、ですね。ただいまのところ、四枚で勝負をかけています。どういう講評になるか、どきどきものです。四枚から三枚、そして二枚半!やらねば、であります。
 

「将軍の象」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月25日(金)00時34分37秒
返信・引用 編集済
  > No.4813[元記事へ]

段野さん
>20分位で退出させられましたが。
 や、つまみ出されましたか(>冗談ですよ)m(__)m
 でもそれって間諜みたいで、あまりよい印象じゃないでしょうね。だいたい同じ先生が講師なんですから、どこの教室も大同小異でしょう。
 それよりも、そんな時間があったんだったら、言われていた2枚半で起承転結付ける、余分な文章を削ぎ落としていく、訓練をどんどんやったほうがいいです。絶対に力になると思います。日課・一日2枚半ですよ!
 間諜と書きましたが、最初(下の感想文につなげるため)隠密と書いていたのでした。が、そぐわないなあ、と思って間諜に訂正しました。間諜はわっぱ、らっぱに連なる語感があるに対して、隠密は、もっと背筋が伸びた武士がイメージされるんですよね。大瀬康一の刷り込みもあるんですが、言葉にはTPOがあって、同じ意味でも、その文脈にふさわしかったり、そぐわなかったりするんですよね。佐平次は、間諜ではなく隠密のイメージです。
 御庭番といえば伊賀甲賀を想起してしまうのですが、ウィキペディアによれば、吉宗が御庭番を設けたとき、すでに伊賀甲賀は忍者としての機能を失っていたとあって、御庭番と忍者を結びつけるのは時代劇の嘘のようです。実際は、吉宗が紀州から連れてきた薬込役→採薬使こそが、初代御庭番でして、ここから私の想像ですが、紀州の薬込役の更にその元はと考えると、根来衆に加わっていた山伏・修験者系の人脈(一種の忍者)ではないか。ということはずっとずっと遡れば楠木正成にもつながってくるのではないでしょうか。そう考えると楽しいですなあ(^^ゞ

 ということで、平谷美樹『将軍の象 採薬使佐平次(角川書店、13)読了。

 ミステリ的な謎が解明されたあとは、作者の本領、一気呵成に物語が走っていきます。ロードムービーです。「幌馬車」です。いや警護するのは幌馬車ではなく象ですが、江戸までの道のり、採薬使と先述の反吉宗派の呉越同舟部隊、それに加わるのが、同じく紀州よりの援軍「鯨方」(熊野水軍)の面々。鯨採りが象を警護するとはこれいかに!
 えー閑話休題。
 この三重に堅牢な象警護隊に対して、それでも謎のB者(いやもう既に謎ではないのですが、未読の方に慮ってそうしておきます)は、「幌馬車」のインディアンのようにあの手この手の奇襲をしかけてきます。このへんの作者の筆は冴え渡り、まさに映画の活劇シーンを観ているようです。圧巻は象道中の箱根越えの場面。ここでは遂に象がパオーと吠えて敵を蹴散らす痛快さ!(パオーとは言いません。念のため)*
 そうして結局、象は無事江戸に到着します。ここでB者の問題、象使いの問題他もろもろの懸案事項が政治的に解決されるのですが、まさに政治的解決であって、納得出来ないものもいるわけです。その辺の描写も、作者はおさおさ怠りない。切ないのであります。そういえばA者の隊長もよかった。やはりデュケーヌあってのシートンなんですよね(^^;
 ところが、15年後の後日譚。これはどうなのか。史実がそうだからそれに合わさざるをえないのは当然のことで、わかるのですが、佐平次は15年間、一度も浜御殿へ行かなかったんでしょうか。この小説を読み終わった者にはちょっと承服しがたいのです。佐平次がそんな人間であるはずがないのです。
 このシーンを書かないという手もあったかもしれません。しかしそれはそれで問題になりますよね。もっとあっさり史実として書き記しておく、というスタンスもありえたかも。うーん。むずかしい。やはりこれしかないのですかねえ。
 ともあれ本書、今年屈指の面白小説で堪能しました。そうだ動物小説が好きな人もこれは楽しめるんじゃないでしょうか。

 *この場面で、ふと既視感に捉えられました。たしか、以前象が箱根越えをする話を読んだことがあるという記憶が甦ってきたのでした。ひょっとして、作者にこの話の元になった短編があって、それを読んだことがあるのか、それとも別の作家の小説を読んだのか、思い出せません。


 

「京橋教室」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月24日(木)16時14分9秒
返信・引用 編集済
  管理人様
映画について、いろいろありがたきお言葉ありがとうございます。
NHK文化センター京橋教室に行ってきました。といっても、20分位で退出させられましたが。
4名の受講者です。平日の午後は、受講しがたいようで、女性3名、男性1名でした。半年6回とのことでしたが、事務局員さんによると、延長講義もありえるとのこと、でした。ええところでの退出だったので、実践はいかがなものだったのか、分かりませんでした。もうちょっと講義を伺いたかったです。(退出の際に、見学者は私であると、お気付きになられました)
いかんかったかも知れなかったのかな、反省かも、と思いました。(でも、知りたかったのです、様子を)見学については、まず予約を入れ、当日また電話を入れ、受付で見学者用紙に記入し、見学者の名札を付けての教室入り、という、手数をかけた上でのことでした。
しかし、教室の場所があるビルが、目茶目茶分かりにくい、入口が分からなかった、往復してやっと入口を見つけることができました。地図は用意していたのですが。
とりあえずのご報告でございます。
 

「将軍の象」読み中

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月24日(木)00時38分57秒
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  > No.4806[元記事へ]

 うーむ。いまから書くのは、私自身のための整理ですが、ひょっとしたら小説の構造を説明してしまうかもわからないので、そんなことをされたら困るという方は、先に本書をお読みになってから、こちらを見て下さい。

 まず吉宗は享保の改革断行中で(しかしながらまだその成果は出ていないという状況で)、恨みを買っています。民衆もそうですが、それ以上に直接締め付けられている諸藩から強く恨まれている(民衆を締め付けているのは藩なので、民衆の恨みは藩に向かっている場合もある)。
 そんなとき象を購入するという馬鹿なことをしたのが老中で、しかし象の輸入を請負った安南商人は(どうやら)殺され、契約は白紙に返った。
 ところがその象が、長崎に届いた。実は幕府は、象が来なくなって、ホッとしていたのです。
 誰かが、それをよく思わず、連れてこさせた。
 なぜか。
 やはり奢侈品を購入した、かつ長崎から江戸まで陸路象道中させるため、道筋の藩はそのための少なからぬ出費を幕府に命じられたということで、民衆や諸藩の不満を増大させようという、企み。これをA者とする。
 一方、安南商人も謀殺された。それは象を日本に入れたくなかった者のしわざ。これをB者とする。B者は象道中のさなかにも暗躍して象を殺そうとする。じっさい雌象は長崎で餌に毒虫を混ぜられて殺されます。
 ですからA者は心ならずもB者の襲撃を撃退しなければならない。すなわち反吉宗派のA者と吉宗の隠密の佐平次が呉越同舟するかたちとなる。
 象道中は民衆の不満を高まらせるかもしれないが、象を見物するというお祭り騒ぎの効果で、逆に将軍の支持率を上げる可能性もある。A者の作戦は裏目に出る可能性がある。
 でも将軍は、老中の拙速な行動を快く思っておらず、ホンネでは象が死んでしまったほうがよいと考えているはず、と、佐平次は推測します(もちろん象を江戸まで警護させるため佐平次を派遣した将軍はBではない)
 うーん。複雑。
 これまでの著者の筆法(叙述)は、あらゆる視点から(味方からも敵からも)描くもので、その意味で「謎」が発生しない場合が多かった。すべて読者には明らかという書き方だった。つまり非常に正統的ないわゆる物語小説の筆法だった。
 今回、それが隠されていて、その結果いわゆるミステリー仕立てといってよい構造に(結果的に)なっています。結果的にと書いたが、もちろん作者の意図です。
 この手法の採用で、本書は「謎解明」が主たる読みどころとなり、今までの平谷作品にはなかった面白さが加わったように思います。
 現在180ページ弱(3分の2)ですが、ようやくこの辺りで、AやBが誰なのか、わかりかけてきたところ。

 面白い。

 

Re: しつこくてすいません

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月23日(水)19時42分58秒
返信・引用 編集済
  > No.4810[元記事へ]

段野さん
>今時にこんなぺろんぺろんな表紙はないでしょう
 わ、それは気づかなかったです。さすがプロの目(^^;

 ただ眉村さんが感心されたのは、モノじゃなくソフトのほうだと思います。
>出版社からの表紙イラスト、イメージを貰った製本業者が作成
 という面です。映画の場合、出版社のところに入るのは、監督以下のスタッフでしょうけれども、彼らの、映画の中でたぶん観客の誰も注目しないであろう書架の本(雑誌)へのこだわりですね。
 下の写真を見ると、既述のそれっぽい特集名もそうですが、一冊ずつ日焼けの具合が違ったりしています。芸が細かいといいますか、ほとんど病膏肓レベルですよね(^^;。で、誰がそれに気づくかといえば、せいぜい私か段野さんくらいでしょう(>おい)。

>映画(テレビもか)はどうにでもできる世界だ、
というのは、おっしゃるように、そのとおりなんですが、その技術を実質的に我々2人のために、これだけ手間を掛けてくれている、と考えると、これはもう、ありがたいとしか言いようがありませんよねえ(笑)。
 

しつこくてすいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月23日(水)16時04分45秒
返信・引用
  管理人様
映画「僕と妻の1778の物語」に登場する≪月刊SF≫ですが、中身は白紙、これは製本業者が簡単に作ってくれます。
雑誌で、創刊号の見本が仕入に到着します。表紙のデザイン、総ページ数相当の分厚さ、版型など見てくれは創刊号そのものですが、ページを開くと、中は真っ白、何も印刷されていません。こんな感じの創刊号ですよ、というわけです。出版社からの表紙イラスト、イメージを貰った製本業者が作成します。それと同じことを、映画でもしたのでしょう。
(中身は真っ白なので、よくメモか、ノート代わりにしたものです)
「図書館戦争」では、はっきりと印刷されている部分が見えていましたので、「本」であることが分かったのでした。ただし、どのような本なのかまでは、見えませんでしたが。
とりあえず、失礼いたしました。
 

Re:Re:突然ですいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月23日(水)14時00分25秒
返信・引用
  管理人様
あの「僕と妻の1778の物語」では、主人公牧村朔太郎の初めて店頭に並んだ自作を、妻とともに記念撮影するシーンがあるのですが、ジュンク堂でのロケで、しかし、その本は実に嘘くさい表紙になっていました。小道具さんの手腕が問われるような、今時にこんなぺろんぺろんな表紙はないでしょう、と思ったことを覚えております。(自費出版でもここまで安物の表紙は使わないでしょう)その後主人公の書架には何冊か自作が並ぶのですが、もうちょっとデザイン考えてよ、という代物でした。
「ショタレ本」は、もうどうにも返品もなにもできない本です。それに小道具係が架空の表紙を付けて、アップ撮影に耐えられるものに作り替えていました。「ショタレ本」の出所が分かったので、やれやれです。流通できる本が焚書されるのは、見たくないです。どうにもできない本が使われていたことが分かって、納得しました。それも「故紙業者」からの本だったのでした。
映画(テレビもか)はどうにでもできる世界だ、と言った人がいて、そうかもしれない、と思った次第でした。
失礼いたしました。
 

Re: 突然ですいません

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月22日(火)20時20分57秒
返信・引用 編集済
  段野さん
 また面白い「調査」をなさいましたねえ(笑)
 調査結果も、へえ、という感じで意外で、面白かったです。
 で、思い出したのが、映画「僕と妻の1778の物語」です。写真は映画の1シーンで、主人公牧村朔太郎の書架ですが、これ、眉村さんが撮影現場を見学されたときにセットがあって、よく見ると全部偽物だったそうです。
 《月刊SF》なんて雑誌、ありませんよね。ところが黒地に白抜きの雑誌名の下の白地の部分、何が書いてあるのか、この写真では分かりませんが、右下の棚にある《KING SF》4冊は何とか辛うじて読み取れて(読み取れる部分があって)、右端のは
「特集/宇宙は膨張していなかった」
と読めます。
 上に書きましたように、これらは皆偽物で、中身は白紙らしいのですが、ここまで徹底するのか、と、眉村さんが感心されていたのを思い出します。
 段野さんの書き込みを読み始めたところでは、そういう架空の書物なのではないかな、と、一瞬思ったのでした。
 でもこの映画では「ショタレ本」(という専門用語があるのですか)を利用したということですね。
 いや、面白いですなあ。

 
 

突然ですいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月22日(火)15時29分25秒
返信・引用 編集済
  いつも突然ですいません。映画「図書館戦争」のブルーレイをレンタルしてきました。どこが
従来のDVDと違うのか、さっぱり分からないまま、画面はワイドではないし、ともかく、観始めました。どうしても、焚書するシーンがあり、それらの本をどこから手に入れたのか、知りたかったのです。劇場でエンドタイトルを目を皿のようにしてみても、分からなかった。まず、順当に見て行き、途中で劇中テレビニュースのシーンで一旦ポーズ。「検閲対象本」をトラックから放り出すところをじっくりと見るのですが、工業用ラップで何十にも巻き込んでいる。中には、背表紙がこちら側を向いた本も見えるのですが。ラップのせいで分からない。次の劇中テレビニュースのシーン、これは、パレティーナと呼ばれる金網かごに入った「検閲対象本」が写し出されました。おおこれは、トーハンの桶川にある書籍版元返品のかごに間違いない(仕訳した書籍をかごに入れるやり方をしているのは、トーハン)やはりトーハンなのか、と思ったのですが、焚書するほどの量を集めることができるのだろうか、とまた疑問。ラスト近く、焚書する連中と闘う主人公、岡田准一が格闘するのですが、ゴミだらけと言う設定で紙屑をまき散らしての乱闘で、舞い上がる紙屑は、四角に裁断されたもの、中にはグラビア紙のようなものがちらほら。何故四角くカットされた「紙屑」なのだ?
ようやく、エンドタイトルまでやってきました。リモコンでポーズの連続です。
おおやった、ようやく出てきました。本を提供したのは「東日紙商」という、故紙業者です。ここなら、ショタレ本で倉庫は一杯のはず。なるほどなるほど、納得です。(おまえは暇なんか、といわれそう)「東日紙商」はその名のとおり、トーハンと日版が出資した会社、あながちトーハンと無関係ということではないみたいですね。そういえば、「東日紙商」は徳間書店の返品を請け負っておりました。徳間書店なら、絵本もあるし、雑誌もある。四角くカットされた「紙屑」は、徳間書店の雑誌かも。絵本と、榮倉奈々(主人公の一人)は、劇中で何かしら接点が描かれています。子供とのやりとりが多かったです。
映画のお話としては、焚書する悪党どもと、悪書として検閲する組織との繋がりが、描かれていない。検閲する側は、その悪書を引き上げるだけで、焚書はしない。焚書する悪党たちは何者なのか、最後まで分かりませんでした。おまけに、石坂浩一扮する「総司令」と、その付添いになった榮倉奈々を誘拐するのです。これも、分からなかった。ただ、言えることは、焚書する、などという行為が、これからも、未来にも発生して欲しくないですね。
つまらないこどで、失礼致しました。
 

「将軍の象」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月21日(月)21時27分1秒
返信・引用 編集済
  > No.4805[元記事へ]

かんべさん
 誌面全部で、全員で眉村さんの50周年をお祝いしました。
 お楽しみいただければ幸いです。

 さて、『風の王国』にひきつづいて、平谷さんの新刊『将軍の象 採薬使佐平次に着手。60頁超。
 時は八代将軍吉宗の治世、享保の改革の超引き締め政策に日本中があえいでいるさなか、安南より一つがいの象が長崎に届いた(註:これは歴史的事実です)。吉宗は苦い顔。民に耐久生活を強いているのに、お上がそんな奢侈品を購入してどうする。どうも取り巻きが吉宗の歓心を買おうと早まったらしいのだが、請け負った安南商人が現地で火事で焼け死に、契約はご破産に……
 ――なったはずが、象が届いてしまったのです。運んできた船長もサングラスを掛けてなんだか怪しい。これは象が来たことで民衆に反吉宗感情を惹起せんと目論む反吉宗派の策謀なのか。御庭番の前身、採薬使の佐平次が、吉宗の密命を受け、長崎に向かいます。……

 面白い!
 

ショートショート・マガジン

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2013年10月21日(月)13時44分32秒
返信・引用
  チャチャヤング・ショートショート・マガジンを、
お送りいただき、ありがとうございました。
本日拝受。とりいそぎ、御礼のみにて失礼ながら。
 

「風の王国(10)」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月21日(月)00時52分56秒
返信・引用 編集済
  平谷美樹『風の王国(10)草原の風の如く』(ハルキ文庫、13)読了。

 うーむ。二つほど文句を言ってやろうとメモしていたのですが*、五つの終章を読み終わったときには、そんな気持ちはどこかにふっ飛んでしまっていました。よかった。面白かった。第一巻プロローグの玄武三千窟の甲冑にもつながりました。
 第一巻で「持斎」として十三湊から渤海国へわたった若者が、因縁のライバル契丹皇太子耶律突欲との対決を主軸に、沿海州・満州の大平原を縦横無尽に駆けまわって数十余年の物語、堪能しました。
 全10巻に及ぶ長大な(起承転結する「一箇」の、つまり火星シリーズやウルフガイのような諸物語の集積としての大長編ではない)物語を読んだのは勿論初めてというわけではなく、司馬遼の歴史小説などで読んではいるのですが、しかしそれらは私が読もうとした時には、すでに過去において完結したものとして現前していたのであり、完成した作品を一気に通読するという読み方だった。今回、いらちな私が、文字どおり生まれて初めてリアルタイムに進行形で読むという経験をして、物語大長編についての認識をちょっと改めました。とりわけ作家が大長編を書くということについて。しかしそれについて書き始めると終わらないので、また別の機会とします。
 とまれ一年半の長丁場、こまかな矛盾はあるものの、それを些事と読者に認識させてしまう(>誉めているのです(^^;)骨太な物語で描き切った著者の筆力構成力と精神的体力に拍手。お疲れ様でした。
*でもそのうちのひとつは私の勘違いでした。と書けば作者にはピンと来るかも(^^;
 

「風の王国(10)」に着手

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月20日(日)18時12分42秒
返信・引用 編集済
   チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号を、このところ毎日製作して発送するという作業に追われていたのですが、製作数50冊に達しました。で、今日一冊発送しまして、現在、在庫が6冊。
 まあ、こんなところでしょう。ということで、製作はいったんストップ。すっと憑き物が落ちました(^^;

 そのような次第で、ここのところ脳が小説を受け付けなかったのですが、ようやく小説脳が戻ってきて、遅ればせながら『風の王国』最終巻に着手し、一気に220頁まで。このへんからいよいよオーラス!

 

Re: SFオムニバスドラマ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月19日(土)21時09分8秒
返信・引用
  > No.4801[元記事へ]

段野さん
 いやいや、送ってくださった方も入手されたようです。
 エアチェックとは思えないクリアーな録音なので、そうかな、という推測です。

 

Re:SFオムニバスドラマ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月19日(土)15時37分6秒
返信・引用
  管理人様
よかったですね。当方としましては、非常に中途半端な録音でしたので、申し訳なく思っておりました。完全盤があるとは知りませんでした。どうやって、「放送用マスター」から手にいれられたのでしょう。とても貴重なものだと思われます。(この頃は私の兄はまだ放送局に入社しておりませんでした。入手の方法など、気になるところではあります)
ともあれ、よかったことと、ラストの分からなかったところが、解明できて、なるほど、という感じですね。よかったです。
 

SFオムニバスドラマ「消える」完全盤

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月19日(土)12時52分51秒
返信・引用
   以前、SFオムニバスドラマ「消える」を段野さんからいただき、その聞いた感想を当板に投稿しました→ここ
 そこに書きましたとおり、段野CDは、予約録音のため途中で切れていたのでしたが、実は、ある方のご好意で完全盤を入手しました!
 いま、せっかくですから最初から聴き直し、今回初聴きの「トロキン」の切れていた部分から最後まで完聴しました。
 非常にクリアーな録音で、とてもエアチェックとは思われません。CDに焼いて送ってくださった方も、音がいいので放送用マスターからのコピーかもしれません、とおっしゃっています。おそらくそうだと思います。大変貴重な録音です。本当にありがとうございました。
 で、今回聴いた部分、つまり「通夜旅行」と「日本漂流」(の残り)ですが、それまでの構成とは異なり、入れ子で構成されていることが、今回わかりました。
 日本が漂流し始めて、大混乱に陥るかとおもいきや、日常は全然変わっておらず、日本民族の図太さバイタリティにはほとほと感心する、といった内容の米朝の語りが入るのですが、すでにそのバックで、慰安旅行のバスの車中でのどんちゃん騒ぎが、絞ったボリュームで聞えています。米朝のナレーションが終わるとともに、ボリュームが上がり、そこで社長が死んでいることが発見される、という案配です。つまり「通夜旅行」は漂流中の日本列島上の話であるという設定なのです。そして社員たちが、死者といっしょに「かんかんのう」を歌い踊っているシーンが次第にフェイドアウトしていき、「日本漂流」の最終パートが始まります。

 なるほどこうなっていたのか、という感じですねえ(^^;
 お送り下さった方のご好意に感謝感謝です。あらためてお礼申し上げます。

 

眉村さんとKTSC

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月17日(木)01時31分10秒
返信・引用 編集済
  野村恒彦『探偵小説の街・神戸』(エレガントライフ、13)読了。

 これは労作。ジャズにおける神戸同様、探偵小説の揺籃期において、神戸という街が探偵小説の一つの拠点、勢力を形成していたことを、東京中心史観からはともすれば閑却され、その結果散逸してしまいがちだった諸事実を、丹念に回収しあとづけた画期的な著作といえます。横溝正史を筆頭に、西田政治、山本禾太郎、戸田巽、酒井嘉七、九鬼紫郎……。「新青年」に対抗した「ぷろふいる」の評価。そして関西探偵作家クラブ(KTSC)。
 本書を読んで、ひとつ腑に落ちたことがあります。それは以前にも記しましたが、故山澤晴雄先生が私に話してくださったことで、KTSCの例会から眉村さんと一緒に平野まで帰ってこられたという話。眉村さんが平野に住んでおられたのは昭和35年から37年までなので、眉村さんデビュー前の話です。で、これって眉村さんがKTSCに加入されていたということでしょう? 清張的な推理小説ならばともかく、古い探偵小説の会と眉村さんという取り合わせが、実はイメージとしてそぐわなかったんですね。どういう経緯で、関係を持ったんだろうかということが気になっていたのでした。いうならば「接点」ですね。
 本書を読んで氷解しました。本書94ページに、
「山本禾太郎らは昭和22年7月に神戸探偵クラブを再興し、一方同年10月に香住春吾、杉山平一、島久平らは創作中心の関西探偵小説新人会を結成、この二つの会が合流して昭和23年2月関西探偵作家クラブが結成された」とあるのですが、ここに名を挙げられている杉山平一は詩人で、昭和41年帝塚山学院短大教授に就任し、後に眉村さんを講師として招聘されます(眉村卓「杉山平一さんのこと」ぜぴゅろす9号68p)。つまり眉村さんを目にかけておられたんでしょう。眉村さんも「なろうとしてなれるものではないし、また、今頃どうこうしようとしても手遅れなのであるが、私自身が現在の年齢になってしまうと、自分がなりたかったのはああいう人だったのではないだろうか、との想念が、ときどきふっと頭に浮かび上がってくるのである」(同)と述べておられて、一種の師であったことが伺われます。
 おそらく眉村さんは、詩誌「捩子」の指導的存在だった小久保實を介して杉山平一の知遇を得たと思われます。「捩子」主宰の桜井節さんが自在舎を立ち上げた際、「今は亡き小久保實さんとの関係もあってのことと思うが、お二人(註:杉山平一と小久保實)の「自在舎」への応援歌は実にありがたく大いなる励みとなり」(桜井節「「ぜぴゅろす」に乗っかる」同79p)とあります。
 つまり、「捩子」終刊後、小説を模索していた眉村さんに、小久保實さんが、知合いの詩人で探偵小説の会に関係していた杉山平一さんを紹介し、その関係で眉村さんは、一時KTSCの例会に顔を出していた時期があったのでしょう。
 思わぬところから、眉村さんとKTSCのつながりが明らかになりました(^^;
 
 

Re: 突然ですいません

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月16日(水)22時56分23秒
返信・引用 編集済
  > No.4797[元記事へ]

段野さん
あ、いいですねえ。面白いです。なんか内田百閧ンたいで、現実とも夢ともつかない、そのあわいみたいなのがいい感じです。
これで650字くらいですけど、何も足してない小説の核ですね。いろいろ感想(もちろん良い感想)があるのですが、ここでは不適当なので、囲む会の時にでも。
しかしこんなところで教習内容を公開していいのですか? 教室の宣伝になるからいいのか(^^;

 

突然ですいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月16日(水)16時39分36秒
返信・引用 編集済
  眉村さんに徹底的に指導されまして、作品を書きました。ちょっとおもしろく感じて頂けるかもしれないと思い、少し記します。
今は昔、新幹線の開業日に、招待されまして、新幹線に乗車することができました。昭和39年10月1日のことであります。新幹線の沿線住民を招待する、ということでありました。当時、国鉄の在来線には「新大阪駅」はなく、もよりの「東淀川駅」から、新幹線の新駅らしいところを目指したのであります。東淀川駅を降りると、そこは畑地、草ぼうぼうでありました。歩いて、新駅を目指します。それらしき建物に入ると、真っ暗、照明がなかったのでありました。今で言う、コンコースみたいなところは、ごみだらけ、何故か青いポリバケツのようなものが一杯、床や壁面はコンクリートの打ちっぱなしに見えました。床は埃だらけ、付添の祖母の足袋は埃まみれになっていたようです。それでも、新幹線のホームへの案内を見つけた祖母に手を引かれ、新幹線に乗ることができました。乗ったはいいが、走りが遅い。「時速250キロ」なんていう、流行りの歌とは全く違い、のろい。お蔭で、自宅が見えました。京都駅の記憶がなく、そのまま滋賀県に突入です。滋賀県の線路は直線区間が多いのに、のろく走る。米原駅にて、折り返しらしく(そのまま東京まで行っていたら帰れなくなるような走りでありました)別のホームへと移動したのですが、突然の豪雨に見舞われ、未だこの米原駅も未完成であることが、分かりました。ホームの屋根が出来ていない。雨を避けつつの移動です。引き返しの車両に乗り込み、新大阪駅まで戻りです。
ほんまに十日後のオリンピックができるんかいな、と思ったのであります。
(要するに、いらんことは、書かんでも、作品はできるんではないか、との、ご指示を受けました。結果、どのようにご判断が下されるのか、どきどきです。というのは、余計なこと書き過ぎ、と言われたからなのであります)
 

お二人ともありがとうございます

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月16日(水)01時20分42秒
返信・引用
  堀さん
>ただ、ここの最寄りの駅は地下鉄中津ですからちがうかな。
 あ、いや、当時私は大阪駅までのJRの定期を持っていましたので、中津付近だったら、当然大阪駅から歩いた筈です。

>大阪駅北口から西へ、福島方向だった可能性もありますね。
 そうですね。とにかく歩いた道の記憶がまったくありません。というのも大阪駅北側は、そもそも殆ど歩いたことがないから、勘が働かないのです。紀伊国屋とかっぱ横丁はもちろんよく行きましたが、それ以外は全く未知の世界でしたねえ。

>入試問題を刑務所で印刷してたのは確かですね
 それなんですけどね。今ふっと思ったんですけど、それって国公立大限定の話なのではないのでしょうか。というのは、当時でも私学や短大は大阪近辺だけでも相当数あったはずで、それらが大体2月に集中して入試を行っていたと思います(計算上、毎日どこかで入試が行なわれていたことになるのではないでしょうか)。それらの合計すれば膨大な試験問題の印刷を、刑務所で(設備的に)請負えたものでしょうか。各大学、よっぽど早くから計画を立てていたら別ですが、まあ常識的に言って、発注は同時期に集中したんじゃないかという気がします。すみません。思いつきでしゃべっています。根拠はありません(汗)。

かんべさん
>下請けの中小印刷会社が山ほどあった
 そうでしたね。私の小中の同級生の家も、福島区ですが、製本会社で、典型的な町工場でした。

>ゼンリンの住宅地図の、該当年度版でもないと、わからんでしょうな。
 そのとおりですね。ところがゼンリン地図があったとしても、肝腎の会社名を全く思い出せないので、やはりペケなのでした。

 それにしてもこのアルバイトの工場は、当時私にとって非常にショッキングな光景でして、忘れることなどあり得ない、いつか小説にしてやろうと思っていたほどなんですが、35年も経つと綺麗サッパリ忘れていて、そのことに愕然としてしまいます(汗)
 

印刷会社談義

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2013年10月15日(火)22時13分45秒
返信・引用
  印刷会社を申すなら、そもそも福島から野田にかけての、
環状線より淀川側には、昔は凸版印刷がありインキ製造会社があり、
製本所があり何がありで、下請けの中小印刷会社が山ほどあった。
当然、北区の貨物駅あたりもそのエリアに入るわけで、さらには、
私の前の茶屋町(正確には鶴野町やけど)の1ルームマンション自体が、
小規模印刷会社が、工場を他に移してビルにしたところだった。
ですから、管理人さんのバイト先は、そのうちの一社でしょうけど、
ゼンリンの住宅地図の、該当年度版でもないと、わからんでしょうな。
それにしても、関大の入試問題を刷ってたとはなあ。まだ信じられん。
なにしろ広告マン当時、森ノ宮の大日本印刷へ有志で見学に行ったとき、
同僚が、印刷されたチラシをサンプルにと一枚取ろうとした途端、
納品前の物だからと、厳しく阻止されたほどだった。それくらい厳しいのに、
まして入試問題を、そんなところでとはねえ。抜かれたらどうなる?
刑務所からバレーボールと一緒に云々。そう言われれば、
「ようそんなことを!」という事件があったような。では。では。




 

Re: 茶屋町付近

 投稿者:堀 晃  投稿日:2013年10月15日(火)20時42分48秒
返信・引用
  > No.4791[元記事へ]

こういうことは妙に気になりますね。

商業印刷はそれほど立派な工場ではなかったです。
80年代はじめには関東の工場に統合して、大阪はテナントビルに変わりました。
北隣のメッキ工場はその後もありましたから、町工場の雰囲気だったはず。
ただ、ここの最寄りの駅は地下鉄中津ですからちがうかな。
(交通費は出せないから、梅田から歩け、だったかもしれませんが)

また、大阪駅北口から西へ、福島方向だった可能性もありますね。
この場合、西の貨物線の踏切(今もあります)を渡り、あみだ池筋まで行って左折。
東海道線ガードの北側が新日本印刷です。
しかし、こちらは二階に住み込みという雰囲気ではなかったような。

茶屋町は、70年には新御堂筋ができて、これが東海道線との間におりましたから、ちょっとちがうかも。
中崎町なら今もそう雰囲気は変わりませんが。

入試問題を刑務所で印刷してたのは確かですね。
いつだったか、入試問題を服役者がバレーボールといっしょに塀の外に飛ばして、外で待機しているやつが入手するという事件がありましたが……おぼえてはりませんか→かんべさん。
 

Re: 入試問題を印刷?

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月15日(火)10時45分5秒
返信・引用 編集済
  かんべさん
 記憶が確かなら入試問題でしたね。おお、と思った記憶があります。でも私の記憶ですからねえ(>おい)
 あとで思い返して、私もその点不審だったんですが、K大の入試は四大学で一番早くて当時2月1日開始ではなかったでしょうか。
 ところが12月大晦日辺りまで印刷にかかり、更に年始のバイトの打診があったのは、(おそらく)それでも間に合わず年始も仕事をしたということなのかも。だとしたら一か月もないわけで、なにか問題があって刷り直すかしていたんじゃないのかな、と想像しました。
 そういう切迫した状況で、非常に臨時的な措置で、このような工場にも仕事が回ってきた、と考えたら話が合うのではないかと空想しております。

>フリーメモからの連想
 もちろんそうです。私からの返歌であります、と言うのは嘘で、とつぜんこのエピソードが甦ったのでした。けれどもびっくりされたのなら、やったね、という感じですね(^^;

 

入試問題を印刷?

 投稿者:かんべむさし  投稿日:2013年10月15日(火)10時28分30秒
返信・引用
  それ、確かな記憶ですか。町工場に入試問題を印刷させるなんて、
ありえん話なんですがね。漏洩したら大変だから、厳秘も厳秘。
だから、私の広告マン時代の話だけど、あれは刑務所内の
印刷工場へ発注するという話を聞いたことがある。ゲラ刷りから、
汚れたやつから、すべて枚数確認し、破棄にも最大限の気を遣うと。
たとえアルバイト学生が、清廉潔白、公明正大、正直一途、品格高潔、
だったとしても、バイトがおるというだけで、発注はありえんのですが。
あ、それから。茶屋町云々というのは、偶然ですか。それとも、
こちらのフリーメモからの連想か何かで?
どっちでもええんやけど、ちょっとびっくりしたもので。では。
 

Re: 茶屋町付近

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月15日(火)09時47分7秒
返信・引用
  > No.4790[元記事へ]

堀さん、ご示唆感謝です。
 会社名は全く覚えていないのです。ともあれストリートビューで行ったり来たりしてみているんですが、たしかに立地の条件は記憶と同じです。つまり工場の正面の道路の向こうに線路があり、工場は角地で左手に(向かって右手に)細い道がある(ミニストップの道)点です。特に細い道は非常に記憶に合致しています。
 ただ、正面の道はこんなに広くなかったような。そして何より、(ネットで調べたんですが)会社がイメージより立派すぎるような気がします。現在の建物は工場跡地に建てられたもののようですから、立派なのは当然なのですが。
 しかしまあ、記憶の中で、工場がどんどんとショボくなっていった可能性は大いにあり得ますね(入試の問題用紙を印刷するくらいですからそれなりの会社でなければおかしいですよね)。
 うーむ。これは現地調査が必要ですなあ(^^;
 思いがけない手がかりを頂きました。ありがとうございましたm(__)m

 

Re: 茶屋町付近

 投稿者:堀 晃  投稿日:2013年10月14日(月)23時26分45秒
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  > No.4789[元記事へ]

ひょっとして「商業印刷株式会社」という名に覚えはありませんか?
東海道線の高架ではなく、もう少し低い貨物線の線路が道を隔てたところにあったのなら、その可能性はありますが。
 

茶屋町付近

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月14日(月)16時10分57秒
返信・引用 編集済
   今でこそ茶屋町あたりは大阪キタを代表するがごとき佇まいであるが、私にはそれがまがいものめいて見えることがある。
 私が学生だった頃、というよりもほんの十数年ほど前までは、(大阪梅田一番地♪というCMソングがしめすように)JRもとい国鉄大阪駅の南側こそが「表側」いうイメージであった。じっさい、大阪駅北側は「裏側」ということばそのままに、ごちゃごちゃした街区に小さな町工場(まちこうば)がちまちまと並んでいたのである。
 大学4年生も年末になると、就職も決まっており実に気儘なもので、正月には大学の友人達との最後の遊びで一の瀬へスキーに行く予定であった。その資金稼ぎで、私はクリスマスから暮れにかけて、大阪プールがあった扇町公園横の学生相談所(学相)で斡旋された印刷工場でアルバイトをした。
 最寄り駅が大阪駅であった。私は学相で貰った地図を頼りに、大阪駅の北出口から目的の工場へと向かった。大阪駅から徒歩10数分なのに、あたりの風景は、とつじょさびれたものへと変化し、私を愕然とさせた。
 実はこの場所の記憶が曖昧で、日記にも記載がない(工場での出来事はあれこれ記しているのだが)。ただし私の記憶ではまさに現在の茶屋町の方向に、その工場はあったはずだ。そしてまた別の記憶だが、工場の前の道路に沿って鉄道の線路が走っている映像が残っている。地理的に考えて、それは東海道本線であろうと推測される。
 ところが今にして、現在高架である東海道本線だが、当時(1978年暮れ頃)はまだ路面を走っていたのだろうか、という疑問が浮かんできたのだ。ひょっとしてくだんの工場は、大阪駅の北東方面ではなく、北西の梅田貨物線沿いにあったのではないか。梅田貨物線(といっても阪和線快速の新大阪行きはこの線路を走る)ならば今でも路面である。日記にちょっと場所を記入しておけば、こういう事にはならなかったのだ。
《従って日記というものは、できるだけ早くから客観的事実を記したほうがマシである。
「○月×日午前一時、余、生れてはじめて母の胎内より生れいず。頭が産道につかえてなかなか出ず、
母、世にも哀れなる声にて泣きわめく。わが母ながらなんたるだらしなき女性ぞや。医師、金属製の
おどろおどろしき器具を用い、余の頭をはさみ引きずりださんとす。余は天オなる筈なるも、このた
め脳細胞の大半を破損したるなり。ようやくにして余の体、母体より去る。余、憤激のあまり仮死を
よそおう。医帥、狼狽逆上、なんたる野蛮の行為ぞや、余の足を掴みて逆さまに吊し、背といわず尻
といわず打擲を加う。人権擁護局の電話番号を尋ねんとして、余ついに口を動かす。然るに悲しきか
な、オギャアという発声しか出ず、愚かしき医師のみ安堵させたるなり。看護婦、なおうめきつづけ
る母に、玉のようなお坊ちゃまですよ、とはじめて正当かつ妥当なる言辞を吐く。将来、この女を娶
らんかと思う。父なる男性、余のまえに連れてこられしが顔面蒼白、ろくすっぽ余を見ずして視線を
そらす。その小心まさに笑止というべきなり。母といい父といいろくでなしと判定す。しかしながら
お産には健康保険は効かぬ筈ゆえ、この二人に少なからぬ失費をさせたること、わずかに余の満足と
するところなり」(『どくとるマンボウ青春記』98p)》

 閑話休題。その印刷工場は、まさに町工場という風情で、けれどもそのとき印刷していたのが関大の入試問題だったと記憶しており、そこそこ信用と実績もあるところだったのだろうが、私のような年末アルバイト(私ともう一人いた)を除く全員が、休み時間の雑談で聞いたのだと思うが、当の工場の二階に住み込んでいたのだ。どうも家族単位で田舎から出てきて(九州と言っていた)、そこに住み込み、家族全員がその工場の従業員として雇われているようであった。しかも一家族では人数がたりない。最低でも二家族はあったに違いない。
 これってタコ部屋では、と、まだ学生で実社会を知らなかったけれども、なんとなく、私はそう考えて慄然とした。朝二階から降りてきて仕事に取りかかり、終業ベルとともに二階に引き上げてしまう、工場の外に出ることはめったにない、というイメージが想像の中で勝手に膨らんできたのである。その中に17、8とおぼしい若い女の子がいた(なかなか可愛かったのです)。同じような年頃の男の子もいて、仲がよさそうで、私は勝手に閉鎖空間での恋人同士みたいな陰惨な想像も浮かんだのだが、兄弟姉妹だったのかもしれない。
 だいたい、それにしては(それというのは私の思い込みのイメージのことですが)、皆、陽気で明るくて、休憩時間などは笑いがたえないのだ。それがまた私の勝手に抱いたイメージとそぐわず、そういうものなのかな、と、首をひねった記憶がある(だから実際はどうだったのかは分かりません。私の思い込みでの記憶なのです)。
 アルバイトの最後の日、仕事が終わって給料を貰うとき、社長に年始も来てくれないか、と打診された。くだんの女の子に興味があったから(>それかい)、受けてもよかったのだけれど、スキー旅行の準備もあったし、仕事自体が結構ハードだったのでことわってしまった。もう一人のバイト君は受けたはず。
 とまあ、大阪駅北側は、わたし的には昭和30年代が色濃く残るタイムスリップめいた街のイメージが強烈に刻印されているのであります。そういう目で見るからか、茶屋町付近の浮かれた佇まいが、まるで本物ようには感じられず、蜉蝣のように半分透き通って、かつての町並みが浮き上がってくる、そんな幻像が見えるような気がしたりするのだ。
 あの工場、いったい現在のどのあたりに所在していたのかねえ。
 

Re: Re:眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月14日(月)15時51分6秒
返信・引用 編集済
  > No.4787[元記事へ]

段野さん
 その二枚半というのは、私には納得ですねえ。
 私は大学の3年4年のゼミで、二年間ずっと、読んだ本(何でもよい)のレジメをレポート用紙3枚にして提出するということをみっちりとやらされました。そうするとどんな本もレポート用紙3枚にまとまっちゃうのです。100枚の論文も1000ページの学術書も、徹底的にそぎ落としたら、そのコアの部分はひとしく3枚なのです(もしまとまらないとしたら、それは本の内容自体が考えぬかれておらず、ぶれており、杜撰なのです)。これは驚きでした。これは当然、書く場合からでも同じです。だから眉村先生のやり方は正しいと思います。段野さんも徹底的にやるべきです。そういう習慣付けは絶対に創作に役立つと思いますねえ。
 

Re:眉村さん情報

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月14日(月)14時09分0秒
返信・引用
  管理人様
先日の「創作教室」は熾烈でした。授業が始まる前に、眉村さんがさらりとお書きになった
原稿用紙二枚半を受講生に配り、私の作品と対比して、感想を述べて下さい、と言われました。狙いは何か、といいますと、さらりと書かれた二枚半の中に、言いたい(書きたい)ポイントが凝縮され、それでも二枚半で言いたいことはできるのである、ということなのでした。
作句をされておられた結果、凝縮に走りがちではあるのですが、とお断りになられて、やはり、要らないものは、あっさりと切り捨てていくことが重要である、と、言われてしまいました。完敗です。最近の教室は、熾烈を極めております。泣きながら(うう)講評を受けている今日この頃です。(原稿二枚半で読ませるものをお書きになるのはさすが、いや、当たり前のことなのでしょう)
京橋の教室などは、初めからレベル高めのように思われます。もし、受講される方は、初心者向けではないと、思われた方が、得策かと存じます。
 

「チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号」発送開始

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月14日(月)01時47分5秒
返信・引用 編集済
   本日ようやく「チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊号」の第1弾を、とりあえず寄稿者優先で発送しました。初回30冊製作していたのですが、追加希望もあり、結局30冊全部捌けてしまった(その結果私の分と眉村さん贈呈分はあとまわしにせざるを得なくなりました)。ということで可及的速やかに第二弾の製作に入ります。今週末には発送できると思います。今しばらくお待ちを。
 そうこうしているうちに早くもご注文メール第1号が!(^^)
 ところが表紙用の色画用紙を40冊分しか準備していなかったので、あと10枚しか残ってないのですよね。どう考えても足りません。ということで、画用紙を追加注文しました。ワンロットで40冊分なので、これで、あまりこそすれ足りなくなることはないと思います。

 ということで、まあ注文があるかどうか分かりませんが、とりあえず一般頒布いたします。
 読んでみたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、この掲示板の一番下の【管理者へメール】ボタンからご注文下さい。
 頒価、1部500円(本体420円+送料80円)です(一括4冊まで送料80円で大丈夫です)。
 宜しくお願いいたします。
 
 
 

眉村さん情報:NHK文化センター京橋教室

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月12日(土)21時49分31秒
返信・引用 編集済
   去年大病なさった眉村さんですが、この9月末に最終的な検査があって、異状は見つからず問題なし、となったそうです。よかったよかった。
 そんな先生が、今度、NHK文化センター京橋教室で講座を持たれることになったようです→眉村卓の創作のすすめ
 神戸教室の所長が京橋教室に転勤になり、ぜひとも京橋でもとお願いされて引き受けざるを得なくなったようなんですが……
 ええ!? 養生しなければいけないんじゃないのかな、と、体力に不自由な私などは、自動的にそう考えてしまうのですけど、まあ眉村先生は常人とは基礎体力のレベルが違うんでしょうね。病気もきっと、こりゃかなわん、と、尻尾を巻いて逃げ出してしまったのに違いありません(^^;

 さて、上記リンクを見ますと、今度の講座はなんか想定レベルが高そうですね。持ち物の欄に、
 ・筆記用具
 ・自作の文章(原稿用紙3〜20枚程度)

 と書かれています。
 うーむ。毎回(月一回)、あらかじめ作品を書き上げて、それを持って講義に臨まなければならないのでしょうか?
 いやまあ海野さんレベルならお茶の子さいさいでしょうけど、私はとうてい無理だなあ。(他の教室でも実際はそうなのかもしれませんが、募集要項にそれを謳っているのがすごいではありませんか)
 「すでに書いている方もご受講可能です」とも書かれていますね。やっぱりそういうレベルが求められているんでしょう。
 でもこれって、逆に「あ、この講座、俺向きかも」と感じた方もおられるに違いない。そういう人は、初心者レベルの教室ではツマラナカッタはずなので、これはなかなか需要と供給のマッチングなんではないでしょうか。
 とまれ、興味を持たれた方は、コンタクトされてみてはどうでしょう。第1回目は今月の24日ですが、無料体験受講も可能なようなので、ぜひぜひ。
 

Re:海野様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月11日(金)17時12分23秒
返信・引用
  >たかが佳作なのに
いえいえ、佳作にまで到達するのには、はるけき道程を、それこそ、岩をも砕くすべで、歩き通さねばならないかと、存じます。知り合いに、「宝石」の最終選考に残った方がいて、もうそれだけで、格が上がりました。新人賞をとった訳ではないのですが、すごい、という扱いをされていました。佳作、すばらしいことではございませんか。それに比べれば、当方など、1433作も応募があったところでの撃沈、むべかるかな、でございます。
10月にてこの暑さ、管理人様もおっしゃるとおり、今頃の「避暑」にお出かけ下さいませ。
管理人様
センス、ですよね。これ、必需品です。昔は「感性」などと、よく言われてましたが、結局センス、なのだと、この頃非常に思い知らされています。
 

Re: ありがとうございます。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月11日(金)12時18分59秒
返信・引用
  > No.4782[元記事へ]

海野さん
 今ふと気づいて忘れないうちに――
>女が二人と若い男の霊が
 となっていますが、これって男の霊はいなくても成立するのでは?
「俺って霊感あるんだよな。二人の女の霊が……。」
 のほうが意外感があるような。え? と読者はあわてて読み返すような気がします(笑)

 

ありがとうございます。

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年10月10日(木)23時24分55秒
返信・引用
  段野さん。
ツイッターでもたくさんの方からお祝いの言葉をいただいてしまって、たかが佳作なのになんだか大げさな事になってます。
僕の小説のアイデアは全く理論的には出てこないので、いつか全く思いつかなくなる時が来るかもしれないと不安と闘う毎日です(おおげさか)
江坂遊さんは『小さな物語のつくり方』と言う本で、かなり理論的にというか、システマチックにアイデアを出す方法を書いてらっしゃいますが、これは僕には出来ないな、と思いました。
撃沈と言うと、段野さんも出してらっしゃったとか?

管理人さん
今日は10月にしては異例の暑さ。
もう勘弁してほしいですね。
うふふふ。
僕は12日から北海道へ旅立ちます。
旅行の1日を知床の大自然のトレッキングツアーに当てる予定。
寒さにまいっちゃったりしてね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

今日はもうだめ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月10日(木)22時06分17秒
返信・引用 編集済
   昨日今日の暑さは計算外でした。昨日は躁状態でさほど感じてなかったんですが、今日はもう駄目でした。ゴト日ということもあって仕事もハードでして、きつい日射輻射の中を車で走り回ったのもよくなかった。夕方になると一気にぐったりしてしまいました。今日やるつもりだったことは明日に回します(イラスト代わりに画像を使った部分、やっぱりコピーではうまく出てなかったことに、今日になって気づいたのもモチベーション低下の一因。もうかなり製本しており、どうせ私の作品なので(画像と文章のコラボだったんですが)そのまま行きます)。

 段野さん
>テーマは私には思い付かないものでしたから
 センスですよねえ。センスもそうですが、見せ方(出し方)も大きいですよね。見せ方もセンスかもですが、しかしこれは天賦というよりもまだ努力で何とかなりそうな部分ですね。と、少なくともセンスに不自由な私はそう自分に言い聞かせているんであります。ここを磨こう、と(^^ゞ

 海野さんが昨日のツイッターで呟いていましたが「僕の作品は、人が滅んで思いが残る」。そう。これですねえ。

 追記。深田亨さんのブログも久々に更新されてました。継続は力といいますが、力があるからこそ継続できるんですよね、と、継続に不自由な私はつくづく(ーー;
 ポップスグループ、サーカスのメンバーだった原順子さんが、加入することが決まって、お母さんに言ったら、サーカスに入るなんて、と泣き出されてしまったそうです。このお母さんは、コトリ、ヒトサライ、サーカスに売られる、を、(もちろん現実にはないけれども)親から脅しに使われた世代なんでしょうね。乱歩の世界ですがな(^^;

 そういえば服部誕さんの今回寄稿して下さった作品は、何を隠そう、何も隠しませんが、サーカスの話ですよ!
 

Re:海野様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月10日(木)14時12分41秒
返信・引用
  海野様
おめでとうございます。おもしろかったです。よくもまあ、思い付かれたものですね。
テーマは私には思い付かないものでしたから。
で、当方、またもや撃沈を食らいました。(うう)
 

海野さん「公募ガイド第20回小説虎の穴」佳作入選

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 9日(水)22時53分22秒
返信・引用 編集済
   海野久実さんが「公募ガイド第20回小説の虎の穴」に佳作入選されました!→公募ガイド発表ブログ
 海野さん、おめでとうございます。ヤンヤヤンヤ。
 上のリンク先でも読めますが、海野さんのブログにも掲載されています。こっちのほうが読みやすいです。→「置き手紙(5枚)」
 早速拝読。
 おお、面白いではないですか!

 ――ネタバレします。ご注意下さい――(反転しています)

  としますと、お母さんも霊だったんでしょうか。翔くんは無口な霊ですね(^^;。

 ――ネタバレ、ここまで――

 うーむ。
 先日読んだヴォクト「親しき友へ」も書簡体小説でしたが、この手は、顔が見えない(描写しなくてよい)ので、いろいろ細工できそうですね。
 応募二回目、しかも応募144編からの佳作とは、まずまずですね(^^)。清水義範さんが選者というのもいいですねえ。信頼感がありますよね。次回はぜひ最優秀賞を! 賞金は出ないのかな(>おい)(^^;

 それはさておき、チャチャヤング・ショートショート・マガジン、製作に入りました。さっきまでシコシコやっていて15冊完成。疲れた~。
 いっきに15冊は無茶やった。最後のほうはなかなかうまくカットできない。カッターの刃を頻繁に変えてもだめ。で、気が付きました。カッターの切れが悪いのではなく、こちとらの腕の力がなくなってしまっていたのでした(この分、誰に当たるか分かりませんが我慢してくださいね。ペーパー掛けしてできるだけ修整しますが)。
 残りは明日回しにしますが、とりあえず掲載者分(+眉村さん分)としてまず30冊作って、週末か日祝あたりには届けられると思います。お楽しみに。

 

Re: 「安部公房伝」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 7日(月)22時59分35秒
返信・引用 編集済
  > No.4776[元記事へ]

w1allen様
>第13号に寄稿いただいている頭木弘樹さんが、生原稿から翻訳されて出版されています。"逮捕+終り―『訴訟』より"という本です
 ご教示ありがとうございます。アマゾンで確認しましたが、丘沢静也さんよりも早く訳されていたのですね。読んでみたくなりましたが、マケプレ高いですねえ。図書館で探してみます。
 

「SFマガジン・ベスト bQ」(下)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 7日(月)22時43分31秒
返信・引用 編集済
  承前
A・E・ヴァン・ヴォグト「親しき友へ」大山優訳(アーカム・サンプラー、49) 書簡体小説です。それが仕掛けになっていてオチになります。あ、そうきたか、というアイデアストーリー。これもやはり侵略テーマに入るのでしょうか。個人の宇宙人が個人の地球人の身体を奪おうとするんですが(^^;

ジョン・アンソニイ「蠱惑の珠」川村哲郎訳(F&SF、53) ディスカッション小説というのか、対話で進んでいきます。次第に相手の術中にはまっていく、その辺のサスペンスは安部公房「人間そっくり」を彷彿とさせられました。これも身体強奪テーマでしょうか。

山田好夫「地球エゴイズム」 (SFマガジン、61)については、こちらに書きました。

クリーブ・カートミル「ナンバー9」宇野輝雄訳(アスタウンディング、50)もアイデアストーリーで、ひょんなことで知能を増進させられた兎が登場します。開発者はその兎を抱えて、企業に薬の売り込みに行くのですが、我々が欲しているのは優秀な知能ではなく、8時間で10時間分働かせられるそんな薬だといわれてすごすごと引き下がる(この例は本文にはなく私の考えた喩えです)。

 デーモン・ナイト「人類供応法」小泉太郎訳(ギャラクシー、50) 24、5枚の短編ですが、まあ、ショートショートで書けるアイデアですね。ところで、本篇の訳者に就いて、日頃から重宝しています翻訳作品集成では、伊沢治訳となっています(ちなみに小泉太郎は生島治郎、伊沢治は矢野徹)。これは、どういうことなんでしょうね。実際は矢野徹が訳したのでしょうか(SFM訳も伊沢治となっている)。

A・バートラム・チャンドラー「漂流者」大山優(ウェアード・テールズ、47)  同じく翻訳作品集成では訳者が南山宏となっていますが、南山宏は大山優なので実質的には誤りではありません(SFM訳は大山優)。これはよくできたオチで、ひざポンでした(^^)

レイ・ブラッドベリ「睡魔」川村哲郎訳(プラネット・ストーリーズ、48) ブラッドベリにしてはできが悪いのではないか。

アーサー・C・クラーク「エラー」大山優(ファンタシー、46) 面白かった。オチの時間の鏡像化からの戻しを定量化していたらもっと良かったのですが(予測可能化。それに気づいた時は手遅れで、予測された時間に爆発が起こるというふうに)。

 今回は全体に小粒な、アイデアストーリーが多かったです。創刊二年目にしてこれがベスト集? という感じ。いや悪くはないのですが……。あとがきに「翻訳権の関係」で割愛した作品が挙げられていますので、写しておきます。F&SF……

 ダニエル・キース「アルジャーノンに花束を」(F&SF、59)
 ジョルジュ・ラングラン「蠅」(プレイボーイ、57)
 ダニエル・F・ガロイ「プライアブル」(F&SF、56)
 ヴァンス・アーンダール「広くてすてきな宇宙じゃないか」(F&SF、60)
 アンダースン&ディクスン「くたばれ、スネイクス!」(F&SF、55)、「諸君、突撃だ!」(F&SF、55)

 ということで、早川書房編集部編『SFマガジン・ベスト bQ』(ハヤカワSFシリーズ、64)の読み終りとします。
 

Re: 「安部公房伝」(2)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年10月 7日(月)20時15分51秒
返信・引用
  > No.4775[元記事へ]

管理人様

眉村先生と勘違いして、申し訳ありませんでした。

>  とすれば、42年は物理的初読(途中でやめた可能性がありますね)で、48年は実質的初読だったといえるかも。で、その間の6年で、上掲論文にありますように、公房の文学観が進化し、カフカ受容の体制が整っていたということかもしれないなあ、と、読ませていただいて思いました。

仰るように、物理的初読のあと、6年の歳月を経て、実質的初読があったのかもしれませんね。

> 追記。でも公房は、『審判』はあんまり感心しなかったみたいですね。ご承知の通り「審判」はマックス・ブロートの手が入って筋が入れ替えられたりしている。それを批判している文が、『安部公房伝』にあったと思うのですが、いまパラっと見返した限りでは発見できませんでした。別の本だったのかな。

『審判』は、マックス・ブロートの手が加わっていましたね。第13号に寄稿いただいている頭木弘樹さんが、生原稿から翻訳されて出版されています。"逮捕+終り―『訴訟』より"という本です。カフカを世に知らしめたブロートの罪の部分ですね。

では、失礼します。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2459/novel.htm

 

Re: 「安部公房伝」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 7日(月)01時19分0秒
返信・引用 編集済
  > No.4774[元記事へ]

w1allenさま
 ご来信ありがとうございます。管理人です。
 実はこの掲示板に眉村さんはいらっしゃいません。というか、インターネットをやっておられないのです。
 頭に書影を飾ったりして、まるで眉村さんがやっておられるサイトのように、たしかに見えますよね。そう思われても仕方ないなあ、と今更ながら気づきました。説明不足で紛らわしく、申し訳ありません。

 それはさておき、「安部公房の変形能力11:カフカ」拝読しました。大変面白かったです。で、

>1942年か1948年のどちらが正しいのか不明です。
 とのことですが、読ませていただいて思ったんですが、どっちも正しいということでいいのではないでしょうか。全く素人の思いつきですが。
 1説にしろ、2説にしろ、中田耕治が安部公房に『審判』を送ったか交換したかした、という事実がある(48年もしくは「終りし……」執筆後)。そして公房は、初読のつもりで「審判」を読み始めたところ、あれ、と思った。

>待てよ、あれ昔読んだことがあるじゃないかという気がして、
>やはりそうだった
 と気づいたわけですよね。つまり40年前後からカフカが欧米で評判になっていて、それが日本には戦後伝わってきた。興味を持ったので、中田耕治が持っていた「審判」を読んでみ。そうしたら、これ読んだことがあるぞ、となった。
 とすれば、42年は物理的初読(途中でやめた可能性がありますね)で、48年は実質的初読だったといえるかも。で、その間の6年で、上掲論文にありますように、公房の文学観が進化し、カフカ受容の体制が整っていたということかもしれないなあ、と、読ませていただいて思いました。いやまあ素人のたわごととご海容ねがいます(^^;
 とまれ、とても面白かったです。ご教示ありがとうございました。あとの論考も、読ませていただこうと思います。

追記。でも公房は、『審判』はあんまり感心しなかったみたいですね。ご承知の通り「審判」はマックス・ブロートの手が入って筋が入れ替えられたりしている。それを批判している文が、『安部公房伝』にあったと思うのですが、いまパラっと見返した限りでは発見できませんでした。別の本だったのかな。
 

Re: 「安部公房伝」(2)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年10月 6日(日)22時22分19秒
返信・引用
  > No.4769[元記事へ]

初めまして、眉村先生。
私を含めて3人で、安部公房ファンのための無料ネット雑誌「もぐら通信」を毎月発行しています。

さて、安部公房がカフカの『審判』を読んだのがいつかは、複数の説があるようです。
ちょうど最新第13号で、その件に関する記事が掲載されています。
私のURLから、第13号をダウンロードして、P62から始まる記事をご覧いただければ幸いです。
1.1948年に、中田耕治が『審判』を旭川の安部公房に送った。
参考文献:『安部公房?荒野の人』(宮西忠正著。菁柿堂。87ページ)
なお、宮西氏は安部公房全集の担当編集者です。
2.中田耕治の『審判』と安部公房が持っていたジイドの『贋金づくり』を交換した。
参考文献:安部公房全集002贋月報
3.昭和十七年(1942)
ーーー引用開始ーーー
当時、カフカの「審判」なども読んだが、印象は弱い。
ーーー引用終了ーーー
参考文献:安部公房全集012「年譜」

中田氏から『審判』を借りたと思いますが、そうすると、1942年か1948年のどちらが正しいのか不明です。

私は、戦前に読んでいたと考えていますが、確証はありません。

なお、安部公房伝は未読なので、早急に読みたいと思います。

http://w1allen.seesaa.net/article/376244320.html

 

「安部公房伝」(3)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 6日(日)21時10分37秒
返信・引用 編集済
   承前。前回読了分で、評伝部分は終わっており、今日読んだのはひとりあたり3〜4ページ程度のインタビュー集。25人分収録されています。日付はだいたい97年から99年にかけて1、2ヶ月おきに収録されています(ひとりだけ93年収録)。これは『安部公房全集』全30巻(1997年〜2000年、30巻のみ2009年)の付録のインタビューを再録したもののようです。
 これだけ集めると、安部公房の、いや公房にかぎらず人間の、一箇の類型に収まらない多面性がはからずも表現されていて興味深いです。
 あと、山口本でも非常に気にかかっていたのですが、公房の演劇理論ですね、非常に独特なものであることはわかるのですが、具体的にはイメージできなかった(そもそも安部の劇を見ていない。唯一、高校のとき演劇部が文化祭で「ウェー」を演ったのを見ていたく感心し、その足で新潮文庫の戯曲集『幽霊はここにいる・どれい狩り』を買いに行ったのが懐かしく思い出されます。そういえばこの劇団でも部長と看板女優はくっついとった‥)。
 インタビューには演劇関係者も何人かいて、井川比佐志の
(1)「言葉、あるいは意味の伝達人になるなということを、くどいくらいにおっしゃっていましたよね。俳優が解釈したり、言葉によって何かを伝えようとしたときには、ちょっと違ったものになっていっちゃう。ではどうするか、ということになりますとね、僕らのとっかかりてのは書かれた台詞ですよね。そこしか通路がないわけだから、それをどのように肉付けしていくかということになると、ただ、頭の想像力だけでは間に合わない。もっと具体的な体験というか、そういうことをしておかないと、とてもついていけない」
(2)「台本読んで、頭に入れちゃって、それから一旦忘れて、アクション主体というか、台詞は後からついてくるという形になりましたね」

 という発言は示唆的です。私の解釈では、(1)は台詞を単に覚えるだけでは(その範囲での演技では)落とすものが多いということだと思います。上述の高校演劇ではないですが、やはり社会的な体験(読書による体験も含めて)を積み、その台詞を横から眺める視点がなければ、解釈も演技も単純化されてしまい、つまるところ嘘になってしまうんでしょうね(安部スタジオの独特な訓練もその一環だったのでは)。
(2)も同様で、一から十まできっちりと覚えるだけでは、それはただなぞっているだけ。まず役者が演じる当の人物の(芝居内の)状況にまず自身をおいて、一旦台詞を離れて(ただしこれからどう展開するかはわかっている)、動きの中で自然に出てくる自分の言葉で演じるということなのではないか。それは言い換えれば、そこに台本の台詞と自身の言葉がステレオグラムを構成し、内的でありながら客観的でもあるという状態が生まれるんじゃないでしょうか。
 これは小説(読書)にもいえますね。読者に「体験」が豊富にあったほうが、断然面白い。主人公に(あるいは作品世界に)一体化することは必要ですが、体験が少ないと、主人公や世界にに同調するばかりで、批判的な視点が働きません(逐一台詞を覚えることばかりに専心する役者と同じ)。逆に作中人物に吸収されてしまう。主人公や世界に一体化しつつ、同時に再帰的な客観性を持ちえてこそ、小説は面白く読めます。そうであって初めて「作品が読者の中で完成する」(92p)という状態になるんですよね。
 そういえば翻訳でも同じではないか。ただ逐語訳するだけでは原作者の本意を取り逃がす(最悪なのは解釈せずに単純に日本語に置き換える)。英語の原文をとりあえず「頭に入れ」たら、「それから一旦忘れて、アクション主体というか」訳語は「後からついてくるという形に」してはじめて、原作者の本意を、本当の日本語に乗せることができるのではないかなあ。つまり「作品が訳者の中で完成する」のですね。そうして、それを読者が読むことでまたさらに「読者の中で完成する」わけです。
 石沢秀二のインタビューでは、「そして遂に「仔像が死んだ」で、安部さんはいわゆるお芝居の台本というようなものは、使わなくてもよくなったんじゃないでしょうか」と語っています。面白いです。

 ということで、安部ねり『安部公房伝』(新潮社 11)の読み終りとします。
 

Re: 突然ですいません、文庫と新書

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 5日(土)22時23分19秒
返信・引用 編集済
   段野さん
 中さんのところで話題になっていましたけど、乱歩の著作権が3年後(2016年)に切れる予定なのですが、これもTPPなんでしょうか(違うのかな)、ディズニーに支配されたアメリカが現行の没後50年から没後70年に延長を要求していて、捕らぬ狸の皮算用をしていた出版社が慌てているとかいないとか(笑)
 そんな状況ですので、1980年代に出版された著作の著作権が切れるのはまだまだずっと先ですのでご安心下さい。

 しかし新書の粗製乱造はおっしゃるとおりで眉をひそめたくなる現状ですよね。最近の新書は二時間もあれば読めてしまいます。内容も週刊誌レベルで、200頁保たせられず、テーマとは違う文章もまぜてなんとか一冊にしているというのも散見します。昔の新書はもっと歯ごたえ十分でした。
 実は昔読みかけて挫折した岩波新書の『記号論への招待』に最近再チャレンジしたのですが、またもやはね返されてしまいました(汗)。これ、今なら選書並みの内容ですね。あ、朝日選書がなくなっていたのですか。知りませんでした。最近あんまりチェックもしていなかったのでした。最後に買ったのは『われら以外の人類』で、奥付は2005年ですね。私はもっと最近購入しましたが、それでも随分前です。

 それで思い出しましたが(以下余談です)、岩波新書の、1)『日本列島』(66)、《 3)『地球の歴史』(74)》、2)『新しい地球観』(71)、4)『地球史』(79)、5)『日本列島の誕生』(90)という出版年代の異なる類書を私は所有していまして、ちょうどプレートテクトニクスが喧伝され始めたのが、日本では(世界よりも遅く*)70年前後らしく、高校一年生(71年)のとき地学の教師が、これ新しい理論なんやで、と、さも自分の手柄みたく説明してくれたのを記憶しています。まだ教科書には載っていなかったと思います。で、73年に『日本沈没』が出版されるわけですが、それはまた別の話(しかし構想9年と言われてましたから、小松は64年には既に注目していたわけか)。
 *「海洋底拡大説が破竹の成功をおさめるや、猫も杓子もこれに飛びついた感があった。今度は「あなた海洋底拡大説を信ずるか?」というのがあいさつとなったのだった。1967年から68年にかけての世界中の地球物理学関係の学会では、海洋底拡大説のための特別セッションがもたれ」「地球科学において大きな役割を果たしつつある国としては、ソ連と日本が慎重派であったが、それ以外の各国では拡大説は盛んにもてはやされた」(『新しい地球観』(71)104p)

 では日本の状況はどうだったのかということですが、上記、1)と3)はプレート理論以前の旧説で書かれています。どちらも井尻正二と湊正雄の共著で、「地向斜」なんて説明が出てきます。この地向斜、非常に難解(?)で、当時(いや今でも)私は理解できませんでした(その点プレートテクトニクス理論はすっきり単純明快です)。3)に至っては74年の本で、『日本沈没』以後なんですよ。それでもプレート説は全く無視されていて、「グリンタフ造山」という今や一顧だにされない(プレートテクトニクスに対抗して提出された)理論(参照)を「地球の歴史のあたらしい時代をくぎる、あたらしい造山論」(『地球の歴史』(74)168p)ともてはやしています。

 で、地球物理学が60年代から70年代にかけて大転換したその経緯をたどるのにちょうどいいんじゃないかと、この5冊を通読してやろうとずっと前から考えているのですが、なかなか手につけあぐねています。

 

「チャチャヤング・ショートショート・マガジン」祝50周年創刊号

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 5日(土)20時40分55秒
返信・引用
   いよいよ来週、製作いたします!
 ところでネット通販では、発売日が近づくと書影や目次がアップされますよね。そのひそみに倣って、書影ともくじをご覧にいれましょうか(^^)

 

 

 なぜ来週なのか、明日でもいいではないか。私もそう思います。気持ちが逸ります。ところがカンプリは日曜休みなのでした。残念。
 あ、それと、お願いしているメッセージがまだ届いていない方がいらっしゃいます。もちろん本日が締めきりなので、日付が変わる頃に到着するのだと確信しておりますが、でもまあ、もし忘れておられたら(或いは私の送ったメールが届いてなかったら)いけませんので、念のため(^^;
 お楽しみにお待ちください(^^)。
 

突然ですいません、文庫と新書

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月 5日(土)20時26分16秒
返信・引用
  眉村さんのご本、またもや文庫で復刊とのこと、喜ばしいことでございます。
が、どうやら、著作権切れ?なのかも、とも思ってしまいます。と言いますのは、この頃、文庫の興隆期にあたりまして、あちこちの版元が競って文庫を創設いたしました。ちょうど、菅浩江さんのデビュー作が、朝日ソノラマ文庫に収録されました。1989年です。(「ゆらぎの森シエラ」)それぐらい、文庫が発生致しました。そして、年月が経ち、著作権が切れたものが出てきたかも知れません。そして、新書がやたらに発生いたしました。
アスキー新書なんて、信じられない、この版元はゲーム本なんですから。で、あった新書はサッカーの元監督トルシエの書いたもの(しかし、翻訳者の名前なし、語りをテープでおこしたのか?)次に驚いたのは、青春出版新書、著者は、若桜木虔、(この方は「宇宙戦艦ヤマト」のノベライゼイションを書いた方、全くおもしろくなかった)「作家になる方」だったのです。確かに、作家を作った、が、100円ショップの作品だった。今では100円ショップには創作ものは置いていないようです。
焦ったのは、老舗版元、角川書店などは「角川ワンテーマ」と名を変えて、新書タイプの本を出す、しかし、一刷で終わるような内容な本(「夫婦で回る豪華列車の旅」これは有名な先達、宮脇俊二さんの名調子があります)、朝日新聞出版は、「朝日選書」を変えて「朝日新書」ときた。皆、本屋の棚を取り合うごとくの様相でありました。集英社新書か、光文社新書か、著者が、初めての著作、というのもありました。
私にとっては、「新書」は、例えば、岩波新書みたいに、教養と、歴史、古さを感じさせないものだと思っていましたから、この新書戦争みたいなものには、違和感を感じました。売らんかな、みたいなものがあるのには、残念に思えてなりません。
 

「安部公房伝」(2)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 5日(土)01時22分39秒
返信・引用 編集済
  > No.4765[元記事へ]

 承前。230頁まで。評伝部分はここまで。やはり山口果林のことは一言も言及されていません。と同時に、本書に在るのはほぼ1960年代までの公房の姿でした(せいぜい『燃えつきた地図』まで。一方山口本は『箱男』以降のエピソード)。
 要するに家を出てしまう以前の公房です。そういう目で見れば、著者による公房の思い出が、ほぼ10代の頃のことに限られていることも容易に見えてきます。ただし山口本を信じれば、公房は真知に貯金通帳を押さえられており(健康保険証までも!)、完全に没交渉にすることはできなかったので、家出後のエピソードもぽつりぽつりとは拾われてはいる。しかし194頁の写真をご覧下さい。非常に象徴的な写真です。1984年頃(撮影)と記入されており、つまり家出後の写真なのです。公房とねりと、弟・井村春光とその息子がすきやき鍋を前にして写真に収まっています(カメラマンは真知か)。他の三人はしっかりカメラを正視し微笑んでいるのに、公房は俯き加減に目をそらし、表情も心なしかうつろに私には見えます。どうでしょうか?
 やはりこの二書は併読して相補うべきですね。本書は前書に比べると客観的な記述も多いですが、真知と公房の晩年の関係は、不和であったことは数行書かれていますが、言っても数行です。書きたくないことは省かれているわけです。これは評伝とすれば欠陥です。それでなくても、子が親の評伝を書くのはなかなか難しい。第三者による客観的な本当の評伝が書かれなければならないと思います(それとも既にあるのか)。

 さて、そうはいっても興味深いエピソードが語られていて面白い。とりわけ前書にはない小説論や作品論があるのが(ねりが垣間見た/解釈したものですが)本書の長所です。
「作品が読者の中で完成する」(92p)というのは、現在では当然の観点ですが、埴谷雄高に認められて世に出た『終りし道の標べに』(1948年)前後で、既にそういう自覚があったというのは流石と思います。一方この段階では、公房はシュールリアリズムの手法や笑いの効用にまだ達してなかった(直後に達した)とのことで、これは意外でした。
 もっともそう言われてみれば、『終りし道の標べに』はそれ以後の作品群とは異質ですよね(実は完読できていない(^^;)。石川淳との交流も『終りし道の標べに』を読んだ石川が絶賛の手紙を公房に送ってからとのことですが、「この出会いのあとに石川はSF的な作品を書くようになる」(159p)というのは、へえそうなのか、と、ちょっとセンス・オブ・ワンダーがありました。調べたらたしかに、『鷹』は1953年なのでした。
 それから、カフカを知った(?)のも『終りし道の標べに』後なんですね。「ぼくはカフカの『審判』を持っていた」「安部さんがジイドの『贋金づくり』を持っていて交換したんです」「それから安部さんはカフカが好きになった。元々、関心はあったみたいだけど…。『終りし道の標べに』を書いた後でした」(中田耕治インタビュー234p)。『壁』は1951年ですから、シュールリアリズムや笑いの効用やカフカを知って2年くらいで自家薬籠中のものとしている。もともとそういうことを知らなくても、公房の中に独自にそういう成分があり、それらを知ることで整理がつき、忽ち手法として組み立てられたとみるべきなんでしょう。
 

Re: 眉村さん情報「こんにちは、花子さん」復刊

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 5日(土)00時17分12秒
返信・引用 編集済
  > No.4767[元記事へ]

高井さん
 え? ということで私も確認しました。
 あれー。すみません同じでした。文庫版にもエッセイは収録されていました。
>このようなデタラメ情報がいったいどこから?
 私の頭の中からですね(汗)
 うーん、なぜかそのように、いつのまにか思い込んでいたようです。現認すべきでした。ご指摘いただき感謝です。大変な誤情報を発信するところでした。ありがとうございます。元の投稿は書き直しました。
 ただエッセイは今回はカットされるようです。となるとボリューム的に、同じ形式の『頑張って、太郎さん』からやはりエッセイを抜いて合本にするということなのかもしれません。実はうっすらと合本というイメージはあったんです。でも、上記の捏造記憶が鞏固で、400頁を超えるなんてあり得ないな、と、無意識に都合よく解釈してしまったみたいです。はあ(ーー;
 

Re: 眉村さん情報「こんにちは、花子さん」復刊

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年10月 4日(金)23時28分19秒
返信・引用
  > No.4766[元記事へ]

>  この作品集、初刊の単行本にはショートショートの他にエッセイが12篇収録されていたのですが、文庫化に際してエッセイはカットされました。
 え? ウソー。――と思って、単行本と文庫を確認しました。どちらも内容は同じですよ。このようなデタラメ情報がいったいどこから?
 

眉村さん情報「こんにちは、花子さん」復刊

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 4日(金)20時40分36秒
返信・引用 編集済
   眉村卓ショートショート集『こんにちは、花子さん』が、双葉文庫から復刊されます(11月14日発売予定)。



 
                             ↑クリックで元サイトへ

 本書は、89年に勁文社より単行本で出版され、91年にケイブンシャ文庫に収められたものの復刊だと思われます。ところでこの作品集、ショートショートの他にエッセイが12篇収録されていたのですが、今回はカットされるようです。となると150〜160頁ほどになり、ボリュームが足りないような気がします。ひょっとして同じくショートショート+エッセイという形式の『頑張って、太郎さん』(勁文社刊)からエッセイを抜いて合本になるのかも。いや想像ですが。またわかりましたらお知らせします。
 いずれにせよ、20数年ぶりの復刊となります。持っておられない方も多いんじゃないかと思われますので、嬉しいですねえ。
 双葉社さんはこのところ、眉村さんの作品中でも、見た目地味な作品(中身は違います)を継続的に復刊して下さっていて、本当にありがたいです。双葉社に栄光あれ!

 

 

「安部公房伝」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 4日(金)00時15分37秒
返信・引用 編集済
   安部ねり『安部公房伝』に着手。100頁。面白いじゃないですか!
 戦後の混乱期、長男として家族を養う。このへん福島正実もそうだったんじゃなかったっけ。
 変な商才があったりオルガナイザーの才能があったり、井上光晴とも似ている。北海道に安部公房あれば北九州に井上光晴あり(^^;
 「なんだってあんな当たり前のことをわざわざ書くんだね」という友人の問は深いです。公房は「きみ、僕の本を読む必要がないなんて、幸いなことだよ」と答えますが、これはどう捉えるべきか。言葉通りなのか反語なのか。言葉通りだと思う。
 私は友人のレベルにはるかに達してないので、公房の小説は(当たり前どころか)未踏の地をゆく世界、触れることでどんどん自分が変わっていく(自己認識が深化していく)世界ですが、でも、たしかにある種のエンタメ小説には「なんだってそんな当たり前のことをわざわざ書くのかね」と呟きたくなることがありますね。
 フッサールを手がかりに「自我自体も出来事への反応と捉える。独房で自我に出会えるわけがない。自己とは、外部の課題にどう反応するかである、という考えは、公房の文学の骨格を成す思想となった」。バラードの内宇宙との類似。もちろん影響関係はない。で思うのは、(大して読んでないけど)近年の日本SFの「没社会」的傾向の卓越。二代目の文学。「反社会」的ならオッケーなんですが。別の意味でゲットー内で群れている感じ。SFは危険物であってほしい。
 

Re: Re:眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年10月 3日(木)20時36分16秒
返信・引用 編集済
  > No.4763[元記事へ]

 段野さん
 昨今の図書館、ひどいですよね。いつも中高年で満員です。で特に新聞の閲覧場所がひどい。私も確認したい記事があって出向いたときの話ですが、目的の新聞が新聞立てにないので、しばらく待っていた。ところがいつまでたっても戻ってこないのです。業を煮やして、偵察に出向いたところ、ひとりの初老の男が抱え込んでいました。まあ存在する場所がわかったので、また待機に入ったのですが、観察しているとこの男、ぜんぜん紙面をめくっていない。いちおう目を通しているような格好ですが、実は全然読んでないのですね。要するに時間つぶし。ただ座っているだけでは人目が気になるのでしょう、新聞を抱え込んで読んでいるふりをしているのでした。明日は我が身なので非難したくはないですが、せっかく図書館に一日中居れる優雅な身分になったのだから、小説でもいいから本を読めよ、と思いました。私がそういう身分になったら年間365冊読みますけどね(現実は100冊超えることはめったにない)。問題は本を読む習慣のない暇人が時間つぶしするために図書館を占拠していることです。こんな人達は、ほんとは図書館などでぐだぐだしてたいわけじゃないんですよね。働きたい。働くことしか知らない人たちなんでしょう。これはもう日本版ラッダイト運動を本気で考える必要があるのではないでしょうか。焚書じゃなく焚機械。こちらは451°Fくらいじゃ燃えませんね。
 

Re:眉村さん情報

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年10月 3日(木)14時39分23秒
返信・引用
  管理人様
超ご多忙なご様子が伝わってきました。
新聞ですが、眉村さんの記事が載ったと聞けば、購読していない場合、私は図書館に走ります。まず、目当ての新聞の記事を日付順に探し、見つかれば、図書館のコピー係に所定の用紙に、新聞名、どの記事、自分の名前を記して、見せる。その後、コピー機に走り、記事の大きさを確認した上で、コピーし、コピーした用紙と、所定のコピー希望用紙を見せて、問題ないか、確認され、ようやくコピーが終わるのです。重複コピーはできません。最近は、新聞を購読していない人が多く、図書館で新聞を読む人で溢れかえっていて、目的の日にちの記事がコピーできないこともあります(私は、読んでいる人から、すぐ返すから、ちょっと貸してくれ、と強引なまでにコピーしたことがあります)
ネットで見られるなら、それに越したことはないのでしょうが、それもできないとなると、図書館ですか、しかし、すぐに図書館を利用できない場合もでてきましょう。それに、その図書館に置いていない新聞もあります。困ったことではあります。
 


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