ヘリコニア過去ログ1311



Re: 寺井尚子ディスコグラフィー

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月30日(土)17時24分40秒
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  > No.4942[元記事へ]

 承前。今日は未聴盤の中から「プリンセスT」(00)を聴きました。
 このアルバムはリー・リトナーがプロデュースしていて、リトナー(g)の他に、ハービー・メイスン(ds)や、ドン・グルーシン(synth)など西海岸の一流ミュージシャンも参加し、ロサンゼルスで収録されたもの。
 このアルバムで寺井尚子も一気に箔をつけたと思われますが、内容はリー・リトナーバンドのアルバムというべきで、寺井らしさは殆どなく、寺井は全体の中の部品として機能しているだけです。残念ながら,そんなアルバムでした。
 ところが、CDジャケットの表も裏も、ライナーノートも(解説はなくその代わりに)寺井のポートレイト写真で埋まっていて、リトナー以下の画像は全くありません。どういう売り方をレコード会社がしたかったのかがあからさまに出ていますな(^^;。
 いずれにしても、リー・リトナーのアルバムであって、寺井尚子のオリジナルアルバムとは言いがたいです。

 このアルバムの翌年に出た「ライブ」は、「プリンセスT」発売に連動して行なわれたツアーの録音盤なので、ついでに聴き直してみました。こちらはさすがに寺井もかなり前面に出てきていて、リトナーとの双頭バンドくらいまでになっています。しかし演奏はやはり大人しくて、髪を振り乱して弾きまくっているイメージはありません。ただバックが一流なので、それなりに映えています。最近のアルバムのバックと聴き比べると、彼我の差は歴然としています。正直な話、今のメンバーでは寺井はかなり割りを食っていると思います。

 さて、下のユーチューブは、ハービー・ハンコックのバンドに寺井が飛び入り参加したものです。テロップによると、前日の演奏を見たハンコックが是非参加してほしいと要請して急遽なったものとのことですが、さすが超一流のハンコックですね、ひと目で寺井の本質を見抜いて、寺井を生かし切って、最高のパフォーマンスをさせています。こうなるとリトナーはやはり格下の感をぬぐえません。上には上があるということでしょうか(>おい)(^^;
 
 

寺井尚子ディスコグラフィー

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月29日(金)21時37分24秒
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   寺井尚子を聴き始めて1か月余り、オリジナルアルバム16枚中、11枚聴きました。
1)シンキング・オブ・ユー 98/12
2)ピュア・モーメント 99/09
未[3)プリンセスT 00/09]
4)ライブ  01/05
5)オール・フォー・ユー 01/12
6)アンセム 03/02
7)ジャズ・ワルツ 03/12
未[8)ドリーム・ダンシング 05/01]
未[9)夜間飛行 06/02]
10)ジェラシー 07/03
11)小さな花〜アマポーラ 08/01
12)アダージョ 09/03
未[13)マイ・ソング 10/02]
未[14)ライムライト 11/03]
15)リベルタンゴ・イン・トーキョー 11/12
16)セ・ラ・ヴィ 13/01

 いやまあ、ツタヤ中心ですが、ツタヤにジャズってあんまり揃ってないんですよね。で、アマゾンマケプレを大いに利用しました。
 他人の評価も気になるので、ネットを見ますと、最初の数枚はいいけど、どんどん堕落して(大衆に阿って)いく、というのが大方の評価みたいです。
 たしかにデビュー・アルバムの「シンキング・オブ・ユー」は、「ストールン・モーメント」や「ストレイト・ノー・チェイサー」や「ドナ・リー」をちりばめて「ジャズしてる」んですよね。私も冷静に判断すれば、この第一アルバムが最高作だ、とは思います。このアルバムで寺井を知った人は、もともとジャズを求めている人たちなので、その後のアルバムのジャズ離れ的な傾向は許しがたいところがあるんでしょうね。
 しかし私は、リアルタイムで聴いてきたわけではなく、突如寺井尚子のタンゴ曲にハマって聴き始めたので、そもそもジャズプレイヤーという認識は殆どなかった。なので、そういう裏切られた感は私にはありません(但し気持はよく分かります。私も順次聴いてきたならばそう思った可能性は高いと感じますから)。わたし的には寺井尚子とジャズの関係は、サンタナのポジションかな、という感じですね。
 寺井のタンゴ(も含めたスパニッシュな演奏)は、バイオリンという楽器の特性もあって、その演奏は大変パッショネイト、この点に関しては世界有数ではないでしょうか。とりわけ「ジェラシー」以降のアルバムにおけるタンゴ曲は、自信に満ちた安定感があって風格すら感じられ、確立されており、サンタナの演奏に匹敵する情感があります。その点に関しては初期のジャズアルバムを凌駕しています。
 ただし全面的に褒めるわけには行きません。「ジャズ・ワルツ」以後のアルバムに、いわゆる「イージーリスニング」めいた演奏曲が次第に増えてくるのです。具体的には旋律をそのまま演奏する音楽です。こういう演奏は、別に演奏者が寺井尚子である必要がないもので、何故そんなものが増えてくるのかといえば、現在の寺井固定ファン層に、そういうイージーリスニング派の割合が無視できないからなんでしょう。そういう意味では、初期のアルバムはアルバムとしての統一性がありましたが、最近のにはアルバム全体で訴えかけてくる感じはなくなっています。いろんな傾向の曲を寄せ集めた感じが強い。したがって1枚通して聴けるのは「アンセム」あたりまでで、それ以後は、聞きたくない曲は飛ばし飛ばししながら聴いている感じです。私見ではバック特に(「アンセム」から参加した)ピアノに問題があるのではないかと。それで検索してみたところ、以前は歌謡曲関係の仕事をしていたみたいです。演奏もミスタッチも多いように感じます。と思って、これも検索してみましたが、裏付ける書き込みは見つけられませんでした。
 とまれかくまれ、このアーチストはやっぱり生がよいみたいです。機会があったら観に行きたいです。
 
       ↑このピアニストはよい。
 

双葉文庫版「こんにちは、花子さん」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月28日(木)21時16分23秒
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  眉村卓『こんにちは、花子さん』(双葉文庫、13)読了。

 というか、もうずいぶん前に読了していたのですが、感想をまとめる時間がなくて……。でも放置しているとどんどん内容を忘れていくので簡単にm(__)m
 本書は、ケイブンシャ文庫版『こんにちは、花子さん』(91/11刊)と、同じくケイブンシャ文庫版『頑張って、太郎さん』(92/2刊)を底本とし、前者からショートショート2篇(「乱闘」「石光さん」)とエッセイ全篇を、後者からはショートショート1篇(「新しい万歩計」)とエッセイ全篇を抜き、合本したものです[註]。
 なお、底本のうち前者は、阪急三番街の月刊PR誌《ラ・ルウ》に、創刊号(86/7)から最終号(89/6)までの丸3年間36回に亘り、まずはエッセイが12回、続けてショートショートが24回連載されたのを、勁文社が89年8月に単行本化したもの。後者は、株式会社内田洋行の季刊PR誌《ひゅーまん》に、85年1月から89年7月まで連載された(ただし途中休載あり)ショートショートと、南海電気鉄道株式会社の月刊社内誌《南海人》に、87年1月から同年12月まで連載されたエッセイを併せて、同じく勁文社が89年12月に単行本化したものです(旧版『頑張って、太郎さん』著者あとがきに拠る)。
[註]双葉文庫版巻末の収録作品情報には「新しい万歩計」を省いたという情報が抜けています。

 こう記すと、単行本化までの経緯がよく似ています。そういえばタイトルも、旧版の表紙カバーも両者よく似ているのですが、それもそのはずで、旧版『頑張って、太郎さん』著者あとがきによれば、実際、本としては「ペアになるように作られた」とのこと。

 ただ内容に関しては、会社が舞台なのは同じとはいえ、両者はかなり相違があります。前者はOLが主人公であり、枚数は8〜9枚。後者は男子社員が主人公で、枚数も13枚程度と前者の5割増しで、やはりこれだけ紙幅があると、ショートショートというよりは短い短篇というべき味わいがあり、角川文庫から出ていた『あの真珠色の朝を…』系列の短篇集とそう変わらない読み応えがありますね。まあ前者はOLが主人公なので、男の私にはやや他人事めいていて、うまく反射しなかった(触発されなかった)面があったかと思われます。

 ところで感心したのは、上記の通り本書には86年から89年にかけて執筆された作品群が収録されているのですが、すでにフリーターなどという言葉が出てきており、ウィキペディアによれば91年に初めて厚労省によって定義されたとのことで、おそらくその言葉が使われ始めたごく初期に、著者は問題を認識し、反応していたわけです。またこの時期は、インターネットはまだなく、ニフティなどのパソコン通信が行なわれていた時代ですが、早くもコンピュータとコミュニケーション不全的性格の親和性に目を向けた作品が、何本か収録されています。その意味では、今読まれてこそ、作品の価値がよく分かる作品集といえます。
 著者の社会を見る視線の鋭敏さに改めて敬服させられたのでした。

 

スペイン競演

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月27日(水)21時02分33秒
返信・引用 編集済
  > No.4939[元記事へ]

段野さん
>ラストあたりの「津波」は何と受け止めればいいのか
 アレゴリーとかメタファーみたいなものはないですね。ドラマ内で「想定外の津波」と言ってましたから、ただ単純に東日本大震災を重ね合わせてみたかったんでしょうね。津波に弱い地下街というのも頭にあったかも。時代を画する象徴的なトピックを接ぎ木することで、同時代性を印象づけようとするマスコミの浅墓な体質が出たと思います。
 しかしそれはそれであってもいいのです。が、下層である地下2階から浸水しているというのは、原作の描写がそのまま残されている。もちろん湧水だったら下からなんですが、津波が下層から来るわけがないのです。うっかりなのか無知ゆえなのか、墓穴を掘ってしまっているんですね。でもあまりに浅かったので、水が引くとき表土が削られて棺が見えてしまったのです(>おい)(^^;
 
 

 

Re:ラジオドラマ「梅田地下オデッセイ」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月27日(水)14時13分20秒
返信・引用
  管理人様
冷や汗が吹き出されても、お聞きになられたので、よかったですね。当方、聞きながら、AMラジオの聞けるラジカセにパソコンへミニピンを繋ぎ、一旦パソコンに落とし込もうとしていました。翌日、落とし込んだメディアプレイヤーからCDに書き込もうとすると、元データがどこにも見当たらない。何故だ? やはり「メスメリズム」の作用か、とがっくりと落ち込んだのでありました。取り込んだデータはどこへ行ってしまったのか。あああ、また落ち込む日々であります。
原作者様がおられますので、細かいことはなしなのですが、ラストあたりの「津波」は何と受け止めればいいのか、迷ったことは確かです。ともかく、「芸術祭参加ラジオドラマ」なのです。これは、すごいことだと思います。
 

Re: ラジオドラマ「梅田地下オデッセイ」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月27日(水)10時42分28秒
返信・引用
  > No.4937[元記事へ]

堀さん
 今回、たまたまですが直近に原作を復習してから聴取するかたちになったため、どうしても原作との異同が気になってしまい、聴き方としては邪道な、ドラマには気の毒なことになってしまいました。
 ところがその結果として、むしろドラマがサーチライトの役割を果たして、原作をくっきり照らし出してくれる思わぬ効果がありました。クラーク云々など、今回の聴取によって初めて目の前に開けた展望でした。
 その意味では大変面白く、私にとって意味あるドラマでしたね。聴くことができてよかったです。
 しかし、せっかく埋田というすごいイメージを原作は提供しているのに、地震−津波への改変は、いかにもマスメディア的で小賢しかったですね(>おい)(^^;
 

Re: ラジオドラマ「梅田地下オデッセイ」

 投稿者:堀 晃  投稿日:2013年11月27日(水)04時43分52秒
返信・引用
  > No.4936[元記事へ]

立場上、細かい感想は書きづらいところです。
ドラマ化というのはこういう風にやるのかと、面白く聴いたのは確かです。
嬉しいのは「包丁振り回す板前」がカタキ役の準主役級に格上げされていることでした。
あの板やん、酒瓶で殴られますが、原作ではキンタマを蹴り上げられるのです。
 

ラジオドラマ「梅田地下オデッセイ」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月26日(火)20時36分31秒
返信・引用 編集済
   みなさん、昨日は「梅田地下オデッセイ」のラジオドラマ、お聴きになれましたでしょうか。私は危うく聴き逃がすところでしたが、寸前でなぜかパッと思い出し、幸いにして聴取するを得ました。思い出した瞬間、冷や汗が噴出いたしました。
 これなどまさに、意識が何かと取り紛れてうっかり失念していたのを、無意識は憶えていて注意を促したものでしょう。まざまざとそれを実感したという感じでした。人間の心は間違いなく上部構造と下部構造があるんですよね。

 閑話休題。ラジオドラマは、オリジナルが独白で進むところを、ドラマらしく対話劇に変換してはいますが、表層のストーリーはほぼ踏襲されていました。もっともそのストーリーに原作者が篭めたところのアイデアは棚上げされて、地下世界にある種のポストホロコースト世界を認め、ゼロ化した世界から原始的な秩序関係が生まれていくところに重点を置いた話に換骨奪胎されていました(カヴァン「氷」も表層はそんな話)。
 まあ、それはいいのだけれど、ゴローが一種メシア的に何の根拠もなく肯定されるのは違和感を覚えた。新興宗教的な臭みを感じずにはいられません。シナリオのいささか薄っぺらなのが残念でした。

 さて、ラストの場面はリドルになっているのですが(それは原作どおり)、聴いていてふと思いついたことがありました。
 もし、開かれた地上へ向かったのなら、ゴローはいわばアルビン(もしくはカレルレン)となって、地上世界を活性化(もしくは教導)するのではないか。そういえばチカコンの主張はまさにクラーク的です。
 一方、そのまま南下して行ったら、これは「日本アパッチ族」で、地下世界に順応した地下アパッチが生まれ、やがて地上から人類を放逐していくのではないか(ひょっとしてゴローは木田福一と同じでプチブル的と粛清されてしまったりして>おい)(^^;。
 前者にはクラーク的な導き手としての選民思想が否が応でも付着します(ゴローがオリジナルでは形態的に奇形児に設定されているのは、オーバーロードに対応するとともに同様にアイロニカル。そこもドラマでは拾われてない)。

 その意味で私は、このリドルは後者を選んでほしいのですよね。私の想像通りなら、著者は後者を選んだはずと思うのですが。
 などと勝手に想像してしまいました(^^;。妄言多謝m(__)m

後記>あと、地震−津波の設定はおかしいと思った。大体搖れていません。それに津波と言いながら何故地下から浸水していくのか(原作どおりにしておけばよかったわけです)。

 

Re: 眉村先生を囲む会

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月25日(月)19時21分13秒
返信・引用 編集済
  > No.4934[元記事へ]

 ところで昨日はちょっと早く出て、眉村先生を囲む会の前に大阪市立科学館に寄ってくるつもりだったのですが、柊たんぽぽさんから、「月刊うちゅう」持ってるよ、会に持って行ってあげるよ、とのメールが。なんと、柊さんは友の会に入っておられるんだそうです。ありがたや、ということで、頂戴しちゃいました(^^)。柊さんありがとうございました。
 そんな次第で、堀晃さんのエッセイ「大阪SF八景――SF的想像力を刺激する大阪の景観――」を読むことができました。
 当初想像していた「梅田地下オデッセイ」に関するエッセイ、ではなく、タイトルのとおり、大阪の8つのSF的風景のひとつとして梅田地下街が、そしてそれの作品化であるところの「梅田地下オデッセイ」が紹介されているのでした。
 あとの七景は――
 ○大阪市立科学館――手塚治虫「鉄腕アトム」
 ○中之島公園――福田紀一「霧に沈む戦艦未来の城」
 ○砲兵工廠跡(大阪城公園)――小松左京「日本アパッチ族」
 ○毛馬閘門――北野勇作「かめくん」
 ○旧川口居留地――芦辺拓「時の密室」
 ○ミナミ/阿倍野――眉村卓「エイやん」(『新・異世界分岐点』所収)
 ○上町台地――牧野修「傀儡后」

 これからの大阪SF景観も予測されていて、そういうところに着目して「街歩き」する面白さを語っておられます。
 なるほど。私も南海沿線、阪和線沿線で、そういうところ、探してみようかしらん。でも私の場合、車での移動が大半なので、車ではなかなか、そういう発見は難しいのですねえ。あ、と思った時には通りすぎてしまっていたりするんですよね。
 でもこれ、神戸でもとうぜん可能。昨日の囲む会で話題になった、長田の鉄人28号なんかもそうじゃないでしょうか?
 

眉村先生を囲む会

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月25日(月)18時53分7秒
返信・引用 編集済
   昨日は、眉村先生を囲む会でした。眉村先生を含めて15名と、なかなかの盛会でした。出席者のみなさん、お疲れ様&ありがとうございました。
 眉村先生も楽しそうでした。よかったです。
 ところで私が驚いたのは、写真撮影の段になって、本当は我々が移動しなければいけないのに、「私が動いたほうが早いでしょう」と、先生おんみずからあっちへ、こっちへ、と、移動してくださったのですがその身のこなしの軽やかさ。去年大病された方とは到底思われません(たしかに以前より痩せられてはいましたが)。何度も言ってますが、強靭な基礎体力をお持ちなんでしょうねえ。いや驚きました。
 会場は、昨今何かと話題のホテル阪急インターナショナル地下の「土佐料理 司」。土佐料理というだけあって、個室が、いかにも坂本龍馬や中岡慎太郎らが謀議を諮っていたような、明治っぽいレトロモダンな造りで、椅子もゆったりとしていてよかった。コースターも龍馬や慎太郎の似顔絵が付いていて凝っていました。一枚持って帰ろうと思っていたのですが、帰る頃には酔っ払って、すっかり忘れていました。残念。
 二次会は、例のMI6の秘密連絡場所に行ったんですが、生バンド演奏中で、これはたまらんとすぐに退散し、カラオケでダベる。話が佳境すぎてつい時間を忘れ、本当に最終の最終で最寄り駅帰着。今朝はふつか酔いでありました(^^;

トマトさん
 ほら話、楽しませていただき、ありがとうございました。サイトを立ち上げられたのでしょうか。またURLなどお教え下さい。読ませてもらいに行きますよ(^^)

斎藤さん
 お久しぶりです。「なぞ転」期待大ですねえ。昨日の会でも、今度出る講談社文庫版のカバーイラスト写真など、見せていただきましたよ。
 大橋さんの『少年少女 昭和SF美術館』、出てたんですね。大橋さんは自分のサイトで、自著をほとんど宣伝しないので、気づいていませんでした。眉村さんの「なぞ転」エッセイも気になります。お知らせ有り難うございました。
 

 
 

Re: 眉村さん情報「なぞ転」テレビドラマ化

 投稿者:斎藤  投稿日:2013年11月24日(日)17時19分43秒
返信・引用
  「なぞの転校生」の再連続ドラマ化の情報、ありがとうございます。
これは本当に嬉しいニュースです。
この小説が映像化されるのは、私が知る限り3度目です。
前回の映像化時は映画で、DVDで見ましたが、内容的にはかなり小説とは異なっていました。
登場人物の名前を借りただけのような、実質的には別物と感じました。
眉村ジュブナイルの魅力は、登場人物間の友情ドラマにあると思っています。
NHK少年ドラマはその辺りも含めて実によく出来ていたと思います。
テレビ東京のこの放送時間枠のドラマシリーズは結構好きで、割と見ています。
「まじすか学園」とか、結構友情ドラマとして楽しみました。
今度のドラマ化ではどうなるか、是非期待したいと思います。

お話は変わりますが、こちらの掲示板でお馴染みと思います大橋博之さんが編集された本「少年少女 昭和SF美術館」を今日近所の書店で見つけ、購入しました。
豪華な作りのハードカバー大型本で、SFジュブナイルの重要なシリーズが網羅され、豊富な書影(全てカラーという豪華さです)を入れて紹介されている本です。
70年代にNHK少年ドラマでSF小説、特にジュブナイルSFにはまった身には、実にドンピシャで嬉しい内容です。
眉村さんが見開き2ページのエッセイを寄せられていまして、内容は「なぞの転校生」に関するものです。
こういうのもシンクロニシティと言うのでしょうか。
他、瀬名秀明さんや、金森達さんのエッセイも収録されています。
読むのが楽しみです。
 

トマトさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月24日(日)14時43分52秒
返信・引用
  よくもいつもあんなおもしろいことを、考えつかれますね。「オハナシはポンポン発生する」という、トマトさまの頭の中を覗いてみたいものです。先日は連続10日モード、それもトマトさまワールドの連発でした。今回(直近)はやはり音楽かあって、個人的には、音楽があると、おもしろさが増すように思えます。(勝手な言い分ですいません)
また、「次!」お願い致します。
 

管理人さん、どうもありがとうございました。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月24日(日)07時30分28秒
返信・引用 編集済
  管理人さん、今でご丁寧なレスありがとうございました&お疲れ様でした。
相変わらずオハナシはポンポン発生するのでそろそろ自分のサイトにオハナシをアップしようかと思います。
P.S
なぞの転校生、懐かしいですね。エイベックスetcなんていう固有名詞をみて一挙にかつてのオシゴトモードに!
 


Re: Re:梅田地下オデッセイ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月23日(土)22時08分44秒
返信・引用 編集済
  > No.4928[元記事へ]

堀さん
 「月刊うちゅう」は科学館友の会の会誌で、一般に頒布されてはいないのですね。ただしおっしゃるとおり、科学館に行けば閲覧できるようです。
 実は、明日は眉村さんを囲む会*でして、大阪に出ますので、ちょっと早めに出発して科学館に寄って来ようかと思っています。コピーさせてくれたらありがたいのですが。

> No.4929[元記事へ]

トマトさん
>『お話』が頭の中にぽんぽん発生してして困るほどです
おお、うらやましい。私にも昔そんな時期がありました。といっても中学2年〜3年生の頃の話で、今となっては本当にそんな時期があったのか、信じがたい気持ちです。この頃は、逆立ちしても何も出て来ませんねえ(^^;

 *ということで、明日は書き込みできないかもしれません。
 

こんばんは。おじゃまします。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月23日(土)19時18分2秒
返信・引用
  最近、『お話』が頭の中にぽんぽん発生してして困るほどです。戸舞家の人々、グレートマザーアパートメント、その他もろもろ・・・勝手にお話が頭の中で発生して頭の中を駆け回っていてます。
今日、古本屋でSFマガジン108号を立ち読みしました。SFバーサス児童文学みたいな座談会が載っていました。裏表紙にジーンズの広告がありました。家が狭くなるので買いませんでした。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  私が六歳まで過ごしたあの「グレートマザーアパートメント」の思い出話だ。あの要塞のような石造りの建物だ。私は三階に住んでいたが、各戸の洗面所やあるいは居間にドアがあり、そのドアのむこうに発光する白い石英の廊下が続き、大浴場や大寝室へと続く。さて、このアパートの住民で私たち一家と仲が良かった花輪さんのおはさんがキノコ中毒で下したり戻したりと七転八倒していたことがあった。
「外のお医者さんに見せなければっ。」
とみんながいったが、しかし白いひげを蓄えた長老が
「大子宮に連れて行こう。」
といった。それで私のママや石井さんのおばさんは長老とともに例の石英の廊下を歩いていった。このとき私もついていった。やがて肉質の、まるでヴァギナのような扉があらわれた。私たちはそのヴァギナの扉をくぐると、そのむこうは羊水のような温かい水に満たされた星空が広がっていた。不思議に息苦しくない。ふと上を見上げると、白い大きな女神様がそこにいた。そして花輪のおばさんはこの女神さまにすーっと吸い寄せられてていった。あたりには不思議な懐かしい妙なる調べが流れていた。 しばらくして花輪のおばさんが横たわってすーっと降りてきた。そして白百合の咲き乱れる床に着地した。花輪のおばさんは癒されてきた・・・という表情をしていた。
  そういえば誰もあの『長老』があの要塞のようなアパートメントのどこに住んでいるのかもわからなかった。またおそらくあのアパートで一番古い石井さんのおばあちゃんの話では、石井さんのおばちゃんが子供のころから長老は白髪と白いひげのおじいさんだったという。そしてあの『大子宮」への道は長老でなければ知らなかった。
しかし長老はよく大浴場であう。白髪に白いひげのおじいさん、いかにも長老という感じだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆ ?

  扉を開けると、そこは北関東市立架空野中学校三年七組の放課後の教室だった。教室には誰かがラジカセを持ってきていて、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が流れている。そして教室の空気は青く輝く青春の風が吹いている。アディダスのウインドブレーカーを来た「はるな愛」似のM香ちゃん、先生に内緒でこっそりと持ってきたジージャンを羽織っているのはマナカナ似のYちゃん、オレンジ色のジャージの上着に紺のバスケ用ショートパンツ姿なのはピンクレディのケィ似のH田ちゃん、どこか少年ぽい青々としたオーラの三年七組の女の子たちだ。「おかえりーっ。」「おかえりなさいっ。」彼女たちはそう私を迎えてくれた。彼女たちの目はキラキラとかがやいている。机の上にはやはり先生に内緒で持ってきた森永チョコフレークや週刊セブンティーン南下がおいてある。その場の空気は空中に金粉が舞っているかのように輝いている。ふと窓を外を見ると、そこから光の階段が続いていた。私たちはみんなでその階段を上っていった。途中星座や流れ星などがキャンディーの甘くおいしく輝いていた。みんなの胸が生き生きとした熱く明るく輝き始めた。私たちは一つになっていた。この雰囲気はとても言葉では言い表せない。とおもったらケータイがなった。仕事の電話だ。
もう戻らなければならない。
「ごめん、また来るからね。」
「また来てね。」
「必ずだよ。絶対に来てね。」
こうしてわたしは教室を後にした。そして再び仕事モードになり、書類に目を通し始めた。

☆☆☆☆☆☆☆☆

  AKBの曲では個人的にはGive me Fiveが一番好きだ。メンバーが楽器を弾いているところがなんともかっこいい。しかしこの子たちにも親はいるのだろうな・・・やはり親としては娘がステージに出て華やかに楽器を弾いたりなんだりして「なにか見世物」のように生きているより、ごく普通の女の子として生きていき幸せをつかんでほしいと思っているのではないか・・・という複雑な気持ちになる。AKBの女の子たちもやがて結婚し、人の親になり、そして子供の幸せを願うようになるのだろう・・・。
 親代わり・・・と言えば私はかわいそうな捨て猫の親になってきた。例の私が六歳まで過ごしたあの要塞のような「グレートマザーアパートメント」にも猫たちはたくさんいた。猫たちは私たち子供たちの友だちだった。母ネコは子猫を本当によくかわいがる。かわいそうに捨てられてしまった子猫の親代わりになる猫もいる。
「私たちはどこから行くのだろう?」
例の要塞のようなグレートマザーアパートメントの屋上で、子供の私は大人たちにそんな疑問をぶつけたことがある。すると夜空の星がささやく様に輝いた。私たちは神様の許から来て神様の下へと帰っていくのだ・・・その星は私にそう宇宙の真理(まこと)を教えてくれた。そして私は目を閉じて静かに私たちの故郷へと旅立つかのように夢路へと旅立った。   
 

Re: Re:梅田地下オデッセイ

 投稿者:堀 晃  投稿日:2013年11月23日(土)15時43分13秒
返信・引用
  > No.4926[元記事へ]

わっ、とつぜんこんなところで「お詫び」されたら、戸惑ってしまいます。
梅田地下に関連する文章を、市立科学館発行の「月刊うちゅう」11月号に書いております。
http://www.sci-museum.jp/study/universe/universe_year.php?year=2013#201311
これは科学館へ行かないと入手できないのかな?

ウメダ地下センターの開業は1963年11月29日で、来週でちょうど半世紀になるのです。
 

Re: Re:眉村さん情報

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月23日(土)15時23分25秒
返信・引用 編集済
  > No.4925[元記事へ]

段野さん
>その書き込みが見当たらず、
 ああ、過去ログの目的の項目にピンポイントで即時にアクセスできないというのが、掲示板という媒体の欠点(欠陥?)なんですよね。ブログなら簡単にたどり着けるんですが。私もちょっと検索してみましたが、わかりませんでした。ただし、テレビ大阪のドラマ24枠は、現行、月曜夜11時58分〜0時40分なので、変更がなければその時間帯に放送されるのではないでしょうか。
(余談ですが、私は、ブログに認められる管理人と投稿者の関係の不平等な感じが好みではありません。掲示板はその点全く平等なので、いまや時代遅れとなってしまった掲示板に、多少不便ではありますが、しつこくこだわっているのです)

>「みどり」役をオーディションで決める
 その点に関しては、昨日リンクしたスポーツ報知の記事に(再掲)、「みどり」役の桜井美南さんは「14年度ネスレキットカット受験生応援キャラクター」に応募して選ばれたと書かれています。
「桜井は先日、ネスレ日本とワタナベエンターテインメント、エイベックス・エンタテインメントの3社が実施したオーディションで、8172人の応募者の中からグランプリを受賞。「ネスレ キットカット 受験生応援キャラクター」に選ばれた」
 段野さんのおっしゃる「オーディション」は、この「14年度ネスレキットカット受験生応援キャラクター」のオーディションのことだったみたいですね。

 あ、なぞ転のツイッターが開設されていますね→https://twitter.com/tx_nazono
 早速フォローしました。今後決まったことが随時ツイートされると思われますので、そのうちにテレビ大阪の放送日もアナウンスされるものと思われます。そういう次第で段野さんも、便利なので、フォローしておかれたらいかがですか。
          ↓クリックでツイッターへ移行
 

 
 

Re:梅田地下オデッセイ

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月23日(土)15時03分50秒
返信・引用
  管理人様
当方の完全なる思い込みでありました。ここに、伏してお詫び申し上げます。(確かに三番街が登場します。が、あくまで私見ですが「梅田地下三番街オデッセイ」ならどうなるのだろうか、と当時読んだ時点で思ったことは確かなのですが、こうなるとだんだん本筋から離れていってしまうので、これはアウト、ということですね。申し訳ございません)
堀様
思い違いによる、堀様への失礼をお詫び申し上げます。原作者に対してのご無礼、大変申し訳ございません。
オンエアを楽しみにしております。
 

Re:眉村さん情報

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月23日(土)14時10分22秒
返信・引用 編集済
  管理人様
以前に、「なぞの転校生」の放送につき、書き込みを致しました。テレビ大阪だけは放送曜日が違いますよ〜、と書いたのですが、その書き込みが見当たらず、焦っております。肝心なメモまでどこかに潜り込んでいる始末。全く持ってお粗末で申し訳ございません。
脚本ゲラまで見せて貰ったのに、いったいどうしたのか、情けないことです。
ゲラの時には、「みどり」役をオーディションで決める、と言っていました。やっと決まったということですね。
どうも、管理人様が張り付けられた記事には、テレビ大阪だけ放送曜日が違うとは書いていないので、その後、テレビ大阪も同じ曜日にしたのかも知れません。老婆心ながら、お気を付けて下さいませ、とお願い致します。
とそこへ、その日のメモが出てきました。やはり、テレビ大阪のみ月曜日、となっています。12回放送、その後、変更が出てきたのかも知れません。放送時間は同じだとは思いますが(24時12分から24時32分)。
失礼致しました。
 

おはようございます。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月23日(土)06時48分55秒
返信・引用
  自分のほら話を読んで自分でウケて笑っています。
中野臭児、湊工作、実はモデルがいるんです。

スタペリアというのはガガイモ科の多肉植物の名前です。
 

缶コーヒーは量で選ぶ(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月23日(土)00時50分31秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
 ほら話>いいですねえ。ほら話大好きです。本篇も意外にラファティぽいところがあるのですよね。洋はラファティから本邦の深掘骨まで、SF界にはほら話の名手があまたいますが、アサッテの方に向かって暴走(迷走?)していくベクトルに関しては、名手たちに引けをとらないかも(>おい)

海野さん
 190g缶だったら30本入りですね。250g缶も30本入りですが、エメラルドマウンテンなら190g缶でしょう。
 私は基本ブラック派ですが、缶コーヒーに限っては昔ながらの甘ったるいジョージアミルクコーヒーが好みです。何と言っても250g缶ですし(^^;

>糖分控えていますので
 ブラックに変更してもらえたらいいのにね。

 

 

Re: 号外!

 投稿者:海野久実  投稿日:2013年11月22日(金)20時47分59秒
返信・引用
  > No.4916[元記事へ]

大熊さん。
ジョージア、どうやって送ってくれるんだろうと思っていると、今日ツイッターのDMが来ました。

>プレゼントを発送させて頂く際に必要な事項を、フォームに入力をお願いします。

ということなので、さっそく書いて登録しました。
なに?

>発送は1月下旬を予定しております。

だそうです。
何とも待ち遠しいですね。
1ケースと言うから、30本かな?


段野さん。
糖分控えていますので、そんなにうれしくもなし、と言う感じですね(笑)
なんかこう、高額賞金をゲットしたいですよね。

http://marinegumi.exblog.jp/

 

眉村さん情報「なぞ転」テレビドラマ化

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月22日(金)19時34分5秒
返信・引用
   今日、スポーツ報知に記事が出ましたが(ここ)、来年1月10日よりテレビ東京系で、「なぞの転校生」がドラマ化され放映されるそうです。連ドラですよ! くわしくはこちら→ドラマ24「なぞの転校生」

 今回の目玉は、なんといっても主人公・岩田広一のお父さん役を、本家のNHK少年ドラマシリーズで岩田広一役だった高野浩之さん(いまは高野浩幸さん)が演じること。これは「なぞ転」オタクにはタマラナイんじゃないでしょうか(笑)。私も楽しみです。
 リンク先でキャストを眺めると、ミッキー・カーチスさんが演ずる、広一の隣に住む老人で不思議な力によって典夫に操られるようになる江原正三が気になりますねえ。原作にありましたっけ。あとりりィというのは、あのりりィさんでしょうか。わくわくしますなあ。
 せっかくの映像化なんで、舞台となった(今はなき)阪南団地も、CGで再現してくれないかな(^^)

 原作『なぞの転校生』も、講談社文庫より12月中旬に出されるとのこと。現在刊行中の青い鳥文庫版も継続されるようで、この前の『ねらわれた学園』と同じパターンですね。
 

追伸

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月22日(金)18時56分51秒
返信・引用
  管理人さん、どうもありがとうございます。お礼いうのを忘れていました。  

「新」ガラスのわら人形

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月22日(金)18時46分51秒
返信・引用
  皆さんこんばんは。


このほら話は「母校の中学校と同級生たちと駄弁る世界」のノリ、ストレス解消法です。よかったら皆さんに「トマトワールド」というか「放課後のひととき」の話の輪に入って一緒に楽しんでくれればうれしいです。

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「新」ガラスのわら人形

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「ああ、あの頃の我が家に帰りたい。テレビからはキャンディーズの『微笑返し』が流れ、玄関先で来は近所のおばちゃんが世間話をしているあの頃の我が家に…。」
東京近郊の場末町にある安アパート「ガラスのわら人形荘」で目を覚ました戸舞麗華は、ベランダから朝空を仰いでため息をついた。彼女の悲願…それはまだ自分たちの家だったあの頃の我が家、スタペリア星人に支配される前の普通の家庭だったあの頃の我が家に帰ることだった。ボニーMの名曲「バビロンの川」のその歌詞は『ガラスのわら人形荘』という異郷に島流しされた彼女の心境そのものだった。
間もなく彼女はローズピンクのタンクトップを着、黒いレザーのショートパンツを穿き、そしてジージャンを羽織ってママチャリに乗った。向かうは職場である場末町駅前のディスカウントストア「恵比寿激安センター」。本来だったら廃棄処分にする賞味期限切れのチョコレートやら餃子らが激安で販売しているという大変ありがたい店だ。ここで彼女は働いている。
  そして店が定休日の木曜日、彼女は同僚でピンクレディのケィ似の平田ちゃんと新宿に来ていた。ルフランというレディースレストランで食事をしたが、細身の平田ちゃんはカルボナーラ小盛りを全部食べきらないうちに
「ああ、もうお腹いっぱいっ苦しいっ。」
とお腹をさすっては周囲に聴こえないようにゲップをした。彼女がそんなかすかなゲップの音を確認しカルボナーラ風味のゲップを嗅がされては大変と鼻を摘まもうとしたその刹那、彼女のケータイがなった。郷里の北関東の実家からだった。彼女の実家を支配していたスタペリア星人である湊工作が急死したという報せだった。

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 そしてその翌日の午後二時過ぎ、彼女は北関東の生まれ育った生家の前に立っていた。一歩門を潜るとそこにはまだスタペリア星人に支配される以前の『あの頃の我が家』の空気が甦っていた。まだ普通の家庭だったあの頃の我が家の空気だ。
「この家にもこんな空気が流れていた時代があったんだね…でもこの家にこんな空気が戻ってきたのは本当に何十年ぶりのことだろう…。」
願わくばこの空気がこのままずっとこの家に留まってくれることを彼女は祈らずに居られなかった。しかし夕刻になると「あのころのわが家」の空気は失せていて代わりに家を不穏な気配が支配していた。何者かがこの家を乗っ取ろうとしている…裏切りが行われている…そういう気配だ。そっと仏間をのぞくとそこには湊工作と仲が良かった北関東県立博物館学芸員をしている中野臭児が主人ヅラをそして弔問客たちに応対している。そしてその場はすでに中野臭児に支配され、彼女が入り込むことの出来ない空気が支配していた。

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 その翌日から連日中野臭児は彼女の生家にやってきては勝手に人の家の電話を使ってはあちこちに電話しては
「ここを『理想の学び舎』にしますから…。」
なんぞと言っている。「人の家にきて我が物顔で偉そうに。」と思っても誰も中野臭児には何もいえない。彼女に出来ることといえば中野臭児の演説、
「KARAとかいうアメリカの歌手が居るが、ああいうものはまったくくだらない。地球人は流行に引きずられていく…一方スタペリア星では下宿者のおばちゃんですらモンテスキューの『法の精神』を読む…。」
というつまらないオハナシを
「はっはー。」
と生真面目クソ真面目に聞き入ることしかできなかった。

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そして湊工作が死んでから九日目、ついに事件は起きた。キャメルのベルベットのジャケットに派手なアスコットタイ、真新しいルイヴィトンのバックをもった中野臭児がずかずかと上がりこんできて、そして彼女に
「いったいおまえ、いつまでここにいるつもりだ。」
と怒鳴りつけた。さらに
「ここの家に関する一切の権利を放棄してここから出て行ってくれ。わかったね。」
とすごんだのである。その気迫はすごく、彼女は言われるままに『同意書』にサインさせられて寒空の下に追い出されてしまった。厳寒の空にオリオン座が彼女の目に映った。彼女は自分が公園でたった一匹で捨てられてしまった仔猫の境遇になったことを改めて思い知った。それと同時に中野臭児もスタペリア星人であることも改めて知った。無限の絶望と心細さが彼女を襲った。 失意の彼女は再び東京近郊の場末町のガラスのわら人形アパートに戻るしかなかった。
「…悔しい。でも今の私にはどうすることも出来ない…。」
再び彼女は場末町駅前の「恵比寿激安センター」で働き始めた。こんな悔しい思いは誰にも打ち明けることが出来なかった。

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こうして北関東の彼女の成果はスタペリア星人である中野臭児を「かっこいい知的指導者」であると仰ぐ「理想の学び舎」となっていた。もう生家には彼女の居場所はまったくなくなってしまった。彼女自身新幹線に乗って郷里に帰っても生家の門を潜ることは出来なかった。

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「ああ、あきらめるしかないな。なにもかもスタペリア星人に譲るしかない…。」
東京西部にある井の頭公園で彼女は一人そうつぶやいた。彼女の目の前ではローティーンの恵女の子たちが楽しそうにフライングディスクをして遊んでいる。そんなローティーンの子たちを彼女は羨ましくおもった。
「おねえちゃん、いっしょにやろうよ。」
そのうちの一人が彼女に声をかけた。その子たちとフライングディスクをしていると彼女は郷里北関東の架空野中学校三年七組の放課後で皆と無駄話をしているあの瞬間にタイムスリップした。そして彼女の脳裏に彼女の生家がスタペリア星人に支配されたいきさつが甦った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あるとき、アダムスキー型UFOが彼女の家の真上に静止した。そこから一人のおっさんがおりてきた。このおっさんは
「あー、スタペリア星の湊工作です。背筋に一本鉄心の入った真の教育者でもあります。」
と自己紹介したと思ったらズカズカと我が物顔で上がりこみ、いきなり彼女に
「あんた、なんでここに居るのっ。」
と偉そうにいった。さらに勝手に茶の間にあったビールと「長崎名産からすみ」で一杯やりはじめた。そして彼女に
「僕の乗ってきたUFОの内にある『ふくしまの梨 JA福島』と書かれたダンボールを運び出してください。」
と偉そうに指示した。そのダンボールの中には本がたくさん入っていてその本を取り出し今にあったカラーボックスに並べることも偉そうに指示した。その本というのは「宮沢賢治 雨にも負けず風にも負けず」「小林秀雄 考へるヒント」「トルストイ 靴屋のマルチン」という本だった。そしてスタペリア星人は
「いまからここを『真の教育的文化の聖地とする。このカラーボックス内の書物以外に関心を持つことを禁じる。もしこのカラーボックス以外に関心を持った場合、即刻この家から出て行ってもらう。わかったね。」
と偉そうにいった。当時中学生だった戸舞麗華はこの湊工作の態度にムカついたが、しかし家を追い出されては生きてはいけなかった。そのために自分を殺してこのばかばかしい命令に従うしかなかったのだ。
そしてスタペリア星人湊工作の支配下になった彼女の家では湊工作が
『地球人は流行に引きずられていく、キリスト教の歴史を知らないものからみればクリスマスなんぞはちゃんちゃらおかしい。』
というお話を生真面目くそまじめに聞き入る日々が続いた。この家に居る以上はこういうオハナシを固唾を呑んで「はっはーっ」と聞き入らなければならないのだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、話は井の頭公園に戻る。戸舞麗華は自分の生家がスタペリア星人に支配されたいきさつに気がつくと、改めてあの家は自分の家でありスタペリア星人には何の権利もないと自覚した。そのとたん、彼女の目に映る週末の井の頭公園はみるみるうちにエデンの園のようにヴィヴィットに輝き始めた。さらにローティーンの少女たちは彼女に
「おねえちゃん、すぐにお迎えのランボルギーニが来るよ。」
と言う。間もなく爆音とともに一台のランボルギーニ ディアブロが滑り込んできた。色はホワイトだ。そしてパカッとバタフライドアがあき、ZARDの坂井泉水と仲間由紀恵と鈴木京香を足して3で割ったような美魔女が出てきて、彼女に
「さぁ、お乗りっ。」
と彼女をディアブロの助手席に乗せた。 そしてディアブロはフェラーリとは違う爆音とともに東北自動車道を疾走し、戸舞麗華の故郷北関東の彼女の生家へと滑り込んだ。バタフライドアはバカッと開き、二人はディアブロから降り立った。そして美魔女は彼女に
「これでやってきなっ。」
と機関銃を渡した。彼女はその機関銃を持って茶の間に乗り込んだ。そこではスタペリア星人中野臭児が得意げに
「ベートーベンの音楽には神と同時に悪魔も存在している。だからこそ今以て最高の音楽であり続ける。」
と「講演」をしている最中だった。戸舞麗華を見て
「おいお前、何しに来た。ここはお前の来る場所ではないぞ。」
という中野臭児。しかし彼女は容赦なく機関銃の銃口を中野臭児に向けた。彼女は機関銃を発射しようとしたが、しかし茶の間の畳が中野臭児の血で汚れると畳をすべて交換をしなければならないことに気がつき、畳代がもったいないので銃口を向けるだけにとどまった。

  こうして中野臭児は一目散に彼女の生家の茶の間から逃げ出し、ガレージにとめてある自分が乗ってきたUFOに乗り込んだ。しかし彼のUFOがたいへん安価な中古であったためにエンジンがかからず、中野臭児は彼女に頭を下げて彼女の生家に置かせてもらうしかなくなってしまった。こうして中野臭児は彼女の使い走りをさせていただきながら愛猫食べ残しのキャットフードを分けていただく…という境遇となった。

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こうして北関東の彼女の生家での茶の間のテレビからはAKBの「恋するフォーチュンクッキー」が流れ、近所のオバちゃんが「こうたけオコワ」を食べながら世間話が花咲き、そしてあのころの架空野中学校三年七組の放課後のように無駄話が花咲く場となった。

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梅田地下オデッセイ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月22日(金)18時26分32秒
返信・引用 編集済
  > No.4917[元記事へ]

段野さん
>缶コーヒーゲット、
>うらやましい
 ですよねえ(>違)(^^;

>「三番街は地下二階があり、従業員の出入り、物品の搬入をそこで全て行い、お客さんの目に着かないように設計されている」
 これは先年の阪急百貨店全面改装のとき、テレビで映してましたね。
 しかし、それをもって、
>三番街には、オデッセイの発生する隙間もない、
>「梅田地下」だからおもしろいんだと思います。
 とおっしゃる意味がよくわからないのですが。この話は、前半は三番街が舞台になっていたと思います。
 私もかなり忘れているので、パラっと読み返してみました→ここに全文公開されています
 やはり三番街も含めて「梅田地下」となっています。ただし北から南に行くのには、地下鉄梅田駅南端で分断されていて、そこに抜け道があったんですね。


 

Re:号外!

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月22日(金)16時24分52秒
返信・引用
  海野様
缶コーヒーゲット、おめでとうございます。何故かあらゆるところで、ご活躍されておられるようですね。うらやましい。(うらめしい? いえいえとんでもございません)
管理人様
>広告のコピーって、ある意味ショートショートなんですね。
眉村さんを始め、いろいろな作家の方々が、コピーライターの経験をお持ちですね。かくいう私、コピーライター養成講座に通っていました。電通の大御所、植条則夫さんが講師の時もあり(その後植条さんは関西大学マスコミ論の教授となられて、電通を離れられました。当時、電通では、各部署の部名が、その部の部長名で呼ばれていました。「植条部」といったふうに。職業別電話帳を見て、びっくりしたことがあります)大広さんからも講師の、ばりばりのコピーライターさんが来られていました。で、その後の私は? 一度だけ、いわば「佳作」的に作品を発表して頂いたことがありますが、それで、チョン。そんなレベルでした。やはり、コピーというのは、ショートショートの側面を持ったものだと、思います。
「梅田地下オデッセイ」この話を、阪急三番街地下で働いたことのある知り合いに語ると
「三番街は地下二階があり、従業員の出入り、物品の搬入をそこで全て行い、お客さんの目に着かないように設計されている」というのです。三番街には、オデッセイの発生する隙間もない、といったところでしょうか。「梅田地下」だからおもしろいんだと思います。今でも入り組んだところは変わっていないのではありませんか。一つ階段を間違えて登ってしまうと、全然別のところに出てしまいます(お前が、階段を間違えただけやないか、と言われそうですが)
ともあれ、ラジオドラマ、期待十分ですね。
失礼しました。
 

号外!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月22日(金)11時37分56秒
返信・引用 編集済
   海野久実さんが、ジョージアのコピー募集で、エメラルドマウンテン1ケースゲットしました!!→こちら

 うらやましい(>おい)(^^;
 広告のコピーって、ある意味ショートショートなんですね。(シチュエーション・ショートショート?)
 ともあれ賞品獲得おめでとうございます(くどい)(^^ゞ



 

「梅田地下オデッセイ」ラジオドラマ化!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月21日(木)20時47分30秒
返信・引用
   堀晃さんの「梅田地下オデッセイ」がラジオドラマ化されるそうです→マッドサイエンティストの手帳

 MBSラジオで、放送日時は、2013年11月25日(月)午後8時00分〜9時00分

 これは聴き逃せません。ワタシ的に聴きどころは「時代設定は現代(1970年代→2010年代)に移され」ているというところ。地下街の構造自体はさほど変わっていない(んでしょう?)にしても、地下の風景は様変わりしていると思うので。そういう意味では、ほんとうはテレビドラマで見たいお話なんですけどね。いずれにしても楽しみです〜(^^;
 

Re: おじゃまします。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月21日(木)20時29分49秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
 日課一日1話、今日で10日間連続しましたね。パチパチ。すごいです。私には到底真似できません。あ、でも、だからといって無理はなさらないようにお願いしますね。義務感になってしまうと、シンドくなってくると思いますので。
 今回はなんと、北関東トマトワールドのグレートマザーアパートメントに、盆とクリスマスが一緒にやって来ました! いやまあ厳密にはいっしょではありませんが(^^;。

 そういえば、もうすぐクリスマス。クリスマスと言えば、トマトさん同様、日課一日1話(3話?)を、かるがると実践しておられる海野さんも、最近クリスマス話が続いています→「海のクリスマス」「空のクリスマス」「サンタクロースはどこから来るの?」

 

おじゃまします。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月21日(木)19時01分24秒
返信・引用
  管理人さん段野さん皆さんこんばんわ&ありがとうございました。

  北関東ほら話シリーズ、どこからともなく浮かんでくるのですよ。飲み屋でほら話をするノリです。
「トマトワールド」で皆さんに今宵も気分転換して充実したひとときを過ごしてもらえればうれしいです。


  ほら話シリーズ三部作ドトールでのほら話

 さて、私が六歳まで過ごしたあの巨大な要塞のような集合住宅だ。石造りの建物で、四階建て。入り口はアーチ状でツタが絡んでいる。で石の階段を上って三階の我が家に行く。白いロココ調のドアを開けると我家のぬくもりが幼い私を包んだ。玄関先はきれいに片付けられ、ドライフラワーなんかが飾ってある。
  この集合住宅というのはおそらく数百年前からあったという年季の入ったものだ。中はパイプが縦横に通っていて冬はマグマで熱せられたスチームだか温水だかが通るものだから北関東の寒さもものとはいない。
 この集合住宅で面白いのは各戸のトイレやあるいは居間のむこうにまた扉があるということだ。この扉のむこうには白い石英でできた廊下がある。石自体が発光しているから明るい。そしてなんとなく有機的な雰囲気で人間の体内のようなぬくもりがある。そして廊下をいくと、大きな共同浴場がある。天井は星空そのもので、巨大な湯船のそばにはバナナやマンゴーなどの熱帯の植物が生えている。人々は自由にこの果実を採って食べていた。この石英で出来た美しい湯船でこの集合住宅の住民たちは体を洗ったり泳いだりしている。地下のマグマから噴出してくる温泉だ。そして入浴の後、今度は湯船のとなりにあるなんとも柔ら無く弾力のある石の床に横たわり星空を見ながら眠りにつく。私たちは母なる星空の中に溶け込んでいく。無限のやさしさと安らぎと一体化していく。この大浴場も大寝室もこの集合住宅の住民しか入ることは出来ないのだ。

さて、巨大な要塞のような集合住宅には秘密の通路がある。子供の私は大人たちが毎週北側の扉の中に入っていくことを知っていた。この扉は普段は閉じている。
  あるときも私たちは『科学捜査隊」のメンバーがこの扉をこじ開けて中に入った。薄暗くてかび臭い中、地価へと続く階段があった。この階段はどこまでもどこまでも続いていた。一緒についてきたリカちゃんが
「もう帰ろう。」
というとリーダーのマー坊が
「うるさい、弱虫。リーダーのいう事聞け。」
なんぞというだからリカちゃんは泣きべそをかいてしまったがしかしついてきた。
  どのくらい行っただろうか、ぼーっと燐光を放つ扉が見えてきた。それはいままで見たことも無い不思議な模様がついていて、古代語の文字らしいもので何かが書いてあった。
「よし、はいるぞ。」
リーダーの支持で私たちは中に入った、するとそこは無限の星空の海だった。不思議な懐かしさと温もり、そして確かにここは私たちたちが生まれてくる以前にいたところだった。
  この星空の海の向こうにそれ理は大きな女神様がいた。白くて清楚で神々しい女神様だ。
「われわれは科学捜査隊だ。ここはわれわれが征服した。われわれの領土である。わかったな、おい、女神。」
と偉そうに発言したのはリーダーのマー坊だ。そしてそのとたん、女神様の目が鋭く光った。
「ぎゃーっ、」
というマー坊の悲鳴がしたと思ったら、地面にマー坊が倒れた。
「おい、あんたたち、ここで何やってんだ。ここに何で入ってきた。」
向こうから声が聞こえた。道路維持課に勤務するリカちゃんのパパだった。
「いいからこっちに来なさい。」
私たちはリカちゃんのパパに連れられてあるいた。そしていつも見慣れた大浴場の隣の大寝室にきていた。ただしマー坊だけはいなかった。

  これが私が゜六歳まで過ごしたあの要塞みたいな集合住宅「グレートマザーアパートメント」の思い出です。


  スタバでのほら話

  さて、この要塞のようなグレートマザーアパートメントには夏になると、「空飛ぶ船」が現れる。飛行船ではなく文字通り空飛ぶ船だ。これまた要塞のように大きい。木製のように見えるが木製ではないらしい。しかも驚くことに帆船なのである。それもそのはず、古の空飛ぶ船は「星空の海」を航海するものだ。
  ある夏の日、グレートマザーアパートメントの屋上にみんなが集まった。四階建てというと当時は高層建築だ。辺りの家並みの屋根が見える。そこに星空の海から大きな空飛ぶ船がやってくる。屋上は港となる。そして船からいろいろな人が降りてくる。去年なくなった二階の金子さんのおばあちゃん、赤ちゃんのときになくなった一階の山下さんの赤ちゃん、そして小学校六年生で病気で無くなった村井さんちのお姉さん・・・そういった人たちがみんな船から下りてくる。一方屋上には家族たちが待っている。そして久しぶりに家族と再会し、抱き合ったり涙を流したり近況報告をしている。夏の三日間だけ、この船で来た人たちは家族と一緒に暮らす。大浴場にいくと、去年無くなった村井さんのお姉さんがお風呂に入っていた。
  そして三日間が過ぎると、再びみんなが屋上に集まる。そして金子さんのおばあちゃんや山下さんの赤ちゃん、向かい産地のお姉さんたちが船に乗り込む。船はボーっと汽笛を鳴らして星空の海へと出航していく。船は女神様の元へと戻っていく。
「あの船は私たちが来たところへと帰っていくんだね・・・。」

  そうそう書き忘れた。あのかわいそうな子もあの船で帰ってきました。グレートマザーアバートメントの庭に捨てられて、そしてかわいそうな子猫ちゃん。あの子猫ちゃんの幸せそうな様子を見てほっとした。

  コンビニでのほら話

  あの要塞のような「グレートマザーアパートメント」から招待状が来た。クリスマスイブにお迎えに来るのだという。
「まさかリムジンで迎えに来ることはないだろうな。」
と思ったら、リムジンではなく白い水晶で出来た馬車でお迎えはやってきた。馬車をユニコーンだ。このユニコーン、翼が生えているので飛行可能らしい。御者は一見美少女と思えるほどの容姿の騎士だ。そして馬車は私を乗せると走り出し、そして空中を舞いたがった。星の海には大きな雪の結晶やらサンタクロースやらほうきに乗った美少女の魔女などが行き来している。儀者はサンタや魔女に
「やぁ。」
「元気?」
と友達のように挨拶している。
  こうして新幹線よりも早く、北関東にあるグレートマザーアパートメントに到着した。あたりはすっかりと雪景色、ツララが宝石のように輝いている。そして馬車はグレートマザーアパートメントの庭に着地した。
例のアーチ型の入り口の扉は開いている。この入り口も普段は閉じられているものだ。入り口には古代語で「クリスマスの扉」と書いている。中に入ると淡く発行するミルク色の石英で出来た廊下が続いている。どこからともなくジングルベルの音が聞こえてくる。やがて大きな卵の内側のようなホールについた。そこには大きなクリスマスツリーがあった。まわりをみると、懐かしい顔ぶれぱかりだ。りかちゃん、まこちゃん、みのるクン・・・。
「メリークリスマス。」
歓声が響いた。歓声は虹色の光になった。クリスマスソングが光の洪水になる。そしてあたりは『クリスマス』になった。サンタさんや魔女たちがツリーの周りろを飛び回る。これが本当のクリスマスだった。私がこの六歳まで過ごした『グレートマザーアバートメント』のクリスマスはこうだった。
 

管理人様

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月21日(木)13時21分34秒
返信・引用 編集済
  ご示唆、ありがとうございます。(いろいろとお騒がせ致しました)
失礼しました。
 

トマトさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月21日(木)13時17分44秒
返信・引用
  あっははは、いやまたおもろいではありまへんか。リリトのキャラ、おもろすぎるんやわあ。どこからこんなお話ができるのか、いつも不思議でなりまへん。そして、ショッピングセンターに行く。このつながりがまたおもろいです。  

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月20日(水)21時18分53秒
返信・引用 編集済
  段野さん
 いや、ウィキペディアのくだんの項目に目を通したのは昨日が初めてなので、それはないですね。もう、何十年も前から、アルジャーノン=お涙ちょうだいという先入見を持っていました。何を読んで(あるいは誰かに示唆されて)そう思うようになったのかは、今となっては思い出せません。しかし(ある傾向の)SFファンの間では、ふつうに流布していたイメージだったような気がしますが。

トマトさん
 今回はダンセイニ風に創作神話なのかな、と思いきや、人類起源神話から両性具有を介して、おなじみの北関東トマトワールドへと繋がっちゃいましたね。お見事お見事!  時空を超えた壮大なお話でした(^^)

 
 

管理人さん、段野さん皆さんありがとうございます。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月20日(水)19時13分13秒
返信・引用
   こんばんわ。ずいぶん寒いですね。皆さん、風邪など引かないようにお大事にしてください。

  今日はいろいろあって何も『ほら話』が出来上がらないのかとおもいました。でもとある出来事がありそれからほら話ができてしまいました。た。?☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

旧約聖書創世記・・・なんて難しいことをいうより、あのアダムとイブの物語は誰でも知っていることでしょう。
  つまり神様が最初に土からアダムをこしらえ、このアダムが昼寝ているうちにアダムの肋骨からイブを作ったという物語です。
  さて、そんなエデンでアダムが昼寝している間、イブがあちこちを散歩していました。するとバナナの木の陰からまマゼンタピンクとペパーミントブルーのノンスリップパーカーにデニムのショートパンツの女性が出てきてイブに
「こんにちわ。イブちゃん。」
と挨拶しました。イブも
「こんにちわ。あなたは誰?」
とたずねました。すると彼女は
「私はリリト、ずっと前にここにいたのよ。」
と答えました。
「まさかっ。だってここにはずっと私とアダム以外に誰もいなかったはずよ。」
といいました。するとリリトは「それはアダムが嘘ついているのよ。あなたを縛って自分のいうことをきかせたいから。」
「えーっそうだったの。」
そうだったのです。リリトはアダムとともに土から作られた最初の女性だったのです。

アダムはリリトに自分に従順になるように命じましたが、リリトは
「どうしてあんたの言うこと、聞かなくちゃならないのよ。」
と口答えしました。それにアダムがむかついて
「何だっおまえ女のくにせにその反抗的な目はっ。口答えするなっ。」
といって平手打ちでも食らわせようとしたものだから、
「何よあんた、偉そうにっ。」
とリリトは怒って空を飛んでいってしまいました。実はリリトには翼と男根があったのです。そのために急遽男性に従順な女性イブがアダムの肋骨から作られたというわけです。 一方リリトは紅海を超えて「大地の母なる女神」の許に身を寄せました。リリトの身の上を知った女神はいたくリリトに同情しました。そして復讐のためにアダムとイブを自分の縄張り・・・エデンの外に誘い出せようとリリトに唆しました。こうしてアダムとイブは知ってはならないことを知ってしくまい、エデンから追い出されては大地の母なる女神の縄張りに足を踏み込み、母なる女神とリリトの支配下になったというわけです。大地の母なる女神は執念深く執念深くアダムとイブを追い掛け回したというものです。天使のように純粋なやさしさとそれを守り抜くための悪魔のような残酷さをリリトと女神とに存在しているのです。

  さてもリリトの男性形がエロスであると言われています。リリトは男根と翼を持った少女ですが、エロスはヴァギナと翼をもった少年です。私の中学校には本当に『美少女」と見間違ってしまうような男の子がいました。もちろん女子たちは大騒ぎです。本当にAKBにいてもおかしくないほどの容姿の持ち主でしたね。ただ胸が無いだけで・・・。彼は詰襟学生服を着てもセーラー服を来ても似合っていました。彼の家は私の家の近所なので彼の性格をよく知っています。確かに女性的なやさしさとともに女性的な残酷さと執念深さを兼ね備えていました。その執念深さと残酷さがクラスの女子たちにとっては魅力にもなっていたようです。とにかく彼はよく放課後に女子たち(先輩も後輩も若い女の先生も)に囲まれていましたね。そしてセーラー服を着せられたりしていたのですが、女子以外は教室に入ることが出来ない雰囲気でした。?

  さて、この前久しぶりに田舎に帰りました。生まれ育った町は農地がほとんど無くすっかりと近くになっていましたし、おしゃれなショッピングセンターなども出来て東京と変わりません。かつては東京にしかなかったカルディコーヒーもショッピングセンターの中にあったことには驚きました。
  ところで久しぶりで同級生にあうと、男子はみんなメタボですっかり親父です。ただ女子は気を使っているせいか比較的細身で中学時代の容姿を何とかたもっていました。しかし彼だけはあのころとまったく変わらないと言うのです。髪も長くて細身でまるてAKBだというのです。そしてもう一人かあのころとまったく変わらない人がいました。それは彼の母親です。相変わらず細身で容姿は美しく、女神のようです。そしてあのころと同じようにあの白い家に住んでいるというのです。あいかわらず女子たちがあの家に行き、女神様のように美しい母親と天使のように美しい彼を囲んでいると言うのです。そして彼をいじめたY田君や彼をからかったY田さんは呪いをかけられてあの白い家に引き込まれたままずっと帰っていないのだというのです。?



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Re:Re:レス

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月20日(水)13時59分32秒
返信・引用 編集済
  管理人様
しつこくてすいません。管理人様は、「アルジャーノンに花束を」の紹介文で、ひょっとして、次の文言にひっかかられたのではないのでしょうか。「また、最後の一文が主眼であり、ここの収束される感動に泣かされる作品である」
うーん、私は、そんなこと、思いませんでしたが。そういう紹介文だけをみると、成程、お涙頂戴に見えてしまいますね。実際は違う、と私は思います。小尾芙佐の日本語訳もすごかったし、(この訳にまず圧倒されました。この訳がまずチャーリーを位置づけたかも知れない、とも思いました)全体を通して読むと全く違う側面が見えた、とその昔に読んだ記憶が甦ってきました。(チャーリーの、心とか。やっぱり、手術を受けたチャーリーかな)
お読みになられたら、管理人様のご感想も伺いたいところです。
失礼しました。
 

トマトさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月20日(水)13時36分24秒
返信・引用
  いやー、またおもしろい、トマトさまの一面が見えてきました。音楽という小道具なしでも、おもしろいではありませんか。どこから、こんなお話が湧き出てくるのですか?
いつも「次!」と思わせて頂き、ありがとうございます。「次!」お願い致します。
(勝手ですいません)
 

Re: こんばんは。またまたおじゃまします。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月19日(火)19時51分39秒
返信・引用 編集済
  > No.4905[元記事へ]

トマトさん
 ご投稿ありがとうございます。
 おお、今回は山尾悠子(それとも北野勇作?)ばりの本格的な幻想小説ではありませんか!(ややヨイショ>おい)(^^;
 堪能しました〜。

 

こんばんは。またまたおじゃまします。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月19日(火)19時30分10秒
返信・引用
  管理人さん、お手数かけました。ずいぶんと寒くなりましたね・・・。

††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††

 私は六歳まで、あの石造りのアパートに住んでいた。アパートといっても久野四郎の『ガラスのわら人形』に出でくるようなアパートではなく、市職員とその家族たちが住む官舎アパートであり、西洋の石造りの建築物のように堅牢な建物だ。いったいいつからこのアパートがあったのかもわからない。古のそのまた古からこのアパートはあったに違いない。それだけこのこのアパートが歴史があった。
  私が住んでいたのは東側の三階部分、このアパートは四階建てでこの界隈ではずば抜けて高い建物だった。そして何よりもこのアパートにあの不思議な浴場があった。それはたぶん地下にあり、それでも不思議なことに天井は明るく輝いていた。そしていつでもお湯は沸いていた。それもそのはず、このお湯は地熱・・・マグマで沸かされているのだ。この浴場に行くのはアパートの住民しかしらない秘密の廊下を通っていく。この廊下はきれいな白百合が咲き乱れていた・・・記憶だけは残っている。
  さて、私の記憶にはこの不思議なたちの浴室は、まるで母親の子宮のような懐かしさに満ちていたことは覚えている。私の記憶の中にはこの翌日のなんともいえない心地よい温もりのなかに自分を委ねていると、天井がいつしか満天の星空になっているのである。そしてそこには宇宙の大きな母なる神の姿が見えてる。それは完全にやさしさでありまた完全な安らぎである。幼い私はいつしかこの満天の星空に溶け込んでいった。無限の安らぎとやさしさのなかに・・・。
  そんな時、浴場の床には白百合が咲き乱れていた。アパートの住民たちはみんな天使のように赤子のように純粋向くになり、そしてこの母なる神に溶け込んでいったのである。さて、このアパートにはいろいろな思い出がある。まずネコがたくさんいた。ネコにはそれぞれの名前があり、私たちの友だちだった。このアパートの名前は「大母神アパート」という。石造りの建物で、四階建て、円形の建物だ。
 このアパートで面白いのは屋上から飛行機が飛び立つことだ。飛行機というより飛行船といって方がいいのかもしれない。文字通り「空飛ぶ船」だ。木造だか金属製だかわからない。動力も浮力もどういう原理だかわからないが、のとにかく飛ぶのである。友達のマコチャンのお父さんはこの「空とぶ船」にのって東京に行き、そして亀屋万年堂の「ナボナ」を買ってきた。
  この私の生まれ故郷でもある不思議な建物はすぐ近くの町にある。しかし今の私はもはやその町に入ることはできない。ただ二階の窓から西のほうを見ると、その不思議な建物が見えることは見えるが・・・。

††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††††
 

Re: Re:レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月19日(火)18時30分10秒
返信・引用 編集済
  > No.4903[元記事へ]

段野さん
 あ、そういえば映画もあったんでしたね。映画のことは全く失念していたので(当然未見です)、やはり小説「アルジャーノンに花束を」に対して偏見を持っていたようです。歳をとって涙腺がゆるんでしまったので、お涙頂戴系はできるだけ避けているのですが、そういうことでしたら読んでみましょうかねえ(^^;。ありがとうございました。

 

Re:レス

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月19日(火)14時01分11秒
返信・引用 編集済
  管理人様
「アルジャーノンに花束を」は、映画の「まごころを君に」とは全くの別物で、そのあたりから、管理人様は、お涙頂戴物と思われたのかも知れませんね。この機会に、読まれることをお勧め致します。実は、私は、この「アルジャーノンに花束を」の舞台を観ました。このお話をどのように舞台にかけるのか、疑心暗鬼でありました。商業演劇ではない劇団で(多分、「劇団昴」、大阪公演はその日一回だけ)舞台装置は簡素、でもちゃんと話の流れに沿ったバックを使い、例えば冒頭のチャーリーが働いているパン屋など、うまくもってきていました。原作から外れずにいろいろと工夫がなされていたことを思い出します。演技者も、きちんと話をもってきていました。                          同じ作者(キイス)で「五番目のサリー」などは、「アルジャーノンに花束を」とは全く違う読後感がありました。心の中に五人分の人格を持つ人物の描写を使い分けていました。簡単に五人分の人格をもってきたのではなかったのでした。人格が突然に入れ替わるのです。その入れ替わりようなど、おおっと思ったのでありました。「24人のビリーミリガン」(これは未読)なんか、24人分の人格がありそうです。
>サイン本
これは別に取り置いています。が、管理人様のおっしゃるとおり、古本屋などに流れたら、悲しいどころではありませんね。ちょっと、考えなければいけませんね。(確かに、今は嬉しがっていますが)
>
なぜ再刊
そうなんですよね。大体お買い求めの方々を拝見しますと、親本をご存じない、か、または
その頃に親本に関わった方ではないのです。よって、改めて(その方には、初めて読むことになる)ご本となる訳です。それで、手に入れることができたご本を買うしかない、ようです。まあ、親本を持っていても、年月には勝てません。再刊が出れば、よし、であります。
失礼しました。
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月18日(月)23時04分18秒
返信・引用 編集済
  段野さん
>手術前のチャーリーなら、読めるんでしょうか。手術後のチャーリーなら、読めないでしょうね、きっと。
 どうなんでしょう。実は私は、この作品にはちょっと偏見があって(お涙頂戴という先入観があって)未読なのです。本は持っているのですが。
 ウィキペディアであらすじを読んでみました。チャーリーは精神遅滞者となっていますから、手術前のチャーリーが、(ひらがなで表現されているように)訥々としてしか読めない(あるいは音読しないと読めない)のだったら、「読めない」のではないでしょうか。そして手術後のチャーリーは、きっと速読もできるでしょうから「読める」のではないでしょうか。賢くなるといっても、サヴァンになるわけではないと思うので。あくまでウィキペディアの記述からの推測ですが。
 しかし、ウィキペディア読んで、この話、「フランケンシュタインの怪物」テーマとして読めるんじゃないかな、と、気づきました。そうなると俄然興味が出てきました。今度読んでみたいと思います。ご示唆ありがとうございました。

トマトさん
 最初の投稿、消しておきました。この掲示板は自分の書いた文章ならあとで訂正も削除もできます。
 掲示板の一番下までスクロールしますと、「自分の投稿の編集・削除」というボタンがあります。それをクリックすると、編集画面になります。私はしょっちゅうこのボタンを使って書き込んだ文章を直しています。便利ですのでご利用下さい。

段野さん
>改めて、今一度読むべき頃なのか、と購入しました。
 なぜ再刊されるかというと、旧刊が入手不可能になっていて、新しいファンが読めないからなんですね。つまり新しいファンのための復刊なのであって、旧刊を持っておられるなら、むりに買い直す必要は、基本的にないのではないでしょうか。お持ちの本で再読されれば充分です。もちろん内容にかなり手を加えられて変わっているとか、旧刊が傷んできたので買い直すとかだったら、それは買い直すべきですが。
 ここでとつじょ一般論になります――
 要は読めればいいんだと思います。読むための手段(のひとつ)として「買う」があるわけで、別に古本屋で買ってもいいし図書館で借りてもよいわけです。作家さんの気持ちとしては、買っただけで積ん読(ひどい場合には放っ読)にされるくらいなら、図書館で借りてでも読んでくれる方が、ずっと嬉しいんじゃないかな、と想像しています。
 大昔、眉村さんが、ファンに対して「もしよかったら古本屋で探してみて下さい」とおっしゃっていたのを憶えています。そしてこれも前にも書きましたが、福田紀一さん(「日本アパッチ族」の木田福一)は「図書館で読んでみて下さい」と言っておられました。
 もちろん作家なら誰しも「売れてほしい」わけですが、それは「買ってほしい」とはちょっと位相が違う。「売れて欲しい」のは「読んでほしい」からなのであって、その点、眉村さんも福田紀一さんもさすがだと感心したものでした。
 そういう例を知っているから、ツイッターで作家が、買え、買え、と連呼したりするのを目にするとがっかりします。図書館で借りるな。買って読め、などとつぶやくのも居たりします。もちろん作家が自著を告知するのは当然で、私も、そろそろ平谷さん本が出たかな、と、平谷さんのサイトへ行って確認したり重宝しているわけなのですが、あんまりやりすぎているのを見るのは不愉快なんですねえ。古いやつだとお思いでしょうが(^^;
 いやこれは、段野さんへのレスから、あさっての方に飛んでしまいましたm(__)m

 あ、そうだいい忘れた。サイン本もあんまり沢山だと、自分が死んだ後困りますよ、残された者にとっては蔵書なんてゴミクズですから十把一絡げに売っ払われちゃうこと必定。だいたいどれがサイン本だか判別もつかない。サイン本が古書店に大量に出廻ってしまうのは悲しいじゃないですか。というわけで、私は他の本と混ざらないように別口にして、死んだら棺に詰めてもらおうと思っているのですが、お花と違って重たいですから、入れられる冊数はしれていると思います(^^;。



 

Re:「人形愛」2

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年11月18日(月)20時20分45秒
返信・引用
  > No.4897[元記事へ]

段野のり子様

こんにちは。
眉村先生のサイン本を収集されているとは、かなりの通ですね。
私は、安部公房のサイン本等は、一切持ってません。
読み始めたのが、安部の死後でしたから。
古書店を探せば、お宝があるのかもしれませんが、なかなかそこまでできません。
その点、眉村先生はお元気でうらやましいです。
これからも精力的に活動されるのでしょうね。
いやあ、みなさん、本当に熱心なファンですね。

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下の投稿、wrongでした。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月18日(月)20時17分36秒
返信・引用
  管理人さん、段野さん、ありがとうございました。管理人さん、下の私が投稿した私のお話ですが、削除していただければ幸いです。実際の思い出+空想という構図で、文脈がめちゃくちゃになってしまいました。下記に一応読み直したものを再投稿させていただきます。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

土曜日の放課後、教室の空気はにわかに輝き始めた。時間の流れが青い川の流れになって誰の目にも見えてきた。その青い川の流れの中にきらきらと金色の閃光が輝く。青い川というより青い風といったほうがいいかも知れない。
みんなは畳敷きの柔剣道場にぞろぞろと集まった。みんなの目はきらきらと輝いている。自分たちの学校だ、自分たちで規則を作ろう・・・私たちはそんな『意志」をその胸に託していた。 事の発端は今年の春に新任してきたS籐先生だった。規則尽くめなことが好きなS籐先生が突然男子の丸刈り女子のブルマ強制を打ち出してきたのだ。それまでわが架空野中学校には頭髪についてもあるいは女子体操着についても生徒間で自然発生的に生まれた決まりに乗ってられた。だから架空野中学校には髪の長い男の子もいたし、体育や掃除のときにブルマになる女子もほとんどいなかった。それだけみんなかが輝いていたということだった。そんなみんなの輝きはそのままその場の時間と空間の深みとなった。言葉では言い現れない一体感が私たちを包んだ。
青く輝く空気が大きな川の流れのような空気が私たちのいる室内に満ち溢れる。生活指導のO先生もいる。そして「渦中の」S藤先生がきた。いかにも「教育的雰囲気」とやらを押し付けてきそうな雰囲気だ。そして佐藤先生がみんなの前に立つ。
「君たちはここの生徒だろう。だったらここの規則を守るのが当然じゃないのっ。』
と頭ごなしに上から押さえつけるようなそんな言い方。
「だったらどうして規則に従わないのっ?!」
とS籐先生は怒鳴りつけるように行った。
「・・・その規則って誰がどうやって作ったんですか?」
「そうだ、そうだ、自分たちの学校だっ。だから自分たちで作るっ。」
とあたりは沸いた。そして生活指導のO先生のこの一言で決まった。
「・・・S籐先生、丸刈りやブルマじゃないとなにか問題がありますか?」「うぉーっ。そうだ、そうだ、O先生のいうとおりだっ。」
青く輝く風にS藤先生は圧倒された。口を開け目をきょろきょろして自分の居場所に困るS籐先生、そして私たちは青く輝く風とともに一つになっていた。この筆舌しがたい歓喜の出来事によって、私たちは溶け合った。いままでクラスから浮いていた戸舞麗華も私たちの「仲間」になった。 そしてその次の週末、私たちは戸舞麗華を誘って繁華街に出かけた。学校の制服と学校ジャージとブルマしかもっていない戸舞麗華のためにみんながジャージャンやらカラフルなパーカーやらを持ちより、麗華をファション情報誌「セブンティーン」から出てきたようなような女の子に仕上げた。もともと細身で容姿の整った彼女は見違えるようにきれいになった。
繁華街の帰り、私たちは大判焼き屋によった。戸舞麗華はもう私たちの仲間、友達だった。 こうして学校の休み時間や放課後、彼女は私たちの友達の一人として話の輪に入った。私たちは誰でも彼女の家ではテレビを見せないこと、彼女はたとえば「ただしい道徳」といって本しか読むことを許されていないことを知っていた。しかし誰も彼女をそのことで差別することも無かった。
 があるときから彼女がまったくしゃべらなくなった。ついこないだまだの彼女とは全く別な彼女にっなてしまった。目も死んだ魚のようだ。そして私たちが町に行こうと誘っても、何もいわずにただ黙って下を向くばかりだった。
「麗華、ねぇどうしたの、私たち友達でしょ、話してよ。何があったのか・・・。」しかし彼女はただ黙っているだけだった。彼女が父親の戸舞賛歌からひどくしかられた事、戸舞賛歌が主催する「民法709条を世界遺産にする会」に強制的に参加させられていることを知った。この『民法709条を世界遺産にする会」にはあのブルマ押し付け派のS籐先生も所属していたことも知られている。平和平和と一方的に平和主義を押し付けてくるあのグループだ。
  そしてまた夏が来た。窓からカーテン越しに強いウルトラマリンブルーとマゼンタピンクの光が入り込んだ。カーテンを開けて外を見ると、空におおきな、そしてなんとも美しいUFOが浮かんでいた。透明な金属のようなものでできていて、無数の窓は宝石のように美しく、そして何かをささやく様に輝いている。あたりにはたえなる調べも流れている。
そして私の前に麗華が現れた。全身銀色のスーツを着た麗華は黄金色の長い髪とエメラルド色の一人をしていた。そして私に
「今までありがとう。私はもう故郷の星に帰るときがきたの。本当の友達になってくれてありがとう。」
そうエメラルド色の人目に涙をたたえて別れの言葉を継げた。彼女の瞳から流れた涙はチャリンと澄んだ音を立て、今まで見たこともないのような美しい石となった。キラキラとしに字のように輝く石、わたしはその石を拾い上げた。

「ほら、いつまで寝てんのー。起きなさーい。」
そして普段どおりの朝が来た。
「昨日のあれは夢だったんだなぁ・・・。」
私はそうおもった。そしていつものように学校に行った。すると昨日まで来ていた麗華が来ていなかった。担任の先生が麗華が行方不明だと貌を引きつられて私たちに話した。警察が捜索しているという。私はふとジャージのズボンのポケットに手を入れてみた。すると麗華のエメラルド色の瞳からこぼれた涙の結晶が現れた。(実は私はジャージのまま寝て、そしてそのまま学校に行く習慣があったのだ。)
「うわー、きれいな石、これ宝石?」みんなが寄ってきた。
「・・・なんか麗華みたい。麗華が故郷に帰ったみたい。」
友だちのY美がそういった。
「麗華、故郷に星に帰ったんだね。少しのあいだだけど、私たちの友達だったよね。麗華。」
そういうY美の瞳にも涙があふれていた。そして学校からの帰り道、あの石を星がきらめき始めた空にかざしさて見た。すると束子たちを冷夏のオーラが包んだ。
「ありがとう。友だちでいてくれて・・・。」
星がきらめき始めた空はまるで生きている海のようにつややかに輝き始めた。
「あの星が麗華の故郷だったんだね。」
「・・・麗華、地球では辛かっただろうね。」
「でも私たちの友達だったよね。」
すると夜空にきらめく星の一つが、ささやくようにきらきら瞬き始めた。そして麗華が自殺しているのが発見されたのはそれから間もなくのことだった。
出棺のとき、私たちは麗華が好きだったユーミンの「ルージュの伝言」と「やさしさに包まれたら。」で見送った。
 

しつこくてすいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月18日(月)15時04分12秒
返信・引用
  管理人様
眉村さんのファン、とここで自白しましたが、実は、「眉村卓コレクション異世界篇」三部作を購入すべきか、かなり迷っていたのです。親本はみんなあるし(当然読んでいる)「ぬばたまの」など、(その本)日焼けしてまっせ≠ネどと冷やかされるくらいの頃のものです。(親本にまでサインを頂いた)だが、次々と「サイン、頂きたいのですが」という人たちのなかで、ひょっとして、この人たちは、親本が発行された時には、幼少時か、もしくは、眉村さんのご本に関心がなかった方々なのかな、と思い、改めて、今一度読むべき頃なのか、と購入しました。勿論、親本を先に読んでおいたのですが。(これを記すため、改めて手許に持ってきました。やはり、親本は読みたおしていました。本棚にあります)
非常持ち出し本であります。ううむ、かばんに入りきるだろうか、変に心配する、今です。
 

Re:Re:「人形愛」2

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月18日(月)14時08分33秒
返信・引用 編集済
  管理人様
>「そうね大体ね」
そうね、でございますね。もし、この「へんこな文」を、「アルジャーノンに花束を」のチャーリーが読んだら? 手術前のチャーリーなら、読めるんでしょうか。手術後のチャーリーなら、読めないでしょうね、きっと。なんて、おかしなことを思ってしまいました。
トマトさま
管理人様からも「迷惑とか、そんなことは一切ありませんので」とおっしゃっておられます。私、すっかりはまってしまいました。トマトさまの雰囲気が、何かしら、音楽と結びついているとこらへんが、つぼ、なのでしょうか。とにかく、トマトさまワールドです。おかしくて、つい、「次」とか思ってしまいます。仕事モードから外れた時に、また読ませて下さいまし。
w1allenさま
私、ある事情で、眉村さんのご本がサイン本で増殖していく身の上です。非常持ち出しものに眉村さんのサイン本がわんさか増えました。要するに、私も、ファンなのであります。
そして、いまだにお世話になっている者です。(いつもお世話になっております。ありがとうございます)
チャチャヤンは聞いていなかったのですが、その後、眉村さんのラジオゲスト番組の録音テープなど、一部ですが、所有しています。「男のポケット」ショートショートコーナーの、眉村さんのご自身ご朗読のテープも持っています。(今年、いろいろと、管理人様にお手数をお掛けしました。管理人様にテープをCD化して頂いたのです。管理人様には、かなりなお手数をお掛けしました。ありがとうございました)
そういう人間です。よろしくお願い致します。
 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月17日(日)22時08分59秒
返信・引用
  > No.4895[元記事へ]

w1allenさん
>風のうわさでは、『スフィンクスは笑う』(安部公房の母の著作)と
>『真善美社版 終りし道の標べに』を刊行している講談社に娘さんから
>圧力があったとかなかったとか。きな臭い話ですね。
 うわー(汗)

 ですから評伝みたいなものは、身内には無理なんですね。
 近い将来、第三者による、事実に基づいた冷静で公正な評伝が出されることを期待したいと思います。
 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年11月17日(日)21時59分59秒
返信・引用
  > No.4894[元記事へ]

管理人様

眉村先生から献本があるとは、とても親密な関係なのですね。
眉村先生が出演されていたラジオ番組は、聴くことが出来ませんでした。
私が生まれる前なので。近畿に住んでいるので、多分毎日放送ラジオは入るはずですが。
でも、40年にも渡って親交を深めるメンバーがいるって、素敵ですね。

さて、安部公房の話ですが、不倫の事実は、さすがに娘さんには書けないでしょう。
宮西忠正(安部公房全集の編集責任者)著『安部公房・荒野の人』でも、
触れていません。新潮社には、もし企画があっても、出版する勇気がないと思います。

風のうわさでは、『スフィンクスは笑う』(安部公房の母の著作)と
『真善美社版 終りし道の標べに』を刊行している講談社に娘さんから
圧力があったとかなかったとか。きな臭い話ですね。

何はともあれ、怒涛の勢いで過ぎた、安部公房没後二十年でした。
まだ、なにかあるかもしれませんが。

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Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月17日(日)21時34分37秒
返信・引用 編集済
   今朝郵便受けを見ましたら、双葉社様より、著者代送で眉村卓先生の双葉文庫新刊『こんにちは、花子さん』が届いていました。ご恵贈ありがとうございました。
 この文庫版は、以前勁文社から出されていました『こんにちは、花子さん』『頑張って、太郎さん』を合本し、旧版から「乱闘」「石光さん」及びエッセイを除いたもののようで、その旨が巻末に記載されています。
 ということで、現在読み中の『人形愛』はいったん棚上げし、明日から本書に着手いたします。楽しみ〜(^^)

> No.4892[元記事へ]

トマトさん
 迷惑とか、そんなことは一切ありませんので、心おきなく書き込んでくださいね(^^)

> No.4893[元記事へ]

w1allenさん
>ああいう本は、墓場まで持っていくべきと思ってましたが
 少なくとも2011年までは墓場に持っていくつもりだったんじゃないでしょうか。今まで黙して語らずにおられたわけですから。しかし新潮社から上梓された安部ねりの『安部公房伝』が、「伝」と銘打ちながら、その点に関して全くなかったかのごとく口をつぐんでいたのが許せなくなって(多分その点を衝いて来た編集者の口車にも乗せられて(^^;)すべて吐露してしまう決心をしたのかと。
 本来なら新潮社が出すべき本ですよね。それが講談社から出たというのも、(何の証拠もない憶測ですが)そう考えればなんとなく納得できるように思います。

 しかし私もw1allenさんと同じ意見で、どんないきさつであったにせよ、貴重な記録であり、出版されたのはよかったと思います(私は果林本を読むまで、そんなことがあったとは全く知らなかったのでした)。

>管理人様は、眉村先生とSFの大ファンのようですね
 はい。1970年から72年にかけて、大阪の毎日放送ラジオで「MBSチャチャヤング」という深夜番組がありまして、眉村さんはその木曜日の担当をされていたのです。その番組では毎週リスナーから投稿されたショートショートの優秀作品を眉村さんが朗読されるショートショートコーナーというのがありました。最盛期には毎週200本前後の作品が贈られてくるほどの人気コーナーで、番組終了間際だったか終了後だったか、講談社から優秀作品を収録した『チャチャ・ヤング=ショート・ショート』という書籍として出版されました。そのメンバー(の一部)が、現在でも同窓会的につながっていて、いまだに書き続けていたりしているんですよね。ですからもう40年をこえて、眉村さんにはお世話になっているのです(^^;。

 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年11月17日(日)19時59分20秒
返信・引用 編集済
  > No.4891[元記事へ]

管理人様

なるほど。私生活も、『砂の女』に代表されるように、脱出と定住の間で心がゆらぎ、
そういう言葉を吐露したのかもしれませんね。安部が作った作品なのですから、
その作品のテーマが安部に当てはまっても、なんらおかしくないはずです。

さて、私はずっと二人の関係は同棲生活だと思っていました。しかし、
『安部公房とわたし』を読んで、箱根の山荘に足繁く通う形だったことを知りました。
真知夫人と離婚して、果林さんと結婚したかったようですが、やはり夫人が
承諾しなかったのでしょうね。
ああいう本は、墓場まで持っていくべきと思ってましたが、近い距離にいた人間にしか
書けない回顧録でもあり、貴重な記録でした。
何か、「夜のリズム」からかけ離れた話題になってしまいましたね(笑)。

管理人様は、眉村先生とSFの大ファンのようですね。眉村先生の著作は、『時空の旅人』
しか読んだことのない不勉強者です。

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ご愛読ありがとうございました。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月17日(日)17時59分4秒
返信・引用
  管理人さん段野さんありがとうございます。管理人さんにはわたしの「ほら話」の管理を委託させてしまっているようで恐縮しています。常連さん皆様のご迷惑になっていなければよろしいのですが・・・。

このところ「ほら話」の世界に遊びに行くのが、ランニングなどと同じく日課になってしまいました。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

さて、うちらが通う架空中学校のわがクラスの壁新聞を作ることになり、私はM香ちゃんとY美ちゃんとともにこの町に住む著名人を取材する計画を立てた。
「戸舞さんがいいだろう。浄化町三丁目にすんでいるから。」と先生はいう。
「戸舞さんって?」
「君たち、知らないのか、新聞読んでいないな。常磐日報の日曜博物学っていうコラム、書いているじゃないか。」
「だってうちは嫁入り新聞だもの。お父さんが巨人ファンだから・・・嫁入りジャイアンツっていうでしょ。」
「まあいい、戸舞さんに取材を申しこんでみよう。」
ということで中学生記者三人が地方紙に日曜博物学というコラムをかいているという戸舞さんのところに取材にいくことになった。取材に行くのでジャージなどの部下着はだめで浄化町はうちらの通う架空中学校の学区外だがちゃんと架空中学の制服を着ていくことになった。

  さて、戸舞さんの家はごく普通の閑静な住宅地の中にある。がジャスミンの生垣が鬱蒼と茂っていて、そこだけ周囲とは違う独特のオーラを放っている。何かブラックホールみたいだ。そして家の中からクラシック音楽が流れている。
「・・・なんか、雰囲気不自然だね・・・。」
私たちは顔を見合わせてしまった。呼び鈴を押す。するとインターフォンが応答した。「はい、どちら様でしょうか?」
「架空中学の記者です。」
「ああ、どうぞどうぞ。」
といってドアが開きご婦人が出来た。このご婦人、なにかと校則にうるさいうちの中学の国語科教諭S籐M子先生みたいなオーラをしている。
  こうして私たちは戸舞宅の中に通された。どうもクラシック音楽の発生源は二階らしい。かなりの音量だ。
「こちらです。」
私たちは彼女に案内されて階段を上った。二階には何か分厚そうなドアがあった。夫人はそのドアをノックしてそして開けた。そのとたん、極めて大音量のクラシック音楽がドアの向こうからあふれ出した。
「うわーっ。」
と私たちは思わずびっくりした。このドア、かなり分厚い防音のドアだった。
「架空中学校新聞部の記者がお見えになりました。」
こうして私たちはこの部屋に通された。部屋の中はクラシック音楽の洪水だったが、それよりも驚いたのはその奥の机に座っている小柄な四十から五十ぐらいのおじさんだった。何かこのおじさんは
「声変わりしていない少年のままおじさんになってしまった。」
という印象だ。
「やあいらっしゃい。」
この小柄なおじさんはまるで声変わりしていない少年か女性のような甲高い声で私たちを迎えてくれた。
「なんか変な人だなぁ・・・。」
と私は内心そうおもったが、しかし
「あっ、どうも。」
とおじさんに挨拶した。そしておじさんのマシンガントークが始まった。
「・・・古代ギリシャではパルナッソス山ではアリストテレスがソクラテスでクレーモフ。」と延々と世界史の話を聞かされた。
「・・・キリスト教の歴史を紐解くとミラノ勅令がローマ法王で・・・。」
と続く。はっきりいって退屈だった。すると突然
「チューリップはユリ科の植物であるが、アマリリスはヒガンバナ科の植物。」
と始まった。さらに
「コーヒーはアカネ科の常緑低木で、バナナはバショウ科の多年生草本。サンショウはミカン科の落葉低木だがサツマイモはヒルガオ科の多年生草本。」
と続く。私たち三人はただ
「ははーっ。」
とこの人の話をただ固唾を読んで聞き入るしかなかった。さらに
「最近はAKB四十八とかいうイタリアの歌手に巷は浮かれているようだが・・・。」
と言い出した。『恋するフォーチュンクッキー』を歌っているAKB48は東京秋葉原発生のアイドルユニットだけど、これをイタリアの歌手というのはいったいどういうことなのだろう・・・とおもった。しかしこの部屋にいるとなぜかAKB48はイタリアの歌手だと自分に思い込ませなければならないのである。

ドアが開き、
「失礼します。」
とご夫人がお菓子を持ってきた。北関東なのになぜかパルナス製菓のクレーモフだ。このクレーモフというシュークリームであのおじさんのお話は一時停止した。このクレーモフを食べている間、私たちにとっておじさんのお話を聞かされないオアシスのような憩いの時間だった。がグレーモフを食べ終わると再びおじさんのお話が始まった。
「第二次世界大戦ではチャーチルとヒットラーがルーズベルトとアイゼンハウアー。」と続いた。当然私たちはただ
「ははーっ」
と聞き入るしかできない。そんな中おじさんの話は
「国際核軍縮と原子力の平和利用について議論されているが・・・。」
と延々と続く。話の内容というよりその部屋の中の雰囲気がすさまじい。なんたってAKB48がイタリアの歌手になってしまう世界だ。丸二時間私たちはこのおじさんのオハナシの世界に拘束された。そしてようやく解放された。
「・・・今日はどうもありがとうございます。」
と私たちは一応挨拶したが、するとおじさんは
「またいらっしゃい。」
という。しかし私たちは
「ああ、恐ろしい、もう二度と来たくない。」
とつくづくおもった。階段を下りて階下に行くと、鳥の巣のような頭の女の子がまるで誰かと話しているかのような独り言をいっている。薄汚れたセーラーの夏服の下はブルマ姿。無表情で死んだ魚のような目をしている。でも彼女は私たちと同じぐらいの歳だ。夫人はそんな彼女を野良犬でも追い払うかのように
「ほらみっともない、向こうに行きなさい。」
と追っ払う。一方私たちには丁寧に挨拶して
「今日はどうもご苦労さん。」
と頭を下げる。そこに
「ちょっと待ってっ。」
とおじさんが階段から降りてきた。
「これ、あげます。」
おじさんは私たちに本を配った。ガリ版をホチキスで帳合した手製のおじさんの「作品集」だった。当時はパソコンどころかワープロもなかった。もちろんスマホなんていうものもない。また
「君たちにはこういう本を読んでもらいたい。」
といって紙切れも渡された。本でもらいたい本リストには
☆ 山本有三 路傍の石 ☆ 太宰治 人間失格  ☆ どおくまん 嗚呼花の応援団 ☆ デカルト 方法序説 ☆
などの「良書」が並んでいた。そして戸舞家を後にする。青空がきらきらとが焼いて見える。子供のころ見た青空の輝きだ。?
「・・・・・・怖かったね・・・。」
戸舞家を後にした私たちは自分たちが一度入ったら二度と出てこれないブラックホールの中に入ったことを改めて感じた。
「・・・だってあそこの中はAKB48がイタリアの歌手になるところでしょ。」「・・・あそこの中にはそうなんだね。久野四郎の世界だね。」
「ほんとに・・・。」
「あんなところに居たら、あの女の子みたいになちっちゃうよね。」
「そうだね。鳥の巣頭にブルマ姿の・・・。あの子の目、なんか死んだ魚みたいに無表情だったね・・・。」
「あの子、私たちと同じくらいの歳だよね。かわいそうに・・・。」
「・・・おしゃれして「レインボータウンに行きたいだろうに・・・。」
あの子も今度レインボータウンに誘ってみようか・・・そんな空気が私たち三人のあいだに流れる中、バスどおりの小さな商店街には「こーいしてるぅ♪アルプスの少女ーっ。」と朝丘めぐみの「アルプスの少女」が流れている。ちなみに戸舞さんの家で流れていたのはベートーベンのクロイツェルソナタだった。

  その晩、二階の自室で予習復習をしていると、
「おーい。」
と隣のお姉さんKちゃんが声をかけてきた。ギター片手に屋根の上に座っている。Kちゃんはきれいなアルペディオを引き始めた。
「ねぇねなにやってんの?」
「あたしたちもそっちに行っていい?」
下を見ると、道にM香ちゃんとY美ちゃんがいた。
「こっちにおいでよ。」

  こうしてこの二人も屋根の上にやってきた。わたしはY美ちゃんやM香ちゃんとあのブラックホールみたいな戸舞家の話をした。
「へー、AKB48がイタリアの歌手だっていうあの?」
「でもあのブルマの子、かわいそうだね。」
K姉さんはアルペディオ、いつのまにかギターをもってY美ちゃんはコードストローク、
「You are my sunshine only my sunshine.」みんなが歌うとギターの調べとみんなの歌声は銀色の階段になって夜空へと伸びていった。私たちはその階段を上っていき、戸舞さんの家に行った。そしてブルマの少女に
「ねえねこっちにおいでよ。」
とみんなの仲間に入れた。するとブルマの子は鳥の巣頭にブルマという格好からデニムのショートパンツにマゼンタピンクのサテンジャンパーとまるでレインボータウンの店員さんみたいな格好になった。
「似合うじゃん。」
「そう。」
あの子はとても楽しそうで目がきらきらと輝いていた。?
 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月17日(日)16時19分56秒
返信・引用 編集済
  > No.4889[元記事へ]

w1allenさん
>創作の苦しみは、作家なら誰しも持つものだと思いますが、「高速道路」や
>「ブラックホール」のような具象なものに喩えるあたりが、安部らしいようにも思います。
 おっしゃるとおりと思います。
 しかし私は、どうも妄想邪推するのが好きなもので(^^;、公房が果林にその言葉をポロリと漏らしたのには、公房の脳裏に次のような思いもあったんじゃないかなあ、と想像しちゃったんですよね。
 すなわち、くだんの発言は果林と関係ができてしまった当初のことで、公房は、これからおそらく長く続くであろうところの、絶対秘密を貫かねばならぬ「二人の女の間に挟まった生活」に思いを致して(公房は近代人ですから、昔の大家のように公然と妾を持つような、それを世間に知らしめるような振る舞いは、考えも及ばなかったんでしょう。それ以上に真知夫人がコワかったのかも>おい(^^;)、果林との生活が嬉しく楽しい半面、メンドイなあシンドイなあ、と一瞬気が重くなり、脱出願望が高速道路のイメージとなって、ポロッと口をついて出たのではないかと。
 いや下世話な憶測でした。失礼しましたm(__)m


> No.4890[元記事へ]

段野さん
>一度声に出して読みかけたら、一言目でアウト
 あ、それは駄目です!
 この文章は、健常者ならさらっと読めるはずなのです(そして、「あれ?なんで読めたんやろ!?」、と驚く)。
 なのですが、ところが一字一句きっちり読もうとすると、読むことができなくなるという不思議な文章(笑)。いわんや声に出して読むなんて不可能不可能。
 私も、一読目は何の抵抗もなく読めましたが、繰り返し読むごとに読めなくなっていきましたよ(^^;。

 ところがツイートのあるように自閉症者や、映画「レインマン」のダスティン・ホフマンのようなサヴァン症候群の人には、そもそも読めないようです。
 おそらく脳の構造が厳密すぎて、情報量を減らす「パターン認識」(そうね大体ね)ができないのだと私は思います。
 あのツイートが面白いのは、上に書いたように、読めてびっくりするところがミソで、もし万一、さらっと読もうとして引っかかったら、それは逆に問題なのです(汗)

 しかし件の書き込みも、雑な書き方をしたので分かりにくかったかもしれません。もっときっちり書かないといけませんね。ご迷惑をお掛けしましたm(__)m

 

Re:「人形愛」2

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月17日(日)13時46分31秒
返信・引用 編集済
  管理人様
「夜のリズム」、おもしろかったです。と同時に、このような雰囲気を持って書かれたことに、非常に興味をもちました。当時98年とのこと、その頃の管理人様の書きぶりが結果そういうラストになった、非常に心惹かれるものを感じました。(この雰囲気は到底でないのは分かっていますが、私が書けば、鋭い突っ込みが山ほどやってくるのは目に見えるようです)
で、「人形愛」に既に先を越されていた、とお書きですが、先日の教室で実に見事に、K氏と同じアイデア、構成を出してきた受講生がいまして、早速に突っ込まれていました。勿論、ラストのおちはK氏のほうが一枚も二枚も上手なのは、プロなので当たり前なのですが、ここまでそっくりなのには、驚きました。人間、考えることは、似て来ることもあるのかな、と思わされた出来事でした。それと、有川浩を出してこられたのは、さすが、管理人様ならではのことと存じます。「阪急電車」と比べられるとは、ご両人とも思ってもおられないでしょう。
トマトさま
いかん、もうはまってしまいましたがな。もっと読みたいですわ。(といっても、トマトさまには、大事な仕事モードがあるのですね。仕事モードが外れたら、がんがん読みたいです)何か、不思議な感覚をお持ちのようですね。真似のできない、トマトさまワールドみたいです。
管理人様
しつこくてすいません。11月16日に管理人様が張り付けられた「へんこな文(?)」を、一度声に出して読みかけたら、一言目でアウト。と、同時に思い出したのは、何年か前に、うちのバイト君が自費出版した「本」を思い出してしまいました。「へんこな文」に似ているのです。何が書きたいの? どうしたいの? さっぱりわからず、それでも何度かチャレンジしましたが、どうしても、読み進めない。言語形態が、こちらと違うのか、とまで思ってしまいました。(そのバイト君、バイト代をちびちびと貯めて、200万円を自費出版につぎ込んだそうです。ネットでの販売とか言っていましたが、その後どうしているのか、分かりません)よく分からない文は、かなり世間に出回っているのかも知れません。
 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年11月17日(日)12時40分4秒
返信・引用
  > No.4888[元記事へ]

管理人様

Uターンの件、言葉尻のみを捕らえた、つまらない指摘でした。すみません。^^;)
あてもなく、深夜の高速道路を走り続けたのは、安部の実体験かもしれません。
創作の苦しみは、作家なら誰しも持つものだと思いますが、「高速道路」や
「ブラックホール」のような具象なものに喩えるあたりが、安部らしいようにも思います。

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Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月17日(日)11時56分38秒
返信・引用 編集済
  > No.4887[元記事へ]

w1allenさん

>高速道路でUターンって、今では出来ませんよね
 あ、たしかにそうですね。自分では、一旦下りて入り直したことを言っているつもりなのですが、こんな雑な書き方をしていては駄目ですね。ご指摘ありがとうございました。

 ところで、『安部公房とわたし』の、23Pに、
「ただひたすら深夜の高速道路を走り続け、ブラックホールに飲みこまれてしまいたい気分になる」
 という安部の言葉を、著者が憶えていて記しています。
 この発言があったのは、文の前後関係から69年11月以降のようで、すでに『燃えつきた地図』は上梓されているのですが(67年9月刊)、そういう何とも知れぬ、居ても立ってもいられないような衝動・焦燥感を、安部公房はずっと感じ続けていたのかな、と思いました。あるいは執筆時点の気分を思い出しての発言だったのかも。
 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年11月17日(日)11時20分20秒
返信・引用
  > No.4886[元記事へ]

管理人様

あれっ、Uターンしたかな?と思って、『燃えつきた地図』を読み返しました。
確かに、「すぐに折り返して、こんどは上り線に乗り入れる。」という描写がありますね。
現実世界に戻るという暗喩とは、鋭い指摘ですね。気付きませんでした。
実際、高速道路を走って気持ちが高ぶった主人公が、上り線に入った途端、
「どういうわけか、もうさっきのようには、うまく気分が乗ってくれないのだ。」
と心境を吐露していますね。

高速道路や鉄道など、非常に早い移動空間が、人間の心理に影響する可能性
は大いにあると思います。

しかし、高速道路でUターンって、今では出来ませんよね。
一旦料金所を通らないと。

ちなみに、『燃えつきた地図』で出てくるF町は、東京の府中市中河原町と
推定されています。
安部は、調布市若葉町に住んでいたので、ドライビングコースだったのではないかと
考えられています。(苅部直著『安部公房の都市』より)

では、失礼します。

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Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月17日(日)00時42分57秒
返信・引用
  > No.4885[元記事へ]

w1allenさん、お久しぶりです。
 わお、好意的に読んで下さり、大変嬉しいです。ありがとうございます。
 電車(鉄道)って、現実世界から幻想世界へ入っていく(あるいは脱出する)契機としてなかなか便利なんですよね。実際よく使われていると思います。鉄道にかぎらず、交通手段には基本的にそういう面がありますよね。
 たしか、ちょっとうろ覚えですが『燃えつきた地図』でも、高速道路をぶっ飛ばす印象的なシーンがありませんでしたっけ。あのシーンではUターンして帰ってくるのだったと思いますが、(諦めて)現実世界へ戻ってくるという暗喩も籠められていたように記憶しています。
 

Re: 「人形愛」(1)

 投稿者:w1allen  投稿日:2013年11月16日(土)22時04分53秒
返信・引用
  > No.4884[元記事へ]

管理人様

「夜のリズム」を拝読させていただきました。とても幻想的で、不思議な列車の旅でした。
主人公は、果たして列車から降りたかったのか、それとも列車の旅を続けたかったのか?
そんなことを考えさせられました。

期せずして、ラストが一致してしまうことがあるのですね。^^)

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「人形愛」(1)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月16日(土)20時39分12秒
返信・引用 編集済
  > No.4883[元記事へ]

トマトさん
 >あのころの「事実」を骨子に事実ではない「空想」を付加して新しい世界を作っては自分がそこに生きていく・・・という感じです
 とてもよくわかります(一種の私ファンタジーですね)。そしていよいよ、空想の世界が眼前に開けてきました。面白いです。
 しかしトマトさんの描写には、私は独特の詩情を感じますねえ。いやこれはヨイショでもなんでもない。本心ですよ(^^;。独特のスタイルが確立しているんですよね。これは強みですねえ。

 さて――
 『人形愛』より、表題作を読みました。
 夫に自殺された主人公は、いつのまにかH電車に乗っている。
 「H電車がN市に近づく頃から、視野全体にかげろうのきらめきのような、他処では感じられない光度の強さがあらわれてくる。(……)土地から白い光がほのめき立っていて、空からくるのでなくて地からくる光に充ち充ちている」
 この白い光は何か、と、主人公は考えます。
 実はN市の辺りからR山脈の山塊がはじまっていて、それはK市まで持続している。R山脈は、昔から花崗岩を産出する。長い何百年何千年もの間に、花崗岩が粉になって平地に流されてきたのだろう。それがこの光を生んでいるのだろう、と、主人公は推測し、もっと白い光を見たい、と考えます。
 N市からは、H電車の支線が出ていて、内陸のT市を結んでいる。山に近いT市ならそれが満たされるかも、と、主人公はN駅で降り、支線に乗り換えてT市へと向かう。投宿したTホテルの旧館で、主人公は20歳前の少年の白い蝋人形の夢をみる。そして翌朝、夢に出てきた蝋人形とそっくりな少年を、主人公は見かけるのです……。

 面白い! 同じ土地を舞台にして、有川浩作品となんと対称的なことでしょうか。今津線アンソロジーを編む際は、ぜひともこの二作を並べて収録してほしいものです(^^;

 しかし――
 本篇のラストは、既視感がある。既視感があるもないも、拙作「夜のリズム」と同じではありませんか!
「パクったなあ」/「バレたか」
 わわ、すみませんすみません(^^;。
 実際は拙作が98年《風の翼15号》掲載に対して、本篇は76年《群像7月号》掲載で、22年も前に書かれていたもの。でも私は今日はじめて本作に接したわけで、やはり内的には「パクられた」の感が強いのであります(うーん。念のため言わずもがなですが冗談ですよ>おい)(^^;。
 98年ならば、パソコンで書いたはずだからデータが残ってるかも(それ以前のワープロだったら不可能)、と探したら、古い一太郎文書の中に発見、発掘してきました。
 読んでみたら、なかなかよいではありませんか(>勘違いしているらしい)。思い立ってPDFにしてみました→ここ
 ご笑覧いただければ幸甚。このラストはいささか自信があったのですけどねえ(汗)
 

おじゃまいます\(^^)/

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月16日(土)18時40分10秒
返信・引用
  管理人さん、「連載」させていただきありがとうございました。公序良俗に反しかねないギャグ過多などコンプライアンス違反(?)もあったのでは・・・と気になってしまいました。またこの「連載」のために掲示板本来の機能「コミニュケーション機能」などが損なわれてしまわなければと幸いと思っています。

☆☆☆☆☆☆

コンビニなどの空間でふと中学生ごろの感覚がよみがえると、あのころの「事実」を骨子に事実ではない「空想」を付加して新しい世界を作っては自分がそこに生きていく・・・という感じです。要は「ほら話」なのです。
「ほら」であっても可塑的な「内的事実」かつ「楽しい夢の世界」ですね。この「ほら」をもっと多くの人たちと共有できれば楽しそうですね。

☆☆☆☆☆☆☆?

群青色の黄昏の時間に、ギターの銀色のアルペディオが小川のように流れる。やがてリズムギターのコードストロークが銀色のカーテンのように小川の流れに重なる。
「恋人もいないのにー♪」とシモンズの「恋人もいないのに。」が歌が流れてくる。歌っているのは隣のお姉さん、Kちゃんだ。しかもKちゃんが二人いる。二人でシモンズの「恋人もいないのに。」を歌っている。
「そうだったのか、Kちゃんは二人いたんだっけ。」そう、Kちゃんは二人居たんだ、双子のように・・・。そんな二人のKちゃんは銀色のラインとカーテンにのって、宝石で作った石造りの町並みを天使のように飛びながら「恋人もいないのに。」を歌っていた。そして目が覚めた。学校から帰ってきて自分の机の上でふとふとしてしまったのだ。しかし目が覚めても「恋人もいないのに。」は流れていた。
隣のKちゃんの部屋から聞こえていたのだ。それに外はまだ黄昏になっていない。窓の外からトウモロコシ畑が見える。予習復習する気にもならないので外に出る。

  そして気がつくと、やはりあの『夢書房」改め「石波書房」のまえに立っていた。白いネコが毛づくろいしている。がたーんと年季の入ったドアを開けて中に入る。ぷーんとかび臭いにおいがする。例の「文士」親父はまた奥に座っている。何か執筆しているのかと思ったら岩波文庫らしいものを呼んでいた。そしてこの親父の上には例によって「星への帰還」「空飛ぶ円盤製造法」などの立ち読み禁止の高価本がならんでいる。 なんとなくあの親父がオーラがヤなので、あの親父の姿が見えない領域に移動した。この店の店内は書棚が複雑にというか無限に入れ組んでいて、よくそれまで見たことの無い書棚や存在に気がつかなかった空間に出会うことも珍しくない。かび臭い中に茶色に日に焼けた本が並んでいる。その中に一冊だけ、宝石のように背表紙が緑色に輝いている一冊の本がある。まるでエメラルドのペンダントのようだ。思わず棚から取り出してみる。するとあら不思議、今度はまるでサファイアのように青く輝いている。思わず書棚から手にとって見る。
  タイトルは『神秘の日本』著者は『坂井泉水勝軍』となっている。
『坂井泉水?どこかに聞いた名前だなぁ・・・。ZARDと関係あるのかなぁ。」とおもって奥付を見る。著者の坂井泉水勝軍とは戦前のキリスト教の牧師であの時代にアメリカの聖書学院を卒業したのちに賛美歌編纂などをした『模範的な牧師」であることがわかった。しかしあるとき、不思議な感覚に目覚めたという。
  さて、本文を読んでみる。すると著者は地方でキリスト教伝道をしているとき、ある古文書を手に入れた。そこには人間が天使になるための不思議な石のことが記載されている。その石は「星の雫」という石で、普通の石は鉱物であって生きてはいないが、この石は鉱物ながらも生きているのだという。つまり霊石なのである。人間は天使に進化するか悪魔に退化するかの岐路にいるのだという。悪魔に退化する人間はつまらない小説を書くために家族に協力させたりつまらない小説を投稿してボツになってからといって他人に八つ当たりする人だという。一方天使に進化すると、宝石でできた町の住民になれるという。「宝石でできた町?」私はさっき学校から帰ってきて見た夢を思い出した。
「天使になれば高校受験も関係ないし、宝石の町の住民になれるんだ。」さて、著者はこの不思議な古文書を頼りに霊石を探し求め、東北地方の老人にこの不思議な石のついて話を聞くことができたという。この老人は東北訛りがひどいために聞き取りにくいことがあったが、しかしこの老人に「星の雫」という石を譲ってもらうことができた。そして著者は不思議な世界へと参入することができたという。さらにこの本にはこの石がどこにあるかのもこの本の中に書いてあった。一つは岩手県山奥村の滝壺の中に、もう一つはかつては日本の領土であった南洋島という南の島の洞窟の中、そしてもう一つはこの私の住んでいる北関東のとある市の繁華街にあるティーンズのファッションビル「レインボータウン」のどこかという。ちなみに『レインボータウン」というのは渋谷の109や池袋のパルコのようなところだ。
  さて、この「石波書房」こんなところを立ち読みしているといつのまにか黄昏になってしまった。ケータイがなる。(あの時代にはケータイはなかったのだが。)でると
「どこにいるの、もう帰ってきなさい。」という家からの指令だ。それで黄昏のトウモロコシ畑を小走りで家路へと急ぐ。家の茶の間では
「瀬戸は時雨れて、大波小波♪」と『瀬戸の花嫁』で黄色く染まっている。座卓の上には「マルシンハンバーグ」が乗っている皿がおいている。たぶん「いとうスーパー」でかってきたんだろう。縁側では父が庭を見てビールを飲んでいる。そのかたわらでは蚊取り線香が陶製の豚の中から煙を流している。そんな昭和のアコースティックな空気のなか、我が家の団欒は白熱灯のように輝いている。さて、その日の晩、二階の自分の部屋で予習復習をしていると、
「おーい。」と隣のお姉さんKちゃんが窓を開けて声をかけてきた。白地に青の花柄模様を刺繍したブラウスとジーンズ姿。カッコいい。ただ夢の中ではないのでKちゃんは一人だけだった。
「今日さぁ、あそこの古本屋ですごい本見つけたんだ。」
「どんな本?」
「生きている石があるんだって。その石は人間を天使にすることができるんだって。」「へえーっ。」Kちゃんは窓に頬杖をついて聞き入っている。
「でね、その石、岩手県の山奥村と滝壺だとか南洋島の洞窟の中にいかないとないんだって。でもすごく近くにもその石があるところがあるんだって。それ、どこだとおもう?」
「どこ?わかんない。」
「すごく近くだよ。」
「わかった。鬼怒川温泉?」
「ううん、もっと近く。」
「どこさー、教えてよ。」
「あのね、レインボータウンの中だって。」
「えー、そんなところにあるの?」気がつくと私とKちゃんはお互いの家の屋根の上に座っていた。あたりをきらきらと宝石の輝きのような空気が包み込んである。もちろんわたしはKちゃんと「レインボータウン」に行く約束をした。
「そうだ、Y美ちゃんやM香ちゃんもさそってみよう。」わたしとY美ちゃん、M香ちゃん、そしてKちゃんはS藤内科医院前から出る路線バスに乗ってレインボータウンに行こう。あの「星の雫」という生きている石を探しに・・・。   
 

Re: 「夢魔」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月16日(土)11時36分50秒
返信・引用 編集済
  > No.4881[元記事へ]

 以前にも同様なのを紹介したことがあったと思うのですけれども。
       ↓
 

 私は高機能自閉症の人には読めないということのほうに反応しました。
 そうなんですよねえ。人間って、基本的に「そうね大体ね」的な世界に住んでいて、これも一種のパターン認識だと思うのですが、未知の事象に対して無意識に既存の文脈に当てはまるよう改変してしまう。
 ところで『夢魔』も、かかる(人間本有の)機能に依存していまして、あるいは利用していまして、読者は(因果的な)ストーリーではないものにストーリーを見出してしまうのです。
 元来この小説、私の解釈では次のようになっている。
 すなわち、少しずつ違う多世界A、B、C、D、E、…………が在る。本篇にシーンが、1→2→3→4→5→…………と並んでいる。
 普通ストーリーは、限定された世界(たとえば世界A )に継起する[ 1→2→3→4→5→………… ]のシーンを叙述するわけですが、本篇では[(世界A)1→(世界C)2→(世界B)3→………… ]を叙述していると解釈できる。無論作者が意図してやっているわけではなく、要するにそんなにガチガチにストーリーを作らず、そうね大体ねで、都合よく(面白くなるように)曲げている。
 それを厳密に読みこめば、多世界描写と解釈せざるをえないのを、一般の読者も、一種のパターン認識で、一本のストーリーとして読んでしまうのですね。
 そこにはやはり読者に瑕瑾を感じさせないテクニックがあるわけで、そして魅力的なシーンの醸成にあるわけで、並の作家がやればストーリーのアラとして認識されるわけです。同様なタイプの(シーン重視の)作家に恩田陸がいますが、私が唯一読み、以降読む気をなくさせた『ロミオとロミオは永遠に』は後者で、読むに耐えなかった。むろん恩田陸にも成功した作品があるんでしょうし、戸川昌子でも失敗した作品があるのだと思います。いずれにせよ成功するとフシギな効果が出る手法です(どちらの作家も手法としては認識してないと思いますが)。

 高橋たか子『人形愛』に着手。
 
 

「夢魔」読了

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月15日(金)21時57分3秒
返信・引用 編集済
  > No.4880[元記事へ]

トマトさん
 連載ありがとうございます(^^;。ユーチューブ見ました。
 現実との接点もでき、なんか、新たな展開を予感させられますねえ。

 さて、もう何日も前に読み終わっていたのですが――
戸川昌子『夢魔』(講談社、69)読了。
 面白かった。著者は『透明女』以来。30年ぶりくらい。しかしまあ、怪作というべきですなあ。『透明女』も怪作でしたが(内容は忘れましたけど)。
 今回は、読み始めてすぐ、あ、乱歩だ、と思いました。乱歩の通俗長篇。いわばその現代版(但し昭和44年現在)ですね。乱歩と同じく、隠微であるはずの変態性欲をきわめて向日的に描いてさわやかな作品です(>ホンマか)(^^;。
 メインの趣向は催眠術です。非常に強力な催眠術で上流階級の奥方を娼婦に仕立て上げる「夢魔」の存在。フリーライターの主人公は、たまたま新幹線で、夢魔が和服美人に催眠術をかけている場面に遭遇。夢魔の正体を探り始めるが……。
 序盤は(そういう設定がまだ読者には見えていませんから)非常に奇妙な謎に満ちていて、ぐいぐい作品世界に引っ張り込まれます。しかしまあ、このへんが乱歩的なんですが、当の催眠術がリアルなそれから程遠く、かなりいい加減。都合よすぎます。そして主人公も門前の小僧で見よう見まねで催眠術をかけられるようになるのですが、さすがに作者も都合がよすぎると感じたのか、主人公は超能力を得たのだということになる。でもそっちのほうがもっと荒唐無稽なんですが(^^;。
 そういう意味で合理的なストーリー展開を本書に求めてはいけない。おそらく作者も、冒頭のシーンだけあって、あとはほとんど構想なしに書き始めたんでしょうね。したがって一種のアドリブ演奏のようにストーリーが進んでいく。もとい。シーンが積み重なっていく。各シーンは、厳密には因果関係はないといったほうがよさそう(変奏関係ではある)。
 本書の面白さは、ほとんどすべて各シーンの魅力的な奇妙さに因っている。各シーンをそれぞれ「絵」と考えれば、本篇は展覧会と言うか個展で、壁にかかった絵を順路にそって見て歩いていく、そんな感じ(ということは乱歩の通俗長篇も「展覧会」小説といえる)。だからといって統一感がないわけではない。絵画展でも、たとえばキリコ展を見終わって表に出たとき、やはり何らかの統一的な感想を持つでしょう? それと同じ。
 あ、そういう意味ではトマトさんの連作も、そういう感じですよね(笑)。
 

こんばんは。おじゃまします。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月15日(金)19時28分7秒
返信・引用
  スタバやドトール、コンビニはいいですね〜。

  あのエスパー伊東みたいな親父がいる古本屋はいつのまにか『夢書房改め石波書房』という名前になってしまった。あの店にはエスパー伊東親父が座っているところの真上の棚に『星への帰還』『空飛ぶ円盤製造法』『魔法入門』『変身の原理』などの立ち読みしたくてしょうがない本の分厚い背表紙がいくつか並んでいる。しかし「一千五百万」などという札がついている。買う気というか買うだけの財力が無いやつには見せないとエスパー伊東親父の顔に書いてある。この親父の名前は「石波マス夫となする。」 ところでさすがに『世界女優恥部図鑑』はこの夢書房改め石波書房には見当たらなかった。
  さてこのエスパー伊東親父、奥で朝日新聞を読みながら納豆ご飯をかき込んでいたと思ったらお腹を押さえながら奥から店内に来た。そして「げーっ」と大きな音でゲップをした。一瞬私の胸のなかにPM2.5がもやもやと立ち込め始めた。この親父のカッターシャツにねずみ色のおやじズボンというファッションもキモイ。うちの父の丸首シャツにらくだの腹巻&ステテコのほうがまだ好感が持てる。そういえば店内にはエスパー伊東親父が食べたであろう「納豆ご飯」の匂いが漂ってきた。さっきのゲップのにおいだろう・・・。そうするとわたしはこの夢書房からエスケープしたくなった。これじゃ悪夢書房だっ。

こういうわけでこの日は夢書房からあたらしいネタを仕入れることはできなかった。我が家の茶の間には「はるな愛」に似ている同級生のY美ちゃんが紺色のアディダスウインドブレーカーを着て座っていた。テレビの中では北島三郎が「はーるばる来たぜはこだてーっ」と『函館の人」を歌っている。
「おまえ、Y美ちゃん、ずっとお前が帰るのを待っていたんだぞ。」と父が丸首にステテコ姿で出てきた。
「おまえまた、あの辛気臭い親父の古本屋にいったんだだろう。」
「うん、あの親父のゲップの臭い、嗅がされちゃっちよ。納豆の・・・。」私が顔をしかめて言う。
「何だおまえ汚ねー話すんじゃないっ。せっかくのコウタケおこわがあの親父のゲップの臭いになるじゃんかっ。おい。」父も顔をしかめて苦笑いする。
「Y美ちゃん、コウタケおこわもってきてくれたんだぞ。」お茶の間の座卓の上にはお重に入ったコウタケおこわがおいてある。
「あ、Y美たん、どーもありがとう。」
「うん、であの店行ってきたの?」
「うん、でもあの親父ヤだなぁ・・・。」
「なんか面白い話あったら聞かせてっ。」とY美たんがいう。
「おいおまえ、あの親父のゲップの話だけはやめろよっ。気持ち悪いからな。でもなぁ、あの親父、ガキのころから何時でも『つまんねーなー。』つーツラしてんだ。ヤになる奴だったよ、。ガキの頃から・・・。」
「おじさん、あの親父のこと、知ってんの?」
「ああ、あいつはオレの一つ下でな、なんでもあとから東京の入るのむっずかしい(難しい)京王帝都義塾だかワセダだかにいったらしいけど、京王やワセダ出たら今ごろ東京にいてデッカイ会社に居るはずだベー。」
「なんだってあの親父、『山のあなたに』なんていうわけのわかんねー小説書いてるんだって、おまえ、あの親父の詰まんねー小説、『文学界』とかいう本に載っているのか、オレも見てみてなー。どんな詰まんねーか。」
「とーちゃん、文学界っていう雑誌に投稿したけどボツになったから、それであの親父ブチ切れたんだよ。あの親父の詰まらないオハナシ読みたけりゃあの店に行って親父に『先生、先生の作品読ませてくださいっ』ていえば喜んで見せてくれると思うけど。」「おまえバカいうな、あの親父のキモイ顔見りゃオレみてぇな華奢な色男はぶっ壊れちまうよ。」「なんだとーちゃん・・・花の応援団のみすずちゃんの顔みたわけでもないし・・・。」
「おじさん、面白いね。」こうしてその場はうちの父の「面白い話」が全開になってしまった。
「でもあの店の子、かわいそうね・・・。」とウインドブレーカーを来たY美ちゃんがぽつりという。
「そうだね・・・。」確かにそうだ。あの子はこのままだったらあの売れない小説を書くことを『仕事』だと言い張る変な親父の犠牲になってしまう。三十年前から新宿西口で毎晩、ボール紙で作った『私の志集 三百円』というゼッケンをつけて立っているあの志集売りの女性みたいに・・・。
「おまえら知らないだろうが、あの古本屋の親父はいつだったか『オレの仕事はカネにならないんだ。わからないのか。』とあそこのカミサンを怒鳴りつけては殴っただぞ。ひでぇ親父だなぁ。あの親父、詰まんねー小説書くのを仕事だって言い張るんだからなぁ。」 と父が言う。私の頭の中では『ゲーテもカールブッセも読んでいないクセに、そんなヤツが何を言う。』とあの親父が甲高い声でかんしゃくを起こし始めた。薄明の町には家々の明かりがささやくように点り始める。北関東の田舎町にはジ イーグルスの「ホテルカリフォルニア」よりもウィークエンドの『岬めぐり」のほうが似合う。この町から東京までは結構ある。だからここは首都圏とはいえない。当時は新幹線も通っていなかったのだから・・・。
「あーあ、夏子ちゃん(石波書房の娘)もみんなと一緒に「レインボータウン」に行きたいのだろう・・・と思った。つややかな濃紺の夜空は満点の星をちりばめ、そこに宇宙の偉大なる神を感じた。「きっと神様は夏子ちゃんのことも見守っているんだよね・・・。」そう実感した。わたしたちはつながっているんだ。ただあの納豆くさいゲップをする「純文学者」を除いて・・・・。


さて、新宿西口の『志集売りの女性』であるが、ユーチューブなどで「志集」「冬子さん」と検索すると出てくる。何でも自分と親子ほど歳の離れたダンナの『作品』を毎晩駅構内に立って売っている。そんなこともありこの古本屋の娘さんは「冬子」ならぬ「夏子」になった。またこの古本屋の店名も岩波書店ならぬ「石波書房」になった。とするとエスパー伊東親父は「石波マス夫」、文学少女風の奥さんは鈴木京香似といいたいところなのだけど、いくらなんでもエスパー伊東夫人なので基本形の鈴木京香ではなくぶん殴られて顔が腫れた鈴木京香ということで「晴子夫人」という名前になった。ちなみにおっぱいは鈴木京香同様巨乳とする。石波マス夫は東京は三田の京王帝都大学ロシア文学科卒で卒論のテーマは「トルストイ作品内における、キリスト像を模倣する自我について。」(詰まらなそーっ)石波晴子は東京は四谷のカトリック系情事大学フランス文学科卒と、高学歴かつ社会不適応路線として味を出した。ちなみに浮子さんの卒論のテーマは「ロマンロランにおけるドイツ人フランス人融和社会理想像の可能性の模索」(あー詰まんなそう。)である。一方娘さんの「夏子さん」は貧乳である。
 

おはようございます。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月15日(金)07時20分41秒
返信・引用
  今朝は起床とともにビジネスモードです。
昨夜は「夢書房モード」に入れそうも無かったのですが、コンビニに立ち寄ったとたんに「夢書房モード」に突入してしまいました。

取り急ぎ失礼します。
 

Re: ご愛読ありがとうございます。☆

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月14日(木)22時38分23秒
返信・引用 編集済
  > No.4877[元記事へ]

トマトさん
 うむ、だんだん本格的に、昭和チックなフシギ世界の様相を呈してきましたね(私の言い方で、世界に奥行きが出てきました)。
 うん? 昭和・フシギ世界? おお、S・Fじゃないか! いいですねえ(^^)
 私は共感覚者なので、色に変換されて感じることもあるのですが、この世界はまさにくっきりした透明感のあるインディゴブルーです。
 

ご愛読ありがとうございます。☆

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月14日(木)19時38分15秒
返信・引用
  仕事モードにて。段野様、ご愛読ありがとうございます。大変モチベーションあがります。ただ私も場合によっては土日も含めて二十四時間ビジネスモードの場合もあるので、ご期待にお応えできない場合もありますのでご了承ください。管理人さん、この場を提供していただきましてありかどうございます。本来であれば私の管理するウェブサイトを構築しなければならないのですが、この場に弊社の(?)昭和北関東田舎町茶の間伝説「グインローダン」シリーズをアップロードさせていただくことにご同意ご承諾していだけば幸いに存じ上げます。この件に関して何か不都合がございましたらご遠慮なくこの場にてご一報くださいますようよろしくお願い申し上げます。私も夕刻一息ビジネスモードから離れ、再び八時ごろからビジネスモードという言う場合が多いのが今日この頃です。以上ビジネスモードにて失礼申し上げます。
敬具


以上の部分は本日午後五時ビジネスモードにて作成

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  いつだったか、夕飯終わった後、例の親父の古本屋に行った。そういえばこの古本屋、結構遅い時間まだやっている。店番は運よく奥さんだった。奥をチラッと覗くと「エスパー伊東」または「江頭2.50」に似た親父が新聞読みながら卵かけご飯らしいものを食べている。そういえばここの食卓っていつでも「卵かけご飯」らしい。この古本屋そういえば石川喬司の「夢書房」っぽい。SFマガジンのほかに「魔法・・・その歴史と正体」なんていう本がある。ハリーポッター(というか魔法使いサリーかな)じゃないけど、これって魔法の教科書?とおもった。もちろんお値段は中学生の私には手の出ないもの。が立ち読みはした。だから古本屋の親父は面白くないのだろう。といっても私の父の話ではあの親父はガキのころからいつでもすべてが『詰まんねーなー』ていう顔しているそうだけど・・・。
とにかくこの古本屋、当時の私にはサリーちゃんの家のように、魔法の国に通じる銀色の階段が続いているような期待感というか憧れというかそんな想いがあった。しかし店番しているここの奥さん、なにか、かわいそうだなぁ・・・中学生ながらそう感じたものだ。やはりあの親父、かんしゃく起こして奥さんやむすめをぶん殴るんだろう・・・。そう思って奥さんのほうを見ると、色白の奥さんは「いらっしゃい。」とにこりと笑った。私の心にほんわりと灯が点った。ぴんから兄弟の「おんなの道」の歌詞じゃないけど・・・。そういえばいつも学校青ジャージにブルマ姿のここの娘さん、どうしているんだろう・・・。あーあ、同級生のM美ちゃんみたいに、ジージャン羽織ってショートパンツはいてレインボータウン(繁華街にあるローティーンのファションビル、東京で言えば渋谷の109や池袋のバルコのような場所)行きたいだろうなぁ・・・。そう思うと、「冷やかし」の対象でしかなかったこの古本屋の娘さんに同情を感じた。しかしこの古本屋の親父、ワセダだかKOだかを出ているんだって?

店内にあるラジオからいつものように『NHKクラシックアワー」(だっけ?)が聞こえてきた。ここの親父はクラシックが好きらしい。しかし店内にここの「エスパー伊東似の親父」が居ない時に限ってたけど、私も「うーん、クラシックもいいなぁ・・・。」と感じるようになった。モーツァルト、ハイドン、ベートーベン、それぞれ味がある。キャンディーズ、シモンズ、安西マリアのように・・・だ。しかしクラシックでSFチックなのはモーツァルトやハイドンじゃなくてワーグナーとかリヒャルトシュトラウスだなぁ・・・とあの頃は思っていた。そんなわけでわたしもクラシックに詳しくなってしまった。芳醇なコーヒーのようなクラシック音楽を聴きながらまたかわいそうな奥さんの『ぬくもり」に触れながら「魔法・・・その歴史と正体」に目を通す。がサリーちゃんのように魔法を使えるわけではなかった。こうして立ち読みだけして店を後にする。背中にこの店の奥さんのぬくもりを感じながら・・・。

  色落ちしていないインディゴブルーの宵の空には月が出ている。まだ丸太のせ電柱には裸電球に笠をつけただけの街灯(ていうのかな?)がトウモロコシ畑を照らしている。「ああ、魔法が使えたら・・・。」と思うと、ふとトウモロコシの雄花の上に銀色の妖精が現れてきそうな気がした。

「おっ。」
と私に声をかけてきたのはむこうから歩いてきた同級生のM香ちゃん、大きくロゴの入ったティシャツにデニムのショートパンツ姿。
「おっ、こんな時間、何してんの?」と私が訪ねると
「いとうスーパーでコロッケと卵買って来たの。ででこ行ってきたの、こんな時間?「あの古本屋。」
「またーっ。好きだねぇ。そう、あそこの子、スーパーに居たよ。」
「またブルマで?」
「かわいそうだね。」
「・・・あそこの親父、酷いなぁ・・・・。あの子もきっと、M香ちゃんみたいな格好してレインボータウンに行きたいだろうしね。」
「・・・そうかもね。」ふとあの古本屋の棚にあった「魔法・・・その歴史と正体」という本を思い出した。あれが本当にサリーちゃんの魔法の教科書だったらあの古本や二の娘もM香ちゃんみたいな格好して友達とみんなでレインボータウンにいけるのになぁ・・・と思った。

  こうして二人で私の家まであるいていった。
「だたいまーっ。」
「おかえりー。」そうだ、今日は「寺内貫太郎一家」があるんだっけ・・・。すでに茶の間では家族全員が集合していた。座卓の上には森永エンゼルパイがおいてある。こうして小林亜星と西城秀樹のプロレスは今宵も始まった。しかしあの古本屋では「寺貫」もみないのだろうなあ・・・あの古本屋の親父が「山のあなたに幸いの」とかいう純文学を執筆中なのだから・・・。


  そろそろ我が家も待望のマイカー購入の話が持ち上がっている。最有力車種はカローラだ。父も役所までのバス通勤も面倒らしい。

そしてお風呂だ。カーペンターズの「スィートスイートスマイル」なんか聞きながら、風呂場の窓から星を見るのも最高のひと時だ。
 

トマトさま

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月14日(木)13時25分45秒
返信・引用
  ここんところ、トマトさまのお話(?)にはまってしまった者です。おかしいったらこの上ないですね。おかしすぎます。どこからでてくるのか、興味津々です。そして、必ず、その頃の歌(歌謡曲の時代ですか。決して、演歌というものではないところがまたおもしろすぎます)
がキーポイントみたいにはまります。ここが、トマトさまの、つぼですか。おもしろいですね。仕事モードから外れられたら、またお目にかかりたくなるような、そんな気持ちになりました。次作(?)楽しみにしております。
 

おはようございます。(仕事モード)

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月14日(木)07時59分31秒
返信・引用
  管理人さん。
レスありごとうございました。
ご感想、拝見させていただきました。

ただいま仕事モードですので、後程
お伺いさせていただきます。
 

Re: こんばんは。どうもおじゃまします。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月13日(水)23時21分28秒
返信・引用
  > No.4873[元記事へ]

トマトさん
 あっはっは。面白い面白い(^^)
 しかし――
>というのはもちろん空想
 なんて説明はいりませんよ(笑)。この掲示板には、「そんな馬鹿なことがあるか」とか言ってねじ込んでくる無粋者は一人も居ませんですからね。
 それに、そもそも「思い出」――思い出したことなんですから、筒井康隆「昔はよかったなあ」みたく、往々にして記憶は、長い年月のうちに改変されてしまったり捏造されてしまったりしているもので、少しもふしぎではありません(>おい)(^^;
 そしてそれらの改変記憶や捏造記憶も又、客観的事実ではないかもしれませんが、内的「事実」に他ならないのです。「俺はそのように記憶しているのだが、どう考えてもそれはありえないな」と、現時点から振り返って「常識的」になってしまってはいけません。思い出したことが事実なのです。おそらく北野勇作さんの書く世界なんかも、北野さんにとっては「事実」なんだと思いますね。記憶を疑ってはいけません。全面的に信じましょう!
 

こんばんは。どうもおじゃまします。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月13日(水)19時28分49秒
返信・引用
  ・・ようやく仕事モードがシットダウンしました。

こんばんはー、どーもおじゃまします。

徳州会事件って不思議なことはスターン容疑者だけが親族なのに細身で美形なことですなっ。そういや例の古本屋の親父、「エスパー伊東」と似ていましたなっ。(久野四郎「夢判断」あとがき調)思い出話、スタバでキャラメルマキアートすすすりながら作成です。早弁書房刊ハヤベン文庫、昭和北関東田舎町茶の間伝説、「愚淫浪段(グインローダン)シリーズ」(笑)ですねー。

  うちのオヤジはハマコーさんや亀井静香っぽいところがある田舎のとっつぁんでした。あのころの家はどこの家でも『茶の間』って言うのものがあり、そこにおおきなテレビがあって、家族プラス近所の人たちがおんなじ番組を見ていました。その好例が紅白歌合戦で、今日の大晦日のように長男は自室テレビでTBS系の格闘技、長女は寝室のフジテレビ系のお笑い番組ということはありえなかったですね。みんなが相良直美や美空ひばりの歌を見ていたわけです。うちの茶の間にはY美ちゃんのほか同級生で酒屋の娘さんのM香ちゃん、隣のクラスで後にローダンにハマる科学少年I君、少し年上で隣のお姉さんK子ちゃんなんかが出入りしていました。

でSFMの「世界みすてりとぴっく」には地面から宇宙人の頭が四つ五つ生えていたというコラムがありましたね。ほかにも身長十五センチの三脚のような宇宙人と遭遇したとか・・・また『ガスの炎のような宇宙人』とか・・・いろいろ楽しかったです。
「アメリカかどこかで地面から宇宙人の頭が四つ五つ生えていたんだって。」と茶の間でいうと、丸首シャツを着た父は
「あっはっはっはっ。お前またあの辛気臭い親父のとこのヘンな本立ち読みしてきたのか?宇宙人の頭ってコウタケかなんかだべーっ。あの店行ってへんな本ばっか見てると、うちの畑の大根のあたりにあの親父の頭、四つ五つ生えてくるぞー。」なんぞといって笑っていた。うちにビールを配達に来てついでに茶の間にあがっていった同級生のM香ちゃんも
「おじさん、面白いこというーっ。」と笑い顔。
「だいたい地面から宇宙人の頭生えるなんて、面白い話だなぁ・・・。コウタケかなんか見間違ったんだべー。やっぱりあの辛気臭い親父の店にある本だなぁ・・・。しかしコウタケ、うまいなぁ・・・今年も本家の兄貴っ、持ってこないかなぁ・・・」と父は座卓の上の器の中のラッキョウをつまんではぽりぽりと頬張る。コウタケとは北関東などで珍重される黒くてグロテスクな形の大型キノコ。炊き込みご飯にするとおいしい。
「コウタケご飯、おいしいね。」とジージャン羽織ったM香ちゃんもにっこりと笑った。しかしコウタケは深山に行かなければ生えていないらしい。


  さて、午後九時の二階の自室、さっきの「世界みすてりとぴっく」と父の話が脳内リフレイン。庭(というか畑)の大根植えてあるあたりの上空に黒光りする円盤が空中に浮かんでいる。その下に人間の胎児のような姿の宇宙人が居る。大きな頭、大きな目だ。この宇宙人、テープの早回しのような宇宙語で何か話しかけて来たが私には意味がさっぱりわからない。やがて宇宙人はすーつと円盤の中に引き込まれ、そして円盤はひゅーんとどこかに飛んでいってしまった。ふと足元の大根畑を見る。するとそこに先ほどの宇宙人の頭部が数個、地面から「コウタケ」のように生えていた。というのはもちろん空想。でもたとえ空想でも古本屋の親父の頭が地面から生えていないだけよかった。
 

Re: 仕事モードから離れて。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月13日(水)01時11分20秒
返信・引用 編集済
  > No.4871[元記事へ]

トマトさん
 おお、いいじゃないですか(^^) すでにして「世界」(色調)ができあがっていますね。思い出なんだから当然だろう、といえばそうなんですが、それ以上に、トマトさんの意志が(もちろん無意識でしょう)反映されているから、なんだと私は思います。
 この調子で(仕事モードの気分転換に(^^;)ポツポツ思い出していただけたら嬉しいです。
 しかし、トマトさんのおやじさんも相当キョーレツですねえ。古本屋のおやじに負けてませんね(笑)。
 

仕事モードから離れて。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月12日(火)19時55分11秒
返信・引用
  たしかに作家先生の「ノリ」で書かれたものは読んでいて楽しいですね。でも一般読者にわかるようにという意図的な説明が入ると、なんか報告書っぽくなってしまいますね。

  さて、スタバで「思い出モード」になりました。例の古書店の親父ですが、私の父は私に
「おまえ、あの店、行くのやめろ。あの店の親父、あそこのカミサンと娘ぶんなぐるんだぞ。あのカミサン、顔腫らしていたことあったぞ。」
「えー、とーちゃん、ホント。」
「ああ、あの親父、売れもしれー小説かいてんだろう。○○さん(農家のおばちゃん)があの店の勝手口であそこの奥さんと話してたら、『うるさいっ。』てあの親父、怒鳴ったていうじゃねーか。」
「あー、わかる。あの親父、文学界なんていう雑誌、机に叩きつけてたったっ。」
「文学界、あはは、景気悪そうだな、あの親父らしくていいやっ。」
父はそんなことをいいながらステテコのまま黄昏の庭に出て行った。そしてライターで石灯籠にろうそくをつけた。そしてまもなく
「おい、お前の友達来たぞっ。」と父がいう。同級生の女子、Y美ちゃんだ。腕まくりした青ジャージに紺のタンパン姿、顔も足も真っ黒に日焼けしていて健康そう。「ねぇ、明日のタツコ(英語の先生)英語、わかる?訳してきたらおしえてっ。」「あー、あしたタツコの英語たったんだっけな。」私はあのインケンなタツコの英語があることを思い出して気が重たくなった。
「やだなぁ。そうそう、あの古本屋の親父ってあそこのおくさんと娘、なぐるんだって、うちのとーちゃん言っていたけど・・・。」
「えっホント。ねえ、おじさん、ホント。」Y美ちゃんが私の父に尋ねた。
「ああ、ホントだよ。あそこのカミサン、顔腫らしていたことあったよ。ヤな親父だなぁあいつは・・・。」
「あの子、うちらの一つしたじゃん、かわいそうだね・・・。」Y美ちゃんが下を向きながらそういった。
「あの子、イトウスーパーで買い物するときもブルマでくるよね。・・・服も買ってもらえないんだろうね。」
「・・・そうだろな。あの親父だ。その子が服ほしいなんていったら殴るか、そうでなくても怒鳴りつけるだろうなあ。」父も同情するように言った。テレビからはキャンディーズが流れている。
「あたし、キャンディーズは『あなたに夢中』が一番好きっ。」「・・・そうか、Y美ちゃんはあの歌好きか。いいよなぁ、あの歌、かわいくて。でもあの親父のことじゃ、カミサンや娘たちにもテレビ見せないだろうなぁ・・・。ヤな親父だよ。あいつは・・・。」と父。こんな話をしていて英語の予習どころではなかった。 やがて夜も更けてY美ちゃんが『水まんじゅう』をもらって帰った。私は二階の自分の部屋で英語の教科書を開いた。蚊取り線香を炊かないと蚊がうるさい。窓から身を乗り出すと「おーい、元気ーっ。」と隣の家のお姉さんが私に声をかける。オレンジのティシャツにデニムのショートパンツ姿がかっこいい。
「今、ラジオで太田裕美、やってるよー。」そういえばかすかに『木綿のハンカチーフ』が聞こえる。
「木綿のハンカチーフ、いいね。」
「あたしも好き。で何やってんの。」
「明日の英語の予習。」
「そっかそっか。木綿のハンカチーフ聴いたら勉強しなよ。」空を見上げると天の川が壮麗に夜空をよこぎっている。天の川が夜空を横切っている。ふとSFマガジンの「未来の記憶」などを思い出す。
「やはりキリストはあの天の川のどこかかろから来たのだろろうか・・・。聖書のエゼギエル書か・・・。」
『未来の記憶」本文が脳裏で壮大なイメージとして広がった。
「そうだ、『未来の記憶』の話、隣のお姉さんにも教えてあげよう。」そう思った。 しかし、である。そんな壮大なロマンは風呂場から聞こえる父の歌で壊されてしまった。
「死ぬほどお好きなお方でも♪妻という字にゃ勝てやせぬ♪」父の歌うお座敷小唄だ。
「・・・あーあ、温泉行くのが楽しみなんだろなぁ・・・。」私は再び英語の教科書に向かった。思い出はここまで。

です。(笑)
 

Re: またまた突然ですいません

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月12日(火)18時56分58秒
返信・引用 編集済
  > No.4869[元記事へ]

段野さん
 いま検索して調べましたところ、作家は五代ゆうですね。よい作家ですよ。私は本家より上と思います。少なくとも晩期の本家よりは断然上(汗)。なので、シリーズとしては今後良くなっていくんじゃないですか。あ、初期の時代小説(「魔剣」とか「神州日月変」とか)は結構面白かったです。

 ところでそうしますと、著作権継承者は許諾したんですね。そんなことするかなあ。それとも許可なんか必要ないのかな。なんにせよ、早川さんもなりふり構わないというか、なんか行くところまで行ってしまいましたね。ローダンは月二巻になってSF文庫の占有率を着々と上げていますし。伊藤計劃なんかどこまで搾り取るつもりか逆に興味津々ではあります。まあそこまで切羽詰まっているのかもしれませんが、営業的には向きが逆でしょう。新しいことをしたい社員たちの士気も上がらないのでは。いやこれは要らぬおせっかいでしたm(__)m
 

またまた突然ですいません

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月12日(火)15時24分0秒
返信・引用 編集済
  「職場、好きですか」を探しにリアル書店に行きましたが見つけられず、そのまま書店探訪してみてびっくり。まあ、この掲示板では、話題にもならないことなのでしょうが、「グイン・サーガ」の131巻が出ているではありませんか。「天狼プロダクション監修」とあり、知らない作者(いや知られているかも)が書き出しているのです。大体、「SF・ファンタジー/ラノべの売れ筋電子書籍ランキング」に今頃グイン・サーガがランクインしていたことに、疑問を持っていたところに、現物に出会って、びっくりしました。参りました。しかし、元々の作者の持ち味が、果たして出て来るのでしょうか。読んでいないので、分かりませんが、こうなると、「ぺりー・ローダン」になってしまうのか? まあ、ファンは
期待しているのかも知れませんが(かくいう私は、仕事の手づるを利用して、130巻を2回通しで読み切りましたが)
まあ、関心のない方もおられましょう。失礼しました。
 

横溝正史生誕地碑建立9周年記念イベントのお知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月12日(火)12時41分51秒
返信・引用 編集済
   綾辻行人先生来演!!

 今週の土曜日です。お問い合せはこちら→ noraneko@portnet.ne.jp

 
 

Re: いやいやお恥ずかしい(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月12日(火)00時04分55秒
返信・引用 編集済
  > No.4866[元記事へ]

トマトさん
 それは残念(笑)。
 断片というか、シーンを集積していく手法に、私は可能性を感じるんですよね。というのは、私自身が最近のエンタメ小説の「ストーリー」に辟易しているからでもありまして、ものすごく邪魔に感じてしまったりする場合があるんですよね。ストーリーに繋いでいくためには、どうしても「説明」しなければならない場合があります。とりわけ下手な作家の場合、説明の量が増えてしまうという傾向がある。それが最近頓に鼻についてきた。だったら「ストーリーなんて要らないんじゃないか」と。
 一例としてあげさせてもらいますが、思い出って、たいてい「シーン」が付随していますよね。下の「昭和町」でも、トマトさんはシーンとして、3つ思い出しているわけです。
 そういう思い出(シーン)を、ランダムに、思い出す順番に書きためていく。そうすると、古本屋のおやじの別のエピソードがまた甦ってくる。それを無理してくっつけたり並べ替えたりして、ストーリーにしていくのではなく、読む側からいえば、断片集を読んでいて、「あ、またあのおやじが出てきた」という感じに、断続させていくと、面白い効果が出てくる。
 たとえばオムニバス連作ものなんかそうですね。ただしオムニバスを構成する諸短編はそれぞれストーリーがあったりする。私が考えるのは、それをさらに先鋭化させ極限まで突き詰めて、断片をオムニバス形式に並べて短編を作る、というものなんです。
 そういうことを考えていたところに、トマトさんの下の文章を読んだので、もっと書いてほしいなあ、と思った次第です(笑)。
 だったらおまえが自分でやれって?
 いやだから「自分で小説書くっていうのは面倒くさいというか苦手です・・・」(>おい!)(^^;

 戸川昌子『夢魔』に着手。うまい! 一気に70頁まで。面白すぎて止められません。さすがに小説黄金時代(昭和40年代)の作品だけあって、ストーリーに贅肉がついてない。
 たとえば、主人公が女を食事に誘います。次のシーンでは待ち合わせの場面になる。これで女が承諾したことは明らか。主人公の誘いに対して女がどう受け答えしたかなんて不要なんです。ところが近年のエンタメはそこまで書いてしまう(場合が多い)。それどころか下手な掛け合い漫才をさせたりする(ラノベの影響か)。そんなことの積み重ねが本を厚くし、読者を、というか私をして、うざい、くどい、などと感じさせてしまうのです。
 

いやいやお恥ずかしい(笑)

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月11日(月)19時49分51秒
返信・引用
  小説というより思出話を書いただけですが...。
しかし小説書くって私の場合仕事ではないので...。
一行書いただけで面倒臭くなってしまいました。

しかしパルナスのCMは癒されますね。


 

「タンゴへの招待」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月10日(日)22時13分0秒
返信・引用 編集済
  レミ・エス『タンゴへの招待』尾河直哉訳(文庫クセジュ、98)読了。

 タンゴ(ミュージック)について書かれた本って、本当にないですね。アマゾンで検索しても本書くらいしか引っかからない。タンゴ(ダンス)の本はそこそこあるのですが(それは日本におけるタンゴ受容の偏りを端的に示しているわけですが)。この辺ジャズとは大違いで、本書でも「タンゴは、合衆国におけるジャズと同じ展開を繰り広げていたのである」(139p)とありますが、ある時点で決定的に引き離されてしまう。その要因は何だったか、ということが知りたかったのだが、本書にそういう考察は殆んどありませんでした。私見ではコンチネンタル・タンゴはスウィングに相当すると思うのだけれども(ついでに言えばアストル・ピアソラはビル・エヴァンスに相当。ところがマイルスに対応するカリスマがおらず、ピアソラがマイルスも兼ねるという状況。それが不幸だったのかも)、本書の視界にはアルゼンチン・タンゴしか入っていません。というか、アルゼンチン・タンゴを社会学するというのが本書の主題なのでした。
 三部構成で、第一部「ダンスとしてのタンゴ」、第二部「音楽としてのタンゴ」、第三部「文化としてのタンゴ」となっており、150ページ強の新書ですから各50ページ程度となり、浅くさらっと通り過ぎる感じ、たとえば第三部で、歌謡タンゴの歌詞の変遷がアルゼンチン社会の変化と相関的に捉えられ、非常に興味深いのですが、紙幅の関係でしょう具体的な歌詞がひとつも示されず、ふうんそうなのか、としか思えないのは、いかにも物足りない。もっと詳しく知りたい、という思いがふつふつと湧き上がってくるのでした。
 

Re: 久野四郎さんにお願い(笑)

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月10日(日)21時40分29秒
返信・引用
  > No.4863[元記事へ]

トマトさん
>自分で小説書くっていうのは面倒くさいというか
 全く同感! 小説を書くって、粘着質でなければ絶対ムリですね(>おい)(^^;

 しかし、トマトさんの、ちゃんと小説になっているではありませんか。これでいいんです。私はこれで小説だと思います。面白い(^^) ここには3つの小説が入っていますね。別々に仕上げたほうがよいかも。こういうのをもっと書いて積み重ねていけば、相当面白いものになりそうです。ある意味、昭和の断片ですね(この親父、三丁目の夕日の作家志望とも通底しますね)。この町の名前が分かりませんが、仮に昭和町と名づけて《昭和町サーガ》なんてどうでしょう(笑)

 

久野四郎さんにお願い(笑)

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月10日(日)19時25分1秒
返信・引用
  自分で小説書くっていうのは面倒くさいというか苦手です・・・。


  しかし古本屋の親父、印象に残っていますね。理由も無く怒鳴りつけられたことがありましたが、後から奥おばさんが謝ってくれました。

かび臭い店内、細身で神経質そうな親父、そんななか、ずらっとSFマガジンのバックナンバーが並んでいる・・・そんな光景です。

すると親父が
「畜生っ。」といって「文学界」とかいう文芸雑誌を机の上に叩きつける、そして私に聞こえが由に
「おい、一体いつまで居るつもりだ。SFなんぞっ、まったく…。くそー、俺が何で百円二百円なんぞのためにっ。」と怒鳴りつける。私は居心地が悪くなって店の外に出る。すると裏からおばさんが出てきて
「ごめんね。また来てね。」といって不二家のミルキー(じゃなかったなにか)を渡してくれる。しかし数日後、この店に行くと、親父は無風状態で本を読みながら店内に居る。またまたSFマガジンのバックナンバーを立ち読みする。そして1969年1月号を持って親父のところに行く。「はい、百五十円っ。」と無愛想な返事、
「ありがとうございました。」と投げ捨てるように私の背中に吐きつける。
  家に帰ると茶の間では父が役所から帰ってきていてテレビを見ながらビールを飲んでいる。
「おー、(美空)ひばりちゃん、いいねー。」といいながら枝豆をつまんでいる。私はその傍らで古本屋から買ってきたSFマガジンを読み始める。
「なんだよ、SFマガジンって、あはは、見せてみろっ。」といってはパラパラと見て畳にブン投げてまた美空ひばりの「人生一路」に聞き入る・・・。そして「おまえなぁSFマガジンはいいけど、おい、勉強しろよ。」といいながら
「一度きめたーぁらーぁっ♪ 一歩もーひくーなーっ♪」と「人生一路」を鼻歌で歌って外に出る。

  一方例の古本屋では親父が新しい作品を執筆している。そんな親父に奥さんと娘がおどおどと顔色を伺うように接している・・・。この古本屋の娘さんは近くのスーパーにブルマ姿で見切り品を買い物に来る。ブルマ姿でスーパーに来る彼女を同級生は冷ややかに笑う。まったくしゃべらないおとなしすぎる人だ。親父はいつかは自分が文壇にデビューすることを渇望している。芥川賞でも取ろうとしているらしい。?

  そんな中に久野四郎になにか非日常の世界への入り口を開けてほしいですね。
 

レス

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月10日(日)15時33分21秒
返信・引用 編集済
  トマトさん
 島倉千代子は「愛のさざなみ」がよいですねえ。最初の、第一主題の8小節ずっとバックでsus4コードが(単調に)鳴っていて、まるでモード・ジャズみたいなんですよね。ところが第一主題の旋律は日本音階で、Cでいうとファとシがない。その旋律のバックで、sus4コードつまりCでいえばファがずっと鳴っていて、和音をくずして響きをもたらしている。面白い曲です。バックでマイルスが吹いて、その前で歌ってほしいくらいの名曲だと思います(>おい)(^^;。
 古本屋のおやじの話、いいですねえ。まさに昭和的な小説になりそうではないですか。久野四郎にアイデアを提供するくらいなら、ご自身で書いてみてはいかがですか。面白い話ができそうですよ。

段野さん
>「開高健はねえ……
 おお、それは興味津々。今度の会でこっそり教えて下さい。しかしバラしても大丈夫なのですか。内輪で話された内容なのでは?(汗)

>短くしたらしたで、だめがでるし
 というか、○だったのは新幹線の話でしょう。つまり「体験」を書かなければ駄目ということでは? ネタを拾ってきて書くというのは、自分の身辺雑記を400本書くことで技術を磨いた、次の段階の話なのではないでしょうか。
 

Re:Re:「関西悠々会」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月10日(日)13時27分31秒
返信・引用 編集済
  管理人様
一週間お疲れ様でした。何か、仕事やっつけたー、という雄叫びが聞こえてきそうです。
ところで、「蟻君忌」ですが、生前藤本さんが好んだ「蟻一匹炎天下」からとのことです。
「関西悠々会」には眉村さんはお出ましにはならないそうです。「名前だけなら」ということで、実は眉村さんは「開高健はねえ……(敢えて伏せますが)」とのことです。
また、教室でぼろんちょにやっつけられました。(うう)短くしたらしたで、だめがでるし、また、考えないといけません。考えます。
忘れていました。藤本さんと、眉村さんの無名時代のニアミス、聞いていました。講演会でのお話だったと思うのですが、「こんなところで、ニアミス?!」という気持ちになったことを覚えています。奇遇すぎる、ですね。
 

久野四郎など

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月10日(日)12時37分59秒
返信・引用
  昭和歌謡の代表、島倉千代子さん、なくなりましたね。昭和ムード歌謡というと、私的にはマヒナスターズの「お座敷小唄」や「愛して愛して愛しちゃったのよ。」が懐かしいです。父やおじが好きでした。茶の間のテレビで父やおじがマヒナスターズと松尾和子に見入っているのが昨日のことのようです。

久野四郎、東急東横線沿線あたりから新橋に通っているサラリーマンの世界のような印象です。帰宅の電車の中で若い女性の太ももやお尻に生気を養ったと思ったら、今度は終点で運よく座席に座れたと思ったら頭からゲロをかぶりそうになったとか・・・そういうまだ役職につかないサラリーマンの日常的な感覚、「貴社ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。」の世界からようやく抜け出せて「やれやれ」という感覚?かなと思います。

  私が久野四郎に目覚たのは田舎の中学生だったころ、近くの古本屋に於いてずらっと並んだSFマガジンを何気なく手に取ったらそこに福島さん独特の世界と「世界みすとりとぴっくす」や「未来の記憶」を発見したのはきっかけです。
半村良の「庄之内民話考』は下町風『未来の記憶』のようなもので、私はずいぶん惹かれました。で中古SFマガジンを何冊か購入したのですが値段はたしか百五十円?、しかし「銀座のバーで」などという記述があり、父に「中学生はそんなもん見るな。」といわれた記憶があります。つまりローダンやサーガ路線以前の「大人の世界」だったわけですね。

  ところでその古本屋の親父は機嫌悪いときに理由もなく怒鳴る面で女性的な声のなんだかいやな親父でしたが、なんでも「郷土文士」だそうで、たまに地元紙に「作品」が乗っていたことがありました。なんでもいつでも文芸誌に投稿してはボツになり、するとこの親父は家族に八つ当たりするとのことです。この古本屋の娘が下の学年に居ましたが、本当におとなしい人でした。久野四郎にこの親父と家族の話をSF成分もブレンドして書いてほしいです。
 

日経に野村恒彦さんの新著が!

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月10日(日)00時33分2秒
返信・引用
   野村恒彦さんの『探偵小説の街・神戸』(エレガントライフ社刊)が、日経新聞で紹介されていたようです(11月7日の朝刊)。ネットで知りました。こちら。1767文字と書いてありますから4枚強。かなりのボリュームの記事ですね。私は有料会員ではないので閲覧するあたわず。残念。
 ちなみに私の感想はここ

 

Re: 今週と一週間終わりました。

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 9日(土)20時31分33秒
返信・引用 編集済
  > No.4856[元記事へ]

トマトさん
>久野四郎の感覚は新橋あたりのサラリーマンの感覚かもしれませんね。
 なるほど! とかいいながら、私には「新橋あたりの」――のニュアンスがイマイチ不明なのですが(笑)。大阪でいうと京橋あたりくらいの感じでしょうか。とかいいながら、実際の京橋あたりには全く不案内でほとんどイメージです。
 その伝でいうと、私は、久野四郎の感覚って、新橋辺りの「中小企業のオーナー社長」の感覚かも、と思ったりもしています。

雫石さん
>再評価されるべき作家だと思います。
 同感です。

トマトさん
>昭和60年代、福島編集長時代のムード歌謡を聴きながら週末を過ごそうとおもいます。
 いいですねえ。
 ご存知かもしれませんが、下は平成の曲ながら、昭和の名曲に勝るとも劣らない、私の愛聴曲。バリバリ昭和です(笑)。
 

 ついでに、私がいまハマっている寺井尚子から一曲。もう3枚もCDを買ってしまいました(^^;。下は「ジャズワルツ」というCDアルバムに(ムービーなのに)入っているオマケで、(それを誰かがyoutubeに上げているのですが)購入してびっくりしました。最近のCDはススンでます(私が遅れているだけ?)。向こうのタンゴ曲みたいですが、実は寺井尚子のオリジナル。ライナーノートで都はるみ「北の宿から」を連想、と書かれています。いくらなんでもそれはちょっと違うような(笑)。週末のお供にどうぞ。
 

 

Re: 今週と一週間終わりました。

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2013年11月 9日(土)20時01分33秒
返信・引用
  > No.4856[元記事へ]

> 久野四郎の感覚は新橋あたりのサラリーマンの感覚かもしれませんね。
> まだ役職につく前の...。

久野四郎、いいですねえ。今ではすっかり忘れられた作家ではないでしょうか。
でも、再評価されるべき作家だと思います。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/dbe37666286629b0cc5ecaf600353e94

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

今週と一週間終わりました。

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月 9日(土)19時17分4秒
返信・引用
  昭和60年代、福島編集長時代のムード歌謡を聴きながら週末を過ごそうとおもいます。

石川喬司の短編には「いつまでも夢を」が出てきましたね。

久野四郎の感覚は新橋あたりのサラリーマンの感覚かもしれませんね。
まだ役職につく前の...。
 

Re: 「関西悠々会」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 9日(土)17時28分6秒
返信・引用 編集済
  > No.4854[元記事へ]

段野さん
 お知らせありがとうございます。
 藤本義一さんと眉村さんは、本当にウマがあったみたいですね。無名時代、ミナミのアルサロの開店前のカウンターで、眉村さんが、バーテン見習いとしてしこしこグラス磨きをやっていたその時間に、奇遇にも店の裏口では、藤本さんがやはり氷屋のアルバイトで、店に納品するため汗を掻きながら重い氷を運び込んでいたのだそうです(但し当時はお互いを知らなかった)。後年その偶然を知った藤本さんは、外から観察する自分と、内に居て観察する眉村さんの作風そのままだと感じたのですが、そういうお互いに重なり合わないというか、相補的なところが、逆に友情を育む基礎となったのではないでしょうか。
 ところでなぜ蟻君忌なんですか? 義一の義と音通だから?(笑)

 開高健は私も大好きな作家でした。ちょっといま、当時の読了メモが一時的に行方不明になっていて(多分どこかの山の下敷きになっている)確認できないのですが、『日本アパッチ族』よりも先に、『日本三文オペラ』を読み、(と言ってもほぼ同時ですが)大いに感動したんでした。でもその後に出た(というか読んだ)『輝ける闇』はもっとすごい作品で、こういう文章を書きたいものだと当時(そんな大それたことを)思いましたねえ。段野さんは読まれましたか。まだだったらぜひお薦めします。ただ文章を読むだけで大満足が得られること請け合いです。
 

「関西悠々会」

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月 8日(金)13時44分12秒
返信・引用
  開高健の業績をしのび、関西文化の向上を図る「関西悠々会」が12月9日発足されるそうです。呼びかけ人のなかに眉村さんもおられます。(他には、田辺聖子さん、難波利三さん、コシノヒロコさん、近鉄社長の小林哲也さん)年会費3千円を払えば、誰でも参加できるそうです。
と、ここまで書いて、なんと眉村さんのおでましの多いこと、お元気な証拠ですね。お忙しいことです。
 

蟻君忌(ありんこき)

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月 8日(金)13時33分40秒
返信・引用
  11月5日の朝日新聞夕刊に、藤本義一さんの一周忌「蟻君忌」の記事が載りまして、その中で眉村さんが次のような話をされたそうです。「同じ人とは思えないほどいくつもの顔を持っていて、それが全部本物の顔。ああいう人はなかなかいない」と惜しまれたそうです。藤本統紀子さんは「蟻君忌は毎年開きたい」とあいさつされ、ゆかりの品を集めたギャラリーを近く芦屋市にオープンさせるとのことです。(「蟻君忌」が開かれたのは、10月30日とのことです)  

Re:Re:放っ読

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月 4日(月)13時36分48秒
返信・引用
  一度目を通しておきながら、「やっぱ買って損した」本が本棚のこやしになっているものがあります。一度読んでいるのですが、改めて読むと「損した」だったのでした。吟味しているのに、です。とりあえず買い?その傾向はありましたね。今手を出しておかなければ、もう巡りあわないなどと思っていました。
さすがに今は吟味を十分にしています。
 

Re: 放っ読

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2013年11月 4日(月)09時04分44秒
返信・引用
  > No.4850[元記事へ]

私は、原則として読まない本は買わない主義です。買った本は読了するように心がけています。
だから、波長の合わない本を読み始めると、こんなエライ目にあいます。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/s/%C9%F1%BE%EB
それでも、昔はたくさん積ん読してました。それは、読みたい本が出て、書店で見かければ、とりあえず買ってました。見かけた時、買っておかないと、入手できなくなると恐れたからです。
今は、アマゾン等ネットでたいていの本を入手できるので、「とりあえず買い」はしなくなりました。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

放っ読

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 4日(月)01時17分17秒
返信・引用
  > No.4849[元記事へ]

高井さん
>巡り合わせ
 そうですね。第3巻もそのうち手に入れられるかも。気長に待つことにします。

 さて、今日の読売朝刊の人生案内は、みなさん読まれましたでしょうか。今回、この掲示板読者の多くの方にとって非常に身につまされる相談に、眉村先生が回答されています。


 ね。他人事とは思えないでしょう? 眉村先生のアドバイスはこちら↓


 「積ん読」はまだ読む気があるが、端から読む気もないのに買ってしまうのは、「放っ読」なんですね(笑)
 さすが眉村先生、気の利いたよいネーミングではありませんか。
 そして胸に手を当ててよく考えてみると、たしかに「積ん読」と「放っ読」の区別を、無意識にやっていることに気づかざるを得ません。実際「積ん読本」は、それでも山の手前の方に持ってこようとしていますもんね。で、私の場合、ハヤカワSF文庫が「放っ読」になりかけていますなあ。なんとかしなくては。

 ところでちょっといま、いろいろテンパッていまして、来週は書き込みできないと思われます。レスも難しいと思います。悪しからずですm(__)m。

 

Re: 「奇妙劇場vol.1」

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年11月 3日(日)20時01分43秒
返信・引用
  > No.4848[元記事へ]

>  私自身は見かけたことは(今回以外)ないですねえ。専らブックオフで、古書即売会なんてところに行かないからでしょうけど。
 いえいえ、ブックオフなどでもちょくちょく見ますよ。というか逆に、即売会ではあまり見ない(笑)。まあ、こういうのは巡り合わせですから、いったん見始めたら続けざまに見るかも。
 

Re: 「奇妙劇場vol.1」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 3日(日)10時43分1秒
返信・引用
  > No.4847[元記事へ]

 わ。大変失礼しましたm(__)m。書き込んでいる最中、脳裏に仲本工事が浮かんでいたのに……。
 私自身は見かけたことは(今回以外)ないですねえ。専らブックオフで、古書即売会なんてところに行かないからでしょうけど。
 

Re: 「奇妙劇場vol.1」

 投稿者:高井 信  投稿日:2013年11月 3日(日)09時32分10秒
返信・引用 編集済
  > No.4846[元記事へ]

> 高井信「世にも奇偶な物語」 以前、ラジオドラマで
 これはラジオドラマにはなっていません。テレビの『世にも奇妙な物語』です。

>  この『奇妙劇場』って、異形コレクション(1997〜)とほぼ同一コンセプト(ちょっとSF寄り)なんですよね。ところが2巻しか出なかった。
 3巻まで出ています。そういえば先日の古書即売会で3冊とも見ました。3冊100円のコーナーでしたが、もちろん持っていますからスルー。誰か買ってくれたかな。あの値段で売れ残ったら、かなり悲しい。
 

「奇妙劇場vol.1」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 3日(日)01時01分11秒
返信・引用 編集済
  横田順彌、他『奇妙劇場 vol.1 十一の物語』(太田出版、91)読了。

 本書は日本作家のオリジナルアンソロジー。ブックオフで「初版」を拾いました(と書くのは後述の理由)。
「おわりに」に、「SF界で活躍中の人気作家たちの手による」とありますが、収録作品自体は「SF」というより「不条理小説」といったほうが近い感じです。

大場惑「ニュースおじさん」 テレビニュースの「事故現場」に必ず写っている「ニュースおじさん」の存在に気づいた夫婦。そのニュースおじさんが、夫婦の前に「実際」に姿を現したとき……。意外性のある秀逸なオチに膝を打ちます。

中井紀夫「おとうさんの集会」 夜中の猫の集会のように、深夜の駐車場に集まってくるオヤジたち……。これは不条理というより、ありそうで、でもありえないシチュエーションというべき。いわゆる「あーわかるわかる」という感じの話で、つまり既存感性の確認で、その辺がわたし的には物足りない。

村田基「逆転学園」 傑作! 恐れられているコワモテ生活指導の教師の指導が行きすぎて生徒が自殺する。翌朝、件の教師が登校(出勤?)してくると、いつのまに変わったのか学校では、生徒が教師の生活指導をするように逆転していたのであった!? これは面白い。生徒を生活指導する教師がなぜジャージ姿なのか、とか、目から鱗が落ちます。傑作長篇『フェミニズムの帝国』など、村田基は日本のオールディスと言ってよいのではないでしょうか。

森下一仁「猫が好き」 友人秘蔵のマタタビ酒をしたたか飲んだ翌日、主人公はネコたちにまといつかれる。まといつかれ方が度を越していてシュールレアリスティック。いわゆるエスカレーションの面白さですね。ところでその薬効は女性にも効くようで(でもなぜ効能があるのだろう)、著者にはめずらしいドタバタものになっています。

かんべむさし「乗り継ぎ」 電車(路面電車?)を乗り換える場面の夢を何十年も見続けている主人公、ずっとその意味を考え続けます。途中から夢と現実が幾重にも入れ子(?)になってくるのですが、その描写がまるでフリージャズを聴いているのと同じような浮揚感をもたらしてくれて、意外でしたが心地よかった(^^;。不条理小説というよりも、むしろ実験小説っぽい。

梶尾真治「紙風船」 シチュエーションはとてもいいのですが、何故にこんなラストにする?

高井信「世にも奇偶な物語」 以前、テレビドラマ化されたものを見たことがある作品。ということで、それを思い出しながら(異同を確認しながら)読んでいたら、ラストであれ? と首をひねる。あ、そういえば! と思いだして当掲示板の過去ログを確認。ありました→ここ。なるほど、そういう事情でこうなのか。しかしいくらなんでも、それはあまりに杜撰ですねえ。

草上仁「顔」 安部公房的なシチュエーションですが、もっと直接的。人間は主に顔で他者(他我)を識別(同定)します。それが証拠に、壁にシミの小さな点が三点、逆三角形に並んでいたら、人間はそこに顔を認めてしまう。ところが本篇では、実際の顔ではない証明書写真の顔のほうに、人々は存在証明を感じてしまう。「迫田晋という男の正しい顔は、本人の顔ではなく、写真の顔なのだ。人々のイメージしている迫田晋は、社会的に権威つけられた、免許証やパスポートの迫田晋なのだ」。一種の日本人論かも。伏線が効いたなるほどのラストもよい。

中原涼「盲腸どろぼう」 途中まで不条理感横溢、テンポもよくて面白かったのですが、終盤で「現実化」して矮小化してしまう(と私は思う)。そうなると今度は最終場面が「非現実」的に感じられて醒めてしまいました。

横田順弥「グラウベラ」 話術(?)に乗せられて最後まで楽しいのですが、(ある時期以降の作品にいつも思うのだけど)ラスト手を抜きすぎ。ひょっとしたら著者は「講談」感覚なのかも。

川又千秋「合せ鏡」 合わせ鏡の一方の鏡を越えると、そこに同じような合わせ鏡の部屋があり……その一つ一つの部屋は主人公の可能性の世界という設定はユニークで面白い。なのに、何故にこのラスト? ちょっとがっかりでした。

 この『奇妙劇場』って、異形コレクション(1997〜)とほぼ同一コンセプト(ちょっとSF寄り)なんですよね。ところが3巻しか出なかった。それはSF冬の時代のあおりをまともに被ったからでしょう(逆に異コレは冬の時代を抜け出す契機の一つになった)。継続していたら面白い作品がたくさん生まれたんじゃないでしょうか。惜しまれます。
 

Re:Re:ピロシキなど

 投稿者:段野のり子  投稿日:2013年11月 2日(土)13時38分28秒
返信・引用
  管理人様
>ある年齢以上になったら、自分の記憶を無条件で信用してはいけないですね。
本当にそう思いました。先日の大阪市のごみ回収車が鳴らすメロディーの件と同じです。
「ありがたいご指摘」そのものです。反省反省です。
雫石様
>作るのです
さすが料理人、そうきましたか。雫石様お手製ならば、さぞかしおいしいでしょうね。
 

Re: ピロシキなど

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 1日(金)21時36分24秒
返信・引用 編集済
  > No.4842[元記事へ]

トマトさん
>久野四郎はビール会社の企画部宣伝課勤務だったそうで
 いまトマトさんの過去ログを見返していたら、久野四郎は、
>サッポロビール企画部宣伝課に勤めていたとSFマガジンで呼んだような記憶が断片的にあります
 と書き込んでおられますね。びっくりしました。実は私、サントリーだと今の今まで思い込んでいました。と言うか、いつのまにかそう思い込んでしまっていました。サッポロが、どこかの時点でサントリーに、記憶が書き換えられしまったんですね。ぞっとしました。トマトさんの書き込みは2007年なので、記憶の改変はそれ以後起こったものと思われます。恐ろしい。
 ある年齢以上になったら、自分の記憶を無条件で信用してはいけないですね。(ーー;

 

「SFマガジン・ベスト No.3」

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 1日(金)20時46分59秒
返信・引用 編集済
  早川書房編集部編『S-Fマガジン・ベスト No.3』(ハヤカワSFシリーズ、65)読了。

ロバート・A・ハインライン「大当りの年」福島正実訳(ギャラクシー、52)  これは前半と後半で印象が分裂します。前半は言っていることがよくわからない。すべての事象は、統計的レベルでは固有の周期を持つという仮説が、当時あったのでしょうか。そこを我慢して乗り切れば、後半はすばらしい破滅SF。

ジョン・P・マクナイト「小鳥の歌声」矢野徹訳(F&SF、53)は、鳥ホラーのショートショート。冒頭の《「ヒック・ヒック」そうかと思うと「コッコニイル!」》(59p)という小鳥の声は、「ヒッチコック」に掛けているのでしょうか?(>ないない)(^^;

シオドア・スタージョン「雷鳴と薔薇」小笠原豊樹訳(アスタウンディング、47) 多分今回が三読目。はじめて腹にハマって面白いと感じた。バラードの狂女ものに勝るとも劣らない、退廃美横溢する傑作(著者の意図は違うかもしれないが出来上がった作品はそうなっている)。

ドナルド・A・ウォルハイム「暴風警報」宇野輝雄訳(フューチャー、42) 宇宙からの侵略テーマですが、侵略してくるのは、なんと「大気」。異星の「大気」が宇宙船に乗ってやって来、地球の大気を押しのけて広がろうとする。それに対する地球側は……!? 面白い(^^)。

アイザック・アシモフ「サリーはわが恋人」稲葉明雄訳(ファンタスティック、53) 「お紺昇天」と同一シチュエーションで、日本では他にも(タイトル思い出せないですが)豊田有恒とか高齋正なども書いていたと思います。このような設定は非常にセンチメンタルな結末に至るものですが、本篇はぴりりと山椒が効いています。まさにアシモフ自ら標榜していたところの「第3期社会学時代」の作物らしい好編。

アーサー・C・クラーク「前哨」小隅黎訳(テン・ストーリー・ファンタジー、51) 申すまでもない月SFの超有名作。今回読み返して、(おそらく永遠に)古びない月世界の描写を堪能(ラストは古びてしまいますね)。こういう純粋ハードSF(ストーリーは不要)は、もう書き手はいないのでしょうか。

レイ・ブラッドベリ「もののかたち」斎藤伯好訳(スリリング・ワンダー、45) 人間とはなにか、ということに対するブラッドベリの信念(=かたちではない)がよく分かる作品ですが、作品としてはさほどのものではない。

エドモンド・ハミルトン「反対進化」小尾芙佐訳(アメージング、36)  素晴らしい! 扱われる単細胞生物の説明は間違っているように思いますが、進化とは退化だったというひっくり返しは、オールディス『隠生代』とある意味同じ。あ、『ゼロの怪物ヌル』(畑正憲)とも同じですね!

クリフォード・D・シマック「前哨戦」峯岸久訳(アメージング、50) 田園SFのシマックらしくなく、リアルな都市が舞台。実はこのアイデアは私も暖めていて、深夜、ひとけの絶えた道路(傾斜のある道路)を、ナット状の機械部品が、コロコロと(転がって下っていくのではなく)傾斜を上がっていく――という冒頭のシーンを書いただけで止まっている物語があるのですが、ちっ、先を越されてしまいました。ていうか、私が生まれる前に、すでに先を越されていたのか。チョコザイな(>それは違う)(^^;。面白かったのですが、このラストはちょっとやぶれかぶれ。気の利いたオチを考えつかなかったんでしょうねえ(笑)。

リチャード・マシスン「男と女から生まれたもの」伊藤典夫訳(F&SF、50) マシスンのデビュー作。ホラーですね。つまり理由の説明がない。本集で理由の説明がないのは、本篇とマクナイト作品のみ。デビュー作がこれですから、マシスンはそもそもホラー作家だったということですね。

ウイリアム・セル「次元分岐点」大山優訳(アスタウンディング、38) これは面白かった。広瀬正ばりの精緻なタイムパラドックスSF。眉村卓の分岐世界的な考え方が1938年時点で書かれていたことに驚かされます。『夏への扉』は1956年なんですから。この作品はSFMと本書に掲載されただけで、その後アンソロジーに収録されたことはないようです。いまでも十分に通用すると思うんですけどねえ。

 福島あとがきによれば、今回よりF&SF誌との提携を解消したSFMからのセレクションになっているとのことで、翻訳権の関係で収録できなかったのは、チャド・オリヴァー「雷鳴と陽のもとに」(F&SF、57)1作だけとあります。でもこれって変ですね。今回収録のマクナイト「小鳥の歌声」もF&SF誌なんですから。翻訳権云々というのはオモテ向きの理由で、実は福島正実編集長の(以下略)(^^ゞ
 

ピロシキなど

 投稿者:トマト  投稿日:2013年11月 1日(金)17時52分12秒
返信・引用
  雫石さんのレシピ、拝見しました。
さらに具にウズラ卵、コーン、マッシュルームなどを加えてみるとたのしそうです。
しかしダークダックスの歌うパルピロやパルナスの歌、聞いていると「ひょっこりひょうたん島」のころにタイムスリップしたような錯覚です。

久野四郎はビール会社の企画部宣伝課勤務だったそうで、
「ところでまあ、
一緒に一杯やりましょうや。」
という感覚で執筆したのでは?それと関係あるかどうかわかりませんが、覆面座談会では久野四郎は不真面目だとか、ああいう後書きを書く人は嫌いだどいうっていた人がいましたね。草下英明的な真面目さ健全さを求めたのかな?と思いました。

パルナス製菓の古角社長、あのCMからやはりターゲットである子供たちやその家族に愛情を注いながら事業に臨んで居られたのではと思います。




 

Re: 楽天王手

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 1日(金)17時16分8秒
返信・引用 編集済
  > No.4840[元記事へ]

雫石さん
>自分で作るのです。
 おお! それは全く想定外でした!
 でも、その提案は却下であります! はっきりいって料理のスキルはゼロ(むしろマイナス?)なのでそれは不可能ですねえ(^^;
 とはいえ、雫石さんお手製のピロシキは食べてみたい。そうだ。次は雫石さんのお客になる会(雫客会)なんてどうでしょうか。みなさん!(>おい)m(__)m。

 

Re: 楽天王手

 投稿者:雫石鉄也  投稿日:2013年11月 1日(金)10時53分31秒
返信・引用
  なんだかピロシキのことで、盛り上がっているようですね。
デパ地下なんかでよく売ってるし、尼崎のモンパルナスでも売ってますね。
おいしいですが、もう一つ方法があります。
自分で作るのです。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/95550a4aa589845192e0039dbe57ee5d
案外、簡単ですよ。そして市販のものよりおいしいですよ。

http://blog.goo.ne.jp/totuzen703

 

ジャズタンゴ?

 投稿者:管理人  投稿日:2013年11月 1日(金)01時25分38秒
返信・引用 編集済
   ここのところタンゴがマイブームでして、ユーチューブに上がっためぼしい演奏はあらかた聴いたんじゃないでしょうか。タンゴがいまのジャズの位置にある並行世界は十分にありえるんじゃないのかな、などと考えながら聴いているのであります。ユーチューブ、ほんとうにありがたいですねえ。
 で、その中からいま気に入っているのが寺井尚子。数日前からは寺井尚子ばかり聴きまくっています。嵩じてCDまで購入してしまいました(笑)>「ALL FOR YOU」。
 「リベルタンゴ」が入っているのでこれを選んだのだけれど、もちろんこの曲の演奏は大満足。ただ、スタジオ録音だからある意味当然なのかも知れませんが、音がかなり加工されているようで、ちょっとバイオリンの音色がきれいすぎるんですよね。イージーリスニングみたいなのも入っているし。やっぱりこのようなアーチストはライブが本領なんでしょう。
 ↓のようなバトルめいたパフォーマンスがよい。ライブで聴いてみたい。
 
 


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